
はてなキーワード:リハビリとは
自分も人工肛門になるのかなと思うようなことがあったから他人事ではないんだけど、
まあ、人間って、なんだかんだ、最終的には慣れるんだよね、最初は超ショックでも…😟
自分も手術後に、この判断は本当に正しかったんだろうか、みたいに思っちゃって、
執刀してくれた担当医に、本当にこうするしかなかったんですか?みたいに繰り返し言ってしまったりしたけど、
今はそんなことも忘れるぐらい慣れてる、リハビリしてた時期は超ウツだったのに…
水木しげる先生みたいに片腕をなくしたとしても、それで自暴自棄になって自〇したりしなければ、
最終的には人間はその状態に慣れてしまう、時間が解決してしまう…
まあ、医者を信じるしかないというか、自分が信じれる医者に執刀させないと駄目というか、
俺が信じた医者だから、この人は最善を尽くすだろうし、最悪殺されてもいいかな、
ぐらい信用できない人に、おまえのオールを任せるな、みたいな…
こんにちは、こんばんは。
アラフォー('87-'88生まれ)世代の育児中父です。ポケモンに夢中な6歳年長児娘を寵愛しております。
私自身、典型的な中流階級で過ごしてきており、いわゆる平均的な自己認識と他己認識を持って日々生活しているザ・サラリーパーソンだと自認しています。
(高校・大学時代は経済的な理由によりいわゆる苦学生を経験して一時的に認識が歪んだこともありましたが、就職以降は概ね持ち直しております。これはあまり本筋ではないので本稿では言及しません)
私はポケモン第一世代であり、初代赤・緑を親に頼み込んで購入しフシギダネ〜フシギバナを相棒にそれなりにやりこみました。レベル100バグや道具増殖バグなどには頼らず地道に四天王に挑み続け、15体ほどでレベル100パーティを組めるようになっていました。
加えて、自分自身が愛知県出身ということもあり、タイミング良く開催された草創期ナゴヤドームでの公式ミュウ配布イベントによりポケモン図鑑151体を完成させました。
当時流行した本家派生であるポケモンカード(旧裏)、プラコロ、ポケモンスタンプなども経由しています。
その後、金銀クリスタル、ルビーサファイアエメラルドのプレイを最後に大学受験等の理由でポケモンから遠ざかっていましたが、2016年頃のポケモンGOブームで一時的に復帰しつつ、スマホ買い換えに伴うアカウント引継エラーによりモチベーションが低下し再度フェードアウトしました。
その後娘が産まれ、成長とともに娘が自然とポケモンにハマりつつある中、私自身のリハビリとして中古で購入した3DSのサンムーンでアローラしつつ、娘のポケモンぬい活や絵本の鬼購入などを経て、満を持して娘の合意も得てポケモンZAの購入を検討しています。そんなよくある典型的なゆるふわポケモン世代です。
このような経歴を持つ私ですが、縁があって結婚したパートナーは5学年上('82-'83)の方です。私自身が少し上の世代の音楽(GLAYやミスチル等)やスポーツ(野球・サッカー等)が好きということもあり、育児含め共通の話題はそれなりにあり日々過ごす中で会話も盛り上がっています。
パートナーに目線を移すと、初代ポケモンが発売されてアニメ・映画含め社会現象と化した'96-'98あたりは既に中学〜高校くらいの世代であり、「ポケモンにハマってるヤツはゲーム好きなガキかオタクだ」という価値観が当時蔓延っていたことをパートナーからも証言いただいています。
中学生特有の背伸びしたい感覚もあるでしょうし、その世代特有の風潮は理解できます。そりゃその頃であればFF7やサガフロンティアにハマりますよね。
(私自身が中学〜高校生の頃、小学生の間で流行っていたベイブレードやムシキング、初期プリキュアあたりを冷めた目で見ていた感覚は痛いほど分かるので、それ自体を否定することは私もできません)
ただそれらのコンテンツとの差異点は、【ポケモンが世界レベルの化け物コンテンツ】に成長してしまったことです。
確かに今をときめくプリキュアも特に女児(+一部の大きなお友だち)にとっては充分化け物コンテンツではあるのですが、老若男女を無差別に取り込むポケモンに比べるとどうしても市場規模では見劣りしてしまいます。2025年現在に70代である大俳優大和田伸也さんがゼニガメやクワッスに心奪われている様子をXなどで拝見していると、ポケモンの魔力というかコンテンツ力に感服する他ありません。
151体を圧倒的な熱量で集めお気に入り15体をレベル100になるまで四天王に挑み続けた当時小学生の私と、ポケモンは子どもの娯楽だと見なして見向きもしなかった当時中高生のパートナー。熱量に違いが出るのはやむ得ないことかもしれません。
世代間のギャップが頻繁にトピックに上がる現代社会ですが、大抵のケースでは10歳以上の場合がほとんどです。仕事観や音楽の趣味、恋愛や結婚の感覚などなど。
ですが、たった5年でここまでのギャップを生じさせてしまう「ポケモン」、すごくないですか?
