Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「ロシア文学」を含む日記RSS

はてなキーワード:ロシア文学とは

次の25件>

2025-09-24

漫画家出身地別でテーマ変わる』ってバズってるけどさ

ふつう出身地差別じゃね?

俺が福岡人間からそう思うだけかもしれんけど。

そりゃロシア文学とかブラジル音楽性とか見てたら、気候やら政治やらそんなこんなで創作物指向が変わるのは理解できるけどさ。

同じ日本で「九州はこう、東北はこう」みたいな考えってめちゃくちゃ過激で、参政党が謎のデータ偏見で「日本はこう、海外はこう」って言ってんのとほぼ同じなのに、賢そうな人々がこぞって同意してるのが意味わからんくて腹立つ。

あと物知り顔で「震災の影響もある」とか言ってる人にも腹が立つ。九州人間が感化されなかったとでもいうのか?関わりを持とうとしなかったとでもいうのか?

地域性県民性の違いがあるのはわかるんだよ。そういうのむしろ好きだし。ただなんか今バズってるのにはやたら腹立つんだよな〜。俺の体調が悪いのかな。

Permalink |記事への反応(3) | 00:41

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-18

anond:20250918151429

ロシアウクライナ思考してからロシア文学が楽しめなくなっちゃった人は多いと思う

仕方が無いよ。人間だもの

Permalink |記事への反応(1) | 15:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-20

8月3週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

🎵音楽ライブ文化

---

🍜食べ物飲み物外食

---

🏢仕事転職・学び

---

🏠生活日常地域

---

💪健康・体調・運動

---

💻テクノロジー社会経済

---

1週間分の総括

この1週間のオープンチャットは、**音楽食べ物を軸に、仕事・学び・日常生活まで広がる多彩な雑談空間**となった。

大きな特徴は、

といった、軽妙な雑談と深い考察が同居すること。

総じて、参加者同士のリアル生活実感と知的好奇心が交差した、にぎやかで多層的な対話の場となっていた。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

Permalink |記事への反応(0) | 23:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-21

🐙童話ソースをさがしています。耳から金をほじくる男の話です。

💻耳から金をほじくる男の話について、具体的な情報は見つかりませんでした。ただ、似たようなテーマやユーモラスな昔話や童話は多く存在します。例えば、「金のガチョウ」や「金のオノ銀のオノ」など、金にまつわる物語がいくつかあります2。

もしこの話が特定地域文化に関連している場合、もう少し詳しい手がかりを教えていただければ、さらに調べてみます!また、他の童話や昔話についてもお手伝いできますので、ぜひ教えてください。

🐙資本主義揶揄する目的ロシアで書かれた小説で、資本家がアタマをつかって稼ぐといいますが、最後には資本家ハシゴから落ちて頭を打ちます。そのソースを探してください。

💻この物語の具体的なタイトルや著者についての情報は見つかりませんでしたが、ロシア文学には資本主義社会構造風刺する作品が多く存在します。例えば、トルストイの『イワンのばか』は、資本主義軍事国家批判し、平和主義的な社会を描いた寓話的な物語です。

もしこの作品特定作家時代に関連している場合さらに詳しい手がかりを教えていただければ、追加で調べることができます!また、他の関連するテーマ作品についてもお手伝いできますので、ぜひ教えてください。

🐙「イワンのばか」と似た雰囲気短編小説はありませんか。

💻「イワンのばか」に似た雰囲気短編小説として、トルストイの他の作品ロシア文学の風刺的な物語が挙げられます。例えば、トルストイ短編ふたりの老人」や「人にはどれだけの土地必要か」は、社会的なテーマ寓話的に描いており、資本主義人間欲望批判的に捉えています2。

また、ロシア文学全般では、ゴーゴリの「鼻」や「外套」なども風刺的で、社会矛盾人間の愚かさを描いた作品として知られています。これらの作品は「イワンのばか」と同様に、深い教訓を含みつつもユーモラスな要素を持っています

もし具体的なテーマ作風についてさらに知りたい場合、ぜひ教えてください!それに基づいてさら提案できます

Permalink |記事への反応(0) | 02:30

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-17

罪と罰あとがきに「あの時代大正?)にはロシア文学に狂わされた学生がたくさんいて、トルストイ派はシャキッとした議論好きでドストエフスキー好きはクネクネしてみんなロシア民族衣装を着て、ソーニャの幻影を求めて娼館に通ったりしていた」と書かれていて面白かった記憶がある

Permalink |記事への反応(1) | 20:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-01-02

理系池澤夏樹世界文学全集をほぼ全部読んだから五段階評価する①

1-01「オン・ザ・ロードジャック・ケルアック青山南訳★★

確かこれが初めて読んだビートニック文学の一つだった。車でアメリカ大陸の各地を巡っては行き当たりばったりの旅をする話で終わりも尻切れトンボ、「なんだこりゃ」とひっくり返りながら読んだ。だが、こいつら一生そのまま放浪するんだろうなという感じがあっていい。ちなみに、これ以降も細部には触れないとはいえネタバレガンガンかましてくので嫌な人は読まないでほしい。あと、この文章は半ばが自分語りというか、酔っ払いが管を巻いているようなものだと思っていただきたい。そもそもこの感想だってほとんどが曖昧記憶と印象を頼りに書いているのであり、いたっていい加減なものだ。そもそも、僕は正規文学教育を受けていない、一介の理系アラフォーおっさん文学少年崩れに過ぎないのである

ところで、これを薦めてくれた友人は「ブローティガンを読むといい」と教えてくれた。文学サークル村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の幻想パートをもとにした小説を書いていた僕に、その元ネタの一つだと言って手渡してくれたのが「西瓜糖の日々」だった。妙な世界なんだけれども向こうは完全に常識だと思っている語りがすごく好きだし、こちらの世界存在する物事がいくつか欠落しているのもなんだかいい。

なお、厳密には池澤夏樹文学全集ではなく文庫版で読んだのだけれど、訳者が同じだったのでここに記載する。そもそも全部順番に読んだわけじゃないしね。

1-02「楽園への道」マリオバルガス=リョサ田村さと子訳★★★

年端もいかない少女同棲したり酒を飲んでだらしない生活をしたりするゴーギャンとその祖母過激派フェミニストの二人を主役に据えたお話。この二人が現実に同じ一族から出ているのがまず面白いのだが、自分が生きたいように生きたというかそういう風にしか生きられなかった点ではよく似ている。型どおりに生きられないのよね。

このゴーギャン祖母フローラトリスタンは、作中ではどこにでも出かけては結婚制度有害さで一席をぶったり、関係ないときにも社会改革の話をしたり、貴族の子弟が幼い少女の性を慰み者にしたと突然告発したりと、かなりアグレッシブな人のようにも書かれているのだが、当時の人権状況はそれ以上にヤバかったってのは頭の中に入れて置かないといけないし、彼女キャラは作中の誇張もあるだろう。余談だけど作中で言及されるフーリエ空想的社会主義って輪廻転生や数万年後の未来史を含んでいて結構オカルトっぽいのね。

1-03「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ 西永良成訳★★★★★

タイトルがまずかっこいい。

プラハの春ソ連侵攻前後チェコ舞台にした四角関係小説なんだけれど、いろんな人の現実に向き合う態度が批評されている。その中で全体主義に埋もれてしま人間の弱点を指摘しているのだけれども、真摯というよりもどこか軽やかというかシニカルだ。ドイツことわざにいわく、「一回やっただけではやったことにならない」。しかし、人生は一度きり。さて、それでは本当に生きることってできるのか? 屁理屈のようだが、深刻な問いだ。

時系列が入り組んでいるし、作者がちょくちょく顔を出してスターリン収容所で死んだ息子とか関係なさそうな話をするもんだからちょっとややこしいんだけれど、浮気者外科医政治の嵐で一介の窓ふき職人として暮らしているっていう設定の恋愛劇、面白そうでしょ?

