
はてなキーワード:ラブレターとは
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映画評論家の街島は、自分の過去の随筆が自分の運命を狂わせることになるとは想像もしなかった。
「原作どおりの映画化は無意味だ。物語は新しいかたちで蘇らせてこそ価値がある」
その言葉を、後に漫画家として大成する少年の心に深く心に刻まれてしまった。
少年が描いた漫画が社会現象となった頃、街島の家のインターホンが鳴った。
雨に濡れた青年が立っていた。瞳は熱に浮かされているかのように赤く光り、震える声で名乗った。
青年となった少年が描いた漫画が映画化される、そしてその映画化の脚本を、街島に「書いてもらう」ためにやって来たのだ。
私は脚本家ではないと断れば帰ると思った。だが違った。
青年は帰らなかった。四度も訪ねてきた。しかも回を重ねるごとに、背後に連れてくる者の肩書きが重くなっていった。編集者から、幹部、ついには出版社の社長までも。青年はいう「街島さんに脚本を書いてもらえないのなら、この映画化はなかったことにします」社長までが現れたのはその映画化の商業的意義の大きさを表していた。この映画化は失敗できない。
街島は徐々に理解した。これは依頼ではない。選択肢のない愛の告白だと。
街島はそのプレッシャーで脚本を書かざるを得なかった。失敗できない。脚本で冒険はできないだろう。街島は原作に沿った無難な脚本を書いた。おれは評論家なのにと理不尽さを覚えながら。
「これは……原作どおりじゃないですか。街島先生、忘れたんですか? あなた自身が昔、そう書いていたじゃないですか」
街島は背筋が冷えた。
青年は自分の過去の言葉を、まるで聖典の一節のように暗唱していた。
拒絶すればどうなる?
彼は口癖のように言った。
「もし先生が脚本を完成ささないのであれば、僕はすべてを捨て去ります。映画化はもちろん作品も、原稿も、全部」
その瞳は、失うことを恐れていない瞳だった。むしろ、失うことで二人だけの世界が完成するかのように。
観客の誰もが言葉を失う。原作とはかけ離れた映像。知っているはずの登場人物たちは、スクリーンに存在しなかった。
だが一人だけ、静寂を破る声があった。
青年の笑い声。
「ほら、やっぱり……あなたに決めてよかった」
街島はその笑いを聞きながら、ふと悟った。
この映画は青年にとって観客に見せるものではない。街島に捧げる私的なラブレターなのだと。
公開後、街島は批判を浴びた。「原作殺しだ」「改変が過ぎる」「こんな駄作は見たことがない」
評論家であるはずなのに、その映画は街島の人生に死ぬまで残るスティグマとなってしまったのだ。
「街島先生は僕アイドルなんです。ジャンにも似ているし、他のキャラにも成分が入っている。僕にとって、街島先生は……物語そのものなんです」
街島はぞっとした。
それは愛の言葉に似ていたが、逃げ場のない檻のようでもあった。
かつて街島が一枚の紙に書いた、評論。
その一節が、青年の中で燃え広がり、やがて町島自身を物語の登場人物に変えてしまったのだ。
扉の向こうから、あの声がする。
「街島先生。次はジャンを主人公にしてください。……あなたならできる」
私は長いこと自分が抱えているものを勘違いしていた。世間的にはそれを性欲と呼ぶのだろうが、私の性欲はなんというか、他人に触れたいとか、抱きたいとか、そういう欲望とは一切結びつかない、純粋に自家発電的なやつだった。いや、そりゃあ夜中に一人でごそごそする程度にはエネルギーはあるのだが、それは誰かに向かって矢を放つような性質のものではなく、むしろ矢を放つ弦がどこにも掛かっていないような状態である。たとえるなら、宛先の書かれていないラブレターを大量に抱えて街をさまよっている感じだ。思春期、同級生たちは誰それが可愛いだの、先輩がイケてるだのと青春会議を開いていたが、私はその場にいても心は涼しい顔をしており、頭の中ではまったく別のこと――たとえば近所のたぬきは今夜も元気だろうか、などと――を考えていた。
大学に入ったとき、私は少し変われるかもしれないと思っていた。都会のキャンパス、知らない人々、もしかしたら恋というものが唐突にやってきて、私の性欲もようやく人間社会の正規ルートに合流するのではないかと。しかし現実はというと、私の四畳半は六畳になっただけで、性欲は相変わらず無対象のまま健在だった。合コンに誘われても、友人たちは可愛い子の名前をメモして帰るのに、私は料理の唐揚げが妙にカリカリだったことばかり覚えている。たまに「お前はどんな子がタイプなんだ」と問われると困る。そういうときは「文学少女かな」と適当なことを言うのだが、内心では文学少女に対しても別に何も感じていない。むしろ本棚の整理の仕方がきれいだなと感心するくらいだ。
大学生活で最も熱中したのは恋愛ではなく、下宿近くの古本屋巡りだった。特に閉店間際の古本屋はよい。西日の差し込む埃っぽい店内で背表紙を眺めていると、自分の中のどこへも行かない性欲が、まるで古書の匂いに溶けて静まっていくような気がする。友人が「昨日彼女と朝まで一緒にいてさ…」と語る頃、私は「昨日は坂口安吾全集の初版本を見つけてさ…」と胸を張っていた。熱の方向が違うのだ。
やがて社会人になった。ここでまた、私の内なる性欲にとって試練の場が訪れる。職場というのは、妙に恋愛や結婚の話題が多い。昼休みには「○○さん、結婚するらしいよ」というニュースが飛び交い、飲み会では「彼女はいるの?」という質問が不意打ちのように飛んでくる。私にとってこれは「冷蔵庫にマヨネーズある?」と聞かれるくらい唐突だ。性欲はある。しかし誰ともしたいわけではない。この仕様を説明するのはあまりに長く、そして聞き手が求めている答えではない。だから私は笑って「いや、いません」とだけ言い、ジョッキの中身を一口飲む。
