
はてなキーワード:中学受験とは
私は笑えなかったけど、周りの親たちは微妙に笑ってた。
あれは「この場を壊したくない」って種類の笑いだった。
息子を持つ親の中には頷いてる人もいた。
「うちの娘もそうですよ〜」って明るく言った母親もいた。
でもその一言の下で、何人の女の子が“算数が得意”を諦めてきたか、あの講師は知ってるんだろうか。
塾のパンフレットには「すべての子どもに可能性を」って書いてある。
でも教室の中では「女子は国語、男子は算数」が当たり前みたいに流通してる。
それを指摘すると「いや、傾向としての話です」って逃げられる。
傾向で切り捨てられる人生がどれだけあるか、知りもしないくせに。
うちの娘は算数が好きだった。
“苦手でもいい”って言葉が、まるで呪いみたいに聞こえたんだと思う。
何百人も相手にしてるうちの、たった一コマの雑談だったんだろう。
この国の“教育”って、まだ男と女で別の地図を配ってるんだと思う。
算数は苦手になった。
でもたまに、ノートに難しい数列の式を書いてる。
その横顔を見て思う。
そしてたぶん、娘も。
私は笑えなかったけど、周りの親たちは微妙に笑ってた。
あれは「この場を壊したくない」って種類の笑いだった。
息子を持つ親の中には頷いてる人もいた。
「うちの娘もそうですよ〜」って明るく言った母親もいた。
でもその一言の下で、何人の女の子が“算数が得意”を諦めてきたか、あの講師は知ってるんだろうか。
塾のパンフレットには「すべての子どもに可能性を」って書いてある。
でも教室の中では「女子は国語、男子は算数」が当たり前みたいに流通してる。
それを指摘すると「いや、傾向としての話です」って逃げられる。
傾向で切り捨てられる人生がどれだけあるか、知りもしないくせに。
うちの娘は算数が好きだった。
“苦手でもいい”って言葉が、まるで呪いみたいに聞こえたんだと思う。
何百人も相手にしてるうちの、たった一コマの雑談だったんだろう。
この国の“教育”って、まだ男と女で別の地図を配ってるんだと思う。
算数は苦手になった。
でもたまに、ノートに難しい数列の式を書いてる。
その横顔を見て思う。
そしてたぶん、娘も。
中学受験をする子たちが本気で嫌いだった
教科書を配られたとき一年でこれしか進まないのと笑う声を聞くたび胸の奥がざらざらした
自分が必死にノートに書いている横で連除法使えばいいのにと言われたとき笑って返したけど本当は机を蹴りたかった
あの子たちは塾に通って家庭教師がいて親が夜食を用意してくれる世界にいた
私は家で弟の世話をしながら学校のドリルを解いて間違えて怒られてまたやり直した
テストの順位表で上の方にいる子はみんなペンも服もきれいだった
家に帰ると新品のランドセルが並んでいて冷蔵庫の中が明るいんだろうなと勝手に想像して腹が立った
「努力すれば報われる」って言葉を信じるにはあの格差は残酷すぎた
それを認めたくなくてあの子たちを嫌いになる方が楽だった
彼らは悪くないのに笑っている顔が全部敵に見えた
塾帰りのリュックが光って見えて目を逸らした
あの頃の私は自分の未来が最初から狭く作られていることに気づいてしまっていた
親の財布の厚さが将来を決めるなんて信じたくなかった
弱者男性だけど人生が何もうまく行かない増田です。30代後半の男。いわゆる弱者男性ってやつかな。人生、何をやってもうまくいかない。毎日がつまらないし、辛い。もうどうしようもない。吐き出させてくれ。
まず、中学受験の話から。小学校の頃から勉強が苦手で、親に無理やり塾に通わされてたけど、集中できないし、理解できないしで地獄だった。五校受けて、上位の二校には見事に落ちた。結局、中の下くらいの学校に入ったけど、そこからもうトラウマ。みんなみたいにサクサク進まないんだよな。エスカレーター式で大学進学のとき成績が低すぎて希望の学部に行けなかった。法学部志望だったのに、経済学部になってしまった。親は「まあいいだろ」って言ってたけど、俺はそこでまた挫折感。なんかいつも、ギリギリで滑り込む人生。
