
はてなキーワード:人生の目的とは
間違ってないと思うよ。
「自分の欲求を満たす」ってのは多分人生の目的を表現する一つの言葉として合っていて、
その欲求の形が人によって違うし、同じ人でも人生のステージによって変わってくるってことだと思いますよ。
元増田も、宗教的な気持ちがあった時は、自分の欲求が「自己の成長」であって、
その気持ちがなくなった時に自分の欲求から自己成長が抜けだだけではないかなと思います。
でも、今の欲求が具体的に何なのかは文章からは読み取れないし、
もしかしたら元増田は宗教的気持ちが無くなったことで、喪失感や自暴自棄からまだ決められていないのかもしれない。
決められていないから、自分の欲求が「自分の欲求を満たすこと」になっているのではないかと思います。
(政治には明るくないので間違っていたら訂正してもらいたいですが、)
トランプも身勝手ではなく、とにかくアメリカを一番にして、その立役者として名を残したいといった欲求があるのかもしれないですし、
プーチンも身勝手ではなく、ロシアの領土を拡大させて、その立役者として(略。
要は、他人から見ると単なる身勝手・道徳心の欠如に見えるかもしれませんが、
人生の目的を考える前に、まずは自分の信念などを見つめ直してみてはどうだろう。
何がかっこいいか、どんな時に満たされた感じがするか。
どう生きるべきかに正解などなくて、自分で作るものと理解できてるんなら、まずはそこからじゃないかな。
例えば自分の信念があるけど、仕事や生活が苦しくてねじ曲げて考えてるようなら、うまく割り切ってこって思う。変に開き直ったり露悪的になる必要はないんじゃないかな。
自分はむしろ自分がいなくなった後に家族や周りの人やその次の世代の人達が楽しく生きれる世界になってほしいなーと思ってる。結果知ることもないから希望だけ持てる。笑
多分、これが最適解だよね。
多くの人がこれを採用してる気がする。
でもほんとにそれでいいのか?
楽しいことを増やし、嫌なことを減らす。
幸福を増やし、不幸を減らす。
そんな人生でいいのか?
転生後のことも考えれば、自分の成長を目的にするのが良いと思ったからだ。
だからその場その場の自分の欲求を満たすより、自分の精神の成長を優先した。
人間は死んだら終わり。
欲求を満たすことが最適解になると思った。
輪廻転生を信じていた時は、あんな振る舞いは非効率的だと思っていた。
しかし人生一度きりだと考えれば、あの振る舞いは最適解かもしれない。
トランプも歳だし、やりたいことをやる。
あと先考えなくていい。
失敗してアメリカがダメになっても、その時自分はいなくなってるのだから、問題ない。
やりたいようにやればいい。
そんな風に考えている。
俺は間違っているか?
Permalink |記事への反応(17) | 08:07
怖いもの見たさで『メラニア』を見たんだが、さすがにそれ一本で帰るのもどうかと思い、ちょうど上映してた『ハサウェイ』一緒に見た。
『メラニア』は、映像としてはちゃんとしてる。ライティングも音響もカメラワークも演出も「映画の作法」は押さえてるし、カット割りに至っては「カメラ何台あんの?」って思うくらい一つ一つのシーンで細かく刻んでくる。登場人物がある意味素人にもかかわらず、演技が下手くそで見れないというようなこともなかった。むしろ『ハサウェイ』の方が薄暗くて見づらいシーンが多かったくらい。
でも内容がびっくりするほどつまらない。
『メラニア』の映画では、2025年1月1日から就任式までの20日間を描くのだが、少なくとも映画の中では何のアクシデントも起きない。起伏がない。尺を埋めるためか、プライベートジェットで移動する、警護付きのSUVで移動する、みたいなシーンが何回も差し込まれる。で、ただ移動するだけで何も起きない。『ハサウェイ』と真逆だなと思った。『ハサウェイ』の移動には全部意味があるし、大小のイベントが勝手に発生して勝手に状況が変わっていく。『メラニア』はただ移動するだけで終わる。
移動中はモノローグが入るんだが、これがクソ真面目でクソつまらない。というか、移動以外の場面でも会話劇がほぼなく、ずっとモノローグ。『ハサウェイ』なら戦闘中でさえ会話劇をするし、モノローグにも幻覚が混ざって気づいたら会話している。『メラニア』は幻覚を見ないし、戦闘もしないし、仕事もほぼ一方的な指示出しなので、実質モノローグしか喋れない構造になっている。たまに挟まるスタッフのインタビューシーンが癒しになるほど。
ただ、モノローグに全く見どころがないわけではない。
たとえば「今日が私人としての最後のフライト。明日からは公人として移動するので、様々な制約が課せられる」みたいなナレーションがあって、えっ今までのプライベートジェット貸し切りとか警護車列での車移動って、全部“私人”扱いだったの!?どんだけ金あんの!?って、そこだけは普通に笑った。
画面にいるだけで映える。普通の人のドキュメンタリーを撮ってもこうはならないだろうなっていう素材の暴力を感じた。就任式のドレスもミリ単位で調整をオーダーするし、ホワイトハウスや会場のデザインにも細かく指示を出す。『ハサウェイ』でいうと、ギギの引っ越しシーンが最初から最後までずっと続く感じ。プロ意識のエピソードとして必要なのはわかるが、全編それだとさすがに飽きる。あれを2時間やられるのはしんどい。
