Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「二重生活」を含む日記RSS

はてなキーワード:二重生活とは

次の25件>

2025-09-16

線状降水帯が嫌い

この時期になると思い出すこと。ただの吐き出しです。

クソながいのに何の有益情報もないです。書きなぐったので不適切表現があるかもしれないです。

でも自分で書いたら全然まとまらず読みづらいことこの上なかったのでGeminiに情報を整理してもらってます。なので半分AIが書いた日記ですw

-----------

3年前の台風で、自宅が床上浸水した。15年前に建てた家だ。

家の近所を流れる川が氾濫し、この地域が50年以上前洪水被害にあったことは知っていたけど、土地河川の改良も進んでいるし、「まー大丈夫でしょ」と軽く考えていた。

当時は”線状降水帯”なんて言葉一般的じゃなかったし、道路冠水するほどの大雨もめったにないことだったので。

ところが新築から半年後の台風道路冠水し、床下浸水経験

その時初めて、この川は海との高低差があまりないため、満潮に大雨が重なると排水しきれず沿岸のあちこちで小さく冠水していたことやこの場所も周囲より少しだけ土地が下がっているので水が溜まりやすく、冠水やす場所であることを知った。

土地選びを失敗したな、調査不足だったな」と後悔もしたけど、その後は道路冠水する程度で済んでいたから車逃がすの面倒だな位で、そこまで深刻には考えていなかった。

そんな状況で迎えた2022年9月あの日

家族で遠出して夜9時頃帰宅し、疲れてそのまま爆睡していた私達。

尋常じゃない雨音で夫が目を覚ましたのは、夜中の1時だった。

「外がやばい道路冠水してきたから車を避難させよう」と起こされ、私も飛び起きた。

いつもの場所に車を移動させるため外に出ると、すでに膝下まで浸水していた。

車を逃してしばらく様子を見たけど、水は引くどころか増すばかり…雨も全然まらない…

港の満潮時刻を調べると5時過ぎ。「まだ3時間もあるのに、これからさらに水位が上がるの?」と恐ろしくなった。

正常性バイアスが働いて大丈夫だと思おうとしたが、一応夫に「家具、上にあげた方がいいかなあ?」と聞くと迷わず「やろう!」との返事。テキパキと「ソファ子供ランドセル電子ピアノテレビも!」と指示を出してくれた。

階段を何往復もしながら窓の外の水位を気にしていたら、なんと家の中が水浸しに!!

浸水するときは窓や玄関の隙間から水が入ってくると思っていたから、窓や玄関がまだ無事なのに床下の点検から水が溢れてくるなんて本当にまさかだった。

足が水に浸かりながら家具避難を続けたものの、完全に思考停止して目についたメモ帳とかテレビリモコンとか小さいものを運ぶ私。

そんな中、押し入れにしまってあったひな人形を思い出した夫、本当にGJだった。

和室の畳が浮いてリビングに移動し、床に置きっぱなしだった子供おもちゃが散乱し、重たい木製のダイニングチェアテレビ台までプカプカと浮いていた。

水の入り具合から「もうこれ以上は無理」と判断し、自分達も2階へ避難してベランダから見下ろすといつもの道も前の家のポストも隣との境界の柵も全部見えず一面泥水。

避難できなかった近所の車が水没し、コンピューターが壊れたのかライトを点滅させているのを呆然と眺めた。

私はなんかもう笑うしかなくて、一階に降りて水没した冷蔵庫や、浮かんでいく畳の動画写真をずっと撮っていた。

(後で罹災証明書保険請求に役立ったから、結果的にはよかった)

子供たちは前日のお出かけの疲れで夜じゅうずっと爆睡していて、それがせめてもの救いだった。

もしこの状況で子供ケアまで加わっていたら、私は耐えられなかったと思う。

そのときふと、猛烈に心配になったのは車のこと。

少しだけ高くなっている場所避難させたけど、この水量では無事じゃないかもしれない。

家が無事じゃない上に車まで失ったら、もう絶望だ。

不安を伝えると、夫は「見てくるよ」と言ってくれた、が、外に出ると、道路は夫の身長以上に冠水していた。

通常なら危険から外に出たらダメだと引き返すところを、判断力が狂っていた私たちは「浮き輪で泳いでいけばいい!」という名(迷)案を思いついた。

子供浮き輪を膨らませ、防水ケースにスマホと車のスマートキーを入れて出発した夫。

行ってらっしゃい、と見送った後、私は何をしていいかからなくて、SNSでひたすら情報収集したり、インスタのストーリーにさっき撮った動画投稿してみたり、窓越しに隣人と会話したりして気を紛らわしていた。

すぐに帰ってくると思った夫は一時間以上帰ってこなくて、電話もつながらなくて、ちょっと不安だった。

そうこうしているうちに空が明るくなって満潮時刻の5時を過ぎ、夫が浮き輪で出発してから2時間ほど経った頃、ようやく電話がつながった。

冠水した水に流れができて、家に戻れない。今は20メートルくらい離れた家の塀に登って待ってる」とのこと。

車はタイヤの半分ほどが浸かっていたものの、無事だったらしい。

電話を切った私は隣人に夫の様子を伝え、お互いおかしテンションで「塀の上だってやばいねwww」と笑い転げながら話していた。

朝7時過ぎ、ようやく少しずつ水が引き始めた。

「2時間も幅10センチの塀の上に立ってた。足が痛い」そう言いながら、夫も無事に帰宅

(この時は知らなかったけど、後から河川が氾濫していたと知り、一歩間違えれば流されて海だったかもしれないとゾッとした)

子供たちも起き出し、外の様子を見たいとせがんだ。

トラウマにならないか心配で控えめに見せたら非日常感にテンションが上がっていたようだけど、私は疲れ果ててとても付き合える気力はなかった。

夜中に投稿したストーリーを見た友人が、まだ道路に水が残る中大量のおにぎり飲み物を届けてくれて泣きそうなくらいありがたかった。

隣人も「親戚がマックを買ってきてくれたから」と分けてくれたので、物々交換をしてとりあえずの食事タイム

食事を終えた頃、ようやく道路の水が完全に引いた。

改めて家の中を見回すと、畳はキッチンにあり、床には泥だらけの家具や物が散乱していた。

壁も扉も柱も水を吸ってぶよぶよで、システムキッチンの引き出しも閉まらない。

買い置きの食材水浸し冷蔵庫洗濯機も、数時間水に浸かっていたことを思うともうダメだろう。

頭が全然回らないまま外に出て、家から流れて行ってしまったスタッドレスタイヤを探しがてら近所を見て回った。(見つからなかった)

ご近所さんはみんな同じように混乱し、途方に暮れた顔をしていた。

「大変なことになりましたね」と声を掛け合い、励まし合わないとやっていけなかった。

台風一過で空が晴れ渡る中、両親や親戚が駆けつけてくれて片付けを開始。

私も夫もあまりのショックに頭が回らず、代わりに実母がテキパキと指示を出してくれて本当に助かった。

保険請求のために写真を撮りまくり、床の泥を水で流し、濡れたものを外に出して使えそうなものは洗った。

子供たちは邪魔にならないよう妹が実家で面倒を見てくれた。これも大助かりだった。

他にも、手伝いを申し出てくれる友人、

断水しているからと水を持ってきてくれる友人、

食べ物ダメになったでしょ」と保存食差し入れてくれる友人、

ペイペイで見舞金を送ってくれる友人…

その他にも本当にたくさんの人の温かさに助けられた。

行政を通じていただいた義援金ももちろんその一つ。あの時募金してくれた人本当にありがとうございました。)

