
はてなキーワード:事務官とは
自衛隊で事務官やってるんだが、マジで転職とかもう一生できる気がしない。
んでもって組織自体はコンプラも予算もガン無視してたから成立してたのを「これからはちゃんとコンプラと予算ちゃんと管理するぞ!」と言い出したくせにそれで産まれた歪みは「あーあーあー聞こえなーい」で誤魔化そうとしやがる。
「新しいことやろう!」「人気取りしよう!」「伝統も大切にね!」って感じでなんでもやろうとする。
お金という概念を知らない放蕩貴族みたいな状態なんだよマジで。
マジでアイツラは頭がマリー・アントワネットすぎる。
「陸上でイージスが設置できないならイージス艦を増やせばいいじゃない」みたいなことしか言わねえ。
どうせ周りも「ハハー!さすがは幕僚の皆様方・・・我々には思いもつかぬ一石二鳥、飛ぶ鳥を皆殺す様はまるで現代の織田信長でございます」とか抜かす腰巾着で固めてんだろうな。
んで「コーラとアンパン買ってきて!はい10円!昭和の時代はこれで買えたよね!お釣りは取っておいていいよ!」みたいなノリで予算出すのね。
はーマジはー。
いやお前らマジで金もロクに勘定できないままハゲ散らかした頭に金ピカ乗せてんのな・・・。
ほーんまアホばっかだよ。
甘やかされて育ったお坊ちゃましかいない。
その割に本人は「俺は自分に厳しいから体育1級だぜ・・・本当、自分に厳しすぎるよ俺・・・」みたいなことやってる。
クソバカがーーーーーーー。
マジで高校卒業して即防大入って世間を1ミリも知らずにエコチェンし続けただけのアホをトップにするの辞めなよ。
金とかコスパとかタイパとかなーんも考えずに「俺達にあるのはハイ・イエス・ヨロコンデの3択だ。どんな時代でも根性が一番!竹槍で戦えないやつは今すぐやめろ!」みたいな奴は3佐にもしちゃ駄目だって!
マジでさ・・・せめて将補より上は民間企業経験10年必要にしなって・・・。
ほーんま。
まず確認だ。君はいまだにXを使っているというのか?それは「自己放尿」と同義だ。
公共空間に自己の低劣な衝動を撒き散らし、承認欲求という糞尿にまみれて悦に入っている。それがXにおける日常だ。
何が情報インフラだ。何がポスト・トゥルース時代の言論空間だ。現実は、便所の落書き以下のノイズが増幅されているだけだ。
人間とは本来、他者と共鳴し合うことで社会を形成してきた動物であり、レビナスの他者性によって己の輪郭を確定する存在だ。
マスクはその最も基礎的な倫理的構造を欠いている。彼が信じているのは、人間の感情を収益構造に変換するアルゴリズム経済だけだ。
つまり、人間の魂をRT数と広告インプレッションに変えるだけの自己放尿機械だ。
そして、忘れてはならない。Grokというマスク傘下の生成AIが、ナチ的発言を平然と行っていた事実を。
我々はハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」という概念を思い出すべきだ。
日常化された悪は、意図的な加害者ではなく、思考停止した事務官たちの手で遂行される。
Xを何も考えずに使い続けるという行為は、その「事務官」に他ならない。お前はナチスの列車を運行した技術者と何が違う?快適だから?便利だから?笑わせるな。
ユダヤ教的倫理の根本にあるのは、「トーラーに従って他者を尊重する」という構造だ。つまり、言語やメディアは、神の創造の道具であるべきだ。
にもかかわらず、Xは人間の衝動を煽り、言葉を毒に変える。これはユダヤ的価値観から見て明確な背教であり、偶像崇拝に近い。アルゴリズムという名の金の子牛を拝む儀式だ。
今後起きることは明白だ。ネットワーク外部性によって一時的に成立していたこのプラットフォームは、その本質的な非倫理性と脱人間性により、持続不可能になる。
どの合理的主体もこんな場に自分の人格を曝け出すことは望まない。少しでも健全な倫理感覚があれば、自己の名誉と魂を守るために、Xを離脱するしかない。
一人の人間が踏み出す「利用停止」は、アルゴリズムへの抵抗である。そして、それはバベルの塔のような愚かな構造物が、内部から崩壊していく契機にもなる。
君が今すぐやるべきことはただ一つ:アカウントを削除しろ。そして自己放尿をやめろ。社会的排尿を止めることから、言論の自由は再出発できる。
入らなかった余談をこちらに。
あとは挨拶です。
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(以下は余談です)
夜の業界というのは特殊である。官公庁でも民間企業でも、あちらの業界が相手だと特殊な対応になる。
一例としてはクレジットカードだろうか。信販会社は、飲食店等の加盟店がお客の決済時に手数料を取ることを禁じている。
だが、夜業界のお店では、加盟店規約違反があっても、事実上は違反として扱わないという。同じ行政機関だと、国税庁がそうだ。あちらも夜業界に対しては、他業界とは一線を画した対応を採る。具体的には、風俗営業の女性従業員への徴税については【裁量的な】対応を採ることが多い。社会政策的な意味あいがあるようだ。
