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はてなキーワード:予定調和とは

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2025-10-23

anond:20251023091859

クリアが近づくとゲームを進めたくなくなる」みたいな現象だと思う。

予定調和で、驚きや新鮮さや喜びがないんだよね。

Permalink |記事への反応(0) | 09:39

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2025-10-09

anond:20251009121820

予定調和って素人が使えるものじゃないだろ

まりにも高度すぎる

Permalink |記事への反応(1) | 12:24

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anond:20251009121702

予定調和の快を使えないやつはずらしとかいってとんちんかんなことやり続けるんだろな

Permalink |記事への反応(1) | 12:18

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2025-10-04

なんていうか、政治的無関心って無学な人間の特徴みたいに言われてきたけど、学べば学ぶほど結局戦勝国予定調和政治介入されて終わりなんだよな…ってなってやる気無くなっちゃわない?

Permalink |記事への反応(3) | 17:01

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2025-09-29

15歳の時、母から私たちは血がつながっていない」と打ち明けられた

まあ、そうだろうなと思った。

しろ父親とは血がつながっているというのが意外でもあった。

僕の顔立ちと体格は完全に西欧人のそれだからだ。

さなから、遠い先祖外国人がいて、その影響がたまたま強く出たと教えられてきたけど、どうにも納得できなかった。

本当のところは父親の前妻が外国人で、僕はそのハーフだったらしい。

その年、父が死んだ。

四十九日も終わったころ、母が

あなたと私は血がつながっていない。嫌ならこの家を出て、自分の好きな場所暮らしていい。お父さんが残してくれたお金で、生活には困らないはず」

と言ってきた。

でもちゃんと、「もちろんあなたのことは愛している」と、付け加えていた。

正直、けっこうこたえた。

もしかして僕のこと、嫌いだったのかなと少しだけ思った。

でも、その言葉とセットで「東京に行こう」と即決していた自分がいた。

もともと、東京学校に進学したいという気持ちはあった。

中学時代、ふとしたきっかけで吹奏楽を始めて、異常に音楽の適性があったみたいで、顧問先生が「君には特別な才能があるかもしれない。知り合いの先生を紹介してあげるから東京に進学してみたら」と勧めてくれた。

でも、うちにはそんな金がない。

学費もそうだが、一人暮らしなんて夢のまた夢だった。

ずっと音楽を続けたいとは思っていたけど、現実的じゃなかった。

そんなとき、母の「血がつながっていない。嫌なら出ていっていい」という台詞

なんだか心臓の奥を殴られたような気がしたけど、同時に妙に納得して、「じゃあ東京行くか」とほとんど条件反射で決めていた。

それから音楽に打ち込んで、卒業した後もなんだかんだでずっと音楽に関わって生きてきた。

気がつくと、当時の自分には想像もつかなかった形で、今も音楽世界一角で何不自由なく食えている。

それも、あのとき決断のおかげなんだろうなと思っている。

先日、母が亡くなった。

考えてみれば、母の愛情を疑ったのはあのときだけだった。

東京に出たあと、何かあるたびに世話を焼いてくれて、誕生日に贈り物が届いたり、季節の果物が突如として宅配便で送りつけられてきたり。

それは、多分、「実の母」のそれだった。

後になって気づいた。

あの告白も、「お前はここにいてもいいし、出て行ってもいいんだよ」という、母なりの背中の押し方だったんだろう。

僕ならきっと、母と、当時2歳だった弟のために地元に残るだろう、と見抜かれていたのかもしれない。

から、そういう予定調和みたいなものをぶち壊して、ちゃん自分の道を選びなさいと、あえて突き放したんだろう。

弟とふたり遺品整理をしていたら、財産目録と一緒に僕ら兄弟それぞれに宛てた手紙が出てきた。

手紙にはたくさんのことが書かれていたけれど、最後に母は「あのときはほんとうにごめんなさい。本当はあんな言い方をするつもりはなかったのだけれど、でもああするしか後押しする方法が思いつかなかった。もっと良いやり方があったはずだった、とずっと後悔してきた。許してほしい」と書いていた。

弟と二人で黙って手紙を読み終えた。

もう何年も経っているはずなのに、読み終わった瞬間だけ、母から真実を告げられたとき居間空気が蘇った気がした。

手紙を畳んで封筒に戻し、母の字を指でなぞってみる。

さらどうこう言葉を返すこともできないし、「許す」とか「ありがとう」とか、定型感情仕舞うには少し足りない。

ただ一つだけ、あの時の言葉も、背中を押してくれた母の決断も、全部含めて「ああ、これが自分人生なんだ」と思った。

それからしばらく、遺品の片付けや事務的手続きで走り回った。

弟は何ひとつ文句も言わず淡々必要作業を進めていった。

台所に残った母の急須、寝室の押し入れにしまってあった古いアルバム、引き出しに片付けられた未使用封筒

物だけが淡々と残っていて、思い出も物語も、特に感傷に浸ることもなく過ぎていく。

東京に出てからの母とのやり取りをふと思い出す。

電話越し、それとなく気遣う言葉、たまに肩の力が抜けたような笑い。どれも普通だ。家族だった。

親子の物語なんて結局あとづけでしかなくて、たまたまそこにいただけ、という感覚けがじっと残る。

母がいなくなって、名義変更相続…そういう現実的な事だけが膝元に転がってくる。

結局、人が何をしても、ただ、その都度、選んだ結果だけがかに積み上がっていく。

今も自分音楽仕事をしている。

東京暮らしながら、弟とは以前ほど頻繁に会うこともなくなったけれど、あの家族物語以外、特別ドラマは何もなく、それで充分だと思う。

Permalink |記事への反応(2) | 20:13

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anond:20250929151214

せやで

結婚子供死ぬまでの暇つぶしちょうどええんや

予定調和人生はつまらんし暇すぎる

Permalink |記事への反応(0) | 15:17

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2025-08-19

最初から」「最後まで」「誰が生き残るかわからなくて」「面白かった」デスゲームある?

