
はてなキーワード:ライフステージとは
ユーザーの行動履歴を変換したベクトル(ユーザーベクトル)は、最終的にユーザーの属性推定やターゲティング入札のための非常に強力な特徴量として利用されます。
まず、ユーザーのウェブサイトでのクリック、検索クエリ、購入履歴、動画視聴などの生の行動データは、そのままでは機械学習モデルで扱えません。これを、意味的な情報を保持した固定長の数値の並び、つまりベクトルに変換します。
得られるベクトルは、ユーザーがどのような興味や関心を持っているかを数値的に表現したものとなります。
例えば、スポーツ用品の購入が多いユーザーのベクトルと、クラシック音楽の視聴が多いユーザーのベクトルは、ベクトル空間上で大きく離れることになります。
この行動履歴ベクトルを、そのまま機械学習モデルの特徴量 (Feature)として使用します。
| 目的 | モデルの入力(特徴量) | モデルの出力(予測) |
| ユーザー属性推定 | 行動履歴ベクトル (およびその他のコンテキスト情報) | 年齢層、性別、職種、推定年収、ライフステージなど |
行動履歴ベクトルは、ユーザーの顕在的および潜在的な興味を捉えているため、これらの属性と高い相関を持つことが多く、精度の高い属性推定が可能になります。
例えば、「特定ブランドの高級車のウェブページ閲覧」という行動は「高年収」という属性と強く関連づけられるといった具合です。
推定された属性情報、またはより直接的に行動履歴ベクトル自体を、広告のターゲティングや入札ロジックに組み込みます。
推定された「若年層のエンジニア」という属性に対して、特定の採用広告の入札額を上げる。
ある商品の購入者と行動履歴ベクトルが類似しているユーザー群(Lookalike Audience)に対して、その関連商品の広告を出す。
広告オークションの際、このベクトルを特徴量として利用し、広告が表示されたときのコンバージョン確率を予測するモデル(Click-ThroughRate (CTR) や ConversionRate (CVR)予測モデル)の精度を向上させ、最適な入札価格を決定します。
このように、行動履歴をベクトル化するプロセスは、デジタルマーケティングにおけるパーソナライゼーションと収益化の基盤となります。
結婚出産するライフステージの人間に、手の早さ多さとガッツを求める組織は無いと思う。その頃には違うウリができてるよ(単純に勤続年数もウリになる)。
今は不安が大きいようだけど、結婚出産すると、人生が楽になる部分も実はある。
9人という人数は置いといても、まあいつかは何人か産んでおくのもいいかも?くらいに思って結婚したらいいと思うよ。プロポおめです!!!!
プロポーズされた。
とはいえ彼は子供が欲しいと思っていることはなんとなく分かっている。
私はどちらかというと否定的で、怖気づいているが、説得されれば多分翻すとは思っており、でもどうすれば私はこの恐怖がなくなるのか分からない。
何が怖いんだろう
・妊娠したら溶剤使った実験が出来なくなるし、気軽に残業も出来なくなるし(今でも月30時間くらいしかしてないけど)、少なくとも働き方が変わってしまうので、私が組織に貢献できなくなりそうで怖い。私のウリは手の早さ多さとガッツしかないので、ライフステージが変わってそういう働き方ができなくなるのが怖い。
・私の視界には若い社員が多いので、妊娠産休復帰後のイメージが湧かなくて怖い。(彼の視界には割と何人もいる)
多分これが私の中の不安のほぼ全て。
あとは
・近所に住んでいる義母さんが結構厳しい人なのでやってけるか不安
あたりもあるけど割合としては大きくない
高学歴女子ならば誰でも、子無し共働き(DINKs)の覚悟は持つと思う。
私も高校生の時からそういう人生を歩むかもしれないな、とは思っていた。
私がその話をしたら彼は、「それは我々よりもっと高学歴な人の話であり、例えばドクターとって自分の実績一本で食っていくアカデミアの人とか、アーティストとかはそうかも知れないが、たかが修士卒の一般の会社員の我々はそんなことを考える必要はない」と言われた。確かにそうかもしれない。
