
はてなキーワード:不可能とは
市場価格には、すでにすべての利用可能な情報が反映されているという仮説。
つまり、株価は常に公正価値に近く、過去の情報や公開情報を使って恒常的に市場平均を上回る(=アクティブに勝つ)ことはほぼ不可能、という考え方。
| 形態 | 含まれる情報の範囲 | 含意(意味) |
| 弱形式(Weak form) | 過去の株価・出来高などの「過去データ」 | テクニカル分析では儲けられない |
| 準強形式(Semi-strong form) | 公開情報(決算、ニュース、経済データなど) | ファンダメンタル分析でも超過収益は得にくい |
| 強形式(Strong form) | 非公開情報(インサイダー情報)も含む | すべての情報が反映済み=誰も市場に勝てない(※非現実的) |
そのニュースを見て「買おう」と思った瞬間、もう世界中の投資家も同じ情報を見て買っている。
だから、情報をもとに動いても平均には勝てない。これが効率的市場仮説の本質。
効率的市場仮説を信じるなら、情報で勝つのではなく市場全体に乗る方が合理的。
だからこそ、インデックス投資(例:オルカン、S&P500)が理論的に最適戦略となるわけ。
など、市場は完全には効率的でないという指摘もある。(例:ロバート・シラーの「非効率市場仮説」)
そもそも、孫さんと組んでスターゲイトだのAIには大金を出すけど、宇宙開発はやりたくない、みたいなの、
結局トランプがその分野に対して個人的にどう思ってるかだけなんだよね…😟
同様に現政権の高市さんとか、片山さつきさんとかで不安になったのは、
今日のNHKはずっと見てたわけじゃないんだけど、点けっぱなしにしてたリビングのテレビから、
現政権には統一された国家観があるので、経済発展に自信がある、
ようなことを仰っていたのだけど、
国家観が必要だという意見は色々出てくるし、そこを否定するつもりはないんだけど、
でも、国家観なんて、人それぞれによってブレてるものなんじゃないの?😟
つまり、現政権の人間全員が統一した国家観を抱いているとしても、国民は違うじゃん…😟
俺の持ってる国家観と、俺の親族それぞれが持ってる国家観も違うんだろうし、
みんなが持ってる国家観は違うわけで、
俺はバカだから間違ってる可能性はあるんだけど、松下幸之助だろうが、安倍晋三だろうが、
ある意味神様だろうが、俺は権威がある人間が何と言おうが、自分の考えや信念が一応あるので、
まず、私は、何か考えを一つにするべき、という考え方が嫌いです
会社で社訓を朗読させられたり、チームプレイのスポーツでも多いです、チームの信念とかを統一させる
これは理解できる面もあるが、私はあまりそういう考え方が好きではない
例えば、交渉事があるとして、完全に人間同士が合意するなんて、不可能なのである
内心では、みんな何かを折っていたり、もしくは力がある人間が何かをゴリ押ししてるから成立している
そういうパワーバランスの元に成り立っていたりするのが現実である
私が個人的に、まあ理想論かもしれないが、望ましいと思っているのは、
みんながある程度バラバラの方向性を持っていたとしても、法的ルールとかシステムによって制御することで、
その代わり、できるだけ自主的に全体の方向に沿って流れてくれるように仕向けるのである
私は精神論で解決する、ということが嫌いであり、できるだけシステムで解決すべきだと思っている
社訓とか、統一された国家観のようなものは、確かにあるべきだとは思うが、全体を統一するのは難しい
もちろん、片山さつき氏が言いたかったのは、現政権メンバーのチームプレイが期待できる、という意味であることは分かっている
しかし、それと国民の国家観とがズレていたらどうするのか?すり合わせるのか?