就職も失敗。就活で何社も落ちて、結局父親の会社を継ぐために入社した。年収は800万くらいで、世間から見たら悪くないのかもしれないけど、この店舗は毎年1000万くらいの赤字出してる化石のような店。仕事はルーチンワークばっかりでつまらない。継ぐとか言ってるけど、継いだらもっと地獄だろ。毎日出社するのが苦痛。
投資もやってみた。最初は100万とか200万で遊んでる感じで、運良く倍くらいに増えたときは「俺天才かも」って思ったよ。でも、祖父の遺産が入って本気で大きく張ったら、大失敗。5000万の損失出した。株とか仮想通貨とか、全部暴落。吐きそうになった。今やっと損益通算が全額終わって、その後の含み益は5000万くらいしかない。戻しただけじゃん。時間と精神を無駄にした。
女関係?彼女なんかいたことない。30代後半なのに結婚どころか、デートすらまともにしたことない。マッチングアプリとか試したけど、会話続かないし、顔も体型も平均以下だからスルーされる。弱者男性の典型だよ。友達も少ないし、休日は家でぼーっとしてるだけ。毎日がつまらない。辛い。何もうまくいかない。どうしたらいいんだろう。皆は何かアドバイスある? いや、ないよな。こんな人生、終わりだわ。
三浪して神戸大学法学部にしか入れないような地頭で中学受験しても無駄無駄無駄無駄無駄無駄。
というか15歳の時に中学総復習とか電話帳やってる中学生もいれば、数学3とか英検準一級とかやってる中学生もいるの格差社会すぎるだろ
そんで中学受験当たり前みたいな地域と家庭に生まれてなきゃその格差にすら大人にならないと気が付かない
大人になって格差に気がついた時にはスタートダッシュ(中学受験)と加速(大学受験)で失敗して、まだ終わってないのに敗北は確定してる
私は15年ほど前に東大理1に入学したが、当時は文科1~3類の方が難しいと思っていた。
私自身が根からの理系だったというのもあるが、文系科目は理系科目に比べて成績を伸ばすのに時間がかかる傾向があるから。
だから理系であれば私のように地方公立高校から1,2年程気合入れて勉強すれば届く一方で、文系は中学受験からずーっとコツコツ勉強してきた人や浪人生じゃないと難しいと思っていた。
だけどたまたま最近の科類ごとの足切りラインとか合格者の現役割合を見るとその状況が大きく変わってるらしいということが分かった。
理系は足切りラインも現役割合も15年前と比べて比較的維持されている一方で、文系はどの科類も足切りラインが大きく下がり現役の割合も高くなっている。
要は理系に比べて文系は人気を落としているという事なのだろうと思う。単に上位層に文系が減っているのか他の大学に流出しているのかまでは分からないが、良くも悪くも日本を支えていた東大文系卒という肩書の人気が急落しているというのは面白いと思った。
理想の彼氏くんを得るまで、みたいな記事を読んだので似たようなことを。
私の診断名は双極性障害2型、ADHD、ASD、境界知能(IQ75程度)です。
長いので、お暇がある方に向けて書きます。
【小学生】
クラスに馴染めず、また感覚過敏が酷く小学5年生の時から不登校になる。
親の方針で中学受験をすることになり、15〜21:30まで塾で勉強をしていた。合格した中学は偏差値50辺り。(中学受験と高校受験で偏差値の見方は変わります)
【中学生】
世話好きの友人のおかげで少しずつ学校へ通えるようになる。(私立かつ私の要望でその友人とは3年間同じクラスにしてもらっていた)
中学1年の後半で部活へ。週1程度の英会話部に。世話好きの友人とは別の部活に入り、他の友人を作るようになる。
電車で1:30の学校に通っていたが、よく母が保健室まで迎えに来てくれた。
