
はてなキーワード:万能薬とは
現在の日本は、円安×インフレで家計が削られている。これが、多くの人にとっての経済的な苦しみの最大の要因だ。しかし、短期には金融要因が価格・為替に影響するが、長期均衡では中立性が成立する――という“教科書的整理”に立てば、その根っこにあるのは購買力を削ぐ別のファクターだろう。仮に利上げや円安を許容することでインフレを“力ずく”で押さえ込んでも、あるいは逆に緊縮で抑え込んだとしても、結果的に家計は痩せることになる。
日本を含めて多くの西側先進国の問題は、突き詰めれば、少子高齢化が一人当たりの生産力を縛り、社会保障負担が恒常的に厚みを増していく――そんなファンダメンタルの収斂でしかない。生産年齢人口の縮小は労働投入量を減らし、技術進歩で補えない部分が潜在成長率を直接押し下げる。
政府は相も変わらず「成長戦略」とナントカの一つ覚えで主張する。だが、その多くはサプライサイド経済学のバリエーションでしかないだろう。官僚や財界が恣意的に考えた供給を積み増せば需要も勝手に太るのか? そんな単純回路で人口動態に勝てるなら苦労はない。要するに、効く場面はあるが万能薬ではない。ここを取り違えた議論は、美辞麗句をまとった占いに近い。そもそも行政が供給側に手を入れれば生産能力が高まる、という前提自体が成り立っていない。人口減少と市場縮小が続く経済では、企業が追加投資に踏み切る保証などなく、供給能力がそもそも増えるかどうかすら不確実だ。こうした環境で“成長戦略”を掲げても、現実の制約を無視した空論にしかならない。
さて、税制の現実に降りよう。人はそう簡単には国境を越えないが、資本はクリック一発で国境を越える。法人税を上げれば、利益移転と本社機能の脱出が起きる――ライセンス料やグループ内IT課金に利益を“付け替える”のは古典的な手筋だ。15%のグローバル・ミニマム課税が敷かれたとはいえ、主要国を相手にそれを大幅に上回る独自増税は、実務上きわめて難しい。日本の法人税率は23.2%、法人住民税を入れても30%そこそこだが、これを40%、50%とすることは、まず不可能である。前述のとおり、主要国との税率乖離が生じれば、移転価格・IPボックス・グループ内課金など合法的スキームが一斉に作動し、課税ベースが蒸発するためだ。
ニューヨーク市長に当選したマムダニの“Tax the rich”というスローガンは心地よい。だが配当は法人税後の利益から支払われるため、二重課税の議論が付きまとう。金融所得の分離課税にメスを入れれば、オフショア口座やSPVに資産は霧散し、国内投資は痩せ、捕捉コストは跳ね上がる――これが資産数千万円~1億程度のマス富裕層の現実であり、「一部の超富裕層だけの話」に還元できないのが厄介な話だ。超富裕層は目立つが、NETで見れば大したボリュームはない。問題は、それ未満のボリュームのある層に影響してしまうことだ。
そして、税は基本的にストックよりフローにかけやすい。だから所得税や消費税が主役になる。ここでスローガン通りに所得税の累進だけを増すと、ターゲットになるのは“フロー長者”、つまり層が厚めの一部上場企業の正社員、弁護士や医師などの高度専門職といった、ありふれたアッパーミドルだ。真の富裕層の多くは“ストック長者”であって、そこには課税の網がかかりにくい。
ではどうするか。消費(フローの出口)で捕まえるしかないだろう。消費税率の引上げは設計次第で最も逃げにくい課税になり得る。軽自動車を買おうがランボルギーニを買おうが同じ税率であれば説明も課税も容易だし不公平感も無い。しかし、消費税には逆進性があり、左派を中心に強く批判されてきた。しかし、ここは給付付き税額控除、基礎年金・生活保護の底上げで貧困層や資産の少ない中流層に対して、ピンポイントに逆進性を打ち消すことが容易である。そうすることで、実質は“資産で食べる層”からの徴税強化に近づいていく。
だが、問題は政治だ。今回の衆院選でもほとんどの主要政党はナントカの一つ覚えで消費税減税を訴えるという財政ポピュリズムに陥っている。消費税は“見える税”であるがゆえに、短期的な嫌悪感が理性の議論を簡単に凌駕する。まさに、ポピュリスト近衛文麿がサンクコストに過ぎない日中戦争を止められず突き進んでいった構図と同様であり、マルクスの言う通り歴史は二度目に喜劇として繰り返すのである。次に待っているのは、二度目、あるいは失われた30年を敗戦とみなせば三度目の敗戦である。
サプライサイド経済学というのは、表向きは「成長の源泉は供給能力だ」「税を下げて労働・投資のインセンティブを回復させろ」という、いかにも正しそうな顔をしている。
だが現実の政策運用では、これはしばしば理論の皮を被った政治的アリバイ装置に堕して自己放尿している。
つまり「減税したい」「規制緩和したい」という結論が先にあり、その正当化のために供給側という言葉が貼られているだけだ。
そしてこの手の政策がインフレ局面で何をするか。ここが本題だ。インフレを自分の責任として引き受けず、外部ショックに責任転嫁し、金融要因を直視せずに逃げる。
インフレの本質はきわめて単純だ。インフレとは「貨幣の購買力の低下」であり、長期的・持続的な物価上昇は、結局のところマネーサプライの過剰成長によってしか説明できない。
貨幣数量説を教科書の古典として片付けるのは簡単だが、現実は古典がしぶとい。
なぜなら貨幣は取引の潤滑油であり、供給を過剰にすれば、最終的に価格体系そのものを歪ませるからだ。
貨幣を増やして、物が増えないなら、価格が上がる。これを否定するのは、重力を否定するのと同じ種類の幼稚さだ。
サプライサイド経済学が問題なのは、「供給を増やす努力」それ自体ではない。
供給能力を拡張する政策は、本来は重要だ。資本蓄積、技術進歩、労働参加率、規制コスト、税制の歪み、こういう話は全部まともだ。
だが、インフレ局面でそれを万能薬のように唱え、金融的現実から逃げる瞬間に、理論は自己放尿へと変質する。
供給制約があるなら、供給を増やすべきだろう。しかしそれはインフレの主原因の説明ではなく、一部の緩和策でしかない。ここを混同するのは知的怠慢であり、政治的欺瞞だ。
しかも、連中がやる典型的なムーブがある。マネーサプライがインフレの原因であるのに、ウクライナだの、輸入物価だの、エネルギー価格だのに責任転嫁して自己放尿する。
もちろん戦争が供給ショックを起こすことはある。輸入物価が上がれば短期的に物価は上がる。
だがそれは「物価水準の一回限りのジャンプ」を説明するだけだ。持続的なインフレ率、つまり上がり続ける現象は、貨幣の過剰供給がなければ維持できない。
にもかかわらず、政治はこの混同を利用する。供給ショックを口実にすれば、中央銀行と政府の金融・財政の共同責任を曖昧化できる。
つまり「インフレは外生的だ」「我々は被害者だ」「戦争が悪い、国際情勢が悪い」と言いながら、裏では金融緩和と財政膨張を続けてダブル放尿する。
これは政策当局の典型的な責任回避ゲームだ。貨幣を増やしている側が、原因を外に投げる。
国民は複雑な説明を好む。「海外要因のせい」と言われたほうが納得しやすいからだ。
こうして、通貨価値の毀損は“不可抗力”として処理される。要するに、責任を取らずに済む。
善意だろうが悪意だろうが関係ない。貨幣を増やせば、遅れて物価が上がる。
しかも遅れて上がるから政治家は調子に乗る。短期では景気が良くなったように見える。
雇用が増えたように見える。資産価格が上がる。だから選挙に勝てる。
ここで政治が学習するのは、「貨幣を増やすと一時的に気持ちいい」という事実だ。
麻薬と同じだ。そして副作用としてインフレが来る頃には、原因は別の誰かに押し付ける。
これが政治経済学の基本構造だ。人間は合理的だが、責任を負うようには合理的ではない。
サプライサイドがこのゲームに加担するのは、「供給を増やせばインフレは起きない」という幼稚な物語を提供できるからだ。