ギギとの対比で言うと、メラニアは最初から最後まで徹底して大人として振る舞う。モノローグでも建前しか言わない。ドキュメンタリーとしてはそういう振る舞いしか撮っていないという言い方もできるが、結果として面白くない。子供っぽい振る舞いで周囲を振り回して場をコントロールするギギとは対照的。
トランプ一家が映る時、フォーカスされるのはまずドナルド、次にメラニア、最後にバロン。ドナルドとバロン以外の親族は、画面に映ってるのにモノローグでは完全に無視である。劇中で別々に動いてるのか、単に編集で落ちてるのかは分からないが、ドナルドとのプライベートな会話もほとんどない。家族について語るところも、ほぼバロンの心配しかしていない。もう人生の目的が「バロンを無事育て上げること」しか残ってないんじゃないか、みたいな気配すらある。
画面に存在するだけで「こいつ次に何をしでかすか分からない」緊張感がある。少ない登場シーンでも、周囲にジョークをかますのを欠かさないし、平易な言葉で人を大げさに褒める。就任式スピーチの練習中に、メラニアが原稿の修正を提案する場面があるんだが、提案を受け入れて直した後に、カメラ目線で「ここカットしろよ!」ってジェスチャーしてくる。マジなのか冗談なのか分からないところまで含めて面白い。
正直、トリックスターという意味では、ドナルドの方がよっぽどギギに近い。
homarara
homarara 今の子は、若気の至りがネットに残っちまって大変だな。そんなの「あの頃は若くて馬鹿だった」で済ませられるべき思い出なのだが。
bowbow99
bowbow99 読んでて「ワカルー」感と「ワカンネ」感を両方とも強く感じた。
mmhry
mmhry 『結局、自分なんてのはいなくて他人の寄せ集めで出来ているのです。でもそういう他人の寄せ集めのことを「自分」と呼ぶことになっているのです』ってのを読んだ事があって、それで結構楽になった記憶がある。
chintaro3
chintaro3 そういう失敗は誰しもあるもんだと思うよ。自分も1つ間違えば狂気や犯罪のすぐ隣に居る、と気づいて自制することで大人になって行くのさ。
Gonzoo
Gonzoo いろんな人のいいところを抽出して、ちょっと自分のエッセンスを加えて自分ってものを作るんじゃないのかなあ。全部ゼロイチから作ってたら非効率でしょ
stressersyo-gunn
tanorityノートとペン持ってタリーズに行ってくるね。コレすら誰かのロールだと思ってしまう。 いや、悪いことではないと思うけど、なんか不思議。自己啓発などは真似しろよだけど…。
KariumNitrate
KariumNitrate服装とか所持物とかでそういうのを気味悪がられる漫画は見たことがある。そういう人の気持ちが分からないのであれば無難に徹するべきなのでは。俺も人の気持ちが分からんのでなるべく慎重にしてる(つもり)。
jou2
jou2 “ただ、わたしが彼女を好きすぎて”書いた人が女性だとわかる前はウゲーって思った。書いた人が女性だとわかったら、まぁ、こんな事もあるかなと納得。なるほどなー。HAGEXがこういう人の被害者たまにまとめてたよね
lbtmplz
lbtmplz相手がやめるまでってのは一体どんな異常性なんだ…
duckt
ducktそもそもそういうのを「ロールモデル」って言うんか?
2019/07/29リンクyellowyellowyellow
kozilek
kozilek相手から「影響」を受けない付き合いに、何の意味があるのか。全く同じ個人はいないんだし、影響を受けた上で自分で消化すればいいだけ。それを隠していたのだけ、ちょっと失敗だったかもね。
HiroPiano
HiroPiano 全部真似されても嫌だけどなりすましアカウントはそりゃ恐怖だ。何が好きかわからないならこれから自分と向き合えば好きなものが沢山見つかる可能性があるのだから色々やってみて、増田の好きを楽しめるといいね。
amsfish
amsfish その人を真似したいというより、その人を真似して周りにちやほやされたかったんじゃないの?なりすましみたいなことは良くない。ロールモデルがあるのは別におかしくないと思う。
fourddoor
fourddoor名言集だって、あたかも自分が考えたかのようにベラベラ披露してたら元ネタ知ってる人はドン引きするよ…増田がやったのはそういうことでしょ
puruuuun
puruuuun そういうのを解決するためのサービスになってほしいと、密かに応援してるサービスがある。https://camp-fire.jp/projects/view/158148
HanaGe
HanaGe 真似は誰もが通る道。でも成りすましはね、ちょっとね。ノートに「自分の取説」書いてみると、客観的になれるかもね。
onionskin
onionskin 学びがある
tripleflat
tripleflat10代後半から10年くらいは自分も思い当たる節があるな。いろいろ恥ずかしい思い、反省を踏まえて今は自分で好きだと言えることを楽しんでいる。
bengal00
bengal00増田が何がしたい人なのか明確じゃん。人のマネがしたいんだよ
ysync
ysyncストーカーチックなのがキモい原因じゃ?師匠扱いなら別にお互いさほど気まずくならんくね?
