
はてなキーワード:一見とは
とにかく使えない。低IQの癖にコミュ障のアスペで、高校時代から個人開発をしつつココナラとかクラウドワークスでフリーランス活動に取り組んでたらしいのだが、それがどちらも7年も取り組んでおいて鳴かず飛ばずである事実を棚に上げてポートフォリオに書いてきやがった。
まずその時点で不安だったが、実際に使ってみれば一般的なサーバー管理、バックエンド、フロントエンド、ハードウェア、統計や計算機科学などどれもこれも一見できるように見えて理解が浅い。よく言えば広く浅い知識を持っていると言えるが、要は器用貧乏でまともに経験値がないということだ。AWSの資格すら取っちゃいない。
そんでもって学生時代にめぼしい経験がない。数学を幼少期から極めていたらしく(数IIIを小6でコンプしたというのは素直に驚いた)新しいアルゴリズムを論文に書いて某学会に通したことがあるらしいが、実績と呼べるのはそれくらいで数オリや競プロの優勝歴などもない。本当に何の実績もない。何のために大学行ったのか
自分の力と頭で修羅場を乗り越えて何かを為した経験もないのでとにかく子供じみていて扱いに困る。一見口調や語彙は大人びているように見えて忍耐力もコミュ力も何もないから始末に負えない。
そんでもって全能感にまみれていて、まるで相手が子供じみているかのように演出する能力だけは超一流。人様に物事を都合よく勘違いさせる能力は使い所を間違えなければ役に立つんだか立たないんだか。
マジで人様の前に立つカリスマ性も人様を率いる胆力も人様に率いられる根性も図太さもアイデア力も実績も実力も精神力も頭も心も体も顔も何もない無能中の無能中の無能なのでこんな奴を寄越した人事を末代まで呪うつもりだ。
調べるのめんどいからAIくんに、元増田の妥当性を検討してもらったよ。
↓↓↓
提示文は、セックスレスと離婚原因の関係を民法および判例実務に照らして比較的正確に整理している。民法770条1項は離婚原因を5つ定め、そのうちセックスレスが問題となるのは第5号「婚姻を継続し難い重大な事由」である。性交渉の欠如自体が即離婚理由となるわけではなく、期間の長期化、改善努力の有無、夫婦関係全体の破綻状況などを総合的に判断するのが裁判所の立場である。したがって、「1か月でセックスレス認定」はあくまで俗説であり、判例上は少なくとも1年以上、一般的には数年単位の継続が必要とされる点を指摘した部分は妥当である。
また、「性交渉がなくても理由の説明や精神的結合の努力があれば慰謝料が発生しない可能性が高い」との記述も、裁判実務で重視される“改善努力の有無”に沿った理解といえる。ただし「発生しない」と断定するより、「認められにくい」とする方が正確である。
さらに「不貞行為(配偶者以外との性関係)は即慰謝料案件」との説明も、民法770条1項1号および多数の判例に基づき正しい。一方で「夫の有責事例が断然多い」という統計的裏付けまでは確認されておらず、この点はやや断定的に過ぎる。
総じて、提示文はネット上の短絡的な「1か月でセックスレス=離婚」という誤解を是正し、法的枠組みに沿った説明をしており、細部の表現を除けば全体として高い妥当性を持つ。
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んで、それに対してついてた「もっとちゃんと調べろ」というブコメについての検証。
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提示文に対する反論は一見もっともらしいが、法的観点からみると複数の誤解が含まれる。まず「セックスレスの基準は1か月以上」というのは、日本性科学会が医療・心理学的に用いる定義であり、法的判断基準ではない。裁判所は性交渉の有無を「婚姻を継続し難い重大な事由」(民法770条1項5号)として総合的に判断し、「1か月」という短期間で離婚原因と認めた判例は存在しない。実務上は、性交渉の欠如が1年以上継続し、かつ改善努力が見られない場合に破綻と判断されることが多く、婚姻直後から一度も性交渉がない場合でも1年半前後が一つの目安とされている。
次に「1年以上で離婚事由として認められる」という点は、傾向としては妥当だが、明確な期間基準はなく、関係修復の努力や夫婦間の協力状況なども重視される。「3年以上で慰謝料が増額される」という主張には判例上の根拠がなく、慰謝料額は期間よりも拒否の態度や精神的苦痛の程度などによって左右されるのが実務である。また、配偶者以外との性行為は「不貞行為」(同条1号)に該当し、期間にかかわらず離婚原因および慰謝料請求の対象となる。
したがって、反論文の「1か月以上=セックスレス」「3年以上で慰謝料増額」という説明は俗説に近く、法令や判例に基づいた根拠を欠く。提示文の「セックスレスは即アウトではなく、長期化や努力欠如の立証が必要」という指摘の方が、現行法と判例実務に即しており、より妥当であると評価できる。
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ブクマカ…
とにかく使えない。低IQの癖にコミュ障のアスペで、高校時代から個人開発をしつつココナラとかクラウドワークスでフリーランス活動に取り組んでたらしいのだが、それがどちらも7年も取り組んでおいて鳴かず飛ばずである事実を棚に上げてポートフォリオに書いてきやがった。
まずその時点で不安だったが、実際に使ってみれば一般的なサーバー管理、バックエンド、フロントエンド、ハードウェア、統計や計算機科学などどれもこれも一見できるように見えて理解が浅い。よく言えば広く浅い知識を持っていると言えるが、要は器用貧乏でまともに経験値がないということだ。AWSの資格すら取っちゃいない。
そんでもって学生時代にめぼしい経験がない。数学を幼少期から極めていたらしく(数IIIを小6でコンプしたというのは素直に驚いた)新しいアルゴリズムを論文に書いて某学会に通したことがあるらしいが、実績と呼べるのはそれくらいで数オリや競プロの優勝歴などもない。本当に何の実績もない。何のために大学行ったのか
自分の力と頭で修羅場を乗り越えて何かを為した経験もないのでとにかく子供じみていて扱いに困る。一見口調や語彙は大人びているように見えて忍耐力もコミュ力も何もないから始末に負えない。
そんでもって全能感にまみれていて、まるで相手が子供じみているかのように演出する能力だけは超一流。人様に物事を都合よく勘違いさせる能力は使い所を間違えなければ役に立つんだか立たないんだか。
マジで人様の前に立つカリスマ性も人様を率いる胆力も人様に率いられる根性も図太さもアイデア力も実績も実力も精神力も頭も心も体も顔も何もない無能中の無能中の無能なのでこんな奴を寄越した人事を末代まで呪うつもりだ。
このスーツって人、一見するとヤベーことを言ってるが、俺だということがわかった