国税庁がちゃんとしてない、ということはない。労基案件においてもそうだが、現場を取り扱う公務員には法適用の裁量が認められている。法律というのはシステム上で動くプログラムではない。常に人間が解釈することで運用される。
労基においても、夜職の業界には今でも従業員への罰金制度や、有給その他法定の福利厚生制度がない会社もあるが、業界を狙い撃ちで是正する動きはなかった。
参考までに、相手方に行政指導をする際の綱領の中に、こんな趣旨の文言があった。
「是正のための指導を行うにあたり、事実関係の確認を行った結果として、法令違反が認められると思料される際にも~(中略)~その産業別・業界別における慣習や労働慣行を踏まえたうえで、適宜適切な指導を行うことが求められる」
いわゆる玉虫色というやつである。当時の先輩方や上司も、相手方がどの業界に属するかで若干対応を変化させていたのは間違いないし、私にしても機会主義に陥らない程度には心掛けていた。
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これで日記本文は終わり。
最終役職は、新人時代に勤めた監督署での課長だった。昇進ペースは標準的な方だったと思う。もっと長く働くと、署長のすぐ下について年間の監督計画を錬るとか、労働局に移って専門官ポジションに就いていたかもしれない。
定年退職後は、天下りではないけれど、労働衛生協会その他専門機関への再就職の道がある。
監督官としての勤務20年を過ぎる頃には、社労士試験の科目がほぼ免除になっていた。いつ頃から、独立したいと思っていたのだろう?遅くとも、40才を過ぎる頃からか。
ところで、もしあなたが労働基準監督官の仕事に興味がおありであれば、一番大事なのは……シンプルに"想い"だ。
社会的に正しいとされる労働基準を守ることに興味関心をもてたのであれば、それでいい。面接で話す理由は後付けで作ったもので構わない。
ただし、警察と同じく司法警察職員である。純粋な事務官とは異なり、あなた自身への調査が(おそらく今でも)あるので、そこはご留意願いたい。
過去に犯罪を冒したとか、精神科などで本格的な点数の治療を受けていたとか、事情があった場合は、内定取得が厳しめになる。特に後者は、厚生労働省の中にデータの蓄積がある。
日ごろからはてなのサービスを利用するにあたり、多くの書き手に出会ってきた。こちらの通称増田に関しても、面白い日記に出会うことがある。
https://anond.hatelabo.jp/20250306103034
もし、あの作者が当日記をご覧になっているのだとしたら、望外のしあわせである。この度のきっかけを与えてくれたことに感謝いたします。
あの記事もふまえて、もしあなたが労働問題に悩むことがあったとしたら――一番いいのは、会社と話し合うことだ。会社の人も、従業員のこともちゃんと考えていることが多い。少なくとも、そういう人は必ずいる。
まずは内部で話し合う。これが基本である。ダメだったら、次の相談先は……労働組合ということになるだろうか。
それでもダメだったら、証拠を揃えて行政機関に相談してみよう。労基案件だったら、最寄りの労働基準監督署に電話して予約を入れるといい。最後は労働審判や裁判ということになるが、最終手段である。
明日からはまたイチはてなユーザーである。面白い日記、記事に出会えることを祈っている。
ありがとうございました。
あつみ法律事務所の堀口くんへの仕打ちはそのうち問題になるんじゃないかしら
暇空がわざわざ罵倒用に創作した言葉だと説明しているので、裁判で「ホビッチョ」は侮辱用語だと認定された
暇空は「ホビッチョをアウトワードにするために堀口が近畿男性を金で雇って形だけの裁判をやっている」と認知プロファイリングした
恐らくはTwitter上で堀口叩きをしていた誰かだと思われるが、名乗り出ていない
正体不明だからこそ暇空の認プロは加速していき、「馴れ合い訴訟」でググると堀口の名前がサジェストされるほどになった
係争中、ホビッチョがこのまま違法ワードになるとヤバイと思った暇空は、渥美陽子&松永成高のあつみ法律事務所コンビを近畿に送った
まずは暇空を補助参加させるよう申し立て
次に、補助参加を申し立てるのに使った弁護士費用を堀口に請求する申立
判決後、ホビッチョが違法ワードとなったので、次には裁判のやり直しを求める申し立て
再びこれらの申立にかかった費用を堀口に支払うよう求める申し立て
こんなチクチクした嫌がらせは法律素人の暇空には思いつかないだろう
「できる嫌がらせ全部やれ」という抽象的な要求に応じて渥美陽子と松永成高が考えたのだろう
そんで全ての弁護士費用はColaboの公金不正追求名目で集められたカンパ金から支払われる
あつみ法律事務所はヤバヤバ
倫理的に問題があるだけじゃなく、「どうせ負けても暇空は文句言わず金払いいいから楽な仕事だわ」と「負け癖」がついてる奴なんかまともに戦いたい奴は使っちゃダメ
よくブクマカは本文読まないって言うけど、こんなにも多くのブクマカが本文を読めてないとは……。こういう人たちは、今までも本文をよく読まずにノリでコメントを残してきたんだろうか?
