
はてなキーワード:レファレンスとは
この文章は、はてな匿名ダイアリー(通称「増田」)での議論を通じて、現代の知識獲得における根本的な問題を浮き彫りにした興味深い思想的対話です。
ポール・グレアムの『ハッカーと画家』から始まり、道徳の相対性、プラグマティズム、アフォリズム、そしてAIツールへの依存といった複数の哲学的テーマが交錯しています。
最初の投稿者は、ポール・グレアムの『ハッカーと画家』の「第3章 口にできないこと」から着想を得て、道徳には流行があるという洞察を提示しています。
この章は、時代ごとのタブーや偏見について考察したもので、現在の「正義」も将来の人々から見れば時代錯誤に映る可能性があると指摘しています。
投稿者はこれを芥川龍之介の『侏儒の言葉』の「道徳は便宜の異名である」「道徳は常に古着である」という表現と結びつけ、道徳の相対性と実用性を論じています。
芥川のアフォリズムは、道徳が絶対的な善悪ではなく、社会の便宜のための「左側通行」のようなルールに過ぎないことを示唆しています。
ある参加者が「道徳は道具だからその仕組みと使い方に熟練しなければならない」というプラグマティズム的解釈を提示すると、
別の参加者がAIに相談し、「これはプラグマティズムよりもアフォリズムだ」という回答を得て反論を試みます。
プラグマティズムは真理を実用性や実践的効果で判定する19世紀アメリカの哲学思想であり、
一方でアフォリズムは短い言葉で本質を突く表現形式を指します。
この混同を契機に、議論はAIツールの使用方法と問題点に焦点が移ります。
批判者は、理解していない概念をAIに丸投げして反論した気になる行為を厳しく糾弾しています。
この批判は、現代の情報社会における重要な問題を指摘しています。
批判者は、「検索エンジンだけ手にしても情報評価能力やレファレンス能力がない人間は何もできない」と指摘し、AIツールについても同様の問題があると論じています。
AIは「面倒な作業を愚直に高速でこなす秘書」であって、「自分の分からないことを考えてくれる魔法の道具」ではないという区別を強調しています。
興味深いことに、擁護側は「検索エンジンやAIに頼ることが新しい道徳になっている」と反論し、
これによって議論の本題である「道徳の流行性」が現実的な問題として浮き彫りになります。
確かに、現代では知らないことをすぐに検索で調べることが当然視され、
それを「間違っている」とは考えない社会規範が成立しています。
この議論は、増田(はてな匿名ダイアリー)という匿名掲示板の文化的コンテクストでも理解する必要があります。
増田は「在りし日のインターネットの生き残りのような殺伐とした場所」として機能し、
他方では相手を「バカ」「死んだほうがいい」と罵倒する言説が共存している状況は、
最終的に、この議論が浮き彫りにするのは知的探求における姿勢の重要性です。
同時に、理解していない概念を使用することの危険性も明らかになります。
批判者が指摘する「情報を評価できない、レファレンス能力がない人間」の問題は、AIツールの普及により一層深刻化する可能性があります。
ツールの利便性に依存することで、批判的思考や概念理解の能力が低下するリスクがあるからです。
AIや検索エンジンへの依存が「新しい道徳」となる一方で、従来の知的労働や深い理解を重視する価値観との間に摩擦が生じています。
どちらが「正しい」かを判定する絶対的基準は存在せず、時代の変化とともに価値観も変化していくという、まさに最初の問題提起が現実化している状況です。
ある章が特に技術的な内容じゃなかったんだけど、結構印象残ったからメモ
要約するとこんな感じの話。
その時代に流行ってる道徳って、みんな絶対的な「善」だと勘違いしがち。
でも、昔の人が本気で信じてたこと、例えば天動説を今の自分らが見ると馬鹿馬鹿しいって思うみたいに、今の俺らが信じてる「正義」も、後世の人達から見たら「あの時代の人たち本気でこんなこと信じてたの?アホやん」って思われる可能性が高い。(後略)
https://anond.hatelabo.jp/20250923220146
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真理は不朽のもので、それゆえにより簡潔で明快な形で既に語られているものだ
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そこに書かれてるのは道徳は道具なのでその仕組みと使い方に熟練しなきゃねというプラグマティズムだ。それを「不朽の真理」とか言い出す時点でなんもわかってないw
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そうなの?AIは、これはプラグマティズムというよりかはアフォリズムだよ、と言ってる。それが正解なら真理という言い方は全然間違ってないよね
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何言われてるかもわからんのにAIに泣きついてなんか反論した気になるとか
バカの底が抜けてんだろw
「プラグマティズムよりアフォリズム」って何だ?それらが二律背反の何かだと思ってるのか?
「何だ?」と質したところでAIがたまたま吐き出したフレーズでしかないという…
「アフォリズムだから真理だ〜」とかいうのはバカがじぶんでかんがえたのか?なんだそりゃ?バカすぎだろ。マジで死んだほうがいいわコイツ
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いやそうではないだろう。
自分が知らないことでも、今の人達は検索エンジンを頼りにして答えるし、それをことさらに間違っているとは考えない。
君のように、話のテーマと実際の会話をシンクロさせることが出来ない人のほうが知性を感じないよ。
無理をしているのは君なのでは?