社会人になっても私の性欲は、ひとりで完結する道を歩き続けた。仕事終わりに帰宅して、コンビニで買った弁当をレンジで温め、机に向かってぼんやりするとき、胸の奥にじんわりとした熱が灯る。それは一瞬、どこかへ向かいそうになるのだが、次の瞬間には元の場所に戻ってきてしまう。まるで、駅のホームで電車に乗ろうとした瞬間に、なぜか引き返してしまう旅人のようだ。
そんな私にも、世間一般でいうところの“男の本能”に接近する機会がなかったわけではない。ある年、友人と旅先で酒を飲みすぎた夜のことだ。ほろ酔いというより、すでに体の半分は酒精でできているような状態で、友人が急に「せっかくだから行ってみようぜ」と言い出した。行き先はピンサロである。私は人生初のその類の店に連れて行かれ、心のどこかで「もしかすると、これで私の性欲も人並みに誰かへ向かうかもしれない」という妙な期待を抱いていた。
店内は狭く、暗く、タバコと芳香剤のにおいが混ざった不思議な空気が漂っていた。私は半ば流されるままソファに腰を下ろし、出てきた女性を見て一瞬、脳内が真っ白になった。いや、正確には真っ白というよりも、モビルスーツの整備ハンガーのような光景が広がったのだ。そこに立っていたのは、まるで人型兵器のような迫力を備えた女性だった。身長、体格、そして全身から発せられる圧――私の頭の中では、ジムやザクではなく、フルアーマーガンダムのテーマ曲が勝手に流れ出していた。
「どうする?」と問われても、こちらとしてはどうするも何も、立たないものは立たない。あらゆるボタンを押しても起動しないモビルスーツのパイロットの気分である。相手はプロだからといって、私のこの仕様を一瞬で書き換えられるわけではない。結果、私はただ笑ってうなずき、何もせず、いや何もできずに時間を過ごした。時計の針が指定された時刻を指したとき、私はきっちり三万円を支払い、店を後にした。外の夜風は妙に冷たく、私はその風に吹かれながら、自分という人間の性欲の形をあらためて痛感した。
普通ならば、こういう経験をすれば何かしらの感情や昂ぶりが残るのだろう。しかし私の場合、残ったのは「ガンダムってやっぱり強そうだな」というどうでもいい感想と、財布の中が軽くなった事実だけだった。旅先でのこの事件は、私にとっての“性欲の実地試験”だったが、結果は見事に不合格であった。
では恋愛はどうか。私は数回、恋をしたことがある。恋をすると、相手と会いたくなるし、話したくなる。手を繋ぎたいと思うこともある。しかしそこから先――いわゆる“したい”という欲望には、やはり変換されない。恋愛感情と性欲が別々の配線で動いていて、互いに干渉しないのだ。結果、恋人から「私のこと、そういう意味では好きじゃないの?」と問われることになる。正直に答えれば、「そういう意味では…たぶんそうじゃない」となる。もちろん相手は納得しない。私だって納得できない。だが事実は事実で、私はどう足掻いても対象を伴った性欲を生成できない。
この性質は、付き合う人にとっては相当やっかいだろう。世間的には、性的欲望は愛情の重要な表現の一つとされる。それが欠けていると、愛そのものを疑われる。私がどれほど相手を大事に思っていても、その回路が繋がらないのだから説明は難しい。森の奥深くで、互いに違う言語を話す二匹の動物が途方に暮れているような光景が、私と相手の間に広がるのだ。
それでも、三十を過ぎたあたりでようやく思えるようになった。この仕様は欠落ではなく、ただの仕様だと。性欲があるのに対象がいない、それは異常でも病気でもない。ただ、ちょっと不思議な形をしているだけのことだ。世の中には、宛先不明のラブレターを抱えて生きている人間だっている。そう考えると、少しだけ気が楽になる。
今夜も私は四畳半(正確には六畳)の机に向かい、冷えかけたコーヒーを啜る。窓の外では、近所のたぬきがゴミ捨て場を漁っているかもしれない。あのたぬきも、もしかすると私と同じく、行き場のないエネルギーを抱えて生きているのではないか。彼らは誰かと交わるためではなく、ただ今夜も腹を満たすために生きている。私の性欲も、それと同じようなものかもしれない。明日もまた、どこへも行かない熱が私の中でぽつぽつと燃え続ける。それはたぶん、悪くないことだ。
https://lscharlie.exblog.jp/24430958/
ウェクスラー成人知能検査、その名も「WAIS-III」を受けてみた。
全額負担で。
大人になって試験という試験は、車の免許とメンサとコレくらいだ。
いや、コレは検査か。メンサとケンサを受けたことになる(どうでもいいか)。
証明書による入会判定について
https://mensa.jp/certification.html
JAPAN MENSAはWAIS-IIIの証明書を提出することで、条件を満たせば試験を受けずに入会できる。
私のWAIS-IIIの結果はIQ 140(=全検査値、標準偏差15)
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よく見かける「IQ 162をマーク!nn才の子供がアインシュタインやホーキング博士を超えメンサ入り!」というニュースは、私が見る限り全て標準偏差24値なので(メンサをIQ 148以上と表現している場合間違いない)、それを真に受けるならば私も超えているし、記事になっている人達よりも2〜3高い。が、そんなにゴロゴロとアインシュタインを超えるはずがないので、何かおかしいと読み解くところから始まる。そのくらいマスメディアというのは専門知識も持ち合わせていないし分析能力もない(ことが多い)。ちなみにニュース記事の英語原文にはちゃんと説明が書かれていることもあるので、日本のメディアか翻訳者が疎いだけかもしれない。