正確に言うと、俺が主観的に見る俺ではなく、統合失調症の患者である俺を世間が見たシンボル的なものがこのショーである
最近、こういうことが多い
例えば、都市伝説Youtuberコヤッキーが話していた「自販機に聴診器を当てて引き寄せの法則を実現しようとする人」という話も俺の過去の体験と酷似しているし、
このスーツという男の「普段パチンコ屋などには入らないが、そんなことはどうだっていいということに気がついたので入ってみたりした」というのも俺の過去の体験と酷似している
トゥルーマンショーなのか?とも思うが、この男の言うように「そう思い込むことによってピカチューが存在する世界を体験することも可能」という話を俺自身が体験している可能性もある
つまりトゥルーマンショーが本当だと思えば、トゥルーマンショーが本当であるという確率を引き寄せることになるのかもしれない
だが、より本質的な部分では、そもそも観測の能力は限界があり、自分の認識からオーバーフローした部分は切り捨てられる
だから自分が見る情報は自分に関連することが含まれる可能性が高くなるし、あるいは単に現象として客観的に確率が変化したのではなく、注意としてそういう情報を観察するようになるのだろう
この男の「第一の脳、第二の脳」というメタファーは俺にも幾分かは備わっている
俺が何かを発言する時、第一の脳がレコメンドし、第二の脳が修正しようとする
おそらくこの部分にスーツと俺との違いがある
スーツのイカれている部分は第二の脳であり、第一の脳は正常であるということ
それに対し、俺にとってイカれているのは第一の脳であり、第二の脳は正常である
まあ、俺のブログからアイデアを得たテレビマンが「これは面白いアイデアだ」といって俺を模倣した台本を書き、スーツにその役をやらせた可能性もあるが、
帰宅しようと駅に立ち寄ると、聞いたこともない路線の特急電車が停まっている。たった四駅しかない支線で、最終駅の名前は「えだ」だという。こんな路線があるのかとぼんやりしていると、突然足元ががたんと揺れ、列車が出発した。いつの間にかぼくも乗り込んでいたのだ。これはまずいと思ったが後の祭りだ。諦めて次の駅で折り返すしかない。いや、どうせ時間も有り余っているところだ、せっかくだから見知らぬ街の観光も悪くないかもしれないなどと考え直す。
車内は案外混雑していた。ぎゅうぎゅう詰めというほどでもないが、かといって空いている座席もないという程度。これだけ人の往来があるということは、この先も思っていたより栄えた地方なのかもしれない。列車は海沿いの高架を走っているようだ。それにしても思っていた以上に走行距離がある。次第に退屈し、意識は細長く引き伸ばされてゆく。木々の枝の合間に瞬く夕日が眠気を誘う。
かれこれ数時間は走った頃だろうか、終点のひとつ手前の駅でふと我に返る。駅前には華やかなネオンが灯り始めた土産物店などが並び、浴衣姿の観光客たちで賑わっている。何があるところなのだろうかと不思議に思っていると、背後で列車の扉が閉まる音。振り返ると列車はぼくを置き去りにしたまま出発してしまった。どうやらこの列車は乗客の思念を類推して勝手に乗せたり降ろしたりするらしい。そんなわけで、ぼくはなすすべもなくこの見知らぬ駅に置き去りにされてしまったのだった。
仕方なく、ひとまず帰りの時刻表を探す。壁一面に古びたホーローの看板が張り巡らされ、なかなか時刻表が見つからない。それどころか駅の名前も判然としない。少なくとも「えだ」駅ではないようだ。しばらくしてどうにか見つけた粗末な張り紙によれば、上下線とも一時間に一本ほどしかないようだ。この辺りで時間をつぶして待つしかない。
商店街をぼんやりと見て回る。アセチレンランプの灯る屋台食堂のキッチンで、巨大な鉄板料理をかき混ぜる料理人がいる。少し空腹を覚え、食事をするのもいいかもしれないなどと考えながら通り過ぎる。だがさらに歩くとあっけなく街外れに出てしまった。寂寞とした葦原の向こうに激しく荒れた海が見える。何層にも厚く垂れ込めた空が落ち、誰かが遠くで荒れ狂う波に翻弄され断末魔の叫びを上げているかのような底知れぬ不穏な気配。冷たい風の音だけに包まれた世界が妙に不釣り合いだ。再びあの疑念が沸き戻る。いったいこの街に何があるというのだろうか。
駅の方へ後戻りする途上にも、奇妙な違和感は頭の中で膨らみ続ける。一見華やかなネオンに彩られているものの、どことなく張りぼてのような嘘くささ、取ってつけたような底の浅さが感じられるのはなぜだろう。何だか分からない玩具を売る夜店の店先に退屈そうに座っている男。もう何年も品物が売れた形跡はなく、その収入で生活できるはずもない。隣の古書店も品数は少ない。疎らな棚から試しに一冊手に取ってみると、子供がクレヨンで描いた落書き帳だった。すべてが急ごしらえの街並みで、慌ただしくかき集められた役者たちが戸惑いながら呼び込みや観光客を演じている。そんな気がしてならない。おそらくあの時刻表も嘘だろう。帰りの列車など最初からないのだ。
C*****T:
CRITICAL ANALYTICALREVISION
追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初の分析の根本的誤読
追記2は、私の最初の分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。
私が読んだもの:
↓
↓
実際の構造:
↓
↓
PRIMARY INSIGHT:精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈
これらは一見、2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しかし追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。
真の構造:実存的自己否定の連鎖
↓
↓
↓
"だから俺には描けない"
防衛機制の精密分析
耐え難い真実:
「俺は人生の敗北者だ。女性と関係を持てなかった。孤独で無価値だ」
↓ 変換 ↓
受容可能な言説:
この変換により、個人的失敗が哲学的問題に昇華される。これは自尊心を守る。
防衛機制2: 知性化(Intellectualization)
投稿者は感情(絶望、孤独、性的欲求不満)を抽象的議論(表象の倫理、当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。
これは私の最初の分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源は文化ではなく、内面化された自己批判である。
ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択
