
はてなキーワード:不義理とは
https://x.com/kentarotakahash/status/2013591715991695703?s=46&t=m0EXJSjLezh3AQX5_uZarQ
kentarotakahashi
@kentarotakahash
他に考えられます?
最初の訴訟会以前に、元弁護士 vs伊藤詩織以外で、「許諾」問題に関して伊藤さんと「齟齬」があった「関係者(全方位)」って。
⸻
minako
@cXjvalBLJOcU2ug · 1時間
それでも従わなかった伊藤詩織さんだからBBDの映画上映を止めるために記者会見が決行されたと言う流れか?
不義理ってそう言うこと?…
⸻
⸻
minako
@cXjvalBLJOcU2ug · 19分
無いです。😭悲しいが、そうだろうと思いました。
⸻
kentarotakahashi
@kentarotakahash · 29分
関係あるような、関係ないような話ですが、私個人の経験では、作品を製作中のアーティストに対して、え?前はこう言ってたじゃん?え?オレのここまでの働きは?え?そりゃない、幾ら何でもそりゃないよ!と思ったことは何度もありますよ。そんなもんですよ。
//
はてな匿名ダイアリーに、初めて書く。
理由は単純で、この行き場のない気持ちをどこかに吐き出したかったからだ。
最近、ずっと頭の中に引っかかっているのが、立憲民主党と公明党による新党構想の話だ。
正直に言って、かなり困惑している。
私は、立憲民主党の支持者だ。
もともと、枝野幸男さんが「立憲主義に立ち返る」という理念を掲げて党を立ち上げたとき、その言葉に心を打たれた。
経済が上向くとか、給料が上がるとか、そういう即効性のある成果は期待できないかもしれない、とも思っていた。
それでも支持していたのは、
・本当に困っている人が切り捨てられないこと
・弱者を見捨てないこと
そういう「当たり前の倫理」が守られる政権になりうるのでは、という期待があったからだ。
少なくとも、今の自民党よりは、党利党略や自己保身だけを考えていないと信じていた。
弱者を見捨てない、不義理はしない、ちゃんとした政治をしてくれるかもしれない、という期待感があった。
不正は許されない。
倫理が守られる。
それだけでも、世の中は少し良くなるはずだと、私は思っていた。
今の立憲民主党を見ていると、「悪目立ちしない自民党」「露骨な悪事はしない自民党」そんな印象を持ってしまう。
根っこは、あのグダグダで烏合の衆だった、かつての民主党と同じじゃないか、と。
それでも、「自民党よりはまだマシだろう」という消極的支持は続けてきた。
あからさまな悪いことはしないだろう、という最低限の信頼だけで。
でも、今回ばかりは、さすがに「どうしよう……」と思っている。
公明党の背後に創価学会があることは、公然の事実だと思っている。
創価学会について、私は詳しいわけではない。
でも、統一教会ほど露骨ではないだけで、構造は似ているのではないか、と感じている。
お金を集めて、上の人が潤い、下の人は信じて、せっせと上納する。
どれだけ政策が一致していようと、その結果、社会が良くなると理屈で分かっていようと、根っこが宗教である以上、私は信用できない。
私は、善政を敷く王様や独裁者よりも、たとえ不器用でも、民主的に選ばれたリーダーのほうがいいと思っている。
もちろん、今の生活が苦しくて、「とにかく生活が良くなるなら……」という気持ちで支持する人たちの心情も、理解はできる。
でも、そういう切実な気持ちにつけ込んで、
最初はいい顔をし、権力を握り、外堀を埋め終わったあとで、意に沿わない人たちを排除し始める。
でもある日突然、「あなたは向こう側です」と、よく分からない論理で線を引かれ、気づけば虐げられ、一部の権力者の養分になる。
そんなの、嫌に決まっている。
長い目で見れば、その可能性がある選択は、結局「損」でしかないと思う。
……と書いていたら、自民党批判と公明党批判が、少しごっちゃになってきた。
でも、公明党について言いたいことははっきりしている。
