
はてなキーワード:不介入とは
最近Xを開くと、彼女の名前を目にしない日がない。彼女に関連する話題は常に投下される為、ユーザーがそれに反応する。そして鹿乃氏(や氏の擁護派)がさらに反応して…、と何かと話題が尽きない。
私はそんな鹿乃氏と限りなく同じ思考、価値観を持つ人間が身内にいたことがある。その為今回の騒動を遠くから眺めていると、昔の事を思い出すことが多くなった。気持ち的には「ここ進研ゼミでやった所だ!」に近い。
何故彼女がこんな言動を取るのか?周りの人間はどのように関わっていくのが適切なのか?そういった疑問を、私の体験談から共有していきたい。また今後彼女に関わっていきたい人は、彼女への関わり方の参考にしてもらいたい。
仮にその身内のことをXとする。以下長文になるが、暇だという人は三連休の暇つぶしに読んでくれると有り難い。
Xは昔からわがままでよく嘘をつき、承認欲求が強く見栄っ張りな人だった。ただ愛嬌はあり、同い年や年下よりの友達は少ないが、歳上の人間に好かれるような人間だった。その為「自分は他の人間より精神年齢が高い」「自分の考え方は同僚より大人びている」というのが基本のスタンスだったが、単に年が近い人間からすれば関わりにくいだけである。
鹿乃氏が全くXと同じとまでは言わないが、これに近い考え方が多少なりともあるのではないか。
〇Xは討論をよく好む人間だった
Xは自分の考えを口に出し、相手を負かすことが大好きだった。そんな彼の性分から見て、討論というものはうってつけだったのだろう。何かにつけて最近の話題について討論をしたがる人間だった。
そしてXが討論を好んだ理由は他にもある。それは討論というものを通すと誰かと合法的に関われるからである。ついでに言うと、自分の知識や考えをひけらかすには絶好の機会だからというのもある。
Xはいつも孤立していた。だからなんだかんだ同界隈・同年代の人間との交流に飢えていた。そして討論を通して他の人間と関わると、「話が合わない」「レベルが低い」と罵倒する。そして自分を正当化して他のコミュニティに移り、また同じような扱いを受ける…、その繰り返しだった。
鹿乃氏の場合、Xにとっての討論のような存在がSNSなのではないかと思う。しかもSNSは自分の意見と近い者同士で集まりやすいため、自分への批判的な意見というものは特に受け入れがたく感じてしまうだろう。そしてそんな鹿乃氏を見て面白がる層も集まりやすい。Xの好んでいた討論という場よりも質が悪いなとつくづく思う。
ここで少し話は逸れるが、会話においてXは話が通じない人間だった。
彼は何か自分の意見を言う時、あえて「AともBともとれる」ように発言する。そしてそれを聞いた人間は「それってAってことだろ」と言う。それに対して「いやAなんて一言も言ってないが?Bという可能性は考えないのか?」と答える。「じゃあBということか」と聞くと、「そう断定した事実はない」と言う。本当に話していて疲れる。
何故そんな事を言うのかというと、1つは「相手の隙をつつくため」である。とにかく相手の優位に立ちたい性分の為相手の粗を探す。相手の失言を拾うためにわざと自分の発言をぼかして言う。そして相手の粗を指摘したら自分は優位になれる(=自分は相手の隙を逃さないほどの賢い人間である)と本人は思っているが、周りから見たらそれは揚げ足取りである。
もう1つは「図星を突かれても後で逃げることができるから」である。あえてふわふわとした発言をすることで、「嘘はついていない」という事と「相手を言葉で打ち負かした」という事が両立できる。どれだけ自分にとって都合の悪い事や図星になるようなことを言われても合法的に逃げることができる為、Xはこの手法を好んで使っていた。
私の個人的な意見だが、鹿乃氏の発言にも似たような点があると感じる。本人は相手より一枚上手のつもりで話しているのだろうが、こちらからすると一人で勝手に盛り上がってるんだ、と正直思ってしまう。
〇過去の称賛を一生擦ってくる
Xは、過去に友人の落とし物を街中で探し当てたことがある。一生見つからないと思われていた落とし物を見つけてくれたのだから、その時友人はとてもXに感謝をしていた。
しかしその事をXは数年経っても、全く関係のない場面でも、事あるごとにその話を持ち出す。例の友人と言い合いになった時でも、「あの時お前の落とし物拾ってやったんだから」という枕詞をつける。非常にうざい。