近所づきあいの大切さも改めて感じた。

手伝う人がいないお年寄りの家の畳を一緒に運んだり、自治会を通じて届いたお弁当を分け合ったり。

助け合いの力、自治会存在のありがたさを痛感した。

結局、仕事は1週間まともに行けず、片付けや保険請求罹災証明書の発行、修理に関する補助金情報収集などで走り回る日々。

家の修理も、みんなが同じ状況だから職人さんが足りず、見積もりが出るまでに数ヶ月。工事が始まったのは被災から数ヶ月後だった。

工事中の住まいも本当に悩ましくて。

行政の補助はあったけど仮住まい家賃だけで、水道光熱費自己負担。(仕方ないけど)

今の家と二重でお金がかかるし、そもそも短期契約できる物件は数少ない上に良い物件は同じ被害に遭った人との争奪戦

環境の変化に弱い子供が「絶対に他の場所暮らしたくない、家で寝たい」と懇願したこともあり、最終的には1階の荷物レンタル倉庫に運び(補助対象外)、自宅の2階で寝泊まりすることにした。

実家に頼って食事とお風呂を済ませ、寝るためだけに帰宅する二重生活

これはこれで環境が変わるので子供メンタル不安定になって大変だったし物がどこにあるかわからなくて(倉庫なのか自宅なのか浸水被害で捨てたのか)とてもストレスだったけど、なんとか乗り切り、改修が全部終わったのは被災から8ヶ月経った頃だった。

長い復旧の日々を乗り越えて今はもうすっかり元の生活に戻ったけど、あの日記憶は消えない。

大雨や台風が来るたびに胸がざわつくし洪水被害ニュースを見ると泣きそうになる。

先週の台風でも、同じ不安を思い出してしまった。

それでも、あの日にたくさんの人に助けてもらったことを思い出すと、心が少しだけ強くなれた気がする。

家族や友人、地域の人の温かさがあったから、乗り越えられた。

これからもその支えを大事にしながら、不安と付き合っていくしかないんだろうなと思う。

まあ、こんな経験はもうお腹いっぱいだから

線状降水帯、まじでもう二度と発生するなよ。って、雨が降るたびに思っているけど。

Permalink |記事への反応(1) | 12:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-22

生き急ぐ世の中に過剰に適応するとみんなこうじゃないの

つの顔 -会社で見せる自分と本当の自分の間で

会社用のカバンを置き、ドアを閉める。やっと家に帰ってきた安堵感が身体を包む。そして少しずつ、「会社自分から「本当の自分」へと戻っていく感覚がある。肩の力が抜け、表情が和らぐ。息遣いが変わる。

多くの人がこの二重生活に慣れてしまっている。朝、「会社モード」のスイッチを入れ、夜にそれを切る。時にはそのスイッチの切り替えが難しくなる日もある。会議で発した言葉、同僚に見せた表情、上司約束した「チャレンジ」の数々が、家に持ち帰った荷物のように心に残る。

私はこの役割を演じることに長けている。「前向きに取り組みます」「新しい挑戦を歓迎します」「結果にコミットします」—これらの言葉は、まるで外国語を話すように自然に口から出てくる。そしてある意味では、それは本当に外国語なのだ組織という国の公用語を、私は流暢に操る。

しかしある日、鏡を見ていて気づいた。「会社自分」の表情が、いつの間にか「本当の自分」の顔にも忍び寄っていることに。眉間のシワ、目の下の疲れ、口角の下がり方—それらは境界線崩壊を示す小さなサインだった。

「これは持続可能なのだろうか?」という問いが心に浮かぶ。二つの人格を維持することのエネルギーコスト毎日演じることの疲労感。そして何より、「本当の自分」が少しずつ痩せ細っていくような感覚

同僚の多くは、この分裂を問題だと思っていないようだ。むしろそれを当然のことと受け入れている。「仕事仕事」「プライベートプライベート」と区分けすることで、彼らは自分を守っているのかもしれない。しかし私の中では、その境界線だんだん曖昧になってきている。

穏やかに生きたい。自分のペースで仕事をしたい。持続可能方法価値提供したい。これらの願いは、果たして現代企業文化と相容れるものなのだろうか?それとも、二つの顔を持ち続けることこそが、生き抜くための唯一の戦略なのだろうか?

時に、勇気を出して本音を漏らしてみることがある。「もう少しペースを落としませんか?」「この締め切りは現実的でしょうか?」「持続可能方法を考えてみては?」と。そんな時、返ってくる反応は様々だ。理解を示す人、困惑する人、そして時に、「やる気がないのか?」という暗黙の非難

この非難が最も痛いのは、それが外からだけでなく、自分の内側からも聞こえてくることだ。「自分はただ楽をしたいだけなのではないか?」「みんなは頑張っているのに、なぜ自分だけ特別扱いを?」「これでは出世できないぞ」という内なる批判者の声。

しかし、よく考えてみれば分かる。「チャレンジし続けること」が全ての人にとって幸せの形とは限らない。日々の小さな満足、着実な前進、持続可能な貢献—これらもまた、価値ある生き方なのではないだろうか。

問題は、この「穏やかさ」という選択肢が、現代企業文化ではほとんど見えないところに追いやられていることだ。それは弱さの印、野心の欠如、甘えとして片付けられてしまう。

からこそ、多くの人が「会社自分」と「本当の自分」を分け、日々その間を行き来する。そして私もまた、その二重生活の達人になりつつある。演じながら、静かに抵抗する方法模索している。

孤独選択 - 「穏やかさ」を選ぶことへの不安と周囲の視線

「このままでいいのだろうか」

幹部会を終え、誰もいなくなった会議室で、ふとその問いが頭をよぎる。私は周囲が認める「頑張る人」として、この地位まで駆け上がってきた。夜も眠れないプロジェクト休日犠牲にした資料、誰よりも早く出社し遅く帰る日々—これらの「チャレンジ」の積み重ねが、今の私を作った。

からこそ、「もう少し穏やかに」という内なる声に従うことが、これほど難しいのだ。

先日、若手社員が「もう少しペースを落としたい」と相談に来た時、彼らにはアドバイスができた。「無理せず、長く続けられる方法を見つけることも大切だよ」と。しか自分自身には、その言葉適用できない。彼らにはまだ、同期との飲み会愚痴をこぼす自由がある。私にはもうない。

孤独は、階段を上るほどに深まる。

「今さら弱音を吐けない」という思いは、単なるプライド問題ではない。私の中で「頑張る自分」と「本当の自分」の境界線曖昧になりすぎているのだ。もし「頑張る自分」が崩れたら、残るのは何だろう?その恐怖が、変化への一歩を阻む。

例えば、部下には「家族時間を大切に」と帰らせておきながら、自分は深夜まで残業する矛盾。あるいは、「ワークライフバランス」を会社価値観として掲げながら、自分はその恩恵を受けられない皮肉。これらを指摘する人は周りにいない。いや、もはや自分自身の中にすらいないのかもしれない。

最も怖いのは、「頑張る」という価値観が崩れたとき、私の存在意義のものが揺らぐのではないかという不安だ。私は何者なのか?「チャレンジし続ける人」という仮面を外したとき、その下には何があるのだろう?

若い頃の私は、上司のことを「あの人は仕事しか知らないんだ」と陰で笑っていた。そして今、鏡に映るのは、かつて笑っていたその姿に近づきつつある自分皮肉なことに、私はかつての自分軽蔑していた人間になりつつある。

先日、久しぶりに大学時代の友人と会った。企業とは無縁の世界で生きる彼は、私の話を聞いてこう言った。「君、本当にそれで幸せなの?」シンプルな問いに、即答できなかった自分がいた。

ただ、この孤独には特権も伴う。変化を起こせる立場にいるという特権。もし私が「穏やかに生きる勇気」を示せたなら、それは組織全体に波及するかもしれない。しかし、そのファーストペンギンになる勇気が持てるだろうか?

長年「頑張り続けること」で自分価値証明してきた人間が、突然「穏やかさ」を選ぶことの矛盾と恐怖。それは単に仕事のペースを変えるという以上の、アイデンティティの再構築を意味する。「頑張らない自分」にも価値があると信じられるだろうか?

