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はてなキーワード:上総国とは

2025-05-23

令制国表記を変えてファンタジー日本連邦を作ろう

大和国→矢的の国 矢が的に刺さった絵を国旗とする弓使いが多い国。

河内国→かだいの国/ハノイの国/川内の国/仙台の国 国名が安定しない。

伊勢国iceの国 氷で覆われた不毛の地という噂を流しているのは他国から侵略を防ぐため。氷漬けなのは国境付近のみでそれ以外は肥沃な土地

近江国→お海の国 国土の大半を占める巨大な湖を海と呼ぶ海を知らない内陸国

播磨国→貼り魔の国 貼るだけで封印された魔を召喚することができるシールの発売国

越前国→えち善の国 一日一善を国是とする国。一善がなまってえち善となった。

武蔵国→634の国 634個の村が寄り集まってできた国。

上総国→数差の国 すべてを数値化して僅かな差でも比較し、様々なランキングを日々作っている。

下総国→下うさの国 うさぎが多く生息する低地にある国。

常陸国日立の国 sun(日)がrise(立)する国を自称する。太陽信仰の国で太陽を拝み、太陽の声を承る。

上野国→うえのの国 パンダが多く生息する。

陸奥国→襁褓の国 おむつ名産地。

肥後国→籤の国 竹ひごの名産地。

山城国→疚し路の国 道を歩いていると不思議とやましさが増してくる国。

摂津国→setsの国 多くのものがセットでまとめられている。

尾張国→終わりの国 人生の終わりにたどり着きたいとされる国。

三河国美川の国 国土の中心を流れる美しい川の沿岸にさそりが多く生息する。

美濃国→蓑の国 民は外出時に蓑を着用する。

備前国→美髯の国 ひげが長いほど美しいとされる国。

美作国→見まさかの国 歴史上の「まさか」を集め、それらを一覧することができる国。

但馬国田島の国 国土ほとんどが田んぼ島国島国で狭いので田んぼのためにそれ以外のスペースを徹底的に切り詰める。

因幡国→イナバの国 この国の建造物は頑健で特に上方から圧力に強い。

丹波国タンバの国 タンバリンの名産地。

紀伊国keyの国 鍵の名産地。開けられない錠はない。

遠江国→尊みの国 尊さを感じたものを「推し」とする風習がある。

駿河国→するがの国 民は「何々しないの?」と言われると「するが?」と答え何でもせずにいられない。

甲斐国→貝の国 貨幣建物の素材に貝殻が使われている。

信濃国支那之の国 国全体が中国製の物で構成される。

加賀国花芽の国 花が咲きそうでいつまでも咲かない国。

越中国→こしなかの国 もなかの名産地。こしあんもなかの略称国名となる。

伯耆国→箒の国 掃除用の箒から魔法の箒まで箒なら何でも手に入る。

出雲国→いつもの国 昔からの「いつもの」を維持し続ける。伝統を守っているので考古学者の研究対象となる。

備中国ビッチュウの国 携帯ゲーム機ゲーム及び派生作品ビットモンスター」の発売国で同作品に登場するネズミモンスタービッチュウを国旗とする。

備後国ビンゴの国 ビンゴゲーム屋が立ち並ぶビンゴゲーム聖地

阿波国→泡の国 民は国外に出ると泡となって消える。

讃岐国→さ抜きの国 あらゆる言葉から「さ」の文字が抜かれる(国名例外)。

相模国さがみの国 あらゆる「さ」が「み」に置き換えられる(国名例外)。

下野国→げやの国 下野した政治家官僚が集まる。

出羽国→ではの国 誰かと来ると必ず別れることになる国。

越後国→えちごの国 苺の名産地。えちごとは「良い苺」がなまったもの。高級な苺は権力者への贈り物として重宝される。

安芸国→秋の国 気候が安定しており一年を通して秋のように過ごしやすい。

周防国→酢王の国 酢の名産地で最も優れた酢を製造した者が国王に選ばれ1年間国を治める。

伊予国→壱与の国 卑弥呼の娘・壱与を崇拝し王はその子孫を自称する。

筑前国→築前の国 優れた建築士を多く輩出する。

筑後国→築後の国 優れた建物管理者を多く輩出する。

豊前国憮然の国 民がすっかり失望・落胆して無気力な国。

豊後国文豪の国 文豪を多く輩出する。

肥前国→火然の国 火の一族が治める国。火の一族は火の扱いに長けており、火で物を燃やすだけでなく心も燃やすという。

若狭国若さの国 民が不自然若い