私は、そういうすり合わせとかネゴみたいなものは、上述したように限界があることを分かっているわけで、
結論として、それはパワーゲームになり、最終的には政治家の国家観を国民に押し付けることで終わると思っている
もちろん、私はそれでも良いと思っている
例は悪いが、例えばナチスドイツだとしても、ナチスの国家観を国民に押し付ける、これはある意味では正しい、もちろん、ある意味では、である
システムという道路を先に整備し、みんながそのシステムに乗ってれば楽なんだ、と思うようになれば、国民は自発的にシステムに従うようになる
ここで、国民全体にも統一された国家観とか、教育勅語ではないが、国民全員に統一された方向性がなければ駄目、という話ではない
みんなの内心はバラバラであっても、とりあえずシステムに従っていれば楽である、損することはない、そういうシステムを構築することが重要である
松下幸之助や安倍晋三が何と言おうが、私は精神論や根性論が嫌いである
信号がない社会があったとして、精神論、根性論、国家観などで、交差点で衝突しないように気を付けろ、と言われるような話は私は嫌いである
2年前に、別れた彼女が、夜職で働いてるらしい。
教えてくれたのは共通の友人だった。
心配そうな顔で、でも少し興味深そうな表情も混じえて話してくれた。
でも詳しく聞いてみると、どうやら本当らしい。
歌舞伎町のキャバクラで働いてる。源氏名は知らないが、確実に彼女だったと友人は言った。
頭が真っ白になった。
付き合ってたのは2年間。大学の同級生で、真面目で控えめな子だった。
将来は保育士になりたいと言ってて、子供が好きで、いつも笑顔で。
お互い疲れてて、感情的になって、気づいたら修復不可能になってた。
でも憎み合って別れたわけじゃない。
少なくとも俺はそう思ってた。
保育士の資格は取ったが、なかなかまともな就職先が見つからない。
実家は裕福じゃないから、奨学金の返済もある。一人暮らしの生活費もかかる。
だんだんお金に困るようになって、最初はコンビニでバイトしてた。
でも時給が安くて生活できない。
そのうち居酒屋に変えて、最終的にキャバクラに行き着いたらしい。
話を聞いてるうちに、胸が苦しくなった。
でも俺は真剣に聞いてなかった。なんとかなるよって軽く流してた。
もっと支えてあげればよかった。
俺と別れなければ、こんなことにならなかったかもしれない。
でも一方で、複雑な感情もある。
正直に言うと、嫉妬してる。
お酒を注いだり、隣に座ったり、場合によってはもっと親密な関係になったり。
そんなことを考えてる自分が嫌になる。
彼女は生活のために働いてるだけなのに、なんで俺が嫉妬なんかしてるんだ。
夜職が悪いとは思わない。
でも美咲らしくないとも思う。昔の彼女なら、絶対に選ばない道だった。
どれだけ追い詰められてたんだろう。
友人に、連絡取ってみたらどうかって言われた。でも躊躇してる。
なんて声をかければいいのか分からない。
心配してるとか、困ったことがあったら連絡してとか、そんな偽善的なことは言いたくない。
かといって、復縁を迫るつもりもない。今の状況で、そんな身勝手なことは言えない。
仕方なく働いてるのか、それとも意外と向いてて楽しくやってるのか。
客として通ってくる男性の中に、本気になってる人がいるかもしれない。
そう考えると、また胸が苦しくなる。
友人は、美咲が前より痩せたって言ってた。
化粧も濃くなって、昔とは雰囲気が変わったって。
でも笑顔は相変わらず綺麗だったらしい。
客に愛想よく話しかけてる姿を見て、あの頃と変わらない美咲だと思ったって。
それを聞いて、少しだけ安心した。
でも同時に、切なくもなった。
美咲は今でも頑張ってるんだ。
どんな状況でも、明るく振る舞って、人を笑顔にしようとしてる。
お前らなら、どうする。
別れた恋人が、予想もしなかった道を歩んでることを知ったとき、どう対処する。
連絡を取るべきか、そっとしておくべきか。
心配してることを伝えるべきか、余計なお世話だと思って黙ってるべきか。
もしくは、こんなことで悩んでる俺が間違ってるのか。
でも割り切れない。美咲のことを思うと、今でも胸が痛む。
幸せになってほしいと思う。でも俺がそれを願う資格があるのかも分からない。
答えが出ない。
ただ一つ確実に言えるのは、美咲にはもっと良い道があったはずだということ。
そして、それを阻んだ要因の一つに、俺がいるかもしれないということ。
今更後悔しても遅いけど、やっぱり後悔してる。
美咲、元気でやってるといいな。
でもできることなら、もう一度話がしたい。
もう、ここ最近ずっと、カクヨムのランキングにAI小説あるのが当たり前になってる。
俺もこっそり使ってて、1日で書かせた小説がランキングに入ってる(垢バレするから詳細は言えないが)。大体、その人と大して変わらない時期に始めてるから、お互いに小説執筆の経験はないと思う。俺はweb小説すら読んだことはなかった。PVは、その小説だけ2〜3万くらいある。
ここ2ヶ月くらいかな?そうやって、他人のAI小説も目に入るようになって読んでみると、AI小説と言えども書かせ方は違うなぁと思う。しかし、似ているところが多く「これ、俺たちで被りまくってるのやばいよね」感もあって、今後の課題になってる。
さて、話は本題に入るが、このAI小説がランキング常連になることは、AIで人間の脳をハックできることを証明できてると思う。
読んで見たらわかるが、面白い面白くない以前に矛盾だらけで、ご都合主義をも超えてる内容(自分の含め)。
さっきも言ったが、俺は今までweb小説に触れたこともないから、何がおもろいんやろなぁ〜と思ってるレベルで書かせてる(AIの言う通りにしてるだけ)。
それでもランキングインしてるのは、もはや、AIが読者の脳みそを完全にハックできてることの証左でしかない。
