
はてなキーワード:主義主張とは
2009年から2024年にかけて、公明党の代表を務めてきた山口那津男元代表、通称「なっちゃん」。
15年間の長期にわたって代表をやっていた山口元代表であるが、今までこの人について何か考えることは一度もなかった。
野党時代の自民党や、第二次安倍政権の時の連立与党の代表だった人、くらいの印象だった。
しかし今回の公明党の連立離脱を受けて、この人について考えてみた。
一言で言えば、この人が第二次安倍政権の時に公明党・創価学会内の自民党への反発を一人で抑え込んでいたのではないか。
元々自民党と公明党は、主義主張的に共鳴する間柄ではないと言われていたが、第二次安倍政権以降はますますその傾向が強くなってきている。
2013年の特定秘密保護法案もそうだし、何と言っても2015年の集団的自衛権を認める安保法制の時だ。
あの時も学会内から結構な反発があったと聞いたが、当時の山口さん率いる公明党は反対意見をまとめて(抑えて)、自民党案に賛成した。
裏金問題が明らかになった時も、自民党に対して苦言は言っていたが、連立解消の流れは作らせなかった。
その山口さんが代表を退任して、わずか1年で公明党は連立離脱することになったのだ。
代表在任中は目立たない、印象に残らない人だったが、見えないところで苦労してきたのではないか。
Permalink |記事への反応(16) | 23:28
テメーの会社は放送法で規定される電波割り当て事業者じゃねーだろ
極左だろうが極右だろうが差別だろうが平等だろうが自社の方針に則った偏りまくった報道をガンガンすればいいし
俺は、自他ともに認めるネトウヨだ。
インターネットの掲示板やSNSが主戦場。スマホを握りしめ、「あいつらは間違ってる」「この国を守らなきゃ」と、日々、キーボードを叩いている。使う言葉は、少々荒っぽいかもしれない。論調は、極端だと批判されることもある。だが、俺にしてみれば、これは愛国心であり、歴史認識に対する譲れない信念だ。街宣車のような派手さはないが、俺たちの戦いは、確かにこの国の論壇の片隅で続いている。
サキとは、ある社会問題をテーマにした小さなデモに参加した際に出会った。俺は「反対意見」を述べるために、彼女は「賛成意見」を主張するために、それぞれ別の陣営にいた。デモと言っても、大層なものではない。しかし、彼女のプラカードに書かれたスローガンを見た瞬間、俺の頭に血が上った。「反日だ!」「売国奴が!」、反射的にそう叫んでいた。
すると、デコ出しのショートカット、丸メガネの彼女サキが、こちらへまっすぐ歩いてきた。
「あのさ、ネトウヨさん?」
俺の胸倉を掴むか、罵声を浴びせるかと思ったが、彼女は意外なことを言った。
「その売国奴って言葉、定義が曖昧すぎない? 具体的にどの条文、どの歴史的事実が、私たちを売国行為に駆り立てていると、あなたは考えているの?」
その冷静さ、そして言葉の選び方に、俺は面食らった。議論を吹っ掛けてくる相手は多いが、こんな風に対話を求めてくる人間は初めてだった。まるで、こちらが感情的になるのを、静かに待っていたかのようだ。
彼女の自己紹介を聞いて、俺は思わずコーヒーを吹きそうになった。サキは、学生運動崩れの父を持つ、筋金入りのパヨクだという。環境問題、マイノリティの権利、憲法九条、彼女の関心は、俺が日頃、ネットで叩き潰そうとしている「敵」そのものだった。
「あんたの言ってることは、理想論すぎるんだよ」「現実を見ろ、この国は」「歴史を美化しすぎだ」
「あなたの言う愛国心は、排他的なナショナリズムの裏返しじゃない?」「理想を追わなきゃ、社会なんて変わらないでしょ」「過去の過ちを直視しなきゃ、未来はない」
ファミレスのドリンクバーで、俺たちは数時間にわたって激論を交わした。俺たちの主張は、まるで北極と南極。絶対に交わることはない。それでも、不思議と不快ではなかった。ネットの匿名空間と違い、目の前にいる人間は、逃げも隠れもしない。自分の言葉に責任を持っている。