【高校】
中学で仲の良かった世話好きの友人が転校。
中高一貫のためクラス替えがほぼなく、英会話部のメンバーと過ごす。
だが、全日制かつ単位制の高校だったため、単位が取り終えるまで卒業式の練習には参加させてもらえなかった。
【大学】
この動画を観て親も大変だったんだなと思う。
親が受験のことを周りに質問しまくるうちに狂っていく様子が子供目線できつかったなと。
結局「のびのびさせようよ」とか「好きなことをさせよう」という意見は消え去り、
「放任するが親自身も勉強する姿を見せる」という弛緩の極端に振り切っていく。
一番は子供が幸せにこの先の人生を生きられることじゃないのかと。
出演している原宿さんは子供の幸せを第一にしているのが伝わるが、
ベテランちさんは「桜蔭にぶち込む」とか「廃人になる」とか、人の子供に使って良い言葉じゃない言葉で恐怖を煽っているのが気になった。
ただ話を聞いていて、ベテランちさん自身の家庭も結構厳しい家庭だったようなので、学歴信仰的な価値観なのはしょうがないのかと思う。
自分の過去を振り返ってみて、親に「生きてくれていればいい」と言われたことないなと。
おそらく、ベテランちさんもそうなんだろう。
女親のほうが中学受験に狂うって、たぶんそれが原因だよ。
専業主婦は仕事で何者かになるって無理じゃん。働いてたって、有給使いまくりで時短で残業できないって働き方だと、デカい仕事任されないしさ。
国はさ、楽しろってつもりで児童手当だしたり育児休業とか推進してるけどさ、そんな「生かされてる」状態は心が満たされないわけ。
うだつが上がらない独身はpixivで絵師を目指したり、YouTuberになる。定年したジジイは蕎麦打ちを始める。
みんな何者かになるために、喜んで苦しい道に入って狂う。
発達障害や知的障害の育児も、仕事で自己実現の道がなくなるのは同じ。
健常児よりたいへんだから、夫婦揃って仕事で自己実現の道は閉ざされる。
仕事で自己実現する道が閉ざされたからって、子供に英才教育するって道もない。趣味に生きるわけにもいかない。
まさに「生かされた」状態。
そこで、増田のように生かされてればいいのに、既に言ったように大半はそうはいかない。
多いのは、男だと、障害があるからこそお金が大事と考えを転換して仕事に燃えるやつ。
女だと、あらゆる療育を頑張るやつ。
高速を使って新幹線を使って、実験的な療育を試しまくる。やればやるほど成果が出るというわけじゃないし、成果が出たようにみえてもただ時間が解決したのと区別がつかないんだけど、不妊治療や中学受験と一緒で、時間とお金をたくさん投資しちゃうと、やめられなくなる。
いろいろと心境変化はあったけど、人生のいろんなことに興味がなくなった。
イーロンマスクでも生活保護民でも、食ってるものも着てるものもたいして変わらない。
イーロンマスクがするように、生活保護民だってTシャツだってジーンズだって着れる。
イーロンマスクがするように、ハンバーガーを食えるし、ビールを飲める。
庶民だからって、シャワーを浴びることも、布団で寝ることも禁じられることもない。
でも、それでも、俺が働くのは、子供たちに選択肢を増やしてやりたかったからだった。
少しでもいい学校に入れてあげたかったし、やりたい習い事は挑戦させてあげたかった。
ディズニーランドに行きたいとせがむ子供たちに、お金がないからダメと言いたくなかった。
それが、子供の成長と共に、そんな心配は不要だと現実が突きつけられる。
この子らはこの先も、
でも、今は心底羨ましい。
うちはさ、ずっとずっと、お金に困らない。
「働くな!そんな暇があったら子供と過ごせ!」
って社会に言われてる気がする。
この先の人生は、今と同じことがずっと続くだけだ。
東京都平均からしたら普通だけど全国平均からしたら高所得だったからさ。
安上がりだろ?
