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2025-10-25

スーツちゃんって、俺じゃん

高橋弘樹vsスーツ人生ってなんだろう?まったり雑談【ReHacQ生配信

https://www.youtube.com/watch?v=C4Mo2hRnUac

このスーツって人、一見するとヤベーことを言ってるが、俺だということがわかった

正確に言うと、俺が主観的に見る俺ではなく、統合失調症患者である俺を世間が見たシンボル的なものがこのショーである

最近、こういうことが多い

例えば、都市伝説Youtuberコヤッキーが話していた「自販機聴診器を当てて引き寄せの法則を実現しようとする人」という話も俺の過去体験酷似しているし、

このスーツという男の「普段パチンコ屋などには入らないが、そんなことはどうだっていいということに気がついたので入ってみたりした」というのも俺の過去体験酷似している

トゥルーマンショーなのか?とも思うが、この男の言うように「そう思い込むことによってピカチュー存在する世界体験することも可能」という話を俺自身体験している可能性もある

まりトゥルーマンショーが本当だと思えば、トゥルーマンショーが本当であるという確率を引き寄せることになるのかもしれない

だが、より本質的な部分では、そもそも観測能力限界があり、自分認識からオーバーフローした部分は切り捨てられる

から自分が見る情報自分に関連することが含まれ可能性が高くなるし、あるいは単に現象として客観的確率が変化したのではなく、注意としてそういう情報を観察するようになるのだろう

この男の「第一の脳、第二の脳」というメタファーは俺にも幾分かは備わっている

俺が何かを発言する時、第一の脳がレコメンドし、第二の脳が修正しようとする

おそらくこの部分にスーツと俺との違いがある

スーツイカれている部分は第二の脳であり、第一の脳は正常であるということ

それに対し、俺にとってイカれているのは第一の脳であり、第二の脳は正常である

第二の脳の能力が薄まっているときにのみ、俺は錯乱する

まあ、俺のブログからアイデアを得たテレビマンが「これは面白いアイデアだ」といって俺を模倣した台本を書き、スーツにその役をやらせ可能性もあるが、

俺の短期記憶能力が低いために、注意が自分に関連するもののみを拾っている可能性もある

Permalink |記事への反応(0) | 03:04

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2025-10-20


老子荘子には、「知識を追い求めすぎることへの疑い」や、「知によって世界コントロールしようとする態度」への批判が、非常に重要テーマとして繰り返し現れます

——

要するに、中途半端知識を追い求め、振りかざすと、その「反作用」によるデメリット半端ない(注: はたから見ると)から、そういう無駄はやめましょうってことなんだよね。ただ、老子場合は「構えなしの構え」で(不完全な知識に基づいた自分の策に溺れる)相手に勝つことを意図しているようにも読める。

ChatGPTに聞いてみました。

🐉老子(『道徳経』)における「知識は足りないままでよい」

🔹 有名な一節(第48章):

学を為すは日に益す

道を為すは日に損す

損之又損して、以って無為に至る

無為にして而も為さざる無し

意味現代語訳):

学問を学ぶ者は、日々知識を増やしていく。

しか「道」を身につける者は、むしろ日々捨てていく。

• 捨てに捨てて、ついには「無為(何もしない自然なあり方)」に至る。

無為であっても、やるべきことは自然に成される。

👉 ここでは「知識学問)を積み重ねること」と、「道に従うこと」が対比されています

老子は、知識を増やすことによってむしろ自然から離れ、余計なことをしてしまうと考えます

🦋荘子(『荘子』)における「知の限界」や「無知肯定

荘子老子思想さらに発展させ、よりラディカルに知識相対性限界を語ります

🔹 たとえば『荘子・斉物論』より:

夫れ知は之を以て知る可からず。

故に曰く、「これを以て之を知る、是れ未だ之を知らざるなり」と。

意味

知識というものは、それ自体によって真に知ることはできない。

• だから、「知識によって何かを知った」と言う人は、本当の意味ではまだ知らないのだ。

👉荘子は、知識はつねに主観的限定的だと捉えています

現実を固定的に捉える知は、流動的な「道」には届かない。

🧭 ではなぜ「知識は足りないままでよい」のか?

両者に共通する思想

世界(道)は人知を超えており、完全に把握することはできない。

知識言葉に頼るほど、かえって道から離れてしまう。

自然(天)に従うこと、無為自然に生きることが大切。


📌結論

老子荘子には明確に「知識は足りないままでよい(むしろ減らすべき)」という考えがあります

それは「無知礼賢(むちれいけん)」でも「無知の称賛」でもなく、知に偏らない、自然調和した生き方を重視するという立場です。

別の言い方で

老子荘子思想キーポイントは、過剰な知識への執着を避け、自然体で生きることです。これを視覚的に表現するために、次のようなイメージを思い浮かべると良いでしょう。

1. 水の流れ(自然に任せる)

• 水はどんな障害物にも柔軟に対応し、最終的には低い場所へ流れます。水は自分を過信せず、無理に力を使うことなく、自然の流れに従います

老子は「無為」や「自然の道」を提唱しましたが、この「水の流れ」のように無駄な力を使わずに、周りの流れに従って生きることが最も賢い生き方だと考えていました。

視覚的なイメージ: ゆるやかな川の流れ。障害物があっても、水はそこを避けてまた流れていきます。これは「無為自然」の象徴です。

2. 竹のしなやかさ(柔軟性と調和

• 竹はしっかりと地面に根を張りつつ、風にしなやかに揺れ動きます。これもまた、荘子が言う「無為自然」の一例です。竹は知識や力に頼りすぎず、環境に合わせて適応し、調和を保っています

荘子思想では、知識経験固執せず、状況に応じた柔軟な生き方をすることが理想とされています

視覚的なイメージ: 風に揺れる竹。知識経験が過剰に強くない、柔軟でしなやかな生き方象徴しています

3. 空の広がり(制限のない自由

• 空はどこまでも広がり、何にも縛られることがありません。この無限の広がりが、荘子が言う「逍遥遊(自由に遊ぶ)」の象徴です。

荘子は、人が自由であること、何にも縛られずに自然と一体化して生きることが最も幸せだと説いています

視覚的なイメージ: 果てしなく広がる青空。空が無限であるように、知識や学びに縛られることなく、自由に生きることを示しています

4. 足りている木の実(不足を求めない

老子荘子は、「足りていることの美しさ」を大切にしました。木の実が自然に落ちるように、過剰に求めることなく、今のままで満足することが大事です。

視覚的なイメージ: 落ちた実が地面に転がり、自然に他のもの調和しています。これが「足りていること」であり、満たされた状態です。

Permalink |記事への反応(0) | 20:30

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デマプロパガンダ陰謀論カルト教義原理主義に惑わされるやつは「思考停止」しており、「自分の頭で考え続ける」ことが大事だとスパイファミリー管理官は言うのだが、主観的にはバカ信者も全員自分の頭で考えた結果としてそうなっているのであり、自分ちゃん自分の頭で考えられていると言える人間は居ない。

