
はてなキーワード:主人公とは
某楽器店から楽譜を買うときに使ってみたんだけど、別店舗でAmazonのポイント使えるの便利だな…😟
もう、Amazonで基本Kindle以外の商品は買わないで、商品はAmazon Pay対応店で買うか…
あと、エリーゼでも楽譜買ってみたけど、購入しても一週間で消えてダウンロードできなくなるらしくて、ショック受けてる…😟
中古のドリームシアターのバンドスコアを探しても、レビューに間違いだらけとか書かれてるし…
エリーゼで買ったバンドスコアにも2つ、間違い?というか、自分と意見の相違があるというか、
いや、でもその1つは明らかにコードが間違ってるんで、そんな解釈とか聴き取りレベルでもええんや…、みたいに思ってしまう…
そういえば、歌い手のバラッドの主人公も、社会人になってからはカラオケとか着メロのバイトで食ってたって設定あったよなあ…
仕事中にうだうだ、ここは音楽理論的にはどう解釈するのが正解なんだろう…、みたいに考えるわけにいかないもんなあ…
全然関係ないけど、菅野よう子ってやっぱりスゲーな、と思ったり…
くまみこ(KumaMiko:Girl Meets Bear)あらすじ
東北の山あいの小さな集落を舞台に、神社に仕える中学生の巫女・雨宿まちと、彼女の守り神であり人語を解するヒグマのナツが主人公。
都会の高校に進学して“オシャレでキラキラな生活”を送りたいまちは、山里育ちゆえの世間知らず。ナツはそんなまちが外の世界でも困らないように、買い物や電車、家電、スマホといった「都会スキル」を(時に手厳しく)特訓します。
○ご飯
朝:カシューナッツ。昼:ラーメン。麻婆豆腐。夜:人参、玉ねぎ、白菜、キノコのスープ。うどん。目玉焼き。ギョニソ。バナナ。ヨーグルト。間食:なし。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は歓談の方はそつなく終わったが、普通に業務の方がうまくいかず苦戦してる。
金曜日の会議の議事録が変だから指摘したんだけど、僕の記憶の方が間違ってると多数決で押されてしまった。
ただ、前後のやり取りから考えると僕の意見の方が妥当だと思うので、うーむと悩んでる。
こういう時、発言者に聞けば良いじゃん、と出来ない距離感なのが、色々諸々の根幹にあるこの業務のダメな所なんだよなあ……
戦記を10周ほど周回。アイテム交換しきれてないので、もう少し遊びたい。
○ポケットモンスターダイヤ(ゴーストタイプポケモンの旅2周目)
ギラティナ以外はたまご孵化なので親がプレイヤーキャラだが、ギラティナは親違いなので後半までは温存。
旅でそれぞれ使ってるのでロトムを中心に据えて遊びたいところだ。
悪魔の実を食べたてだから技名が思いつかず「”龍“〜〜〜」だけ言うカイドウが可愛い。
先代の悪魔の実能力者(ボムボムとジキジキ)も出てくる傍の対決もあり面白い。
ロックスも闇落ちしちゃったけど、この闇落ちと息子である黒髭がヤミヤミを求めてたのは関連あるのかしら。
・ピングポング
最終決戦決着、そして物語も終わりそう。
「残り100万なんて私があげれば良かったのにな…」が示す通り、お金で始まった物語がそうでない所に落ちるのが短いながら感慨深い。
地球自体を大きなピンポン球に例える渾身の見開きも決まっており、文句なしに面白い漫画だった。
おそらく来週で終わるのだろうけど、間違いなく爪痕は残せたと思う。
(これでしれっと新章突入で続いたら椅子から転げ落ちて驚こう)
異種族に奴隷のように扱われていた人間の主人公が、その異種族の卵を拾うことから始まるファンタジーバトルもの。
連載陣的に異種族バディものが多い気がするが、おそらく同性(ヌエ、カエデガミは異性)、協力的(魔男は対立的)と、被らないようにはしているのかな。
はてブで上田麗奈凄いとあったのでチェンソー見る気になり、同じIMAXで鬼滅もついでに見た
原作既読、アニメは2期途中脱落、原作知ってれば大丈夫だろうと判断
和風建築立体物をビャーっと移動してはバトル、を2時間半ずっと繰り返すだけだった
全部をセリフで説明してて、絵も強調しておきたいとこをじっくり強調して見せてて、複雑なことは一切なく、平板の極み
が、よく考えるとストーリー知ってて新鮮味のないバトルだけで2時間半を特に引っかからず見れてしまった時点で凄かった
自分は途中で引っかかると直ぐ視聴を止めてしまうし、映画館でも見始めて1分で引いてしまったりするんで、
説明台詞ばっかバトルばっかの絵をずっと違和感なく見ていられたの変じゃね? と後からびっくりした
よくある作画凄いアニメのスゴイ飛び道具もあんまなかった気がするし、それだけ絵で保たせきったということなんだなと
こちらは原作未読なのでTVアニメ(総集編じゃない通常版)を予習して見た
自分の知る上田麗奈の最悪蠱惑キャラは「陰の実力者になりたくて!」2期後半に出てた脇役
1期2期の二桁いるヒロインたち(ピンで客を引っ張れる声優ばっか)を全員一掃する攻撃力で「こいつラスボスだろ」と思ったのに違った
あのストーリー組み立てすらぶっ壊す破壊力を、映画館の音響で聴けるのかと期待してた
おそらく