その夜以来、俺たちは定期的に会うようになった。最初は議論のためだ。お互いの陣営の主張を「論破」するのが目的だった。しかし、回数を重ねるうちに、議論の焦点は少しずつズレていった。
ある日、俺が「安倍政治の功罪」について熱弁していると、サキは突然、「ねえ、そのパーカー、どこで買ったの?デザイン可愛いね」と言った。
また別の日、彼女が「格差社会の是正」について統計データを見せながら語っていると、俺は「その丸メガネ、似合ってるな。変えた?」と口走っていた。
俺たちが話すのは、政治や思想だけじゃなくなった。好きな漫画、行きたいライブ、最近観た猫動画。思想のベールを剥いだその下には、ただの「人間」がいた。俺と同じように、悩み、笑い、美味しいものを食べたいと思っている、ごく普通の女の子が。
そして、俺は気付いた。俺たちが激しく憎み合っていたのは、「パヨク」という概念であり、「ネトウヨ」というレッテルだったのだ。目の前のサキという人間ではない。
彼女といると、ネットで「敵」を叩いている時の高揚感とは違う、じんわりとした温かい感情が湧いてくる。俺の信念は揺るがない。彼女の理想も変わらないだろう。だが、信念とは別に、感情は動く。
事件が起こったのは、雨の日だった。
いつものように、俺たちは大学のキャンパス近くのカフェにいた。俺は、歴史認識問題について、つい熱くなって大声を出してしまった。
サキは怒って、立ち上がった。俺もムッとして、席を立った。
「わかったよ、もういい!あんたとは話にならない!」
俺はカフェを飛び出した。雨が強くなっていた。数メートル歩いたところで、背後からサキが走って追いかけてくるのが見えた。
「ちょっと!傘も持たずにどこ行くのよ!」
サキは、自分の持っていた大きなビニール傘を、俺の頭上にさしかけた。顔が、異常に近かった。お互い、呼吸が荒い。雨の匂い、コーヒーの残り香、そして、彼女のシャンプーの匂い。
次の瞬間、俺は理性を失った。
サキは、丸メガネの奥の目を丸くした。そして、一瞬だけ、フッと笑った。それは、議論に勝った時の勝ち誇った笑いではなく、ただの、困ったような、でも嬉しそうな笑顔だった。
俺は、もう何も考えられなかった。ネトウヨだとか、パヨクだとか、愛国心だとか、左翼思想だとか、そんなものは、土砂降りの雨の音でかき消されていた。ただ、目の前に、惹かれている人間がいる。
俺は、サキの顎に手を添えた。
サキは目を閉じた。
ビニール傘の下、雨音だけが響いていた。塩辛いような、甘いような、不思議な味だった。唇が離れた後、サキはメガネの曇りを拭きながら、ぼそっと言った。
俺は、柄にもなく笑った。
「ああ。これからは、思想のぶつかり合いじゃなくて、唇のぶつかり合いで行こうぜ」
ネトウヨの俺と、パヨクのサキ。俺たちの物語は、このチューを機に、また新しいフェーズへと進むのだろう。それは、「主義主張を超えた、ただの恋愛」なのか、それとも、「究極の異文化交流」なのか。
高市さんが自民党新総裁になり、更には日本初の女性総理大臣になるのだろう。
これに対して色々批判があるらしいが、皆根本的なことを分かっていない。
高市さん個人や、所属している自民党の主義主張なんて、関係ない。
社会全体の方向性として、女性が活躍しやすくなる空気になってくれるだけでも大きな成果だ。
ハッキリ言ってしまうと、会社や役所の女性管理職などの指導的地位に就く女性の割合が増えるだろう。
女性が管理職になりたがらない理由の一つとして「自信がないから」というのがあるが、高市さんという指標が一つできた。
https://anond.hatelabo.jp/20250909163025
今日西川口駅で河合ゆうすけが演説するというので見に行ったんだが。
何もまともな主張がなく、中身空っぽ。
ほんまに外国人ヘイト以外何も言えることがないのはよくわかった。