もし当時アインシュタインが知能検査を受けていたら、標準偏差15値で160はあったんじゃなかろうか。受けた記録はないそうだ。
ジョディ・フォスターのIQ 132は標準偏差15値かと思われる。でなければメンサに入れないので。
言語性、動作性に限らず、下位項目全てにおいて130を超えているので、メンサはどっちで入会しても良かったということ。
※保険適用なしでWAIS-IIIを受けるとメンサ試験料の3倍以上かかるから、真っ直ぐメンサ試験に直行した方がお得(?)。※実際は1万円ちょっとのよう。私はついでにアレもコレも受けたので高くなった。
IQ分布では250人に1人だから0.4%、世界的に140からを天才と位置づけているそうだから、ギリギリ仲間入りした。
「滑り込みの天才」とか、「駆け込み乗車の天才」とか名前付けたら売れますか?的な。一瞬、滑り込みや駆け込みが巧いのかと思う。
で、スティーブ・ジョブズがIQ 140らしい。
なんか申し訳ない。
晴れて私は天才になった。
例えばソムリエ試験の合格通知が来たその日から人はソムリエになる。
でも試験日当日には既に合格するレベルに達していたのだから、この人がソムリエになったのは試験日当日じゃないか(事象の発生)と考える。
※例えば、オリンピックで100メートル走り、9秒00を出してから世界新記録と金メダルが確定するまでのタイムラグのようなもの。
更には、試験前日は余裕で勉強もせず、いつもどおりの生活を送っていた人は、試験の前々日にソムリエ相当になっていたことになる。
もっと言うと、合格するだろう軌道に乗った時点で、その人はソムリエになることがほぼ決まっていたと言える。
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http://karapaia.livedoor.biz/archives/52152799.html
メンサは9位、「マスターソムリエ資格認定試験」は1位だ(笑)。ソムリエにとっての最初の難関は受験料8万円ではなかろうか(笑)。
量子論の入門で必ず出てくる。
観測するまでは確定されず、考えられる可能性を元にした2つ以上の世界が同時に存在するというパラレル・ワールドの理論。
そして光は、過去に遡って結果を書き換えたりする(過去に影響を与えているように見える)。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG2000S_Q2A120C1000000/
ソムリエ試験当日、合格する行動(筆記や実技、全てにおいて)を取った人は、例え採点前でも合格が決定しているが、採点後に合格が確定していても、本人は通知を受け取っていないため、「不合格」かもしれないと心配したりする。
更には合格通知が郵送されても、受領していない限り本人にとっては合格という事実が確定しない。
もし、一緒に受けた友人宅に先に通知が届き、Facebookにでも「合格した」と近況報告を載せようものなら、まだ通知が届かず近況報告できない片割れに対し、「不合格なんじゃないか」論が密かに噴出する。本人自身も含めて。
一週間も通知が届かないと、仕舞いには「本当に受けたの?」疑惑さえ出てくる(笑)。
そういったある特定の要素によって、事実を事実として確定させられないと困るので、多くの試験はホームページに合格者受験番号を掲載したりするなど2種以上の通知手段を採用している。
パールハーバー前の宣戦布告も、2つ以上の手段によって伝送されていれば、少なからずどちらかを持ってルーズベルト大統領の手に渡ったのではなかろうか。
それは置いといて、正直に自己開示すると、検査日の数日前、お馴染みのロンドン3丁目(笑)に「測定上限値の161かエラーを出す」と宣言したので(笑)、何ともネタがないままに終わってしまったことが若干不満なのであります。
いや、彼女よりも低いことは(初めから)自分でわかっているので、150を超えないことは何年も前に確定していたことに目を向けるべきですな。
というわけで、資格とか試験というのは、ある事柄を確定させるための return (enter)キーだ。文字は打ち終わってるんだが的な。
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Wechsler AdultIntelligenceScale-Third Edition
16才以上を対象とした世界標準の知能検査。アメリカでは既にIV(フォー)が出ているが、日本ではまだ見かけない様子。最高値161(成人は156)まで測定でき、それ以上は「161以上」と表現される。標準偏差は15。
よって161を超える数値の自己申告については、民間のオリジナル知能検査である可能性や、標準偏差24(Cattellscale)で算出されている可能性、子供の時に受けた昔の精神年齢から算出するタイプの数値である可能性もある。
※精神年齢算出型は、実際に解けた問題数ではなく、この年齢でこれだけ解けたら「n才相当」と算出するため、年齢が下がれば下がる程161以上が出る可能性がある。現在の成人知能検査においてはほとんど使われない。
※精神年齢から算出する田中ビネー知能検査Vは今でも現役のようだ。13才までを対象としていて、年齢によっては平均が119と高い。標準偏差は16。
成人知能検査は2〜3時間を要し、人によっては2日間に分割される。