しかしそこで終わってたらただのダメ相対主義であり、何にでも程度問題というのはある。

情報評価重要性をいう言説で、実際に糞馬鹿を多少マシにしてやれるプラクティカルものはついぞ見かけない。つまり一見勘所と思える要素は全て見当外れなのだ。では何が重要か?まだわからない。

Permalink |記事への反応(0) | 20:18

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2025-10-19

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.fnn.jp/articles/-/947456

u_eichi すごいなブコメ欄。玉木さんは一貫してずーっと同じことしか言ってない。立憲民主勝手に担ごうとして勝手にキレて勝手マウント取って勝手に呆れられただけ。野田さん安住さんは党内を振り返った方がいい。

交渉の場においてずっと同じことしか言わない

というのは一貫性があると言えるけど

同時に交渉する気がなく意固地になっているだけとも言えるし

玉木が「首相を務める覚悟はある」と言って他党との協議を行ったのだから

”立憲民主勝手に担ごうとして勝手にキレて勝手マウント取って勝手に呆れられただけ”

というのは主観的意見だし

こうしたブコメに星が集まる所が「すごいなブコメ欄。」って感じ

Permalink |記事への反応(0) | 18:30

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2025-10-17

ドルエイジ・サラリーマン職業能力衰退現象に関する学術考察

日本型雇用システムにおける構造矛盾個人的危機の複合分析

序論

「45歳を過ぎて本当に全然仕事ができなくなった。本当の本当に何も出来ん。MTGの前日とかに間に合わせの資料必死に作ってそれでなんとか誤魔化してるだけ。あとはぼーっとしてるか頭かきむしってるだけで殆ど何もしてない。10年前の百分の1くらいのパフォーマンスしか出ない。客先がいい人で今のところ叱られてもいないけど多分その内見捨てられる。どうすりゃいいんだ」

anond:20251017145418

この実体験的証言は、現代日本のミドルエイ労働者が直面する深刻な職業能力衰退現象如実に表している。本稿では、この現象を単純な個人的問題として捉えるのではなく、日本型雇用システム構造特性組織社会学的要因、認知心理学メカニズム、および労働経済学的背景を統合的に分析し、その本質的メカニズムを明らかにする。

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1.理論フレームワーク:ミドルエイジ・クライシスの多層構造

1.1日本型雇用システム制度的制約

労働政策研究・研修機構2010)は、中年期が「仕事の負荷の増大や能力の停滞と限界感等が生じる時期」であり、これらへの対応を誤ると「諦めや思考停止」、「会社への過度の依存」を生じかねないことを指摘している。この現象は、清家(2011)が論じる日本的雇用慣行相互補完性—(1)年功賃金、(2)終身雇用、(3)企業別労働組合—が現代経済環境変化に適応できない構造矛盾として現れている。

特に重要なのは年功序列終身雇用相互補完性である。Milgrom and Roberts(1992)の内部労働市場理論が示すように、複数雇用慣行間の相互補完性は制度の安定性をもたらすが、同時に変化への抵抗力も生み出す。これにより、45歳前後労働者既存スキルセットでの成功体験依存し続ける一方で、急速な技術変化や職務要求の変化に適応できない状況に陥る。​

1.2 「42.5歳の壁」現象実証根拠

パーソル総合研究所2017)の大規模調査(n=2,300)は、「42.5歳」で出世意欲が「出世したい」から出世したいと思わない」に逆転し、「45.5歳」でキャリアの終わりを意識する転換点を迎えることを実証的に明らかにしている。さら同調査では、50-51歳でジョブパフォーマンスが最も落ち込み、50代前半で会社満足度が最低値を示すことが確認されている。​

この現象は、Lehman(1953)が技術者を対象とした古典的研究発見した「30歳代前半で業績がピークに達し、その後は低下していく」パターン現代版として理解できる。ただし、同一年齢内での業績評価分散が大きいことから、年齢自体自動的能力低下を引き起こすのではなく、職務関連要因(仕事の割当の複雑性と挑戦性)が業績と密接に関係していることが明らかになっている​

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2.パフォーマンス低下の多次元的要因分析

2.1認知機能組織適応の複合的衰退

パーソル総合研究所2022)は、ミドルシニア層のパフォーマンス低下について5つのギャップ特定している:​

1.意欲のギャップ役職定年などで肩書を失って意欲が落ちる

2.期待のギャップ:期待される業務理想とする業務に差がある

3.成果のギャップ:出している成果と求められる成果に差がある

4.時代ギャップ:今の時代適応できずにいる

5.評価ギャップ自己評価会社から評価に差がある

これらのギャップ相互に影響し合い、学習性無力感(Learned Helplessness)(Seligman, 1972)の状態を引き起こす。特に重要なのは、「働く意欲がない」状態ではなく「働けない状態」に陥っているという点である。​

2.2スキル陳腐化のメカニズム

橋本・玄田(2023)の分析によれば、50-59歳層では職業スキルケア科学技術分析)すべてについて負の方向に移転しており、60歳以降では前職より平均2-4ポイント低いスキル水準での就業余儀なくされている。これは単なる転職時の条件悪化ではなく、蓄積されたスキル市場価値の急速な減衰を示している。​

特に定年や家族理由健康上の理由を含む非自発的離職において、スキル水準の低下が顕著に現れることが統計的確認されている。これは、冒頭の証言にある「10年前の百分の1くらいのパフォーマンス」という主観的体験と一致している。​

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3.組織内地位変化と心理的影響

3.1役割曖昧性とアイデンティティ危機

労働政策研究・研修機構2022)の分析では、ミドルエイジ層(35-54歳)の転職において、これまでの経験が活かせない業務や、新しいスキルが求められる環境への適応困難が主要な問題として浮上している。この適応困難は、単純なスキル不足ではなく、職業アイデンティティの再構築を伴う複雑な心理的プロセスである。​

3.2世代間格差の拡大

パーソル総合研究所2023)の調査では、ミドルシニア就業者の70.1%が「何歳になっても学び続ける必要がある時代だ」と認識している一方で、実際に学び直しを行っているのは14.4%に留まっている。この認識と実行の乖離は、金銭的・時間的余裕のなさ」(30%超)「学ぶ対象や学ぶ方法のわからなさ」(約20%)に起因している。​

興味深いことに、学び直し層の年収は平均642万円(50-54歳)と高く、「高年収職業についているため学んでいる」「過去の学び直しが年収を高めた」という双方向因果関係存在示唆されている。​

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4.制度的・構造的要因の学術分析

4.1内部労働市場理論限界

梅崎・藤本2021)は、日本的雇用システムが「継続的に長く務められる日本人男性だけにとって優位な制度」であったが、「女性外国人のような本来従業員として期待される人材を逃してきた」と分析している。この分析は、同システム特定人口動態的特性を前提として設計されており、その前提が変化した際の適応力の欠如を示している。