丹後国タンゴの国 民が常にタンゴを踊り続けている。

能登国→notの国 民が話すときは必ず否定から入る。

安房国→粟の国 粟の名産地で米ではなく粟が主食

佐渡国サドの国 サディズム聖地サディスト自然に生まれ育つ。

長門国ナガモンの国 携帯ゲームおよび派生作品ナガモアドベンチャー」の発売国で同作品に登場する首長竜型モンスターナガモンを国旗とする。

石見国→岩みの国 岩の多い国で、人も物も少し岩っぽい。長居するとだんだんと皮膚が固くなり岩っぽくなる。

土佐国→とさの国 「何々だったとさ」と民が昔話をしてくれる。

日向国→ひなたの国 曇らず夜もない絶えず太陽が見える国。国全体が1個の巨大なドームの中にあり、空も太陽も人工物である

大隅国→大炭の国 炭の名産地。大木から大きな炭を作る技術を持つ。

薩摩国→殺魔の国 魔を殺す術に長けた兵を多く養い、他国から要請に応じて派兵する。

和泉国→泉の国 泉が多い国。多種多様温泉が楽しめる。

伊賀国→毬の国 民はトゲ付きのヘルメットや肩パッドを着用する。そのために髪型は常に丸坊主にしている。

志摩国→島の国 島であること以外何もない国。

淡路国→会わじの国 この国で待ち合わせをすると会えない。

伊豆国→出づの国 入国が難しく出国が容易いため人口流出問題となっている。

飛騨国→襞の国 地面や建造物の表面がひだ状になっている。

壱岐国→粋の国 粋であることが美徳とされる。

対馬国津島の国 津島太郎という浦島太郎に似た昔話の聖地

隠岐国→沖の国 国外から見れば沖にあり国内から見れば国外が沖にある孤島の国。

Permalink |記事への反応(0) | 22:25

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2025-02-09

anond:20250208124757

wikipediaでは一大カテゴリ形成してるやつだ。

割と新しい合成地名

大丸有(だいまるゆう) → 東京都千代田区町名である大手町丸の内有楽町総称

谷根千(やねせん) → 文京区東端から台東区西端一帯の谷中根津千駄木周辺地区を指す総称

元増田が書いてたやつ;

国立(くにたち) → 国分寺立川の間に、西武がゲッティゲンモデルにした学園都市を構想し、国立駅をつくり、一橋大(こくりつ大学だね)を誘致した。国立音大(くにたちおんだい)はよく間違えられるが私立

古い合成地名令制国由来;

奥羽山脈 → 陸奥国出羽国

三陸海岸 → 陸前国陸中国陸奥国

房総半島 → 安房国上総国

甲武信ヶ岳こぶしがたけ) → 甲斐国武蔵国信濃国三国国境

三遠ネオフェニックスバスケチーム。旧浜松・東三河フェニックス) → 三河国遠江国

濃尾平野 → 美濃国尾張国

両丹日新聞 → 丹波国丹後国

播但線播但連絡道路 → 播磨国但馬国

伯牛(いんはくぎゅう)、因伯人(いんぱくと、地酒ジン) → 因幡国伯耆国インパクト狙いで草

雲伯方言 → 出雲国伯耆国

備讃瀬戸 → 備前国備中国讃岐国

芸予諸島、芸予フェリー → 安芸国伊予国

防予諸島防予フェリー → 周防国伊予国

防長長州藩通称) → 周防国長門国

土讃線 → 土佐国讃岐国

予讃線 → 伊予国讃岐国(当初は讃予線と呼ばれた)

予土線 → 伊予国土佐国

筑豊炭田 → 筑前国豊前国

豊予海峡 → 豊後国伊予国

日豊海岸日豊本線 → 日向国豊後国

肥薩おれんじ鉄道線 → 肥後国薩摩国

海外合成地名

国・大陸・構想;

ユーラシア大陸(Eurasia) → EuropaAsia

ベネルクス三国(Benelux) → Belgium ~ theNetherlandsLuxembourg

パキスタンPakistan) → ウルドゥー語ペルシア語の 「清浄な」を意味するپاک(パーク)+接尾語ـستان (スターン)で「清浄な国」の意。しかし元々はイギリス領インドのうちイスラム教徒が多く住む5つの北部地域総称として、民族主義者チョウドリーラフマト・アリーが、パンジャーブのP、カイバル・パクトゥンクワ州に住むアフガン人のA、カシミールのK、シンドのS、バロチタンTANから前述の意となる「Pakstan」として総称し、後に発音やすくするため「i」が加えられてPakistanとなったもの。『パキスタン宣言』は1933年の小冊子