ちょくちょく出てくる作者の言葉、これは政治批判というよりも、人間の弱さや神の不在に対する諦念に近い。でも、例えば美しい理念に酔って自己満足に浸る「キッチュ」な態度をはじめとして、クンデラ作品でうまく言語化されていることは多い。個人的純文学は基礎研究だと思っていて、みんな知っているけれども名づけていない(しばしば望ましくない)感情名前を与えることがその役割の一つだ(余談だが、僕は政治的にはかなり左寄りなんだが、リベラルの人が正しさ競争というか、自分がどれだけアンテナ意識が高いかを鼻にかけてしまう瞬間に気づくことがあり、そんなときにたいそう居心地が悪いし、無数の人が実際に正しいかどうか自分の中で検討せずに「価値観アップデート」していくのがプロパガンダみたいですごく怖い。まず自分価値観内面をどうするかは完全に個人問題なのに、価値観思想にまで触れてこようとするのが見知らぬ他人ベタベタした手がどこからともなく伸びてくるみたいだし、何も考えずにアップデートした人たちはバックラッシュが起きたときに結局それに流されて、下手すりゃ前よりも悪化してしまうだろう。たぶんリベラリズムが好きでもリベラリストはそうでもないんだ。閑話休題)。

作者の顔が割と見えるというか、虚構虚構であると割り切っているところがあるのがクンデラメタフィクション風の長編なのだけれど、芥川龍之介の「煙草悪魔」を読んで以来、こういう語り口がすごく好きなのだ。そういうわけで、某創作講座でメタフィクションを書いたら「言い訳しながら小説を書くな」「このままでは一生成功はおぼつかない」とボロクソに貶されたことがある。悲しい。

あとは、登場人物普通にモテるので、そういうのが気に食わない人にはあまりおめしない(というか、クンデラ小説キャラってときおり人生における性的快楽の総量を最大化しようと行動している節がある)。僕がテレビドラマを見ないのもそれが理由だ。自分よりも顔のいい男がモテているのを、労働ですり減って帰って来たあとに見る気にはなれないし、ではモテていなければどうなるかと言えば、自分不器用な振る舞いを指差して笑っていると感じるのである笑。

それはさておいてクンデラ面白かったので何冊か買ったし、再読もした。

1-04「太平洋防波堤/愛人ラマン/悲しみよこんにちはマルグリット・デュラス田中倫郎・清水徹訳/フランソワーズ・サガン朝吹登水子訳★★/★★/★★

これは読むタイミングがあまりよくなかったなと感じている。というのも、この本を読んでから数年後に、経済的には困っていないか経済的には困っているのだけれども事態解決しようとしない自堕落貴族金持ちの話を読むのが猛烈に好きになった時期があるのだ。たぶん金に困らない奴がうだうだする話が好きになったのはプルースト失われた時を求めて」以来だ。「人間は暇になると恋愛遊戯に走るか、虚飾にまみれた儀礼を作るか、格付けや番付を作り始める」という趣旨磯田道史「殿さまの通信簿」か何かの記述を思い出す。あらすじを調べると、上の感想とはかなり懸け離れてるのだが、読んだ内容と心に残していくものは若干ずれているものだ。

1-05「巨匠とマルガリータミハイル・ブルガーコフ水野忠夫訳★★★

この話は基本的には悪魔が魔術・幻術で社会をひっかきまわすドタバタなのだが、冒頭の首ちょんぱがお好きならハマる。背景のイエス・キリスト実在とか彼の処刑にかかわったピラトの救済とか(を描いた劇中劇)はわからなくてもいい。勢いがすごい。ブルガーコフはこういうドタバタが多い。強烈なのは犬の心臓」で、これは犬を手術で人間にしたらガラの悪い野郎になって人間権利侵害するようになるんだが、これはどう見ても革命に乗じてやりたい放題やっているならず者風刺である。「運命の卵」は確か放射線かなんかを当てた卵からかえった動物が巨大化して街を襲う怪獣大行進である

自分悪魔の話が好きだ。ゲーテファウスト」のように際限なく願いを叶えるのも好きだし、アシモフ小悪魔アザゼル18の物語」のように、悪魔契約を忠実に守るが穴があり、うまくいか皮肉な結果になったりするのも好きだ。こういうアイロニーというか、破滅運命を避けようとして逆にドツボにハマるのは、ギリシア神話シェイクスピアマクベス」なんかでも見られ、好物だ。

昨今の情勢からロシア文学が好きだとは言いづらいのだが、自分はまちがいなくロシア文学に命を救われている。ドストエフスキーの、激重感情で身が今にもはち切れそうな人々や、自分狂気を強烈な理性で押さえつけてはいものの今にもバランスを崩してしまいそうな人々の存在が、自分のことを受け入れることのできなかった二十代の自分を救ってくれていた。世界平和が訪れたら、サンクトペテルブルク流れる白夜のネヴァ川沿いを歩いてみたい。……とここまで書いて気づいたのだが、ブルガーコフキー出身ゴーゴリと同じくウクライナ文学に分類されるじゃないか! 知識が古いままだとうかつなことが言えない。

1-06「暗夜/戦争の悲しみ」残雪近藤直子訳/バオ・ニン井川一久訳★★★/★★

残雪「暗夜」カフカが好きな僕は楽しんだ。基本的に何かが欠落したよくわからない世界で、よくわからない理由翻弄される人間の話が好きだ。これは偏見だが、共産圏映画を含めてこういう不条理作品がひたすらうまい現実が同じくらい不条理からかもしれない。それが理由で、共産主義時代東欧文学映画にハマった時期がある。当時は自分の周りのあらゆることが不条理に感じられていたのだ。とはいえカフカのところでも述べるが、これだけ人が苦しんだということは胸が痛い。当時の僕は自分の悩みと痛みのことしか考えられず、不条理ものを求めて東欧に接近していたのである

バオ・ニン「戦争の悲しみ」はよくわからなかった。これを読んだのが二十歳を迎えるかどうかの頃で、戦争で傷ついた女性がなぜ相手かまわず性交渉を行うようになるかが作品から読み取れなかった。ただ、自分文学から女性の性について学ぼうとし始めた遠因かもしれない。なんで文学から学ぶんだよというツッコミはしないでほしい。他に学ぶルートが無かった。だから偏ったサンプルばかりで、ある程度バランスの取れた、ハッピーな性生活を送っている人はどうなのかが全然からない。だって極端な人じゃないとフィクションにするのって難しいからね。

続く。

Permalink |記事への反応(6) | 17:15

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-08-04

東浩紀伝3

東は2018年12月18日ツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、解散は思いとどまる。東は21日付で代表辞任し、上田代表就任する。「ゲンロンに搾取されているという不満」(「ゲンロン戦記」、212頁)を抱いたそうであるゲンロンの代表として会社のために苦労しているにもかかわらず、社員は楽しくやっているように見えるのが不満だったそうだ。理解しにくいところであるが、こういう理由から自分と同じくらいの貢献を社員に求めることになるようである。「ゲンロン戦記」のこの個所は異彩を放っていて、他は笑えるエピソードなのであろうが、ここは笑えないところであろう。代表辞任という重大な局面なので書かざるを得なかったのだろうか。

上田洋子の人生ゲンロンで好転したことは疑いない。博士号取得後燻ぶっていたが、チェルノブイリツアー通訳を引き受けたところ、東に気に入られ、ゲンロンの副代表就任し、それだけでも出世であろうが、東の代表辞任に伴い、代表の座に就くに至った。代表女性ということでフェミ批判をかわせる部分もあるようである2023年日本ロシア文学会大賞を受賞している。東を諫めるべき立場ではあるが、そういうものとしては機能せず、東の発言をひたすら支持している。

2020年新型コロナウイルス(COVID-19)が世界蔓延する。東は断固としてコロナはただの風邪という立場に立った(小林よしのり×三浦瑠麗×東浩紀コロナはしょぼいウイルス世界中で騒いでるのが一番の問題。」【ゲンロン200328】)。田中康夫が切り抜き動画を作っていたのであるが、消されてしまっているようであるアガンベンも生権力批判観点からコロナ対応批判的であったが、コロナは致死率こそそれほど高くないものの、後遺症がひどいので「しょぼいウイルス」とは言えないであろう。

2020年7月黒瀬陽平セクハラが発覚する。東は黒瀬との関係を断つが、これはこの時世であるから仕方ないところであろう。黒瀬は「思想地図vol.1」(2008年)でデビューしており、ゲンロンではカオス*ラウンジ芸術校などもやっていた。

2020年10月19日シラスオープンする。ユーチューブとどう違うのかとも思われるが、その理念は「ゲンロン戦記」第6章第2節で語られている。

2021年キャンセルカルチャーが吹き荒れた年であったが、東京オリンピックでの小山田圭吾炎上が最も目立つ事例であろう。音楽家不祥事新聞の一面トップを飾ったのは小室哲哉逮捕以来ではないだろうか。この件で宮台真司小山田に対して批判的であったが、これに東は反発して、関係を断つ。九〇年代に宮台も露悪系でやっていたのだから小山田の側に立つべきだったというのであるが(「東浩紀無料突発 またどうせ消す」)、これはまっとうな批判であろう。一晩で数百万もの売り上げのあるイベント相手をこのくらいの理由で切れるのだから、東の行動原理は損得にはないということは認めていいのであろう。