※本稿は2025年現在に40代以上でポケモンに心奪われてポケモンマスターを目指されている皆さまを揶揄する意図は全くございません。ポケモンZA発売後は私も娘とともにポケモンマスターを目指す予定です。
※世代間の分断はどのようなジャンルでも当然発生し得るものではありますが、2025年現在に「30代後半」と「40代前半」というたった5年間ほどで認識のギャップがあまりにも顕著に出ている「ポケモン」の圧倒的影響力を言語化したく、筆を執らせていただいた次第です。
自分は建築の意匠設計に携わっているが、設計担当は自分ひとり。営業6人が持ってくる案件をさばくのに限界を感じ、1年前の春に上司へ人員補充を求めた。
2週間後、上司複数人に呼び出されて告げられたのはこうだった。
「別部署で休職していた社員が復帰する。建築系の資格もあるし、将来的に君の助けになるはずだ。病み上がりで配慮は必要だが、ちょうど人員補充を希望していたことだし、受け入れてほしい」
建築業界外出身の自分にとっては願ってもない話に思え、喜んで引き受けた。
「具体的な配慮とあできること・できないことは本人の意思を尊重し任せればよい」と聞いていたため、彼女に直接確認したところ、「全部できる」と答えた。
頼もしいと思い、すぐに出張同行をお願いした。意匠設計という仕事の特性上、実際の場所を見ることが一番の勉強になるし、実際を見ないとわからないことがほとんどであるため。
ところが1週間後、彼女が通うリワークセンターの先生が会社に来訪し、苦情を伝えられた。
「復帰してすぐなのに出張に行かされて辛い」「打ち合わせに参加させられた。ひどい」など彼女からの苦情があったそうだ。
「〇〇さんは、すごく人に気をつかうタイプなので、できないこともできると言ってしまう。そこはあなたが表情をみて本当に任せてよいか判断してほしい」
「わからないことがあると不安なので、わかるまで丁寧に説明してあげてください」
「出張・残業はダメです。彼女はリハビリ期間なので会社に出社するだけで素晴らしいのです」
「今の仕事は楽しいらしいので、このまま社会復帰できるように支えてあげてください」
と、ひたすら要望を突き付けて「理解とご配慮お願いします」と帰っていった。こちらからも出張は行ってくれないと困るとも要望したが配慮してくださいと一点張りだった。
席に戻ると当の本人は「そういう事ですので…すみませんがよろしくお願いします」と言ってのけた。
正直ここで、聞いていた話とだいぶ違うなと思った。
私は人手が足りないから人員補充を申請したのに、なぜ介護士みたいな役割が増えているんだ?
でも、自分も業界外出身で1年目は周りに多く迷惑をかけた自覚がある。ここで見限れば、1年目の私に無能だと怒鳴り続けた元上司と同じになってしまうと感じ、なんとか環境を整えようと努力した。
デザインの仕事をしているものとして、軽々しくこの言葉を使いたくないが、壊滅的にセンスがなかった。
でも、有名な著作タイトルにもあるように、センスというのは知識と経験から培われるものだと自分のポリシーに従い、自分の感覚でやっていることをなるべく言語・数値化して、なぜ自分はこういう設計にしているのか、彼女に毎回説明した。彼女は現場を見れないからすべて自分の言葉や写真で伝える必要があった。
数値化できることは資料にもしたが、彼女には全然足りなかったらしく「チャートをつくれ」や「フォーマットをつくれ」や「もっと丁寧に説明しろ」と要求は絶えなかった。
さらには業務上気にしなくてもよい、内部の建築構造の細かいところまで彼女は本当に気にした。それがはっきりしないと手を動かすことすらできなかった。仕事の担当領域や段階があるので、現時点で不明な情報があってもとりあえず想定で作るという判断が業務上必要なのだが、彼女に「そこは気にしなくてもよい」と伝えてもいつも釈然としない顔をしていた。自分が彼女よりも10近く年下のせいもあり、言葉に説得力がなかったのかもしれない。挙句には同じ建築業に従事する夫に電話をかけて「夫はこういっているんですけど?」と詰められたりした。
そんなに細かいことが気になるなら自分で現場をみにいった方が、いろいろ勉強になると再三伝えても、それは無理だと一点張り。でも、自分はわからないことがあると不安になるから、わかるように!もっと!丁寧に!説明してほしいと要望は止まらない。しかし、そんな要望真に受けていたら仕事がもっと回らなくなるから、納得していない表情をしていたとしても「じゃ。そういうことで」と話を切り上げて自分の仕事に戻ったりしていた。
さらに「短納期は無理」「前部署関連の仕事は無理」など、業務制約が次々に出てきて合計7項目に及んだ。
だったらと、彼女が納得しながらできるであろう「細かいことが決まっている」仕事だけを頼もうと思い、ちょうどよい業務がないときは勉強期間として、ファイルの整理のお願いをしていたのだが、しばらくすると上司に呼ばれ