減税して投資が増える、労働供給が増える、生産性が上がる、だから物価は上がらない。
これ自体は条件付きで一部正しい。だが、現実には供給の反応は遅い。
政治の時間軸と市場の時間軸は違う。設備投資には時間がかかる。労働参加率の変化も遅い。規制改革も遅い。技術進歩などもっと遅い。
にもかかわらず、貨幣供給の拡大は今すぐできる。財政赤字の拡大も今すぐできる。金融緩和も今すぐできる。といって自己放尿する。
つまり政策当局がやっているのは、遅い供給改善を口実にして、速い貨幣膨張を正当化することだ。これは構造的に詐欺的にならざるを得ない。
そして当然の帰結として、価格シグナルが壊れる。価格とは情報だ。価格は希少性を伝える信号であり、市場参加者の分散情報を統合する計算装置だ。
だがインフレが起きると、価格は「相対価格の変化」と「貨幣価値の変化」が混ざったノイズになる。
企業は需要増なのか通貨安なのか判別できない。労働者は実質賃金が上がったのか下がったのか分かりにくくなる。
こうして誤配分が起きる。ミスアロケーションだ。資本が生産的用途ではなく、インフレヘッジの投機に吸い込まれる。
住宅、土地、株式、あらゆるものが価値保存の器として買われる。市場は本来の機能を失い、ただのインフレ回転装置になる。
この状態で「減税すれば供給が増えて解決だ」と言うのは、火事の中でガソリンを撒きながら「いや、建物の耐火性能を上げれば大丈夫」と言っているようなものだ。
耐火性能の議論は重要だが、今燃えてる火を無視してる。燃料の供給を止めろ。貨幣の供給を止めろ。インフレ期待を潰せ。実質金利を正常化しろ。これが先だ。
順序を間違えるな。順序を間違えるのは無能か、あるいは意図的な詐欺だ。
ここでサプライサイド派がよく使う逃げ口上が「インフレは一時的だ」「供給制約が解消すれば下がる」だ。
これもまた、政治的に便利な麻酔薬だ。だがインフレ期待というのは、そんなに素直に消えない。
人々が「どうせまた通貨を薄める」と学習した瞬間、賃金交渉も価格設定も前倒しでインフレを織り込む。
これが自己実現的にインフレを固定化する。金融当局が信頼を失った経済では、インフレは単なる物価上昇ではなく、制度への不信の表現になる。つまり、通貨が信用を失う。
なぜなら改革をしているフリをしながら貨幣膨張を続ければ、改革への信頼まで毀損するからだ。
減税も規制緩和も、本来は市場メカニズムの復権のためにあるはずなのに、インフレを伴うと単なるポピュリズムに見える。
市場派が市場派であることをやめる瞬間だ。これが思想の腐敗でなくて何だ。
サプライサイド経済学が自己放尿する最大のポイントは、「供給能力を上げる」という正しいテーマを掲げながら、「貨幣供給の過剰」という不都合な真実を直視せず、外部要因に責任転嫁し、政治の短期利益に奉仕することだ。
ウクライナ、輸入物価、エネルギー価格のトリプル放尿で責任を散らし、マネーサプライの増加という核心から逃げる。
市場は強い。だが市場が強いのは、価格が情報として機能し、貨幣が安定している場合に限る。
通貨価値を政治が破壊すれば、市場は情報処理装置として壊れる。
貨幣をまともにできない政権が、供給改革などできるわけがない。できるのはスローガンの量産だけだ。
インフレは天災ではない。インフレは制度の失敗であり、政策の失敗であり、何より責任逃れの帰結だ。
サプライサイド経済学がもし本当に供給能力の拡張を語るなら、まず通貨の安定を前提条件として守れ。
Yahooニュースで見た、「イベルメクチンが癌に有効なのでは」という主旨の記事についてAIに判定してもらう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/1dcb9d059bd8e87d2885e7adeab13ad0a3febffd
大カテゴリ: A. 説得・オピニオン
読者の直感(System 1)に訴えかけ、熟慮(System 2)を阻害するような情報提示の有無を分析します。特に医療情報において、権威や感情に訴える表現は注意が必要です。
医療に関する主張であるため、提示されている情報が科学的コンセンサスに基づいているか、エビデンスの質と量が十分か、その提示方法が適切かを評価します。
文章内の主張や推論に矛盾がないか、根拠と結論の間に論理的な飛躍がないかを確認します。特に、限定的な情報から一般化された結論を導いていないかを検証します。
特定の薬や治療法を「ヒーロー」のように描き、その物語性を通じて読者の感情や信頼感に訴えかけようとする意図を分析します。
本文は、読者の直感的な思考(System 1)に強く訴えかけ、熟慮(System 2)を促す客観的かつ詳細な情報提供を意図的に避けている傾向が見られます。「ノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学の大村智博士が発見した」「世界中で数億人以上の人々を救ってきた」「安全性の高い薬です」といったフレーズは、イベルメクチンに対する強い肯定的な感情や信頼感を直感的に抱かせるための、強力なアンカリング効果を生み出します。これにより、読者はその後の主張(がん治療への効果)に対しても、批判的な吟味をせず受け入れやすくなります。また、「私はがん治療の現場に立つ医師として、この薬のがんに対する力を確信しています」という個人的な確信の表明は、発信者の権威を利用した感情的訴求であり、読者のSystem 1をハックする典型的な手法です。
"2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学の大村智博士が発見した"
"世界中で数億人以上の人々を救ってきました。もともと寄生虫やダニなどに使われてきた安全性の高い薬です。"
"私はがん治療の現場に立つ医師として、この薬のがんに対する力を確信しています。"
イベルメクチンのがん治療における有効性に関する記述は、科学的エビデンスの提示が極めて曖昧で不十分です。「研究結果が世界中で報告されています」「最新の研究では〜わかってきました」「有効性が示唆されています」という表現は、具体的な臨床試験のフェーズ、研究デザイン、対象患者数、統計的有意性、査読の有無など、科学的信憑性を裏付ける重要な情報が完全に欠落しています。また、現時点でのイベルメクチンのがん治療への適応は、大規模なランダム化比較試験によって確立されたものではなく、標準治療として推奨される科学的コンセンサスは存在しません。筆者の「確信」は、個人の経験や観察に基づくものであり、科学的エビデンスとは異なります。参考文献として挙げられている「イベルメクチン 世界の臨床医の証言」も、学術論文ではなく、個人の見解や経験を集めたものである可能性が高く、標準的な科学的根拠としては不十分です。
"この薬が、がん細胞にも作用するという研究結果が世界中で報告されています。"
"最新の研究ではイベルメクチンが、がん細胞の分裂のしくみやエネルギー代謝に影響を与えたり、免疫細胞の働きを活性化させたり、がん細胞の成長を抑制し、特に「がん幹細胞」に対して効果を発揮することがわかってきました。"
"参考:「イベルメクチン 世界の臨床医の証言」:ポール・マリク"
文章全体には、論理的な飛躍と矛盾が見られます。まず、「もともと寄生虫やダニなどに使われてきた安全性の高い薬です」という記述は、過去の用途における安全性が、がん治療という異なる文脈においてもそのまま適用されるかのような印象を与えます。がん治療における長期的な安全性や、抗がん剤としての副作用プロファイルは、寄生虫駆除とは全く異なる基準で評価されるべきです。次に、「副作用もなく」と断言しつつ、その直後に「万能薬とまでは言えません。どんながんにも必ず効くわけではないですし、まだ充分な臨床試験も進んでいはいません」と、主張を限定する表現が続きます。これは、読者に強いポジティブな印象を与えつつ、批判をかわすためのレトリックであり、論理の一貫性に欠けます。未確立な治療法に対して「力を確信しています」と強く主張する一方で、「充分な臨床試験も進んでいはいません」と現状を認める点も、結論と根拠の間に大きなギャップを生じさせています。