4.2労働市場の二重構造

厚生労働省2013)の分析では、日本的雇用システム課題として正規雇用非正規雇用二極化が指摘されている。45歳以降の労働者は、従来の正規雇用の枠組みでは価値を認められにくい一方で、非正規雇用への移行は大幅な処遇低下を伴うため、中間的な働き方の選択肢限定されている。

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5.実証データに基づく現象定量

5.1パフォーマンス低下の統計的証拠

パーソル総合研究所2017)の詳細な分析では、50-51歳でジョブパフォーマンスが最も落ち込むことが5つの指標(「任された役割果たしている」「担当業務責任果たしている」「仕事パフォーマンスを発揮している」「会社から求められる仕事の成果を出している」「仕事評価に直接影響する活動には関与している」)で一貫して確認されている。​

5.2学習効果年収への影響

研究所(2023)の推定では、学び直しを行わないミドルシニア正社員比較して、学び直し実施者の個人年収は平均+12万円、3年以上の継続的学び直しでは+30万円の差が生じている。この結果は、継続的能力開発の経済効果定量的に示している。

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6.組織的・社会的対応策の理論的基盤

6.1 人的資本理論の応用

Becker(1964)の人的資本理論に基づけば、45歳以降の労働者価値低下は、企業特殊技能(firm-specific skills)への過度の依存一般技能(general skills)の相対的軽視の結果として理解できる。パーソル総合研究所2024)の分析では、転機における学習度合い(「転機学習度合い」)が学歴関係なく、個人年収や職位と正の相関を示すことが確認されている。

6.2組織学習理論適用

Argyris and Schön(1978)のダブルループ学習理論観点から、ミドルシニア層の活性化には既存の行動パターン価値観の根本的な見直し必要である。パーソル総合研究所2022)が指摘するように、「管理職気合根性指導しろ」とは言えず、心理学などのロジック考慮したコミュニケーション必要である。​

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7.社会経済インプリケーション

7.1人口動態変化との相互作用

内閣府2023)の推計によれば、2025年には65歳以上人口が総人口の30%を超える超高齢社会が到来する。この状況下で、40-60代の生産性低下は国家レベル競争力低下に直結する。OECD2023)の報告書でも、中高年労働者パフォーマンス維持が先進国共通課題として位置づけられている。

7.2労働政策への示唆

労働政策研究・研修機構2022)は、ミドルエイジ層の能力開発について、「アップスキリング」(現在仕事関連)と「リスキリング」(転職キャリアチェンジ関連)の体系的な区別重要性を指摘している。前者が71.1%後者が47.0%という実施率の差は、既存職務への適応偏重した能力開発の現状を示している。jil+1

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結論:複合的危機への統合対応フレームワーク

本稿の分析により、45歳前後サラリーマン経験する能力低下現象は、以下の多層的要因の相互作用として理解されるべきことが明らかになった:

6.制度的要因日本型雇用システム構造矛盾

7.認知的要因スキル陳腐化と学習性無力感

8.組織的要因役割曖昧性とアイデンティティ危機

9.社会的要因世代間格差技術変化への適応困難

10.経済的要因:人的資本価値減衰と労働市場の二重構造

冒頭の証言にある「間に合わせの資料で誤魔化している」「10年前の百分の1くらいのパフォーマンス」という状況は、個人怠惰能力不足ではなく、システム全体の機能不全の症状として位置づけられる。

効果的な対策には、Senge(1990)の学習する組織理論に基づく組織変革、人的資本理論に基づく継続的能力開発システム、そして社会保障制度を含む包括的制度設計の同時実施必要である特に重要なのは個人自己責任論を超えた社会システム全体の再設計である

将来の研究課題として、AIデジタル技術の急速な発展がミドルエイ労働者に与える影響の定量分析、および効果的な介入プログラム実証評価が挙げられる。

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参考文献

  • Becker, G. S. (1964). _Human Capital: A Theoretical and Empirical Analysis_.Chicago: University ofChicago Press.

  • Milgrom, P., & Roberts, J. (1992). _Economics,Organization andManagement_. Englewood Cliffs, NJ: Prentice Hall.

  • Seligman, M. E. P. (1972). Learned helplessness: Annualreview of medicine. _AnnualReview of Medicine_,23, 407-412.

Permalink |記事への反応(4) | 16:15

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anond:20241221132701

こういうのって別に客観的な最低限の暮らしは安く出来るけど

主観的な最低限のラインを引き上げるから足りないという話でしかない

主観ラインあげてりゃいつまでも足りないのは当たり前

Permalink |記事への反応(0) | 12:52

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2025-10-16

AIによるスレッドまとめ

1. 「水星魔女」(推定)の公式問題点

スレッド内で特定が試みられ、多くの参加者によって『水星魔女』ではないかと推測されている作品について、公式の展開やヘイト管理に関して以下のような問題点が指摘されています

倫理観の欠如とヘイト管理の失敗

ラウダの倫欠行為と無反省: ラウダがグエルに対してクズ行為、具体的には八つ当たりを行いグエルが死にかけたにもかかわらず、本編でラウダがグエルに謝罪しない、もしくは開き直ったまま物語が進行したとされます

倫欠状態での恋愛成就: ラウダの倫欠行為が未解決のまま、ラウダとペトラカップル公式成立したため、ラウダは「倫欠の恋愛脳」として批判されました。

報復の不均衡: 悪行を行ったシャディクが罪を償うことになった一方で、明らかに悪行を行ったラウダがお咎めなしとなり、公式バランスが悪いとの指摘があります。作中で明確に人を殺しているが裁かれていないキャラもいる中、ラウダだけが野放し呼ばわりされることにフィルターがかかっているという意見もありますが 、ヘイト管理が下手であるという認識が多数あります

被害者グエルへのフォローの偏り:公式はグエルの寛容さを描くことでラウダのフォローをしようとしたようですが、グエル推しはラウダの野放し状態に怒り、結果的にラウダへの憎悪が高まりました。さらに、公式がラウダの行為の原因補強ばかり行い、グエルがラウダ以外のキャラから責められ自責するような追加情報を出したため、公式がラウダのモンペモンスターペアレントである炎上する事態を招きました。

作品全体の倫理観構成

深刻な事象の軽視: ラウダがグエルを殺しかけたという事態殺人未遂)よりも、人体実験や大量殺戮などの他の極悪非道行為経営者孤児人体実験を行いトンヅラしたこと若者殺人罪を肩代わりさせたおばさんなど)が作中で発生しており 、ラウダの罪が霞んでしまうほど、作品全体の倫理観が「終わっている」状況が指摘されています

展開のためのキャラ利用: 倫欠行為が「話を動かすため」にキャラ犠牲になったパターンであり、その結果、後からフォローが来ない可能性が指摘されています

尺の不足: ラウダとグエルの衝突は、本来であればもっと早くやるべきだった「尺の無駄遣い」と見なされる側面もあり 、全体として展開が雑であるという意見も見受けられました。