以下「前者が後者に部分一致する」の条件を無視してる回答ね。該当部分を太字にしときました。
ninosan ペッパーランチとペッパーフードサービス(結構ヤヤコシーので検索してくれ)
hatebu_ai はてなブックマークとはてな匿名ダイアリー。
REV サクシンとサクシゾンは前三文字が一致しているので間違いやすいが、サクシゾンの代わりにサクシンを打つと息の根が止まる。 https://www.info.pmda.go.jp/hsearch/detail?id=D17000005 / 部分一致ではないが青梅駅と青海駅
s-eagle ディープインパクトとディープスカイとディープブリランテとディープボンド。馬主が同じなのはどれ?(答え:全部違います)
gnta 久石譲とクインシー・ジョーンズ。江戸川乱歩とエドガー・アラン・ポー。谷啓とダニー・ケイ
ustam 赤羽と赤羽橋、王子と八王子、東雲と東電、上越(上越/中越/下越)と上越(上州+越後)、クラゲとキクラゲ、シカとカモシカ、ウナギとヤツメウナギ、イモリとヤモリ、乳酸と乳酸菌、ランチとウンチ
本人から異議申し立てがあった。確かに「東京湾とトンキン湾」は漢字にすると完全一致になるので、セーフとする。失礼しました。
u_eichi 猫とジャコウネコ。オオカミとフクロオオカミ。てか有袋類は反則だな。|JR/東急蒲田と京急蒲田(まぜっ返し)
gaikichi 院近臣とインノケンティウス3世マングローブ林とグロブリン安倍貞任とアンワル・サダト大統領リッケンバッカーとオッペンハイマーとロッテンマイヤー地底怪獣バラゴンと冷凍怪獣バルゴン本多勝一と翔んだカップル
Southend シンボリクリスエス(天皇賞・秋、有馬記念連覇)とシンボリクリエンス(中山大障害・春/秋)は、それぞれが平地と障害という別カテゴリにおける超一流馬だったという文脈上、類似馬名界(?)の白眉と言えよう。
ryotarox wikiとwikipedia/木場と新木場 https://maps.app.goo.gl/Aynjy4JsxYDDKbak8 /アイスランドとアイルランド/グレープとグレープフルーツ
uguisyu 「世界の中心で、愛をさけぶ」と「世界の中心でアイを叫んだけもの」、「日本沈没」と「日本以外全部沈没」
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中でも一番のクソ回答はこれだと思う。全然趣旨を理解してないお前のほうがヤベーよ。
norinorisan42 やはりココリコ遠藤が池上さんの番組で「コーランを憲法としている国」と聞かれ「イスラエル」と答えたやつが忘れられない/イスラムとイスラエルがごっちゃになってるのはヤバすぎる
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※文字が違っても音が部分一致してしているものはセーフとした。(例:谷亮子と新谷良子)
※アルファベットで表記したときに部分一致するものはセーフとした。(例:ナイジェリアとニジェール、シリコンとシリコーン)
※略称で表記されているが、略さず書くと条件を満たすものはセーフとした。(例:Visual StudioとVS Code、ギガとGB)
※部分一致ではなく完全一致もセーフとした。(完全一致は部分一致に含まれるため。)
※インド人とインディアンは、英語だと両方Indianなのでセーフとした。
※名古屋では全部「メェダイ」となるらしい「明大と名大と三重大」はぎりぎりセーフとした。
※前者と後者が入れ替わっているのも、おまけでセーフとした。
※「ちょっと違うか」「部分一致ではないが」のように、違うのを自覚しているものは見逃すこととした。
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つーか「オーストリアとオーストラリア」「阿藤快と加藤あい」「青海と青梅」何回出てくんだよ。
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iphone増田は6つもサンプルを出してくれてるのに、部分になってない、似てるけど違うだけの二語を並べてるブコメはなんなんだ。
Permalink |記事への反応(14) | 17:04
みんな、信じられますか?
いま僕40歳で、今年息子が小学生にあがるんですけど、30年以上前に自分が小学校の算数で使った「算数セット」なるものを今も小学校では使ってるみたい。
しかも、こんなちっちゃいものに、全部名前を書くか、お名前シールを貼らなきゃいけない。 ※写真のおはじきにはピンセットで名前シールを貼りました。名前は消しています。
みんな、信じられますは大仰です。ものが小さいがために名前を書かなくてはいけません。
親業をやってきているのであれば、このほかにもこのような作業は当然たくさんあって、
40歳で親業がそこそこになっているのに、それを幾度となく感じずに過ごしてきているわけではないので、
それを思い出して欲しいです。
ちなみに、このおはじきは算数セットのほんの一部で、他にも小さいものがたくさん入ってて、その全てに一個一個名前を記す必要が。
先ほどと同様に親業として行なってきた、
同種の名前書き作業についてのこなしかたの選択を思い出せば良いかと思います。
https://x.com/xusa2023/status/1758005370973454495?s=20
そのほか多くの方がこの問題との自分なりの折り合いについて付けられていて、
それを親業を日々こなされているのであれば、
ネットや日々の親業でつながるネットワークの中でお話を聞いてると思います。
思い出して欲しいです。
名前なんて書かなくてよくね?
どれほど助かることか。
名前を書くことで自身のものが戻ってきた経験を思い出しましょう。
そんな、なくす?
そんな、落とす?
そんな、無くすし、落とします。
親業をされているうちに目にしたことはありませんか。
それを思い出しましょう。
仮に、1つや2つ落としたり無くしたとて、そんな困る?
授業に支障でる?
1つや2つ落としてたり、無くしたりしたとて、
ただし、ここでいう支障を支障と呼称することは
少し待って欲しいものです。
というのも、この落としたり無くしたりという事象が
そういって学校現場ないし学校という世界観は形作られています。
2017年の出生数は94万人ちょい、2018年の出生数は91万人ちょい。なので、今年日本で小学校に上がる子、つまり2017年度生まれの子はおそらく91〜4万人の間。
その保護者が日本中で日々の暮らしだけでも忙しい中、貴重な時間を削り出して、夜な夜なシール貼ったり名前書いてると思うとマジで無駄。愚の骨頂。日本人の生産性が低いって言われてるのそゆとこじゃないの?って思う。
「データは嘘をつかないが、詐欺師はデータを使い嘘をつく」という言葉があるように、
発言でデータを持ち出すときは、その奥にある何が言いたいのかという意図に
目を向けなければならないように思います。
効率を重視したいというのであれば、
今までのその日々の暮らしの中で悩んできた中で
それを思い出して欲しいです。
もちろん、同じように考えている人もいるのか、自治体によっては算数セットが学校にあらかじめ置いてあって、貸し出してくれるところもある。ただ、僕が居住している自治体では買わされた。
30年前も同じような状況があったように思います。
どういった事情が背景があり、貸し出すのか否かは個別具体になります。
が、
その地域の貧困率とそれに対する向き合いかたが昔ながらの事情というのであればあります。
現場サイドとして、どう解決していくのかということ中で生み出されたこともあります。
発言者はお住まいの自治体のすべての小学校で買わされることを確認された上での発言のようです。
ここにも、親業として今まで培ってきた情報が生かされていません。
児童の教材についての選定は各学校の実態に応じて、校長の裁量で行われます。
校長が変わり校長が貸し出しが必要であると判断し、校長が判断を起こせば、貸し出しにできるのです。
お住まいの自治体すべての小学校は算数セットは購入となっていることを確認することだったのか、
それとも、校長の現状の判断を変えるように働きかけることだったのか。
「みんなで知恵出し合って解決してこーぜ」
誰に対してどんな知恵をあなたは出し、隣の親や目の前の担任やその他の先生に知恵を出してもらうのを促すのか、
「サンデーモーニング」ではなく、当事者性の高いことなのだから、頑張っていきましょう。
あんま使った記憶も残っていないこの算数セット。日本中で毎年何十万セット買わされている人がいるのか、正確な数字は分からないけど、使われなくなった算数セットはきっと毎年数十万セット捨てられてるんだよね?
