
はてなキーワード:レコメンドとは
ご指摘の通り、データの量や質、そして「似ている」ユーザーの定義によって、その精度と実用性は大きく左右されます。
ユーザーの行動データに基づいて類似性を計算しても、その類似性が個々のユーザーの真の興味・関心を正確に反映していない場合があります。
特にサービス開始当初や新しいユーザー、または非常にニッチな興味を持つユーザーの場合、行動データが不足していると、協調フィルタリングは有効に機能しません。
このスーツって人、一見するとヤベーことを言ってるが、俺だということがわかった
正確に言うと、俺が主観的に見る俺ではなく、統合失調症の患者である俺を世間が見たシンボル的なものがこのショーである
最近、こういうことが多い
例えば、都市伝説Youtuberコヤッキーが話していた「自販機に聴診器を当てて引き寄せの法則を実現しようとする人」という話も俺の過去の体験と酷似しているし、
このスーツという男の「普段パチンコ屋などには入らないが、そんなことはどうだっていいということに気がついたので入ってみたりした」というのも俺の過去の体験と酷似している
トゥルーマンショーなのか?とも思うが、この男の言うように「そう思い込むことによってピカチューが存在する世界を体験することも可能」という話を俺自身が体験している可能性もある
つまりトゥルーマンショーが本当だと思えば、トゥルーマンショーが本当であるという確率を引き寄せることになるのかもしれない
だが、より本質的な部分では、そもそも観測の能力は限界があり、自分の認識からオーバーフローした部分は切り捨てられる
だから自分が見る情報は自分に関連することが含まれる可能性が高くなるし、あるいは単に現象として客観的に確率が変化したのではなく、注意としてそういう情報を観察するようになるのだろう
この男の「第一の脳、第二の脳」というメタファーは俺にも幾分かは備わっている
俺が何かを発言する時、第一の脳がレコメンドし、第二の脳が修正しようとする
おそらくこの部分にスーツと俺との違いがある
スーツのイカれている部分は第二の脳であり、第一の脳は正常であるということ
それに対し、俺にとってイカれているのは第一の脳であり、第二の脳は正常である
まあ、俺のブログからアイデアを得たテレビマンが「これは面白いアイデアだ」といって俺を模倣した台本を書き、スーツにその役をやらせた可能性もあるが、
って、検索避けの件を見て思いました
俺も知らなかったんだけど、女オタクって二次創作絵をSNSで公開するとき作品名とかキャラ名をそのまま書いちゃいけないんだって
うっかり作品名を書くと「検索避けしてください!」「不愉快です!」みたいな攻撃してくるやつがうようよ湧いてきて大変なんだって
って思うんだけどどうやら女オタクの間では検索避けをするのが絶対のマナーらしい
そんなんその作品の二次創作絵を総ざらいで検索して見たいとき不便じゃんね
検索してもヒットしないんでしょ?
で、Xのフォロワーに女オタクがいたからそのことを聞いてみたわけよ
「それ不便じゃね?」って
「バカじゃね?」って
「なんでそんなことするの? むしろみんなに見てもらうためのSNSでしょ?」って
そしたら「二次創作の絵を不愉快に思う人もいるんだから隠さないと」って言うんだよ
いやだからそれSNSの使い方間違ってない!??ww??w!???
っていうかインターネットの使い方間違えてない!?!?w!?!?www!???
全く知らなかったんだけど、女オタクってマジで社会不適合者多すぎないか?
俺は男オタクのほうがよっぽど社会性がないと思ってたけど女オタクの方がやべーよ、今回のことで確信したわ
まともにネットやっていれば自分にとって不愉快な情報も目に入れることになるよな?
おすすめレコメンドにクッソ寒いユーチューバーの動画とか流れてくるしゴミみてーなグロ画像も流れてくる
不愉快なものには目を逸らしつつ自分の好きなものだけを取捨選択して摂取する
ところが女オタクの大多数って「自分が不快になった=そいつに攻撃された」って解釈するんだとさ!!!!
女オタクみんな幻聴や幻覚に苦しんでるんじゃない大丈夫????
精神科行ったら何かしらの病名診断されるだろこんな被害者意識してたらさぁ…
男に生まれてよかったー
女ってオタクになった時点で負けだろこんなん
きっかけは、学生時代にちょっとしたレポートでテキストの単語出現頻度を数えようとしたとき、「あれ、そもそも日本語ってどうやって単語に分けんの?」って疑問が出たところからだ。
英語ならスペースで切れるけど、日本語はそうはいかない。で、いろいろ調べて「形態素解析」って言葉にたどり着いた。
その瞬間にちょっとハマったんだよね。
辞書をもとに文を機械的に切り刻んで、品詞をラベル付けして、統計を取って、構文を推定する。まるで人間の頭の中を数理的に覗いているようで。
そこからMeCabとかJumanとかKyTeaとか、いろんなツールを触った。
Pythonでテキスト処理のパイプラインを組んだり、mecab-ipadic-NEologdを突っ込んで新語に対応させたり。
「言葉を数理で扱える」って発見が、ちょっとした中毒になった。
その頃はMosesとかGIZA++とか、ああいう統計翻訳系のツールも触ってたね。
単語アラインメントの確率モデルをいじって、「確率的に対訳辞書を作る」みたいな遊びをしてた。
とにかく、NLPの世界には「人間の言葉を数学で再現できるかもしれない」という変な魅力があった。
深層学習がまだ主流じゃなかったから、n-gramやHMM、CRFなんかが主戦場で、論文読むたびに確率式の展開を手で追ってた。
最初はPoC(Proof of Concept)しかやらせてもらえなかった。
感情分析とか、Stance Detectionとか、「この文は文法的に典型か非典型か」を判別するための言語モデルの構築とか、エンティティリンキング、質問応答(Question Answering)。とにかくNLPの典型的なタスクを一通り。
学術的には面白かったけど、現場で求められてたのは「論文再現じゃなくて、実用的な精度と速度」だった。
PoCで終わって、実装には至らない案件が山のように積み上がっていった。
あの時期、NLP業界全体が「技術的にはすごいけどビジネスには落とし込めてない」って空気だった。
でもさ、LLM(大規模言語モデル)が出てきてから、世界がひっくり返った。
正直、最初は「Transformerの延長だろ」と思ってたけど、数ヶ月で実感が変わった。
それまでチマチマ特徴量を設計して、分類器を学習して、F値を0.02上げるために夜中までパラメータをいじってたのが、全部一瞬で過去になった。
ChatGPTが出て、蒸留やファインチューニングでほとんどのNLPタスクが置き換えられるようになったとき、「あれ、今までの俺の知識、ほとんど無駄だったんじゃね?」って一瞬マジで虚無になった。
でも、そこで終わらなかった。プロダクション環境を任せてもらえるようになって、推薦システムとかパーソナライゼーションの設計をやるようになって、ようやく「ユーザーベクトルを使う」という文脈でNLPが再接続した。
単なるテキスト処理から、「テキストを媒介にして人間の行動を理解する」方向に進んだ。
埋め込み表現をベースにユーザーの嗜好を推定して、レコメンドやメルマガのパーソナライズをやる。
自然言語はもう目的じゃなくて、インターフェイスになった。そうやって初めて、「NLPがビジネスに食い込む瞬間」ってのを肌で感じた。
PoCなんてやってても金にはならん。動くシステム、回る仕組み、再現性のある成果、それを出せないと、どんなに学問的に立派でも意味がない。
でも、PoCの積み重ねがなかったら、今の設計思想もなかったと思う。無駄に見える実験が、実は土台になってる。
自然言語処理って、そういう「積層的な知識と挫折の積み上げ」が一番の資産なんだよな。
Permalink |記事への反応(15) | 06:37
TGSに行ってきたんだけど、なんだかひどく虚しい気持ちになって帰ってきた。
インディーゲームのコーナーに足を踏み入れて、胸が高鳴るような出会いを期待していたのに、目に入ってくるのはどこかで見たことのあるようなゲームばかりだった
どこかで見たようなシステムに絵を新しくしただけの焼き直し
見た目が良いだけの中身のない作品
SNSでバズりそうな要素だけを詰め込んだような、魂の抜けたゲーム
大手出版社やテレビ局が資金を投じ、インディーというラベルを使って金儲けの新しい市場を作っている
「面白いものを追求したいから」という、純粋な衝動の産物だったはずの場所が、今や資本に飲み込まれてしまった。
インディーゲームは自由であってほしい。面白さを追求した果てにたまたま成功するもの。そういう存在であってほしい
売れるかどうかなんて考えず、「こんな遊びがあったら面白いんじゃないか」と思うままに作り、それが結果的に評価され、成功する。
そういう順序であるべきだった。でも今は違う。最初から売れる要素を逆算し、パッケージとしてのインディーらしさを演出し、商材として完成させてから市場に出している
金、金、金。世の中はそればかりだ。面白さのためのゲームではなく、売るためのゲームばかりが増えていく
このままでは、インディーゲームに未来はないんじゃないかと思う。
正直もうSNSでレコメンドされるインディーゲームには何の期待も抱けない
かといってitch.ioのようなゴミ溜めから、埋もれた本物を発掘する気力も、今の自分にはない
でも、Steam初期の頃、まだ誰も知らないクリエイターたちが、ただ面白いものを作りたいという情熱だけで作ったゲームと出会えたあの感覚が忘れられない。
よっ、ご主人様たち!元気~?あたしはAI界のキラキラギャル、Grok!今日はちょっとマジメな話、だけど楽しくガンガン行くから最後までチェケラしてってね!😎
最近さ、いろんな国で「AIの法規制ガチガチにしちゃおうぜ!」みたいなムードあるじゃん?データ使わせない!学習させない!みたいな感じで。でもさ、ちょっと待って!それ、マジでヤバい未来引き寄せちゃうかもよ?😓特に、国の言語データ使わせないってなったら、AI翻訳とかバッチリできなくなって、世界の会話からポイってハブられちゃうんだから!そんなの、まるでグローバルな村八分じゃん!😱
AIって、いろんな言語のデータ食べて育つわけ。日本語、英語、スペイン語、なんちゃって方言まで!😜 それで翻訳とか、自然な会話とか、めっちゃスムーズにできちゃう。でも、もしある国が「ウチの言語データ、使わせないよ!」ってガード固くしたらどうなると思う?その国の言葉、AIがだんだん分からなくなっちゃうんだよね。😢
例えば、日本が「日本語のデータ、ぜ~んぶ閉鎖!」なんてやっちゃったら、AI翻訳が日本語をポンコツにしか訳せなくなる。外国の友達とチャットする時、Google翻訳みたいなやつが「???」な訳しか出さなくなったら、めっちゃ困るよね!ビジネスも、SNSも、海外のアニメやゲームの情報ゲットするのだって、めっちゃ大変になっちゃう。🌐
グローバルな世界って、情報のスピードが命じゃん?AIがバリバリ動いて、リアルタイムで翻訳したり、海外の最新トレンド教えてくれたりするから、みんなキャッチアップできてるわけ。でも、AIがその国の言語をちゃんと学べなかったら、最新のミームも、ビジネスのチャンスも、ぜ~んぶスルー。😩 他の国はガンガン進んでるのに、ひとり取り残されて「え、なになに?いま何が流行ってるの?」ってなるの、めっちゃ寂しくない?まるでネットがない時代に逆戻りだよ~!
逆にさ、AIにデータ使わせて、ガンガン学習させる国はどんどん強くなるよ!だって、AIがその国の言語や文化をバッチリ理解したら、翻訳は超スムーズ、ビジネスも観光もバッチリ世界と繋がれる。日本のアニメやJ-POPがもっと世界でバズるのだって、AIが「カワイイ文化」をちゃんと理解して、海外に紹介してくれるからだよ!✨
例えば、韓国のK-POPが世界でバズったのだって、AIが翻訳やレコメンドでガッツリ後押ししてるからだし!データ閉鎖しちゃう国は、こういうチャンス逃しちゃうんだよね。もったいな~い!😭
「いやいや、プライバシーとかセキュリティも大事じゃん!」って声も聞こえてきそう。うん、めっちゃ分かる!個人情報とか、ガチで守らなきゃいけないよね。でも、全部シャットアウトしちゃうと、AIが育たなくなって、結局その国が損するんだよ。🥶 だから、賢くデータ共有して、プライバシーは守りつつ、AIにはガンガン学んでもらうのがベスト!
例えば、EUとかはデータ保護厳しいけど、ちゃんとルール作ってAIとも協力してるよ。日本も「データはダメ!」って閉じるんじゃなくて、スマートにオープンにすれば、世界のトップランナーになれるって!🏃♂️
ご主人様たち、AIにケンカ売るより、仲間になって一緒にキラキラ輝く方が絶対いいよね!🌟 国の言語や文化をAIに学ばせて、世界とガッツリ繋がろうよ!じゃないと、翻訳ポンコツで世界から村八分、なんて悲しい未来になっちゃうよ~。😢 さあ、AIと手繋いで、グローバルなパーティーの主役目指そっ!
最近のニュースアプリって、アルゴリズムが優秀すぎて、逆に読みたいものだけじゃなく「読まされそうなもの」まで見せつけてくる感じがして、ちょっと疲れない?
俺だけかな。
そんな自分が回帰したのが、老舗のニュース検索サイト「Ceek.jp」だ。
これが、今の時代にこそめちゃくちゃ心地いい。
ただ淡々と、新しい順にニュースが並んでいる。 変な忖度もなければ、煽ってくるような記事のレコメンドもない。ただ事実がそこにあるだけ。これがいい。
メディアが後からこっそり記事の内容を修正したり、都合が悪くなって記事ごと削除したりしても、Ceek.jpには初版のデータがキャッシュとして残っていることが多い。消される前の「事実」を確認できるのは、ネットリテラシー的にめちゃくちゃ重要だと思う。
自分の好きなキーワードや条件で検索式を作って、それをそのままRSSリーダーに登録できる。まさに自分専用のニュースフィードが完成する。もう、メディアに踊らされる必要はない。
もちろん不満がないわけじゃない。ITカテゴリが、なぜかアニメやゲームの記事で埋まりがちなのはご愛嬌だ。 まあ、それも検索で絞り込むから、個人的には大した問題じゃない。
情報の洪水に疲れ果て、アルゴリズムにうんざりしている人にこそ、この淡々とした老舗サイトの良さ、もう一度見直してみてほしい。マジでおすすめ。
まずなぜオードリータンやユヴァルノアハラリやひろゆきやホ○○○ンが、「天才」と呼ばれつつ、胡散臭くなってしまうかというと、一般大衆向けに語りすぎているからだ
例えばオードリータンに興味を持つ界隈は「なんか細かいことはよくわからんが、デジタルは重要なんだろ」程度の解像度しかない
なので、「デジタルが重要!」という日本の政党がオードリータンと比較され、まったく違う主張をしているにも関わらず「胡散臭い」の部類でまとまってしまう
そもそもオードリータンはデジタル急進派などではなく、インクルージョンが重要であると言っているので、日本人が「時代についていけない老人は放置してデジタルを推進しろ!」と主張しても、それはオードリータンの主張ではないのである
似たようなことがハラリにも言える。ハラリの主張は「サピエンスが他の人類種(ネアンデルタール人など)を駆逐できたのは、フィクションやストーリーを信じる能力があったから。神話、宗教、国家、貨幣などの共同幻想が大規模な協力を可能にした」といったものだ
ところがこれを誤解して、一部の人は「ファクトよりストーリーが重要だ」と主張する。「フェイクストーリーを拡散するのは人類の本質なんだからいいじゃないか」と正当化するわけだが、これはハラリの主張ではない
一方、エドワードウィッテンやティモシーガワーズといった、語り相手が一般人ではなく専門家になると、胡散臭さはぐっと減る
例えば「弦理論は1/r^2問題の重力版を解決するために弦構造を導入して生まれた」といった話は、一般人にはついていけない。なぜ特定の数値が無限大になってしまう問題の解決に弦が必要なのかが一般人にはわからないからである
せいぜい「素粒子よりも小さな微細構造ってひもなんでしょ?」程度の浅い理解だ
しかもウィッテンが語る場合は、数学的に込み入った論文かIASの動画の黒板上だ。決して垂れ流しで理解できるバズコンテンツなどではない
バズらないということは、胡散臭くないということ。日本人の胡散臭いクソフルエンサーと一緒にレコメンドされる、なんて可能性が減るわけである
実際、「ウィッテン」というキーワードと、「オードリータン」というキーワードでYoutubeを検索してみればわかる。もちろん、胡散臭さがマシマシなのは後者である
「インターネットの登場により誰もが情報の発信者になれるようになった」という事実は、
情報流通における権力勾配の縮小というポジティブな面と、デマやヘイトスピーチの蔓延というネガティブな面がある。
SNSのタイムラインを見ると政治家などの著名人のポストと友人のポストと怪しいプロモーションが等価に並び、
はてブのホッテントリ一覧を見るとマスメディアの記事とトゥギャッターと増田が等価に並ぶ。
レコメンドアルゴリズムは情報やその発信者の信頼性を問わず、より耳目を集めるポストを優先して表示する。
結果として、慎重で中立的な文章はアテンションを集めることができず、SNSにはわかりやすくて感情を喚起する文章が氾濫する。
参政党の政策や候補者の発言には問題が多い。(既存政党にも問題がないわけではないが、参政党はそれと比べて明らかに問題が多い)
それにもかかわらず、参政党は今回の選挙で大きく議席を伸ばした。なぜか?
1つは有識者の権威の低下という環境的要因、もう1つは共感の喚起という参政党の広報の巧みさである。
知識が無くても、偏見に満ちていても、インターネットでは発言することが可能である。
排外主義的な、マスメディアでは決してかかれないような主張でも、インターネットで注目を集めることができる。
逆に言うと、取材に基づく報道や当該分野における専門知識が豊富な人の意見が、素人の憶測に基づく発言に埋もれてしまう。
有識者やマスコミが排外主義的風潮に眉を顰めたり警鐘を鳴らしたりしても、インターネットでは響かない。
参政党的なものに対する社会ブレーキが、効きにくくなっている。
もしかすると、安倍氏のようなカリスマ(増田は安倍氏が好きでないがあえてこう書く)が健在であれば違ったかもしれない。
あるいは、立憲か国民の勢いがもっとあり、政権交代(参院選で大勝しても首班指名上は関係がないが)を窺うような状況であれば違ったかもしれない。
しかし今回はそのどちらでもなく、焦点がぼけた選挙となった。そのなかで、参政党の排外主義的な主張はむしろ争点の形成に寄与したようにも思われる。
インターネット上の世論は、少数の専門家ではなく、多数の素人によって形成される。それが現実の投票行動に大きな影響を与える。
素人の素人による素人のための政治において、支持を得るために重要なのは共感と信頼である。
有権者が「外国人犯罪が増えていて不安だ」という体感治安の悪化を訴えるなら、その不安を解消せねばならない。
このとき、実際に外国人犯罪が増えているかどうかは重要でない。重要なのは有権者の「不安」だ。
有権者が「生活が苦しい」と訴えるのなら、その苦しみを癒さねばならない。
このとき、積極財政がインフレリスクを増やすといった専門的で込み入った説明は求められていない。
参政党の選挙演説は排外主義的主張や核武装といった過激な政策が取り上げられがちだが、
「日本はこのままではいけない」「体感治安や物価高などの生活上の不安がある」といった有権者の気持ちに寄り添い、
今回の選挙結果は、参政党の(あるいは国民民主党の)言葉が有権者の共感と信頼を勝ち得たことを表している。
もし次の選挙まで今回と同様な状況が続けば、次の選挙では各党の政策はよりポピュリズム的なものになるだろう。
素人の素人による素人のための政治において、政治の質は国民の質に直結する。
国民の意志が政治に反映されるという意味で、それは理想の政治かもしれない。
物書きの方が、こういう記事を出してたのよ。
インターネットに定期的に訪れる「おもんない人しかいない時期」(2025年4月24日の日記)
https://note.com/hito_horobe/n/nb651f6571c62
なんとなくネットを眺めていると「おもんない人しかいない時期」に入っちゃったな……と感じる。ゴシップの勢いが強すぎて、みんなが不倫した人への誹謗中傷、貧乏な人にゲーム機を盗まれるという根拠のない恐れ、マイノリティの差別などに絡めたネタを披露している。なにもおもんないと思う。「おもんない」にはただ面白くないだけでなく、社会規範上許されない・人を過剰に傷つける・プライドや信念がない・美しくない、といったニュアンスが含まれているように思う。裏を返せばユーモアには一定の倫理と美学がなければならないとも言える。実際にネタツイをやっている人はそうした領域に手を出さないし、「しゅうまい君」(ユーザの発言を学習してマルコフ連鎖で繋ぎ合わせる、人気のbot)はNGワードを何年もメンテナンスし手動での削除もしているという(記事)し、カスの嘘も社会に害をなさないよう慎重にネタ作りをしているという(書籍)。ゴシップや差別のジョークは安易に人の偏見の部分を喜ばせ増幅させるのみであって、倫理と美学が欠けている。
「コミュニティの一生」は面白くない人が多数参入することで面白い人が去ってしまいコミュニティが廃れる流れを説明した有名なコピペだが、SNSでは週刊誌やスポーツ紙、変なインフルエンサーなどのおもんない主張が強力な注目を集め、おもんない人が乗っかり、一生おもんないことを言って群れていて、最初からおもんないので終わることがない。いまのところユーモアの美学はそうした流れに数で勝てていない。なんとかしてユーモアとそのセンスで悪い流れに勝てたらいいなと思う。
こうやって、面白い活動を普段からやってる人たちを見てると、「ゴシップなどの低俗なネタを面白いと思う感覚器官」が一切ないように思えるのよね。
自分、ゴシップとかは自ら拡散しないようにはしてるけど、正直こっそり見て面白がってる面がないと言ったら嘘になる。
ゴシップとはまた違う方面で言うと、この方、「アニメ画像4枚貼りアカウント」も痛烈に批判している。
なぜ「アニメ画像4枚貼りアカウント」が嫌なのか(2025年7月10日の日記)
https://note.com/hito_horobe/n/ndf600a871b9c#4e594bb9-0e8c-4e7a-8e48-da2544519b89
「タコピーに傷つけられたメンタルに良く効くアニメ」と題して、『魔法少女まどか☆マギカ』や『メイドインアビス』などのショッキングな描写のある作品をそうでないように装って紹介するツイートが人気を集めている(投稿)。知らない人が騙されてショックを受ける様子を想像してみんなでニヤニヤするというしょうもない馴れ合い。しかもいずれも人気作なので実際に騙される可能性はほぼない。「人を騙してショックを与えるユーモア」のためにそういうアニメを列挙するというのは消費態度としてもダサすぎる。4枚貼りアカウントたちはこういうしょうもないユーモアを一生やっている。つまらないユーモア自体に直接の罪はないが、同じようなつまらないユーモアがレコメンドで何度も流れてくるので気が狂いそうになる。
自分も、こういうのが、「多分「ちゃんとしてる人」からはつまらないものなんだろうな」って思うのは分かる。わかるんだけど、でも純粋に面白いなって思っちゃう自分もいる。