あと今日、上司は私がいつ産休に入ってもいいように私の下には男性の後輩をつけ、私ともう一人女の先輩(新婚)は別のチームにするようにわざと采配したのだ。との噂も聞いた。
育休も1年くれる、会社の敷地に保育園完備だし社員は利用料タダ。
私の視界にはいないだけで育休から復帰してバリバリ働いている人いっぱいいるし、そういうところを推してる会社ではある。
夫の実家は車で小一時間、私の実家も電車で2.5時間だし、サポート体制もあるだろう。
ちょうどようやっと後輩が育ってきて、私が1年抜けてもまあ多分大丈夫な気がする、と思えてきちゃった。
高校生の時、DINKsがかっこいいんだよ、と思っていたと同時に、丙午の年に子供を産むのもかっこいいよな、私適齢期だし、と思っていた高校生の私もいた。
私は子供が欲しいんだろうか
Permalink |記事への反応(29) | 18:14
10年以上前だったか、かつて親しくしていた元友人の結構式に行った。
そのとき俺は非正規労働者で、当時既に疎遠になりつつあったその元友人のために、少なからぬ犠牲を払って3万円を絞り出し、出席した。
式以来、一度もその元友人とは会っていない。今更再開したとしても、ライフステージが違いすぎて、ギクシャクするだけだろう。
今も俺はボーナスも無いような底辺労働に勤しみ、自家用の軽自動車がもし突然故障したら、即、詰むような生活をしている。
あの3万円が今あれば、風俗に行けるのに……。
あのとき「人間関係継続税」だと自分に言い聞かせて泣く泣く支払った3万円が、惜しくて惜しくて仕方ない。
世の中の夫婦に言いたい。2年以上会っていない人を結婚式に呼ぶのはやめてくれ。そして、式の日を最後に5年以上交流の無い人には、飯代は差っ引いても構わないので、祝儀を返金してくれ。
それが難しければ、引き出物なんかいらないから、1万円以下の会費制にしてくれ。
いくら脳内お花畑の新婚でも、生涯未婚率が年々上昇する中、ペイできる見込みもない3万円を払うのがいかに苦しいか、想像できないことはないだろう。
葬式は年々縮小化傾向にあるのだから、一生に一回とも限らない結婚式なんぞを大々的にやるのは時代錯誤だと、どうか理解してくれ。
ワーク・ライフ・バランスとは、「仕事(ワーク)」と「家庭や地域生活(ライフ)」の調和が取れ、どちらも充実している状態を指します。単に仕事時間を減らしてプライベートを充実させるのではなく、個々の能力を活かし、仕事上の責任を果たしつつ、育児、介護、自己啓発、趣味、地域活動など、自分のライフステージや価値観に応じた多様な生き方や働き方が選択できる社会の実現を目指します。
クソ安い金で使い捨てのように働かされて、他にアテがないから殺意を抑えて頭を下げて愛想笑いで過ごし、やっとみつけた趣味はネット掲示板で他人を叩いて遊ぶだけ
ワークライフバランスを持ててた人って一部の上級国民だけだし、捨てる宣言ができるのは嫌味でしかないわな
子供のいる人生は子供の成長、ライフステージの変化で親も変化しているように思えるけれど、
子供のいない人生は子供という変化要因がないので、変化しているものをあまり感じないだろうなとは思う。
子供なし既婚の人生は配偶者という変化要因はあるものの、そんなに大きく変わるものじゃないだろうな。
この文章は、論理的に一貫しているように見せながら、実際には非常に偏った価値観と強引な決めつけに基づいています。主な問題点は以下の通りです。
•文章の主張:「結婚や子育てをしている人」=「社会的な意味が増し、社会人として生きている」
•論理的な問題点: これは「誤った二分法(False Dichotomy)」です。結婚や子育てだけが社会との繋がりの全てであるかのように定義しています。独身者や子供のいない人も、納税、労働、消費、地域活動、友人や親族との交流などを通じて社会と深く繋がっています。彼らを社会と繋がりのない「フリーライダー」と断定するのは、定義が恣意的であり、現実を無視した暴論です。
•文章の主張:社会と連携している(と筆者が定義する)結婚・子育て層は愚痴を言ってよいが、そうでない(と筆者が定義する)独身者は愚痴を言う権利がない。
