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2025-10-13

「抜く」は「扱く」の誤読に由来するのか?

自慰をする、あるいは単に射精をすることを、俗に「抜く」という。

この「抜く」という表現語源について、「扱く(しごく)」の誤読である、という説がある。

たとえば「陰茎を扱く(しごく)」と書いたのを「抜く」と見間違えたというのである

この語源説の信憑性判断するために、今回は「抜く」の古い用例を確かめてみたい。

まず、それらしいワード検索してみると、戦前ではフロイト心理学引用が引っかかる。

フロイトは「歯を抜く」ことが射精と関連していると主張していた。

そのくだりで「とある方言では自慰のことを『引き抜く』と表現する」ことを引き合いに出しているのである

「sich einen ausreißen」などと言うらしい。

本当にそういった方言があるかはわからなかったが。

1957年歯科時報』の「口腔歯牙の性心理と性生理」という連載において、このフロイトの主張が引用されつつ、こう述べられている。

日本でも「一本抜く」は、性交または自慰意味する隠語として用いられている。

この連載では1961年掲載された回でも、

ロイド自慰を行うという意味俗語として、「一本抜く」という言葉ドイツ語にあることを指摘したが、フエレンツイは同様の俗語がハンガリアでもしばしば用いられており、しかもハンガリア人は、フロイドが指摘したドイツ語全然知っていないと述べ、さらに、ハンガリア語には、ほかに自慰をあらわす俗語はないことを強調している。そして、ドイツ語やハンガリア語を知らない日本人も、昔から同様の俗語を用いて来ていることは、前にわたくしが指摘したとおりである。ただし日本語の「一本抜く」は、性交意味にも用いられるのであるが。

としている。

ただ、実際に「一本抜く」がそのような表現として使われていると思しき例は一つしか見つけられなかった。

1951年出版された『女の平和』において、男性セックス・ストライキを嘆く場面が以下のように翻訳されている。

どんな魂、どんな金の丸玉が、どんなお下が、どんな急所が、かう責め抜かれては明け方に一本抜かずにゐらりようか。


1970年代ごろからは(その時期に初出というわけではないが)「精を抜く」「精液を抜く」という表現が増えたようだ。

※ ただ「精を抜く」はもともと「重要な部分を抜き出す(抜粋などと同義)」という意味で使われることのほうが多かった

※ また「精を抜かれる」のような言い回しだと「精気」の意味であることが多いので判断が難しい

1971年全日本海員組合機関誌 海員』。

今の若い船員を見ていると、本当に気の毒である。一カ月も鉄の箱にとじこめられて、おかに着いて息をするにも、精を抜くにも、一日や二日の停泊で、ムードたっぷり女をくどくひまなく、飲みに行かねば女に当らない。


1972年週刊現代』「喰って眠ってナニをして」。

マリアンヌとは、同じベッドに寝ているかぎり精液を抜かれるので、今夜は休養したいとでも思っているのだ。


1977年銀行緊急役員会』。

もっとも、ベッドの中で妙な気分にならないように、昼間からトルコに行って精を抜くぐらいの努力しましたがね。


1978年の『週刊サンケイ』「ドッキリ英語教室」。

jerk offというと「ぐいぐいとしごいて精液を抜く」こと。


さら1980年代の半ばからは、少しニュアンスの違った「一本抜く」が広まっていった。

1984年週刊現代』。

こんなときは手っとり早く一本抜くのに限ります最近ピンク業界は、女のコの質が高くなってきて、悪質ギャルはお払い箱。


1985年東京爆発小僧』。

実利というのは、射精させてくれることである業界用語で「一本抜く」という。新生ノーパン喫茶の個室では、ノーパン嬢たちがせっせと一本抜いている。一本抜けない風俗営業の店は、どんどんつぶれていった。今はノーパン喫茶でも、覗き部屋でも、ストリップ劇場でも、必ず一本抜いてくれるのである