海外のメンサは、テストの合否と併せてIQが通知される。大人はIQ 161まで、子供はIQ 162まで。
WAIS-III ウェクスラー成人知能検査を受けてみた。全額負担で。_f0337316_18524285.jpg
メンサは本当に「行列推理得意集団」「パズル得意集団」なのか、或いは、本当に人口の上位2%のIQの持ち主が集まる高知能集団なのか。巷では数年来のこの議論に対し、自分で検証した方がが手っ取り早いでしょという結論に達した。
その前に、事実こそに答えがあるという観点から、何で議論ばっかり見かけて、誰も立証・検証しようとしないのだろうと疑問に思った。
わかった。
私は前後のカウンセリングやその他の検査も受けたので36,000円(保険適用なしの全額負担)かかった。
※「保険適用なら3,000円程です」と最初に言われた。3割負担なのに計算が合わない気もするが(笑)、「できる検査は全部」と言った結果追加されたんだろう。
それがまた所得分布に比例し、結局のところ統計は大凡正しいことがうかがえる。
私のような検証マニアは、極めて希かつ貴重な(アピール)存在であることを念のためここに記したい。
オンラインIQテストと比べて、2回以上やってみたり、解答を検索したりもできないし、写真撮ったりして問題を持ち帰ってゆっくり解いてそれが外部に漏れたりしないという点から信頼性が高い。
その昔、テレビなどで「精神病院」と呼ばれていた場所で、今では精神科、心療内科と分かれ、より来院しやすいよう配慮されている。
院内では決して名前が呼ばれず、内容などが読み上げられるようなこともないし、明細にも細かな内容を書かないという徹底ぶり。多分家族にも見られたくないという人も多いのだろう。
また受付から呼びかけるのではなく、そばにやってきて小声で話してくれる。
すんません、こんな男のために15歩ほどご足労をおかけして。
病院というのは、何かしら自覚症状があったり、他人から見た疑い、明らかな疾患があったり(物理的、生物学的、行動的)、結果として治療が必要と判断されない限り、保険は適用されない。
私の趣味の知能検査に国民が納めた健康保険料を割り当ててもらうのも気が引けるので、自ら全額負担を名乗り出た。
が、そういう来院は初めてだそうで、「何でもいいので、お悩みのことはありませんか?」と聞かれ「悩みがないことが悩みだとか、自分が悩んでることに気づかないことが悩みだとかダメですか?」と言うと、しばらく悩まれて、「ではもしカウンセリングや知能検査の結果、治療の必要性が認められた場合は保険適用しますね」と言われた。
結果、全額負担。
せっかく心療内科まで来たんだから、知能検査とは別に精神面も見てもらおうとカウンセリングやテストを受けたが、結論的に「何か特殊な訓練を受けましたか?」と聞かれた。
いわゆる軍人や特殊部隊などの養成訓練に参加したことがあるかという話だった。
ナイ。
メンタル面に微塵の不安要素(例えば鬱とか)もないらしく、いわゆる「問題なし」と判定されるラインから大幅に「なし」の方向に傾いているという。
朝までさんざんお酒飲んで血液検査に行っても、肝数値がお酒飲まない女性よりも低い(元々男性の方が高い)と言われるソレと同じですな。
※今まで見たことがない結果らしく、それはそれでマイノリティだから、普通か異常かで言えば異常に分類される恐れがある(笑)。
自分でわかってるから、下手な芝居をせずに、全額自己負担を名乗り出たのであります。
初日はとりあえず先生のカウンセリングで、その場で知能検査は受けられないことがわかった。
待ち時間など含め3時間ほどかかるということで、「いつでもいいです〜、急ぎませんし。ブログのネタ用なので」と言ったところ、「現在1ヶ月ほどお待ちいただいておりまして、全体の検査には3ヶ月ほどかかります」と言われた。
「はい〜、ただの趣味なので1年かかってもかまいません。ブログのアップが延びるだけですから」と伝えた。
多分相当後回しになるだろうなと思っていたところ、受付で「明後日どうっすか」的な急展開。
医師が診て、急いだ方が良さそうな顔をしていただろうか、私は(笑)。
「3時間ほどかかるので、分割しますか」と聞かれ、「13時間は余裕で集中できます」と応えると、明後日で確定した。
当日。
「気象予報士さんですね?」
「いえ、臨床心理士です」
一瞬笑みを浮かべそうになったが、受付の人といい先生といい、皆神妙な面持ちで真剣に向き合って話をするので、多分場所柄、笑ったりしてはいけないのだろう。私の場合笑ってくれないと辛いのだが。
「では、始めますね」
「お綺麗ですね」
3秒くらいポカンと見つめられた。
「もし実際より低い数値が出たり、何か治療が必要になったら、貴女のせいですよ053.gif」と言ってみたらやっと笑顔を見せてくれた。
恋の病に陥ったら治療を頼むぜベイビー的な。
IQ 140だとそんなこと言うのか!と決定付けないでほしいのであります。
念のため確認した。
「ちなみにこの知能検査、最高値はどのくらいですか?」「161まで測定できて、それ以上は161以上という表現になります」
なるほど。噂どおりだ。
「じゃ、161出しますね」
※2018年02月17日:成人知能検査の上限は156のようです。読み替えてください。
結果は宣言を大きく下回ってIQ 140(全検査値=FIQ)。
知能検査自体は2時間くらいだっただろうか。カウンセリングやメンタルテスト数種類が30分くらい。後は待ち時間の方が長く感じた。合計約3時間。
検査中、予報士の女性がペンを落としたので、それを拾ってあげようと机の下に潜り込んだところ「時間を計っていますので、お気遣いなく集中してください」と言われたので、「いや、綺麗な脚を眺めるチャンスに一瞬で気づいた点も記録していただきたいんですが」と言うと、真剣に笑ってくれた(笑)。