「彼女が最近、仕事を任されないと落ち込んでいる。隣で忙しそうにされると何か手伝いたいのに、仕事を任されないのがつらい。私はやる気があるのに…」と相談を受けたとの話だった。
やる気があるなら出張に行けよと思った。
連休の度に「旅行(またはライブ/登山)に行ったんですよ~」みたいな話してくるのも一体どういう神経しているんだろうと驚いたし、それに対して「じゃあ、出張も行けますね!」みたいな返しができず「良かったですね~」と寄り添わなきゃいけないのもかなり苦痛だった。プライベートの旅行と出張じゃ疲弊する場所が違うのはわかるが、人に気を使って疲れる設定はどこに行ったのだろう?
それでも「回復のためには重要なステップ」とされる以上、彼女が気持ちよく働ける業務量になるように、他のチームの人にちょうど良い仕事はないか相談したりした。彼女に仕事を任され場任せるほどこちらの負担が大きくなるので、自分が回るのかも考えながら仕事量を調整した。
でも、やはり資料を修正を依頼するたびに「センスなくてすみません」とまるで謝罪している形を装った不満表明をうけたり、こちらが何か良い案を言うまで、自分の意見は一切言わずに答えを待つ態度だったり、何度仕事をしても減らない質問量に辟易するたびに、精神はすり減っていたようで、だんだんと無意識に彼女との会話を避けるようになった。彼女からは毎日面談の時間が欲しいと言われていたが、業務量的にも精神的にも回らなかったので断った。
段々と限界を感じていたある日、普段は営業担当から仕事が来るが、管理職直々の案件が来た。正直彼女向きではない案件だとは思っていたが、自分が対応する時間がないことや、営業担当が管理職だったこともあり、彼女に直接営業とやり取りをお願いして、案を考えるようにと伝えていたのだが、どうやら営業管理職とのやり取りがうまくいかなかったらしく、ほかの管理職に泣きながら抗議の電話を入れたらしい。
そこでようやく、上層部の人間に、彼女の扱いの難しさを実感してもらえた。
彼女が泣き出したことは当然、職場の事件としていろいろな話合いがされているが、その間その管理職と彼女への不平不満を話せるのがうれしくて仕方がなかった。
一度不満を理解してもらえると、これまで見ないようにしてきた1年間の不満が言語化され噴出し、今はもう彼女のことが生理的に無理になっている。(明日彼女はリモートワークなので)明後日以降はまた顔を合わせなければいけないが、今まで通りに接する自信がない。
きっと明日以降、様々な事情聴取が行われ、きっと自分も「彼女の事情を配慮して、もっと丁寧に指導してあげるべきだった」と注意されるだろうが、自分にはもう、彼女のフォローは無理である。
かつては自分もこんな時があった。まだ仕事が良く分かっていない段階で「無能」と角印を押すのは浅はかだし、元上司と同じところに落ちてしまうのが嫌で、何とか笑顔とやさしさを取り繕いながら、1年間何とかやってきた。
でも、1年目の自分はやったほうが良いと言われたことは何でもやってたし、どこにでも出張に行ったり、扱う製品をずっと触ってどういう構造と特性なのか理解する努力はした。彼女の姿勢とこの仕事はかみ合わないんじゃないかという不満は、心を麻痺させて気づかないようにしていた。
飲み会など(彼女参加)で「仕事の振り分けはどうしてるの?」と聞かれたときは、本当は7つの条件すべて答え、これをクリアしたものです。と答えたかったが「几帳面なので丁寧さが求められる仕事を任せています」と答え、「じゃあ(自分)さんは大雑把な仕事をしているんだ~!」みたいに言われても彼女が自信を持てるように我慢した。
彼女はこの1年で自信をつけてきたみたいだが、自分から見ると全然仕事の役になってくれていない。彼女のためを思って、1段1段細かいステップを用意してきたが、これが後何年続くのかと考えただけで気が遠くなる。
そういう自分の厚意も、彼女にとっては全然足りないらしく、忙しいのはわかるがもっと丁寧にフォローしてほしい。と今回もとてもお怒りなさっているらしい。
明日からの仕事がとても億劫だ。彼女の後始末に追われ明日締め切りのものでまだ手を付けれていない仕事がある。正直、彼女の事件の話をしている時間なんてない。
この際、自分の査定は下がって良いし、もう前の上司と同じだと詰られてもよい。とにかく楽になりたい。彼女がいなくなることで仕事量的にも気持ち的にもとても気が楽だ。
「女は育ちの悪い男のリハビリセンターではありません。男を更生させたり、変えたり、あやしたり、育てたりするのは女の仕事ではありません。
パートナーが欲しいのであって、自ら課題に取り組みたいわけではないのだから。」IIナイジェリアの女性活動家から始まり世界中の女性が継承・強化している言葉
Women are not rehabilitation centers for badly raised men.Itis NOTyour job tofixhim,changehim, parenthim or raisehim.You want a partner, not a project.