ymtk0815
Alice1017
Alice1017 “「映え」を意識して行動できなくなったら、見栄を誰に張っていいか、どう張っていいかわからなくなった。”映えを意識して見えを張ることでアイデンティティを保っていたのか
fatpapa
fatpapa 憧れてる人と同じ事をし同じ物を好きになりたいって同化欲求は多かれ少なかれあろうがSNSで晒し承認欲求をも満たそうとするのは自分に自信がないゆえか。いつまでも真似ばかりでは成長できず歯止めがきかなくなるから
nakab
nakabコピーなんてしようと思ったことないから、一種の才能なんだと思う。
namisk
namiskあゆとかあむろちゃんとかに熱狂して外見まで真似る周囲の女子たちが不可解だった。今は対象がSNSの有名人になるのね。距離が近い人を真似すると問題あるかもね。増田人生
ht_s
ht_s これ、会ったり手紙のやりとりしてなかったら特に問題ないのでは? 何から何まで真似してしまうほど憧れてる相手とリアルにつながったのがミスなだけで。真似された側は当然不気味でしょう。
droparound
droparound 絵とかもまずは模倣から入って自分の絵柄を探すものだし、ロールモデル自体は悪くないのでは。悪いのは自作発言だよね
2019/07/29リンクyellowyellowyellowyellow
satovivi
satoviviなりすましをした理由を掘り下げていけばいいかも。したいことより、したくないこともいっしょに掘り下げるといいよ。徹底的にイヤイヤ言っていたら、絞り込み検索になるから。
abeeei
abeeeiリアルでそれをやられた側になったことがあるのでトラウマを思い出した。/お金や時間を使って試行錯誤した労力をかすめ取られたような気持ちになる。ぜひご自分で努力を重ねて欲しい、あともっと適当で良いと思う。
peketamin
peketamin 真似を通じてでも獲得した感性は自分のものだし、いいと思う。感受性が高くて器用だから理想が高いのかな。追い求めるのが苦しくても楽しければ辞めなくてもいいと思う。あとはこれは増田本人の話なのかどうか _FAV_
behuckleberry02
behuckleberry02書物にロールモデルを求めてリアルで真似してた頃はなんの問題もなかった訳で。ネットとリアルを切断出来なくなった若い世代特有の問題っぽいな。とりあえず昔の人からロールモデルを探せば解決。
tsu_nyan
tsu_nyan みんな、誰かが作った服を着て、誰かが作ったものを食べて、誰かが作った家に住んで、誰かが作ったサービスを享受している。個性なんてものはその組合せに過ぎないから気にしなくて良いのでは
anepan
anepan最初は戦慄してたけど最後まで読んだらなんか救われた気持ちになった
e_pyonpyon21
e_pyonpyon21 30年くらい前は、月刊誌に女優さんやモデルさんの長いインタビュー記事がきれいなグラビアと一緒に載っていた。いまはそれがSNSで各人ごとにカスタマイズされている。二十歳過ぎ?わかいわかい。
sand_land
sand_land 程度問題。
pixmap
2019/07/29リンクyellowyellowyellowyellowyellowyellowyellow
itotto
itotto 真似してただけじゃなくてなりすましに近いことをしてたってこと?やり直せるかどうかは人によりけりだけど自分はこういう人は無理じゃないかなと思う。増田生活雑記
toaruR
toaruR うんうん。ジュブナイル
heaco65
heaco65なりすましがまずかっただけで、大なり小なりみんな誰かの真似で生きてると思うけどね
kkobayashi
rue325
rue325 私は、真似られるの大歓迎よ。全然気持ち悪くないし怖くないわ。人の真似をするって罪悪感を持たなくてはいけないことなのかしら…。
yubi1guitarbook
yubi1guitarbook 失敗の度合いによるでしょ?