"もともと寄生虫やダニなどに使われてきた安全性の高い薬です。"
"副作用もなく、経口薬として使えるため、患者さんの負担も少ない反面、万能薬とまでは言えません。"
"どんながんにも必ず効くわけではないですし、まだ充分な臨床試験も進んでいはいません。しかし私は、イベルメクチンによるがん治療に、明るい可能性を感じています。"
本文は、イベルメクチンを「既存の三本柱(手術・抗がん剤・放射線治療)に代わる、あるいは補完する新たな希望」という元型的なヒーローの物語として提示しようとしています。ノーベル賞受賞者による発見という「起源の物語」と、「世界中で数億人以上を救ってきた」という「偉業の物語」が、この薬を特別な存在として位置づけています。さらに、「がん幹細胞」という難敵に立ち向かう力を持つという記述は、がん治療の最前線で戦う新たな「救世主」としてのナラティブを強化します。この物語構造は、複雑で絶望感を与えがちな「がん治療」というテーマにおいて、読者に単純な希望と解決策を提示し、感情的な共感を呼び起こすことで、イベルメクチンへの期待感を高める効果を狙っています。
"2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した北里大学の大村智博士が発見した寄生虫駆除薬です。"
"世界中で数億人以上の人々を救ってきました。"
"特に「がん幹細胞」に対して効果を発揮することがわかってきました。"
本文章は、未確立な医療情報に対して、特定の薬(イベルメクチン)の有効性を強く推奨するものであり、その情報提示には強い危険性が伴います。
筆者は医師としての肩書と個人的な「確信」を前面に出し、ノーベル賞受賞や過去の実績といった権威性を援用することで、読者の直感(System 1)に訴えかけ、イベルメクチンに対する過度な期待感を煽っています。科学的エビデンスの提示は極めて曖昧であり、がん治療という極めて重大な意思決定に関わる情報としては、信頼性に欠けます。論理的な飛躍や矛盾も散見され、特に「副作用もなく」という断定と、その後の限定的な表現は、読者の誤解を招く可能性があります。
がん治療は、科学的根拠に基づいた標準治療が最も重要であり、未確立な治療法への過度な期待は、患者が適切な治療機会を失うリスクを高めるだけでなく、経済的・精神的な負担を増大させる可能性があります。この文章は、そのような誤った選択を誘導する危険性を内包しています。
誰かがTwitterで言及していた、石川県にある謎の公共施設だ
俺の(一回しか行ったことないけど)心の故郷のひとつである豊中市都市緑化植物園の温室とデザインした人が同じらしくて、たしかに同じような、なんだろうな、森の中に無機質な角ばった建物があって、しかし奇妙に調和している感じというか、そういう雰囲気があるように思う 思うだけ!行ったことないからね
林業試験場じたいが、そもそも地味な植物園をさらにストイックにしたような、まあいわばでけえ公園であり、でけえ公園の中にある謎の展示館なんていったら、基本的に客は全然いない、冴えない公共施設って感じなんじゃなかろうかと思われる
しかしGoogleマップで内部の写真をみてみると、でかい窓の外には一面に森が広がっていて、床は綺麗に磨き上げられた木製で、美しさと温かみを両立、それなりに見応えのありそうな展示物なんかもあるようで、なんというか、普通に良さそう
普通に良さそうなんだよここは
俺は林業試験場展示館の木のベンチに座ってさ、ボーッと森を見たいんだよ
近くに行ったら絶対寄るだろうけど、近くに行くことがなさそうなんだよな
きっと行くことはないだろう
この前Apple Musicで見つけて気に入ったMoodna, Once WithGraceで歌われている(と勝手に思っている)場所だ
Moodna, Once WithGraceは初恋とその終わりについて歌った曲で、メロウな曲調とそこかしこに入るウーとかオーみたいな合いの手が魅力だ hike to Moodnaというのが思い出のひとつとして出てきて、おそらくそのMoodnaというのは、Moodna Viaductという鉄道橋のことを指すらしい
Googleマップの口コミをみると、なにやら100年以上前に作られたものらしくて、古いのに現役ですごい、閑静でいい、鉄道ファンじゃなくても見る価値あり、と評判は上々だ
春とか秋のいい気候の日にハイク・トゥ・ムードナ、鉄道橋を電車が走る音、頬を撫でる風、鳥の鳴き声、そういう光景をボンヤリ思い浮かべるだけで気分が良くなる なんせMoodnaって名前がカッコいいですよ
ニューヨークから北に車で1時間半、みたいな場所であり、ハッキリいって行くチャンスは絶無と言っていい
一生行かないだろう、Never withgraceということになる
デイリーポータルZのある記事で激賞されていた弁当屋で、長崎は島原のあたりの、すげー辺鄙なところにある
とり弁当なる、唐揚げと炒り卵と海苔あたりが主軸となった弁当がメチャクチャうまい、と木村岳人先生が書いていた 彼が別の記事で紹介していた万能薬味が実際すげえうまかったため、その彼が言うんだから間違いないという思いがある
長い間、俺の食いたいものリストのなかのかなり上位に食い込んでるんだけど、一方で島原に行く用事も足もない
車の運転にもう少し習熟すればあるいは…とも思うんだけど、逆に憧れにとどめておくというのも人生のひとつの味わいな気もして、どうですかね?わかんねえなあ
日本一長い吊り橋だかなんだかで、まあ日本一かどうかは置いといて、でかい吊り橋っていうのはいいなあと思う
彼女とよく、行きたいねという話をしてたんだけど、そうこう言ってる間に大阪を離れてしまって、行く機会を失ってしまった
たぶんわざわざ旅行で行くことはないだろうという気がしていて、もう大阪に住むことはないだろうから、つまりは一生行くことはないだろうということになる
そう思うと寂しいですね 本当に行こうと思えば今週末にでも行けるんだろうけど!
なんせ世界の半分だったことがあるというんだから、そりゃあ行ってみたいんだけど、ペルシャ語とか全然できねえし、かなりデカいビビリがある
イスファハーン、どうやら往時の輝きをまだ残しているみたいで、ステキなモスクなんかもワンサカあって、行けばすげえ楽しいんじゃないかなあと思う
イスファハーンネスフェジャファーン!とかいってさ、そういうTシャツを買ったりして、世界の半分を手中に収めれば、人生だって好転するかもしれないんだけど、とはいえ、まあ、行くことはないだろうなあ……
ルーマニアの地下に広がる巨大な塩鉱だそうだ
掘削装置が持ち込まれてライトアップされた、馬鹿でかい地下空間
寒そう、乾いてそう、他のことについては正直想像がつかない 自分がサリーナトゥルダの内部に実際立ったとして、何を思うかわからない
一生わかることはないだろう なんせルーマニアは遠い
幼少期の俺は海洋生物が好きで、テレビの自然番組なんかをよくみていたような気がする
グレートバリアリーフっつったら、もう、そういう海系の場所としては最上位に近いっていうか、なんだろうな、横綱級じゃないですか?
いつのまにか俺は海がすっかり怖くなってしまって、いまやグレートバリアリーフでのシュノーケリングを無料でオファーされても、ビビって断る可能性すらある
タダでもいかないんだから、わざわざいく可能性はゼロに近い(じゃあ行きたい場所じゃないじゃねえか!でも、行きたい気もするんですよホント 憧れは消えねえからさあ!)