頭に入れておけ!
時限爆弾やロシアンルーレットかのように誰にでも突然起こり得る病気の一つだ。
内耳の耳石が剥がれてその破片が三半規管内に流れ込んで眩暈を起こす病気だ。
「ある日突然眩暈が発生する」
「運動不足の人が急に運動したときに起こりやすいが、そうとは限らない」
「頭を動かしたとき三半規管内の破片が暴れて平衡感覚が大きく乱れて眩暈がして、そのつど数秒や数十分でおさまる」
こんな感じだ。
覚えておけ!
初めて発生した時は、立ってられないほどの眩暈やものすごい吐き気にそうとう苦しむだろう。
発生したら呼ぶのもいい。
しかしこの病気は薬や手術や休養でどうにかなるものではないらしい。
三半規管の中に耳石が存在する限りどうにもならなくて、リハビリしかない。
つまりわざと頭を積極的に動かして、わざと眩暈を起こして、耳石の破片を砕いたり排出されるのを促すことだ。
俺はこの病気に無知で発生してパニックになって、救急車を呼んで救急外来に行っても回復はしなかった。
ただそこでCTとMRIを受けて脳に異常がないことが確認できたのは収穫だった。
後日耳鼻科へ行って聴力検査を受けてメニエール病とかの可能性が低いことを確認した。
今日で発生して一週間でまだまだ完治してない。
今は毎日横になって大げさに寝返りを打ってわざと眩暈を起こす日々だ。
初日の眩暈が軽かったなら自力で検索して良性発作性頭位めまい症を知ることはできるかもしれないが、俺にはその余裕はなかった。
みんなは事前に知っておけ!
昨日、父が入院した。
夜中から体がうまく動かなかったようで、朝は自分で歩けず箸も持てずにご飯も食べられないから救急車を呼んで、病院で検査したら脳梗塞だった。
腹膜透析から血液の透析に変わって、胃がんで胃を半分とったのが3年前、大動脈りゅうの手術をしたのが去年。
もうそろそろ平均寿命だしそろそろだと言いながらも、夏場は元気そうでまだ当分生きるんじゃないかと思っていたけところで昨日の母からの電話。
ずっと家族で住んでで、父と結婚してからはずっと父と一緒で生涯一人暮らしとかしたことがないと思う。
片道1時間くらいの距離で、何かあればかけつけられるのだけれども、今日も病院の帰りに実家に寄って、家を出る時ひとりでとてもさみしそうに見えた。
脳梗塞については病院の先生は1週間様子を見て考えましょうという事。
ただ、簡単に治るというものではなくて、治るとしてもリハビリを頑張らないといけない。
母が「もうお父さん家に帰ってこれないよね」と言った言葉がいまでも忘れられずにいる。
まだ死ぬと決まったわけではないけど、いつか順番が来ると思っていたのに時の流れは早いなあと。
ショックだなあという事と、目の前に突き付けられている現実をどう処理したらいいのか。
思考が追い付いていないというか考えたくないから避けているのか。
でも、孫を連れて行くと。孫がやんちゃなせいもあって疲れる疲れると言っていてあまり相手はしたくない様子。
私も数年前に特発性大腿骨頭壊死症が発病。両足。
なんか痛いなあ、ぐらいだったのがだんだんと厳しくなっていき(1年から2年)、一番ひどいときは会社にいけなくなるレベルだった。
MRIを取ってもらい、確定診断。
そこからは早くて、都心の大病院で人工股関節全置換術を受けた。ひとまず酷かった右足だけ。
スパルタな先生で、術後当日に立たされて、翌日からはリハビリが大変であった。
お陰で、手術していない方はまだ日によっては痛むけれども、まあ普通に歩けている。
走ったり飛んだりは避けているし、多分、痛くてできない。
私自身は、死ぬ病気じゃないというのもあり、まあ、すんなりと受け入れた。
痛かったのをある程度逃れられる手術もあるので、さっさと受けてしまえばいいと思った。
金銭的負担は、当時勤めていた会社の謎制度で、ほとんど返ってきた。
更に障害"厚生"年金ももらえることになったので、トータルプラスという意味のわからない状態。
