
はてなキーワード:リュックサックとは
○ご飯
朝:納豆たまごかけご飯。味噌汁。昼:柿の種。チョコボール。アイス。夜:カレー。バナナ。ヤクルト。間食:パイの実。
○調子
リュックサックバトルを遊ぶ手が止まらないので、強い気持ちで今日は数回しか遊ばなかった。
深域水の5-10をようやく突破した。1年ぐらいかかった気がするんだけど、ちょっと気長に遊び過ぎたかも。
スモモを倒すところまで。
これは体力のないおじさんとスマホもろくに使えない老婆の旅行記なので視点が大分偏っていると思う。
月曜日と火曜日の2日間だけなので一部しか捉えられていないところも多々あるが許してくれ。
人混みも暑いのも嫌いだから、めんどくささで鬱になるかと思った。
アプリで一ヶ月前、七日前と段階を分で予約抽選を受けられるが母の希望の人気のパビリオンで一点決め打ちしてたから全滅。
当日予約があるということでそれで頑張ることにした。
公式HPを見てもパビリオンで何やってるのかポエムばっかで意味分かんないなと思っていた(後にこの理由は分かった)ので自分はまったく楽しめる気にならず、そして公式アプリや予約システムのUIがカス過ぎてイライラした。
チケットぴあの公式ガイドブックはパビリオンの説明もあるしマップもあるということで母に渡すと熱心に読み込んでいた。
9時55分くらいに並んだが、入場は混み合っていて1時間位かかった。
万博は予約時間以降ならいつでも入場できるシステムなので、9時の人は別レーンで並んで優先的に流してもらえていた。
それを見たので翌日は10時予約だったが11時前に行ったら10分くらいで入れた。
なので結局入場時間は同じくらいだった。
朝一は当日予約などで有利なので9時枠取れた人は朝一入場目指した方がいいけど、それ以降の人は予約時間より遅く行ったほうが楽なんじゃねーか。
そんなに気合が入ってない人は15以降の入場を強く推奨する。
夕方から人がどんどん減っていくので、パビリオン楽しみたいならそこからが本番だ。
昼のうちに体力消耗するなよ。
入場したら人人人人だらけである。
不人気万博と聞いていたが不人気でこれなら予想した人数いたら不快でとんでもないことになっていただろうな。
軽く見て回るがどこも長蛇の列で母親が落ち込んでいて慌てる。
万博ファン達が、万博GOってサイトで待ち時間の少ないパビリオン情報を常時更新してくれているのでそれと、ファンが作ったマップで予約無しで入れるところが分かるのでそれを参考に回る。
万博GOとマップは必需品だが、どちらもオフィシャル製で無いことにイラッとする。
開催者は何やってるんだ。
当日予約はこれまた万博GOってところで全体の空き情報が見れるので活用する。
会場内に当日予約の情報はなかった(俺が見つけられなかっただけかも)し、空き枠が出てもすぐ埋まるので俺はひたすらスマホとにらめっこして枠が空いたら申し込んでエラーが出たり既に埋まったりしてた。
当日予約に躍起になっていると万博をしっかり楽しむことは出来ないので俺はいいけど普通に楽しみに来た人は嫌だろうな。
飯を食ったり、コモンズ(デカい建物に複数の国がブースを並べている。待ち時間なく入れるので並びたくない時はここが一番いい)回ったりした。
コモンズは狭いスペースで民芸品が並んでいるが、どこの国も基本的に織物! 木彫り! 自然豊か! 名産品!(お手を触れないでください!) 謎のおじさんの写真!!(おそらく国のトップなんだろうな)って感じだった。
セキュリティの関係もあるんだろうけどすぐ触れる距離に置いてあって触れないというのは勿体ない。
布地なんて肌触りとか大事だし、コーヒーのパッケージだけ並べられてもよくわからんよね。
眼の前によく知らない国の自然に優しい伝統的な虫よけスプレーの小瓶を置かれて眺めるだけで喜ぶ人はどれだけいるんだろうか。
スパイスや紅茶の香り比べとかはあって、正直市販のものとの違いなんてまったく感じなかったけど、触れる体験が無いと行く価値はまったくないと思った。
コモンズの係員は現地の人と日本人のパターンあったけども、現地の人達は概ねやる気がなかった。
なんらかの操作をすればインタラクティブな表示がされるデバイスの前で日本人が混乱していて、係員はそれを気にせず椅子に座ってスマホ見てたのはとても良かった。(俺は海外でしばらく暮らしていたのでそういうのは嫌いじゃない)
ネットで打楽器を体験できるからドラマー連れてったら楽しいってあったけど大抵子供がチャカポコ狂ったように鳴らしていて割と不快だった。
パビリオンは大きく分けて3つある。
1つはでっかいモニター、奇抜な形のモニターで映像を見るタイプ。これは見る価値が無い。
家でYoutube見れば十分。
お決まりのSDGSだの豊かな生態系だの高度な社会だのうんたらかんたらポエムをキレイな映像と共に叩きつけられて「公式HPの説明が訳わからなかったのはこれが原因かァ~~~!」ってなった。
もう1つはアート系。
暗闇でシャボン玉飛んだり、螺旋状の坂を登りながらポップなアーティストの絵を眺めれたりする。
三十分待った先でシャボン玉見せてもらえて嬉しい!とは俺は思えない。
最後はパネルクイズや展示、係員の説明で国の紹介をするタイプ。
全部コレにしてくれ。このタイプの中でも良いところ悪いところがあるんだが、カスなのはWikipediaの国ページやNHKの特集をメチャクチャ薄めたような感じ。
水道水も飲めないような国(俺はその国で水飲んで腹壊したことある)「うちの国は医療に力を入れていて公共衛生最高だぜェ~~!」と訴えていると笑ってしまう。
俺の好きな国が「うちの国はハーブで免疫力を強化してコロナを乗り切ったぜェ~~!!」とかやってて悲しかった。
展示もピンキリで、触れる展示が少ないのが残念だった。
