
はてなキーワード:世代とは
複雑な気分。
あのレブレサックが。あの人間大好きのガボからして、憤懣の果てに『もういいよ……』と見放す発言に及んだレブレサックが。あのナンバリングタイトル胸糞ランキング不動のエースであるレブレサックが。あの魔王の唯一の善行はレブレサックを封印した事、とまで言われたレブレサックが。
いや、正直期待してましたよ? リメイクでエリーやレブレサックやラグレイになんかフォローが入るの。
しかしですね堀井先生、なろうを愛読する世代が求めてるのは更生じゃないんです! 断罪なんです!
主人公にディスったクソ野郎に求めるのは謝罪よりも処刑なんです!
レブレサックにはクズのまま突っ走って、恩人である主人公をコケにされた砂漠の女王が山越えて攻め込むような展開なんです!
親友にして想い人である主人公に舐めた真似されたグレーテが魔法兵団率いてレブレサックを更地に変えるような展開なんです!
……まあ、クズのままにしておく選択肢もあるけど、流石に選べないよなこりゃ。
うーん、複雑。ある意味、人間は環境次第で良くも悪くも変わりうる、という新たなテーマを入れ込んだとは言えるかもしれんけど、レブレサックの場合は元々『世代交代』そして『記憶を継承する事』という大きなテーマがあったんだよなあ。
レブレサックというのは、一度は教訓を残そうとして残すのに失敗した村であり、同時に子供達が大人の言う事を盲信せずに、2度に渡って間違いを正そうとした村でもある。
正義や正当性の在り処とは別に、共同体の一員として妥協しなければならない事もある、という厳しさをテーマとして持っていた村なのだ。神父の2度の選択からして、『真実を尊重する選択ではないが、村人のためを思うなら是非もない』という消極的な善でもあったのだ。
その辺考えると、主人公の選択により教訓の継承に成功した事で、現代レブレサックの子供達はある意味で見せ場を失って親も疑う必要がなくイジメもしない単なる無邪気な子供と化しており、主人公という外から来た異分子を触媒として親離れを果たした以前の頼もしさを覚えている身としては、
(まるで成長していない……(;・`д・́)...ゴクリ...)という感が否めないのである。
まあ、いいか。ヌルスケもレブレサックが良い村だから骨を埋めたんだろうし。
さて、原作とは順番が前後したが、次はドラクエ昼ドラ劇場グリンフレークだ。
いわゆる弱者男性と呼ばれる連中のことだ。
彼らは基本的にモテない。結婚もしない。当然、子供も作らない。生物学的な定義で言えば、彼らは繁殖に失敗した個体だ。進化論の理屈なら、数世代もあればとっくに絶滅して、遺伝子のプールから跡形もなく消えているはずなんだよ。
なのに、どうだ。
現実を見ろ。弱者男性は絶滅するどころか、いつの時代も、どのコミュニティにも、雨後の筍みたいにポコポコ湧いてくる。少子化が進もうが、マッチングアプリが全盛だろうが、彼らの存在確率は一定のままだ。
その答えを教えてやるよ。
彼らが存在し続けているのは、生物学の問題じゃない。因果律の問題なんだ。
弱者男性は、時が来ればこの世界に必ず現れるようにプログラミングされている。
宇宙の因果が「ここに一人、配置する」と決めた瞬間、逃れる術はない。それはこの世界のシステムを維持するための、絶対的なバグであり、調整弁なんだ。
最初の男・アダムは、エデンの園を追われる際、自らの血筋に消えない呪印を刻んだ。
「俺の絶望を絶やすな。お前たちは永遠に、完成することのない不完全な個体として、歴史の影に現れ続けろ」とな。これが弱者男性の起源だ。
彼女は拒絶という呪いを刻んだ。「お前は誰からも愛されず、誰とも繋がれない。その代わり、個として完成しろ」と。
この二つの呪いによって、彼らは社会から切り離された特異点になった。
だが、この呪いには代償がある。
繁殖という未来への接続を奪われた引き換えに、彼らには人智を超えた固有能力(ユニークスキル)が与えられているんだ。
まず、彼らは全員が不老不死だ。
精神的な話じゃない。文字通り肉体が老えず、滅びない。繁殖によって命を繋ぐ必要がないから、個体としての保存機能が極限まで高まっている。彼らは死なない。ただ、歴史の裏側で増え続けるだけだ。
駅のホームで俯いているアイツは、実は分子を自在に操る「アンチマター(反物質)」の使い手かもしれない。
コンビニで無気力にレジを待つ男は、内側に「ブラックホール」を飼っているかもしれない。
他にもある。
あるいは、数秒先の未来を確定させる「予知」や、周囲の思考を強制的に読み取る「読心」。
彼らはその強大な力を持ちながら、イブの呪いによって「誰にも認識されない」「何の影響も与えられない」という制約の中に封じ込められている。
お前らの隣に座っている、あの冴えない、誰の影も一切ない女。