そして何より、周囲の期待という見えない重し。「あの人がそう言うなら」と私の言葉に重みを置く部下たち。「彼女の実績を見れば」と私の判断を信頼する経営陣。彼らの期待を裏切る恐怖。

この孤独葛藤を誰かと共有したいと思いながらも、「弱さ」を見せられる相手がいない。それが、上に行けば行くほど増していく孤独本質なのかもしれない。

からこそ、この静かな抵抗は、より多くの覚悟と内なる対話必要とする。表向きは「チャレンジ」のリーダーであり続けながら、少しずつ「穏やかさ」の価値組織に浸透させていく。それが今の私にできる唯一の道なのかもしれない。

さな抵抗 -日常の中でできる境界線の引き方

「小さな抵抗」という言葉自体が、すでに贅沢なのかもしれない。

抵抗するには、別の可能性を想像できることが前提だ。しかし私の中では、「頑張る自分」と「本当の自分」の境界線が長年の間に消えてしまった。もはや「頑張らない選択肢」を思い描くことすらできない。

先日、あるセミナー講師が「自分を大切にする時間を作りましょう」と言った。周りの参加者が頷く中、私は困惑していた。「自分を大切にする」とは具体的にどういう行動なのだろう。想像すらできない。

「19時に帰ります

同僚がグループチャットにそう書き込んだとき、私は複雑な感情に襲われた。一方では「彼は勇気があるな」と思いながら、他方では「私が同じことをしたら」という想像ができなかった。それは単に評価を気にしているからではない。「頑張らない自分」が存在し得ないという、もっと深い恐怖だ。

一度だけ試してみたことがある。締切の迫ったプロジェクトで、「このスケジュール現実的ではない」と言ってみた。言葉にした瞬間、激しい不安に襲われた。案の定、「なんとかする方法があるはず」と一蹴された。

しかし最も辛かったのは、その後だ。家に帰っても、「もっと工夫できたのでは」「能力不足を言い訳にしたのでは」という自責の念が襲ってきた。「抵抗」した結果、むしろ気持ちは重くなり、翌日からは倍の時間を費やして挽回しようとした。

結局、「小さな抵抗」の試みは、より大きな自己搾取につながっただけだった。

友人が育児との両立のために時短勤務を選んだとき、心から彼女応援した。「素晴らしい選択だね」と言いながら、内心では「自分には絶対にできない」と思っていた。なぜなら、仕事のペースを落とした自分を、私自身が許せないからだ。

「頑張らない」という選択ができたとしても、それを自分肯定できない。そして肯定できないなら、結局は罪悪感に苛まれ、より深く自分を追い込むことになる。これが私の中の悪循環だ。

先日、久しぶりに体調を崩して一日休んだ。熱も高く、客観的に見れば当然の休養だった。それでも一日中メールをチェックし、できる範囲仕事をベッドの上で続けていた。「休んでいる」という事実が、耐えられなかったのだ。

最も皮肉なのは、「穏やかさ」を選ぶべきだと頭では理解していることだ。長時間労働弊害も、バーンアウトリスクも、すべて知識としては持っている。セミナーでも読んだ本でも、「持続可能な働き方」の重要性が説かれている。

しか知識感情は別物だ。「頑張ること=自分価値」という等式が感情レベルで刻み込まれている限り、どんなに合理的判断も、内側から崩れていく。

「小さな抵抗」どころか、「抵抗しない自分」を責める悪循環。それが私の現実だ。

かに相談できればいいのかもしれない。しかし、立場上、弱音を吐ける相手はいない。部下に「実は私、もう限界なんだ」とは言えない。上司や同僚にも、弱さを見せることはタブーだと感じている。

結局、仕事けが残る。仕事は少なくとも、明確な評価基準がある。締切を守り、数字を達成し、プロジェクトを完遂する。それが自分存在価値証明する唯一の方法だと思い込んでいる。

時々、この生き方に疑問を感じる瞬間がある。深夜のオフィスで、ふと窓の外を見たとき家族写真を見たとき。体調を崩したときしかしそれらの瞬間は、すぐに「もっと頑張らなければ」という思考によって打ち消される。

「小さな抵抗」ができる人がいることは知っている。羨ましいとすら思う。しかし私にとっては、まず「抵抗したい」と思える自分を取り戻すことが、最初の、そして最も難しい一歩なのかもしれない。

もし本当の意味での「小さな抵抗」があるとすれば、それは外側に向けたものではなく、内側の声に対するものだろう。「もっと頑張れ」と絶えず命じる内なる批評家との対話。それこそが、私にとっての本当の闘いなのかもしれない。

内なる声を取り戻す -自分のペースを守るための実践

深夜、日付が変わった時刻。また日記を開いている。

「なぜこのペースを変えられないのだろう?」

この問いを何度書いただろう。答えのない独り言のように、同じ言葉が繰り返される。「自分のペースで生きたい」という願いと、「これではいけない」という認識。そしてその直後に必ず続く自己否定。

「甘えているだけじゃないか

「これが自分の選んだ道だ」

「他の人はもっと頑張っている」

日記は、本来なら自分自身との対話の場であるはずだ。しかし私の日記は、まるで二人の異なる人格が争うような場になっている。一方は「穏やかに生きたい」と願う声、もう一方は「それは逃げだ」と叱責する声。

そして結局は、後者が勝つ。翌朝、また同じルーティンが始まる。

「内なる声を取り戻す」—美しい言葉だ。自己啓発本や記事でよく目にする。しかし実際には、どうすれば良いのだろう。「本当の自分」とは誰なのか。「穏やかに生きたい」と思う自分が本物で、「もっと頑張れ」と言う自分が偽物なのだろうか。あるいはその逆か。もはやその区別さえつかない。

かつては趣味もあった。しかし今は、仕事睡眠以外の時間がどこかに消えてしまった。趣味に使う時間があるとすれば、それは「もっと仕事をするべきだ」という罪悪感と常に隣り合わせだ。そして不思議なことに、休日時間が空いたとき、かえって落ち着かなくなる。何か「成し遂げるべきこと」がないと、居場所がないような感覚

会社の同僚が育児休暇から復帰したとき彼女は「価値観が変わった」と言っていた。「仕事も大切だけど、他にも大切なものがあると気づいた」と。その言葉に深く頷きながらも、内心では「そんな選択肢自分には許されない」と思っていた。

子どもがいない私には、その「言い訳」が使えない。健康上の問題もない。家族介護も今はない。「頑張らない理由」が見当たらないのだ。そして何より、「頑張らない自分」を自分自身が許せない。

ある夜、珍しく定時で帰宅し、手持ち無沙汰になった。いつもなら持ち帰った仕事をするか、疲れて眠るかのどちらかだ。この「余白」の時間に何をすれば良いのかわからず、ソファに座ったまま30分ほど呆然としていた。「自由時間」の使い方さえ忘れてしまたことに、愕然とする。

余裕があるはずの時間に感じる、この奇妙な不安感。それは「ゆっくりできない病」とでも呼ぶべきものかもしれない。休むことに慣れていないせいか、あるいは休んでいる間も「何か生産的なことをすべきだ」という声が頭から離れないせいか。結局、半分無意識仕事メールをチェックし始めている自分に気づく。

自分のペースを守る」という言葉は、単に仕事を減らすということではないのだろう。それは「自分自身との関係を取り戻す」という、もっと本質的なことなのかもしれない。

しかしそれには、大きな恐れが立ちはだかる。

「頑張る自分」が自分自身のアイデンティティと化した今、それを手放すことは、自分自身を手放すことのように感じられる。「頑張らない自分」など、存在し得るのだろうか。そして仮に存在したとして、その自分には価値があるのだろうか。周囲はその自分を認めてくれるのだろうか。