裏に宗教があり、その「長」に逆らえない構図がある以上、どれだけ「党と宗教は別です」「代表は民主的に選んでいます」と言われても、私は信用できない。
むしろ、あからさまな独裁に見えないぶん、タチが悪いとすら思っている。
目先の「良さそうな政策」に騙されないでほしい。
……もっとも、今の立憲民主党は、政策面でも筋が悪いと言われているから、政策で選ばれることはなさそうだけれど。
本当に見るべきなのは、
そこだと思う。
で、結局、何が言いたいかというと、投票先がなくなったよ、という話だ。
立憲民主党に、設立当時の理念の「幻想」を、かろうじて抱いてきた。
でも、今回の公明党との合流の話で、その幻想が大きく揺らいでいる。
ほんと、どうしよう……。
はてな匿名ダイアリーに、初めて書く。
理由は単純で、この行き場のない気持ちをどこかに吐き出したかったからだ。
最近、ずっと頭の中に引っかかっているのが、立憲民主党と公明党による新党構想の話だ。
正直に言って、かなり困惑している。
私は、立憲民主党の支持者だ。
もともと、枝野幸男さんが「立憲主義に立ち返る」という理念を掲げて党を立ち上げたとき、その言葉に心を打たれた。
経済が上向くとか、給料が上がるとか、そういう即効性のある成果は期待できないかもしれない、とも思っていた。
それでも支持していたのは、
・本当に困っている人が切り捨てられないこと
・弱者を見捨てないこと
そういう「当たり前の倫理」が守られる政権になりうるのでは、という期待があったからだ。
少なくとも、今の自民党よりは、党利党略や自己保身だけを考えていないと信じていた。
弱者を見捨てない、不義理はしない、ちゃんとした政治をしてくれるかもしれない、という期待感があった。
不正は許されない。
倫理が守られる。
それだけでも、世の中は少し良くなるはずだと、私は思っていた。
今の立憲民主党を見ていると、「悪目立ちしない自民党」「露骨な悪事はしない自民党」そんな印象を持ってしまう。
根っこは、あのグダグダで烏合の衆だった、かつての民主党と同じじゃないか、と。
それでも、「自民党よりはまだマシだろう」という消極的支持は続けてきた。
あからさまな悪いことはしないだろう、という最低限の信頼だけで。
でも、今回ばかりは、さすがに「どうしよう……」と思っている。
公明党の背後に創価学会があることは、公然の事実だと思っている。
創価学会について、私は詳しいわけではない。
でも、統一教会ほど露骨ではないだけで、構造は似ているのではないか、と感じている。
お金を集めて、上の人が潤い、下の人は信じて、せっせと上納する。
どれだけ政策が一致していようと、その結果、社会が良くなると理屈で分かっていようと、根っこが宗教である以上、私は信用できない。
私は、善政を敷く王様や独裁者よりも、たとえ不器用でも、民主的に選ばれたリーダーのほうがいいと思っている。
もちろん、今の生活が苦しくて、「とにかく生活が良くなるなら……」という気持ちで支持する人たちの心情も、理解はできる。
でも、そういう切実な気持ちにつけ込んで、
最初はいい顔をし、権力を握り、外堀を埋め終わったあとで、意に沿わない人たちを排除し始める。
でもある日突然、「あなたは向こう側です」と、よく分からない論理で線を引かれ、気づけば虐げられ、一部の権力者の養分になる。
そんなの、嫌に決まっている。
長い目で見れば、その可能性がある選択は、結局「損」でしかないと思う。
……と書いていたら、自民党批判と公明党批判が、少しごっちゃになってきた。
でも、公明党について言いたいことははっきりしている。
裏に宗教があり、その「長」に逆らえない構図がある以上、どれだけ「党と宗教は別です」「代表は民主的に選んでいます」と言われても、私は信用できない。
むしろ、あからさまな独裁に見えないぶん、タチが悪いとすら思っている。
目先の「良さそうな政策」に騙されないでほしい。
……もっとも、今の立憲民主党は、政策面でも筋が悪いと言われているから、政策で選ばれることはなさそうだけれど。
本当に見るべきなのは、