以下ネタバレ

チャンバラデスゲームが先日完結して、最後まで超面白かったんだけど、残念なところもあって、やっぱり最後予定調和にならざるを得なかった、という。

デスゲームの愉快さって、思わぬキャラクター死ぬ生存する)ところ。そういう意味で、この作品は途中までは本当に緊張感あったけど、終盤まではもたなかった。

「まあ死ぬわけないな」ってキャラは順当に生き残ったし、特に残念だったのは、「こいつは生きるか死ぬ微妙だな」という当落線上みたいな登場人物が、みんな雑に処理されてしまったところ。そういう意味で、「最初から途中まで」は面白かったけど、「最後まで」面白いままではいられなかった(全体ではすっごい面白かった)。

ただ、考えてみるに「最後まで」誰が生き残るかわからなくて面白かったデスゲームほとんどないよな、と思う。

それこそ主人公でさえどうなるかわからない、でも最後まで面白かった、ってやつ。

例えば、『GANTZ』とか『バトルロワイアル』はデスゲームの傑作で、最後まで面白かったけど、玄野や七原&中川永遠に退場するかも、と思って読んでいた読者はあまりいない気がする(『GANTZ』は死亡ありなのでややこしい)。両作品とも最後まで面白かったけど、「誰が生き残るかわからない」わけではない。

神さまの言うとおり』は、途中まで面白かったけど、最後はだいぶ緊張感を失った。この漫画が珍しいのは、主人公含めて誰が生き残るか最後まで不明ではあったところ。ただ、裏をかく、読者に対してメタを張ることが優先されすぎていて、面白さが二の次になってしまった気がする。この辺、すごく難しい。主人公でも死ぬかも!という緊張感は魅力だけど、作品としてつまらなくなってまで先を読めなくしてほしいわけではない。

それでやっぱり、「最初から最後まで、誰が生き残るかわからなくて、面白かった」デスゲームというのはものすごく珍しいと思うんである。まあ、面白いかどうかは俺の主観だけど。

デスゲームという定義を拡大して、「誰が死んで&生き残るかに娯楽として大きく比重をおいたエンターテインメント」とすると、もうちょっと候補が出てくる。

この定義づけだと、「ゲームとして点数や生存を賭けあっている」という舞台設定に縛られないため、主要人物でもガンガン死ぬバトル漫画とか、ミステリーとか、パニック映画とかが入ってくる。

めちゃくちゃネタバレだけど、『CABIN』はマジで最後まで読めなかったし、本当に面白かった。あと無印の『ジュラシックパーク』とかがそうだ(これは、最初に見たのがウブな子供時代だったから、というのもありそうだが)。

あと、なんといっても進撃だと思う。デスゲーム的なノリで誰が死ぬかわからない緊張感を、主人公含めて最後まで維持した、という点だけで、他にもたくさんある偉大な要素を抜きにしても、本当にとんでもねえ作品だな、と思う。

テラフォーマーズ』はこの辺、最初はうまかったけど維持はできなかった。割と中盤で、「こいつは死なないな(作者が殺せないだろうな)」というのが見えていた気がする。

話は戻るけど、「デスゲームじゃないけどデスゲーム的なノリの作品」にまで範囲を広げれば、条件を満たす作品はいくつか思いつく。しかし、「ゲームとして一定ルールのもとで生還(+金銭)を賭けて戦う」厳密なデスゲームとして、作品エンディングまで緊張感を維持したものは、ちょっと思いつかない。

もしかして、かつてないんじゃないか、とさえ思う。生存者が絞られていく中で、「主人公がどうせ生き残るだろう」という消費者の強力かつ妥当な推測を、ずっと面白く揺さぶり続けるのはあまりハードだと思う。それよりは、中盤までの混沌主人公はともかく、他は誰が死ぬかわからない)を越えたら、あとはひっそりと「いか主人公を生き残らせるか(他を退場させるか)」に遷移する方が、娯楽として絶対に勝ち筋が見えている。

イカゲーム』まだ観てないので観てみるけど、これがそうだ、ってのがあったら教えてほしい。ネタバレを受けるようなものだけど、それでも面白ければOKです。

Permalink |記事への反応(0) | 23:32

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ローション相撲を無理して褒めてる雰囲気がほんと嫌

白膠花高校ローション相撲部 - 水あさと |少年ジャンプ+

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/17106567268201279144

  

  

お嬢様っぽい女子高生お嬢様しからぬ文化やらせる」という擦り切れきった構造

ネタ自体も「お嬢様相撲」というそれすら既に何回もやり尽くされてるもの

ローションという下ネタっぽいトッピングを入れてみましたというだけ

  

全てが予定調和で斬新なところも奇抜なところも一ミリもない

この作者やべえなと思えるような狂気もない

なのになんか凄く異常なことを達成したかのようにリアクションを取る読者たち

全てが退屈

 

こういう

つまんない人たちが結集した自然発生八百長みたいな淀んだ空気の輪

が本当に嫌い

  

 

これ読者たちもつまんないやつらだけど

結局は中心となる作品がつまんないから悪い

    

作品が本当にヤバければ無理してほめたたえたり無理して驚いたりする必要はない

読者が心底痺れて痙攣してるような本物のシーンになる

https://shonenjumpplus.com/episode/14079602755080368324

  

こういうのがほんもの

なんもやばくない駄作で演技的痙攣するのはやめよう

Permalink |記事への反応(5) | 10:14

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2025-07-20

anond:20250720141358

追記オメガバースは興味がなくて、好きではないけど殺意抱くほど嫌いでもない。いちジャンルになるほど人気なんだなぁって思ってる。性的役割与えられて予定調和する話のどの辺が面白いのかあんまり分かってない。男女が結婚しました、と同じ情報量だよね。「はぁ」としか調理方法面白いかどうかによるんじゃないでしょうか【追記終わり】

ちゃんと読んでくれてる人がいてビックリした。ありがとう

>受けにメスみあってもええやん? だめなの? なんでダメなの?