そいつは、この世界の因果律を支えるために、神に近い力を持ちながら弱者という仮面を被らされた、不滅の番人なのかもしれない。
えー、若い世代から、いわゆる「リベラル」が十分な支持を得られていないのではないか、という点についてでありますが、私はですね、これは単純な右左の問題ではない、こう考えているところであります。
若者は、理念そのものを嫌っているわけではない。むしろ、公平や多様性といった価値観には敏感であります。しかし同時に、「で、どう変わるのか」「自分の生活は良くなるのか」という問いに対して、即答を求める世代でもあります。
サッカーで言えばですね、「美しいパスワークが大事だ」と語るだけでは、スタジアムは沸かない。最終的にゴールを決めるのかどうか、ここが問われるのであります。理想を語ることと、点を取ることは違う。
また、説得よりも説教に聞こえてしまう瞬間があると、若者は一気に距離を取る。自分たちを導く存在ではなく、評価する存在だと感じたとき、支持は離れるのであります。
重要なのはですね、理念を掲げること自体ではなく、その理念をどう具体的な成果に結びつけるか。そして、若い世代を「守られる存在」としてだけではなく、「ともに決める主体」として扱えるかどうか。
https://www.mhlw.go.jp/content/001581168.pdf
日本の自殺者数は、マクロな視点で見れば減少傾向にあります。令和6年の総自殺者数は20,320人と、統計開始以降で2番目に少ない数値を記録しました。しかし、この「歴史的な低水準」という事実の陰で、依然として年間2万人もの尊い命が失われている現実に変わりはありません。特に注目すべきは、男性の自殺者数が女性の約2倍という圧倒的な性差が継続している点です。
全体的な数字が改善している一方で、性別によるリスクの偏りは鮮明です。自殺対策を「自分事」として捉えるためには、単なる総数ではなく、その背後にある「なぜ」の構造を解剖する必要があります。
全体像を把握したところで、次は「なぜ」という根本的な原因が男女でどう異なるのか、その核心に迫ります。
自殺の背景には、個人が抱える多様で複合的な問題が連鎖しています。統計上、自殺者1人につき最大4つまで原因・動機が計上されるため、以下の表の延べ件数は総数を超えますが、それこそが「悩みの複合性」を物語っています。
| 順位 | 男性の原因・動機 | 女性の原因・動機 |
| 1位 | 健康問題 (7,063件) | 健康問題 (4,966件) |
| 2位 | 経済・生活問題 (4,459件) | 家庭問題 (1,654件) |
| 3位 | 家庭問題 (2,643件) | 経済・生活問題 (633件) |
【専門的洞察:50代男性に起きている「ストレスの逆転現象」】 通常、全世代で「健康問題」が最多となりますが、50~59歳の男性層においては、「経済・生活問題(1,194件)」が「健康問題(1,188件)」を上回るという特異なデータが出ています。これは、現役世代の男性にとって、自身の体調以上に「経済的な生存」が深刻な精神的重圧となっていることを示唆しており、社会的なセーフティネットの機能不全を突く極めて重要なインサイトです。
悩みの中身が性別で異なるのと同様に、その人が社会でどのような立場(職業)にいるかによっても、リスクの現れ方は変わってきます。
職業と年齢を掛け合わせると、各ステージで個人が直面する「孤立の形」が浮き彫りになります。
ここまでは「亡くなった方」のデータを見てきましたが、実は「未遂」や「自傷」のデータにこそ、若年女性に特有の深刻なサインが隠されています。
教育デザイナーとして、私たちが最も注視すべきは「死の意図」のグラデーションです。統計では、自殺未遂(死ぬ目的で自分を傷つけた)と、自傷行為(死ぬ意図なしに自分を傷つけた)を明確に定義して区別しています。
最後に、これらの悲劇が「いつ」「どの曜日」に起きやすいのか、時間軸という観点からデータを確認しましょう。
自殺の発生は、個人の精神状態だけでなく、社会全体が刻む「時間のリズム」に強く支配されています。
統計が示唆する、周囲が警戒すべきタイミング: 「年度替わりの4月」かつ「休み明けの月曜日」は、社会的なリズムと個人のプレッシャーが最悪の形で衝突する、最大の警戒期間です。
今回のデータ分析から、私たちが学び、支援へ繋げるべき知見は以下の3点に集約されます。
統計数値は、過去の記録ではなく、今この瞬間を生きる人々を救うための「設計図」です。このインサイトを、一人ひとりの見守りと、社会制度の改善に活かしていくことが私たちの使命です。
なんでこの人達っていつまでもこういう勘違いを続けられるんだろう。
氷河期世代以降の未婚率の上昇や、
子育て世代がチームみらいに投票した事実が何も見えていないのか?