そこだと思う。
で、結局、何が言いたいかというと、投票先がなくなったよ、という話だ。
立憲民主党に、設立当時の理念の「幻想」を、かろうじて抱いてきた。
でも、今回の公明党との合流の話で、その幻想が大きく揺らいでいる。
ほんと、どうしよう……。
Permalink |記事への反応(12) | 17:04
ここに書くことは「不義理」に見える。だから、多くの人は言わない。でも、実際のところを書く。
台湾への中国の軍事侵攻は「反対」だ。ウクライナへのロシアの侵攻も「反対」だ。侵略行為は悪い。弱小国が一方的に蹂躙されるのは、不公正だ。その感情は、本当だ。
だけど。
もし本当に台湾有事が起きたとき、戦争によって日本が被害を被るくらいなら「台湾にはさっさと降伏して欲しい」と思う人間が、実際のところ、ものすごく多いんじゃないか。そしてそれは「台湾を見捨てる冷酷さ」じゃなくて「自分と自分の家族の命の方が大事」という、誰もが持ってる根源的な感情だ。
その感情を、表に出すと「非難される」から、みんな隠してる。でも、有事の際には「この感情の方が優先される」という現実がある。
メディアや政治家は「台湾は日本の隣国だ」「台湾との関係は重要だ」と言う。その通りだ。台湾とは友好国として付き合うべきだし、台湾に対する侵略には「反対」という立場を表明すべきだ。
例えば、ウクライナの人が「可哀想」と思うのと「日本がウクライナのために戦う」というのは、全く別の話だ。多くの日本人は「ウクライナへのロシアの侵攻は許されない」と思いながら「だから日本が戦争に参加すべき」とは思わない。その感覚は、正しい。
同じことが台湾にも適用される。「台湾への中国の侵攻は許されない」と「だから日本が戦争に参加すべき」は別だ。前者は道義的立場で、後者は戦略的判断だ。
ここから先は、本当に不気味な話だ。
台湾有事が起きたとき、何が起きるか。中国軍が台湾に侵攻する。その時点で「日本は台湾を守るために戦うべきか」という問題が、突然、リアルになる。
その時、日本国民の大多数は「戦うべきか」という問いに対して「戦うなら、実は台湾は降伏した方がいいのでは」と思う。なぜか。
理由は簡単だ。戦争というのは「最大で何百万人という日本人が死ぬ可能性」を持ってる。爆撃で死ぬ。飢餓で死ぬ。病気で死ぬ。経済的破綻で死ぬ。その規模の被害を、「台湾を守るため」という理由で正当化できるのか。
答えは「多くの日本人にとっては、できない」だ。
「では、台湾が中国の支配下に入ることを受け入れるべきか」という問いに対して「受け入れるべき」と言うわけではない。ただ「日本人が大量に死ぬより、その方がマシ」という判断になる。その判断は「非道」ではなくて「現実的」だ。
その本音を、なぜ誰も言わないのか
もし「台湾有事の際には、日本は戦う意思がない」と公式に言ったら「台湾がすぐに降伏してしまう」。その結果「中国に統一を許す」ことになる。それは「国際秩序を破壊する」ことになり「日本の国益に反する」。
だから、政治家は「台湾を守る」というポーズをし続ける必要がある。米国も「台湾を守る」というポーズをし続ける必要がある。そのポーズがあることで「台湾が独立を保つ可能性」が生まれる。
その「ポーズ」が必要だから、真実は隠される。その真実とは「実際には誰も台湾を守るために戦わない可能性が高い」という現実だ。
ウクライナを見ればわかる
ウクライナを見れば、この構図がわかる。
ウクライナはNATO加盟国ではない。だから「ロシアに攻撃されたら、NATO全体で対抗する」という仕組みが、法的には発動しない。その結果「欧米諸国が何度も『NATOは参戦しない』と明確に言った」。
その結果、何が起きたか。ロシアは「NATOが参戦しない」と確認してから、侵攻を開始した。もし欧米が「参戦する可能性がある」と濁していたら、ロシアの計算は変わったかもしれない。
ここで起きてるのは「国家の本音」だ。欧米はウクライナを「支援」するが「戦争に巻き込まれるほどの関心」はない。その本音が「参戦しない」という明言になった。その結果、侵攻が起きた。
