
はてなキーワード:ロードサイドとは
かなり具体的な描写ですね。
この条件を整理して推定してみましょう。
→候補は以下の6駅:
-西調布
-飛田給
-柴崎
-布田
「シャッター街」「古びた団地」「老人多い」「空き家あり」「子育て世帯もいる」
「スーパーはレジ1人」「テナント募集中」など生活感はあるが衰退気味。
駅 特徴 該当度
西調布駅前に商店街があるがシャッター多め。旧甲州街道沿いに古い団地・空き店舗が点在。スーパーも少なめ。 ★★★★★
飛田給味の素スタジアム最寄りでイベント時は混むが、普段は閑散。住宅街が広がる。団地もあるが、商店街は小規模。 ★★★★☆
布田再開発進行中で駅前がきれい。空き店舗は少なめ。 ★★☆☆☆
柴崎駅前に昔ながらの商店が並ぶが、空き店舗目立つ。高齢者多め。住宅街・団地もあり。 ★★★★★
🪧 補足
柴崎駅周辺(特に甲州街道北側)には昭和の香りが残る小規模商店街や団地が多く、空き店舗・シャッター通りが見られます。
西調布駅も「旧甲州街道沿いのロードサイド空き店舗」「団地の1階店舗シャッター」「高齢者の多い落ち着いた雰囲気」といった描写にかなり一致します。
JRや埼玉高速鉄道沿いの都市化した地域は外国人が多いためここ30年ほどで流入した若い層ほど外国人に馴染みがある
しかし川口は産業道路を中心に発展したロードサイド店舗の広がる地方都市であり鉄道沿線以外の地域は昔から川口市に住む団塊ジュニア以上のマイルドヤンキーが闊歩する田舎である
クルド人が多いとされる前川のあたりも畑と住宅街のど真ん中にイオンモール川口前川が出現する
大規模工場跡地にイオンがやってきた典型的な田舎のショッピングモールである
どこに行くにも車で移動するため自分の住む町内会以外の様子を知らない
でもインターネットでは外国人に乗っ取られるって言ってるしテレビでは参政党が特集されている
田舎のジジババのリテラシーの無さが「日本人ファースト」に煽動されたんだろう
なお俺はブラック企業勤めなので毎日終電で蕨から徒歩で帰るがクルド人なんて見たことない
実現までの道のり
もちろん、この夢を実現するのは簡単ではない。日本全国には約400本以上の国道があり、それぞれに無数のロードサイド店が存在する。すべてを巡るには、膨大な時間と労力が必要だ。
だが、SNSやブログ、動画などの発信手段を活用すれば、少しずつでもその記録を積み重ねていくことはできる。地元の人からの情報提供や、旅仲間とのコラボレーションも大いに力になるだろう。
また、AIや地図サービス、レビュー分析などの技術を活用すれば、データベース作成も効率化できる。単なる個人ブログではなく、**「日本ロードサイド大賞」**のようなプラットフォームに育てることも夢ではない。
https://www.passes.com/digitalsteka
いつか、すべての国道にある最高のロードサイド店ランキングを作りたい
「こんなにうまくて、こんなに心地よい場所が、なぜガイドブックに載っていないのか?」
旅の途中、ふらりと入った店が予想を超える美味しさや温かさで迎えてくれることがある。それは、計画された観光では決して味わえない偶然のご褒美だ。
私はいつか、日本全国の国道沿いにある“最高のロードサイド店”をランキング形式で紹介したいと思うようになった。それは単なるグルメランキングではなく、“地域の宝物”を探し出す旅である。
https://apify.com/light_nasturtium
https://apify.com/light_nasturtium/nak-rak-mak-mak-mak-crott
広すぎ。均されすぎ。終わらなすぎ。地形に起伏がなさすぎて、人生からワクワクもドキドキも消え失せる。
千葉、茨城、栃木、群馬、埼玉…全部、似たようなロードサイドとファミレスと微妙な道の駅と“やたら強調されたご当地キャラ”。どこ行っても「で、これ関東平野の他の街と何が違うん」って言いたくなる。
いや、地元の人は「うちにはあの観光地がある!あの温泉がある!歴史がある!」とか言ってくるけど、お前それ“ある”って言いたいだけだろ。全国的には無名も無名。なんの歴史も文化もない。
全国チェーンで埋め尽くされた駅前と、Googleマップでしか知名度のない観光地。ぜんぶ“思い出に残らない”の極み。
そもそもさ、「週末ちょっと遠出しようかな」って思っても、関東圏内だと“どこまで行っても何も変わらない”んだよ。
地形がフラットすぎて、「あ、峠越えたな」「雰囲気変わったな」みたいな感覚がない。境界もドラマも皆無。
だから、出かけても「ただの移動」になる。
車で行けば渋滞、電車で行けば乗り換え地獄、どっちにしても「家でNetflix観てた方がマシだった」ってなる。いやマジで。
関西なら京都、九州なら博多、東北なら仙台みたいな「行った甲斐のある中核都市」ってのがあるけど、関東はどこまで行っても“中途半端”。
“なんとなく栄えてて、なんとなく寂れてて、なんとなく人は多い”。この地獄の三拍子。
関東平野の旅って、「日常の範囲をちょっと広げただけの作業」なんよ。
いい加減にしてくれ。こっちは非日常が欲しいんだ。心が震える風景、意味のある移動、記憶に残る“違い”が欲しいんだよ。
この国の魅力を一番潰してるの、地形的にはここなんじゃねえの?