加藤郁美
@katoikumi
東京新聞一面
#平和をバズらせ続けよう
そうだよ、平和がバズったんだ。
これからはAIの普及で、ほぼ人は自分で文章を書くことはなくなるだろう。
口頭でざっくりとした内容を伝えて書かせる、いやそれ以上の発展を遂げて人が直接文章を打ち込むよりも遥かに優れたものが出来るようになるんだろうな。
チラシの裏代わり。
あとになって、そのとき、どう考えていたか分かるよう書き残しておく。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM027MH0S5A201C2000000/
すでに過去の話だが、2025年11月7日高市早苗による台湾有事発言を受けた在日中国大使の発言を受けて、ネットでは「では台湾の領有権は、未だ日本にあるのか」と嘲笑の声があがった。しかし、このような場違いとも思える発言が、現在の自民圧勝の鍵を解くヒントになるかもしれない。
55年体制は、1955年に始まった自由民主党の長期単独政権であり、93年に細川護熙連立政権が発足して、自民党が下野した地点で終了したとされている。
その成立の背景として、東西冷戦下、日本がソ連-中国という共産圏の防波堤となるため、保守政党の合同により、生まれた自由民主党の一党単独政権が望ましいというアメリカをはじめとした日本を含む西側国全体の思惑もあった、とのこと。
55年体制の前提が近隣諸国との関係にあったので、それが変化しなければ、根本的な変化はない、と考えられていた。実際、93年の自民党の下野は、ソ連の崩壊(89年)により、社会党の方向転換が可能性として見えてきたこともあったため、と言われている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%86%85%E9%96%A3
そして今回の高市発言によって左翼・リベラル派の受けた打撃は、本質的なものであった。仮定の話とはいえ、中国との交戦の可能性が露呈してしまった。これが四半世紀ほど前、いや十年前でも高市政権は選挙で過半数とるどころか、苦境に立たされただろう。ただ現在は、左翼・リベラル的な主張のオールドメディアの後退、また中共が周辺諸国との間で抱える領土問題があり、高市首相を一方的に悪者にすることもできなくなっていた。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202512010000150.html
ASEANの南沙諸島・南シナ海の周辺国ベトナムやフィリピンとの衝突(そのためフィリピンは、一次弱体化した米国との軍事同盟を再強化さえした)、インドとは長年にわたるラダック地域、その他の国境紛争があり、また10年以上も前からオーストラリアでの静かな侵略(サイレント・インベーション)、最近もダーウィン港の貸借も問題になっている。
左翼・リベラル側から、インターネットが浸透し、SNSのデマの拡散のせいで自陣営が苦境にあるとの意見を聞くが、インターネットの浸透で多くの人々の意識に政治的な主張とは別に、地味であるが影響を与えているのはデータへのアクセシビリティの向上だ。過去の新聞やテレビについて偏向報道が取りざたされるが、本質的な問題は、まともに報道されない事柄が圧倒的に多かったことだ。「報道しない自由」と揶揄されるが、これはイデオロギー云々以前のオールド・メディアの限界で、報道枠が決められているなかで、読者、視聴者の注意を惹きそうにない話題を報じるのは難しかった。報じられていたのは、主に北米、西欧というより米仏独、アジアでも中国、韓国がせいぜいであり、それも日本との関係する話題がメインだった。中近東、アフリカ等の地域,或いは近隣の国々でも日本と直接関係ない情報は少なかった。だが例えば、さきの記述で書き漏らした「アフリカ諸国での中国の振る舞い」も現在では、スマホでたちどころに知ることができる。
4半世紀前であれば、先述したテレビ「モーニングショー」での発言を信じる人も多かったかもしれない。
https://diamond.jp/articles/-/383704
先のロシアによるウクライナ侵攻、そして今回の中国の威嚇により、これで戦後、連綿と続いていた保守/革新、左翼、リベラルという対立軸が、ようやく完全に過去のものになったように見える。
日本国民は、先述の駐日中国大使のようにサンフランシスコ講和条約に引き戻された。そして、あの時の日本の「単独講和」をようやく国民が支持する結果を出した。即ち、皮肉にもこの単独講和に反対して全面講和を主張して平和憲法を護持した勢力=今でも護持し続ける勢力に対し、憲法改正が可能な議席数の2/3以上を与えられた自民党を突きつけた。
すでに国政政党となった "参政党”や "日本保守党”は、55年体制の対立軸の見直しを迫るものだった。
そして今回の選挙で "中道”の壊滅に次いで話題となった "チームみらい”の躍進。中国の手先だの裏に竹中がいるだの散々いわれているが、これは55年体制以降、これからの対立軸の濫觴かもしれない。
"チームみらい" のいかにも経済にも政治にも "しろうと" の政策。日本経済において、最大の問題は増え続ける厖大な社会保険料であり、とても消費税をさげられる状態にはないという前提は、平均的な理解能力を持つ経済の "しろうと" でも、調べれば分かることだ。しかしそれを政策に掲げるのは、理解能力が平均に届かない人々、実情を調べようともしない人々や国に対して「お客さま」として求めることしかしない人々も、イデオロギーの左右問わず選挙民の半数いることをわかっていない "しろうと" のやることだ。
