
はてなキーワード:三平方の定理とは
アイツが書いた作品の中で今読んで「おっ、これ面白いジャン?」ってなるのある?
もうとっくに使い古されたっていうか当たり前過ぎてどうでもよくない?
「ピタゴラスは三平方の定理を証明したんだぞ!!」とか言われても「え?小学校で習った奴?中学校?中学受験だっけ?」ぐらいにしか思わんのと同じやな。
その中でも「われはロボット」は今読むとマジで出涸らしすぎる。
まだ消費されきってないのは「イケメンアンドロイドを近所住民に見せつけてマウントを取る」ぐらいかな。
モブキャラが「へへーんウチのメイドロボは美人なんだぜ~~~」でスネ夫ムーブすることはあっても、それがちょっとした小ネタ以上で扱われること少ねえからな。
恋人をトロフィー代わりにする描写が漫画の中廃れてるのと、浮気でモテアピールがダサイってのと、奴隷と恋人ごっこがキモいって風潮が合わさって負け組ムーブ三重苦になってるからなんだけど。
まあ要するに時代の風がよっぽど逆方向に吹いてない限りはアシモフのアイディアなんて今更振り返っても「前に見た」ばっかってことだね。
そんな人は粟や稗でも食って「昔の人はこうして暮らしてたんだ!!これが由緒正しいんだ!!濡れ手に粟って口にするくせに粟食ったことない奴ってありえないよね~~~~」とか抜かしてろよ。
アホくせー
最初に簡単に自己紹介しておくと、増田は大学エスカレーターの高校入ったおかげで高校時代は毎回数学で赤点取ってたくらいには数学ができない子で、三角関数とか聞いただけで逃げ出したくなるような子でした。
たまにブコメで三角関数は日常の色んなところで使われてるよ!っていわれてもほえーはなほじーってくらいに意味がわかってなかった子です。
最近プログラミングとかIoTみたいのに興味が出てきて、色々勉強してロボットアームの組み込みプログラミングみたいの始めたの。最初はコントローラーで動かすだけのごく簡単なやつだったんだけど、そのうち指定した座標に勝手に移動してくれたら楽なのになーと思ってちょっと調べてみたら、なんか三角関数使ったら順運動学とか逆運動学ってのでできるらしいということがわかったんだよね。
それで今まで全く手を付けてなかった三角関数にも興味が湧いて調べてみたんだよ。最初はsin、cos、tanどころか三平方の定理からぐらいな感じで。そこから単位円だったり円周角の定理や正弦定理、余弦定理、加法定理とか色々見てったんだよね。ベクトルも必要だから内積とか外積もなんだよそれって思いながら見てったんだよ。
そしたらさ。なんかすごいの。最初は円周角の定理とか見て全部同じ角度になるの意味わかんないきもいとか思ってたのに証明みたらまじで全部同じ角度になるっぽいし、円周の座標は全部sinとcosで表せるし、ロボットアームの長さ測ったらばっちり角度でるし、そっから三角関数とベクトル使うとアームの長さと角度で先端の座標出せちゃうし、アームの長さと先端の座標があったらアームの角度だせちゃうの!