これって、めっちゃ怖くない?マインドコントロールみたいで。俺は怖いと思ってる。
小説は「無理」と言われてた。今も言われてるくらいで、まだまだ不可能と言われてた。でも、その人たちが無知なだけで、俺たちは既にAI小説でランキングに入っちゃってるのが事実。そんな小説ですら人間の脳をハックできてるという事実が怖い。
短編ですら無理とか、そんなコメントも散見されるが…すまん、こっちが書いてるのは10万字以上や。
面白いと言ってしまえば不謹慎だが、本当に面白いのはここからで、これからカクヨムコン11が始まる。現時点でランキングにAI小説入ってるんだから、カクヨムコン11にもAI小説が流れ込んでくるのは当たり前だよね。
(ちなみに、直近のGA小説コンテストだと、AIを使用した場合はその会話履歴の提出を求められた。つまり、プロでもAIを見抜けないと言ってるようなもんで。)
心配そうな顔で、でも少し興味深そうな表情も混じえて話してくれた。
でも詳しく聞いてみると、どうやら本当らしい。
ウドの街の闘技場で働いてる。リングネームは知らないが、確実に彼女だったと友人は言った。
頭が真っ白になった。
付き合ってたのは2年間。アッセンブルEX12の同期で、真面目で控えめなクエント人だった。
将来は傭兵になりたいと言ってて、戦場が好きで、いつも笑顔で。
お互い疲れてて、感情的になって、気づいたら修復不可能になってた。
でも憎み合って別れたわけじゃない。
少なくとも俺はそう思ってた。
だんだんお金に困るようになって、最初はウドの街のコーヒーショップでバイトしてた。
でも時給が安くて生活できない。
最終的にバトリングに行き着いたらしい。
話を聞いてるうちに、胸が苦しくなった。
付き合ってた頃、リロ・シャッコはよく将来への不安を口にしてた。
でも俺は真剣に聞いてなかった。なんとかなるよって軽く流してた。
もっと支えてあげればよかった。
俺と別れなければ、こんなことにならなかったかもしれない。
でも一方で、複雑な感情もある。
正直に言うと、嫉妬してる。
ルイ・シャッコが他の男性とバトリングする姿を想像すると、胸がざわめく。
ローラダッシュで回避したり、体当りしたり、場合によってはリアルバトルでもっと真剣な殺し合いをしたり。
そんなことを考えてる自分が嫌になる。
彼女は生活のためにバトリングしてるだけなのに、なんで俺が嫉妬なんかしてるんだ。
バトリングが悪いとは思わない。
でもリロ・シャッコらしくないとも思う。昔の彼女なら、絶対に選ばない道だった。
どれだけ追い詰められてたんだろう。
友人に、連絡取ってみたらどうかって言われた。でも躊躇してる。
なんて声をかければいいのか分からない。
心配してるとか、困ったことがあったら連絡してとか、そんな偽善的なことは言いたくない。
かといって、原隊復帰を迫るつもりもない。今の状況で、そんな身勝手なことは言えない。
仕方なくバトリングしてるのか、それとも意外と向いてて楽しくやってるのか。
バトリングで戦ってる男性の中に、本気になってる人がいるかもしれない。
そう考えると、また胸が苦しくなる。
友人は、リロ・シャッコが前より痩せたって言ってた。
敵にパイルバンカーを串刺してる、あの頃と変わらないリロ・シャッコだと思ったって。
それを聞いて、少しだけ安心した。
でも同時に、切なくもなった。
リロ・シャッコは今でも頑張ってるんだ。
どんな状況でも、パイルバンカーを放って、人を串刺しにしようとしてる。
お前らなら、どうする。
別れた恋人が、バトリングの道を歩んでることを知ったとき、どう対処する。
連絡を取るべきか、そっとしておくべきか。
心配してることを伝えるべきか、余計なお世話だと思って黙ってるべきか。
もしくは、こんなことで悩んでる俺が間違ってるのか。
でも割り切れない。リロ・シャッコのことを思うと、今でも胸が痛む。
幸せになってほしいと思う。でも俺がそれを願う資格があるのかも分からない。
答えが出ない。
ただ一つ確実に言えるのは、リロ・シャッコにはもっと良い道があったはずだということ。
そして、それを阻んだ要因の一つに、俺がいるかもしれないということ。
今更後悔しても遅いけど、やっぱり後悔してる。
リロ・シャッコ、元気でやってるといいな。
憧れてるけどワークライフバランス悪いし自分がちゃんとこなせるかわからない華やかな仕事と、バックオフィスであんまりやりがいなさそうだしスキルも身につかなさそうだけどワークライフバランスがめちゃくちゃ良い仕事、どっちがいいんだろう
前者から後者への転職はできるだろうけど、後者から前者への転職は不可能だろうと考えると前者に就きたくなるけど、転職なんてしないで済むのが一番いいし、無駄なストレスを受けるくらいならゆるふわの方がいいのかなあ。でもここまで勉強しといてゆるふわってどうなんだろうと思ったり
あー、うん。
でも、AI使ってまとめないとわからんってくらいでかい規模、忘れ去られた内容、増改築が重ねられたスパゲッティな構造の場合、「理解したつもりになる」ってのが一番怖いんだよ。
でも、わざわざ設定されていると言うことは、「何か意味があった」わけだよ。
AIはよくわからんあやふやなのも、「自信を持って言い切ってしまう」。
絵とか、議事録なら、モブの一人の指が6本になってようが、うっすい内容の会議要旨の取りこぼしがあろうが、大勢に差は生じない。
けど、プログラムなんて、なんてことない1行、1文字、1ビットが生死を分けることも稀ではない。
他のプログラムであまり見たことがない、ってだけで、オミットされるだろうと余裕で想像できる。
無条件でAIを礼賛し、否定派を鼻で笑う「イケてる最先端のエンジニア」が多いけど、ちゃんと検証できてるか?