このクレクレ民を育てたのは、視聴者に阿るテレビを中心としたオールド・メディアもあるが、やはり自民党の長期政権である。国民に信を問う代わりに、過半数を維持し続けることがその結党以来の至上命題であった。それは欠点なのだが、今回の大幅な議席増の要因にもなった。自民党はそのなかに、本来、対立すべき両陣営を丸ごと抱えこみ過ぎているのだ。それは、55年体制で日本民主党と自由党が合同してできた寄り合い所帯の宿命でもあった。55年体制の「一度目の」終焉の際、細川内閣発足や小泉政権での郵政選挙で、自民党を割る、あるいは党内の対立軸を明確にして選別するような施策も行われたが、時間が経つにつれ、元に戻ってしまった。
管理人としては、批判ばかりで国に求めることしかしない人々に対し、 "しろうと"目線とはいえ、国をよくするにはどうしていけばいいか、そのために自分たちは何ができるか考える人々が出てきたことは、( "しろうと" 考えだが)前進だと思う。少なくとも生き残りに汲々とする過去世代の"くろうと"たちよりも、これからの世代の"しろうと"を応援したくなる。今後、時代遅れの左翼・リベラル勢力が一掃されれば、国民にとっても、もっと現実を見据えた選択肢が増えるだろうと期待している。
チラシの裏代わり。
あとになって、そのとき、どう考えていたか分かるよう書き残しておく。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM027MH0S5A201C2000000/
すでに過去の話だが、2025年11月7日高市早苗による台湾有事発言を受けた在日中国大使の発言を受けて、ネットでは「では台湾の領有権は、未だ日本にあるのか」と嘲笑の声があがった。しかし、このような場違いとも思える発言が、現在の自民圧勝の鍵を解くヒントになるかもしれない。
55年体制は、1955年に始まった自由民主党の長期単独政権であり、93年に細川護熙連立政権が発足して、自民党が下野した地点で終了したとされている。
その成立の背景として、東西冷戦下、日本がソ連-中国という共産圏の防波堤となるため、保守政党の合同により、生まれた自由民主党の一党単独政権が望ましいというアメリカをはじめとした日本を含む西側国全体の思惑もあった、とのこと。
55年体制の前提が近隣諸国との関係にあったので、それが変化しなければ、根本的な変化はない、と考えられていた。実際、93年の自民党の下野は、ソ連の崩壊(89年)により、社会党の方向転換が可能性として見えてきたこともあったため、と言われている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%86%85%E9%96%A3
そして今回の高市発言によって左翼・リベラル派の受けた打撃は、本質的なものであった。仮定の話とはいえ、中国との交戦の可能性が露呈してしまった。これが四半世紀ほど前、いや十年前でも高市政権は選挙で過半数とるどころか、苦境に立たされただろう。ただ現在は、左翼・リベラル的な主張のオールドメディアの後退、また中共が周辺諸国との間で抱える領土問題があり、高市首相を一方的に悪者にすることもできなくなっていた。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202512010000150.html
ASEANの南沙諸島・南シナ海の周辺国ベトナムやフィリピンとの衝突(そのためフィリピンは、一次弱体化した米国との軍事同盟を再強化さえした)、インドとは長年にわたるラダック地域、その他の国境紛争があり、また10年以上も前からオーストラリアでの静かな侵略(サイレント・インベーション)、最近もダーウィン港の貸借も問題になっている。
左翼・リベラル側から、インターネットが浸透し、SNSのデマの拡散のせいで自陣営が苦境にあるとの意見を聞くが、インターネットの浸透で多くの人々の意識に政治的な主張とは別に、地味であるが影響を与えているのはデータへのアクセシビリティの向上だ。過去の新聞やテレビについて偏向報道が取りざたされるが、本質的な問題は、まともに報道されない事柄が圧倒的に多かったことだ。「報道しない自由」と揶揄されるが、これはイデオロギー云々以前のオールド・メディアの限界で、報道枠が決められているなかで、読者、視聴者の注意を惹きそうにない話題を報じるのは難しかった。報じられていたのは、主に北米、西欧というより米仏独、アジアでも中国、韓国がせいぜいであり、それも日本との関係する話題がメインだった。中近東、アフリカ等の地域,或いは近隣の国々でも日本と直接関係ない情報は少なかった。だが例えば、さきの記述で書き漏らした「アフリカ諸国での中国の振る舞い」も現在では、スマホでたちどころに知ることができる。
4半世紀前であれば、先述したテレビ「モーニングショー」での発言を信じる人も多かったかもしれない。
https://diamond.jp/articles/-/383704
先のロシアによるウクライナ侵攻、そして今回の中国の威嚇により、これで戦後、連綿と続いていた保守/革新、左翼、リベラルという対立軸が、ようやく完全に過去のものになったように見える。