Ayrtonism
Ayrtonism 「誰にも頼らずじぶんの言葉でなりたい姿を考えるべき」とは思わないな。むしろ、なりたい姿になって、でもSNSで発信する必要がないくらい自分のものにすればいいんじゃないかな。
hoihoitea
hoihoitea運動と瞑想をしない者の末路はいつも悲惨だ。なぜやらなかったのか。もう駄目かもわからんね。増田
viperbjpn
kimmugi
kimmugiタリーズで読んでたから最後の文書ちょっと怖かった
minoton
minoton こんだけロールモデルがいるなら、混ぜてアウトプットできれば、誰にも迷惑はかからないんでは
false_alarm
false_alarm相棒でもこういう話あったな、あれは麻薬売買とかに絡んでいったけど
roja123
roja123自分以外は他人ということがわかってなかっただけ。他人へのリスペクトがあればこんなことは起こらなかっただろ。人はみんな他人のマネでできている生き物だからマネするのはしょうがないだろ( ・ω・)
akanama
akanama “一人だったら何がしたいとも思わない” … それはそれで才能だと思うから突き詰めてほしい。… 私は自分が好きなものを忘れてしまって、今もがいているので少し親近感がある。応援はしてる自分語り
junglejungle
junglejungle漫画の主人公に憧れて邪気眼のほうがマシだったか。
vaginally
vaginally増田なんかやらない方がいい
iasna
iasna “だって自分だったら、自分みたいになりたくて自分の真似をして生きてる人がいるとしたら気持ち悪いっていうか、怖くない?”←だいぶあたまおかしいなこの人
natukusa
natukusa自分なんかは寄せようとしても寄せ切れない「へたくそな模倣」しかできないので、影響元がわかるくらい「うまい模倣」ができるのは一種の適正に思う。当事者を怖がらせない範囲で、適度に使えば才能だよ。
ustam
ustam お、『世にも奇妙な物語』の新作かな?
q-Anomaly
q-Anomaly おおーすごい、レディコミの怪談話に出てきそうな。最後は外見まで入れ替わるやつ。実在するの?
deep_one
deep_one 割とよくあるやつ…
jinjin442
jinjin442 クソくだらねぇ。もっと大きな悩みを抱えてなくてよかったなとしか思えないが(というか早く最初の街を出て冒険に旅立てと)、いつか大きくなって見返してもらえたら悔し嬉しい。
pollyanna
pollyanna人真似の寄せ集めで自己形成しようとする人はネットでもリアルでもよく見かけるけど、増田のこの文章はとってもおもしろいし、もうひとりだちしても全然大丈夫なのでは。「食戟のソーマ 美作昴」で検索だ。
cunlingusmaster
cunlingusmaster 憧れの先輩や同輩の真似するのって健全で、2年も経てばそんな時期もあったなくらいにしかならんのよね
timetrain
timetrain自分も最初は隣のクラスのとんでもなくすごい同級生の真似というか劣化コピーだったので、それに気づいてからが人生の本番じゃないのかなと思う増田人生SNS
kura-2
kura-2 見栄をはる必要のなさ。自分のために生きていないのは虚しい
pandachoco
pandachoco やり直せる。パクるのは1人だけだからよくない。10人からパクって混ぜたらもうオリジナリティになる。みんなやってること。ただ、みんな誰から影響されたかあまり考えてないだけです。
white_cake
white_cake全然やり直せるし、真似しているつもりでも続けていけばそのうちどうしても真似したくない、あるいは真似じゃないけどやりたいことが出てくる気はする。そんなに真似できることがすごいとも思うし。
ayumun
ayumun “自分みたいになりたくて自分の真似をして生きてる人がいるとしたら気持ち悪いっていうか、怖くない?” それが割と平気な人がなるのが芸能人ですやん。
gimonfu_usr
gimonfu_usr ( はてな匿名ダイアリは21世紀の純文学テーマの倉庫 )web作法
north_god
north_god自分の人生において主役になれない人は無理しても辛いので、誰かのファンとして尽くす人生もそれはそれでいいと思うんですよ。こんな数行で済む事を馬鹿にされないよう長々と書く人が我が道を行く何て無理でしょ
towerman
towerman 丸パクするからうまくいかないし、逆に、オリジナルを生み出そうとすると無理がある。少しずつバラして、寄せ集めて、ちょっとだけ変えれば、それはもう自分のものになる。
srng
srng こういうの、女性社会ではSNS外でも普通によくある話と聞いたことがあるが
aienstein
aienstein全然大丈夫だと思うけど…3ヶ月でやるべき事を全部書いてみる、次にその中に「ちょっとやってみたい事」、気になる映画を見るとか、名前だけ知ってる温泉に行くとかを織り交ぜていくのは。色々やってみるのが大事。
nowandzen
dora_m
dora_mブコメが自分を空っぽだって認めるところがスタート、と言ってる人が多くて意外だった。能力が無いし辛いとかはよく思うけれど、自分を空っぽだと思ったことは(短時間とかはあるけど)なかったから
