
はてなキーワード:一学期とは
社会人として働いて年数が浅い。
ほかの増田投稿者みたいにシャープな文章は書けないが、大学生だった頃のことを振り返りたい。
その時は都内の大学に通っていた。二年生の春で、家庭教師に挑戦してみた。それまでは塾で教えていて、正直下働きに近かった。教師と言うよりはアシスタント的な。裁量などもちろんなく。正規雇用の塾講師のロボットと言って差し支えない。
自分は教育学部をめざしていたので、是非とも自分の指導力というやつで、子どもに教える経験を積んでみたかった。
家庭教師の職は、大学を通じて探すことにした。とにかく安全重視で。人生で初めて受け持つ子は、意外にもすぐ決まった。
私は文京区にある大学に通っていて、謎の信頼があったんだろうか……男の子しか受け持てないと思ったら、普通に女の子を教えることになった。
当時は、中三の受験生。高校の本試験はずっと先だが、この業界に遅いとかはない。
おとなしい子だった。親御さんの話によると、学校では喋らない子らしい。
実際、最初の面接?の時にお家のダイニングで三者で話してみたけど、そういう雰囲気だった。自分に心を開いてくれる気配はあったので、受け持つことに決めた。
実際、すごく真面目で、いろんなことをきちんとやる子だった。ただいかんせん、要領が悪くて、先生とコミュニケーションが取れなくて成績が悪かった。
自宅の近くにある都立の名門公立校をめざしていたが、偏差値でいうと50を切るくらい。絶望的である。
その子の志望校は、かくいう私の出身校と同じだった。だから、親御さんが履歴書を読んだうえで、男である自分でも、大事な娘さんの面倒を見させることにしたんじゃないかと。
春から夏にかけて、彼女は持ち前の真面目さで成績がメキメキ上がった。
中間テストだったかな。中学校三年の一学期の。やる気が漲りつつあった彼女は、自分で野心的な目標を立てた。中間テストで【数学100点】取るんだってさ。
私が思う限り、普段のその子からしたら意外なことだった。本当に自信がなさげに過ごす子だったので。まさかそんな、100点をめざすだなんて……
私は当時、その子が公立校志望ということで、五教科を総合的に上げることを目標に指導していた。
100点を目標にするのは非効率だと考えた。冷静に考えてみて、100点を取る努力というのは、80点を取る努力の軽く2倍以上はかかる。それなら、5教科で80点を揃えるところから始めるべきだろうって。
それに内申点もある。都内の一流公立校だと、入試では大体みんな満点近く(※業界的には平均90オーバーらしい)を取ってくる。となると、内申点で引き離されると手も足も出ない。
※都立高の評価比率は7:3で、特殊事情があると±加点の裁量が加わる方式
あの子に、そういう話はした。「100点を取りに行く必要はない」って。竹早高等学校に入りたいなら……と何度も説得したが、彼女の意思は硬かった。どうしても大好きな数学で満点を取りたいらしい。
でも私は、この子が初めて会った頃と比べてやる気になってるのを見て、できるんじゃないかなと思った。それで見守ることにした。【数学100点】、それいいじゃん!って。
私自身の都合もあった。私の大学には進学選択という制度があって、その時期にはラストスパートをかけて希望学科に行くために学力を上げないといけなかった。数学主体の方が楽だった。いや、ほかの教科も当然がんばって教えたけどさ……。
実際あの子は、テスト前の一ヶ月間は、ものすごく勉強していた。こっちがもたないくらいに。圧倒的な質問量だったな。特に数学は。
私が出した宿題と、学校の課題と、さらに過去課題の解き直し。徹底していた。素晴らしい努力量だった。
そして彼女は……数学で100点を取った。他の教科の点数も伸ばしつつ。偏差値は60台前半であり、その後半も視野に入っていた。
自信が付いたその子は、期末テストでも【数学100点】を取ると言って張り切ってた。結果は確か、期末の数学テストでは1問だけ間違えたんだっけ? 答案は今でも思い出せる。たったひとつの計算ミスだった。
素晴らしい成績だった。彼女の点数もさることながら、きちんと目標を掲げて、現実的にできる最大限の努力をしていた。私も、保護者のお母さんも、そして本人すらも!? 数学では一学期の通知表で「5」が付くものだと思っていた。
でも、1学期の通知表は「4」だった。
怒りに震えた。これはどういうことだって。あまりに理不尽であり、「学校に抗議した方がいい」って、お母さんに訴えたほどだ。
お母さんが学校に聞いたところだと、減点の理由というのが、数学への「興味・関心・意欲」の項目だった。授業中の発言量が少なかったらしい。
その子は真面目な子で、提出物も完璧に出していた。「5」をつけることだって出来たはずだ。でも、その数学教師は……「4」を付けた。100点と98点を取ったのに。
彼女は内気だった。自分の努力をひけらかすことはしない子だ。先生への意欲アピールは少なかっただろう。
でも。それは努力をしてないということじゃない。100点を取れる子が数学に関心がない、なんてことがあるか?
彼女の中の数学への自信が、努力への信仰みたいなものが崩れていく音が聞こえた。いや、本当に聞こえたんだ。その子と、お母さんと一緒にダイニングに居て、その子が残念そうに話をしている時に。
本当に無念そうだった。いつも自信がなさそうだったけど、この日の彼女は特に辛そうだった。
数学での自信が、彼女の殻を破るきっかけになると踏んでいた。叶わなかった。
その子は結局、高校の進学先を決める時……自分の実力の遥か下の学校を選んで進学していった。
がいいってずっと言ってたのに。偏差値60超えても入学できるかって言ったら怪しいけどさ。でも、彼女なら可能性はあったよ。
竹早高校がいい学校かと言われたら、卒業生の一人としては礼賛できない点もあるよ。
伝統校だから、制服検査とか生活指導が厳しいし、生徒同士が成績とか家柄でマウントを取り合ってることもある。ハブられたりとか、いじめられて鬱とか、登校拒否になるヤツだっていた。途中で辞めた友達だって何人もいる。
でも、いい学校だと思ってる。伝統校としての地力があるのだ。生徒の可能性を花開かせる環境がシッカリ整っている。
彼女には、そういう学問・教養・学びの楽しさを味わえる学校に進んでほしかった。
その思いは、ずっと悔恨として残っている。もし、あの時……まんべんなく80点を取る作戦で説得できていたらなぁ……と、学校教師じゃなくて、不動産会社に進んだ今では思う。※一応、教育学部には進みました
今の会社では、ビルマネジメントという専門職種の道を歩んでいる。
ありていに言うと、施設の総合管理の仕事である。その業務では、顧客を説得しないといけない場面がたくさんある。契約業務が多いし、ビル建替計画の進捗も管理しないといけない。大卒がやるとは思えないほどの雑多な業務がある。泥臭いのだ。人間関係の構築について学ぶことが多かった。特に、自分とは属性が全然違う人達との関係構築方法を。
大学生のうちから、もっとそういう人間関係を作る力を鍛えておけばよかった。そうすれば、組織内部の力関係の把握とか、キーマンの説得とか、外部折衝とかもっとこなせたんじゃないかと。
そして、何より……あの子を、もっとスマートに説得できたんじゃないか?大学卒業して五年近くは経ったけど、私は今でもあの子のことが心配だ。
あの学校の先生にとっては、成績は単なる数字だったのかもしれない。「4」でも「5」でも大差ないって。
でもな、違うんだよ。ああいう子にとっては。
「頑張っても正当に評価されない」って、彼女はその「4」の数字から学んでしまった。
だから、勉強を頑張る学校に行こうとしなかった。はるか下のランクの学校を選んだ。
あの事件があってからも、何度も竹早高校を勧めたよ。いい学校だよって。
でも、あの子はさ。進学校を勧める私に対して拒否反応が凄かった。普段は、その子は素直に何でも言うことを聞いてくれた。教科の学習はもちろんのこと、私がわかりにくい冗談を言ったり、たまに無茶振りすることがあっても聞いてくれた。
お母さんが家に居ない時は、たまに料理を作ってくれたし、時間が余ったら一緒に犬の散歩に行ったし、2回だけだけど、一緒にゲームをした。「ちょっとだけだよ」って。ちなみにグノーシアをプレイした。
案の定、論理的思考が好きなあの子はドハマりしていた。好きなキャラはラキオのようだった。必然といえる。あの子らしかった。
でも、あの子はさ。進学先、そこだけは絶対に譲らなかった。あの数学の評価のことがトラウマになっていた。もう頑張りたくないって。深く傷ついたに違いない。私だって、あの時は傷ついた。
当時の、文京区内にある公立中学校に勤めていた、あの数学の先生に言いたいんだけどさ。
この罪は、重いよ。あなたは、一人の生徒から自信を奪ったうえで、社会に対しての不信を植え付けたんだ。
その後の彼女の人生には影響があったよ。絶対に。あの教師は責任が取れるんだろうか。取れるはずがないよな。そもそも取らなくていいんだから。
私はあの後、教育学部に進んで教員免許は一応取った。けど、このことが脳裏に何度も去来して、結局学校の先生にはならなかった。なりたいとは思えなかった。あんな連中と一緒に働くのは嫌だ。
教育を志した一人の人間として、私はあの数学教師は許すことはできない。