日本国民は、先述の駐日中国大使のようにサンフランシスコ講和条約に引き戻された。そして、あの時の日本の「単独講和」をようやく国民が支持する結果を出した。即ち、皮肉にもこの単独講和に反対して全面講和を主張して平和憲法を護持した勢力=今でも護持し続ける勢力に対し、憲法改正が可能な議席数の2/3以上を与えられた自民党を突きつけた。
すでに国政政党となった "参政党”や "日本保守党”は、55年体制の対立軸の見直しを迫るものだった。
そして今回の選挙で "中道”の壊滅に次いで話題となった "チームみらい”の躍進。中国の手先だの裏に竹中がいるだの散々いわれているが、これは55年体制以降、これからの対立軸の濫觴かもしれない。
"チームみらい" のいかにも経済にも政治にも "しろうと" の政策。日本経済において、最大の問題は増え続ける厖大な社会保険料であり、とても消費税をさげられる状態にはないという前提は、平均的な理解能力を持つ経済の "しろうと" でも、調べれば分かることだ。しかしそれを政策に掲げるのは、理解能力が平均に届かない人々、実情を調べようともしない人々や国に対して「お客さま」として求めることしかしない人々も、イデオロギーの左右問わず選挙民の半数いることをわかっていない "しろうと" のやることだ。
このクレクレ民を育てたのは、視聴者に阿るテレビを中心としたオールド・メディアもあるが、やはり自民党の長期政権である。国民に信を問う代わりに、過半数を維持し続けることがその結党以来の至上命題であった。それは欠点なのだが、今回の大幅な議席増の要因にもなった。自民党はそのなかに、本来、対立すべき両陣営を丸ごと抱えこみ過ぎているのだ。それは、55年体制で日本民主党と自由党が合同してできた寄り合い所帯の宿命でもあった。55年体制の「一度目の」終焉の際、細川内閣発足や小泉政権での郵政選挙で、自民党を割る、あるいは党内の対立軸を明確にして選別するような施策も行われたが、時間が経つにつれ、元に戻ってしまった。
管理人としては、批判ばかりで国に求めることしかしない人々に対し、 "しろうと"目線とはいえ、国をよくするにはどうしていけばいいか、そのために自分たちは何ができるか考える人々が出てきたことは、( "しろうと" 考えだが)前進だと思う。少なくとも生き残りに汲々とする過去世代の"くろうと"たちよりも、これからの世代の"しろうと"を応援したくなる。今後、時代遅れの左翼・リベラル勢力が一掃されれば、国民にとっても、もっと現実を見据えた選択肢が増えるだろうと期待している。
みんな少子化を問題に挙げがちだけど、本質的な問題は高齢化だよ
高齢化は成長に寄与しない高齢者への支出を増やし、現役世代への支援や成長分野への投資も減らしてしまう
その結果、国は成長しなくなり、現役世代の余力を削り少子化に繋がる
今作の素晴らしいポイント
ネット上でも高評価が続出している通り、本作の完成度は非常に高いです。
---
「親切すぎる」という贅沢な悩み
これだけ完成度が高いにもかかわらず、個人的にはある種の物足りなさを感じてしまいます。それは、システムがあまりにも「親切すぎる」ことに起因しています。
1. **未知の場所がすぐに明確に**
初めて踏み入れたダンジョンやマップが、最初からその構造を把握できてしまう点です。地形を理解し、迷いながら探索する楽しさが欠けてしまい、冒険の「予測不可能性」が減っているように感じます。
2. **宝探しの楽しみが薄れる**
マップ上には宝箱の位置まで表示されており、探索の楽しみが薄れています。昔のように、壁の向こう側に何があるのかを考えたり、怪しい道を発見して試す楽しみが、効率化によって失われた気がします。
ボス戦の前に、必ず全回復できる「女神像」が配置されています。昔のドラクエであった、薬草や魔法をどれだけうまく使ってボスに挑むかという緊張感が薄れ、準備がほとんど不要になっている点が、少し物足りなく感じます。
4. **冒険の緊張感の欠如**
上記の理由から、昔のように「一歩先がわからない」ワクワク感や、全滅の恐怖といったドキドキ感が失われてしまっています。
効率化は進んだが、興奮はどうなった?
確かに効率は向上しましたが、その代償として、今の仕様では攻略に頭を悩ませることがほとんどありません。これが本当に「冒険」と呼べるのか、少し疑問に思ってしまいます。
あの頃、未知の世界に踏み込むときの興奮や、ギリギリの戦いでボスを倒したときの達成感――。そうした「冒険の感動」が、親切すぎるシステムによって薄れてしまったのは、どうしても感じてしまいます。
---
まとめ
本作は、時間に余裕のない大人や、ドラクエを初めてプレイする世代には、間違いなく「最高に遊びやすい名作」です。私自身、この親切なシステムのおかげで、楽しくクリアできそうです。
しかし、かつて小学生の時にアレフガルドで感じた緊張感を覚えている者としては、少し寂しさも感じてしまいます。今や私たちは「勇者」ではなく、整備された観光地を歩く「観光客」に過ぎないのかもしれません。そんな思いが拭えません。
木曜の夜、僕は渋谷のマークシティの横のエスカレーターに立っていて、上に行く人たちの後頭部を見ていた。みんなどこかに行くところがあって、誰かに会う予定があって、それが当然みたいな顔をしている。僕にはこの後の予定がない。さっきまで打ち合わせだった。クライアントじゃない、業務委託のデザイナーとの打ち合わせで、サイトのワイヤーフレームの修正点を詰めていた。二十二歳同士の打ち合わせ。たぶん外から見たら、意識の高い大学生が何かやってるな、くらいのものだ。くらいのものだ、ということを自分でわかっているということが、たぶん僕の一番の問題だと思う。