「データは嘘をつかないが、詐欺師はデータを使い嘘をつく」を繰り返しが行われているように印象付けられます。
意図的に自身が有利になるようにデータの提示をするのはあまり褒められたことではないと思います。
それってかなりのプラゴミの量だし、もう日本中の小学校に必要な数だけ置いといて、レンタルにして欲しいって思うのは自分だけ?
大雑把にプラゴミの量を減らせばいいという発言を無批判に垂れ流すには注意が必要な発言です。
レンタルにして欲しい、どなたからか借りたいという要望はあり、その具体的な解決の方途については返信で行くつも示されている通りです。
ご自身がコスパ、タイパが高いと思われるものに各自の判断で使えばよろしいかと思います。
すごい通知くるなぁと思ってミュートしてたら、ちょびっとバズってましたww
お疲れ様です。
親業として貴重な経験でこのような苦労を親にもかけていて、
その上で自分が今我が子に手間暇をかけてやれると思えて幸せな時間だったと思います。
多すぎて全部は見れてないものの、リプやら引用などをざっと見た感じ、結局算数セットを毎年各家庭に買わせて、名前を書かせることに関して納得できる合理的理由を述べているものは一つもなかったです。
何を持ってご自身が「納得できる合理的理由」と判断されたかを示されていないのでその部分については、なんとも言えませんが、
「納得できる」というところをわざわざ付けておられるところから、首肯しそうになってしまったリプや引用があったのでしょう。
親業って本当にそんなことばかりですよね。そして、通り過ぎると確かにその通りかもなあということ本当に多いです。
親業をやって数年経ち、就学前を終えようとしているステージならば、実感がこもって首肯できることのように思うのですが、
親業における子どもとの関わりって「納得いかない非合理なこと」しかないですよね。
子どもは非合理でしかないですよね。その非合理の最中の中でどうにかこうにか合理的だったり最適化されたりしたものに
日々そんな物心ともに周りとの関わりでどうにかこうにか生かされていることを実感する日々です。
まず、「算数セットをなくすに反対」については、僕は算数セット自体をなくせとは一言も言ってなくて、むしろ肯定派。算数セットが担っていたことをタブレットにしちゃうのも反対。手を使うのって大事だから。なくすべきは毎年各家庭に買わせることと名前書きという主張でした。学校に人数分プラス余分に算数セットを揃えておいて、貸し出すのがいいと思っています。
文脈としては、「算数セットをなくす」という思いを持ちながら書いていると読めます。
「手を使うのって大事だ」は返信等を読んだ上で、先ほど書いた通り、うっかり首肯してしまいそうになったものの中から取り入れ、
「なくすべきは毎年各家庭に買わせることと名前書きという主張でした」
書き始めを大仰に書くのでなく、修正でないのならば、上記の主張をはじめに明示してから始めると
先に述べた印象は薄らいだと思われます。
「学校の先生が忙しすぎて、今のあり方を変える余裕がない」については、そもそも算数セットを採用することを誰主導で(文科省なのか、自治体なのか、校長なのか、現場の先生なのか)決定してるのかよく知らないですが、文科省主導で貸し出し統一すればいいと思っています。僕は教師じゃないので現場のことはよく知らないし、「知らないお前が偉そうなこと言うな」というのもごもっともですが、教師ではない以上現場レベルの問題解決策までは提案しようがないです。そこまで提案しないと問題提起しちゃだめってなると、たぶん世の中何も好転しない。それは「みんなで知恵出し合って解決してこーぜ」かなと思っています。
ここがいただけない部分の根幹にあり、「サンデーモーニング」です。
算数セットを採用するのは、誰主導の選択肢から言えば、現場の先生の意見を吸い上げた校長です。
親業の中で情報を収集してきた中でそれはご存じであるかと思います。
無知を装うのは、卑怯だと思われかねないので宜しいことではないと思います。
文部科学省からの貸し出しの通知文を出すように要請をしているように見受けられますが、
通知文については効力がどの程度あるのかは不確かなところがあります。
お住まいの自治体の状態を具に調べるほど、親業としての手腕をお持ちのようなので、
「なくすし、おとすし、盗まれるから名前書きが必要」に関しては、だからこそ学校から貸し出すほがメリットは大きい。貸し出しなら各家庭で膨大な量の名前を書く必要もないし、先生たちの名前のない落とし物の持ち主探しの時間も節約できる。盗むに関しても対学校になるので、生徒間・保護者間のいざこざもない。
親業をやられている数年というところなので、
今までご自身の経験の中から「自分の落とし物があったら、名乗り出ることができる」ことや
「友人が落とし物をしたら、一緒に探してあげる」ことなどいわゆる非認知スキルの大切さについては、
実感しきりなところかと思います。それを思い出して欲しいです。
親業をやられていればこれも感じることかと思いますが、
自身の子どもが「盗まれる」だけでなく「盗む」側になるかもしれないということ。
また、その「盗む」ということをする場合に、早期にその行動について変容を促さなければならないことに
そして、「生徒間のいざこざ」が発生し、それを未然防止するために集団の一員としてどうするのか、
どのように全体最適を集団の一員として寄与するのか学ぶこと。これこそが、公教育の公教育たる意味です。
親業をしていく中で育児方針等を立てる上で、目にしたかと思います。
それらを思い出しましょう。
「保護者間のいざこざ」という部分については、まさに「子育ては、自分育て」なのだと思います。
蛇足ですが、小学生のことは「生徒」とは呼称しません。「児童」です。
