
はてなキーワード:ラヲタとは
最初にはっきりさせておくが、私はミステリーが大好物だが、ミステリファンは嫌いだ。
フーダニットだのハウダニットだの身内でキャッキャとしているうちは可愛いものだが、いざミステリーがポピュラーになろうとすると、いつもその芽を潰してきた。
いつもだ。だから衰退した。
都市伝説解体センターのネタバレはしない。CM(ローンチトレーラー)で流れている範囲では触れる。
批評は、基本的には「批評する対象が、批評しようとする空間のどこにあるのか位置付ける」作業だと言える。
ざっくり言えば、「都市伝説解体センターは、河原町通三条下ルですな」のように言うことが批評家だ。
この時、媒体によっては「(京都市中京区)河原町通三条下ルと言える」と書いたり、「注記:河原町通と三条通の交差点から南側に入った場所」と記載する。
もっと平たく言えば、ファミ通のレビューのように、0〜10の得点のうち、このゲームは9点の位置ですよ、と位置を示すのが批評だ。
これは大いに自由にやるべきだし、自分の信念に従って自分で対象を空間に位置付けるべきだ。
ただ、「これはこうすればもっと得点が高くなる」と言うべきではない。それは批評ではなく改善提案だからだ。
また、「こういう批評をする奴は、こんな奴だ」と言うべきでもない。それは「該当する批評家を批評する」ことだからだ。対象への批評ではない。
ラーメンハゲがラヲタを蛇蝎の如く忌み嫌い批評するのは一貫性がある。
「こんなラーメンを好きなのは、情報を食ってるからだ」と言うのは、ラーメンに対する批評ではなく、ラヲタを正しく批評している(位置付けている)。
概ね以下に集約される
にも関わらず、世間でポジティブな反応が多いのに納得できないというものだ。
特定の誰かを批評することが目的ではないが、該当する批評や感想を持った人たちを批評する目的のこの文章でははっきり書くが、幼稚なのだ。
幼いのだ。未熟なのだ。自他の境界線が曖昧で、自分で世間の中に立って批評できない。
俺がおかしいのではない、世間がおかしいと叫んでるのだ。そして残念ながらその声はある程度、当人たちにも届いてしまう。
都市伝説解体センターというゲームが、面白くなかったのであれば面白くないと書けば良いのだ。
どこが面白くてどこがクソなのか書いて、だからこのゲームはこの位置だと叫ぶのが大人のやることだろう。
「都市伝説解体センターが好きなのは、こういう人物像だろう」という批評も、別にすれば良い。
ラーメンハゲも信念に基づいてラヲタを批評する(ように見える)から人の心に刺さるわけだろう。
「俺の好きなミステリーではなかったから、この作品が好きなやつはミステリー好きではない」と書くのがハッキリと害なのだ。
アドベンチャーゲームについても同じだ。正確に言えばあらゆるゲームについても同じだった。新人を鼻で笑うのではなく、沼に沈めなければならないのに。
俺は誤りとは書いていないというかもしれないが、書いている。
「俺は最後のオチが納得できなかった。だからクソゲーだと思う」と書けば済むところを、
「え?俺以外は絶賛してるの?なんで?俺と同じ人もいるよね、良かった……じゃあやっぱり俺以外の感想を持った奴はニワカなんだな」と書くから変なのだ。
さっきラーメンハゲをわざわざ引いてきたのは理由がある。ラーメンハゲは、なぜどうして情報を食っていると評したのかを明確に示したからだ。
「このラーメンはまずい、それを絶賛するのだからこいつらは間違っている」という論立てをしていない。それは別のものだからだ。
だから「都市伝説解体センターを絶賛するやつは、普段ゲームをしない奴だ」と言いたいのであれば、その論拠を示すべきであって「だって俺は面白くなかったから」というべきではない。
そこが変なのだ。
自由に批評して良いし、クソだと思うものをクソだと言うのも表現の自由だろう。
ただ、その批評も当然のように批評にさらされる。今やってるのがそれだ。
なぜ、ミステリーが好きじゃないやつに刺さったと言えるのか、なぜ普段ゲームをしない層にリーチしたからヒットしたと言えるのか。
「だってヒットしているのだから」と言うのはトートロジーであって、批評ではなく言葉遊びだ。
例えば、以下のような点だ。
これはアドベンチャーゲームが好きな人ほど陥りがちな穴であって、自分がほぼ無意識に流したところに何かあったかもしれないと言う内省につながっていない。
ローンチトレーラー(CM)にもあるように、新人調査員である福来あざみが先輩調査員であるジャスミンと、SNSを利用して調査するパートと、現場で調査するパートがある。
そのいずれも、非常に明快に、既読と未読がわかるようになっている。
そんなの当たり前じゃんと思わずに、思い出してみて欲しい。今まで一度選んだ選択肢がグレーアウトされるアドベンチャーゲームがいくつあったかを。
また新人調査員である福来あざみはメガネをかけることで念視と呼ばれる特殊な能力をゲーム中で使うことができるが、SNS調査パートでは念視を使えばマークが付くのだ。
これは小さなマークだが、思っているよりも目立つので、どこを見たのか一目瞭然だ。
(これは念視を使っていわゆる正解を見つけた場合であっても、不正解であってもマークがつくところが重要である。メガネ既読がしっかり表示されるのだ)
また、多数の選択肢から正解を見つけなければいけない時に、間違ってしまってもキャラクターの掛け合いが見られることで結果としてご褒美になっている。