あるパビリオンは入ってすぐの入口で料理の模型がズラッと並んでて「万博まで来て食品サンプル見るの?」ってなっちゃった。
俺は体験がしてェんだ……。
悪いところばかり挙げたが、海外パビリオンには大抵レストランやカフェが併設されていて、そこで国の特徴があるコーヒーだったり料理が楽しめるのは良かった。
万博じゃなくても大阪なら料理屋行けばいいじゃん、って思ってたけど年老いた母親を「コーヒー飲みに行こうぜ!」ってアラブ系の飯屋に連れて行くことなんてまず無いし、やっぱり機会ってのは大事。
ヘルスケア館がとても良かった。
というのも入ってまず健康診断みたいなのを受けられるんだが、年寄は皆健康診断が大好きである。
丸一日炎天下歩いてお肌の状態がどうとか言われてイラッとすることもあったが、俺も楽しめた。
俺はゲーマーだからVR系の展示をやりたかったんだけど、一時間待ちと言われて断念。
マイクロバブルシャワーヘッドの威力が凄まじくて自分の家に欲しくなった。
並んで入ったらしょぼい映画だけで終わって悲しい。
未来の火星探査の様子の映画だったんだけど、その中で「火星で地球と同じ原始的な生命体が見つかりました」ってやってて、それは断言しちゃいかんことだろと思った。
掛けた予算以上の意味があるかは分からんが、日よけになるデカい歩道を用意してくれるのはまじでありがたかった。
今の季節でも既に死ぬほど暑いが、リング下は涼しくて休憩もできる。
よほどの体力猛者じゃない限り、こまめに座って休憩したほうがいい。
ヘルスケア館みたいな長時間滞在するタイプは二時間立ちっぱなしで座るところが少ないので入場前元気でも出てくる頃には結構きつい。
それと日中は学生がいて混雑しているが、三時くらいから大分人が減ってくるので時間がある人は日中に無理して動くよりも夕方以降に頑張って歩いたほうが楽しめる。
並んでいたときに現地のおばちゃんと話したけど、スマホ使えないから自分の場所もパビリオンの入り方も、中で何が見れるのかもよくわからんと言っててちょっと可哀想だった。
白黒にプリントアウトされた地図持ってたけど見づらいから絶対カラーのほうがいいよ。
事前に勉強してこいって意見は出るんだろうけど一部の人達だけが楽しめるイベントにするのは良くないよね。
展示のレベルは全体的に見てかなり低いので、ヨドバシカメラで未来を感じたり、美術館博物館行ったほうが面白さはあると思う。
ただその中でも海外の兄ちゃんが説明してくれる体験や、木造リングのデカさとか「触れないと味わえない楽しさ」みたいなのは極少数ながらある。
知的好奇心目当てで行ったら後悔するけど、家族サービスとかならありかな。
うちの母はスマホもろくに使えないような人だから一人で行かせなくて本当に良かった。
もう二度と行きたくないけど次行くなら昼は大阪観光して夕方~閉館までで予定を組む。
カバンはサイズがデカいと駄目とか荷物検査めんどくさいから持っていかないほうがいいと思ったが、厳密にサイズ測ってる訳じゃないからリュックサック位は持っていった方が楽。
空港の荷物検査とまったく同じことを入場前にやるから無駄なものは持っていかないようにね。
入場者の中には折りたたみ椅子や腰掛けられるポール持ってる人も多かった。並んでる最中にちょっと座れるのはめっちゃ良いと思う。
ペットボトル(中で水を汲める)、日傘、タオル(トイレで手を拭けないぞ)、モバイルバッテリー、地図は用意したほうがいい。
スマホで開くの面倒だし、嵩張るもんじゃないから畳んでポッケに入れておくのがいいよ。
Permalink |記事への反応(14) | 12:31
ここへ来たのは初夏の頃で、鉄の格子の窓から病院の庭の小さい池に紅あかい睡蓮の花が咲いているのが見えましたが、それから三つき経ち、庭にコスモスが咲きはじめ、思いがけなく故郷の長兄が、ヒラメを連れて自分を引き取りにやって来て、父が先月末に胃潰瘍いかいようでなくなったこと、自分たちはもうお前の過去は問わぬ、生活の心配もかけないつもり、何もしなくていい、その代り、いろいろ未練もあるだろうがすぐに東京から離れて、田舎で療養生活をはじめてくれ、お前が東京でしでかした事の後仕末は、だいたい渋田がやってくれた筈だから、それは気にしないでいい、とれいの生真面目な緊張したような口調で言うのでした。
故郷の山河が眼前に見えるような気がして来て、自分は幽かにうなずきました。
まさに癈人。
父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよ腑抜ふぬけたようになりました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。
長兄は自分に対する約束を正確に実行してくれました。自分の生れて育った町から汽車で四、五時間、南下したところに、東北には珍らしいほど暖かい海辺の温泉地があって、その村はずれの、間数は五つもあるのですが、かなり古い家らしく壁は剥はげ落ち、柱は虫に食われ、ほとんど修理の仕様も無いほどの茅屋ぼうおくを買いとって自分に与え、六十に近いひどい赤毛の醜い女中をひとり附けてくれました。
それから三年と少し経ち、自分はその間にそのテツという老女中に数度へんな犯され方をして、時たま夫婦喧嘩げんかみたいな事をはじめ、胸の病気のほうは一進一退、痩せたりふとったり、血痰けったんが出たり、きのう、テツにカルモチンを買っておいで、と言って、村の薬屋にお使いにやったら、いつもの箱と違う形の箱のカルモチンを買って来て、べつに自分も気にとめず、寝る前に十錠のんでも一向に眠くならないので、おかしいなと思っているうちに、おなかの具合がへんになり急いで便所へ行ったら猛烈な下痢で、しかも、それから引続き三度も便所にかよったのでした。不審に堪えず、薬の箱をよく見ると、それはヘノモチンという下剤でした。
