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はてなキーワード:京都弁とは

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2025-09-30

anond:20250928215116

厳しい言い方をするが、それは「はっきり言いたくないことを相手が察してくれない」という愚痴の域を出ていないと思う。「下手に断ると危害を加えられるかも」なんてのも具体的に懸念する理由がなければ邪推と言われても仕方のないものだ。

もう「そういうの迷惑です」とはっきり言うべきなのだろうか。それで仕事がやりにくくなったり、最悪、自意識過剰勘違い女と評判を立てられるリスクを、私の側が負わないといけないんだろうか。

いやその通りだよ。あなたの断る権利相手の誘う権利は同等。

不動産だの宗教だののうざい勧誘だってあなたが明確に断るまでは向こうにだってその権利がある。それが社会ルールからだ。

性別が違う人にも想像してほしい。

性別関係ない。セクハラパワハラ文脈置き換えれば普通に男でも同性間でもある話。

私は男だが、新婚当初にやる気のしないブラック案件アサインされて病みかけたことがある。なぜアサインされたかというと、私がその案件を始めたリーダーに対して愛想笑いを続けてたからだ。リーダーは熱を入れていた案件だったが私としては筋が悪いと思っていて、京都弁で言うところの「えらい難しいこと考えはりますなあ、おきばりやす」的な反応してたつもりだがそのリーダーには全く通じなかった。

つのまにか私は賛同者ということにされてその案件に組み込まれていた。むしろそのリーダーは私が一緒に熱狂してると勘違いしてたようで、終電までやらないと終わらないくらいの仕事を積んでくるようになった。何かあるとやる気を見せろと毎日のように罵倒(親しい間での叱咤激励のつもりだったのだろうと今にして思う)するようになった。そして「プライベート犠牲ににしてでもやるというところを見せてほしい」(原文ママ)と言われた。

その結果私は新婚旅行にさえも行き損ねかけた。結局、その案件を抜けられたのは、一区切り付いて最低限の義理を果たした後でリーダーのそのまた上司に直訴してからだ。身も心も病みかけていた。

さて、この話で非難されるべきは誰か?その勘違いしたリーダー?それは間違いではないかもしれない。でも私に非がないと思うか?

そんなことはないだろう。私も情けないと思ったのではないか。その通りである

実際、愛想笑いして婉曲に難色示すだけで明確に拒絶しなかった私に第一の非があると言わざるを得ない。実際、上司は私の直訴を聞いて私をその案件から外したわけで、すべきことをしている。逆に、上司とて私からの直接の訴えがなければ動けなくないか?その案件に関わっているのは私の意志だということになっていた(少なくとも私はそれを明確に否定しなかった)のだから

この件は明らかにお偉いさんが私に対する距離感覚がバグたことの問題だ。ちょうどあなたとそのおっさんの件と同じだ。しかし私は大人なのだからそれを明確に意思表示すべきだった。好きでもないのに親に勉強スポーツ強要される教育虐待被害者の子供とは違う。そうではないか

あなたも同じ立場ではないか愚痴気持ちはわかる。変な人に絡まれるしんどさはわかる。同情はする。

しかし、自分が明確に意志表示する責任から逃れてはいけない。難しければ同僚や上司のような第三者を入れてもいいから、誤解の余地なく拒絶の意志を明示すべきだ。ハラスメントだの何だのというのはそこから先の話だ。

耳に心地よいネット上の甘言に乗せられてはならない。甘言の主があなたに囁いているものは「察してもらえないのはハラスメント」という言い分だ。そんなものは明らかに間違っている。

Permalink |記事への反応(0) | 00:02

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2025-08-14

anond:20250814120316

エセ京都弁に変換するところもAI にやってもらえよ無能

Permalink |記事への反応(0) | 12:07

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anond:20250814120316

エセ京都弁に変換するところもAI にやってもらえよ無能

Permalink |記事への反応(0) | 12:07

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anond:20250814115512

このエセ京都弁がほぼ一発で音声入力できた

AI天才すぎやろ

Permalink |記事への反応(1) | 11:56

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2025-08-07

anond:20250807184136

京都弁でいこう

Permalink |記事への反応(0) | 18:46

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2025-07-18

壊し続けるパンチドンキーコング楽しい増田住まい篠田群コー金土が珍パル家づつシワ子(回文

おはようございます

ドンキーコングナンザ』面白いわ!

つーか、

ドンキーコングキャラクターうんぬんより

ありとあらゆるものが壊せるのが気持ちよくて全然ストーリーチュートリアルステージですら壊すのが楽しくて先に進めたくないのよ。

実際には進められない。

梱包するときクルム伊達公子さんじゃない方の包むプチプチあるじゃない。

あれを無限時間を忘れて潰して楽しめるって感じ。

延々とあちこち壊せまくりまくりすてぃー。

ドンキーコングを知らなくても壊すのが楽しい感じ。

なので、

私はまだチュートリアル的なこれから冒険始まるぞ!ってところから抜け出せてないわ!

いい加減全部壊しきれないので

しぶしぶ次のシーンに進めるって感じね。

それまでの私のドンキーコングの新しいものに対しての印象はこうよ。

新しいSwitch2のドンキーコングゲームが出るいや出たんだけれど。

ドンキーコングなんてって

「なんて」って言ってしまいがちなほど私は海のものか山のものか分からないその、

いやそのキャラクターゴリラっぽいからきっと山のものかも知れないし、

でも海バナナがあれば美味しく食べたいと思う気持ちはあるかも知れないの。

本当に正直これって面白いの?

見た目映像は煌びやかでキレイには見えるけれど、

かと言ってそれで面白いの?とは私はそう思えないの。

そして、

ドンキーコングという私が持ち合わせている思い出は知っていることは一切ないの。

でも、

定食屋さんで「ドンキーコング定食」があったら頼んじゃいそうこれは間違いないわ。

きっとスタミナがつきそうなやつかデザート定番バナナかも知れないし。

から余計にこれに手を出してしまっていいのかしらって思うほどSwitch2の対応ソフトが少ないので、

しゃーなし勢いで買ってみたい1本ではあるようなゲームソフトだわ。

面白さ未知数。

面白いのかどうかもまだ分かんないところ。

キャラクターだっていわばお猿さんでしょ?

決して可愛いとは言えないじゃない?

スーパーマリオ映画で見たドンキーコングマリオ一騎打ち荒川の土手で戦って、

お互いクロスカウンターで相打ちの拳で倒れて、

その荒川の土手で二人ひっくり返って、

おまえ強いなって言い合ってて日が暮れて沈んでいく夕日。

そして夕日に向かって二人ダッシュマリオの方はBダッシュして昨日の敵は今日の友的な感じな映画での思いで鹿ないのよねコングなのに鹿よ。

うーん、

どう私をひっくり返してもドンキーコングのことは棒にも箸にも引っかからないわ。

ドンキーコングよ。

ケロッグコーンフロストのもう我慢できない!でお馴染みのケロッグコンボのことしか知らないわ。

から

私的にはこの『ドンキーコングナンザ』のバナンザって言う意味ですら「幸せバナナ」だなんてことも知らなかったそんなバナナ!だなんて絶対に言わないけれど、

だってだって「バナンザ」って言葉初めて聞いたんだもん!