1986年『だきしめ北海道』。

人間のオスが風俗営業お姉ちゃんに"一本抜いてもらう"と、一万円札を用意しなくちゃならない。


1987年『診男法』。

「一本抜いてくる」と平気で風俗業界へくり出し、1年も車内の掃除をしていないようなきたないスカイラインで、RX7を見ると異常な闘志を見せたりします。


1987年現代都会語事典』。

一本抜く 八〇年代射精産業エースファッションマッサージ業界用語で、一人放出させること。


1988年東京23区物語』。

歌舞伎町地方に伝わる方言言い回し

この地方では、他の東京各区ではあまり聞き慣れない方言言い回しが使われることがあります。注意しましょう。

まず、女の従業員が客の男の股間部に手を差し入れマッサージ運動を施したりすることを「一本抜く」と表現します。


このように「一本抜く」という言葉性風俗業界用語として、一気に人口膾炙していった様子が窺える。

もちろん同時期に「一本く」という表現は見当たらなかった。

流れとしては、

  1. 少なくとも戦後、どこまで広まっていたかはわからないが、自慰性交を「一本抜く」と表現することがあった。
  2. 1970年代ごろから「精を抜く」「精液を抜く」といった表現も見られるようになった。
  3. 1980年代から「一本抜く」という言葉性風俗業界用語として一気に普及した。
  4. そこから「抜く」という表現が単なる自慰などに対してもよく使われるようになった。

といったところだろうか。

そもそもの話をすると、「抜く」の語源が気にされるのは、一見すると「自慰」と「抜く」が繋がらないからだろう。

そこで「抜く」と「扱く」の字形が似ていることから連想して「抜く=扱くの誤読」説が考案されたのではないか

しかし「動物の血を抜く」「プールから水を抜く」などのように「溜まっている液体を抜く」という用法自然ものである

それが精液に適用されるのもまた自然であるわけで、わざわざ「抜く=扱くの誤読」説を採用する理由はないように思う。

Permalink |記事への反応(0) | 21:49

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2025-10-11

話せば分かりあえると言う幻想民主主義を成立させていたのでは

アメリカの分断やフランス組閣失敗、日本の連立解消など

民主主義国家過半数を担う政党が減り党が乱立し、しかも各党の協力が消極的になって政治的な混迷を見せ始めている

この大本の原因は国民の中に「対立相手とは話し合っても分からない」と言う諦めが生まれ始めたからではないだろうか

意見は擦り合わせられないもの、譲歩させられることで自分が損をする、話し合って分かり合うことなんてなくて不満を抱えるだけ

そういったことを経験的に学んできてしまった結果として

自分意見を百パーセント代弁してくれる人たちしか支持できないから党が乱立してどこも過半数を取れないし

話し合って譲歩して過半数を取っても意見ねじ曲げられて損をするから許せない

そしてみんながそう思ってるからこそ、誰も相手に協力しなくなるし話し合って譲歩なんてしなくなる

話し合ったらわかるというのは幻想かもしれないが

話し合ったらわかると言う幻想をみんながあるものとして受け入れてたからこそ、交渉や譲歩や協力ができていたのではないか

話し合って分かり合えることがない、少なくとも落としどころがない

そんな状態過半数必須議会運営なんてものができるわけがない

そもそも話し合うことが無意味なのだから議会自体無意味になってくる

だか、過半数ではなく多数派でいいとなってくると、基本的議会形骸化して独裁に向かっていくのは歴史が示している

話せばわかるなどということは幻想かもしれないが

話せばわかると言う意識がこのままなくなってくると、そもそも民主主義崩壊するだけではないか

一万円札のような紙幣価値があるのは幻想かもしれないが、みんなが価値がある幻想を前提にしてるからこそ社会が成り立つように

話せばわかることは幻想でもみんながその上で納得できるまで話し合う共有意識は持ち続けないといけないのではないか

Permalink |記事への反応(1) | 16:15

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2025-10-07

anond:20251007135117

千円札10枚集めると一万円札に変わるってコトっ!?

Permalink |記事への反応(0) | 18:48

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2025-09-15

聖徳太子のいう、和をもって貴しと為せ、は、全文を読むと

「お前たちは徳が低く、すぐ党などつくって他人の話を聞かなくなり争うから、とにかくまずは相手の話を聞くようにせよ」

だった

さすが日本史上最大の天才正鵠を得てる

日本一万円札はずっと聖徳太子だったのが、福沢諭吉になり渋沢栄一になり

日本社会の劣化衰退にあわせて人物が低くなってるのが円の安さもあいまって象徴的だな

Permalink |記事への反応(1) | 17:57

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2025-08-25

anond:20250825144416

被害者:あの抽斗には1億円入ってたんやー。

銀行:恐縮でございますがあの抽斗には、一万円札の束で5千万円がMAXでございます

   しかお客様土地権利書などの書類も入れられていたとの事、

   1千万か2千万円がせいぜいかと思われますが、如何でしょうか。

被:ご、ご、5千万円やー。

銀:左様でございますか。承知いたしました。


こんなレベルの低いやり取りで成立するんだろうか?