dbfireball
dbfireball 「ロールモデルとして参考にしてた」っていうより「熱狂的なファン」だった感。相手が芸能人だったら何も問題はなかったんだろうけどね。社会
nuu_n
nuu_n簡単に自分の好みや思いを足せって言う人いるけどその好みや思いが他人と丸被りなんだろう。その結果自分がなくなったように錯覚する。それが嫌なら自分の好みを曲げてでもあえて人が選ばなさそうな選択を心がけては
kagecage
kagecage 心の声を聞くんだ、ってトイストーリーでもいってたなあ
Ereni
Ereni 好きだと思うものって、自分とどこかしら似てるんだと思う。そういうのは後から気づく事がある。ネットだと意識が肥大化するのでやり過ぎになりがちで、その自分を客観的に見れるのならまあ大丈夫ではないのかな。増田
yoiIT
yoiIT 何かにならなくて良いよ。モブの人生を受け入れよう。
pandaman47
pandaman47無駄な労力は費やしたくないからインプットは大切だけど意思決定までコピペはまずいよね。持ち家派/賃貸派とかのライフスタイル選択とか政治の右派/左派とか根深いレベルでもあり得る話なんで気をつけたい。
chikayours
chikayours 何者にもなれないのが自分であるということの受け入れどきでは?その後にどうするかで決まると思うよ。誰もが何者かになれるわけじゃないからね…そしてそれは悪いことじゃなくて、ほぼ全ての人が当てはまる。
2019/07/29リンクyellowyellowyellow
hungchang
hungchang こんなヤバい奴がこんなにも自分を客観視できるものなのか。増田
Ni-nja
Ni-nja 参考元が近過ぎただけで、雑誌の読モとかインスタインフルエンサーはむしろウェルカムだと思う。彼女の作った成果をパクるんじゃなくて彼女の元ネタを聞ければよかったのかな増田人生考え方
alt-native
alt-native そこまでわかってるなら とくに言えることはない。時間が解決するし、黒歴史になるだけ。誰だって黒歴史の2つや3つ 抱えてる。清いまま生きてる奴なんかいない。
perl-o-pal 何言ってるの?自分は空っぽだ、って気づく所が大抵の人の出発点じゃない?//まあ、SNSの人からは嫌われたかもだけど、周囲の人からは支持されてるんだからいいんじゃない?
Recheru
Recheru 憧れる人がいて羨ましい。わたしは美人にしか憧れることが出来なくて、それ以外の女性のどこが優れていても憧れは持てないから、目指すことができない。こういう考え方を忌み嫌ってるのに、自分がまさにそれ。
houyhnhm
houyhnhm邯鄲の歩み、というやつだなあ。別に何も真似せんでええんやで。
shikiarai
shikiarai お前はお前だ。自分で分からなければ人に聞け
chihiro-ikw
ikarino-ikaring
独身、子無しでコスパ良く生きようみたいな話はよくあるが、実際独身、子無しで生きて既婚者、子有りと同じくらいの強度を持った人生を生きることはできるのだろうか
ここで言う強度とは、社会的な価値を感じられることや感動することや安心感や人生の目的などいろいろ
※リスクの話をすると取っ散らかるから、障害児が生まれたらとか、離婚したらとか、趣味に飽きたら、趣味の人間関係が悪化したらとかは無いものとする
まずアニメ鑑賞、映画鑑賞とか受け身形の趣味はたとえそのコミュニティに所属したとしても全然敵わないと思う
スポーツは人の輪はできそうだけど、それだけだと弱い気がする
大会とかに出たら目的は生まれそうだから人生に強度を持たせることはできるかな
ずっと漫画書いてる友達楽しそうだし何だかんだ人の繋がりができるし
自分の叔父で生涯独身だけど、趣味の囲碁をボランティアで子供たちに教えていて充実してそう
ワイが仕事を金を稼ぐ手段としか思ってないからこの人生で強度を持たせられるビジョンが一切浮かばないけど
もちろん独身、子無しは金がかからないが、子や家族のかわりになる概念がないと結局生きにくくなりそうで、あまりそれが思い浮かばない
このYouTube動画と、それに対するあなたの率直な意見、ありがとうございます。
生産性や効率は仕事の世界では重要な指標とされることが多いですが、それはあくまで手段であり、人生の目的ではありません。
動画で語られているような「A-プレイヤー vs B-プレイヤー」の議論は、企業やチームのパフォーマンスを最大化するという視点からのものであり、その視点に立てば、非効率な要素を排除することは理にかなっています。
個人として見れば、仕事は生活の糧を得るための手段であったり、自己成長の場であったり、人とのつながりを持つ場であったり、その意義は人それぞれです。
「仕事は最小限で、人生を楽しむことに時間とエネルギーを費やしたい」という生き方も、現代では十分に可能です。
生産性の競争から距離を置き、自分にとっての豊かさを追求する生き方は増えています。
すごい。私の主張のために、こんなに丁寧に時間をかけて反論してくださったんですね。ありがとうございます。論点をまとめてみました。
あなたは「教育・勤労・納税」に準じて出産も義務だとしています。