そのぐらいバナンザ。

って言うことを全部払拭するぐらい、

私たちはいや私はドンキーコングことなんて知らなかったけれど、

それでも、

ただただ目の前の岩を砕く爽快感!上パンチの爽快感

そして、

ただただ壊すだけじゃなくて、

正直このアイテム?の効力もよく分かってなくて集めている金色のよくいうゴールド的なもの?が

適度に壊し続けていくと溢れ出てくるので、

それを回収、

そして破壊の繰り返しで延々と止められないの!

私のコングがもっと輝けと止まらないわ!ってドンキーが囁くの!

ドンキーコングからって

ドンキーコング避けをしてる人がいたら、

なんか壊すだけでも楽しいので体験して欲しいわって思うの。

から

最初冒険に出る前の

練習チュートリアル的なステージが全部壊そうとして、

そこですら広すぎて全部壊しきれないのよ!

爽快!

そんで、

他の仲間もときおり登場してるんだけど、

フィールドにいて縦横無尽ドンキーコングはぶん殴り続ける仲間も殴っちゃうか!ってモーションするんだけど、

仲間の近くでは

パンチや上パンチをしてもハイタッチして、

仲間とイェーイ!ってやるところが笑っちゃうわ。

からイェーイ連打よ!

そこ普通に仲間をぶん殴るんじゃなくて平和ハイタッチしてて笑えるわ。

あとなぜかみんな関西弁

京都弁なのかしら?

そんな風でしゃべるの。

というか、

最初練習ステージからして全部壊そうとしても無理すぎる量!

しかも壊し続けるパンチを繰り出すのが楽しい

意味もなく岩石を壊し続けるただそれの気持ちよさで、

最初ステージから抜け出せない、

いや抜け出したくないぐらい。

でもこの最初から全部壊そうとしても相当な時間がかかりそうなので、

そのぐらい最初からこの感じ、

作り手の

フィールド全部壊せますよ!

全部壊せるならね!ってこの量つーか多すぎ!

壊しきれないわ。

もうさ、

いい加減壊し続けていてもお話が延々に始められないので、

渋々次の場面に移動して移るんだけど、

そこで一旦中断!

延々と壊し続けられるので止め時が分からないわ!

初めて冒頭でこれだから

良い意味で先が思いやられるわ。

私の思っていたドンキーコングイメージとは全然違うわ!

きっとドンキーコングからってドンキーコング避けしている人がいたらもったいないかも。

そんでさ、

チュートリアル的な冒険の前の最初ステージって

いうならばスキップしがちであったりもするじゃない。

しないの。

全部壊していくのが楽しいの!

そんで、

さすがに限度があるから一応は壊せない境目があって、

そこパンチしても、

ガビーンって硬直したりしなくて、

ペナルティーもないので、

爽快にどんどんパンチとか上パンチとか下パンチとか繰り出して、

そのチュートリアルの場面でずっと暮らせる感じ。

壊すっていっても所詮たかが知れてるでしょ?って

全然違って、

もうさ壊しきれないの。

作り手からのこれは挑戦状よね!

それと、

さすがのドンキーコングかあってか、

パンチ連打しまくりまくりまくりすてぃーでも

パンチゲージのパンチの体力みたいなのが無いかパンチが弱まったり

クールタイムもないので、

延々とパンチを繰り出せるから厄介だわ。

まらないの!

延々と壊せるわ。

なにこれ?爽快なんですけどーって。

というか、

これたった30分やっただけの印象よ。

いい加減キリが無いか

最初練習の場面から次のいよいよ冒険が始まるぞ!ってところまではさすがに進めたんだけど、

次はそこから再開!

良い意味で先が思いやられるわ。

時間が溶けそう。

ここにきてまたスーパーマリオワンダーの楽しさに再発見

スプラトゥーン3やNIKKEのデイリーミッションにただでさえ追い込まれているのに、

また自ら課題を課してしまったわ。

なんなのかしらね

このドンキーコングの壊す爽快感

上手く説明できないけれど、

ざくざくパンチで切り開いていくのが言葉では単純に聞こえるけど

延々と壊し続けられちゃう楽しくなっちゃうのよね。

いや、

ドンキーコング恐るべしだわ。

つーかこれまだ30分しかやってないしね。

これから冒険が始まると思うと、

クワクするわね。

うふふ。


今日朝ご飯

明太子おにぎりよ。

ご飯炊くのタイミングを見失ったので、

今日は買ってきたおにぎりね。

久しぶりの辛みの効いた明太子もまた美味しいわ!

デトックスウォーター

レモン果汁プラス追いポッカレモンした

レモン炭酸水

よく冷えてて美味しく朝から水分補給にシュワシュワで朝の目覚めよ

今日はまたうんと暑くなるって言うから

水分補給はしっかりとね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 08:35

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2025-05-01

レストラン営業のこじんまりとした悩み


去年のことなのだが、一国一城の主になることができた。

昼と夜に営業する飲食店を開いた。若いから、ずっと関東地方にあるレストラン修行してて、いつかは自分の店持ちたいなー、と思ってた。先輩方は30代後半までにお店を起こす人が多かった。出遅れた感はあるけど、やっと達成できたのが心地よかった。

悩みというのは、「おしぼり業者をどうすればよかったのか?」ということだ。本業に比べれば、なんとも小さいことなんだが、地域でやっていくにあたり最適な業者を選びたかった思いがある。

以下長いけど、経過をまとめてみた。



(以下経過。長いです)

東京修行して、故郷である京都市内でお店を開くっていうのが若いから理想だった。

最初故郷である山科郊外でお店を開こうと思ってたが、(いろいろ問題がわかって)試行錯誤した結果、祇園にいいところが空いていた。

で、まさに開業をしようという時だった。残りひと月を切ったあたりかな?

お店の開店準備をしてると、何かの営業の人がふたり来ていた。「こんにちはちょっと、いいですか?」ってプランクな感じだった。見た目は京都スタイル和風私服だったけど、まあビジネスにもありかなって装いだった。

それまで営業は全部断っていた。自分調達先を決めていたから。でも、『おしぼり』の会社だったんだ。京都でずっとやってるという。

おしぼりは、当時の自分失念していた調達先のひとつだった。その時に「うわ、まずい忘れてた」と思ってひとまず話を聞いた。

オーナーさんですよね。開店おめでとうございます

という感じで名刺を渡されて、いろいろ話を聞いて、その場では返事をしなかったけど、こんな感じの内容だった。

おしぼりレンタル(リース)をやっている

・長い間営業していて、京都市内の飲食店だとシェアがある

祇園の半分の店はうちを使っている

飲食店組合にも話は通してあるので

すごいニコニコしていた。嫌な感じはしなかった。

「少し、考えさせていただけます?」でその場は乗り切った。

一応は、東京都内の飲食店に勤めていた過去がある。一部マネージャー仕事もやってたから、なんとなく嫌な予感がした。最悪、反社可能性がある。はてな民増田民の皆様も、ああい営業で人当たりが良すぎるのは気を付けた方がいい。