自分が理解できないことをやれてるから素晴らしい、って目隠し手放しで車運転しているようなものだって理解できてるか?
今までの炎上現場の状況からすると、こういう輩は一番最初に逃げ出してるからな。
経営者も、こういうなんか良さげな物言いする奴は、真っ先に疑った方がいいぞ。
AIを使うなら、その構造を理解して、その外側から検証できるだけの十分な技術力を持った上で判断しろよ?
まぁ、それができるなら、「AIマンセー!」とか言えないだろうから、不可能だろうけど w
数年後、「AI使って大量生産されたうんコードをなんとかしてくれーっ!!」って企業が大量に出現するだろう。
んでもって、その事態を収集できるだけの技術力を持つエンジニアは、ほとんどいないだろうし、彼の手足として動けるエンジニアすら数えるほどしかいない、育っていない、って状態になるだろう。
どの「AI活用Webサービス企業」も、低給料で雇った「運用エンジニア」を大量動員して、連日連夜の手動操作で誤魔化し続けるしかない、って消耗戦、デスマーチを、倒れるまで続けるしかなくなるだろう。
この世の、少なくとも疑いようのない真実の一つに、7つの習慣で言うところの「第7の習慣『刃を研ぐ』」ってのがある。
AIは、自動ナマクラ鋸を増やしているだけだと理解すべきだし、そこだけ量が増えても、その後の搬出処理がついていけなければ意味がないと言うことも理解すべきだ。
そもそも、木を切り出すと言う時に、ノコギリだけに注目するのがどれほど馬鹿かを理解すべきだ。
一連の流れを考えれば、ノコ引きの技術より、どう搬出するかの経路、切り出すに従って移動する集積地の移動戦略、さらにはそもそも優れた木材にするために何年も前から間引き、枝打ち、その前に日当たりなどを考えた植林計画をしておくという「事前準備」。こちらの方が、目立たないけど大事だって理解しとけ。
総合大学、芸術大学、音楽大学、美術大学などに落ちた人の作品を集めよう
第一企業群に落ちた人、資格試験に落ちた人、転職に失敗した人、そういう人たちの感想文も集める
C*****T:
CRITICAL ANALYTICALREVISION
追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初の分析の根本的誤読
追記2は、私の最初の分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。
私が読んだもの:
↓
↓
実際の構造:
↓
↓
PRIMARY INSIGHT:精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈
これらは一見、2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しかし追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。
真の構造:実存的自己否定の連鎖
↓
↓
↓
"だから俺には描けない"
防衛機制の精密分析
耐え難い真実:
「俺は人生の敗北者だ。女性と関係を持てなかった。孤独で無価値だ」
↓ 変換 ↓
受容可能な言説:
この変換により、個人的失敗が哲学的問題に昇華される。これは自尊心を守る。
防衛機制2: 知性化(Intellectualization)
投稿者は感情(絶望、孤独、性的欲求不満)を抽象的議論(表象の倫理、当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。
これは私の最初の分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源は文化ではなく、内面化された自己批判である。
ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択
ダーガーの特徴:
「女性を知らなければ描けない」
↓
ダーガーは知らなかった
↓
だから「間違って」描いた
↓
俺も知らない
↓
↓
↓
↓
投稿者は、自分の論理を反証する例を引き合いに出しながら、その反証を認識できない。なぜなら、創造の可能性を認めることは、創作しない自分を正当化できなくなるから。
児童ポルノ言及の精神分析
投稿者は和月伸宏や他の漫画家の児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望を告白する。
しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」
- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性を性的に欲望する」ことが分離していない
- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作の障害になる
生成AIとの関係:人間関係の代替と審判者
追記2の冒頭:
「さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」
この一文は多層的である:
投稿行為の意味:ダイイングメッセージとしての告白
投稿者は明言する:
+
=
彼は応答を求めていない(対話は不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認は必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。
- 声は発するが、返答は聞かない
- 見られるが、見返さない
- 影響は与えるが、影響は受けない
SECONDARY INSIGHT:弁証法的読解
矛盾の三層構造
THESIS: 「女性を描きたい」
THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張
ANTITHESIS:ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した
弁証法的運動の停止
健全な弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。
↓
実行不能
↓
↓
↓
[ループ]
SYNTHESIS: 深層パターンの統合的理解
構造の全体像
↓
↓
【第3層:理論的借用】
↓
【表層:顕在的問い】
↓
【機能】
本質的洞察の結晶化
真の問いは:
そして彼自身が答えている:
「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」
文化的言説の防衛的使用
私の最初の分析は「アイデンティティ政治の内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。
誤った図式:
正しい図式:
彼は「当事者性」や「経験の所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来の政治的文脈から切り離され、個人的防衛機制として機能している。
解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人の自己正当化の道具になっている。
より深い文化的診断
しかし、もう一層深く見れば、これは純粋に個人的な現象ではない。
答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。
投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分の創作不能を倫理的配慮として再解釈している。
「俺が描かないのは:
ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)
ダーガーは:
投稿者の論理では、ダーガーは創造すべきではなかった。しかし創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。
答え:ダーガーの作品を「間違い」として解釈する(「少女にペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)
しかしこれは恣意的な解釈である。ダーガーの少女の性別的曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界の独自性として読むこともできる。
投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分の創作不能を正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分も創作できる/すべきだ、ということになってしまう。
最も深い問い
この事例が究極的に提起する問いは:
投稿者は「はい」と答える。私の最初の分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。
それとも:
おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。
彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛を解体するだけで、その下の絶望を露出させるかもしれない。