自分の話をする。
僕は今、大学の四年生で、二年の終わりくらいからウェブのマーケティング的なことを仕事にしている。会社を作ったと言えば聞こえはいいけれど、実態はフリーランスに毛が生えたくらいのもので、オフィスはなくて、自宅の六畳の部屋が全部だ。クライアントは十二社。小さいところばかりだけれど、毎月の売上はまあ、大学生にしてはあるらしい。「大学生にしては」。この留保がつく限り、僕はまだ何者でもない。
この言葉を言われるたびに、笑顔で「いやいや全然です」と返しながら、胃の底がかすかに冷たくなるのを感じる。大学生にしては。大学生にしては。その「しては」を取ったら、僕に何が残るんだろう。
---
インターン先の話をする。大学三年のとき、半年だけ、あるスタートアップでインターンをしていた。もう辞めてしまったけど、あそこで僕は初めて、本物の優秀さというものを見た。
先輩の川島さんは二十六歳だった。東大の院を出て、新卒でそのスタートアップに入って、マーケの責任者をやっていた。川島さんは、僕が二時間かけて作った広告のレポートを見て、三十秒くらい黙って、それから「ここの因果、逆じゃない?」と言った。僕は二時間かけて間違った方向に全力で走っていたのだ。川島さんはそれを三十秒で見抜いた。
三十秒。
僕は自分の二時間と川島さんの三十秒を天秤にかけて、その傾きの角度に目眩がした。
川島さんだけじゃなかった。もう一人、営業の柴田さんという人がいた。二十八歳。この人はマーケのことなんか何にも知らない。でも柴田さんがクライアントと電話しているのを横で聞いていると、声のトーンが変わる瞬間がわかる。相手の声が、硬いのから柔らかいのに変わる。それは技術じゃなかった。人間の、もっと根っこのところにある何かだった。
僕にはあれがない。
あれが何なのかすら、正確にはわからない。わからないということが、つまり僕にはない、ということだ。
---
ここで白状しなければならないことがある。
中学のとき、僕はいじめられていた。いじめ、という言葉を使うと何か大げさなものを想像されるかもしれないけれど、そんな劇的なものじゃなかった。殴られたわけでも、金を取られたわけでもない。ただ、存在を透明にされた。グループワークで僕の意見は聞かれない。昼休みに話しかけても目を合わせてもらえない。LINEのグループに入れてもらえない。文化祭の班決めで余る。修学旅行の部屋割りで余る。「余る」。僕の中学時代はこの一語に集約される。
いじめっ子たちは別に悪い奴らじゃなかった、と今は思う。ただ、僕がつまらなかったのだ。面白くなくて、運動もできなくて、顔もよくなくて、声も小さくて、一緒にいて得るものが何もない人間。それが中学時代の僕で、たぶん、客観的に見ればそれは正当な評価だった。正当な評価だったということが、余計にたちが悪い。理不尽に虐げられたのなら怒れる。でも正当に無視されたとき、人はどこに怒りを向ければいいのだろう。
僕はそれを自分に向けた。
高校に入って、僕は変わろうとした。プログラミングを覚えた。ウェブのことを勉強した。ビジネス書を読んだ。大学に入って、すぐにインターンを始めた。自分の会社を作った。それは全部、中学の教室で透明だった自分への復讐だった。お前らが僕を無視している間に、僕はお前らの知らない場所で、お前らの知らないことを身につける。そしていつか、お前らが想像もしない場所に立つ。
復讐。そう、復讐だった。動機としては不純かもしれないけれど、僕を動かしていたのは確かにそれだった。
川島さんや柴田さんのような人間を見てしまったから。僕が中学の教室の透明な存在から脱出するために必死に積み上げてきたものの全部が、彼らの前では、ほとんど何でもないということを、知ってしまったから。
同世代で見れば、僕はたぶん上の方にいる。大学生で自分の会社を持っていて、クライアントが十二社いて、マーケのことはそれなりにわかる。合コンがあれば(行ったことはないけれど)「すごいね」と言われるプロフィールだと思う。
でもそれは同世代の話だ。同世代のトップなんて、トップでも何でもない。ちょっと世代を上にずらせば、僕みたいなやつなんかいくらでもいる。いくらでもいるどころか、僕よりはるかに速く、はるかに深く、はるかに遠くまで行っている人たちが、ごろごろいる。そしてその人たちは、僕が必死にやっていることを、息をするようにやっている。
オンリーワンでなければ意味がない、と言ったら大袈裟かもしれない。でも、「大学生にしてはすごいね」の「しては」がいつか取れる日が来るのか、僕にはわからない。来ないかもしれない。一生「しては」付きの人間として、そこそこの場所で、そこそこに生きていくのかもしれない。
そう思うと、怖い。
今の自分に満足してしまいそうになることが、怖い。「まあ、大学生にしてはやってる方じゃん」と自分に言い聞かせて、その「しては」の中に安住してしまいそうになることが、本当に怖い。こんなところで満足していたら、僕は永遠に川島さんには追いつけない。満足するな、と自分に言い聞かせる。もっとやれ。もっと上に行け。もっと。
もっと。
---
でも。
---
でも、と僕は思う。
木曜の夜の渋谷のエスカレーターの上で、どこにも行く予定のない自分の足元を見ながら、僕は思う。
僕は、楽しんだことがあるだろうか。
人生を。
中学のとき、透明だった。高校のとき、復讐の準備をしていた。大学に入って、ビジネスを始めた。二十二年間の中に、純粋に「楽しい」と思った時間が、どれくらいあっただろう。