自分は仰向けに寝て、おなかに湯たんぽを載せながら、テツにこごとを言ってやろうと思いました。
と言いかけて、うふふふと笑ってしまいました。「癈人」は、どうやらこれは、喜劇名詞のようです。眠ろうとして下剤を飲み、しかも、その下剤の名前は、ヘノモチン。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
[#改頁]
この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド・バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。小柄で、顔色のよくない、眼が細く吊つり上っていて、鼻の高い、美人というよりは、美青年といったほうがいいくらいの固い感じのひとであった。この手記には、どうやら、昭和五、六、七年、あの頃の東京の風景がおもに写されているように思われるが、私が、その京橋のスタンド・バアに、友人に連れられて二、三度、立ち寄り、ハイボールなど飲んだのは、れいの日本の「軍部」がそろそろ露骨にあばれはじめた昭和十年前後の事であったから、この手記を書いた男には、おめにかかる事が出来なかったわけである。
然るに、ことしの二月、私は千葉県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。
船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわからないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、私はレコードの提琴の音にひかれて、或る喫茶店のドアを押した。
そこのマダムに見覚えがあり、たずねてみたら、まさに、十年前のあの京橋の小さいバアのマダムであった。マダムも、私をすぐに思い出してくれた様子で、互いに大袈裟おおげさに驚き、笑い、それからこんな時のおきまりの、れいの、空襲で焼け出されたお互いの経験を問われもせぬのに、いかにも自慢らしく語り合い、
「いいえ、もうお婆さん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若いわ」
「とんでもない、子供がもう三人もあるんだよ。きょうはそいつらのために買い出し」
などと、これもまた久し振りで逢った者同志のおきまりの挨拶を交し、それから、二人に共通の知人のその後の消息をたずね合ったりして、そのうちに、ふとマダムは口調を改め、あなたは葉ちゃんを知っていたかしら、と言う。それは知らない、と答えると、マダムは、奥へ行って、三冊のノートブックと、三葉の写真を持って来て私に手渡し、
と言った。
私は、ひとから押しつけられた材料でものを書けないたちなので、すぐにその場でかえそうかと思ったが、(三葉の写真、その奇怪さに就いては、はしがきにも書いて置いた)その写真に心をひかれ、とにかくノートをあずかる事にして、帰りにはまたここへ立ち寄りますが、何町何番地の何さん、女子大の先生をしているひとの家をご存じないか、と尋ねると、やはり新住民同志、知っていた。時たま、この喫茶店にもお見えになるという。すぐ近所であった。
その夜、友人とわずかなお酒を汲くみ交し、泊めてもらう事にして、私は朝まで一睡もせずに、れいのノートに読みふけった。
その手記に書かれてあるのは、昔の話ではあったが、しかし、現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない。下手に私の筆を加えるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌社にたのんで発表してもらったほうが、なお、有意義な事のように思われた。
子供たちへの土産の海産物は、干物ひものだけ。私は、リュックサックを背負って友人の許もとを辞し、れいの喫茶店に立ち寄り、
「きのうは、どうも。ところで、……」
とすぐに切り出し、
「このノートは、しばらく貸していただけませんか」
「ええ、どうぞ」
「このひとは、まだ生きているのですか?」
「さあ、それが、さっぱりわからないんです。十年ほど前に、京橋のお店あてに、そのノートと写真の小包が送られて来て、差し出し人は葉ちゃんにきまっているのですが、その小包には、葉ちゃんの住所も、名前さえも書いていなかったんです。空襲の時、ほかのものにまぎれて、これも不思議にたすかって、私はこないだはじめて、全部読んでみて、……」
「泣きましたか?」
「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」
「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド・バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。小柄で、顔色のよくない、眼が細く吊つり上っていて、鼻の高い、美人というよりは、美青年といったほうがいいくらいの固い感じのひとであった。この手記には、どうやら、昭和五、六、七年、あの頃の東京の風景がおもに写されているように思われるが、私が、その京橋のスタンド・バアに、友人に連れられて二、三度、立ち寄り、ハイボールなど飲んだのは、れいの日本の「軍部」がそろそろ露骨にあばれはじめた昭和十年前後の事であったから、この手記を書いた男には、おめにかかる事が出来なかったわけである。
然るに、ことしの二月、私は千葉県船橋市に疎開している或る友人をたずねた。その友人は、私の大学時代の謂わば学友で、いまは某女子大の講師をしているのであるが、実は私はこの友人に私の身内の者の縁談を依頼していたので、その用事もあり、かたがた何か新鮮な海産物でも仕入れて私の家の者たちに食わせてやろうと思い、リュックサックを背負って船橋市へ出かけて行ったのである。