ダーガーの特徴:
「女性を知らなければ描けない」
↓
ダーガーは知らなかった
↓
だから「間違って」描いた
↓
俺も知らない
↓
↓
↓
↓
投稿者は、自分の論理を反証する例を引き合いに出しながら、その反証を認識できない。なぜなら、創造の可能性を認めることは、創作しない自分を正当化できなくなるから。
児童ポルノ言及の精神分析
投稿者は和月伸宏や他の漫画家の児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望を告白する。
しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」
- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性を性的に欲望する」ことが分離していない
- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作の障害になる
生成AIとの関係:人間関係の代替と審判者
追記2の冒頭:
「さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」
この一文は多層的である:
投稿行為の意味:ダイイングメッセージとしての告白
投稿者は明言する:
+
=
彼は応答を求めていない(対話は不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認は必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。
- 声は発するが、返答は聞かない
- 見られるが、見返さない
- 影響は与えるが、影響は受けない
SECONDARY INSIGHT:弁証法的読解
矛盾の三層構造
THESIS: 「女性を描きたい」
THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張
ANTITHESIS:ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した
弁証法的運動の停止
健全な弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。
↓
実行不能
↓
↓
↓
[ループ]
SYNTHESIS: 深層パターンの統合的理解
構造の全体像
↓
↓
【第3層:理論的借用】
↓
【表層:顕在的問い】
↓
【機能】
本質的洞察の結晶化
真の問いは:
そして彼自身が答えている:
「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」
文化的言説の防衛的使用
私の最初の分析は「アイデンティティ政治の内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。
誤った図式:
正しい図式:
彼は「当事者性」や「経験の所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来の政治的文脈から切り離され、個人的防衛機制として機能している。
解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人の自己正当化の道具になっている。
より深い文化的診断
しかし、もう一層深く見れば、これは純粋に個人的な現象ではない。
答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。
投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分の創作不能を倫理的配慮として再解釈している。
「俺が描かないのは:
ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)
ダーガーは:
投稿者の論理では、ダーガーは創造すべきではなかった。しかし創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。
答え:ダーガーの作品を「間違い」として解釈する(「少女にペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)
しかしこれは恣意的な解釈である。ダーガーの少女の性別的曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界の独自性として読むこともできる。
投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分の創作不能を正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分も創作できる/すべきだ、ということになってしまう。
最も深い問い
この事例が究極的に提起する問いは:
投稿者は「はい」と答える。私の最初の分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。
それとも:
おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。
彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛を解体するだけで、その下の絶望を露出させるかもしれない。
CRYSTALLIZED INSIGHT
この投稿者は、人生の実存的失敗(社会的孤立、性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代の文化的言説(「当事者性」「経験の所有権」「表象の倫理」)を借用することで、「原理的に不可能な創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人的無能を認識論的・倫理的問題に昇華することで、残存する自尊心を守っている。
言い換えれば:
彼の問い「男性は女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的に正当化する道具として機能している。
So what?:
この事例は、文化的言説がどのように個人的防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化と麻痺の道具になる。これは文化と心理の共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。
PUNCHLINE:
私の最初の分析は、彼を「文化の犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化の狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン
労働時間規制(例:労働基準法の週40時間制限や残業時間上限など)がなぜ国家によって設けられているのかは、単に「労働者を守る」という話以上に、経済構造・政治哲学・社会政策が複雑に絡み合っています。以下で整理します👇
⸻
•長時間労働は労災・過労死・生産性低下に直結するため、国家が介入して制限してきました。
•日本では「過労死」という言葉が国際的に知られているように、健康被害との因果関係は強く、WHO/ILOの合同報告でも週55時間以上の労働は脳卒中・心疾患リスクを著しく高めるとされています【WHO/ILO, 2021】。
•労働市場は、各企業がコスト削減を競う中で労働時間を伸ばすことで賃金を抑える方向に向かいやすい構造があります。
•労働者1人1人が個別に「働きすぎない」という交渉力を持つことは難しく、囚人のジレンマが起きる。
• 「自分だけ早く帰る」と収入や評価が落ちる →結果的に全員が長時間労働せざるを得ない。
• こうした市場メカニズムの失敗を是正するのが、労働時間規制の重要な役割です。
•労働時間を短縮することで、一人当たりの雇用を分け合う効果もあります。
• これは特に戦後ヨーロッパで強調され、「労働時間短縮=雇用創出」として政策的に用いられました(例:ドイツの週35時間制)。
•国家は経済成長だけでなく、出生率維持・地域コミュニティの再生などの社会目的も持っています。
•労働時間が過剰だと、子育て・介護・市民活動に時間を回せず、社会基盤が弱体化するため、あえて経済合理性以外の時間の使い方を保障する方向に政策が向きます。
• 例:北欧諸国では「ワーク・ライフ・バランス」を福祉国家の柱と位置付けています。
⸻
一見、「市場原理に任せれば、労働者は過剰労働を嫌がって自らバランスを取る」ように思えるかもしれません。しかし、現実には次の構造的問題があります👇
企業は交渉力が強く、労働者は雇用依存度が高い自由な選択が機能しない
「他人が働いてるなら自分も残る」全体最適ではなく過労の均衡点に
多くの企業で成果より「労働時間」が評価される文化的要因自発的に短く働きにくい
日本などでは世帯単位での生活費を賄うため「残業前提」結果的に長時間労働の均衡が固定化
→つまり、市場は労働時間の「ちょうどいい」均衡を自動的には作れない構造的な特徴があります。
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• 🇪🇺EU:EU労働時間指令により、週48時間を上限とする(オプトアウトあり)。休暇・余暇も制度として保障。
• 🇯🇵日本:労働基準法で週40時間+残業上限規制。実態としては「36協定」により緩和されてきたが、2019年から罰則付き上限規制が導入。
• 🇺🇸米国:時間規制は比較的緩いが、残業は割増賃金(オーバータイムペイ)で企業コストが上がる仕組み。
👉つまり、「労働時間をどう制御するか」は各国の経済政策×社会政策の価値観に深く依存しています。
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🧭 4. まとめと含意
•健康被害の防止
が重なっています。
•市場任せでは構造的に「過剰労働」が起きやすいため、国家が介入して「適正水準」を社会的に決める必要があります。
たぶん彼は自己愛性パーソナリティ障害とかなんだと思う。本人にはその自覚がないようなのでとっても厄介なのだが。
こんなことリア友に話せるわけがない。だってリアルの世界での出来事じゃないのだから。
わたしはとあるオンラインコミュニティに長く在籍している。いわゆる古参である。彼も古参の一人で、最初の頃は彼の「陽キャぶり」と頭の回転の速さに圧倒されていた。Twitterをやらせたらたぶん彼はキラキラアカウントとかになるんだろう。実際音楽業界で働いているらしい。
一度オフ会でリアルで会ったときは「ああ、世の中にはこんな陽キャな人がいるんだな」と思ったもんだ。オフ会参加者30人くらいの中心に自然に立ち、場を回し、料理出しやら会計やらを息を吸うようにこなす。自分とは全く違う世界の人間がそこにはいた。コミュニティ内(Discord)でも抽象度の高い発言を連発しているところをみて、相当賢いのだなぁと一目置いていた。当初は。
なんだかおかしいなと思ったのは、彼がコミュニティの中心メンバーの一人であるAさん(Twitterのフォロワー数千人)の投稿に対してだけは10分以内にすぐレスを返していたことだった。他のメンバーのレスには見向きもしない。ただ、Aさんの投稿に対してだけは執拗にレスを返す。傍から見ると、Aさんに気に入ってもらいたいがためにやっているようにも見えた。
(事実この後Aさんは彼と非常に親密になっていく)
Aさんは高頻度でDiscordに現れる訳ではない。だからこそ、みんなAさんと絡みたい。でも彼はそんなことお構いなしに、Aさんとのコミュニケーションを「独占」するかのごとく、みんなが見ている中で、Aさんとレスを続ける・・というようなことも何度もあった。
彼にはDiscord内に自分専用のチャンネルがあるのだが、そこで彼はひたすら自分の自慢のような投稿を繰り返していた。
ナチュラルマウントという言葉がぴったりかもしれない。「後輩に褒められた」「先輩に評価された」「国立大卒って勘違いされた」「米屋の知り合いからコメをタダで譲ってもらった」「商店街を歩いていたら野菜をタダでもらった」「妻は美人」・・・・などなど。
もっとあるのだが、思い出すだけでむかついてくるのでこの辺にしておく。ようするに、鼻につく言葉を自然に言う。ただ、それも含めて「彼」なんだろうと思っていた。要するに自分と住む世界が違う人。じゃないと、エンタメ業界でなんて働けないよな、とも思っていた。
ある時、仲が良い数人(のちに数十人に増える)で、別のDiscordも作ろう。そこでもわいわいやろうという話になり、別のDiscordを立てたことがある。
彼がそのDiscordに来たことからいろいろと話がややこしくなる。
私たちと彼は正直それほど距離が近い(仲が良い)というわけではなかったのだが、彼は「とりあえずよろしく。自分はみんなのことを愛しています」と言って、無理矢理に入ってきた。正直わたしは彼の参加には反対だったが、新しいDiscordの主が許可しちゃったんだから、しょうがない。入れた。
「自分には悩みがない。強いて言うなら他人に共感を示せないのが苦悩!」
「どうも、弱者男性です」
前後の文脈がないのでわかりにくく申し訳ないが、とにかく細かく細かく自己をアピールしたがる。
「その言い回しはやめてくれ」などと、彼に注意をすると決まって「みんなも一緒にがんばろう」などと言い、謝ることはしない。怒られたときになぜ「みんなも一緒に・・・」という言い方になるのかは、とても不思議である。