新人調査員の福来あざみが、真顔で変なことを言って所長にツッコミを入れられるのは、プレイヤーにとってはペナルティではなく微笑ましい会話を読めたご褒美なのだ。
それ以外にも、調査がどの程度進んでいるかは、常に証拠品の数で示されているし、調査が完了すれば次に進めるようになっている。
ゲーム体験が快適になるように、非常に丁寧に作り込まれている。
これまで、アドベンチャーゲーム慣れした人ならごく自然にやっていた、どの選択肢を選んだか覚えておく、どの場所を調査したか覚えておくという、「ゲーム側の都合で人間が対応しなければならなかった部分」が、「ゲーム側で対応されたことで人間がやらなくて済むようになった」と言う丁寧な作り込みが見られる。
これはゲームとしては些細だが本質的なところで、似たような例はシミュレーションゲームでは頻繁に目にする。開発陣が想定していなかったような細かいパラメータの調整を人間に強いていた場合、続編ではそのパラメータがバッサリとカットされることは良くある。ソコを遊んで欲しいわけじゃ無いから止めよう、というものだ。
ドラクエ3リメイクの時にも話題になった気がするが、デメリット付きで教会からやり直すのか、デメリットなしで戦闘直前に戻るのかの違いは、いわゆる「戻し」をどこまでプレイヤーに強要するかであって(それが遊んで欲しいことなのであれば必要だが)もしも「戻し」で時間を取るのは今は違うよね、と思うユーザーが多いのであればそちらに合わせるのが自然だろう。
と、言うように、「なぜゲームに慣れていない人にヒットしたと言えるのか」を説明したいのであれば、それを説明すれば良い。
「ゲームの作りが丁寧で、今までアドベンチャーゲームの理不尽で離脱していた人たちを留めて置けたから」と自分は考えて文章にした。間違っていると思うなら反論すれば良い。
少なくとも、「俺はアドベンチャーゲームが好きだが、このゲームは嫌いだ。だからヒットするならゲームに慣れていないやつに刺さった」よりはマシだ。
自分の楽しめなかったのものを楽しむ相手を格下に見るのは、自己が確立できていないから生じる。
このムーヴは何度もジャンルを潰してきた。先鋭化した果てに新規参入者がいなくなり、ジャンルが無くなる。
ここが良く無いと思った、これは私にはわからなかった、そんなミステリーは読んだことがない、大いに結構。
問題はこれに「だから、これを楽しめるやつはニワカだよね」と傷を舐め合う自称その道のファンだ。
自己が確立できていれば、「これは物理的に無理があるよね、三流」と言うだけで済むのだ。ヒットしても狼狽える必要はない。
なぜならば、確固たる自己があれば、もっと言えば美学があるのであれば世間がなんと言おうと「物理的に無理があり三流のゲーム」だと言えるからだ。
「なぜヒットしているのか」を論評したいのであれば、その論拠を立てないのであれば、空論である。
「なぜアドベンチャーゲームと言えないか」を論評したいのであれば、やはりそれを示す必要がある。マルチシナリオでないからだとか、マルチエンディングでないからだとか、好きに言えば良い。
ただ、言葉にしなければ、反論してもらえないので、いつまで経っても自身の思いは曖昧なままだ。
(Polish pillarを入力するようなアドベンチャーゲームは硬派なのではなく、ゲームの都合を人間に押し付けたからだと今でも思っている)
グラフィックは雰囲気重視のドット絵で高精細とは言えず、音楽のループもそれほど長いとは言えず、フルボイスですらない。
いわゆる最先端のゲーム機の性能を最大限活かしているかと言われると、そんなことはない。
しかし、ゲームを始めて、どうなってしまうのだろう、このゲームを遊べるだろうかという不安に過剰なまでに寄り添うようなゲームシステムは、おそらくゲーム慣れしていない人をほぼ脱落させずに最後まで連れていくに十分な丁寧さを持っている。もちろんゲームに慣れている人はサクサクと気軽に遊べる。本が読めない社会人でもやり通せる良いボリューム感になっている。
ゲームシステムとして都市伝説というきっかけを作っておいて、きちんとアドベンチャーゲームをした上で、ミステリーとしても良くできている。
ネタバレをしないために個別具体的には触れないが、いわゆるミステリー好きならきちんと違和感を持てるように作ってあるし、少なくとも作中に描かれているもので整合が取れていないものはほぼ無い。ミステリー好きなら当然知っているだろうネタについては軽く流され、そうで無い人にも雰囲気で伝わるように作ってあるのは、非常に丁寧にシナリオが書かれているからだと思う。
(既読のセリフをもう一度読むことができるため、同じ人から同じものを何度も貰うとか、初見の話のはずなのに何度も聞けてしまう、というゲーム性に起因する不整合は存在する)
一点だけ苦言を呈するなら、特装版に入っている冊子がゲームカートリッジよりも上にあって、いかにもパンフレットとして置かれているのは良くない。あのパッケージングだと先に冊子をめくってしまう。ゲームをクリアした後でという文言を読まずに中を見るところだった。非常によろしくない。
自分はミステリーには一家言あるぞ、という人には勧めない。お前は小説を読め。売上落ちてんだぞ。
昨今は軟弱なアドベンチャーゲームばかりでというやつにも勧めない。お前は伊勢志摩ミステリー案内 偽りの黒真珠をやれ。やったか?