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そうなんよなあ。
質問サイトにはおまえみたいななーんも知らん寂しいオッサンが張り付いて
新着質問にググって出たことを片っ端から「回答」してしまうもんだから
情報を評価できない、レファレンス能力がない人間が検索エンジンだけ手にしても何も出来ないのに、バカ過ぎて「調べればなんでも分かるんだ」という全能感を持ってしまった。
で、AIだ。
生成AIは面倒臭すぎる作業を言いつけるがままに愚直かつ超スピードでこなしてくれる秘書なんだけど、バカはじぶんのわからないことを考えてもらえる、正しい判断をしてもらえるまほうの道具だと思ってしまう。
バカに便利すぎる道具を与えても使いこなせないし、間違った万能感を持ってしまう。
ほんと死んだほうがいいよ。
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なんにしろ君みたいな論破バカには、あんまり時間を使わないことにしてる。
それが僕のプラグマティズムだ。
AIの解説をもとにして書いてるだけだから、プラグマティズムとアフォリズムの言葉の使い方が間違っていたら、ご容赦を。
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「なんかAIさまがそんな感じのこと言ってただけなんで、オデはなんにもわからないんで」
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うん、それは、まあ、いわゆる、ブーメラン。 では。
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何がどうブーメランなんだよ糞げエジw お前にはくやしがる資格すら無ぇんだよw
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馬鹿いじりの記録は自分にとって情報価値はないのでレスバの類はほぼ無条件に日々の“整理”の対象である(積極的に削除しないと自分のエントリを見返すのが事実上不可能になり、考えたことメモとしての機能を失う)のだが、コレはAIと馬鹿の不幸な関係のサンプルとしてわかりやすいので、なるべくじゃまにならないようまとめておく
ChatGTPを根拠にするならDeepResearchか、せめてo3+Web検索くらいは使って欲しい。
今回はo3+Web検索なので出典URLは最小限に留められたが、DeepResearchであればURL付きで出典リストまで示してくれる。
Prompt:以下の投稿のファクトチェックをお願い。根拠となる資料のリンクを必ず含めて。出典が示されていないWebページの記述は無視すること。■[元増田コピペ]
以下では 「刑務所の年間コストはいくらか」「生活保護の年間コストはいくらか」 を、公開されている一次資料・公的統計に基づいて検証し、投稿内の数値( 「刑務所 300〜400 万円」「生活保護100〜150 万円」 )と照合します。結論を先にまとめると――
最新の国の支出規模を用いて試算すると、
▸刑務所(矯正施設)… 1人あたり約 4.7 〜 5.0 百万円/年
▸生活保護(国庫分のみ)… 1人あたり約 1.8 百万円/年
▸生活保護(国+自治体)… 1人あたり約 2.4 百万円/年
したがって、投稿の「刑務所 300〜400 万円」「生活保護100〜150 万円」という値は どちらも過少 であり、「刑務所の方が高い」という方向性は正しいものの、差額は投稿が示すより小さい ことが分かります。
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| 項目 | 最新データ | 出典 |
| -------------------- | ----------------------------- | ------------- |
| 刑事施設関係予算(2022年度) | 1,977 億円 | 法務省矯正局パンフレット |
| 年末受刑者人員(2022年末) | 35,843 人(受刑者)/41,541 人(被収容者計) | 『令和5年版犯罪白書』 |
### 年間コストの試算
1,977 億円 ÷ 41,541 人 ≒ 4.76 百万円/人・年
(受刑者だけで割ると 5.52 百万円/人・年)
* 参考までに、法務省資料には “生活費分” として 1人 1日 2,179 円 という数値(年換算 約 80 万円)も併記されているが、これは食費などの「直接費」だけで、職員人件費等は別。
*研究・講演資料では「年間 300〜320 万円」という引用もしばしば見られるが、それらは上記の直接費部分だけを抜き出して概算した値であることが、国会図書館レファレンス や日立財団講演資料 ([hitachi-zaidan.org][1]) でも確認できる。
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| 項目 | 最新データ | 出典 |
| ---------------------------- | ----------------- | -------------- |
| 生活保護費国庫負担金(2022・令和4年度当初) | 約 3.7 兆円(国が3/4負担) | 厚生労働省資料 |
| 被保護実人員(2022年度月平均) | 2,024,586 人 | 厚生労働省「被保護者調査」 |
### 年間コストの試算
国負担分 3.7 兆円 ÷2.02 百万人 ≒ 1.83 百万円/人・年
国が3/4、自治体が1/4を負担するため、総事業費ベース では
3.7 兆円 ÷0.75 ≒ 4.93 兆円 → 2.44 百万円/人・年
- 県資料でも「1世帯あたり年間2,063 千円(月額17.2 万円)」という実績値が報告されている 。
- 単身高齢者の現金給付部分(生活扶助+住宅扶助)は概ね月7〜9万円(年80〜110万円)だが、医療扶助が平均でほぼ同額上乗せされるため、現金給付額だけで全体コストを論じるのは不完全。具体的な扶助基準例は厚労省Q\&A や各労働局資料 で確認できる。
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| 区分 | 投稿値 | 公的データによる試算 |
| ------- | ---------- | ---------------------------------- |