国道16号エリアで電車文化とロードサイド文化が微妙に交わるところで埼玉や千葉で住んできたけど、最近引っ越してきた横浜郊外、少しイメージと違った。根岸線の山手より西で大船より東の辺り。
多分これからいろいろ発見あるとは思うが、せっかくなので何か書いておきたい。
・スタバの郊外店が無い。コメダや星乃や高倉やむさしの森もほとんどない。
・ラーメンの多様性が無い。家系が多い。店舗も古めかしい感じ。
・ファミレスの多様性が無い。ガスト、デニーズが多い感じ。本牧発のラオハナみたいのがもっとあるかと思ってた。ピソラがそんな感じなのかも。
・いまいちな町中華がたまにある。おいしい中華もあるが、ランダムに町中華に入って美味しいという感じはない。
・高齢者が多い。東京郊外のオールドタウンとか言われるエリアでもこんなに居なかった気がする。
全体的に高齢者が多い。純喫茶とか昭和の文化が積み重なっているという感じはない。数年前に来ていればもっと昭和の良きyokohamaみたいのがあったのかも。
坂が多いからなのか、過去の区画整理に失敗したのか、市営バスや市営地下鉄などで自治体が頑張りすぎて民間セクターの投資を呼び込めなかったのか、住宅地域の不動産価格が長く低迷して住み替えが難しかったのか、商業地域の不動産価格は微妙に高くて新規参入が難しいのか、良く分からない。
多分横浜市の北側の郊外に行くと全然違う印象になると思われる。横浜市が地方交付税の交付団体なのもビックリしたが、確かに住民税を納めたいという気持ちにはなりにくい。
親子三代浦和(北浦和寄り)だが不思議と神奈川と縁のある人間だが、禿げあがるほど同意。
中高は都内だが生徒の半分が神奈川(主に横浜川崎)から通ってくる学校、就職後も川崎に9年、横浜に4年の勤務歴があり、数年間だが横浜青葉台にも住んでいたことがある。
保育園が無いのもそうだが学童がクソ。はまっこクラブという市営の学童が18時までしか預かってくれないので、多くの共働き家庭は子供を私設学童に入れる。会計を保護者がやらされるなど、利用料取ってるのに運営をがっつり保護者がやらされるので大変。
中学校に給食がなく、行政の対案はハマ弁というゴミみたいな弁当(しかも行政のコストは1食5000円)。
実際は学校の近くに総菜パン屋や弁当屋があったりして子供たちが食に困ることはあまりないようだが。
子どもの医療費無料の年齢も低かった。首都圏のほとんどで15歳まで無料が浸透した10年ぐらい前でも横浜川崎は小学校入学前まで。しかも所得制限つき。
要は、「地域社会に、子育てを地域ぐるみで支える発想が無い」ということ。これは役所の支援がお粗末である以上に日々感じることが多かった(だから職場が神奈川なのに実家がある埼玉に引っ越した)。
これは「場所による」部分が大きいが、埼玉では自転車をフル活用していたので、横浜での自転車での移動のしづらさは本当にストレスだった。横浜に住むときは、駅距離だけでなく地形も見ないと後で地獄を見る。我が家は駅近くに住んでいたので不便を感じなかったが、駅歩15分、でも一山超えるから実質徒歩移動も自転車移動も不可能、みたいなところがゴロゴロある。
横浜の治安がマトモな住宅地はだいたい物価が都内並みに高い。埼玉から来るとその高さが際立つ。特に野菜。肉は若干安い。ロードサイドに行かないとまともな商業施設がなく、価格競争もちゃんと起きていないので物価が高い。
中区、西区あたりの中心街で顕著だが、飲食店が観光地値段。一見さんで商売が成り立っているから質の高いサービスは受けられない。人件費が高い(しかもケチっている)からそれなりに客単価の高い店でも店のレスポンスが悪い。
だから地元民(地元で働いているサラリーマンも)はチェーン店に行列する。
人気の野毛もそんなに安くないし、隠れた名店、みたいなのもあまりない。
高級店は都内並みに高い(都内高級店並みのところも接客の質はあまり高くない)。浦和のような築地日本橋あたりの店の暖簾分けが、本家よりはるかに安く味わえる、みたいなのもない。
正直、浦和の年収800万と横浜の年収1000万では、消費水準はほぼ同レベルなのではないだろうか。