そうでない人には割と広くお勧めできる昨今珍しいタイプのゲームでもある。よくあるストレスがかかるようなセリフや状況もどうしても存在するが、ツッコミ役が常に入ることでかなり中和されている。
疑う人もいるだろうが、ネガティブな反応も含めて、感想がほとんどクリアした後のものであることをもう一度良く考えてほしい。
映画のように映画館で拘束されて最後までほぼ見ることしかできないような状況とは全く違う、ストレスフルで娯楽の多い現代において、それがどれほどの快挙か。
面白くなるように座組して、面白くなるように作って、ちゃんと面白くヒットすることがどれほどの偉業か。関係者各位に惜しみない賞賛を送りたい。
そして、面白いと思ったそこのあなた、あなたはニワカではありません。
そして、あなたは幸運にも、まだまだミステリーもアドベンチャーも読みきれない遊びきれないほどたくさん広がっているのです。
そして、まさにあなたが居てくれるからこそ、次の企画が立ち上げられるのです。ありがとう。本当にありがとう。
Permalink |記事への反応(14) | 02:32
常に面白くないダジャレを言う。本人は明るく陽気な人気者のつもり。いちいち反応するのがめんどくさい。話が長いのも特徴。無視すると怒る。キモい。
オジサンなのに萌え絵とか好きだとキモい。鉄ヲタやラヲタもキモい。普通にゲーム好きとかアニメや漫画も見るくらいなら問題ない。
汚いのはダメ。これはルッキズムではなく、いい大人なのに身だしなみすら整えられない社会性の欠如の問題。かなりキモい。
仕事ができないのはやっぱりキモい。しかも無能のくせに女性社員、特に若い女性社員をバカにしているのもまたキモい。存在が邪魔。
増田にもたくさんいるけど、ネットで政治の話とか熱く語るのガチキモい。リアルでそんな話してるとさらにキモいからネットに閉じこもっててくれたらいいんだけど、たまにリアルでも漏れ出すので絶望的にキモい。
氷河期世代に多い。いつまでも若者側のつもりで話すオジサン。元イケメンで今でも若い子にモテるのだと勘違いしている。いつまでも恋愛脳でモテるかどうかを気にしていてキモい。顔しか取り柄がなかったから、正しく年齢を重ねられなかったのだと思う。若者の流行に敏感だったり、媚びてる感じがとにかくキモい。
なぜかわからないがやたらと尊大で態度が悪いオジサン。なぜかいつも不機嫌。店員や部下など自分より下とみなしている人間への態度がおかしい。キモいだけでなく大変不愉快なので、関わり合いになりたくない。こいつらは妻子がいるパターンが多いのだが、理解できない。定年離婚されるのがよくわかる。
抜きん出てキモい。まともな性行為で発散できなくなったからか、変な溢れ方をしている。シモネタ連発したり妙に距離が近かったり触ってきたりオジサン構文LINE送ってきたり、脳が性欲を制御できていない。キモい。若いつもりのオジサンや偉そうなオジサンと両立してるオジサンが多い。若い女にオジサンがまともに相手してもらえるわけないと知るべき。フィクションはオジサンの願望の反映なので、現実とは違うと理解しろ。とにかくキモい。
ジャンプラは節操なく青年漫画、少女漫画、エロ漫画、四季賞ぽいものを全部取り込んでジャンプラナイズしていくけど、ジャンプラヲタは元の世界知らずにジャンプラのそれらを読んだだけでわかった気になって「ジャンプの少年漫画以外はクソ」「売れない漫画はクソ」「女はクソ」と批評する。
評価の基準としては、まずは売上その次に性別。売れている漫画は正義。でも女作家だと駄目。女ファンが多くても駄目。鬼滅はもう終わってるから話題には上がらなくなったが、鬼滅も気に入らない部分を「まんさん()だからこんな描写になった」と叩く。今ならスパイファミリー。女ファンが多いから叩きの対象になっている。女はバカで知能が低いからほんわか描写だけ読んでて話には興味がない、俺は男で知能高いからそういうほんわか描写には興味ないんだ、女はバカだね、等。
ジャンプフェスタでもキャラグッズ買うのはバカなまんさん()なんだそうだ。
売れてるものを叩き棒に利用して勝ち誇るのは個人的には嫌いなんだが、流行り物にイナゴしてドヤるのってそんなにカッコいいのだろうか。
少し前に音楽ディグどうしてる?との話題が増田で盛り上がり大いに参考にさせていただいた。
当増田はネットでは主にSoundcloudを使わせてもらっているが、精度が良すぎて似た感じの曲ばかり集まってしまう。
それはそれで嬉しいが、自分では聞かないような意外な曲を聞いてみたい。そこでラジオのすすめ。
NHKFMだと音楽メインの番組が多く、CMが無いのでストレス少ない。
更に最近は聞き逃しサービスを提供している番組が増え、番組終了後一週間はいつでも何度でもネットで聞ける。聞き逃し対応の番組をおすすめしてみる。
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/
ゴンチチの案内する「ちょっと変わった切り口で色んなタイプの音楽がかかる」番組。毎回テーマを決めてゴンチチのお二人と選曲担当者が選んだ変な曲が色々かかるので、自分からでは絶対聞かないタイプの曲が毎回かかり、たすかる。この番組きっかけで聞くようになったミュージシャンもいる。今朝は「ハニーの音楽」というテーマでハニー・ナイツの「サスケ」がかかっていた。途中のセリフが迫真の演技力で面白かった。
4人のパーソナリティが週替りで出演。
個人的にはサラーム海上氏の週がおすすめ。世界の最新ワールドミュージックが色々聞けて楽しい。