| 刑務所コスト | 300〜400 万円 | 約 470〜550 万円(全額) |
| 生活保護コスト | 100〜150 万円 | 約 180 万円(国負担のみ)〜 240 万円(国+自治体) |
規模感 : 最新の統計を用いると、刑務所 :生活保護=約2 : 1。投稿の「約3 : 1〜4 : 1」は過大。
原因 :刑務所側は人件費・施設費が大きく、生活保護側は医療扶助がコストの約半分を占める。直接給付だけを比較すると差が開き過ぎるので注意が必要。
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## 4. 信頼できる情報の探し方
1.刑務所コストは法務省矯正局の予算資料・犯罪白書に集約されている。
2.生活保護コストは厚生労働省「生活保護費負担金(予算)」と「被保護者調査(実績)」を組み合わせると1人あたり金額を計算できる。
3.二次情報(個人ブログ等)は、公的統計のどの部分を引用しているか必ず確認する。出典の無い記述はエビデンスとして用いない。
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5.日立財団シンポジウム資料 ([hitachi-zaidan.org][1])
6.厚生労働省『生活保護制度の現状について』(3.7 兆円)
8.沖縄県資料「生活保護費の実態」(世帯年額 2,063 千円)
10.鹿児島労働局資料「最低賃金と生活保護費比較」(扶助基準)
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### まとめ
[1]:https://www.hitachi-zaidan.org/mirai/01/symposium/presentation02-03.html "高齢者の犯罪における加害と被害 -日立財団"
「どうすれば女が下方婚(自分より低い経済的・社会的地位の男と結婚)するようになるか?」って話だが、結論から言うと、選好(プレファレンス)とインセンティブ構造をぶっ壊せばいい。
まず、女の学歴・所得水準が上がりすぎた結果、「上方婚できる男が市場にいねぇ」という現象が起きてる。
供給が足りねぇんだよ。高スペック男子の市場価格が高騰、希少価値が暴騰中ってわけだ。
ここで提案だ。
女の所得や教育レベルが爆上がり → 男のスペックを妥協せざるを得なくなる。
逆に、男の地位が下がり、下方婚が「普通」になれば、「選好」が変わる。
つまり、「みんな下方婚してる」→「私もそれでいいか」ってナッシュ均衡に持ってければいい。
ベーシックインカム導入 →男性の経済力差を縮小 → 女にとっての「リスク」が下がる
婚活補助金・共同育児制度の充実 → 「この程度の男でも育児分担するならいいか」心理を誘導
マッチングプラットフォームのアルゴリズム操作 → 上位男性にアクセス制限、均等分配
スイカと桜が同じ季節にあって、米俵を土嚢に使って、四角い畳で武将が正座ってる、派手な鎧で街中歩く世界線から強弁かよ
別の世界線の人に説明してもしゃーないが、史料は割と今どきはオンラインでも見れたりするのは、覚えておくと良いよ
群馬県立文書館 のレファレンス事例紹介コーナーによると『くろほう』について下記の回答
問12群馬県立文書館所蔵の古文書に、黒人と思われる「くろほう」という記述があるとききました。それは事実でしょうか。
栗間家文書(P00101)のNo1「年未詳加藤清正書状」(下川又左衛門ほか宛)には、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てきます。そして2021年3月30日にNHK BS4Kで放送された「BlackSamurai信長に仕えたアフリカン侍・弥助」の中で、日本大学准教授のロックリー・トーマス氏がこの文書に出てくる「くろほう」こそ、織田信長に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかと、述べられています。まず文書館内では、この「くろほう」をこれまで全く黒人として認識しておらず、トーマス氏のご指摘に驚いています。実は、この「くろほう」が弥助かどうかはともかく、黒人と推定する見解は以前からありました(中島楽章氏「16世紀九州末ー東南アジア貿易」『史学雑誌』118-8号ほか)。 ただし現時点では、この文書の1カ所にしか出てこないため、断定は難しいと思われます。例えば、『源氏物語』にも「くろほう」という言葉が出てきますが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本の古典で頻出しているようです。また、当館文書を読むと、人間ではなく、物を指す記述と見た方が自然ではないか、という意見も係内で出ています。以上より、現時点では「くろほう」を直ちに黒人と即断するのは難しいのではないか、というのが当館古文書係の見解です。
このような状況を憂慮し、秀吉はキリスト教宣教師の追放を命じた。高山右近も、キリスト教信仰のために領地を没収された
追放されるキリスト教宣教師たちへの配慮として、帰国の費用として米1万俵が与えられた
九州御国分之次第
https://khirin-ld.rekihaku.ac.jp/rdf/nmjh_kaken_medInterNationalExcange/E14585
こっちなら付き合うぞ
ローカルでテキスト・画像生成のモデル動かしてみようをそのうち書こうと思うけど、Windowsアーキテクチャの簡単な説明欲しい?
コア分離あたり。ほかにも欲しいのがあれば書いとくけど
というか、Ubuntu、Ubuntu 騒いでる子がいるが、そもそもPCにWin11/Win10入ってるか?
(Windows +DockerDesktop :バックエンドWSL2Ubuntu の予定。なお、YouTube に構築動画が無限にあるぞ)
行政職司書資格なしで市町村職員になって図書館に異動になった者だけど、確かに配属前に自分が思っていたより専門性はないかも。なぜなら司書職員がやるのと同じ仕事を自分を含めた無資格の職員もやっているから。
最終的には一応司書職員のチェックを受けるけど、無資格の職員が資料の選書をするし、除籍をするし、レファレンスの回答もしてる。
資格取ったほうがいいんだろうなとは思うけど、資格取得の費用が助成されるわけでも、給料が増えるわけでもないし寧ろ資格を取ることによってずっと図書館から出られなくなる可能性もあるので取らずにいる。