台湾の場合、米国は「参戦する可能性がある」と、ぼかし続けてる。その曖昧性が「台湾への侵攻を躊躇させてる」という側面がある。ただ、その曖昧性の裏側には「実際には参戦しない可能性が高い」という米国の本音があるかもしれない。
日本も同じ立場だ。日本は「台湾との関係は大事」と言い続けるし「台湾有事に無関心ではない」と言い続ける。でも、その言葉の裏側に「ただし、日本人が大量に死ぬほどの関心ではない」という本音がある。
有事の際に起きること
台湾有事が本当に起きたとき、以下のプロセスが起きると予想される。
その時点で「日本が軍事介入することの現実的困難性」が明確になる
国内から「日本人が死ぬ危険を冒してまで、台湾を守る理由があるのか」という世論が出始める
その世論に押される形で「日本は支援に限定する」という政治判断が出される
その時点で「日本は軍事的には参戦しない」という立場が固定される
その流れの中で「日本は台湾を見捨てた」という後悔が残る。だが同時に「日本人が戦死せずに済んだ」という安堵も残る。その両者の感情が、ずっと日本社会に残り続ける。
ここまで書くと「では、台湾はどうでもいいのか」という質問が出るかもしれない。違う。
台湾は、日本にとって戦略的に重要だ。その意味は「台湾が独立を保つ方が、日本の国益に合致する」という意味だ。中国が台湾を統一したら「東シナ海から太平洋への中国の影響力が拡大する」。その拡大は「日本の国防上、好ましくない」。
だから「台湾の独立を保つためのポーズ」は、日本は取り続ける必要がある。だが「その独立を守るために、日本人が死ぬ」ことと「台湾の独立を保つ方が国益」という判断は、別だ。
言い換えると「台湾は大事」だが「日本の命の方が、もっと大事」という現実がある。その両者は「矛盾」ではなくて「優先順位」だ。
不誠実さ、と正当性
この話は、多くの日本人にとって「不誠実に見える」。台湾を友好国として扱いながら、その友好国を守るために戦う気はない。それは「二重基準」に見える。
ただ、国家というのは、元々「二重基準」で動いてるんだ。国家の本質は「自国民の命と福祉を最優先とする」ことだ。その本質が「隣国への義理」より優先されるのは「ダブルスタンダード」ではなくて「当然」だ。
どの国の政治家だって、国民投票で「台湾のために日本が戦争に参加することに賛成するか」と聞かれたら「反対」が大多数になる。その「反対」が、実は「最も現実的」な判断なんだ。
「台湾は大事だ」というポーズ。「台湾有事に備える」というポーズ。「台湾との関係を大切にする」というポーズ。
そのポーズがあることで「中国が台湾に侵攻することの現実的コスト」が上がる。「もし台湾に侵攻したら、日本も何か対抗措置を取るかもしれない」という曖昧性が、抑止力になる。
その曖昧性の存在が「台湾の独立を保つ」という結果につながる可能性がある。だから「日本は本当には戦わないかもしれない」という本音を隠しながら「台湾を守る気がある」というポーズを続ける必要がある。
これは「台湾を見捨てるべき」という話ではない。「台湾への支援を減らすべき」という話でもない。
この話は「人間の現実」についての話だ。人間は「理想」と「現実」のギャップを抱えながら生きてる。その中で「正直に本音を言うことが、時に害になる」という現実がある。
台湾有事の際に「日本は戦わない」と明言したら「台湾の独立を守る抑止力」が失われる。だから「戦う可能性がある」というポーズを続ける。
その中で、国民の本音は「戦いたくない」という感情で満ちている。その本音は「正当」だ。なぜなら「自分と自分の家族の命を守る」というのは「最も正当な欲求」だから。
その正当な欲求と「国家の戦略的必要性」の間に、永遠に埋まらないギャップがある。日本は、そのギャップの上で、ずっと成り立っている。
大変興味深く観ています。
話があちこち飛んだりメシ食いながら考察してるのとかも賛否ありそうですが、私はわからなさや臨場感を共有している感じがして嫌いじゃないです。
観てない人は観てみてね。