Permalink |記事への反応(1) | 16:49

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2025-08-15

から駐車場でプチ脱出ゲームしてきた

先に言わせてもらうけど新紙幣滅びろ。

お前のせいで駐車場出られなくなるところだったぞ。

出口でチケット入れて精算するタイプ駐車場

車を走らせてチケットを投入、紙幣を入れようとしたら戻ってきた。

入口をよく見ると「新紙幣使用できません」の文字

めんどくせえって思いながら財布を出すとずらりと並んだ北里柴三郎

はあ?おわったんだけど。

当然電子マネーなんか使えるはずのない古いタイプの精算機だ

幸い後ろに車は来てなかったのでバックで元の駐車スペースに戻る。

もう一度落ち着いて財布を見てみるが、やはり北里柴三郎しかいない。

普段からただでさえ5千円札と見間違えてヌカ喜びにいらいらするのに、今日は一段と腹が立つ顔をしている気がした。

銀行お金を下ろす時、支払いで一万円札を使うのが嫌なのでいつも千円で下ろすようにしている。(三菱UFJATMはそれができる)

昨日おろしたばかりだと言うのに旧紙幣が一枚も含まれていなかったわけだ。

駐車料金は1,100円。

小銭入れには100円玉が3枚。

ここは住宅街駐車場で、地図アプリを開くとコンビニも遠い。

どうしたものかと周りを見渡す。

近くにぽつんジュース自動販売機があったが、紙幣が交換できるわけでもない。

行人両替を頼むべきだろうか。

その後ひらめいて無事駐車場から脱出することができたのだけど、

みなさんならこんな時どうします?

