
はてなキーワード:中学受験とは
凄い!
だが中学1年生のときに親にパソコンを買い与えられ、インターネットの力で毎日オナニーするようになってみるみる成績は落ちた。
そして俺はニッコマに行った。
ニッコマでレベルの低い教育を受けている自分に絶望した俺は、大学時代もひたすらオナニーを続け、いつしか大学に行かなくなり、就活でもガクチカさえまともに語れなくなっていた。
そして中学受験時代の学歴に可能性を見出してくれた人事に拾われ、公共法人でしょーもない仕事をして過ごし、そして・・・自分の人生に今もずっと絶望している。
オナニーさえしていなければ、大学受験の偏差値だってせめてマーチぐらいは受かる程度はあり、マーチ程度であれば俺も少しはやる気を出し、そして人生は全く変わったはずだったんだ・・・。
被差別部落出身ガチ這い上がりの橋下とか、小学校で実家破産アンド母死別のワタミ社長とか、父死別貧乏母子家庭の前原誠司とか
底辺連中にとったら、そういう苦労叩き上げ政治家の方がキツいんじゃないかなあ。
娘の進学について、もし自分と似た所があったら何を助言できるかなぁと考えて過去を整理したので、ここに書き留めておくことにする。
中学受験コースに通い四科目の勉強を始めた。途中から社会の勉強がつまらなくて(楽しんで覚えられなくて)、二科目コースに移った。すると受けられる学校の幅が狭くなり、その中には強く行きたいと思う学校も無かったので、嫌になって中学受験コースから学校のサポートコースみたいなコースに編入した。
サポートコースは受験コースと比べると当然易しい内容で、簡単すぎると感じることもあった。
中学に上がると流石に高校受験を目指すコースになったが、そこでは上位クラスをキープできた。小学校の頃の助走があったこと、最初から三科目で行くと割り切っていたことも大きかったと思う。五科目で理科社会をやっていたら潰れていたか、結果的に総合的な偏差値を下げていたと思う。(社会は相変わらず覚えられなかったので……)
夏期講習や夜遅くまでの授業、正月特訓などを経て、無事に高校受験には成功した。
さすがに塾に通うことにはうんざりしていたので、絶対に予備校なんて行かない、大学の付属校に行くぞという気持ちで付属校ばかりを受けまくり、五校のうち四校に合格した。
高校ではその後、色々な点で苦しみながらも、友達や趣味に恵まれそれなりによい思い出を持った状態で卒業することができた。
苦しみについて補足すると、学校の授業で学び、家で宿題をするという当たり前の習慣に馴染めなかった。要するに勉強するモチベーションが沸かなかった。鬱に近い状態であったと思う。
勉強しなくてもちゃんと成績が取れる、という世界線を望んでいたのだと思われる。しかし自分はそのような天才ではなかったので、普通に悪い点を取ってはしょげてた。
それを認識した上でも、まだ勉強することに面白みを見いだせない時期が続いた。勉強は苦しみであった。もしも、目的意識がある、学問領域としての面白さに気付く、得意な科目で無双する、楽しんで競争する、といったことが出来ていたら、また違ったのかもなぁと思う。
そういう意味では情報の授業では割と無双してHTMLやJavaをやっていたかもしれない。
あとは、試験勉強を友達と学校やファミレスでやるというのも、楽しかったな。それに、そこで救われていたとも思う。
その反省も踏まえ、エスカレーターで進学した大学ではこの勉強が次にどう繋がっていくか、ということを少しは考えていたと思う。
B1は学部内で学科が分かれずに、B2で振り分けがあるタイプだったので、行きたい学科に行くためにはよい成績を取らなければならない、しかもこの学習はB2の基礎になるはずだ……とまでは考えたのかは覚えていないが、それなりに頑張ったと思う。
学科への振り分けも決まると、ようやく勉強と職業との繋がりが見えるようになってきて、学んでおきたいというモチベーションは増えた。またB3では研究室配属があるため、行きたい人気の研究室に入るためには良い成績を取らないとなぁという観点でも、諦めたりすることは無かった。
また、サークルに参加したのも良かったし、普段から内部進学の友達やB1でクラスが一緒だった友達とつるんでいたのも良かった。サークル活動に励んだり、喋ったりご飯を食べたりするのは楽しかったし、必然的に情報交換をして、頑張ろ〜なのかやんなきゃ〜なのか分からないけど、勉強のモチベーションになっていたのかもしれない。