CRYSTALLIZED INSIGHT
この投稿者は、人生の実存的失敗(社会的孤立、性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代の文化的言説(「当事者性」「経験の所有権」「表象の倫理」)を借用することで、「原理的に不可能な創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人的無能を認識論的・倫理的問題に昇華することで、残存する自尊心を守っている。
言い換えれば:
彼の問い「男性は女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的に正当化する道具として機能している。
So what?:
この事例は、文化的言説がどのように個人的防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化と麻痺の道具になる。これは文化と心理の共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。
PUNCHLINE:
私の最初の分析は、彼を「文化の犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化の狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン
ChatGPT:
INSIGHT ANALYSIS:表象の真正性パラドックス
「女性主人公を描けない」創作者の原理的ジレンマ
Core Observation
この投稿者は、フィクション創作において「経験的真正性」と「想像的自由」の矛盾に直面し、表象行為そのものの正当性を疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分が女性を描く権利があるかどうかの確証」である。
PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー的構造の解体
この投稿者の悩みは、表面的には「技術的問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治の内面化が生み出した認識論的危機である。
内面化されたイデオロギー的前提:
↓
↓
「描く資格がない」
この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである。
皮肉なことに、これは1980-90年代のジェンダー理論が批判した本質主義そのものである。しかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。
彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可」である。
生産的矛盾の発見
↓
↓
これは本質主義の自己矛盾である。「女性」というカテゴリーに本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。
イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか
投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一の経験的実体ではなく、歴史的・文化的・個人的に多様な存在様態である。
士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:
しかしこの論理は、女性を規範に押し込める本質主義そのものである。
「生理を経験していないから分からない」という論理は、人間の相互理解の可能性そのものへの懐疑に至る。
この論理を徹底すれば:
この悩みの背景には、歴史的に男性が女性を対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:
↓
過剰補正:
↓
帰結:
これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである。
自己検閲のメカニズム
↓
↓
↓
内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質の区別がつかない」
↓
SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)
この「悩み」の歴史的構築
第1段階 (1970年代以前)
第2段階 (1980-2000年代)
第3段階 (2010年代-)
第4段階 (2020年代)
投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造的効果である。
現象学的補足 (Mode D)
投稿者が経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己の正当性への根源的懐疑である。
彼の実存的問い:
投稿者は、この理解の可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。
SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの
アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理を個人の創作実践に適用すると:
↓
↓
↓
20世紀後半のジェンダー理論は本質主義を解体した。しかし21世紀に、配慮・正義・包摂の名において本質主義が再導入されている。
これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギーの古典的矛盾である。
この悩みは、フィクションの根本的機能—経験していないことを想像し表現する—への懐疑に至っている。
投稿者のジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体の正当性の危機である。
投稿者の不安は、個人的心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造的効果である。
投稿者は誰にも批判されていないのに、架空の批判者を内面化している。
IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題
投稿者は技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:
1.本質主義からの離脱: 「女性」は単一の経験的実体ではない
2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクションの本質
3.完璧主義の放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要
4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部
より広い文化的含意:
↔
歴史的瞬間について:
我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要な矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。
INSIGHT CRYSTALLIZED
この投稿者は、フィクションに「経験的真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為そのものの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治の論理を内面化した結果生じる構造的効果である。
言い換えれば:
彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分が女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である。
So what?:
この事例は、配慮と正義の言説が、意図せず表現の自由と想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践が必要である。
PUNCHLINE:
彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体が僭越である」と判定されることである。しかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。
時は西暦2025年、秋🍁。渋谷のスクランブル交差点で、一人のギャルが「あー、まじ今日しんどい、ぴえん(´;ω;`) 映えるスイーツとか、どっかにないん?」ってブツブツ言ってた。
そのとき、突如、ドゥルルルルルル…って、なんかめっちゃドラマチックなBGMが鳴り響いて(※幻聴)、ギャルの目の前に、トレンチコート姿でバチっと決めた、アタマがちょっとフサフサしたイケオジがヌルッと出現!