羨ましいか?
他所の家庭は、お年玉とか、国がくれる児童手当とか将来の学費として積み立てたりしてるんだろ?
だよ。
羨ましいか?
外食と旅行と娯楽を限りなくゼロにして、教育費もゼロだからよ。
要するに、外食のラーメンが1000円する時代に、家帰って白飯と豆腐食べて水道水飲んでれば安上がりって話だよ。
たぶん、一年の350日くらいそれを食ってる。
なんならよ、今すぐ仕事辞めたって困らないんだ。
というか子供のためにはそのほうがいいのかもしれん。
障害児を育てる各種手当が、国から、都道府県から、市町村から振ってくるからさ。
それで暮らせるほどじゃないけど、今までの蓄え切り崩していきゃいい。投資してたから蓄えはかなりある。
計算すると、投資収益をゼロとしても30年くらい食いつなげる。その頃には年金も降りるし、子供らは障害年金。それでも苦しかったら家を売って都営住宅にでも入ればいい。
それでなんも、困らないんだ。
一人暮らしをする大学生の息子に仕送りをするとか、そういうのは今後のライフプランにないんだ。
最初に書いたとおり、世界一の富豪でも生活保護でも、暮らしぶりはそう変わりゃしない。
イーロンマスクだってビルゲイツだってマクドナルドのハンバーガーを食べて、普通の綿のTシャツを着て過ごす。
Permalink |記事への反応(18) | 20:17
わたしは1浪で入学した首都圏の医学部に通い、いま6年生になる。
あと半年で卒業するけど、医学部はわたしにはつくづく合わない環境だったなと思う。
医学部に入って低学年の時から、周りの人たちがみな「見えない枠を外れないように様子をうかがっている」ように見えていた。あたりさわりのない会話をして、うわべでは人のよさそうな笑顔を張り付けながら、仲良しグループではどぎつい悪口を言っていたりする。
そういう雰囲気が嫌だったので、人とあまりつるまなかったら、1年生のうちにあっという間に孤立した。そして、今もとうとう孤立したまま、医学部を卒業することになりそうだ。
わたしは哲学とか、医療や日本の社会がどうなるのかとかそういう話に興味があったけど、そんな話ができる人はほとんどいなかった。「意識高い系だね」と、鼻で笑われた。
みんな、誰が付き合ったとか別れたとか結婚秒読みだとか、だれが試験に受かったとか落ちたとかそんな話ばかり。
「医者は社会を知らない」と言われるのも、無理はないと思った。
世界が狭くなるのが嫌で、わたしは自分の居場所は学外に持とうと思った。
ボランティアやインターンに参加して医学部生以外のいろいろな人とかかわったことで、自分のいる世界が特殊なんだと分かって救われた。
その時出会った人たちは、自分の人生を自分で切り開こうとしている人たちばかりで、自分の視野も広がった。
高学年になってくると、医学知識を必死に詰め込んできた人たちの中で、能力至上主義・知識偏重主義的な雰囲気が色濃く立ち込めるようになった。
成績の良くない再試験常連の人や、口頭試問にスムーズに答えられない人を笑いものにしたり、なんなら明らかに見下していたりする人も多かった。
論理的によくわからないもの、あいまいなもの、すぐに役に立たないものは「無意味」としてそぎ落とされていった。論理的に説明できる医学知識がすべてだと言わんばかりに。
講義の時も、試験に出る話の時は必死にメモをとるのに、先生のキャリアの話や雑談になったとたんに態度が悪くなる人、「あいつ話長いんだよ、国家試験の勉強させろよ」と悪態をつく人の多いこと。名門高校出身で、成績も優秀、挫折せずに現役で医学部に入っている人のほうがこういうことを言う人が多かったような気がする。
勉強熱心なのは良いことだと思うけれど、知識や能力がすべてを測るものさしになってしまうと、人間的に大事なものがどんどん零れ落ちていくのではないだろうか。
「周りの人の動向から外れないこと」がモットーの多数派医学生たちの間では、こうした風潮に大勢の人があっという間に飲み込まれていった。
たとえば実習の最初、その科でお世話になる先生に挨拶するときに、出身高校まで発表させられること。
もう全員高校卒業して少なくとも5年は経つのに、まだ高校の話するの…?と正直違和感を隠せなかった。
首都圏の名門中高一貫校出身の人には先生たちもひとしきり絡む。もはや、「子供を中学受験させてその学校に入れたいけどどんな勉強した?」とかまで聞く。いやそれいま聞く必要ある?