アトラントローパ構想(Atlantropa) → AtlantisEuropaジブラルタル海峡ボスポラス海峡に巨大なダム建設して、地中海の海面を200メートル下げ、アドリア海などを陸地化して新たに広大な土地を得つつ、ダム水力発電を行って莫大な電力を得るという1920年代ドイツの構想あるいはその運動ロマン怪物

ユーラフリカ(Eurafrica) → Europa ~ Africa。アトラントローパ構想の現実主義的後継

双子都市都市圏など;

ブダペスト(Budapest)→ Buda ~ Pest、ハンガリー首都双子都市

メヒカリ(Mexicali)/ カレクシコ(Calexico)→ メキシコアメリカカリフォルニア州国境双子都市。当然メヒカリのが大きい。同じ国境双子都市でも、観光地感あるティファナと異なり、ヒリヒリした独特の雰囲気ある

アークラテクス(Arklatex,Ark-La-Tex)→ アーカンソー州ルイジアナ州テキサス州が接し、場合によってオクラホマ州南端も含む州境都市

テクサーカナ(Texarkana)→ アークラテクス都市圏のひとつ文字通りテキサスアーカンソーの2州に跨る双子都市Texarkana,Texas とTexarkana,Arkansas に分けられるが、テクサーカナ連邦政府ビル州境に跨って建ってる

シャンバナ(Chambana)→ イリノイ州双子都市シャンペーン(Champaign)~アーバナ(Urbana)に跨る都市圏の俗称工学系の名門、イリノイ大学アーバナシャンペーン校が有名

カリストガ(Calistoga)→ California+Saratoga。双子都市ではない。カリフォルニア州に、ニューヨーク州の高級保養地サラトガスプリングスみたいな温泉リゾート都市を作ってやるぜ!で誕生。「カリフォルニアサラトガ」を「サラフォルニアカリストガ」と言い間違えて定着した説もある

双子都市とは;

別々の街道鉄道接続する物流拠点として、主として国境州境形成された都市群。

例えばコンゴ民主共和国(旧ベルギー領)の首都キンシャサと、コンゴ共和国(旧フランス領)の首都ブラザヴィル

北米大陸では特に例が多く、名前シルエイティ/ワンビアみたいなニコイチ感あふれがち。

日本だと燕三条富士市富士宮市みたいなやつか。

逆に係争地の場合国境半年ごと交互にスペイン/フランス領に変わるフェザン島(銀英伝フェザーン元ネタ)や朝鮮半島38度線のように、立ち入り禁止無人となる。

もっと見たい方へ;

wikipedia合成地名

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%90%88%E6%88%90%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7

Category:日本合成地名には、現在 1,146 ページが含まれています

合成地名コレクション

https://uub.jp/nam/gousei.html

wikipedia双子都市

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8C%E5%AD%90%E9%83%BD%E5%B8%82

wikipediaかばん語

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%B0%E3%82%93%E8%AA%9E

wikipedia_EN「Blendword, portmanteau」

https://en.wikipedia.org/wiki/Blend_word

日本語は特にカバン語が多く、合成地名よりも東大 (Tōdai),Pokémon,karaoke,ヘタリア(Hetalia)などが例として挙げられている。

wikipedia「アトラントローパ」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%91

Permalink |記事への反応(3) | 02:57

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2024-07-12

anond:20240712151810

千葉のダサさは東京腰巾着からであって文化歴史的には埼玉ほどダサくない。

埼玉川越あるじゃん

千葉歴史はあるかもしらんけど上総国とかなんだとかの痕跡なんてほとんど残ってないぞ。

都市開発やる気が無さすぎるのと成田闘争とかのカスムーブのせいで近代文化全然発展してないし。

九十九里とかの移住文化最近では多少マシなくらいじゃない?

Permalink |記事への反応(0) | 20:24

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2023-10-24

anond:20231024112440

BAN 直之(ばん なおゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。諱は直次、尚之とも。通称は長八、後に団右衛門に改めた。一時、出家した際には鉄牛と号した。

後世、『難波戦記』などの軍記物や岩見重太郎講談などで有名になったため、塙 団右衛門(ばん だんえもん)の名でも知られる。

経歴

出自は不詳である尾張国の人で、同姓であるため、織田氏の家臣・塙直政の一族か縁者とする推測もあるが、遠州横須賀衆[3]で浪人となった須田次郎左衛門という人物が本人であるという話[4]や、上総国養老の里の出身千葉氏の家来だったが、小田原北条氏家臣で「地黄八幡」の旗印で知られる北条綱成に仕えた[5]という話、相州玉縄の住人で玉縄城主となった北条左衛門大夫[6]の徒士となったという話[7]もあり、出身地や素性も定まらない。