ただ、憲法や法律上、出産・結婚は義務ではありません。国家的に人口を維持する必要があるのは事実ですが、それを個人に「道徳的義務」として背負わせるのは乱暴です。
一方で、社会全体が少子化で苦しむ中、子を産み育てる人々が社会を支えているのも事実です。だから「感謝や支援が必要」という議論は成り立ちますが、それを「産まない人=寄生虫」とまで言うのは論理の飛躍です。
私の主張は「自分の人生の目的を持つことで、他人の選択に振り回されない」という点に重きを置いています。これは個人の尊厳を守る考え方から来ています。
あなたはそれを「幻想」「逃避」と切り捨てていますが、それは「社会的貢献の形は一つ=結婚・出産・労働」という狭い価値観から来ています。
実際には、社会への貢献は教育・芸術・医療・ボランティア・納税・地域活動 など多様な形があります。出産・育児はその中の大きな一つではあるけれど、唯一の正解ではありません。
3. 「免罪符」という発想の危うさ
「免罪符」という言葉は、そもそも「産まないのは罪」という前提があるからこそ出てきています。でも、産むか産まないかは本来「罪と罰」の話ではなく、価値観や条件による選択の話です。
「産まない=社会的寄生虫」というのは、社会を「再生産のための装置」としか見ていない発想です。人間の存在をあまりに機能的に見すぎている。
「産まない代わりに社会にどう責任を果たすか」を考える姿勢の方が、はるかに成熟したスタンスだと私は感じます。
まとめ
「免罪符が必要」という発想自体が不健全で、むしろ「自分はどう社会に関わるか」を主体的に考える方が建設的。
「寄生虫」的な断罪は、社会の持続性への不安の裏返しだが、個人の尊厳や自由を軽視しており危うい。
まあ、1分でAIにまとめてもらったんですけどね。
これは女性差別でも何でもない。
男で働いてない奴、仕事がちゃんとしてない奴は一人前として扱われない。
一方で女はなんか派遣とかパートでだらだらやってても男のようには咎められない。
なんでかって女はなまじの労働より出産育児の方が価値ある仕事だからだよ。
そこをキャンセルするならよほど別のことに打ち込んで意義を示さない限り
男の場合の「仕事もちゃんとしてないカス」程度の白眼視はされる。
こういうのもまあ幻想だよね
男にしろ女にしろ社会を維持して周りの人に役立つ活動してる人間が一番偉い
殆どの人間はそういう幻想を逃避先にして結局幻想も空中分解してる
でも人によって大切にしてることも違えばキャパも違う。
こんなのって
って言ってるだけで
って話だよね。
「勉強したくても出来ない知的障碍者がいるから私も勉強しなくていい」
「労働したくても出来ない身体障碍者がいるから俺も働かなくていいんだ」
これはおかしいだろ。
お前は出来るんだからやろうね?お前と別の条件の人の話をしてどうする?
で終わりだろ。
社会の継続性や回り持ちを前提にした社会福祉を受ける資格は道義的にはないだろ
社会のための基本的な道徳を戦時中「にも」守っていたからといって
産まず増えなければ社会はこわれゆく。
他の人間は同じように甘えないという前提によってのみ成立するので
貰いは全部受け取り支払は拒絶するというだらしない人生を歩みがち
子どもを産まないことに対して免罪符が必要なの?個人の選択の自由なのに??
そうではなくて、人生の目的があれば周りの生き方に振り回されなくて済むということが言いたいだけ。
子育てしながら自己実現している人もいる、それはそう。でも人によって大切にしてることも違えばキャパも違う。不妊治療をしても授かれない人もいれば、まともな親の元に生まれず世代間連鎖を止めたいと思っている人もいる。そもそも産みたくないから産まないという理由だとしても責められるいわれはない。国のために産めよ増やせよという考え方なら戦争中と同じ。個人1人が産まない選択をしたところで政治が変わらなければ少子化は変わらない。だったら自分が不幸にならない生き方を責任持って全うしていくべき。その代わり子育て世代への支援に繋がることは積極的にしていくし、末代として自分のケツは自分で拭いて生きる。誰かに石を投げられる筋合いは無い。
もともと大学4年生の卒業間際の1月、海外の大学院に出願していたのですが、それが不合格になったため、大学を卒業して大学院浪人をする期間に入りました。日本の大学院は受けておらず、海外大学院の結果が判明する時期の都合で卒業取り消しもできなかったため、そのまま大学を卒業したという形になります。
ただ、働いていなかったわけではなく、大学在学時から働いていたスペース運営の仕事を継続しつつ、知り合いの経営しているスタートアップでもアルバイト的にプロジェクトを手伝っており、収入的にはある状態になっていました。
こうした状況の中で再度出願に向けた書類作成を行っていたわけですが、その中でどうしても海外大学院特有のエッセイというものに心を苦しめられたわけです。自分はどういう人間で、どういった経験をしてきたのか、そしてそれがこの大学院で学ぶことにどうつながるのか、というストーリーを作っていく作業が自分自身にとってはかなり重荷になり、手が動かないという感触がしたときには、うつ病になっていました。