そして、怒られた後はしばらく姿を消し、数日後に何食わぬ顔でまた発言をしだす。以前の注意は全く覚えていないかのように。
こうして彼に嫌悪感を抱いたメンバーが一人、また一人とコミュニティを離れていき徐々にメンバーが減っていった。ただ当の本人は「また戻ってきてくれることを祈ろう」などと、訳の分からないことをいう始末。
そして彼は我々他のメンバーのことを、発達障害界隈にいる人間だと思っているらしく(実際そういう側面はある)、我々のことを十把一絡げに「何らかの生きづらさを抱えている、かわいそうな弱い人間」というフィルターで見ている。その態度がありありと発言に現れている。
通常同じ村で生活するのであれば、そういう発言はしない方が得策。
ただ、彼はそんなことお構いなしに「自分は障がい者ではない。だから障がい者がいるコミュニティを観察しているのだ」といわんばかりの態度で接してくる。そして我々が、彼の態度を注意すると、お決まりの「みんなもいっしょに頑張ろう」などと、はぐらかすのである。
わたしは、彼のあまりにもおかしな生態について疑問に思った結果、いろいろと調べ「自己愛性パーソナリティ障害」に行き着いた。
冒頭彼のことを「陽キャ」と書いたが、実は彼は陽キャでもなんでもなく、単純に承認欲求がとても強くて、病的なまでの承認欲求で駆動している人間なのではないかと思う。それが表出して外側からは陽キャのように見えるのだが、その内実はものすごくコンプレックスの塊なのではないか。
だって、満たされている人間がわざわざ他人をけなしたり、上から目線で接する必要はないはずだから。
陽キャに見える男性が、そのような一見すると矛盾する態度をとるということは、やはり普通ではないのだろうと思う。
彼を何とか止めてほしいのだが、今のコミュニティは運営たる運営さんもいないので、実質野放し状態である。そうして彼に一人また一人と食われていき、このままいくとコミュニティは崩壊していくのである・・・・・
はぁ。
求人情報は比較がとても難しい。1日の勤務時間、残業代込みかどうか、深夜手当の有無、休日日数など、条件の表示方法がバラバラでわかりにくい。
と、 B社の方が時給が高い。
さらに言えば、時給1,600円のアルバイト(あれば)の方が、A社より給料が高いことになる。
転職の際も、前職の給与が基本的に参考にされる慣習がある。しかし、労働時間や残業代の扱いが企業によって違う中で、単に額面だけで比較されると、不一致が大きくなってしまう。
だから本来は、求人は時給に揃えて比較できるようにすべきだと思う。(その上で実質労働時間を明示する)
ということで、簡単に比較できるように、月給から時給を計算できるサイトを作ってみた。
ぜひ色々な会社の時給を調べて、共有してください。
その男に見える奴が魔女っぽい奴に私を男にしてほしいみたいに頼む。
そしたら魔女が股間をわしづかみにして硬いじゃん男じゃんみたいに言う。
でも改めて触ったらやっぱり女だと理解する。
こういう内容。ありそうでそうそう多くない話の始まりだと思うけど、心当たりあったら教えて欲しい。
dorawiiより
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20251021174647# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaPdIeAAKCRBwMdsubs4+SPCwAP40yF0IoSeKVM3qTtzecSaSErk64V5wKlbmxhatfIYfkAD/RIHXwsl9MI5vm08AZtUZII3uVYMSQutpX1vb1dL4Bw4==4TVg-----ENDPGP SIGNATURE-----
日本を代表する大企業において、50代の社員が直面する「無言の退職圧力」は、もはや例外的な事象ではなく、構造的な問題として常態化している。長年の経験と専門性を蓄積したベテラン人材を早期に手放し、その一方で育成に10年という歳月を要する未経験の新卒者を採用する──この一見不合理なサイクルは、なぜ繰り返されるのか。本レポートは、この問題の背景にある経済的力学と制度的欠陥を解き明かし、日本企業が直面する人事制度の根本課題に対する処方箋を提示することを目的とする。
この問題の核心には、見過ごすことのできない重大なパラドックスが存在する。
この矛盾した人材サイクルの根本原因は、個々の企業の経営判断ミスという表層的な問題ではない。それは、日本型雇用システムに深く根ざした「年功序列型」の賃金体系そのものに内在する構造的欠陥なのである。次章では、この矛盾を生み出す経済的メカニズムを詳述する。
持続的なリストラのサイクルは、経営の非情さの表れというより、むしろ伝統的な日本型報酬モデルに組み込まれた、根深い経済的ロジックの症状である。中高年社員の早期退職を促す構造は、短期的な財務改善という抗いがたい「誘惑」を経営陣に提示する一方で、長期的な人的資本を蝕む罠となっているのだ。
問題の根源は、多くの日本企業において、中高年社員の賃金水準が本人の生産性を大きく上回ってしまう「高すぎる給与」にある。具体的には、以下のような水準が常態化している。
この報酬と貢献の危険な乖離は、労働経済学の「レイザーの法則」によって理論的に説明できる。この法則によれば、年功序列賃金は社員のキャリアを二つのフェーズに分断する。
この報酬と貢献のデカップリングこそが、早期退職を促す構造の核心である。壮年期以降の社員を早期に退職させることが、企業にとって「膨大な利益」をもたらす財務的ロジックがここに成立する。
1.退職金のコスト:早期退職優遇制度では、退職金に「30ヶ月分」程度の給与が上乗せされるのが一般的である。
2.雇用継続のコスト: 一方で、高給与の50代社員を1年間雇用し続けるための総コストは、基本給(12ヶ月)に加え、賞与、高額な社会保険料、その他経費を含めると、給与の「24~25ヶ月分」に相当する。
3.結論: つまり、30ヶ月分の退職金は、実質的にわずか「1年3ヶ月分」程度の雇用コストでしかない。この計算に基づけば、50歳で社員を退職させることで、定年となる65歳までの残り15年分の莫大な人件費を削減できることになる。この財務的インパクトが、経営陣にとって短期的なバランスシート改善を優先し、経験豊富な人材の維持という長期的な視点を犠牲にする、強力かつ危険な誘惑となっているのだ。
しかし、この短期的な経済合理性は、深刻な副作用を伴う。かつて大規模なリストラを行ったパナソニックが、15年の時を経て再び同様のリストラを繰り返している事実は、このモデルが持続不可能であることを象徴している。この負のサイクルを断ち切るためには、問題の根源である日本の給与構造そのものにメスを入れる必要がある。