でも、これだけは忘れないでほしい。子どもって、大人にとってはちょっとしたことで傷つくんだよって、一生の傷になるんだよってさ。
本日、S県の県立高校合格発表があり、無事長男が合格し、一安心した。
中学1年の頃に、テストの問題文が理解できない、頭がパニックになるという所から、一緒に問題文を理解する読み込みから始まり、
3年間そばでサポートをしてきたので、その努力が実った瞬間は我が身のように、いやそれ以上に嬉しかった。
問題文が読めなかった息子も、興味のある分野の本(歴史、数学などの読み物(ジャレド・ダイアモンド、塩野七生、結城浩、サイモン・シン 等))をおすすめして、興味深く読んでくれて
自身が高校生だった時とは違い、受験とは家計・資金の面でもプレッシャーがかかると実感した。
そう思うと、私の親も同じ気持ちだったのだろう。
まず、S玉県では公立高校の併願が認められていない。単願制を採用している。
したがって滑り止めには私立高校を押さえておかなければならない。
S玉県では私立高校授業料実質無償化という制度がある。実質という表現がみそなのだ。
所得制限があり、およそ年収720万を越えれば授業料の補助金はほぼなくなる(国が出している公立高校程度の授業料の補助がうけられる)
910万を越えれば全く補助は受けられなくなる。
この所得制限については国政でも制限を外すという方向になっている。
今後のことは置いといて、現在のS玉県の制度では穴があり、授業料に補助が受けられるのだが、それ以外には別に補助がないのだ。
そのほかの金額は、入学金・施設費・教材費・PTA等諸会費・積立金(修学旅行等)・制服などは補助はないのだ。
特に私立は修学旅行が豪華で、制服も公立より1.5倍増しくらいで、まあ何でも金額が高い印象だ。
ちなみに授業料補助は一学期の中ごろに学校で申請をして、県で年収要件を照らし合わせて決定するので、授業料等の一次納入金は納入しなければならない。
ちなみに併願で合格した私立高校の資料をみると、授業料実質無償化があったとしても、3年間で160万くらいかかる。
公立はその半分以下になる。
そもそも30万ほどする入学金は、公立の場合はそれで一年分が賄える
今回政府のほうで決めた私立高校無償化は授業料だけなのだろうか。
このS玉県と同じならば、資金面では公立のほうがアドバンテージは高いだろう。
東京は私立に行く人がふえたそうだが、それでも資金がある人向けという所はかわらないのではないかなと思う。
S玉県では所得制限で年収をおよそ720万を超えるとその授業料も免除が減るとはさっき少し書いたが、我が家の状況はさらにここに引っかかりそうだったのだ。
720万は貰っている方ではあるが、数年前は年収500万弱で転職をして頑張って最近そこまで上がった。子どもが2人いる中で収入が少なかったこともありあまり貯金ができていなかったので、十分に資金調達ができていない中での無償化無しは正直怖かった。
この一年、最悪の事態を考えてどこを減らしてどう工面するかの計画で非常に頭を使った。
私立高校に行くことの大変さをまとめると、
では、こういう状況だと私立に絶対にいけない家庭というのは出てくると思う。
政策金融公庫等から低金利の融資を受けるというのも手かもしれないが、兄弟が多ければそれだけ返済も多くなるから、絶対に私立に行けないと家庭はある。
すると、私立に行けない家庭はどういう行動をするかというと、
私立に行ける家庭はチャレンジして高校を選べる中、行けない家庭はレベルを下げることになる。
倍率の読みあいになり、学力とは関係ないところで志望校を決めることになる。
高校無償化よりもまず手を入れてほしいのは公立高校の併願を可能にすることをやってほしい。
私立高校無償化より公立高校併願を可能にしたほうが救われる家庭は多い。
――当たり前の毎日が、ある日突然不気味な影に蝕まれるなんて、少し前のわたしなら想像もできなかった。わたしは中学三年生。受験を控えているため、普段は塾に通ったり、学校でも進路の相談をしたりと、それなりに忙しい日々を送っている。家は住宅街にあり、学校までは歩いて15分ほど。街灯の数はそこそこあるし、真夜中に外を出歩くわけでもないので、これまで怖い思いをしたことはほとんどなかった。
それでも、一学期の終わりごろから微かな“違和感”が生まれ始めた。最初は通学路を歩いているとき、「視線を感じる」という程度だった。ふと、だれかに見られている気がして後ろを振り返るのだけれど、そこに人の気配はない。でも、どうにも落ち着かない。そんな日が何度か続いて、夏休みが終わった頃には「もしかしたら、わたしの思い過ごしじゃないのかも」と感じるようになった。
決定的だったのは、ある夕方、塾が終わってから夜に帰宅するときのこと。友達と途中まで一緒に歩いていたが、その子がコンビニに寄ると言うので先に別れ、一人で家に向かうことになった。少し薄暗くなってきてはいたものの、まだ人通りがゼロというほどでもない時間帯。だけど、その日はやけに背後が気になった。足音が一つ増えているような気がする。怖くなって、道路脇の自販機でジュースを買うふりをして、そっと後ろを見やった。すると、街灯の下に男の人が立っているのが見えた。30代後半くらいに見え、腹が少し出た体型。見覚えのない顔なのに、こちらをじっと見ている。その目つきに、不気味な笑みが浮かんでいたように感じた。
一瞬、心臓が止まりそうになった。「もしかして、わたしをつけている…?」考えたくなかったが、その可能性を否定できなかった。その日は慌てて家に帰り、両親にも打ち明けた。母は「気をつけなさい」と言い、父は「危なそうだったら遠慮なく叫べ」とアドバイスをくれた。わたし自身も「気のせいじゃないかも」と半ば確信していたけれど、決定的な何かがあるわけでもないので、どうにも気持ちが晴れない。そんな宙ぶらりんの状態が続いていた。
ところが、数日後、ついにその男が正面からわたしに接触してきた。学校から帰ろうとして、家のすぐ近くの角を曲がったところで、まるで待ち伏せしていたかのように声をかけられたのだ。
思いがけない質問に、一瞬「え…?」と固まってしまう。すると男は、妙にテンションの高い声で続けた。
「ガンダムだよ、ガンダム。プラモデルとかあるだろ? あれ、ガンプラって言ってさ。実は俺、ガンプラを転売して生活してるんだよ。レアな限定品とかはネットで高く売れるから、なかなか儲かるんだよね」
まったく身に覚えのない話を次々と畳みかけられて、困惑しかなかった。わたしはガンダムに興味があるわけでもない。何より、この男がどうしてわたしの家の近くで待ち構えているのかが気持ち悪い。けれど、怖さと戸惑いで体が動かず、言葉も出なかった。
「もし興味あったら、一緒にガンプラ買いに行かない? 教えてあげるよ。限定版とか、結構大変なんだけどさ、手に入ると嬉しいんだよな」
意味不明な勧誘に、わたしは思わず後ずさった。怖い。この人はわたしを待ち伏せして、しかもこんな会話を一方的に押しつけてくる。わずかに震える声で、「興味ないんで、すみません」とだけ言うと、逃げるように家の門を開けて中に入った。ドアを閉める直前、わたしを見つめる男の目はまだ笑っていた。あの不気味な笑みが焼きついて、頭から離れなくなった。
その日から、男はわたしの周囲でますます姿を現すようになった。朝、家を出るとき、門の外に立っていることもある。学校の近くで待っていることもある。わたしだけでなく、クラスの友人たちにも目撃されはじめ、「あの人何?」「怖いんだけど」と噂になった。「髪が脂ぎっていて、いつもガンダムのTシャツ着てるよね」とか、「30代後半くらいかなあ。ガンプラ転売ってホント?」なんていう憶測がクラスで飛び交っていたけれど、わたしからすれば笑い事ではなかった。
どうしてわたしをターゲットにするのかが分からない。ガンダムなんてまったく興味ないし、むしろ男の人が言うようなレア商品の価値もピンとこない。無視してやりすごそうにも、毎日しつこく声をかけてくる。「おはよう。昨日はガンダム観た?」「ガンプラ買うなら今がチャンスだぞ」など、訳の分からない話ばかり。はじめは無視して歩いていたのだが、そのうち腕を掴まれそうになることもあった。
「逃げんなよ。俺は優しく教えてやろうとしてるのに」
その言い方が、もう普通じゃない。目の奥が怖くて、まるで自分が獲物にされているような、そんな凄みを感じた。学校の先生に相談し、生活指導の先生が一緒に帰り道を巡回してくれる日もあった。でも、その日は男の姿は見当たらない。先生がいない日に限って、わたしの通り道にひょいと現れるのだ。わたしは携帯を握りしめて、いつでも警察に電話できるように心がけていたが、相手がすぐに手を出してくるわけでもない。曖昧な距離を保ちながら、ネットリと追いかけられている感覚だった。
さらに恐ろしかったのは、わたしのSNSを探し当てられたこと。プロフィール写真は家族や友達との写真だったが、そこからわたし本人を特定したのだろう。急にフォロー申請が何件も届き、メッセージで「一緒にガンプラ見に行こうよ」「ガンダムの良さを教えてあげるからさ」としつこく書かれたものが送られてきた。もちろん拒否したけれど、それでもアカウントを作り直して追いかけてくる。