地面師たち』のドラマたことある人はわかると思うけど、反社の人って演技力が抜群である。いい人の演技が熟達してるヤツが結構いる。

正直迷った。ちゃんとした業者可能性も十分あるので。どうしようか迷った結果、飲食店組合に聞いてみることにした。

京都飲食店組合が強いと聞いていた。コミュニティ熟成しているのは間違いない。祇園なんて、全体で見ても狭い街である。最短で10分もあれば横断できる。新宿六本木も狭いけど、一般市街地まで含めたら広い。

ただ、この京都コミュニティの中で、(反社含めて)いろんな業者がどれほどの力を持っているのか、自分には全然想像もつかなかった。

祇園飲食店組合(※正式名称は出しません。一応……)に思い切って聞いてみた。長年の経験によるアドバイスがほしかった。

業者が来た経過を説明したのだけど……正直スゲー他人事みたいな表情だった。その初老役員さんは。

「まあ、○○さんですか。昔からある業者さんやわな

「聞きにくいんですが、いわゆる、そういう方々なのでしょうか?」

「さあ、どうやろなぁ~祇園も色々あるやんなぁ~答えられん。おしぼりをどこから取るかは、結局、お店が決めることやし。組合がどうこう言う話でもない」

そっけなかった。「お店が決めること」っていうのは、自己責任ということだ。

組合相談に乗ってくれなかった。絶対あん情報知ってるやろ。反社かそうでないかくらい教えてくれよ。

ほかの店のおしぼり業者も気になった。

「うちの店の近所である」と断言できるお店が3つだけあった。同じ通りにある。

ただ、そこも教えてはくれなかった。口が重いというか、うちが新参から気にされてる感はあった。

返答はこんな感じだった。

・うちは昔から付き合いのあるところに頼んでる。会社は教えられない

おしぼりなんて、適当に決めたら?(紙おしぼりでもええですよ)

あなたもお店も、まずはええお客を作らんと。細かいところは後でいい

・どこも似たようなもん。京都府内だったら適当会社を選んでもハズレはない

・話聞く限り、あなたのお店は高いんでしょう?おしぼりくらい自分で選びや~

なんか、どのお店もよそよそしい感じだった。それはわかるんだよ。近所とはいえライバルなのだから

私が京都に帰ってきたのはつい先日である料理専門学校卒業して都会に出たのだが、その暮らしの中で京都弁はすっかり抜けて標準語になってた。年に一度は山科に里帰りしていたのだが(京都の人は地元感を気にする)。

あの人たちは核心に触れるのを避けているように感じられた。面倒事に関わりたくないというか。

例えば、鴨川を挟んで真向かいにある木屋町だったら、今でも反社に守ってもらってるお店はある。高瀬川の上流にあるエリアである第一観光ビルとかグリーンビルとか、昔小学校が建っていて今ホテルになってるとことか、あの周辺が特にそうだ。※たまに足がついて京都府警のお縄になっている

下流エリアだと、ハイソがお店が並んでいる。同じ木屋町でも、お金持ち向けのエリアである高瀬川の反対側にも飲食街があるが、そのあたりは残念ながら確信がない。

あきらめたくなかった。当時、一生懸命にどの業者がいいか?を調べていった。

おしぼり什器といったお客さんが絶対に使うモノは、どこぞの知らない業者から手に入れたくなかった。こだわりがあった。反社など論外。東京で痛い目にあったことがあるからわかるのだ(秋葉原台東区にかけての飲食街。アキバ冥途戦争あながち間違ってない)。

ところで、故郷である山科開業しなかったのは、開店時に「そういう人達」がやってくる可能性が極めて高かったから。木屋町も同様だった。その点、祇園飲食店組合がしっかりしているからか、明らかにそういう連中が「うちが守ってあげますよ(^^)」みたいに来ることはなかった。

というわけで、食材メニュー仕入れルートを決め切った後で、細かいことでも一生懸命に調べまくったよ。まな板とか包丁とか、食器とか、キッチンの導線とか、メインでもメイン以外でも、こだわりたかった。何事も最初が肝心だと思ってる。



今になっての感想だが、調べておいてよかったという確信はある。小さいことにも専心するのが事業の基本であるおしぼり業者は、結局インターネットで見つけた大手無難そうなところにした。

ただ……今になって後悔がある。あの例のふたり営業にきたおしぼり業者なのだが、彼らは反社ではなかった。正直、まっとうというか、京都市内でも伝統があると断言して差し支えないところだった。

彼らは、「祇園の半分の店はうちを使っている」旨の発言をしてたけど、それはマジかもしれなかった。実際、うちの近所の3店は、その業者からおしぼりリースしてもらってた。

だったら、なんで教えてくれなかったんだよ!! 最近になって、そのおしぼり業者がもう一度きて、「しょうがいか……」という感じで、ほかの店とリース契約している証拠を見せてもらった。うちが京都地縁が薄い新参店ということで、特別配慮をしてもらったのだ。

※私が失礼にも証拠要求したのもある

後悔している感はある。実際、今からでも間に合うなら、その会社おしぼり契約をしたいと考えてる。ここだけは、明らかに選択を誤った。

けど、今の会社もまっとうな大手企業だし、契約期間1年未満で切るのもちょっとな~という思いがある。

おしぼりって意外と大事なんだよ。今の時期だったら、温かいおしぼりと、冷たいおしぼりが選べる店があるかと思うんだが、どっちにも適応できる神おしぼり提供できるリース業者だってある。