具体的には相鉄沿線。埼玉のヤンキー地帯も治安がいいとはお世辞にも言えないが、埼玉最悪と呼ばれる八潮にすらない禍々しさを、相鉄沿線からは感じる。強いて言えば南米のスラム街的な何か。
これは過去形かもしれない。中高時代から埼京線に乗り慣れていた人間だが、田園都市線で通勤していて感じたのは
つまり、 「電車に乗り慣れていない」 、もっと言えば 「電気で動く乗り物に慣れていない」 、さらに言えば 「電気のある生活に慣れていない」カッペが多いということなんだな、と。
埼京線1年分ぐらいの「お客さま同士のトラブル」が3日ぐらいで起こるのもびっくりした。
混雑自体というより、電車、というか電気そのものに慣れていない乗客が多いのが横浜(これは主に田園都市線)の通勤事情。
他にも挙げればキリがない(書店は多いが図書館が無い。書店も実用書ばかりで教養書や専門書が少ない、ゴミ出しのマナーが悪い(例えば青葉台住民のゴミ出しマナーは埼玉の中国人と同レベル、というのが実感)
横浜の総てが住みにくい、埼玉(浦和)はそれよりマシだ、というつもりはないが、住むのにあまりコスパの良い街ではないというのが元住人かつ長期間の神奈川在勤経験者の実感。
東京の東(隅田川と荒川の間)から西(環7周辺)に引っ越ししたものだけど、東は地方都市と東京のいいとこ取りみたいな感じで住みやすいところだよ。
まず、道路が良い。まあ戦災で焼け野原になったせいなんだけど。畦道をそのまま車道にしたような東京西部と違って、縦!横!四車線!みたいなのは東部のいいところだ。いやいや家の周りは毛細血管みたいな道路ばっかりだぞ、という人も居ようが、それでも車で5分も走れば大抵は4車線道路に出るだろう。西の方だと5分で4車線道路は相当厳しいぞ。
道路がいいせいもあり、ショッピングモールのような大規模商業施設もロードサイド店も豊富だ。なのでご飯に食べるのに困らないし、子育て用品やスポーツ用品が玄関を出て30分以内に手に入るという利便性が素晴らしい。西の方はおしゃれなお店が多い反面、集約された商業施設もロードサイドにありがちな店も少ない。こんなにカフェたくさんいらないんだよ。アカチャンホンポとスポーツオーソリティを寄越せ。
道路の良さはバスの利便性の高さにもつながる。速達性も定時性もなかなかのものだ。西の方は1.5車線の道路をバスが行き交うので、正直つらい。
地味に嬉しいのが、高低差がないことだ。本当に無い。全く無い。ちょっと高いところはホモサピエンスが土を積み上げたところだ。自転車買うと良い。路駐多いから車道走るの怖いけど。
地価は意外と西も東も変わらない感じがする。というのも、東は建ぺい率が高く(大体80%、防火地区に防火建築すると+10%ボーナスが付いて狂気の90%になる)、その分地価も高いのだ。少ない土地にみっちり建物を建てられるようになるからね。地盤工事にも若干コストがかかるし。
民度……といったら語弊があるが、まあ民度は若干低め。ノーリードで犬の散歩をする人が明らかに多い、というか西に来て全く見なくなってびっくりした。コンビニの外国人店員に怒鳴る中高年男性も見ない。わざと走行中の車に飛び出す酔っ払いもまだ見てない。大声で歌いながら爆走する自転車も。ここに路駐したら道路が完全に死ぬよな?みたいなのも東では日常茶飯事だが、今住んでるあたりでは見かけない。
外国人比率が東のほうが多い(東京都が出してる統計を参照のこと)。これはまぁ良し悪しで、子供たちが外国人に対する偏見的なのを全然持たずに育ったのは良いことであった。ただ、外国人家庭の子は「振れ」が大きく、めちゃめちゃ賢かったり運動できたりする子がいる一方、はちゃめちゃに問題を振りまく子もいたりした。なかなか難しいもんですな。名字のバリエーションが少ない東アジアルーツの子が多かったせいか、小学校はみな下の名前で呼び合う文化になっていたのが興味深かった。
場所によるが、おしゃれショップがすぐ滅ぶ。滅んだ跡地に居酒屋ができるのが定番。