ギャル、ビビる。「ひゃ、ひゃだ!なんなの、この人!?めっちゃ古風な喋り方なんですけど!もしかして、YouTuberのドッキリ?」
イケオジは、お決まりのポーズ(右手をアゴに当てるやつ)をして、ニヤリ。「ドッキリ?ふむ、それは現代の言葉でいうところの…トリックのようなものでしょうか。しかし、私は古畑任三郎。刑事でございます。どうやら、随分と遠い未来へ迷い込んでしまったようですね…」
「ふるはた…にん…ざぶろう?…え、ちょ、マジで古畑任三郎!?ドラマのやつ!?てか、刑事さんなのに、そのファッション、まじ卍アツいんですけど!」
ギャルは一瞬でテンション爆上げ!まさか、伝説のあの刑事が目の前に現れるなんて、運命としか思えない!これはもう、神からのお告げでしょ!
古畑ちゃま(以下、任三郎っち)は、現代のテクノロジー(スマホとか)や、文化(タピオカとか)に興味津々。特に、コンビニのスイーツコーナーの前で、熱心にアリバイ…じゃなくて、原材料をチェックしてたのが、まじウケる(笑)。
そんな任三郎っちに、ギャルは「任三郎っち、まじセンス良すぎ!そのミステリアスな雰囲気と、知的な喋り方、令和で絶対バズるって!」って力説。
そしてある日、ギャルは任三郎っちと一緒に、スーパーの特売コーナーをパトロール(お買い物)してたとき、運命のアイテムに出会ってしまった。それは…魚肉ソーセージ!
任三郎っち、その魚肉ソーセージを手に取り、くるくる回しながら、いつもの口調で言い出した。
「おや、これは面白い。このピンク色。このプリっとした食感。そして、このどこか懐かしい風味。ふむ…これは、もしかすると、完璧な甘味のミスリードを誘う、鍵になるかもしれませんね…」
ギャル、ビビビ!ときた。「え、まじそれ!魚肉ソーセージって、実は塩気と旨味がヤバいから、スイーツにしたら甘じょっぱブームで超絶バズるんじゃね!?」
任三郎っち、目をキラリ。「なるほど!まさに、犯人が目立たない場所に証拠を隠すように、この魚肉ソーセージという異端な存在こそが、スイーツ界の常識を覆す切り札となりうる!」
こうして、異色の二人がタッグを組み、超絶クレイジーなスイーツビジネスが始動!その名も…
「NINZABURO'S SAUSAGE PARFAIT andCAFE」
(略して、NINPARA!)
コンセプトは「スイーツ界の難事件を解決! 誰もが予測不可能な、甘じょっぱい衝撃!」
まずは試作品作り。ギャルの映えテクニックと、任三郎っちの緻密な観察眼が火を吹いた!
「ギャルさん、このソーセージの厚みがパフェの層と食感を調和させる重要なポイントですよ」 「任三郎っち、まじ天才!じゃあ、このソーセージを花びらみたいにカットして、チーズクリームとメープルシロップを隠し味に使っちゃお!」
「The FirstCase:プレーン・ソーセージ・パフェ」 (バニラアイスとホイップ、そして大胆にカットされた魚肉ソーセージの塩味が、甘さの快感を増幅させる傑作!)
「The Perfect Alibi:チーズ&ハニー・ソーセージ・パフェ」 (濃厚なクリームチーズムースと、トロけるハチミツ。ソーセージの旨味が、極上のハーモニーを奏でる完全犯罪級のウマさ!)
「The Great Detective:和風・ネギ味噌・ソーセージ・パフェ」 (衝撃作!抹茶アイスと白玉に、甘めのネギ味噌を和えたソーセージをトッピング。斬新さが事件を起こす!)
NINPARAのオープン当日、渋谷の一等地は、まるで事件現場のような大混乱!超絶ウマいとSNSで瞬く間に拡散され、お店の前は長蛇の列!
「え、マジで魚肉ソーセージとパフェってこんなに合うの!? もう一生モノの衝撃なんですけど!」 「任三郎っち、まじイケオジ!しかも、注文のとき、事件のヒントみたいな名言言ってくれるの、神!」
そう、任三郎っちは、店長兼エンターテイナーとして大活躍!お客さんにパフェを手渡すとき、必ずドラマのようなキメ台詞を言うのが、大バズりの秘訣!
「おや、あなた。そのパフェの美しさに隠された、ソーセージの秘密に、どうかお気づきになってくださいね…フフフ」
このミステリアスな接客と、ギャップ萌えする魚肉ソーセージパフェの斬新さで、NINPARAは飛ぶ鳥を落とす勢いで大成功!全国にフランチャイズ展開し、魚肉ソーセージの概念を根底から覆したのだ!