つまるところXは一度受けた称賛や成功にずっと縋っている、過去に生きている人間なのである。何度でも褒めてほしいし、何度でも光を浴びたい。だから過去の自分を捨てることができずに一生繰り返す。過去の栄光の中毒である。
鹿乃氏にとってそれはコスプレだったのではないか。一度バズったコスプレの件が忘れられないから、全く関係のない所でもコスプレをする。そして周りの人間からすれば「なぜこんなところでコスプレを?」と思ってしまう。過去に称賛を受けたことを一生擦ってくるXと非常によく似ていると思った。
〇ダブルスタンダードは当たり前
Xは自分には甘く、相手には厳しい人間だった。人間だから失敗することはあるだろうに、何か相手が失敗をすると「反省しろ!猛省しろ!」と言い土下座を強要していた。
だが自分が何か失敗をすると「人間なんだから失敗するに決まってるだろ」と逃げる。そしてこの時よく主語を大きくして言うのを覚えている。
何故こんな事になったかというと、Xは「そういう天然キャラ」で子供の頃から許されていたからである。愛嬌があるけどちょっと抜けてる所があり、周りの大人は「まあでも人間だから失敗することあるよね〜」と許す。そしてその子供の頃の話を大人になってもずっと引きずっているのだ。
だから「自分は今まで許されたんだから良い」「でもお前はそうじゃないだろ」という考えになる。Xにとっては今までそれで許されてきたのかもしれないが、こちらからするとそんな事知ったこっちゃない。というかもういい大人が何を言っているんだ。それが許されるはせめて10代後半までだろう。としかならない。
これも上記で述べた「Xは過去に生きている人間」という事と似ている気がする。精神がずっと子供なのを本人は若々しいと誤認し、身体と扱われ方だけが大人になってしまったのだ。本人はそれに耐え切れず、不当な扱いだと思い発狂してしまう。
恐らく鹿乃氏も同じような状況なのではないか。20代前半までは何かやらかしたとしても周りの人間も大目に見てくれるし、大事にしたりはしない。しかしそれに味を占めてダブスタを繰り返しても、いつかはそれが通用しなくなる。まさに今がそのいつかなのではないか。
〇チャンスをよく逃す
こんなXでも、助けてあげようと手を差し伸べてくれる仏のような存在がいた。Xの言動で何か問題が起きた時でも「次こうならないようにすれば大丈夫だから」「お前の言い方キツイ所は少しずつ治していこうな」等、声をかけてくれる。心の底から尊敬してしまう。
しかしXは「お前は何様だ」「それで事態は良くなるのか」と返してしまう人間だった。自身の置かれている状況が本当に理解できていない。プライドが邪魔をして「弱い自分を助けてくれる人間」を拒絶してしまう。ここで相手の意見を汲むとその「弱い自分」を認めることになってしまうからだ。
例えるなら眼の前に蜘蛛の糸が垂れてきたとしても、「どうしてもっと早く垂らしてくれなかったんだ」「本当にこの糸は信用できるのか」と言うようなものだ。そして糸が切れたらその糸を垂らした人間に対しての文句を、一生地獄で言うタイプだ。救いようがない。
〇Xの結末
そんなXはどうなったかと言うと、ある時ストーカー紛いの事件を起こして警察のお世話になった。お得意の知識のひけらかしで「警察は民事不介入だから〜」と言い訳をしても、警察には通用しなかった。なんとも滑稽である。
今現在はXは誰にも相手にされず文字通り1人で生きている。そしてその状況に対して、身内であるにも関わらず私は本当に関心がない。Xが何処かで生きている、という事実だけでお腹いっぱいの為、それ以上の情報はいらない。薄情だと思うかもしれないが許してほしい。
恐らく鹿乃氏はXより若い。まだ間に合うからXのようにならないでほしい。今はSNSで良くも悪くも相手をしてくれる人間がいるから実感が沸かないかもしれないが、本当に辛いのはこの騒動が収まってからではないか。誰も相手にしてくれず、話題にもされず、アンタッチャブルなものとして扱われる。現在のXはまさにこのような扱いであり、本当に惨めな存在である。
必要以上に関わる必要はない。何を言ってもXの心には響かなかった。それと同じく今の鹿乃氏に通じる言葉はないだろう。今は特に触れない方が良い。