ええ人はええやん? しょせん個人好き嫌いだし。

そもそも増田が言うようにやおい-BLと続く系譜の中で、それこそがマジョリティで当たり前で当然で、エドワード・エルリックサラサラの柔らか〜い金髪と丸くて柔らかい可愛い頬を染めて「た〜いさっ!」とかやるのが正義だったよ。

そうじゃないエドはどこにも存在しないくらい(存在してたんだろうけど掘り出せようもないレベル)だったんだよ。

二次創作もっと控え目だった頃はBLは「禁断の恋」の枠で、「性的嗜好は女でなくてはいけないのに、男を愛してしまった」という葛藤が今よりずっと強くあって、だから今よりもう少し受は社会的に男と認知される男として描かれていてさ、そういうのが好きだったんだけど、商売は売れるのが正義なので仕方ないよね。

女は恋愛するもの、可愛くあるもの、愛されるもの結婚するもの、みたいな価値観から逃げてやおいに辿り着いたのに、またマジョリティの「女」の価値観汚染されちゃった。

>「その男の前でだけメス」

なくはない、説得力による。でもやおい説得力持たす奴そういない。ヤマもオチ意味もないものなので。

>受の性格変化

ご指摘通り許容範囲問題

界隈の人であれば「大まかな解釈が一致してる人たち」ほど「細かな解釈が一致してなくて仲違い」とかあるのご存知だと思う。

これもSNSが綺麗になってきたことによって「人の解釈尊重しましょう」ってなってきて大分見かけなくなったけど。

から何が良くて何が良くないなんてのは説明できない。私の中で「これは受け入れられる」と「受け入れられない」があるだけ。

でもやっぱ、大佐に対抗心を持ってない(持ってる風に見せかけるツンデレも含む)エドは私にとってエドじゃない、受け入れられないんだよなぁ。

食材オナニーして使えなくするサンジとか。

飛影はそんなこと言わないとか。

>なんで受がメスみを帯びると夢認定されるのか

メスみの付与にそれ以外の説得力ある理由が思いつかないからですね。

別に説明を付けるか付けないか創作側が選ぶことであって、好きにしたらいいんですけど、前提として私が「違和感を感じて物語から弾き出されて正気に戻った」というのがあって、その流れで「何で?」と思って、特に納得できるような理由がない場合「あぁただの夢女子か」と分かりやす理由を選んで決め付けている。本人に届かないし。

でも実際ここまで性格変わってると私は何を読みに来たんだろう?ってなる。少なくともキャルンとしてておっぱい付いてて薄着で大佐の前に立たされて恥じらってるエドと、それを満足げに見て頷いてる大佐なんかは見に来てない。

需要があるのは知ってる。でもこの需要側は原作エドワード・エルリックなんか求めてないよね死ねって思う。

バーナビー可哀想すぎる過去が明らかになった時も「可哀想バーナビー(に託けた可哀想な私)を抱いて慰めて虎徹さぁぁん!!」が一気に湧いてドン引きした。

性格が同じままなら女体でもええやん?

そう。真理。

できるなら。

多分「性格が同じまま」は実はすごい難しいんだと思う。なかなかない。

TSテーマの話とかはそのままであれ変化するであれ、その辺をコンテンツとして楽しませてくれるからいいとして、二次創作マジ。

そもそも女体化って誰でも安易に手を出せるジャンルなんだよね。男が描けなくても女は描けるとか、自分女子から女体の方が分かるとか。単にネタがないとか。

動機安易から性格安易にメスに変えちゃう

そんなこんなであまり二次創作界隈の女体化ヘイトを溜めすぎて、パブロフの犬並みに「見たら憎しみを覚える」という経路が構築されてる。


そしてそれが今自分に牙を剥いている。

そういう話です。

Permalink |記事への反応(0) | 19:59

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2025-07-03

ボーイミーツガール系」と「日常系」は違う

前期のアニメを見て実感した

GQuuuuuuXは、何をいっても分からない若者感が「ボーイミーツガール系」って感じ

Monoは、大人子供の皮をかぶって予定調和を演じる感じが「日常系」って感じ

もちろん、

製作陣の良い歳したおじさんが「ボーイミーツガール」を描き切ること自体すごいこと何だけど、

視聴側の良い歳したおじさんがはいたたまれなくて見ていられない

人口の大半が、大人世界から人気が上がりきらないのかもな…

Permalink |記事への反応(0) | 10:24

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2025-06-28

anond:20250628174457

ある程度知的人間同士なら、なぜ売れてるかの考察合戦が始まるかもしれないけど、有用議論ってほどのものが生まれることは滅多にない。

大抵、各自思い込みセルフ強化していくだけの予定調和的な結論に行き着くだけなんだよな、凡人の考察じゃ。

最新の文化トレンドだけでなくビジネスマーケットにも明るくて、多面的な切り口で考えられる優秀な人間じゃないと、有用議論なんてできない。

Permalink |記事への反応(1) | 17:49

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アニメアポカリプスホテルは良かった

人類宇宙に逃れいなくなった後の世界で、ホテリエロボットが頑なにホテルを守り続ける話だったが、それは人間性継承の話でもある

ロボットは数百年以上も人類の帰還を待つ間に、地球外生命体を含む生物との間のコミュニケーションを重ね、いわば新しい人類となった

ホテルを営むという習慣の繰り返し、人間の真似事を繰り返すことで人間性を獲得したということ

その意味で非常に保守的な話でもある

一貫して習慣を守ることが重要であり、それが人間であるという話

宇宙人もあまりにも自然人類の習慣に合わせている、郷に従えの完全な実践

これは頭の硬くなった中高年アニメファンにもスッと効くことだろう

しか言い訳として、習慣の枠から出ることの重要性も語られている

仕事放棄したり、お客様暴言を吐くことでしか得られないものもあるのだと

 

途中に悪ふざけな展開を多くはさんでユーモアの分量が多く、軽い気持ちで見られるバランスも良かった

ある種の予定調和としてのハッピーエンドを迎えるのも良い、誰もアニメを見て重い気分になりたくないはず…だよね

Permalink |記事への反応(0) | 07:14

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2025-06-25

ジークアクスを見た僕は・・・

一応最終回まで見た感想としては

ガンダムビジネス:100点

ガンダムシリーズ:70点

二次創作:50点

宇宙世紀物:30点

こんな感じだった。

ガンダムビジネスとしては100点どころかそれ以上でもいいくら大成功だっただろう。これからリピート上映もあるから売り上げはまだまだ伸びそう。カラーとどういう分配になってるか知らんけどこのお金で次の作品が作られるならGQの貢献度の大きさは計り知れない。本当にありがとう

ガンダムシリーズとして見た時にはまあまあだったんじゃないか水星も大ヒットしてたかタイミングもあるだろうけど、比較しても遜色ない出来だったのではと思う。1クール12話という駆け足で上手くまとめてたと思う。個人的には話もスッキリしていたし、今後も無理して4クールやらずにこういう1クールでの単発もありなんじゃないかと思った。

二次創作としては平々凡々。昔のキャラを使えるアドバンテージが活かしきれてなかった気がする。原因として1クールという短さもあっただろうが、もっと宇宙世紀舞台新規キャラの頑張りが見たかった。