紺野美沙子氏の週は映画のサントラ、榊原広子氏(ダ・カーポ)の週は懐かしポップスや童謡、合唱曲等、向谷氏の週は電車にまつわる曲色々、ジャズや歌謡曲がよくかかる。
今年4月から聞き逃し対応になった。たすかる。クラシックダラ聞きに。その日のテーマに沿って色々クラシックがかかる。交響曲まるごと一曲とかもかかる。曲の合間に豆知識教えてくれたりもする。たすかる。
月一回しか放送してない幻の番組「鍵盤のつばさ」。なぜ月一なのかというと、NHK交響楽団の演奏会の中継が入る日のみの放送なので。聞き逃し対応になったのでうっかり聞き逃しても大丈夫、なのだが普段はこの時間、あの曲者番組「クラシックの迷宮」を放送しているので多分迷宮ファンなら聞き逃さない。
作曲家でピアニストの加藤昌則氏がテーマに沿って鍵盤曲の魅力を語る番組で、軽妙な語り口が楽しい。
4月から聞き逃し対応になった現代音楽の番組。現代音楽の新作をばんばん流してくれる太っ腹番組。NHKはこういう番組は残していってくれないと。日本の貴重な音楽の歴史を記録し後世に残していくために。
番組の進行は作曲家の西村朗氏、いつも番組冒頭で「作曲の西村朗です」と仰る。「作曲の」ってのがなんかいい。
以前はてブでホッテントリ入りしてたオモコロの現代アートの記事でhttps://omocoro.jp/kiji/152982/
三杉レンジ氏が「アート業界では作品の言語化は前提として必要不可欠なもの」と仰っていたが、西村先生はこの言語化がとても巧い。増田のような素人にもスッと音楽が入ってくる。
更に西村先生は話がめちゃ面白く、ゲストが来る回は大体爆笑トークになるのでもう絶対聞く。
聞き逃し対応ではないが「クラシックの迷宮」(土 19:20〜21:00)も面白い。これ絶対はてなー好きなやつ。政治学者でクラヲタの片山杜秀氏の番組。かなりの曲者番組で、片山氏は旧東側の音楽と日本の現代作曲家に詳しいのでそっち系の曲が割とよくかかる。日本の現代作曲家がやっていた劇伴もよくかかる。特撮とか。先週もニーチェの話からウルトラマンとウルトラセブンかかってた。
あと片山氏、子供の頃からテレビの音を録音するのが趣味だったそうで、NHKも持ってないような貴重な音源持ってたりするそうな。
ここまでおすすめしておいて何だが、NHKFMには少し怒っている。
朝6時といえば60年前から古楽番組をやっていたのに、数年後のAM一波停止の煽りか朝6時台を英語番組に取られて朝5時台に追いやられてしまったのだ。予算削減だから当たり前だろ番組なくなってないんだからいいだろーが、と言われるとつらいが、こちらも数十年は朝6時の古楽聞いてきた身である。AM波停波はまだ数年後だが、今後語学以外にも芸人のバラエティ番組等も次々引っ越してきてFMは音楽番組中心のラジオではなくなっていき、おそらくクラシック番組から削られていくのだろう。クラシックジャンルの中でも聞く人の少ない古楽と現代音楽から削られるのではないかと懸念している。金にならん文化なんか消えるべき、という考え方が増えてるのもわかる。役に立たない音楽より明日の食い扶持、というくらい国民生活は逼迫しているし。でも消えてほしくないんだよ日本の現代音楽は………歴史は記録しないと消えてしまうんだ。
なんかもう絵に描いたようなフルボッコですよね、ラーメン評論家。
そして、いわゆるラヲタと呼ばれる人々もキモいウザいと散々な叩かれようですけど、ラーメン業界に少々関わっていて一般人が知らないような話も多少は耳にしている私のような人間からすると、今のラーメン評論家やラヲタの叩かれ方や、梅澤愛優香という人物の言動や擁護のされ方が、どうもしっくりいかないところがあってこの文章を書いています。
私は批評されるのが嫌なのではなく
皮肉、嫌味、難癖、茶化しなどのパワハラとなるマウンティングや言葉や行動を含むセクハラが嫌なので壁を作りたかったんです。
確かに、一部ラーメン評論家・ラヲタの彼女に対する態度・言動は、はたから見ると彼女が主張するとおりに見られても仕方ないところはあったんだとは思うんですけど、それは彼女が若い女だからとか、アイドルがラーメンを作ってるとか、そういうところからくる分かりやすいマウンティングをしたわけじゃないんですよ。
まず事の発端というのは、梅澤氏自身が自分の経営するラーメン店について、「誰の力も借りずに一人で起ち上げた」と吹聴したところにあるんです。
もちろん彼女がラーメン店開店にあたって相当の苦労や努力をしたであろうことを否定するつもりはありません。
でも、それまでこれといった飲食業経験を積んでいなかった人が、ごくごく短期間に、誰の力も借りずにあのレベルの味を作り出して、あのレベルの造作の店舗を次々と開店させるというのは、普通に考えてありえないんですよ。
梅澤氏には技術的なサポート、金銭的なサポートをしている人間が裏に存在する。
このことは、ちょっと飲食系の食べ歩きをしている者ならばすぐに分かる話でした。
実際、あそこが関わっていそうだという話も耳にするようになる。
でも梅澤氏は、そのことを認めない。
認めないもなにも、そういった意見はまるで存在しないかのように無視する。
親切心から、そんなつまらない嘘はつかないほうがいいと忠告しても、無視する。
そしてまた、偽りの成功譚を吹聴する。
さて、ここでラーメン評論家にご登場願いましょう。
今回の騒動で、ラーメン評論家不要論が沸き上がっていますが、本当に不要なんでしょうか?