そのSNSのアイコンもガンダム関係のものばかり。タイムラインにアップされている写真には、大量のプラモデルの箱が積み上げられており、「最近ゲットした限定版。転売すれば倍になるけど、コレクションにしてもいいよな」とか「本当に好きな子に出会えたら、このコレクションを見せてあげたい」など、怪しいコメントが並んでいた。わたしは背筋が凍る思いだった。どうやってブロックしても追いかけてくるし、日に日に執着が深まっているようにすら感じられる。
両親も事態を重く見始め、警察に相談したほうがいいのではないかという話になった。わたしは「でも、実際に身体的な被害には遭っていないし…」と気が引けていた。学校の先生も「警察に通報して相手を刺激するのが心配だ」という雰囲気で、結局「注意して帰りましょう」というアドバイスのまま、なかなか大きく動くことができない。その間にも、わたしの不安はどんどん募っていった。
そして、ある日の夕方、決定的な恐怖に襲われる事件が起きた。学校の文化祭準備があったため、いつもより帰りが遅くなったわたしは、友達と途中まで一緒に歩いたあと、一人で家に向かっていた。塾の時間も迫っているし、ちょっと急ぎ足だった。ふと曲がり角を曲がった瞬間、目の前に男が立っていた。わたしは思わず悲鳴を上げそうになったが、声にならない。
まるでわたしの行動を全部把握しているかのような口ぶり。彼はあの不気味な笑みを浮かべながら、何か箱のようなものを差し出してきた。ガンプラのパッケージだ。派手な色のモビルスーツが描かれている。
「これ、新作の限定ガンプラ。転売したら高いけど、お前にやるよ。あ、でもただじゃないよな? 俺の好意をちゃんと受け止めてくれるなら、ってことだけど」
彼の言葉の節々に感じる狂気めいた雰囲気。逃げなければ、と思っても、足がすくんで動かない。必死に頭を回転させ、「受け取るふりをして箱を落として、その間に逃げる」という作戦を瞬時に思いついた。わたしは手を差し出すと同時に、わざと勢いよく箱を地面に落とした。
「何してんだよ!」
彼は怒鳴り、落ちた箱のパーツが散らばる。わたしはその隙に走り出した。涙があふれて、視界がにじむ。背後からは乱暴な足音と、「待て! ふざけるな!」という声が聞こえた。息が苦しくなりながらも、どうにか大通りまで走りきり、人通りが増えたところで立ち止まる。彼は少し離れた場所に立ち尽くし、苛立ったようにわたしを睨んでいたが、さすがに人目が多いのか追っては来なかった。
恐怖と悔しさが混じった感情で、わたしはその足で交番に駆け込んだ。そこで出会った警察官は、最初は「どうしたの?」と優しく声をかけてくれた。わたしは必死に息を整えながら、ここ数週間の出来事を話した。ストーカーまがいの執着や待ち伏せ行為、SNSでのつきまとい……警察官の表情が真剣になっていくのが分かった。
連絡を受けた両親が交番に駆けつけ、わたしが受けた被害を詳しく話すと、警察官は「これ以上放置できない」として本格的に捜査に乗り出すことを約束してくれた。わたしはそこでようやく少しほっとしたが、同時に「もっと早く相談しておけばよかった」と強く思った。
それから数日後、警察が男を逮捕したとの連絡があった。わたしの塾の前で、再び待ち伏せしているところを張り込んでいた捜査員が確保したらしい。男は「自分はただガンダムの良さを伝えたかっただけ」などと弁明していたようだが、わたしの写真を無断で撮影して保存していたり、行動パターンをメモに書き込んでいたりと、数々の“ストーカー行為”の証拠が見つかり、転売目的で集めたガンプラの山とともに押収されたと聞いた。
ニュースサイトの地域欄に、小さく「30代男性をストーカー規制法違反で逮捕」と載っていた。名前は伏せられていたけれど、間違いなくあの男だろう。あの不気味な笑み、尋常ではない執着心、SNSでのしつこいメッセージ……わたしの普通の生活は、そんな彼の行動で大きく乱されていた。いま思うと、本当に怖かったし、もし警察に駆け込むのが遅れていたら、もっと大きな被害に遭っていたかもしれない。
男が逮捕されたと聞いてから、わたしはようやく外に出るときの恐怖から解放された気がする。とはいえ、すぐに「もう安心」とは思えず、しばらくは父や母に迎えに来てもらったり、友達と一緒に行動したりして、用心深く過ごした。学校の先生や友達もわたしを気遣ってくれたおかげで、少しずつ心の傷が癒えていったように思う。
受験勉強が本格化するにつれ、わたしはあの出来事を少しずつ振り返る余裕もできた。中学生のわたしには、あの男の「ガンダム転売」という仕事自体がピンと来なかった。好きなものを売買することで生計を立てている大人がいることは分かったが、それを理由に他人を追い回し、恐怖に陥れる行為が正当化されるわけがない。何より、彼自身がガンダムの魅力を熱く語る一方で、人の気持ちを無視した行動ばかり取っていたことに、強い矛盾を感じる。
今では、わたしが夜道を歩いているとき、あの男の足音を想像してしまうようなことはかなり減った。完全にトラウマが消えたわけではないけれど、警察や家族、学校の先生など、わたしを守ってくれる大人がいたことで「一人じゃない」という安心感を得られたのが大きいと思う。
この一件で学んだのは、「変だな、おかしいな」と感じたらすぐに誰かに相談することの大切さだ。最初は「大げさかな」「気のせいかな」と思って、なかなか行動に移せなかった。でも、もしもう少し早い段階で大人に相談していれば、あんなに怖い思いをしないで済んだかもしれない。今はその後悔を活かして、少しでも不安を感じたら周囲に声を上げるようにしている。
ガンダムオタクにストーキングされるなんて、わたしの人生にまさか起こるとは思わなかった。だけど、最終的に彼が逮捕されたことで、わたしの生活は再び平穏を取り戻した。この先も、いつどこで危険が潜んでいるか分からないからこそ、小さなサインを見落とさないように、そして自分の身を守るための行動をためらわないように――そう心に刻みながら、わたしはこれからも前を向いて生きていこうと思う。
【追記】
ブクマですげー怒られててこわい。
もちろん今は隠し事してた俺も悪いって思ってるけど、あそこまでショック受けるとは思わなかったしデマがあっという間に広まって当時は冷静な判断が出来なかったんだよ。
あといくらキモいからって人の顔見て吐き真似してキモがるの本当にやめろマジで。
【再追記】
なんか二回も結婚してる設定にされてるけど一回もしてねえよw
どっちも結婚直前まで関係を深めたけど一人目は仕事が忙しくて全然会えない時期が続いて振られる、二人目はパンデミックの最中に反ワクかつ中国大嫌いなネトウヨになっちゃって、色々話し合った結果価値観が合わないねって別れたんだよ。俺は中国と台湾のアート市場に凄い可能性を感じてるんで。
特に二人目の人は画家やってて俺のビジネスパートナーでもあり、一緒に個展を企画開催したり画集の出版までしたのにあんなことになって本当に残念だわ。
【再々追記】
いや、なんか…久しぶりにいとこの夢見て、昔を思い出して嬉しくなって独り言感覚で走り書きしただけなのに、ここまで多くの人にマジレスさせちゃって本当にすまん。
ただ、だいぶフェイクも入ってるので支離滅裂な内容になってるだろうし、色々誤解を招く内容になってるからしょうがないか。
でも中学のときからたびたび女のイジメグループのターゲットになってたので、連中のような醜悪な女集団は絶対に現実に存在するとだけは強く言っておきたい。
hiruhikoando ずいぶんと親族間の結束が強い親戚だなという感想。華僑的な増田 男女
俺の家系は一家揃って韓国系(在日朝鮮)なので日本の一般家庭とはたしかに違うかもね。
take-it “詳細を事細かに話した”=彼女にもいとこと同棲してるのを説明したと思われるのに、ブクマカにここまでフルボッコにしてるの、怖い。お前ら、何があったんだっていうか羨ましいのか。マンガみたいな青春。
そう、ちゃんといとこの事情とか話して(だいぶ慌ててまくし立てた記憶があるけど)あの冷たい拒絶だから当時18歳の俺にはどうしようもなかったよ。漫画は全然わからんが喘息持ちの人と一緒に暮らすのを羨ましがる奴がもしいるなら、あの病気の怖さを知らんのだろうなと軽蔑する。
moeshine元カノ側も「一時期は男という性別自体が嫌いになるくらい拗らせ」ててもおかしくないような話な気が
俺が中退してすぐ後にmixiで元彼女の日記見たらパイプ煙草咥えてるマッチョな彼氏と付き合ってる報告上げててその後結婚したらしいから幸せだと思うよ。
mirakukira韓国系なら先に書けよ、キモイと言われるのも納得だわ
こういうの久しぶり。2000年代前半は色んなとこでお前チョンかよって蔑まれたけどもう慣れたわ。
あとsnegってなにってググったら確かにそれっぽい話で俺も笑ったわ。えろげー一切知らんけど。
ので色々思い出したので独り言。
大学一年の冬に俺が二股かけて女を弄んでるっていう根も葉もない噂が学内に流れて、当時付き合ってた子に会いに行ったら、両手を口元に当てて今にも膝から崩れそうな勢いで号泣してて、取り巻きの女二人が俺に向かってアイツキモっと連呼しながら俺を見るなり口元に手を当ててオエッと吐き真似をする始末。
「なにこれ?」
と思って当時同じ大学に通ってて訳アリで同じアパートに暮らしてた幼馴染に聞いてみたら「どうやら同学年の連中の殆どがアンタと私が付き合ってると勘違いしてるっぽいぜw」とケラケラ笑いながら言ってきて。