声でかいだけ。へずまりゅうと全く同じで、SNSで外国人と戦ってますアピールしてるだけ。
こんなやつに投票してるやつはアホだろ。
はじめてみたが、ネトウヨたちにとって「無能な敵」そのものであり、実質的には河合ゆうすけの応援団にしかなってない。
お前らさえいなければ、多分河合ゆうすけはそんなに人気でない。
そのくらい、クソヤバ河合ゆうすけよりさらに無理な連中であることがよくわかった。
あのさあ。しばき隊の皆さんに言いたいんだけど。
なんでしばきたいの連中は全員デブで身なりも汚いんだよ。
3人位ロータリーのところで明らかにしばき隊の連中が騒いでたけど全員デブで汚いシャツ着てたのまじで意味がわからん。
言っちゃなんだけどしばき隊というよりはキモオタとしか思えなかった。
あれで支持してもらえると思ってるなら頭が悪すぎる。
実際頭が悪いからずっとああいう活動してて、人の目を気にしないからデブになって身なりが汚くても気にしないんだろう。
ネットでもおかしい連中だと思ってたけど、実物を見たら、さらにヤバさがわかった。
こいつらには正義とかない。たんに社会不適格者が、それしかできることないからやってるだけだ。
今までネトウヨのほうが社会的な負け犬だと思ってたけど、しばき隊も同じだった。というかしばき隊のほうが終わってた。
左右逆バージョンだし、またネトウヨのほうが社会的にギリギリ対面保ててたわ。
反論があるなら、何人かの連中が本日の演説の動画上げてるからチェックしてみてほしい。
自分たちの姿を客観的に見て、あれで良いと思ってるなら終わってるよ。
なに主張してもいいけどちゃんと痩せて、最低限の格好してから出てこい。
中国やらベトナムやらクルドやらより、お前らが一番生理的嫌悪感が強かったわ。 人種よりもこっちのほうが問題だわ。
今回は主にしばき隊連中への嫌悪感を伝えるのが目的だったわけだが。
どこからきたのかしらんけど、日本国旗をもって、河合ゆうすけの応援してる連中はおばちゃんが多かった。
世間ではネトウヨって男のキモオタみたいなイメージで語られてて
私もそういう偏見を持ってたけど、何のことはなくて頭が弱くて暇を持て余したおばちゃんが応援してるんだなってわかってげんなりした。
あまりにも擁護派がずっと頓珍漢で批判者を見下したようなことしか言わないから、批判側だけどまともに擁護してみる
せめて見習え
記事用にインタビューしたものではなく、さらにぼざろのイベントではなかったため
吉田氏が持っている一貫したスタンスや主義主張を述べる場だった
そのため「覇権」や「抵抗がある」という吉田氏としてどう思っているかの表現だった
また、トークイベントという場での発言であり、記事がこの表現でそのまま世界に公開されるのは本意じゃなかったかもしれない
ソースが見つからないが、キャラデザの方も1,2年前にインタビューでノイズ発言をしている
そもそも吉田氏が「主人公の体型を変えた」というのは推測に過ぎないし、普通に考えれば制作チームで相談があったに違いない
今回のスタッフは監督が29歳で、他も30代という非常に若いチームであった
若いチームの考える新しい性表現のラインは、こういった思想になるのかもしれない
昭和・平成の発想で「ここまでOK」というのは、ぼっち・ざ・ろっく!の見込み客である10代20代には古いんだと思う
「公式側が『さぁ搾取してください!』と言わんばかりにばら撒くのは抵抗がある」
「“絵だけど、未成年だぞ”」
の文章は、「特に『前橋ウィッチーズ』のような10代の女の子たちを描く作品の場合」にかかっている
今回のカットシーンや、ぼざろの改変シーンに言ったわけではなく、吉田氏のスタンスの話だ
よく、漫画やアニメでは最初の1〜3話で「どこまでの描写があるか」を説明すると思う
個人的には主人公の風呂での描写は、漫画による「ここまでは描く作品だよ」のライン提示だと理解している
アニメ化に当たってそのラインを微調整したのだと考えられ、特にぼざろの場合は女性人気も取り込めそうだったので、ノイズとして除外したという判定だろう