船橋市は、泥海に臨んだかなり大きいまちであった。新住民たるその友人の家は、その土地の人に所番地を告げてたずねても、なかなかわからないのである。寒い上に、リュックサックを背負った肩が痛くなり、私はレコードの提琴の音にひかれて、或る喫茶店のドアを押した。
そこのマダムに見覚えがあり、たずねてみたら、まさに、十年前のあの京橋の小さいバアのマダムであった。マダムも、私をすぐに思い出してくれた様子で、互いに大袈裟おおげさに驚き、笑い、それからこんな時のおきまりの、れいの、空襲で焼け出されたお互いの経験を問われもせぬのに、いかにも自慢らしく語り合い、
「いいえ、もうお婆さん。からだが、がたぴしです。あなたこそ、お若いわ」
「とんでもない、子供がもう三人もあるんだよ。きょうはそいつらのために買い出し」
などと、これもまた久し振りで逢った者同志のおきまりの挨拶を交し、それから、二人に共通の知人のその後の消息をたずね合ったりして、そのうちに、ふとマダムは口調を改め、あなたは葉ちゃんを知っていたかしら、と言う。それは知らない、と答えると、マダムは、奥へ行って、三冊のノートブックと、三葉の写真を持って来て私に手渡し、
と言った。
私は、ひとから押しつけられた材料でものを書けないたちなので、すぐにその場でかえそうかと思ったが、(三葉の写真、その奇怪さに就いては、はしがきにも書いて置いた)その写真に心をひかれ、とにかくノートをあずかる事にして、帰りにはまたここへ立ち寄りますが、何町何番地の何さん、女子大の先生をしているひとの家をご存じないか、と尋ねると、やはり新住民同志、知っていた。時たま、この喫茶店にもお見えになるという。すぐ近所であった。
その夜、友人とわずかなお酒を汲くみ交し、泊めてもらう事にして、私は朝まで一睡もせずに、れいのノートに読みふけった。
その手記に書かれてあるのは、昔の話ではあったが、しかし、現代の人たちが読んでも、かなりの興味を持つに違いない。下手に私の筆を加えるよりは、これはこのまま、どこかの雑誌社にたのんで発表してもらったほうが、なお、有意義な事のように思われた。
子供たちへの土産の海産物は、干物ひものだけ。私は、リュックサックを背負って友人の許もとを辞し、れいの喫茶店に立ち寄り、
「きのうは、どうも。ところで、……」
とすぐに切り出し、
「このノートは、しばらく貸していただけませんか」
「ええ、どうぞ」
「このひとは、まだ生きているのですか?」
「さあ、それが、さっぱりわからないんです。十年ほど前に、京橋のお店あてに、そのノートと写真の小包が送られて来て、差し出し人は葉ちゃんにきまっているのですが、その小包には、葉ちゃんの住所も、名前さえも書いていなかったんです。空襲の時、ほかのものにまぎれて、これも不思議にたすかって、私はこないだはじめて、全部読んでみて、……」
「泣きましたか?」
「いいえ、泣くというより、……だめね、人間も、ああなっては、もう駄目ね」
「それから十年、とすると、もう亡くなっているかも知れないね。これは、あなたへのお礼のつもりで送ってよこしたのでしょう。多少、誇張して書いているようなところもあるけど、しかし、あなたも、相当ひどい被害をこうむったようですね。もし、これが全部事実だったら、そうして僕がこのひとの友人だったら、やっぱり脳病院に連れて行きたくなったかも知れない」
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
何気なさそうに、そう言った。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
あら、あなた!旅行にリュックサックなんて、もったいないわ!せっかくのお出かけなのに、まるでハイキングじゃない?
キャリングケースよ、キャリングケース!コロコロと転がすあの姿が、なんてスタイリッシュなの!空港でも、街中でも、颯爽と歩くあなたの横で、小粋なキャリングケースがキラリと光るのよ。
それにね、リュックサックだとお洋服がシワになっちゃう心配があるじゃない?でも、キャリングケースなら、きちんと畳んで収納できるから、いつでもパリッとしたおしゃれを楽しめるわ。
それに、最近のキャリングケースって、デザインも豊富なのよ。ブランド物から、シンプルで洗練されたものまで、あなたのファッションに合わせて選べるの。まるでアクセサリーみたいでしょ?
考えてもみて!素敵なワンピースに、ヒールの靴、そしてお洒落なキャリングケース。街のカフェで一息つく姿も、ホテルでチェックインする姿も、絵になるじゃない?
リュックサックは確かに楽かもしれないけれど、おしゃれとは言えないわ。せっかくの旅行なんだから、ファッションにも気を遣って、最高の思い出を作ってほしいの。
だから、お願い!旅行には、ぜひお洒落なキャリングケースを選んでちょうだい。きっと、あなたの旅をより一層輝かせてくれるわ!信じて!
満員電車に揺られること20年近く。この度、満員電車内で初めて理不尽に絡まれました。
まず事の起こりはドア付近に立っていた所、座席にもたれかかるようにして、私の横に立っていた男性が
急に私に向かって「人のリュックサック叩くんじゃねよ!叩くんじゃねえよ!」と怒鳴ってきたところから始まります。
は??叩く??とは??
私はリュックサックを前に抱えており、しかもこのリュックサックは前に抱えるとずり落ちるので、常に両腕で抱きかかえていないといけないという代物。
この日もホームでリュックを前に移動し、電車に乗ってからずっと手でバッグを抱えているから隣の人のリュックを叩くことは物理的に不可能。
…は??