結果報告書にも書かれていた。
「常に周囲に気を配り、楽しませようという余裕、ゆとりが見られた。かといって試験内容が簡単で退屈だという様子もなく、むしろ楽しさが思考を促しているようにも見られた」だそう。ラブレターみたいなことが沢山書いてあった(笑)。
言語性(VIQ)と動作性(PIQ)はほぼ均一で、おもしろいのは、動作性カテゴリの行列(推理)と言語性カテゴリの算数は2段低かった。
本番に強い私は、これでも「算数」は予想外のできだった。本当は2桁の足し算でも大変なのでもう2段更に低くてもいいくらい。余裕で小学生に負ける自信があるし047.gif
そして一番意外だったのは言語性カテゴリの「数唱」が一番高い(笑)。
例えば「58126947」と口頭で伝えられ、それを復唱したり、逆さまから言うテスト。いわゆる短期記憶だ。まだ昔の能力が残っていた。
「貴女の声がステキなので、何桁でも覚えられます。このまま続けませんか」と真顔で言ってみたら、予報士さんの声がうわずっていた。
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ちなみに赤坂時代、私が偶然外で見かけた10桁の数字を覚えていたので、ある女性スタッフに「10桁って何の数字ですかね」と話したところ「牛の個体番号じゃないですか?」と言われ、確かに鉄板焼きで食べる時に見せられたソレだった。「一回だけ言うので覚えられますか?」と口頭で伝えたところ、半年経ってもその女性は覚えていた。牛の個体番号って気づく点も鋭いし、こうした試験には出なくても特殊な才能を持っている人は世の中にたくさんいる。見いだされていないだけだ。
私の適当な計算では、私の行列推理能力は、メンサ合格ライン+1くらいのところに留まっている気がし(これだけで算出すると多分だが標準偏差15でIQ 132くらい)、メンサの「行列推理得意集団説」の足を引っ張っている可能性が高い。
知能検査項目を列挙すると↓こんな風に分類されている。
言語性尺度(VIQ、Verbal Comprehension)
単語(Vocabulary)
類似(Similarities)***
知識(Information)
分類なし
理解(Comprehension)***
算数(Arithmetic)
数唱(DigitSpan)
語音(Letter-Number Sequencing)
分類なし
配列(Picture Arrangement)
知覚統合(PO、PerceptualOrganization)
完成(Picture Completion)***
積木(Block Design)***
行列(Matrix Reasoning)
処理速度(PS、Processing Speed)
符号(Digit Symbol-Coding)***
記号(Symbol Search)
分類なし
組合(ObjectAssembly、組み合わせであって管理組合とか労働組合とかじゃない)
私を担当してくれた臨床心理士さんの話によると、言語性IQは主に聴覚、動作性IQは主に視覚からの情報処理が影響するとのことだった。
私の場合「僅かながら聴覚優位っぽい印象がある」と言われた。お見事。
自分では聴覚にしか頼っていないと感じていたが優位なのは間違いない。その理由として「色が見えません。色覚異常、いわゆる色盲です。」が挙げられる。
こういった傾向から、本を読むにしても声を出して読んだ方が覚える人、目で追った方が確実な人とわかれるのだろう。
が、私は本は全く読まないし、声を出して読むことはまずない。
※本を読まないのはよくないらしいので、この2ヶ月程は頑張って読むように心がけている。
内容は中学校の社会の教科書レベルなので、義務教育以上の学力で対応できるが、あまり意味はなさそうな気がした。
大人になると忘れて、習ったばかり若者の方が正確に答えられる場合もあるし、更に大人になれば教養として学び直し、より詳しい知識を持っていたりする。
知識をどれだけ測定したところで、相手が外国人だとまた必要な知識も異なるし、あくまで義務教育レベルの情報を記憶していられるかという測定のように感じた(長期記憶)。
前述の「数唱」も同じで、これが英語だったとすると、読んで記憶できても、(私の場合)口頭だと覚えづらい。
一方で、小さい頃から海外を周り、日本語と英語、現地語など数カ国語を使いこなす人で、日本を長く離れていたがために、つい混乱してしまった場合などは、数値が低く出るだろう。
「キャンディークッキーチョコレート」は、はろける氏が投稿した楽曲だ。サムネイルには、「メズマライザー/サツキ」のmvを担当されたchannelさんの画風に寄せたイラストで、初音ミクと重音テトが描かれている。
https://youtu.be/bI3542HJRzY?si=gUuWeHvO_b5JqV5P
私はこの曲を、愛のこもったラブレターだと受け取った。
自分の「好き」に真っ直ぐ向き合って、できる限りの敬意と愛情をこめて作られた楽曲だと思った。
MVにはchannelさんと思われるキャラクターが登場する。
YouTubeでは、1000万再生記念として、MVの最後のヒントとタイトルを照らし合わせると「channel」という文字が浮かび上がる仕掛けが追加された。
歌詞もまた、その人への想いを、何かの形で託しているように感じられる。
「これがラブレターじゃないなら、一体なんなんだ」と思わずにはいられなかった。
だからこそ、この楽曲を「パクリ」「便乗」とだけ切り捨てるのは、あまりにも勿体ない。