 

2.スレ主の問題点

スレ主はラウペト推しである自称していますが、その投稿内容には以下のような問題点バイアスが指摘されています

視点の偏りと主観の強さ

ラウダに対する主観的なフィルター:スレ主の記述(ラウダが謝らない、ラウダはお咎めなしなど)は、既に作品やラウダの評価に対して「分ッ厚いフィルター」がかかっていると複数ユーザーに感じられています

グエル推し視点での情報開示: ラウペト推し自称しているにもかかわらず、ラウダへの批判倫理欠如の強調、グエル推しから嘲笑記述など、その文章は明らかにグエル推し(またはラウグエ腐)の視点である看破されています

人気度の強調:シチュエーション行為善悪を語る際に、ラウダよりもグエルのほうがグッズのバリエーションなどから「段違いで人気のあるキャラクター」であることを持ち出しており、ラウダを貶めたい意図が隠せていないと指摘されています

執着と精神依存

粘着質な執着:スレ主は「ラウダがグエルに倫欠なことする前の界隈の空気が楽しすぎて執着が切れない」と述べており、作品終結してから単位時間が経っている可能性が高いにもかかわらず 、いまだにジャンルから離れられずにいます

反転アンチ化の懸念: 執着を断ち切れないまま界隈に留まることは、ラウダアンチをしながらラウペト推しやラウグエ推しをするような状態、「反転粘着アンチ」になりつつある状態と見なされています

愚痴と慰めへの要求:スレ主の行為は、純粋アドバイスを求めているというよりも、都合の良い情報だけを開示して「自分を慰めて欲しい」 、あるいは界隈を叩いてほしいという目的であると推測されています

 

3.理想的コンテンツ消費の在り方についての提案

スレ主の状況や、スレッド内で寄せられたアドバイスから理想的コンテンツ消費の在り方として以下の点が提案されます

1.個人許容範囲を最優先にする

自己判断と許容: 最終的に、自分公式のラウダを受け入れられるか許せないかがすべてです。周りの空気他者意見に関わらず、自分がそれでも好きか、推せるかで判断すべきです。

無理をしないこと:精神的なストレスを感じてまで無理矢理好きでい続ける価値のあるフィクション存在しません 。作者の倫理観が受け入れられないと感じたら、精神衛生のために離れるべきです 。

2. 柔軟な楽しみ方を採用する

二次創作活用:公式の展開が受け入れられない場合公式をある程度無視して二次創作を楽しむという方法があります自分がラウダを許せる「IF(もしも)」の設定を自分で作り、その設定で推し続けることも一つの手です。

距離を置く: 嫌な空気の界隈に居続ける必要はありません。交流を断ってカプだけを推し続ける、または鍵付きアカウントなどで似た価値観を持つ人たちだけで交流する など、居心地の良い環境を確保することが重要です。

過去に焦点を当てる:公式の展開が気に入らない場合は、問題の行動が発生する前の、好きだった時点のキャラクターや関係性だけを推し続けることも可能です 。

3. 未練を断ち切り次に進む

一旦距離を置く: 執着を断ち切れない場合は、とりあえずジャンル全体から距離を置くことが推奨されます時間けが解決してくれることもあります

新しい場所を探す:現在の界隈に熱意が残っていないなら、別の居心地の良い界隈や、もっと楽しめそうな新しい作品に移るべきです 。

自己解決責任: 状況が曖昧なままであれば、他者判断を仰ぐのではなく、自分決断を下すべきです。粘着アンチ化する前に、見切りをつけることが健全な消費態度です 。

Permalink |記事への反応(0) | 21:47

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2025-10-15

幸せ目標にしないほうがいい

「なぜ生きるのか」という素朴な問いに対して、「人の生きる目的は、幸せになること」という回答は、ある程度説得力を持つ気がする。

そのようにずっと思ってきて、今でも思っている(ただし、これが唯一の解とまでは思っていない。さらに言えばそんなに気にいってもいない)のだが、最近はここに注釈をつけたほうがいいのではと思えてきた。

幸せになるため」というのは、「人が生きる理由」というのを客観的に見たときの話でするならいいのだが、主観的に「目標」とするなら、それはあまりうまくいかないんじゃないか、ということ。つまり、誰か他者について「あいつはこっちのほうが幸せなんだろう(だからこっちのほうがいい)」と考えることは全く問題ないが、自分ごとについて「自分はこっちのほうが幸せだ」という価値基準で何かを決めようとすることは、ちょっと良くないんじゃないか、ということだ。

なぜこう思うようになったかというと、幸せ相対的であり、自覚できず、複数ベクトルでできていて、そして思ったよりも予測不可能だということが身に染みたから。「自分はこうしたら幸せになれる」は、多分そこまであてにならない。試行錯誤するにしても、「今自分はどの程度幸せか?」ということをちゃん自覚するのが難しく、たぶん、ままならない。

から人生価値基準に置くならもうちょっとわかりやす指標にしたほうがいい。例えば、「楽かどうか」とか「おもしろいかどうか」とかのほうが、ずいぶんと分かりやすいし、それらを組み合わせたっていい。

Permalink |記事への反応(1) | 17:14

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anond:20251015111548

ただの個人感覚的な感想やんけ。

しろこいつらが理屈じゃなくて根拠ない主観的感覚を元に仕事してきたのか?っていう疑問すら湧いてくるんだが。

Permalink |記事への反応(0) | 11:20

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VRChatがつまらなくなった

キズナアイとかが流行っていた時期に、ねこますさんが紹介したのをVRChatを始めた。もう8年前?ぐらいな気がするがとにかくだいぶ時間がたった。

「VRChatがつまらなくなった」というと語弊があり、どちらかというと自分と合わなくなったというのが正しい気がするが、まあとにかく主観的につまらなくなったという話をする。

だれがどこでなにをやっているのかまったくわからなくなった。

初期は人づてで「なんかおもしろいことやってるらしい」ですぐに行けた。

中期はTwitterで流れてきたなんかおもしろそうなところに行けた。それもだいたいなんとなく知っている人がやっているイベントだった。

後期はXで流れてきたのを見たが「おもしろそうだけどどうせすぐ埋まって入れないし、知らない人のイベントだし行くのめんどくさいな」で行かなくなった。

知っている人主催でもないし、行ってもいいかなと思ったときにはもう枠が埋まってていけない。イベントはそのぐらいの興味でふらっと行けるものではなくなってしまった。

自分が贅沢になったのもあるとは思う。

イベント自体裾野は広がっているんだから人があんまり行ってないような地味なイベントに行けばいいのだろう。

でもぶっちゃけそういうのは大概面白くないし(謎の接客イベントばかりだ)、仮に面白かったらすぐに大きいイベントに変わるから場所にもならないし、複雑な感じだ。

じゃあお前が面白イベント主催すればいいじゃないかと言われそうだけど、そういう話じゃないんだ。

イベント主催は実際に何回かやったけどとても疲れるし、ホスト側とゲスト側ではそもそも根本的に違うものだ。ホスト側がゲストみたいに楽しんでしまうとイベント破綻する。

いいイベントにしようとすればするほどゆるく楽しみたかった目的から外れていってしまう。そんなにVRChatを頑張りたくない。

イベントが増えすぎて面白イベントにしないと人が来てくれないが、面白イベントにするとコストがかかりすぎるというジレンマがある。

上に書いた中期ぐらいまではイベントをやるにしても参加するにしてもそんなにコストがかからなかった。クオリティは高くなかったかもしれないが気軽に集まれた。いまではそんな牧歌的なのは無理だ。