ちなみに直近で言えば、ダンダダンのアニメ化で新キャラの衣装が変わって肌色面積が大幅に減っていた
せめてこんくらいまともに擁護してほしい、あまりにも低レベルで残念だ
吉田氏の思想は看過できない、理由は「面白さ」の追求とブレてるから、ぼざろはともかくいつかやらかすだろうからこのまま増長するのは怖い
一方で今回に限って言えば一番悪いのはKAI-YOU、こっちもまたやらかすだろうね(何なら狙って書くのでは?今回注目数が30倍だよ)
例のインタヴュー読んだ限りではそうとしか思えない……
「現実的に考えても、ギターを弾きながら胸が不自然に揺れ続けるみたいなことはないわけですし、そういう描写があったら私は幼い息子にその作品を見せるのを躊躇する。自分の子どもに見せられるかどうか、というのは大事にしている基準です」
プリキュアとかアンパンマンとかではなく、深夜アニメにおける乳揺れの話をしている。これ自体は問題がないと思う(親がどんなものを子供に見せるかは個人の自由なので)。しかしこのあとにこういう発言が続く。
「過激な作品やR18まで振り切ったものがあってもいいですし、やると決めれば私も思いっきりそうした作品に関わることもあると思います。でもその場合は、しっかりと未成年が見られないような配慮が必要です」
ということは、深夜アニメにおける過激な描写は「私が親として子供に見せたくない」ではなく「子供の目の届くところに置くべきではない」という主義主張であるわけだ。そのうえで、
「子どもも気軽にストリーミングサービスにアクセスできる現代において、ジャンル分けやゾーニングはもっと重要視されるべきと訴える。「自分で選んで買う小説や演劇などと違って、より手軽に見れる媒体の場合は表現についてもっと考えなくてはいけないと思いますし、その考え方がもっとアニメ業界に浸透したらいいなとも思います」」
と発言されているので、要するにストリーミングサービスにそのまま置くのはゾーニングにならないという考えをお持ちであることがわかる(ストリーミングサービスが深夜アニメのゾーニングをぶっ壊したという見解には総論としては同意できるのだが)。
以上見てきたように、吉田恵里香さんは「深夜アニメにおける乳揺れは子供に見せたくない」「過激な表現は子供の目に見えないようにゾーニングしろ」「ストリーミング時代では子供も簡単に表現に触れられる」という3つの主張をしているわけだが、これらの主張をふつうに組み合わせたら
になるのではないか? あー、こういう論調、『宇崎ちゃんは遊びたい!』や『ラブライブ!サンシャイン』や戸定梨香や『月曜日のたわわ』の炎上でさんざん見たわ。普通に凡百の規制派フェミと同じ論調だわ。
自身の主張を敷衍するとそんな主張が導かれることに本人が気づいていなかっただけで、必ずしも吉田さんが規制派とは限らない、という反論をしてくる者がいるかもしれない。しかし、その主張は彼女が簡単な論理的帰結にも気づかずゾーニングなどの要注意ワードを無造作に扱う知的に怠惰な人間だという話になってしまうので、吉田さんに対して非常に失礼な反論ではないだろうか。彼女は明晰な知性の持ち主であり、計算してこれらの発言を行っているのだと考えるのが、吉田さんに対して敬意を払うということだと思う。つまり吉田さんは割と強硬な表現規制を信念を持って主張していらっしゃるのだ。
まあ、脚本家と言っても木っ端だが…
そもそも脚本家の仕事わかってない奴が多そうだなと思ったのでそれ交えつつ書く。
結論から言うと吉田恵里香はすげーーーーーーまともなことを言っている。
批判してる方は頭にきてよくわからなくなってるだろうが相当分が悪いと思った方がいい。
脚本家ってのは実際のところ、すさまじいほどの調整役だ。
原作を汲み、監督の意向を汲み、時にはスポンサーの意向を汲み、ドラマなら事務所や役者の意向を汲み…そうやって話をなんとか成立させるのが仕事だ。