1は、声優さんが演技全開するのは作画ヘタれて声で全部を表現しなきゃいけないときで(たとえば最高の故田中敦子が見れるのは「Cutie Honey Universe 」)、上田麗奈が高めの攻撃力でやりすぎるとアカン、というのは判る
じゃあ、なぜ上田麗奈なのか
いや上田麗奈でしっかりハマってましたけども、そこは普通に上手いからね
ファイアパンチ途中までは覚えてるが最後どうなったか忘れた。その他はネットで無料で見れるときは見る程度
基本的に漫画がヘタで、技術的にヘタなのと本人の熱量というか過剰さがあるのと、
読者が漫画を読むの下手で過剰に押し込まれないと読めないのと、
読者が実写ぽさ(デフォルメじゃないという程度の意味)に寄せると絵が上手いと思ってくれるのとの合成で、藤本タツキ漫画が成立してる(最近は知らない)
ジャンプは子供向けだと凄く子供向けに振る(スパイファミリーとか)し、女子向けだとすごく女子向けにするし(呪術とか)、たぶんアンケートで高齢女性ファン層向けと判断してオサレにOK出したんだろうし、ED曲が毎回違うとか監督独断で決めれるわけもないので、オサレで行くって関係者皆で決めたんだろうけど、呪術じゃないんだから
TVシリーズの最後のバトルで敵を一刀両断してたけど斬鉄剣みたいのだとチェンソーの意味ない
原作どうか知らんが肌に食い込み肉を引き裂き血と肉片をそこらじゅうに撒き散らすチェンソーだから藤本主人公
斬鉄剣やりたかったら主人公を日本刀マンにリデザインすべきで、そこは「オフビートな演出で統一したかったんじゃね」で済む話ではない
漫画でもたぶん自粛ありそうだが血や肉片を散らかしまくると規制に引っ掛かりまくりそう
映画でチェンソーでぶった切りまくりのキメ絵を漫画に寄せてたのもガチ肉片とガチ血しぶきを避ける都合かな
デビルマンフォロワーであるチェンソーマンでこの技法を使ったのは意図的じゃないかな
真似される技法を開拓し映画チェンソーマンに繋いだ実写デビルマンをネット民はいつまでネタ扱いし続けるのだろう
藤本タツキぽさは過剰さがあって成立するわけで、ルックバックの二人に炎尾燃が割り込む同人表紙はそういう過剰さを足したいという批評だろう
「炎の転校生」の頃から熱血を距離を置いて観察しつつ否定せずの島本ならでは
オサレでは足りないのだ
藤本タツキぽい過剰さはあんまないというか、しっかり情報整理しまくって綺麗に腑分けしてる
オサレではなくなり、よく練りこまれたウェルメイドに落ち着いた感じ
藤本タツキは映画好き。その映画好き成分を漫画に上手く変換できてるわけではない
映画を漫画にしきれない原形とどめた形でひり出しちゃった漫画原作を劇場映画の形にする奇形の入れ子状態
実写映画やアニメーション映画の既存の形式よりかTVアニメの形式に寄ってる感じがある
詰め込んでるのもあって短いカットばかりだし映画でございみたいな構図で絵を作るみたいのもあんま押し出してこない
しかしそこに原作の「映画のまねごと」という要素をうまく取り込んで映画ショットぽいのを取り込んでる
あくまで「ぽい」であり映画ショットそのものではないが映画ショットのよう、ややこしいことやってる
完全に日本のTVアニメのOPのフォーマットであり映画の文法では全くないのだが
「作品要素をOPで説明しきる」という伝統が培ってきた技法をフル活用して、
TVアニメ最終話の直後という時系列説明と同時にデンジが手放したくないと思ってる現在の生活を説明し
マキマの存在感とキャラクター説明をこなしつつ終盤に繋げる伏線を描き
ちょい出の脇キャラ顔みせしつつ悪魔の存在と主人公たちの悪魔退治業務を説明し
デンジがチェンソーマンに変身するのとデンジが変顔しまくりのバカキャラなのを説明し、と
OPアニメを最初から全部読み取るのは無理だと思うが、TVアニメを見ずに映画だけ見に来た層が話についていける情報を網羅しきっている
メタで本作について言われそうなのを先回りしてて、けなす方向でも褒める方向でもSNSのお手軽一言で終わらせねーぞという粘っこさがすごい
レゼ編全体の絵図面を最初から描いてるらしきマキマが映画見て感想言うことで「映画ぽさを装う映画」という形式の上にさらに被せてくる
チェンソーマンはいかにも映画でございを装いつつもTVアニメフォーマットを駆使する
鬼滅は世間様の言うような映画ぽさをはなから捨て去って絵ぢからで映画にしてる
なんだこいつら
ジゴロじゃなくてホストクラブのホストで鎖つながれたままでした、という
レゼの気分的には「俺たちに明日はない」で、中盤で逃げようって言ってる時点で気分的には逃避行が始まってて
デンジと最後二人が哀しきしあわせエッチってことはモブ殺し屋さん絞めてるの無理やりエッチのメタファだろうし
売春なのか他のシチュなのかは不明だが行為のあいだずっと意識を逸らして歌ってるのとか判りやすすぎる
薬屋の猫猫も左腕のは薬や毒の実験としてるけど露骨にためらい傷のメタファだし
服毒したがるとか自傷で自己の肉体の存在確認してんだろうな、だし
推理しまくるくせに認識したくないことに気づきそうになると意識飛んで思考キャンセルするし
猫猫やレゼに自己投影する女性が多い時代って、あんまし……いや
パワーが二人の思い出の喫茶店に来襲とか、うわ