Permalink |記事への反応(1) | 09:02

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2025-07-27

anond:20250727085024

一万円札だけ入れてればいいんだよ

釣りは俺が処分するよ

Permalink |記事への反応(1) | 09:22

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2025-06-03

血潮の月

カビと香水が入り交ざった湿気が漂う、メルヘンな造りが時代を経て不気味さと化した郊外に佇むラブホテルの一室。

背の低いテーブルの上にある一万円札2枚を、押えるように置かれたスマホに表示されたタイマーが残り5分を切る。

「…なあ、たまきちゃん。俺ら、5年間ですごく通じ合えたと思う。どこか別の場所で、一緒に暮らそうか?」

客の男は、ベッドで天井を見上げながら、トイレで用を足す猫のような真摯な表情で語る。

「そうだね~。それもいいかもね~。あ、今日は駅の方に帰るの?私コンビニ寄りたいから、ホテル出たらバイバイだね」

たまきはソファーの片隅に小さくまとめた下着を引っ張る。ぽたりと浴室のシャワーから水滴が落ちる。男が呟く。

「…もう、来れないかもしれない」

はじまった。めんどくせえ…。

たまきは目じりを極力下げるように意識しながら、丸い眼差しで客に向き直る。

「どうしたの?」

「行かなきゃいけなくなったんだ。調査に」

「…嘘」



宇宙生活可能になり、人類選択に月への移住が加わりつつある2030年

各国から先行して調査団が月に送り込まれていた。

日本に割り振られた領域南部10%程。設営された調査団の施設で、定例ミーティングが行われている。

「…月への移住のものの考え方を改める局面差し掛かっていると言えます調査員の増員は、しばらく見送った方がいいと考えます

調査団の参謀を兼ねる宇宙技術研のトップ視線を落としながら続ける

「このミーティングお話する事が穏当とは言えませんが、事態が急を要する事も否定できません」

調査トップの、初老の男が口を開く。

「…つまりあなたが言うにはこの月の引力が異常化している箇所があり、我々に割り振られた日本領域にもそれは存在する、という事ですね?」

ミーティングルームの壁面に月の断面がプロジェクターで照らされている。参謀は赤いポインタで中心を差しながら、

「ええ。この中心箇所から月の表面を通して、地球特定場所に向けて強い引力が発生しています時間を追うごとにその力は強くなっています

壁面に数千箇所の赤い点が付けられた日本地図が映し出される。

「この点が、月からの引力を受けている箇所です」

「原因は?引力を受けている場所に…何か共通している事はありますか?」

「原因は特定できませんが、場所共通しています

「というと?」

「休憩可能宿泊施設です…」

「え………ラブホ?………」



調査に行ったら、しばらく帰ってこれないよね?」

エレベーターの中、客と手を繋いだたまきが話す。

月への調査に行く客は珍しくない。帰って来て、まだ私がこの店にいれば、こいつは指名をくれるだろう。

「うん。こんな俺だけどさ、皆が月で暮らせるように…未来の為に力を尽くすよ。戻ってきたらさ、一緒に暮らそう」

男は熱っぽく囁いた。

いいねえ。そうしよーね!」

明かりに照らされた血潮のような空の下、二人はホテルの干からびたドライブインの端から出た。男が言う。

「きれいだね。月」

コンビニで買う物に煙草を足しながらたまきが応える。

「そうだね~。あ、明日早いんだよね?頑張ろうね!バイバイ


次の瞬間、ホテルは地鳴りのような音を立てながら地面を離れ、月に飛び立った。

Permalink |記事への反応(0) | 17:44

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2025-04-29

一万円札が一万円の価値があるっていうのが未だに理解できてない

Permalink |記事への反応(4) | 20:42

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2025-04-15

anond:20250414112430

表現の自由歴史的背景は、国によって異なる。

そんな視点で以下、自分用のメモとして長文を残す。あえて言論自由の優位性といった憲法理論をガン無視するが、どんな規制が適切かといった考えから離れることで、表現の自由の失われた状況の風景みえることもある。

++

とくに「表現の自由による暴力(不法行為性)」をどこまで許容するかが重要視点だ。欧米日本では大きく違う。

フランスでは、あらゆる権利が「尊厳ある生」を守るための抵抗に原点を持つ。

その意味で、社会運動ストライキ争議権)と、表現の自由は同じ線上にある。たとえば、名画にペンキをかける環境団体抗議活動日本では即座に「環境テロ」として報道されるが、英仏では「レジスタンス抵抗運動)」という言葉がより広く使われていた様子だ。これは体制に対して暴力的に抗う行為意識しているからだ。

環境問題に限らず、農家などの過激な抗議行動(輸入品増加に抗議した放火破壊行為など)や、労働争議においても同様だ。フランスでは、国家や大組織による構造暴力に対するカウンターとしての「市民による尊厳を守るための抵抗」に心情的な理解が寄せられる。犯罪としての側面を否定しないまでも「レジスタンス」は革命以来の伝統という認識フランス社会は共有する。

その背景には、18世紀カトリック教会が「真理の解釈権限」を独占していた時代に、啓蒙思想が登場し、科学合理性武器公共空間を構築し、新たな政治制度模索した原体験がある。「神を冒涜する権利」は、黎明期政教分離文脈から分化した表現の自由の形であった。

一方、アメリカ表現の自由の出発点は、事情が少し違う。

制度の根幹に「科学合理性」や「絶対的真理」は置かれていない。むしろ、人それぞれ真理と信じる”信念”があり、誰も完全な真理に到達していない、という前提がある。この考えは巡礼始祖たちの宗教的多様性の中で育まれ、やがてプラグマティズムに吸収され、「思想の自由市場」(O.W.Holmes)という発想へとつながってゆく。

もっとアメリカでも、20世紀半ばまでは「有害言論の内容規制」が志向されたが、判事たちはそのたびに建国思想巡礼始祖の理念に立ち返り、「有害表現定義できない」という議論に収まった。1970年代には「社会不協和音こそが強さの証」とまで言い切る判決(1971)もあった。司法ヘイト規制消極的かつゾーニング規制シフトしてゆく歴史がそこにある。

トランプの出現などリベラル保守のあまりの違い、それでも国家として成り立つ社会。それを支えるのは、「一致しないままでも共存できる」という、個人主義を基盤とした社会の強さだ。