4話目まで一通り見て上出氏も「ここからは集合知だ」と言っていたので、ここまで観て感じた疑問や仮説をここに書き記しておきたいと思い、眠っていたはてなアカウントを掘り起こした次第です。
事件のきっかけになったのではと推察されている小原が仕事を飛んで顔を潰されたとYに恐喝されたとされている事件ですが、こういう事は田舎のヤンキー社会ではありふれた事案で、こんなことが被害届の件なども併せて考えたとしても殺人事件なんかに発展するかな?というのが小原より少し下の世代で東北地方で少し悪い子をしていた私の肌感覚です。
アホであるが故に仕事を飛んだり不義理したり衝動的におかしなことをするのがヤンキーであり、ヤンキーの先輩はそういう後輩ヤンキーの愚行を目ざとく見つけては恐喝ネタにするというのが昭和〜平成のヤンキー界の日常風景でした。
強先輩ヤンキーは複数の後輩にこういった恐喝や脅迫を同時並行的に行っていて、かつそれらを真面目に精緻に追い込みや取り立てなどしているわけでもなく多額の金銭を要求していたかと思えば毎夜のごとく呼び出して可愛がってやったりと、大人の世界の契約とは違いヤンキー社会の債務など全ては先輩の気分や都合次第でどうとでもなる程度の事といった温度感だと思います。
だからこそ後輩はほどぼりが冷めるまで逃げたり命令に従うことで機嫌を取ったりするわけです。
この小原とYの事案もそういうものの一つだったのではと思うのですが、例え小原がYの脅しにテンパって被害届を出したとてそれを契機に殺人にまで至るというのは上記の温度感を考えると極めて不自然で、
自身への被害届が出ているタイミングで被害届の提出者である小原の自死を偽装したり小原の関係者であるBを殺害するのはYにとっても極めてリスキーでナンセンスな行動だと思いますし、このような小ヤンキーと中ヤンキーのショボいトラブルに上位ヤンキーのXが関わってくるというのも物凄く変。
偉い不良というのは自身に何かメリットや何か強い動機がないと下の者の揉め事になんて顔を突っ込んでこないものです。直接の後輩でないなら尚更。
このあたりは上出氏には釈迦に説法かもですが。
じゃ、なんなんだよという話ですが
Yに恐喝された小原が状況を打開するためにここまで明らかになっていない深刻で重大な敵対行為や裏切り行為をYに対して働き(Bも関わっていた)
その事態を収拾するためにYもXを頼らざるを得なくなり小原の自死偽装やB殺害に至ったのではないか?というのが私の仮説です。
上で述べた通り先輩ヤンキーにとって後輩を恐喝することは日常茶飯事であり遊びです。
それがエスカレートして殺人に至るというよりも恐喝されて追い詰められた側がラインを超えた行動を起こしてしまい取り返しのつかない事態になるという方が私にとっては自然に思えます。
小原は仙台方面で得た裏社会との繋がりを後ろ盾にYとのトラブルの解決を図ったのではないでしょうか?
しかしそのアテが外れ、解決の目がなくなり命の危険を感じた小原は被害届を出し、いよいよ危ないというところでAを実家に逃したのではないかと(小原が自発的に逃したと考えると無事を確認するためのワンコールと説明がつきます)
なぜBが殺害されるに至ったのかなど不明ですが小原サイドからYに対して重大な敵対行為があったと考えると色々説明つきやすくなるのではないかと思います。
以上、
理由を色々考えてみた
いろんなパターンがありそうかも?
増田がおかしいとか奥さんがおかしいとかそれを外野に判断して欲しいというのはよくわからないな。
夫婦のことなのでインターネットの外野が何を言っても最終的には増田夫婦には関係ないのでは?
ここで美容院を優先されると自分はとても辛い、一緒に行って欲しいって頼んでみてもだめなのかな?
理由を色々考えてみた
いろんなパターンがありそうかも?
増田がおかしいとか奥さんがおかしいとかそれを外野に判断して欲しいというのはよくわからないな。
夫婦のことなのでインターネットの外野が何を言っても最終的には増田夫婦には関係ないのでは?
ここで美容院を優先されると自分はとても辛い、一緒に行って欲しいって頼んでみてもだめなのかな?