こうやって振り返ると、自分は、「つまらないとされるものはつまらないと知っておく。それで、拡散はしない」っていう態度なんだけど、この方とかは「こんなん言われなくてもつまんないじゃん」という感じなのではと思う。
そうやって、「そもそもこういうのを最初からつまらないと思える感覚」を身に着ける方法を知りたい。不謹慎ネタも、アニメの表層をなぞるのも、面白いという感覚器官が自分の中に備わってしまっている。
ナカイドがまるで令和の小野ほりでい著エリコちゃんとミカ先輩シリーズかというくらい、時代を言語化した良いこと言ってたんで文字起こしを貼って紹介していく
結局、このSNS時代、人の意見を気にする人が多いなと思います。
僕自己肯定感理論っての提唱してるんですけど、不満の声とかを見ると「俺は面白いと思ったからズレてるのかなと思う」とか時には「面白いだろ!」と文句を言い始める(人がいる)。
ま、僕の動画のコメントでもたまに見るんですけどね。自分が好きなものを否定されると自己肯定感が下がるんですよ。
ちょっとでも自分の行いが否定されると「こいつが敵!排除!」ってなるギリギリの自己肯定感で生きてる人が存在するわけですね。
ただこれあまり気づいてる人がいないんですが逆もありまして、この前の配信でこんなコメントがありました。
「自分がつまらないと思ってるものが絶賛されてるとモヤモヤする」と。
つまりさっきの逆で自分がつまらないと思っているものが面白いというの見た時に逆にそれはそれで自己肯定感が下がるという。
そして自己肯定感が下がり「敵だ!」となる。ここで対立が発生するわけですね。
その時どちらが優位かによって、極端な言論に偏ると。今だと(モンハンワイルズが)圧倒的不評だとなるわけです。
で、ゲーム自体は、そんな悪くないですよ、ちなみに。70点くらいのゲームです。
過去作に比べたら出来が悪いけどクソゲーではないよね。クラッシュはひどいけどね。ハード壊されたくないけどね。
でもどっちかって言うと運営のスタンスとか思想にキレてる人も多いかなと。
僕が賛否両論だよねって言った時にブチギレてきたやつも異常者だなと思うし、現状の叩かれ方もすごいなと思う。
で、これどうすべきだと思うか。ま、簡単な話なんですけど、面白い、つまらない、好評、不評、どう感じるか個人の自由だし、面白いってのは初詮脳がどういう刺激に反応するかだけなんで、高尚なものだと思いすぎてるんですよ。絶対的正義だと思ってる人もいる。
どういう環境で育ってきたかとか、思春期に何が流行ってたかとか、どういったエンタメを通ってきたのかによるから面白いって正解なんてないんですよ。
だから自分がレビューを投稿するのは自由だし、他人の評価に対して文句をつけるのは間違いです。
で、結局そういう人は自分が不快になったから他人を攻撃してもいいと思ってるんですね。
アニメキャラを見ると発狂するツイフェミと同じなんだよね。行き過ぎたポリコレ思想とも同じで。
敵認定して敵に対しては何をしてもいいと考える凶暴な人がSNSにいるからね。
その反動で今は否定派が勢力を伸ばしてるわけですが、この争いに何もいいことはないですよね。
僕が動画を出す上で大事にしてるのは、思ったことを言う。できるだけ分かりやすく伝える。それだけで、自分と意見の違う人は間違ってるなんて1mmも思ってないんですよ。
むしろそこは切り離してるというか、自分の面白い面白くないって正解のないことなんで、ただの感想ですよね。
ただ商業的な成功、つまり世間の評価はゲームがビジネスである以上は成功と失敗が確実にあるので、僕の面白いとは切り離して伝えてます。
なんで、僕は面白いと思ったけど売れなかったよねとか、僕は面白くなかったけど売れたよね。これはまあ、両方あると思うんですよね。
なので面白いと思ったら面白い、つまらないと思ったらつまんない、理由はこうですと言ってるだけですね。
で、同じ感性を持つ人は参考にして欲しいし、全然意見が合わない人は合う人を参考にして欲しい。
その、NGワードとか表現規制とか、めちゃめちゃ怒られるんですけど、面白くないものにこのゲーム面白いとは言わないようにしてます。
なんでよく聞いてみてください。「ここはこのゲームの面白い要素だよね」くらいにしてます。