俺は笑い事じゃないんだが?ってガチで心底イラつきながら泣いてる彼女に詳細を事細かに話したんだけど、泣きながら
「気持ち悪い」
とか言って一蹴される始末。
それ以来、女の
「気持ち悪い」
発言と口元に手を当ててショックを受ける仕草がホントにマジで無理になったんだけど、これやる奴ガチのマジで漏れなく苦しんで死んでほしいしキモいのはお前の方だ馬鹿野郎。感情的でストレス耐性低い奴ホント無理。
俺が同棲してたのは同い年のいとこの女の子で、彼女は喘息持ちでしょっちゅう命の危機に曝されるほどの発作に襲われながらも、大病した旦那に先立たれ太鼓で有名な手かざし系カルトにハマった母親のせいで高校一年頃から病院に連れて行ってもらえなくなって、その後インフルエンザと後遺症の気管支喘息にかかってマジで死にかけたりしてたらしい(喘息って拗らせると本当に死ぬので皆気を付けて)。
その現状を知った俺の両親が高3一学期にいとこを自宅に連れてきて保護し入院させ、それ以降、まあ幼馴染だし長期に一緒に暮らすの小学生の夏休み以来だなって高校卒業まで姉弟みたいに暮らしてて、最初はガリガリで小学校低学年くらいの体格しかなくて死ぬんじゃないかと心配してたけど内心は一人っ子の俺に姉弟が出来たみたいで楽しくて、お互い絵を描くのが好きだったから無事に同じ美術大学に進学して実家を離れルームシェア状態になって以降、学校では殆ど話さないけど通学路とか電車内では色々家の事とかバイトや買い物のこととかで話すことがあって、その様子が同級生に噂になったらしいけど、浮気だとか二股だとか取られる発想は当時の俺には全く無くて、付き合ってた彼女がそういうデマを信じて泣かれたときはマジで頭が真っ白になって未だにトラウマになってる。
付き合い始めた頃に、訳アリで同居人居るから俺の家でデートは難しいかもって何度も言ってたのにさ…。
ただ、その一件でスーッと恋愛感情が冷めて、一時期は女という性別自体が嫌いになるくらい拗らせた。
で、その件以降同学年の女子の殆どに嫌われキモがられて、大学に居づらくなって2年の夏頃に中退し小さな広告代理店に就職し、大学に通ういとこと社会人の俺という関係で同居生活は新たな局面を迎えるわけだが、その頃の生活は正直言って楽しかったし、いとこと疑似夫婦みたいな関係性で、結婚生活ってこんな感じなんかなあとボンヤリ思って、ならこれも悪くないな、幸せだなと思ってた。
「これ夫婦みたいやね」
って時折言うと笑いながら照れ隠しっぽくポカポカと殴る蹴るのプチ暴力を受けるのもなんか良かった。
ただ、幼馴染で照れ臭いし小柄で病弱な幼馴染のいとこを異性として見ることは中々出来なくて、振る舞いも向こうはオラオラ系姉で俺はのんびり系弟だったし、テレビ見てるときに膝に座られたり寒いときにハグされてコタツに潜るくらいで限界な感じ。だけど夏場の無防備な薄着の彼女には内心ドキドキしてた。
でも、休日に意味もなく近所の住宅街や公園を徘徊してその風景を渋いとかつげ義春っぽいとか寸評して携帯で写真撮りながら通りかかった喫茶店や飲食店で写真お披露目会をしつつお腹を満たしたり、ちょっと遠くにある安いスーパーまで駄弁りながら散歩がてら歩いて食料確保したり、真夏の夜に近所のビデオレンタル店に出向いてB級和ホラーを始めとするビデオを借りて深夜まで鑑賞会を開いたり、中古CD屋でマニアックな洋楽のアルバムをディグったり一緒に古本屋で何時間も立ち読みしたり。
ある年にいとこがクリスマスと新年を彼氏と過ごすって二週間ほど外泊してたときはちょっと、いや相当寂しかったし嫉妬したっけ。いつもは俺と過ごして大晦日には近所の寺に鐘つきに行ってたのに…。
家事一般は、いとこが同居中に2回喘息で入院してたし(入院費8万くらい取られてやばかった)よく体調崩してて心配で俺が料理を筆頭に掃除も洗濯も色々やってたんだけど、金が無さすぎて給湯器が買えなかった同居一年目の冬のある日、手が霜焼けで痛くて食器洗いが苦痛って言ったら黙って洗ってくれたのは未だに覚えてる。
その後コーヒーメーカーと炊飯器が滅茶苦茶電気代食うってのに気付いてリサイクルショップでドリッパーと米炊き用の土鍋を買ったら劇的に電気代が安くなって、この世の覇者みたいな気分でお互いやったぜって喜んでた。
んで年明けてからリサイクルショップでナショナルの古いレンジとビクターのテレビデオとメーカー不明のコタツ買って、ナショナルのレンジは今も俺が使ってるけど、あのテレビで色んな深夜番組やら映画を録画して暇なときに一緒に観たり。
忘れもしない、草なぎ剛が泥酔全裸前転で世を騒がせたときに、いとこが就職先を見つけて独り立ちするからって、そのお祝いにアパート隣接の枝垂れ桜が咲く公園で酒盛りしながら俺が裸になってシンゴーって叫びながらでんぐり返しをして、いとこを爆笑させたことを。
んで、いとこはその後良い人と結婚してお子たちにも恵まれたようで、幸せそうな姿を今もSNSで確認出来る。
一方、俺はと言えば二度結婚に失敗してもう生涯独身でいいよって思う昨今だけど、今思うと俺、いとこのこと好きだったんだろうな。
後悔してもしょうがないけど。
Permalink |記事への反応(16) | 08:39
増田の出身小学校にはいわゆる校庭(グラウンド)とは別に裏庭があった
裏庭には田んぼ、畑、ちょっとした雑木林、飼育小屋、ちょっとした池、テニスコート1面があった
田んぼ…6年生が先生の監督下で田植えから収穫までやってた。収穫したお米は他のお米と合わせて学校行事でおにぎりにして食べてた。おにぎりを作るのは朝っぱらから集められたPTAの親御さんたちだったので、大人になってから振り返ると楽しかったのと想像し得る親御さんの大変さとでちょっと複雑な気持ちになる
畑…4〜6年生が色んな野菜を育てていた。5年生の時はさつまいもを栽培して、秋になったら1年生の子とグループを作って雑木林の落ち葉で焼き芋をした。時間内だと全ての芋に火が通らなくて、しっかり焼けた甘い芋はみんな1年生に食べさせて自分たちは微妙な芋を頑張って齧った。自分たちの芋は美味しくなかったが、1年生が美味しそうに芋を食べてたので少なくとも増田は充足感を覚えていた。この畑では教頭先生がスイカを育てていて、夏になると休み時間に全校児童と先生たち皆でこのスイカを食べた。夏の暑い日に外で食べたスイカは甘くて瑞々しくて美味しかった。教頭先生は学芸会の時に正体がモロバレしてる謎のヒーローになる楽しい人だった(やればできる!の人みたいな明るさがあった)
ちょっとした雑木林…裏庭の端に色んな木が植えられていた。枇杷とか桑とかの果樹も生えていて、実がなったら食べてOKだったので一学期の終わり頃の時期は雑木林が人気スポットだった。この雑木林の向こう側が工事業者の敷地だったせいか、捨てられたと思しきトラロープとかホースの切れっ端が転がってることがあった。5年生の時に学年の皆でこの雑木林の隅に生えてた一番大きな木と上記の廃材で秘密基地を作った(担任の先生が掛け合ってくれて年度末には片付けることと他学年の子が来ても受け入れることを条件に校長先生に許可してもらった)。廃材で作った適当すぎるブランコを勢いよく漕いだ増田は勢い余りすぎてすっ飛んでビターーーン!と地面に自分を叩きつけたことがあるけど今も元気に生きてる
飼育小屋…うさぎとニワトリがいて、4年生が当番制で世話をしていた。ニワトリの卵は当番の子が貰ってOKだった。増田がニワトリの卵を貰った時はさっさとTKGにして食べたのだが、これは増田のきょうだいが当番をしていた時に卵を貰ってきたのを勿体ながっていつまでも食べずに残していた結果、いざ食べようと卵を割ったらヒヨコになりかけたやつが出てきた事件から学んだつもりの行動であった
ちょっとした池…でかめの金魚と鯉がいた。たまに野生か野良の動物に魚がやられてしまうことがあって校務員さんが残念そうにその話をしていたが、小3の増田はその話を聞いた2分後くらいにはセミの抜け殻を集めて池を縁取る石の上に並べたりしていた
テニスコート…テニスコートではあったが在校中にネットが張られたのを見たことがない。休み時間の鬼ごっこ会場か教頭先生がスイカを振る舞う会場にしか使われてなかった
小学校は本当に楽しかった。裏庭も好きだったけど、ちっちゃい丘みたいなのがある校庭も、閲覧席の陽当りがいい図書室も好きだった。卒業式でめちゃくちゃ泣くくらい楽しい学校生活だった
時々思い出して、あの頃はよかったな〜とノスタルジーに浸ってはもう戻れない思い出の世界なのだとちょっぴり寂しくなったりしてる
うーんよくできた釣りのように思えるけどなぁ
妻の親が「いま忙しくて妻を援助できないし妻にも就労の意志がない」とはっきりいえばこっちに親権がくるとおもう
あとツイッターid全部スクショとって帰宅したときの家の荒れとかも写真とってヤバいとこを家庭裁判所に出せばいいとおもうな
あと一番効くのはワクチンなどの医者は誰がつれてっていってた?ってあたり
子どものためにも責任とれるようがんばればいいとおもう、「本当の話」ならね
欠席裁判なんだから元増田はいうほど家事できてなかったんじゃないのかね
小学生は最初の一学期は給食がないしその後も低学年の間は15時に家帰って来るけどそこから18とか20時くらいまでの間をどう放置子にすんのって話
あ、2chコピペか どうりで話が古い
前回の投稿が思わぬ反響を呼んで驚いたので第二弾を書くことにした。