さらに恐ろしいのは、「穏やかに生きたい」という願望自体が、単なる逃避ではないかという疑念だ。本当に理想を追求しているのか、それとも単に難しいことから逃げようとしているだけなのか。その区別がつかない。

この葛藤を誰かと分かち合いたいと思うこともある。しかし、誰に話せばいいのだろう。部下に弱音を吐けば信頼を失うだろう。同僚には競争相手と見られている部分もある。上司には評価に関わる。配偶者にさえ、「仕事ストレス」としか言えないことがある。

結局、また日記に向かう。そして同じ言葉を書く。

「なぜこのペースを変えられないのだろう?」

この問いに対する答えは、まだ見つからない。ただ、問い続けること自体に、かすかな希望を感じている。この問いが心の中で生き続けている限り、何かが変わる可能性もある。それが「内なる声を取り戻す」最初の、そして最も困難な一歩なのかもしれない。

共に歩む - 見えない仲間たちへの手紙

あなたがこの文章を読んでいるということは、どこかで同じ問いを抱えているということかもしれない。あるいはそうでないかもしれない。

「このままでいいのだろうか」

もっと穏やかに生きる方法はないのだろうか」

「なぜこのペースを変えられないのだろう」

私は時々考える。他の人々も同じ葛藤を抱えているのだろうか。それとも、私だけがこんなにも矛盾を抱えているのだろうか。会議室で周りを見回すと、皆がこの「頑張り文化」に適応しているように見える。彼らは本当に適応しているのか、それとも私と同じく苦しみながら演じているだけなのか。

確かなことは分からない。

時に、若手社員が率直に「このペースはきついです」と言うのを耳にする。彼らはまだ、そう言える立場にある。同期同士で飲みながら愚痴をこぼせる自由がある。妙な話だが、それが羨ましい。立場が上がるほど、弱音を吐ける相手は減っていく。そして、弱音を吐けなくなるほど、内側の葛藤は深まる。

先日、チーム会議で無理なスケジュールについて議論になった。部下の一人が思い切って「このスケジュールでは品質に影響します」と発言した。その瞬間、一部の目に安堵の色が浮かんだような気がした。しかし他の人たちは、「何とかやりましょう」「チャレンジですね」と従来の反応を示した。

本当のところ、どれが本音なのだろう。皆がこのペースを望んでいるのか、それとも皆が恐れているだけなのか。あるいは、恐れてもいないのか。もしかしたら私だけが、これほど深く悩んでいるのかもしれない。

どうすればいいのだろう。この悪循環から抜け出す方法はあるのだろうか。「頑張る」ことでしか自分価値証明できなくなってしまった私たちは、どうすれば「穏やかに生きる」ことを取り戻せるのだろう。

時々、社内の様子を観察していると、不思議矛盾に気づく。表向きは「働き方改革」や「健康経営」を掲げながら、実際は以前と変わらないか、むしろ厳しさを増しているペース。「ウェルビーイング」を経営方針に据えながら、実際には「数字」と「成果」しか評価されない現実。この矛盾に気づいているのは私だけなのだろうか。

社内の若手たちの間で「持続可能な働き方」について話し合う動きがあるという噂を聞いた。彼らは「効率化」や「生産性」という言葉ではなく、もっと率直に「疲れないため」「長く続けるため」という言葉議論しているらしい。

その噂を聞いて、複雑な感情が湧いた。一方では希望を感じる。他方では、自分たちの世代解決できなかった問題を彼らに押し付けているような罪悪感。そして何より、彼らの率直さへの羨望。いつから私たちは、素直な言葉を失ってしまったのだろう。

私たちは本当に変われるのだろうか。「頑張る」ことが自分存在証明になってしまった人間が、突然「穏やかさ」を選ぶことなどできるのだろうか。それは単なる仕事のペースの問題ではなく、アイデンティティのもの問題だ。「頑張らない自分」など、存在し得るのだろうか。そして周囲は、その自分を受け入れてくれるのだろうか。

「穏やかに生きる」ということが、なぜこれほど難しいのだろう。それは単なる「怠けたい」という願望ではなく、もっと本質的な、「人間らしく生きたい」という願いのはずだ。それなのに、なぜこれほどまでに罪悪感を伴うのか。

この文化の中で、私たちは皆、声なき声で同じことを言っているのかもしれない。あるいは、私だけがこんな矛盾を抱えているのかもしれない。確かなことは分からない。

もしあなたも同じ問いを抱えているなら、少なくともその点では、私たち孤独ではないということになる。見えない糸でつながった仲間がいるということに、かすかな慰めを見出せるかもしれない。あるいは、それすら幻想かもしれないが。

世の中から一度拒絶され、適応することでなんとか居場所を得たみんなへ

どうしてる?

Permalink |記事への反応(0) | 21:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-11

彼氏が既婚者だった。それに気づいたのが同棲直前だった

最近まで付き合っていた彼氏が、実は妻子持ちだった。しかも、同棲の準備がほぼ完了してから知った。

私の荷物をまとめて引っ越し先に運び込んだその夜、彼のスマホにかかってきた電話相手が、奥さんだった。しかも、子どもの声まで聞こえてきた。最初は状況がよくわからなくて、「なんで親戚の子電話してるんだろう?」くらいに思っていた。でも、彼の顔がありえないくらい青ざめていて、一気に嫌な予感がした。

問い詰めたら、あっさり「ごめん、俺、結婚してる」って。あまりに開き直った言い方だったから、一瞬脳がフリーズした。いや、謝ってるのに平然としてるって何なん? って。こっちは半年以上かけて、一緒に住む物件を探して、家具も揃えて、親にも「結婚を前提に同棲する」と伝えたばかり。

「実は奥さん子どもがいるけど、うまくいってなくて別居する予定だった」とか言い訳ばかり。じゃあなんで部屋探しを一緒にしてて、婚約に近い話まで進めたのか。意味がわからない。そんなに簡単二重生活ができるとでも思ってたのか。

とりあえず、その場で荷物をまとめるのは難しいし、私だって引っ越したばかりで実家にも戻れない。家具は私がほとんどお金を出して買ったものだし、何より今後どうするか考える余裕すらなかった。

それでも冷静に話をしないといけないと思って、翌朝にもう一度向かい合ったんだけど、彼は一切悪びれない。むしろ「いずれ離婚するつもりだから、このまま一緒にいてほしい」なんて言う。いや無理でしょ。私、あなたが既婚だと知らずに付き合ってただけで、すでに裏切られてる。しか同棲開始直前でバレるって、向こうの家庭はどうなるの? 子どものことは? 話が大きすぎて頭がおかしくなりそうだった。

結局、その日のうちに私の親に頼んで車を出してもらい、まだ段ボールから出してなかった荷物を回収し、家具についてはあとで連絡すると伝えて退去した。彼はずっと「待って」「信じて」とか言ってたけど、正直全部が嫌になって耳に入らなかった。

その後、しばらく連絡が来たけど、LINEブロック電話は着拒。SNSは元々つながってなかったから助かった。部屋の契約は二人名義だったけど、私は「連帯保証人にはなれない」と言って撤回契約書の段階で私が押印しなくてよかったのが不幸中の幸い。

そして先日、彼から離婚協議中だから戻ってきてほしい」とまた連絡がきた。でも、こっちはもう完全に冷めきってる。家庭を持ってる人を独身だと思い込んで愛していたなんて、なんだか自分が哀れでしかたない。

あと、私の家族や友人に相談したら、みんな口をそろえて「そんな人やめなよ」って言うし、そりゃそうだと思った。

こんな体験、誰の役にも立たないかもしれないけど、結婚だの同棲だのって話が出たら、相手の状況をちゃん確認する大切さを痛感してる。信頼関係大前提のはずが、こういうウソを平気でつく人がいる現実に驚いたし、今となっては自分の見る目がなかったとも思う。