サークル活動が専攻の内容ともリンクしていたことも価値があったと思う。これってどういうことだ?という疑問がサークル活動の遊びの中から生じて、別に宿題でも何でもないけど図書館に行って調べたり、活動の成果物を作るためにあれこれやったりしていた。
この頃は結構成績も良くなってきて、専門科目は一部を除いて良くできていた気がする。
そんなこんなで気になっていた研究室にも入ることが出来て、やりたい分野の企業にも就職することができた。今の仕事にも満足している。
勉強の苦い経験というのは、成長しているということであり、多かれ少なかれ苦しむことになると思う。その時に折れないで頑張れるかどうかは、自分の経験では目的意識と交友関係が大事だったのだと思う。
娘には、色々な事に興味を持てるといいね、仲間と一緒に遊んだり勉強したり色々やれるといいね、という方向性を提示していきたい。
新しい中学受験シーズンが始まるところなので、過年度の入試の終了者の個人的雑感。
・もし中学受験をすることにするなら、模試(クイズ大会)の偏差値で子供がランク付けされ、無意識に煽られて志望校への進学を熱望し、多くの子供が不合格と言う形で、自分の努力を否定される経験をすることになる。その経験を12歳の子供にさせる意味があるかは考えた方がいい。一旦中学受験準備を始めると、子どもの時間を費やした後で中途撤退を判断するのは、相当に難しい。
・受験の伴走本や、塾選びのサイトがあるが、ああいう表面的な知識に惹かれる親なら、すでに不利な状況。子どもが自走できる場合を除き、中学受験は子どもに合わせた実効的な対策を立てられる受験スキルが親に求められる競争でもある。子供に合わせた対策を立てるのは、受験(クイズ大会)が得意な親でないと難しい。そういう親にはノウハウ本は不要(本の内容が自明か、的外れ)。
・本当に受験が得意な人が塾の先生になるとは限らないので、塾にお任せでうまくいくとは限らない。塾のアドバイスは結構表面的で実効性がないことも多々ある。また、宿題が多すぎることも多い。後者の場合、親(か、実力のある個別指導の先生)が、宿題を取捨選択する必要がでてくる。実力のある個別指導の先生を事前に見分けてお願いすることも結構難しい。
・(個人的印象に過ぎないが)東京都は財政に余裕があるので、公立中は荒れていなければ、そんなに悪くない印象。都立高は楽しそう。(一方、他の首都圏の自治体の事情は不明。東京都より財政力は大きく落ちる。その場合、(都内を含む)私立中高一貫校の方がいいということはあるかもしれない。)
・高校受験は都立入試が単願制なので、それはそれで大変厳しい。また、公立中の教員が付ける内申点がフェアである保証がないという問題もある。(普段の授業での観察から、内申点をきちんとつけるには、教師に高い能力が必要だが、皆が同じ能力を持つわけではない。)その意味では、中学受験の方が楽。
・勉強が得意な子で、小学校で話が合う友達が少ない、あるいは孤立気味なら、中学受験するといい。
・親が偏差値に囚われない自信があるなら、素晴らしい私立中高一貫校は多い。(生徒がその環境を活かせるかは別の話。学校そっちのけで友達と遊んでしまうのが普通。)ただ、偏差値の魔力は強い。
・中学受験をすることに決めたなら、演習問題、模試、過去問で間違えた問題の解き直しがとても重要。模試の結果が返ってきたら、正答率が一定数(50%とか)以上の問題で間違えた問題を、すべて正答したと仮定して、点数を足し合わせて子どものその模試での偏差値がどれだけ上がるか見ると、難しい問題ができなくても、基本問題を抑えれられば偏差値が結構大きく上がることが分かって、子供のやる気が出るのでおすすめ。
そのために都内に住んで塾だの習い事だの海外旅行だので金かけて
「子育てには金がかかる!世帯収入1000万以上でも生活苦しいから税金下げろ」とか言ってるの見ると中学受験なんてやめちまえってなるよ
そもそも多額の税金を払ってもらうために子供に税金ぶち込んでんのにな
子は国の宝の意味わかってないわ
よくある中学受験の体験談の記事がホッテントリに入っていたのでブクマを見てみた。
中学受験に対する否定的なコメント・スターの多さにはびっくりした。
子供に競争をさせるべきでない、無理な負担をかけている、時間と金の無駄である、云々。
合理的に考えると、中学受験は極めて効率の良い投資なのは間違いない。
日本社会は学歴によるトラック分岐が依然として強固に存在している。
上位の中高一貫校は大学進学実績で明確な優位を持つ。難関大学への進学率は公立中学経由と比較して明らかに高い。難関大学の卒業者は生涯賃金の平均値も高い傾向がある。入口での選別は出口の収入に強く影響する。