さて、宇宙世紀物としてだが個人的にはマイナスつけてもいいくらダメだったんだが、それでもスタッフ努力は見て取れた。なんとなく想像がつく展開といい昔のキャラを出してサービスに終始してた感は残る。最終回予定調和声優入れ替えは英断だと思うがもう少しキャスティングは慎重にしてもよかった気がする。この辺の裁量プレッシャーを担うには監督一人では重責すぎるかも。それでもそれが監督仕事なんだろうが、例のなんとか坂の件といいちょっと迂闊で仕事の取り組みが軽かったなと。そういうとこがキャスティングにも影響してるように感じた。

まあ総じて普通に良作だったと思う。ビジネス目線で言えば大成功でおめでとうと拍手したい。やりたいことやりきって2期もなさそうだしシンエヴァ最後と同じなんか気が抜けた感じがするが、とにかく楽しませてくれて一ガンダムファンとしてめちゃくちゃ感謝はしてる。お疲れ様でした。

Permalink |記事への反応(3) | 10:11

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2025-06-16

ポリティカルにコレクトな話、その胡散臭さ

いわゆる人文系が展開するポリティカル・コレクト議論について、とりとめもない乱筆をしたためてみよう。

はっきり言って面白くないんですよ。だって結論ありきのポリティカルにコレクトな予定調和じゃないですか。「差別はやめましょう」とかいうあまり常識的で変わり映えもしない1フレーズを導き出すのに、色々理屈なり哲学者なりの議論を持ち出して正当化しようとすることの何が面白いんだかさっぱりわからない。

私自身は哲学を専攻していた者なのでまさに「人文系」なんだけれども、ジェンダー論やフェミニズムなどのポリティカル・コレクトネス系の議論(かなり雑な括りだが)は最近流行りなんだろうなあって思うところがあった。ある日暇なんでCiNiiで「マイノリティ」、「ジェンダー」、「クィア」的な語を検索したことがあったんだが、5年間の比較を見ると2015年2020年までと2021年2025年までとで論文数が大体1.2倍くらい増えているんですよ。雑に検索したまでで、その中にはいろいろノイズ的なものがある(一応そのノイズ的なものは各5年とも同数と想定することもできる)し、インターネットの普及でアクセシビリティの向上度合い(とはいえ2015年~ですぜ、2020年以降と大して変わらないだろ)、1.2倍というのが果たして誤差の範囲以上のものと言えるのかはわからないんだけれども、やはり流行りなんだなあと思った。(だれかこの辺の流行に関する社会学をやってくれないかなとは思っている。いつかやるか)

じゃあこの流行りが悪いことなのか、というとそれもまた違うんですけどね。哲学って抽象的な議論だったり理論構築ばっかりやってきたので、それを具体的な領域、例えば社会関係かに落とし込むこともまた必要なんですよ。最近哲学の諸領域社会化はその流れの中にあって、それ自体有意義ではあると思うんですね。いままで問題としてみてこなかったことや、問題だと思ってきたけれどもどうにか受け入れてきたことを改めて眺めて、それが実は問題だったり理論立てて誰かも考えていたんだなと理解し、ではどのように問題なのか、それをどのように解決するべきなのか、自分文脈で考えてみることってのは大事だ。その意義は否定するつもりはない。

その流行やよし、私は自分逆張り精神ゆえ、この流行予定調和的な議論はいささかの反感を覚えてしまうのだ。だからこそ最初に「結果ありきで面白くない」と書いたのだけれども。ポリティカルにコレクトな議論は、確かに結論的にはド正論故に批判反論しづらい。これが果たして完璧説得力がある”ということなのか、”センシティブゆえ事を荒立てたくない”という感情的忌避感なのか、ただいずれにせよ批判異論をぶち上げて(必然的に生々しくなる)議論しづらいというのはあるかもしれない。哲学なり学問なりの面白さは色々な見解が出てくることではなかったのだろうか。

一つ対抗しうるような見解を投げてみることにしよう。最近議論説得力を高めるためなのか、「当事者性」というワードをよく見る。早い話が黄金律で、「人が嫌がることはしないようにしましょう」ということなのだろう。障がい者だったり在日外国人だったり、あるいはLGBT等のいわゆる社会的弱者視点から社会分析するにあたり、現象学手法を用いるものだ。私自身は当事者性を重視したケーススタディだと思っており、わざわざ「現象学」を持ち出す必要はあるのかと思うのだがさておき、以下ケーススタディということにしよう。果たしてそういう議論を展開する人物のどれほどが「当事者」を真面目に記述することを試みたのだろうか。ケーススタディ当事者としての経験であることが最も望ましいのだが、それを論じるには別に当事者である必要はないのだ。結論ありきの議論では、得てして社会に不満を抱いているという前提が勝手に共有されているものだが、そういう不満がないという社会的弱者も当然いることだろうし、別の不満を抱いているという人物もあることだろう。もちろん社会的弱者議論では、そうした不満を抱いていない幸せ人物対象にするわけではないから、「お前は違うだろうな、少なくともあいつや私はそうだったが」と排除することはできる。しかし、議論から排除された人物も”当事者である性的少数者差別は未だに根強いという勝手な前提はあるが、当事者別にそんなことを感じたことはないということも往々にしてある。なんならそっとしておいてほしいと思っているだろうし、強引にでも差別されていると主張しないでほしいとすら思っている。同性愛者でも野獣先輩ミーム面白いと感じている人間はいる(倫理的に正しいかはさておくとしてだが)のだ。

という感じで、私はずっと「当事者はこう考えてきた」という欺瞞的な予定調和な言説に「お前は本当に聞いてきたのか?別の当事者は全く逆のことを言っているのだが」と投げてみたかったのだが、変にヒートアップさせると非常に面倒なので投げなかったタチである

それにしても、「少数にこそ話を聞いてみるべきだ」とか宣う人文系がいるが、そいつはその割にその少数が自説に都合が悪い存在だったらさっぱり無視してしまった、という話はよく見る。いわゆるダブルスタンダードなのだが、このような矛盾した態度を取るからには説明責任がある。一体何を根拠にそのような姿勢を取ったのだろうか?人文学一般に、そのような人間が抱く矛盾分析・整理して明確化するという役割があるはずなのだが、それを放棄してしまったのだ。「そいつらは問題を捉え損なっている」とか「そいつらは問題問題と思っておらず幸せそうに思われたから」などと言うならまだしも、無視はありえないだろう。無論、議論というのは会話である以上、納得させうる説明を作るのに時間必要ではあるしその場ですぐには出せないのだけれども、いつまで経っても説明をせず、すっかりみなかったことにするというのは人文学存在意義を自ら毀損してしまっている。

という、人文系人間による、人文系への愛憎相半ば(というか憎が多いか?)する話でした。

流行自体は悪いとは思わんのだけれども、いかんせんそればっかりなのは面白くないし、反論をするにも突きづらいセンシティブテーマだし、なにより人文系批判というのがかなり高まっているのでね、哲学をやっていた人間として一つ何か言っておこうかなどと思ったもので。

Permalink |記事への反応(0) | 03:48

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2025-06-14

イスラエルイラン空爆ミサイル攻撃以外に交戦手段はあるのか?