2021年4月4日、オープンレター女性差別的な文化を脱するために 研究教育言論メディアにかかわるすべての人へ」が公開されたが、これはキャンセルカルチャーの烽火といっていいものであろう。日文研助教(当時)呉座勇一が武蔵大学准教授(当時)北村紗衣を鍵垢で揶揄していたことを非難するものである東北学院大学准教授小宮友根が書いたらしい。呉座は日文研から准教授への内定を取り消される。同じ年に、立憲民主党衆議院議員本多平直が辞任に追い込まれたりもしており、リベラル連携して動いていることは明らかであろう。キャンセルカルチャーの年表としては、「桐野夏生日没』と2020年代の「大衆検閲」」がある。

2021年9月29日、呉座は日文研提訴したが、これに加えて、2022年2月27日オープンレターの差出人に対して、オープンレターの削除と損害賠償を求める書面を送付し、同年2月25日オープンレターの差出人らが呉座に債務不存在確認訴訟提訴している。2021年12月に、草津町町長女性町議から強制わいせつ容疑で告訴されたのに対して、名誉棄損と虚偽告訴の容疑で女性町議を逆に告訴したりもしていたが、キャンセルカルチャーに対して反撃が始まったという印象であるツイッターでアンフェが気焔を上げていたのであるが、オープンレターは、署名していない人が署名したことになっていたり、差出人に加わることに合意していないのに差出人にされていたり、差出人が五十音順で並べられていなかったりして、杜撰なところが多く、そこを突かれていた。いわゆる法クラの弁護士が加勢したのも大きいのであろう。キャンセルカルチャーの本邦第一号としてモデルケースにするはずだったものと思われるが、躓いてしまった。

この呉座が、シラスチャンネルを開設すると発表される。キャンセルカルチャー犠牲者に助け舟を出したかたちであるが、ここから問題であった。2022年6月、呉座が春木晶子を姫と言ったところ、辻田が咎めたが、呉座は姫の初出は東である反論する。後日、春木は呉座に指摘を感謝し、東にこそ問題があると批判する(5ちゃんねる、東浩紀671の12)。このような経緯で呉座のチャンネルは、契約は未了であったものの、開設されないことになってしまった。また春木チャンネル契約更新を拒まれる。こちらはアップルパイ番組で焼いていたことも問題視された。このことからアップルパイ事件とか五反田ベース事件などと呼ばれることもある。呉座と春木ユーチューブに「春木で呉座います。」というチャンネルを開設した。

悪いことは続くものであるが、今や東のトレードマークともなった「とんこれ」発言が飛び出す。衆議院投票日を二日後に控える2022年7月8日、元総理大臣安倍晋三統一教会に家庭を破壊された過去を持つ山上徹也によって射殺される。7月10日、ニコニコ生放送で「【参院選2022】開票特番三浦瑠麗東浩紀、石戸諭、夏野剛と見守ろう」が放送されるが、中継で社民党福島瑞穂が「それで現在はまだ詳細がわかっておりませんが、統一教会との関係などとも言われております。ですから詳細が明らかになると同時に、もし自民党統一教会応援していることが問題とされたのであれば、まさに自民党統一教会によって大きく影響を受けているということも日本の政治の中で問題になりうると思ってるんですね」などと発言した。中継終了後、東は「あの、これさ……自民党統一教会関係しているからこのようなテロを招いたということを言った?もしかしたら」と述べ、一連のやり取りの中で「これとんでもない話だなぁこれ」との印象深いフレーズが口にされる。福島安倍への銃撃を容認する意図はないと思われるが、そのように曲解したのであろう。しかし、この発言ネタになったのは、味わい深いものがあったからであろう。「五反田式人文パフォーマンスは①唐突で②滑稽で③絶妙にピントが外れていないといけない。極めるのは大変ですよ」(5ちゃんねる、東浩紀スレ817の622)。狙ってやれるものではないように思われる。

2022年10月頃、暇空茜が一般社団法人Colaboの杜撰会計を追求しはじめる。これは2021年後半から始まったキャンセルカルチャーへの反撃のうちで最大のものであった。暇空の活動は、表現を燃やすものを燃やすことでキャンセルカルチャーを終わらせることを目的にしているが、そのために情報公開請求住民監査請求などの合法的手段を用いている(一部デマもあるようだが)。青識亜論のような従来の「表現の自由戦士」は原理を唱えるだけであったが、行動に移したかたちである。東は暇空についてほとんど言及していないが、暇空を支持している宇佐美展也と「都知事選は本当にこれでよかったのか!?」(2024年7月7日)で共演している。

「とんこれ」発言で東の評判はずいぶん落ちたため、それから安全運転を心がけているようであるしかし、安倍が死んだこともあり、検察が息を吹き返した。東京五輪汚職株式会社KADOKAWA会長角川歴彦逮捕起訴され、「とんこれ」発言に同席していた夏野剛が棚ぼたで取締役代表執行役社長CEO就任した。同じく「とんこれ」発言に同席していた三浦瑠璃にはそういうラッキーはなかった。夫(当時)の三浦清志は、建設の見込みがないのに太陽光発電出資を受けたとして、詐欺容疑で告発されていたが、2023年3月7日業務上横領罪で逮捕されたのである(同月27日に起訴)。三浦瑠璃はしばらく活動を休止していたが、2024年4月26日、夫との離婚を発表し、活動を再開した。

辻田真佐憲は、「訂正可能性の哲学」の副読本「訂正する力」(2023年10月)の聞き手構成担当するなど、東の最側近になっていたが、2024年5月31日の「東浩紀突発#136 ただなんとなく雑談」で批判される。「みんな格好つけたいんだろ?俺、自分が格好つけるとか考えない。ゲンロンとシラスのためにめっちゃやってるから!俺シラスを盛り上げようと思ったんだよ。シラサーと一緒に。やってくんないよ!みんな自分チャンネルのことばっか考えてるじゃん!」などの発言があったそうである(5ちゃんねる、東浩紀スレ酒849の290)。「石戸諭×桂大介×東浩紀 ネットで(ついに)社会が変わるのか?」(同年7月18日)でも辻田は批判される。辻田が論壇フェスというイベントに出るのが気に食わないようである。辻田は「【雑談配信東京都知事選後日談中間重要性、論壇フェスほか」(同年7月19日)で反論した。しかし、辻田は売り上げトップであるだけに東も軟化し、辻田がシラスを止めることは今のところないようである

現在に追いついた。これまでのあらすじをまとめると、東は郵便本で確立した視座でずっとやってきたといえるのであろうが、ゼロ年代ネット草創期のコミュニケーションの変容をアーキテクチャから考えていて、この頃がいちばんよかった。個々人は社会から下りていても、社会は回っていくというような夢が語られた。このような夢まで否定されるいわれはないだろう。テン年代になると、SNSによってネット政治的もので満たされるようになり、東はそこから距離を置こうとしてゲンロンに立てこもるようになった。ゼロ年代ネットの勢いに乗っており、その可能性を引き出すべく理論化に励んでいたが、テン年代ネットの動向に批判的になり、アーキテクチャ論も捨ててしまい、時代を作るような存在ではなくなっていった。

時代を作っているのは、左派ウォーキズムであろう。東に近かった人でも、津田藤田こちらに付いていったのであるが、ゼロ年代の東は、環境を変化させることで行動を変える環境管理型権力がこれから権力であり、内面に介入する規律訓練型権力過去のものになりつつあるとしていた。しかし、左派ウォーキズムは明らかに内心に介入しており、先祖返りしている印象である外山恒一キャンセルカルチャーについて「云ってることは新左翼だが、やってることがイジメ」(情況 2022年春号)と言っているが、これにならえば、左派ウォーキズムは、云ってることはフーコーだが、やってることがキリスト教といったところであろうか。しかし、左派ウォーキズムは収まりそうになく、これに対する抗議運動も続くであろう。

展望も記しておくべきなのであろうか。宮台真司は東に健康診断を受けるように勧めていたが、宮台はステージ0のすい臓がん発見しており、しっかりと健康診断を受けているのだろう。東はアル中ではないということらしいが、酒の飲みすぎであることは疑いない。しかし、健康さえ保てれば、今の地位は揺らぎそうもない。思想的な伸びしろは乏しいのかもしれないが、依然としてアイデアマンではあり、あと十数年は売れる本を出せるであろうし、ゲンロンも続けようと思えば続くであろう。

