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はてなキーワード:両分とは

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2025-06-18

anond:20250618123012

プラセボ効果とはなんですか?

プラセボ効果Placebo Effect)の定義

プラセボ効果とは、実際には薬理学的な効果を持たない偽薬プラセボ)を投与されたにもかかわらず、患者改善したと感じる現象を指します。主に心理的な要因によって引き起こされ、痛みの軽減や抑うつ症状の改善など、さまざまな症状に現れることが確認されています

主な特徴

心理的メカニズム:患者の「治るだろう」という期待感が影響

脳内変化: 実際にエンドルフィンなどの物質が分泌される場合

臨床試験:新薬効果判定時にプラセボ群を設定する理由

具体例
治療内容結果
薬物試験新開発の鎮痛剤78%の患者効果
プラセボ砂糖の錠剤45%の患者に「効果あり」
注意点

倫理的問題偽薬使用には慎重な判断必要

効果持続期間の限界

すべての疾患に適用されるわけではない

この現象は、心と体の密接な関係を示す興味深い事例として、医学心理学両分野で研究が続けられています

Permalink |記事への反応(1) | 12:35

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2025-03-23

この連休乗り鉄日記(2日目)

反響がいただけたので、anond:20250322200443の続き。

_____

2025/3/22(2日目)

興奮であまり深く眠れず、6時前には起床。

ホテルバイキングには開始時から待ち、カレー和食と十分に食う。

コーヒートイレちゃんと済まし、2日目は7時半前の愛知環状鉄道から

路線単線と複線がしょっちゅう切り替わり、複線用地もちゃんとわかる。

ひたすら高架で見晴らしもよい。

名鉄クロスしては川を越え、簡単な造りの車庫。

東名などと絡んではトヨタ本社が広い。

シャトル列車の走る名鉄との並走区間を越えて、都市部から一気に山に囲まれ田畑ギャップ

ただ乗るのも飽きてきたので、今日wikipedia見て、各駅や路線をより知ろうとする。

四郷のマンション瀬戸口空き地貨物予定地だったのか。

八草から先では、万博の影響で上下線のホーム長が違う駅も。

立体で高蔵寺に進入し、対面の中央線は新しい315系。

勝川からは、いわくつきの城北線

調べてた通り、一般道をしばし歩くことに。

入口ではまたもSuicaが使えないことを知り、ホーム階にあがっては中央線にどう繋がるのか不思議に思う。

駅までの距離を伸ばす一因である車庫には車両は無い。

ホームにはちょうど折り返しがやってくる。

休日とはいえ、1時間毎の便なのに6人しか降りてこないのか。

時間があるので、それらを写真に撮っては、ホームそばまで複線で来るレールや名二環を見渡す。

乗れば、緑の看板が並走するほど都市部なのに、単行気動車がすれ違いもしない頻度で走る不思議さ。

こちらもやはり見晴らしはよく、JCTの絡まりもこの距離で見られるのは嬉しい。

名鉄上小田井駅が見えては、その先に接続用だったらしい立体が上下に分かれる。

そして貨物線上の枇杷島駅に入り、16分はあっという間。

ちなみに運賃は割高なので乗り通す客は少なく、どんどん入れ替わる。

現金精算しては自動改札なので、降車証明書をもらう。

すぐ乗り換えての名古屋では「しらさぎ」を見る。

中央線で行程をほぼ戻っては、金山も懐かしく見ての大曽根

見上げる位置には、ゆとりーとライン

階段から改札もなく中に入れば、ほぼバスな車体を転回所に撮り、両サイドのレールもよく見ておく。

車内は最前列に陣取り、今回は車窓よりも運転の様子を見る。

本当にハンドルから手を離して指差し喚呼してる!

しかし車内は特殊機構を感じない。

普通バス程度は揺れがある。

名鉄を越えるなどでは、鉄道に無いような高低差が珍しい。

最高速度は60km/hで、カーブごとに制限をくらう。

あとはさすがバスであり、細かく停まる印象だが、ドームがあったりして一区画でも乗る人がいる。

そして、小幡緑地先の切り替え作業

これが見てみたかったのだ。

運転手がハンドルの両サイドにあるレバー上下に振ると、側面下部からゴンゴンガイドの収まった音がする。

そして運転手はハンドルをとり、教習所みたいなS字カーブ一般道へと入る。

一般道入ってすぐの停留所で降りて引き返す。

名二環を越える下り道は長く、庄内川もあって遠くまで見渡せる。

ちなみに、本質的バスなので、途中下車は車内を通るのがかなり面倒だった(他の客に倣い、中降りして前に回り込んでタッチする)。

専用区間だけでも連結バスにすればよいのにと思うが、特殊な規格だから改修もままならないのだろう。

そして、砂田橋から地下鉄

地下鉄新規区間だが、車窓は無いので乗ってるだけ。

名古屋地下鉄10分毎が多くてやる気がなく思ったが、名城線に乗る人数を見たら妥当か。

本山から東山線で、こちらは混んでて5分毎。

一社からは高架となり、こちらでも名二環が目立つ。

藤が丘は引き上げ線で入れ換える形で車庫にもつながっているようだ。

そしてまたの特殊車両であるリニモに乗るため、地下に降りる。

構内はLED的な白い明るさが、未来性を感じさせる。

自動運転だし、元は万博用の見世物でもあったわけで、妥当な装飾か。

一方で、ジブリパークの案内が目立ち、乗客若い女の人や外国人が多い。

ちなみに、リニアなので車体は浮いてるはずだが、浮遊感みたいなものは無かった。

でも新交通にしては明らかに速いし、それでいて静かなのはよい。

万博公園は有名だが、長久手古戦場にもアクセスできるのは近づいてから知る。

公園に近づけば観覧車が迎える。

ジブリ的な建物は遠景として一応撮り、車内は一気に人が減る。

車庫は万博駅につながっている。

八草も引き上げて折り返しなのね。

八草では12時前なので、申し訳なさで親へのメールをこなし、2度目の愛知環状鉄道

少し乗ってはついでの名鉄瀬戸線。

尾張旭で緩急接続するイメージだったが、かなり昔から昼間は各停だけだったのね。

そしてすぐに尾張瀬戸は櫛形駅の平面移動で外に。

瀬戸物の街であり、少し歩いてみると川の両端に陶器屋が並んでいる。

奥に行くと工芸館とかあるらしいね

ロードバイクも見かけ、自転車乗るにもいい暖かさとなってきたなあと思う。

脚が慣れてないが、また自転車で遠くに出かけたくなってくる。

折り返しては、尾張旭では折返線が両面に。

喜多山は高架化の途中で、追い抜きも無いのに2面4線が保たれている。

守山自衛隊前では、ゆとりーとラインを見る。

そして矢田川を越えて、再びの大曽根では、商店街イベント紹介もあった。

名古屋城が近づくと地下へ入って栄町

シンプルな2面2線で、封鎖された避難口らしきもみつける。

と、そもそも名古屋城を見たことが無いのに気づき名城線で近くに移動する。

地上に出れば、瀬戸線が走っていたお掘りが目の前に!