私は2020年に、やはり椎間板ヘルニアおよび脊椎管狭窄症と診断され、約4年後にひょんなことから特発性大腿骨頭壊死症と診断されました。
この間、ジムでウェイトトレーニングをしたりペインクリニックなどに通うなどしていましたがまったく好転しませんでした。痛みは強弱がありましたが、結局のところ常にびっこを引きながら歩くようになりました。杖も買いました。私の趣味はマラソンだったこともあり、絶望的な心持ちでした。
人工股関節置換術は、15日程度の入院で済みます(回復の度合いによりますが)。手術直後からリハビリは必要ですが、1か月もすれば普通に歩けるようになります。継続的な跳躍運動(要するに走ること)は、スポーツとして行わないほうがいい(日常生活の範囲ならOK)程度で、それ以外にほとんど制限はありません。右足にインプラントが入っている違和感こそ感じますが、不快ではなく問題とは感じていません。
医療費は、難病申請が確実に通りますから、月額上限4万円程度(所得による)で済みますので、経済的にも大きな負担にはなりません。手続きに時間がかかりますので、早めに診察を受けるとよいと思います。
私は両側の骨董が壊死していますが、とりあえず痛みが出た右のみを手術しました。もう1回やりたいとは思いませんが、痛みが出てくれば迷わず手術すると思います。
この手術は、変形性股関節症の方も受ける術式ですが、手術の満足度は90%を超えるそうです。もちろんリスクもありますので、医師から説明を受けてください。
まずは専門医のいる病院に紹介状を書いてもらい、診察を受けて説明を聞いてみてください。自宅近くの病院が良いと思います(検査だとかで何だかんだでちょくちょく通うことになります)が、それぞれの病院が過去の手術実績を公表していることが多いですので、その件数が多いことが1つの目安にしても思います。
長い時間苦しまれたことはとても残念に思います。その20年は取り戻せませんが、走るスポーツ以外たいていのことができるようになります。そもそも、この20年走れなかったことを考えれば、希望しかないと思いますよ。
「自己相貌失認(じこそうぼうしつにん)」は、非常に珍しい症状で、自分自身の顔を認識できないというものです。通常の「相貌失認(プロソパグノシア)」は、他人の顔を認識できない症状を指しますが、「自己相貌失認」はその中でもさらに特殊なケースです。
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🔍 どんな症状?(特徴)
•しかし、声や動作、服装などの他の手がかりで「これは自分だ」と判断することは可能な場合がある
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🧠 原因は?
MRIなどの脳画像で異常が見つかることもありますが、見つからないこともあります。
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自己相貌失認には、今のところ完全な治療法は確立されていません。ただし、いくつかのアプローチが取られています:
• 顔のパーツごとに注意を向けて、全体像を構築する訓練
•自分の服装、声、動き、日課など、顔以外の特徴を使って自己認識する方法を学ぶ
3.心理療法
•離人症や自己同一性の混乱を含む場合、**認知行動療法(CBT)**などが有効
•必要に応じて精神科的アプローチ(薬物療法など)も検討されます
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⚠️ 注意点
•自己相貌失認は「自分が誰か分からない」というよりも「自分の顔が分からない」という特異な症状です
• 鬱や不安、アイデンティティの問題とも関わってくるため、早めの専門機関(神経科・精神科)の受診が重要です
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🧭 どこに相談すればいい?