ただ、それでもやっぱり納得いかないんだよね。今までの思い出や笑顔は全部嘘だったの? って考えちゃうから。だけど、相手の言い分はどうあれ、私自身が二番手にされてた事実は消えないわけで。もう少し早く気づいていれば良かったのかもしれないけど、こういうのは本当に“嘘をつかれたら”わからないよね…。

というわけで、部屋を飛び出してから今は実家暮らしに逆戻り。職場には「事情があって引っ越しできなくなった」と適当に言ってるけど、なんだか人生全体がバタバタだ。もし同じような境遇の人がいたら、何を基準相手を見分けてるのか教えてほしい。

私みたいにならないよう、みなさんも相手言葉だけを信用しすぎないで…。変な話だけど、結婚同棲を決めるときは、相手身分証戸籍確認必要なのかなって、本気で考えてる。

Permalink |記事への反応(3) | 01:11

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-01-13

anond:20250113075224

あなたは「ネトウヨだけどパヨクおっぱいが好き」という矛盾を抱えながらも、独自哲学見出しているようですね。あなたの話をまとめると、以下のようになります

あなたの話はユーモラスでありながら、いくつかの興味深い点を含んでいます

あなたの「おっぱいこそが世界平和の鍵」という結論は、一見突飛に見えますが、異なる立場の人々を結びつける共通の要素、あるいは人間の根源的な欲求に焦点を当てていると解釈できます

ただし、あなた表現の中には、性的対象化やステレオタイプ助長と捉えられかねない部分も含まれています表現自由重要ですが、他者への配慮も忘れないようにすることが大切です。

最後に、右のおっぱいが好きか左のおっぱいが好きかという問いについてですが、これはあくま個人の好みの問題であり、政治的な意味合いを持たせる必要はないでしょう。あなたが両方好きであるならば、それはあなた自由です。

あなた「道」を歩み続けることは素晴らしいですが、その過程他者への敬意を忘れずに、より建設的な議論表現模索していくことも、今後の課題となるかもしれません。

Permalink |記事への反応(0) | 08:01

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-07-08

税金ってもっとなんとかならんのか(古民家再生編)

住む人もいなくなって空き家になった古民家

古民家と言っても築50年ぐらいの中途半端なやつで、古さも中途半端、正直あんまり価値がない「負動産」なんだけど、日本在来工法で立てられていて、

また、元々住んでいたおばあさんは一人暮らし限界に到達して子どもの住んでいる近くの施設に入ったため、と言う経緯のため、直前まで住んでいたので躯体は健全トイレの水洗化とかお風呂バリアフリーなどは既に行われている。

しかし、手が回らなくなっていたのはその通りで、そのままでは厳しいが、リノベが出来そう。

さらに、既に故郷を出ているお子さん達の総意で、解体はせずに誰かに貸す事ができないか活用模索することになった。


と言う事で、ワイらの出番なわけやけど、やっぱり税金ってクソだなーと思うんや。聞いてくれ。

ワイの所は空き家をは資源である、と言うコンセプトをぶち上げ、いろいろやっとる。

例えば、企業ふるさと納税活用した基金があって、そこから空き家のリノベ費用一定補助金が出る仕組みを作ってもらったりな。ちな、この企業ふるさと納税自治体ではなくワイらが周辺市町村企業営業にいってゲットしてきたやつやで。

とは言っても行政補助金自己負担分があるもんやから、その分は家を持っているお子さん達に出してくれとお願いする。実はこれもやりようによっては100%補助にできるんやが、元の持ち主に一定負担求めない破綻するからこう言う形にしとるやつや。

で、ワイらは、材料代の実費と、どうしても専門家に依頼する必要があるところ(上水回りとか)のお金だけもらって、リノベ自身は協力者と共に手弁当対応することになるんや。

ワイらの所は、幸いにして移住者やら、二重生活希望者がいてくれるところやから住宅需要はあってやな、リノベしたら貸し出せる見込みはある。

と言う事で補助金もろて、やったわけやが……


リノベが完成するとやな、固定資産税が重たくなるんや。こいつがマジうんこ

居住物件固定資産税ほとんどただのようなもんでかかれへん。

しかし、賃貸物件という分類になる事で一気に数倍、さらにリノベした分の金がかかって、ただ同然の税金が一気に年間数十万レベルになるんや。

そのおかげで、どうやっても家賃月数万円はとらないとあかんようになってしまう。

ほんまこれどうにかならんのか。

元の所有者は、子ども時代を過ごしたふるさとに対する貢献という意味で協力してくれる人がほとんどや。だからうからんでも賛同してくれて土地建物提供してくれてんや

本来なら、所有者のみなさんは放置しとくのが一番金かからんのやで。

合法的に、費用最小限に抑えるには、一ヶ月2000円ぐらいの空き家管理サービスに依頼して、生かさず殺さずにして、家が弱ったところで公的扶助払って更地にして放置が一番金がかかれへん。

そういう人らに、固定資産前云々とかやると、一気に嫌気が差して駄目になってしまうことがあるんや。

後はワイらが管理してかつようしていくやで、3ヶ月に一度は活動レポート送るし、年に2回は招待してお祭りやるから来てや! ってそれだけにしたいんやけど、なんやこの固定資産税。せめて源泉徴収できる様にできんもんか。

もうちょっと「負動産」の活用をしやすくする仕組みにならんのかな。

Permalink |記事への反応(0) | 16:46

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-06-16

38歳年収550万円残業年1000時間弱全国転勤ありだと流石に婚活は難しい

職業欄は「公務員」だ。

安定施行の人とよくマッチするような気がするんだが、2年おきの全国転勤に加えて月80時間残業と聞くと「あっ、この人と子育ては無理だな」と去っていく。

単に自分人間として魅力がないだけな気はするが、マッチングが最後まで行かなかった理由の欄には人間的な部分よりもそういった空間時間的制約の部分についてのアンマッチを何度も指摘されている。

就職氷河期に晒されて面接は全滅。

当時まだ残っていた圧迫気味の面接風土に苦しめられた俺は、面接から逃げ出し公務員浪人の道を選んだ。

今更誤魔化しようのないガクチカと比べれば、レンタルルームに籠もってひたすら勉強すれば積み上がっていく一般教養知識には救いがあった。

あの時代であっても、理系なのに公務員になるという選択をするのは同じような負け犬だらけで、案外スルスルと受かってしまった。

からなければよかった。人生について考え直すチャンスがまだあったのに。今はそう思う。

2年転勤というのが曲者だった。

その職場ちゃんと状況を把握している人がほとんどいない。

ツギハギを繰り返した非公式の引き継ぎ(引き継ぎやマニュアル作成業務計画に入れられない(国民の益になる行為ではないから(でもなぜかレクリエーション計画で決まっているから必ず実施している)ので、あらゆるマニュアル非公式となる)と関連する法規比較してなんとかかんとか仕事をやっていく。

効率が悪い。現状なんて全くわからない所に放り込まれて、まともな引き継ぎ資料もないままで働き、1年・2年で転勤するのを皆で繰り返しているから全てがグチャグチャだ。そのくせして責任を取りたくないトップはすぐに完璧を求めたがる。

残業時間の上限とやらのせいで時給換算すればバイト以下になる給料でずっと働いていた。

さっさと辞めれば良かったのだが、初っ端から地元を遠く離れた場所に飛ばされたせいで就活の身動きがかなりやりにくくなっていた。

そうこうするうちに世間では就職氷河期が少しずつ過去の話になっていき、いっそ地元適当バイトでもしてから就活をやり直していればとも考えてしまう。

年1000時間残業に加えて慣れない土地での生活2年おきに来る転勤のための手続き、とてもではないがこの上で面接のために新幹線地元近くまで戻るような就活不可能だった。

