
はてなキーワード:レゲエとは
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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今週のオープンチャットは、「体調・医療への不安」「家族や人間関係の葛藤」「旅行や趣味の楽しみ」の三本柱が中心に展開された。
一方で、社会・政治・テクノロジーへの話題も途切れず出され、軽い雑談(食べ物、天候、アニメ)から深い議論(人間存在の意味、未来医療)まで幅広く行き来するのが特徴的だった。
全体を通じて、日常のストレスや悩みをユーモアや趣味で和らげながら、不安と希望の両方を共有する場として機能していた1週間だったといえる。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
突然の報に両親ともに驚き、様々な事後処理などでてんやわんやして暫く季節も経ち、ようやく落ち着いたので心の整理のためにこれを書いてる。
原因はいろいろあるけれども、今思えば兄は色んなものを無理に背負い過ぎてしまったんだと思う。気が弱いのに自らを大きく見せようとしていた、それが限界だった、というべきだろうか。
兄は子供のころからパソコンが好きだった。10歳下の俺は、よく兄にくっついて後ろでPCを見ていた。プログラミングがいかにすごいかはともかく、当時渡辺製作所のグローブオンファイトやその手のPCゲームをワクワクしながら後ろで眺めていたのをよく覚えている。AAやFLASHでゲラゲラ笑ったり、俺がIT文化に初めて触れたのは、それが最初だった。
「ITで世界を変えられるんだぜ。これからの時代はITだ、きっと時代が変わるぞ」、兄のいうIT論は、当時子供の俺にはよくわからなかったが、とにかくすごいものなんだな、という気持ちにはさせられていた。
兄はその後、情報科学系の大学を卒業し、IT企業に当然のように足を踏み入れた。時は2002年だったと思う。世は確か就職氷河期も最盛期、それでも会社選びに苦労していた様子は当時を思い返してもうかがえない。起業をして社長をやるくらいなのだ。その方面では優秀だったのだろう。
「同期の中では俺が一番優秀なんだ」、「客先からの評判だっていいんだぜ」、天職についた兄は心底楽しそうだったと思う。
確か、2009年か、2010年の事だったと思う。俺がまだ大学生だった頃、今にして思えば、自殺に至る兄の人生に影が指す「変化」と言える違和感を覚えることがあった。
―――兄が自殺に至るまでの理由を探そうとした過去と記憶を辿る旅、思い返せば、そこには虚飾と虚栄と業に塗れて死んだ、一人の朴訥なITが好きなだけの少年の救われぬ魂の旅路があった。
兄の自殺の原因を自分なりに考える中で、心当たりがあることを想い返したため、ITmediaと日経クロステックの2010年の記事を見たところ、web系の求人が続伸、と出ていた。
所謂「意識高い系」とかいうのがネットで出だしたのも、この時代だったと思う。
まずIT系でそういうムーブメントが起こっていたことは、当時の俺でさえ知っていた、確か何某だか、本当に儲かってるのかも怪しい過激な言説の売れない、日劇ミュージックホールの昭和のポルノ女優や売れない芸人みたいな芸名の様な人間が現れては、マトモな社会常識を持っている人間であれば「こんな馬鹿な話信じる奴いるのか」という様なことがネットで飛び交っていた。
――IT好きな朴訥な少年のまま大人になった兄は、そのITという毒にやられてしまったんだと思う。
今から15年か、16年前だったと思う。実家に帰省した時、俺と両親は兄の変化に驚いた。
後述する「ルカねえ」と兄が付き合いだして、俺たち家族と知己になったのもこのころだが、朴訥だった兄はどこぞのレゲエヒップホッパーみたいなファッションにイメージ・チェンジをしていた。
「パイレーツオブカリビアンの海賊のコスプレにでもハマったのか」、当時の父と俺はそういい合っていたのが記憶に残っている。