こっちの方がより強く押したい話なのでこれを先に書けばよかったと後悔している。
ちなみに、私は某ベネ○セの社員ではない。申し訳ないがそんなに大手に努めていないので。
ただ、首都圏のほとんどの主要な塾は私自身が子供時代を通じて通ったことがある、
もしくは学生時代、社会人を通じてアルバイトまたは正社員どちらかで働いた経験があるとだけ言っておく。
皆さんは、3年ほど4教科通塾して勉強して受験に臨むのがスタンダードな考え方だと思っていないだろうか。
まだまだそれが一般的ではあるのだが、長い目での進学を考えた時に、もっとお得なルートがあるのではないかと私は考えている。
知人Aの話。Aは中学受験時、偏差値60後半のクラスに在籍していたが、
第一志望の御三家に落ち、かなりのすべり止めに進学することになってしまった。
学校の成績はほぼトップ⑩をキープしつつ、高校受験のための勉強を続行。
かなりのすべり止めとはいえ自称進学校だったため、中学までの勉強は遅くとも中三の一学期までには
全科目終了していたこと、内申点のつけ方が甘い学校だったことが勝因だったようだ。
ちなみに、その子は週二回あるかないかのゆるゆる文化部で、特にクラス委員などもしていなかったが最高評価の内申がついていた。
教え子Bの話。その子は中学受験代も抑え、かたくなに2科目受験を貫いた。ちなみに帰国子女ではない。
帰国子女じゃなくても、英語ができれば受かる学校は首都圏で140校を優に超えているため、昔よりも受験の選択肢が広いのだ。
最近はどの学校も生き残りをかけて英語に力を入れている、もとい、はじめからある程度英語ができる子を獲得するのに力を入れている。
某学校の話だが、英語枠で入ってきた子には取り出し授業と称し帰国子女と一緒にネイティブの先生の授業がほぼマンツーマンで受けられるなど、
某プリントいっぱいやる塾(名前は出さない。)等で英検準2くらいを取って筆記をできるようにしておけばかなりコスパいいのではないだろうか。
この方式での受験のさらなる利点は、中学で取り出し授業の恩恵を賜り高校で都立に鞍替えも可能ということだ。
英語特待は奨学生になれることも多いので、3年間のみの私立在籍+特待生+高校都立大学国立 の流れなら長期的に見てかなりお得だと思う。
私が働いていたところもそうだったのだが、塾はいまだに同調圧力で4科目受験を進めてくるので、なかなか2科目に振り切るのは至難の業。
けれど、超難関校に進学するのでは無ければ金銭的にも結構お得な方法なのではないかと思う。
本当は英語を試験に組み入れたいが、難関校がそれをやらないのでなんとなく入れられない学校 は多い。
学校のブランド名を買うために…という人もいるだろうが、私は私立中高一貫の偏差値は公立に比べかなり流動的で、暴落の危険も秘めている
あまりあてにならないものだと感じている。実際に、偏差値の高さだけで進学した知り合いCの学校はC在籍中に偏差値が10近く暴落し、
涙を呑んでいた。なんだかんだ、ネームバリューと認知がある都立進学校が生涯にわたって出身高校名を大事にしたい人には安全株だと個人的には思う。
結局男性が収入が低い前提で子育て(保育園。夜7時)まではなんとかできても
学童がないと小学校(一年生の一学期が全部午前授業)でダメになる。
で、そのへんで男性側はあまりに収入が低くて親戚の間で肩身が狭いのがいやになって業界日本一の会社に転職して私と同格の収入を得た。
それプラス完全共稼ぎだと親同居でもなければ子育て(思春期以降)がうまくまわらない(高校生までは未成年で、複雑な問題に対処できない。性犯罪とか)とか
体調の悪化とか介護とかいろいろ問題が出て女性側が正社員雇用で働くのをやめた
今は■があるので自由業という名目でお小遣い分アルバイトしつつ減らしてアーリーリタイア
(翻訳とかもやってた。機械翻訳の精度があがったのでOCRとかお盆特急しかこなくなってやめた)
長女は小学四年生に進級し、次女は新一年生になった。長女が次女の手を引き、とことこ歩いていく後ろ姿に、ちょっと感動しちゃったぜ!
それはいいけど、長女のクラスの担任が、この春大学を卒業したての女性教師で、昨日の初授業ですでに、クラスの男子達の雑談が止まず、勉強どころじゃなかったという話を長女から聞かされ、二年前の悪夢が甦って頭痛い。
二年前、長女の担任は妊娠後期の女性教師で、一学期の半分までいかずに産休に入った。そして、その後を引き継いだのが担任を持つのが初めての新卒男性教師だった。
という流れが、教師のスペックとか置いといてまず第一にクラス生徒の保護者達の反感を買ってしまい、何かの行事で保護者同士で顔を合わせれば先生への悪口大会になった。
酷いことに、妊娠中の先生がすぐ側を歩いているのに聞こえよがしに「こんな半端な時期に妊娠して担任を持つなんて非常識」と大声で言う人もいた。
妊娠中の担任は、5月の遠足にはもう臨月に入る頃だったので、遠足の引率はしないことになっていたのに、一部の保護者達が結託して抗議したせいで、結局補助の先生付きで引率することになった。しかも、今度は補助がついたことも気に入らないと言い出す保護者も出る始末。
そんなこんなで、遠足が終わってほどなくして、新卒の男性教師に担任が引き継がれた。すると、担任が若い男であることが気に入らない、見た目や態度もひ弱そうで気持ち悪いし頼りない、など、まだ何もやらかしていないうちから敵意剥き出しに臨んだ保護者達だった。
初めての担任が完璧にクラスを運営し保護者対応を完璧にこなすということは当然できず、なんやかんや色々トラブルは起きたけど、そこまで気にするか?ってほどの細々としたものばかりだったが、クラスのLINEグループに入ってない私にまでも、「今日の何時から校長に直談判しに行くからなるべく参加するように」とかネガティブなお誘いがしばしばメールで届いていた。
しかしまあ、なんだかんだ子供達は担任を小馬鹿にしつつも懐いていたし、すごく悪い事件が起きる訳でもなく、三学期になった。
最後の保護者会でも、担任は何やら一組の夫婦からギャアギャア叱責されていたけど、何故なのかは私は知らない。担任は学校を辞めた。
そんなことがあったので、今年もまた電話やメールで今から学校に抗議に行くから出て来いと言われんのかなと思うと憂鬱になる。私、夕方から仕事なんだよ!と、毎回断ってるのだが、その度ごとに他の保護者との間の壁の厚みが増していってるのを感じる。習い事のアシスタント当番で長女の同級生の親達と会うけど、昔のように話してもらえない。地味つら。
自分専用のSwitchをようやく手に入れられたので、本体の言語設定を英語にして使っている。
中1の一学期の中間からいきなり赤点を取り、そこからずっと高3まで30点を超えることは一度もなかった。
先生が放課後に開いてくれた特別補習も必死に受けたし、定期テストの時はどの科目よりも時間をかけていた。
でも、良くて30点。
他の教科はそこそこ出来ていただけに、どうしても英語が出来ないのがつらくて、ずっと泣きながら勉強していた。
最初のページはリンゴの絵とこの2語が書かれているだけだった。
でも、私は「自分はこの英語がやりたかったんだ!」と、この時に初めて理解した。
当時は分からなかったけど、後になって考えると、
中学の時留学生が来たのだけど、英語の先生のが英語が相手に通じなかったし、
大人になってからなら、英語だって方言あるよね。と、先生の擁護もできるけど、
あの時自分は「この英語を勉強しても、ああなのか。意味がない」と、無意識に学校英語を切り捨ててしまったのだろう。
インタビュー記事も、授業に関係ないところまで頑張って読んだ。
当然、基礎が全くできていないので、誰よりも時間がかかったけど、それでも初めて英語が楽しいと思った。
子供が英会話やってみたい!というのに合わせて、英検も受け始めた。
5級から始めて、今準2級。
2級は会話がネックすぎて今は難しそうだけど、カメの歩みでも20年以上やればここまで至れるだという実感もある。
準2級とはいえ、初歩的な単語が未だにちゃんとわかっていない。
そして、文法もわかっていないので、単語の意味は全部わかるのに、つながると何を言ってるのか全く分からん!という、愉快な事態によく陥る。
スクショを山ほど撮って、暇なときにノートに写し、スマホで単語検索して「なるほどねー」なんて言っていると、
子供が「そこまでして英語って勉強したいの?好きなの?」って聞いてきた。
好きではないのかもしれない。だって、好きだったらとっくに自分で英語の文とか組み立てて話せるようになってる気がする。
そこまでではない。
あつ森のフータさんは、英語版の方が卑屈なところがなくて好き。
リングフィットはよく見かける、”Takeitaway,Tipp!”
の、Tippがどうしてもわからず悩んで、ミブリさんの英語名と知って崩れ落ちるとか、
自分が物理で動いているせいで、台詞をスクショできなくて悶えるとか、そんなのが多い。
んで、今は何回もノートを見直しているから無理やり訳しているけど、本来は訳す必要はないんだろうなぁと、
脳内で訳さずに意味が分かったら、とても楽しそうだし、テンポ良くゲームが進むんだろうな。
そして、あつ森の英語があらかたわかるようになったら、他の英語のゲームもやってみたい。
でも、あつ森は言い回しが難しい!