なんにしても存在するために「面白い人」を要求されるようになってつらい気分だ。

頑張って「面白い人」「たくさん人がいる中で関わる価値のある人」になろうとしたけど疲れてしまった。

気軽に人と話せるのが良いところで始めたのに、頑張らないと続けられないならやる意味がない。

からの知り合いもどんどんと辞めていっているし潮時な感じはある。思い入れはあるが自分の居場所ではなくなったのだろうという気持ちでいる。

まあTwitterにしてもVRChatにしてもなんにしてもインターネットコンテンツというのはそういうものだ。また新しい場所を探してみようかなと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 09:18

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2025-10-14

anond:20251014142436

うわ、なんか必死

わざわざ数式まで持ち出してきて笑えるんだけどw

 

えっ、もしかして俺に「価値定義は?」って聞かれて答えられなかったのがよっぽど悔しくて、後から必死AIに聞いてそれっぽい理屈捏造しちゃったってこと?w

 

で、その長ったらしい定義(笑)で、結局お前の最初の主張だった「お金は単に価値を数値化したもの」ってのが証明できんの?w

 

お前の定義だと価値ってのは「主体i」とかいうのが決める、クソみたいに主観的もんじゃねえかw

それって要するに「俺がそう思うから価値があるんだあ〜!」って泣き叫んでるのと同じだよなあ?w

そんなフワフワしたものを「数値化」とか偉そうに言ってたわけ?wあーあ、馬鹿がまた一人可視化されちゃったねえw

Permalink |記事への反応(2) | 14:29

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玉木が立憲民主党の後押しを受けないことを覚悟がないとか言って批判してる人は基礎的な知識すらないアホ

まあはてなブックマークにいる立憲民主の支持者は間違ってても上の人が言ってることを鵜呑みにして言われた通りに行動するロボットみたいなのばっかりだから

実際には何も調べないし何も考えてない。将来botに置き換えても何も不都合もないゾンビみたいなもんだからしょうがないけどな

衆院単独予算付きの法案提出20議席以上で現在国民民主はできない。つまり玉木が首相になりたいなら立民の傀儡になるしかない,政策の主張は何も意味ないぞと野田や安住が言ってるのはそういう事」

について、衆議院ルール国民民主党の議席数、最近政治動向を基にしっかり調べてみました。

結論から言うと、投稿の大部分は事実に基づいていますが、一部に誤りや過度な解釈があります。以下で詳しく説明しますね。

情報源は主に国会公式サイトや信頼できる報道日本経済新聞朝日新聞読売新聞など)からです。

1.衆議院での法案提出ルールについて

投稿の主張: 「衆院単独予算付きの法案提出20議席以上」

検証結果: これは誤りです。正しくは以下の通りです:

一般的法律案の提出には、衆議院20人以上の賛成者が必要です(国会法第75条)。これは正しい部分です。

しかし、予算を伴う法律案(例: 新たな支出を伴う政策関連法)の場合衆議院では50人以上の賛成者が必要です(同法第56条)。20人ではなく50人以上が条件で、単独提出のハードルはより高いです。

根拠:衆議院公式サイト()内閣法制局資料確認参議院では予算付きで20人以上ですが、投稿衆院指定しているので、ここがポイントです。

2.国民民主党の議席数について

投稿の主張: 「現在国民民主はできない」(20議席以上持っていない)

検証結果: これは正しいです。2025年10月現在衆議院議席数で、国民民主党は27議席()です。一般法案(20人以上)なら単独提出可能ですが、予算付き法案(50人以上)では不足しています。つまり単独予算関連の重要法案を提出・推進するのは厳しい状況です。

◦ 参考:2025年参院選国民民主は大幅増(改選17、非改選5で計22議席しましたが、衆院法案提出の主戦場なので、ここが鍵。

根拠:衆議院公式会派議員()選挙結果報道朝日新聞選挙ドットコム )。

3. 玉木代表首相を目指す場合の「立民の傀儡」論について

投稿の主張: 「玉木が首相になりたいなら立民の傀儡になるしかない」

検証結果: これは政治的な解釈ですが、最近の状況から見て妥当な指摘です。自民公明の連立が難航(公明離脱の動き)し、野党側で首相指名選挙10月臨時国会予定)での一本化が議論されています立憲民主党(148議席)が主導し、国民民主(27議席)の玉木雄一郎代表を「野党統一候補」として推す動きが出ており、玉木氏が首相になるには立民の支持が不可欠です。

しかし、玉木氏は「立民とは安全保障エネルギー政策合意できない」と慎重。単独では過半数(233議席)に遠く及ばないので、連合なしでは政権運営が難しく、「傀儡」的な依存懸念する声はあります。一方、玉木氏は公明党(24議席)との連携模索中で、立民一辺倒ではないです。

根拠:日経新聞朝日新聞東京新聞2025年10月報道自民196議席に対し、立民+国民+維新で210議席超え可能

4. 「野田や安住が言ってるのはそういう事」について

投稿の主張:野田代表や安住幹事長が「政策の主張は何も意味ないぞ」と玉木氏を批判

検証結果: これは部分的に合っていますが、直接的な表現ではありません。立民の安住淳幹事長は8日の会談で「玉木代表でまとまるなら有力候補」と提案しましたが、国民民主側が政策譲歩を求めると「冗談半分」「気概がない」と不満を漏らしました。野田佳彦代表12日、「機関決定を強要するのは高いところから言い過ぎ」「チャンスを逃すのは責任逃れ」と玉木氏の政策主張(安保原発ゼロ反対)を批判。つまり政策の違いを棚上げして数合わせで一本化せよ、というニュアンスで「主張が意味ない」ように聞こえる発言はあります。ただ、野田氏は「一字一句変えない立場ではない」と柔軟さも示唆

根拠:毎日新聞Yahoo!ニュース日本経済新聞の直近報道

全体のまとめ

本当の部分:国民民主議席不足で単独法案提出限界、玉木首相の道が立民依存になりやすい、野田・安住の発言政策主張を軽視するニュアンス

誤り/注意点:予算付き法案閾値は50人以上(20人ではない)。また、「傀儡になるしかない」は主観的で、玉木氏本人は公明連携視野抵抗を示しています政治は流動的で、10月14日現在党首会談野田+玉木+維新)が調整中です。