いいえ、完全に同じとは言い難いです。
どちらも困難さを表す表現であることは共通していますが、「ハードルが高い」は挑戦の困難さを表すのに対し、「敷居が高い」は縁を結ぶことの困難さを表します。
ハードルは日常の慣れ親しんだ生活圏の外にあるもので、構造的・論理的な困難を指していることが多いです。例えば「今の実力で英検1級に挑むのはハードルが高い」。
敷居は人によっては日常の中のものであるはずが、社会的・心理的な理由で自分にとってはそうではない、そして敷居の向こうには人の営みがあるという特徴があります。
この社会的・心理的な理由は、戦前までの使われ方では不義理をした等で後ろめたくて訪ねづらいケースに限った用法でしたが、現代では高級さや上品さに気後れすることで縁遠く感じる場面でも使われます。例えば「スタバは陰キャの私にとっては敷居が高い」。
「敷居が高い」は、現代では「気軽には行きにくい」などの意味で使われることが多くなっていますが、伝統的には「不義理・不面目なことなどがあって、その人の家に行きにくい」という意味で使われる語です。
これは何が誤用だとされているんだろう。
「不義理・不面目」限定ということか。それとも「人の家」限定ということなのか。
「敷居が高い」のコアイメージは「部屋の入口にある敷居が高くて入りづらい」というものだろう。
それを転用して「ある場所に行きづらい」という比喩的な意味で慣用句になっている。
「入りづらい」「行きづらい」という点が重要なのであって、その理由が「不義理があるから」でも「高級すぎるから」でもどっちでもいいんじゃないのか、と思うのだが。
仮に、昔は「不義理」用法が多かったんだとしても、だからって「高級すぎる」用法が「誤用」だと言えるほど原義からかけ離れているだろうか。
うーん…食欲、睡眠欲、性欲とあるように生理的な要素だと思うので難しいと思う。
これが浮気とかなら、それは背徳を楽しむ不逞の輩で非難したいけど、理性的な処理の仕方だし。
何より旦那さんは不義理が無いように貴方が第一優先ですって交渉があった訳でしょ?
要は貴方が受け止められなかった器からこぼれた結果が風俗って別の器に行った訳で。
今後、回数は減少しますとも書いてるけど=受け止める器を縮小するって宣言じゃん。
もしくは風俗を許容して、でもそれ以上はダメだと釘打つしかないんじゃ?
で、そういった所謂双方の落とし所を見つけずに譲りませんの一言で済ませた時
貴方以外にこぼれて別の器にこぼれる量は今より多くなる以外の道ってあるの?
主催者と出版社の交渉はどうやら決裂のようで、25日の開催は難しくなったのではないか。
かつての出版社に法的な権利がないとか騒いでいる虫塚虫蔵とやらの言い草は、まさに負け犬の遠吠え。
ならば中古屋が画像を使うのは違法か?などと言っているあたり、もはや権利を完全にはき違えている。
久保書店が不義理な会社だ「逆恨み」とか言ってるあたり、もはや救いようがない。
実際、参加予定の漫画家のなかには、公式イベントと誤解したポストをしている人もいます。
それなのに久保書店にはなんの連絡もなかったという。
商標が切れていようが、久保書店の著作物である権利は消滅しません。
止めるのは、まったくもって正当な権利です。
それにしても横顔の写真を無断でトレスして絵を描いただけで大騒ぎする現代に、
なぜ明確な創作物であるロゴの完全コピーが許されると思ったのやら。
(件の人物は、ロゴの盗用には一切触れていないのも極めて卑怯です)
いちおうは商業出版の経験もある、漫画研究家が主宰している点です。
漫画文化を研究するにあたって、80~90年台のエロ漫画は外せない要素です。
自分達の学術研究(つまりは快楽と自己満足)のためには、権利など無視して構わないという本音が透けてしまった。
恐らくはイベントは中止にして、名前を変えて仕切り直すのでしょう。
たしかに豪華で貴重な登壇者の面々を見ても、これで消えてしまうのは惜しい。
しかし権利元の意向を無視して開催することは、今後においても良い影響を残すとは思えません。
オタクカルチャーにおいて過去を振り返ることが、難しくなってしまう。
なんとも拙いことをしてくれたものです。
俺は事情通だから全て分かってると匂わせ、ただただ久保書店を攻撃している。
仮に彼の主張が正しかったとして、事態を悪化させるだけですよ。
あたかもオフィシャルかのようなロゴや画像を使って集客し、前売りは完売。
こんなやり方は倫理的にどうなのでしょう??