たった1行の文に15分以上悩むとかざらすぎる。
リングフィットは、言い回しはまだわかりやすいけど、日本語のダジャレ攻勢に慣れ過ぎて、
もしかして英語のダジャレが隠されているのか?と、変な悩み方をするのと筋肉まみれなので、
他のゲームをするときの礎にはなりにくいかなぁと、勝手に思ってる。
うん、ここまで書いていて思ったけど、子供に対するアンサーは、
いいんだ。人生80年くらいあるなら、あと30年近くは出来るんだ。
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僕は高校3年生(男)だ。
今日も、昨日も、一昨日も、ここのところずっと、自発的な勉強をほとんどしていない。
代わりに、大量のネット上の記事とブログと無料の音楽と漫画とヤフコメとはてなブックマークと増田を摂取してはひり出し、少し休んで親のいる時だけ勉強のふりをし、摂取してはひり出ししてどうにか生きている。何の知識も身につかず、自分と関係ない人や物を消費していく毎日。正直、虚無感しかない。
僕は普通に大学受験をするつもりで、今のところ京大の理系学部を目指している(という事になっている)。しかし、現在の体たらくを続ければ、京大どころかどの大学にも落ちるレベルだ。自分の現状とその先にある未来は見えているが、理想との間にある暗い穴から僕は顔を背けている。その逃避の一環としてネットサーフィンがあり、というか増田に書いている時点でこの行為もまた逃避だろう。
起きて朝飯を食べて親が仕事に出かけたらソファーでChromeを開いてネットを漁りオナニーして親が帰ってきたら夜飯を食べて寝る日々。こんな状態を望んでいない自分とネットを見る以外に何もしたくない自分が綱引きをしていて、多少の誤差はあれど後者が常に勝っている状態。現実からの逃避。
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僕が中学受験の末に今いる男子校に入ったのはだいたい6年前だった。(本命には落ちたが)東京の男子御三家の一つに入れたのは嬉しく、自分の中では今でもある種の成功体験的な地位を占めている。
それから5年間やりたい放題好きに過ごしてきたのだが、特に高校生になってから、学年が上がるにつれ同級生が大学受験を意識する様子が目立ってきた。
高2の後半になると、東大合格を至上とし進学校の生徒のみが入れる中規模のカルト的人気を誇る塾に学年の1/4以上が入塾し、授業を聞かずに塾のテキストを自習する奴の割合も増え、英単語帳やら青チャやら重問がクラスに溢れるようになった。つまりみんな勉強を始めていた。
ここら辺から、勉強していない自分と、みんな勉強しててヤバい俺も勉強しなきゃという規範に齟齬が生じてきて、その齟齬を上手く埋めることができず、長じて今の状態に至るのかなあと推測したりもする。でもこの頃はその規範通り、効率が悪いにせよちゃんと勉強していた。
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そうしているうちにコロナが流行りだし、安倍(どう表記するのが適当かわからない)によって休校宣言が出された。3/1くらいか。
学校が休校になっても、春休みが終わるまでは塾の春期講習に行ったりで勉強モチベはわりあい高く保てていた。実際に一日6~9時間くらいは勉強していたと思う。
しかし、そこからが辛かった。学校では友人と愚痴を言い合ったり馬鹿話をしたりバトミントンをしたりして、ある程度勉強のストレスが和らげられたと思うのだが、コロナの巣籠もり下では誰も話し相手がいない。
日中誰とも喋れず家で勉強をするのは、精神衛生上かなりキツかった。ちょくちょく友人とはLINEしたり電話したりしていたが、それも焼け石に水だった。
学校がGoogle Classroomを使い始め、zoom配信や動画を見ることで出席をつける形式になり、ここを先途とばかりに大量の数学演習やら長文読解やら共通テスト対策問題やらの課題を出すようになったのもキツかった。
ネット上の課題は対面で「この課題、やっとけよ~」と言われるよりも課題やらなきゃという義務感が生じにくく、タブを一つ消すだけで存在ごと消えてしまうため、期限を忘れた課題が大量に溜まり、その多さを見てやる気がなくなるという悪循環が際限なく生じてしまった。
更に、zoomやGoogleClassroomを使うためにパソコンやスマホを手に取る機会が増えた。それは僕の場合、ネットを開きはてブや増田やアルなどの他のサイトを見る機会の増加に繋がってしまった。
こうなるともう爆発の一歩手前だった。ただし、それでも5月の初めまでは自制してなんとか勉強できていた。
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5月6日から8日の間、僕は虚無の中にいた。勉強をブッチし、カーテンを閉めて照明を一つだけ灯した薄暗い部屋の中パソコンでひたすらソク読みとはてブと増田とpornhubを巡回していた三日間。それまでも週一くらいで勉強をサボる日はあったが、三日連続でのそれは初めてだった。仕事をしていて日中家にいない親には特にバレず、小言を言われることもなく、要するに僕は手軽に快楽に浸って現実逃避する道を知ってしまった。
この三日間がぶち抜いた綻びから生活が徐々に崩れてきた感覚がある。
最初は勉強をしないことに対する罪悪感もあったが、ネットに頭を占領されていくにつれて、頭の奥が靄がかかったようにぼんやりとしてきて物事を深く考えるのが辛くなり、そういった感情も段々と消えていった。
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6月になってリアルの登校が始まったが、コロナ前の登校に比べて頻度も授業のコマ数も内容も悪い方向に変化してしまったので、状況は大きく変わらなかった。
確かに久しぶりにする生身の友人との会話は話すネタも尽きずめちゃんこ楽しかったし、3時間くらいしかない授業が終わった後は勉強モチベも高まった。
しかし、長期の家籠りで重度の出不精コミュニケーション不精と化していた僕にとっては、登校日は楽しい日であると同時に疲れる日でもあり、その疲れと怠さはだいたい翌日以降も続き、勉強のやる気を阻害した。
登校日は月に数えるほどしかなかったので、リアル登校の再開によって逆に僕は勉強ができなくなっていた。
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6月後半~7月に入ると、本当に幸運なことに、友人の一人が学校のない日に一緒に勉強しようと誘ってくれるようになった。彼は通っていた中規模塾の自習室がコロナのため空かず、かといって家で勉強はできないから一緒に外でやろう、そしたらお互い良いんじゃね?とLINEしてきた。これは絶好のチャンスと思った僕はホイホイ乗っかり、感染防止対策を取った上で一緒に自習する日々が続いた。
友人と一緒にいるときは(体面を良くしたいというのもあって)だいたい6時間くらいは集中して勉強できた。そんなこんなで最初は順風満帆だと思っていたのだが、段々と状況は悪化してきた。
7月2日のことだった。前日の7月1日もその友人と勉強していて、明日も午後から勉強しようぜ!と話していた。しかし、2日の朝起きると体がだるく、親が出て行った後に心の中で言い訳をしながらソファーに寝転んで午前中いっぱいスマホでブログやら何やらを見てしまった。
当然ずっと寝ていると体が重く、長時間ネットを見たとき特有の頭がぼうっとする感じにもやられ、僕の頭はどこからともなく湧いてきた「今日はだるいから外出は無理だな・・・」という考えに完全に支配された。まあ、事前に連絡をしておけば別に一日くらい行けない日があっても問題はないだろう。
・・・・・・問題なのは、僕が友人に夜8時まで連絡しなかったことだった。早めに「すまん。ちょっと今日は無理そうだ・・・」とLINEしておけば良かったのに、僕は夜までそれを意図的にサボってしまった。連絡しなければいけないことはわかってる、連絡せねば、という思いは強くあるのに、なぜかLINEを開いて連絡するのがひどく億劫で、僕はそれよりもソファーで丸まって現実逃避することを選んだ。
罪悪感はすごかったが、一方でなぜか「ああ、こんなもんなのか」と思っている自分もいた。
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そこからの堕落は早かった。いや、その前から堕落していたのかもしれないが、もうよくわからない。友人との勉強の約束は3回に1回くらいすっぽかすようになり、昼飯でも奢ってちゃんと謝ろう、と決意した頃には友人の塾の自習室が解放され、結局うやむやなまま僕と彼の勉強は終わってしまった。学校が再開したらきちんと謝りたい。
▼学校の課題を大量にやり残し、入学してから初めてある科目の学期成績で白点をとる
▼塾の夏期講習(5日間)のうち3日サボる
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こうやって家に籠って自堕落な生活をある程度の期間続けていると、だんだん自分の思考や言い訳の仕方がわかってくる。僕の場合、「○○からやるぞ症候群」が顕著に表れた。
「今日はだらけていてもしょうがないが、明日からは毎日10時間勉強するぞ。そしたら受験にも間に合う。・・・だから、今スマホを見てもいいんだよ」
みたいな感じだ。○○には「明日」が入ったり、「6月」とか「7月」、はては「15時」が入ったりする。
言うまでもなくこれは未来に責任を押し付けて現実から逃避するだけで、実際に実行できるなら良いが、実行できないのなら全く意味がない。