ファムファタールじゃなくていいよ
「ばくおん!」の頃にもどって
頭空っぽ天然でいて
フォーマットとしてTVアニメシリーズの形式性に強く規定された上で巷間での映画らしさみたいのを侵食してく
すごい時代すね
今更かよと思われるかも知れないけど、最近好きなのは「僕の心のヤバイやつ」「幼馴染とはラブコメにならない」「負けヒロインが多すぎる!」「百瀬アキラの初恋破綻中。」「クソ女に幸あれ」「ねずみの初恋」です。(ねずみは毛色違うけど恋愛漫画だと思っている)
読んでて思ったけど、島耕作みたいな中年を主人公とした漫画を除いて、恋愛漫画または恋愛がサブプロットになってる漫画で主人公とヒロイン(男も含む)が作中でSEXまで漕ぎ着けた作品って少ない気がしてる。
良くあるのは急に年月が経って、結婚して子供がいるパターン。例えば「からかい上手の高木さん」とか。
もし、主人公とヒロインが作中でSEXまで漕ぎ着けた恋愛漫画を知ってる人がいたら、読んでみたいので教えくれたら嬉しいです。
一方で、全然馴染めなくて無理かもという恐怖もある
このセリフを口にできたとき、俺は寮生活に慣れた、余裕のある先輩になってるってこと
このセリフを口にしている時点で、もう勝ちだ
ただ、つまんねー依頼をないがしろにするのは死亡フラグに他ならないので、グチグチ言いながら余った(新人が取らなかった)依頼を受けるようにしたい
生まれてこの方、家での食事以外でおかわりができたためしがない
本当にうまい、メチャクチャ好きだ!と思った料理があって、まだ食える状態でも、恥じらい・自意識が邪魔をしておかわりができない
飯を出してくれている人にたいし、面と向かっておかわりを要求できる
そういう人になりたいんだよな
雪はときどき降るけど、すげえ雪ってほどの雪は降らない
頭に「うわ」がつくってことは、たとえば朝起きてカーテンを開けたとか、そういうタイミング 雪の具合を知らずに外を見て、驚いたって要素がある
俺は、雪に驚きたいです
このセリフが示唆するのは、俺が王宮の、それなりのポジションにいるということ
また、陛下なのに人を探してて、そのことを配下がカジュアルに話してるってことは、風通しがいい職場ってことだ
あるいは「陛下」は象徴だから全然権力はなかったり、もはやただのあだ名だったりする
11人いる!で、閉鎖空間にいる宇宙船搭乗員のひとりが王さまと気軽に呼ばれているのが好きだった
そんな感じで、なんらかの血筋があったりする人を、親しみを込めて陛下と呼んでるんだとしてもアツい
こんな物言いをするのは、ポストアポカリプスとかそういう、荒んだ世界の人間だけだ
「止まってもらえる?」は、普通に車を運転してる友達とかに言いかねない
「止まってもらえますか」なんて、もしかしたらすでにタクシーなんかで言ったことがあるかも
「もらえるか」という語尾は、じつは普通に生きてたら一度も口に出さないものだと思う
ポストアポカリプスの世界で、治安が激悪なので、俺の本質は善人なんだけど、警戒を怠ることができなくなってしまった
また、語尾なんかにちょっとした荒さを出して、牽制しないといけなくなってしまった
そういう背景があって、コロニーに近づいてきた主人公に向かって、銃を向けながら「そこで止まってもらえるか」と言うことになる
そういう人物は大抵、結局優しい
やべえバケモノが徘徊していることにいち早く気づいた、あるいは、空爆なんかが始まることにいち早く気づいた
そういうところで、頼れる先輩が口にする言葉だ
そういう人になりたいんだよな
出張先で、ホテルあるいは会社の手違いで、同僚の女性と相部屋になってしまった〜ッ!ってことだ
ホントにそんなことが起きたら、ひたすら気まずいし、普通に自腹で別の宿を取るなりして逃げ出すしかない……と言いたいところだが、そもそも相部屋になる時点で世界観が現実世界とは異なり(現実には部屋が取れてなかったという扱いになるに決まっていて、相部屋で泊まるというのは選択肢になりえない)、世界そのものがアダルト・ビデオの中にあるということなのだから、その後の展開としては、まず間違いなくセックスだ
でも、相部屋もののAVって、よくあるって印象はあるんだけど、結局最後はどうなるんですか?
つまり、セックスをしたところで人生は終わらないわけで、当然ライフ・ゴーズ・オンではあって、そうなったときに、セックスによって俺と同僚の関係はどう変わるのがスタンダードなのだろうか
ネトラレモノが世の中溢れすぎてて困ってる。
ネトラレ関係ないのに、AV女優が交際報道暴露されたりして、実質ネトラレになるとか、避けられないパターンも最近はあるな。
困るよ本当に。
こっちは、別にネトラレいらないのに。
食べたくもないのにラッキョウ乗せられてる気分なんだよ。
いらねーんだよ別にこっちはさあ。
そしたら、才能あるやつも、ネトラレしとけば売り上げ上がるんだろってやってくる。
チョロチョロと負け側の視点で「ここで抜け」ポイントを見せてくるけど。
いらねえ〜。いらねえよ。
なんだったら、最近は、「そもそも全く関係ない人」が主人公だったりする。いや、マジで全く関わらないのに、マゾボッキとかしてるキャラ。その描写いる??