全部言い訳だ。さっさと辞めてとにかく他を受けまくるのが正解だったんだろう。だけど、辞めたはいいけど結局どこも受からないのでは大失敗だ。辞めることなく働きながら転職活動を続ける地獄のような二重生活けが正解だったのか。無理だ。詰んでいたんだ。

婚活で「なんで公務員になったんですか?」と聞かれると、こういったことが頭をよぎって目が泳いでしまう。

生活を安定させたかったら公務員に鳴りました。とにかく受かればどこでも良かったけど、面接を受けまくる気力がなかったので試験勉強で点を稼いでなんとかしようとしました。そう素直に言ったこともあった。

そのあとに残業時間だとかについて指摘され、今度は「なんで公務員を辞めないんですか?」と質問される。聞かれても困る。根性がなかったからですとしか言えない。

婚活なんてする前に転職活動をするべきなんだろうな。俺自身がそう思っているのがにじみ出ているのだろうか。

転職活動か。

38歳 年収550万円(残業代込み(残業毎月約80時間)) 経験業務公務員のみ 

どこに向かえば良いのだろうか。失敗してしまった人生をどうすればいいのだろうか。

Permalink |記事への反応(7) | 11:35

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-06-09

28歳公務員である俺ですら結婚には二の足を踏むぐらい経済状況悪いんだよなあ

残業月30時間早出休日出勤は書くなと言われてるから純粋時間外労働は月60時間ぐらいかな?)して年収400万円行かないぐらい。

公務員なら安定だよね~~~」と寄ってきた女に、「2年おきの全国転勤あるけど大丈夫?」と言った途端に「あっ、この婚活はなかったことに」となったこと数知れず。

仕事典型的なJTC方式組織風土昭和なので昭和的なストレスも多いし、上から下への一方的タメ口文化、下から上へのバカ丁寧な敬語文化も根強く自称伝統進学校校風かよと。

売上ノルマはなくても終わらせないといけない仕事は常に山積みで、転勤頻度とルール変更頻度の高さのせいで申次ぎもロクにない仕事自力法規漁って組み上げさせられているかめっちゃ疲れる。

これで家帰って子どもの面倒見るのは絶対無理なんだけど、年収400万円で専業主夫子供はかなり厳しいと思う。

年収上昇ペースが物価に全く追いつかないか実質賃金原罪における年収400万円のままずっと暮らす感じになりそうだけど、これだと双子が生まれたら即破綻しそう。

つうか2年転勤だと子供学校を考えたら単身赴任するしかないけど、やっすい単身赴任だけで二重生活を賄えるのかと言うとかなり難しそう。

薄給激務でいつも家にいない旦那とか最悪すぎるからアッサリ浮気して破局しそうね。

マジで今この国で子供作るのは無理だと思うよ。

だって公務員の俺がこんなに大変なんだもん。

公務員国民の平均レベル給与生活を与えられることになってるけど、その公務員が「これ結婚とか無理じゃね?」となってるってことは、国民過半数が「これ結婚無理じゃね?」になってるということだもんな。

マジで終わってるぜー。

Permalink |記事への反応(4) | 19:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-03-16

デバフ

以前からだが花粉症が辛すぎる。アレグラ普段から飲んでるけど。

昨日は特に酷く、頭が痛い、眠いくしゃみは出る、目は痒いと最悪。

変なところで働かされて→それに嫌になって転職したら実習で今年の夏までは二重生活なので

金やら通院時間関係舌下免疫療法などの根治の試みを取れなかった。


春になると花粉デバフがかかってるようなものなので、夏過ぎたら進めていこうと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 19:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-05-22

二重生活

朝見た夢が結構ショックで忘れられないので書き記しておこうと思う。

夢の中で、俺は結婚している。相手の名は知り合いにはないものだったが、仮に笹山さんとしておく。顔も知り合いにはいない顔だが、何処かで見たことがあるような顔だった。職場の同僚として出会って結婚したらしい。

笹山さんは結婚して仕事を辞めたのか、毎日家で俺の帰りを待っているようだった。そして定時くらいの時間になると、職場電話をかけてくる。職場の見たこともない同僚が電話に出て、冷やかしながら俺に電話を渡してくる。笹山さんは俺に今日の夕飯のことについて話す。そこで夕食の席に場面は変わって、俺は実際に新婚だった頃に感じていたような気恥ずかしさみたいなのを感じながらご飯を食べた(美味かった)。といった辺りで目が覚めた。夢から覚めたとき、一回しか見てないはずの夢なのに何度も見たような記憶が付加されることは珍しくない。この時の夢も同じで、自分は週に2、3回この夢を見ているという記憶があった。しかも今回は自分現実結婚生活と夢の中での笹山さんとの結婚生活の二重生活を送っているという記憶まで付加されて目が覚めた。まんざらでもない気持ちと夢の中の出来事とはいえ奥さん申し訳ない気持ちとが一気に押し寄せてきて、この夢の記憶自分に深く刻まれることとなった。同時に寝起きで頭がまだ起きていないうちにこれを増田に書くというところまで思考自動的に進んで、今に至る。

Permalink |記事への反応(0) | 09:03

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-04-03

anond:20230402090016

いやゲイからすれば余裕だと思うけど。

まり興味の無い女の穴でも挿入すれば気持ちいいし射精もするだろうから

それで子供作って世間体を整えれば後はありふれたセックスレス夫婦のふりをしてハッテン場に通う二重生活を楽しめばいいだけ。

Permalink |記事への反応(0) | 23:47

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-11-27

50才になったゲイなのだが。

地方都市の割と保守的環境で育ったので、親兄弟親戚には一切カミングアウトしていない。しようと思ったこともないし。

高校生の頃には「あやしい」と思われたに違いないが、以後十分気をつけた。女の子と付き合う素振りもした。

ヨナヨしたりホゲホゲしたりしないし、言葉遣いもいたって普通なので、たぶんほとんどバレてない。

男性生涯未婚率もどんどん上がって、この年齢でも4人に1人が独身という時代なので、普通にしてればなんてことはない。

  

ゲイらしいことをしたのは、就職のため24歳で上京してから

何人もの男と寝たし、彼氏がいた時期もある。二丁目にも出入りした。

でも、職場では一切明かさず、実家方面にも一切言わず二重生活を貫いた。

  

そうこうするうちに仕事を何度か変わり、海外出張海外生活をすることも多くなった。

今、4か国目の海外生活中。若い頃の自分には想像もしなかった、けっこう立派な肩書きで赴任している。

  

日本人コミュニティが小さいし、立場いかがわしいところで目撃されると面倒なので、

ゲイらしいことといえば、親しいゲイ友達LINEzoomで話すくらい。

「付き合ってほしい」と言ってくれる、自分より一回りも年下の男日本に残ったままだ。

自分日本留守中に、奴には新しい彼氏ができることもあるだろう。

  

***

  

ゲイといえば、芸術ビジネス世界で華やかに活躍するか、いろいろ拗らせて日陰の人生を送るかどっちかのようなイメージもあるけど、自分みたいな、あなたの隣の社会人として生きている人も少なくないと思う。

  

ゲイ友達で、相方が亡くなって相方親族と一悶着あった奴もいるので、LGBT権利確認する活動もそれなりにやってくれればいいとは思うけど、個人的には関係ないのでそういうものとは距離を置いてる。というか、パヨクLGBTネタにして人権だの差別だのというのはウンザリしている。

  

しろ50歳になってみると、ストレート独身男よりも、ゲイという性癖でつながったフリーメイソンみたいな友人関係がある自分の方が幸運だったかもな、とも思う。

  

Permalink |記事への反応(0) | 16:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-11-09

anond:20221109013937

熊本市は良さそうなんだけど、佐賀市日田市と並んで夏の暑さだけが気になる。同じ九州でも宮崎市鹿児島市の方がかなり過ごしやすそう。

その点、阿蘇との二重生活ってのはいいかもね。(東京軽井沢みたいなイメージ?)