そんな中、あるツイートを目にした。
https://x.com/mikage_togaoka/status/1918957225084698886?s=46
仮に、まっさらな気持ちで見て、そのうえでの感想だというなら、私がとやかく言えることではない。
でも、どうしてもそうは見えなかった。だから少しだけ、言葉を重ねさせてほしい。
お願いだから、何かを評価するときには、まず「フラットな状態」をつくってほしい。
否定でも肯定でもなく、「こういう作品がある」とただ捉えてみる時間を持ってほしい。
「この曲には、自分には想像できない善意や、信条が込められているかもしれない」
そう前置きするだけで、受け取り方は変わってくると思うのだ。
そしてもうひとつ。「批判的に論じる勇気を持ってほしい」という言葉があるけれど、それをそのまま信じてしまう前に、立ち止まって考えてほしい。
ボカロを聴いている多くの人たちは、まだ学生だと聞く。Xで大きな影響力を持つリスナーの中にも、未成年は多い。
感情やバイアスの存在を知らず、自分の「好き」や「嫌い」がすべてだと信じてしまう年頃だと思う。
だけど、そんな君たちが「批判的に論じる勇気」なんて持ってしまったら、それは時に大きな「正義」の形をとって、人を深く傷つける凶器になってしまうこともある。
称賛も、批判も、驚くほどまっすぐに届く。
称賛の声が千あったとしても、たったひとつの批判が、ずっと心に残ってしまうことがある。
それが、クリエイターが何より大事にしている部分に触れた言葉だったら、なおさらだ。
最近では、Xの仕様変更で、ブロックしていても相手のポストが見えてしまうようになった。
自分自身の名前でエゴサをすれば、たやすく悪口にも辿り着けてしまう。
だからこそ、自分がまだ「子ども」であることを自覚して、インターネットを楽しんでほしい。
誰かの想いを壊すためじゃなくて、誰かの想いに出会うために。
1ヶ月前、処女を捨ててきた。
思ったよりあっけなかった。
セックスなんてこんなもんかと思った。
30にもなれば、処女なんてただの呪いだ。他の人はどうだか知らないけど。
小説映画漫画、友人たちの恋バナ曰く、「セックスは気持ちいいもの」である。私には生まれてこの方彼氏がいないからできない。みんなが経験済みのことを自分は出来ていないという事実が、ひたすらに惨めだった。
興味と劣等感と「普通になれない」感覚。それに加え、少し前に親族が不倫をした。不倫相手からのラブレターにはエッチ気持ちよかったねと書いてあった。そんなにいいの?不法行為に走るほど、いいの?オナニーじゃダメなの?棒は人間の棒で、肌と肌を重ねないといけないの?
分からなかったからした。経験値が欲しかった。理解したかった。きっかけなんてそんなもんだ。
年明け前にもセックスを経験したい欲は湧いていて(ただの性欲かもね)、マッチングアプリに登録し、いろんな男性と話をしていた。こいつら全員セックスしたくて私の機嫌取ってんのかな?と考えて気持ち悪くてやめた。恋愛を経て行為をするのが面倒だった。心を通わせるのなんて、ただ経験したいだけの私にとっては無駄な時間に過ぎない。
そしてつい一ヶ月前、某有名な出会い系アプリで、どうでもいい男と出会い寝た。
「高齢処女・ブス・デブ・彼氏いない歴=年齢」という四重苦を抱える厄介な女と寝てくれる男性は、アプリをインストールして相手を探す投稿をして1時間も経たずに見つかった。はっや。え?こんなに簡単なの?もっと早くヤっときゃよかった。そうすれば拗らせずに済んだのに。
連絡を取った翌日に私たちは邂逅した。相手は同年代の普通体型の柔らかい雰囲気の人だった。
「処女デブスなんかとヤっていいんですか?」と聞いたら、「むしろ処女なのにこんなのが初めてでいいの?大切にした方がいいんじゃないの?」と丁寧に返してくれた。ん〜俺めっちゃキミとエッチしたいハアハア!みたいなタイプの人だったら嫌だったけど、まあこの人ならいいかと思った。
そう、「いい人だな」と処女の私は思っていた。非処女になった今なら分かる。出会い系アプリでその場限りの関係を持つなんて普通じゃない。風俗で5倍近くのお金を払ってプロと寝るか、ホテル代だけでそのへんのどうでもいい女と寝るか。手っ取り早く手軽なのはそのへんのどうでもいい女だ。軽く安上がりな女として、私を選んだのだ。
やる前にお食事でも、とかそういうのはなく、駅前で会ってホテル直行。初めてのラブホテルにテンションが上がりつつも、緊張でずっと指先は冷え切って言葉数も普段の倍以上になっていた。緊張しますよそりゃ、と寄り添ってくれた男に感謝した。初対面のブスなのに、すごいな。性欲ってすごい。
風呂に入って歯を磨いてから、2人で布団に入った。手を握られた。こうやって手を繋いだのは、大昔に仲良しだったTwitterのフォロワー(男性)とご飯に行って突然性欲を見せられた時以来だった。これから挿入行為をするのにこんなので恥ずかしがっててどうする?と考えながら握り返した。
バスローブみたいなやつを脱いで裸になった。全然恥ずかしくなかった。おかしかったんだと思う。
唇、耳。体の至る所を触られた。私の乳首は米粒より少し大きいくらいしかなくて、ものすごいコンプレックスだったが、彼は可愛いと言った。すげえな性欲って、こんなゴミみたいな体にも欲情するんだ。気持ちよくはなかった。
いわゆるディープキスをした。これ、映画で見たやつだ!(進◯ゼミ?)と思いながら、自分も唇を開いて舌を舐め合った。なんか、舌が合わさってるな……と思った。唾液でぬるぬるしていた。