ブラタモリで見たやつだ。これは嬉しい。

そして道路にも、名古屋固有の乗り物である基幹バス

さらに、この歴史的建物は何かと思って調べたら、市役所なのか!これまた豪華。

横丁なる食事から天守閣へと近づき、有料区画に入るか悩むが、耐震性で天守閣に入れない代わりに500円とリーズナブルなので入ってみる。

(昨日もだが、乗り鉄なのか観光なのか旅の目的が定まってないな。)

中は有料区域ながら、まるで普通公園みたいな人の多さに出店の多さ。

そして14時となり暑いくらいで上着も脱ぐ。

石積を積み直すコツコツさを傍らに、出店には縁日な遊びやゴザもあり、早咲きながらも桜らしきがありですっかり花見みたい。

さる軍団まで来てた。

西の丸からシャチホコある天守閣をそんな桜とともに一枚。

西南隅にある櫓をじっと見ては正門から内へ。

まずは御殿が占めていて、回り込んでは天守閣

しかに入れないことを確認しては、エレベーターまで付いてたことを知る。

手ぬぐいとか渋い品目のショップを見ては、現在のメインである本丸御殿にも入る。

十何人かまとめてずつの入りでしばし並び、荷物建物にぶつけぬようロッカーまで準備する念の入れよう。

カメラは可だったので何枚か撮ったが、金箔に描かれたふすま絵やら、立体に作られた装飾やらで、造詣ないゆえ理解はできずもひたすらすごいって感じで過ごす。

その解説で、「こけら」って木くずのことを言うから、「こけら落とし」になることを知る。

あと、太い松の切り株の輪切りに大谷サインが書かれてたのが印象的。

そして御殿を外から一枚撮っては北側(開かずの門)から出て、水の張るお掘や大きな石。

武将握手会してるなど皆が楽しむ様子も見て、名古屋城をあとにする。

市役所から基幹バス体験

黄色く塗られた道を右レーンながらも真っすぐ出る不思議さ。

料金は均一の後払いなのね。

しかし、ほどなく桜通大津から普通レーンとなり、普通バスと変わらなくなる。

駅前では結局混んで時間かかったし。

でも名古屋駅のバスターミナルは初めてだった。

あおなみ線へは北東端から西端への乗り換え。

晩飯を豪華にするべく昼間はパンひとつ我慢してたが、耐えきれずおにぎりに手を出す。

改札上には、コンサートらしきでノンストップ臨時列車が出る旨の案内。

そっか、デフォルトが少ないのは、フレキシブルに便数を増やすからなのね。

おにぎりを慌てて食って乗れば、近鉄としばし並走しつつ、両方の車両区を上から見下ろせる。

路線の起こりである貨物列車ともすれ違う。

ノンストップとうたっているが、港湾部までは60km/hくらいでわりとゆっくり

東山線の車庫を見て、南荒子には貨物ターミナル

工場から港湾へと移り変わり、名港トリトンもこんなところから見れるだなんて。

野跡手前で降りる車庫線。

そして、金城ふ頭に着くが、キッチンカーが出るほどの人の並び。

反対側にはレゴランドで、原色ブロックが付いたような建物モールである

ノンストップ便の帰りは回送なのね。

と一通り見ては、まさかこんなに人が多いとは思ってなかったが、せっかくなのでリニア鉄道館にも若者たちの間を抜けて近づく。

わりと平たい建物には、券売機の横にある案内によると、記念車両が並んでいるようである

外にも、N700のA改造車が3両分置いてあり、これは中に入らずとも見られる。

トリトンを撮り直しては、日陰となったベンチでここまでの日記を書き出す。

そうして場に馴染んでの帰りはイベントと逆方向だが、他の会場があるのでそれなりに混む。

それでも名古屋駅には明るいうちに帰れて、帰りも行程を復習できた。

のぞみ」は18時前の発。

終わってみると、あっという間だった。

昨日と違って、道中で知識も追ったので飽きも無かった(ようやく楽しみ方がわかってきた頃に、旅は終わるものだ)。

しかし、さすがに眠い

パン炭酸切符を買っては、改めて謎のフリークエンシーに驚きつつ、すぐの新幹線に乗り込む。

眠気に耐えつつここまでの日記を打ち直して、暗闇でもあるので目を閉じる。

静岡通過から寝て、小田原で案内放送が入っては、パンフで名古屋城のことを復習。

そしてここで、こうやって毎回、旅日記文字データに起こしているのだから増田に投げて反応もらいたいなと思い

占いにも「自分の得意分野を活かして、他の人にはできない価値を人に提供することで、大きな満足感が得られるでしょう」とあったのだ)、

昨日書いた分から個人情報を消したバージョンを作り、地下鉄内で調整を加え、最寄り駅に着いては送信

20時すぎにはアパートに到着。

少ない荷物をばらし、増田さら修正してると目もさえてくる。

寝るのは23時半頃になってしまう。

Permalink |記事への反応(1) | 18:56

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2024-12-31

チャーン・サイモン理論について

チャーン・サイモン理論は、3次元シュワルツタイプ位相理論であり、エドワードウィッテンによって発展した。この理論は、物理学数学両分野で重要役割を果たす。

理論の基礎

チャーン・サイモン理論の核心は、その作用がチャーン・サイモンズ3-形式積分に比例することである理論のゲージ群Gを持つ多様体M上で、作用Sは以下のように表される:

S = k/(4π) ∫M Tr(A ∧dA + 2/3 A ∧ A ∧ A)

ここで、kは理論レベルと呼ばれる定数で、Aはリー群GのリーG代数に値を持つ接続1-形式である

古典的解析

古典的には、チャーン・サイモン理論運動方程式は以下のようになる:

F =dA + A ∧ A = 0

これは、接続が平坦であることを意味する。つまり、チャーン・サイモン理論古典解は、M上の主G-バンドルの平坦接続対応する。

量子化位相不変量

量子化されたチャーン・サイモン理論は、3次元多様体位相不変量を生成する。特にジョーンズ多項式のような結び目不変量や3次元多様体の不変量の計算使用される。

物性物理学との関連

凝縮系物性論では、チャーン・サイモン理論分数的量子ホール効果状態位相的オーダーを記述するのに用いられる。1989年に初めて2+1次元のチャーン・サイモン理論分数量子ホール系に適用された。

境界理論とWZWモデル

境界を持つ多様体上のチャーン・サイモン理論を考えると、すべての3次元の伝播する自由度は、境界上のWZW(Wess-Zumino-Witten)モデルとして知られる2次元共形場理論帰着される。

重力理論への応用

1982年に、デザー、ジャッキウ、テンプルトンによって3次元のチャーン・サイモン重力理論提案された。この理論では、重力アインシュタインヒルベルト作用にチャーン・サイモンズ項が追加される。

数学的側面

数学的には、チャーン・サイモン理論多様体のチャーン・サイモンズ不変量を定義する。この不変量は、第一ポントリャーギン数と正規直交バンドルの切断によって表現できる:

CS(M) = 1/3(p₁(M) -3s(M))

さらに、チャーン・サイモンズ項はアティヤ-パトーディ-シンガーのエータ不変量としても表現できる。

チャーン・サイモン理論は、物理学数学境界位置する豊かな理論であり、量子場理論位相的量子計算、結び目理論、低次元トポロジーなど、多岐にわたる分野に影響を与えている。

Permalink |記事への反応(1) | 10:48

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2024-04-29

えきねっとトクだ値30%OFFって

売られてるの?

事前予約でもほぼ買えないだけど

事前予約だから買えない感じ?

最近は1両分(5人x15列以上)も売ってないのかな

それ以上に渋いのか

Permalink |記事への反応(0) | 14:00

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2024-03-30

リニアトンネル工事公式進捗は品川124m、愛知40cm(追記)

4月14日追記

JR東海4月8日に改めて進捗を発表したので追記しておこう。

東京北品川工区:2024年4月 調査掘進再開(予定300m)進捗124mのまま

愛知坂下西工区:2024年4月 調査掘進スタート(予定250m)進捗記載なし

愛知・名城工区:2024年4月 調査掘進スタート(予定300m)進捗記載なし

いずれの工区も「4月から開始・再開します」という報告だけなので距離的には進捗はない。

坂下西工区は40cmで停止していた立坑コンクリ壁の掘削が2024年2月完了なので進捗1m?と言ってもいいかもしれない。地盤的には0mだが。

名城工区も進捗0m。3か月?ぶりにプレスリリースページに工区の項目記載が復活した。

用地取得率については更新がなく進捗70%のままだ。

追記ここまで~

JR東海3月28日リニア工事品川部分の進捗をプレスリリース発表した。静岡での工事許可が出ないことをネックに開業が遅れているとされるリニア中央新幹線

さぞ他の箇所の工事は順調に進んでいることだろう。起点となる東京品川駅のトンネル掘削工事の経過を簡単に紹介する。

第一首都圏トンネル北品川工区9.2km

2021年10月 掘削スタート目標2022年3月までに300m(調査掘進)

2022年3月 進捗50m

2023年6月 進捗110m

2023年7月  進捗124mシールドマシン停止

2023年10月 停止中

2024年3月 停止中

以上だ。

ん?124m?124kmの見間違いだろうか?リニア車両5両分よりも短い距離だが…

リニア工事概要はこうだ。

東京-名古屋リニア全長は286kmありそのうち地下トンネルは246km、86%を占める。山梨実験線は42.8km。

東京-神奈川は地下トンネル(第一首都圏トンネル37km)で結ばれ地上には現れない。この工事は4分割した各拠点からシールドマシンを発進させ合流する。

工事区域東京から順に北品川工区9.2km、梶ヶ谷工区11.8km、東百合丘工区4.2km、小野路工区12.0kmと言う。

本格的な掘削を始める前に掘削しながらその影響の調査や各種確認を行い、これを「調査掘進」と言う。

上に挙げた進捗は北品川工区の調査掘進がまったく進んでおらず2024年3月時点で工事拠点敷地から出てもいないことを示す。

一点、JR東海擁護するならこの北品川工区はリニア工事全体で最もカーブがキツくシールドマシン掘削の難所だということだ。難所なら仕方ないなあ。

第一首都圏トンネル小野路工区12.0km

では同じく3月28日に発表された神奈川側・小野路工区12.0kmの進捗を見てみよう。

2023年7月 調査掘進スタート目標350m

2023年12月 進捗37m

2024年3月  進捗53m

以上だ。

第一首都圏トンネル 梶ヶ谷工区11.8km

次に3月21日発表の梶ヶ谷工区11.8km の進捗。

梶ヶ谷工区は工区内の拠点から名古屋方面(1号機)と東京方面(2号機)に別れて掘削する。2機あるから進捗が期待できそうだ。

1号機

2024年2月  進捗230m (調査掘進終了)

2024年3月 準備中

2号機

2023年12月〜 進捗なし。本線でない資材搬入口を掘削中

以上だ。

第一首都圏トンネル東百合丘工区 4.2km

次に2023年12月25日発表(以降の発表はない)の東百合丘工区 4.2kmの進捗。

2023年9月  進捗133m (調査掘進終了)

以上だ。

これら4工区で計540m、第一首都圏トンネル37kmの進捗1.46%である

第一中京圏トンネル 34km

では岐阜-愛知を結ぶ第一中京圏トンネル34kmを見てみよう。

こちらも工区が4分割され岐阜から順に西尾工区4.7km、坂下東工区2.2km、坂下西工10.1km、名城工区7.6kmと言う。

このうち西尾工区は重機で掘る山岳トンネルで、他3工区はシールドマシンによる大深度地下トンネルだ。

このトンネルの進捗だが現時点でプレスリリースのページに記載があるのは坂下西工区のみである

第一中京圏トンネル坂下西工10.1km

2022年7月 掘削準備スタート 進捗40cmシールドマシン停止中

以上だ。

2022年8月9日発表で調査掘進をする前の準備段階で停止して以降、続報はない。

第一中京圏トンネル 名城工区10.1km

プレスリリースのページから項目削除。

西尾工区、坂下東工区、名城工区はページにその項目名自体がないのだが、名城工区については削除された経緯がある。

2024年1月18日版のインターネットアーカイブには名城工区の項目があり、2023年12月8日付発表で住民説明会2024年1月に開催する案内があったが、2月15日版以降では項目ごと削除された。