僕は、ほとんど実行できなかった。5月には「6月からちゃんと勉強する」と言い、6月には「だらけすぎた。7月からマジでやるぞ」と言い、7月には「たるんでる。8月から毎日10時間やろう」と言った。
あとは、ネット断ち・スマホ断ち・ゲーム断ちも考えたが、これもほとんど続かなかった。昨年12月にアンインストールしたみんはやはついこないだインストールしてしまった(またアンインストールした)し、同じく12月に押し入れに封印した3DSは今日開けてしまった。マリオテニス楽しい~~~~~~~~~~~~~~~
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こんな感じで酷い暮らしをここ3ヶ月くらい送っています。高3の夏をこんな風に過ごすとは去年には考えもしなかった。こうなった要因の一つは間違いなくコロナがあって、確かに休校がなく毎日登校していたら精神はもっと健全で勉強ももっとできていただろう。でも、どんどん堕落の坂を転げ落ちていったのは間違いなく自分の弱い性格のせいだと思うので、あんまり環境のせいにしないようにしたい。
他にも気が滅入るようなことは沢山あって、けん玉のこととか昭和42年生まれ元司法浪人さんのこととかオナニーのこととか書きたいことも色々あるんだけど、疲れたのでここらで止めておきます。
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よくわかんねえものを垂れ流してしまってすみません。やや自分の気持ちの整理ができた気はします。「勉強しなきゃな」と。何だかんだ自分はやればできるという妙な自信はあるので、それを現実にすべく明日からコツコツと勉強を始めたいです。要するにこれも「○○からやるぞ症候群」の一種ですが、劇的な物を望みすぎると失敗するということは身に染みたので、あんまり負荷をかけないように少しづつ少しづつ
やっていきたいです。どれだけの人に読まれるかわかりませんが、もう投稿したら入試終了まで見ないことにするのでブコメもトラバも返せません。入試が終わったら(たぶん3月下旬)結果を書くかもしれないです。
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これ時間が経って読み返したら自意識まみれでバイアスかかりまくりで恥ずかしくなるやつだろうな。まあいいや。
Permalink |記事への反応(33) | 23:14
なんとか中学受験で潜り込めた学校だが、私立に合格できて、本当に良かった。
都立に倣って、公立の小中学校は「授業をGWまで休校」らしい。
このペースだと、GWはおろか、一学期の授業再開は絶望だろう。
それもこれも、公立には「子供の命ガー」というゼロリスク厨なモンペが、学校再開に猛反対してるからだ。所謂ノイジーマイノリティ。
NHKの世論調査では学校再開派の保護者の方が多数派なのに、そういう保護者はサイレントなマジョリティなので、そういう声は学校関係者には届かない。
疫学的エビデンスだと、中学生くらいの学齢って、一番コロナの致死率が低い世代だ。
致死率がゼロとは言わないが、交通事故の致死率よりも低いだろう。
「子供達の命の為に、休校を!」と叫ぶ連中は、「交通事故が怖いから、通学しさせないで!」と同時に主張しないと整合取れない。
私立の保護者には、そういうエビデンスを無視した感情論を持ち出すモンペは、殆ど存在しない。仮に存在してても、学校側が正しく対処してくれる。
自分は子供の受験について、「無理して私立に行かせなくても、、」とも思ってたが、このコロナ局面で、「私立の中学が、子供の教育権の確保には、最善」と思い知った。
また、心を盗まれた。
言うまでもなく、ペルソナ5THE ROYALのことだ。
発売日が決定してすぐに有給を取得し、万全の体制で臨み、5連休が終わる直前にクリアした。(クリアできたのは八十稲羽の大神の力による所が大きかった)
あまりにも、あまりにも素晴らしかったので、2周目に突入する前に、作中の「怪盗信者」である三島のように、テキストエディタを立ち上げ、「僕らの光」を何度も流しながら、支離滅裂でキモいテキストを書き散らしている
ペルソナシリーズの存在を名前だけは知っていたが、普段ゲームなぞ殆どしない自分は、2016年の秋、8年ぶりに同シリーズの最新ナンバリングタイトルが出るという素晴らしいニュースがあったことすら露知らず、どうしてもやりたかったうたわれるもの二人の白皇の為に、PS4を購入して(こちらも言うまでもないほどのADVの大傑作だ)プレイし、Suaraが歌う、ボーカル付のシーンで涙を流していた。
それ以外やりたいソフトも無く、当時大学生で暇を持て余していた自分は、近場の家電量販店に行き、たまたま見つけた赤と黒のソフトを手に取っていた。
それがペルソナ5との、ひいてはペルソナシリーズの出会いだった。その世界にあまりにハマってしまったせいで、ペルソナ5を通算500時間ほどプレイした。そしてペルソナ3で命の答えにたどり着き、ペルソナ4ザ・ゴールデンで霧を晴らし真実を見つけ出した。それでも飽き足らず(無印と2はまだやっていないにわかにではあるが)アニメを見て映画を見て、アリーナで闘い、ダンスを踊った。
ペルソナ5は現実世界と認知世界(というもう一つの現実との)と東京という「現実」にある世界の3要素が絶妙にリンクしていて、ある意味残酷とすら思えるほどの没入感を与えることに成功している。
教室で自分の目の前に座っている杏、竜司とともに食べた荻窪のラーメン、真と共に闘ったパレス、双葉と共に食べたカレー、春と飲んだコーヒー…一緒に眠ったモルガナ…「痛み」を共有した仲間たちとの楽しくどこかくすぐったいような日々だけではない。無気力な大衆、どこにでもいそうなパレスの主たちまで、確かに存在する。
そして、プレイを終えたあと、自分は確かに怪盗団であったこと、しかしこの世界には怪盗団がいないということを実感せずにはいられない。
ペルソナ5の物語は、当事者になってしまった鴨志田事件から、真加入の前半は勧善懲悪的な物語であり、中盤は、大衆の期待に煽られていき、「人一倍許せないこと」があり、それを貫いていく、という怪盗団のポリシーがブレはじめ、絶頂と凋落を味わう。
終盤はその大衆の集合的無意識を切り口として、人々の世界のどこにでもありふれている閉塞と怠惰の中で、それでも人間には前進していく・立ち向かっていく意志と希望があり、(矛盾しているが)それらを自ら選択していくエンドである。
「人間の希望を集めて作られた」モルガナが「人間には、世界を変える力がある。今はそれをほんの少し忘れてしまっているだけ」という台詞であらわされるように、作中には「意志と選択」がありふれている。
その最たるものとして、主人公は獅童の事件の証言者として、警察に出頭し、少年院に入ってしまうことになるわけだが、「痛み」を共有した仲間たちが主人公の冤罪を証明する。
作品の答えが、そして作品のテーマであった「真なる更生」が果たされる。彼らの「意志」はわれわれの現実にも還元され、ありふれた怠惰と閉塞の世界で、「ほんの少し」忘れていた希望と意思を思い出す。
さて、ペルソナ5 THE ROYALでは、そんな「意志と選択」の物語であったペルソナ5から、今回の「ROYAL」な3学期では、異なるシチュエーションで「意志と選択」の物語が繰り広げられることになる
パーフェクトであった物語に、一学期から当然のように追加される新しい登場人物たち。
言うまでもなく、芳澤すみれと丸喜拓人のことだ。ネタバレになってしまうが、二人には共通点がある、「大切な人」を失ったという「痛み」を持っている点だ。丸喜拓人は恋人を、芳澤すみれは、姉であった「芳澤かすみ」と自分自身「芳澤すみれ」である。丸喜は恋人であった留美の家族が殺されたショックで、留美が廃人になる。
芳澤すみれは、世界を獲ると共に誓った姉を、自らの不注意で事故に遭わせてしまい、失う。
丸喜は「彼女を救いたい」という「願い」をもって、ペルソナを覚醒させ、留美を救った代償に、留美は丸喜のことを忘れる。
すみれは「かすみになりたい」という「願い」を持ち、それを丸喜が認知を「曲解」させることで、すみれは自身を「かすみ」と認識して生きていく。その代償にすみれはすみれ自身を失う。
3学期に解禁されるすみれコープにおいて、芳澤すみれは「かすみ」のように凛々とした少女ではなく、いつも姉の背中を追いかけている内気な少女として描かれる。
かすみの影から自ら脱却し自分の意志で歩み始める。彼女のコープで、下していた髪を再度括るシーンは、かすみの持っていた強い目が、すみれの中に宿っていた。
すみれの強さと脆さ、そして主人公や丸喜にすがってしまう点は「怪盗団」の女性にはない、どこかギャルゲーチックなトラウマの向き合い方で大変好みだっただけに、もう少し長く仲間として使いたかったという本音もある。
話しを怪盗団に戻そう。怪盗団が無意識にも願っていた願いが叶えられた世界。「幸福な幻想」の中にいる怪盗団は、自分たちが「現実にいない」ということにすら気が付かない。彼らが無意識にも願っていた願いが変えられた世界。モルガナは人間になり、竜司は陸上を続け、杏は志穂と共に過ごす。真や春には父がいて、双葉には母もいる。かすみはかすみとして、凛々とそこにいる。ただ、主人公だけであるジョーカーは違うかのように描かれる。現実が、現実ではない感覚。彼は同じようにここが現実ではないと気がついていた明智、そしてパレスを見つけていた芳澤と協力して、元の世界へ戻ろうと調査を始める。
パレスを発見したのち、戦力を増やすためにもまず、ジョーカーは一人一人一味を説得していくわけだが、改めてジョーカーの精神的な意志の強さには驚嘆する。彼は問いかける「これで本当に幸せか?」自ら痛みを乗り越え、選ばなければ意味がなかったんじゃないのか?