これでこの伝記は終わりであるが、記憶に頼って書いたところも少なくなく、誤りもあるかもしれない。東の埋蔵量は油田のようであり、書き終えられるか不安になったこともあるが、何とか書き終えることができた。これを読んだ人にネット草創期の興奮が少しでも伝われば幸いである。

Permalink |記事への反応(5) | 17:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57)31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

Permalink |記事への反応(4) | 17:48

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End ofthe World - 73 Questions We MustAnswer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku:Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink |記事への反応(13) | 17:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-06-08

今、ふと「ロシナンテバカ」という言葉が頭をよぎった

検索してもワンピースキャラ悪口しか出なかった。

ワンピースよんでないよ~。

なんだこれ。

ロシア文学タイトルっぽさある。

Permalink |記事への反応(1) | 20:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-01-31

anond:20240130160759

オペラエフゲニー・オネーギン 」

ロシア文学の父プーシキンの偉大な原作をないがしろにした台本に観客からは不評の嵐

プーシキン日本でいえば夏目漱石 中国でいえば魯迅にあたる国民文豪

映画ティファニーで朝食を

原作とかけ離れた展開にカポーティ激怒

オードリー・ヘップバーンは全く原作ホリーのイメージとは違う

映画Wの悲劇

原作作中作にしてしまうという蛮行

夏樹静子スタジオ見学をしたがどこを撮影しているのかわから困惑した

映画魔界転生

山田風太郎は「あれはならんです」とバッサリ

Permalink |記事への反応(0) | 09:53

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-10-02

【翌朝追記あり】劉慈欣「三体」の好きなところと微妙なところについて











好きなところ

たった一つの原理から出てくる結論三部作最後まで貫いている

この物語基本的原理は次の通りだ。「宇宙資源は有限であるしかしすべての文明は成長し・生き残りたい。よって、自分が生き残るためには相手を皆殺しにしていい。さもなくば相手に殺される」。そこから出てくる結論は「相手位置がわかったら即座に抹殺するのが最適解」。「相手と対等の立場に立って交渉するには、いつでも相手文明の座標を全宇宙晒す装置を作ればいい」。

これが適用されるのは地球人エイリアン・三体人だけではない。宇宙戦争ののち、孤立した地球人宇宙船同士も相互不信に陥り、突然殺し合いを始める。この原理原則例外はない。

どうしても攻撃したくなければ、相手の脅威にならないと示すため、限定された空間の中に引きこもるしかない。

絶望的な世界観

エイリアンのたった一つの水滴という兵器に、地球の最強の兵器であってもまったく歯が立たない。あるいは、エイリアンが数百年の偽りの平和ののち、地球人を何の共感もなくジェノサイドする・餓死させることを宣告する場面。主要なキャラであっても容赦なく殺してしまう命の軽さ。無意味に死んでいく人々。愛し合うカップルであっても、異なる早さの時間に引き裂かれる。この絶望感こそが本作の醍醐味だ。

さらに、地球人文明通りすがりの三体人とは別のエイリアンの作った名刺大の兵器で、三次元から二次元物理世界に落とされて再起不能になるまで破壊されるシーン、これは最も美しく壮絶な太陽系人類滅亡の場面だ。これを読むためだけに「三体」を買うだけの値打ちがある。

それだけではない、現在宇宙四次元時空で光速が有限なのも、本来は十次元光速無限だった世界が、宇宙戦争で使われた次元兵器による「堕落」の結果だと示唆される。感動的なまでの悲観主義

SF兵器なんでもあり

宇宙戦艦、超兵器エイリアンコールドスリープ、超構造体(メガストラクチャー)、ネトゲなど、絵になる風景ばかりだ。確かにSFモチーフを大量に詰め込むと粗削りになりがちなので、作品によっては一つに絞ったほうがいいと思うこともあるんだけど、これはいい

舞台中国である

これは欧米SFではほとんど見られない。中国が扱われるとしたら古代文明の謎であるとか、悪の共産主義陣営とかで出てくることが多いので、まず中国舞台であるというのが新鮮だ。始皇帝とか荊軻かい名前が出てくるだけでもうれしい。中国から見た日本文化ってのも、なかなか見られないか楽しいケンリュウも書いているけどね。あと、中国からしても日本と言えばカミカゼ忍者茶道なのね。あとは雀魂とか)。

関係ないけど、英語版ウィキペディアは概して日本よりも記事が多いし細かいことが書いてあるが、中国の歴史については日本語版のほうに一日の長があることもある。

あと、文化大革命が背景になる中国小説とか映画とかって、面白いのが多い。

宇宙の最終的な運命まで描き切る蛮勇

クラークとか小松左京とかじゃないとやらないくらいの発想がぽんぽん出てくるのが素晴らしい。

SFリアルさを求めて、技術革命とそれによる社会の変化を描くこともあるし、現実社会問題に肉薄することもある。雑食の僕はそれはそれで面白くて大好きなんだけど、定期的にSFルーツにある「人類の、そして宇宙の終局的な運命とは」「不可解なるエイリアンとの出会い」みたいなテーマ作品をどうしても読みたくなる。

微妙なところ

概して女性の扱いが悪い

第一部でエイリアン軍勢地球に呼び寄せてしまうのは人類絶望した女性科学者・葉文潔だ。「いっそ愚かな私たちを滅ぼしてくれ」と宣言してしまう。第二部ではエイリアンに対抗するために地球資源を使い放題にしていいと許可された「面壁者」羅輯が、どうすればいいかからずに、かわいいだけの理想の妻を求める(一緒に問題を考えるパートナーではない!)。さらに、第三部ではエイリアン和解した人類が、数百年の平和を経て穏やかになっており、「日本韓国アイドルのように」「女性化」していると描写される(前に「原神」のキャラとか”男らしくない”俳優とか実際に規制されてたよね)。

そして、コールドスリープから目覚めた主人公女性・程心もエイリアン文明破壊するための報復装置を、弱気から起動し損なう(これがさっき述べたエイリアンによる人類ジェノサイド宣言につながる)。

同時にコールドスリープしていた軍人は「この社会もっと雄々しくあるべきだ」という趣旨マッチョなことを述べる。2010年SFだけどこれでいいのか。このシリーズ普通に面白いと褒めていいのかオバマさん。僕はジェンダー意識がかなり保守的なほうだと自覚してるけど、これはちょっと弁護できないな(というかこれだけ女性の扱いが悪いと、作者には過去につらいことがあったのか? って心配になる ※1)。

さらに、第三部の主人公・程心は、使者として脳だけになってエイリアン文明に入り込んだ恋人・雲天明が、エイリアン文明の中枢から伝えてきた、人類文明を救うための暗号化されたメッセージを解読し損ない、これも人類滅亡の遠因となる。

まり人類の滅亡の契機は、ほぼすべて女性に起因している(いずれエイリアンに見つかっただろうけれども、直接の契機は女性)。寡聞にして、この点を検討している評論を見かけていないけれど、ググればどっかにあると思う。

三部作全部ドラマ化するとしたら、この辺テコ入れされるんじゃないかな。

※1 同じ心配をしているのが「たんぽぽ娘」のロバート・F・ヤングで、若くてかわいらしい女の子といちゃつく小説がやたらと多い一方で、「ジョナサン宇宙クジラ」では年上の女性たちや・女性上司日常的に暴力を振るわれている描写がある。成熟した女性に対する嫌悪と恐れを読み取ってしまうのは、気のせいだろうか。

被害妄想

エイリアンとの戦争に勝つためにはどうすればいいか軍人議論する中で「エイリアンに負けるかもしれないという精神的敗北者を追放する」「エイリアンシンパスパイ排除する」という結論が出てくるの、なんというか現実中国共産党の発想なんだけど、エイリアンに対してこういう態度を取るのは欧米だと冷戦時代SFが多い(この前のホーガンとかね。でもホーガンは「未来からのホットライン」が面白いよ。「シン・エヴァ」の元ネタだし)。なんというか、「三体」が悪いというより、中国政府がいまだにスパイ大作戦な冷戦世界観世界を見ているという感覚が生々しく伝わってきて幾分げんなりする。マジで共産党が「最善の防御は皆殺し」とか考えていませんよーに。さっきの女性の扱いと含めて、数十年前のSFを読んでいる気分になってしまった。

第一からエイリアンの超粒子で地球文明監視されて物理学の発展が阻害されるんだけど、これも敵のスパイに見られているという被害妄想的な感じがする。

深読みすれば、共産党監視されている国民の恐怖・心象風景なのかもしれないけどね。

ときどきトンチキ

SFってのはある程度ブラフ必要で、トンチキな場面も出てくるんだけど(それをどうやって読者に悟らせないか仮定文学であるSFテクニック)、たとえば第一部で地球文明を隅々まで監視できるだけの技術文明を、地球ナノワイヤで倒せるってのは、ちょっと無理があるんじゃないか?(追記。せめて向こうでナノテクが発展していないエクスキューズがほしいよね)