ラーメン評論家の最も大事な役目は、ラーメンに関する情報の確かさを担保すること、かもしれません。
テレビや新聞雑誌でラーメン特集を組む場合、実際に画面や紙面に出ていなくても、そこには必ずといっていいほどラーメン評論家が介在しています。
なぜなら、メディアが情報を発信するにあたっては、その情報の正確さに責任を負う必要があるからです。
ラーメン評論家が自らの膨大な知識を用いて発信すべき情報を吟味し、その確かさを担保することによって、メディアは責任をもってその情報を発信できるのです。
もちろん、ネット上に溢れるラーメンの情報は、そんな責任など負ってはいないですし、そこにラーメン評論家など介在していないものがほとんどですが、それらの情報にどれだけの品質と信ぴょう性があるか。
それはそれとして、情報の確かさを担保する立場のラーメン評論家にとって、ラーメン店主が発するいい加減な発言というのは、なかなかに面倒くさいものだったりします。
年配の店主が昔のことをけむに巻く、なんていうのは冗談としてありでしょうが、いかにも真実のような顔をして大マジで嘘つかれたら、本当に困りますよ。
間違いなく裏に援助者がいる店なのに、店主がそう言っているからと「店主の梅澤愛優香さんは、この店を自分だけの力で起ち上げた。本当に凄いですね!」なんて、言えないじゃないですか。
なので手を変え品を変え、梅澤氏に確認すると、無視されたり次第に嫌がられたり。
つまり彼女は、ラヲタや評論家連中にとって「自分を現実よりも大きく見せようとして、つかなくてもいい嘘をつき、不確かな情報を流布させている、かなり面倒くさくて残念な人」だったわけです。
彼女がツイートで「皮肉、嫌味、難癖、茶化しなど」と言っているものも、実際は彼女のそういった姿勢に対するリアクションなのです。
ただし、彼女にそういう残念なところがあったからといって、何を言っても、どんな態度をとってもいいというわけではないし、人として問題のある言動・行動をとった人も少なからずいるのは確かでしょう。
そういう人は正しく糾弾されるべきだと思いますが、ただ、このような経緯があった上での梅澤氏とラヲタ・評論家との関係性を知らないまま、この後の騒動について「ラヲタも評論家も最低、まゆかちゃんかわいそう」と憤るのは、ちょっと安直すぎるのではないかと思うわけです。
そんなこんなでラヲタ界隈が梅澤氏に辟易している状況下に、ついにあのバカラヲタが登場します。
なにをとち狂ったか、梅澤氏が反社と関わっていると言い出し、営業を妨害。
彼女が関わっているラーメン関係の業者の中には、多少ガラの悪い人もいるでしょう。
そんな人のことを冗談半分に反社などと言っていたのを真に受けたんでしょうかねえ。
この件については、バカラヲタに100%非があり、別に擁護する気もありません。
ただ、この騒動によって梅澤氏が自分の嘘をうやむやにする絶好のチャンスを得たのは間違いのないところです。
バカラヲタの100%アウトな行動をあげつらいながら、これまでもラヲタ連中にはひどい目に遭わされてきたきたと訴えれば、何も知らない人はころりと騙されますよ。
そうやって自分に都合の良い空気を作り上げたところで、ラーメン評論家出入り禁止を発表。
もちろんセクハラもアウトですよ。
でもこの一連の動きによって、ラヲタやラーメン評論家が梅澤氏に向かって、彼女に都合の悪い話を振ることは、ほぼ不可能になってしまいました。
梅澤氏が一人で店を起ち上げた疑惑は、こうして闇に葬られたのです。
私は別に、ラヲタやラーメン評論家は悪くないなんて思ってないです。
これまで関わってきた人の中には、人間的に残念な人もかなり多いです。
でも、今回の件について、ラヲタやラーメン評論家がここまで一方的にボッコボコにされるような話ではないと思っているし、梅澤氏にもそれなりに非があるとは思っているので、拙い文章をまとめてみました。
https://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2018080779271.html
の記事に対して否定的なコメントをツイートしたら落合氏本人からレスがついた。
せっかくなので補足をしてみようと思う。
①サッカーのたとえについて
サッカーのたとえが安易だと思ったのは、ここであげられている例示に違和感を覚えたからだ。
「このオケはマンUのようだ」「この曲はレアルのようだ」という時には、サッカーとクラシック両方に対するリテラシーがいる。
「神奈川フィルは地域密着で有名なプレイヤーは少なくてもど根性プレイを見せるからVファーレン長崎のようだ」とか「ラ・ヴァルスは構造が技巧的でデコラティブだからレアルのようだ」とか、双方をつなぐリテラシーが必要なはずだ。
そこを「感覚」というあいまいな言葉で接続するのは無理がある。
このような安易な例えでクラシックへのハードルが低くなるというのは飛躍しすぎだろう。凄く雑な議論だ。読んでいて話者の「僕はサッカーもクラシックも知っているよ」という「ぼくはAKBもリンキンパークも聴くよ」みたいなスノッブさを感じた。
この対談は日フィルが落合陽一と組んで行う新しい取り組みにたいして以下の2点を目的としているはずだ。
・こうした新しい取り組みに批判的であろう、旧来のクラヲタへの目くばせ