一方で日本は、「価値観の不一致」に不安を感じる社会だ。

会社でも地域や家庭でも、できるだけ摩擦を避けたい。コロナ禍での自粛違反者への度を越した非難などに表れているように、「他人迷惑をかけるのは不徳だ」という感情が深く根付いている。

この「迷惑感情」は、表現の自由制限する根拠として働きうる。憲法学では人権制限原理は「公共の福祉」として整理されるが、実態としてはその時々の「社会空気」に左右されがちだ。たとえば、受忍限度論という法理をとってみても、それ自体迷惑感情社会的「耐性」の程度を空気から測るものにすぎない。日本人の考える公共フランス人の考える公共とかなり異なる。

電車CM強制音声に対する訴訟「囚われの聴衆」事件1987年最高裁)では、そうした「空気」に抗う個人の主張が結局退けられた。受忍限度という大義名分の下で、「それくらい我慢しろ」と結論づけられたわけだ。迷惑感情による秩序そのもの否定するわけではないが、空気として内面化されすぎると、異論や異質さの排除へとつながりやすく、かつ世代間、階層間の認識ギャップという課題に直面する。

フランスとの比較でもう少し考えてみよう。

日本には、フランスのように「尊厳のための抵抗」を肯定する文化がない。絵画ペンキを投げれば即「テロ」として断罪される。暴力抵抗が「歴史ある社会の声」として認識されることはない。

水俣病初期の漁民暴動、60〜70年代国鉄病院のストを見ても、「迷惑感情」が前面に出て、GHQが持ち込んだ争議権は本当の意味では社会根付かなかった。正規雇用では労使協調路線非正規雇用は分断が続いているのが現状だ。ストライキがなお社会的に力をもつフランスとは対照的だ。

全農警職法事件国家公務員の争議権全否定1973年最高裁)、75年の国労スト権ストは、日本社会が「暴力的な表現や行動」との距離感を決定づけた分岐点となった。

暴れる新左翼へのストレスが頂点に達し、迷惑を嫌った大衆心理が、最終的に「暴力容認しがたいもの」と司法行政に決着を迫った形だ。

こうした着地は、人権市民一人一人の体験として自ら闘って獲得してこなかったという、日本社会構造限界を示しているのだろう。

日本社会における「市民による暴力抵抗」が断罪されやすい背景には、市民の行動が過激ものに映じるの対して、しばしば国家行政の抑圧や不作為は、暴力として認識されず、社会の中で可視化されにくい構造がある。水俣病における行政不作為反原発運動に対する過剰な監視、あるいは災害被害者の声の届きにくさなど、国家による制度暴力不作為の積み重ねに対して、市民が抗いの言葉を発するとき、その言葉とき過激さを帯びるのは当然の帰結でもある。だからこそ、表現暴力性だけを批判的に切り出すことは、構造非対称性再生産になりかねない。

構造的な非対称に加えて、もうひとつ重要なことがある。それは市民一人ひとりが権利意識再生産するための「思い出」や過去の教訓を忘却やす社会ということだ。

欧米でいう「人権」とは、突き詰めれば「こういう社会には戻りたくない」という歴史体験からまれる(米仏だけの例で暴論は承知の上)。その教訓を社会を生きる一人ひとりが繰り返し思い出すこと、それが人権ボトムアップ的な再生力だ。

しかし、日本では「権利」は「国家が授けるもの」として明治以来、教育されてきた。敗戦までその構図は変わらず、戦後アメリカが新しい憲法人権を与える側に回った。この付与される構造が、今日日本においてもなお、自由をめぐる議論憲法制度論に終始してしまう要因になっている。

だとすれば、今あらためて必要なのは自由の意義を自分たちの歴史体験として取り戻すことだ。

特に敗戦前後記憶――若者人間爆弾にし、それを大人が見送っていた時代。そして敗戦後、手のひらを返すように価値観を変えた、あの社会の激変こそ戦後日本原体験であり、空気に逆らう力を考える出発点であるべきだ。