日本の賃金に関する議論は、「日本の平均給与は低い」という、統計がもたらす「罠」にしばしば陥りがちである。本章では、この誤解を解き明かし、急峻な年功カーブが一部の大企業特有の問題ではなく、日本の中堅・大企業に共通する構造的課題であることを論証する。
世間一般で語られる「低い平均給与」の根拠とされる統計データは、意図せずして実態を著しく歪めている。これらの数値は、人事戦略を構築する上で根本的に誤解を招くものであり、一種の「インチキ」と言わざるを得ない。
これらの統計からパートタイマー等の影響を除外し、フルタイムで働く男性の賃金カーブに焦点を当てると、全く異なる実態が浮かび上がる。学歴(高卒・中卒含む)や地域を問わない全国の平均値ですら、50代の平均年収は700万円に達する。これを大卒の正社員に限定すれば、さらに100万円程度上乗せされるのが実情だ。これは、日本の賃金体系が年齢と共に急勾配で上昇する、典型的な年功序列型であることを明確に示している。
では、この構造的問題はどの規模の企業に当てはまるのか。我々の分析は、明確な境界線を明らかにしている。
この分析が示すのは、この問題が一部の巨大企業に限定されたものではなく、日本の企業アーキテクチャに組み込まれたシステム上の欠陥であるという事実だ。したがって、この課題の解決策を模索する上で、グローバルな標準との比較はもはや単に有益であるだけでなく、不可欠なプロセスなのである。
日本型雇用システムの構造的課題を克服するためには、国内の常識に囚われず、海外の先進的な雇用モデルを比較分析することが極めて重要である。フランスやアメリカの事例は、日本の年功序列型とは全く異なる賃金思想を示しており、我々が目指すべき改革の方向性を明確に示唆している。
フランスの賃金体系は、エリート層と一般層でキャリアパスと給与モデルが明確に分離された「複線型」を特徴とする。
アメリカの賃金体系も、大多数の労働者においては同様の傾向を示す。中央値に位置する労働者の場合、賃金の伸びは30歳から40歳までの期間に集中し、40歳以降の給与はほぼ横ばい(フラット)となる。給与が青天井で上がり続けるのは、ごく一部のトップエリート層に限定されるのだ。
フランスとアメリカ、二つの先進国の事例から導き出される示唆は、極めて明確である。それは、「一部のエリート層を除き、大多数の労働者の賃金カーブは若いうちに頭打ちとなり、その後はフラットに推移する」という共通の原則だ。このモデルは、年齢給による人件費の高騰を防ぎ、長期的な雇用安定を可能にする基盤となっている。このグローバルスタンダードを参考に、次章では日本が目指すべき具体的な人事制度改革案を提言する。
これまでの分析で明らかになった構造的課題を解決するためには、小手先の対策では不十分である。我々が取るべき唯一の持続可能な道は、戦略的な転換、すなわち「年功序列型賃金から、成果と役割に応じたフラットな賃金体系への移行」である。本レポートが提示する核心的な提言は、この移行を断行することに尽きる。その具体的なモデルケースとして、「年収700万円での頭打ち」を一つのベンチマークとすることを提案する。
この新しい賃金モデルは、単なるコスト削減策ではなく、企業の競争力と従業員のエンゲージメントを同時に向上させる、多面的なメリットをもたらす。
この改革は、単なる賃金制度の変更に留まらない。それは日本人の働き方、キャリア観、そして社会全体のあり方を変革し、持続可能なタレントパイプラインを構築する大きなポテンシャルを秘めている。
本レポートを通じて明らかになったように、日本の中高年雇用問題の根本原因は、個々の社員の能力や意欲の欠如では断じてない。その本質は、経済成長期を前提に設計され、現代の環境には全く適合しなくなった年功序列型の賃金システムそのものにある。
この本質的な課題を前に、我々は議論の焦点を大きく転換させねばならない。「定年後の再雇用」や「中高年のリスキリング」といった対症療法的な議論から、「そもそも定年を意識することなく、誰もが安心して長く働き続けられる雇用・賃金体系をいかにして構築するか」という、より本質的な議論へとシフトしなければ、この問題が解決することはない。
真の「雇用安定」とは、単に一つの企業に長く在籍できることではない。それは、年齢に関わらず、社員一人ひとりが自らの能力と経験を最大限に発揮し、その貢献に対して公正な処遇を受けながら、社会の一員として長く活躍し続けられるシステムである。この新しい定義に基づき、持続可能で、かつ働くすべての人々にとって公平な人事制度を構築することこそ、現代の日本企業に課せられた最も重要な戦略的責務である。
デマやプロパガンダや陰謀論やカルト教義や原理主義に惑わされるやつは「思考停止」しており、「自分の頭で考え続ける」ことが大事だとスパイファミリーの管理官は言うのだが、主観的にはバカも信者も全員自分の頭で考えた結果としてそうなっているのであり、自分はちゃんと自分の頭で考えられていると言える人間は居ない。
しかしそこで終わってたらただのダメ相対主義であり、何にでも程度問題というのはある。
情報評価の重要性をいう言説で、実際に糞馬鹿を多少マシにしてやれるプラクティカルなものはついぞ見かけない。つまり一見勘所と思える要素は全て見当外れなのだ。では何が重要か?まだわからない。
俺、アリババ。シルクロードの反対側の異国情緒あふれる字面だけど、親がキラキラネームつけただけの、名前がちゃんと漢字で書ける28歳の日本男児だ。ちなみに、最近は楽天とか尼存など漢字2文字の名前が流行っている。
俺が遣唐使の1人として踏んだ大陸の地に、村を荒らす46人の盗賊団(乃木坂)の首領Fidoの電磁的な魔の手が迫った。そこで俺は急遽、うまいと噂の職人のピザ屋にピザを重複注文した上で、遣唐使の使命を終え、ピザを受けとらずに帰国した。いま最先端の学問、仏教学(禅専攻)を修めたからだ。知見を生かして、自己啓発の市場をターゲットに、現在コンサルタントの見習いをしている。
俺も登場人物の1人らしいのだが、詳しいことは直接には知らない。対Fidoのピザ屋連盟らしいが、ポストバベルの塔状態で、私利に走って統一感に欠けるらしい。
これは村の話で対乃木坂の戦線だ。村人の大半はこれに無自覚だろうと思う。
西部戦線と東部戦線をリンクさせることでFidoを追い詰める作戦らしいのだが、俺には関わりないことなので、早く平和な状態にしたい。俺は博愛的な平和主義者なのだ。そこで、俺は亜米利加のドナルドトランプ氏も顔負けの和平仲介者として奔走した。西部戦線を、IL(イスラエルとレバント)とUA(ウクライナとアングロサクソン)の二つに分け、Fidoが技術上劣勢のIL方面で手打ち式の運びとなった。これには6月の爆撃がFidoの心を強く和平へと後押ししたらしいが、俺もFidoに村で会うたびに禅問答をもちかけ「その心は?」と問うた。Fidoは仏教博士ではないし俗物なので一見馬の耳に念仏だが、盗賊のくせに教養があるかそう見せたい男なので効果はあったと思う。