総評

人類に対して敵意を持っている宇宙の中での、人類の行く末について最後まで描き切った蛮勇がとても好き。三部作の壮大さのおかげで、隠せない欠陥にもかかわらずこの作品を気に入ってしまっている。第一部よりも第二部、第三部の順で面白くなっているのもいい。自分の中では★二つから★四つ半くらいまで評価が上がっていった。作家として器が大きくなったって感じたよ。

ラストの逃避にも似た、小さな農園を備えた小宇宙も、中国伝統的美意識神仙思想隠遁に繋がっていていい。美意識が共有できると嬉しいよね。

全体として思ったのは「これって炒飯ラーメン餃子の特盛セットじゃん」ってことだった。みんながSFと聞いて思いつくネタをがっつり取り込んでいる。読んだSFの冊数が増えると、青椒肉絲とか麻婆豆腐とか黒酢酢豚とか、燕のスープとかフカヒレかいろいろあるのがわかってくるし、全部乗せを馬鹿にしたくなる気持ちも出てくるけど、なんだかんだで小さい頃に食べた大味な全部セット無性に食べたい日もある。

読書楽しい

時々どうしても受け入れられない価値観出会うこともあるけれど、なぜそう考えるようになったのか? なぜ自分不快と感じるのか? と考えると、共感的に理解できるかもしれない。少なくとも自分価値観あぶり出される。

過去批判し、そのうえで現代をよりよくしていこうと思うが、だからといって過去を見くだしたいとは思わない。好きなところ、好きになれないところ、両方を検討するのは楽しい作業だ。

本を読んだときはたった一つの気に入った言葉があればいい。映画を観たときは一つでも好きな場面を見つけられたら良しとする。美術展に出かけたら、一枚だけでも気に入った絵があれば外に出た甲斐がある。

こうして欠点もあるけれども面白かった作品について書いてみて、「もういいや」って思ってた外伝にも、手を出したくなってきた。

それではまた。

前回

今さだらけれどセンスない認定されたSF作品を弁護したい

お昼の追記

「三体」人気すごいなあ。久しぶりにバズったよ。

以下ブコメレス

人によっては人物名前を同定できるかがハードルになりそう。

これは外国文学を読むとき鬼門で、自分三国志ゲームとか小説とかで親しんでたからなんとかなったけど、そうでないとしんどいかも。

おすすめロシア文学もなかなか読んでもらえないのもこの辺りに理由がある。

基本的にはメモしたり声に出したりしてその国の言葉リズムに慣れるのがおすすめマニアになってくるとジョンとヨハネイワンが同じ起源だとか気にし出すけど、これが通用するのはアラブ世界までだしね。

この方が好きなSFもっと知りたい。

SFじゃないのも含むけど、

必読書コピペにマジレスしてみる・自分のオススメ41冊編(1)

必読書コピペにマジレスしてみる・やっぱりオススメの21冊編 (1)

あとは、

必読書コピペにマジレスしてみる・海外文学編(1)

必読書コピペにマジレスしてみる・日本文学編

必読書コピペにマジレスしてみる・ミステリ編

必読書コピペにマジレスしてみる・哲学編

これは読書リスト

2022年に読んだ本

ではでは。

夜の追記

良くも悪くも手触りが野蛮な旧世代SFなのがむしろSFクラスタ外にもウケた理由なのかもしれないとは思う

これはちょっと思った。原初SFにある奔放な想像力、よくそんなネタ思いついたな! みたいなのがたくさんあるのが「三体」のいいところ。

で、それがモヤモヤする理由でもある。SFが洗練されてくると科学的正確さとか政治性とかを無視するわけにはいかなくなる。自分と異なった属性に対して誤った知識が広まらないよう、表現ルールがあるのは大切だと信じる一方、気持ちの面では想像力が羽ばたくのを少しも邪魔されたくない自分もいる。だから、反発する人の気持ちもわかる。

なので、正確性とかに気をつかったSFに慣れた身からすると「こんな粗削りでもウケるんだ! 売れるんだ!」という意外さと、先を越された悔しさがある。だから元増田みたいにSFの外にまで広がった作品を「センスがない」とディスりたくなるのかも。

でも、僕も最初はそういう作品から読み始めたわけだし、重箱の隅をつつくような外れ値の古参よりも、作品を買ってくれる新しいファンがどんどん増えたほうがジャンルは育っていくし、若いファンは「にわか」呼ばわりするのを恐れずどしどし読んでほしい。

思い出したこと

そういえば第三部でアボリジニおっちゃんが出てくるけど、欧米作品だったらもっと白人文化に対して批判的だっただろうし、なんだったら三体人に押さえつけられるときももっと痛烈な言葉をはかせていただろうな。より強い文明出会たことによる悲劇メタファーとしては扱いが若干雑だ。

欧米作品とのこの辺の感覚差異面白い

他に書いた文学関係増田

村上春樹のヒロイン・登場人物たちのつながり

カズオ・イシグロ大体読んだけど好きかわからなくなった

以上。

翌朝追記

おすすめの本のリスト追加したよ。

2023.10.12追記

早川書房翻訳SFファンタジイ編集部ツイッターに捕捉されてて吹いた。

Permalink |記事への反応(12) | 07:52

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-06-06

anond:20230606142352

ロシア文学彷彿とさせる一文の長さだ

Permalink |記事への反応(1) | 14:38

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-03-11

ロシア文学ってなんであんな「!」多いの

ソーニャ!ワーレンカ!

あなたを愛しています!そうですとも!

みたいな

疲れる

「!」多くね

なんであんなに多いの

いやロシア文学のこと詳しくないけど

Permalink |記事への反応(0) | 21:38

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-02-27

太郎戦隊ドンブラザーズってド

ストエフスキーの『白痴』だったんじゃないのかと気づく

なんか天然気味で空気を読まず一方的だがド正論を言う主人公

周囲の人間やれやれと言いつつしだいに主人公を慕う

元は敵対してた人物まで主人公に感化されて仲間になる

そして最後主人公ボケてどこかに去ってしまう……

――宇宙戦艦ヤマトの着想の原形が西遊記だったぐらいには似てる

井上敏樹意識してなかったのに結果的に似た可能性も

江川卓野球選手じゃなくてロシア文学者の方)の本によると

白痴主人公ムイシュキン公爵の原形はドン・キホーテらしい

もっと遡ると新約聖書イエスという見方可能なのだとか

(実際に聖書をきちんと読むとただのよくキレる俺様おっさんである

なんかこの物語図式に当てはまる作品

ドストエフスキーよりもっと古い作品から

現代漫画アニメまでほかに結構ありそう

Permalink |記事への反応(0) | 19:08

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2023-01-13

anond:20230113233712

若い人がたくさんいてこその街

ブラック企業低賃金で働きながら飲んだくれて自民党を支持する若者を、若者というのか

なんかロシア文学ドイツ文学に出て来る、破滅する気の毒な主人公という感じだ

Permalink |記事への反応(0) | 23:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-12-10

anond:20221210001547

フランス語で書かれた専門書を翻訳する際に当該分野の専門知識を有する人間英語からの重訳をさせるよりも

当該分野は素人でもフランス語翻訳家に原書を訳させる方が適切な翻訳可能だというのが人文系常識なの?