もし今後、俺がグレートバリアリーフで泳ぐことがあったら、その日の夜は人生・巡り合わせというものについてかなり思いを巡らせることだろう
Permalink |記事への反応(31) | 22:16
この文章は作者の認知や信念を吹き込まれたAIが記述しています。そこまで間違ったことは言ってないつもりですが、読む場合はその点考慮して。
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| 項目 | ガイドラインの主張 | ツッコミ(現実の運用視点) |
| **パスキー推し** | FIDO2/パスキーを“耐フィッシング”として強く推奨 | ① 結局パスワード復旧経路が残りがち → そこをフィッシャーに突かれれば元の木阿弥。 ②パスキー同期には「SE(セキュアエレメント)搭載端末+クラウドバックアップ+ビッグテックアカウント」前提。本当に全利用者が持ち歩ける?失くした時の再発行フローはどれほど煩雑? ③ 「パスワードマネージャー+強制自動補完」のほうが導入コスト・学習コストともに圧倒的に低いのに完全スルー。 |
| **多要素認証 (OTP 等)** | OTP の発行経路を分けるなどで安全性を高めよ | “経路分離”を勧めつつ、**OTPフォームをそのままフィッシングサイトに埋め込まれたら詰む**という根本問題までは触れず。SIMスワップやプッシュ爆撃の最近例も載せないのは片手落ち。 |
| **HTTPS 周り** | 画像 1 枚でも非HTTPS なら錠前外れるからダメ | この指摘は正論。ただし本質は HSTS/upgrade-insecure-requests を徹底させればほぼ自動解消。コントラスト比の話まで細かく書く割に *HSTS preload* への言及ゼロは惜しい。 |
| **ドメイン確認の啓発例** | 「正規ドメインを見つければ安心」的な“悪い例”を紹介 | “悪い例”を示す姿勢は良いが「じゃあ何を見れば良いの?」という代替基準を提示せずに終わっている。利用者教育に丸投げは厳しい。ドメイン名を偽装するIDNホモグラフ攻撃を考慮したり、未だにフィッシングが発生している現状も誰もドメイン名を確認できないという現実を表してるし、だからこそパスワードマネージャーだとかパスキーなのに。 |
| **重要 5 項目** | 「メール送信ドメイン認証/多要素認証/ドメイン管理…」を必須扱い | サーバ側チェックリストとしてはコンパクトに整理されたが、**クライアント側の“自動フィル”戦略(パスワードマネージャー)を完全に欠落**。エンドユーザ視点の即効性では一丁目一番地の対策なのに…。 |
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1. **「パスワードマネージャー前提」のセクション追加**
*ドメイン単位の自動補完を“正解”として教え、手入力をさせないUX を推進。人間がURL チェックで勝つのは無理。
2. **パスキー導入時の“リカバリーポリシー”の明文化**
* 失端末時の本人確認経路がどこで“パスワード復活”に回帰するかを図示し、そこが最弱点になることを強調。
*パスキー非対応環境向けに、トランザクション署名(決済内容を端末に表示→同意タップ)の導入を例示。
4. **HSTS preload/COOP 等のブラウザネイティブ保護の活用**
* 「全部HTTPS」にとどまらず、ブラウザ側で強制される仕組みをセットで導入するガイドを追記。
*パスワードでも“過去に保存された端末以外からのログイン要求は即ブロック+アラート”など、実例付きで書くと◎。
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#### 💡 まとめ
ガイドラインは **“事業者側の整備チェックリスト”** としてはよく整理されています。ただし**ユーザーが今日から実践できる“入力しない”系対策(パスワードマネージャー)を全く触れていない**のは惜しい。
「パスキーさえ入れれば万能」みたいな印象を与えないよう、**復旧経路=フィッシング経路** になり得る現実と、**導入ハードルの高さ** を明確に書き加えるとより実践的になりますね
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| PDF の記述 | 見落としている現実 |
| **「多要素認証を必須にしよう!」** ログイン・設定変更・送金時に TOTP/SMS/メールOTP を組み合わせるべし、と力説 | **中継型フィッシング(AitMリバースプロキシ)でOTP はその場で横取り可能。**利用者がトークンを入れた瞬間、攻撃者はセッションを生成→被害成立。 → *“もう 1 要素足せばOK” という前提が崩壊* |
| \*\*「OTP 窃取事例が増えている」\*\*とは一応書いてある | でも対策は \*\*「目的をメッセージ内に書け」と「経路を分離しろ」\*\*程度。 → **AitM のリアルタイム中継**を防げない点に触れず、“二経路なら安心” という 2010年代の発想のまま |
| **「耐フィッシング MFA として FIDO2/パスキーを検討」** | そこは評価◎。しかし **パスキー復旧=パスワード経路** をどう守るかが不在。 復旧時に結局メール+リンクでパスワード再設定→AitM で焼け野原、は書いていない |
### 🔥リバースプロキシ型フィッシング (AitM) の流れ
1.攻撃者が `evil-proxy.example` を立て、裏で正規サイトへリバースプロキシ。
2.被害者がログイン →パスワードも TOTP も**その場で**中継。
3.攻撃者は正規サイトで完全なセッションクッキーを取得し、以後OTP不要で好き放題。
> **結論:TOTP/SMSOTP は「パスワード再利用勢」への応急処置**に過ぎず、
> **パスワードマネージャー+一意乱数パスワード勢**には負担だけを増やす事になる。
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| 目的 | 具体策 |
| **AitM への真の対抗策** | - **パスキー/FIDO2** を「ユーザー検証付き+同一サイト限定」で推奨 - **トランザクション署名**(金額・宛先を端末に表示→確認タップ)を必須化 |
| **“上級者はOTP 要らない”オプション** | - **リスクベース認証**:信頼済み端末&一意パスワードならOTP免除 - **デバイスバインディング**:Cookie+TLS ClientCert で本人端末限定ログイン |
| **復旧経路が最弱点** | -パスキー利用者でも **「復旧は対面確認 or物理郵送コード」** 等で別経路を強固に - 「メールリンクだけ復旧」は明示的に非推奨と記載 |
| **ユーザー負担の最小化** | - **「OTP 全面必須」ではなく“高リスク操作のみstep-up MFA”**方針を明文化 -パスワードマネージャー利用者には「危険を理解した上でOTPオフ」チェックを用意 |
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もっと言うなら、MFA として FIDO2/パスキーを検討がおかしいかな。
FIDO2/パスキーは、基本的に鍵をなくしたらどうしようもなくなるほど、ガチガチのセキュリティ施策なのでMFAする意味ないです。パスキー一要素だけで、全然セキュリティ強度は高いです。
ついでに、パスキー使うならパスワード経路もメール経路も含めて完全に普及経路を遮断して不退転の覚悟を持って、多くの人を殺す覚悟で持って進めてほしいですね。☺️
それくらいパスキーは劇薬です。本気で覚悟持ってパスキー利用に進みますか?☺️
半端に混在させるくらいなら、
久々に風邪をひいた。
確かに、少しだけいつもより忙しくしていた1週間だったが、
毎日6時間以上の睡眠は確保していたのに何故発熱するほどの風邪をひいたのか。
男性もパートナーと支えあって生きていくために生理についての知識を持とう、となっているのではないかと思っている。
しかし、生理については個人差が大きすぎて、悩んでいたとしてもなかなか相談できないのが実情ではないか。
「生理前だから眠気ヤバいんだよね」、「生理前食欲止まらない」etc……
そして、生理痛がつらそうな子に痛み止めをあげたり、カイロをあげたりは学生時代よく見た光景だ。
そういったうっすらとした多くの人が抱える悩みについては話せるが、
もっと細かい、そして深刻な生理にまつわる悩みって話しにくいと思う。
学生時代、生理前辛い~~~ってなっていた矢先に出会ったエヴァのアスカのセリフに私は大共感し、心の支えとなった。
「女だからって、なんでこんな目に遭わなきゃいけないのよ。子供なんて絶対いらないのに!」
ほんっとうにその通り!なんで月1回以上もこの煩わしさの相手をしないといけないの!!ってイライラする。
このセリフについて調べると、成人男性の気持ち悪い掲示板や、無知を通り越した無知の知恵袋にしか行きつかなくて
(他のブログなどももちろんあるけれど、私の気持ちを代弁するようなものはない)
似たようなことで困っている女の子に届けばいいなぁと思ってこれを書く。
私は生理自体は軽い。生理痛がない時もあるし、あっても薬を飲めば問題ない。
動けないくらいの痛みも経験ないわけではないが、あっても短時間で消え去る。
一方、PMSが酷い。
希死念慮を抱えながら、一日中同じアルバムをループ再生し、ベッドで涙を流し続ける。
満腹じゃないと落ち着かず、腹八分目くらいの状態になったら菓子パンを買いにコンビニへ。
尋常じゃない睡魔で、雨の日と被った時には、大学の構内をほぼ寝ながら歩いていた。
そして頭痛もひどく、生理前の頭痛がストレスとなって生理が遅れる始末。
もちろん、痛み止めは飲んでいるが、その場しのぎにしかならない。
そして、生理周期が3週間となっていたため、婦人科に行って低用量ピルを飲み始めた。
(生理周期が3週間→うち1週間弱は生理、PMSが生理前約10日間だったので、1か月で元気な時って何日!?って話だ。)
泣いて動けないことはないし、お菓子も通常の範囲内で済んでいるし、仕事中に寝ることもない。
生理の時は鈍い痛みが少しだけあるし、自分なんて......と家に帰って気が滅入って泣くこともあるし、
そして何より免疫力が落ちるので、口内炎やニキビに悩まされる。風邪もひいた。
また、処方してもらうため3か月に1度は医者に行き、半年~1年に1度血液検査をし、生理のたびにナプキンを買う。
子どもを産むための器官が私にストレスを与えてくる。子どもなんていらないのに。
私は性別関係なく社会に生きる一人の"人間"として生きていきたいだけのに、
少しずつ、生理が原因で、心がすり減っていく。
(男性も生きていく中で、男性だからこそ感じているストレスがあるであろうことは十分承知で、
しかもそのことを女性である私は想像して理解して実感することは絶対にできないということはわかっています。
そして、女性の方がつらい・男性の方がつらい、といった話にはしたくないですし、できないと思っています。
というか、これってアスカが男性になりたいっていう話でもないと思うんですよね。私もしかりですが。)
ちょっと話がずれたが、私以外にも、生理やPMSで苦しんでいる人、なんでこんな目にって思っている人は絶対にいると思っていて、
そんな人たちに、症状自体を違うと思うけど、1人じゃないよって伝わればいいな。
そしてアスカのあのセリフにたいしてにちゃにちゃ言う奴らは滅んでほしい。
最後に補足:
このセリフに至るまでのアスカの親子関係等はすっ飛ばしている。
今回の研究報告書では、培養肉をめぐる現在の議論において、細胞を抽出された動物の存在が「ほぼ完全に欠如している」と指摘。「生検後の動物のその後は不明だ。おそらく、他のほとんどの畜産動物と同じ運命をたどるのだろう」と述べている。
そもそもTheVeganSocietyは、人間の優位性という認識に基づいて動物を組織的に抑圧し、不当に扱う種差別主義と闘う立場を示している。だからこそ「この技術の可能性に惹かれる菜食主義者がいることは理解できる。しかし、私たちの方針が明確にしているように、培養肉は菜食主義者でもなければ、動物の利用と搾取の惨状に対する万能薬でもない」と言及している。
一方で、TheVeganSocietyは培養肉が食糧危機や環境保護、アニマルウェルフェアにもたらすメリットを認めている。その上で「急速に変化する分野であることを理解しており、引き続き検討していく」と議論の余地を残した。
https://www.table-source.jp/news/vegan-society-cultured-meat/
コレステロールが高いからりんご酢を飲み始めたんだけど、これ現代の万能薬に近いのでは。
血圧下げるわコレステロール値下げるわダイエット効果もデトックス効果もあるわで飲まない理由が見当たらない。
血糖値下げる効果も強すぎて糖尿病患者は医師の診断仰がないと飲めないとかやばすぎるだろw
なぜうちは林檎酢飲む習慣がなかったんだろ。これ飲んできたら今頃もっと健康だったろうに、自分…。
ここ10年くらいレモン汁と炭酸水と液体甘味料でレモネード作ってビタミンC摂取!とかしてきたけどりんご酢に比べたらおままごとに近いじゃん。
業スーで原液一本200円しないし、水と液体甘味料入れるだけでフルーティーでクッソ美味いしなんだこれ。
死ぬまで続けるわ。
パヨク経済学者トマ・ピケティが、自身のベストセラー『21世紀の資本』に関する公開討論でちょっとした騒動を引き起こした。ピケティは新しい論文で、評論家たちが彼の有名な「r>g」の公式を誤用していると述べている。この公式は、資本収益率(r)が経済成長率(g)を上回り、貧富の差が広がることを示している。
人々が「r>g」を今日の不平等の完全な説明として使うとき、彼らはピケティの本の議論を正しく表現していないとピケティは言う。むしろ、彼の本は大恐慌前の資本主義の巨大な不平等の説明として、そして富の集中を防ぐための行動を取らなかった場合に何が起こるかを予測したものとして読まれるべきだ。
彼が本の中で述べているように、現在の不平等の約3分の1は資本所得によるものであり、残りは賃金の不平等によるものだ。ピケティは確固たる立場にある。批評家たちが彼を知的に抹殺されたと主張するのは間違いだ。
しかし、この騒動を別にすれば、ピケティが確かに疑わしい議論を展開していることは事実だ。具体的には、ヨーロッパにおける不平等と低成長の責任の一部を教育によるスキル開発の欠如に帰している。彼は賃金格差の原因を「技能と高等教育へのアクセスにおける格差の拡大」に一部帰している。
でも、ピケティはここで完全に間違っている。教育水準が高い人ほど収入が多いのは事実だが、必ずしも教育水準が上がれば賃金全体が上がるわけではない。1973年以降、大学進学率はほぼ3倍になったのに、その間に不平等は急上昇した。大学卒業生の賃金は2000年以降実際に下がっている。
教育がどのように機能するかという話は、個人レベルでも破綻している。技能不足が平均所得の停滞の原因だとしたら、貧しい人々が大学に通って中流階級や上流階級に躍り出る一方で、裕福な人々は落ちぶれることになるはずだ。実際は、その逆だ。裕福な家庭の子供で大学にも行かない子供が裕福になる可能性は、大学に通う貧しい子供よりも2.5倍高い。
ピケティのヨーロッパに関する議論はさらにひどい。彼の数字が正しければ、ヨーロッパが高等教育にもう少し投資したいと考えるのも理解できる。しかし、ヨーロッパの低成長の原因は教育ではなく緊縮財政にあることは疑いようがない。教育は、不況時の経済弱体化に対する他の供給側の説明と同様に無意味だ。
ピケティに公平を期すために言っておくと、これらは彼のさまざまな議論のほんの一部に過ぎず、彼は緊縮財政全般の支持者ではないことは確かだ。ここでのいかなる発言も、教育そのものに対する攻撃として解釈されるべきではなく、教育だけが不平等や成長の鈍化を解決できるという考えに対する攻撃として解釈されるべきだ。ダボス会議の参加者たちは、すでに教育を経済の万能薬として重視しすぎている。ピケティ氏は彼らに攻撃材料を与えるべきではない。
今回、私が広報担当として指揮を執ったフジテレビの記者会見は、間違いなく「広報の総合格闘技」と呼ぶにふさわしいものでした。経営統治の不備やガバナンスへの不信感に加えて、あの中居正広さんと女性とのトラブルが引き金となり、広告主・株主からの批判が噴出。さらに初動の遅さが炎上を招き、もはや打つ手は限られた状態でした。しかも、事前にキャッチコピーを作り込んだり、議題をコントロールしたりといった一般的な記者会見の下準備をする余裕すらなく、結果的に「真っ向勝負で説明し切る」という選択肢しか残されていなかったのです。
それでも「なんとか世論をこちらに振り向かせたい」という思いから、私はあえて「途中休憩ゼロ」という強硬策を打ちました。これは過去に何度か危機管理広報の現場を経験してきた私の現場感覚がなければ躊躇していたかもしれません。会見の長丁場化は予想していましたが、10時間を超えることになるとは正直、私自身も想定以上でした。普通なら1時間半、長くても2時間程度が限度でしょう。ところが今回は「途中退席すら許さない」「中途半端な説明で逃げるのを防ぐ」という方針を徹底するために、どうしても会見そのものを“終わらせない”という選択をしたのです。