司書職員がしてくれている最終チェックも、専門的な知識がないとできないと思う(自分は貴重な資料を除籍しそうになったが司書職員が気づいてくれて事なきを得たことがある)ので、そういった判断材料となる知識を深める機会が必要だと思うし、無資格行政職と給料が変わらないのはどうにかならんのか……と思ってる。人の生死に関わらない自治体業務だから、後回しにされがちなのかもしれないけど……
今IT技術が発展して過去は図書館司書に最も求められるものだったレファレンスが必要なくなっちゃったんだよな
図書館司書自体が無駄になったとは思ってはいないけど、それだけではあまり意味がなくて、他の資格との掛け合わせで生きるものなのかなと思う
市町村レベルなら正直委託したほうが委託先のシステムも使えてアーカイブスにできるしメリットが大き過ぎる
委託先もたくさんあるしね
選書だけはセンスいると思うけどこれも委託して規模のメリットを生かしてもらった方が正直いい
レファレンス能力が必要になり市民ニーズが高いのは子供の学習支援の時と思うけど、それはどちらかというと教諭経験者がやったほうが良いし、現状だと専門分野については博物館の学芸員の方が優れているまである
博物館の学芸員が図書館司書を取るメリットは大きくて郷土資料の収集の選書ができるというのは非常に大きい
郷土資料は専門性が必要なので個人的には図書館司書の専門性では不足してると思う
逆に、人名辞典に載ってない郷土の人物などを、辞典や地誌など基本的な資料以外から、記憶や所蔵資料目録などをヒントに見つけることが専門的なレファレンスだと思う。
図書館司書の非正規問題について昨今取り沙汰されているのを見る。
ざっと見た感じの問題点は、優秀な専門職が安月給で酷使されているということと、技術の継承が行われないということ。
私は先日、正規の図書館司書職を退職した。理由は、専門的な業務に従事したいという当初の動機と実際の現場が異なっていたところ。つまり、現場職員の専門性の低さに絶望して辞めた。
・30代
「優秀な専門職」と言うのは、何も知らない外野か自分たちを大きく見せたい現職だけ。図書館司書なんて単位を取ったら誰でも資格を取れるので、その資格一つで医師や教員のような実務実習を伴う国家資格と並べると思っているのが恥ずかしい。(課程の図書館実習は任意なことが多いし、たかだか一週間程度で比較にならない)
そして、専門職の専門性が発揮できる分野としてレファレンスが挙げられるが、これはレファレンスの難易度による。例えば、地域の「◯◯という地名の由来が知りたい」というレファレンスを受けたとして、まず地名辞典を見る。地名辞典になければ地方が発行してる地誌を見る。どちらかにはだいたい載っている。これの何が専門性だというのか。こういう定型化されたレファレンス対応について、口を大きくして専門性だの専門職だの言っていることが多い。逆に、人名辞典に載ってない郷土の人物などを、辞典や地誌など基本的な資料以外から、記憶や所蔵資料目録などをヒントに見つけることが専門的なレファレンスだと思う。このような真の専門的なレファレンスをできる人物がどれほどいるのか。私が勤務していたところでは、非正規職員は誰もできなかった。正規職員も半分以上できてない。
能力によって給与が異なるのはどの世界でも一緒で、非正規職員が非正規の待遇であるのは相対的な能力不足から当たり前のことであると思う。正規職員でもできてないのだから、そんな大きな声で「専門職の待遇改善をー!」なんて言える状況じゃない。そして、優秀な人間、例えば某国立図書館では正当な待遇が与えられていると思うし(ちなみに某国立図書館の応募資格に司書資格は必要ない。この点から司書資格の不安定さが伺える)、地方の優秀な人間は現状に見切りをつけて出て行く。
何度も職員の意識を変えようとしたけど凝り固まった40代後半以上の頭は変わらないし、上司層が変わらなければどれだけ下から頑張っても現場は変われないし、疲れた。非正規職員も、正規職員ですらも、基本的なコミュニケーションすらできない人がいるし(聞かれたことに答えられない、処理能力が低いなど)、現状維持ばかりで新しいことはせず、ただ自分の世代が円満に終わることばかりを考えている。こんなの一般企業の事務職ですら無能扱いだろう。一般企業で使い物にならないレベルの職員でも、一度公務員になってしまったら解雇はできない。そんな人たちがただの肩書きだけで「専門職ー!」と叫んでると思うと悲しいものがある。図書館司書の知識は年々新しいことが増え司書課程の内容も更新されていくが、大昔に司書資格をとった現状維持ばかりのおじさんおばさんたちは自分の頭を更新しようとしないので、なおさら「専門資格とは?」と思う。
図書館司書の世界では、募集の少なさもしばしば取り上げられる。募集もたくさんあるし、優秀な人は普通に就職できる。(気になる人はJLAの採用情報ページを見てみてね)40歳まで受けられるところも多く、年齢制限がないところもあり、他の公務員よりだいぶ応募資格が緩くなっている。それで若手をとろうが経験豊富な人材をとろうが、それはその館の方針によるので知ったことではない。挑戦し続けて正規職員に合格する人もたくさんいる。つまり、機会は開かれているのに挑戦しないことに問題があるし、たくさんチャレンジして受からないのであれば本人の能力の問題であろう。能力が足りなくて受からないなんてことは他の業種でも同じで、何も図書館司書に限った話ではない。それを何でそんなに特別に大々的にアピールできるの?と思う。他の業種でも、能力が足りないけど続けたいなら待遇を落とすしかないし、諦めて他の業種に行くだろう。それと同じ。
思いつくまま殴り書きしたので読みにくくてすみません。私が言いたいことは、周りが言うほど図書館の専門職に価値はないこと、専門職の中でも専門性にグラデーションがあること、能力に応じて待遇が変わるのはどの世界でも当たり前で現状に違和感はないこと(非正規職員のこと)、待遇を変えたところで職員あるいは職員の意識を変えないと半永久的な技術の継承は不可能なこと、です。40代後半以上の人たちを見て、ここにいたらこうなってしまうと思って辞めた。
こんなに読んでもらえるなんて思ってなかった。たくさんの反応ありがとうございました。いろんな意見があって面白かった。
◯タイトルと内容が違う。非正規職員の雇い止め等はどうなのか。正規職員にとって非正規職員はどうでもいいように見える。
どうでもいいです。非正規待遇が嫌なら正規になればいいし辞めたらいい。いわゆる氷河期世代など新卒時の社会状況に言及する人もいるが、正規職員の多くは中途採用(非正規職員経験者)です。社会のせいじゃない。昨今の非正規図書館員の話題を見てると、現状を変える気力や能力がないくせに空っぽの「専門性」を笠に着て「かわいそうな私たち」を演出しているだけのように思う。元職場でも組合から非正規雇用の待遇改善の署名がよく回ってきてたけど、バカだなって思ってたし一回も署名してない。私が見ていた世界では、前述の通り非正規職員の専門性なんていうのはまったくなかったので、辞めても職場や社会にとって問題ないと感じた。
私の元職場の管理職や上司は、個人の能力如何ではなく「図書館司書資格があること」を重要視し、「図書館司書資格保有者の職員数を確保すること」に専心していた。無能でも資格さえあればいいみたいな。私は資格なんていらないから優秀な人間と働きたかった。今は転職して、求めていた環境に身を置けて嬉しい。
タイトルと内容は少し違っていたかもしれません。すみません。私が図書館司書の非正規問題に触れる時、その前提にある専門性の具体的な話が出てこないように見えたので、こういう話になりました。
郷土資料は必要で、各地域の図書館が郷土資料を収集することで全国的に郷土資料を収集保存できる仕組みがある。それは大事だなと思う。場所や予算は限られているのでその限られた状況でどういう資料を収集するかといった選書にも、職員の専門性が不可欠。専門性はほとんどが属人化するから、それを半永久的に継承していくべき。実際に働いてみて、この辺はロボットやAIには難しいと感じた。
郷土資料を含む図書館資料の必要性で言えば、例えば陰謀論とか根拠のない噂話が力を持った時など、正しい情報や情報の比較検討に役立つ。図書館では全ての人がその機会を得られる。ググれば簡単な情報は出てくるけど、やっぱり紙の資料の量や質とは比にならない。少しでも調査研究をしたことがある人はわかると思うけど。
図書館は国民、県民、市民がユーザーなので、ユーザーから「図書館なんて必要ない、AIやロボットでいい」と言わしめてるこの状況を、図書館司書や図書館制度が変えていかなければいけないと思う。
私は前述のような現実に辟易していたので、一部の優秀な人間のみ残して専門性を保持し、あとの無能な正規職員と全ての非正規職員は指定管理に変えたらいいと思ってる。元職場でも一部指定管理が入っていたが、図書館業務のほとんどを占める定型化された業務なんて誰がやっても同じだし、むしろ公務員的な頭のかたさがなく新しい視点で物事を考えられるところはこれからの図書館運営に必要なのではと思った。無能は切り捨てられそうだし。図書館正規職員(公務員)の働かないおじさんおばさんや無能も切り捨てられたらいいのに。そしたら現場のモチベーションも上がるし優秀な人間も集まるかもね。
◯都道府県立図書館と市町村立図書館では非正規職員の職務が違う。(=後者では正規職員と同じような仕事をしている。)
市町村立図書館ならなおのこと、誰でもできる仕事ばかりです。図書館のあり方に関われるのは多くが館長レベルで、日常的な貸出、返却、選書(都道府県立と違って保存より利用を重視した選書)、目録(市町村ではほとんどがTRC流用)など、逆にどこに専門性があるか教えてほしい。
現職の人はこんなチラ裏に青筋を立ててないで、「図書館なんかいらない」って言わせないように頑張ってください。図書館や司書の存在意義を評価するのは仲間内じゃなくてユーザーですよ。内輪でヨシヨシしあってても意味ない。
◯コメントより抜粋「図書館司書は今の情報化社会に負けないよう専門性や職域を高めないと相対的に価値は低くなる」「専門性を定量化し、カテゴライズやレベリングを行うのは、業界のスキルアップだけでなく、権威づけや地位向上に必要」
私は図書館司書の専門性のなさと図々しさに嘆いてたばかりだけど、本当にその通りだと思った。現状に即してよりよくする方向に考えられるのがすごいと思った。
Permalink |記事への反応(24) | 11:33
図書館のリファレンスサービスを初めて使ってみたが素晴らしかった
日常の素朴な疑問を調べるのが趣味なのだが、調べもののプロはやはり違うなと感じ入った
今回調べてもらったのは「月の都」について
「竹取物語が書かれた時代だと月が球状の天体だという認識ではなかったはずで、だとすると天体の地表に月面都市があるみたいなイメージではないはずで……だとすると月の都って、月のどこにあるんだ?」
みたいな疑問が解決するような本ってありませんか?と問い合わせた
この疑問は半年くらい前からこつこつネットで論文を検索して読んだり自力で本を探して読んだりしていたのだが、どうにも解決できなかったものだ
以前からリファレンスサービスは利用してみたかったのだが、図書館ちょっと遠いし……メールで聞くのも質問の細かいニュアンスが伝わら無さそうで嫌だし……電話で聞くのもなんか嫌だし……みたいなやらない理由をこじつけていた
一週間ほどで回答のメールが返ってくるらしく、毎日メールボックスを頻繁に覗いてドキドキしていた
しかし一週間を過ぎても返信は返ってこず
注意書きに書いてあった「お答えできない質問」の基準に抵触してしまったかもしれない、と落ち込んだ
しかしメールを出してから十日後、回答メールが来て嬉しくなってしまった よかった~
さて内容を確認すると「調査しましたが解決しませんでした」 ずっこけ
そう、結局この疑問は解決しなかった
しかし私は素晴らしいと感じ、とても満足していた
「どのように調べた結果解決しなかったか」の経緯を回答メールに記載してくれていたからだ
この調べ方を真似すれば次からは自力でもより効率的に事を運べるだろう
反省もした
「月の都は月のどこにある」という疑問は……ふわっとした疑問だった 調べにくい疑問
これは「当時の人は月をどのような大きさ、形、また何処にあると解釈していたか」という疑問を踏み台にして「月はこういう大きさでこういう構造という理解なら、月の都はそれのどこにあるのか」という二段階の問い合わせが必要だったんだよな……
前者の疑問までは須弥山世界で調べれば一応はわかるのだけれど(そして司書さんもそれはわかっていたようだ)
あっ 今思いついたが「須弥山世界図で月の都が描かれたものはある?」という質問の仕方をすればよかったのか?
ここはまだ未調査の領域だ、とりあえず自力で調べて……手詰まりになったら再問合せも視野に……
司書さん的には「須弥山世界図が描かれた資料をありったけ見せてくれ」の方が楽なのかしら これは実際に司書さんにどっちの聞き方が好ましい?と聞いてみるか
「お答えできない質問」に抵触するかもしれないというのがここなんだよな……図書館によっては「研究の手伝いは出来ねーぞ」みたいな注意書きが書かれているのを見かけたような気がしている
日常の素朴な疑問を、司書さんの真似事をして自力で調べるのが自分の趣味なんだなあ(司書ワナビー……ってコト?)
その調べた内容というか、調べる過程を日記メモ的にたまに匿名はてなダイアリーにも書いているが
自分で調べて調べて……これ以上は手詰まりとなるシーンが今後もあるだろう
一度使ってみて上手くいったから二度目はもっと気軽に問合せメールの送信ボタンを押せるに違いない
次に調査をお願いする内容はもう決まっている
「日本の最高峰が新高山から再び富士山となったとき、『富士山が再び最高峰となって嬉しい』のような反応はあったのだろうか?」
という疑問を質問するつもりだ
逆の「最高峰が富士山から新高山になったとき、『富士山が最高峰じゃなくなって残念』のような反応はあったのだろうか?」に関しては自力で解決できている 実際にそのような反応があったようだ
当時の静岡とか山梨の新聞のコラム的なものを探せばありそうな気はするのだけれど、流石に自力じゃ無理だ
今の今まで勘違いしていたが「リファレンス」じゃなくて「レファレンス」なのか!?なんてこった……
終わり、日記です
『アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』と言い出したのは氏が初ではないかも知れないが、
氏が大手ニュースメディアのCNNで語っていた、『信長は弥助を神だと思っていた』『日本で最も有名な外国生まれの武士となった』
『ヤスケの仕事は一族の権力を守ることでした』(信長の首を守護し息子に届ける) の根拠はそれぞれそれなりに気になる
日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味があるよ
Africansamurai: The enduringlegacy of a black warrior in feudalJapan |CNN
When feudalJapan’smost powerful warlord NobunagaOda met Yasuke, a black slave-turned-retainer, in 1581, he believed themanwas agod.
Oda had never seen an African before. Andlike the locals inJapan’s then-capital ofKyoto, hewas awedby Yasuke’s height, build andskintone, according to Thomas Lockley, the author of “AfricanSamurai: TheTrueStory of Yasuke, a Legendary Black Warrior in FeudalJapan.”
“When Yasukegot toKyoto (with Jesuit missionaries), therewas a massiveriot. People wanted to seehim and be inhis presence,” says Lockley,who spentnine years researching and writing thebook, whichwas publishedlast month.
Oda believed Yasuke to be either a guardian demon or “Daikokuten,” agod of prosperity usually representedby black statues in temples. He tried torub the pigment from Yasuke’sskin, believingitwas blackink. Once convinced Yasukewas real, he immediately threw afeast inhis honor, says Lockley.
1581年、戦国時代日本の最も強力な戦国大名である織田信長が、奴隷から家臣となった黒人のヤスケに出会った時、信長はヤスケを神だと信じました。
「アフリカン・サムライ:戦国時代日本の伝説的黒人武士ヤスケの真実の物語」の著者トーマス・ロックリーによると、信長はそれまでアフリカ人を見たことがありませんでした。そして、当時の都であった京都の地元民と同様に、ヤスケの身長、体格、肌の色に畏敬の念を抱いたそうです。
「ヤスケが(イエズス会宣教師とともに)京都に到着した時、大規模な騒動が起きました。人々はヤスケを見たがり、彼の存在を身近に感じたがりました」と、9年の歳月をかけて研究し執筆した先月出版されたこの本について、ロックリーは語ります。
信長はヤスケを守護の鬼か、通常寺院で黒い像で表される繁栄の神「大黒天」のどちらかだと信じていました。信長はヤスケの肌の色素を擦り取ろうとし、それが黒インクだと考えていました。ヤスケが本物だと確信すると、すぐに彼の名誉を称える宴を開いたとロックリーは述べています。
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
氏が出演したNHKの番組でも下記のように"侍"と書いてるので根拠はあるのだと思う
Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助 |NHKBS
織田信長に仕えた黒人侍、弥助(やすけ)。イエズス会の宣教師に同行していた弥助を信長が気に入り、家臣に取り立てたのだという。2人の主従関係は「本能寺の変」によりわずか1年3か月で終わったが、その前後の弥助の足取りはこれまでなぞに包まれてきた。しかし近年の研究により、アフリカからアジア、日本へ到る弥助の人生が次第に明らかに。ハリウッドで映画化も進むなど、今世界中から注目を集める、弥助の生きざまに迫る。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009051309_00000
なお、『アフリカ人奴隷を使うと言う流行が始まった』という主張の根拠は、
京都国際観光大使で政府の成長戦略会議の委員も勤め、『中小企業であること自体が特権化している』
『子どもがいない専業主婦は脱税と同じ・社会インフラにただ乗りでモラルハザード』などなど
数々のありがたいお言葉を下さる、デービッド・アトキンソン氏によると、(アフリカ人奴隷の流行は)『資料にかなりあるけど』らしいです
日本人が知らない、少なくとも教科書では習わない事実なので純粋に興味がある
https://x.com/sessyun5021/status/1815008190398148816?s=61
ちなみ群馬県立文書館 のレファレンス事例紹介コーナーによると『くろほう』について下記の回答があるね
問12群馬県立文書館所蔵の古文書に、黒人と思われる「くろほう」という記述があるとききました。それは事実でしょうか。