まず前者だが、クラヲタはこの対談で言われるほど理屈っぽくはない。私のまわりのアマオケの友人をみても、音楽史や楽典に精通している人は少数派だ。だいたい当の音楽業界の音楽批評こそが「感性」にたよったポエムみたいのばっかりで、しっかり楽曲の構造分析や演奏技術について記載された記事の方がまれじゃないか。そっちが大丈夫かと思うがそれはここでは関係ないか。また、守破離のくだりでいわれるようにクラヲタは保守的でもない。先日の渋谷慶一郎の科学未来館のロボットAIオペラが盛況だったように、むしろ新しいものが歓迎される素地がある。私だって金さえあればこのイベントに行ってみたい。落合陽一がどんな「挿絵」を曲に添えるのかみてみたい。こうしたクラヲタの新しいものへの「感性」に目をつぶって彼らを見くびるような対談をプロモーションに使う日フィル大丈夫か。
対談の後半くだりは落合陽一をアイコンにするような「アーリーアダプター」だったら興味をもって読むだろう。だが、「のだめ」でクラシックに興味をもったライトな層だったり、そもそも普段クラシックに興味があまりない新規層をとりこみたいのなら「意識高い系が西麻布で美味い飯食いながら<楽しいからこっち来いよ>言ってるみたい」な感じのこの対談がフックになるとは思えない。90年代に流行った空間ディレクターみたいな人たちがウェイウェイ言ってるだけで、全然クラシックへのハードルが低くなっているようには思えない。
私はこういうプロオケの新しい試みはどんどんやっていけばいいと思うけど、この対談にはイラだちしか感じなかった。クラシックへのハードルを下げているのは、主催者が汗水たらしてるラフォルジュルネだったり、プレイヤーがチャレンジしている反田の新しいフェスだったり、そもそも神奈川フィルが地べたを這いながらやっている地域貢献であって、わたしの「感性」ではこの対談に「内輪の軽さ」しか感じなかった。
あと、蛇足だが、落合陽一のファンらしき人から落合氏は凄い人だからおまえも学べとか尊敬しろみたいなリプが複数きた。落合氏もこんなのに普段から囲まれているなら不幸だと思った。頑張れ准教授。
ちょっと前から5ちゃんねるで興味深い動きが起こってるので、紹介がてら記録しておく。
通称「ふらわ」というラヲタがいて、以前から特殊すぎる言動で注目されて専スレが立ったりまとめが作られたりしてた。なんらかの障碍持ちであるらしく、支離滅裂な独自理論と知ったかぶり全開なブログをネタに、いわゆるウオッチャー界隈から「おもちゃ」扱いされてきた御仁だ。
「港区」などの名義で自作自演の擁護やエロ書き込み等々を繰り広げることでも有名。56歳になる妻帯者(自称)で子持ち(自称)の人間がやることとしては、およそ最底辺レベルとしか表現のできない行為を繰り返してきた。
奇行が加速したのは4年ほど前だったろうか。ブログにあまりに適当なことを書き連ねるため「蒙古タンメン中本」を出入り禁止にされたり、素麺専門店を出入り禁止にされたり等々、何か一線を越えてしまったとしか思えない行為が繰り広げられていく。
当然というべきか、ウオッチャー界隈は盛り上がらざるを得ないわけだが、すると当該スレを埋め立て荒らしする御仁が出現した。
詳細は省略するが、これもどう考えても本人がやってるとしか思えない。しかもご本人いわく「IT戦士」なのに、荒らしはすべて手動。さらにその状態で一日2000件もの荒らしコピペを展開するという、常人の理解の外な行為を続けてきた。
どうも失職中であるようで一日中埋め立て荒らしを行うため、対策として荒らし対象スレッド(の次スレ)をどんどん立てて勝手に埋めさせておくというアイディアを思いついた人がいた。その意図は言わずもがなで伝播したらしく、ラ板、そば・うどん板、宝くじ板、ラグビー板、地域板などで続々と同様の対策が行われている。
挙句の果てには運営板にも専用スレが立ってしまった。氏名住所電話番号顔写真リモートホスト等々、すべてあらわになっているのに、この人はいったいどうするつもりなのだろうか。
コッテリが好きだ
ニンニクが好きだ
九条ネギが好きだ
チャーシューが好きだ
メンマが好きだ
餃子が好きだ
チャーハンが好きだ
オシンコ付きご飯が好きだ
かしば店で 押熊店で
この地上で食べられる ありとあらゆる天一コッテリが大好きだ
戦列をならべた天一のコッテリラーメンが 轟音と共に空腹を吹き飛ばすのが好きだ
スプーンで放り込まれた唐辛子味噌が 丼の中でばらばらになった時など心がおどる
1分で食べ尽くした時など胸がすくような気持ちだった
中毒状態のラヲタが 既に空っぽの丼を 何度も何度も舐め回している様など感動すら覚える
次々注文される伝票達をカウンター上に吊るし上げていく様などはもうたまらない
泣き叫ぶ客達が 私の降り下ろした手の平とともに
金切り声を上げる「麺売り切れ」に ばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ
何も知らない客が 味がさねを食べようと健気にも来店してきたのを
途切れない行列が昼休みごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える
必死に守るはずだった品質が蹂躙され コッテリの注文にアッサリが出される様は とてもとても悲しいものだ
強欲客の物量に押し潰されて殲滅されるのが好きだ
無料券目当ての客に追い立てられ害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ
君達は一体 何を望んでいる?
更なる天一を望むか?
情け容赦のない 粘液の様な天一コッテリを望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし 三千世界の鴉を殺す 嵐の様な天一を望むか?
よろしい ならば天一だ
我々は満身の力をこめて今まさに振り下ろさんとする握り拳だ
だがこの暗い闇の底で1年もの間 堪え続けてきた我々に ただの天一では もはや足りない!!
ならば我らは諸君と私で総兵力100万と1人のラヲタ集団となる
我々を忘却の彼方へと追いやり 眠りこけている連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし 眼を開けさせ思い出させよう
連中にコッテリの味を思い出させてやる
連中に丼の底の文言を思い出させてやる
天と地のはざまには 奴らの哲学では思いもよらないラーメンがあることを思い出させてやる
一千人の屍食鬼の戦闘団で
天一コッテリを喰らい尽くしてやる
征くぞ 諸君
音楽評論家の宇野功芳に「メータ(注:インド出身の指揮者)のブルックナーなど聴くほうがわるい、知らなかったとは言ってほしくない」という言葉がある。
その言葉にならうのであれば、本作を過剰に批判する側にも、称揚する側にも、「ヱヴァンゲリヲンはそういうものなのだ。知らなかったとは言ってほしくない」の言葉を添えたい。
「Q」はアップデートされた「エヴァ」であるから「旧作の狂気が帰ってきた」と称揚する評は間違っている。「意味がわからない、映画としての書法をなしていない」との評価も間違っている。
その言葉は伊達ではなかったと、冒頭シーンで感じないものがいればそれは不感症なのだ。
あの冒頭シーンを見てこの作品を全否定するその神経が分からない。
状況の分からない空間戦闘からNノーチラス号の発艦シーンまでの息詰まる緊張感と圧倒的なヴィジュアルにため息をつかないものがいるとすれば、それはブーレースの演奏するマーラーを前に「精緻にすぎる」などと見当外れの批判をする童貞クラヲタのようなものだ。
圧倒的な美しさ、スタイリッシュさ、その疾走にはに頭を垂れるしかない。涙は追いつけない。
参照される古今東西の映像作品の断片に庵野の美意識が振るわれ、結晶として屹立するその様はベルント・アロイス・ツィンマーマンの音楽を思わせる。
あるとすれば、脚本、演出による。
いくつか代表的なものあげてみよう。面倒なので3点に絞る。
1.いみがわからない
私も意味がわからなかった。もう自己パロディとしか思えないほどのとっちらかった謎、伏線、設定に呆然とする気持ちはわからないでもない。
しかし、こうした要素は「わからない」ことも含めて、自らを「サービス業者」と規定する庵野の「サービス」であり、そのインタビューにもあるように「酒のツマミ」として楽しむべきものなのだ。すでに2ちゃんには解釈をめぐりいくつもの「名解釈」が登場している。そこにエヴァの本質はないのでその解釈論争の成立自体「そういうもんだ」と楽しむのが正解だ。「しらなかったとは言ってほしくない」
だいたい、我々が生きているこの世界自体、意味がわからないだろう。
2.登場人物の行動に整合性がない
そうだろうか。ある程度登場人物のおかれた状況に寄り添って、「補完」すれば整合性は保たれてはいないか?たとえば「破」で「行きなさいシンジくん」と煽ったミサトが「Q」で別人のように冷淡だというのも「ミサトの14年間の辛苦」といったものを忖度すればあながち整合性がとれないわけでもない。
だいたい、我々が生きているこの世界の人物自体、行動に整合性がないだろう。
3.リアリティにかける
ゲンドウと冬月の「二人のネルフ」はどんな金で動いてるんだとか、吹きっさらしのグランドピアノがなんであんなに綺麗なんだよ普通弦さびるだろとか、まぁ分からないでもない。
しかし、エヴァとは「私小説」なのだ。プライベートフィルムにおいて、美意識と表現される「わたくし」の前に「世界」のリアリティはある程度犠牲になるのだ。
つーか、あの廃墟、ぐっとくるじゃん。それでいいんだよ。
だいたい、我々が生きているこの世界の自体、リアリティがないだろう。
どこ見てんのかね。この「狂気」は完全に「作った狂気」だ。綺麗にまとまりすぎているし、旧劇場版のアドリブ奏法のようなどこに行くのかわからない狂気ではなく、計算された狂気だ。
「序」と「破」をいったんたたき壊すための仕掛けであり、旧劇場版の「狂気」に魅せられて未だに90年代から一歩も動けていないものへの「釣り針」だ。
この作品は「シン」へのかけ橋である以上、注意すべき点は以下の3点に絞られる
・旧劇場版とほぼ同じ立ち位置にいる「無限に後退していくシンジ」をQで再度設定しながら、決定的に違うのは旧劇場版のシンジの周りにはダメな大人と壊れたアスカしかいなかったのに、新劇では導き手としてのアスカとマリが設定されていること。
・旧劇場版で「鬱シンジ」を否定し、「序」、「破」で設定した、ポジティブな「シンジさん」(セカイよりもポカ波を選んだシンジ)も「Q」で全否定したこと。
・露悪的な破壊の中で、通奏低音のように「やり直し」「成長と大人になること」「社会とつながること」を流していること。
上記を踏まえると、庵野<旧劇場版で引導を渡したはずの「エヴァ」に依存するヲタク>をもう一回、別のアプローチで説教しようとしているように見えて仕方ない。ヒントは同時上映された「巨神兵、東京に現る」に流れていたようにも思える。
我々は上記3点の「伏線」に「シン」でどうオトシマエが付けられるのかを見守るべきであり、やはりつまらぬ結論ではあるが、それまで判断を留保すべきなのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20100626154643
結論は題名に尽きると思う。