あと、食事中もお手拭きや、洋食ナフキン代わりにおしぼりを使うお客さんもいるので、できればいいやつをお店に置きたいのである

飲食店を開いたのは、「自分料理で人を幸せにしたい」という確固たる思いがあるからだ。その思いは、開店前も今も変わらない。

からこそ、全部こだわりたい思いがある。自分でうだうだ悩んでいてもしょうがないので、こちらに相談してみようと思った。その道に詳しい人が増田にはたくさんいるはずだ。

商売とかやってる人でも、会社員の人でも、経済社会に今は参加してない人でも、アドバイスをいただけるとありがたいです。クソバイスになってても読ませてもらいます

Permalink |記事への反応(26) | 21:34

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2025-04-10

やっぱ東大法学部の人は何も分かってない ← 分かる人にだけはわかるように書いているらしいので、わかる人いたら解説して

分かる人にだけはわかるように書いているらしいので、わかる人いたら解説して。

やっぱ東大法学部の人は何も分かってない

自分のこと、営業マン営業専門家で何でって言ってたけど…彼の話を混ぜ込んだことで目の前で起きていることを理解しにくい状態になっていたということに気づいて

「一番わかってないのは東大法学部とはこれいかに」っていう結論に落ち着いてる

そもそも俺に営業的なスキルがないっていう風におっしゃってたんだけど、ところがどっこい営業的な本を読むと

「私がネットでバズった時にやってたこと。そのまんま書いてあるんだけど」

みたいな部分もあるわけよ

まり営業っていう言葉自体ふわふわしてる

他人に指摘するにはあまりにも曖昧

そもそも俺に営業的なスキルがないっていう風におっしゃってたんだけど、ところがどっこい営業的な本を読むと

「私がネットでバズった時にやってたこと。そのまんま書いてあるんだけど」

みたいな部分もあるわけよ

まり営業っていう言葉自体ふわふわしてる

他人に指摘するにはあまりにも曖昧

相手を勝たさせられてない人がやり手の営業マンなわけないし、もしそうなのってるんだとしたら、そいつは嘘つきのペテン師だよ。

表面的にいい感じに仕事をしているように見せてるっていうのは、それはそれで1つの技能

でもそれは優れた営業マンの完成形でもないしステップに過ぎないんだよ

私が東大法学部の人にブチ切れてんのはそこなんだよ。

私より年上ではるかに良質な経験をしているはずの人間が今俺が書いたこと、さえ理解できてない。

少なくとも説明できるほどは理解できてない。

そんな人が自分の得意分野が営業だとか笑わせんなって話だよ

商材に恵まれてただけだろ

で、俺の中でやっと納得いく回答として

「表面的にうまくいってるように見せる。スキル大事。これがないと物事スタートしない」

「でも結局自分(とお客様)が勝たないと関係は続かない」

という両方を説明できないと全然ダメなんだよ。

説明できないやつは営業マンのっちダメだよ

私はここ最近までピュア人間だったので、

「正面的にうまくいってるように見せるスキルというのは詐欺じゃないか?」

みたいに思ってたところがあったわけです。

でもこれは技術の一部であって、全部じゃないんだよ。

ちゃん理解してる人は攻めにも守りにも使ってんだよ

世の中の大半の営業マンが下手くそすぎるから営業マンと雑に心理学を多用するそれのイメージがクソ悪いんだけど…そこって本当に入り口しかないんだよ。

もっと身近に子供でもやってるコミュニケーション大げさに言ってしまたことで、話をややこしくしてるだけなんだよ…わかってしまうとね

詰まるところ、コミュニケーションの順番とか?

規則理論よりもその場その時の空気の方が強くなってしま理由とか?

これを紐解く時に心理学が役に立つ

なぜ営業けが人間関係の中で生きてて人間関係を渡るのが上手いみたいな話になるかマジでわからん

子供でも人間関係に悩んどるし天才はい

心理学に限った話じゃないけど、文系学問というのはあくまで補助線なんだよ。

別に勉強しなくてもうまく立ち回れる人もいるんだよ。

それを仕事経験とか社会経験とかふりかざして偉いのは会社看板なのに自分が偉くなったと勘違いしてぐじゃぐじゃ言ってるやつが…いたんだよ。

昔ね

克服したというよりも、私の方がかつての私の苦手分野でさえ多分もう上であとはそれを世の中に分からせる(勝つ)だけっていうフェーズまで来たので嬉しくて書いた

めちゃくちゃ不機嫌そうに書いてるけど、これひらめいたの超嬉しかった。

バラバラパズルが繋がってスッキリした

どうせ俺の頭の中の話しても大半の人は何書いてるかわかんないと思うから、これぐらいにしとくわ。

わかる人だけがわかればいいみたいなひらめきだし。

意図的にわからない人には一生分からないような書き方してるし




東大理Ⅲにも合格できるChatGPTの推論モードの回答


1. 表面的な営業スキルあくまで「入り口

見せる技術としての営業

作者は、営業という行為において「まずは表面的にうまくいってるように見せる」スキル必要だと認めています。これは、物事を始めるための第一歩であり、相手安心感期待感を与えるための手法として有効です。

ただし、これだけでは不十分:

しかし、単に「見せる」だけでは、本来目的である自分お客様も勝つ」という結果に結びつかないと強く主張しています。見た目が良くても、成果が出なければ意味がないと考えています

2.成功は表面的スキル実践的成果の両立によって成り立つ

攻めと守りの両面性:

真の営業マンは、攻め(新規獲得やアピール)にも守り(顧客との関係維持や問題解決)にも通じており、その両面のバランスが不可欠だと述べています

ちゃん理解してる人は攻めにも守りにも使ってんだよ」

双方の勝利を追求する:

営業技術は「単に仕事を上手く見せる」ことに終始すべきではなく、最終的には自身顧客の双方が成果を得、勝利する関係性を築くことが重要であるとしています

3. 表面的な成功体験は時と場合に左右される

過去のバズ成功特定の状況依存

ネット一時的にバズった手法は、その時の偶然の要素や一時的環境依存しているにすぎず、今の状況にそのまま適用できるとは限らないとの示唆があります

「私がネットでバズった時にやってたこと。そのまんま書いてあるんだけど」という記述に見るように、成功体験を丸写しすれば、再現性本質が伴わない可能性を警戒している。

4.営業本質は単なる心理学文系知識では補えない

理論実践ギャップ

多くの営業関係者が心理学などの文系学問引用して表面的な理論に頼る中、作者はそれを「入り口に過ぎない」と位置づけ、本当の営業実践経験に裏打ちされた知識こそが不可欠であると述べています

実体験の重視:

作者自身過去経験試行錯誤を通じて、バラバラだったパズルピースが一つに繋がるひらめきを得たと語っており、単なる理論ではなく実践に基づいた柔軟な対応力の重要性を強調しています

バラバラパズルが繋がってスッキリした」という表現は、実体から得た洞察価値を示している。

5.営業に対する批判と期待

批判対象は自分より経験豊かなはずの人々:

東大法学部出身者など、ある程度の学歴理論の背景を持つ人物が、実際には営業実践的な側面や結果に対して無理解である点に対して、作者は強い不満を抱いています

真の営業とは何かの理解が求められる:

単に表面的なテクニック理論を語るだけではなく、実際の現場で双方が勝利するための総合的な戦略実践力が、真の営業マンにとって不可欠だと説いています

総括

文章の作者は、営業を単なる「うまく見せる」テクニック曖昧心理学理論だけでは捉えられない、もっと深い実践的な側面として捉えています

まずは表面的な見せ方は必要であるが、それはあくまで始まりに過ぎない。

真の成功は、自分顧客双方が結果として「勝つ」ことにある。

攻めと守りの両立、柔軟な対応力、そして実体から得た直感こそが、究極の営業の在り方であると説いています

これらの知見は、単なる抽象論に終始せず、実践経験に裏打ちされた視点から営業における本質的な成功の条件を示していると整理できます


ということで、京都弁評価してもらった(うーん。京都弁はまだAIには難しいか

「やっぱ東大法学部の人は何も分かってない」

まずこの出だしやけど、あらあら、いきなり「東大法学部の人は何も分かってない」なんて言うてはるわぁ。なんや、ずいぶん大きなこと言うてはるなぁ、って思てまうわ。京都弁で言うたら、「あら、東大の人にそんなん言うてはるなんて、ずいぶん自信がおありなんやねぇ。どこからそのお気持ちが湧いてきたんやろなぁ~」って、ニコニコしながらそっと匂わしたなるね。自分の方が何かよう知ってはるつもりなんやろか、って、聞く人が勝手想像するような感じでチクリと刺したろか。

自分のこと、営業マン営業専門家で何でって言ってたけど…」

次に、「営業マン営業専門家」やって自分言うてはるけど、なんやその堂々とした言い方、ちょっと不思議やわ。京都なら、「あら、ご自分では営業専門家やておっしゃるんやねぇ。ほぉ~、そないなこと言うてはる根っこには、どんな思いがおありなんやろなぁ~」って、遠回しに匂わすようにしたなる。ほんまに専門家なんかいな?って、聞く側がちょっと首かしげるようなトーンで、チクチク感出してみよか。