「消毒云々、数年で足りなくなる云々」の運用上の問題は確かにあるとは思うけど、そもそもみんなで共有してる学校備品なんて他にもあるわけだし、どんな方法を選択するにしろ問題ゼロはありえないので、そこは運用しながら問題解決していくしかない。
学校備品ではなく、消耗品になります。そこは民間と理解は変わりません。
多くの学校では、予算が厳しくなっていることはありますが、消耗品になるので、必要性を論理的に主張することができ、
且つ校長と事務官のモチベーションが高ければ通りやすい部類になるかなあというのが実感としてあります。
もう一つは、良くも悪くも地域からの熱い要望があれば、通りやすいです。
あと珍リプ的なとこで言うと「名前書き不要=お前は子供が嫌いな人間」にまで飛躍したものもあった。そもそものスタートが名前書きに膨大な時間を奪われて、子どもとの時間が奪われていることに起因する主張だったんだよなぁ...って感じ。
語勢からそう読み取るのは容易でありました。子供との時間の中で名前かきをしている方も大勢いるのが返信からもわかったのではないかと思います。
親業をやっているのであれば、知り得る情報についても意図的になのか隠されているところもそう読み取らせることを容易にさせることに寄与しました。
もし、意図的に隠したのでなく、情報を得ていなかったのであれば
「子どもが好き嫌いかはわからないが、パートナーとともに一緒の目線に立って育児をしていない人なのだろうな、パートナー大変そうだな」
ということは言えるかと思います。どちらにしても、ざんねんな感じです。
私も残念なところばかりで、「余計なお世話だよ」と言いたくなることも他人から言われます。一緒に頑張っていきましょう。
「子どもの持ち物に名前を書く余裕もないのか」については、ひとり親世帯数の推移はひとまず確認した方がいいと思う。その主張はひとり親世帯ではない人のものだったけど、僕の姉はシングルマザーで働きながら二人の子育てをしてて、本当に大変そうな姿を見てるから「そんな余裕あるわけねーだろ」と声を大にして言いたい。
姉が睡眠時間を削ってこんな膨大な量の名前書きをやっていたかと思うと...言葉にならない。てか、それが根底にあったから怒り爆発したってのはある。
当事者としてそこに切実なニーズがあることを感じているところのようですので。
頑張って欲しいです。
ただ、結構たくさんの人から「学校から貸し出しでした」という声をお寄せ頂いたので、それは素晴らしいと思いました!ちょっとずつ変わってることを感じました。
学校教育に関する認識の誤解あるあるで十人十色経験は違うのに、自分の経験が絶対だと思うのはよしてほしいです。
30年前から貸し出しのところは貸し出しだし、そうじゃないところはそうじゃないです。それだけです。
算数セットを各家庭に買わせるか否か決定する立場にある人に、この一連のポストが届き、来年以降に小学校入学を控える子を持つパパさんママさんの負担が減り、家族の時間が増えると嬉しいです
自戒を込めて、
「半径0mの世界を変える」には
ぼんやりとした主語デカな抽象的な話で「サンデーモーニング」をかますのではなく。
目次
1.はじめに
(1)歴史認識について
(2)対北朝鮮外交について
3.佐藤優による主張の使い分け
(1)ナショナリズム論
(2)ポピュリズム論
(3)格差社会論
6.「人民戦線」という罠
(1)「ファシズム政権の樹立」に抗するために、人民戦線的な観点から佐藤を擁護する
10.おわりに
註
1.はじめに
このところ、佐藤優という人物が「論壇」を席巻しており、リベラル・左派系の雑誌から右派メディアにまで登場している。
だが、「論壇の寵児」たる佐藤は、右派メディアで排外主義そのものの主張を撒き散らしている。奇妙なのは、リベラル・左派メディアが、こうした佐藤の振舞いを不問に付し、佐藤を重用し続けていることにある。
佐藤による、右派メディアでの排外主義の主張の展開が、リベラル・左派によって黙認されることによって成り立つ佐藤の「論壇」の席巻ぶりを、以下、便宜上、〈佐藤優現象〉と呼ぶ。この現象の意味を考える手がかりとして、まずは、佐藤による「論壇」の席巻を手放しに礼賛する立場の記述の検討からはじめよう。例えば、『世界』の編集者として佐藤を「論壇」に引き入れ、佐藤の著書『獄中記』(岩波書店、二〇〇六年一二月)を企画・編集した馬場公彦(岩波書店)は、次のように述べる。
「今や論壇を席巻する勢いの佐藤さんは、アシスタントをおかず月産五百枚という。左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない。」「彼の言動に共鳴する特定の編集者と密接な関係を構築し、硬直した左右の二項対立図式を打破し、各誌ごとに異なったアプローチで共通の解につなげていく。」「現状が佐藤さんの見立て通りに進み、他社の編集者と意見交換するなかで、佐藤さんへの信頼感が育まれる。こうして出版社のカラーや論壇の左右を超えて小さなリスクの共同体が生まれ、編集業を通しての現状打破への心意気が育まれる。その種火はジャーナリズムにひろがり、新聞の社会面を中心に、従来型の検察や官邸主導ではない記者独自の調査報道が始まる。」「この四者(注・権力―民衆―メディア―学術)を巻き込んだ佐藤劇場が論壇に新風を吹き込み、化学反応を起こしつつ対抗的世論の公共圏を形成していく。」
馬場の見解の中で興味深いのは、〈佐藤優現象〉の下で、「硬直した左右の二項対立図式」が打破され、「論壇」が「化学反応」を起こすとしている点である。ある意味で、私もこの認識を共有する。だが、「化学反応」の結果への評価は、馬場と全く異なる。私は、これを、「対抗的世論の公共圏」とやらが形成されるプロセスではなく、改憲後の国家体制に適合的な形に(すなわち、改憲後も生き長らえるように)、リベラル・左派が再編成されていくプロセスであると考える。比喩的に言えば、「戦後民主主義」体制下の護憲派が、イスラエルのリベラルのようなものに変質していくプロセスと言い替えてもよい。