互いに国境を接していない国同士、地上部隊が直接互いの領土に進行して交戦することは難しい。

これから戦闘エスカレートして戦争状態になったとして、どのような展開が考えられるのだろうか?

互いに長距離攻撃をするだけならば兵器弾薬備蓄数が鍵となるだろう。

バックに米国が控えているイスラエルにしても無限在庫を持っているわけではないのはウクライナ戦争で証明されている。

防空能力の高いイスラエル予定調和的な(プロレス的な)イランの反撃ならすべて撃退は出来る。

しかし、本気のミサイル攻撃には対応しきれないのは間違いない。

だがイランの継戦能力がそれほど高いようにも思えない。

結局、これまでのようにイランが折れることで戦闘は沈静化するのか?

それとも戦争状態になるのか。

でも直接地上部隊戦闘することのない戦争なんてどうやってやるんだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 07:19

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2025-05-29

anond:20250529224428

そんな一般論みたいな結論がやりたいだけの作品なら、マチュニャアンシュウジ関係描写もクラバもぜんぶ不要だし見る価値ないと思うが。

言わずもがなだがこれは反語であって、そんな薄っぺら作品ではないだろうしだからジークアクスには見る価値がある、という意味

ジークアクスは一見すると宇宙世紀のIFではあるんだけど、実際には「どんなに過程が違っても予定調和の如く同じ方向に人類進化していく様子」が描かれているわけよ。

ジオン連邦のどっちが勝ったかとかって実は重要ではなく、人類超自然的な力に開花してアクシズを押し返すような存在になる未来と、その上でまだ戦争を続けている姿こそが、ガンダムという作品絶対的な軸なんだよね。

Permalink |記事への反応(0) | 22:59

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ジークアクスで何が起きてるのか説明できない奴はガンダムファンとしては三流だよね

ファーストの頃から突きつけられていた「人類革新とは何か?」という問い掛けについて十年程度でもちゃんと考えたことがあれば、ジークアクスが何をやろうとしてるのかなんて明白だろ。

宇宙世紀に限らずガンダムシリーズは常に「火を使うことを覚えて猿は人に進化した。では、それに代わる新たな進化火種を手にした人類が現れた時、我々はどこにいくのだろうか?」をテーマにしてるんだよね。

これがシンプルに「エスパー能力である作品もあれば、「超人身体能力」だったり、「宇宙の心」だったりもするわけ、でも常に問われているのは「一握りの人間が手にした新しい可能性が世界に与える影響力」を問うてるわけ。

ジークアクスは一見すると宇宙世紀のIFではあるんだけど、実際には「どんなに過程が違っても予定調和の如く同じ方向に人類進化していく様子」が描かれているわけよ。

ジオン連邦のどっちが勝ったかとかって実は重要ではなく、人類超自然的な力に開花してアクシズを押し返すような存在になる未来と、その上でまだ戦争を続けている姿こそが、ガンダムという作品絶対的な軸なんだよね。

上っ面の部分を大きくズラして見せることで、本質の変わらなさをより浮き彫りにするってのがジークアクスがやっていることなわけ。

何十年もガンダム追ってきてこれ分かってない人はさ、富野が言ってた「兵器の上っ面の格好良さに目を奪われちゃう人」そのものなんだわ。

まりオールドタイプすぎるってことね

Permalink |記事への反応(2) | 22:44

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anond:20250529120736

結局、ガンダムネタ(あと版権に触れない程度のエヴァっぽさ)だとどこまで行っても予定調和しかならないことがサイコガンダムあたりで分かったから、

マジで完全な他IPネタを持ってくるぐらいぶっ飛んでもらわないと、もはやまともに驚くことさえないかも。

Permalink |記事への反応(0) | 12:10

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2025-05-28

最近創作、どっかで見たやつばっかり。設定もキャラも展開も。全部テンプレ

ツイッターちょっと話題になりそうなやつを、狙って拾って、ならべて、加工して出してるだけ。面白くない。


収益のことばっかり考えてるから、そりゃそうなる。

数字取れるやつ優先、炎上しないやつ優先。

これが売れるってやつを、売れるように整えて、それをひたすら繰り返す。どれだけ売れるかが正義。中身なんてどうでもいい。

収益バズるかどうかを考えてるやつばっか。


でもさ、それってほんとに創作か?ってなる。

作り手が何を思って、何を伝えたくて、どんなこだわりで作ったのか、そういうのが見えない。

ぜんぶ当たり障りなくて、ぜんぶ量産型で、ぜんぶ忘れる。消費されて終わり。

こっちは観てるうちに、何を見ててるのか分からなくなる。作品の顔が見えない。魂がない。


からこそ、とがった作品がほしい。

意味が分からなくていい。正解なんてなくていい。全員に伝わらなくていい。ひと握りの人間内臓にだけ突き刺されば、それでいい。

分かる人には分かる。理解できない人は置いていく。それくらいでいい。


メイドインアビスみたいに、とがってて、変で、汚くて、美しいやつ。作者のこだわりとか性癖とか美意識が、そのままむき出しになってて、引くか刺さるかしかないやつ。

好きか嫌いかのどっちかしかないやつ。そんな作品が見たい。そういう作品に飢えてる。

予定調和じゃないやつ。予定外で、予定外のまま終わるやつ。感情が乱されるやつ。こっちの常識をぶん殴ってくるやつ。理解したいのに理解できないまま、ずっと頭に残るやつ。