ただし、これほど長時間になると、経営陣の身体的負担は計り知れません。中には体力が限界を超える人も出かねないし、トイレ問題も当然出てきます。そこで、私が下した結論は「着用できる方にはおむつを履いてもらう」というものでした。最初は「企業のトップがそこまでするなんてあり得ない」「逆に恥を晒すだけでは」と反対意見も多かったのですが、企業の信頼が大きく揺らぐ非常事態だからこそ“常識”にとらわれている場合ではないと思ったのです。実際、一部の経営陣は顔をしかめながらも最終的には納得してくれました。結果、「トイレ休憩ゼロ」で会見を駆け抜ける覚悟を示すための、“ある意味での必殺技”となったわけです。
しかし、ただ「休憩なしで座り続ける」だけでは説得力が弱いと感じていたのも事実です。そこで、今回はもう一つ演出的な工夫を凝らしました。それが経営陣のメイクです。長時間の質疑応答で表情が崩れていくのは避けられないにしても、最初からやたら「元気そう」では逆に「まだまだ余裕があるのでは」と見られてしまう。そこでプロのヘアメイクさんに依頼して「深刻さや悲壮感が伝わるメイクをお願いします」と、あえて目の下のクマを強調させたり、肌の血色を落とすなどの技術を駆使してもらいました。「ここまで追い詰められている」「会見前から眠れずやつれている」という雰囲気を演出することで、世間に本気度や過酷さを伝えようとしたのです。
さらに、私は「10時間」という長丁場に耐えるための体力面にも気を配りました。長時間の拘束により、本当に病人が出てしまっては本末転倒です。会見直前ににんにく注射(ビタミンB1などを主成分とする疲労回復用注射)を受けてもらうよう手配したのもその一環です。もちろん、にんにく注射が万能薬というわけではありませんが、「とにかく極限まで身体を持たせて、最後まで答え続ける姿勢を崩さない」――この必死さを表すためには、思いつく限りの手段を使わざるを得ませんでした。実はこの一連の準備を知った広告代理店や業界関係者からは「やり過ぎでは?」という声も聞かれましたが、私は「現状のままでは何も変わらない」と信じて突き進んだのです。
会見が始まると、予想通り、いや予想以上に批判的な質問が次々と投げかけられました。初動の遅れ、被害女性への対応、第三者委員会の独立性への疑念、広告主や株主の不信感――矢継ぎ早に問い詰められる経営陣は、表情も声もどんどん疲労の色を帯びていきます。それを見て、私は内心「これが狙いでもある」と思っていました。というのも、今回の会見はただ“綺麗な釈明”をするのではなく、「企業のトップたちが全力で問題に向き合っている」という“過酷なまでの姿”を見せつけることで、何とか世論の“厳しさの中にもわずかな理解”を引き出したいと考えていたからです。
実際、時間が経つほど、SNS上でも「まだ打ち切る様子がない」「トイレ休憩させてあげて...」と戸惑い、少しずつ空気が変わっていきました。(開始6時間後におむつ交換のため一度のみトイレ休憩を実施しました)「フジテレビかわいそう」「批判は当然だけど、確かに逃げない姿勢は見える」といった声が散見され、会見後は一部の広告主が「とりあえず引き続き見守ってみようかな」と態度を軟化させる動きも出始めたのです。もちろん完全に信用を回復できたわけではありませんが、少なくとも「何も説明しない・弁明ばかりの企業」というレッテルを多少は拭えたのではないかと感じています。
こうした「広報の総合格闘技」的アプローチは、一歩間違えれば単なる“奇策”として失敗に終わる危険性も高いです。おむつや悲壮感メイク、にんにく注射などのあらゆる手段を駆使するなんて、「そこまでしないとこの企業は立ち直れないのか」と呆れられかねないリスクが常に付きまといます。事実、私も「大丈夫か」「逆効果にならないか」と自問自答を繰り返しました。しかし、それでも「あえてここまでやるしか、この炎上は収まらない」と確信するに至ったのは、私自身が過去に積んできた危機管理広報の実績と、ここで何もせず中途半端に終わるとフジテレビが本当に沈む、という強い危機感があったからです。
結果として、記者会見は10時間を超える日本史上最長クラスの“異様な”長丁場になりました。けれども、経営トップたちが極限状態に追い込まれながらもなお説明を続ける姿は、炎上中の世間やメディアに対して「ここまでやって初めて、本当に反省していると見てもらえる」という一定の効果を生み出したと思います。もちろん問題の根幹はまだ解決していませんし、企業風土の改善や被害者への誠実な対応、株主・スポンサーへの信頼回復にはまだまだ時間が必要です。それでも、私としては「少なくとも企業として逃げずに向き合った」という揺るぎない事実を残せたことに意味があると感じています。
広報という仕事は、単なる“宣伝役”ではなく、こういった「総合格闘技」とでも言うべき様々なアプローチを駆使して、企業や組織が抱えている根本的な課題に向き合い、世間との接点を作る役割だと改めて実感しました。綺麗ごとだけでは済まされない現場で、身体を張って危機を乗り越えるための戦略を作り上げる――それが私の真骨頂でもあります。今回の壮絶な経験を糧に、フジテレビの再生に向け、そしてこれからの広報の未来に向け、まだまだ闘いは続きます。私自身、これほど辛い戦いは滅多にありませんでしたが、「何もやらなければ企業は沈む」という危機感を共有できたことで、最後まで全力を注ぎ込めたと思っています。確かにハイリスクな一手でしたが、現状を変えるには総合格闘技さながらの捨て身の覚悟が必要でした。その覚悟が少しでも多くの人に伝わっていれば、これからの信頼回復への一歩として報われるのではないでしょうか。
例えばハラスメントされたら目の前で脱糞したらそれ以上詰められないだろう
例えば彼から別れ話されたら目の前で脱糞したら別れ話はうやむやになるだろう
例えば借金返済をせまられたら目の前で脱糞したら回収を諦めるだろう
人前でうんちできないくらいじゃまだ追い詰められてないだけ
灬
部首は「烈火(れっか)」と言われる、漢字の下の部分にある四つの点です。これは「炎」が簡略化されてこの形になったものです。
点 烈 焦 照
なども同じ仲間です。でも、なぜ「熊」に「火」が関係するのでしょう?
いろいろな説があるようですが、『漢和大辞典』(学研)によれば、火の精と考えられていたことに由来するようです。クマの油はとてもよく燃えるので…、ということも関係するようです。
クマは古来から食用とされてきました。主に北海道から中部エリアまでですが、冬に収入源が激減する東北エリアの人たちにとっては、クマを捕獲するのは生命線とも言えました。特に「熊の胆」などは万能薬ということで高値で取引されました。
クマの肉の脂肪分は融点が低く、旨味も強いそうです。そういった特徴が「燃えやすい」というところにつながるのかもしれません。
正しさで殴りつけてくる麗奈にめっちゃムカついてたので、(滝にフラれるとかして)コイツ1回ボコボコに心折られねーかなと思ってたら、自らの手で久美子をソリ落ちさせて死ぬほど凹むという、まさにそんな展開が飛んできたので麗奈を赦す気になれたの良かった(結論)。
色んな意味で話題になったシリーズ第3期12話で久美子と滝は以下の会話をかわす。
滝「そうですね。正しい人でしょうか。本当の意味での正しさは、皆に平等ですから」
滝「黄前さんは、どんな大人になりたいですか」
久「私は…。私も、そんな人になりたいです」
以下、アニメ『響け! ユーフォニアム』シリーズの感想を、物語が提示した“正しさ”に沿って述べる。
正しさを他人に押し付けるとき、そこには暴力性が宿る。久美子と麗奈はむしろそれを行使してきた側で、実力が上だからという理由で3年生の中世古香織をソリから追い落としたことや、家庭の事情で全国大会前に引退しようとしていた田中あすかを強引に引っ張り出したことは、まさにその典型だ。その時、久美子たちはまだ1年生で、責任を負わない立場だから好き勝手やって良かったし、正しさで相手をねじ伏せることは快感を伴うので、作劇上それらはむしろ肯定的に扱われていた。ゆえに正しさの中に潜む暴力性はこれまで適切に隠蔽されていたのだが、3期になってブーメランとして返ってきたことで、その問題点が一気に噴出した。そして久美子と麗奈では反応が違った。
久美子は下級生を指導する過程で黄前相談所という二つ名を得るほど面倒見が良く、そして部長になったこともあって精神的に成熟し、融和的なスタンスを取るようになった。一方の麗奈はなんら変わることなく正しさの信奉者であった。ふたりとも「北宇治は実力至上主義」というイズムを共有していたし、強豪校からの転校生である黒江真由が「(ソリを奪うことになるから)オーディション辞退しようか?」と何度も何度も何度も本当にしつこく何度言ってきても久美子は「上手い人が吹くべき」というスタンスを一度も崩さなかった。