栗はいくら触られても大きくならなかった。私は男性ホルモンが多く分泌される病気持ちなので、普通の人よりもそこが大きい。コンプレックスだった。1人でするときは気持ちいいのに、人に触られても全然気持ちよくない。それでも女性の防衛本能が働き、ちゃんと濡れるのだ。気持ちよくないけど、そこを触られているというだけで濡れるのだ。身体が性行為をするための準備を始めるのだ。私は素直に感心した。人間の神秘というか、進化の軌跡を見た。
程よく湿ったそこに、指を入れられた。オナニーするときに指を入れたことがあるので、別に処女でも痛くはなかった。うーん……入ってるな、と思った。自分の指じゃない何かが入ってる。それくらい。
相手のものを舐めさせてもらった。これは男性とシないと分からない事だったので経験できてよかった。ちゃんと大きくなっていてこんなカスの身体で勃起するんだ、とここでも素直に感心した。そしてここで、男性器って全部固いわけではないのか、という知見を得た。亀の頭って柔らかいんだ……舐めている時、竿は固いのに亀はぷりぷり。肉。これが今から入るんだなぁ。
そしていよいよ本番。齢〇〇年、初めて避妊具を見た。ゴムのにおいがして、想像より薄かった。それをつけた男性器を見、こんなに大きいの入るのかな……(少女漫画?)と思ったものの、ローションを使ってもらったら思ったよりすんなり入って何なら大した痛みもなかった。男性の前戯と日々の自慰行為の積み重ねが、自分の身を守ることに繋がった。天晴れ。
処女喪失時の感想は、中に何かがある、という感覚に尽きた。無機物ではない、生物の一部が入っている。初めての感覚。初めての内臓圧迫感。途端に襲い来る羞恥心。男性が動き始める。肉のぶつかる音と、粘り気のある液体を介して物体が擦れ合う音、ベッドの軋む音がした。行為に臨む前に読んだ体験談で、女体は突かれると声が出るようになっているのではと書いてあった。声は出なかったが、奥に当たるたびに吐息が漏れた。相手の吐息も聞こえた。肌の感触、棒状のものが体の中を出たり入ったりする感覚と、いろんな音。これがセックスか。私は今、処女を喪失し、本名も好きなものも嫌いなものも知らない行きずりの男とセックスをしているのだと思った。
ここまでで私は少しも興奮していなかった。途中から「私はこの人を満足させられているのだろうか?」という不安感に襲われ始めた。でも何をすればいいか分からない。性器を貸与することか相手の性器へ刺激を与えることしかできない。なんなんだろう、これ。途端に不安になってきた。
途中からずっと謝罪していた。申し訳なかった。やり方が分からない、喘ぐこともできない、なにもわからない。私はただ謝った。すみません、ごめんなさい。吐息と謝罪とが、ホテルの一室に充満していた。
ムードもクソもない行為だったのに、男性は最後までしてくれた。初めて精液を見た。自分のお腹の上にポツリと乗っている精液。においを嗅ぐと、ほんのり粟のにおいがした。なんでこんなんでイけるんだ、と思いつつも正直ほっとしていた。体から力が抜けていて、歩くときにふらふらした。正常位でするとこんな感じになるんだ。腰が痛くなるってやつ?
男性が事後のシャワーを浴びている間、私は虚無を浴びた。最初から最後までを思い返し、これがいいの?と思った。気持ちの通い合っている男女がセックスしたら、気持ちいいのか?でもなんだこれ。え、みんな、こんなのがいいの?これでいいの?決定的な不倫の証拠となりうる悪き行為であり、映画や大好きなエロ漫画等であんなに扇状的に描かれていたセックスへの期待値が瞬く間になくなった。みんなこんな行為に身を滅ぼしてしまうんですか?期待していたほどじゃなかった。
ぼんやりしながら自分もシャワーを浴び、ホテル前で解散した。純粋に後ぐされのない良い経験をさせてもらったので、深々と礼を言った。男性には「あのアプリはやめた方がいい」と言われたが、もう二度と使うつもりはなかった。体験できたから、もういい。
2時間前までは男性と付き合ったこともない処女は、男性と付き合ったことはない非処女にバージョンが変わった。別にバージョンアップもダウンもしていない。明日見る朝日はいつもより眩しいのかな、なんて考えていた2時間前の自分にそんなことないと思うと教えてやりたかった。どうでもいい処女の日々が、どうでもいい非処女の日々に変わるだけ。電車の中にいるカップルたちや、社内のどうにも仲のいい男女の社員に対して「あいつらもセックスしてんだな」と軽蔑していた日々が、少しだけ自分の非行と中和されるだけ。
家に帰って親と話すのが申し訳なかった。初対面の男と寝てきた娘なんか、汚れだ。家でもう一度風呂に入って、舐められた乳首に触れた。男性器を咥え込んだ入口に触れた。私もう処女じゃないんだなあという、無にほんの少し安堵と自分への嫌悪感が混ざった感情が胸の中にぽつりとあった。その日は泥のように眠った。翌日は足と子宮がずっと痛かった。
というわけでセックスした感想ですが、まあ、こんなもんかに尽きる。これが高校生や大学生だったらまた違ったろうし、好きな人との行為だったら相手を喜ばせたいと身も入るのだろう。
行きずりのどうでもいい男と寝るのは、正直申し上げるとおすすめはできない。私と同じような自己肯定感皆無で且つ劣等感を払拭したい社会不適合者には、うってつけだとは思う。でも、日常生活で好きでもない名前も素性も知らない男と寝た記憶が蘇ってくるの、結構キツイよ。
そして今、私が考えているのは、セックスって承認欲求を満たす行為として満点なのでは?ということである。男は性欲のままに女に可愛いエロい気持ちいいと吐きつける。女はそれで満たされる。気持ちいいか気持ちよくないかじゃなくて、「自分を媒介として相手を気持ちよくさせることができるか」。自己肯定感の低い劣等感の塊は、相手の喜ぶ姿を見るために生きている。これにハマったら最後だ。性依存症ってこうやって陥っていくのかもしれない。
それはともかく私はもう一生男性とは寝ないと思う。次にするなら女の人がいい。元はと言えば、私は男性嫌いで女性の方が好きなんです。
こんな文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
平成の半ばからは、全然ダメで、最盛期は1000人近くいた従業員も
現在では100人を切って、たぶんこの調子だと10年もしないうちに
さらに半分以下になると思われる。
見越して、新規採用しない。
ぼちぼちやっていくという方針である。もちろん非上場で、うるさい株主も
いないので、なんとかなる。昭和の時代の工場や倉庫の土地は、適当に
更地にして貸している。たぶんオーナー一族は、最後は不動産業になるつもりだと
思う。なお給与水準はそうとう低い。ただ定時に帰れるし
なぜか希望すれば、再雇用や臨時雇いの形で70歳までぼちぼちと働ける。
東京で疲弊して、40代半ばになって地元に帰ってきた俺には優しい職場である。
本来、ほとんど採用はしてないのだが、オーナーの親戚が高校の時の同級生
だったので、声をかけてもらったのである。
古い社宅の独身部屋でぼちぼち過ごしているのだが、同じ敷地に会社の倉庫がある。
古い契約書とかが積んである。そして、その一角に、ある日突然、社員寮から居なくな
った社員達が残した残留物を積んである。古いのはみかん箱のようなものに詰めてあり、
業務が閑散期に入って仕事がないので、、この残留物を廃棄するための作業に割り当て
られた。2週間ほどで、40年近く積んであるこの残留物を廃棄しろとの命令だった。
作業としては、布、紙、金属、プラスチックに分けて、あとは1週間に一度引き取りに
ほこりっぽい倉庫の中で、ぼちぼちこの作業に当たったのだが、飛んだ社員の残したものを
詰めただけなので、段ボール箱の中の品物がバラバラでめちゃくちゃである。書類系(通帳、
写真、手紙とか)は残して、服、電化製品、本などは捨てた。家具、バイク、自転車などは
専門業者を呼んで引き取ってもらった。残留物の容積は、20分の1以下になった。
作業自体は、1週間ほどで大部分がおわった。書類を整理して、誰のものかを分かる
ように袋に入れる作業をした。 その時、手紙を見ると、昭和の女性が、自分の恋人(当社の元社員達)に
宛てたと思われるラブレターが,ぼちぼち出てきた。可愛らしいファンシーな封筒に入れてあるので
すぐ分かる。
読むとこちらが恥ずかしくなるような文言で、愛が伝えてある。こんなに愛されていても
飛ぶんだなぁと思った。
まーた米津かい!
ガンダムは米津だし、薬屋は幾田りらだし……。
20代のはみだしものである自分は、彼らにいまいちハマれていなくて、そのせいでどんどん憂鬱になってくる。
あ、米津はアイネクライネ、YOASOBIはラブレターだけ好きだよ。あとは刺さらなかった。
最近、商業アニメがますます機械のようになってきたように思う。
悪い意味でアーティフィシャルなものになっているというか、作り手のこだわりが感じられなくなっている。
ディレクター目線よりも、プロデューサー目線が重視されている感じ。
誰かひとりの熱意よりも、裏の大人が寄り集まって会議をして、その答えになった結論を見せられている感じ。
もちろん冒頭にあげたアーティストたちは、売り上げの面でも、また作品理解の面でも、抜群の能力をもっている(みたいだ)が、
なんていうか、――これは結局、私個人の感覚の違いであり、世間のみんなはそう思っていないのだろう――まるで、ガブリアスのバトルを見せられているようなのだ。
ガブリアスなんてどんなパーティに入れても、大体うまくいくし、勝率も上がる。
どんな形にでも嵌め込んだ瞬間変形してきれいに収まってくれる、ワイルドカードのパズルピースみたいなものだ。
でも、個人的にとんでもなく興奮する瞬間は、
いびつで使い勝手に困る形のピースだったのに、それを使いこなせるリーダーがそれを起用すればぴったりとハマるみたいに、適材適所の方針で、予想だにしなかった大活躍を見せる……、パチリスのバトルなんです。
米津だなんだの世間的にいうところの高Tierキャラは、1作品で使える回数を制限しましょうよ、みたいな意味です。
あ、こう考えるとタイトルの例えはちょっと内容ブレて誤りですね。
忘れてください。
えっと、ポケモンでいうところの「伝説は1匹のみ使用可能のレギュレーション」みたいなのにしませんか、ってことです。
でも今の環境はいわば、伝説ポケモンの複数起用ばっかりでみんな同じ戦法で殴り合いしすぎ!みたいな感覚ってことです。
もっと、作り手の意思が現れた主題歌サプライズ起用をみたいよ〜〜〜〜〜〜〜!!!
でも、SNSの浸透のせいで、もしマイナーなアーティストを採用したら「コネ」だなんだって炎上するリスクが増えてきたことも、無難な選択を製作陣がする一因としてはあるのかなあ。いみじく思います。
オリエンタリズムとDEIの美味しいところ取りなんだよな
日本を舞台に女や外国人を活躍させてステレオタイプに封建的な日本の男をバッタバッタと撫で斬りすればポリコレとアジア人差別の両方を満足させられる
日本向けにはこれは日本文化に対するラブレターですとか宣伝すれば良い訳でね
だから日本を扱う時には必ずと言っていいほど主体を女性か日本社会の中の外国人もしくはハーフに置く
マイノリティの立場からアジア人の存在を相対化(透明化)したがるんだよね
黒人のアジア人差別が欧米メディアで取り上げられないのと似てる
アサクリなんかもナオミは現代のアジア人女性みたいな描かれ方なのに日本の男はステレオタイプなアジア人おっさんばかり