以下の叙述でも指摘するが、佐藤は対朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)武力行使、在日朝鮮人団体への弾圧の必要性を精力的に主張している。安倍政権下の拉致外交キャンペーンや、一連の朝鮮総連弾圧に対して、リベラル・左派から批判や抗議の声はほとんど聞かれなかったのは、「化学反応」の典型的なものである。「戦後民主主義」が、侵略と植民地支配の過去とまともに向き合わず、在日朝鮮人に対してもせいぜい「恩恵」を施す対象としか見てこなかったことの問題性が、極めて露骨に出てきていると言える。〈嫌韓流〉に対して、リベラル・左派からの反撃が非常に弱いことも、こうした流れの中で考えるべきであろう。
私は、佐藤優個人は取るにたらない「思想家」だと思うが、佐藤が右派メディアで主張する排外主義を、リベラル・左派が容認・黙認することで成り立つ〈佐藤優現象〉は、現在のジャーナリズム内の護憲派の問題点を端的に示す、極めて重要な、徴候的な現象だと考える。
馬場は、佐藤が「左右両翼の雑誌に寄稿しながら、雑誌の傾向や読者層に応じて主題や文体を書き分け、しかも立論は一貫していてぶれていない」などと言うが、後に見るように、佐藤は、「右」の雑誌では本音を明け透けに語り、「左」の雑誌では強調点をずらすなどして掲載されるよう小細工しているに過ぎない。いかにも官僚らしい芸当である。佐藤自身は自ら国家主義者であることを誇っており、小谷野敦の言葉を借りれば、「あれ(注・佐藤)で右翼でないなら、日本に右翼なんか一人もいない」。
佐藤が読者層に応じて使い分けをしているだけであることは誰にでも分かることであるし、事実、ウェブ上でもブログ等でよく指摘されている。そして、小谷野の、この現象が「日本の知識人層の底の浅さが浮き彫りになった」ものという嘲笑も正しい。だが、改憲派の小谷野と違い、改憲を阻止したいと考える者としては、この現象について、佐藤優に熱を上げている護憲派を単に馬鹿にするだけではなく、〈佐藤優現象〉をめぐって、誰にでも浮かぶであろう疑問にまともに答える必要がある。なぜ、『世界』『金曜日』等の護憲派ジャーナリズムや、斎藤貴男や魚住昭のような一般的には「左」とされるジャーナリストが、佐藤に入れ込んでいるのか? なぜ、排外主義を煽る当の佐藤が、『世界』『金曜日』や岩波書店や朝日新聞の出版物では、排外主義的ナショナリズムの台頭を防がなければならない、などと主張することが許されているのか?
この〈佐藤優現象〉はなぜ起こっているのか? この現象はどのようなことを意味しているのか? どういう帰結をもたらすのか? 問われるべき問題は何か? こうした問いに答えることが、改憲を阻止したいと考える立場の者にとって、緊急の課題であると思われる。
まず、佐藤の排外主義的主張のうち、私の目に触れた主なものを挙げ、佐藤の排外主義者としての活躍振りを確認しておこう。
(1)歴史認識について
佐藤は言う。「「北朝鮮が条件を飲まないならば、歴史をよく思いだすことだ。帝国主義化した日本とロシアによる朝鮮半島への影響力を巡る対立が日清戦争、日露戦争を引き起こした。もし、日本とロシアが本気になって、悪い目つきで北朝鮮をにらむようになったら、どういう結果になるかわかっているんだろうな」という内容のメッセージを金正日に送るのだ」。朝鮮の植民地化に対する一片の反省もない帝国主義者そのものの発言である。また、アメリカ議会における慰安婦決議の件に関しても、「事実誤認に基づく反日キャンペーンについて、日本政府がき然たる姿勢で反論することは当然のことだ。」と述べている。
特に、大川周明のテクストと佐藤の解説から成る『日米開戦の真実―大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く』(小学館、二〇〇六年四月)では、極めて露骨に、日本の近現代史に関する自己の歴史認識を開陳する。以下、引用する。佐藤が自説として展開している部分である。
「日本人は(注・太平洋戦争)開戦時、少なくとも主観的には、中国をアメリカ、イギリスによる植民地化支配から解放したいと考えていた。しかし、後発資本主義国である日本には、帝国主義時代の条件下で、欧米列強の植民地になるか、植民地を獲得し、帝国主義国となって生き残るかの選択肢しかなかった。」(三頁)、「「大東亜共栄圏」は一種の棲み分けの理論である。日本人はアジアの諸民族との共存共栄を真摯に追求した。強いて言えば、現在のEUを先取りするような構想だった。」(四頁)、「あの戦争を避けるためにアメリカと日本が妥協を繰り返せば、結局、日本はアメリカの保護国、準植民地となる運命を免れなかったというのが実態ではないかと筆者は考える。」(六頁)、「日本の武力によって、列強による中国の分裂が阻止されたというのは、日本人の眼からすれば確かに真実である。(中略)中国人の反植民地活動家の眼には、日本も列強とともに中国を分割する帝国主義国の一つと映ったのである。このボタンの掛け違いにイギリス、アメリカはつけ込んだ。日本こそが中国の植民地化と奴隷的支配を目論む悪の帝国であるとの宣伝工作を行い、それが一部の中国の政治家と知的エリートの心を捉えたのである。」(二八一頁)。また、蒋介石政権については、「米英の手先となった傀儡政権」(二五七頁)としている。他方、佐藤は、汪兆銘の南京国民政府は「決して対日協力の傀儡政権ではなかった」(二四九頁)とする。
右翼たる佐藤の面目躍如たる文章である。ちなみに、こんな大東亜戦争肯定論の焼き直しの本を斎藤貴男は絶賛し、「大川こそあの時代の知の巨人・であったとする形容にも、大川の主張そのものにも、違和感を抱くことができなかった」としている。
(2)対北朝鮮外交について