教育は支出ではなく資本投下だ。リターンが長期にわたり複利的に積み上がるタイプの投資だ。
子供の段階で適切な環境に入ることで周囲の基準値が変わる。努力の方向も変わる。情報の質も変わる。人的ネットワークも変わる。
その差は時間とともに拡大する。
否定的なコメントを書いている人たちはその構造を理解しているのかいないのか。
この際そんなことはどちらでもいい。
「子供がかわいそう」という感情を優先させるなら思想自体は尊重されればいい。
だが少し考えて、これはこれで都合が良いとも思った。
中学受験の有効性を理解する家庭が増えすぎると競争が激化する。枠は有限だ。全員が参加すれば優位性は希釈される。
教育コストの高さは参入障壁として機能している。塾代、教材費、時間的拘束。簡単に真似できるものではない。
全員が合理的に行動する社会は息苦しい。全員が同じ最適解に到達すると差は生まれない。格差は構造的に維持されることで意味を持つ。
無理に説得する必要はない。信じない人は信じないままでいい。
参加者が限定されている状態の方が投資としての価値は維持される。
毎年まさにこの2月2週目あたりがピークなんだけど是非Xを見てほしい。
龍谷大学に受かりました!
とか
国士舘大学受かった!
に800イイネとかついてる。
ちょっと前までSAPIXの中央値がMARCHってどうなの?とかが燃えてたXがこれ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blog.tinect.jp/?p=90740
これの人気ブコメ1位がこれ
>grisella 読んだ上でやっぱり中学受験ってむなしいな、貴重な子供時代を犠牲にして親子で全力を尽くすほどのことか?と思ってしまった。ごめんなさい。子供さんの傷にならないだけ良かった。中学生活を楽しまれますように。
中学受験の構造に問題があるのはわかるが、「むなしい」だの「貴重な子供時代を犠牲にして〜」だの受験が終わった親子に対して向けられる言葉として、あまりに失礼では?
中学受験を選択するのも、一生懸命勉強したりそれを経済的に応援するのもそれぞれの家庭の自由な選択だろうに。
ストレスや負担が一定かかるという調査もあるが、大変だ大変だとばかり煽るメディアも問題だし、受験を選択しただけで児童虐待みたいな言説を振りまいていいわけではない
経験者でも当事者でも無いのに、したり顔で上からこういう事言うやつまじでムカつくわ
中学受験となると価値判断を勝手に下して口出していいと思ってるやつ多すぎ。踏み越えて良いラインを超えてるっつうの
実名で書けないこと書くなよ
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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## 1週間分の総括
この1週間は、選挙を中心とした政治・社会への高い関心が全体を貫きつつ、AIや投資など未来志向の話題と、食・旅行・趣味といった身近な雑談がバランスよく共存していた。
仕事や教育、医療といった現実的な課題への悩みが多く語られる一方で、新技術や文化を楽しむ姿勢も見られ、不確実な時代の中で生活を最適化しようとする等身大の大人たちの対話が印象的なログだった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
■はじめに
新卒就活をしていたとき、勝ち方はなんとなく分かっていた。でも、これは自分には無理な気がする、とも思っていた。
就活とはゲームで、どんな経験が評価され、どう語れば通るかも分かっていた。ただ、語るための「素材」が自分の人生にはなかった。
それを努力不足だとは、今でも思っていない。これはそういう前提で世界を見ている人間の、救いのない壁打ち思考ログです。
■スペックと現状
この投稿に、NNTの学生を救える話や、内定を取るためのノウハウはない。
正解を提示するつもりもない。
ただ、最後まで読んでくれた人がいたら、同意でも反論でも体験談でもいいので、意見を聞いてみたい。
就活はゲームだという言い方はよくされる。面接は「ギルドへの入団試験」だ。
志望動機やガクチカは、自分の「武器」をプレゼンするためのもの。ギルド側は、志願者の持つ武器が自分たちの挑むダンジョン攻略に役立つかどうかを見ている。