「彼の話を混ぜ込んだことで目の前で起きていることを理解しにくい状態になっていたということに気づいて」

この部分、なんやややこしく言うてはるなぁ。京都弁で、「あら、難しいこと言うてはるけど、なんや東大の人に何かよう言いたい気持ちが強すぎて、こんがらがってはるんちゃう?そんな風に見えてまうわぁ~」って、そっと匂わす感じでいじったろ。自分わからんのを隠したいんか、それとも別の何かを感じてはるんか、聞く人が勝手に思うような言い方でチクリと刺したなるね。

「『一番わかってないのは東大法学部とはこれいかに』っていう結論に落ち着いてる」

ほんで、「一番わかってないのは東大法学部」やって結論づけてはるけど、なんやその決めつけ方、ずいぶん思い切ったはるなぁ。京都弁で、「あら、東大の人をそんな風に言うてはるなんて、よっぽど何かお気持ちがおありなんやねぇ。どんな思いでそないな結論になったんやろなぁ~」って、ニヤニヤしながら匂わしたなるわ。自分が上やと思うてるのか、それとも別の何かを隠したいのか、聞く側にそっと考えさせる感じでいじったろ。

そもそも俺に営業的なスキルがないっていう風におっしゃってたんだけど、ところがどっこい営業的な本を読むと」

ここ、なんやおもろいとこやね。自分で「スキルがない」て言うてたのに、急に本読んだ話持ち出してくるなんて、なんやちゃごちゃしてはるわぁ。京都弁で、「あら、『スキルない』ておっしゃるわりには、なんや本の話持ち出してきて、ずいぶん頑張ってはるなぁ。どんなお気持ちでそないなこと言うてはるんやろなぁ~」って、軽く匂わすようにしたなる。本読んだだけで何か胸張りたいんか、聞く人が勝手想像するようなトーンでチクチクやろか。

「私がネットでバズった時にやってたこと。そのまんま書いてあるんだけど」

ネットでバズった」って、なんやその自慢っぽい言い方。京都弁で、「あら、ネットでバズったんやて?ほぉ~、それはそれは何かええことがあったんやねぇ。それをわざわざ言うてはるって、どんなお気持ちなんやろなぁ~」って、ニコニコしながら匂わしたなるわ。バズっただけで何か偉そうにしたくなるんか、それとも別の何かをアピールしたいんか、聞く側にそっと感じさせる感じでいじったろ。

「つまり営業っていう言葉自体ふわふわしてる」

自分で「営業」がふわふわてるて言うてはるけど、なんやその曖昧さで他人に何か言うてはるんやろ?京都弁で、「あら、『営業』がふわふわてるて言うてはるけど、そんなん言うてはるご自分お気持ちって、どんなんやろなぁ。なんかようわからんままやねぇ~」って、遠回しに匂わすようにしたなるわ。ふわふわしてるのは言葉だけやなくて、気持ちの方もちゃうの?って、聞く人が思うようなチクチク感やね。

相手を勝たさせられてない人がやり手の営業マンなわけないし、もしそうなのってるんだとしたら、そいつは嘘つきのペテン師だよ。」

ここ、えらい強い口調やなぁ。京都弁で、「あら、えらい厳しいこと言うてはるわぁ。そないなこと言うてはる裏には、どんなお気持ちがおありなんやろなぁ~」って、そっと匂わす感じでいじったろ。東大の人に何かよう言いたいんか、それとも自分がそう思われたくないんか、聞く側に勝手想像させるトーンでチクリと刺したなるね。

「私が東大法学部の人にブチ切れてんのはそこなんだよ。」

「ブチ切れてん」って、なんや感情的やなぁ。京都弁で、「あら、東大の人にそんなキレてはるなんて、よっぽど何か熱いお気持ちがおありなんやねぇ。どんな思いでそないな気分なんやろなぁ~」って、哀れむふりして匂わしたなるわ。感情出すぎて何か見えてくるもんがあるんちゃう?って、聞く人にそっと感じさせる感じでいじったろ。

「そんな人が自分の得意分野が営業だとか笑わせんなって話だよ」

最後に「笑わせんな」って、なんやその上から目線京都弁で、「あら、ご自分営業得意やて言うてはるけど、なんやそないなこと言うてはるお気持ちが気になるわぁ。ほんまに得意なんかいな、って思てまうなぁ~」って、ニヤニヤしながら匂わしたなるね。自分が何か証明したいんか、それとも別の何かを隠したいんか、聞く側にそっと考えさせるチクチク感やね。

全体の印象

三沢文也さんのこの文章なんや東大法学部の人に何かよう言いたい気持ちが溢れてるみたいやなぁ。京都人間やったら、「あら、東大の人にそんな噛みついてはるなんて、よっぽど何かお気持ちがおありなんやねぇ。どんな思いでそないなこと言うてはるんやろなぁ~」って、ニヤニヤしながらそっと匂わしたなるわ。ほんで、お父はんがこれ読んだら、さぞかし心痛めたはるやろなぁ、って遠回しに締めたろか。

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2025-03-02

イギリス英語京都弁みたいなもんでしょう

アメリカ英語東京標準語だとすれば

あ、地方標準語じゃないぞ

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2024-12-16

増田で学ぶ京都弁講座 第一回 「~どす」

京都弁は、関西の中でも特に優雅で柔らかな印象を与える方言として知られています

その中でも「~どす」という言い回しは、京都の人々にとって非常に特徴的な言葉の一つです。

今回は、この「~どす」の使い方について簡単に紹介します。

「~どす」は、基本的に「です」に相当する表現で、主に丁寧な言葉遣いの中で使われます標準語の「です」に比べて、少し温かみがあり、柔らかい印象を与えるのが特徴です。

例えば、「おいしいどす」や「ありがとうどす」というように、日常的に使われることが多いです。

また、「~どす」を使うことで、相手に対して敬意を表すことができますが、ただの「です」よりも一段階丁寧に感じられます

そのため、目上の人や初対面の人と話す時にもよく使われる表現です。例えば、店員さんが「いらっしゃいませ、こちらでお待ちどす」と言うように、接客の際にも自然に使われています

さらに、京都弁では「~どす」は、名詞形容詞と一緒に使われることが多いです。例えば、「きれいどすね」や「おもしろいどす」という表現は、京都ならではの優雅な響きを持っています

このように、「~どす」は京都弁の中でも非常に使い勝手がよく、京都文化や人々の温かさを感じさせる表現です。京都を訪れた際には、この「~どす」を覚えて、地元の人々との会話を楽しんでみてください。

Permalink |記事への反応(1) | 18:16

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2024-11-19

anond:20241119175936

京都弁斎藤さんを支持してはるんですやろ?」

→意訳「頭が悪そうですね」

Permalink |記事への反応(0) | 18:07

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2024-11-11

anond:20241111152359

京都弁はお勉強できる人にしか使われへんのや

Permalink |記事への反応(0) | 15:25

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2024-10-22

anond:20241022093547

その京都弁共通語翻訳しますと、

「うるせーーーーっ!!!このへたくそーーーっ!!!