++

ここからは、戦後日本映像表現の潮流に視点を移す。

戦後社会」と呼ばれる時期―おそらく平成初期まで―に見られた日本映像表現には、大きく三つの傾向があったように思う。

1. 既成の価値観への反抗

戦中派から戦後世代はかつての「正しさ」に対して疑いを抱き、積極的破壊しようとした。

映像作品での典型例として、岡本喜八を挙げたい。軍や国家権力風刺し、戦時空気を相対化する『肉弾』(1968年)は象徴的だ。

表現体制批判自己解放手段だった時代道徳国家価値観への反抗心がそれを後押ししていた。

「反抗」というテーマは、家族内の世代対立ないし嫁姑問題80年代の校内暴力管理教育という軸での「反抗」など形を変えて表現された。

2. 新しいアイデンティティ模索

高度経済成長のもと、戦後社会は猛烈な速度で変化し、かつて「当たり前」だった家族のあり方、地域風景は急速に姿を消した。

そのような変化の中で、新しい「自分らしさ」を探すような表現が生まれた。家族崩壊再生を描いた「岸辺のアルバム, 1977」は社会に衝撃を与えた。

3. 失われゆく価値観への郷愁

こうした変化に対する不安喪失感は、郷愁としても現れる。

山田洋次の『男はつらいよ』では、理想の家庭像を夢見るも決してそこには迎え入れられない寅さんという存在を描き続けた。

倉本聰の『北の国から』では、泥付きの一万円札をめぐる暴力沙汰などを通して、「義理人情」や「恩を忘れぬ人間関係」が描かれた。

スクール☆ウォーズ」に代表される大映ドラマにおいては、努力根性家族の絆といった「倫理」が過剰なまでに押し付けられる一方で、それは裏を返せば、かつては当然のように共有されていた義理人情倫理が、社会の中で揺らぎ始め、もはや社会がその正しさを自信をもって教えられなくなっていた時代の反映ともいえる。任侠映画の「落とし前をつけさせてもらいます」というカタルシスもまた、現代社会ではとうに失われた暴力的「自力救済」への郷愁でもあった。

この三つ――反抗、自分探し、郷愁――が、戦後日本表現の中心テーマであった。いずれの表現にもどこかに心情的共感を呼ぶやむにやまれぬ加害内包していた。そこに着目すべきだ。

「反抗」の終焉表現行為暴力性をめぐる葛藤

この三つのうち、「戦前価値観への反抗」は、戦前世代が退場するにつれ次第に衰えていった。最後の強烈な反抗例として、敗戦後に上官が行った部下の処刑告発した『ゆきゆきて、神軍』(原一男1987年)を挙げることができる。

奥崎謙三狂気。上官を告発し、天皇パチンコ玉を撃ち込むなど、常軌を逸したようにも見えるが、そこには彼なりの倫理がある。表現行為が、敗戦前後記憶を呼び覚まし、組織における人間関係―「上官と部下」「国家個人」―に対して強烈な問いを投げかけていた。

しかし今、このような強烈な表現は久しく見かけなくなった。反抗への共感はある特定世代記憶に留まり引き継がれない傾向が見て取れる。あたか社会全体にノイズ耐性が失われたかのようだ。

かにつけ「コンプラ違反」として簡単に切り捨ててしま社会。「こんなの今の時代にはムリ」と。例えば、中井貴一がある制作現場で呈した疑問は示唆的で、全体にバイオレンスドラマなくせに、コンプラ配慮たばこポイ捨てシーンだけがNGになったことがあった。それは思考停止ではないか

奥崎のような過激手法であっても、そこに社会権力構造に対する本質的な問いが込められているならば、無視できない重みがある。原一男ドキュメンタリーは、まさにそうした問いを突きつけるものだ。

ドキュメンタリーという暴力からみえもの

ドキュメンタリー手法に内在す加害性も多くの示唆を与える。

ゆきゆきて、神軍』のようなドキュメンタリーなどの手法には、つねに「出演者の許諾は取ったのか?」という問いがつきまとう。

伊藤詩織氏の『BlackBox Diaries』に対する映像や音声の使用をめぐる批判が良い例だ。「フェアユース正当化可能」とする声(中根若恵)もあれば、「権力犯罪を暴く表現であればOK」という立場原一男)もある。しかし、原自身も認めるように、たとえ告発目的であってもセルフドキュメンタリーには「現実自分に都合よく再構成する」危うさがある。無条件の承認はありえない。その語りが私的物語にとどまらず、社会的な意味を持つためには、他者に開かれた語りに昇華される必要がある。

では、表現行為に内在する「やむにやまれぬ加害」を評価するのは誰か?