栗間家文書(P00101)のNo1「年未詳加藤清正書状」(下川又左衛門ほか宛)には、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てきます。そして2021年3月30日にNHKBS4Kで放送された「BlackSamurai信長に仕えたアフリカン侍・弥助」の中で、日本大学准教授のロックリー・トーマス氏がこの文書に出てくる「くろほう」こそ、織田信長に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかと、述べられています。まず文書館内では、この「くろほう」をこれまで全く黒人として認識しておらず、トーマス氏のご指摘に驚いています。実は、この「くろほう」が弥助かどうかはともかく、黒人と推定する見解は以前からありました(中島楽章氏「16世紀九州末ー東南アジア貿易」『史学雑誌』118-8号ほか)。 ただし現時点では、この文書の1カ所にしか出てこないため、断定は難しいと思われます。例えば、『源氏物語』にも「くろほう」という言葉が出てきますが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本の古典で頻出しているようです。また、当館文書を読むと、人間ではなく、物を指す記述と見た方が自然ではないか、という意見も係内で出ています。以上より、現時点では「くろほう」を直ちに黒人と即断するのは難しいのではないか、というのが当館古文書係の見解です。
俺は人口10万人以下の地方で公務員をやってる。念願の博物館への異動が叶ったのに、クソ女のせいで異動になった。
美大を出て資格をとった俺にとって、希望した博物館への異動は願ったりかなったりだった。しかし、異動先には学芸員採用でそこに居座っていた上司とクソ女がいた。上司は変わり者だがさして問題ではない。問題はこの新卒2年目のクソ女だった。
まず、女は学芸員のくせに展示がズブの素人だった。俺は美大で展示の演出方法について学んだし、この女より確実に多くの美術館に足繁く通っている。とにかくこの女の担当展示がひどいものだった。空間演出というものを知らない。パネルに手製のへたくそなイラストを描いただけで満足しているようで、見るに堪えない展示だ。
それに加えて俺の持つ事務業務を手伝おうともしない。新人なら、事務や雑務も多くこなして早く仕事を覚えるべきなのに、このクソ女は時間を見つけては研究ばかりしている。展示に役立てようとしていたみたいだが、ならまず空間演出を学んだ方がいい。
これらのことを、本人や周りにも言っても改善される余地がないので、Twitterに職場のことを書きこんでいた。少ないながら、俺の書き込みには少ないながら現職学芸員や大学教授からの賛同を得た。
しかし、このTwitterアカウントが見つかったことで俺は異動になった。間違ったことは書いていない。大学で博物館学の教鞭を執る教授も、俺に賛同し、クソ女のことをバカだと言ってくれた。なぜ正当な批判をした俺が異動になって、無能なバカ女が博物館に居座るんだろうか。社会は、女に甘い。そういえば、クソ女は、一橋で表彰された(上司から聞いた)ことを鼻にかけて、無能のくせに一回り年上の上司にあたる俺に資料の触り方がどうだの、レファレンスがどうだのあれこれ言ってきた。挙句俺が取材を受けているときに、「それは間違ってます」とすぐさま野次をいれてきた。事実関係が間違っているなら、後から訂正すればいいだろうに、すぐさま否定することで俺に恥をかかせた。このでしゃばりで、物の順序も知らない無能のどこが優秀なんだかわからない。女だから大学の査定も甘いんだろう。まだ大学に通ってるらしいが、よほど甘い汁が吸えるのだろう。こんな能無しのバカに博士論文なぞ書けるわけがない。
俺も最初はこの女に甘くしてやった。そいつのために時間を割いて運転の練習を見てやるために公用車予約までしたのに、直前で具合が悪くなったとかでサボりやがった。思えばそいつは月一で頻繁に体調を崩す。崩す癖に職場に来て皆に心配をかけて目障りだから、ふたりきりのタイミングで注意してやった。自分の体調も管理できないバカに仕事が勤まるわけない。
せっかく学芸員になる夢をつかんだのに異動になったのは、すべてこの無能クソ女のせいだ。どうにか法律が許す範囲で報復したい。
憲法は同性婚を想定していないまでは同意なんだけどその先が色々おかしいところあるような。
法というものは社会の中で生きているものだから解釈は変わっていくというのは法学の基礎だと思うんだけど。
社会情勢の変化により憲法解釈を変更すべきとのこと。まぁ分からなくもないが裁判所がそれを言うのはどうなんだろう。
例えば有名な尊属殺重罰規定の違憲判断について、最高裁は「社会情勢の変化」などは理由にせず、「目的に対する法定刑が重すぎる」ことを理由にしている。(社会情勢の変化に対応するのは立法府との判断だろうか)
と言っているけど、他の違憲判決は社会情勢の変化を取り込んだ判決はあるよね。
婚姻外の日本人男性と外国人女性の間に生まれた子供に日本国籍を認めるかで争われた最大判H20.6.4は法制定時には一定の合理性はあったけど社会通念、社会状況等の変化で時代遅れになっているとして、違憲判決を下している。
「国籍法3条1項の規定が設けられた当時の社会通念や社会的状況の下においては……一定の合理的関連性があったものということができる。しかしながら,その後,我が国における社会的,経済的環境等の変化に伴って,夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係に関する意識も一様ではなくなってきており……社会通念及び社会的状況の変化に加えて,近年,我が国の国際化の進展に伴い国際的交流が増大することにより,日本国民である父と日本国民でない母との間に出生する子が増加しているところ……今日では必ずしも家族生活等の実態に適合するものということはできない。」
非嫡出子の法定相続分が嫡出子の半分であることが法の下の平等に反するかで争われた最大決H25.9.4では明確に昔は合憲であっても社会の変化で違憲に変わることがあると述べているよね。
「最高裁平成3年(ク)第143号同7年7月5日大法廷決定・民集49巻7号1789頁は……その定めが立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えたものということはできないのであって,憲法14条1項に反するものとはいえないと判断した。
しかし,法律婚主義の下においても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分をどのように定めるかということについては……時代と共に変遷するものでもあるから,その定めの合理性については,個人の尊厳と法の下の平等を定める憲法に照らして不断に検討され,吟味されなければならない。……婚姻,家族の形態が著しく多様化しており,これに伴い,婚姻,家族の在り方に対する国民の意識の多様化が大きく進んでいることが指摘されている。……当裁判所は,平成7年大法廷決定以来,結論としては本件規定を合憲とする判断を示してきたものであるが,平成7年大法廷決定において既に,嫡出でない子の立場を重視すべきであるとして5名の裁判官が反対意見を述べたほかに,婚姻,親子ないし家族形態とこれに対する国民の意識の変化,更には国際的環境の変化を指摘して,昭和22年民法改正当時の合理性が失われつつあるとの補足意見が述べられ,その後の小法廷判決及び小法廷決定においても,同旨の個別意見が繰り返し述べられてきた。特に,前掲最高裁平成15年3月31日第一小法廷判決以降の当審判例は,その補足意見の内容を考慮すれば,本件規定を合憲とする結論を辛うじて維持したものとみることができる。