思想でも欲望でもトラウマでもなんでもいいけど、それがそのまま出てるやつ。他人に見せるつもりのなかったノートみたいな、そんなやつ。

もっと出してほしい。とがったやつ。壊れてるやつ。かっこ悪いけど強いやつ。かっこよすぎて笑えるやつ。。。


ニッチ層って、実はけっこう多い。表に出てないだけで、需要はあると思う。なのに、供給が少ない。だから刺されば長く応援してくれる。誰にも理解されなくても、自分だけには分かる。そういう作品を待ってる人たちがいる。

作る側も、観る側も、そろそろ気づいてると思う。普遍とか王道とか、そろそろ限界。みんな似すぎて、もう見分けがつかない。だったら、いっそ突き抜けた方がいい。変であることを恐れずに、誰か一人にだけ届くものを作った方がいい。


創作世界はもう完全にレッドオーシャン。似たような作品が溢れて、誰もが同じ土俵で争ってる。そこにしがみついて、お金欲しさに量産するだけなら、正直意味がない。

もし本気で金を稼ぎたいなら、創作なんてやめて情報商材でも売ってればいい。

Permalink |記事への反応(3) | 19:19

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なんとなく順調に生きてたら、ちょっとだけ苦しくなった話

最近、友人に「悩みがあるように見えない」と言われた。確かに、表面的には大きなトラブルもなく、それなりに順調に生きているように見えるのかもしれない。でも、本人からすると、うまく笑えない日が増えていて、何が不満なのか、自分でもよく分からなくなる。

朝は同じ時間に起きて、仕事に行って、無難タスクをこなして、夜はジムに寄ってから帰る。週末には趣味の仲間と少し遠出したり、美術館に行ったり、良さげなカフェゆっくり読書したりもする。人から見れば「ちゃんと充実してる」生活なんだと思う。でも、全部「ちゃんと」っていう枕詞が付くのが、自分でもなんだか苦しい。

仕事は忙しいけど、やりがいがある。関わる案件はそれなりに大きくて、表に名前が出ることはないけれど、社内では評価もされているらしい。とはいえ、それが自分価値だとは思えなくなってきた。成果が出るたびに「また一段上がったな」みたいな反応をされるけれど、その分だけ自分自由が削られていく気がする。評価が上がるのは、逆に「失敗できない」というプレッシャーでもある。

プライベートも、まあ人並み以上には恵まれてるんだろうと思う。何かを「頑張って手に入れた」というよりは、「いつの間にかそうなっていた」ものが多い。いい意味でも悪い意味でも、自分努力では説明しきれない巡り合わせが多かった。自分の力ではない、と思うたびに、その立場に見合う人間でいなければという焦りが増す。

たまにSNSで流れてくる、苦労しながらも何かを勝ち取った人の話を見ると、素直に「すごいな」と思うと同時に、「自分は何かを賭けてまで欲しかったものってあっただろうか」と自問してしまう。気がつけば、レールの上をとにかく脱線せずに走ってきた。予定調和のような人生。でも、だからこそ、自分がどこへ向かっているのか分からなくなる瞬間がある。

そんな話をすると、「もっと気楽に考えればいいのに」と言われる。あるいは、「贅沢な悩みだね」とも。でも、悩みって、環境や条件とはあまり関係なく湧いてくるものだと思う。どれだけ外から見て整っていても、自分の内側で噛み合っていないと、どこかで軋む音がしてしまう。

最近は、夜ひとりで散歩することが増えた。コンビニで買ったアイスコーヒーを片手に、静かな住宅街を歩きながら、ふと立ち止まって空を見上げる。「何かを失ってもいいから、自分言葉人生を語れるようになりたい」と思う。でも、そんな大胆な選択ができるほど不自由でもなく、不満が爆発するわけでもないから、また翌日にはいつも通りの朝が来て、いつも通りの自分が目を覚ます

周りから見たら、何の問題もない、むしろ羨ましがられるような生活なんだろう。でも、満たされていることと、幸せであることって、案外イコールじゃないんだなって思う。

はあ、辛い…

Permalink |記事への反応(0) | 14:41

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2025-05-15

anond:20250515192117

あそこでサイコガンダムコロニー破壊しちゃったら予定調和すぎるよな

ぜひともマチュにコロニー破壊してもらいたい

Permalink |記事への反応(1) | 19:23

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2025-05-10

ニッポン経済奇跡から墓場まで

戦後焼け野原から奇跡復興を遂げ、世界第二の経済大国上り詰めたというのが日本人の自慢話だが、その「経済発展」とやらは果たして本当に中身のあるものだったのか。冷静になって考えてみればわかるだろう、日本の成長は自前というより他力本願実体より見せかけに支えられきただけだ。

  

日本人日本戦後復興と高度成長を語るとき、「自助努力」だけを強調するが、実際にはアメリカという強力な後見人存在があったからにすぎない。敗戦直後、占領下の日本にはGHQによる多額の資金援助が注がれ、固定為替相場制(1ドル=360円)の下で輸出振興の下地が整えられ、1950年に勃発した朝鮮戦争では「特需」と呼ばれる大量の米軍発注日本経済を潤し、これが完全復興への端緒となったのだ。要するに、日本は「発展した」というより「発展させてもらった」面が大きいのだ。ネトウヨはよく「朝鮮半島を発展させてやったんだ」というが、日本も「欧米に発展させてもらった」のだ。1960年代日本の高度成長は、日米同盟なしには起こり得なかっただろう。米国安全保障の傘の下、思う存分経済成長に邁進できたという構図であり、裏を返せば日本「奇跡」米国戦略的寛容に支えられた他力本願産物だったのだ。

もちろん、日本人自身努力や数の多さやかつてはあった勤勉さも少しはあるが、少なくとも「俺たちの実力で世界を驚かせた」という自画自賛は恥ずかしいのでやめるべきだ。高度成長を陰で支えたのは、米国市場という巨大な需要先と資金技術支援、そして安価労働力国内の高貯蓄率(今の中国と似た構造中国日本反面教師にする必要がある)。日本は自ら飛んだというより強力な追い風に乗って舞い上がった風船なのだ

  

今は怠け者で知られる日本人はかつては勤勉で生真面目、サービス残業もいとわず働く世界でも評判の勤労民族だったが、その労働生産性実態はといえば残念ながら芳しくなく、統計をひもとくと、1970年代以降の日本時間あたり労働生産性先進国の中で常に最下位という不名誉な記録を更新し続けている。2020年時点でも日本時間あたり労働生産性は49.5ドルOECD加盟国全体でも圧倒的最下位。つまり日本経済戦後一貫して「効率の悪さ」で世界トップクラスだったわけだ。高度成長期追い風といえる要素に満ち溢れていたため、その弱点も見えにくくなっていたものの、90年代以降はIT化の遅れなども相まって諸外国との差が拡大し放題となっている。