わたしはそこまで知名度の高くない高校出身だったので、毎度微妙な反応をされて特につっこまれることもなく、虚無な時間をやり過ごした。
エリート選民思想が蔓延する空気の中で、どうにか息がしやすい場所を探しながら過ごした6年間は本当に息苦しかった。
医師国家試験の受験資格を得るためだけに、心を無にしてなんとか毎日学校に通った。
周りの人たちは、大学受験期と同じように、より知名度やレベルが高い病院、都会の病院を探し求めて就職が決まろうとしている。「成長という幻想」にとらわれているように見える。
わたしは東京出身だが、自分の意思で、あえてゆかりのない地域の、ほとんど誰も知らないけど、独特な取り組みをしていて面白そうな、自分の肌に合いそうな病院に就職することに決めた。
わたしは1浪で入学した首都圏の医学部に通い、いま6年生になる。
あと半年で卒業するけど、医学部はわたしにはつくづく合わない環境だったなと思う。
医学部に入って低学年の時から、周りの人たちがみな「見えない枠を外れないように様子をうかがっている」ように見えていた。あたりさわりのない会話をして、うわべでは人のよさそうな笑顔を張り付けながら、仲良しグループではどぎつい悪口を言っていたりする。
そういう雰囲気が嫌だったので、人とあまりつるまなかったら、1年生のうちにあっという間に孤立した。そして、今もとうとう孤立したまま、医学部を卒業することになりそうだ。
わたしは哲学とか、医療や日本の社会がどうなるのかとかそういう話に興味があったけど、そんな話ができる人はほとんどいなかった。「意識高い系だね」と、鼻で笑われた。
みんな、誰が付き合ったとか別れたとか結婚秒読みだとか、だれが試験に受かったとか落ちたとかそんな話ばかり。
「医者は社会を知らない」と言われるのも、無理はないと思った。
世界が狭くなるのが嫌で、わたしは自分の居場所は学外に持とうと思った。
ボランティアやインターンに参加して医学部生以外のいろいろな人とかかわったことで、自分のいる世界が特殊なんだと分かって救われた。
その時出会った人たちは、自分の人生を自分で切り開こうとしている人たちばかりで、自分の視野も広がった。
高学年になってくると、医学知識を必死に詰め込んできた人たちの中で、能力至上主義・知識偏重主義的な雰囲気が色濃く立ち込めるようになった。
成績の良くない再試験常連の人や、口頭試問にスムーズに答えられない人を笑いものにしたり、なんなら明らかに見下していたりする人も多かった。
論理的によくわからないもの、あいまいなもの、すぐに役に立たないものは「無意味」としてそぎ落とされていった。論理的に説明できる医学知識がすべてだと言わんばかりに。
講義の時も、試験に出る話の時は必死にメモをとるのに、先生のキャリアの話や雑談になったとたんに態度が悪くなる人、「あいつ話長いんだよ、国家試験の勉強させろよ」と悪態をつく人の多いこと。名門高校出身で、成績も優秀、挫折せずに現役で医学部に入っている人のほうがこういうことを言う人が多かったような気がする。
勉強熱心なのは良いことだと思うけれど、知識や能力がすべてを測るものさしになってしまうと、人間的に大事なものがどんどん零れ落ちていくのではないだろうか。
「周りの人の動向から外れないこと」がモットーの多数派医学生たちの間では、こうした風潮に大勢の人があっという間に飲み込まれていった。
たとえば実習の最初、その科でお世話になる先生に挨拶するときに、出身高校まで発表させられること。
もう全員高校卒業して少なくとも5年は経つのに、まだ高校の話するの…?と正直違和感を隠せなかった。
首都圏の名門中高一貫校出身の人には先生たちもひとしきり絡む。もはや、「子供を中学受験させてその学校に入れたいけどどんな勉強した?」とかまで聞く。いやそれいま聞く必要ある?