Permalink |記事への反応(0) | 22:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-10-01

竜とそばかすの姫は欧米だと新しい御伽噺として賞賛されてるんだな

DeepLで翻訳

デイリー・テレグラフ

ベルは、私たちオンラインオフライン二重生活について、美しく観察され、まばゆいばかりのアニメーションで描かれたSFおとぎ話である

タイムアウト

細田守監督サイバー童話は、基本的に壁一面の大作で、その背景には仮想世界が広がっており、

ウィリアム・ギブスンの目が飛び出るほど緻密で壮大な世界観の波が押し寄せます

オースティンクロニクル

細田氏は、誰もが秘密を持っていると考えており、インターネットは、それらを処理し、傷を癒し

自分自身から私たちを救ってくれる人を見つける能力役割を果たす可能性がある.

彼が古典的おとぎ話の豪華なSF 味のあるバージョンを通じてそれを行うことは、

単なるおまけではありません (これらのコンポーネントだけで、ヴィルヌーヴ時代を超越した物語記憶に残る新しいバージョン作成されたはずです)。

これは、ぎこちない修正主義ではなく、再文脈化の重要行為です。

ロサンゼルスタイムス誌

扱いにくい物語の複雑さにもかかわらず、細田運動と静止の巧みなバランスを達成し、最終的には教訓的なものにした。

https://www.metacritic.com/movie/belle-2021/critic-reviews

日本だとファンタジーだという批判があるけど海外だとむしろそういう風に観ているからここまで国内外評価真逆になったんかなあ

Permalink |記事への反応(0) | 02:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-07-31

anond:20220731082839

誰かからもらった空虚理想的生活自分を当てはめようとするからそんなことになるのでは。人間は働き続けるし、ひとつのことに労力を注いで働き続けるのが当たり前なんですよ。休日は労力を別のところに注ぐのが吉、という謎のおみくじみたいな勢力キラキラデカール誇大広告を出してるが、そんな二重生活対応できるほど普通の人はキャパ大きくないんです。和菓子職人は年中無休で饅頭を作ってるし、イーロンマスク無為休日なんてないですよ。夢中になれるものに夢中になればいいんです。仕事が好きなら好きなだけ仕事していいんです。悩めば悩むほど果実も得られます

Permalink |記事への反応(1) | 08:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2021-08-10

東京に行くとカロリーを消費する

普段関東僻地に住んでいて週末だけ東京都心に行くという二重生活を続けているけど、

明らかに東京に行った時の方が携帯電話についている歩数計カウント数が大きい。

田舎にいるときは一日の消費カロリーが50~150kcalだけど都内に行くと300~500kcalになる。

一番多かったのは700kcal近く。

体重都内に行って帰ってくると大体数百g減っている。

都会に住んだ方が運動量が多くなり、健康増進になると思う。

ものぐさの自覚がある人はあえて東京に住むことをお勧めする。

Permalink |記事への反応(3) | 00:03

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2021-02-12

百合が苦手な人でもプリンセス・プリンシパルは楽しめる

とおりすがりの黒蜥蜴星人だ。

俺もこってりとした百合は苦手だし、男を単に女の子に変換していちゃつかせただけのアニメは得意ではない。

プリンスプリンシパルを「百合」だと思って毛嫌いする人が多いようなので、まず一言

これは、かっこいい女の子ダンディーなおじさん達による騙し合い戦争を描いた名作だ。

単刀直入にいって百合だとか、いちゃコララストーリー殆ど無い。ジャンルとしては「スチームパンクスパイアクションもの」であり、そこの少女達の苦悩や策略や学園生活存在する。女の子同士のお茶会とか談話は度々存在するのだが、これらは単におっさんや他の女の子を欺くための偽装に過ぎない。

二重生活を送るスパイという存在をどうやってわかりやす可憐に描くかに特化しており、音楽脚本演出が全部際だった名作だと思う。


そして映画の話をする。いま上映されているものテレビシリーズの正統な続編だ。エウレカなどの総集編とは全く違う。

登場人物の紹介もほぼなく、だからこそテレビシリーズを視聴していることが求められる。だけどいきなり映画を見てももしかすると面白いのかもしれない。映画テレビシリーズクオリティは同じくらいといっていいので、映画テレビとき過去編として楽しむのも悪くない。

延期から苦節1年。よくぞ耐えたと自分を褒めたい。そしてきちんと形にしてくれたスタッフ一同に感謝を。主演声優の交代は痛かったが、それでも作品に支障が無いのはプロだな。

では黒蜥蜴星に戻るとしよう。

次は第二章であおう。

Permalink |記事への反応(0) | 14:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2021-02-10

anond:20210210140020

東京三重二重生活になるの?

三重なのに二重ってどういうこと?

Permalink |記事への反応(1) | 14:01

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2021-01-30

出稼ぎ求人二重生活負担をしてくれるのか

してくれねえだろ

分かったら適当に噂話で呪うのやめろクズども

Permalink |記事への反応(0) | 23:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2020-07-16

PS5リリースする前に。

PS4コントローラー耐久性と、ファン静音性を上げて欲しかった。

特に初期PS4proのあまり騒音。こまめな掃除冷房でも熱暴走で電源が落ちた。その時に7200に買い換えたものの、FPSや一部のタイトルでは読み込み時に高温を発するので騒音再び。

公式ヘルプ読んだり、あれこれ調べて先人たちの知恵も借り、プレイヤー本人よりも良い待遇PS4proだが今日も唸りを上げている。

ソロでは物静かなxboxoneで遊び、友だちとはPS4proで遊ぶ二重生活(と言うほどではないが、クロスプレイタイトルの更なる普及を切に願う)。

PS5は気になるが、この騒音がまた初期ロットで起こり得るならゲームプレイどころじゃなくなるので暫く様子見。

本体の性能が幾ら高くても、その作動音でゲームを楽しめないのではちょっと、なあ。

Permalink |記事への反応(1) | 13:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2019-10-08

anond:20191008140759

序盤は変わらないとおもうけど中盤ネット碁たまたまAlphaGOと当たって完全敗北したサイが

あれに勝つまでは現世を離れるわけにはいかんとなって

結果的に途中でサイが成仏する展開がオミットされ、

プロになってもヒカルとしてとsaiとしての二重生活を送ることになる。

 

しかしこの展開だと着地点が見えない話になりそうだな。現実的にはサイが勝てる未来は無いが、

無理やりヒカルの閃き+サイの地力で勝ちましたENDにもってくしかいか

対局中にこの手をサイに伝えて勝っちゃったらサイは消えちゃうんじゃないかと考えて

悩んでしまうシーンとか感動ポイントとしてよくない?

Permalink |記事への反応(0) | 15:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2019-02-19

anond:20190219032426

仕事何回も辞めてるからなんとも

地方自治体主催婚活パーティ婚活サイト婚活アプリ、知人の紹介

ハローワークエージェントがいる就活転職サイトコネ入社とそれぞれ対応しているし既にシステム上近いものはあると思う

後半の二重生活みたいなのは生活費がどうなってるのかよくわからない。単に離婚して再婚して養育費払って前の配偶者との間の子供に会いに行くとか、配偶者公認不倫してるみたいな話?