あまりにもありえないことなので「叩くんじゃねえ!」と言うのが私に向かっての言葉だと言うのもしばらく気づきませんでした。
ただ、この時点では「まぁやばい奴だし、とりあえず聞こえないふりしておこう」と思い、一旦はやり過ごしました。
しかし、隣のやばい奴はこの私の対応で私が反論してこないと判断し、調子に乗ったようで「リュック叩くんじゃねぇ!!叩くんじゃねぇ!!」と全く止める気配なく怒鳴り続けました。
ちらっと確認すると30代スーツ姿の170センチ二重顎メガネ男性。完全に顔がニヤニヤしており、怒っているのではなく怒鳴るのを楽しんでいる。
私は150センチ、45キロ。これは怒っているのではない。自分より弱い人間に嫌がらせをして楽しもうとしているだけである。
「最初は本当にただの偶然で肘が相手の胸に当たってしまったんです。でも相手は無表情で何の反応もないし。あっやっていいんだって思いました。」
…!!私がもし、ここで怒鳴るのを楽しんでいるこいつを無視するという大人の対応をした場合、こいつの認知も歪み、
自分より弱そうな人に満員電車で怒鳴ってストレスを解消するモンスターと化すのでは…!!
その瞬間、私は悟りました。今ここでこいつをモンスター化させない、それが今の私の使命だと。。
無視するのが大人の対応ではない、真の大人は隣人がモンスター化するのを身を挺して止める者だと。。
ただ、電車内で絡まれたこともなく、見知らぬ人との口論経験はない。当然電車で口論したことはない。
とりあえず自分の中で周囲にめちゃくちゃやばい人だと思われないように
(多少やばい人と思われることは諦めました、同じ会社の人がいなかったことを祈るのみ)
あと、いざという時に回避行動を取れるように相手の目と全体から視線を外さない、
(揉めていることを周囲が分かったほうがいざという時の身の安全が確保できそうだったので)
周囲に聞こえるくらいの音量で話すということを決めて反撃することにしました。
〜口論開始〜
「叩くんじゃねぇ!叩くな!叩くな!叩くんじゃ」
「あの、申し訳ないですけど(←これ言っておけばちょっとまともな人感出るかと思った)、
満員電車なので、あなたのリュックを完全に避けることは難しいです」
(叩いていないが、まともな人って当たったかもって感じで話すよね?って感じで最初の切り口は穏やかに話してみた)
「叩くんじゃねぇって言ってんだろ!」
「叩いてません。」(←やってないことはしっかり言おう)
「だから叩くなって言ってんだろ!」
「叩いてません。」(←やってないことはしっかり否定。叩くとかやばい行為やっていると思われるとまともな人感薄れるし)
「だから叩くなっつってんだろ!」
「叩いてないです!」(ここら辺でちょっと声大きくしてみた)
このあたりから遠くの人が振り返り始め、相手の二重顎が周囲の視線にたじろぎ始める。
「だから…」
「叩いてないです!」(メガネから別の言葉が出てこないので、面倒になって遮ってみた)
言葉を遮られたことのダメージか周囲の視線のダメージか急に黙り込む二重顎メガネ。
20秒くらい睨み合い。。急に目を逸らすちょいぽちゃ二重顎メガネ。
二重顎メガネ「…もういいよ」(←小さい声)
しかし!ここで引いてしまったら、こいつへのダメージが少なすぎる!!
私の使命はこいつが金輪際モンスター化しないようにすること!!
こいつを2度と電車内で見知らぬ人を怒鳴ろうなんて思わない真人間にするためには
心を鬼にし、周囲にやばい人と思われることを覚悟で、こちらから攻撃を仕掛けていかねば!
〜ラウンド2〜
「もういいよって何なんですか!あなたから言ってきたのに、どういうことですか!」
「いや…水掛け論になるし…」(二重顎メガネの声が小さくなる。この辺りから助けを求めるように周囲を見渡すようになる)
「水掛け論って!あなたから言いがかりつけてきて水掛け論て何ですか!」
(口論に慣れていないので全然言葉が出てこなくておうむ返しになったのは反省点)
「いや…だからやったやらないって言い合ったって仕方ないし…」
「そっちがやったって言ってきて、言い合ったって仕方ないってどういうことですか!」
ここら辺で「あっこいつだいぶ弱ってるな」って思った。
おそらく安易に私に怒鳴ったことを心の中で後悔しているに違いない。
でも、私がしたかったのは自分より弱い人間を電車内でいたぶって楽しむモンスターを生み出すことを阻止すること…
そのためには、「電車内の小さい人間=絡むと危険」とこの二重顎メガネの脳内に刷り込む必要がある。
よし!最後、頑張るぞ!!