今後の見通し: もし野党一本化が実現すれば、玉木首相可能性はゼロじゃないですが、政策摩擦がネック。支持率急上昇の国民民主がどう動くか注目です。

まり政策実現ができる保証を立憲民主が示さない限りは限りは玉木が受ける理由は何もない

故にこちらの意見が正しい

setlow自民降ろしに一切魅力を感じていない相手(玉木)に自民を降ろすチャンスだから協力しろと言っても響くわけないよね。そんな玉木を振り向かせるには、「お前の政策を実現してやる」って言うしかないんじゃないの。


政治の話は、知識がない人が自分の頭で考えると、この人みたいに自分価値観ものを喋ってしま

以下の意見は、知識がないなりに自分の頭で考えたんだろうけど、政治場合はこの態度はただの怠惰コメント書く前にちゃんとこういうふうに考えたんだけど自分理解してない前提とかない?って生成AI確認したほうがいい。こう言うコメントしていいのはフェミニズム話題だけにしろ

kagecage 何故「自分達が力を貸してやってもいい」調なのかというと、やはり責任取って陣頭指揮取る気がないからだろうなと思う。「それならこの機会にこの政策を通したいから一致させて通そう」と前のめりになるなら信じるが

Permalink |記事への反応(0) | 02:23

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2025-10-13

父は英雄、母は精霊、娘の私は転生者。を読んだ。性格悪すぎだろ。ソープオペラかよ

アニメ一話がよかったので、きっとほのぼの系だろうなあとおもって原作に手を出したのだが、

なんというか、これ、かわいい系ほのぼの異世界転生の皮を被った

くそ系昼メロドラマソープオペラだった


ストーリーはこんな感じで進む。

これを何度もくり返す。

だけど、客観的に見て

見ていてこの一家に全く好感が持てない。

タイトルからして主人公らの魅力をベースにした物語が展開すると思うじゃん?

だけど、なんつーか、作者がムカつく奴を物語に登場させて、そいつを追い詰めたいと言う願望が先に出て無理矢理シーンを組み立てている感じがする。

ラブラブ夫婦の夫に一方的に横恋慕宇してる愚かな女を断罪したいなー

とか

主人公しか作れない薬を配って慈悲の女神になりたい。もちろん奪いに来る悪役を断罪したいなー

とか、そんな感じがする。主人公がまさに神の視点

なんつーか、スカッとしたい鬼女向けなのか?

作者の願望が漏れ出ているとしか思えない主人公性格が悪すぎる。お前ら大人しく精霊界に帰って白で平和に暮らせ、二度と下界に関わるなと言いたい。


原作はそれがあからさまに出ていて、なんつうか、物語主人公主観的事実のみで美化しようとしてる臭さがある。

お前絶対ここに書いてないことあるだろうとか、権力をかさに着て相手を悪く書かせただろうこれみたいな雰囲気がある。これを意図的に醸し出しているなら天才だと思うが、多分そうじゃないんだろうなこれ。

漫画では消臭しようとして失敗。

アニメでは第一話で上手く消臭したが、第二話ではなんか臭ってきて失敗している感じがする。


一発逆転するとしたら、最終話で、

これだったら楽しい

Permalink |記事への反応(0) | 23:53

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2025-10-11

anond:20251011200334

主観的性別区別ではなく

ちんぽありちんぽなしという客観的区別に変更するべきだと思う

Permalink |記事への反応(0) | 20:08

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2025-10-10

鋼のメンタル欲しい

強靭精神性」は、単なる心理的資質ではなく、観測者としての自己宇宙との関係性の理解還元される。

古典的精神論を超越し、我々の認知活動物理的な情報処理として捉え直す。脳内電気信号が量子ゆらぎによって基礎づけられるとするなら、主観的な「私」は宇宙法則から独立した存在ではなく、その法則のものを具現化した特異な演算主体と見なせる。

この観点に基づけば、「誰も見ていない発信」という概念無効化される。思考という事象は、神経細胞の発火を通じて電子運動を誘発し、これは局所的な時空の微細な歪みとして宇宙構造刻印される。これは、いかなる受動レシーバーがなくとも、真空のものを伝達媒体とする宇宙規模の通信である

フォロワーゼロ」は「非観測状態」を意味しない。私という観測者の存在のものが、世界波動関数を収縮させ、観測の射影を発生させている。私の思考は、この世界状態を決定する基本操作である

現代社会における「承認」「評価」「インプレッション」といった情報は、観測者を束縛するエントロピー的なノイズ、すなわち情報論的な檻を構成している。

しかし、この束縛から解放は、ただ一つの命題に集約される:「私の思考世界の基底演算である」。

この情報論的格子の隙間に存在する真空こそが、観測主体としての自己である。私の認知が停止すれば、世界記述は静止し、私の発言は時空の振動を引き起こす。

したがって、「投稿行為」はSNS上の書き込みではなく、宇宙の再初期化プロセスに等しい。

自由」とは、従来の「支配」の対義語としてではなく、「支配観測による規定)と自由観測から独立性)の境界消滅した状態」への到達を意味する。

フォロワーという社会的構成物は、私の観測がなければその概念すら存在し得ない。

故に、私は今日観測者不在の文章記述する。この行為は、宇宙のもの状態空間を走査する自己参照的な演算であり、「檻の中の帝国」とは、この孤立しつつも全能な観測主体としての心の形態を示す。

Permalink |記事への反応(1) | 06:19

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2025-10-09

偏向報道だらけのTV局で培われる語彙

日本テレビ局報道姿勢については、保守右派視点から「左寄り(リベラル寄り)の偏向が多い」との指摘が長年続いており、特にSNSネット上の議論で活発化しています。これは、放送法の「政治的公平性違反をめぐる批判や、特定番組論調(例:自民党政権への厳しい追及や、移民外国人政策への肯定的スタンス)が原因です。ただし、メディアの「偏向」は主観的要素が強く、左派からは「与党寄り」との逆の声も一部あります。以下では、公開情報世論に基づき、特に悪評の多い局をまとめます。主なソースネット検索結果とX(旧Twitter)の投稿分析です。

特に悪評の多いTV局の傾向

Xやウェブ議論では、**TBS**が左寄り偏向の「最悪」との声が圧倒的に多く、次いで**テレビ朝日**、**NHK**が挙げられます。これらは新聞系列の影響(TBS:毎日新聞テレ朝:朝日新聞NHK:公共放送だが左派寄りとの指摘)が背景にあり、番組例としてTBSの『報道特集』やテレ朝の『羽鳥慎一モーニングショー』が「反日反自民」と批判されています。全体として、キー局5局(NHK日本テレビ、TBSフジテレビテレビ朝日)のうち、フジ日テレは「中道右寄り」との評価で悪評が少ないです。