どっちも特徴があって全然悪くないんだけど、独身ならより都心、子供が小さいときは利便性の高い東部、もうちょっと大きくなって自分も加齢してきたら落ち着いた西部、みたいなのが良いかもしれない。東部に住むなら車買おうな。アルファードで明治通り流しながらスカイツリー眺め、子供の泣き声を爆音EXILEでかき消そうぜ。
ロードサイド店がほとんどのため、都市部住まいだと山岡家自体を知らない、もしくは入ったことがない人も多い。
いわゆる家系ラーメンに近い味。
もっぱら醤油ばかりを食べていたが、たまたま食券販売機で他には目もくれずに辛味噌を選んでる人を何度も見かけ、トライしてみたのがきっかけ。
元来パンチの効いたラーメンを提供する山岡家だが、その中でも辛味噌は群を抜いたパンチ力を味わえる。
他ラーメン屋で辛味噌を頼むも、どこもパンチに欠ける。良くも悪くもマイルド。そして味が薄い。食った気がしなかった。色々と食べ比べる中で、そのパンチの素は豚骨スープなんだと悟る。要は辛味噌豚骨ラーメンが辛味噌の解なんだと。
やったことはないが、もやし、コーン、白髪ネギなんかをトッピングしたらもっとうまいと思う。
だいたいの店舗が24時間営業なので、車さえあればいつでも食えるのもありがたい。罪深い食べ物なので年に数回しか食べないようにはしている。ライスにスープをかけたらさぞかしうまいのだろうが、さすがに勇気ない。
田舎にも文化があるとか前に話題になってたが、結局東京周辺の人の本音はこんなもんだと思う。
好きなときに出かけたら映画でも美術館でもどこでも行けて買い物も困らない、口開けて歩くだけで全てが自動的に入ってくる、怠惰な生活。能動的に何かしなくても文化を浴びる生活のできる東京から引っ越すなんて考えられない人が大半だろう。
田舎だって星を見たり虫の声を聞いたり、地元の祭りだなんだと能動的に関わって盛り上げたりする立派な文化があるしそれを楽しめるのが勝ち組だ、なんて増田で盛り上がってたけどそんなの他人事だから綺麗事言ってただけ。実際引っ越すことになったら絶望するだろうよ、東京の人たちは。
美術館は県庁所在地に県立1個だけ、私立もいくつかあるがそれぞれ車で遠くまで出かけないといけない。映画館も遠くてシネコンしかなく、時間調べて予定立てて行かないといけない。急に映画見たくなって何となく映画館いくつもある中からその場で選ぶ、なんて出来やしない。美味しいカフェだのレストランだの、点在はしているが車で行かねばならない。確実に入りたいなら予約も要る。しかも周りなんもないからそこに行くだけで半日潰れる勢いだ。
東京モノにそんな生活は無理だ。田舎に呪詛吐いて、ロードサイドのイオンの悪口言いながらもそこにしか行けない。そんな人生になるだろう。耐えられるかい?無理だよ。
2024年の現在から過去数十年を振り返った際の重要なイベントやトレンドに関してまとめてみた。筆者の出自(旧来側の小売企業に所属)によって、記載の濃淡がどうしても出てしまうが、その点は容赦いただきたい。
大型店舗の新規出店に対して規制をしていた「大規模小売店舗法」が1991年に緩和され
2000年に廃止された。経緯としては、日米間の貿易摩擦に対する折衝の中で日本の国内産業障壁の一つとして指摘されたことによるもので、大店法緩和の象徴として日本に進出したのがトイザらスである。しかし、大店法の緩和と廃止によって生じたのは米国企業の進出ではなく、商店街などの中小小売業の衰退とロードサイド化である。我々が日本の各地で目にしている、寂れた中心市街地と画一化されたロードサイド店舗が並ぶ郊外の風景は、これによってもたらされた。
楽天市場のサービス提供が1996年、Yahoo!ショッピングが翌年の1997年である。小売の各セグメントにおいて、Eコマースは食品スーパー、コンビニ等を抑えて堂々の一位にある。あまり詳しくないので記載はこの程度。
岡田卓也が社長を務める岡田屋ほか3社が合併し、ジャスコ株式会社が誕生。
大店法緩和以降(第1位参照)の小売業の郊外進出の時流に乗って積極的に出店と企業統合および業態の拡張を行い、イオンへの屋号変更を経て、日本最大の小売グループと成長していく。