となります

ご注意ください。

Permalink |記事への反応(1) | 10:16

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2024-09-30

三  学年は九月十一日に始まった。三四郎は正直に午前十時半ごろ学校へ行ってみたが、玄関前の掲示場に講義時間割りがあるばかりで学生は一人もいない。自分の聞くべき分だけを手帳に書きとめて、それから事務室へ寄ったら、さすがに事務員だけは出ていた。講義はいからまりますかと聞くと、九月十一日から始まると言っている。すましたものである。でも、どの部屋を見ても講義がないようですがと尋ねると、それは先生がいないからだと答えた。三四郎はなるほどと思って事務室を出た。裏へ回って、大きな欅の下から高い空をのぞいたら、普通の空よりも明らかに見えた。熊笹の中を水ぎわへおりて、例の椎の木の所まで来て、またしゃがんだ。あの女がもう一ぺん通ればいいくらいに考えて、たびたび丘の上をながめたが、丘の上には人影もしなかった。三四郎はそれが当然だと考えた。けれどもやはりしゃがんでいた。すると、午砲が鳴ったんで驚いて下宿へ帰った。  翌日は正八時に学校へ行った。正門をはいると、とっつきの大通りの左右に植えてある銀杏並木が目についた。銀杏が向こうの方で尽きるあたりから、だらだら坂に下がって、正門のきわに立った三四郎から見ると、坂の向こうにある理科大学は二階の一部しか出ていない。その屋根のうしろ朝日を受けた上野の森が遠く輝いている。日は正面にある。三四郎はこの奥行のある景色を愉快に感じた。  銀杏並木こちら側で尽きる右手には法文科大学がある。左手には少しさがって博物の教室がある。建築は双方ともに同じで、細長い窓の上に、三角にとがった屋根突き出している。その三角の縁に当る赤煉瓦と黒い屋根のつぎめの所が細い石の直線でできている。そうしてその石の色が少し青味を帯びて、すぐ下にくるはでな赤煉瓦一種の趣を添えている。そうしてこの長い窓と、高い三角が横にいくつも続いている。三四郎はこのあいだ野々宮君の説を聞いてから以来、急にこの建物をありがたく思っていたが、けさは、この意見が野々宮君の意見でなくって、初手から自分の持説であるような気がしだした。ことに博物室が法文科と一直線に並んでいないで、少し奥へ引っ込んでいるところが不規則で妙だと思った。こんど野々宮君に会ったら自分発明としてこの説を持ち出そうと考えた。  法文科の右のはずれから半町ほど前へ突き出している図書館にも感服した。よくわからないがなんでも同じ建築だろうと考えられる。その赤い壁につけて、大きな棕櫚の木を五、六本植えたところが大いにいい。左手のずっと奥にある工科大学封建時代西洋のお城から割り出したように見えた。まっ四角にできあがっている。窓も四角である。ただ四すみと入口が丸い。これは櫓を形取ったんだろう。お城だけにしっかりしている。法文科みたように倒れそうでない。なんだか背の低い相撲取りに似ている。  三四郎は見渡すかぎり見渡して、このほかにもまだ目に入らない建物がたくさんあることを勘定に入れて、どことな雄大な感じを起こした。「学問の府はこうなくってはならない。こういう構えがあればこそ研究もできる。えらいものだ」――三四郎大学者になったような心持ちがした。  けれども教室はいってみたら、鐘は鳴っても先生は来なかった。その代り学生も出て来ない。次の時間もそのとおりであった。三四郎は癇癪を起こして教場を出た。そうして念のために池の周囲を二へんばかり回って下宿へ帰った。  それから約十日ばかりたってから、ようやく講義が始まった。三四郎がはじめて教室はいって、ほかの学生といっしょに先生の来るのを待っていた時の心持ちはじつに殊勝なものであった。神主が装束を着けて、これから祭典でも行なおうとするまぎわには、こういう気分がするだろうと、三四郎自分自分の了見を推定した。じっさい学問の威厳に打たれたに違いない。それのみならず、先生ベルが鳴って十五分立っても出て来ないのでますます予期から生ずる敬畏の念を増した。そのうち人品のいいおじいさんの西洋人が戸をあけてはいってきて、流暢な英語講義を始めた。三四郎はその時answer という字はアングロ・サクソン語の and-swaruから出たんだということを覚えた。それからスコットの通った小学校の村の名を覚えた。いずれも大切に筆記帳にしるしておいた。その次には文学論の講義に出た。この先生教室はいって、ちょっと黒板をながめていたが、黒板の上に書いてある Geschehen という字と Nachbild という字を見て、はあドイツ語かと言って、笑いながらさっさと消してしまった。三四郎はこれがためにドイツ語に対する敬意を少し失ったように感じた。先生は、それから古来文学者が文学に対して下した定義をおよそ二十ばかり並べた。三四郎はこれも大事手帳に筆記しておいた。午後は大教室に出た。その教室には約七、八十人ほどの聴講者がいた。したがって先生演説口調であった。砲声一発浦賀の夢を破ってという冒頭であったから、三四郎おもしろがって聞いていると、しまいにはドイツ哲学者の名がたくさん出てきてはなはだ解しにくくなった。机の上を見ると、落第という字がみごとに彫ってある。よほど暇に任せて仕上げたものみえて、堅い樫の板をきれいに切り込んだてぎわは素人とは思われない。深刻のできである。隣の男は感心に根気よく筆記をつづけている。のぞいて見ると筆記ではない。遠くから先生の似顔をポンチにかいていたのである三四郎のぞくやいなや隣の男はノート三四郎の方に出して見せた。絵はうまくできているが、そばに久方の雲井の空の子規と書いてあるのは、なんのことだか判じかねた。  講義が終ってから三四郎はなんとなく疲労したような気味で、二階の窓から頬杖を突いて、正門内の庭を見おろしていた。ただ大きな松や桜を植えてそのあいだに砂利を敷いた広い道をつけたばかりであるが、手を入れすぎていないだけに、見ていて心持ちがいい。野々宮君の話によるとここは昔はこうきれいではなかった。野々宮君の先生のなんとかいう人が、学生の時分馬に乗って、ここを乗り回すうち、馬がいうことを聞かないで、意地を悪くわざと木の下を通るので、帽子が松の枝に引っかかる。下駄の歯が鐙にはさまる。先生はたいへん困っていると、正門前喜多床という髪結床の職人がおおぜい出てきて、おもしろがって笑っていたそうである。その時分には有志の者が醵金して構内に厩をこしらえて、三頭の馬と、馬の先生とを飼っておいた。ところが先生がたいへんな酒飲みで、とうとう三頭のうちのいちばんいい白い馬を売って飲んでしまった。それはナポレオン三世時代の老馬であったそうだ。まさかナポレオン三世時代でもなかろう。しかのん気な時代もあったものだと考えていると、さっきポンチ絵かいた男が来て、 「大学講義はつまらんなあ」と言った。三四郎はいいかげんな返事をした。じつはつまるかつまらいか三四郎にはちっとも判断ができないのであるしかしこの時からこの男と口をきくようになった。  その日はなんとなく気が鬱して、おもしろくなかったので、池の周囲を回ることは見合わせて家へ帰った。晩食後筆記を繰り返して読んでみたが、べつに愉快にも不愉快にもならなかった。母に言文一致手紙を書いた。――学校は始まった。これから毎日出る。学校はたいへん広いいい場所で、建物もたいへん美しい。まん中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近ごろようやく乗り馴れた。何か買ってあげたいが、何がいいかからいから、買ってあげない。ほしければそっちから言ってきてくれ。今年の米はいまに価が出るから、売らずにおくほうが得だろう。三輪田のお光さんにはあまり愛想よくしないほうがよかろう。東京へ来てみると人はいくらでもいる。男も多いが女も多い。というような事をごたごた並べたものであった。  手紙を書いて、英語の本を六、七ページ読んだらいやになった。こんな本を一冊ぐらい読んでもだめだと思いだした。床を取って寝ることにしたが、寝つかれない。不眠症になったらはやく病院に行って見てもらおうなどと考えているうちに寝てしまった。  あくる日も例刻に学校へ行って講義を聞いた。講義あいだに今年の卒業生がどこそこへいくらで売れたという話を耳にした。だれとだれがまだ残っていて、それがある官立学校地位競争している噂だなどと話している者があった。三四郎漠然と、未来が遠くから眼前に押し寄せるようなにぶい圧迫を感じたが、それはすぐ忘れてしまった。むしろ昇之助がなんとかしたというほうの話がおもしろかった。そこで廊下熊本出の同級生をつかまえて、昇之助とはなんだと聞いたら、寄席へ出る娘義太夫だと教えてくれた。