そしてこの無職引きこもりから立ち直りつつある27歳の青年を紹介し励ますNPO理事長のセリフが、すなわち 「パソコンの大先生だもんな」 だったのでした。 これはNPO広場のパソコンの不調をこともなげに直した青年への褒め言葉だったのですが、青年はこれに対し、それまで通りの無表情ながらも、その奥にかすかな照れ隠しの笑みが浮かんでいるように見えたと記事には書いてあります。
身内の冗談や軽口ならともかく、一般的には大の大人を 「○○の大先生」 や 「◯◯博士」 などと気安く呼ぶことは、慇懃無礼で逆に失礼にあたりほとんどありませんから、「子供相手ならともかく、完全に見下してバカにしてるんじゃないか」「こんな事言われても、ちっとも嬉しくないだろ」「いや、小中学の頃から引きこもりなら、そのレベルから改めてリハビリするしかないんじゃないのか」 などと、ネットの掲示板などで賛否さまざまに話題に。
またパソコンの不調とそれを直したとの記述も詳細がないため、どのくらい専門性があり高度な技術を要する処置だったのかわかりません (恐らく、パソコン素人のしょうもないトラブル を解決しただけなのだろう…との憶測を呼んでいました)。
しかしそれはそれとして、掲示板2ちゃんねる などの一部の利用者にとっても、ある意味で 「パソコンの大先生」 なる無理やりな褒め言葉を他人事と笑えない、思えない境遇にいることもあり、成句としてテンプレ 化。 その後しばらく他人への揶揄、罵倒として使われるようになりました。
こういう説明の上手さも「文才」だろうな
数年前、2カ月弱の入院生活をしていた時は、なかなか読み進まなかった全7巻の「ひらがな日本美術史」の6巻と7巻を持って行った。
死亡リスクは1%弱、予定時間12時間というザコだがそれなりの大手術を予定していたので、小説とかドキュメントや評論など普段自分が読むものは無理だろうなーと思ったから、絵や写真がきれいで文字もたくさんある本が良いと思った。「ひらがな日本美術史」は何となく途中で読み止まっていて、読み終わってなかったのが気になっていたのでちょうどよかった。猛烈に良い本なので非入院勢にもお勧め。
本も良かったが、役立ったのはスマホとタブレット、あとポケットwi-fi。
古くてデカい病院に入院したのだが、入院前に主治医が「仕事とかインターネットするなら自前で回線を用意してね、ごめんねうち古い病院で」と謝られた。テザリングすればいいしなと思ったが、手術前ぎりぎりまで仕事の引継ぎなどする必要があったので一応会社の経費でポケットwi-fiを手配した。入院→手術まで3wあったのでその間は仕事、リモート会議、引継ぎのデータアップロードなどに重宝した(余談だが、個室には入れたのは超でかかった。会議しほうだい。あと広くてプライバシーあるの最高。みんな将来のこと考えて1日いくらの入院保障入っとくといいよ。個室超快適)
アマプラもDAZNも見られたのは入院当初はまぁまぁ暇つぶしになったが、日中は実は入院患者は、術前検査に見舞いに回診にリハビリに風呂に三食にと、かなりアクティブなので時間があまりないし、手術後はやっぱり心身の回復に時間がかかったせいと術後の一時的な後遺症で目がちかちかしていたので画面が見たくなくなり結局配信は見なくなった。
一番よかったのはラジコでラジオが聞けたこと。結果的に一番時間つぶしになったのはラジコ。今思えばポケットwi-fi要らなかったかもしれない。
体調が良くない時は得てして真夜中の変な時間に目覚めたりする。夜中の入院病棟はバイタルモニターのピッ、ピッ、ピピピピピピ、という機械音や時折ワサワサと緊急なことが起きている気配がしたり、ひたひたと静かに巡回する看護師さんのシルエットが映ったりで中々気持ちの沈む瞬間なのだが、そんな時にラジコでバカみたいな話をしているラジオを聞くと落ち着いてまた眠れた。
ある晩、夜中に起きてしまって、今はなき「伊集院光とらじおと」のタイムフリーを聞いていたら巡回の若い看護師さんが入ってきて私の体に巻き付いているいろいろな線や管に繋がってるモニターの色々な数値を入力しながら、「ラジオ聞いてるんですねー、え、おもしろー、誰ですかこの人?ハライチの人?」って言ってて面白かった。言われてみたら澤部と伊集院さんの声は同じ系統かもしれない。