ただ、武器を作るには素材が必要で、その素材にあたるのが原体験や人生経験だ。RPGとリアルな就活の違いはここにある。現実では、欲しい武器があるからといって、対応する素材を狙って集めにいくことはできない。しかも素材には武器に適したものだけでなく、持ってても使えないカス素材もあるのだ。この点が、このゲームがクソゲーたる所以だ。
しかし私には「ダンジョンを攻略したい」という動機が決定的に欠落している。その背景には、成育歴による重い呪いがある。
私は中学受験の頃から、両親に成果だけでなくその「過程」まで監視され、評価され続けてきた。毎日続く説教。良い点を取っても「次も同じように頑張りなさい」で終わり。
両親が言った「私たちは結果だけでなく過程も重視する」という言葉。それは私にとって、「24時間365日、お前の時間の使い道はすべて私たちの監視下にある」という宣告だった。
「勉強しないお前は将来風俗嬢だ」「こんなんじゃ社会じゃやっていけない」。
そう言われ続けて育った私にとって、労働の現場は「成果と過程を要求され、監視される恐怖の場」の延長線上でしかない。
■私の手元にあるのは、使い道のない「生存記録」だけ
こうした背景があるから、私の手元には「自分の意思で手に入れた経験」がほとんどない。
就活では、0をプラスにした経験は武器に変換しやすい。努力して成果を出した話、成功体験。それらは分かりやすく強い武器として評価される。
一方で、マイナスを0に戻した経験は、強い武器として変換できない。生き延びるために必死だったことや、環境に適応するために消耗した経験は、「何を成し遂げたか」という物語にしにくいからだ。
これが先述した素材の差だ。
ここで私の人生を振り返ってみる。
大学進学や学部選びは、両親に逆らえなかった結果に過ぎない。卒業研究も、中退が現実的でない家庭環境の中で、ただ死なないためにやらざるを得なかった。
唯一、大学の部活では自分の意思で運営に携わり試行錯誤を重ねた。成功談とは言えないが一次面接ではこれが唯一、武器に近い形をしてくれた。
だがアルバイトでは数値で示せるような成果もなかった。
こうした素材は生活としては確かに意味があったが、就活というゲームの中では、強い武器には変換されにくいものだった。
■束の間の「救い」と、その後の絶望
こんなどん詰まり就活生だったが、たまたま逆スカウト型の求人サイト経由で受けた企業から内定をもらうことができた。
勝因は志望動機をほとんど求められなかったことにある。ガクチカは手持ちで一番強い部活の話だけで済み、最終面接も「欲しいサービスのプレゼン」という、人生の原体験を使わない内容だった。
そこは素材(過去)を競う場ではなく、純粋に論理的思考力と表現力という「能力」だけで勝負できる場所だった。それが私にとって、唯一の救いだった。自分のボロボロな中身をさらけ出さずに済んだから。
まあ、その会社も入社3ヶ月で辞めることになるので、結局その救いすら絶望に塗りつぶされるのだが。
働き始めてからも、労働に対する感覚は大きく変わらなかった。私にとって労働とは、単なる「消耗」でしかない。
働けば生活は安定する。給料も出る。それでも私にとって給料は、何かを達成したことへの報酬ではない。あの恐怖の空間に、自分を削って身を置き続けたことへの「慰謝料」だ。会社という名のギルドを何回か変えてみたが、それは変わらなかった。
自己効力感はほとんどない。同じ時間、苦痛に耐えるのなら、少しでも慰謝料(給料)や福利厚生の多い環境の方がよかったのではないか。そんなことを考えてしまう。
これほど労働を忌避しながら、なぜフルタイムでの就労に固執するのか。それは、私に唯一の「聖域」があるからだ。
中学の頃から続けている、多人数での楽器演奏。それが私の生きる意味のすべてだ。
音楽は両親が詳しくない分野だった。だからこそ、そこだけは「過程」を監視されず、成果を求められない、唯一の逃げ場だった。
かつて演奏会の予定を母親に黙っていたことがある。自分の聖域が汚されるのが耐え難かったからだ。結局バレて激怒されたが、あの時の「奪われたくない」という感覚は今も鮮明に残っている。
この趣味は、私にとって削れた心を元に戻すための不可欠な「回復アイテム」だ。だが、この聖域を維持するには、残酷なほどコストがかかる。
楽器の維持費や活動費、そして何より、団体競技であるがゆえに「土日祝休み」という拘束条件がつく。そうなると、現在の社会構造ではフルタイム就労以外の選択肢がほぼ消える。
聖域を守るために、最も恐れている「監視と消耗の場」にフルタイムで身を捧げなければならない。この矛盾が、私をさらに追い詰める。