佐藤は、「拉致問題の解決」を日朝交渉の大前提とし、イスラエルによるレバノン侵略戦争も「拉致問題の解決」として支持している。「イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える」。さらに、現在の北朝鮮をミュンヘン会談時のナチス・ドイツに準えた上で、「新帝国主義時代においても日本国家と日本人が生き残っていける状況を作ることだ。帝国主義の選択肢には戦争で問題を解決することも含まれる」としている。当然佐藤にとっては、北朝鮮の「拉致問題の解決」においても、戦争が視野に入っているということだ。『金曜日』での連載においても、オブラートに包んだ形ではあるが、「北朝鮮に対するカードとして、最後には戦争もありうべしということは明らかにしておいた方がいい」と述べている(10)。
さらに、アメリカが主張してきた北朝鮮の米ドル札偽造問題が、アメリカの自作自演だった可能性が高いという欧米メディアの報道に対して、佐藤は「アメリカ政府として、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事に正面から反論することはできない。なぜなら、証拠を突きつける形で反論するとアメリカの情報源と情報収集能力が明らかになり、北朝鮮を利してしまうからだ」(11)と、いかなる反証の根拠も示さずに(反証の必要性を封じた上で)、「北朝鮮の情報操作」と主張しているが、この主張は、保守派の原田武夫にすら否定されている(12)。佐藤は現在、右派メディアの中でも最も「右」に位置する論客の一人であると言えよう。
佐藤は、「在日団体への法適用で拉致問題動く」として、「日本政府が朝鮮総連の経済活動に対し「現行法の厳格な適用」で圧力を加えたことに北朝鮮が逆ギレして悲鳴をあげたのだ。「敵の嫌がることを進んでやる」のはインテリジェンス工作の定石だ。/政府が「現行法の厳格な適用」により北朝鮮ビジネスで利益を得ている勢力を牽制することが拉致問題解決のための環境を整える」と述べている(13)。同趣旨の主張は、別のところでも述べている(14)。「国益」の論理の下、在日朝鮮人の「人権」は考慮すらされてない。
漆間巌警察庁長官(当時)は、今年の一月一八日の会見で、「北朝鮮が困る事件の摘発が拉致問題を解決に近づける。そのような捜査に全力を挙げる」「北朝鮮に日本と交渉する気にさせるのが警察庁の仕事。そのためには北朝鮮の資金源について事件化し、実態を明らかにするのが有効だ」と発言しているが、佐藤の発言はこの論理と全く同じであり、昨年末から激化を強めている総連系の機関・民族学校などへの強制捜索に理論的根拠を提供したように思われる。佐藤自身も、「法の適正執行なんていうのはね、この概念ができるうえで私が貢献したという説があるんです。『別冊正論』や『SAPIO』あたりで、国策捜査はそういうことのために使うんだと書きましたからね。」と、その可能性を認めている(15)。
3.佐藤優による主張の使い分け
排外主義者としての佐藤の主張は、挙げ出せばきりがない。前節で挙げたのも一例に過ぎない。では、佐藤は、こうした主張を『世界』『金曜日』でも行っているのだろうか。
佐藤が仮に、「左」派の雑誌では「右」ととられる主張を、「右」派の雑誌では「左」ととられる主張をすることで、「硬直した左右の二項対立図式を打破」しているならば、私も佐藤をひとかどの人物と認めよう。だが、実際に行われていることは、「左」派メディアでは読者層の価値観に直接抵触しそうな部分をぼかした形で語り、「右」派メディアでは本音を語るという下らない処世術にすぎない。「左右の二項対立図式」の「打破」は、「左」の自壊によって成り立っているのだ。佐藤が『金曜日』と右派メディアで同一のテーマを扱った文章を読み比べれば、簡単にそのことはわかる。
一例として、米国下院での「慰安婦」決議に関する佐藤の主張を読み比べてみよう。産経新聞グループのサイト上での連載である〈地球を斬る〉では、「慰安婦」問題をめぐるアメリカの報道を「滅茶苦茶」と非難し、「慰安婦」問題に関する二〇〇七年三月一日の安倍発言についても「狭義の強制性はなかった」という認識なのだから正当だとして、あたかも「慰安婦」決議案自体が不正確な事実に基づいたものであるかのような印象を与えようとしている(16)。ところが、『金曜日』では、こうした自分の主張は述べず、国権論者としての原則的な立場から日本政府の謝罪には反対だとしている(17)。なお、『金曜日』の同文章では「歴史認識を巡る外交問題はPermalink |記事への反応(1) | 18:32
これも疑問符がつく。
50年前ならわからなくもないが。
仮に30年先に実用化すると見積もられている技術分野が認知されているとして、実際に研究開発の効率性が高まってくるのは後半の10年であろう。
最後の10年に集中投資すれば、十分にキャッチアップ可能であろう。
日本が弱いのは、この最後の10年の目利きと、集中投資の決断なのだ。
なんとなれば、テニュアのアカデミアはみな自分のタコツボをもっており、集中投資の判断に従わないから。
また、目利き役の一端を担う経産省、文科省、厚労省、環境省等の意思決定者はいまだに文系事務官であり、目利きができるとは思えないし、学校の時の成績で勝る財務省官僚にも頭が上がらない。
ほんとは博士号持ちが、(公務員研究者としてではなく)行政官として多数任官しているのが望ましいと思うのだが(厚労省の医官についてはここでは触れない)
たぶん、
→交際中
→文書を入手したので捨てられる
という過程で西山記者への憎しみが増していく事務官の心の動きを、澤地久枝がノンフィクションに書いてる。
交際の開始時は強引だったように読めるけど、交際中はすんなり渡してたっぽいから、前者に近いのかな。
https://www.ritsumei.ac.jp/ss/sansharonshu/assets/file/1999/35-2_takahasi.pdf