工事写真を見ると西尾工区のトンネル工事はある程度掘り進められていそうだ。環境保全資料を読み解くと名城工区は2023年9月シールドマシン組立が終了したことがわかる。坂下東工区は不明

プレスリリースでの公式発表された進捗は上記だけであるシールドマシン使用しないトンネルでは発表もなく、各県ページの工事写真が更新されるくらいだ。

他のトンネル工事は有名どころでは

が控えている。難所だらけだな。加えて駅舎や車両基地の工事もある。車両基地の用地買収は未だ終わっていないという報道もある。

そもそもJR東海の発表では2023年9月時点で用地取得率は未だ進捗70%だ。名城工区のように工事が始まる以前の住民説明会をやってる工区もある。

静岡云々以前に2027年開業など明らかに不可能なことがわかるだろうか。静岡を除いて品川-山梨で部分開業というのも笑い話だ。

工事状況の散々な遅れに対してJR東海はこれまで「開業時期に影響なし」のコメントを繰り返してきた。

なぜ静岡県知事が強気に出られるか、なぜJR東海開業遅れの原因を静岡なすりつけるか、合点がいく。

JR東海の虚言を信じ2027年に合わせて税金を投じ駅周辺を開発してきた沿線自治体も愚かなものだ。

工事に関するお知らせ|JR東海

https://company.jr-central.co.jp/chuoshinkansen/urban_shield-tunnel/progress/

2024年1月18日版 工事に関するお知らせ|JR東海(名城工区の記載あり)

https://web.archive.org/web/20240118235043/https://company.jr-central.co.jp/chuoshinkansen/urban_shield-tunnel/progress/

中央新幹線計画に関する公表資料等|JR東海 (用地取得率は「超電導リニアによる中央新幹線事業の進捗状況」を参照)

https://company.jr-central.co.jp/chuoshinkansen/

Permalink |記事への反応(27) | 21:31

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2023-11-20

服を脱ぎ捨て少し軽くなる/田舎に帰る

やれ「東京は汚れてる」だの「東京に染まった」だの「東京の人は冷たい」やらなんや

うるせえなてめぇから来といてなんなんだすっこんでろ田吾作

東京はお前を呼んでねぇよ過密なんだ中央線西荻窪に止まるのを呪うのが満員電車10両分いるんだ

東京に生まれたやつは何を言われてもいいのか?東京は人の故郷たりえないのか?よかったな、俺がユダヤ人じゃなくて

Permalink |記事への反応(2) | 12:43

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2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世にPermalink |記事への反応(0) | 18:41

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日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世にPermalink |記事への反応(0) | 18:41

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日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世にPermalink |記事への反応(0) | 18:41

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2023-01-05

anond:20230105001533

それ弁当屋領分でしょ

用意するしないは取り扱いの両分ごとに原価計算すればいいし

実際に出たのとすくないってなったらそりゃ粉飾でしょ

廃棄と数があえば問題ない

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2022-12-04

利用者立場が全く逆転したふたつの

方南町中野富士見町という二つの駅がある。ここ数年で大きく立場が変わった。

丸ノ内線池袋から荻窪までの本線を6両編成の電車で結んでいるが途中の中野坂上駅から

中野新橋中野富士見町方南町の間を往復するだけの支線がある。

普段は支線から本線に乗り入れないが朝と夜は通勤客の便宜をはかって乗り入れ電車

設定されている。なぜなら中野富士見町丸ノ内線の車庫があり、本線用の電車もココから出発するので

中野富士見町までは6両分のスペースが確保されている為である。朝は沢山の始発電車中野富士見町から

出ていくので中野坂上駅から先、新宿四谷赤坂見附などに座って行くのは容易だった。

その一個先の方南町は駅が古かったのでギリギリ6両の電車が入るには尺が足りない。結果3両の支線を往復するだけの電車しか

入ってこれなかった。その為方南町民は朝座りたい時は中野富士見町で一旦降りて並び直しをしなければならなかったので

降りないで立ったまま通勤する客もそれなりにいた。コレが5年前までの話。

ところが方南町駅が老朽化したので改装工事をした際に6両の電車が入れる用になった。

その結果、支線から本線に直通する本線の電車方南町まで行けるようになる。

そうなると通勤している人間として気になったのは通勤時間帯、特に方南町から本線まで行ってくれる

電車が設定されるのかという事だった。方南町住民としては中野富士見町で降りる手間が省けて

楽になるのは明らかだったし中野富士見町住民から知れば楽に座れる朝の電車が無くなるのではと不安だった。

東京メトロは今まで本線に直通していた朝の始発電車の半分を方南町に回し、残りをそのまま中野富士見町始発にして

平等にならない様に設定した。コレが3年前の話。

そして今年、新型コロナ地下鉄を使う客が減ったので東京メトロ中野富士見町始発電車を一気に減らして

その殆ど全部を方南町始発に回す様になった。朝の7時半くらいから9時ごろまで全部が方南町始発に

切り替わったので中野富士見町の「座っていける」という価値はガッタガタに落ち込んだ。

更に3年の間に方南町近辺でマンションが出来たりしたので朝の混雑が悪化

方南町の時点で立ち客が出る程度には混む様になり朝のちょうどいい時間に「座って行ける」

中野富士見町立場は完全に失われてしまった。

座って通勤できる街と知られて新たに入居し方南町住民新宿四谷よりも

霞ヶ関銀座大手町に勤めている人が多いらしく方南町で席が埋まり新宿あたりで

誰も降りなくなり赤坂見附辺りまで席が動かないというのも珍しくなくなった。

増田毎日方南町から銀座まで5年通勤してきたがココ最近中野富士見町から乗ってくる客の

めしそうな視線最近は正直堪んねえと思ってる。その内なんか起こりそう。

12/13追記

コメントを全部読んで思った事を

自分が気付いていないだけかもだが朝っぱら中野富士見町から方南町に向かって折り返す客は殆どいない。月1人いるか居ないかくらい。方南町に着いてそのまま乗りっぱなしでも追い出されないし客と揉めてるのも見た事無い。

推測だが中野富士見町駅(中野新橋も)は方南町行きと新宿行きでホームが別れているので負い目を感じやすいかキセルがバレそうでためらいがあるのかも

増田方南町に越してきた当時は方南町駅を改良して長い電車を入れる工事しますと発表していたので

しばらく我慢すれば通勤が楽になるのを見込んでいたのと始発駅で方南町は数少ない他の路線の乗換が一切ない駅だったので(路線バスはあるが)ある程度人が増えても席の奪い合いはそこまで加熱しないだろうとも