もっとも、Fidoが規約違反をすればいつでも和平は反故になる虞があり、Fidoを仕留めたいかより譲歩を引き出したいが単独ではそれができないUA方面の作戦司令部はそれを扇動する動機がある。
実は、ピザのただ食いの科でFidoを取り締まりたいと「ブリタニカ」を名乗るピザ屋から電話があったのだが、この遣唐使の時代にブリタニカが国の体をなしているか俺の知識ではわからず留守電に返事をしないでいた。するとなにかと俺にちょっかいをかけてくるので、俺はFSET Securityという盗賊除けのソフトを導入した。
「ブリタニカ」は東部戦線を攻略してFidoに圧力をかけようと村にエージェントを展開し、村の溜まり場である居酒屋で宣伝工作を仕掛けている。
1人、日本人で名前が不詳なのでここではチャーリーと呼んでおこう。彼は頭がよく金持ちで見た目もセンスもいいので、村人の1人、田中花子の射倖心をくすぐった模様だ。花子はその昔、ブランド品に興味はなく金がかからない女ですよと公言していたが、実は男に関してはブランドものが好きなのだ。もっとも、急いで付け加えるが、ここで俺は花子の悪口を言うつもりはまったくない。花子も本性では村思いのいい人で、ただ資本主義的な欲があって悟りを得ないだけである。それにFidoを村で牽制するにあたり、花子の勇気と協力には感謝と尊敬をしている。花子や一部の高年齢層の村人たちはこの頃とんと見かけなくなったが、NHK chやツ痛ァー等で策動しているものと思われる。ただし、貴族趣味のチャーリーはヒエログリフの読めない庶民の村人にはまだ浸透できていないようだ。
もう1人、これはエージェントではない独立の戦士で村人の、木村本子がいる。本子は骨のある正義の人なのだが、最近静かになり、残念ながら俺は彼女の動きを把握できていない。おそらく、村の安全保障についてFidoと個別に話をつけたものと思われる。
昨今では村人の間で自警団を組織しようとする人も現れてきたようだが、まだ人々の意思を統一できるに至ってはいない。
続報はない。
話はまだまだ続く
13万バズしているそのポスト。
一見美談に見えるけれど客観的にはムチュコたんを甘やかしてスポイルした迷惑男児ママによる教育の失敗以外の何物でもないよな
この人も当時はそれを普通に理解できていたんだろうに、自分も母親になると見る目が曇ってしまうのか
発達グレーとかはあんまり関係なくて、男児を甘やかす母親の問題だと思う
かよ🇩🇪
@dobrepivko
大学の時に発達障害グレーの男子がいて、なんかの際に「そんな事すると皆に嫌われるよ」と詰めたら、「でもお母さんは僕のことが好きだよ」と返ってきた。その時は笑い話にしてたけど、今になってお母さんの、「でも私はあなたが好きよ」と伝え続けたであろう日々を思って泣きそうになる。
有名人にチェックマークを与えるという制度は、一見すると「本人確認」や「透明性の確保」を装っているが、実際は民主主義を名乗ったパヨ的カースト制度の自己放尿だ。
思想的には平等を唱えながら、構造的には貴族制を復活させている。これは「民主主義の仮面を被った承認欲求市場主義」であり、承認を売買する社会の象徴的装置の自己放尿すぎない。
パヨの言う「みんな平等」は、連中が「誰を特権化するか」を握りたいという欲望の婉曲表現だ。連中は特定の言語・思想・姿勢を持つ者に青いチェックを与え、逆らう者を「未認証」という烙印で黙殺する。
だが、黙殺とは沈黙ではない。声を奪うことによって、連中は「声なき者」を都合よく定義し直す。これは政治的支配の最も古典的な形態であり、連中が忌み嫌うと口で言う「権威主義」の中身そのものである。
しかもこのシステムの醜悪さは、本人たちがその腐敗構造を「正義」と信じ込んでいる点にある。まさに自己放尿の極致だ。自分で撒き散らした尿を「清水」と勘違いして喉を潤している。
連中のタイムラインは、論理の泉ではなく尿意の回路で動いている。考えるのではなく、出したいから出す。だが出した瞬間、それを「言論」と呼びたがる。
これがパヨ的民主主義の正体だ。つまり「思考の放棄」と「承認の中毒」が見事に融合した、思想と快楽のダブル放尿である。
本来、言論とは社会的リスクと知的責任の上に立つものだ。しかし、チェックマークはその両方を免除する免罪符となり、権威と人気が入れ替わる。
そうして連中は、連中にとって真に危険な思想、すなわち、誰からの承認も必要としない冷徹な理性を徹底的に排除する。
自分の尿を芸術と信じる愚者たちの共同便所。それが今のSNSであり、パヨ的民主主義の成れの果てだ。
まあ、Xはその点で言えばチェックマークを購入式にしているのでまだ救いがある。だが、シャドーバンや推薦順の操作をやめない限りパヨシステムのままである。
興味深い比較ですね。
「はてなブックマーカー」と「派手なバックパッカー」は、一見まったく関係のない存在ですが、行動様式や心理的特徴の面でいくつか共通点が見られます。
はてなブックマーカーは、自分のブクマやコメントを通じて「この情報を見た」「こう感じた」という足跡を残します。
派手なバックパッカーも、SNSや現地での行動を通じて「どこへ行った」「何をした」という痕跡を残します。
→どちらも「行動そのもの」よりも「その行動が他人にどう見えるか」を意識しやすい傾向があります。
はてブでは、面白い記事を「発見・共有」すること自体が自己表現です。
派手なバックパッカーは、珍しい場所や出来事を「見つけ・伝える」ことで自分の個性を演出します。
→両者とも「一次創作者」というより「良いものを見つけて紹介する人」としての自己像を持ちがちです。
はてなブックマーカーは、皮肉や批評を交えて「自分の見方」を示します。
派手なバックパッカーも、現地文化や他の旅行者に対して「評論家的」な態度をとることがあります。
→どちらも「他者との差異を示す」ことで自我を確認し、同時に「いいね」や「スター」で社会的承認を得たいという欲求を持っています。
はてなブックマークの文化はゆるく連帯しながらも、明確な「共同体」ではありません。
バックパッカーも、一時的にゲストハウスなどで群れるものの、基本的には単独行動です。
→「孤独を恐れず、しかし孤立を望まない」という矛盾を内包しています。
→どちらも「未知の場所を巡って、発見を共有する」という意味で、探索者・漂流者の性格を持ちます。
>はてなブックマーカーは情報空間を放浪するバックパッカーであり、
派手なバックパッカーは現実空間をブックマークして回るユーザー
と言えるかもしれません。
この前職場の隣の席で若いイケメン社員が会話してたんだが、ずーーーーと女性の悪口言ってた。
女はみんな自分が食事代払ってもらえるのを当たり前だと思ってる。当たり前だよ?当たり前っておかしいだろとか。