  

時間働いても生み出す付加価値が低いのでは、経済が豊かになるはずがない。日本人人口増が確実視された時点においても一貫して生産性という肝心の成果をおろそかにしてきた。おかげで「働きバチ」のを自称し、平成時代までは実際そうでありつつも、実はハチミツ生産量は先進国でビリなのだ他国効率化とイノベーションで着実に成果を上げる横で、日本けが生産性停滞の沼にハマり続けている。それなのに日本人はうぬぼれているのだ。

日本昭和ピーク、それ以降はゴミ

日本経済実態をもう少し長いスパンで眺めていくと、主要な実体経済指標1970年代ピークにその後低下の一途をたどっている。あの見せかけの繁栄におぼれた1980年代後半、日本世界で「ジャパン・アズ・ナンバーワン(笑)ともてはやされた時期でさえ、実は経済成長率やインフレ率といったリアル指標高度成長期70年代より低水準だったのだ。急激な円高後のカネ余りで株価地価が暴騰し、日本があたか世界一裕福に見えたのは錯覚に過ぎなかったのだ。つまり、見かけの資産価格は派手に跳ね上がっても、日本経済エンジンのものは既に昭和時代に回転数の限界を迎えていたわけだ。高度経済成長ピークが70年代だったとすれば、その後の平成・令和期の停滞ぶりにも合点がいきます事実1989年末に日経平均株価が史上最高値更新して日本経済が「歴史的ピーク」に達した後は、泡がしぼむように停滞が続いている。

  

結局、日本経済実質的な力は1970年代に頂点を迎え、その後は長い停滞期に入ったと見るのが妥当だろう。高度成長を成し遂げた昭和は遠く、平成以降は晴れ間の少ない停滞の時代1980年代バブル期世界リッチに見えたのも、実体経済が伴わない見せかけの繁栄。そのツケは日本人平成以降に味わった停滞という形で帰ってきている。

バブルは幻の繁栄

1980年代後半のバブル景気は、日本経済史上もっとも華やかで浮かれた時代だった。地上げ財テクに浮かれ、土地株式価格天井知らずの上昇を続ていたのだ。その狂乱ぶりはテレビでも見てわかる通りだ。例えば1985年から1990年にかけて地価は約400%も上昇し、日経平均株価PERは80倍から直前には100~200倍という異常な水準に達していた。何が言いたいかというと、実体経済裏付けなどまるでない「バブル」という名の幻影だったのだ。 当然、このバブル1990年代初頭に見事に弾け飛んだ。当たり前だ。「平成景気」という名の打ち上げ花火が消えた後に残ったのは巨額の不良債権と、下降線をたどる経済成長率だ。1989年末の株価高値を境に、日本経済は長期停滞のトンネル突入することになったのはもはや語るまでもないだろう。

  

バブル期にはまるで自分たち世界を席巻する経済超大国になったような気分に浸っていたものの、それは砂上の楼閣に登った気分だったのだろう。後に残った実体経済疲弊を見るにつけ、あの繁栄いかに中身の乏しい見せかけであったかを痛感させられる。バブル絶頂期、日本企業は世界中の不動産美術品を買い漁り、「ジャパンマネー」がもてはやさされたという。しかし、それで得た栄光は永続的なものではなく、気がつけば日本経済は地に足がつかないまま宙ぶらりんの状態だったのだ。資産価格の幻影に酔いしれたツケとして、その後の「失われた数十年」を甘受するハメになったのは当然の帰結だ。

反省しない政治家日本人

バブル崩壊後、日本政策当局は景気テコ入れに躍起となったが、その数々の処方箋結果的に何一つ功をなすことはなかった。1990年代には今の減税・バラマキポピュリスト達が喜びそうな大型の財政出動や減税が何度も繰り返されたものの、景気は一向に本格回復せず、未来へのツケである政府債務けが膨れ上がった。結局、バブルで抱え込んだ民間企業の過剰債務政府が肩代わりしただけで終わり、景気浮揚には無力だったのだ。

  

今の減税ポピュリスト給付金ポピュリストが教訓とすべきことでもある。「借金借金を救う」ような政策では、問題の先送り以上の成果望めなかったのだ。ゼロ金利政策量的緩和といった金融緩和策も導入されたものの、デフレ2000年代まで深く根付いた。そして現在に至るまで日本経済は低成長から脱却できていない。気付けば、経済政策は場当たり的な景気刺激策の継ぎ接ぎだらけで、一貫した成長戦略構造改革国民が反発することもあり、実行されなかったのだ。

  

その間にも少子高齢化は進行し、生産年齢人口は減少、国内市場は縮小と、構造的な課題が山積している。海外から日本政策対応は手厳しく嘲笑されてもいたことはご存じだろうか。世界90年代以降の日本を語る際に「日本化(Japanification)」という言葉が生まれたほどだ(参考→https://en.wikipedia.org/wiki/Japanification)。それは「不況下で有効改革をせず、無駄公共事業延命を図る現象」を指すもので、改革よりも道路箱物を作り続ける日本政治家を「無為政治家」として揶揄するものだ。

  

まり言いたくないが、日本経済の停滞を語るとき、忘れてならないのは日本社会国民メンタリティだろう。政治家政策ミス批判するのは容易なのだが、民主主義国家において政治家国民の鏡だ。政治家国民を望む政治をやる。嫌がる政治はやらない。政治家が一番嫌うのは「落選」だからだ。ゆえに、ほぼ日本人が自らの手で衰退させたともいえる。もちろん、日本人気質のものにも問題ある。「変化を嫌う」風土物事を深く考えず前例通りに済ませようとする思考停止状態、失敗を恐れる風土迷惑不寛容風土、出る杭を打つ文化、人の足を引っ張る文化高度経済成長期の成功体験固執する傲慢さが、日本の停滞を長引かせた要因だろう。 実際、多くの日本企業や組織では予定調和前例踏襲が幅を利かせ、新しい発想や議論を避け、排除する。その結果、変革が避けられない状況でも無自覚に「今まで通り」のやり方に固執し、いたるところで思考停止に陥っているのだ。しかも厄介なことに、そうした楽で無自覚現状維持志向こそが日本経済低迷の発生源なのである

  