考えていた。前者は実現した。後者も暫くは良かったけど最近は列に並んでる客のマナーも悪いので一概にそうもいかなそうだ

方南町中野富士見町から通勤なんてキツくないだろって思う気持ちも分かる。とはいえ最近丸ノ内線新宿3丁目あたりからかなりギチギチに混むので座った状態でソレを見ると短時間でもこのラッシュで体力を食わなくても良いというのは凄く魅力

追記追記

この記事書いたら偶然なのか折り返し乗車してるのに

カチあった。こういう手合は直接言っても無視してくるから駅員か警備員呼ぶのがベストキセルだろうから十中八九逃げる。一旦降りて10分並べば座れるんだから横着するなや

Permalink |記事への反応(8) | 12:41

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2022-02-27

anond:20220227172338

だけど昔にコサキン番組奥さん旦那さんのソレが超ストレートで在りし日の武田鉄矢みたいに両分しかできないって告発ハガキネタバカウケしてたのを忘れられないワイなんやが(ツヤツヤでサラッサラしてそうよねそんなチンゲ

…アレやっぱ作家の書きネタだったのかなぁ、コサの方が無理して笑ってたように見えたし

Permalink |記事への反応(0) | 17:31

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2021-12-17

anond:20211217011610

元増田です。

その通りなんだけど、その割にはこうやってそれなりのブコメがついてはてブで表示されたりするんだよね。

ブクマで150ほど、読んだ人はその10はいるだろう。

1500人はぎゅうぎゅう詰めの山手線車両6両分

使い古された言説でも、僕のぼやきにそれだけ多くの人が一瞬でも立ち止まって

有機農業と食のことを考えてくれてるってことだよね

所詮増田なので僕個人のしょうもない感想文であって、誰の目にも止まらないことの方が普通で、

それでもこの文もそうだけど、読んでもらえることを前提に整理して自分の考えをまとめている。

それ自体意味もあるし、コメント見てそんな間違ったこと書いてないなと実感できるんで、

今回も有意義に楽しませてもらいました。

Permalink |記事への反応(0) | 06:41

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2020-12-19

anond:20201219164335

悲しいほどに生まれつきなんだよ利他精神

ワイは自分の責務をプライドを持って果たすことに理由は要らないが増田理由がいる

ワイは誰かを助けるのに理由は要らないが増田理由がいる

それだけのことだね

 

交わらぬ線〜〜

 

能力学歴わずいる利他精神ゼロの生き物かつ、増田のいう “恥ずかしくない生活” とやらのために要らんことする生物が滅したのだと思うよ

 

蟻 🐜 と人類コロニーは同じだと思うのよね

 

裏切り蟻』が増えるとコロニー過労死で滅ぶが

利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので蟻たちは滅んでないんだって

公共財ジレンマともいうね

 琉球大学農学部の辻和希(本名・辻瑞樹)教授日本学術振興会の土畑重人特別研究員研究チームはこのほど、働きアリよりも、働きアリの労働ただ乗りする、働かないアリの生存率の方が高いことを突き止めた。

 個々が社会目標より自分目標を優先してしまうことで社会をつくることができなくなるという、人間社会でもみられる「公共財ジレンマ」の実例を、人間微生物以外で初めて発見した。研究成果は「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」(オンライン版)に掲載される。

 辻教授は「この研究成果は人間がなぜ助け合うのかを理解するのにも役立つ」と強調した。

 「公共財ジレンマ」とは、協力して社会をつくれば最終的な利益が大きいにもかかわらず、他者よりも大きな利益を得るために、他者の働きにただ乗りするという事態が起こり、社会をつくることができないことを指す。

 研究チームがアミメアリを使い実験したところ、労働せずに産卵ばかり行うアリが交じっていることを発見し、それらは働きアリとは遺伝的に異なる系統に属することを確認した。働かないアリは、働きアリによる助け合い利益ただ乗りしている。

 研究によると、働きアリは働かないアリの分まで巣の外に出て労働するため「過労死」し、生存率が下がる。働かないアリは働きアリよりも多く子どもを産むが、その子どもは親と同様に働かない。だが、働かないアリのみの社会では、子孫を残すことはできないという。

 自由競争の下では相手からの助けにただ乗り利益を得た方が得であるにもかかわらず、助け合い社会が発生することについて辻教授は、自然科学社会科学の両分野で重要テーマと指摘。「アリ社会において助け合いがなぜ生じるかを理解することが、ヒト社会助け合いをより深く理解することにつながる」と研究の意義を強調した。

 

https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-212621.html?a_aid=3598aabf

○ その親切な行動、50%遺伝!?

あなたはどのくらいバスで席を譲ったり、募金をしてますか?「親切さ」にも様々ありますが、今回ご紹介するのは見ず知らずの人に対しての親切さ(利他的行動)です。

バスでお年寄り妊婦さんに率先して席を譲る人もいれば、寝たふりをしてしまう人もいますよね。

見ず知らずの人にどのくらい親切に振る舞うかには、大きな個人差があります。これは、生まれもったものなのでしょうか?それとも、成長の過程で身に着けるものなのでしょうか。

研究によると、見ず知らずの人に対する親切さは、50%遺伝要因による先天的もの50%環境要因による後天的もの形成されているそうです。

 

他人に対する考えや行動も遺伝するの!?と驚くかもしれません。しかし、他にも「他人共感する(empathy) 」は、70%が遺伝要因によるという報告があります

  

 

研究の結果、ドーパミン代謝に関わる「COMT遺伝子」のrs4680というSNPが「G」である人は、「A」である人よりも、自分が持っている金額に対して高い割合金額募金する、つまりより親切に振る舞うと分かりました。

 というSNPにはGG,GA,AA遺伝子型がありますが、日本人平均と比べると

AA遺伝子型を持つ人は「親切度がやや低い」

・GGまたはGA遺伝子型を持つ人は「親切度がやや高い」

 

という遺伝的傾向を持っているといえます

 

日本人割合に当てはめると、何とほとんどの人が・・・?