「大体、私が小柄で小さいから怒鳴ってきたんですね!」
(←小柄で小さい人間に絡むのは厄介と思わせたいのでその点を強調してみた)
「は、何言ってるの…」(完全に目を逸らして周囲を見渡す…周囲に無視され足元を見始める)
(普通、本当に叩かれたと思ってたらここで「ちげぇよ!お前が叩いたからだろ!」とか言って反撃すると思うのですが
特に否定もしないでかつ無視もせず、「何言ってんの」とかボソボソ言ってキョロキョロし始めたので本当に自分より弱そうな奴に難癖つけていたぶりたかっただけなんだなと思いました)
「そっちがイヤホンしているから大きい声で話してあげてるんですけど!!」
ちなみに物理的な攻撃に出られると困るのでその後もずっと見続けた。
残された私はめちゃくちゃキレたやばい奴として自分の降車駅まで静かに過ごしました。
ランドセルの色論争見てて思い出すのは、俺の小中学校は普通のランドセルではなくて(ボックス然としたものではなく偏平なリュックサックのようなもの)、色は紺のみ。男子は縁取りが紺、女子は赤だった。
いわゆる『ランドセル』はマンガやアニメの世界だけの話だった。
なんとはなしに奴らの登下校を見てた小3の俺はこのランドセルって物体はどんだけダセェ代物なんだよってミジメな気になってきた
ランドセルといえば男女別の色に違和感があったみたいなエピソードよく聞くけどふーんそうなんだってかそこなんだ?あの直方体のほうに引っかかりを覚えなかったんだ?って毎回思うわ
なんかどう考えてもなんていうかロボじゃん。勉学ロボみたいな。
大人になってファッション逆張り目的以外で誰一人使用してないことからも機能面でなんも利点ないのは明らか。
まあdisはこれくらいにして本題に戻るけど
どうしてもランドセルは無理ってなってとりあえず肩掛けのやつは家に親のがあったから明日からコレでいくわって親に言ったら
親が家族会議しだして認める方向でまとまったんだけど。
そこで
「ランドセル買えない貧乏人と思われる危険性あるかもな」みたいなことをボソっと言ってたのよな。
えっ?そういう視点もあるの?って目からウロコだったよねおれは。
ふーん貧乏人と思われるのか・・・んじゃやめとくか・・・みたいな逡巡も確かに一瞬あったが
そうはいえどもこのダセェ代物を背負って通学路を練り歩くことへの忌避感のほうが最終的に競り勝った
それによく考えたら5,6年生も数名ランドセルじゃないやつ(リュックサック)いたしあんま気にしなくていいんじゃないかみたいなことを言ったら
まあそうだろなーって話になって結局バッグで登校できることになった。
結局その後バッグで登校を続けたけど終始一貫してそんなシケたもん背負ってられっかみたいな態度を取っていたらだんだんバッグ登校者が増えてきた
まあランドセルじゃないとダメですみたいな教師もいなかったし(これは本当に貧乏で買えない可能性もあるから指摘できなかったのかもしれない)
ランドセルの耐久力的に高学年はキビシイのもあって俺の行動にかかわらずランドセル脱落者は普通に発生してたんだと思う。
まあ何が言いたいかというとランドセルからバッグに変えてもなにも起きなかったということ。
そして機能性・利便性などの違いについて、果たしてバッグのほうが優れていたのかどうかだが、それは正直まったく覚えていない。
俺が覚えていないことこそが違いを気にしなくてもいい証左だろう。
俺が覚えているのは親がボソっと発したあのランドセルないと貧乏人と思われるというつぶやきのほうで、
そこから広がっていく地域世界の狭さのスケールみたいなものを初めて意識した記憶と、それを気にしすぎるのもよくないという教訓。
増田は母を訪ねて三千粍というタイトルの童話を知っているかな。
昔々、小さな村にマルコという名前の元気な少年が住んでいました。マルコはとても好奇心旺盛で、なんでも探求するのが大好きでした。ある日、彼はお母さんがとても小さな村のさらに遠くに住んでいることを知ります。村までの距離はなんと三千粍!これは普通の距離ではありません。マルコは小さいながらも大きな冒険に出ることを決心しました。
彼は準備をし、食べ物や水、お気に入りのぬいぐるみをリュックサックに詰め込み、旅に出かけます。途中、マルコは親切な動物たちに出会います。彼らはマルコの旅を手助けし、時には彼を励ましてくれました。彼らの助けを借りて、マルコは少しずつ距離を進んでいきます。
三千粍の道のりは決して順調ではありませんでしたが、マルコの頑張りと仲間たちの支えによって、ついに彼は目的地にたどり着きます。そこにはお母さんが待っており、マルコの姿を見ると、彼女は涙を流して喜びました。再会を果たした二人は抱き合い、その瞬間、冒険の疲れはすっかり忘れてしまいました。
一応、家族の紹介だけする。父母は直接は出てこない。
父母…兄と3人暮らし。どっちも高齢だけど仕事してる。普通に尊敬してる。
【以下本文】
増田利用者の男性だったら、30代前半くらいまでだろうか。子ども時代に初代ポケモンカードをプレイしていたのは。俺も小学生の頃は土間張りしていた。多い日だと、1日のうち8時間くらいはカードショップでプレイしてた。カード好きの同年代とか、中高生とか、面倒見のいい社会人とかいて、いっつもワイワイガヤガヤやってたっけ。
夜8時までお店にいて、母親に無理やり連れ戻されたこともあった。正直ガチ勢だった。お年玉も全部ポケモンカードに使ったし、かっこいいカードはプレイ用とは別に保存用にしておいたし、最初期のパックに至っては、記念に未開封のものを何袋か取り置いた。
最終的には何枚あったのだろう。今では確かめようもないが、顧問カードを含めると五千枚はいってると思われる。
しかし……中学に上がってしばらくすると、ポケカをやらなくなった。
同い年の男子連中は、すでに違う趣味に走っていた(性的な意味ではない)。コロコロコミックなど、みんなもはや読んでなかった。
ジャンプとかマガジン、その他青年向け雑誌に移っていた。漫画そのものを卒業する層も当然出てくる。
当時の俺は、「もう大人が近いんだし……」と感慨にふけりながら、小学生の頃から使っているリュックサックにポケモンカードのボックス一式を入れて、押し入れに仕舞ったのだ。14才の頃である。
時は変わって、そろそろアラサーを終えようとしている。
おかしいと思ったのが今年の4月末頃だ。メルカリを見ると、『かえんリザードン 旧裏 極美品 引退品です』みたいな見出しで、カードが売られていた。
「懐かしいな~」と思って商品画像を眺めると……写真に映っているカードボックスが、俺が小学生の頃に使ってたやつだった。心なしか、スリーブの色も……。
気のせいかと思った。でも、カードの販売額(※12万くらい)が額だけに、気になってその出品者の他出品を見ていった。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああ
頭の中がマジでこうなった。
GWまで待てなかった。急いで100km以上は離れた実家に帰り、元俺の部屋の押し入れを開けると、14才の頃に仕舞ったリュックサックが消えていた。
兄の部屋をノックすると、「うるさい帰れ、あとにしろ」という声が聞こえた。何度もノックを繰り返すと、無視するようになった。
怒る気持ちを抑えて、晩近くまで台所で兄を待ったよ。夜になって、ようやく夕食に出てきた。
父母がいないことを確認して、いろいろ問い詰めていった。
・もうわかってるんだが、なんでカードを売ったの?