オタクにとっては原作第一だが、そも金がないと(スポンサーがいないと)映像化できないので、大人の都合で泣く泣く筋を変えて…といったこともある。(特撮なんかは顕著だ。どんなに話の流れ的に無理矢理でも絶対にオモチャを出さねばならない。)
で、ここでバランスを欠くと、セクシー田中さん問題のようなことに発展しかねないのでこの辺り非常に慎重にバランスをとっていかなければならず日々気が狂いそうである。
そういった中でぼざろ制作陣と吉田恵里香は「原作の良さを生かし、本来のターゲット層も喜ばせながら一般層にも当てる」という難易度Sの技をやってのけているのでマジですごい。
しかもこれは
②原作者自身も「原作より良くしてもらった」と喜んでおり(はまじ先生のツイートを見た)
ので、正直外野がガタガタ言うことではない。
(まあ現在原作者がどう思っているのかはわからないが、何を言っても火に油なのでしばらく無言なのではないかと思う。)
吉田恵梨香は原作を「素晴らしい」と絶賛した上で、”覇権を取るために”ノイズになる部分を除いたと言っているので
原作を「ノイズ」と言った!みたいな上げ足取りはどうかと思う。
スク水については
・ぼざろアニメ化にあたってのメインテーマである「バンドを通しての成長」には関係ない
・大衆向けを狙うには明らかにノイズとなる(描写について不要な議論を巻き起こす可能性もある/それこそ過激なフェミがあれこれ言う可能性もあるし)
という2点において取り除くのは実に真っ当と思う。
原作はきららという男性向け媒体ゆえ読者サービスとして裸を入れていたが、
「アニメ化にあたり女性や子供にも楽しんでもらいたい」となれば調整するのは真っ当だろう。
あとは批判派を見ていると
というコメントがあるが、脚本を書く上では(というか漫画家や編集と話していても)
「テーマに対してこの表現はノイズになる」「ターゲットへのアプローチに対してこの台詞はノイズになる」
という言い回しはデフォだ。知らん人には強いワードに見えるのでわからんことはないがまぁそんなキレることでもないぞ…と思う。
あとは、
・「加害性」というワードが悪い
というコメントもあるが、あのインタビューは「性的な描写には加害性がある!」のような話はしておらず
『恋せぬふたり』(2022年/NHK)というドラマにおいて「恋愛の暴力性」の話をしているだけだ。
>「恋愛を扱うドラマが描かれるときって、『恋愛しないと成長しない』とか、『恋で人生の全てが変わる』みたいな、恋愛が人生において最も重要なものとして描きがちというか、その考え方を押し付ける暴力性があるのではないかと、以前から気になっていたんです」
つまり「自分は恋愛が好きだからこそ、それを表現する時には嫌な人に押し付けてないかその加害性を考える」といった話をしているだけである。
強いて言えば、タイトルにつけたKAIYOUはバズらせようとしてこのワードチョイスしただろうからそれはどうよと思う。
あとは
というやや無理矢理な批判もあるが、あれはターゲットを女性に振ったからああなったのだろう。(売るためにはよくある。トリコの後半みたいなもん。)
男性向けのアニメとなれば女キャラのサービスシーンを出すのと同様なので、主義主張は一貫している。
というか監督らの意図(どういう層をターゲットにするか?)にあわせて変えるのが脚本家の仕事なのでこれについてはただ仕事してるだけだろう。
で、肝心のぼざろ部分だが、
>「原作ではひとりちゃん(※主人公の後藤ひとり)が水風呂に入るシーンで裸になっているんですが、アニメでは水着にしてもらいました。ぼざろがそういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではないと思いますし、覇権を狙う上ではそうした描写はノイズになると思ったんです」