■削られない「平凡」への渇望
ここで言う「幸せ」は、充実感や達成感のことじゃない。恐怖や消耗を前提にしなくても生きられる状態、それだけの意味だ。
聖域でなんとか命を繋ぎ、また平日に慰謝料を稼ぎに行く。その繰り返しだけで時間が過ぎていく。そこには、余裕が積み上がる感覚も、人生が前に進んでいる感覚も生まれにくい。
「社会でやっていけない」という親の呪い通り、私は今もボロボロの素材を抱えて、聖域を守るための慰謝料を稼ぎ続けている。
こんな素材しか持てなかった私が、この先、恐怖以外の動機で動ける日は来るのだろうか。
これ以上自分を削らずに、ただ平凡な日常を送れる日は来るのだろうか。
チームみらいは、金持ちの、金持ちによる、金持ちのための政党。
貧乏人が周りにいないから、貧乏人のために何かしてくれる可能性はゼロ。
でもこれ、別に悪意があるわけじゃないんだよな。それが一番怖い。
ボスコン、ゴールドマン・サックス、電通、総務省、IBM
この経歴の人たちが、人生のどの段階で貧困に触れる機会があった?
ずっと、ずっと、勝ち組の中だけで生きてきた。
周りにいるのは全員、同じレールに乗ってる人間だけ。
だから政策を作るとき、本気で「これで国民のためになる」と思ってる。
怖いのは、これ。
憎しみも悪意もない。ただ、見えてない。
存在してないのと同じ。
受験には辛い思い出しかないし、結果報われなかったし、それが後の人生に尾を引いている。
受験生や親たちの藁にもすがる思いを狙ってお金を取ろうとする姿勢が嫌いだ。
思うのが、受験を経験した人の大半が落ちた人ではないだろうか。第一志望に受かる人より、落ちた人が多いと思う。
イベントごとはビジネスになっていくから仕方ないとして、普段のパッケージも売ってほしい。合格祈願のやつだけは買わないから。
あと、「うカルディ」とか「チャレンジしおー味」とか、験を担ぐってダジャレを言うことじゃないだろと。しょうもないギャグでありがたらせるな。遊びじゃないんだぞ。
あと、じゃがりこの「食べだしたらキリンがない」も納得していない。これは通年。
中学受験生必見! こんなにあった「合格祈願お菓子」大集合!キットカットからポテコまでおいしい“ゲン担ぎ”9選
https://news.yahoo.co.jp/articles/a17a74e1b410d6b76d2c1de69e8c26c72bef79fc
うちは世帯年収1200万くらいで小学校低学年 1人を育てているけれど、ずっとカツカツな気がして焦っている。
1番の理由は教育費が生涯いくらかかるのか見当がつかない というのが大きい。
でも最近は中学受験が当たり前になってしまったようで、自分の常識や経験が役に立たない。
塾代、私立中学、私立高校にどれだけのお金がかかるのかわからない。
習い事も多い。
私の子供の頃は習い事をしているのはお金持ちの子供だけだったと思う。
今は英語教室、プログラミング教室、ダンス教室、スイミングスクール などを掛け持ちするのが普通らしい。
保護者会の議題が「習い事について情報共有しましょう」で驚いた。
女性が社会進出しほとんどの家が2馬力になった結果、子育て費用も2倍になったような気がしている。
みんなはどう思っている?
どうせ旅行とか行けないし、公立の特別支援学校だから中学受験とかしないし。
頑張って働くのも疲れた。
所得制限に引っ掛からなくなれば、国から都から区から、毎年200万くらい助成される。
(成人後は支給が止まるが、ほとんど変わらない額が障害年金になるので、それを使わせてもらう。
家を出ることなんかないだろうし)
ここ数年の実際からすると、600万も可処分があれば、住宅ローン返しながらでも余裕。
助成金の200万に加えて、1.3億を毎年400万ずつ切り崩して、ざっくり32年は生きられる。
その頃には年金も入ってくる。
あと1千万頑張るぞ
1.3億に意味はない。
あと数年働いて1.3億に到達させたいっていうのが本音。
単純に、下の子が小学校(特別支援学校)に入るまでは時短で働けるから。
時短にして所得を減らすと、貰える助成金が出てくる(助成金は色々合わせて200万くらいなんだが、それぞれ所得制限の上限が違う)。
それに、もしかしたら、下の子も小学校に入ったらフルタイム働けるかもわからん。
今は1人が保育園、1人が特別支援学校ってんだと、送りも迎えも2方向になってとても無理。
下の子が小学校になるまでは会社にしがみついて、社会との繋がりを保っとく。
しょうがないよ。
カネなんかあったって、誰が送り迎えするんだよ?