前歴についても不詳である。猟夫より身を起して織田家臣の坂井政尚の馬卒となり、功をあげて織田信長士分として取り立てられたが、酒を飲むと暴れ出すという悪癖のために人を殺めてしまって放逐され、浪人となって諸国放浪したという話もあれば、前述のように北条綱成の家臣であったが、小田原合戦の後に浪人となったとする話もあり、小早川隆景の家臣・瀧権右衛門に仕えて200石の知行を得ていたが、浪人となって貧窮し、豊臣秀次の家臣・木村重茲の小姓達が憐れに思い、衣類を揃えてやって加藤嘉明に口添えしたという話[8]もある。幾つかの話には浪人中は時雨左之助(しぐれさのすけ)を名乗ったという逸話も登場する。

転生後

武将同士の一騎打ちとかスパチャしまくってよくBANになっている。

Permalink |記事への反応(1) | 14:50

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2022-09-09

anond:20220909121750

千本氏(せんぼんし)は、那須七騎に列せられる日本氏族ひとつ

千本北(せんぼんきた)は、大阪府大阪市西成区にある町名

千本中(せんぼんなか)は、大阪府大阪市西成区にある町名

千本南(せんぼんみなみ)は、大阪府大阪市西成区にある町名

千本松原(せんぼんまつばら)は、松が植樹された水辺に付けられた名称で、静岡県岐阜県などにある。

千本引き - 紐の先に色々な景品が結び付けられており全ての紐を一ヶ所に束ねている為、何が当たるか判らないという工夫をした、紐を使ったくじ引き。

千本浜(せんぼんはま)は、静岡県沼津市海岸

千本山(せんぼんやま)は、高知県安芸郡馬路村にあり、海部山地西部にある標高1,084.5mの山である

加蘇山の千本かつら(かそさんのせんぼんかつら)は、栃木県鹿沼市にある加蘇山神社の奥の宮への参道に並んでいる、樹高約30メートル推定樹齢1000年と700年の2本からなる県内最大の桂の古木である

千本イチョウ(せんぼんイチョウ)は、千葉県市川市八幡葛飾八幡宮境内にある国の天然記念物指定されたイチョウの巨樹である

最上川千本だんご(もがみがわせんぼんだんご)は、山形県北村山郡大石田町にある和菓子店舗

菊池千本槍(きくちせんぼんやり)は、太刀洗と共に、九州豪族菊池氏の勇猛さ、及び武士精神を表す言葉である

千本城 (せんぼんじょう)

Permalink |記事への反応(0) | 12:30

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2019-11-28

anond:20191127131352

つい先日、何かの本を読んでいて下総国範囲ぼんやりと知った。

房総だけではなく広い地域に渡っていたこと。

鎌倉から房総に上陸してきた関係で、上総国下総国命名されたらしいこと等々。

元増田みたいな人が居て良かったね。

Permalink |記事への反応(0) | 09:55

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2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士あいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つありだんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

勢州桑名に過ぎたるものが二つあり 銅の鳥居に二朱女郎

勢州伊勢のことで、つまり現在三重県桑名市のこと。

「銅の鳥居」は桑名宗社の青銅製の鳥居のこと。

「二朱女郎」は二朱銀で買える安い遊女のこと。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

Permalink |記事への反応(7) | 19:25

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2015-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20151206193422

千葉県だろ?

どんなもんかと思って見たら、

Category:上総国の人物 - Wikipedia

Category:安房国の人物 - Wikipedia

日蓮小野忠明と菱川師宣がいるじゃん!

日蓮仏教日蓮宗開祖法然親鸞と並んで鎌倉仏教代表する高僧だ。

小野忠明はこちらは剣術小野派一刀流の開祖で同時代では最強とも言われる剣豪

菱川師宣浮世絵の創始者で「見返り美人図」などが有名。

うーむ、千葉県文化の始まりを生む土地柄なのかもしれんな。

そもそも千葉県のあたりは桓武平氏本拠地みたいなところで、

いにしえの平将門はもちろん上総広常や千葉常胤など有力豪族ごろごろしてたんだぜ。

源義朝とも縁が深いし、関東においては江戸なんかよりよっぽど重要土地だったんだよ。

もっと自信持てよ。

Permalink |記事への反応(0) | 09:54

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