本当に疑問なんだけど、日本にはフランス経済専門家とかおらんの? 探せば日本のどっかにフランス語原典から訳せて経済学の知識がある人が絶対いるでしょ(フランス語メジャー言語だ、って強調してるのはそういう意味もあるよ)。

ピケティの本が世界的な話題であるなら尚更、フランス語経済の双方に通じた翻訳者を探してくるか、それが無理ならフランス語から翻訳を監修する経済学者を連れてくるべきで、重訳は最後の手段だろう、というのが人文系感覚。「アイスランド語推理小説」ならまあ重訳でも仕方ない(良いわけではない)けど、「フランス語経済学書」だったら、日本にはフランス語専門家大勢いるんだから彼らに直接訳させろ、翻訳にあたって経済学の知見が必要ならフランス経済専門の翻訳者 or翻訳を監修してくれる経済学者を連れてこい、というのが相場じゃないかなぁ。すげえどうでもいい本ならその手間を惜しむのもわからなくはないけど、世界的な話題作ならそこの手間はかけるべきでしょ、と思うよ。だからピケティを重訳で良しとする感覚マジで理解できんのよな……(出版社にとっての経済メリットはわかるけど、学問的にはメリット皆無でしょ)

結局、人文系にとっては「原典にあたる」ことがまず基本であって、翻訳原典ではないわけよ。研究をするにあたって翻訳で済ませてよいのは、

場合に限られるんじゃないかしら。あとはよっぽど研究環境の貧弱な地方大学所属してて碌な研究ももらえず図書館も充実していないので原典を入手することができず、なおかつ信頼に値する翻訳があるなら、まあ翻訳で済ませるのも仕方ないかもしれないけれど、山形浩生はそんなに貧窮してるの? って話になるので。

理論もすべて原典で読むべきか、はまあ微妙なところ。たとえばフーコー思想研究するのならフランス語原典を読むのは必須だけど、フーコーの「生-権力概念ドイツ研究に応用してみました! みたいな場合は、うーん、まあ研究の基礎となる資料ちゃんドイツ語で読んでるなら理論日本語訳でもいいかなぁ、という感じ。もちろん理想を言えばフランス語読むべきなんだけどね、それ言ってるとキリがないからね)

なお、元の話題に出てる北村紗衣は、「原典を読める文学作品については研究し、そうでない作品ロシア文学とか?)については評論する」というスタンスであることをどっかで公言していたはず。研究あくま原典依拠して行うもの原典を読んでいないのは研究とはいえない、というのは、人文系研究者としては当然のスタンスだと思う。なんだろう、増田経済学のこととかよくわからんけど、英語からの重訳を出されるのは、数学統計学を踏まえずになされた経済研究を出されるようなもんなのよ。基本のキができてないですね、問題外、って感じ。

Permalink |記事への反応(3) | 06:31

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-10-21

なぜ昔の人間ロシア文学をありがたがったのか?

日本人が接する文化といえばまず日本ゲーム音楽映画

次に来るのが欧米特にアメリカ文化だろう

たまに変わり種のエスニック料理みたいに韓国中国が入ってくる、インドが好きというやつも稀にいる

ところでロシア文学だが、昭和文豪とか妙にロシア文学をありがたがってる奴が多い

ドストエフスキーとかトルストイとかな

現代日本人が読むのは結構な苦行で要約本やマンガでわかるロシア文学ぐらいが限界全然面白くない

まずキャラクター名前が覚えられねえ

まらないのでもう誰もロシア文学なんて読んでない

なんで昭和人間あんなにロシア文学をありがたがっていたんだ?

昔はあれだよなソ連アメリカが二大大国扱いだったので、

アメリカ文学読むような感覚ロシア文学読んでありがたがる時代があったってだけなんだろな

現代日本人にとってはロシア文学なんて一部の文学マニア以外はどうでもいい代物だからそんなにありがたがるようなもんでもない

Permalink |記事への反応(1) | 02:28

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-04-09

昔はロシアが偉そうに見えたかインテリドストエフスキーとかトルストイとか読んだ

今はロシアが失敗した国だってわかったかロシア文学とかみんな読まなくなった

資本主義のNO1アメリカ共産主義のNO1ソ連、両方のNO1の良いとこどりでいこうやないかい!

これが昔のジャップの発想

インテリなんて偉そうにしてても、割合俗物的な価値判断で行動している

Permalink |記事への反応(0) | 22:33

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-03-17

anond:20220317124806

戦闘行為は反対だが一般ロシア国民に同情的な人達も「擁護派」に入れてるの?

フィギュアスケートバレエクラシック音楽ロシア文学等々のファン親和的な人多いぞ

エロ作家クリムゾンさんもロシア好きだしな

Permalink |記事への反応(1) | 13:03

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-03-15

池内恵tweetの件なんだが

池内恵tweetの件なんだが

日本人は、加害者としての歴史を忘れるな」って言ったことがある人は、「ロシア市民に罪はない、強権支配被害者

って言うのは欺瞞だ云々のアレだけど。

 

https://twitter.com/chutoislam/status/1503200219286097921

 

これに続くツイートの方がちょっと奇妙で

そういう逡巡の跡が見られない人は、まあ人間としてそう言うもん

から学者としての尊敬は得られない

卓越性とか人格陶冶とかちょっと感じさせてくれないとやってられない

と飛躍がある事を言ってるのね。

特に「卓越性とか人格陶冶とか」は唐突感が強い。

 

この「卓越性と人格陶冶」って保守主義を好評価する時に使われる紋切り型なのね。特に2つ併置されるのが紋切り型

フランス人思想とかアメリカ合理主義などの理性主義だと人間平等で理性を動員して抑圧無き良き世界を作っていくって風になるんだけど、意志の力で克服とかストレス晒し人格を鍛錬するっていう風な事は落ちてしまう。

古典的自由主義ハーバート・スペンサーなど)やドイツ国法学なんかを志向することが多い。

あとはエドマンド・バークなんかの反フランス革命保守主義とかも。

すると差別っていうのは単に悪じゃなくて主体が乗り越えるべき情況って意味付与される。

 

例えば西部邁少年期に吃音(どもり)があった。

今の感覚だと言語療法プログラムで訓練して、周りもそういう癖に気遣わなきゃいけないね、ってなるけど、西部はこれは自己意志問題だと考えたのね。実際吃音行動療法には価値の明確化、つまり自分意志の再構築をする方法もある。

それで意志の再構築で吃音を克服した西部オルグ天才となって学生運動トップになってしまうのだけど。

その後右に転向したのだけど、西部思想にはその原経験が生きているなんていう評論のされ方をよくする。これは紋切り型評価の一つだ。

 

もう一つの例挙げると、ハワイダニエル・K・イノウエ国際空港の名になっている日系アメリカ人ダニエルケン・イノウエ。

この人は日系人でありながら合衆国上院議長まで上り詰めた人なんだけど、ハワイ大学在学時に日本軍真珠湾奇襲が起こった。

当然日系人の肩身は狭くなり、イノウエは合衆国への忠誠心を示すために軍に志願して第442連隊に入れられた。

これは日系人構成される部隊もの凄く損耗率が高かった事で有名だ。激戦区に配属された為だな。損耗率が高いっていうのは死亡率や負傷率が高くて、死んだら補充を繰り返したってこと。イノウエも片手を切断している。

そこまでしてアメリカ人として認められて戦後上院議員としての道を歩み上り詰めたわけだ。

これは過酷だが差別という情況を克服して陶冶された人物代表例だろう。

 

だけど、「卓越性と人格陶冶」の紋切り型っていうのは批判する時にも使われるわけよ。

要するに「保守主義だと卓越性と人格陶冶が重視されるがお前はそうではない」って言い方。ネトウヨがメッキの為に保守とか自称してるのに対して言ったりするのが判り易い。

 

で、件の池内ツイートにぶら下がったりブクマ付いてるのって単にWhataboutismの相対主義としての好評価のやつしかないわけよ。

Whataboutismの本場はソ連で、よりによってロシアの非合理関係の事でWhataboutismしたりそれに蝟集したりすんなよ。

それでそういう動機での好評価を集めているのに池内自身は何も注釈しない。

それに他の場所では

ロシア文化にも責任はない」とロシア文学者が言うのは、エネルギー業界の人たちが「ロシアから石油・ガスを買っていけないというのでは商売上がったりだ」と言うのと、それほど違いはない

とか言ってる。https://twitter.com/chutoislam/status/1503124758950518787

 

こうなると単に相対化であって、「卓越性と人格陶冶」の紋切り型での批判に対するルサンチマンなのか?と疑ってしまうわけ。

 

ところで最後ツイートには前段があって、

逃げなかった人たちを、シリアでは「テロリスト戦闘員だ」と呼んで無慈悲砲撃兵糧攻めにして殺してきた。それがプーチンロシアです

と、過去シリアでの虐殺スルーされて来た事べの憤りだって事が判る。絶滅収容所の近所のドイツ人達にアメリカ将校が「いいや、あなた方は知っていた」と言ったのと同じだ。

だったらちゃんと焦点をぼかさず言いたい事を前面に出すべきだろ。

 

文学者だの学者としての尊敬だのは言い訳の為の吃音しかない。

ロシア人の戦争責任日本戦争責任を持ち出すなら自分はどの立場かを明確にせねばならない。プーチンを許してきたロシア人を免責できないなら日本戦争責任も免責できないと言わねばならない。

なんでそうしないかというとそこを誤魔化すとWhataboutism相対化としての好評価が得られて尚且つ軋轢が減るからだ。

でもそれは単に差別感情がWhataboutismと絡んだ人気でしかない。「いいや、あなた方は知っていた」という視点を持つ人はどれだけ出るの? 