AMラジオは病気中の自分にとてもよく合っていたと思う。特にNHKラジオ1とTBSラジオ。普段元気な時に聞くと時折「正しいすぎるな」という感じがして遠ざけていたのだが、元気がない時に聞くととてもしっくりする。TBSラジオの名物パーソナリティの大沢悠里氏が自身の入院経験から「病気、療養中の方」と番組中に声をかけるようになった、という話があるらしいのだが、確かにTBSラジオはあちこちでその声掛けがあって、来週はいよいよ手術だなぁ、なんて思っている時に「病気、療養中の方~~」と耳に入ってくると、じんわりしみじみした。
病院の中自体は、基本的には無音で、たまに検査室にクラシックが小さい音で流れていたりする程度だが、リハビリ室はしっかりとBGMがかかっており、いつもJ-waveだった。リハビリしてる人の8割ぐらいは老人なのでサッシャの曲紹介と目の前でポールを伝って歩いてる老人とのギャップがあって面白かった。PTやOTの先生は若い人が多かったので先生の好みなのかもしれない。謎の知育玩具みたいなのでOTのリハビリをしたり、ちょこザップみたいなスペースでリハビリしたりするときにJ-waveは割と合うなと思った。
あれから数年もたってるが、退院してからラジオ聞く時間がめっちゃ増えた。色んな局聞いてる。代わりにTVは本当に見なくなった。
そういえば、10年ぐらい前に家族が入院した時にはTVをレンタル&TVカードを買って視聴してくださいという仕組みになっていたが、自分の入院の時にはTVのレンタルもあったのかもしれないが気づきもせず案内もされず。時代の変わり目だな。あと10年ぐらいしたら古い病院も建て替わってwi-fi飛びまくってるんだろうなぁ
社会復帰リハビリとしてタイミーで日雇いバイトはじめた。これがガチで鬱に効いている感じがあるので書く
結論から言うと、行動する→報酬を得るという経験がどうやら鬱で死んだ心に効くっぽくて、タイミーではこの、行動する→報酬を得るサイクルが日払いゆえに短く、日払いゆえに何度でもこの報酬を得る体験を繰り返せる。ここが鬱に抜群に良い。
タイミーは即金制で、バイト終わった瞬間に振込申請して口座にお金が増えてる体験ができる。何でか分からないけど、この行動する→すぐに報酬ってのがめちゃくちゃ心に効く。仕事だったらこうはいかない。今やった仕事も昨日やった仕事も明日やる仕事も、来月に1回だけの報酬体験だ
思えば、世の中報酬が遠いものばかりだよな。給料も、ダイエットも、勉強も。もし仕事が日給制だったら、俺は人生や仕事に虚無感や無力感を感じずにすんだのではないかとすら思う
カーネギーの本にも書いてあった。今日以外のことを考えるから不安になる。今日一日のことだけ考えなさいって。今日、働き、お金をもらう。これがベストなんだろうな。1ヶ月後のたった1回の報酬ために今日も明日も明後日もずっとずっと働かなきゃいけないから虚無になったんだ
若かった頃は、何か思い立ったらすぐ増田に書いていた。転んでもただでは起きない、何度転んでも笑い話にできる強靭な増田筋があった。でも、もう若くない俺は、一度転ぶと立ち直れない。ちょっとした炎上はもちろん、誤字を含んだ増田が注目エントリに入っただけで、押し寄せる後悔に耐えられず寝込んでしまう。
20代の若い頃に、もっと真剣に増田筋を鍛えておけばよかった。あの頃の俺は、まさか40代になって匿名で日記を書いているなんて想像もしなかったから、増田の「ま」の字も知らなかった。誰が中年になって、こんなところで心の筋肉を鍛えるなんて思うだろうか。
先日受けた健康診断で、医者から増田筋の衰えを指摘された。このままだと、万が一増田で変に炎上でもしたら、そのまま寝たきりになるかもしれないと言われた。今はリハビリのために、定期的にショートショートを投稿している。担当の理学療法士は、もっと長い方がリハビリにはよいそうなので、このショートショートは徐々に長くなるかもしれない。
増田暦4年で学んだ大切な教訓だ。もう若くない俺は、一度転ぶと立ち直れない。ちょっとした炎上はもちろん、誤字を含んだ増田が注目エントリに入っただけでも、押し寄せる後悔に耐えられず寝込んでしまう。
もっと若い頃に増田筋を鍛えておけば良かった。なぜ20代のころに増田をしなかったのか。理由は明らかだ。まさか自分が40代になって増田をしているなんて想像できなかったからだ。だれが中年になって匿名で日記を書きたくなるなんて想像できるだろうか。
先日の健康診断で、増田筋の衰えが指摘された。このままでは万が一、増田で変に炎上すると寝たきりになるかもしれないと言われた。今はリハビリのために、定期的にショートショートを投稿している。理学療法士の人に言わせれば、もっと長い方がリハビリにはよいそうなので、このショートショートは徐々に長くなるかもしれない。