 

[mycode]

https://mycode.jp/fumfum/altruism

(当たり前の例)

[Psychology] Anxiolytic Treatment Impairs Helping Behavior in Rats

https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2016.00850/full

 

[Current Biology] Harm to Others Actsas aNegative Reinforcer in Rats

https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(20)30017-8

 

日本語記事:「誰かを助ける」のに理由はいらない(哺乳類なら):研究結果 (WIRED)

https://wired.jp/2016/07/01/rats-empathy/

 

日本語記事ラット他者を傷つける行為を嫌がることが判明:研究結果(WIRED)

https://wired.jp/2020/04/08/rats-harm-aversion/

Permalink |記事への反応(1) | 16:59

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2020-10-16

anond:20201016212113

金持ちじゃなくても平等福祉の厚い日本じゃフツーに産めるし

育てられるが?

 

保護者必要基地外クズ親が増えた(あるいは可視化された)だけだよ

公共財ジレンマともいうね

 

蟻 🐜 と人類コロニーは同じだと思うのよね

 

裏切り蟻』が増えるとコロニー過労死で滅ぶが、利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので蟻たちは滅んでないんだって

 琉球大学農学部の辻和希(本名・辻瑞樹)教授日本学術振興会の土畑重人特別研究員研究チームはこのほど、働きアリよりも、働きアリの労働ただ乗りする、働かないアリの生存率の方が高いことを突き止めた。

 個々が社会目標より自分目標を優先してしまうことで社会をつくることができなくなるという、人間社会でもみられる「公共財ジレンマ」の実例を、人間微生物以外で初めて発見した。研究成果は「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」(オンライン版)に掲載される。

 辻教授は「この研究成果は人間がなぜ助け合うのかを理解するのにも役立つ」と強調した。

 「公共財ジレンマ」とは、協力して社会をつくれば最終的な利益が大きいにもかかわらず、他者よりも大きな利益を得るために、他者の働きにただ乗りするという事態が起こり、社会をつくることができないことを指す。

 研究チームがアミメアリを使い実験したところ、労働せずに産卵ばかり行うアリが交じっていることを発見し、それらは働きアリとは遺伝的に異なる系統に属することを確認した。働かないアリは、働きアリによる助け合い利益ただ乗りしている。

 研究によると、働きアリは働かないアリの分まで巣の外に出て労働するため「過労死」し、生存率が下がる。働かないアリは働きアリよりも多く子どもを産むが、その子どもは親と同様に働かない。だが、働かないアリのみの社会では、子孫を残すことはできないという。

 自由競争の下では相手からの助けにただ乗り利益を得た方が得であるにもかかわらず、助け合い社会が発生することについて辻教授は、自然科学社会科学の両分野で重要テーマと指摘。「アリ社会において助け合いがなぜ生じるかを理解することが、ヒト社会助け合いをより深く理解することにつながる」と研究の意義を強調した。

 

https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-212621.html?a_aid=3598aabf

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2020-10-07

anond:20201007101450

能力学歴わずいる利他精神ゼロの生き物かつ、増田のいう “恥ずかしくない生活” とやらのために要らんことする生物が滅したのだと思うよ

 

蟻 🐜 と人類コロニーは同じだと思うのよね

 

裏切り蟻』が増えるとコロニー過労死で滅ぶが

利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので蟻たちは滅んでないんだって

公共財ジレンマともいうね

 琉球大学農学部の辻和希(本名・辻瑞樹)教授日本学術振興会の土畑重人特別研究員研究チームはこのほど、働きアリよりも、働きアリの労働ただ乗りする、働かないアリの生存率の方が高いことを突き止めた。

 個々が社会目標より自分目標を優先してしまうことで社会をつくることができなくなるという、人間社会でもみられる「公共財ジレンマ」の実例を、人間微生物以外で初めて発見した。研究成果は「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」(オンライン版)に掲載される。

 辻教授は「この研究成果は人間がなぜ助け合うのかを理解するのにも役立つ」と強調した。

 「公共財ジレンマ」とは、協力して社会をつくれば最終的な利益が大きいにもかかわらず、他者よりも大きな利益を得るために、他者の働きにただ乗りするという事態が起こり、社会をつくることができないことを指す。

 研究チームがアミメアリを使い実験したところ、労働せずに産卵ばかり行うアリが交じっていることを発見し、それらは働きアリとは遺伝的に異なる系統に属することを確認した。働かないアリは、働きアリによる助け合い利益ただ乗りしている。

 研究によると、働きアリは働かないアリの分まで巣の外に出て労働するため「過労死」し、生存率が下がる。働かないアリは働きアリよりも多く子どもを産むが、その子どもは親と同様に働かない。だが、働かないアリのみの社会では、子孫を残すことはできないという。

 自由競争の下では相手からの助けにただ乗り利益を得た方が得であるにもかかわらず、助け合い社会が発生することについて辻教授は、自然科学社会科学の両分野で重要テーマと指摘。「アリ社会において助け合いがなぜ生じるかを理解することが、ヒト社会助け合いをより深く理解することにつながる」と研究の意義を強調した。

 

https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-212621.html?a_aid=3598aabf

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2020-02-26

働かない人たち。アガリ型の社員ともいう

エレクトリカルパレードではなくて蟻🐜さんの話やな

有事に備え休んでる蟻も重要らしいが

どんな時も絶対に働かない『裏切り蟻』もいるんだと

裏切り蟻』が増えるとコロニー過労死で滅ぶが

利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので蟻たちは滅んでないんだって

公共財ジレンマともいうね

琉球大学農学部の辻和希(本名・辻瑞樹)教授日本学術振興会の土畑重人特別研究員研究チームはこのほど、働きアリよりも、働きアリの労働ただ乗りする、働かないアリの生存率の方が高いことを突き止めた。

個々が社会目標より自分目標を優先してしまうことで社会をつくることができなくなるという、人間社会でもみられる「公共財ジレンマ」の実例を、人間微生物以外で初めて発見した。研究成果は「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」(オンライン版)に掲載される。

 辻教授は「この研究成果は人間がなぜ助け合うのかを理解するのにも役立つ」と強調した。

 「公共財ジレンマ」とは、協力して社会をつくれば最終的な利益が大きいにもかかわらず、他者よりも大きな利益を得るために、他者の働きにただ乗りするという事態が起こり、社会をつくることができないことを指す。

 研究チームがアミメアリを使い実験したところ、労働せずに産卵ばかり行うアリが交じっていることを発見し、それらは働きアリとは遺伝的に異なる系統に属することを確認した。働かないアリは、働きアリによる助け合い利益ただ乗りしている。

 研究によると、働きアリは働かないアリの分まで巣の外に出て労働するため「過労死」し、生存率が下がる。働かないアリは働きアリよりも多く子どもを産むが、その子どもは親と同様に働かない。だが、働かないアリのみの社会では、子孫を残すことはできないという。