sin、cos、tanって意味わかんなかったけど、興味持って使い出したらこれだけで世の中の空間全部表現できちゃうんじゃねって思えるくらいなんかすごいやつだった。ただの三角形の三辺の比率なのにすごすぎない?さらにすごいのはピタゴラスのおっさん。色んな定理の証明に何度も出てくるの。こすりすぎだろってくらい何度も出てくるの。2000年も前のおっさんなのに超強い。
発達障害だからか知らんが自分にとって数学で最初に壁に感じたのは、図形に関して一般的に成り立つことを証明するために辺や角等を文字で置くっていう行為。
なんで無数のパターンがあってその三角形等について同じ関係式で表していいのか、いまいち天下りな感がある。わかったようでわからない。
証明するときの図は辺が異なれば相似じゃない限り違ってくるのでそれだけでもなんで一つの図で全ての証明を代表できるのかよくわからない。
証明を見ても「それはその図で表せる場合について証明したことにしかならないよね?」って反応になっちゃう。
余弦定理さえ円周角が90度以内かそうでないかの二パターンだけの証明だった気がする。遠い思い出だが。
まずあり得る各図形に対して一つずつある関係式が成り立つということ、それを繰り返すなかでそのどの関係式もが同じであるということを確認する。
いやそんなこといくらしても一般的な証明には永遠にたどり着かないよなあ。
こういうことについても一般人の空気を読む真似をするように、外面だけ理解してるふりして生きていくしかないのなあ。
地図が読めないのと同じぐらい人間の根本的なポテンシャルに関する問題な気がする。
言いたいことが分かる人のトラバ歓迎
dorawiiより
ってこれ自体も何番煎じかしらんが書いてみることにとりあえず価値があると思うのでね。
増田で何か書くとだいたい「それは~という学者が既に考えてること」みたいな趣旨の反応が来るよね。無反応だけど心でそう思ってる人も含めて。
なんだろう。その仕事してて気づいたこととかなら結構被んないもんなのかな。業種特有の気づきってやつ。そういう気づきとそれをきっかけにした問題提起というのはあまり「かぶってる」的なコメントは来ない傾向を感じる。
それとも同じ業種の人が見てないだけか。
あと、いくら業種特有でも、より一般的な範囲の問題を解決可能な哲学や数学の射程入っているようなテーマはだめよね。
そういうのはだいたい数学や哲学ですでに考えつくされている法則にあてはまる個別の事例(一般化の逆)みたいなふうな立ち位置にされるだけ。
自分で参考書を書いてみれば分かりますが、数学の検定教科書はおそろしく完成度が高いです。そのことを具体的な実感をともなって理解できれば、あなたの学力は入試レベルなど優に超えています。
数学の本の出来は、理論の構成で決まります。数学の理論の構成とは、かんたんに言えば定義や定理をどう配置するかと言うことです。どのトピックを載せるか、ある定理を述べるために事前にどのような概念を定義しておく必要があるのか、その定理を証明するために事前にどのような命題を示しておく必要があるのか。トピックの選定が的確で、理論の道筋が明快であるほど、数学書の完成度は高いです。たとえば、余弦定理は重要ですから当然載せます。余弦定理を述べるには三角比を定義する必要があります(鋭角だけではなく鈍角に対しても)。そして、証明には通常、三平方の定理と有名な等式
が必要になります(これも三平方の定理のcorollaryです)。さらに三平方の定理を示すには、ふつうは三角形の相似を使用します。この道筋をいかに最適化できるかに、著者の力量が現れます。もちろん、余弦定理を要領良く示すために他の定理に至る過程が鈍臭くなってはいけません。全体の最適化を考えなければいけないのです。
証明の最適化を図るには、定義から再考しなければいけません。同じ概念であっても、それを特徴づける性質が複数あるなら、どれを定義として採用しても良いですが、それによって効率は違って来るからです。たとえば、ベクトルの内積は
のどちらを定義としても良いですが、後者の場合は別の座標(たとえば、45°回転した座標など)で考えたときに値が同じになるのか疑問が残ります。前者は座標の取り方によらずに定義できています。
この場合はどちらを採用してもそれほど変わりはありませんが、指数関数などは定義の仕方で必要な議論の量はまるで変わってきます。多くの教科書では、自然対数の底
e = lim (1 + 1/n)n -- (☆)
を定義し、そのべき乗として指数関数exを定義します。もちろん結果だけ知っていれば、微分方程式
df/dx = f
を満たすf(x)で、f(0) = 1となる関数としても指数関数を定義することはできます。しかし、このようなfが存在することを、(☆)を使わずに示すのは高校レベルを遥かに超えます。そのようなfが一意的であることも明らかではありません。
以上のようなことを考えるだけでも相当大変ですが、これに加えて検定教科書では、直感的な理解を損ねないことも考慮しなければなりません。高校生が読んで理解できなければならないからです。理論の整合性・効率と教育的配慮の間でバランスを取るという難しいことを、数学の専門家たちが苦心して行い、作成されたのが検定教科書です。このような本は他の参考書にはありません。場当たり的に問題の解き方を解説するだけの本とは格が違います。
数学の検定教科書は極めて洗練されています。教科書の理論構成を把握し、その流れや証明手法に合理性や必然性を見出だせる水準まで理解できれば、入試などは余裕で通過できます。
Permalink |記事への反応(24) | 13:36
三平方の定理の時は、名前は聞いたことあるけどこんなの習ったかなと思って調べていたら、
内容を見て直ぐに理解できたし、習ったような気がした。
しかしだ、円周角の定理、接弦の定理など言葉すら聞いたことがなかった。
いや、無かったような気がした。
記憶をなくしたわけじゃない、俺は授業で習っていないんだ。
そう思ってはみたものの、では数学で習った全ての定理を(名称だけでも)言えるのか?