増田がそれを許してくれる優しい場所でないとは、このときはまだ知らなかった。
人力で書いた
去年、ちょっとした怪我をして整形外科に通うことになったんだわ。
その整形外科は整体(リハビリ?)も兼ねていて、診療スペースの隣の大部屋にベッドが10台くらいあって、柔整士の先生がマッサージしてくれるわけ。
で、初めてそのクリニックに行った時は、朝からものすごい人数の老人が待合室にごったがえしていて、思わず受付の人に「どれくらい時間かかりますか?」と聞いたら、意外にも「あと3人なのでそんなに待たないと思いますよ」と言われた。
受付の人の言う通り15分くらいで診察できたんだけど、その訳はみんな整体目的で来てて、受付は同じなんだけど、診察と整体は別に案内されるから、早かったということ。
で、何度か診察に通ううちに、先生から「電気治療しましょうかー」という話になり、くだんの整体コーナーにいったのさ。
そしたら、柔整士の先生は何人もいるんだけど、みんな若くてイケメンなのよ。完全なる顔採用。男版のサイバーエージェント(世代がわかってしまう)。
そのサイバーでは、どのベッドでも客のおばちゃんがモミモミされながら先生とおしゃべりしていて、隣でマッサージしてもらったおばあちゃんは施術終了時に、「ありがとうね、アナタとっときなさいよ」とか言ってイケメン柔整士さんにお札を握らせてるんだ。こんな光景がどのベッドでも繰り広げられてた。待合室の混雑はホストクラブの行列やったんや。
びっくりした私は、後日、たまに行く近所の整体で、腰を揉まれながら馴染みの柔整士さんに「そういえばあそこのクリニックの整体で〜」と、この光景を話したら、
「あー、自分も一番初めに就職したところがそんな感じでしたよ。最初は1000円でも嬉しかったんですけど、太客ができるたびにお小遣いの金額が上がっていって、だんだんマヒしちゃって、最後は『なんだよ5000円かよ』なんて思っちゃったりしたんですよねー。ホントに怖いもんです」と言ってた。
小中は公立、高校は普通科、特に学びたい分野もないので大学は経済学科に入った。ちなみにリーマンショック世代。
やりたいことがないというかそもそも仕事をしたくなかったが働かねばの自覚はあったのでなんとなく合同説明会に通うも不発。
卒業も近づいてきた時にこれまた合説に行ったところ内定ゲット、ちなみにIT。
3年ほど働いて営業が仕事を取れないとかで社内が待機まみれになり最終的に会社都合退職。
その後入ったIT企業も入った直後にこれまた待機まみれ、割り当てるプロジェクトがなくなったとかでこれまた金もらって辞める。
数年バイトで食いつなぎながら仕事を探して今度は商社の事務、老舗だから手堅いなと思って入った。
が、1年ほど働いたところで社長が高齢で引退、後継者なしのため身売りで合併。
仕事は大変だったけど同僚とも仲良かったし昇給して部下もついた、一番楽しかった時期かもしれない。
4年くらい働いたと思うけど取締役の不祥事、事業失敗による規模縮小でこれまた会社都合、退職金にも色がついてめちゃめちゃ金もらった。
退職日までそれなりに時間があったので友人に相談したり、転職サイトにエージェントなんでも使った。
1ヶ月であっさり内定2つゲットしたので条件のいい方に行った。
これまたITでここでも4年くらいは働いたのかな、プロジェクトの当たりハズレはあったけど悪くない会社だった。
最終的にハラスメントのキツイ現場に回されダウンしてやめる、仕事の内容も合わなかった。
少し休んでITとゼネコンのIT部門の内定ゲットして後者を選んだがここが最悪だった。
パワハラ・セクハラなんのその気に入らない社員を部署全員で無視とかやってること最悪。
「担当業務を親会社が巻き取るのであなた達の居場所ありません」
※勤めてたゼネコンは大手ゼネコンの100%子会社なので逆らえない
ここまでが去年のはなし。
それでもめげずに仕事を探し始めたんだが駅で転倒、腰の骨折ってしばらく寝たきり。
リハビリを開始して歩けるようになったかと思ったら今度は肺に穴が空いて入院してまた寝たきり。
気がつけば半年以上何もしていない体力気力のない中年の出来上がりである。
歴はITが多いけど言語も環境もバラバラ、一貫してこれやりたい、できるってのが全然ない。
これからどうやって生きようかね。