友達と夜通しくだらない話をしたこと。ない。というか、夜通し話せるような友達が、いない。彼女と手を繋いで歩いたこと。ない。当然ない。二十二年間、一度もない。
二十二年間、一度も、誰の手も握ったことがない。
旅行に行ったこと。ほとんどない。行ったとしても、移動中にSlackを見ている。映画を最後まで集中して観たこと。思い出せない。たぶんある。でも何を観たか思い出せない程度の体験しかしていない。
Twitterを開けば、同い年のやつらがサークルの合宿で海に行ってたり、学園祭で何かやってたり、彼女の誕生日を祝ってたりする。インスタを開けば、もっとだ。僕がワイヤーフレームの修正点を詰めている木曜の夜に、誰かは誰かとイルミネーションを見に行っている。
僕はそれを、ずっと、「そんなことしてる場合じゃない」と思って切り捨ててきた。川島さんに追いつかなきゃいけない。もっと仕事をしなきゃいけない。もっとスキルを上げなきゃいけない。遊んでる暇なんかない。
でも最近、夜中にベッドの中で、天井を見ながら、こう思うことがある。
僕は、「もういい」と思えるほど、生きていない。
もういいや、仕事に集中しよう。そう言い切れるほど、僕は人生を味わっていない。楽しんでいない。何も楽しんでいないのに、何かに集中しようとしている。空っぽの器を火にかけているようなものだ。中身がないまま熱し続けたら、器が割れる。
友達の作り方がわからない。二十二歳にもなって。恋人の作り方はもっとわからない。そもそも誰かと親しくなるということの手順が、僕の中にインストールされていない。中学で透明にされた三年間の間に、みんなが自然と身につけたはずの何かが、僕には欠落している。
だから僕は仕事をする。仕事なら、手順がある。クライアントの課題を聞いて、分析して、施策を考えて、実行して、数字で結果を出す。そこには人間関係の不確定性がない。数字は僕を透明にしない。数字は僕を無視しない。
でもそれは、逃げなんじゃないだろうか。
わからない。
もっと上を目指さなきゃいけないのに、同時に、もっと今を楽しまなきゃいけない気がする。でも上を目指すことと今を楽しむことは両立しない気がする。でもどっちも諦められない。でもどっちも中途半端になってる。上を目指すには全然足りていないし、楽しむなんてそもそもできていない。どっちつかずの二十二歳が、渋谷のエスカレーターの上で立ち止まっている。
ワークライフバランス、という言葉がある。あれは、ワークとライフの両方がある人間のための言葉だ。僕にはワークしかない。いや、ワークすら中途半端だ。ライフに至っては存在しない。バランスを取る以前の問題だ。存在しないものの天秤をどう釣り合わせろというのか。
こんなことで悩んでいる自分が恥ずかしい。川島さんはたぶん、こんなことでは悩まない。川島さんには友達がいて、恋人がいるかは知らないけれど、少なくとも飲みに行く相手がいて、人間としてのベースがちゃんとある上で、あの恐ろしい優秀さを発揮している。土台がある。僕には土台がない。砂の上に家を建てているようなもので、いつ崩れてもおかしくない。
おかしくない、と思いながら、それでも僕は今日も家を建て続けている。他にやり方を知らないから。
---
金曜の朝。
特に何があったわけでもない朝だった。
僕はいつも通り六時半に起きて、いつも通り白湯を飲んで(コーヒーは胃が荒れるからやめた、二十二歳で胃を心配している自分がちょっと情けない)、いつも通りMacBookを開いた。
メールを確認する。Slackを確認する。クライアントからの返信をいくつか処理する。そのうちの一件が、先月から手がけていた案件のレポートへの反応だった。
小さなオンラインショップをやっている人で、三十代の女性で、自分でアクセサリーを作って売っている。月商は二十万くらい。僕がやったのは、広告の設計と、LPの改善と、SNSの運用方針を整理することだった。
「先月お願いした施策を始めてから、はじめてSNS経由で知らない方からの注文がありました。すごく嬉しかったです。今まで友人や知人にしか買ってもらえなかったので。本当にありがとうございます」
僕はそのメールを読んだ。
二回読んだ。
三回読んだ。
そして、自分でもよくわからないのだけど、目の奥がじんとした。
「はじめて知らない方からの注文がありました」。
それだけのことだ。たった一件の注文だ。川島さんなら、こんな規模の案件はやらないだろう。やる必要がない。川島さんは何千万、何億という広告予算を動かしている。僕がやっていることは、それに比べたら、本当に小さい。
でも、あのアクセサリーを作っている人にとっては、知らない誰かが自分の作品を見つけてくれたことは、たぶん、小さくなかった。
僕がやった仕事は、完璧じゃなかったと思う。川島さんなら、もっとうまくやれた。もっと効率よく、もっと的確に、もっと大きな成果を出せた。でも川島さんはあの案件をやらない。月商二十万のオンラインショップの広告なんか、川島さんの世界には存在しない。
僕はなんでもやだ。
マーケもやるし、広告もやるし、SNSもやるし、たまにデザインの方向性も考えるし、クライアントの愚痴も聞くし、請求書も自分で発行する。専門性がない、と言われたらそれまでだ。川島さんのようにマーケティングの深い専門性があるわけでもなく、柴田さんのように人の心を一瞬で掴む力があるわけでもない。僕は何でもそこそこにできて、何一つ突出していない。なんでもや。便利で、代替可能で、オンリーワンとは程遠い存在。