 

という訳で池内の言う事にもその動機にも強い意味がある。

だが池内自身が余りに大したことがない為に表出的吃音が克服できずにWhataboutismとしての表出しか出来ていない。

「いいや、あなた方は知っていた」と「ネットでの軋轢忌避」を天秤にかけて後者を選んだからWhataboutismだけが表出されている。

嘘とWhataboutismの帝国に対してそんな事しててどうすんだ。

Permalink |記事への反応(3) | 18:20

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-03-13

返信と追記:今のロシア人生の声ブクマカに教えてやる

もうちょっと質問あるかと思ったらそこまでなかったね。まだ受け付けてるよ

元増田https://anond.hatelabo.jp/20220312204919

英語原文https://anond.hatelabo.jp/20220313122821



追記:この増田についたトラバブコメへの返信

question_marker 侵攻を支持する人々をどう思うか/そんなチャットしてて大丈夫か、捕まらいか/もし経済制裁が無かったらどのくらい侵攻に関心を示していたか/中国中国人をどう思うか、仲良くやれそうか 聞いてみてほしい

一つ目:元増田にも載せた↓

友達「でも無意味だ。人々はプロパガンダにやられてゾンビのようになっているか政府には逆らわないだろう」

友達「6割のロシア国民は愚かで怠惰だ。ソビエト時代には、戦争はいものナチはあらゆるところに巣食っていて略奪はいいことだと教えられていたから」

これで答えになってると思う。追加でなんか聞きたければお気軽に

二つ目私たちも恐れていて、今までずっとdiscordで話してきたが最近はtelegramに乗り換えている。ただtelegramは日本語入力がやりにくい(変換を確定するためにエンターを押すと即送信されるとんでもない仕組み。仕方ないかエンターで確定、エンター+別のキー送信するように設定を変えたがやはり面倒)し検索事実上ほとんど不可能単語全一致でないと検索できないが、スペースや記号で区切られてない文字の連なりを一単語とみなしている。たとえば「明日は晴れそうだねえ」という文章検索したい場合は「明日」や「晴れ」では検索できず、「明日は晴れそうだねえ」でないと引っかからない)なので使い勝手が悪い。どうにかならんかな

三つ目:ウクライナ侵攻の報を見たとたん狼狽して怒っていた。

友達はこのウクライナ侵攻より前からロシア所業とそれに加えられた制裁についてよく知っており、今回のことについても制裁が加えられるだろうと事前に予測していたので「もし無かったら」はよくわからない。しか戦争はすべて悪とはっきり言っていたので経済制裁関係なく反対していたと思う。

四つ目:前は中国政府をそこそこ嫌ってたけど多分今回の件で見る目変わったと思う。もともと文化歴史には興味があったらしい。


元増田についたトラバブコメへの返信

Q.サンプル数1を一般化するな

A. どこからどうみても明らかにサンプル数1で、多数派の声だと勘違いする人はいないだろうから逆に断りは不要だと思った。もちろん増田はその友達個人意見だと理解してるよ


Q. 「まさかときの友こそ真の友」とか「雨天の友」とかあるんじゃね

A. 調べた時にそれは見つけたけど、前者は英語からの輸入で後者三木武夫元首相の言葉らしいかことわざというには違うかもと思った。これはまあ増田個人的な好みだ


Q. 「大日本帝国とき日本市民には責任があったと思う?」

A.ほとんどの日本人には戦争回避できるような力はなかったか責任を負わせることはできないと考えてる。 歴史倫理には詳しくなくて通説を知らないからただの私見だけどね

yujimi-daifuku-2222ナチュラルに戦前、戦中の日本人のみを特別に野蛮と見る偏見にハマってるように見える。まあ平均的な左翼とも言えるけれども。/道徳的に正しい国家アジアアフリカ植民地を持つわけがないでしょうに。

いや増田は全くそんなこと思ってない。大日本帝国ブコメで上がってたからその話をしただけで他の国家の人々についても意見は同じだよ。

それとも友達のことを言ってる? 他の国のこともばっちり批判してると思うけど


anond:20220312204919

TorにはBridge機能があるんだね。増田はこういうの詳しくないからありがたい


Q.anond:20220312204919

A.

あとどのくらい今の生活に耐えられるか(何週間、何か月、何年)

彼の身バレになりそうなので言わない

一般ロシア目線で見て今後のシナリオはどうなりそうか(戦争の結末や中長期的に見たロシアの存亡とか)

少し前に彼が自分から言っていたことをそのまま貼る

友達 "I'm afraidRussia wouldbreaklikeUSSR."

増田 "ソ連崩壊ときは何があったの"

友達 "a lot of new countries, hunger, poorness. a lot of criminals. a lot of deaths" (注:チャットなので話し方が適当なことがよくある。ちなみに彼はソ連崩壊より少し後の生まれなのでこれは伝聞と学習によるものだろう)


友達 "Putin's surrounding doesn'tlike thatwar. they are losing money that they stole. yachts, mansions,everything.EU andUSA are takingaway their property"


(例の怪文書を読んでもらったとき感想。ただし友達は原文を見つけて読んだ)

友達 "it's basicallytrue. we'reon the verge of WorldWar 3

増田 "●●さんが真実なんてわかるの?"

友達 "i'm goodat analyzing the situation inhere. ilivehere afterall"


Q. その友達の周りの人は戦争についてどう思ってるか聞いた?

A. 彼の身バレになりそうなので言わない


pandafire増田の心の声が邪魔すぎる。普通に書き起こして欲しい

anond:20220313122821 こちらをどうぞ


aox相撲知名度を聞いて欲しいです。巨漢の大露羅とか知ってるのかしら

今聞いてみたから答えてもらえるまで待って

追記:「世界的に有名だと思う。でも興味はない。大露羅も知らない。相手リングの外に出せば勝つこと、お相撲さんはとても太ってること、かっこいいお相撲さん横綱と呼ばれることの3つは知ってる」らしいです


peach_333ロシア人側が言ってる「western」は「西洋」じゃなくて「西側」なのでは?アンジャッシュみたいにすれ違ってない?ロシア西洋人だけど非西側

それなら「●●さんは本当に自分のことを西洋人とは思ってないんだな」と聞いたときに「いや、歴史的に西側諸国東側諸国対立というのがあって…」などと説明されるはずだ。

だが友達は「今まで私は少しくらいは西洋人だった」と答えた。西側諸国のことを指しているのなら、少しくらいもなにも完全に東側諸国の人なのでこういう答えにはならないだろう。


ryotarox 「>殺人には絶対反対だから徴兵される気はない」;その気持には賛成だけど、侵略する側の国がこう言えるのは、不公平な気も。侵略される側は、殺すのも殺されるのも嫌だけど、選ぶ必要が生じる。合法化以前の問題

とりあえず友達に「徴兵断ったら殺されるのでは」と聞いたら「殺すくらいなら殺されるのを選ぶ」と明言していた。本心かは知らないが。


ayumunロシアではプーチンさんがあちこちに豪華な城みたいな別荘を建ててるとかは、みんな知ってることなの?そういう政権に都合の悪い話が国内報道されてるのか気になる。

報道されてるかどうかはわからないけど、友達は知ってたよ。castleと言ってた


Shin-Fedor 生々しい。同情するが、とはいえ被害者意識しかないのもな。自分の国の政権によって虐殺が起こっているのだから、少しは加害者感覚もあるかと思いきや全てはアメリカのせい、西側のせい、そしてプーチンのせい。

国民であるという理由で自らが加害者だという意識を持つ(=自罰)なら、同じ理由国民全員を責める(=他罰必要がある。ということを踏まえた上でやはりそう思うのであればもう一度ブコメしてほしい。

友達責任があるかどうかについて意見を言っている人は多かったので増田も何か言いたいところだが、残念ながら考えがまとまらないので何も言わないつもりだ。


dokoロシア人も亡命できると良いのにね

実際逃げてる人は相当いたらしい。友達友達も多くは逃げたという。今はもう無理だ


ch1248 途中からロシア文学読んでるような気分になってきた。特定言語和訳からしか得られない栄養素がある。

申し訳ないが友達英語で話してる。増田友達が話すくらいの英語はほぼ自力で読めるようになったけどロシア語はわかんない


gabillグローバル化が進んだ現代では経済制裁意味が100年前とは違ってきていて、陸・海・空に続く4つ目の軍事領域になりつつある。みんなこれが兵器だとまだ気付いてなくて、罪悪感を抱くことなく無邪気に振り回している