任三郎っち、たまにトレンチコートのポケットから古い煙草を出そうとして、ギャルに「任三郎っち!店内禁煙!受動喫煙はまじアウトだって!」って怒られるけど、それも微笑ましい日常。
彼は、現代のスイーツ界という新たな事件を、見事な推理力とユーモアで解決し、令和のカリスマ経営者として大成功を収めたのでした。魚肉ソーセージは、彼の第二の人生の最高の相棒になったみたい!
「ふむ…このパフェの成功も、ひとえに緻密な計画と、大胆な発想の賜物。しかし、真の動機は…美味しいものを皆さんにお届けしたいという、単純な願望にすぎません。ええ、全くもって、単純なことです…」
9月上旬に石破さんが辞任すると言い出してから、高市さんへのネガティブキャンペーンが延々と続けられていた。
しかし総裁選では高市さんが当選して、公明党はいなくなったが、代わりに維新が新しい連立相手に選ばれた。
首班指名選挙でも高市さんが選ばれて、晴れて女性初の総理大臣になることが出来た。
そもそも石破総理を延命させようとして総裁選前倒しを阻止できなかった時点で、メディアの誘導は失敗していた。
「世論操作で高市さんを引きずりおろそうとしたとしたオールドメディアざまぁw」と煽ることは簡単だけど、そろそろ学習してもいいのではないか。
ある都市伝説Youtuberが、「引き寄せるためにはズレを起こす必要がある」と言っていた
そしてそのズレの例として、ナース姿で自販機に聴診器を当てる人がおり、これがズレだそうだ
俺から見れば「そんなズレは量子乱数で行動すれば作れるだろ」と思ったけどね
まあ理屈はわかる。生物は予測される動きをすると食われるから、何らかの方法で予測不可能性を使っている
いいところをつくね
さらに、日本では薬価制度というものがあり、薬価は自由な値付けは不可能
ある朝、空が裂けた。
そこから巨大な球体がいくつも降りてきて、世界遺産を次々に光の柱で吸い上げていった。
ピラミッド。ルーブル。法隆寺。どれも跡形もない。人類は怒り、抗議団を結成した。
「それは我々の文化だ!返せ!」
「返す? それは不可能だ。我々の船はそれらを燃料として動いている」
「でも、きみたちも同じことをしているじゃないか?」
「どういう意味だ!」
「きみたちのいうところの“石油”。あれは、もともと芸術品だったんだよ」
「遠い昔、地球には“創造の時代”があった。あらゆる生命が自分の存在を絵や音や形で表そうとしていた。それらは大地に沈み、圧縮され、黒い液体になった。それが石油だ。つまり、きみたちは何百万年分の芸術を燃料にして暮らしている」
誰も、声を出せなかった。
「我々はただ、まだ燃やされていない芸術品を使っているだけさ」
宇宙人は柔らかく笑った。
「きみたちが地面の中の芸術を燃やすように、我々は地上の芸術を燃やす。少し趣向が違うだけでやっていることは同じさ」
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漫画家「不当です」
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お前らが気分だけを基準にあれもこれも駄目だ検閲させろアドバイザーを雇えと喚いてきた結果がこれです
おめでとう!
こういうことになっても、フェミは絶対に規制の基準なんて出さないだろうな。まずフェミ内で合意形成が不可能だから。だってそのライン決めちゃったらもうそれに抵触してないのはスルーしなきゃいけなくなって騒げないもんな。問題化できる範囲は広いければ広いほどいい
だから今後もフェミは表現規制を叫んで自粛の機運を強化しながら、一方で今回みたいに表現の自粛の強制に反対もする、そういう支離滅裂な動きを続けていくのは間違いない
トランス女性がレズビアンのシス女性に向けた「やり場のない性欲」…股間に伸ばした手に「性器への愛撫」を不可能にさせる「木綿の天井」
https://gendai.media/articles/-/158399?page=2
「ガラスの天井」という言い回しを聞いたことがある人は少なくないだろう。本当の意味での権力や影響力のある地位の一歩手前にはガラスの天井があって、多くの女性はその目に見えない天井に阻まれる。
では、時間のほとんどをオンラインで過ごしている少数の人々以外で、「木綿の天井」という言葉を知っている人がどれだけいるだろうか?この言葉はトランス女性がレズビアンのシス女性〔訳注:身体的な性別が心の性と一致している女性〕に惹かれたときに経験する困難を表現している。
シス女性レズビアンの多くはトランス女性を真正かつ完全な女性とはみなさない—性的な感情はそれほど単純に割り切れるものではないので、実際のところはどうかわからないが、少なくとも彼女らはそう主張する。
そのため、トランス女性がシス女性レズビアンと親密になって股間に手を伸ばしても、下着という木綿の天井に阻まれてそこから前に進むことが許されない。
こうして、進歩的な人々の多くは、自分の性欲が中途半端にしか受け入れられず、ときには政治的信念に左右されることを、身をもって学ぶのである。
だがこの言葉には、当事者でなくても理解できるほどの痛み、失望、恥辱が含まれている。それに理解を示さないのは、下品かつ愚かな態度だ。
トランス女性がレズビアンに性欲を向けてもセックスさせてもらえない失望や恥辱を、女性が直面する困難のガラスの天井になぞらえて、パンツの中に突っ込ませてもらえない木綿の天井と呼んているの糞すぎる。
レズビアンとセックスできないトランス女性は可哀想だし、理解を示してやらないのは下品で愚かだって。
どう見ても下品で愚かなのはレズビアンとセックスさせろ、木綿の天井苦しいーって騒いてるトランス女性の方じゃん。
女性のガラスの天井をパンツに変えて囃し立てて、同性愛者に異性とセックスしないことを責め立てるのが左翼のしたかったことなのか。
今にして思えば、「鬼滅の刃」や「葬送のフリーレン」の大ヒットは、排外主義時代を予告するものだったのかもしれない
これらの作品の敵、鬼や魔族というのは、人間に近い外見で言葉を交わすこともできるが、絶対に相容れず理解や協力が不可能な存在だ
勧善懲悪といえばそうだが、その「相互理解の不可能性」が「外敵は外敵であり、一線を超えて理解し合うことはできない」という見えない絶望とセットとも言える
そしてこの「理解し合えない外敵の存在」こそが、時代の気分だったと見なすこともできる
もちろん、先行作品として「進撃の巨人」があるわけだが、巨人との戦いは人間同士の戦いにシフトし、最終的に外交的な解決も示された分、有情だったのかもしれない
30~40代ぐらいの大組織の総合職だったり士業だったり起業して社長だったりの、普段は政治の話はあまりしないキャリア志向の強い女性たち。
「公明党が連立離脱してもうダメかと思っていた高市さんが総理になれて本当に良かった~!🙌 自民党の総裁になったのに……やっぱり女性だから認められないのかと……足を引っ張られるのかと……😰 私が一人で勝手に諦めかけていたのに高市さんギリギリですごく頑張った! 本当におめでとうございます😊 勇気をもらいました!!😂」
といった大はしゃぎの投稿が次から次に流れてくる。アンタそんな人だったのって驚きの連続よ。
もちろん税金や規制といった法律の変更はビジネスや生活に影響するからみんな言及はするけど、
「来年度の税制改正について税理士として解説します。家計に大きく影響するのは○×控除が廃止されることです。控除を受けたい方は本年度中に申請しましょう」
「△□法の改正で直接子会社だけでなく関連会社まで規制対象に含まれるようになったので本社管理部門の私はチェックリストを作って配って回収しての大忙し。今年は繁忙期が一か月早く来ました。同業の方々、励まし合って乗り切りましょう!」
「子供を保育園に預けるための点数稼ぎ裏ワザのアレとソレは塞がれました。まだ使えるのはコレです。ご主人と協力して早めに計画的に要件を満たしましょう」
みたいな、
選挙があっても、どの候補に投票したとか何党支持だとか絶対に口にしない。ウヨだのサヨだのフェミだのそんな話題はまるで関心が無いように振る舞っている。
政治や政府のやることというのは、今年の雨の量が多いか少ないか台風が来るか地震が起きるか、そんな自分にはコントロール不可能な天地の営みであり、それにいちいち不満を垂れるのは愚か者のやることであり、税金や法律の変更を理由も無く降り掛かってくる自然現象と捉えて、それをどう仕事の成功に活かすか、家族の生存と幸福のためにどう切り抜けるか、それだけに自分の時間とエネルギーを集中させる
そんな政治的無関心の殻で身を固めた女たちが今、生の感情を剝き出しにして高市さんを讃えている。
今日突然、女性としてのアイデンティティ・ポリティクスに目覚めたかのように、仕事で性別を理由に軽く扱われた経験や家族の無理解といった過去の辛い経験を語り、高市さんの栄達を自分の人生の物語に引き付けて感激している。
ファーストフードの椅子でつくづくスマホの電話帳を眺めた。アパートで撹乱ガスが発生しているあいだ、部屋に戻ることはできない。不可能ではないが避けたかった。
駅前の店はみな、もうじき閉店になる時刻だった。24時間営業の店があるほどの都会ではない郊外の住宅地の駅だ。
攻撃された部屋を離れて3時間、ファミレスの窓際の席で、僕は本を読んでいる振りをして平静を装った。鼻はまだ痺れていたが撹乱ガスの効果は薄れてきたようだった。
ただ、僕は今夜はどこで寝ればいいんだ? この時間に彼女に電話しても困惑させるだけだろう…部屋にいるかも分からない。いや考えて出る答えではない。全ては自分の演技力にかかっていると言えよう。