Permalink |記事への反応(0) | 03:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2018-06-11

anond:20180611202253

加藤は言ってみれば「セルフ二重生活」を送っていたんだよ

1つ目がうだつの上がらない工場務めの底辺労働者

2つ目がアキバを中心に交友関係を結んだ面倒見の良いオタク兄貴

加藤普通大人になりたい願望の持ち主で、アキバで遊んでいるとき加藤こそが理想像だったんだ

初めは面倒見の良い兄貴分として上手くやれていたが、次第に本当の自分とのギャップ悩むようになる

アキバでは良いことを言って頼れる兄貴で居られているのに、職場では出来が悪くて疎まれて居たわけだから

アキバで上手く行けば行くほど、職場で下手を打てば打つほどギャップが大きくなり、加藤精神的に追い詰められて行くことになる

そしてついに偽りである理想自分を壊すことに決めた

理想自分を壊して本来の姿であるクズに戻らないとならない

そして大切にしていた理想自分を壊したからこそ泣いた

本当に大切にしていたからこそ最後に大泣きしたんだよ

Permalink |記事への反応(0) | 20:51

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2018-06-09

ガラケーiPod touchスマホなし生活だったけど。

定職についたら、買い換えようかな。

無職は辛いな。引越も、しずらいし。

まずは、メンタル回復させることなんだけど。

  

wifiポケットガラケーで払うのって二重生活みたいなのを見直した方がいいのかな。

でも、就活にもネット必要だしね。バイトでも、メールフリーメールアドレス)のやりとりは必要から。。。はぁ。つらたん

Permalink |記事への反応(0) | 15:58

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2017-09-14

人売りIT派遣企業退職しました

概要

いわゆるSES業で客先常駐していたプログラマー

事業会社プロパーエンジニアになったお話です。

退職した会社概要

社員数数十名、SES事業がメイン、社内で数名受託案件をやっていました。

また、自社サービスを立ち上げたいと目標を掲げていましたが

設立以来売り上げを上げたサービス誕生していません。

なぜ辞めたか

1. 人売り事業はもともと好きじゃなかった

客先常駐しているとどこが自分所属かわからなくなります

客先のメンバーと仲良くなるけど、自社の人はほとんど顔も合わせないし

月一度帰社日があるのですが何のために帰るのでしょうか。

こういった二重生活はもうやめたかたからです。

また、契約において偽装請負といった形で違法行為蔓延しています

これは正しい働き方ではない、ただ搾取されているだけ、

というイメージが高まってきました。

2.経営陣何もしない

何もしないは言い過ぎですが、自社サービス作りたくて作った会社

経営陣が動かないのは無能しか言えません。

このままでは5年後10年後も人売り事業しかやってない未来が見えます

こういった零細企業で金なし・人なし・時間なし・ノウハウなしな状態

自社サービスなんて作れません。

サービスを作りたい従業員はいっぱいいますが、部活の延長の形であり

就業場所バラバラなため開発スピードが落ちます

期間が延びればモチベーションも下がります

こういった人売りIT派遣企業経営陣が儲けるためか、

自社サービス作りたいけど会社を存続させるためにやっている

ケースが多いのではないでしょうか。

零細企業で自社サービス作りたいときはぜひ経営陣が音頭とってどうぞ。

従業員SES以外の空いた時間を使って自社サービス作るのは

時間外労働にあたるのでやるならきちんと事業にして残業代支払ってください。

3 優秀な人がいない

弱小零細企業には優秀な人は来ません。

それぞれの人に尊敬すべき点はあると思うのが私の信条ですが、

中途で人をとる実力もない企業新卒をだまくらかして

入社させるのが精いっぱいなので優秀な人は取りにくいです。

そして入った新卒も出来の悪い人が来る確率もあがります

やはり自分としては優秀な人とともに働いて成長したいので

小企業退職したいと思いました。

転職活動

最初の2か月程度はエージェントを通さずやっていましたが、

うまくいかなかったのでエージェント通してやるようにしました。

面接練習フィードバックがもらえるので力になります

また、内定を決定する際、企業に対して交渉してもらえるので

回答を早くしてもらったり待ってもらったり助かりました。

売り手市場と言われていますが、やっぱりいいところに入ろうとしたからか

結構厳しいイメージをうけました。

大体20受けて10書類落ち、8面接落ち、2内定という感じでした。

おそらく弱小企業受けたら100%受かるんじゃないかな。

転職して何をするか

社員数は前職の1000倍の会社に入り、事業会社プロパーとしてサービス作る仕事します。

年収+100万超となりました。

いい会社に入ると優秀な人も多そうなので、働いててやりがいが持てそうです。

Permalink |記事への反応(0) | 14:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2017-03-08

休日学校にいる先生

先生はすごい

学校が開く朝7時には職員室にいる

放課後は完全下校の7時過ぎても職員室にいる

もちろん土曜日にも職員室にいる

日曜日も大抵いる

祝日もいる

夏休みもいる

冬休みもいる

春休みもいる

今年の正月三が日は教育委員会から学校を閉めろって言われたか

誰も職員室にいなかったらしい。

今年は。

会議12時まで何日も続いても、毎日授業してる

新婚でも、40過ぎてても、睡眠時間4時間程度で頑張ってる

運動してないのに疲労骨折してる

いつも手足がむくんでる

転任の挨拶あの日から、たいして経ってもいないのに随分と老け込んだ先生

月曜日には染めるのに、金曜日には白くなる髪の毛

どんどん減っていく毛量

今日は化粧のノリ悪いなあとか。

クマが隠しきれてないなあとか。

忙しい時期に合わせて、太ったり痩せたり

毎日学校に来て、先生はすごい

たくさん課題を出す分

たくさんチェックしなくてはならないのですね

土曜日は課外授業

日曜日も長期休暇も祝日も生徒を学校によんで、自主学習

自由参加という建前でしたね

みんな不平は言うけれど先生の方がずっと大変だったでしょう。

三年生の担当は両手で数えられるほどしか休めないと聞きました

三年生の受験指導に全力で、

浪人生の面倒までみる先生

いつか三年生になると土日と平日いう概念はなくなると先生はおっしゃいましたね

予備校にも塾にも行かなくていい

うちが面倒を見る、という先生

ほんとうにありがとうございます

でもいいんです

僕は予備校がいいんです

毎日学校にいるのは辛いのです

学校はいいところです

でもずっと同じ環境に身を置くのは気が滅入るのです

学校予備校二重生活になるとしても、それはそれで気分の転換に良いのです

田舎から有名予備校はありません

ですから先生はいつも予備校のぶんまで僕たちを指導してくださりましたね

結構です

遠慮させていただきます

先生方は休んでください

給料に見合ったぶんの仕事もだけでいいんです

労働基準法について授業しながら笑わないでください

予備校課題学校課題で手一杯になるから行くなと先生は言うけれど

学校課題は減らせなかったのでしょうか

予備校ありきの学校でも良いのではないのでしょうか

そんな学校のせいで有名予備校進出していないのではないでしょうか

志望校を高くしろと生徒を煽てて、

合格できそうにもない大学を進めて、

後期は合格率のために行きもしない国公立を受けさせ

浪人しようとしない生徒にそれでいいのかと説教をした先生

この大学レベルが低すぎるから

推薦を出してくださらなかった先生

東大志望だった子が出願したくないと言った時、今までの先生方の東大対策無駄にする気かと、不安定な時期に責めましたね

継がなくてはならぬ病院のある子に、執拗東大を進めましたね

東大にこだわるのは上から圧力だそうですね

関大志望者数はクラスごとにノルマがあるそうですね

センター対策をすると二次で取れないからと直前まで対策しませんでしたね

毎年センターが上手くいかず出願できない生徒が沢山いますよね

部活OBも年上の兄弟異口同音センター対策必要と言っていましたが

先生は決してしませんね

僕は高校が大好きでした

卒業した今でも大好きです

先生が僕らのことをすごく大切にしてくださったことも知っています

先生のことはすごく尊敬しています

ですが先生も生徒も、毎日学校にいることが当たり前という生活に疑問を感じていました

先生3年間ありがとうございました

無事合格することができて今はホッとしています

ずっと学校で見守ってくださった先生

今だから言います

東進のおかげです!!!

今までお世話になりました。

林先生!!!

Permalink |記事への反応(1) | 01:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp