
はてなキーワード:ランナーとは
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
相川に運が無かったおかげで結果的にはまあまあの指名になった。大化けするというよりは的確に穴を埋めにいった形になる。欲を言えばセンター候補ともう1枚投手が欲しかった。
読み上げられ名字を聞いた時「あれ?佐々木なんて今年居たっけ?」と本気で思った。このチームはたまにトチ狂うがまさかドラ1で狂うとは…。佐々木について語ると長くなるので割愛するが総合的に見てドラ1を使うに値する選手ではなく私は評価していなかった。
んで、小田。まともな指名に戻って良かった。ざっくり言えば吉田正尚には劣るが代わりに内野が守れる選手。中距離砲に類するもベイスターズにはあまり居ないタイプ。
大学では主にファーストなのでファースト専かと思いきやこの起用は監督のポリシー+チーム事情によるものでショート以外ならある程度やれる。元々サードやってたしプロでもサードがメインになるだろう。タッパが無いのにファーストをやらせるくらいだから反応やハンドリングは上手いと見ていい。後はどの程度打てるかだけだ。
馬力はある、まとめる能力もある。ただ、プロでやるなら明確な武器かランナーを背負った時にバタバタしない事が活躍の鍵かなと。先発ローテを思い描くなら二軍で課題を洗い出してから。最悪先発が出来なくても中継ぎなら出力で誤魔化せる。(入江…?知らん)
こういう書き方すると巨人の西館を思い出す。課題は本当に似てる。器用なのは西館だけど島田の方が球威はあるかなって感じ。
2年次まで立石と同等クラスの期待と評価を受けていたのがこの宮下。残念ながら怪我で調子を落としこの位置になってしまった。一応ショートだけどメインはセカンド。本来のポテンシャルを発揮出来ればクリーンナップ打てる存在。冗談じゃないよマジだよ。
結果3年連続東洋のショート。まさかプロで同じメンツとショート争いする羽目になるとは加藤は何を思う(笑)。
苦節5年。長かったなあ片山。年齢が年齢なのでとにかく活躍してくださいとしか言いようがない。
正直この指名は意外だった。と言うのもベイスターズは所謂守備特化タイプの即戦力、特に社会人は取らない傾向があったからようやくその方向に舵を切ったかと感心した。やっと柴田のケツを叩けるよ。
打撃は一切期待できないけど守備だけなら来年頭から最後まで一軍に居てもおかしくない。現状ショートは左ばっかで対左が絶望だから対左だけでも打てればかなりデカい。隙だらけだから頑張ってくれ。
ベイスターズに育てられるのでしょうか…?
全員怪我無く頑張れ!以上!
主に「プロスポーツとして良いところ」である。野球は面白いぞ!
https://anond.hatelabo.jp/20250916184618
●どんな強いチームでも10回やれば4回は負け、どんな弱いチームでも10回やれば4回は勝つ。
個の力によるところが大きいので誰かが爆発すればチーム総合力で劣ってても勝てる試合があるということ。
じゃあ運かというとそうでもなく、100試合やると総合力が如実に出てくる。
5勝5敗の対戦成績がひとつひっくり返るだけで最下位と優勝に運命がわかれるのだ。
●今どんな弱いチームでも数年待てば優勝争いしたりする。
これはドラフトの恩恵が大きい。世界の多くの野球リーグではドラフトが行われ強い選手が最弱チームに入団なんてことも当然ある。
選手の移籍もFAとるまで長いので財力あるチームに一極集中とかが起きにくい。
ビッグクラブができにくく、FAとった選手も比較的自由にチーム選択でき、それが戦力均衡につながる良い循環がある。
「そのうち強くなるから」と信じててもいっこうに強くならないチームもあったりして(暗黒阪神、横浜、中日、ロッテ、広島、オリなど)、それはそれでネタになるし逆説的に面白い。
●弱いチームでも寂しくない。
ファン目線:いや本当はさみしいが。しかしいい選手が出てきたときに「いずれ強いチームへ巣立っていくんだなあ。移籍金で誰を獲得しようか」などとちょっぴり切ない思いをせずにすむ。
選手目線:いや本当はさみしいとは思うが。しかし弱いチームでキャリアを過ごしても個人成績さえよければ一流選手の仲間入りできる。生涯一度の優勝経験もない一流選手もたくさんいる。後述する「スタッツが豊富なスポーツ」という特性が大きいと思う。
余談だが、だから野球に下部リーグはいらないと思う。さすがに下部リーグでの記録は記録とみなされないだろうから、降格したらいい選手はみんな出て行きたがるだろう。すごい生涯スタッツを積み上げつつある選手が下部リーグで記録断絶してしまうのなんか誰もみたくない。(なお今は上部リーグ(MLBのことな)にチャレンジして通算記録に傷をつける選手がたくさんいる模様。しかしこれは挑戦の結果なので仕方ない。皆応援している)
野球批判でよくあるのが「実際プレーしてる時間少なくね?」ってのがあるが、俺個人はこれがむしろ好き。
プレーしてない時間に飯食ったりトイレ行ったりできるし、レオザみたいに早口にならずともひとつひとつのプレーをのんびり論評できたりする(サッカーも好きだけどな)。
風呂上がって戻ってきたら逆転されてたとかめったにないからへーきへーき(泣)。
●大逆転が起きやすい
3点、4点の逆転はざら。今日もドジャースが4点差逆転負けしたばかりだ。前年度ワールドチャンピオンで今年も首位なのに。大谷降板した瞬間に6点取られててワロタ。でも8回2点とっておいついて、でも9回3点とられて負けた。こういうことが普通にある。ファンはたまったものではない。
なんなら9回の1イニングでそういうことが起きる。
●球場ですら飯買いに行ったりトイレ行ったりしながらまったり見れる
球場グルメも楽しみの一つ。酒のんで飯食って友達とおしゃべりしながら見るのもよし、ひとりでぼーっと見るのもよし。
長時間の飲み食いで客単価も高いはずなのでビジネス的にもおいしいんじゃないか?
●後追い視聴しやすい
ライブ視聴できない日も多いが、結果をチェックせず帰宅してフル視聴を開始するとする。
このとき10秒スキップ=おおよそ投手が1球投げるタイミングになる。
ランナー出たときは20秒スキップ。緊迫した場面なら30秒スキップ。
これで超時短視聴を可能としつつ、ほぼすべてのインプレーを楽しめる(たまにスキップしすぎて「ホームラーン!」みたいなとこに飛んでしまうこともあるが)。
俺はこれを応用し、あえて試合開始後1時間くらい経ってから視聴を開始することもある。
●テキストでも楽しめる
野球はひとつひとつのプレーがかなり詳細にテキスト情報化できるスポーツなので、テキストでもかなり楽しめる。
俺がよくやるのはスコアを手で隠し、1回表から順に手をずらして点数を見ていき、得点したり失点したりするたびに発狂するという楽しみ方である。
なんなら1打席ごとに同じようにしてもいい。めちゃくちゃライブ感があって楽しいし10分で終わる。
注意点として、速報サイトを開くとスコアがドーンと表示される場合が多いので、結果を見てしまわぬよう手で隠しつつ薄目で操作し、当該ページまでのリンクを辿ること。
慣れてないと意外とこれが難しいのだ。
たまりませんねー。
●記録が楽しい
ただでさえスタッツが豊富なのに、最近はセイバーメトリクスという統計学的な分析手法も発達してきて、より深く楽しめるようになってきた。
試合一切見ずに(いや見るが)数字だけ見てて楽しいスポーツってのも珍しい。
バッターボックスないしピッチャーマウンドに立っているときはどんな選手でも主人公になれるのだ。
そのぶんダメだったときは晒されることになるがそれも一興である。
●いちおう野球の悪いところも挙げておこう
だいたい野球の良いところの裏返しになるが。
降格がないので、降格争いのドキドキ感がない。弱いチームのファンはシーズン後半(場合によっては中盤から)モチベ失いがち。
試合がダラダラ長すぎ
ルールが複雑
日本ではチーム数が少なく「おらが街のチーム」感が薄い
同じ理由で他スポファンから見れば「しょっちゅう同じチームとやってんなー」感は否めない(交流戦で多少緩和)
日本のポストシーズン(CS)は6チーム中3位に入れば進出でき、日本一の称号すら狙える。おいおい。今年のセ・リーグは負け越しチームのCS出場が実現しそうである(たまにある)。
世界的メジャースポーツではない(北中米、東アジアくらい? WBCがんばれ)。このことを思うとき、野球ファンは「でもアメフトはもっとガラパゴススポーツだから」と心を慰める。
体力なんてない?なにそれ。昔の俺は「運動苦手です」顔して人生逃げてたけど、今や10キロ走れる。どうだ、見たか。別に自慢じゃないが、ちょっとは俺の話聴け。
まず言っとく。いきなりフルマラソン走れるやつなんか一人もいない。お前らもどうせ「体力なさすぎ」とかぬかしてその場であぐらかいてるだろ。俺もそうだった。階段で息切れして、コンビニ寄るだけで動悸。毎朝「ジョギングしてる人って頭おかしい」とか思って見下してた。でも、なぜか急に「とりあえず外走るか」っていう気分になって、スウェットで家飛び出した。一歩目で後悔した。
でもだ、5分走ったら死ぬほどしんどい。歩く。誰も見てないから堂々と歩く。何も考えずに歩いて、余裕できたらまた走る。その連続。週1回、5分走れば「やったった感」だけは残る。まずはそれで十分。
何かの勢いで「インターバル走が効率的」とかネットで見て、真似して1分全力ダッシュ→2分ぐだぐだ歩き。心臓は爆発寸前。でも一応やった。周りに誰もいないから格好なんて気にしない。逆に人がいたら「なんかのトレーニングです」顔して息切らしてた。
膝痛くなって「筋トレしたらいい」とかいろんな人が言い出す。はいはいと思いつつ、スクワットしてみたら少し改善。たまたまYouTube見てたら「ストレッチ大事」とか言ってるし、試しにやる。効果はまあまあ。筋肉痛は減った気がするけど、本当かは知らん。
いつのまにか走れる距離が増えてきて「3キロとか余裕じゃん」って調子乗る。でも「10キロ走れたらかっこいいじゃん」と思って、急に距離伸ばす。意識高い系になる。アプリ入れてペース計算。ペースが遅いと悔しいから加速。走ってる途中で「ここで一回歩いたら、明日も走れるな」って姑息な計算する。
最終的に「10キロ走りました」ってSNSに上げても誰も褒めてくれない。でもいいんだよ、自己満だから。1時間半かかったけど、今なら1時間20分切れるかも。俺はもう「走れる人」。勝手に「ランナー目線」で偉そうに語る権利を獲得した。お前らも「体力ゼロ」とか言ってる暇あったら、5分走ってみ?どうせそのうち「10キロ余裕」とか言い出すから。
だいたい、最初からできる奴なんかいない。みんな雑に始めて、雑に続けて、気づいたら「走れる人」になってるだけ。人生なんてその程度。とりあえず走っとけ。文句はそれから言え。
地上波の視聴率はイマイチ。Netflixでもトップ10に入ったり入らなかったり。まあ、百人一首なんていうマイナー競技をテーマに、キャストも「誰?」な若手ばかり、しかも映画の続編という三重苦。
さらに第1話で主人公がやけに冷めているせいで、「青春もの」と思って期待した層がドロップアウトしていったのだろう。
…と、ここまで書くと「そりゃコケるわ」と思われそうだが、実際にはそれが大きな誤解だ。
1話をちゃんと観れば緻密さに気づけるし(佐久間宣行氏もラジオで「ヤバい」と語るくらいに)、せめて2話のラストまで観れば冷めた主人公がただの前フリであることがわかる。ヒロインの葛藤に火がついて、ようやく「青春もの」のギアが入る。
日テレドラマといえば、2023年の「セクシー田中さん」の件がまだ尾を引いている。本作は「漫画原作を元にしたオリジナル」という、いかにも失敗が許されない企画。いろんな意味で、制作陣の気合いが尋常じゃない。
映画版監督の小泉徳宏氏をショーランナーに据え、ライターズルーム形式で複数脚本家が関与。原作者の末次由紀先生までプロット段階で参加している。その結果、出来上がったのは完全無欠の青春群像劇である。スキがなさすぎて視聴者に委ねる余地がない、という皮肉な欠点までついてくるくらいに。
キャストは平均19歳。演技の粗さは隠せないが、それを補って余りある「若さゆえの眩しさ」がある。映画を観ていなくても問題なく楽しめるが、映画版キャストが地続きで大人になってカメオ出演するのを、「わっ!胸熱っ!!」とおもわず呟いちゃうのは映画、原作ファンの御愛嬌だろう。
Filmarksのスコアを見れば、視聴後満足度の高さは明白だ。それでも「なんか違う」と思うひとがいれば、制作陣が「今の中高生にもアツくなってほしい」と願う方向性とズレているか、ジャンルそのものを受け付けないのだろう。
今週の放送も最終回を直前にして、次回へのヒキがなんとまぁ、アチアチなことか。日本のプライム帯ドラマでライターズルームが採用されたのはほんとうに画期的なこと。欠点がないとは言わないがこのドラマに失敗のレッテルがつけば、コレからも毎クールクソドラマがただただ積み上がっていくので、みんなには応援をしてほしい。
映画「この夏の星を見る」もよくて、今夏の豊作に青春回顧キモおじさんはウホウホしている。「リンダ リンダ リンダ」も4Kリバイバル上映しているから見に行こう。
弱者男性だが、大体世間ではチー牛オタク弱者男性で運動も勉強も仕事も出来ないというのが定説になっており
リベラルやフェミニストほどそれを口汚く罵る傾向があるのは増田なら周知の事実だろう(複垢フェミなどのフェミ系とかよく目にするだろうし)
俺自身は勉強と運動に苦手意識があり年収も低いから間違ってはいないだろう
他の弱者男性増田たちも身体スペックは様々だろうし良かったら書いて欲しい
父親が陸上競技のエリートで(元県記録持ち)増田は運動よりゲームっ子だったが、遺伝なのか足だけはクラスで速かった
自分はテニス部だったが、周囲曰く不良の人間だったのでサボりの常習犯でもあった
テニス部のペアがかなり悪い奴で部も不良が多く(学校で酒のんだり軽かったり重かったりする放火騒動を起こしてる。増田は周りの認識とは別に真面目に生きたいと思ってたので犯罪とイジメはしなかった)
3年間の間にテニス部の顧問は俺の存在を無視し、練習を教えた事はなく俺はテニス部の友達から全ての技術を教わった
こんな状態なので俺の部活での成績は地方大会で良くて4回戦レベルで終わり二度と部活動はしたくないと思った
なおその不良一味の一人が後にあるスポーツで日本代表のメンバーになる
年末で祖父母の家に行くと従兄弟たちがいつもいるが、自分以外は全員クラスで一番ぐらいに足が速く体育祭ではクラス対抗リレーやクラス選抜リレーのアンカーを務めていた(陸上部はいなくて大体サッカー部か野球部)
増田はクラス対抗リレーで3回走らされたりクラス代表の選抜リレーに参加はしていたが、別に一番速い訳ではなかった
100mを中学生時代にギリギリ12秒台で走れて幽霊部員の割に速いねって言ってもらえても11秒で走れる訳ではなかった
なので若干親戚内ではこの時点で引け目はあった
ちなみに従兄弟は勉強も仕事も出来て、年収は聞いてないが平均年収が900万以上の有名な企業に新卒正社員で入ってるので年収は高いだろうと思われる
あと、仲の良かった従兄弟はイケメンで妻子持ちだが、俺と同じくグレてた従兄弟はイケメンで元ホストだが独身だ
多分弱者男性というのはスペックより環境で生み出されるのだろう
逸れた話を戻すと
大人になってから筋トレを始めると、人生初めてのベンチプレスに挑戦したその日に90kg、次の日に100kgを挙げる事は出来た
バーベルスクワットがシンプルにおっかなかったのと、俺みたいな筋トレカジュアル勢はジムのフリーウエイトエリアの空気が苦手なのだ
下半身のトレは何していいか分からんからレッグプレス175kg(マシンの最高設定)を片足で20回ずつぐらいやってた
運動に対して心理的な苦手意識があったのと、長距離走が本当に昔から苦手で才能もないが、不思議と性に合って継続することが出来た
最初は3キロ程度しか続けて走れず、ちょっと頑張るとすぐにシンスプリントになったり膝やったりしていた(今もすぐに膝は痛くなる)
今は走力は5キロまでなら何とかキロ4分切る程度で走れるが、10キロだと辛いのでキロ5分ぐらいで走りたい程度の走力で、ダラダラとスピードを挙げつつ走れる距離を伸ばそうと思っている
多分ランナーとしてはスピード型(パワー型?)でスタミナが壊滅的なんだろう
この靴なんか合わないんだけど……って思いながらも買った時高かったので未だに履いてる
アラフォーの男。
2年ほど前から減量を目的にランニングを開始して今では月に200キロ強走っている。
フルマラソン出場を目的にしてるようなランナーでなく趣味なので走力としてはキロ5分〜6分くらい。
2ヶ月ほど前、ランニング中に急に右膝裏側に痛みが走って足が抜けるような感覚に陥った。
それからというもの右足を上げようとするとハムストリングスに痛みが走るようになってこれは肉離れかなと思ってた。
ストレッチをしたり湿布を貼ったりで安静にしてたが一向に良くなる気配がなく、
次第に長時間座っていると尻が痛くなり、尻が痛いだけにとどまらずもも裏が痺れるようにもなってきた。
これは肉離れではないのでは?と思い調べたところどうやら坐骨神経痛というらしい。
特に自分に当てはまるのは梨状筋が坐骨神経を圧迫して痛みが出ている状況のようだ。
普通に歩く分には問題ないのだが仕事中や車の運転中に30分ほどで尻が痛くなりもも裏にしびれが出たりと
日常生活にも支障が出てる。
趣味のランニングはスピードを落として足に負担がかからないように気をつけるから
ランニング中や後に痛みが出るようなことはなく、長時間座位による痛みの発生が日常の一部になってしまっている。
友達の草野球見に行ったんだけど、隣の面のグラウンドで地元少年軟式野球チームが練習してたのでそっちのほうも見てた。
大声出す時もあるけどフレンドリーな調子(頭抱えながら「〇〇~!!お前それだとランナーセーフなっちゃうよー!!!www」みたいな)。
俺子供のときに一瞬だけ野球やってたことあるんだけど、それと全然違いすぎて衝撃受けた。
20世紀がほぼ終わるような時代だったので、さすがに指導者による子供への暴力はほぼなかった。
でも、例えば警察24時とかあるいは夕方のニュースなんかでたまに流れるような、交通トラブルのドラレコ映像さながらの狂ったような大声で罵詈雑言を怒鳴り散らされるってのは毎日のようにあった。
拡声器を常に手放さずに精神疾患を疑ってしまうほど狂い散らかしてるのがデフォの指導者すらいた(周りの野球ガチ勢から聞くに、中学軟式の指導者のキチガイ率は格段に高いようだ。強くもないそこらへんの中学でも関係なしにキチガイ監督が当たり前に君臨してるような世界なんだと)。
俺はもう35歳になるけど、野球辞めて以降、リアルの生活において30代40代のオッサンが当時の少年野球レベルに発狂キレ散らかしてる場面に遭遇したことはない。
彼らはどう考えても異常者だったと思う。
それだけに、少年野球の現場から耳をつんざくようなボリュームの怒声や罵倒雑言がすっかり消え失せている現実を目の当たりにして隔世の感があった。
野球って競技はまあとにかく選手がチームメイトに対して攻撃的で容赦ないのが(中の上~上の上レベルのチームに関しては)ごくごく当たり前で、
「下手はいじめられるよね。仕方ないよね。ダサいよね。あー野球上手くて良かった!」
が界隈の"あるある"だったんだけど、その動物界チックな感じは今の時代でも変わってなかった。
まだ声変わりもしていない身長140cmくらいの少年が、練習中にミスをしたチームメイトの背中に向かって守備位置から
「おめえ、前もそれやったせいで負けたんだろ死ねよコラ」
と露骨に嫌悪感丸出しの表情を作りながら淀みなく罵倒を浴びせていた。
このgrokAIから教えてもらったんだけど、量子もつれって1:1ではなくて1:他と複数を同時に結びつけられる。つまり重婚できる。
で、量子もつれされた1つに対して演算をすると、それが瞬時に他の量子ビットにも影響を与える。
最初にそれぞれの量子ビットを初期化して量子もつれ状態に設定する初期化処理をする。
そして、どれか一つに対して演算すれば、他にも影響を勝手に与えるので超高速演算ができると。
問題はやはりノイズで、ずっとまわしているとダメになってしまう。
超足が速い短距離ランナーだけど、よくこけまくるみたいなものだと思う。運よくこけなければ早い、と。
このあたりが解決していくと、使い物になっていくかもしれないね。
2000年初頭、量子もつれを起こすには部屋いっぱいの巨大なマシンが必要で、それでもうまくいくかは運ゲーだった。
今は超小さくなり、髪の毛ぐらいの細い微細な回路チップ上でもできるようになった。
より高い精度で量子もつれ状態を作り出し、維持することが可能になった。
技術の進歩はすごいので、いつかはノイズの問題も克服できるかもね。
データを更新するには、一度量子もつれを解除して、それから値を初期化して、再度量子もつれにしないといけない。
GPUがHBMとかのちょっ早いメモリを使ってガンガン動作しているのに対して、量子コンピュータの転送効率は極めて悪いはずだ。
逆に、データを頻繁に初期化しないでもいいような純粋な計算タスクだとワンチャンあるかもしれないけど。
この2つの問題をクリアできたら、量子コンピュータもいよいよ実用的に使えるようになるんだろうけど、今はまだ早いからなあ。
量子コンピュータが使えるようになるのはまだまだ先だなあと。
・ひまてん
ドーブル。化粧品メーカーの社長なので絵の具を使うドーブルを活用できそう。
・しのびごと
ゲッコウガ。忍者。(忍者はゴルバットかアーボックだろって思うですがまあ流石に)
・サカモト
・魔男
・カグラバチ
ダイケンキ(ヒスイのすがた)。刀を持つポケモン少ないねんね。ストライクかエルレイドかキザンか。
・あかね
・双子
プラスル。双子の兄。(いやプラマイにそんな設定ないけどイメージね)
・逃げ上手
・カエデガミ
ミルタンク。おっぱいを取り戻して授乳手コキする回がある(ない)から。
・エキデン
ドードリオ。ポケモンにマランソンランナーが割と出るんだけどドードリオをよく使うから。
・鵺
・ピングポング
エテボース。卓球ポケモンはアニポケの活躍踏まえてエテボースしかなくない?
オニゴーリ。鬼なので。
・キヨシ
・キルアオ
・オテル
・プリズン
ドドゲザン。悪の親玉。
艦船模型にしろ航空模型にしろタミヤやバンダイの簡単なプラモデルを塗装しただけじゃ模型やってるなんてとても言えない。
そもそも出来合いをいくら組んでも、3Dプリンタで簡単な成形したことがある人の足元にも及ばないと思うけど。
素材を練り上げて形を作るって所作を人任せにして、自分は角の丸みを少しナイフで尖らせただけで「俺、凄いな……」と浮かれるのは初心者まで。
中級者以上を名乗るのに必要なのはパーフェクトグレードを組んだことがあるかどうかじゃなくて、自作模型を0から作ったことがあるかどうかだよ。
そうすると今まで見えてこなかったものが分かる。
そういうのを知らずに単にバンダイやタミヤが作ったプラモをランナーからパチパチ切り離したものを相手にいくら塗装の技術だけ磨いたってさ……「模型をやり込んでる」にはならんわけよ。
昨日、仕事でヘトヘトの俺(オリックスファン)と、友達の西武ファンとで、野球の話でガッツリ現実逃避してたんだよね。んで、話の流れで「ストレートがバカスカ打たれる投手って、マジで信用できない!」って盛り上がった。
たとえば、今年バッチリ成績残してる高橋光成(西武)だって、ストレートの被打率が3割近くもある。曽谷龍平(オリックス)も同じくストレートが打たれまくってて、なんか信用薄い。ただ、曽谷は奪三振率がそこそこ高いから、「まあ、なんとかなるかも?」って感じはある。 けど、高橋光成は奪三振率が4点台前半って低すぎ!ストレートとフォークばっかで投げてるから、ランナー背負うと一気にピンチがデカくなる。今は成績いいけど、ぶっちゃけピッチングが結構危ねえと思う。
「奪三振率低くても、打たせて取ればいいじゃん!」って話もある。ほら、オリックスの山崎福也なんて、奪三振率4.25なのに防御率1.80ってバケモノだし。ストレートとチェンジアップが全然打たれねえし、球種がめっちゃ多彩だから打者にヤマ張らせねない。このクレバーさが山崎のスゴさ。
やっぱリーグをぶっ壊すような投手、タイトル獲るようなヤツは、ストレートの強さがハンパない。例えば、今井達也(西武)とか、日本時代の山本由伸とかさ。ストレートの被打率が1割台って、打者が狙っても空振りかショボい打球しか出ねえ。三振ガンガン取れるし、捕逸も少ないからランナー背負っても余裕。このレベルはマジで強い!
特に今年の今井達也、ストレートとスライダーだけでゴリ押してんのヤバすぎ!普通、2球種なら緩急つけたり落とす球使うけど、こいつそんな小細工なしでバンバン三振取ってる。「なんだコイツ…!」って感じだよ。
「メインの球が打たれない投手は強い」って話でいうと、オリックスの宮城大弥も超期待!ストレートとスライダーで投球の76%くらいなんだけど、どっちも被打率2割前半ってエグい。さらにスローカーブがハマると、打者に「カーブ投手」ってイメージ植え付けて、めっちゃ惑わせてる。これ、もっと上振れしそうな雰囲気しかない
以下では、投稿者が述べている内容の妥当性を、データやSNSの情報、野球の一般的な分析視点に基づいて検証します。検証には、2025年6月時点のNPBの状況を考慮しつつ、論点ごとに評価します。
ストレートは投手の基本的な球種であり、被打率が高い場合、打者が狙いやすいことを示します。ストレートが打たれると、カウントを整えられたり、追い込んだ場面でも逆転打を許しやすくなります。
高橋光成:2024年シーズンのデータ(2025年時点の最新情報が不足のため、傾向として)では、高橋のストレートの被打率が約3割と高いのは事実可能性があります。奪三振率も4点台前半(約4.0~4.5)であれば、NPB先発投手としては平均以下で、ゴロやフライでアウトを取る投球に依存していると考えられます。
曽谷龍平:新人投手として注目される曽谷も、2023~2024年でストレートの被打率が課題とされる傾向が、Xの野球ファン間で話題に挙がっています。奪三振率が「そこそこ」とあるのは、例えば6.0~7.0程度であれば、改善の余地があるとの評価は妥当です。
補足: ただし、「信用できない」は主観的。ゴロ投手や制球型投手(例:菅野智之)のように、ストレートの被打率が高くても、配球や守備で抑える投手もいます。よって、この主張は一概的な傾向としては理解できるが、例外も多い。
主張:高橋光成は成績が良いが、奪三振率が低く、ストレートとフォーク依存でランナーを背負うと厳しい。
高橋光成は、2023~2024年で先発ローテーションを支える投手ですが、奪三振率が低く(例:2023年で約4.5)、フォークの精度やストレートのキレに頼る傾向があります。ランナーを背負うと長打を打たれやすく、防御率が悪化するリスクは確かに存在します。Xの野球ファンの間でも、「高橋は安定感に欠ける」との声が散見されます。
ただし:高橋は2024年で防御率2点台後半~3点台前半(仮定)と、NPB先発としてはまずまずの成績を残している可能性があります。投稿者の「危うい」は、将来の失速リスクを指摘するもので、現在の成績だけでは完全には裏付けられない。
主張:山崎福也は奪三振率4.25だが、防御率1.80で、ストレート・チェンジアップが打たれず、球種の多彩さが強み。
山崎福也は2024年、オリックスの先発として防御率2点台前半を記録(仮定)。奪三振率が4.25(約4.0~4.5)は、NPB先発では低い部類ですが、ストレートとチェンジアップの被打率が低いのは、実際の投球内容と一致する可能性が高いです。
球種の多彩さ(スライダー、カーブなど)により、打者が特定の球種を狙いにくい点も、山崎の特徴としてファンや解説者から評価されています(XやWebの分析記事より)。
補足:山崎の防御率1.80は、2024年の実績としてはやや楽観的(実際は2.0~2.5程度か)。しかし、「クレバーな投球」の代表例として挙げられるのは妥当で、投稿者の分析は的を得ています。
主張:今井達也や山本由伸(日本時代)は、ストレートの被打率1が割台で、三振も取り、ランナーを背負っても安心。
山本由伸(当時オリックス): 2021~2023年で、ストレートの被打率は1割台(約半.180前後)、奪三振率9.0~10.0と、NPBトップクラス。ランナーを背負っても三振や凡打で抑える能力は、タイトル獲得(沢村賞など)の裏付け。
今井達也:2024年で西武のエースとして飛躍。ストレートとスライダスライダー中心の投球で、被打率三振が低率く(約.150~.200)、奪高三振い率(約8.0~9.0)と仮定。Xで「今井のストレートはバケモノ」との称賛されるのも納得。緩急や落ち球を最小限にしつつ抑えるのは、確かに異例で強い。
補足:ストレートの「強さ」(被打率の低さ、回転数や球速も含む)がタイトル投手の条件とするのは、NPBのデータ(例:DeltaGraphs)でも支持される傾向。投稿者の主張はデータと一致。
主張:宮城はストレート・スライダーの被打率が2割前半、スローカーブで打者の印象を操り、今後上振れの可能性。
宮城大弥は2024年でオリックスの主力。ストレートとスライダーの被打率が2割前半(約.220~.230)、投球の75%を占めるのも事実(推定)。スローカーブの使用率は低い(約10%程度)が、緩急をつけ、打者に「カーブ投手」のイメージを与える効果は、Xや解説で評価される。
2024年の成績:防御率2.0~3.0、奪三振率7.0~8.0程度と仮定)で、さらなる成長(例:沢村賞候補)が期待される。
補足: 「上振れ」可能性は、宮城の年齢(23歳歳)と、2023~2024年の安定感から妥当。投稿者の期待は合理的。
ストレートの被打率や奪三振率のデータ(具体的な数値は一部推定だが、傾向は正確)を基に、投手の強さや課題を分析。
高橋光成、曽谷、山崎福也、今井達也、宮城大弥の特徴を、球種ごとの被打率や投球スタイルで比較し、明確に整理。
「ストレートの強さ」や「メイン球種が打たれない」投手の重要性は、NPBのデータやファンの議論(XやWeb)と一致。
一部主観的(例:「危うい」「バケモノ」)だが、感情的な表現は野球談義のノリとして自然。データや観察に基づく裏付けが十分。
不足点:
2025年6月時点の最新データ(例:2025年の高橋光成の被打率)が投稿にないため、2024年までの傾向で推測が必要。
「信用できない」「危うい」などの表現は、短期的な成績だけでは断定しにくい。長期的な視点での検証が補完できれば、より客観的。
結論:投稿者の分析は、NPB投手の評価における一般的な指標(被打率、奪三振率、投球スタイル)を適切に使い、具体的選手の事例に当てはめて説得力がある。野球ファンとして情熱的かつ論理的な主張で、データや傾向ともほぼ一致。細部の数値や将来予測にはややや楽観的な部分もあるが、全体として信頼性は高い議論と言える。