 自由競争の下では相手からの助けにただ乗り利益を得た方が得であるにもかかわらず、助け合い社会が発生することについて辻教授は、自然科学社会科学の両分野で重要テーマと指摘。「アリ社会において助け合いがなぜ生じるかを理解することが、ヒト社会助け合いをより深く理解することにつながる」と研究の意義を強調した。

よろしければ参考にしてください

anond:20200226123104

anond:20200226103131

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2019-11-26

中小ゲーム実況者や一般プレーヤーが買う妬みや嫉みに関する考察

2019年国体競技にもなったグランツーリスモSPORT。やり始めて約1年(オンライン対戦自体も約1年)たったのでその感想をまとめます。以下は元々ゲームSNSに書き込もうと思った文章を改変していますので、プレイしたことがない方には分かりにくい部分もあることを申し上げておきます

ときどきゲーム実況されている、フレンドではない方(以下、Aさんとする)とデイリーレースマッチングする機会がありました。

レースでは、自分はAさんの真後ろを走っていて、コンマ5秒差が数周続く展開から自分ホームストレート終端で追いついてしまったので、第1コーナーで車両1両分空けながら外側からオーバーテイクしました。

終了後に自分が映っていたのを確認しようと(自分インタビューされたTV番組を見たくなる心理です)Aさんの動画をみたら、そのチャンネル視聴者の方(以下、Bさんとする)も含め、自分に対し

公式戦でよく一緒になるが荒くてよく自滅する

運転が雑

・直線さえ速ければいいという考え方をしているのだろう

などなど、散々な言われようでした。

これを見てまず少し凹んだのは事実です。そして続いて思ったのは、至極もっともだなということです。DR(ドライバーランク:ドライバーの力量の相対的評価指標)がランクAとランクBの間を行って来いの広島カープ状態である自分の、今後の課題をわかりやすく端的に言語化して頂いたことは、大変ありがたく、感謝しています自分はBさんのことを存じ上げなかったのですが、何回か公式戦などでご一緒したことがあるようで、そんな場末相手の走り方まで子細に記憶していて下さるものなのかと軽い衝撃を受けました。

しかすると、その数回のご縁の中で自分がひどい接触をしてしまったのかもしれません。自分公式戦で事故が多い(下手な)ので、あり得るなと思います(もちろん故意ではありません)。そうだとすればこの場で謝罪いたします。申し訳ありませんでした。

この文章を見てお分かりかと思いますが、GTSPORTオンライン対戦は、ゴルフくらいマナーにうるさく、コミュニティも狭いので一種の「村」のようになっています(笑)

ところで、お二方のこれまでの動画を拝見するに、Aさんは対戦相手接触した相手レースチャット「くず」と言ったり、またBさんもチャンネルを所持しておられ、いくつか動画を拝見したところ、言葉遣いが少し乱暴な方であったり、そのせいで、いわゆる引き寄せの法則なのか、逆恨みのような荒らしが発生していたこともありました(「○ね、声がキモいんだよ」といった暴言を吐かれるなど)。

AさんBさん共に、チャンネル登録者数は相対的な数値としては小規模ですし、趣味ストレス解消が目的配信をされているのでしょうが、こうした敵を作りやすスタイルは、いつか本格的に炎上するのではないかと、差し出がましくはありますが、懸念を抱いています。少し話は逸れまして、最近ではネット上で起きたイザコザで「hagex」さんという、はてなでは有名なブロガー殺害された事件もありました。こちらも湧いた粘着アンチに対し皮肉を言った事で起きた痛ましい事件でした。

先に触れたようにBさんの動画ではすでに荒らしが出ており、また、ご本人もチャンネル概要に注意書きを記載するほどです。こうしたニアミスヒヤリ・ハットが増えていつか大事件に、ともなりかねません。そうなれば自動車メーカーともコラボしながら、eスポーツ推しているGTSPORT自体への風向きが悪くなってしまうでしょう。

反対に、動画配信チャンネルコミュニティ運営の仕方で好感をもてるGTSPORTゲーム実況の方も多いです。有吉ぃぃeeeee!みたいなまったりワイワイ系のKさん、O杯主催のNさん、最近チャンネルを立ち上げられたUさんらの動画配信ポジティブですし、とても勉強になります自分リアルレースでの経験がないので、リフトアンドコーストタイヤのデグラデーションピットイン戦略などをこれらの動画から学び(?)ました。

動画プラットフォームにおける一般視聴者の特徴として、ネガティブ要素が多い動画よりは楽しかったり、クリエイティブだったり、情報収集可能な、ポジティブ動画日常的に繰り返し観る傾向があります。それは、例えばユーチューバーランキングを見ればわかりやすいかもしれません。もちろん視聴者人間ですから時々は暴言喧嘩批判系のネガティブ動画も見たくなりますし、過激動画配信者もいます。けれども、基本的には丁寧でポジティブ動画づくりが長期的にはファンを集めやすいです。ネガティブ動画は、とくに小規模配信者の場合、将来的なチャンネル運営を自ら厳しくするのではないかなと、今回の一件で感じました。

さてGTSPORTから大分脱線しましたので(笑)自分の走りに立ち戻ると、さしあたっては、

絶対接触はしない

・先行車がいるときは勘に頼らず必ずリフト・アンド・コースト

・立ち上がりでのアクセルオンタイミングを早める(スローイン・ファストアウト)

レコードライン以外の走行に慣れる

接触しにくいところでオーバーテイクする

これらを徹底したいと思います

FIAレギュレーションも読み直したほうがもしかしたらいいのかもしれませんが、「実際、たかが(されど)ゲームにそこまでする?」という億劫さもあります

運営ポリフォニー・デジタルさんに対しても一つ思うところがあり、書き留めておきます

とても面白いゲームを作っていただいて、ありがとうございます。1年継続して遊べたゲーム自分の中で初めてです。グラフィックもきれいですし、毎月の無償アップデートはとても大変なことと思いますスポーツモードインシデント(SR)判定AIも、理由表記も加わり、以前よりよくなっていると思います

一点、要望というかご提案がありますスポーツマンシップについて、ドライビングスクールでもミッションチャレンジでも構いませんが、他車のオーバーテイクの仕方や運転マナーの良し悪しをFIAレギュレーションを元に体験できるセクションを作ってみてはいかがでしょうか。初心者プレーヤーも、中上級プレーヤーも新たな視点を得られると思います

ここまで読んでいただいた方がもしいれば、こんな便所の落書きにお付き合い頂き、ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(0) | 12:08