>「現実ではそんな会話しない」と強く否定した“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”なども含め、そういうシーンはアニメにおいては何気ないよくあるものと考えてしまっていたが、吉田恵里香さんは「それを売りにしている作品でない場合においてはノイズ」と言い切る。
>「原作がまず素晴らしく、原作サイドもとても協力的で、監督含めスタッフも音楽チームも本気で動いてるし、けろりらさん(※キャラクターデザイン/総作画監督)もすごく良い絵を描いてくれている。制作の段階からこれなら覇権が取れるって思える作品なのに、そうしたノイズがあると多くの人に見てもらえなくなってしまいます」
前述した通り「大衆向けにするために引っかかりそうな部分を取った(売りになる部分だけを残した)」ということしか言っていない。
まあ批判派は、知らない内にポリコレ意識がある(吉田恵里香は最後にゾーニングの話もしている)制作陣の手の上に乗せられていたことが恐怖だったのだろうと思うし、
裸などを楽しんでいることを「加害性」と言われいてるようで(言ってないのだが)居心地が悪かったのだろうと思うし、
この流れでゾーニングが進むのはたまったもんじゃないと思ってるのだろう。気持ちはわからないでもない。
ただ残念だが客観的に見ると
「それまで原作との比較もせず批判もせず無邪気に楽しんでいたのに性的表現を消されていると知るや否やキレだす残念な人間」
になってしまっているのは気づいたほうがいいと思う。せめて「意図はわかるが、俺は男性向けに作ってほしかったぞ!」と言うか「ぼざろは楽しんだが、ゾーニングには反対!」というほうがいい。
まあ、脚本家と言っても木っ端だが…
そもそも脚本家の仕事わかってない奴が多そうだなと思ったのでそれ交えつつ書く。
結論から言うと吉田恵里香はすげーーーーーーまともなことを言っている。
批判してる方は頭にきてよくわからなくなってるだろうが相当分が悪いと思った方がいい。
脚本家ってのは実際のところ、すさまじいほどの調整役だ。
原作を汲み、監督の意向を汲み、時にはスポンサーの意向を汲み、ドラマなら事務所や役者の意向を汲み…そうやって話をなんとか成立させるのが仕事だ。
オタクにとっては原作第一だが、そも金がないと(スポンサーがいないと)映像化できないので、大人の都合で泣く泣く筋を変えて…といったこともある。(特撮なんかは顕著だ。どんなに話の流れ的に無理矢理でも絶対にオモチャを出さねばならない。)
で、ここでバランスを欠くと、セクシー田中さん問題のようなことに発展しかねないのでこの辺り非常に慎重にバランスをとっていかなければならず日々気が狂いそうである。
そういった中でぼざろ制作陣と吉田恵里香は「原作の良さを生かし、本来のターゲット層も喜ばせながら一般層にも当てる」という難易度Sの技をやってのけているのでマジですごい。
しかもこれは
②原作者自身も「原作より良くしてもらった」と喜んでおり(はまじ先生のツイートを見た)
ので、正直外野がガタガタ言うことではない。
(まあ現在原作者がどう思っているのかはわからないが、何を言っても火に油なのでしばらく無言なのではないかと思う。)
吉田恵梨香は原作を「素晴らしい」と絶賛した上で、”覇権を取るために”ノイズになる部分を除いたと言っているので
原作を「ノイズ」と言った!みたいな上げ足取りはどうかと思う。
そういえばノイズについては、安倍晋三いじりのシーンを除いたところが印象的だった。
https://x.com/RyMfegzBUFNoZ8k/status/1880588138474820026
・ぼざろアニメ化にあたってのメインテーマである「バンドを通しての成長」には関係ない
・大衆向けを狙うには明らかにノイズとなる(政治についての不要な議論を巻き起こす可能性がある)
という2点において取り除くのは実に真っ当と思う。
スク水についても基本は同じ考えだろう。
原作はきららという男性向け媒体ゆえ読者サービスとして裸を入れていたが、