そして然るべき時がいつか絶対に来る。Xはその然るべき時が警察の介入だった。世の中には有難いことに、Xのような人間を対処してくれるプロがいる。そういう人間に任せるべきだ。そうしないと周りの人間が先に倒れてしまう。どうしても関わりたいのなら、自分が倒れる覚悟で関わるのが良いと私は考える。
まだ他に語りたい事はあるが、私は今の鹿乃氏を見ているとXを見ているようでなんとも言えない気持ちになる。コスプレがどうとか、今はその段階を超えている。私は鹿乃氏と関係がないし、こんな事を書いた所でお節介と思うかもしれない。だが実際彼女のような言動を繰り返し社会から拒絶された人間を私は知っている。Xのようになってほしくない。ただそれだけでこの文を書いた。
「立ち入り禁止」とだけ書いている場合でも立ち入った場合は通報しますよ、ということを前提にしていると思う
↑この時点でおかしい
「立ち入り禁止」と書いているんだから、それは「立ち入り禁止」なんだよ。
例えば「立ち入り禁止」の場所に入る行為は、a)違法行為になる場合もあれば、b)違法行為とならない場合もある。
b)の違法行為とならない場合は、警察は介入できない。民事不介入ってやつ。つまり通報するだけ時間の無駄。
a)かb)かどっちかわからないのに、「通報しますよ、ということを前提にしていると思う」のは誤読だよ。
クラウドワークスで受注した仕事について、契約済み+成果物を納品済み(クライアントも質を認めている)でも、クライアントが契約を終了したいと思ったら最終的にはできるっぽい。
報酬は支払われず、納品済みの成果物は相手の手元に渡っている。事務局は助けてくれない。
…という構造があることを知って学びになったので、詳細を共有したい。フリーランスのみんな、強く生きよう…!
仕事をするって大変ですね。
本論では、鎌倉幕府を中心とする中世武家政権が天皇の権威を不可欠な基盤として成立した事実を、制度的・経済的・象徴的次元から多角的に検証する。
日本史上の権力構造が「権威(天皇)」と「権力(武家)」の二元性によって特徴付けられることを示し、摂関政治から江戸幕府に至るまで一貫してこの原理が機能したことを論証する。
鎌倉幕府の創始者・源頼朝が1192年に「征夷大将軍」に任命された事実は、武家政権の法的根拠が朝廷の官位授与に依存していたことを端的に示す。
この官職は律令制下で蝦夷征討を目的とした令外官であったが、頼朝はその任命を以て東国支配権の公認を得た。
特に1185年の「寿永二年十月宣旨」において、頼朝が東国における荘園・国衙領の警察権を公式に認められたことが、朝廷との制度的紐帯を強化した。
承久の乱(1221年)後に全国に拡大した守護地頭制は、幕府が朝廷の荘園管理システムに介入する手段となった。
地頭による年貢徴収権の獲得(1221年「新補地頭法」)は、一方で幕府の経済基盤を強化しつつ、他方で朝廷へ一定の税収を保証する相互依存関係を形成した。
この共生関係は、幕府が朝廷の経済的存続を担保することで自らの支配正当性を補完する機能を有していた。
鎌倉時代後期の両統迭立期(持明院統と大覚寺統)において、幕府が皇位継承に介入した背景には、三種の神器の所在が正統性の根拠とされた神権政治の論理が存在した。
例えば後嵯峨天皇の治世(1242-1246年)において、幕府は神器の継承過程を監視しつつ、自らが「治天の君」選定の仲裁者となることで権威の源泉を掌握しようとした。
朝廷が主宰する新嘗祭や大嘗祭などの祭祀は、中世を通じて天皇の神聖性を可視化する装置として機能した。
幕府はこれらの儀式への供御人派遣や財政支援を通じて、伝統的権威への恭順姿勢を示すとともに、自らの支配を「神国」の秩序に組み込む戦略を採った。
特に伊勢神宮や賀茂社への寄進は、武家が宗教的権威を利用して支配を正当化する典型的手法であった。
鎌倉幕府の経済基盤となった関東御領(約500箇所)の多くは、元来が朝廷や貴族の荘園であった。
幕府は地頭を通じた年貢徴収の合理化を図りつつ、従来の荘園領主へ「得分」を保証することで旧勢力との妥協を成立させた。
この「本所一円地」への不介入原則が崩れた蒙古襲来後も、朝廷が幕府の軍事課税を追認した事実は、両者の経済的共生関係の強固さを示す。
平清盛の日宋貿易以来、朝廷が保持していた対外交易権は、鎌倉期においても「大宰府」を通じた外交・貿易管理として継承された。
幕府が実質的な外交権を掌握した後も、形式的には朝廷を窓口とする建前が維持され、明との勘合貿易(室町期)に至るまでこの構図が持続した。