最終的には司法だとしても、まず問われるべきは、共感を持って応える観客であり市民である

コンプラ違反を恐れて、表現物が公開前に修正されてしま社会――それが望ましいのか?

私は、暴力性を含んでいても、その中に真摯倫理があり共感可能性のある表現ならば、それは世間に問うてよいと思う。それを受け止める権利もまた市民にある。内部告発/公益通報もまた、不法行為公益性のはざまにあるという意味奥崎謙三の反抗と地続きだ。兵庫県職員告発とその後の県知事対応は耳目を集めたばかりだ。

空気にあらがえるかが試金石

今の日本社会において、「表現内包する暴力に対する寛容さ」はきわめて低い。

敗戦体験した世代がいなくなり、記憶として残っているのは「国鉄ストの迷惑」「新左翼暴力」「オウム事件の恐怖」など、暴力に対するアレルギーばかりだ。

一宿一飯の恩義といった価値観は薄れ、市民暴力的な自力救済抵抗運動共感しなくなっている。

コンプライアンスに敏感な時代からこそ、私たちはもう一度、「表現の自由とは何か」を原点に立ち返って考える必要がある。

かつてトクヴィルは、革命後のフランスに、公共の名のもとに行われる言論統制など専制洞察した。一方、アメリカ民主社会には、世論専制という別の危険をみた。制度的な保障はあっても、多数派少数意見排斥するような雰囲気社会が醸成すると実質的自由は奪われる、との黎明期アメリカ社会への洞察は、現代キャンセルカルチャーなどの課題を予見している。

――暴力性を含み得る表現に対して、我々はどのような態度を取るのか。その暴力倫理的な共感はあるのか。どんな社会私たちは避けたいと思っているのか――

憲法理論制度保障を語る上では有効であるしかし、表現規制論だけでは上記のより根源的で実存的な問いには答えられない。「制度いか自由を守るか」ではない議論必要だ。自由擁護する倫理共感の土壌がなければ、制度簡単形骸化する。「抵抗」とか「不協和音の強さ」とまでいわないまでも何か核が必要だ。

社会同調圧力空気に抗ってその問いを突きつける力、受け止める力が社会から失われたとすれば、それは表現の自由が失われた社会だと思う。

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2025-03-18

anond:20250315120337

通年の火災による一万円札消失考慮済なので、個人が1万円を燃やしても影響はありません。

Permalink |記事への反応(0) | 16:35

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2025-03-15

俺が一万円札を燃やしたら

貨幣流通量が減って円の価値が上がる?

Permalink |記事への反応(0) | 12:03

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俺が一万円札を燃やしたら

貨幣流通量が減って円の価値が上がる?

Permalink |記事への反応(1) | 12:03

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2025-03-03

MW岩井「「赤いきつね炎上きっかけと言われている本post」を削除

"「赤いきつね炎上きっかけと言われている本post。 この人、「広告炎上チェッカー企業代表自分炎上を呼びかけておきながら、ちゃっかり「カップ麺アニメ表現炎上事例を分析する」有料セミナー2月27日に開催するという伏線回収https://t.co/O02AO9wMXL"

https://x.com/mwiwai/status/1893396456624501115

元の投稿にはコミュニティノートまでついて「こいつが火元だ!」って言ってるのに、なんで消したんでしょね?

「新一万円札マナー違反!!!!!!!か?」のLASISAに釣られて非実在炎上に加担したってことに気付いちゃった?