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2019-11-14

乳幼児スナイパー長距離狙撃する

11/15 一部修正

その日の俺は、少々苛立っていた。いつもより早めに出社するために乗った電車が大幅に遅れているのだ。もちろん俺は大人なのでその苛立ちを態度に出すこともなく、ウォークマンNoGoDを聴きながら心の平静を保つ努力をしていた。

朝のこの時間帯の上り電車は、いつも混雑し発車が遅れるので電車がつまり運行ノロノロ運転になる。このためいつもならあっという間に通過するはずのその駅を、今日ゆっくり通過しようとしていた。俺は窓ガラス押し付けられながらひたすら電車の加速を待っていた。

ふと窓の外を見ると、駅ビルに入っている保育園の子供たちだろうか、10人程度が朝のお散歩の途中らしくビルバルコニーにお揃いの帽子かぶり、並んで電車を眺めていた。その中の一人が、あろうことか電車に手を振って挑発してきた。くそっ!これから仕事に行こうという、言わば日本経済を支える大人たちを挑発するとは何というガキだ。もちろん大人である俺も侮辱してるのだこいつは。

先ほどから俺の隣にステンカラーズの女が立っており、彼女もあのガキの挑発に気づいたようでにっこり笑顔を向けて応戦していたが、いかんせん標的が遠い。接近戦専門のスタイルが持ち味ゆえの弱点を露呈していた。そういえば彼女コートの色はグレーだ。おそらくステンカラーズの中で階級はそう高くなさそうだ。仕方ない、プロの出番だ。

立ち位置完璧満員電車の中俺は窓の方を向いて押し付けられており、俺の狙撃動作を見るものと言えば、隣に立っているこのステンカラーズ・グレーの小娘くらいだ。俺は必殺の一瞥で以って照準を定めた。、線路沿いの駅ビルバルコニー。その柵の前に並んだガキども。その中でもこっちに手を振った小僧に向けて、肘から先だけを4回だけ振った。距離にして数十メートル車両にして二両分と言ったところか。

次の瞬間子供たち全員が一斉に両手でちぎれんばかりに手を振り返して来た。全員である。さすが俺。よほど恐ろしかったのだろう奴らパニックに陥っていやがる。最初に手を振ってた小僧にいたっては「ぼくがさいしょにふったんだ!」とでも言いたげに興奮してピョンピョン飛び跳ねている。ざまあみろ。大人をナメるからこういう報復をされるのだ。なぜか先生も振ってきた。あんたは大人だろ。

たかテンカラーズよ、この長距離狙撃を。これができるのはお前らの中でも士官クラスくらいだろう。これが乳幼児スナイパーと言うものだ。俺はそんな気持ち彼女をチラ見すると、両手で口を覆って声を出さずに軽く震えていた。そうか恐ろしかたか。無理もないな。

久々にトリッキー狙撃成功させた俺は、今日も世を忍ぶ仮の姿である底辺リーマンとして生きるべく気持ち仕事モードに切り替え、朝の会議に間に合うかの心配をすることにした。会議プレゼンする用のパワポは出社してから作ろうと思っていたので手つかずである。たすけて

11/15→https://anond.hatelabo.jp/20191115002701

Permalink |記事への反応(7) | 00:07

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2018-09-07

anond:20180907223937

6両編成の区間は(女性専用車両がない限り)男女とも6両分の値段と言える。

ちなみに、関西の方には「4両編成でウチ1両が終日女性専用」というイカレタ区間がある

Permalink |記事への反応(0) | 22:42

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2018-04-24

anond:20180424155122

私は「男性権利を1両分取り戻す!」意図しかない。

そういう意図しかなかったとしても

たからみたら「痴漢幇助」にしか見えねぇの。

そういう事ばかり言ってるから「男は全員痴漢」みたいな扱いされんだろーが。やめろカス

Permalink |記事への反応(3) | 15:54

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anond:20180424154413

男性権利を1両分取り戻す!」と言いながら「女性痴漢されても良い」という考えが根本に透けて見える。

あなた目の錯覚ですね。

私は「男性権利を1両分取り戻す!」意図しかない。

その、「自分には関係いか女性痴漢されても良い。痴漢されたら通報すりゃいいだろ」という考えは

「1度痴漢されろ」と言っていて痴漢と同様の意見しか見えない。

そんなつもりは無いといっても、実際に女性専用車両を撤廃なんてしたら痴漢助長させるだろう。

殺人してない人間を、未来殺人逮捕できない。

罪を犯してない人間排除するのは不当。

なんで痴漢だけ予防的な排除が認められると思ってるの?

増田が書いてたが、「幇助」しているとも言える。

あなた感想ですね。

Permalink |記事への反応(3) | 15:51

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女性専用車両廃止=痴漢と思うわけ

痴漢助長させたいようにしか見えない」からだ。

男性権利を1両分取り戻す!」と言いながら「女性痴漢されても良い」という考えが根本に透けて見える。

その、「自分には関係いか女性痴漢されても良い。痴漢されたら通報すりゃいいだろ」という考えは

「1度痴漢されろ」と言っていて痴漢と同様の意見しか見えない。

そんなつもりは無いといっても、実際に女性専用車両を撤廃なんてしたら痴漢助長させるだろう。

増田が書いてたが、「幇助」しているとも言える。

そのため、女性専用車両を廃止しろ!という意見痴漢と同レベルしか見えないのだ。

Permalink |記事への反応(2) | 15:44

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2018-04-23

anond:20180423161021

女性専用車両のおかげで、車内の環境雰囲気がよくなら、トラブルも起きにくくなるでしょう。

仮にそうだとしても、それは女性にとってのみ。女性専用車両の中のみ。

男性メリットにはなってない。むしろ、一両分圧迫されて男性が乗れる社内の環境悪化することも。

女性専用車両存在自体が無実の男性にとってはトラブルないしその原因。

いずれにしても、相対的に心穏やかな人が増えれば、社会相対的平穏になるものでしょう。あなたはそのようには発想しないのだろうか。

差別者が、被差別者に、「お前が我慢すれば世の中うまくいく」と説いている。

あなたは優しい人かもしれないが、そのやさしさは表面的・一面的ものであり、自分差別から目をそらしているに過ぎない。

Permalink |記事への反応(1) | 16:27

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2018-04-02

anond:20180402164618

男性権利を一両分奪っておる。

貴方から見て取るに足らない些細なことでも、人権人権であり、

女性無辜男性無用負担を強いている事実否定できない。

Permalink |記事への反応(3) | 16:56

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