・カード説明には「家族の遺品」とあったが、俺はまだ死んでない
とにかくひどい返答だった。兄は、悪びれもせずに「普通に売った。いらないかと思って。カードが可哀想で」という言い方だった。
最後には、キレながら「うるせえんじゃ。消えろボーーーーケッ!!」と吐き捨ててきた。
こいつ、今はフリーターだけど、これでも元は正規職の区役所職員である。合格した当時は「経歴はかなり盛ったけど、まあなんとかなるっしょ~」とかほざいていた。一体何をどう盛ったのか聞くと、かなりとんでもない盛り方だった。父に物凄く怒られていた。
いったい何が起きたのかはわからんが、数年前に退職してからはこの調子である。近所のラーメン屋でアルバイトをしているようだ。
メルカリだけど、もし兄が販売履歴を消してないと仮定すると、カードの販売総額は50万円ほどになる。
なんかさ、ポケカが高騰してるってニュースは聞いたけど、これほどとは思ってなかった。いろいろ調べていくうちに、その50万円というのもヘタクソな売り方だとわかった。
ほぼ傷のない状態でのカードショップの買い取り額が「10万円」とあるものを、メルカリでは2~3万円で売っていた。いや、早くカタを付けたかったのかもしれないが、もうちょっと考えて売れば……と被害者である自分ですら思った。
いや、実際どうすればいいんだよ。兄に弁償を求めようにも、俺には客観的な価額とかわからないし、請求した時点で兄が持ち金を隠すのはわかってる。昔からそういう人間だ。金自体を持ってない可能性だってある。
父や母はまだ余裕で健康だけど、正直相談していいかもわからない。保護者ということで今回の弁済を求めたいくらいだ。
いや、そんなことしないよ。そんな、父母を心配させることはしたくない。あくまで個人的な心情としてだ……。
父にも母にも尊敬の気持ちがある。できればそんなことはしたくない。けど、起こったことは正直に伝えるべきだとも思ってる。
増田で書いてると気持ちが落ち着いてきた。やっぱり書くっていいことだよな。
俺の心は、あれから三か月経った今でも沈んでる。あれからすぐ、兄からリュックサックを奪い返したけども、(デッキで一軍入りするレベルのやつで)残ったカードはほとんどなかった。アルバムコレクションもそうだ。残っていたのはプラスチックの箱に仕舞ってたコモンカードばかりだったよ。
いや、思い出残ってるからいいけどさ。
残ったレアカードは1~2枚だけだった。最初期のリザードンのやつと、まだ幼かった頃、父母と兄と一緒に映画館に行って手に入れた――あの頃は家族みんな仲良くて平和で楽しかったな――古代美優のポケモンカードである。映画パンフレットに挿入されていた。
これらについて、絵柄は素朴なんだけど、シンプルで味があっていい。見た目は相当にキレイである。売ろうなんて思わない。こいつらだけは一緒に墓場まで持って行ってやる。
あー、マジでどうしたらいいんだ。
頼むから、増田の人で、これに類する経験がある人がいたらアドバイスがほしい。
Permalink |記事への反応(32) | 21:26
昨晩、自宅前の駐車スペースでレンタカーを返そうと荷物のおろし忘れがないか見ていたら、通りがかりの歩きの男(40前後、長髪であまり清潔感のない服装にリュック)に声かけられた。私鉄沿線の住宅街で駅からも離れているので地元民以外が出歩く場所ではない。
「ちょっと道を聞きたいんですけど」
やけにニヤニヤして馴れ馴れしい感じで声かけてきたので第一声から身構えてたら、
「〇〇(都県境を越えた都市20〜30km先)ってどうやっていけばいいんですかね」
最寄り駅からは複数回乗り換え必要な都市で、そもそも歩いてて駅からも遠い場所で、その地名が出てきたことに不審になった。
「車で、?それとも電車で?」
そこで男は笑顔(返答してくれたことで馴れ馴れしい感じが出てきた感じがした)になって、よくぞ聞いてくれたという空気で、
「歩いて行くしかないんですよ」
「あっちの方で鞄をおいて作業してたら財布取られちゃって一文無しで」
「さっきそこで聞いたら〇〇は北だからあってじゃね?って言われて、冷たくないですかね」
「今どきの警察、身分証明ないとお金貸してくんないんですよ。歩いて〇〇まで行くのか、今日中に帰れるかなあ」
「あ、そうだ、自分の電話番号教えるんで、〇〇までの電車賃貸してくれないですかね、後で返しに来るんで」
「いや悪いけど、一緒に警察には行ってあげるけど」
その時は嘘を言ってるかとはなぜか思わなかったのだが、生理的にその男に金を渡すのが躊躇われたので冷たくそう答えた。
男は今どきの警察は身分証明が、ないと貸してくれないんだよね、と繰り返し愚痴りながら、私が北と言った方角に歩いていった。
それを見送ってから検索したところ〇〇までの電車賃は1000円かからない、歩いて行くと日付が変わるくらいにはつける距離(迷わなければ)だった。
家族にそのやりとりを、話すと「絶対詐欺だよ〜」自分達だったら「歩いて行けば?」て突き放すと言われた。
考えれば考えれるほど、嘘っぽいし、その男の財布取られた話を信用する材料も金を貸す担保もないと思うのだが、なんとなくもやっとしてる。
Permalink |記事への反応(14) | 13:46