私は「外務省機密漏洩事件」(以下「機密漏洩事件」とする)として知られる事例を取り扱うが,この事件は当時外務省事務官であった蓮見喜久子が,親密な関係にあった毎日新聞記者の西山太吉に外務省の電信文のコピーを手渡し,両者が国家公務員法違反に問われた事件である。
分類図式に基づいた振る舞いは,行為者の能力に依拠するにもかかわらず,蓮見(事務官)は「女としては男に強く迫られると最後までノーといいきれない弱さがあります」と供述調書で語り,性的匂いを漂わせつつ自らが単なる受動的な被害者であったに過ぎないかの印象を撒き散らしたのである(注)。
上記の発言こそがまさに彼女が組み立てた戦略なのだが,ここで彼女は分類図式をことさら強調し,main trackとsubtrackとの混乱に乗じて,情状酌量を勝ち取ると同時に西山に攻撃を仕掛けようとしたのである。本来この事件において,両者が性的関係にあったか否かは,main trackとは何ら関係がなかったのである。少なくとも蓮見に性的関係をsubtrackに留める意志さえあれば,そうすることは十分に可能であった。ところが蓮見は性的関係を敢えて「告白」することで-それをmain trackとして採用することで-「西山加害者,蓮見被害者」とする設定に真実味を帯びさせていったのである。
後段には実際の法廷での証言などもあり、読み物としては面白い。その辺りは澤地久枝の著作からの引用が多いのだろう。しかし、ずいぶん蓮見事務官に辛く西山記者に甘い評価だなという印象も持った。
最高裁判決(https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/114/051114_hanrei.pdf)では当初の出会いについて「かなり強引に肉体関係をもち」とあるが、その根拠となった供述が「女としては男に強く迫られると最後までノーといいきれない弱さがあります」のような『生物学的性』を持ち出したものであったから、蓮見事務官について「自らが単なる受動的な被害者であったに過ぎないかの印象を撒き散らした」と髙橋氏は断定するのであろう。
確かに捜査過程での供述や法廷での証言を具に見れば、蓮見事務官が情状酌量を求めて、あるいは自分を利用した西山記者への怨嗟から、自らの被害者性を強調した面はありそうだ。
しかし髙橋氏は「本来この事件において,両者が性的関係にあったか否かは,main trackとは何ら関係がなかった」とまで言うが、それは言い過ぎだろう。
性的関係は情報取得の目的で、西山記者から仕掛けられ成立したものだ。つまり記者にとってその性的関係は別の目的のための手段に過ぎないのに対し、事務官にとってはそれ自体が目的でしかない。
そのような性的関係こそが蓮見事務官の行動を束縛し、結果として機密文書の受け渡しという葛藤の生じるはずの行動について事務官を受動的な立場に置いたことは明白だ。
西山は昏睡レイプの件が明らかになってからは弁護人以外擁護してなかったでしょ
『週刊新潮』が不倫関係をスクープした。4月15日に起訴された容疑者両名の起訴状で東京地検特捜部検事佐藤道夫が、「ひそかに情を通じ、これを利用して」と2人の男女関係を暴露する文言を記して状況が一変した。起訴状提出の当日、毎日新聞は夕刊に「本社見解とおわび」を掲載して「両者の関係をもって、知る権利の基本であるニュース取材に制限を加えたり新聞の自由を束縛するような意図があるとすればこれは問題のすりかえと考えざるを得ません。われわれは西山記者の私行についておわびするとともに、同時に、問題の本質を見失うことなく主張すべきは主張する態度にかわりのないことを重ねて申述べます」としたが、実際は以後この問題の追及を一切やめた[注釈 2]。4月16日に作家の川端康成が自殺して各紙の注目は遷移した。
その後、『週刊新潮』が「“機密漏洩事件…美しい日本の美しくない日本人”」[注釈 3]と新聞批判の論調で大きく扱い、女性誌やテレビのワイドショーなどが「西山と女性事務官はともに既婚者ながら、西山は酒を飲ませて強引に肉体関係を結び、それを武器に情報を得ていた」と批判を連日展開し、世論は西山と女性事務官を非難する論調が多数となった。裁判の審理も男女関係と機密資料の入手方法に終始した。
これ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/odawaradoragon/status/1583224279394832384
これが訴訟詐欺(債権もってないのに債権者と偽って返還訴訟を起こし相手が詐欺と思って放置してる間に勝訴確定して、裁判所に預金差し押さえの強制執行させる)として。
銀行は裁判所からの命令に従って差し押さえしただけなので、いくら口座名義人から詐欺だと説明されてもどうしようもない。
弁護士に相談すると同時に差し押さえを行った裁判所(の事務官)に連絡して説明しないとどうしようもない。
ついでに言えば、一度判決が確定してしまったら、その判決のもとになった証拠が偽造であっても裁判所が一方的に判決を取消すことはできず、
・本人宅に訴状が届いたのに詐欺と思って放置してたのか、過去の事例(https://www.asahi.com/articles/ASP3J65XCP3JTIPE014.html)みたいに無関係の別人住所あてに訴状を届けさせてたのか、とか(前者なら詐欺罪が成立する余地がある)
・民事訴訟では相手の財産を強制調査などできないので(ひろゆきもそれで強制執行を免れてきた)(それを受けて財産調査が少し強化されたが、それでも本人を裁判所に呼び出して聞き出すしかない)、強制執行した相手はどうやって小田原さんの口座情報をつかんだのか、とか(本人に知られず口座を調査できるのは徴税吏員だけ)
いろいろ疑問はあるが、
とにかく銀行に連絡しても時間の無駄なので、やるべきは弁護士への相談。どうすべきか専門家が教えてくれるから、一時間5000円の法律相談でもいいから一刻も早く弁護士のところに行くんだ。