「アニメ化にあたり女性や子供にも楽しんでもらいたい」となれば調整するのは真っ当だろう。
あとは批判派を見ていると
というコメントがあるが、脚本を書く上では(というか漫画家や編集と話していても)
「テーマに対してこの表現はノイズになる」「ターゲットへのアプローチに対してこの台詞はノイズになる」
という言い回しはデフォなので、わからんことはないがまぁ無理矢理難癖つけてるな…と思う。
あとは、
・「加害性」というワードが悪い
というコメントもあるが、あのインタビューは「性的な描写には加害性がある!」のような話はしておらず
『恋せぬふたり』(2022年/NHK)というドラマにおいて「恋愛の暴力性」の話をしているだけだ。
>「恋愛を扱うドラマが描かれるときって、『恋愛しないと成長しない』とか、『恋で人生の全てが変わる』みたいな、恋愛が人生において最も重要なものとして描きがちというか、その考え方を押し付ける暴力性があるのではないかと、以前から気になっていたんです」
つまり「自分は恋愛が好きだからこそ、それを表現する時には嫌な人に押し付けてないかその加害性を考える」といった話をしているだけである。
強いて言えば、タイトルにつけたKAIYOUはバズらせようとしてこのワードチョイスしただろうからそれはどうよと思う。
あとは
というやや無理矢理な批判もあるが、あれはターゲットを女性に振ったからああなったのだろう。(売るためにはよくある。トリコの後半みたいなもん。)
男性向けのアニメとなれば女キャラのサービスシーンを出すのと同様なので、主義主張は一貫している。
というか監督らの意図(どういう層をターゲットにするか?)にあわせて変えるのが脚本家の仕事なのでこれについてはただ仕事してるだけだろう。
で、肝心のぼざろ部分だが、
>「原作ではひとりちゃん(※主人公の後藤ひとり)が水風呂に入るシーンで裸になっているんですが、アニメでは水着にしてもらいました。ぼざろがそういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではないと思いますし、覇権を狙う上ではそうした描写はノイズになると思ったんです」
>「現実ではそんな会話しない」と強く否定した“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”なども含め、そういうシーンはアニメにおいては何気ないよくあるものと考えてしまっていたが、吉田恵里香さんは「それを売りにしている作品でない場合においてはノイズ」と言い切る。
>「原作がまず素晴らしく、原作サイドもとても協力的で、監督含めスタッフも音楽チームも本気で動いてるし、けろりらさん(※キャラクターデザイン/総作画監督)もすごく良い絵を描いてくれている。制作の段階からこれなら覇権が取れるって思える作品なのに、そうしたノイズがあると多くの人に見てもらえなくなってしまいます」
前述した通り「大衆向けにするために引っかかりそうな部分を取った(売りになる部分だけを残した)」ということしか言っていない。
まあ批判派は、知らない内にポリコレ意識がある(吉田恵里香は最後にゾーニングの話もしている)制作陣の手の上に乗せられていたことが恐怖だったのだろうと思うし、
裸などを楽しんでいることを「加害性」と言われいてるようで(言ってないのだが)居心地が悪かったのだろうと思うし、
この流れでゾーニングが進むのはたまったもんじゃないと思ってるのだろう。気持ちはわからないでもない。
ただ残念だが客観的に見ると
「それまで原作との比較もせず批判もせず無邪気に楽しんでいたのに性的表現を消されていると知るや否やキレだす残念な人間」
になってしまっているのは気づいたほうがいいと思う。せめて「意図はわかるが、俺は男性向けに作ってほしかったぞ!」と言うか「ぼざろは楽しんだが、ゾーニングには反対!」というほうがいい。