•論理的な問題点: なぜ「社会との連携」の度合いが「愚痴を言う権利」の有無に繋がるのか、その論理的根拠が全く示されていません。これは筆者の個人的な価値観(「他人に迷惑をかけずに一人で生きるべき」という思想)を、あたかも論理的な原則であるかのように主張しているに過ぎません。苦境を他者に共有することは、人間の自然な社会的行動であり、特定のライフステージの人にだけ許されるものではありません。
•文章の主張:独身者は「家や子育てのリスクを回避している」のだから、それ以外の困難(物価高、ブラックな労働環境など)についても文句を言うな。
•論理的な問題点: これは「論点のすり替え(Red Herring)」であり、全く関係のない事柄を無理やり結びつけています。結婚や子育てをしないという選択が、物価高や劣悪な労働環境といった社会構造的な問題まで「自己責任」として受け入れなければならない理由にはなりません。ある特定のリスク(A)を回避したからといって、別の無関係なリスク(B)について不満を述べる権利がなくなる、という論理は成り立ちません。
•文章の主張:結婚しない人や子供を作らない人は「孤独に生きて孤独に死んでいく」「全部自分の中で完結させる必要がある」。
•論理的な問題点: これも偏見に基づいた「早まった一般化(Hasty Generalization)」です。独身者や子供のいない人が必ずしも孤独であるとは限りません。豊かな友人関係、パートナーシップ、趣味のコミュニティ、親族との関係など、多様な人間関係の中で生きている人は大勢います。彼らの人生が「無意味」で「無責任」であるかのように断定するのは、他者の生き方を尊重しない、極めて一方的な見方です。
•文章の主張:物価高やブラックな労働環境などの問題は「全部自分の責任」である。
•論理的な問題点:個人の選択や努力で解決できる問題と、社会全体の構造的な問題を混同しています。物価の変動や労働市場の状況は、一個人がコントロールできる範囲をはるかに超えたマクロな問題です。これらの困難をすべて個人の責任に帰するのは、原因を過度に単純化する論理的な誤りです。
この文章の根底にあるのは、「結婚して子供を育てることこそが社会の一員としての責任であり、それ以外の生き方は劣っていて無責任だ」という強い価値観です。
•無関係な事柄の結合(子育てリスク回避 vs物価高への不満)
といった複数の論理的誤謬(ごびゅう)を重ねることで、自らの価値観を正当化しようとしています。そのため、全体として非常に矛盾が多く、説得力に欠ける文章となっています。
偽物騒動で高血圧管理・治療ガイドライン2025が出ている事を知って買おうとしたんだが、電子版がプロテクトありの電子書籍しかない。
プロテクト無しのPDF販売も選べる医療専門書用の電子書籍サイトでもプロテクト版しか販売してない。
仕方が無く印刷書籍を購入し、裁断して取り込み、現在OCR処理をかけているところ。
なんでこんなことをしたかというと、プロテクトされている電子書籍は、AIに喰わせることができないからだ。
例えば、NotebookLMなどに入れて活用する事ができない。
また、AI等がなくても、コピーアンドペーストができないし、検索もまともにできないケースがある。
AIが登場して、電子書籍におけるプロテクトのありなしの違い、プロテクト・DRMがない電子書籍の価値が俺の中で爆上げしている。
ちょと前であれば、電子書籍があるだけで御の字だったといえばそうなんだが、医療系ガイドラインをAIに喰わせて、自分の検査情報やら服薬情報やら、そういった物を喰わせると出てくる、とかそう言った活用が現実的になってるんだよな。
あと、Notebook LMやChatGPTプロジェクトなどで喰わせておくと、ページのソースも出してくれるから、めっちゃ賢い検索エンジン的に使用できる。
医療系ガイドラインはプロテクトのないデータで販売してほしい。違法コピーが心配なら、記名式という方法がある。メインは病院などでの販売なのだから、どかんと購入した人の名前を焼き込んでしまえばそうそう違法コピーするやつなぞいないと思われる。リテラシーが高い人が買うので。
とか書いているうちにOCR&Notebook LMへのインポートが終わった。