本当にうつ病になった時のことを表現するのは難しいのですが、まず体が動かない、ずっと眠たい感じがするのに眠ることが出来ない状態が続いていました。そして、起きている間も、夜眠るために起きているようなもので、眠ることが人生の目的であるような状態がずっと続いていました。こうした、眠るために起きるといった活動原理の状態は、うつ病発症から半年ほどたって、だいぶ回復している今でもこの状態に戻っているのではないか、と思ってしまう状態があります。
うつ病の状態から、何とか出願書類を仕上げて再度提出したものの、大学院は不合格となってしまい、今年の1月頭から就職活動を始めました。大学をすでに卒業してしまっていることもあり、また就職活動を始めるタイミングとしては微妙だったこともあり、なかなか就職先は見つからない状態でした。幸い、スタートアップ的な組織に採用していただくことができたものの、研修なども整備されず、自分で考えて動くことを要求されるような環境において、そのスピード感の中でうつ病の症状が再発することがあるのではないか、という恐怖感は消えないままです。
今のところうつ病が再発するという感じはしませんが(ときどき、うつ病の時に発生したブレインフォグや記憶障害の影響は残っているものの)、いつ自分がダメになるのか分からない不安感と、その時に人に迷惑をかけてしまうのが申し訳なく、仕事に手が付きにくくなることがあるのが現状の課題です。
周囲が副業だの投資だのと盛り上がっていても、ふーんとしか思うない。
仮想通貨が爆上がりしても、NISAがどうのと言われても、感情が動かない。
金融リテラシーがないと自覚してはいる。でも、だからといって勉強しようとまでは思えない。
生活には困っていない。むしろ、支出が極端に少ないので、気づけば勝手に貯金が増えている。
欲しいものがないから、お金を使わない。使わないから、貯まる。でも、それで何かが良くなるわけでもない。
何かのためにお金を稼いで、それを叶える。そういう構造がまるごと抜け落ちている
でも、そのゲームの目的はお金を使わないことだけで、達成した先に何があるかはわからない。
消費しない生活には快感がある。でも、それが人生の目的になってしまっていて、何のために生きるかが置き去りになっている。
このまま何も求めず、何も得ようとせず、ただ日々を生きていくだけなら
本人の人生を豊かにすることだけを目的としているなら整形もなんぼでもしてもらっていいけどさ。
醜女であるということで、今までの人生辛かったと思うし、そこには同情する訳なんだけどさ。その絶望をもう一度子供に追体験させようとするのは違うと思わないか?
ごく単純に、生存競争っていうのは、優れた性質の個体が自然とツガイを獲得できて、その結果として優れた遺伝子が後世に引き継いでいくって仕組みなワケ。
でもさ、整形で得た偽りの性質(見目の良さとしよう)でツガイを獲得して、別に優れてもいない遺伝子を残そうとする行為に、何の意味がある?
もうね、それは子への虐待ですよ。
己が末代となるという覚悟を、後の世代に押し付けてるだけ。お前が勝手に救われたいだけ。
醜女の子は醜女。当然、苦しみは再生産される。いつか数世代先に子を産まないことを選ぶ子孫が現れるとして、その苦しみはお前が背負うべきだったの。でも押し付けた。お前が楽になりたいから。
その点、チー牛は己の遺伝子の価値のなさを自覚して生殖から降りているから、お前の百倍偉い。人類という種への献身的な姿勢に感銘を受けてしまう。お前はチー牛を見習おう。世間には出産育児以外の素晴らしいコンテンツに溢れていて、それらが必須でないことを、彼らの姿勢から学び取れるはずだ。
お前にできることは、お前がお前として産まれたことを恨んで、それでも折角産まれたのだからと、自らが自らであることを許し、遺伝子を残す以外の人生の目的を探すことだ。
国の予算を減らすにあたって、医療費が槍玉に挙げられて、高齢者3割負担にメスを入れろと言う若者の声が大きいが、その声は間違っている
かなり多くの底辺老人は生きる目的が”病院に通うこと”になっている
戦後世代〜団塊世代っていうのは大量消費世代と言われていて、メディアに言われるまま消費することだけが目的として生きてきた世代
少し前ならそう言う人たちは井戸端会議で他人の悪口を言うことが目的にしていたけど
今は近所付き合いが希薄化していて、メディアも多文化して、有り余った時間を使う先がない
結果、日本の7〜8割の底辺に属する老人は、金も趣味もエネルギーもなく人生の目的が通院になっている
医療費問題の改善を叫ぶ時、この人たちから病院通いを奪った先のことも想像してほしい
通院サブスクライブをやめて、底辺老人が病院に通えなくなった場合、余った時間は社会活動の阻害に大部分が使われることになる
今でもちょっとしたニュースがあると、市役所や会社にクレームを入れる老人がいるが、これがあらゆる企業、組織に向けて行われ、軽犯罪が爆増することになる
2025年はな、自分の内面をじっくり探る年やで。自分の欲望や情熱に向き合って、その根っこを理解することで、本当の自分を見つける旅が始まるんや。この過程で、自分がなんで生きてるのか、意味を考えることが大事やで。行動することが自己実現につながるけど、内なる声もちゃんと聞かなあかんで。
安定と変化が交わる2025年は、物質的な豊かさと内面的な成長、両方求められる年や。美しいもんや喜びを追い求める中で、自分の価値観を見直すチャンスが来るで。物質にこだわりすぎず、真の豊かさとは何か考えることで、もっと深い満足感が得られるはずや。