わたしはそこまで知名度の高くない高校出身だったので、毎度微妙な反応をされて特につっこまれることもなく、虚無な時間をやり過ごした。
エリート選民思想が蔓延する空気の中で、どうにか息がしやすい場所を探しながら過ごした6年間は本当に息苦しかった。
医師国家試験の受験資格を得るためだけに、心を無にしてなんとか毎日学校に通った。
周りの人たちは、大学受験期と同じように、より知名度やレベルが高い病院、都会の病院を探し求めて就職が決まろうとしている。「成長という幻想」にとらわれているように見える。
わたしは東京出身だが、自分の意思で、あえてゆかりのない地域の、ほとんど誰も知らないけど、独特な取り組みをしていて面白そうな、自分の肌に合いそうな病院に就職することに決めた。
この記事
https://posfie.com/@Elif87995911/p/XbxdGy4
の「点数順で合格者出していると、たぶん上位校では合格者の6割以上が女子になると思います。」という主張に対してブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/posfie.com/@Elif87995911/p/XbxdGy4
では、当初は「データだせ」的なコメントが多かったが、途中から「元ポスト見ろよ」というコメントが出現。それによると
https://x.com/hUATTcSBW463PEl/status/1963855183768646098
確かに、中学受験、同じ共学校で、合格最低点が女子 > 男子 であることが示され、点数順に取れば女子の方が多いであろうことが裏付けられる。
なんと。ビックリ。
しかしこの画像も切り抜きなので、元記事をGoogle画像検索で探すとこちらにある。
https://president.jp/articles/-/47254
これによれば
〈大手の模擬試験の結果を分析すると、学力のトップレベルに相当する層(偏差値70以上)は男子のほうの占める割合がかなり高くなる一方、学力上位層・中位層(偏差値45以上70未満)は女子の占める割合が高くなります。そして、学力下位層(偏差値45未満)では男子の占める割合がやや高いのです。これは毎年見られる傾向です〉
これは中学受験組の私の実感とも普通に合う。しかしそれでどうしてあの記事の数字になるのだろう。記事ではこの後に、男子校・女子校の存在があり、私立女子校の数が圧倒的に多く、全体としては女子に不利になっていないのではないか、ということが書いてあるが、あの点数表についても男子校・女子校の存在が原因として考えられる。
男子は筑駒+開成+麻布+駒東=1000人くらいの上位が男子校で抜け、一方で女子は桜蔭で300人弱のトップしか抜けないので、共学トップ層の受験集団とは、男子の方が切断点が左側にシフトした片側切断正規分布になっているのであろう。この分布について上から男女同数を取れば、当然、男子の方が最低点が低くなるに決まっている。
そうだとすると、これは中学受験の特殊な状況において成立することなので、大学などでは容易に当てはまらない。少なくとも、条件を整備して再度考察すべきことだろう。
それで、それは当然なのだが、内田樹のような大学教授も務めたような人間が、こんな最低限の統計すら思い浮かばないのはなぜか。
もちろん一つは統計学教育の敗北。もう一つは、ドメイン知識の欠如であろう(内田樹自身は都立日比谷→東大、のようなので、私立男子校全盛時代を知らないと思われる)