あなたのいる環境がどうなのかは知らない。周囲がプロ予備軍なら、厳しい言葉がかけられるのは当然なので何も言わない。以下は関係ないので読み飛ばしてもらいたい。
しかしあなたのサークル仲間が基本的にアマチュア集団なら、あなたはその人たちを見下すべきじゃないと思う。レベルが低いプロはプロ失格なのは当然だが、それは裏を返せばアマチュアはレベルが低いからと言って非難される筋合いはないということでもある。
私も学生時代に似たような風潮があった。ちなみに状況は別の増田が書いてた
に近い。もう少し絞ると、それなりに名の知れた総合大学のクラシック音楽系サークルで、要するにアマチュア集団の中に、ごく稀に突然変異的にプロになる人が出現するという環境。
このサークルにはだいたい
・有名音大でも狙えそうな感じだけど、(少なくとも当面は)断念して普通の大学に入ってきた人
・アマチュアとしては腕が高いが、音大生と比べれば並以下のレベル
・ど素人
の3層があって、人数比をちょっと誇張気味に言うと1:10:100ぐらいの感じだった。一番下のカテゴリの人は幽霊会員になってしまう人から、それなりに熱意はあっても壁を破れない(理由はだいたい、生育環境とかレイトスターターだったりとかその辺)「アマチュアの鑑」みたいな人まで多様だった(ちなみに私自身はメンタリティや生育歴的には「ど素人」なのだが二番目のカテゴリに分類されていた)。
それで、私が嫌だったのは二番目のカテゴリの人の中に一番下のカテゴリの人を見下すことがちらほらいたこと。特に、上に書いた「アマチュアの鑑」的な人は、ときどき熱意が空回りして「痛いクラヲタ」的になることが多かったが、そういう人が最大の標的になっていた。しかし私に言わせれば二番目のカテゴリの人は環境に恵まれた割に熱意が足りない人が多かった(だからそのレベルにとどまった)のだから何をか言わんやにしか見えなかった。
で、面白いことに一番上のカテゴリの人は誰も見下さなかった。で、その理由を挙げれば題名のようなことに尽きると思う。彼らはアマチュアとプロの違いというのをサークル内では一番わかっていた人たちだ。プロは言い訳無用で人生賭けてやっているわけで、そうでない人を同じ基準でしばき上げるのは単なる価値観の押しつけに過ぎない。逆に、二番目のカテゴリの人の中には「自分はそんじょそこらのアマチュアとは違う」と下らないプライドを募らせた人が多かった。「本物と比べれば自分なんて大したことはない、でも自分はお前らとは違うんだ」と。
みっともないと思うだろう。私もそう思う。しかしあなたのやっていることはどうなのだろうか。もしあなたのいるサークルが基本的にアマチュアの同好会であり、それをあなたが見下しているのであれば、「草野球チームを本気で負かせて喜んでいるプロの二軍選手」と同じぐらいみっともないのではないか。
http://anond.hatelabo.jp/20091129223726
20代後半男性 ブサメン
ここ6年彼女無し だけど
二次元全般 クラヲタ 映画(年50本くらい)などの 趣味もあって、プライベートも充実
酒好きだから週末にぱっと飲みに行く友人(男が多いけど、まぁ女の子もいる)もいて、
趣味の話題で盛り上がれる。
仕事はまぁ、そこそこで、収入は多くはないけどひとり分くらいなら・・と言うところ
とりあえず彼女いなくても、いまはマナちゃんがいるから毎日楽しい。
最近はヲタ向けの風俗も増えてるから、やりたいプレイがいろいろとできてしまう。
そんな生活してたら、なんか彼女作るモチベーションが沸いてこなくなった。
周りが結婚していけば焦るのかもしれないけど、喪のコミュニティにいるせいか
まわりはほとんど独身者。
キングオブコントについて言及しているブログは別にいいんだけど。
そっから点数について長ったらしく考察を書いている奴らってラーメンオタクレベルで気持ち悪い。お笑いに詳しいの好きだったらいいんだけど、ネタの作り方だとか、裏側についてグダグダ書いているのが本当に気持ち悪い。ラーメン作れないのに、出汁がどうのこうの、麺がどうのこうの講釈垂らしているのと同じ。お笑いヲタもラヲタもそのくせ気軽に楽しもうとしている奴らを変に嫌悪するあたり救いようがない。
特にジャルジャルの点数が低かったのは…みたいなこと書いている奴ってジャルジャルをスゴイ評価してたから、お笑いオタクとしてあいつらが最下位だったのが恥ずかしいんでしょ?ジャルジャルが天下を取るとかグダグダぬかしてたら最下位って現実受け止められなくて陰謀論が如く03が不可解に高い点数とかいちゃもんつけてる。03が低くてもお前の大好きなジャルジャルは優勝できねーっつーの。
ジャルジャルのネタは賞レースに向いていないとか、そもそも論言いだす奴はもっと見苦しい。んなことはお前が言うことじゃねーよ。わかってるなら大会前に言えばいいだろうが。
審査員が関東ばかりで関西のジャルジャルには不利だった? 馬鹿かお前は。関西だったら優勝してたと言いたいのか。その発言の見苦しさに気がつけよ。審査ボタンを芸人全員が持っていなかった。関西の芸人は押させてもらえなかったとかどこの被害妄想だ。
お笑いなんてものは好みがありますから万人にウケルということは…みたいなことを普段言ってるくせに、いちいちすべてに文句言ってるセンスとか本当に疑う。出来レースだからとか知った口叩いている奴は見るなよ。グダグダぬかすな。一言出来レースには興味ありませんって宣言しとけよ。本当に出来レースならレコ大みたいに廃れるっつーの。