ぶっちゃけ、カネなんかあったって、時間的余裕がないと買い物ができないんだよ。
手のかかるのが2人いると、食料品や日用品の買い物だって1人で2人連れてはいけないし、留守番もできない。
親が2人そろわないと買い物にもいけない。
足りなくなったら生活レベルを下げるよ。
今だってワークマンで服買ってカインズホームの家具に囲まれて水道水飲む生活してるよ。
引越すタイミングにもよるけどさ、50歳近くなって住宅ローンは組めないだろうし、つうかローン組むためには定職が必要なんで、なかなか難しい気がする。
今の戸建てがたぶん、土地の価値だけで数千万にはなると思うから、今のままボロ屋になっても住み続けて最後は土地と建物を担保に借金する。
所得制限にかからないようにするためには、分離課税の株や投信にしとくしかないな。
減価償却が大きくなるように築古を買って減価償却が終わると同時に売却して、譲渡益(分離課税)にすればあるいはだけど、ちょっと難度が高い。
減価償却が終わったタイミングで買い手を見つけないと総合課税になる利益が出ちゃうし、空室が出ちゃうとキャッシュフローが痛むし買い手が付きにくくなる。
そりゃそうなんだけど、数年後にいったんやめて、またその数年後に復職って、アラフィフだよ?
50歳すぎてまともな求人ってなくね?
転職エージェントに管理職求人ばっかり見せられるけど、家庭優先でフルタイム働きたくないとかじゃ管理職なんか無理でしょ。
だからって、手足として使いたいなら、いい歳の経験者より若い未経験とるでしょ。
勤め人が無理なら起業!ってのはもっと無理で、創業期の自営業って雇われよりもっと忙しいじゃん。
普通の子持ちでも経験する、魔の2歳児がずっと続いてるような感じ。
ちょっと目を離すと、風呂を泡だらけにして遊び、排水口にいろんなものを詰め、壁に落書きとか、まあそんな感じ。
大変っちゃ大変だけど、普通の子持ちでも経験する。ただ、それが長い。
そんなわけで、外食とかできないし、買い物だけでも神経をすり減らすけど、普通に飯食って風呂入って寝るこたできる。
あれだよ、アメリカとかだと外出させたり留守番させたりすると逮捕なんだろ?
日本の子供は学校だって自分で歩いて登校できるし、勝手に学童から帰って留守番できるし、習い事だって一人でいってくるけど、本来ダメなんだろ?
むしろ残し過ぎた気すらある。
ジュニアNISAで2人に80万×5年で400万ずつで800万入れたんだけど、1500万くらいになっちゃってる。
1.2億のうちの1500万は子供名義。
これがやっかいで、18歳になるまでは引き出せないし、18歳過ぎたら子供が管理しないといけない。
定型児だって18歳で数百万管理しろって言われたらビビるだろうし、どうすっか。
あと、障碍児扶養共済っていって、俺が死んだら毎月2万円入る保険に入ってる。
子供は障害年金と、共済金からの2万と作業所の給料でグループホームで暮らせるはず。
グループホームの空きが慢性的にないから、空きが出たら中学卒業時点ででも入れないといけないってのが、親としてはつらい。
そういうのは、ぶっちゃけ運でしょ。
いいタイミングで株や投信を買ってて、そのなかに20倍になった銘柄があったのも運。
中古戸建とはいえ、地価が今より高くないタイミングで買ったのも運。これがマンションだったらもっと爆益だったけど、それも運。
お金よりも手間。
各種助成金の所得制限撤廃は賛成だけど、現状頑張ってる人たちは、所得を下げてでも子供といてやったほうがいいと思う。
お前は金があるからそんなこと言えるって言われそうだけど、お金を残すより、一緒に居る時間を取ってやるべき。
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