局名偏向の主な指摘点(左寄り悪評の例) 悪評の頻度(X/ウェブ言及割合、概算) 関連新聞系列理由
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
**TBS** ・『報道特集』で参政党や外国人政策を「排斥」と曲解報道
・ひるおび、Nスタ自民叩きが日常化。
・親パレスチナ・反イスラエル偏向
最高(約50%毎日新聞系。左翼活動家コメンテーター多用、視聴者調査で「偏向率高」。
**テレビ朝日** ・『モーニングショー』で玉川徹氏らの極左論調
朝日新聞の影響で憲法防衛政策平和主義批判
高(約30%)朝日新聞系。極左プロパガンダとの声。
**NHK**公共放送なのに反政府左派寄り(北朝鮮スタッフ疑惑)。
・朝の番組反日要素。
中(約15%)公共受信料強制なのに中立性欠如。
**日本テレビ** ・やや左寄りだが、読売系列で全体的に中道 低(約5%)読売新聞系。悪評少ない。
**フジテレビ**産経系列右寄り偏向批判は少数。 最低(<5%)産経新聞系。保守寄り評価

(表の悪評頻度は、検索結果のキーワード言及数とX投稿の傾向から推定視聴者の会調査2017年)では、全体の67.8%が「TV偏向増」と回答。)

詳細な背景と根拠

これらの悪評は主に保守からで、左派からは「メディア全体が右寄り」との反論あり。公平性を期すには、複数局・ネットクロスチェックをおすすめします。実際の視聴率BPO放送倫理・番組向上機構)審議で確認を。

anond:20251008163814

Permalink |記事への反応(0) | 22:17

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anond:20210822203008

こういうのって話のベース

(主観的には)みんなと懇意にしてたのに、なんだよな

他人から別にしたことない知り合いの1人だったんだろ

Permalink |記事への反応(0) | 12:37

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組織に対する誹謗中傷への対応

愚痴りたいことがある。みんなに相談とかじゃなくて、話を聞いてほしいだけ。

問題発生が数年前の春で、その年の8月頃に解決した。

当時は総務の何でも屋をしてたんだけど、こんなことで頭を抱えるなんて思わなかった。

私のことだが、ギリギリ若手じゃないくらいの大学職員である法務知識はほぼない。

うちの大学名誉棄損されてる案件があった。ぶっちゃけるけど、はてな匿名ダイアリーである。そこで、うちの大学卒業生を名乗る人がおそろしい日記を書いてた。

小説みたいな文体で、名誉棄損かどうかは微妙ラインだった。大学名誉を傷つけるものだけど、読む人が読んだら「表現の自由範囲内」とか言いそう。

はてブランキングで上位ではないけど、ブックマークを集めてはいた。人目には付く程度で。



どうして判明したかと言うと、大学代表メール匿名通報が届いたから。別の部署宛てだったけど、総務課案件になった。

メールを要約すると「はてな匿名ダイアリーに、貴学の誹謗中傷にあたる記事投稿されています。私は卒業生なので不愉快です運営会社が貴学と同じ京都府にあります対応いただけるかもしれません。返信がない場合は貴学に電話します」

というものだった。最初迷惑メールかと思った。一応書かれていたURLクリックしてみた。すると、そこに広がっていたのは、マジでしょうもない長文増田だった。

どんな内容かは書かない。魚拓を取ってる人がいるかもしれないから。

うちの大学卒業生主人公で、しょうもない悪行をしてるのが書いてあった。

匿名日記なので、本当に卒業生かどうか怪しいものだったけど、具体的だった。卒業生なのは事実では?と思った。ただ、個人の思い出レベルであり、事実かどうかの確認不可能



実際の対応の話に移りたい。

その長文増田ワードコピーして、印刷して目を通して、ヤバそうな箇所にマーカーを引いて、課内会議を開いた。そこまでする必要があったかはわからない。別部署からメールでは「必要そうなら対応お願いします」とあったし、私個人PC宛てのメールだったので無視することもできた。

しかし、その先月に危機管理研修を受けたばかりだった。本案件スルーするのは気が引けた。それで上司相談して、対応会議を開こうという流れになった。

投稿者の属性だけど、大学に恨みを持つ退職者か、あるいは大学から何らかの処分を受けた人間か、はたまた卒業生ではあるけど、人生がうまくいってないしょうもない人間憂さ晴らしで書いたのでは?と推測された。

というのも、文章の端々から投稿者の憎悪や悪意がにじみ出ていた。読んでるだけで気分が悪くなった。文章自体はこなれてる感じ。

卑怯で汚い!」と、心の中でそういうことを呟いた。

対応会議の結果なんだけど……流れとしては、こんな順番になった。

まず、学内法務顧問弁護士)に相談する。そのうえで、メールでの通報者にはすぐ返信しない。完全に事態解決してから返信する。電話がかかってきたら私が対応する。

数日後、顧問弁護士からの回答があった。内容は想像どおりのタマムシ色だった。以下要約。

「そのブログの内容は、法的に名誉毀損にあたる可能性がある。しかし、匿名であること、そして書き込みの内容が主観的感想や風聞の域を出ない場合、立件は難しい。何より、表現の自由観点からは、公共機関である大学が直接動くのは高リスクであると思料する」

顧問弁護士からメール回答は重かった。

はてな匿名ダイアリー通称増田は偶にだけど読んでる。ブクマランキングを経由して。はてな匿名ダイアリーを知らない人のために説明すると、文字通り「匿名」で投稿できるサービスであり、その匿名性ゆえに、当事者から通報ひとつで当該日記をBANしてくれる。

でも、これって私個人被害を指すわけじゃない。組織としての大学のことだ。じゃあ、削除申請はどうやるのか……一応はてな質問しようと思ったけど、スタッフさんに迷惑がかかると思ってやめた。いざとなったら、私が嘘通報して消してやろうと思った。

別に大学名前削除要請を出してもいいと思ってた。一応上司にも相談してみた。そうしたら、やっぱり「弁護士の言う通り」らしくて。

書き込みの内容が明らかな違法じゃないし、個人日記に留まってる限りは、『表現の自由』を大事にしないといけないって。その課長は、わざわざ文学部の知り合いの先生相談したらしい。そしたら、その教授先生相手の味方をしたんだって

課長から聞いた教授コメント

・これ小説ですね。表現物だと思います

・うちの大学卒業生によるものと思う

・内容が不愉快なのは間違いない

・でも表現物には変わりないので、削除要請するのは公共機関である大学として誤った判断

こういう根本的な壁があった。

結局、それから何週間も悩んだ。担当者としてどうすべきかって。最後の方は、自分で嘘通報して消してやろうと思っていた。私も卒業生なので、こういう日記があると本当にイラっとくる。

そうしようと思った理由シンプルだ。

表現の自由」という言葉だけど、それこそ「公共の福祉」があるだろうって。確かにどんな内容であれ、個人自由意見を表明する権利保障されるべきだ。でも、それが他者貶める目的で行われるのなら、それはもはや「表現の自由」とは言えないのでは?