藤原道長の「御堂関白記」にみられるように、摂関家が天皇の外戚として権力を掌握する構造は、後に武家が「征夷大将軍」の官位を媒介に権力を正当化する手法と同根である。
平清盛が「太政大臣」に就任した事実(1167年)は、武家が伝統的官制に依拠せざるを得なかった制度的制約を示す。
白河院政(1086-1129年)が開いた「治天の君」の政治形態は、北条泰時の執権政治(1224-1242年)において「得宗専制」として再構築された。
いずれも名目上の君主(天皇/将軍)を背景に実権を掌握する点で、権威と権力の分離という中世的政治構造の典型を示している。
北畠親房の『神皇正統記』(1339年)が主張した「神器継承の正統性」論は、建武の新政崩壊後も南朝方が政治的正当性を主張する根拠となった。
これに対し足利尊氏が光厳上皇を擁立した事実は、北朝方も同様の神権論理に依存せざるを得なかったことを示す。
鎌倉後期に伝来した朱子学の大義名分論は、水戸学における南朝正統論(『大日本史』編纂)を経て、明治期の南北朝正閏論争(1911年)にまで影響を及ぼした。
この思想的系譜は、天皇の権威が武家政権の正統性を超時代的に規定してきた事実を逆照射する。
以上の分析から、鎌倉幕府を頂点とする武家政権が天皇の権威を不可欠の基盤として成立・存続したことは明白である。この構造は単なる形式的従属ではなく、
③神権思想に基づく支配の正当化——という三重のメカニズムによって支えられていた。
明治維新に至るまで継続したこの権力構造の本質は、権威(祭祀権)と権力(軍事力)の分離・補完にこそ存し、日本政治史の基底を成す特質と言えよう。
父がお世話になっている民間の有料老人ホームから退去を命じられた。詳細は割愛するが、お世話になってから1年ほどの間に度重なる迷惑行為を父が重ねており、ケアマネージャーや施設長から報告が来るたびに家族として謝罪に向かっていた。
父の迷惑行為は認知症由来のようで、精神科医のお世話になっているのだが父に改善の傾向は見れない。迷惑行為は入居前から伝え、想定していたのだが、その頻度が予想以上ということだった。一度は施設の方と一芝居打って、父が見ている前で施設の人に家族が謝る姿を見せた。良心に訴える作戦だ。意味が無かった。
最初こそ信じられない気持ちや誤解があるのではないかという期待もあったのだが、回数を重ねるごとに確信が深まっていき、申し訳ない気持ちと無力感が強まっていったのを覚えている。
前置きが長くなったが、とうとう退去を命じられた。それは納得できるのだが、問題は期間である。なんと退去日の10日前に「期日までに退去してください。次の方がもう決まっています。部屋の原状回復までお願いします」と言われてしまったのだ。
家庭で素人が面倒を見たり、訪問介護をお願いしたりという体制では限界だから施設にお願いしたところがあり、家での受け入れは不可能であった。ショートステイ先を地元で探したものの最短で2か月待ち。他の有料老人ホームはどうかと当たっているのだが、少なくとも10ホームに相談して全てに断られてしまった。この有様から父の状態も察してほしい。
そのため流石に10日前は無理ですと申し伝えたのだが、先方は「もう次の人が決まっています」と壊れたスピーカーのように繰り返してきた。こちらが合意してないのに次の人?と思ったのだが、とりあえず議論は平行線であった。
ここで契約書を見返すと、迷惑行為で退去を命じることができるとは当然書かれてあった。一方で、退去の○○日前までに通告する、といった日取りについては書かれていなかった。
老人ホームの場合、退去させるにしても一般的には3カ月程度の猶予を設けるのだと、片っ端から父の転居を打診する中で教えてもらった。この3カ月というのは私が住んでいる都道府県が用意したテンプレートでの設定だ。
多くの事業者はこのテンプレートから大きく逸脱しないで作成しているのだが、私がお世話になっているところは買収を繰り返して巨大になった大手グループの系列であり、契約の書面を統一する過程でここは曖昧になったのかもしれない。余談だが、自治体によって有料老人ホームの契約書は基本的にネットで公開されているので気になった人は検索してみるとよい。
とりあえず一旦探した範囲では不可能ということで、頼れるのは行政だった。初めて知ったのだが、実は各市区町村の介護保険課がこういった介護の利用者と事業者のトラブルを仲介してくれる。介護保険課の職員は丁寧で、こちらの言い分を正確にくみ取った上で事業者に伝えてくれた。