米サウスランド社から前年にライセンスを取得したイトーヨーカドーが国内第1号店として、東京都江東区豊洲の酒屋を改装しオープンした。大店法緩和以降の、中心街および市街地における店舗フォーマットとして、フランチャイズにおける小型店舗という、毀誉褒貶の伴うビジネスモデルを確立した。国内初のコンビニに関しては実は諸説あるらしいが、いずれにせよ豊洲店が現在まで続く流れの中で最も重要な存在であることは間違いがない。なお、豊洲店は今なお営業しており、従業員に国内初のコンビニであることを尋ねると、嬉しそうな反応が返ってくる(何年か前の話)。
2000年にフランスの大手スーパーマーケットのカルフールが日本に進出し千葉県幕張市に店舗をオープン。また2002年には経営不振に陥っていた西友を買収する形でウォルマートが日本に進出した。しかしカルフールは2005年にイオンに売却され、ウォルマートも2018年に西友の経営から手を引いた。
両社の進出当時には、EDLP(エブリデーロープライス 特売に頼らない一定の値付け)や卸などの日本的商習慣の打破に対する期待もあった。両社の撤退後、国内のリアルの小売業は日本資本が担っていくという流れが決定的となった。一方で、川上側の流通構造の変化については、イオンやユニクロ等が手をつけていくことになったのだが、そこに海外大手の進出の影響があったのかもしれない。知らんけど。
ユニクロがフリースを目玉商品として原宿に出店した。ロードサイド型のフォーマットは、レンガを基調にしたオールドユニクロファンには懐かしい店舗スタイルで1985年にすでに最初の店舗をオープンしていた。地方発祥の一量販店に過ぎなかったユニクロが、原宿のオープン時に社会現象と言われるまでのニュースになり、以後は全国的なブランドとなっていった。またフリースから始まったユニクロオリジナル商品はジーンズなどの数々のヒット商品を経て、単なるアパレルショップという業態からSPA(製造小売)という別のビジネスモデルへの転換へと繋がっていった。今では想像もできないが、昔はユニクロでもリーバイスのジーンズとか売っていたのだ。
スマートフォン発売当初は、国内ではいわゆるガラケーと呼ばれた従来型携帯電話が主体であったが、2010年のiPhone4あたりから潮目が変わり始めて、スマホの普及が加速した。これに伴い、ECの担い手も従来のPCからモバイルへと変化していった。
今となっては想像もできないが、当時はECで買い物をするときには、PCの前に移動してブラウザを立ち上げてから買い物をすることが必要であった。
ネットとリアルの統合とかそういったことがこの頃から言われるようになった。リアル店舗における買い物体験については、モバイル化によって、当時期待していたほどに変化したとは言えないが、今後も続く大きな流れではある。
また、このモバイル化とほぼ同じタイミングで東日本大震災(2011年)があったのは、巣篭もり含む社会情勢変化の中で間接的な影響はあったのではないかと個人的に思う。
小売業界以外の人にはほぼ知られておらず、業界内でもペガサスクラブのことを知らない人が多い。読売新聞の記者であった渥美俊一氏によって設立された、研究機関ないし互助機関である。高度経済成長期以降、アメリカの小売業をモデルとした、日本の小売業の組織化と大規模化に、ペガサスクラブの「チェーンストア理論」は大きな影響を与えたとされる。
松下(現在のパナソニック)製のテレビを、ダイエーがメーカー設定を下回る価格で販売したことによる対立。大きくは流通業界全体における主導権を製造側が握るか小売側が握るかという点での争いである。より消費者に近い川下側が主体となって流通全体の効率化と変革を進めていく考えが流通革命であり、1962年に同名で出版された著書がある。
大丸と松坂屋の統合によるJ.フロント リテイリング、阪急百貨店と阪神百貨店によるエイチ・ツー・オー リテイリングの発足がともに2007年で、翌年の2008年には三越と伊勢丹が経営統合した。この一連のイベントは、統合そのものよりも、百貨店業界全体の不振として捉えたい。
今となっては信じられないが、かつては小売業の中での業態別の首位は百貨店であったが、売上高としては1991年の12兆円をピークとして現在まで半減している。