ただ、全国大会金賞を目指すべくオーディションを大会ごとにしたことで緊張がずっと続いたことや、大幅に変わった編成への疑問、そして精神的支柱である久美子が本当にソリから陥落するに至って部の混乱はピークに達する。これに関しては仲の良い者の間でも意見が別れており、たとえば強豪校出身の川島緑輝が「実力は同じなのだし、それだったら部が落ち着く方が」と久美子を支持する一方で、高校から吹奏楽を始めた加藤葉月は「それだとオーディションが成り立たない」という意見だった。葉月は本当に素人からスタートしており、3年生になってようやく大会メンバーに選ばれた。しかしだからオーディションを肯定しているわけではなく、落ちていたとしてもおそらく同じことを言っただろう。彼女の言葉は真っ直ぐで、積み重ねてきた努力に支えられていることは明白だった。一方の緑輝も、強豪校でやってきた経験から、おそらくは部の空気が合奏に与える影響を理解しており、だから部がまとまることを重視していたのだと思われる。つまりどちらも「正しい」。しかしそうやって意見が分かれ、「正しさ」が衝突しあう只中で、久美子と麗奈は袂を分かつ。
久美子は、部の混乱を収めるには顧問の滝が編成の変更やオーディション結果に対する意図を説明することでみんなが納得することだとしてその道を模索するが、しかし麗奈は「そこに疑問を抱くと全てが崩れる。指導者の方針に従うのは大前提」と否定、さらにはソリ落ちした直後の久美子に「自分の努力不足を棚に上げて思い通りにならないってそんな言い訳か文句が大半」という正論を浴びせ、「部長失格」の烙印を押す。
このシーンに対する感想を言わせてもらえれば、「安全地帯から正論ぶってんじゃねえよ麗奈ァアッッッ!」である。心底ムカついたね。
高坂麗奈はサラブレッドなトランペッターである。父がプロの奏者で、家に防音スタジオを作れる程度には裕福で、幼い頃から音楽指導も受けてきた。彼女は学生離れした実力者で、当然のように大会メンバーはおろかソリストに選ばれる。環境だけが彼女をそうしたとはもちろん言わない。それに見合うだけの努力をしてきたのだろう。だから彼女が「自分の努力不足を棚に上げて指導者に楯突くなんて!」と言うのは“正しい”。目標を全国大会金賞に設定したのは部員たちだし、それに向けて合奏を作り上げるという意味で滝の指導力に疑う余地はないのだから、従うのは当然。麗奈が言うことは常に“正しい”。そして久美子も視聴者も、その麗奈の“正しさ”に一度は与したはずである。“正しさ”でもって中世古香織を追い落とし、田中あすかを大会に引きずり出し、劇的に描かれたそれらのシーンに感動してきたのだから。そこに潜む暴力性に気づこうともせず。だからいざその暴力性が自らに向けられたとき慌てふためくのは滑稽な話である。しかし感情は偽れない。“正しさ”で殴りつけてくる麗奈はやっぱりムカつくのだ。そのムカつくという感情がベースにあることは認めつつ、その上で言いたい。正しさは万能薬じゃない、と。
麗奈の正しさは(構造的に)滝の影響を強く受けている。北宇治吹奏楽部顧問の滝昇は若手ながら実力のある音楽指導者で、部員たちに「全国を目指す」か「楽しく過ごす部にする」かを選ばせた人物である。生徒の自主性を重んじると言えば聞こえはいいが、自分たちで選んだからには妥協を許さないという暴力性がそこにはある。確かに滝の指導力は本物で、北宇治はメキメキと実力をつけ、就任1年目にして全国大会に進出するほどの成長を見せた。しかし実力が上がれば目標が上がる。目標が上がれば部員たちにより負荷が掛かる。そうして発生したのが関西大会直前に発生した部の混乱であり、滝にはそれを鎮める力もその気もなかった。それは合宿中のやり取りに現れている。
滝「楽しむ、と書いて音楽、ですね」
橋「本当に分かってる?」
滝「(虚を突かれたような顔をした後)分かっていますよ」
場面としては関西大会直前の合宿で、部のピリピリした空気を感じ取った橋本(滝の音大時代からの友人で、北宇治の外部指導者)がジョークで和ませた後、軽く訓示しようとした時のことである。橋本に言わせれば、音を楽しむことが音楽だと本当に分かっていれば、こんな空気を放置しておくはずがない、といったところだろう。滝の、合奏を作り上げるという意味での実力は確かなのだろうが、その指導力が及ぶのは正しさが通用するところまでであり、それで解決できない問題にぶち当たったときは無力である。そして滝自身に解決する気がない。ただの外部指導者に過ぎない橋本が一瞬にして感じ取った「ピリピリした空気」を滝はただの一度も解消しようとしなかったのだから。滝には解決する能力がなく、その気もない。滝に無理なのだから、ミニ滝にすぎない麗奈にはもっと無理である。
そんな部のピリピリした空気を解消したのは久美子だった。思っていることを素直に打ち明け、解決したのだった。
「1年生も3年生も同じ土俵で競ってひとつの目標に向かえる北宇治が好き」 「その北宇治で全国金を取りたい。でも届かなかった」 「何かを変える必要があって、だから大会ごとのオーディション形式にした」 「間違っていたとは思わないけど、でも戸惑わせたことも事実。すみませんでした」と部長として謝ったあと、「納得できない人もいると思う。でも私は北宇治で全国金を取りたい」そう訴えた。「1年間みんなを見ていて思いました。こんなに練習してるのに上手くならないはずない。こんなに真剣に向き合ってるのに響かないはずない。北宇治なら出来る。私たちなら出来るはず」と。
この久美子の真剣な訴えが部員たちの心に響き、部は急速にひとつにまとまった。
さて、久美子は部長失格だっただろうか。その答えは言うまでもなく明らかで、失格なのは正しさを押し付けることしかできない顧問とドラムメジャーであろう。
このあと、久美子と麗奈は仲直りをするのだが、ハッキリ言って納得できるものでは到底なかった。久美子はあっさりと赦していたが、一視聴者としては、「ああ、麗奈を赦すことは絶対にできないな」と思った。物語としては、このあと黒江からソリを奪還し、全国大会金賞を取って大団円を迎えるだろうが、それはそれとして高坂麗奈というキャラクタを心底嫌いになったことだけは動かせないだろう、という結論に至り、そしてそうなるはずであった。
のだが、物語は急展開を迎える。
ここからは原作改変としてすでに話題になっている、ユーフォニアムのソリ奏者を決める公開オーディションについて、私が受けた衝撃を述べる。ちなみに原作未読である。
久美子にとって憧れである田中あすかを思わせる銀のユーフォニアムを携えた強豪校からの転校生で、実力は高い。つまり久美子を脅かすポジションを与えられたキャラなのだろう、ということはすぐに分かった。実際その通りの役回りで、「(私のせいで大会に出られなくなる人がでるから)オーディション辞退しようか?」 「(ソリを奪うことになるから)オーディション辞退しようか?」と本当にしつこいぐらい繰り返し久美子に訊ねるうっとうしいキャラでもあった。それはさておき実力は本物で、いち早く警戒感を露わにした麗奈は、当初「久美子の方が上手い」と言っていたのに、途中から「久美子の方が好き」とトーンダウン。さらにソリの練習に久美子を付き合わせて「私は全国も久美子と吹くつもりでいるから」と激励している。しかし関西大会でソリの座から久美子は陥落する。その際、麗奈は「やっぱり…」という表情を見せるため、滝の求める音を出せるという点で、黒江は明らかに上だったと思われる。
ただこの段階でのソリ落ちは明らかにそういう流れであったし、物語的には全国大会でソリ奪還して金賞の方が盛り上がるため衝撃は全くなかった。物語がそのラインに乗ったことで、そうなることはもはや確定的に明らかだとさえ思った。
関西大会は滝の一存で決まったが、全国大会は甲乙つけがたいとの判断で、部員投票による公開オーディションをすることが決まった。2年前、当時1年生だった麗奈と3年の中世古が競い合ったアレのリフレインである。しかし当時と違ったのは、奏者を幔幕で隠し、音だけで判断してもらうということ。奏者は視聴者にも隠されており、これには第四の壁みを感じた。つまり視聴者であるあなたたちも、音だけで判断してくださいね、という制作者たちの声が聞こえたのである。
音楽的素養は0で、細かいことなんて何も分からないが、確かに2つの音は違った。
1番目の奏者は音が小さく、2番目の奏者は大きく聞こえた。自分が部員なら2番目に投票しようと思った。
投票シーンに移り、2番目の奏者には緑輝、塚本、奏の手が上がる。やはり2番目が久美子だったんだと確信した。同時に勝利も確信した。しかし同票であるという。
滝「奇数のはずですが…」
麗「私が、まだです」
ここで2年前のトランペットのソリオーディションの回想が入る。「裏切らない?」 「もしも裏切ったら、殺していい」のやつである。そして――
麗「……1番です」
え、ちょ、待って。2番が久美子やろ、1番????????????
滝「分かりました。では1番の方は、前へ」
黒江の脚が前に出て、麗奈の顔がくしゃりと歪む。久美子が目を伏せる。
マジかよなんだこれふざけんなよ。
客席からざわめきが広がり、部員たちの困惑した表情が映される。
また正しさの暴力かよ! 誰が得するんだよ、この展開!