聞けば、新卒から働いている会社を辞め、web系スタートアップベンチャーに転職することとなったらしい。
「まだSIerで消耗してるの?」、「SIerはあと五年で滅びるよ」、「web系に行かない奴はエンジニアとして終わってるね」、決してITに関してはどんなことでも悪く言うことがない兄が、古巣を後ろ足で砂を掛ける様な事を言っている。聞けば、本当は客先常駐なんてしたくなかった、オフィスで社内で自由に開発ができるのがアメリカでも当たり前なんだ、と俺には半分も理解できないITの話を力説していた。だが、それはどこかネットの「意識高い系」の連中からの受け売りで、どうも兄の本音から出た様な感じではない、そういう感覚を俺は思っていた。
だが、これほどまでに人は変わるのか、東京は恐ろしいところだ、と当時思ってた。
酒もそれほどたしなまず、タバコも吸わない朴訥な兄は、毎晩六本木や赤坂でコネをつなぐだのエンゲージだと横文字を使いながら飲み歩く様になった。怪しい連中や取り巻きが、兄の周りに集っていた。俺は、なんだか恐ろしくなって遠目に眺める事しかできなかった。
兄は、web系という場所にいってから、変わっていった。それも、人間としていってはいけない方向性へ
――ITを愛した朴訥な少年の心は、ついにITという時代の毒に呑まれてしまったのだ。
兄の奥さん(当時は兄の彼女)と詳細は伏すが音楽関係で活動していた。web系に転職してから何らかの縁で付き合うこととなったらしい。
ルカねえ、というのは俺が勝手に心の中で読んでいることだ、巡音ルカの様な立ち振る舞いや性格や容姿だったから。
俺は大学卒業後、東京へ出た。兄はweb系の会社を立ち上げて独立していた。相変わらず、娘が生まれたというのにSNS中毒としか思えないほど旧TwitterやらFacebookやらブログやらを更新し、胃下垂で食いきれないであろうに、どこそこの店の料理を食っただ、高級ワインを開けただのと写真を投稿して自己アピールに余念がない。乗れもしないのに外車のオーナーになり、高所恐怖症気味なのにタワーマンションの部屋を買った、ある種、あの当時のweb系ベンチャーにありがちだが、プチカルト宗教とその信者、という様な小サークルの様な社長と社員の関係だったという。
「ルカねえ」は自尊心が毒虫の様に肥大化していく、虚栄心の怪物の様になっていった、そんな兄を後ろから支え続けた、常に2歩下がって佇んで…そしてかつての朴訥な青年は、次第に、酒席と人脈と、虚飾に頼る人間へと変わっていった。
俺はもルカねえと同じく、遠巻きにその姿を見ていた。
だが、心のどこかでこうも思っていた。
――兄はいつか、本来の自分に立ち返るのではないか。少年のころ、無垢にパソコンの画面を覗き込んでいた兄に戻るのではないか。
しかし、それは叶わなかった。兄は業に塗れたまま虚飾と虚栄という寄生虫に体も脳も食い荒らされて、導かれるように自ら縊死をした。世には、自らを鳥に食わせるよう宿主を操る寄生虫があるという。兄の死を思うとき、俺はその奇怪な生態をふと思い出すのだ。
府中は分倍河原、そこは東京と言っても昔ながらの風情が残る都会と田舎の境目の様な場所だった。当時俺がそこ近くに住んでいたので、久しぶりの休みの日、兄と一家と遊ぶことになった。そこにはプラネタリウムや釣り堀のある、体育館も併設された大きな公園がある。
休日子連れの家族たちがよく来ており、催し物も多い。(俺は筋トレのために赴くことが多かったのだが)
兄は文句タラタラだった、「こんな田舎の公園の釣り堀やプラネタリウムなんて、貧乏ったらしい」と、カエシのない針の釣り竿を両手にはしゃぐ兄の娘とルカねえを置いて、PCとスマホ片手に「仕事」の続きをし始めていた。必然的に3人でそれらを回ることになった。
プラネタリウムの後の帰りの夜、府中駅の大通りを見上げれば「本物の」プラネタリウムを、兄の娘とルカねえは見上げていた、眠く、退屈そうな兄と駅前で別れる時だった。
「今日は楽しかったよ、増田君、ごめんね、ありがとう」、「よかったらまた一緒にこの子と兄くんと一緒に来ようね、約束だよ」