今はもう忘れてしまった(定理や公式の)名称を、全て聞いた事が有るといえるのか?
概ね内容は忘れてしまった事柄で、授業で聞いた事が有るというレベルなら、焦ることは何もないんだが、
全く聞いたことがないというようなことが起きて、でも習ったはず、経験したはずと周囲から言われると、恐ろしいほど焦る。
記憶を失うということは人を恐ろしく焦燥させるし、恐怖感するら与える。
酒を飲んで、ある一定時間の記憶を失ったことが2回だけ有ったが、
2回目の時は何故ベットの上でパンツ一枚で寝ているのか分からず、強い恐怖感に襲われた事が有る。
気を失った人が病院のベッドの上で気を取り戻した時、その人が記憶喪失になっていた場合は、
ベッドの上で後退りしたり、医師や看護師に対して恐怖に慄いた表情を見せるという。
この先年老いて記憶を失くしたり、何らかの病気で記憶を失って行ったとしたら、
やはり恐怖を感じるのだろうか。
●×●=256が解ける子解けない子の差
http://president.jp/articles/-/23368
Q:AD=CD、BC=10cm、四角形ABCDの面積が64平方cmのとき、辺ABの長さは何cmですか。
辺ABをx(cm)とおく。
この四角形は∠ABCと∠CDAの対角の和が180°なので、円に内接する。この円の中心点をO、半径をrとする。
また、ACに対角線を引いておく。
∠CDAは、弧ACに対する円周角で90°なので、ACは円の直径になり、中心点OはAC上にある。
二等辺三角形DACの頂角Dから底辺ACに垂線を下すと、垂線は底辺ACと直角に交わり、底辺ACを二等分する。
S1 = 1/2 × 2r × r
S1 = r2
S2 = 5x
四角形ABCDの面積は
r2 + 5x = 64
r2 = 64 - 5x ...(1)
(2r)2 = x2 +102
4r2 = x2 +100 ...(2)
(1)と(2)の連立方程式を解く。
(2)に(1)を代入
4(64 - 5x) = x2 +100
256 - 20x = x2 +100
x2 + 20x -156 = 0
(x + 26)(x - 6) = 0
x > 0より x = 6
よって、6cm
「学校の勉強は役に立たない」というのは、役に立たない部分の印象が強いんだと思う。
国語で「主人公の気持ちを書きなさい」→大人になってから、小説を読まないので主人公の気持ちとかどうでもいいし。
こういう小さな事象の積み重ねが、悪印象を与えてるというわけ。
実際には、
数学で学んだ三平方の定理は測量の仕事で不可欠なレベルで役に立ってるわけです。
でも、そいう役に立ってる知識は、本人にとっては常識と化してしまうので、学校で勉強した知識であることを忘れてしまいがちです。