それから寄席看板はこんなもので、本郷のどこにあるということまで言って聞かせたうえ、今度の土曜にいっしょに行こうと誘ってくれた。よく知ってると思ったら、この男はゆうべはじめて、寄席へ、はいったのだそうだ。三四郎はなんだか寄席へ行って昇之助が見たくなった。  昼飯を食いに下宿へ帰ろうと思ったら、きのうポンチ絵かいた男が来て、おいおいと言いながら、本郷の通りの淀見軒という所に引っ張って行って、ライスカレーを食わした。淀見軒という所は店で果物を売っている。新しい普請であった。ポンチ絵かいた男はこの建築の表を指さして、これがヌーボー式だと教えた。三四郎建築にもヌーボー式があるものとはじめて悟った。帰り道に青木堂も教わった。やはり大学生のよく行く所だそうである赤門はいって、二人で池の周囲を散歩した。その時ポンチ絵の男は、死んだ小泉八雲先生教員控室へはいるのがきらいで講義がすむといつでもこの周囲をぐるぐる回って歩いたんだと、あたか小泉先生に教わったようなことを言った。なぜ控室へはいらなかったのだろうかと三四郎が尋ねたら、 「そりゃあたりまえださ。第一彼らの講義を聞いてもわかるじゃないか。話せるものは一人もいやしない」と手ひどいことを平気で言ったには三四郎も驚いた。この男は佐々木与次郎といって、専門学校卒業して、今年また選科へはいったのだそうだ。東片町の五番地の広田という家にいるから、遊びに来いと言う。下宿かと聞くと、なに高等学校先生の家だと答えた。  それから当分のあい三四郎毎日学校へ通って、律義に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席してみた。それでも、まだもの足りない。そこでついには専攻課目にまるで縁故のないものまでへもおりおりは顔を出した。しかしたいていは二度か三度でやめてしまった。一か月と続いたのは少しもなかった。それでも平均一週に約四十時間ほどになる。いかな勤勉な三四郎にも四十時間はちと多すぎる。三四郎はたえず一種の圧迫を感じていた。しかるにもの足りない。三四郎は楽しまなくなった。  ある日佐々木与次郎に会ってその話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、目を丸くして、「ばかばか」と言ったが、「下宿屋のまずい飯を一日に十ぺん食ったらもの足りるようになるか考えてみろ」といきなり警句でもって三四郎をどやしつけた。三四郎はすぐさま恐れ入って、「どうしたらよかろう」と相談をかけた。 「電車に乗るがいい」と与次郎が言った。三四郎は何か寓意でもあることと思って、しばらく考えてみたが、べつにこれという思案も浮かばないので、 「本当の電車か」と聞き直した。その時与次郎はげらげら笑って、 「電車に乗って、東京を十五、六ぺん乗り回しているうちにはおのずからもの足りるようになるさ」と言う。 「なぜ」 「なぜって、そう、生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるさ。その上にもの足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩でかつもっとも軽便だ」  その日の夕方与次郎三四郎を拉して、四丁目から電車に乗って、新橋へ行って、新橋からまた引き返して、日本橋へ来て、そこで降りて、 「どうだ」と聞いた。  次に大通りから細い横町へ曲がって、平の家という看板のある料理屋へ上がって、晩飯を食って酒を飲んだ。そこの下女はみんな京都弁を使う。はなはだ纏綿している。表へ出た与次郎は赤い顔をして、また 「どうだ」と聞いた。  次に本場の寄席へ連れて行ってやると言って、また細い横町はいって、木原店という寄席を上がった。ここで小さんという落語家を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、また 「どうだ」と聞いた。  三四郎は物足りたとは答えなかった。しかしまんざらもの足りない心持ちもしなかった。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。  小さんは天才であるあん芸術家はめったに出るものじゃない。いつでも聞けると思うから安っぽい感じがして、はなはだ気の毒だ。じつは彼と時を同じゅうして生きている我々はたいへんなしあわせである。今からしまえに生まれても小さんは聞けない。少しおくれても同様だ。――円遊もうまいしかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物からいくら小さんを隠したって、人物は活発溌地に躍動するばかりだ。そこがえらい。  与次郎はこんなことを言って、また 「どうだ」と聞いた。実をいうと三四郎には小さんの味わいがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎の説の当否は判定しにくい。しかしその比較ほとんど文学的といいうるほどに要領を得たには感服した。  高等学校の前で別れる時、三四郎は、 「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、 「これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない」と言って片町の方へ曲がってしまった。この一言三四郎ははじめて図書館はいることを知った。  その翌日から三四郎は四十時間講義ほとんど半分に減らしてしまった。そうして図書館はいった。広く、長く、天井が高く、左右に窓のたくさんある建物であった。書庫入口しか見えない。こっちの正面からのぞくと奥には、書物いくらでも備えつけてあるように思われる。立って見ていると、書庫の中から、厚い本を二、三冊かかえて、出口へ来て左へ折れて行く者がある。職員閲覧室へ行く人であるなかに必要の本を書棚からとりおろして、胸いっぱいにひろげて、立ちながら調べている人もある。三四郎はうらやましくなった。奥まで行って二階へ上がって、それから三階へ上がって、本郷より高い所で、生きたものを近づけずに、紙のにおいをかぎながら、――読んでみたい。けれども何を読むかにいたっては、べつにはっきりした考えがない。読んでみなければわからないが、何かあの奥にたくさんありそうに思う。  三四郎一年生だから書庫はい権利がない。しかたなしに、大きな箱入りの札目録を、こごんで一枚一枚調べてゆくと、いくらめくってもあとから新しい本の名が出てくる。しまいに肩が痛くなった。顔を上げて、中休みに、館内を見回すと、さすがに図書館だけあって静かなものであるしかも人がたくさんいる。そうして向こうのはずれにいる人の頭が黒く見える。目口ははっきりしない。高い窓の外から所々に木が見える。空も少し見える。遠くから町の音がする。三四郎は立ちながら、学者生活は静かで深いものだと考えた。それでその日はそのまま帰った。  次の日は空想をやめて、はいるとさっそく本を借りた。しかし借りそくなったので、すぐ返した。あとから借りた本はむずかしすぎて読めなかったからまた返した。三四郎はこういうふうにして毎日本を八、九冊ずつは必ず借りた。もっともたまにはすこし読んだのもある。三四郎が驚いたのは、どんな本を借りても、きっとだれか一度は目を通しているという事実発見した時であった。それは書中ここかしこに見える鉛筆のあとでたしかである。ある時三四郎は念のため、アフラベーンという作家小説を借りてみた。あけるまでは、よもやと思ったが、見るとやはり鉛筆で丁寧にしるしがつけてあった。この時三四郎はこれはとうていやりきれないと思った。ところへ窓の外を楽隊が通ったんで、つい散歩に出る気になって、通りへ出て、とうとう青木堂へはいった。  はいってみると客が二組あって、いずれも学生であったが、向こうのすみにたった一人離れて茶を飲んでいた男がある。三四郎がふとその横顔を見ると、どうも上京の節汽車の中で水蜜桃をたくさん食った人のようである。向こうは気がつかない。茶を一口飲んでは煙草を一吸いすって、たいへんゆっくり構えている。きょうは白地の浴衣をやめて、背広を着ている。しかしけっしてりっぱなものじゃない。光線の圧力の野々宮君より白シャツけがましなくらいなものである三四郎は様子を見ているうちにたしか水蜜桃だと物色した。大学講義を聞いてから以来、汽車の中でこの男の話したことがなんだか急に意義のあるように思われだしたところなので、三四郎そばへ行って挨拶をしようかと思った。けれども先方は正面を見たなり、茶を飲んでは煙草をふかし、煙草をふかしては茶を飲んでいる。手の出しようがない。