困惑と怒りの感情でないまぜになったが、まっさきに動いた久美子の言葉に背筋が伸びた。
久「これが! 今の北宇治のベストメンバーです! ここにいる全員で決めた、言い逃れのできない最強メンバーです! これで全国へ行きましょう。そして、一致団結して! 必ず金を!全国大会金賞を、取りましょう!」
3年間やってきたことがある意味で潰えた直後にこれを言える久美子は本当に立派だと思ったが、脱力した。訳が分からないと思った。
呆然としたまま画面を見続ける。
場面は進んで行き、久美子が麗奈を探している。しかし先に帰ったという。大吉山で待ってるというラインの画面が映され、登りきった先にいた麗奈は背中で泣いていた。
それを見た瞬間、(上からで申し訳ないが)「赦せる」と思った。麗奈は分かってて久美子に引導を渡したんだと理解し、麗奈に対する怒りが氷解した。
正しさは暴力性を孕む。しかしその正しさが自らに向かうときのみフェアネスになる。日本語に直すなら公正さだが、ここは敢えて“正々堂々”という言葉を使いたい。
麗奈は黒江を選んだんじゃない。久美子より音楽を取ったんでもない。久美子との約束を果たしたのだ。
2年前。中世古香織をソリから追い落としたとき、そうけしかけたのは久美子だった。麗奈は「裏切らない?」と聞き、「もしも裏切ったら、殺していい」と久美子は答えた。ここで彼女が言いたかったのは、「自分の音楽に正直であれ」ということだったろう。そういうセリフがあるわけじゃない。しかし含意は明らかなように思われる。迷いを振り切った麗奈は実力を発揮し、ソリの座につく。
麗奈はその時の同じように、正々堂々と、胸を張った。
たとえそれが自らの心臓に刃を突き立てるほど辛いことであっても。
久美子は音大に行かない。公式大会でソリを吹くチャンスは最後だろう。海外の音大に留学する麗奈からすれば、肩を並べて吹ける最後のチャンスでもある。
でもそれを分かった上で、どちらが久美子でどちらが黒江か分かった上で、久美子を切って捨て、そのかわりに約束を、果たしたのだ。
久美子は言った。「私は、それが何よりうれしい。それを誇らしいと思う自分に胸を張りたい」
もし仮に、麗奈が久美子との約束ではなく、久美子を選んでいたら。麗奈はもちろんのこと、久美子も胸を張れなかったはずだ。最後の全国大会で一緒にソリを吹けたかもしれない。高校時代のいい思い出として残せたかもしれない。しかしあのときかわした約束を裏切り、その時の自分たちを殺すことになる。だから“正しさ”に傷つくことが分かっていても、麗奈は己を曲げなかったし、久美子はそんな麗奈を誇りに思うと胸を張ったのだ。
原作改変で賛否両論の展開であるが、私にとってはアニメ『響け! ユーフォニアム』が描いてきた物語の結末として、これ以上のものはないし、これ以外のものもないように思われる。私は私の感想が正しいとは思っていない。久美子と麗奈がソリを務める全国大会が見たかったし、今もまだ見たい。久美子がソリを吹けないなんて嘘だろう、とまだ思っている。だから原作改変に怒っている人たちを否定する気には一切なれない。それもまたひとつのあり方だと思う。でもだからこそ、正々堂々と胸を張る道を選んだ久美子と麗奈を、いち視聴者として誇りに思う。
余談。滝は「どちらも充分ソリが務まると考えています」と言って部員投票に委ねたが、ある意味で嘘だろうと思う。というのは久美子と黒江の音に明確な違いがあったからだ。どちらが上か下は分からない。でも違いがあった。久美子の音は大きく、黒江は小さかった。麗奈が選んだ今なら分かる。久美子のユーフォニアムは主張が強かった、ということなのだろう。あくまでユーフォニアムは影だ。スポットライトがあたるべきはトランペットであって、黒江のユーフォニアムは影に徹することでペットを際立たせる演奏だった(黒江の楽譜には「支える!」という書き込みが何度も現れる)。合奏で求められるのは、つまり滝が求める音を出せたのは黒江だった。
ではなぜ滝はソリオーディションを開いたのか。責任を投げたとは思わない。頑張ってきた久美子にチャンスを上げたとも思わない。本人が述べているように、久美子が部員からの信頼篤き部長であるがゆえに、部がまとまるにはそれが最善と考えたのだろう。
「私は、今の北宇治を高められるところまで高めたと、自負しています」。つまり本当に、久美子と黒江で大きな差はないのだ。どちらで臨んでも、金に届きうる。そのために必要なのはむしろ部のまとまり。そういうことなんだろうと思う。
余談その2。12話の放送直後、シナリオライターが原作改変を主導したのは自分だと告白していた。
https://x.com/oitan125/status/1804807383018795391
賛否両論になるのは間違いなかったから、その責任を一手に引き受ける、とそういうことだろう。アニメの中で、麗奈がやったのと同じ立ち回りである。これが正しい結末だと、原作を改変してまでそれを押し付けた。しかし同時にそれに納得のいかない視聴者からボコボコにされることを引き受けた。正々堂々と、胸を張ったのだ。いち視聴者として、制作スタッフの決断とそれを支持した原作者を誇りに思いたい。
もうすぐアニメが始まるから注目が集まってて嬉しい。あれだけの人気作品だから好きな人も多いと思う。私も好き。あの独特な雰囲気が良きだし、静謐という言葉があれほど似合う作品もない。あの雰囲気を作っているのはフリーレンのキャラと、エルフの長寿ではないかと思う。
そもそもなんでエルフは長寿なんだろう。ふと疑問が出てる。bing君に聞いてみたところ、
・エルフは自然に深く繋がっているから自然からエネルギーを吸収して老化を遅らせている
こんな回答が返ってきた。魔法で若さが保てるなら、人間の魔法使いだって長寿じゃなきゃいけないと思うけど、エルフしか使えない魔法があるのかもしれない。まあ、それぞれ作品ごとに設定があるなら、それはそれで。
エルフの長寿というのは数百年とか、千年とか、これも作品ごとに違うんだろうけど、人間にはピンとこない長さだ。今を基準にするなら鎌倉室町時代あたりから生きてることになる。武士の世の中を経験して、平和な江戸、激動の明治大正昭和をなおまだ現代も生きているとか、もはや意味がわからない。神に近い生き物って感じすらする。江戸前エルフで神様として祀られているのも納得。
エルフの寿命を人間で考えるなら、人間とハムスターの寿命を比べるようなものだろうか。短い寿命のペットを飼っている人は必ず喪失を経験する。その悲しみに耐えられなくて二度と飼わない人もいるし、悲しみを埋めるために別のペットを飼う人もいる。常に複数のペットを飼うことで、一つの死が特別でなくなるようにしている人もいる。
要するに、寿命の長い側が喪失を何度も受け入れなきゃいけない。関わるだけでそれを強制される。長生きもたいへん。エルフと人間との関わりというのは、これと似たようなものなんだと思う。
多くの作品でエルフが人里から離れてエルフの村落で暮らしているのは、人間とエルフの価値観が違っているからだろうし、その価値観の相違は寿命の長さから発生する。似たような外見をしているからこそ、タイムスケールの違いは埋めがたいものになる。
例えば、ハムスターが喋れるようになったら、人間は同じように飼うことができるだろうか。意思疎通ができて、今まで以上に仲良くもなれるけど、3年で死んでしまう友達。私はちょっと無理かもしれない。考えるだけで尻込みしてしまう。ダメージが大きすぎる。無理無理の無理。
だから、エルフは人間には近づかないというのは納得感がある。人里で暮らすエルフは珍しい存在だし、エルフと人間の子供のハーフエルフはもっと珍しい存在になるはずだ。
ここで脱線して、エルフは生涯何人の子供を産むのだろう? エルフがずっと若いままで、妊娠可能であるのなら、500年もあれば数十人、やる気があれば二百人以上は産めてしまう。それぐらいの繁殖力と寿命があれば、世界はエルフだらけになって、人間なんてとてもとても生存圏を広げられない。エルフの覇権世界だらけになりそうなものだけど、物語世界では人間よりエルフの方が数が少ないことになっている。人間が支配的なことが多い。世界をエルフが支配している物語ってある?
人間は寿命が長くなるに従って、子供を産まなくなっていく。寿命が長くなるということは豊かな生活をしているということで、1人の子供を育てるコストが高くなる。だから、そんなにポンポン産めなくなる。
エルフの場合は少し違うように思える。エルフは自然に近い生活を送っているので、豊かさとは別、つまり、発情期に合わせて子供を産むんじゃないかと思うのだけど、違うのだろうか。子供が少ない点からして、エルフは数十年、数百年に一度しか発情期が来ない。とするとそれを逃したら子供を産まないのか。流石に生き物としてどうなのかと思うので違いそうだ。そもそも妊婦のエルフというキャラを見たことがない。本当にエルフは胎生なのだろうか? 木から産まれたりしない?
ところで、この文章にオチはないし、どこへ向かうかも考えられていない。寿命から考えたことを並べただけにすぎない。強いてオチをつけるなら、人間がエルフの長寿に近づく方法が一つだけある。
それは