仲間たちは気がつく。竜司の言葉でいうなら「あいつの言葉が正しいと思ったからなのかも」
その瞬間、幻想は打ち砕かれる。
丸喜は「みんなが幸せに暮らす」世界を作りだすことによって全てを救おうとする。そのことに気がついた時、怪盗団は今まで考えていなかった、改心することの是非を問われる。という問いにぶつかる。しかし!目を覚ました怪盗団の答えは自明である。「幸福」よりも「意志と選択」を尊ぶのだ。例え、その現実が幸福なものでなかったとしても。
丸喜は叫ぶ「僕は君たちも救いたいんだ」そして、共闘している明智という存在が「ジョーカーがもう一度闘いたい」という願いに丸喜が応えたことによって生まれた存在だということを明す。そして、明智は自らの存在のことを知りながらも、主人公に、自らの「意志」を貫くよう勧める。明智らしい、突き放すような言い方で。
その時、私はそうか、と少し嬉しくと思う。ジョーカーにも、きちんと願いがあり、後悔があったのかと。あまりにも強靭な精神を持っているので忘れていた。私ははじめてジョーカーが真なる意味で「我々の仮面」になったような実感を得た。
そこから先はもう言うまでもなく、「歪んだ善意」と「まっすぐな意志」との対決である。本来怪盗団に改心することの是非や葛藤など必要ではない。大義名分を気にしてるようでは怪盗団なんかやってないからだ。確かに今回の丸喜は根っからの悪人ではないし、どこか衛宮士郎を彷彿とさせるような一種の正義の味方だと思う。それでも、怪盗団にとっては悪人なのだ、自分の力でまだ見ぬ未来を切り開いていく障害になるものは。
ラストバトルで、ジョーカーは仮面を外し、丸喜といかにも陰キャな殴り合いを行う。少し狙いすぎるきらいはあるが、その青臭さと眩しさを再度確認できただけでも、ペルソナ5THE ROYALは最高の物語であったと私は言える。
エンディングムービにおいて、丸喜はタクシー運転手として主人公を駅まで載せていくシーンがあり「大人になってから失敗しても、もう一度やり直せる。それが僕の復讐かな」(大意)丸喜も見事に未来をつかむことが出来たのだと思い、うれしくなる。
見送りの際にかすみが現れないのも、怪盗団の見送りがやけにあっさりしている所も、自らの「意志」によって、自分だけの道を歩みはじめたことの証左だろう。新幹線のホームで、「前を向いて歩けよ」という声がする。前を向くと、強い目をした「すみれ」がいる。「それでは」という挨拶だけを交わして、二人はすれ違っていく。前を向いて進む、だが、二人は同じ方向を向いていない。なんと素晴らしい別れ方だろうか。
かすみと、怪盗団と、もう一度会いたいと思わずにいられない。もう一度、ありふれた閉塞と怠惰から、未来を切り開くために。そして別れをする為に。その為に何度もペルソナ5THE ROYALを周回し、そのたびに、自分自身の心の中に怪盗団があることを確認するだろう。
40代夫婦、中学校2年生(都内私立男子校 中高一貫。本人が希望して入学したが、少し勉強についていくのに苦労している)の3人暮らしの我が家。
夕食の席で、中学校2年の息子が「学校のことで話をしたい」と言い始めた。
そして、家族会議をすることに。
議題は、彼の「学校でのこと」について。
俺に似て、ナードな息子は「運動部の奴らにイジられていて辛い」と話し始めた。
運動部に入っていたが、同年代の子に「辞めちゃえばいいのに」と繰り返し言われて辞めたという経験がある。
俺は運動部が憎い。
自分が中学生の時も、サッカー部と野球部の連中は我々のようなスクールカーストの低い人達を虐げていた。
坊主憎けりゃナントカだとは分かっていても、本当に気に入らない。
本人の希望で、スクールカウンセラーにも相談に行っている。
カウンセリングの内容は当然だが、親も知らない。
息子は「話せる人がいるのはありがたい」と話している。
この年代で、親に話せないことがあるのは当然なので、援助希求能力を上げるためにもとても大事だと思っている。
ところで、我が家では、家族会議のときには、いつも俺が議事録をつくる。
Macにメモをとりながら、Apple TV経由でリビングのモニターに映しながら、問題を外在化しようと試みるのだ。
そこで、ある程度のフェイクを入れながら、下記に転記する。
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*息子より問題提起
「授業中など勉強しているときに、運動部でイケている感じの奴らに後ろからちょっかいを出されたりする」
「進学校だからか、勉強も運動もできるやつは威張っている。とくに背の小さいやつをイジってくる」
「家庭科の授業中に後ろから糸くずを置かれた。遠くで笑われたりする」
「ちょっと気分が悪い。それが辛い。」
「体育の時間にいろいろ言われるのが辛い。たとえば、「邪魔」「動けよ」「ちゃんとやれよ」「デブ」ということを言われて、大変だと思っている。」
「いろいろ試してみた。キチンと嫌だと言ったり、おちゃらけてみたり、ちょっとキレ気味にいったり。でも、どんな風にしても馬鹿にされる」
「次回の(スクール)カウンセリングで(このことを)聞こうかな、と思っている。」
>妻「Sくん(彼の仲の良い友人。自分と同じようにイジられている立場だ、とのこと)も同じような感じ?」
息子「Sくんは、教室の後ろの方の席だから(息子ほどでは)ない」
>妻「特定のひとに言われるの?」
息子「5〜6人くらい。あとから、のっかってくる人もいる」
(他にも具体例はあったが省略)
>妻「私はSくんの親とも繋がりがある。Sくんの母親に相談するのはナシ?」
息子「それはSくんに悪い。話していない可能性もあるし」
息子「(あるいは)Sくんもカウンセリングに言ったら、楽になるのではないかと思う」
>妻「いつ頃からなのか?」
>妻「他にも言われている人はいるのか」
息子「Kも、デブとか言われている」
息子「カウンセリングでは言おうと思っている」
>妻「結局、(前の部活)もそういったことで辞めていることもある」
息子「そうだね」
>妻「介入するべきかどうかは迷っている。でも、介入が必要なようにも感じる」
>父「『イジる』というのはプロの行為。素人が真似していいものではない」
(ハラスメントについて、適当なPDFを探し、参考資料として共有)
https://www.pref.shizuoka.jp/kyouiku/kk-010/documents/harasumentobousi.pdf
息子「うーん。今の時点では、よくわからない」
息子「いえない」
>妻「たとえば、こちらとしては保護者会の後に、先生にお話しをしてもいいとも思っている」
>妻「でも、あなたが『言ってほしいかどうか』を大事にしたい」
>妻「自分としては、どうしようと思っているのか」
>父「気になったのは、助けてほしいかという質問に対して『よくわからない』という感じ。少し不思議。もう少し詳しく聞きたい」
息子(息子の現状への認識の話)
息子「自分はオンラインで仲の良いゲーム友だちもいる。まだ頼れるところもあるし、大丈夫だと思う…という感じ」
息子「(息子が)イジられなくなると、他の誰かのところに行くのではないかと思っている。先生に相談できない一番の理由もそれ」
息子「奴らは次の標的を探していると思う」
息子「一番自分と仲の良いSは友達もあまりいない。心の拠り所もなさそう」
息子「だったら、自分が(ある種の)タンク役として、受けられるといいのかとも思う」
>妻「息子は、イジりに対して、反応がいいのではないか」
息子「反応は良いと思う。アイツラは楽しそうにしているし」
息子「実際、格好の餌だと思う」
息子「ただ、ひとりだけ本当に嫌で…〇〇って奴」
息子「あいつの弄りは本当に嫌だったから、その人からは本当に距離を置くようにしている。物理的に。ただ、それはそれで反応を面白がって近づいてくる」
>父「次の標的を探している→だから自分が犠牲になるべきだ、というのは、ある種の過大な自己評価ではないか」
>父「彼らは単に反応のよい人に触れているだけ、とも思う。ボタンを押して、反応するのが楽しいような原始的な感覚」
息子「(モニターをみながら)文字だけ見返すと、確かに過大評価かもしれない」
息子「でも、家庭科の授業のときに、◆◆が小声で言っていたのは『いじめるんだったら、Sとか(息子の名字)とか…』と言っていた」
息子「遠くでこちらをみて、笑っていることがある。本当に、こっちをみているかどうかはわからないが…」
息子「Sについて、責任を感じる必要はないかもしれない。でも、万が一、あるいは数%でもそういう可能性があるのは『怖い』と思う」
<話し合い中、またはその後の息子の反応や言動>
(話し合いの最中から涙を流し、一時中断した。15分程度、タイムアウト)
(話し合った直後)
息子「学校のことで時間をとってくれてありがとう。少し楽になったよ。助かった」
(しばらく経った後に泣きながら)
息子「なんか、いろいろと思い出して辛くなった」
息子「学校で色々言われていると『自分は消えてなくなった方がいい』と思うこともある」
息子「家でも居場所がないように感じてしまう。自分がいない方がいいようにも感じる」
<話し合い後:今後の具体策>
定期的に、家族へ現状の報告をする
場合によっては両親の判断で「タオル」を投げる(両親としては現時点でもタオルを投げたい)
カウンセリングの先生との面談が3日後。そこで話してみる(こちらの会議内容のコピーを持参してみる)
→毎日の出来事やカウンセリングでの反応をみながら、適宜、話し合いを持ちたい
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と、まあ、こんな感じになりました。
子供の抱える問題は、どこまで介入するか、とてもむずかしいなー。
悔しい。
遠くから悪口が聞こえたり、自分の存在を消してしまいたいと思うなんて、ちょっと鬱だよね。
なぐりてえ。
ウチの大事な息子をそんな目に合わせた奴らのことを殴りてえ。
でも、殴ったらいけないことくらいは分かっている。
彼らにとっては本当に些細なことでも、居場所を失いそうなくらい、息子は気にしているんだ。
息子が嫌がることをしないでください。
本当にお願いします。
もっと早く気づいてあげられてたらなあ。
ごめんな、ごめんな。
ごめんな。