COVID-19が5類になってからいろんな感染症が増えているというニュースがある。「マスコミは扇動的だ」という批判もあるので、どれくらい危ないのかを公的機関の出しているデータをもとに調べてみて、その結果をここにまとめる。
注:筆者は理工系の大学院生ではあるが医療従事者ではない。基本的に厚生労働省や国立感染症研究所のwebサイトの情報を見ながら書いた。URLを載せようとしたがはてなの制限に引っかかったのでやむなく削除した。
溶連菌という細菌自体は昔からいて幼児の風邪の原因の一つとしてありふれているが、そのうちごくまれに筋肉の壊死や多臓器不全など劇的な症状に至るケースがある。それを劇症型、と呼ぶ。ポストコロナによる規制緩和で溶連菌の咽頭炎そのものが増えていて、感染する人が増えているので、その一部である劇症型に発展する人が増えていると考えられている。海外からのUK株の影響だともいわれるが、それは研究段階でどうともいえない。幸い耐性菌が現れているわけではないようだ[WHO]。
日本国内の感染者数は最大値となっている2023年で1000人弱だが、今年は5カ月でそれに到達したので、単純計算で行くと年間2000人程度になると予想される(ただし溶連菌は冬から春にかけてがピークなのでこの数字は少し盛っている)。同じ年の交通事故死者数が2678人 [交通事故総合分析センター] なのでそれに匹敵するくらいには増えている。ただし「発症した場合致死率3割以上」というのは少し扇動的な表現だと思っていて、「交通事故に遭った人のうち亡くなる人が何割」とかと同じものだと思う(交通事故に遭う確率は高くはない)。
追記:レスで教えてもらった論文について言及しておく。国立感染症研究所の研究家が出している論文で、国民の多くがマスクをつけていた2019年 -2022年に劇症型溶連菌感染症が減少していることについてゲノム調査をした結果が報告されている。どうやらemm1というタイプの株はマスクによって効果的に防がれたという結論のようである。筆者は専門ではないのでこれ以上の内容は読み解くことができなかった。
予防策としては下記になる。
ちなみに溶連菌感染者数の増加傾向自体は2010年代から起こっているので、コロナワクチンによるものとは限らない。
発症すると、初期ではできものができるくらいで済むが、何年もたってから全身症状が現れることがある。年間感染者数は報道 [NHK] によると2023年で14000人。厚生労働省のデータでは2022年で10000人を超えているので、注意を払うに値する病気ではある。
性感染症なので、とにかく性行為だけがハイリスクになる。したことがない人はおそらく安心してよいが、性器と口腔でも感染する[厚生労働省]。
地域によっては保健所で無料検査をしている。パートナーがいて心配な人は住んでいる自治体を調べてみよう。
言わずと知れた危険な感染症の一つ。ウイルスで起こるが、ウイルスの伝染過程としては最強の空気感染で移る。あのコロナウイルスでもエアロゾル感染までだったのだから感染力の強さがよくわかる。発症すると高熱や全身の発疹などが現れる。
古くからある感染症なのでワクチン接種事業が行われていて、その成果もあって2015年に日本は麻疹の排除状態にあると認定されている [厚生労働省] 。現在は海外由来の感染者が散発的に発生している。定期予防接種に取り入れられたのは1978年10月だが、1回では抗体獲得に至らないことがあるので2006年から2回接種が行われるようになった [厚生労働省] 。それのキャッチアップとして2008年から5年間だけ中学生、高校生にも2回目接種が行われていて、少なくとも30歳より若い人は定期予防接種を受けていれば2回接種されている。
ワクチンの記録は母子手帳に載っているので確認してみよう。ちなみに一部の自治体ではコロナワクチンと一緒にその他のワクチンの接種歴もデジタル化されていて、その場合マイナンバーカードを持っている人はマイナポータルから確認できるので見てみよう。
感染症ではないが、件数が増えている。全国のデータは見つからなかったが、東京都で378例程度。ちなみに東京都内での交通事故は2500件前後なのでそれと比べるととても低い。なのでものすごく心配しないといけないものではない。
基本的に暗いところに人がいたら刺しに来るという習性である。電車で見られたというXのポストがバズっていたが、人がいる間はほとんど常に明るくて暗くなってからは人がいなくなる電車内で繁殖することはないのではないかと思われる。とはいえ衣服などに付着していたものが落ちたという可能性はありえないことはない。
ただし薬剤耐性を持つトコジラミが発生しているというのは憂慮すべきところで、侵入されると大変ではある。物理的に皮が厚くなっていて薬剤が浸透しにくい体になっているらしい。それでも蒸気を当てる等の高温には弱い。
一番の感染経路はホテルなどの宿泊。まず部屋に入ったら荷物をバスルームに置いて部屋のいろいろな隙間やマットレスの隅を確認すること。トコジラミがいる場合は血糞という血のりのようなものが付着している。またリュックサック等の荷物はなるだけ床に置かないようにした方が良い。あとはマメに部屋を掃除しよう(これは完全に私見である)。どうしても心配という場合は部屋の電灯をつけて寝るだけでも効果があるらしい [アース製薬] 。