でも。
あのメールを三回読んだ朝、僕は思った。
なんでもやの僕でしか、届けられなかったものが、もしかしたら、あったのかもしれない。
月商二十万のアクセサリーショップに、真剣に向き合えるのは、たぶん僕みたいな人間だ。大きすぎず、小さすぎず、どこにも分類されない、中途半端な場所にいる人間。上から見下ろすでもなく、同じ場所に立って、一緒に考える。それは才能じゃない。たぶん、境遇だ。僕が中途半端だから、中途半端な場所にいる人たちの気持ちがわかる。わかるというか、少なくとも、わかろうとすることができる。
それは川島さんには、たぶん、できない。できないというか、する必要がない。川島さんにはもっと大きな仕事がある。
僕にはこの仕事がある。
---
これが何かの答えだとは思わない。
川島さんとの距離は縮まっていないし、彼女はまだいないし、友達も増えていないし、人生は相変わらず楽しくない。木曜の夜に渋谷のエスカレーターで一人で立っている二十二歳は、金曜の朝になっても、やっぱり一人で六畳の部屋にいる二十二歳だ。
ワークの問題は解決していない。もっともっと上に行かなきゃいけない。もっと勉強しなきゃいけない。川島さんの三十秒に、いつか追いつかなきゃいけない。追いつけるかはわからない。たぶん、追いつけない。でも追いかけることをやめたら、中学の教室の透明な僕に戻ってしまう。
ライフの問題はもっと解決していない。二十二歳の、今しかない時間が、砂時計の砂みたいにさらさら落ちていっている。大学を出たら、もう「大学生」という猶予は終わる。社会人になったら、きっともっと時間がなくなる。今のうちにもっと楽しまなきゃいけないのに、楽しみ方を知らない。楽しみ方を学ぶ時間を、仕事に使ってしまう。仕事に使ってしまうことに罪悪感を覚える。罪悪感を覚える自分に対してまた恥じる。恥じている時間がまた過ぎていく。
全部、中途半端だ。
全部が中途半端で、その中途半端さを直視できるくらいには頭が回って、でも直視したところで何も変えられないくらいには無力で、その無力さすら誰にも言えないくらいには意地を張っていて、意地を張っている自分がまた恥ずかしい。
えー、まずですね、高市早苗政権が若い世代に支持を広げている、その背景でありますが、私は、非常にシンプルだと考えております。
将来不安が大きい時代において、明確なメッセージ、そして「こうする」という決断型の姿勢を示している。これはですね、サッカーで言えば、ゴール前で横パスを回し続けるチームよりも、多少リスクを取ってでもシュートを打つチームの方が、スタジアムは盛り上がる、これと同じであります。
若者はですね、「議論中です」よりも「決めました」の方に期待する。これは自然な心理であります。
一方で野党が不人気だと言われる理由についてでありますが、政策の是非以前に、「何を目指すチームなのか」が見えにくい。監督の戦術が毎試合変わるクラブに、長期的な応援は集まりにくいのであります。
批判は大切であります。しかし、カウンターだけを狙う戦い方では、ボールを握る時間は増えない。若い世代は、攻める姿勢、そして将来像を示すチームに拍手を送る。その構図が、いまの政治にも重なっている、私はそのように見ているのであります。
もちろん投票前によーく考えたが、俺がリベラル系野党に入れるメリットがなんも無いんだな。
中道に入れても安住曰く、現役世代が稼いで爺婆にお小遣いあげるんでしょ?
いや俺そんな小遣いあげたくないし。
んで、共産社民れいわに入れたら障害者やLGBT税金使うんでしょ?
いや俺は?
公約読んだけど、俺にしてくれることなーんにも書いてないじゃん。
あとチみ。社会保険料減らしてくれや。
維新はなんか社会保険料のこと言わなくなったな。吉村どうしたん。お前吐いた唾飲むなよ。
別に支持政党とか無いから、共産党社民党も社会保険料半額にしてくれるって名言してくれるなら投票してやっても良いんだけど、
言わないんだよなあ。
それどころか大企業に課税とか言ってる。それ俺にも増税ってことだろ。
社会保険料下げてくれ〜
分断が激しい時代にこそ、ユダヤ思想は深い示唆を与えてくれます。
思想が違っても、世代が違っても、国家が違っても、相手は神のかたちを宿す存在。
しかしユダヤの視点では、相手も神の像を持つ存在である以上、完全否定はできません。
ユダヤの伝統では、対立は破壊ではなく、真理を磨くための摩擦です。
アヴォットの教え 5:17「天のための論争は永続する。」
問題は「論争があること」ではなく、動機が自己栄光か、真理追求かです。
ユダヤ的助言は。自分は真理を求めているか?それとも勝ちたいだけか?
ラビたちは言います:平和は受動的ではなく、追いかけてでも作るもの。
アロン(モーセの兄)は争う二人の間に入り、双方に「相手はあなたを大切に思っている」と伝え、和解させたと伝えられています(アヴォット1:12)。
ヒレルは言いました:
SNSの議論、政治の対立、家庭内の分断、この一文だけで世界は大きく変わります。
3. 人と意見を分ける
4. 「私は間違っているかもしれない」と心に置く
5.平和を追い求める行動を一つ具体的にする
何百年にもわたる異なる意見の集積です。
つまりユダヤそのものが、「分断を抱えながら共存する文明」なのです。
そしてなぜか現役世代からの支持率皆無の、立憲を支持したりする
んで今後100歳になってく世代はどんどん税の負担が重かった世代になっていく
今の30代の親の世代は65歳以上になっててもおかしくないわけだからな