ところが、この介護保険課が伝えてきた事業者側の言い分は驚きの内容であった。曰く、「もう私と結んだ契約で退去は決まっている」ということだった。同意?どういうこと?となったので、詳しく聞いてみるといろいろ見えてきた。
ここで話がややこしくなるのだが、実は退去を命じられた日の20日前に、父が癌ということもあり、一度ホスピスへの転居が決まっていた。そのホスピスの施設長との面談からの合意を得られ、事前に父の状態も現在の老人ホームと確認しあったうえで受け入れてくれるとのことであった。
後は転居日に契約も同時に締結すればよいという体制だったのだが、そのホスピスが直前に本社判断で「やっぱ無理」と通告してきてこの話は立ち消えになった。この際、ホスピスに転居する ということで、電話で今の老人ホームの退去に同意した経緯がある(書面では同意していない)。
とはいえ、転居先にちゃぶ台返しをされた以上、転居は不可能であり、引き続き転居先を探すから待ってくれとその時は頼んだ。それに対する返答は「…(転居先を見つけるのを)なるべく早くしてください」というものであった。これをもって私は理解いただけたと思っていたのだが、そうではなかったらしい。
つまり、向こうは今回、迷惑行為による追い出しではなく、退去に合意したことを理由に退去を迫っているらしい。「お前は電話で1度同意して、こちらはそこから20日も待ったぞ?」という論法のようだ。最初からそう言えよと正直に言って思ったのだが…、先方に言質を取らず、曖昧な言い方を見逃した自分への反省と、書面でのサインに応じなかったことへの安堵を感じた。
行政の方に、この経緯を伝えたのだが、「あとは個人の契約の話になるので行政は介入できないんですよ」と謝られた。苦情についての仲介や、法令違反への介入はしてくれるようだが、契約面では民事不介入ということかな。
契約書には「施設を退去させる場合は次の転居先が見つかるように配慮・協力する」という旨の記述はあったので、これを根拠に待ってくれとメールで改めて施設にも書面で頼んだが無視された。
話し合いを無視されているところで、次の手として、運営している会社のコンプライアンス窓口への連絡をした。その結果、ホームの地区のエリアマネージャーが出てくれた。結論として、これでほぼ全て解決した。向こうの説明は以下の通り
とりあえずこれで10日後に追い出されることはなくなった。安心である。
また、意外な光明も見えてきた。以前受け入れをドタキャンしたホスピスに、今回の件で改めてショートステイを依頼しており、それ自体は断られたのだが、先方の担当者は申し訳なく思っていたらしく違うホスピスへ取り次いでくれた。(本来ホスピスにそんなことをする義理はないので、完全に担当者の厚意である)
その紹介先のホスピスが父を長期的に受け入れ可能だとのことだった。予定を話し合ったところ、当初老人ホームから提示された退去日から12日後、通告から22日後には移れそうであった。今思うと、ここまで見越して老人ホームの施設長はこちらを脅していたのではないかと思う。というのも、父がお世話になっている精神科医に「とても10日後に退去するとは思えない。1カ月先まで薬を処方しているよ…?」という旨の説明をこの途中で得られていたからだ。
とにかく介護の世界というのは、電話で話だけ進んで、正式な契約はまた後日でということがあるようだ。新しく入居する際は、家族などとの面談/施設見学→被介護者の実態を調査→契約・転居というプロセスになるようだが、面談時点から状況が変わるということがよくある。今回転居先を探している中でも、面談の日取りを決めるまでの間に、大部屋の入居者が個室に移りたいとのことで空きがなくなってしまったということがあった。
いざという時に備えて、可能な限り、大事な話はメールで進め手残しておくべきだと身に染みた。また、父が迷惑行為を繰り返しているという後ろめたさから、先方の要求はつい屈してしまいそうになるが、一旦冷静になることが大事であると感じた。
実はこの日記を書いている時点では新しいホスピスと契約は結べていない。今回のホスピスは本社ではなく原則として施設長が受け入れを判断するとのことなので、大丈夫だとは思うのだが。契約日までにまた、ちゃぶ台返しが起きないことを祈るしかない。