国民一人ひとりを見ても、急激な変化の痛みを恐れて結局は現状にしがみつく。または「義務を果たさないくせに権利ばかり主張する」 、「生産性が低いのにもかかわらず働かない」というそんなゆでガエル的な集団心理が、日本の停滞を固定化しているのだ。変化や痛みを避け続けた結果、気づけば茹で上がっていたカエルよろしく、取り返しがつかないほど実体経済が冷え切ってしまったのだ。

「一応先進国ブランドすら危うい(実態はもう後進国だよっと)

かつては世界第二位GDPを誇り、現在も4位を維持している状態を見て「経済大国日本」と胸を張っているネトウヨがあまりにも多いが、ふたを開ければその先進国ブランドも風前の灯火だ。例えば一人あたりGDPで見ると、近年の日本OECD加盟国中22位まで順位を落とし、韓国にも台湾にも追い抜かれた。1980年以降で最も低い順位で、もはや経済指標上は「一応先進国」と呼ぶのもはばかられる。

かつて恐れられた日本経済が国際舞台スポットライトから消え、「存在感の薄い国」に成り果てつつあるのが現実だ。日本世界に誇っていたはずのものが、気が付けばことごとく色あせている。かつて最先端だった技術産業存在感を失い、盛り返す気配すらなく、平均所得は停滞し、気力も勢いも感じられない。これでは「かろうじて先進国」と揶揄されても仕方がないでしょう。国際機関統計を眺めれば、日本より豊かな国・地域に住む人々はもはや十億人規模にも上る(日本同様に数の暴力で豊かに見えてる中国は違うからね)。もはや日本特別裕福な国ではなく、世界の中ではアルゼンチン二世的な立ち位置に落ち着きつつあるのだ。 <h3>o- *</h3>

結局のところ、最も根源的な「劣悪材料」とは、失敗から学ぶ能力の欠如である。「失われた30年」 は、経済課題に対する30年間のほとんど失敗した、あるいは不十分な対応歴史である。今の日本人はその過ちをさらに取り返しのつかなくなるような形で繰り返そうとしている。社会の変化への抵抗構造改革社会保障改革労働市場規制緩和など)への抵抗は、その必要性が明白であるにもかかわらず、根強く残っている。国家国民が自らの失敗を批判的に評価し、そこから学び、意味のある変化を実行できないのであれば、その最も基本的な「材料」、つまりは、自己修正進歩のための能力は、まさに「劣悪」であると言わざるを得ない。日本は今後立ち直ることはないだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 16:15

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2025-05-06

『新約』桃太郎

むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。

おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川に選択に行きました。

おばあさんが川に行くと、大きな桃が「ドンブラコッコドンブラコッコ」と流れてきました。

-----それは、世界の理(ことわり)を超えた何か、あるいは世界彼女差し出した一つの「問い」そのものだったのか?

「汝、この偶然を受け入れるか?」と。

彼女の心は、「受容」と「懐疑」の間で揺れ動いたことでしょう。

この異質な存在日常に取り込むことへの期待と不安

それは、未知なるものへの畏敬の念と、自己存在意義を問い直す契機でもあったはずです。

ルーティン化された生活の中に投じられたこ「桃」という名の特異点は、彼女にとって、これまでの人生意味を反芻させ、そしてこれから人生に新たな意味を賦与するかもしれない予兆として感じられたのではないでしょうか。

その桃は、おばあさんにとって、単なる食物以上の、形而上学的な「贈与」であり、彼女実存に静かな波紋を投げかける「出来事(エベント)」だったと言えるでしょう。

それは、平穏ながらもどこか予定調和だった世界に、

他者」としての桃が現れ、新たな関係性と物語が始まる、

まさに彼女人生選択のものだったのです。

https://note.com/lithe_gerbil1811

Permalink |記事への反応(0) | 19:49

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2025-05-02

anond:20250501133316

ChatGPTに問題点を聞いてみた


元増田性格概要

元増田は誰でも知っているわけでないアニメネタを挟んだり、自分の知っていることは相手も知っていると言う前提でコミュニケーションを取る傾向があります


また文章の内容も上から目線他人評価する内容で、通常のコミュニケーションオタクありがちな一方的上から目線コミュニケーションになってる恐れがあるでしょう。その結果相手が萎縮したり、責められてるように感じている恐れがあります。それすら気付けないので、根本的にコミュニケーション能力が低いのでしょう。


また返答からプライドの高さが伺われ、マッチングアプリによくいる、アプローチを受けることで自分モテていると勘違いしてるコミュ障デブスの恐れが高いでしょう。美人であれば自然男性は話を盛り上げようとしますが、中途半端なやれそうなブスなので、やれない限りあなたとのコミュニケーション苦痛に感じてる恐れがあります。この場合あなた性交できないとなると男性不快感を露わにするでしょう。純粋あなたとの会話に価値を感じてないからです。


元増田性格タイプ現在フェーズ

元増田一方的コミュニケーションしかできない無惨様タイプ、または姫様タイプで、ホストクラブボーイズバーに適性があるでしょう。現在マッチングアプリのヤリモクに狙われて勘違いしている時期なので、元増田が自省し性格コミュニケーション改善をするのは30代後半になってからになります


元増田タイプ改善点と関わり方

元増田他人と会話する際に、相手立場に立って会話すべきです。また、相手に楽しませてもらおうという気持ち予定調和的な会話を求める傾向も強いので、逆に楽しませるつもりで会話すると、同様の男性出会える可能性が高まりますコミュニケーションが得意な人は男女関わらず、知らないフリが得意です。具体的には、「山椒が入っていて美味しいね」ではなく、「すごく美味しい」「何が入ってるんだろう?」や、「いまの仕事すき?」など、広がりのある話をすると良いです。


また逆に元増田のようなタイプと話す時は、適度におだてつつ、コミュニケーション能力を褒めたり、知識披露する時はポジティブに傾聴すると気に入られるでしょう。漫画などの話題で盛り上がるのも良いですが、相手自分より知識があると分かった瞬間テンションが下がる傾向にあるので、知らないフリをして、「おもしれーおんな」扱いしましょう。基本的貴方は悪くない、かわいいといったお姫扱いをすると喜んで股を開くタイプです。

Permalink |記事への反応(0) | 19:06

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2025-04-27

anond:20250427220855

予定調和説って正しい気がするわ

アイドル的なモノに貢ぐようなやつが天国に行けるはずが無い

Permalink |記事への反応(0) | 22:21

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