https://b.hatena.ne.jp/entry/s/x.com/mwiwai/status/1893396456624501115

ブクマカにも釣られたマヌケがいる模様

Permalink |記事への反応(1) | 08:56

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2025-02-19

今日あった面白いできごと

スーパーで900円台後半の買い物をした。

財布に一万円札しかなかったので一万円をセルフレジに入れた後、お釣りを切りよくするために小銭を探したところ、意外と小銭をたくさん持っていた。

小銭を数えたところぴったり会計できそうだったので、小銭をぴったり入れて会計ボタンを押したところ、セルフレジバグった。

もしや、と思ったが、店員確認したところ、案の定一万円札をお釣りで出すことは想定しておらず、お釣りが一万円以上だとバグってしまうらしい。

まあそりゃそうだよなー、と思いつつ、人間とだったら簡単にできるやりとりでバグってしま機械に少し人間味を感じた。

Permalink |記事への反応(2) | 21:40

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2025-02-15

そういえば、お釣り一万円札をもらったことがない

一万円札がもらえるくらい、お金持ちになってみたい

Permalink |記事への反応(4) | 14:59

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2024-11-11

手ぶら通勤おじさん

30代半ばのしがないシステムエンジニア

手ぶら通勤を始めて3年が経つ。

上着を着る季節になると、手ぶら通勤が捗りますね。

持ち物は、スマホと定期入れと社員証のみ。

定期入れには、予備の一万円札を2枚差し込んでるが使った試しがない。

カバンスケジュール帳、名刺なんかはずっと机に入れている。

手ぶら通勤は本当にいい。

定時になれば飲み物買いに行くフリして帰れるんだもん。

みんなの職場にもいるだろ?

定時後当たり前みたいに仕事振ってきて、どうでもいい世間話を延々とし、小学生かって疑うくらいにみんなで帰りたがり、定時で上がろうものなら露骨に不機嫌になるやつが。

そう。そういう奴らをあしらうために、俺もこの先手ぶら通勤を続けるよ。

もうカバンを持って仕事行くとか出来なくなっちまったよ。

来週の転職面接大丈夫かなあ。カバン忘れてしまいそうだ。

Permalink |記事への反応(3) | 19:25

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2024-11-01

祝儀の新マナーに抗いたい

渋沢栄一一万円札はご祝儀には不適切だというマナーができつつあると聞いた。

ピン札を用意させておきながら、更には銀行窓口でさえ用意できるか不確実な旧札をだせとは、憤りすら覚える非合理性だ。

なんでも、その理由渋沢には何人も妾がいて女好きで、だらしない性生活連想させるからだとかいものらしい。

全くもってくだらない話だ。

そこで、こんなクソみたいな新マナーを笑い飛ばすような古のルール勝手に発掘したいと思うので力を貸してほしい。

祝儀には聖徳太子一万円札

みたいなルール

それとなく考察したルール理由もつけてみてもらえると嬉しい。

Permalink |記事への反応(1) | 00:38

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2024-10-14

一万円札渋沢栄一って夜職の女から不評らしいなwww

見た目でしか物事判断できないいかにもカスらしい話で笑ったわ

Permalink |記事への反応(0) | 10:11

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2024-10-03

渋沢栄一不貞の輩なので結婚式のご祝儀に新一万円札マナー違反

これはちょっとおもしろいと思いました。

Permalink |記事への反応(2) | 12:26

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2024-09-14

anond:20240914165951

令和生まれから一万円札のこと諭吉っていう奴は老害認定される未来が見えるよ…😟

Permalink |記事への反応(1) | 17:02

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2024-08-15

一万円札を財布に入れてるやつはアホ

アホだよね

今の時代、大半の買い物はオンラインで済む

リアル店舗の買い物だって電子マネークレカで済む

しかし、電子マネー対応してない小さい飲食店は多いから完全に現金排除することはできない

から現金を持つのは間違ってないし

それが災害対策にもなる

しか一万円札は使わんだろ

高額な買い物ならオンラインクレジットカードかもしくは銀行振込でいいし

本当に現金必要な場面で下ろせばいい

日常的に一万円札を財布に入れる意味はない

それなのにバカそうな老害はすぐに一万円札を出す

一万円を出してレジを遅延させる

まさに老害

生きる無駄

Permalink |記事への反応(2) | 12:47

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2024-08-12

そこら中の人が数万円するデバイスを見せびらかしながら歩いてるのはなんでかねえ

取られると思わないのだろうか

一万円札どころか千円札すらひらひらさせながら歩いてる奴なんていないのに

Permalink |記事への反応(1) | 15:44

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2024-07-16

anond:20240716151351

1. 妻妾同居制

渋沢栄一一万円札の顔になったんだし、これが推奨されてんじゃないの?

Permalink |記事への反応(0) | 22:07

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2024-07-13

anond:20240713151941

なぜ日本一万円札肖像画は全て韓国への加害人物なのか

リベラル観点を重視して、韓日の橋渡しに貢献した人物を選ぶべきだった

せめてバランスをとり、五千円札には韓鶴子氏あたりを選んだ方が良かったのでは

Permalink |記事への反応(0) | 23:46

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