……遅くともAの相続が開始した平成13年7月当時においては,立法府の裁量権を考慮しても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を区別する合理的な根拠は失われていたというべきである。 したがって,本件規定は,遅くとも平成13年7月当時において,憲法14条1項に違反していたものというべきである。」
ほかに医療技術の進歩で妊娠判断がやりやすくなったため、女性のみ再婚禁止期間が6か月あった民法規定を違憲とした最大判H27.12.16もあるよ。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=85547
というわけで、札幌高裁の判決で社会情勢の変化を要素に入れても突飛な考えではないということだね。そういう法解釈の仕方は間違っているという考えはあると思うけど、最高裁が一顧だにしていない独自解釈ありがとうございます。解釈ですべてと変えられると成文の意味がなくなるという指摘は同意できるけど、ここで言うことかという問題だね。
元増田はゴリゴリの文理解釈主義者っぽいので条文は一意に解釈して解釈変更はできないという立場かもしれないけど、そうではないというのが現実なわけで
国立国会図書館「調査と情報―ISSUEBRIEF―」No.1257(2024. 2. 6)の特集がちょうど同性婚と日本国憲法でざっとまとまっているのでこれを読んでみるよ。
これまでの地裁判決では、次の点が確認できると指摘されている。①憲法第24 条は、異性婚のみを保障範囲に含んでいるが、同性婚を禁止してはいないこと。②性的指向に基づく区別取扱いが合理的な区別か差別的な区別かが主たる争点であること。③憲法第24 条(特に第 2 項)と憲法第 14 条第 1 項の議論が相互に重なり合っていること。④いずれの地裁判決も同性カップルの保護のために何らかの法整備を求めていること。③については、憲法の各条項間の関係をどのように整理するかが問題となると考えられる。④については、地裁段階とはいえ、うち 2 つが違憲、2 つが違憲状態とし、合憲とした 1 つも将来的な違憲の可能性を指摘したとして、「国に今後の対応を促したものといえる」とする評価もある。(強調は引用者)
は強く言い切れるほどの根拠あるのかな。この札幌高裁だけおかしいとまでは言えないよね。いや学説は違うんだと言いたいのかもしれないけど、地裁が禁止説を取っていないってのも尊重されるべきじゃないかとは思うよ、まあ最高裁じゃないのでそんな参考にすべきじゃないと言われたらまあその通りでもあるけど。なかなか通説はどうとか確認しにくいので言い切られると違うとは言いにくいのが困ったもので、ちょっと古いけど下の総論でもそこまで言っていないよねで留めておきます。
藤戸敬貴「同性カップルの法的保護をめぐる国内外の動向 :2013年8月~2017年12月、同性婚を中心に」『レファレンス』₍2018.2₎
インターネット普及以前のきのこたけのこ戦争の歴史資料が見つからない
Wikipediaの「きのこたけのこ戦争 - Wikipedia」のページには
と書かれており、その出典は
きのこVS.たけのこ戦争ついに終結 「たけのこ党」が国民総選挙で勝利!「吉田沙保里とつくるたけのこの里」などマニフェスト実行へ(2018年9月11日)|BIGLOBEニュース
とされている
しかしこの引用元ページでそのような記述がちょっと見当たらない
「きのこの山・たけのこの里国民総選挙2018」は、約38年に渡り対立を続けていた「きのこ派」と「たけのこ派」の戦いに決着をつけるべく開催。
これか?この記述だけなのか?あるいは今は非公開になっているYouTubeの動画内で言及がされていたのか?
こういう冗談みたいな話題を調べるとき案外頼れるのがニコニコ大百科とかアニヲタwikiで凄まじい独自研究の長文が書かれていることもあるんだが、今回は両方ともネタに振り切ってしまっていて参考にならない
???「インターネット普及以前どうなっていたかって話なんだからインターネット上で調べてもわからないのは当たり前だろ」
それはそうなんだが、「この本にそういう話題が書かれていた」みたいな情報がぐぐったらなんかひっかかるかもしれないと期待したのだがな……
年末年始に実家に帰った時に両親に「1990年とかその頃から、きのこたけのこのお菓子のどっちが好きみたいな定番の話題ってあったの?」と質問してみよう
もちろんその話題は今みたいなミーム化した激しい論争(ごっこ)ではなかっただろうけど
しかしTwitterみたいなインターネットでこういう話をするとすーぐネタ混じりの対立煽り(ごっこ)みたいな話に話題がそれてしまうから困る
おそらくこんなニッチオブザニッチなテーマについてまとめた本はない(あったら嬉しいが)ので、個人のエッセイ本だとか日記本だとかコラム集みたいなものの中できのこたけのこ論争について言及したものを探す必要がある
リファレンスサービスつかってもいいが、あんまり使い倒すと出禁喰らいそうで嫌ね
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「○○の中で特に○○」みたいな意味で「○○オブザ○○」って言い回しするときのof theってどういう辞書的な意味なんだろうと気になってググったが、間違えてたか?
「○○the○○」が正しいか?Gガンダムの「ガンダム・ザ・ガンダム」って言葉が根拠だが……ちょっと根拠が弱い
勘だがジョジョの「ダービー・ザ・ギャンブラー」と同じ文法構造な気がする
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「a the b」でぐぐったら出てきた
5 [名詞または形容詞と固有名詞とを同格関係に並べるとき] 《名詞または形容詞+固有名詞の前》.
★このような場合,特に固定化したものには固有名詞が the+名詞[形容詞]に先んずることが多い.
・Jack the Ripper切り裂きジャック.
なるほど!アンドレ・ザ・ジャイアントとかジャック・ザ・リッパーもそれと同じ構造の例か……
じゃあ「ニッチ・ザ・ニッチ」って書いてしまうと誤用かもしれんなあ
率直にニッチ中のニッチとか単にとてもニッチとでも書くべきだったか
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いや待て、「王の中の王」と言うときは「king ofkings」じゃないか?
こっちの言い回しと混ざったのかもしれないな
まあどちらにせよ「niche of niches」とは言わんか……
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実は第三勢力もいた!?20年続く「きのこの山派vsたけのこの里派」の議論が白熱するワケを明治に直撃! - コラム - 緑のgoo
「このような議論はお客様の間で自然に生まれたように感じています。それを受けて当社では、2001年には『きのこ党』と『たけのこ党』を結成し、それぞれが人気を競う『きのこ・たけのこ総選挙キャンペーン』を実施しました」
ニュー速が存在するのが99年からだから、99~01年の間にネットできのこたけのこ戦争ミームが盛り上がったとすれば時系列的に矛盾は無いか