「ネトラレ嫌いなのは才能あるよ」とか言われるけど。
嫌悪感も何も、全く興味ない。
篠田氏がラッセンに着想を得て執筆した小説「青の純度」であるが、篠田氏がラッセンのモデル小説ではないと述べていることについて、篠田氏がラッセンをモデルにしたことを否認しているという誤解が広まっているようだ。
「青の純度」はラッセンに着想を得た画家の話ではあるが明らかにラッセンのモデル小説では無い。
なのだが、この事を説明するには、人によっては「ネタバレ」と言うようなところを説明する必要があるので、多くの謙虚な読書家の感想文からは未読の者がそうと理解しにくい形になってしまっている。
私としては、物語の半分よりも手前(5分の2ほど)で明かされるそれは「出題」部分(探偵ものであれば死体の発見)であってネタバレではないと思うのだが、まぁそう思わない人もいるだろうから、駄文を挟みいささか猶予を置いてからその部分の説明に入るので、出題部を含めてネタバレを嫌う人はこの先を読まずにブラウザをバックすると良い。
ラッセンに着想を得たがラッセンのモデル小説ではない、とはどういう意味か。
そもそもモデル小説という語の意味が若干の広がりがある上に、モデル小説という概念を持たない人は誰かをモデルにしたキャラが出ているだけのものまでモデル小説と呼び、しかも「青の純度」の偽ラッセンはそれですらないのだ。
モデル小説というのはある理想(モデル)を小説の形にした小説というのがおそらく最もインターナショナルな定義だが、日本語の場合はある実在人物をテーマにした小説を指すことが多いように思う。篠田氏がいう「モデル小説」も後者の意味である。
モデル小説のテーマとなった人物は、少なくともその行動の主要な部分がモデルにされた人物に沿ったものとなる。テーマとはそういうものだからだ。
篠田氏がラッセンのモデル小説では無いと言ったのは、作中の偽ラッセン(私が架空人物の名前を覚えるのが苦手なので「偽ラッセン」と書くが、「青の純度」の読者なら納得してくれるのでないか)はラッセンの人物像を作中に顕現させようとしていないからだろう。証明は後述。
なお、作中の登場人物が実在人をモデルにしているというだけではモデル小説とは言わない。モデル小説とは小説自体の分類なので、個々のキャラのモデルの話とは別次元の話だからだ。言うならば、グラップラー刃牙にアントニオ猪木をモデルにしたプロレスラーが登場したからといって、グラップラー刃牙はアントニオ猪木のモデル漫画ではない。
これを前提に「青の純度」の中身に触れよう。
バブル後に一世を風靡し、印刷物を限定品と称して高値で売るエウリアンの悪徳商法が問題となって消えた偽ラッセン。
出版社に勤める主人公は、たまたま飾ってあった偽ラッセンの風景画を見つけ、かつて馬鹿にしていたそれが琴線に触れた。
そこで調べると、今(2023年)になって再び偽ラッセンの印刷物の新作展示販売会が活発になっている。その主催者は、かつてエウリアン商法をしていた会社の元従業員である。
出版社勤めの主人公はラッセンの大衆人気に関する本を出すことを思いつき、本に絵を載せる許諾を得るために、ハワイ島に暮らしているという偽ラッセンを訪問すべくハワイ島に飛んだ。
しかしそこで、偽ラッセンが10年くらい前に既に死んでいたことが判明した。
と、ここまでがいわば出題編である。
10年くらい前に死んだ人物の新作が2023年に出てきているのだから、読者は当然、ゴーストペインターを疑うわけだが、この先は君自身の目で確かめてみてくれ。
現実のラッセンは存命だし、近年の再評価は2012年のラッセン展に始まる原田氏のラッセン研究による正統評価の流れである。
10年くらい前に死に、令和最新版エウリアン商法としてリバイバルされている作中の偽ラッセンとは似ても似つかない。
したがって「青の純度」はラッセンの「モデル小説」ではないことは明白なのだ。
ちなみに作中で、主人公は当初、「犯罪的な商法と、作品・作家を切り分け、その販売手法に言及した後、ジャンピエール・ヴァレーズの作品そのものを取り上げ、そこにある芸術と大衆性のせめぎ合いについて語る」ことを企図して偽ラッセン本を企画しハワイに渡った。
しかしその結果、偽ラッセンは、マリンアートの巨匠Robert Lyn Nelson(→Wikipedia(en))の流れを汲む1人に過ぎないことを知り、ただその中では技巧が卓越していたという評価に至った。
また、偽ラッセンの絵画は原画ではなく印刷物を最終成果物と想定して描かれており、原画より印刷の方が良いという。
そして何より10年くらい前に死んでいたことと現在の売り出し方。
結局のところ、主人公はハワイに渡り様々な事実を知ったことで、当初の目論見とは異なる結論に至った。
したがって、偽ラッセンがラッセンのモデル小説では無いのと同じく、主人公についてもまた、近年の再評価者のモデル小説ではないということになろう。
箇条書きにしよう
・両親が強制送還されるも日本に残ったフィリピン人の女性依頼人。
・主人公たちを襲う「社会に存在価値のない人間は殺していい」と思っている大学生。
・すべての黒幕は土地の再開発のために地域の浄化を狙う実業家とヤクザだった。
主人公が現代のハードボイルド探偵像として擦られ尽くした「面倒くさがりでくたびれたおっさんだけど芯は真っ直ぐで熱い男」っていうのも正直ナンダカナーだし。ドラマ版IWGPの長瀬君が40代になったらこんな感じやろたぶん知らんけど。
話の筋書きの「再開発のために地域の浄化を狙う実業家とヤクザ」っていうのも、実業家だったり政治家だったりするけど何十回そのネタ擦るんって感じだし。まぁ、現実にそういうことがあるからそういう話にするしかないんだろうけどさ。
主人公が実業家の家に乗り込んで大立ち回りして囚われてたクルド人連れて帰るシークエンスも、海外のマフィアじゃねぇんだからなんでただの実業家の家にあんなにボディガードがいるんだよ。門番2人に中にも5人くらいいたぞ。黒幕の実業家との対決も、イキる実業家を殴るふりして彼が怯えるの見て「なんだよ、ダッセ」とか言って帰っちゃうし。ええんか?
ジェネリック植草、もしくは行動力のある若い増田的な大学生もそれドラマでもいっぱい見たわ~って感じ。
アクションはもっさりしたスタイリッシュさはないながらも泥臭い戦いっぷりでリアルっちゃリアルなんだろうなとは思った。結構頑張ってたと思う。あと、主人公頑丈すぎな。後ろから金属バットで頭をバコン、正面から鉄パイプで頭をバキン。死ぬから。
最終的にクルド人は救出できたものの入管にとっ捕まって強制送還され、これまで通りヤクザとマフィアがトムジェリする街でうまい街中華を食って変わらぬ日常が続きますよエンドで終わるのは妙な爽やかさがあってそこはよかった。
本国で大コケした結果、日本では配信スルーになってしまった作品だけど
ヒット作の続編の中の一つのパターンとして「1の魅力的なヴィランを主人公に据えた続編」というものがある。
おそらくもっとも成功したのがターミネーター2。シュワルツェネガー演じるT-800は1では主人公を殺害するために永久に追いかけてくる恐怖のアンドロイドだったのが2では逆に主人公を守るためにやってくるアンドロイドになっていて、1のT-800のポジションにはより先進的な液体機械型のT-1000がつく。
ミーガン2.0は明らかにT2のテンプレートを模して造られており、ミーガンの技術を模して造られた軍用アンドロイド、アメリアが暴走し世界を滅ぼそうとする中、それに巻き込まれたミーガンの製作者である1の主人公家族(特に娘)を守るため実は生きていたミーガンが復活する。
T2と違って一番問題なのは、悪役であるアメリアが全然魅力的じゃないところ。ミーガンは不気味の谷を反復横跳びするような「ドール的な人工的な可愛さ」と「ロボット的なモーション」が魅力的なアンドロイドだったがアメリアは軍事スパイ用という用途からすれば妥当ではあるのだが、どう見ても疲れたおばさんにしか見えない。動きも滑らかになっているので、無表情気味の超強いおばさんって感じ。別にそういうヴィランがいてもいいんだけど、ミーガンに求めてるのはコレジャナイんだよなぁ。
顔をミーガンみたいなドールタイプにしないにしてももっと人工的に見えるタイプの顔の役者アサインするとかなかったんかなと思ってしまう。そう考えるとT-1000は完璧だったよね。あのおじさん。ちゃんとロボットに見えたもん。
ミーガン自体は1を踏襲して、作中でも言及されるクリップ問題(AIにクリップを最高効率で作ってと頼むとその過程で人類を滅亡させる)に忠実で「娘を守るためなら倫理などない」という言動の面白さはあるし、日本人だと寄生獣のミギーみたいな感じで見ていて愛着がわくと思う。途中で出てくるミニミーガンもかわいい。あれ商品化してほしい。
前作でミーガンダンスがバズったので今回も、と明らかに無理矢理突っ込んだダンスシーンは蛇足だったけどアクションもパワーアップしていてよかった。でもホラー要素は減退していてこれは好き嫌いありそう。
途中でアメリアはミーガンが操っていたのでは!?みたいなスティングもありつつ、まぁそうなるよね的な大団円を迎えるのも視聴後感もいいし、普通にいい作品ではあったと思う。
可愛そうなのは主人公のAIエンジニアのおばさんだよね。前作でミーガンが暴走したことに責任を感じて反AI運動の活動家に転身、著書もいっぱい売れて、事故物件か?みたいな家賃クソ安い家で安全なAIの開発にいそしんでいたんだけど、実は著書はクラウド型ミーガンが6万5000冊買って倉庫にしまっていたり、家もミーガンが買ってミーガンが開発したウェポンハウスだったり、自分の活動のせいで娘はいじめられ、反AI活動で気が合って一緒に活動していた相手は反AIテロリストだったり踏んだり蹴ったりすぎる。
あと全然どうでもいいんだけどエンジニアおばさんが開発してた介護、現場作業補助用のパワードスーツ。アメリアに操られたときに水かけたらスパークして暴走しだしたけどそんな危ないもん介護、現場作業用に売り出そうとしとったんかい。めちゃくちゃやなとは思いました。
結局、T2がSFスリラーからSFアクションに舵を切ったように、ミーガンもSFホラーからSFアクションに舵を切ったわけだけど、前作がAI怖いだったのが今作では人間怖いに切り替わっており、なんでより凡庸なほうに行くねん!とはなったかな。
う~~~ん。現代ゾンビ映画指標で見たら悪い部類に入るかもしれないけど将来性に期待して51点。
原題は「AbadiNan Jaya」でインドネシア語で永遠の栄光というような意味。
インドネシアの有名な愛国歌である「Indonesia Pusaka」の中の有名なフレーズでもあり、この楽曲は作中でも確か流れていたはず。
インドネシア映画の中である程度予算をかけて初めてつくられたゾンビ映画とのことで、過去のジャンル作品へのリスペクトが感じられきっちりゾンビ映画のツボは抑えながらも地域性が見られる点はなかなか興味深かった。
けっこう銃を撃つシーンがあるんだけど毎回ちゃんと当たると部位欠損していてGood。ここを手を抜く作品は信用できない。車で轢かれたゾンビの腸飛び出しもよき。ある程度リアリティのあるゴア表現が続き、"ちゃんと"ゾンビ映画しようという気概が感じられた。
今回のゾンビは目が完全に濁っていておそらく視力がない。なので音に反応する形になっている。
そんな中で警察署に立てこもった主人公たちが行き詰っているときに遠くから礼拝の声が聞こえ(インドネシアはイスラム教圏)ゾンビがそちらに向かって走り出し、これが神の救いか!と思ったら礼拝の声が消え悲鳴が聞こえるという皮肉な展開もよい。
また、急に大雨が降りだし聴覚を奪われたゾンビたちが立ちすくむ中脱出するシークエンス中に急に雨が止み再び追いかけられるという展開になるのだが、俺たちからすれば都合のいい雨やなと思うんだろうけど、現地の人からすれば「スコールあるある」みたいな緊張感がおそらくあるんだろうと思う。
こういう地域性を活かした展開はよかった。
ほかは、まぁ悪かったかな。
ホラー映画あるあるのバカで考え無しな登場人物たちが大集合してわっちゃわっちゃする。こいつらどうせ耳しか聞こえてないんだからずっと静か~~~に立てこもってればそのうちどっか行ったんちゃうんか?という疑念が絶えない。知り合いがゾンビになるんだけどいろいろあって殺さずにおいておいた結果、大ピンチになる。
わかったわかった、もうそれとっくに見たよ。という展開がほぼほぼを占めているので、それこそがゾンビ映画というのもわかるのだがどうしても得点は上がらないという形になってしまった。
今回の作品は田舎の漢方薬企業が作った新作漢方試作品が原因でゾンビ化するというジェネリックバイオハザードみたいな感じだったんだけど、これも漢方ビジネスが一般化していて民間療法が日本の1000倍は信じられていて一種の社会問題にもなっているインドネシアならではの切り口だなと。
最後の最後でその試作品が実は大都会にも送られていて……という続編を期待させるオチで終わるのもテンプレでよい。
今作の経験を活かして大都会ならではの規模感で続編を取るならそれはそれで期待したい。
ピングポングが好きだ。
逃げ若目当てで今年から定期購読をはじめた週刊少年ジャンプだが、2025年7月、初めて応援してえ…!!と思う新連載が始まった。それがピングポングだ。
実を言うと卓球に興味がなかったので1、2話はスルーしていたのだが、3話目が掲載された回あたりでタイトルの禍々しさに、これただの卓球漫画じゃねぇな…と気づき購読を始めた次第である(判断が遅い)。3話目にして3話とは思えぬ満足感、おもしろさ、あり得なさ全てを兼ね備えていた…。
もともとギャンブル系の漫画が好きで、嘘喰いやアカギなど好んで読んでいたのだが、週刊少年ジャンプでギャンブル漫画というのは私にとって非常に新鮮であった。しっかりジャンプナイズされた爽やかなデスマッチ描写というものに感嘆した。
一番好きなのは番頭さんとのバトルだ。超高圧シャワーで女風呂に吹っ飛ぶところ、大好き。そんなワケねぇだろ。このぶっ飛んだあり得なさこそピングポングの面白さの根源だと思う。ちなみに私は番頭さん男の娘説を唱えています。
荒唐無稽な卓球漫画であるピングポングだが、平はとにかく適応力が高く、読んでいてストレスがない。(2話目で100万の札束に慣れることはないだろう…とか言ってたのに7話目にして300万しかない…になってるの好き)そして絶望的状況でも決して輝きを失わない強さがある。性格も素直で応援できるし好感をもてる主人公だ。
あと御門平の泣き顔はいい。本当にいい。泣きながらも覚悟決めて戦う姿が好きです。妹の桃ちゃんも鋭さがあって好きです。
ピングポング、絶対単行本も買うんだけどひとつだけ…一つだけ好きじゃないところがあって……
辻大喜戦。
辻大喜…ちょっと……
・スマッシュのフリして生徒を殴ろうとする
その他行動も全く好感がもてなかった…。敵としても。あのね、まず生徒を守るのが教師の仕事なんですよ。ほんま何やってんの?100歩譲って教育災害みたいなやつもいるからギャンブルに手を出すのはいいんですけど(よくない)教育災害にはまだ教員としての誇りがあった。辻は教師になったのが名声のため、というのが本当に、本当に…。。。
私は今年の教員採用試験に面接で落ちたんですけど(鬱)こいつが教採受かってると思うとほんとに許せねえよ(私怨)
フィクションと現実は別、とはいえどもまず人間としてあまり好感持てる造形ではなかったな…と思います。(むしろ意図的に好感持てない造形にしているとは思う、立会人的なものの説明のために)それが教師なのが私的にハマらなかったというだけです。せめて往生際がわるくなければ…。
辻戦、読み返したら話としては悪くなかったな…と思う。平和な学校生活にピングポングが入り込んでくるのもDCSも卓球台破壊も好きだ。でも、1巻買った時にこいつがメインバトル(4/10話ぶん)なのやだな…と思う自分がいる。
何はともあれ最終回も近そうな気がする(泣)ので御門平と桃ちゃんが幸せに暮らすエンドが見られたらいいな。むしろ早く借金が解決する方が平的には万々歳かもしれない。
はじめてジャンプの新連載をちゃんと追っていて、掲載順や漫画の展開を見て、好きな漫画が10数話にして終わりそうなのってこんなに辛いんだ…と思った。最後まで応援したいと思います。
やっぱり、タイトルに「の」を入れないと駄目ってジンクスは正しかったんや…、とか思ってたりもするけど、
士郎正宗先生は、是が非でも、来年のアニメ化に合わせて、昔みたいな絵を復活させてほしい…
無理かあ…😟
昨日だったか、ヤクザみたいな顔した刑事が出てくる昔のシロマサ漫画読んでて、
あー、これだよこれ、俺が望んでるのはこれなんだよ、と思ってしまったんだけど、やっぱり寂しいなあ…
そういえば、士郎正宗のドミニオンの主人公の戦車偏愛っぷりは、パトレイバーのパクリみたいに言われることあるけど、
ちょっと調べれば分かるけど、逆です、時系列でドミニオンが先で、パトレイバーが後です
それから、OVAのレリックアーマーレガシアム、子供の頃はアニメ雑誌でしか知らなくて、大人になってやっと観れたわけだけど、
これ、ランドメイトの影響をかなり感じる、腕が四本あって、内側が操縦者の腕のマスタースレイブ方式で、
士郎正宗は押井の攻殻機動隊の映画が出るまで、なんというか知名度がやはり低かった気がする
あの押井映画の影響で、映画マトリックスができたりしたわけだけけど、日本での知名度はイマイチで、
何故か海外での人気が高かった気がする
でも、同人界隈では士郎正宗の存在は際立ってて、同人誌のようでありながら、薄くない、
書店に置かれる漫画を青心社から出版したのは、これは異例中の異例で、
アップルシード一巻は、ブラックマジックのまだ松本零士が抜けてなかったりする絵柄と、大友の中間みたいな感じで、
ランドメイトだけでなく、後のオウム事件で出てくるサリンも私はこの漫画で初めて知ったし、
とにかくシロマサ漫画は一度読んだだけでは理解できないところがあるのだけど、
理解をすっ飛ばして、まずアクションとか、メカとか、そういうビジュアルだけで十分楽しめるし、
繰り返し読むたびに何か発見があったり、攻殻機動隊もそうだけど、コマの外に書かれた参考文献も買って読んだり、
そうすることで生命科学とか、宇宙開発とか、哲学とか、西洋の建築様式とか、神話とか、
人生で何の役にも立たないかもしれないが、無駄な教養が増えて楽しい…😟
今になってみると、昔のシロマサ漫画を読んで、これは流石に時代を感じる、とか、
そうは言っても、専門家でもない漫画家が、この時期にこれを見抜いていたとは先見性がありすぎるというか予言者というか、
失礼ながら、これはナウシカとか、AKIRAとか、もちろん、それはそれで面白いのだけど、
シロマサ漫画はちょっと違うんだよ、そのナウシカとかAKIRAの影響を十分に受けてるんだけど、
例えば、ナウシカやAKIRAって左翼的なんだけど、シロマサ漫画は徹底して右翼側というか、
警察官とか軍人とか、なんだかんだ国家権力側に所属する人たちが主人公であることが多いわけで、
もちろん、そんな主人公たちがまた暴走していくから面白いのである
書こうと思えば自分には一晩中書けそうなネタでもあるけど、久しぶりに仕事というか用事ができたので、この辺で…😟
無理はしてほしくないけど、シロマサ先生には帰ってきてほしいんだよなあ…
昔の海外刑事ドラマみたいなのでもいいし、ORIONみたいなファンタジーでもいいし、
でも、エロ絵になってから私はもうほとんど読んでない、買ってない、
それどころか、アップルシード1巻の表紙をあんな風にしてしまって、失礼ながらちょっと憤慨したぐらいだけど、
ゼーガペインで自ら絵を描かなかった伊藤岳彦氏というかBLACKPOINTさんというかみたいに、
シロマサ先生原作で、でも、シロマサ先生ができるだけコマ割るところまでやってほしい、
あの、不親切なぐらい、説明口調のない、自然な描写がいいんですよ
だって、警察とか特殊部隊の人が、漫画を分かりやすくするために説明口調になったり、
それこそ、読者の方向を向いて、どっち向いて喋ってんの?みたいに突っ込まれたりするのがおかしいんですよ
シロマサ漫画の良いところは、敢えて説明しない、多くを語らない
これは富野アニメもそうで、説明口調とか、詰め込んだ富野アニメは面白くないし、
そうそう、安彦ORIGINも、映画のククルスドアンもそうだけど、やたらと語ってしまったり、詰め込んじゃ駄目なんですよ
敢えて語らない、説明しない、なんかこういうことがあったんだろうな、と匂わせるだけ
あー、そういう意味でやっぱりジークアクスも駄目だと思ったんだよね
特に最終回でキラキラの中で会話だけ始めちゃったんで、これはもう駄目だ、と思ってしまった
見たけど何かよく分からない、何か匂わせてるけど、具体的に何があったのかちゃんと描け、みたいな話で、
例えば、ララァが娼館にいた話とか、そういうのはアニメでは匂わせるだけだから良かったんだよね
シャアと何か色々あったんだろうなあ、と思わせるだけで十分なんであって、
具体的に娼館がどんな感じか、なんて語らなくていいし、ORIGINのランバラルとハモンも、なんかイメージが違うし、
幼少期のシャアやセイラと何があったか、なんて語らなくていい、そういうのは同人誌でやれ、
という話なんであって、だから、安彦ORIGINとかジークアクスは同人誌なんだよね
登場人物の幼少期はこんなだったかもよ、というネタの同人誌であって、
それをファーストガンダム本編で語ってたら、ある意味、ガンダムは成功してなかったと思う
富野メモについて私はよく知らないのだけど、あれも没案はボツになったから良かったんであって、
何らかの形で没案が通ってたら、やっぱりファーストガンダムは成功しなかったと思てる
色々偶然が重なったりもして、渋々没になったり変更したりしたのが、逆に功を奏してしまって、
https://anond.hatelabo.jp/20251026193842
たまたま自衛隊や防大みたいな特殊な場所や職業だったからそこらへん割引いてもらえてるだけで、
これがどんな職業であれ、どんなものであれ何でもいいけどさ、自分自身で10代20代をドブに捨てたと思って言葉にまで出してるんだから、そりゃ10代20代をドブに捨てたゴミみたいな人生歩んでるね、としか言いようがないよ
まぁ、あんまり厳しい事言ったら可哀想だけど、これからそういう目で見られてそういう扱いを社会で受ける中で、働いて飯食って第二の人生歩まないといけないんだから、そりゃ物凄い苦労する人生にはなるわな。
内心、自分でもそう思ってるんでしょ?長い懲役の様だと形容してるけど、その認識正しいよ、みんな心の底で思っててお前さんには本当の事言わないから、あえて厳しい言葉で本当のことを親切心で言うのであれば
ガキん頃から世間と隔離された自衛隊という世界に身を置いて、これから身一つで生きていかないといけないのに、最後に頼れる友達を、チンケなプライドの為に縁切ってどうすんの?最後の最後に助けてくれるセーフティネット自分から断ち切って、縛りプレイなんかできる能力じゃないでしょ、そもそも、そんな能力あるのなら自衛隊辞めてないしな。
ここの増田やブコメの馬鹿共の心の内では嘲笑しながら、思ってもない慰めの言葉に縋り付いて、今のまま本当に心配してくれる自衛隊の友人たちとの関係を切って、あんなゴミ弱者男性や弱者女性の仲間入りしたいんなら、どうぞご自由にではあるけど
具体的にはFGO、グラブルあたり。ぐだ男もグランも芋臭くて萎える。スタレとかゼンゼロとかステラソラとか、まだリリースされてないけど無限大ANANTAとかNTEあたりの中華ソシャゲは男主人公みんなイケメンなのに…。
日本の男オタクは自己肯定感が低くてイケメンに自己投影できないから、わざとイケメンすぎない見た目にしてるんだろうか?
日本のエロ漫画にありがちな汚いおっさんの竿役も海外では受けが悪いみたいだし、日本の男オタクの自己肯定感低い問題って結構深刻では…?
断言する…、これは来てる…
風…、なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、俺たちのほうに…
近未来の日本、突如大量のクマが人間の街に降りてきて、人間を喰らうようになる
近くの民家に逃げるバーバラ
襲われたバーバラを救ったのは、ミラクルを起こすことで定評のある黒人男性
民家に二人で立てこもっていると、他にも逃げ込んでくる人たちが登場してメンバーが増える
夜になると、民家の周りはクマでいっぱい…😟
そして、地下室に寝ていたクマに噛まれた幼女はいつの間にかクマに…
クマになった幼女を殺そうとする黒人と、幼女の父親の銃撃戦が始まってしまう…
駄目だ、面白くなかった、ごめんなさい…🙇💦
ああ、等々力競技場。その名は、Jリーグファンにとってある種の聖地であり、また、アウェイサポーターにとっては試練の場でもある。 中でも、ホーム側の熱狂的な応援に比べ、アウェイ側の静けさと、そして——あの「がっかりドッグ」の存在は、ある種の伝説となっていた。
物語は、等々力競技場のゴール裏、アウェイ側スタンドの、日陰の片隅から始まる。
主人公は、増田。首都圏から遠く離れた街をホームとするJ1クラブの熱心なサポーターだ。等々力での試合は、年に一度の大遠征。朝早くから新幹線に飛び乗り、高揚感と少しの緊張を抱えながら競技場にたどり着いた。
しかし、アウェイ側のグルメブースはいつも寂しい。ホーム側が華やかなケータリングカーで賑わうのに対し、アウェイ側はひっそりとした売店が一つ。そこで売られている「ホットドッグ」は、サポーターの間でいつしか「がっかりドッグ」と呼ばれていた。
その名の通り、フランクフルトは細く、パンは水分が抜けて少しパサつき、キャベツの千切りとケチャップ・マスタードが申し訳程度にかかっている。シンプル、というよりは、簡素。
増田はため息をつきながら、500円玉を差し出した。 売り子の女性は、いつもと変わらぬ穏やかな笑顔でドッグを渡してくれた。
それが、アヤとの出会いだった。
アヤは、その売店で働く、短大生のアルバイト。彼女はホームであるフロンターレのサポーターではない。ただ、近所に住んでいるという理由で、週末の試合のたびにこの「アウェイ側売店」に立っていた。
「あの…いつも、ありがとうございます」 アヤは、申し訳なさそうに言った。
増田:「いや、こちらこそ。でも、このドッグ…本当に名前の通り『がっかり』ですよね。ホーム側はすごく美味しそうなのに。」
アヤは少し肩を落とし、苦笑いをした。 アヤ:「知ってます。私も正直、そう思います。でも、ここはアウェイ側ですから。お店の人も、『遠くから来た人たちに、最低限のエネルギーを』って言ってて…華やかさより、シンプルさを追求してるんです、一応。」
増田は、彼女の真面目な受け答えに、少し意地悪な気持ちになった。増田:「最低限のエネルギー、ですか。でも、このパサパサのパンと細いソーセージ…これを食べたら、逆に力が抜ける気がしますけどね。」
アヤは、増田の鋭い言葉にひるむことなく、逆にまっすぐ彼の目を見つめた。 アヤ:「それでも、遠くから来て、ホームの熱気に圧倒されながら応援する皆さんの姿を見ていると…このドッグが、少しでも心の支えになればって、いつも思ってるんです。」
その瞬間、増田の胸に、今まで感じたことのない何かがこみ上げてきた。 それは、試合の勝敗とは無関係の、一種の切なさ、そして、共感だった。
がっかりドッグ。それは、華やかさとは無縁の、アウェイサポーターの孤独と、ちょっとした惨めさを象徴しているかのようだった。しかし、その簡素さが、かえって彼らの純粋な「応援」の原点に立ち返らせる。
増田は、ベンチに戻り、ドッグを一口食べた。 パサつくパン、細いソーセージ…だが、ケチャップの味が、いつになく甘く感じられた。
それ以来、増田は等々力での試合を心待ちにするようになった。がっかりドッグを食べることが、彼のルーティンになった。
増田:「…やっぱり、がっかりドッグですね」 アヤ:「…はい」
そんなやり取りが、年に一度、二度、繰り返された。 いつしか、増田はアヤに、自分のチームのこと、遠征の苦労、そして何よりも「がっかりドッグ」への複雑な感情を話すようになっていった。
増田:「初めて食べたときは、本当にがっかりしました。でも、今は…このドッグこそ、俺たちの等々力での勲章みたいに思えてきたんです。ホーム側の豪華なグルメは、俺たちには関係ない。この寂しさが、俺たちの闘志を燃やす。」
アヤは、そんな増田の言葉を、静かに受け止めていた。彼女の眼差しは、ただのアルバイトのそれではなく、アウェイ側の厳しい環境に理解を示す、一人の人間としての温かさがあった。
やがて、二人は連絡先を交換し、試合のない日もメッセージを交わすようになった。 アヤは増田に、「今度、等々力のホーム側グルメ、一緒に食べませんか?」と誘った。
増田:「いや、それは遠慮します。俺が食べるべきは、がっかりドッグですから。でも、もし良かったら…試合がない日に、君が『がっかりドッグ』を作ってくれないか?」
アヤは笑った。心からの、明るい笑顔だった。 アヤ:「いいですよ。とびきりがっかりな、最高のホットドッグを。」
そして、次の等々力での試合の日。増田は、再びアウェイ側の売店に立った。
増田:「がっかりドッグ、一つ」 アヤ:「はい。今日のは、特別に力を抜いて作りました」
アヤは、彼にドッグを差し出す際、そっと付け加えた。 アヤ:「ねえ、増田さん。このがっかりドッグ、食べ終わったら、少しだけ、私に時間をくれませんか?その…競技場を出たところで待っています。」
増田の心臓が、ゴールが決まったときよりも激しく高鳴った。 彼はドッグを掴み、その場で一口、大きくかぶりついた。
パサパサのパン。細いソーセージ。申し訳程度のキャベツ。しかし、その簡素さの中に、二人の間で育まれた、誰にも理解できない、純粋で、ひたむきな「愛情」の味がした。
増田は確信した。 この「がっかりドッグ」こそ、等々力競技場がアウェイサポーターに贈る、最高の、そして一番の「ご馳走」なのだと。
そして、増田は、スタンドの喧騒を背に、最高のエネルギーを胸に、アヤの待つ競技場の外へと歩き出した。彼の手に残ったのは、最後のケチャップの甘い名残と、新しい未来への期待だった。