女優遇されすぎてないか。なんで女性だけ女性専用車両なの。男は冤罪のリスク高すぎるしそんなに痴漢怖いなら電車乗るなよとか
まるで普段非モテがネットに書き込んでるようなことをモテモテで幸せなんだろうなと勝手に決めつけてた側の男が言ってるのみて驚いた。
しかも軽い感じの愚痴じゃなくて話し方がシリアスで重くて怖いんだよ。
もしかして非モテよりも本当の本当に女性を嫌悪してるのはイケメンで普通に彼女作れる男側なんじゃね?と思った。
確かに考えてみれば非モテは現実のデートの経験が無いから女性への嫌悪感は全て脳内の妄想でしかない。あってもマチアプとかの少ない経験談だろうし。
しかしガチのイケメンは何度も何度も何度も若い可愛い女のワガママな態度を実際に味わってきてるわけだ。
ここで俺はある仮説をたてた。
↓
↓
・社会人になった途端に金が絡むようになり話が複雑になる。
彼氏に求めることがイケメンに留まらず(デートで奢ってくれる人)(プレゼントをくれる人)など歯止めが効かなくなる。
↓
・都内でデートしてるカップルは一見幸せそうに見えて男は金をせびる女を心の底では嫌悪している。
「顔は可愛いしセックスできるから我慢するか…」とギリギリで耐えながら付き合う
金がいくらあっても足りない。
↓
なのだと思われる。
最終的に同じイケメンならイケメンで金持ちを選びコロコロ浮気する。
そんな経験を踏まえてイケメンのほうが非モテよりもむしろ女性の嫌悪感が強いんじゃないかな。
ただ、俺は男性にも責任があると思う。俺らが女性を甘やかしすぎた結果なんだよ。
若くて可愛い女の子が職場にいたら可愛いというだけでみんな多少の態度の悪さとか許容しちゃうだろうし。
男は単純だからヤりたいがために顔が可愛いだけの女にペコペコしちゃうだろうし。
アイドルブームとかの”可愛いが正義で可愛ければ全て許される”みたいな風潮も間違いなく女を調子に乗らせた原因の一端。
この記事ではあくまで子育て環境ばかりに触れられているけれど、元ポストが言っているのはどちらかというと遺伝の問題の方が大きいと思うよ
恋愛に及び腰な人が増えたのって単に個々人のコミュ力や清潔感がどうのといった些末な問題ではなく、社会の隅々まで優生思想が蔓延した事によるセルフ断種でしょう
まあ上位3割っていうのはセンセーショナル過ぎる数値で、実際は上位7割か6割くらいだとは思うが
今の世の中では人間は容姿や知能、コミュ力、運動能力等様々な要因で厳しく足切りされて、不適当な個体は排除される
とにかく自分は子孫を遺すに値しない劣った人間だと判断した個体は恋愛から「降りる」んだよ
一見自発的に独り身を選んでいるかのように見える男女もその実態はけして前向きな判断ではなく、絶望から来る諦めだ
だから
恋愛支援として必要なのは「上位3割の男女しか子どもを産んではいけない」空気の払拭に尽きると思うんだろうけれど
劣等種は淘汰されろ、自由恋愛で繁殖できた勝ち組男女の子孫だけに湯水の如く子育て支援を注ぎ込んで滅びていこうというのがこの国の有権者の総意みたいだから
もうどうしようもないね
滅びを受け入れよう
しかし、それは**「盛唐の繁栄」**のような一時の幻影にすぎなかったのではないか。
京都本社はまるで長安のごとく、黄金の瓦が輝き、経営陣は「任天堂の時代は続く」と豪語した。
だが、いまその都の地下では、制度が腐り始めている。
Switch帝国はすでに、静かなる安史の乱を迎えているのだ。
唐王朝が詩と礼の形式に縛られたように、任天堂もまた「伝統」の檻に閉じ込められた。
一見、美しい理念だ。だがそれは同時に、挑戦を抑圧するシステムでもある。
内部では新規IPは通りにくく、革新よりも“前作の延長線”が求められる。
若い才能は沈黙し、外部のスタジオに依存する比率が増えている。
それはもはや「遊びの会社」ではなく、形式を守るだけの官僚機構だ。
いまや多くの開発が社外で進められ、本社は“監修”と“承認”しか行わない。
それは、かつての唐が地方軍閥に統制を失った姿とまるで同じだ。
「任天堂ブランドの統制」を掲げながら、その実態は分権化の嵐。
唐の末期、民の不満が爆発して起きたのが黄巣の乱だった。
その炎が都を焼いたように、いま任天堂を蝕むのはユーザーの無言の反乱だ。
SNSにはこうした声が並ぶ。
その兆しは、すでに“数字に現れない危機”として進行している。
■「盛唐の夢」から醒めよ
唐の玄宗は晩年、滅びゆく王朝を前にしてなお、「盛唐の夢」を見続けた。
任天堂もまた、Switchの成功を“永遠の栄光”と錯覚している。
「任天堂らしさ」という美辞麗句の下で、創造の精神は失われつつある。
経営陣の決断が遅れ、技術革新に出遅れ、クラウドやAIの波を見逃す。
その様は、かつて文明の中心にありながら衰退していった唐と何が違うのか。
唐の長安も、いつか砂に埋もれた。
任天堂のSwitch帝国も、いずれ同じ運命を辿るかもしれない。
任天堂が“盛唐”を抜け出せるか、それとも“後唐”として歴史に消えるのか。
その分岐点は、もう目前に迫っている。
青年誌の連載漫画って、第一話目で女の裸を出すやろ? あれは出すと出さないで読者の購読率が変わるんやろうな。雑誌とかパラパラめくっているときに読者の視線が止まるんやろうか(この時代に雑誌か?)。そういうノウハウ?を編集者が漫画家に吹き込むんかな。一見エロじゃない漫画でも裸を出すよね。漫画家も不本意やろうか。
forgeでプロット生成し、評価器をChatRTXで直列化してからChatGPTにcontextpushしてjson5に書き戻す ->mcpサーバー経由でAPI叩いてparallelにStable Diffusionで絵を生成し、デノイザをbunchoからphotoshopにアップスケールスルーパスという流れ。
一見、何がそんな難しいのって感じだが、forgeから直でcontextpushすると漫画としてストーリーが破綻する。プロットも絵も単体の生成はうまくいくのに。
直でpushできないから連作すると当然、文脈汚染が発生する。RTXである程度は除去できるんだけど10%前後で直列化に失敗する。意外とインフラ代がかかる。
forgeの初段でフック何する問題はぶっちゃけ場数優先法。いや何が売れるかわからん。過去のランキング遡って上位のヒット率高そうなものを選んでるだけ。
ほぼ全自動達成してるので俺は何出力されてるかぶっちゃけ知らない。統計上の数字の上下で間接的に売れたか燃えたかが分かる程度。
過去の販歴によるとTSをフックにすると初速が安定するっぽい。性別や環境の変調を評価する層が購買意欲高い集団を形成してるように見える。
なろうっぽいというか、AI絵買う奴は何考えてるか分からんな、マジで。
同一作品を同一時刻に別サイトに申請すると、どうも攻撃判定を食らうらしい。同じ稼ぎ方してる人めっちゃいるんだろうなあ。