優しい人だな、そしてなんて憐しい人だろう、と思った。それ以来そういって遊びに行くことさえなくなった。約束は果たせないまま、兄はそんな周りのやさしささえ感じられなくなって。自ら首に縄を括って死んだ。
――兄が首を吊った時、首を絞めつけたのは重力で落ちたからではない、自分自身の虚勢と業に押しつぶされるように、人間が堕ちてはならぬ闇へと引きずり落とされたのだ…少なくとも俺はそう思っている。
――ルカねえとの約束は、今後永遠に果たされる日は来ないのだろう。
そう、どちらかといえば、自殺者よりも、残された人間の方が悲しいしやることも大変だし、多大な迷惑をかける、という現実をみんなに知ってほしい。
後述するが、伝え聞いてくるいくつかの理由で兄の会社はかなり苦しかったらしい。何よりも、兄はどうもかなり生活出費はそのままに無理した生活をしていたようだ。
会社の経営が傾いてから、都内の高級住宅街から、地価の低い「一応首都圏」なところに、兄の一家は居を移した。
兄の娘はかなり学費の高い私立に通っていた。制服姿で電車に乗ることもできず、私服で朝乗り、学校の近くで着替えてから通学する、というあまりにも痛ましい生活だったという。
――俺と父は、一度兄がルカねえと娘に暴力をふるっている場所に居合わせて止めたことがある。休みと聞いたから実家から送られてきた梨(と父)を私に行った時だ。
後で聞けば、「私は兄くんを信じてるよ。兄くんがITの事が大好きだって知ってるから。今からでもまた頑張ろう、私もできることは何でも手伝うよ。兄くんはお父さんなんだから」、そう行ったのが癪に障った発端だったそうだ。
「うるせえ!うるせえうるせえ!踏ん張ったところで何になるんじゃッ!今更お前や子供のために地べた這いずり回れっていうんかッ!?うんざりなんじゃ!俺だってやってるんじゃ!やりたくもないのに客先に出て!バカにしやがってッ!お前に男のメンツがわかるんか!」
俺と父が怒鳴り声を聞いて急いで玄関から入り、二人を引きはがしたところで、兄は暴れるのを辞めなかった。なお兄は荒れ狂った。叫びは、すでに虚勢ではなかった。むしろ、虚栄に踊らされた一つの魂が擦り切れてゆく音のようであった。
「ITみたいなしみったれた商売はうんざりなんじゃ~!チマチマ働いたってキラキラした人生に浮かび上がることなんてできはせんのじゃァ~ッ!クソがァー!どいつもこいつもカネカネカネカネ言いやがってェーッ!こうなったらヤクザにでもテロリストにでもなって巻き返したるわァ~!俺だって頑張ってるのに!バカにしやがってッ!クッソォォォォンッ!」
出来もしないことを叫びながら兄は泣いた。それは慟哭に近かった。兄の叫びは、すでに人間の声ではなく、業に食われた一つの魂の呻きの様であったと俺は思った。
泣く娘とそれを抱きしめて守るルカねえ、そしてそれを抑え込みながら聴くしかない俺と父、ネットの闇と毒に当てられた男と、情報化社会が生んだ新しい闇が凝縮していた。
それは、ある意味で「意識高い系」の成れの果て、帰結する先なのかもしれない。俺は別に、キラキラした人生やキラキラした仕事生活を否定しているわけではない。誰だってブラックジャックやドクターK先生や、サラリーマン金太郎や島耕作になりたいだろう。だが、仕事というのは多分きっとそうではない、若輩者ので門外漢の俺でもそれはわかる。自己顕示欲を誇示するための仕事など、シュメール文明から現在に至るまであったことがあるだろうか?折に触れて思い出す分倍河原駅の前の足利像を見るたびに思う。歴史の表舞台にたった「キラキラ人生」の偉人たちは、必要にせまられてその立場になったのであって、最初から目立ちたくて戦争をしていたわけではない。ITエンジニアの先祖に当たる江戸時代の和算学者たちは、ただ自身の顕学を神様仏様に感謝するために解いた計算難問を額縁に入れて奉納している。
兄はその逆であった。必要もないのに「輝き」を求め、虚栄に心を壊された。人間の弱さを思わずにいられない。
それを「その世界の人たち」はわかっていない。兄も含めて…兄は人間として当たり前の心理的バランス感覚を、明らかにネットやITという虚栄がはびこる世界で狂ってしまっていたのだと今にして思う。
まだ内省ができる俺の様なオッサンはいい、まだタピオカミルクティー片手に韓流イケメン芸能人は誰がカッコイイと山手線の盛り場を歩く様な年頃の子である兄の娘に、そんな責と家庭不和を負わせるなんてどれほどその心を兄は傷つけたのだろう。娘の心中はきっと想像を絶するものであろう。
それでも一応は、「超出来の悪い弟である」10歳年下の俺の給料の2倍は稼いでいた(会社が傾いてからの話だ、それより以前はもっと稼いでいたのだろう)。だから何とか学費だとか生活費も払えてたのだろう。そんな兄がある日突然首を吊って自殺した。
…残されたルカねえと兄の娘の生活は破綻するよりほかない。できる限り俺達や実家の父母も精神的な負担をケアしようと、あまり合わない仲だったのが様子見をしたり連絡をすることが多くなった。
それでも、実家組の俺達に、あんな天文学的な学費を払えるだけの余裕はない、結局、娘は学校をやめ(中学だから辞めるというのもおかしな表現だが)、学費の安い公立に転校することとなった、まだ14歳やそこらなのに、年齢を偽ってバイトまでして家計を支えようとしていたらしい。俺はそれを聞いて胸が痛くなる思いがした。ルカねえの優しさを受け継いだ兄の娘に、兄は背を向けたのだ。
残されたルカねえは悲惨の一語に尽きる。彼女は詳細は伏すが音楽関係で活動していた。だが、兄の希望で、ルカねえはほぼ専業主婦だった。するとどうだろう、殆ど働いてない彼女はこれから自分で生計を立てなければならないのだ。…マトモな職などあるだろうか?
結局父の知り合いが働いているスーパーでルカねえは働いている。この後は母もやっていたため、そのツテで保険の販売員をやることが決まっているらしい。言い方は悪いが兄の憧れた「キラキラした世界」しか社会を知らない彼女だ、激変する生活に精神的にもかなり堪えているようで、かつて俺が「ルカねえのようだ」と思っていた美貌も陰りが見えてどこかやつれているように見える。だが優しさと健気さはそのままだ、俺はルカねえの「大丈夫、大丈夫。」という笑顔を見るたびに、哀しくなって泣きたくなってくる。頭もよくなく力もない俺や父母では、これくらいのことしかできない。ルカねえの両親はどうか?今となっては聞くこともはばかられるが、どうも(俺の)兄と向うの両親はそりが合わなかったらしい、絶縁同然となっているそうだ。…思えば、兄の「虚勢と業に塗れた姿」に、それでも立ち直ってくれると信じたルカねえのやさしさは、暗い未来を呼ぶだけだということを、その両親は見えていたのかもしれない。
後述するが、ルカねえの両親が絶縁に近く関わりを断ったのにも、これもまた兄が纏いつけて残していった陰湿な闇のせいである。怪しい人間が今度はその獣欲の牙を兄の娘に向けようと這い寄ってきたのだ。そして彼女と兄の娘の心は砕け散った。それは綺麗なガラス細工が地に叩きつけられ四散した無惨さがあった。
――ルカねえの両親は、ルカねえを見限ったのではない。ただただ醜く腸を食い荒らされるかのように兄が残していった社会の闇の連中に孫と娘が食い物にされていく光景が見るに堪えず、恥辱のあまり目を逸らしたのだ。
それに欲望の充足を感じ取れる人間こそが、社会の闇に潜む人非人足りえるのだろう。だが俺も、父も、ましてやそれになろうとした兄も、人面獣心になるにはあまりにも普通の価値観の人生を生きていた。それが、兄が死んだ理由なのかもしれない。
その②
https://anond.hatelabo.jp/20250908163905
Permalink |記事への反応(30) | 14:01
確かにピータートッシュのLegalizeItが名曲だっていうことはわかるよ。1970年代のレゲエの金字塔。
で世界中で、その、運動?、まあそれが実った結果、各地で大麻いいよ〜ってなったよね。
つまり大麻解放っていうのは、フリーマリファナってのは、大麻が無料になるって意味ではないってことよね。
例えば家庭菜園でキュウリやトマトをプランターで作るように大麻を作ったっていいじゃないですか!
その主張はわかる。ただ申し訳ないんだが、家庭菜園を趣味にしている人は全体の何%だ? いねーだろ、というのが本筋。
んで、家庭菜園の拡大版としての農家を想像しよう。その大量の作物をどうするかというと、売るだろ。
売るってことは商品なんですよ。君ら仲間内で楽しむようなものではなくなってくるわけで。そうなると話が変わってくる。
大麻は野生で育っている植物なのになぜ規制する!、とも言ってたな。
大麻が商品であるが故に、市場に出回っている大麻ってのは、野生では育ちようもないブリブリの麻薬なんですよ。
さらにそれを精製したオイルとか加工商品なんてのはほとんどケミカル製品でしょうね。
家庭菜園でキュウリやトマトを作って食べる楽しみはまだ残っているにしても、スーパーで買う方が楽だし、大部分の人はそうしている。
さらにはもっと美味しいキュウリやトマトを作ることに農家は躍起になり、そういう品種が生まれて、消費されていく。
よりブリブリな品種を求めて投資もされ、マーケティングもされ、若者がお小遣いでそういうマリファナを買う。
結果、どんどん変なものが消費者に向けて売られていく。たしか、踏み石理論が間違っているとも言ってたが、実情は違うよね。
マーケットが巨大であればあるほど、個人の行動なんてのはどうにも変えられるんだろう。
なんでこうなっちゃうんだろうねえ。ピータートッシュも想像してなかったと思うんだよね。
フェミニストからすると、レゲエを踊るときにセクシーな動きをしたりコンパニオンをやったり水着撮影会に出演したりAVに出演したり売春したり萌え絵を描いたりするのは本当の自由意志ではなく、今の日本社会にグルーミングされた結果の認知の歪みでしかない。
この日本社会には『シスへテロ男が性を消費するのは当然だ』という構造があり、そのような構造の元にグルーミングされて、レゲエを踊るときにセクシーな動きをしたりする人やコンパニオンやAV女優や性風俗嬢や看板娘やラウンドガールやレースクイーンやキャンペーンガールや萌え絵を描く女性はそのような職業をすることを「自由意思で選んだ」と錯覚させられている。
ちゃんと『シスへテロ男が性を消費するのは当然ではない』という社会構造を構築して、その上でもそのような行動を選んだ人だけが真に自由意思で選んだ、認知が歪んでいないではない人だよ。
こういうことを書くと、「お前の認知が歪んでいないという保証はあるのか」と言う人が出てくるんだけど、
「今の日本社会には、『シスへテロ男が性を消費するのは当然だ』という構造がある」それは間違いなく事実だ。
それに乗っかっている人は認知の歪みの可能性が否定できない。一方でそれに逆らっている人は間違いなくそのような構造による認知の歪みを受けていない。自明でしょ?
レゲエダンスを踊る人も、ダンスしてる時はセクシーに見られたいけどきつねうどん食べてる時は別にセクシーに見られたくないんでは?
>こういう女は正しい、こういう女は間違ってる」みたいな枠を作りたがる
これはフェミニストではないと思う。
自分からセクシーになりにいく、エロかっこよさを追求すること自体は悪くない。そうでなければマドンナやビヨンセがあんなに女性に支持されることの説明がつかない。
問題は、端から見えるレゲエ、ヒップホップ界隈というのはめちゃくちゃマチズモで男性中心主義で、その文脈でかっこいいというのはどうしても男性中心の枠組みから出られないことだ。子どもならなおのこと、自分が考える「かっこよさ」とは関係なく消費され、搾取される。「自分はそれと戦える」って人はそれでいい、と思うかもしれないが、問題は男性中心のものの見方があたりまえ、いやよいやよも好きのうち、みたいな感覚が正しい世界が続くことにある。精神的にも身体的にも発達途上にある女の子たちにそれを背負わせていいのか?と思うよ。子どもが出演するダンスイベントにでかいカメラ抱えて来るおっさんとか一般的にキモいんだけど、主催者や親や周囲の大人はちゃんと対処してるのかな。
美しさとかかっこよさの基準って社会と切り離すことができないから、その界隈で認められる美しさかっこよさには必ず何らかの文脈がある。それを意識的に乗りこなすか、文脈を少しずつ変えるかで、いわゆる「フェミニスト」は後者なんだと思う。
ただまあ、性的なものって三大欲求の一つであり、暴力的ではあるかな。
深夜にご飯の画像を出す行為を「飯テロ」と呼ぶけど、そういう面はある。
言い出せばフィギュアスケートにも話が拡大するんじゃなかろうか。
これを禁欲的発想で、けしからんと取り締まるのは平和じゃないなとも思う。
レゲエダンスして襲われるってことのない世の中のほうを評価したいな。深呼吸して過剰防衛になってないか、正当防衛だったりしないか考えてみたい。
「セクシーになりたい」「セクシーがかっこいい」の中に内面化された異性視線が100%無いと言い切れるのであれば個人の自由の発露と言えるけど。
「セクシー」という言葉自体が「性」に由来しているし、その言葉を肯定的に使っている時点で、あなたは無意識のうちに性的なまなざしを内面化された社会の被害者と自覚したほうがいい。今は人をほめるのに「セクシー」と言ったら性別問わずセクハラ。
ダンスイベントとかで、たまにレゲェダンスやショーガールのパフォーマンスを見る機会が多くて、前々から思ってたことをここに書く。
レゲエのダンスってかなりエロい動きが多い。例えば、ワイニーっていうお尻を振る動きとか、かなり露骨な表現がある。女性が自ら積極的にエロさを武器にして踊っている。でも、それを見ていてふと、「フェミニズム的に見たら相性悪いだろうな」と思った。
だって、フェミニズムって「男に消費されるな」とか「性的搾取反対」とか言ってるけど、レゲエダンスの世界では、むしろ女が自分からセクシーになりに行ってるわけで。「男にやらされてる」んじゃなくて、自分たちの意思でやってるんだよ。それを「搾取」とか「消費」とか言われても、じゃあ本人たちの意思はどこに行くんだって話。
しかも、レゲエダンスって大人だけのものじゃない。小学生くらいの子でも習ってるし、大会もあるし、YouTubeでもキッズダンサーが普通にワイニーしたりしてる。それをフェミニズムの視点から見ると「性的に消費される!」とか「問題だ!」って言うだろう。でも、そもそも彼女たちは趣味であれ仕事であれ、本人からしたら「好きだからやってる」が多いんだよな。
で、最近では「赤いきつねのCM」がフェミニズム界隈で炎上してたんだよね。普通うどん食ってるだけなのに、「女性の性的搾取!」とか言い出す人がいたらしい。そしたらレゲェダンスなんかもうね。
結局、フェミニズムって「こういう女は正しい、こういう女は間違ってる」みたいな枠を作りたがる。レゲエダンスの女たちは、そういう枠に収まらないからこそ、フェミニズムとは相性悪いんだろうなって思う。
追記:
もっと正確に表現するなら、ただ「エロく」なるんじゃなくて「エロかっこいい」を彼女らは目指していると思う。「性的表現」って言うと下品だとか思われるけど、そうじゃなくて、むしろ彼女はら、エロくなることによって自分の魅力を磨いて、かっこよくなろうとしているというか。これが「セクシー」ってことかなと思う。
追記2:
小学生がレゲェダンスやることについては、本人が「やりたい」って言って、保護者も同意しているんなら、とやかく言うことではないかなと。小学生の未発達な思考や判断だけに委ねるのはマズいと思う一方で、小学生の「意思」は尊重するべきだと考えてるので。(もちろん、親がやりなさいって言ってやらされるなら問題だけど)
追記3
セクシーな振り付けを好んでやっているレゲエダンスと、ただカップうどん食ってるだけなのに異様にクネクネさせてるアニメの違いがわからんのか
Permalink |記事への反応(25) | 13:22
日本語バージョンがある。Stingが日本語で歌っているのがなんか面白い。あとレゲエ感が増している気がする。
ハワイな曲。
なんで「ちょっと待ってください」を選んだんだろう。
サウスパークの曲。
Permalink |記事への反応(13) | 17:39