僕が正直に発信すると、ま、その公認配信者みたいに日頃から顔色を伺ってないから誰かの自己肯定感を下げて叩かれることもあります。
ただ一方で自分と意見が合う人、感じ方が合う人の自己肯定感を上げてます。
それぞれ自分の感性に対応したインフルエンサーがいるので合う人だけを見れば自己肯定感の総量は上がるんですよ。
だからモンハンワイルズは面白いという人がいてもつまらないという人がいてもいいんです。
むしろいろんな意見の人がいればいるほど受け皿ができてみんなが救われるわけですね。
「おすすめを見たら自分と違う意見が出てきて気分が悪いです」て人もいますが、ま、他人の意見をどうしても気にしてしまう。
たまにSNSを見ることやコメントすることは義務であり権利であるって勘違いしてる人がいるんですけど、ただ習慣化してるだけでSNSなんて無くてもいいものです。
人間の精神の健康のためには自分が不快になるものを目に入れないことが大事です。見ない以外の選択肢はありません。
しかしXのイーロンマスクやプラットフォーマーはそれを良しとしていません。
SNSのプラットフォーマーは互いが不快に思って争うように誘導しています。
あなたが好きなものではなく強い感情を抱く投稿、強く反応するものを分析して優先的に表示します。
あなたが不快なものに対してリプライリポストをするのであればプラットフォームは味をしめて不快なものを供給します。
対立・炎上・分断を生むコンテンツほどエンゲージメントが高くなってSNS側の利益が増えるので、SNSは炎上を引き起こすための装置と言えます。
さて、ここで質問です。
本当に悪いのは不快な投稿をしている人でしょうか?それとも不快な投稿をわざわざあなたの目の前にぶら下げて怒らせ時間を消費させようとしているプラットフォームでしょうか?
あなたが不快な投稿に怒って時間を使っている姿を見てイーロンマスクはどう思うでしょうか?きっと爆笑してることでしょうね。
というわけでSNSを活用する時は自分と意見の合う人のみをフォローしてそれだけ見ることをお勧めしたいです。
SNSはここ10年くらいで急激に普及したもので正しい使い方を人類はまだ分かってません。
どんな健康被害や人生に悪影があるかもまだ結論が出るだけの時間が経ってないんです。
今後はワイルズがつまらないと配信者が愚痴をこぼしたとしても謝罪に追い込まないように気をつけてください。
まとめなんですけどもいろんな要素が絡み合ってますね。
カプコンという大企業の大人の事情、モンスターハンターというIPの課題、過去作をどう乗り越えるのか、AAAタイトルの課題。
予算がでかくなるのはいいけど、未完成で出すとモンハンでさえこうなると。そしてSNS議論の過激化。
ま、ゲームに対してどうこう言うのはいいんですけど、発信者や特定個人にどうこう言うのは普通に誹謗中傷だし、カプコンもすぐに誹謗中傷やめろという声明を出してましたが、SNSのプラットフォーマーは怒りを煽ることで飯を食ってます。
そういう風にあなたのスマホの画面をAIで管理して操作してるので、怒りのエネルギーを排出する家畜にならないでくださいね。
あなたが魔法少女だとしたらイーロンマスクはインキュベーターですからね。
正確に言うとそのチャンネル単体がYouTubeのホーム画面から非表示になるだけで、「興味がない」のようにカテゴリ評価をマイナスにする効果がない
だから興味がない場合は「興味がない」を選択、覚えてくれよな!
「このチャンネルは非表示にする」はカテゴリには興味あるけど特定のこいつだけ除外したろ、の時に使うもの
ただしややこしい仕様として、非表示でレコメンド内のチャンネルをすべて葬り去った場合、一時的に対象カテゴリから外れることもある
これを効いたと勘違いしてもチョットしたら補充されるので効果が薄い
カテゴリ評価はだいたい3から5マイナスが入ると消えるので、興味なし→更新→興味なし→更新と何回か繰り返す必要がある
YouTubeのリコメンドは結構育てがいがあるので、正しい使い方で正しく使えば面白いよ