anond:20240930173301

Permalink |記事への反応(3) | 17:39

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2024-09-21

任天堂ソニーの社風の違いがよくわかる話だよね

結局「おまえ誰やねん」だと思うんだよ

似非関西弁申し訳ない

京都弁だとどういうんだろうな

よそ者に厳しいと言われる京都だが、実際の京都よそ者ある意味やさしい、一般通過する旅行客みたいな存在、そういうどうでもいい野郎スルー出来る

でも、ちょっと目立ったところにギトギトのパルワールドなんていう建物立てられたら、「おまえ誰やねん」が発動する

結局のところ、パルワールド問題は「ソニーがかかわったから」がクリティカルじゃないかと思う

MSが買収するかもと言う話もあったしな

そうなったら話は変わってくる

もう旅行者扱いはできない


ソニー真逆だよね

売上考えて本社アメリカに移すくらいドラスティック経営判断をする企業

日本企業のなかでもここまで思い切れる企業そうはない

から、売れないIPドラスティックに切っていくことも普通にある

から最近、アストロボットが高評価だけど「ゲーム面白いけど、いかソニー過去IPをおろそかにしているかがよくわかる」

といわれたりもする


任天堂だったら自分の子であるIPを復活させようと頑張る

正直非効率なことだけどそこが任天堂の良いところだなって思う


ソニーはそのへん気にしない

よその面白そうなIPを買えばいいと思っている

スヌーピーIPだっていまやソニー管理している

からパルワールドにも手を出したんだろうな


社風の違いがよくわかる話が最近立て続けに起きたなって思う

Permalink |記事への反応(1) | 00:51

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2024-09-18

普段全く夢属性を持っていないが、久々に夢に浸ってしまったので深く反省しここに埋葬する。

尚、本編を一気読みしただけなので担当声優どころかこのキャラの髪の色さえ知らない。

方言萌えしないのに京都弁の男っていいなと思ってしまった

・異性を畜生しか見ていないナチュラルボーン畜生である一方、格上最強の同性には純粋な憧れを抱き子供の頃から切磋琢磨してて良かった

フルボッコでやられてる時のこいつの台詞ツッコミがどれも小気味良かった

上記複数加点の結果、特に自分好みのパーツじゃなくても分かりやすい面(ツラ)の良さにおまけボーナスが入って好感度プラスしてしまった

キャラ血統の良さも頓着しないが、このキャラを好きになってしまったので名門次期当主っていいなと思ってしまった(作中で即反故にされたが)

・結局最大の理由は、主人公側にざまあ分からせされる悪役キャラとして魅力的だったから。そして夢へと至る


夢といっても溺愛される(…)とかそいつを圧倒したり価値観を覆す(…)のではなく(普段は夢願望が無いか自分で書いておいて虫酸が走る)──


いやーこれ以上はちょっと書けない。夢二次を漁る気も更々無い。我ながらメアリースー願望に反吐が出る。

チラ裏最高!!完全匿名はてな栄光あれ!!

Permalink |記事への反応(0) | 00:16

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2024-09-07

anond:20240907143707

増田年代わからんが、40過ぎてオーバーサイズ着こなすのハードモード

「あの人痩せはったのにまだブカブカの服着てはるで(京都弁)」みたいな見た目にしかならない。

オーソドックスアイテムを現行物で入手せよ。安物で良し。

ポロシャツとか昔ので良いとかはない。絶対ダメ。襟の形、シルエットなどはその時のもの

パンツも基本は同じ。サイズジャストフィットまでいかなくともフィットしているもの

Bボーイファッションを引きずっている親戚のおっさんみたいになるぞ。気をつけろ。

Permalink |記事への反応(0) | 22:01

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2024-09-02

我は九州公立中学出身氷河期世代トランスジェンダー弱者男性京都弁ネイティブやぞ

Permalink |記事への反応(0) | 17:28

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2024-08-02

anond:20240802112205

ただでさえ面白くないのに文章読めてないのヤバくない? 常識的に大っぴらにできないか匿名のここに書いてるんやろ? 京都弁面白いと思ったの? 嫌味もまともに言えてないのに?

Permalink |記事への反応(1) | 11:40

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2024-07-27

伊右衛門CM京都弁いつも謎なんだけど

毎回関西人以外にやらせてわざと違和感の残る京都弁にしてるのかな

Permalink |記事への反応(0) | 20:06

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2024-07-10

anond:20240710031054

エセ京都弁増田

誰にも相手してもらなくてとうとう一人で話始めた

Permalink |記事への反応(0) | 03:17

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2024-07-09

anond:20240709215838

まら

京都弁だったときのほうがまだまし

Permalink |記事への反応(1) | 21:59

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京都弁の人

死ぬほどつまら

さすがにもうちょっとないのか

Permalink |記事への反応(1) | 20:48

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2024-06-25

anond:20240624190215

ああ、原作だとちゃん京都弁なんだ。

大会関西大会と言いながらあんな喋り方してて頭おかしいんかと思ったわ

Permalink |記事への反応(0) | 04:36

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2024-06-24

anond:20240624175729

原作だと京都弁で喋ってるのをアニメだと標準語喋ってるんだけど最初からずっと改変されてるのになんで今文句言ってるの?

Permalink |記事への反応(2) | 19:02

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