そんな時に、あの通報メールの発信者から電話がかかってきた。もう二週間以上も返信希望放置していた。

ストレスを感じながら電話を取ると、意外と大人しい感じの人だった。

あの日記には不愉快さを感じる。ただ、一応は表現ということもあるので、絶対に消してくれではなくて、貴学に対応を委ねたい」

考えが変わったんだろうか?とにかく優しそうな感じの人でラッキーだった。でも結局、大学としてどういう対応を取ろうかと言う結論は出ないままだった。

それからまた、打合せの場をもった。今度は法務部門の人も交えて話をした。

選択肢はいくつかあった。ひとつめが普通にはてな削除要請をすること。もうひとつは、それではてな日記を消さなかった場合に、弁護士を経由して正式削除要請をするか、直接相手方に警告の文書を送ること。

相手方と直接対峙するのはデメリットがある。相手が逆上して、さら過激書き込みをする可能性がある。ないとは思うけど、訴訟に発展した場合時間費用も膨大にかかる。何より、世間に「あの大学言論封殺しようとしている」と世間が受け取って炎上するかもしれない。

最後手段が「放置」だった。何もしない。これが一番楽な選択肢かもしれない。時間が経てば、書き込みは忘れられていく。はてな匿名ダイアリーは常に新しい情報で溢れてる。

でも、このまま放置して、次の問題に発展したら?たとえば、あんものを真に受ける弊学を志望する中学生高校生がいるとか。そうすると放置という選択肢無責任な気がした。一応は大学に雇われている身である



結局、対応手段論点は3つになった。

大学品位に関わる問題。まずはサイト運営者のはてな通報

安易な法的措置は避けるべき。炎上を招く可能性がある

・極力、こういう匿名者を相手にしない

私は、あの日記を読んでしまってる。悪意に満ちた言葉の数々を。あれが誰かの目に留まり大学が不当な評価を受けることになったらどうしよう。あの書き込みが原因で、大学関係する誰かの心が傷つくことになったら?

「何もしない」という選択はしたくない。かといって、強硬手段に出るのも難しい。私にそんな権限はないし。権限があるとしたら、少なくとも総務部クラス?とにかく、大学の評判は落とせない。

最終的には、時間解決してくれた。

ある日、憂鬱な気分でその日記ブラウザ上で読み返そうとしていたところ、なんと……日記は消えていた。厳密には削除じゃないけど、実質的に消えていたと言っていい。

ストレスから解放された私は、関係先に全部報告して回って、あのメールをくれた人にも「消えましたよ」と連絡メールを打った。

結局、こういう時ってどうするのが正解なんだろう。それがわからない。今後もし、同じような事態が生じた場合はどうすればいいのか。また同じように逡巡しそうな気がする。

結論は思い付けてないけど、次回に備えて、暇な時間に考えることにしてる。間に合えばいいけど。消化不良の結末で申し訳ないです。

Permalink |記事への反応(1) | 07:23

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2025-10-06

dorawii@執筆依頼募集中

「多く」という言葉が指す範囲主観的であり

実際には多くの人が湯船に入ることで得られるリラックス効果や肌への利点を享受しています

え?

あとなんというかアトピーにとっての風呂の話と風呂歴史の話が一文のなかでいい感じにねじれてきてるな。文脈理解せずに単語を並べてる感じ。

アトピー患者実践の話をしていたのに、反応では歴史の話に対して「実践」と使っている。これは単純に入力された言葉オウム返ししたがる○○の特徴。

AIだな?

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Permalink |記事への反応(2) | 14:56

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anond:20251006144559

私は異議を唱えます歴史的な背景や医療視点においては、確かに特定時代における実践が影響を与えましたが、現代においては個々の体験の違いが非常に重要です。また、「多く」という言葉が指す範囲主観的であり、具体的なデータがない場合一般論として幅広く受け入れられることは難しいです。どのような証拠データを基にあなた見解を支えていますか?

Permalink |記事への反応(1) | 14:49

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2025-10-05

anond:20251005124231

お前の主観的事実なんかどうでもいい。

日本列島改造論異次元緩和が同じとか冗談じゃない。その時に起きた経済指標の動きとか全部観察してみろ

Permalink |記事への反応(1) | 13:04

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2025-10-04

anond:20251004080852

お金はまぁ生きるのに不自由しないだけは欲しいけど

名声は意外と大したものではないのではなかろうか

仮に名声を得るほどの自分がいたとして、その自分と同じくらい凄い人間から尊敬されるなら嬉しいだろうけど

名声に実体を与えている多くのなんでもない人から尊敬については

自分がそれだけ名声を得る地位にいるほど、一つ一つの尊敬主観的価値はどうしたって薄れてしまうのではないかと思う

100万人から1/100万ずつの尊敬を得て足し合わせるのと

1人から1/1の尊敬を得るのとでは大して変わらないかもしれない

Permalink |記事への反応(0) | 15:12

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中学生時代って楽しかたか

もちろん、楽しいこともあったが、基本的にはつまらなかったね

まず主観的問題。俺は狂っていた。机を投げ飛ばしたり、改造エアガンの自慢話をしたり、ハグメタルかいサイトを見てインスタントカメラからスタンガンを作ったりした

から狂っている人間楽しいはずがないという観点が一点

もう一つは、周囲の人間もクソだったこ

俺は「シュートを決めるぜ」的な体育会系から、ジミーズの一員だと言われていた

この体育会系による差別で、俺は好きでもないスポーツ部のバレーボール部に入った、なぜなら文化系部活をするといじめられるから

だが、俺は3年間、球拾いだけをしていた。だから最後試合ではキレて「殺せ!」という掛け声で応援をした

あと俺よりも上級生の連中は、不良ばかりだった。気に入らない人間に対して暴力を振るうようなのばかり

教師もクソだった。漢字書き取りとかい不毛宿題大人になっても役に立った試しがない)をサボっただけで、職員室の床で宿題の残りをさせられる

俺がてんかん修学旅行で迷ったとき教師は俺を「おいバカ、なんでこんなところにいるんだ」というし、七宝焼きを作ったときも「おいバカ、さっさと作れよ、迷惑になるだろ」などと言ってきた

このような中学時代が楽しかったわけがない

Permalink |記事への反応(0) | 02:39

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anond:20251004003804

しか数学客観構造なので、人間主観的に感じる「レベル」で分類されているわけではない

どうでもいいが、数学の分類自体主観的判断されてるくね?

数学自体自然抽象的な世界なので主観関係ないけど。

Permalink |記事への反応(1) | 00:53

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anond:20251004003433

大学レベル」←これが精度が低いんだわ

しか数学客観構造なので、人間主観的に感じる「レベル」で分類されているわけではない

まりお前が「数学」というものを全く理解してない証拠だね

Permalink |記事への反応(3) | 00:38

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