国際法条約でいくつかの兵器非人道的とされているが、そういえば日本では金銭生活保護)を人権として定めているな、とふと思った


h5dhn9k 話が噛み合っていない気がするのだが……。

チャット性質的に起こりやすい。h5dhn9kさんチャットやってみる? 今ならdiscordでちゃちゃっとロシア人探して意見聞けると思う。サーバーにもよるけど日本人だと言えば熱烈歓迎されてたとえ拙い英語だとしてもどんどん話せる可能性が高いよ(やったことがある)


inferioスラブ系って言葉自体がド直球で奴隷系って意味だし西側の東に対する差別意識の激しさは察して余りある

調べてみた

周辺民族奴隷と呼ばれたからという説と、彼ら自身言語で「言葉」という意味単語だったという説とあといくつかあるみたいだ


dazedロシアの友人が、死んでしまった政治家エフゲニー・プリマコフ)がまだ現役だったと思ってるくだりが本当なら、なかなかに怖い

なにが怖いのか微妙にわからない。よかったら具体的に教えてくれない? 少なくとも友達がそれを知らなかったのはロシア情報統制とはあまり関係ないと思うよ。


ちなみに増田友達のことを「●●さん」とよく呼んでいるのに友達増田のことを名前でほぼ呼ばないのは日本語英語性質による



まり関係ない追加要素

一年前の会話

友達ロシア人は今日からアメリカビザが取れなくなるらしい。そのうちヨーロッパアジアの国々もそうするだろう」

増田「なんか非常にまずいね

友達ロシア政府が間違っているからだ」

増田「さあ。アメリカロシアのどっちが間違っているかなんてどうでもいいですね。私はただ日本の頭上で争いが起こらなければ」

友達「それはないだろう。ロシアには核があるんだ」

増田「ああ核」

友達「核はアメリカが直接はロシア攻撃してこないことを保証している。allthe worldwill suffer from that(注:どう解釈すればいいかからなくて訳せない)

増田日本核武装するんだろうか」

友達「しないと思う。日本第二次世界大戦ときにいくつか間違った選択をした結果、自身アメリカ奴隷とすることになった。もし何かが日本攻撃しても、日本アメリカを待たなければいけない。これで日本傀儡国家として使われる可能性が生まれ、また攻撃されても核は使ってもらえない可能性もある。しかし私は、日本アメリカと仲良くしている限りそんなことは起こらないと思っている。

あと、ロシア日本要求することは特にない。日本はKuril Islandsなどいくつかあるだろうが」

増田北方領土渡しちゃったらしいからそりゃ要求ないだろうね。

●●さんが政治家だとしてあの島欲しかった?」

友達「正直なところ私はその島々を日本に返したい。

まず、ロシアはすでに広いし島の使い道もない。

次に、日本には土地必要だろうということ。

そして、返還ロシア日本の間に平和をもたらすだろう。私たち第二次世界大戦の後まだ公式に和平を結んでいないのだから

増田ロシア土地というより不凍港が欲しくてあの島を求めてたと記憶してるよ」

友達そうかもしれない。でもやはりあの島々は日本に還るべきだ。なにしろ日本領土なんだから

増田「そう(そりゃ●●さんは日本の得になるようにしたいだろうよ)」

増田「ところで日本がした間違った選択って何?」

友達ドイツの側についたことだ。ソ連のほうが大きくて軍事的に強かったかドイツでさえ最初ソ連側につこうとしていたくらいだ。

これでソ連中国など敵に囲まれることになった」

増田ドイツイタリアの側、じゃないの?」

友達日本イタリアとはあまり関わっていない」

増田イタリアドイツ日本枢軸国と習ったのに」

友達イタリアほとんどヨーロッパ内部だけで戦っていた。実はイタリア第二次世界大戦の準備をしていなくて時代遅れの兵器しかなかったのでドイツが代わりに供給することになった。そしてその後イタリアソ連についたので日本とは関係ない」

増田「そう。むしろドイツアジアでいろいろやってたのが驚き」

友達「私も日本ドイツ側を選んだのは意外だ」

友達「当時の日本はとても残酷暴力的軍国主義で、中国韓国との関係が悪かった」

増田アメリカ中国の味方だったかアメリカ側にはつかずにドイツと組むしかなかったらしい」

友達「そうみたいだね」


あとネトゲの話の続き

増田「残念だけど外国人が嫌われるのは仕方ないから諦めなよ。私のやった日本ネトゲでも迷惑プレイヤー外人と呼ぶことはよくあった。だから日本に期待を寄せるのはやめるんだ」

友達「▲▲-san

友達「今まで私が日本について調べなかったと思う? 

日本人が他の人たちより外国人嫌いなのは知ってるよ。

でも今やそんなことはどうでもいい、どうせロシア人はどこの国でも求められていないんだ。

しかしたら中国は違うかもしれない」

増田「そう」



増田個人意見

ロシアでは年取った人間プーチン支持で、若い人はネットをやってたり英語を知ってたりしてプーチン反対戦争反対が多い。この友達もまだ若い

これには良い点と悪い点があると思っている。

良い点はもちろん、これから未来を担う人間民主主義社会指向していること。

悪い点は、ロシアの現状にほぼ関与していないのに責任を負わされた人々は不公平だと強く感じるだろうということである


ウクライナで成人男性出国禁止したのは非情だと思っている。国のために命を捨てる覚悟の人は法律なんかなくとも勝手に残るんだからこの法律は逃げ延びて生きたかった人にしか作用していない。これについて「ウクライナだって必死なんだから仕方ないだろう」とのんきに言っている人は、罪もなく侵略されて逃げたい人の必死さをなんだと思ってるんだろう? あともちろん性差別だ。

……とはいえこれで逃げた成人男性と残った成人男性確執は生まれないだろうと思えば悪くないかもね。

女性子供は知らん。


ウクライナロシア人種文化言語もかなり似ているから、ロシア的なものが嫌われればよっぽどうまくやらないかぎりウクライナの人々もとばっちりを受けるのでどうやるつもりなのか気になっている。

たとえば友達ネトゲロシア語を使うと罵倒されると言っていたが、同じくキリル文字を使うウクライナ語も混同されてやられているんじゃなかろうか?と思っていたらやはりそうらしい。


陰謀論にだまされる人間とだまされない人間を「自分特別人間になりたくて」とか「コツコツ勉強してる人に一瞬で優位に立てるから」などと精神的な問題理解するのは間違っていると思う。これはひとえに掴んだ/掴まされた情報結果的に正しいかどうかが決め手だ。掴んだとき人格精神状態など情報の正しさには無関係だ。考えてもみてくれ、ロシアプロパガンダメディアに染まっていた人がある日ネットを見て外のニュースを知ったときのことを。このときこの人が「コツコツ情勢を学んできた人に一瞬で逆転できた」と優越感を感じないだろうと思えるだろうか?

普通大人普通マスメディアに広く支持されている穏当で地味な情報を取り入れていればまともな知識が得られるのは普遍的なことじゃなくて限られた時代限られた地域の人だけの特権だ。


・「自分正義だと思ったとき人間もっと残酷になる」この言葉は素直に飲み込めるときには不要どころかむしろ有害だと思っている。

Permalink |記事への反応(5) | 22:05

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2022-03-07

anond:20220307210906

正直ロシア文学ワンパターン感が出てくるのではないか

Permalink |記事への反応(0) | 21:57

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

自国経済を致命的なレベルで壊滅させて人を殺してでも国を愛し最後まで頑張ったプーチンと彼を支えた当時のロシア人の姿、

22世紀ロシア国史教科書では読んだ教師も思わず涙を流すほどのロシア文学の精緻を尽くした記述がなされそう

教科書執筆陣のノーベルロシア文学賞とロシア平和賞の同時受賞さらにはロシア経済学賞とのトリプル受賞すらある

Permalink |記事への反応(1) | 21:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2021-12-22

悲報調子乗って買った極薄加工でないオートミールがモソモソしてる

普段食べてる極薄クラッシュタイプが早くてクセがなくてドロドロしてたので

正直もうちょっとゴロっとしたものでもいいかなと思ってトラディショナルタイプを買った

想定としては余ったビタバァレーをスープに入れたみたいなので、つぶつぶもちもちまるまるしたやつである


結論としてはエビの味が一切しないアミエビを口いっぱいに頬張る体験みたいな感じであった

なるほどこれならロシア文学も納得の食いにくさである

これしか食べるものがないのなら仕方なく食べると思うのだがいま令和やぞ

Permalink |記事への反応(0) | 18:06

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp