はてなキーワード:リースとは
日本家電メーカーが辿った凋落の物語は、低価格・高性能を背景に中国・韓国勢が急伸した2000年代に始まった。いま同じ力学が軽自動車EVでも生じつつある。BYDは補助金込みで100万円台を狙う軽EVを掲げ、日本市場に乗り込む構えを見せた。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC178Q40X10C25A6000000/
本稿では「家電敗戦」に重ねつつ、BYDと国内メーカーの次の一手を考える。
テレビが液晶パネルで主導権を失い、白物家電がコンプレッサーで外資に依存した歴史は、「コア技術を掌握せよ」という教訓を残した。軽自動車EVで同じ轍を踏むかどうかは、国内メーカーが電池とソフトの主導権を握れるかにかかっている。BYDの挑戦は単なる価格競争ではなく、サプライチェーン丸ごとの覇権争いである。家電敗戦を教訓にするなら、いま決断するしかない。
設立2年目 年商2,500万円見込み(前年2,000万)自分含めて人件費が55-60%くらい
営業利益見込み100万円くらい
だが、そのうちほとんどの金額は数年内に発生する機材費用に消えるので、もっと利益出さなきゃまずいなと思っている。
リースと言う手もあるが、現金で中古をうまく買えばそのほうが節約できるかもと思い、保留中
自己資金200万円で始めているのでお金の余裕もなく、創業融資を検討中。
時間がない、お金がない、の設立したて零細企業のあるあるな悩みを満喫
というか資本金200万、年商2,000万 営業利益100万なんてのは
ビジネス的には(銀行、カード会社の審査)そもそも会社扱いされていないんだなあと学びがあります。
ちなみに、万が一(無いようにはしたいが)会社が立ち行かなくなったときに
従業員の管理(労基他法令遵守、行政で決められているルールの遵守、マニュアルやデータを使った業務効率化&指導)
人のつながりだけで営業するのではなく、ちゃんと資料を作って新規営業→商談 で仕事を取る
Perplexity Proのリサーチに同じプロンプトを入力したらこんな感じ
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##フランク・キャンパーのマーセナリースクールと日本人参加者
フランク・キャンパー(Frank Camper)は元ベトナム戦争退役軍人で、1980年にアメリカ・アラバマ州に「ザ・マーセナリースクール」(The Mercenary School)を設立しました[1][2]。キャンパーはベトナム戦争時代にLRRP(Long Range Reconnaissance Patrol:長距離偵察部隊)に所属し、その後傭兵として活動した経歴を持っていました[1]。
この学校は、アラバマ州のウォリアー川沿いの77エーカーの土地に設置され、コンバット技術、サバイバル訓練、銃器訓練、白兵戦、体力訓練などを内容とする2週間のコースを350ドル(後に500ドル)で提供していました[2][3]。訓練は軍隊の制約を受けない過酷なもので、「食事も睡眠も自分で機会を作らなければならない」という方針のもと実施されていました[4]。
マーセナリースクールは『ソルジャー・オブ・フォーチュン』誌などの軍事専門誌に広告を掲載し、学生を募集していました[2][3]。学校には国際的な学生が集まり、アメリカ、カナダ、ドイツ、日本、スペイン、イスラエル、ノルウェー、フランスなど多くの国から参加者がありました[5]。
キャンパーは学校の設立目的として「アメリカ政府が多くの情報を得て、犯罪者やテロリストを阻止する成功的な作戦を開始できるようにすること」と「将来的にアメリカ政府のために働く可能性のある外国人を見つけ出し、証明すること」を挙げていました[2]。実際に、1981年から1986年まで、キャンパーと学校はアメリカ政府から約25,000ドルを受け取り、学生の情報を政府に提供していました[2]。
最も著名な日本人参加者は、ジャーナリストの落合信彦でした。落合は1982年頃にキャンパーと出会い、傭兵に関する書籍執筆のために取材を行いました[6]。この取材をもとに、1982年に『傭兵部隊 その栄光と孤独』が集英社から出版されました[7]。この本は1985年に集英社文庫として再版され、フランク・キャンパーのマーセナリースクールでの体験が詳細に記述されています[8][9]。
より詳細な日本人参加者の記録として、高橋和弘氏による著作があります。高橋氏は実際にマーセナリースクールに入学し、その体験を『USサバイバル・スクール 極限の野外生存術』として著しました[10][11]。同氏は、落合信彦の『傭兵部隊』の内容について実際の体験に基づく検証を行い、本に記述された内容と実際の状況との相違点を指摘しています[10][6]。
高橋和弘氏は他にも以下の関連書籍を翻訳・著述しています[11]:
###学校の閉鎖と影響
マーセナリースクールは1986年にキャンパーが逮捕されたことで閉校となりました[2]。キャンパーはテロリストの訓練を行ったという疑いや、1985年のカリフォルニア州での車両爆破事件に関与したとして14年の刑を受けました[12]。
1980年代の日本では、これらのアメリカの傭兵学校の影響を受けてサバイバルブームが起こりました[1]。アメリカで訓練を受けた日本人たちが帰国後、千葉県などに独自のサバイバルスクールを設立し、ラペリング、ランドナビゲーション、E&E(Escape and Evasion)などの訓練を提供していました[1]。これらの学校には自衛官も参加し、当時の軍事・サバイバル関連の文化に大きな影響を与えました[1]。
並木書房は軍事・戦争関連の専門出版社として知られており、元傭兵の高部正樹氏の著作『戦争ボランティア』(1995年)や『戦友 名もなき勇者たち』などを出版しています[13][14]。しかし、フランク・キャンパーのマーセナリースクールに関する日本人参加者の体験記が並木書房から出版されたという直接的な記録は、調査の範囲では確認できませんでした。
高部正樹氏は1980年代後半にアフガニスタンで傭兵活動を開始しており[15]、時期的にはマーセナリースクールの存続期間と重なりますが、同氏の著作では主にミャンマー、ボスニア・ヘルツェゴビナでの体験が中心となっており、アメリカの傭兵学校での訓練については言及されていません[16][17]。
フランク・キャンパーのマーセナリースクールは、1980年代のアメリカにおける民間軍事訓練の先駆けとして、また冷戦期の特殊な社会情勢を反映した施設として、軍事史上重要な位置を占めています。日本人参加者による記録は、当時の国際的な軍事訓練の実態と、それが日本の軍事・サバイバル文化に与えた影響を示す貴重な資料となっています。
あの台風が迫って米が収穫できなくなる大ピンチに大型コンバインが次々と届けられる、あのシーン。
自律駆動でGPSを搭載して、台風の中でも同時に複数台動くあのシーン。
もししんじろーがあれを実現するつもりで言ってるんだったら、いいと思う。
何もなく、「1ヶ月に2000万のコンバインって……」って言ってるんだったら下町ロケット見てから出直してこいと思う。
農業してなくても台風で米粒が飛んでいっちゃうのはわかるし、台風が来る前に少しでも収穫しないといけないのもわかるし、その状況に追い込まれているのは農家一軒だけじゃなくて「その周辺の農家全域」。
航空機のフライトレコーダーは、しばしば「ブラックボックス」とも呼ばれ、コックピット内の音声通話や飛行データを記録し、飛行の安全性と信頼性を確保する技術です。日本の航空機フライトレコーダー市場は、航空安全法の厳格化、航空旅行の増加、そして技術革新の進展により拡大しています。
1.航空機納入の急増
新造機を航空会社やリース会社に引き渡すことを「機体納入」といいます。日本の航空業界では、航空機の納入が急増しています。そのため、安全対策強化のためのフライトデータレコーダーの需要が高まっています。日本航空(JAL)は2023年12月、エアバスのフランス・トゥールーズ工場からA350-1000の初号機を受領しました。JALの最新国際線機材であるA350-1000は、東京/羽田発ニューヨーク/JFK行きの便で初就航します。
2. 飛行安全への重点強化
航空会社が人命と航空機などの貴重な資産を守るために果たさなければならない最も重要な義務は、飛行の安全と定時運航の2つです。高い安全基準と強固な規制枠組みは日本の航空産業の特徴であり、航空局(JCAB)によって支えられています。JCABは、航空機の信頼性と乗客の安全を保証するために、厳格な規則と綿密な監視を課しています。しかしながら、日本では航空安全に影響を与える事故がいくつか発生しています。
レポート全文はこちら:https://www.researchnester.jp/industry-reports/%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E5%B8%82%E5%A0%B4/6
数十年にわたり、機械学習、高度なセンサー、信頼性の高い通信ネットワークといった最先端技術を駆使した自律飛行技術の開発が進められてきました。ボーイング、エアバス、その他のスタートアップ企業といった企業は、全体的な運用効率の向上を目指して自律システムの開発を進めています。例えば、2022年12月に将来の航空機に関する協力を約束した日米両国は、ドローンとAI、機械学習を組み合わせた能力の検討に合意しました。
日本の航空業界は、格安航空会社(LCC)の台頭と航空旅客数の増加に牽引され、拡大しています。国際通商庁(ITA)は、かつては「未発展」とされていた日本の法人航空市場が、今や大幅な成長が見込まれると述べています。国際航空運送協会(IATA)によると、2023年には、日本発着便(OD)の24%に相当する3,440万人の旅客が国際航空交通によるものになると予想されています。
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iPhoneが高い、という話がちょくちょく話題になってたので実際いくらで買えるのか、どう買ったのか備忘録として残しておく。
ドコモオンラインショップの欲しい商品のページに、「機種だけ(白ロム)購入の場合はこちら」というリンク(めちゃくちゃ見つけづらい)があるので選ぶ。
このページの注意書きを読むと、なんか嘘みたいなことが色々書いてある。
言ってる意味が分からない。矛盾している。どうやらシステム上新規契約と同じように回線契約と同じ手続きを踏んで、しかも最強の回線プランを選択する必要があるらしい。なんで??
いろいろブログとか調査した限りは本当に回線契約はされないらしい。正直ビクビクしながらだが、流れに沿っていけばまあ購入まで進められる。
最新のiPhoneが月額1,898円、23ヶ月43,670円で買えた。
安くない?リセールバリューが高いという前提があるので、普通にiPhoneってコスパのいいスマホだと思う。
これ切る価格帯のスマホって通常使用の範囲でストレスになるレベルな気がする。
新卒就活する学生・転職活動中の社会人・婚活品定め中の人達へ。
まず、どの業種・業態を選ぶかは本当に個々人のキャラ・志向その他が色濃く出すぎるので、そこで優劣をつけることはしないです。実際、無いと思います。
ただね、同じ業種・業態の中では明確に上下があります。そして今後、逆転することはない。というか差が縮まることもないでしょう。
なので、特に求職中の方々には、「どっちもいい会社だよ」みたいな世迷い事はシャットダウンしてください。
のほう じゃないほう
業種が違えばどうなんだって?うーん
たとえば三菱UFJ銀と住友生命、野村證券と三井住友信託、JBICとみずほリースを比較したとき、あなたの胸によぎったもの、それが答えです。
あまり調子に乗ってると宅建業法違反などで処罰されることはあるにはある。
さすがにリースバックでは聞いたことがないけど、住宅ローンが使えないのに使えるとうそを付いて投資用不動産を売りつけたケースでは業者が詐欺罪で捕まって有罪になったケースはちらほらある。
リンク切れてる
「売却後もそのまま住み続けられる」と言われたのに… 家賃値上げで“終のすみか”失う事態にも リースバックのトラブル6年で10倍に 70歳以上が約7割 | TBS NEWS DIG
普通賃貸借契約でも借地借家法32条に基づく裁判をすれば値上げに関しては争うことができるけど、周辺の家賃が上がっていたら、勝つ可能性はなさそうだし、家賃の妥当性を争うにしても不動産鑑定士に頼まないといけない。
不動産鑑定士に頼むのもタダではなく、正式なやつだと10万円単位はかかる。
定期借家契約だと更新の時は大家の言いなりだから争う余地はないし…。
ちなみにリースバック契約の時に騙されたとか勘違いしていただと詐欺や錯誤で争うことができるし、契約するまで事務所に閉じ込められたケースだと強迫で争うこともできる。
ただ、ここら辺はVマジック司法書士 民法や民事訴訟法、最高裁の司法修習のテキストで勉強して弁護士の資格持っていたとしても、当事者目線だと客観的に事実認定ができなくなってしまい、思っていたのと違う方向に行ってしまうことはよくある。
どんなに安くても20万円単位ではかかるんで、リースバック契約をした後で争うのはすごくつらい。
ちなみにリースバック契約の家賃だが、うちは周辺の利回り+α程度で考えてるんで、そのまま売り飛ばして、普通に借りたほうが安いことがあるにはあるぞ。
俺は推してるだけだから責任ないし、あとは偉い人がうまいことやってくれるでしょってことね。いやあ、それで政治語れるってすごいわ。理想だけ語って、現実の設計は丸投げって、まさに無敵のポジションだね。そりゃ批判されても「まだ制度変わってないし!」って無限に逃げられるわけだ。
リバースモーゲージだのリースバックだの言ってるけど、それで“今”困ってる全員助けられるってマジで思ってる?制度の設計次第って自分で言ってるくせに、都合のいい部分だけ「ほら、手はある」って雑に並べてるの、正直論点逸らし感すごいよ。
あとガソリン税、国際的に不自然って言うけど、それ言い出したら日本のエネルギー政策全体が“国際的に不自然”な化石みたいなもんだから、ガソリン税一個抜いたって大して変わらないよね。そこだけ切り取ってドヤるの、ちょっと無理筋じゃない?
おしぼり屋としては、おしぼりって結構みんなギリギリに頼んでくるんだよね
意外と忘れがちなものなんだろうな
こだわる人は分厚いタオルにしてたり、刺繍入れたりオリジナルなものを発注してるね
使う側としては白い厚めのタオルで充分だよな
私もそう思う
店の人も店に来る人にも言いたいのは、おしぼりは手だけ拭いてね
顔は拭いてもいいけど、使ってる洗剤きついし拭かないほうがいいよ。
食べてる卓の台拭きにしないでね
割ったガラスも包まないで(同上、なんなら紙に包んで)
破らないでね
炭とかコゲとか拭かないで、網も置くな
こないだXで流れてきたけどカルメ焼きの仕上げとして冷ます濡れタオル代わりにおしぼり置かれてたぞ、やめろよ
リースってわかるか?貸してるんだ
おしぼりを持って帰るやつは、店の醤油差し持って帰るのと同じことをしているんだ
あとおしぼりアートかなんか知らんが、ひよことか丸めたのを作ったら帰りにタオルとして戻して帰ってくれな
あれ回収に入ってたら結んでるのを戻すの面倒だから。
これ見て改める人が増えたらいいな
Permalink |記事への反応(11) | 23:47
去年のことなのだが、一国一城の主になることができた。
昼と夜に営業する飲食店を開いた。若い頃から、ずっと関東地方にあるレストランで修行してて、いつかは自分の店持ちたいなー、と思ってた。先輩方は30代後半までにお店を起こす人が多かった。出遅れた感はあるけど、やっと達成できたのが心地よかった。
悩みというのは、「おしぼり業者をどうすればよかったのか?」ということだ。本業に比べれば、なんとも小さいことなんだが、地域でやっていくにあたり最適な業者を選びたかった思いがある。
以下長いけど、経過をまとめてみた。
(以下経過。長いです)
東京で修行して、故郷である京都市内でお店を開くっていうのが若い頃からの理想だった。
最初は故郷である山科の郊外でお店を開こうと思ってたが、(いろいろ問題がわかって)試行錯誤した結果、祇園にいいところが空いていた。
で、まさに開業をしようという時だった。残りひと月を切ったあたりかな?
お店の開店準備をしてると、何かの営業の人がふたり来ていた。「こんにちは。ちょっと、いいですか?」ってプランクな感じだった。見た目は京都スタイルの和風私服だったけど、まあビジネスにもありかなって装いだった。
それまで営業は全部断っていた。自分で調達先を決めていたから。でも、『おしぼり』の会社だったんだ。京都でずっとやってるという。
おしぼりは、当時の自分が失念していた調達先のひとつだった。その時に「うわ、まずい忘れてた」と思ってひとまず話を聞いた。
という感じで名刺を渡されて、いろいろ話を聞いて、その場では返事をしなかったけど、こんな感じの内容だった。
・祇園の半分の店はうちを使っている
すごいニコニコしていた。嫌な感じはしなかった。
「少し、考えさせていただけます?」でその場は乗り切った。
一応は、東京都内の飲食店に勤めていた過去がある。一部マネージャーの仕事もやってたから、なんとなく嫌な予感がした。最悪、反社の可能性がある。はてな民・増田民の皆様も、ああいう営業で人当たりが良すぎるのは気を付けた方がいい。
『地面師たち』のドラマ見たことある人はわかると思うけど、反社の人って演技力が抜群である。いい人の演技が熟達してるヤツが結構いる。
正直迷った。ちゃんとした業者の可能性も十分あるので。どうしようか迷った結果、飲食店の組合に聞いてみることにした。
京都は飲食店組合が強いと聞いていた。コミュニティが熟成しているのは間違いない。祇園なんて、全体で見ても狭い街である。最短で10分もあれば横断できる。新宿や六本木も狭いけど、一般市街地まで含めたら広い。
ただ、この京都のコミュニティの中で、(反社含めて)いろんな業者がどれほどの力を持っているのか、自分には全然想像もつかなかった。
祇園の飲食店組合(※正式名称は出しません。一応……)に思い切って聞いてみた。長年の経験によるアドバイスがほしかった。
業者が来た経過を説明したのだけど……正直スゲー他人事みたいな表情だった。その初老の役員さんは。
「聞きにくいんですが、いわゆる、そういう方々なのでしょうか?」
「さあ、どうやろなぁ~祇園も色々あるやんなぁ~答えられん。おしぼりをどこから取るかは、結局、お店が決めることやし。組合がどうこう言う話でもない」
そっけなかった。「お店が決めること」っていうのは、自己責任ということだ。
組合は相談に乗ってくれなかった。絶対あんた情報知ってるやろ。反社かそうでないかくらい教えてくれよ。
「うちの店の近所である」と断言できるお店が3つだけあった。同じ通りにある。
ただ、そこも教えてはくれなかった。口が重いというか、うちが新参だから気にされてる感はあった。
返答はこんな感じだった。
・うちは昔から付き合いのあるところに頼んでる。会社は教えられない
・おしぼりなんて、適当に決めたら?(紙おしぼりでもええですよ)
・あなたもお店も、まずはええお客を作らんと。細かいところは後でいい
・どこも似たようなもん。京都府内だったら適当に会社を選んでもハズレはない
・話聞く限り、あなたのお店は高いんでしょう?おしぼりくらい自分で選びや~
なんか、どのお店もよそよそしい感じだった。それはわかるんだよ。近所とはいえライバルなのだから。
私が京都に帰ってきたのはつい先日である。料理の専門学校を卒業して都会に出たのだが、その暮らしの中で京都弁はすっかり抜けて標準語になってた。年に一度は山科に里帰りしていたのだが(京都の人は地元感を気にする)。
あの人たちは核心に触れるのを避けているように感じられた。面倒事に関わりたくないというか。
例えば、鴨川を挟んで真向かいにある木屋町だったら、今でも反社に守ってもらってるお店はある。高瀬川の上流にあるエリアである。第一観光ビルとかグリーンビルとか、昔小学校が建っていて今ホテルになってるとことか、あの周辺が特にそうだ。※たまに足がついて京都府警のお縄になっている
下流のエリアだと、ハイソがお店が並んでいる。同じ木屋町でも、お金持ち向けのエリアである。高瀬川の反対側にも飲食街があるが、そのあたりは残念ながら確信がない。
あきらめたくなかった。当時、一生懸命にどの業者がいいか?を調べていった。
おしぼりや什器といったお客さんが絶対に使うモノは、どこぞの知らない業者から手に入れたくなかった。こだわりがあった。反社など論外。東京で痛い目にあったことがあるからわかるのだ(秋葉原~台東区にかけての飲食街。アキバ冥途戦争はあながち間違ってない)。
ところで、故郷である山科で開業しなかったのは、開店時に「そういう人達」がやってくる可能性が極めて高かったから。木屋町も同様だった。その点、祇園は飲食店組合がしっかりしているからか、明らかにそういう連中が「うちが守ってあげますよ(^^)」みたいに来ることはなかった。
というわけで、食材やメニューや仕入れルートを決め切った後で、細かいことでも一生懸命に調べまくったよ。まな板とか包丁とか、食器とか、キッチンの導線とか、メインでもメイン以外でも、こだわりたかった。何事も最初が肝心だと思ってる。
今になっての感想だが、調べておいてよかったという確信はある。小さいことにも専心するのが事業の基本である。おしぼり業者は、結局インターネットで見つけた大手の無難そうなところにした。
ただ……今になって後悔がある。あの例のふたりで営業にきたおしぼり業者なのだが、彼らは反社ではなかった。正直、まっとうというか、京都市内でも伝統があると断言して差し支えないところだった。
彼らは、「祇園の半分の店はうちを使っている」旨の発言をしてたけど、それはマジかもしれなかった。実際、うちの近所の3店は、その業者からおしぼりをリースしてもらってた。
だったら、なんで教えてくれなかったんだよ!! 最近になって、そのおしぼり業者がもう一度きて、「しょうがないか……」という感じで、ほかの店とリース契約している証拠を見せてもらった。うちが京都と地縁が薄い新参店ということで、特別な配慮をしてもらったのだ。
後悔している感はある。実際、今からでも間に合うなら、その会社とおしぼりの契約をしたいと考えてる。ここだけは、明らかに選択を誤った。
けど、今の会社もまっとうな大手企業だし、契約期間1年未満で切るのもちょっとな~という思いがある。
おしぼりって意外と大事なんだよ。今の時期だったら、温かいおしぼりと、冷たいおしぼりが選べる店があるかと思うんだが、どっちにも適応できる神おしぼりを提供できるリース業者だってある。
あと、食事中もお手拭きや、洋食のナフキン代わりにおしぼりを使うお客さんもいるので、できればいいやつをお店に置きたいのである。
飲食店を開いたのは、「自分の料理で人を幸せにしたい」という確固たる思いがあるからだ。その思いは、開店前も今も変わらない。
だからこそ、全部こだわりたい思いがある。自分でうだうだ悩んでいてもしょうがないので、こちらに相談してみようと思った。その道に詳しい人が増田にはたくさんいるはずだ。
商売とかやってる人でも、会社員の人でも、経済社会に今は参加してない人でも、アドバイスをいただけるとありがたいです。クソバイスになってても読ませてもらいます。
Permalink |記事への反応(26) | 21:34