知識と情報の探求がテーマになる年やで。新しいことを学んだり経験したりすることで、自分が成長するんやけど、「知識って何や?」って問いに直面することもあるで。表面的な情報に流されず、本質的な理解を追い求めることで、自分の思考や感情を深められるはずや。
2025年は感情の深みを探る年や。自分の内面的な世界に目を向けて、感情の波やその意味について考えることが大事やで。過去の経験から学び、それが今の自分にどう影響しているかを理解することで、より豊かな感情生活につながるんや。
自己表現と創造性が高まる年やけど、その表現は他人と比べずに、自分自身の内なる声に基づくものであるべきや。自分自身の本質や情熱に忠実でいることが、真の力になるんや。この過程で、自分との対話を通じて存在意義について考える機会も増えるで。
精密さと分析力が求められる年やけど、「完璧さ」って何なん?って問いが浮かぶで。自己改善への欲求は大切やけど、自分自身への優しさも忘れたらあかん。このバランスを保つことで、本当の意味で充実感を得られると思うわ。
調和とバランスがテーマになる2025年は、美的感覚や倫理観について深く考える時期や。自分自身の価値観と向き合いながら、何が本当に大事なんか見極めることが求められるで。この過程で、内なる調和を見つけて、より豊かな人生観につながるんちゃうかな。
深い内面的探求が促される年や。自分の感情や欲望と向き合うことで、本質的な自己理解が得られるんや。この探求は時にはしんどいけど、その中から得られる洞察は人生における真実への扉になると思うわ。痛みや葛藤は成長への道なんやから、それによって新たな視点も得られるで。
冒険心と自由への渇望が強まる年や。この年は、新しい経験や知識を追い求めながら、自分自身の存在意義について深く考えるチャンスがあるで。外部世界だけじゃなくて、内面的な旅も大事なんよ。このプロセスで得られる洞察は、人生の目的について新たな光をもたらすと思うわ。
社会的地位とか目標達成への意欲が高まる年や。でも、その成功は外からの評価だけじゃなくて、自分との約束によって意味づけられなあかん。責任感と倫理観について再評価して、自分自身の価値観と目標について深く考えることが重要なんよ。この内面的な探求は、本当の成功とは何かって問いへと導いてくれると思うわ。
革新と独自性への関心が高まる年や。この年は、自分自身のアイデンティティについて深く考える時期なんよ。他者との違いを受け入れて、それを自分自身の強みに変えることで、新たな可能性が開けると思うわ。このプロセスでは、自我と宇宙とのつながりについて考える機会も訪れるで。
直感や創造性が高まる2025年は、精神世界への探求も進むんちゃうかな。他者との共感力も強まって、自分自身の内面に目を向けることで、新たな洞察を得られると思うわ。このプロセスでは、夢とか幻想について深く考えて、それらが現実生活にどう影響しているか探求する機会もあると思うで。
この問いには、宗教とオカルトの区別が難しいとする疑問と、信仰の合理性や必要性への問いかけが含まれています。これを考えるには、宗教とオカルトの定義や役割の違いを整理しつつ、不合理であるものの意味を深掘りする必要があります。
宗教とオカルトは、どちらも非科学的な領域に含まれる場合が多いですが、いくつかの重要な相違点があります。宗教は一般に、特定の歴史や教義、道徳的価値観、信者間の共同体意識を伴い、社会的に長く受け入れられてきたものです。一方、オカルトは神秘的・超常的な現象への信仰や、個人の体験や啓示に基づく要素が強く、体系的な教義や道徳的基盤がない場合が多いです 。
宗教が「不合理」だという指摘は、科学的根拠の不足や、死後の世界など検証不可能な要素に根ざしています。しかし、人間の行動や価値観には、必ずしも合理性だけが求められるわけではありません。多くの宗教は、死後の救済や幸福感、人生の目的を提供し、精神的な安らぎや共同体の絆を築くための役割を果たしてきました。こうした側面は、必ずしも科学的根拠があるからこそ価値があるのではなく、非合理的であっても人々に意義をもたらすという側面が重要です 。
不合理の必要性について
宗教が象徴的に示すような「不合理」なものの存在は、人間の心の多様なニーズに対応するものです。例えば、日本の伝統行事や信仰も、社会的な絆や儀式性を高め、文化的アイデンティティを支える役割があります。合理性に重きを置く社会でも、不合理なものが心の拠り所や心の整理の手段として機能する場合があります 。
この問いにある「人間が死ぬと無になる」という断定も、科学的に完全には証明されていません。無論、魂の存在も立証されていないため、いずれの側にも「完全な合理性」がないと言えます。また「不合理なものは不要」という前提には、感情や文化的背景を軽視する面があるかもしれません。合理性を超えた価値が、特定の社会や文化において役立つ場合も多いことを認識する必要があります。
まとめ
宗教やオカルトの価値は、必ずしも合理的な根拠の有無だけでは測れません。不合理な信仰も、精神的な拠り所や社会的な絆の構築に寄与するものであり、人間にとって「不合理」が全く無意味だとは言い切れません。