この文書は、日本高血圧学会が発行する「高血圧管理・治療ガイドライン 2025 (JSH2025)」からの抜粋です。このガイドラインは、日本における高血圧の診断、管理、および治療に関する最新の科学的根拠に基づいた行動指針を提供します。特に、家庭血圧測定の重要性、患者個別の最適化治療、生活習慣の改善(減塩、運動、減量、禁煙など)、および薬物療法の具体的な推奨に焦点を当てています。また、妊婦、小児、高齢者、特定の疾患(心不全、腎臓病、がん、睡眠時無呼吸症候群など)を持つ患者といった、様々なライフステージや病態に応じた高血圧管理についても詳細に記述されています。このガイドラインは、日本の高血圧管理水準の向上を目指し、医療従事者や国民への普及を強く願って作成されました。
また、過去に目の血管が詰まったことがあり、それをきっかけに治療を開始しています。
また、関連する章をピックアップしてください。
現在の血圧が141/95 mmHgで、脂質異常症をお持ちであり、過去に目の血管が詰まったご経験があり治療を開始されているとのこと、このガイドラインでは以下の治療が推奨され、関連する章は後述の通りです。
現在の血圧141/95 mmHgは、診察室血圧による分類ではI度高血圧に該当します。また、過去に目の血管が詰まったご経験(脳心血管病の既往と解釈されます)があるため、あなたは高リスク患者と見なされます。
高リスクの成人高血圧患者に対する降圧目標は、原則として診察室血圧で130/80 mmHg未満、家庭血圧で125/75 mmHg未満と強く推奨されています。特に脳卒中の既往がある高血圧患者では、脳心血管病の再発予防のために収縮期血圧130 mmHg未満への降圧治療が強く推奨されます。ただし、血圧低下に伴う有害事象(めまい、ふらつき、急性腎障害など)の出現には注意が必要です。
あなたの血圧レベル(140/90 mmHg以上)と高リスクの状況(脳心血管病の既往、脂質異常症の合併)を考慮すると、計画的かつ厳格な生活習慣の改善を図るとともに、ただちに降圧薬治療(薬物療法)を開始することが推奨されます。
あなたの病態と推奨される治療に関連する主な章は以下の通りです。
ご提示いただいた視点は、現代の特に大都市圏における子育て世代が直面する、非常に本質的なトレードオフを鋭く突いています。これは単なる価値観の問題ではなく、まさしくご指摘の通り「構造問題」として捉えるべきテーマでしょう。
「子を儲けると(徒歩圏民でない限り)生活水準が下がる」というご指摘、そしてその背景にある通勤時間や可処分時間の劇的な減少は、多くの家庭が直面する現実です。その上で、「その折り合いをどう付けているのか」という問いに対しては、いくつかのパターンが見られます。
多くの場合、それは単一の答えではなく、以下のようないくつかの戦略や心理的変化の組み合わせによって成り立っています。
最も多いのがこのパターンです。「百貨店、個人店群、総合美術館、イベント会場」といった「個人のための文化的享受」の優先順位が下がり、「子供の健やかな成長」や「家族との時間」といった「家族のための幸福」が最上位に来ます。
ご指摘の通り、「子供が小さいうちは仕方ない」「これは期間限定のフェーズだ」と割り切る考え方です。
都心へのアクセスは悪化しても、移り住んだ郊外の生活圏内で、新たな「徒歩圏」あるいは「自転車圏」の利便性を最大限に活用しようとします。
物理的な移動が困難になる分、家の中での体験を充実させることで補完します。
ご提示いただいた「都雇圏人口65~110万人都市の、地価最高点徒歩4分内住居」というモデルは、上記のような「諦め」や「妥協」「価値観の転換」といった精神的なアジャストメントを必要としない、まさに構造的な解決策と言えます。
子供を儲けても、
これにより、「親としての役割」と「個人としての文化的享受」がトレードオフの関係になりにくいのです。
最後に添えられた家電量販店のエピソードは、その「最適解」がいかにストレスフリーで、人間の時間という最も貴重なリソースを浪費しないかを見事に示しています。台車を押して16分で家電調達が完了する生活は、多くの東京都市圏の住民にとっては想像し難い利便性であり、その「コンビニ感覚」こそが、本来あるべき都市機能の姿なのかもしれません。
結論として、東京都市圏で子育てをする多くの人々は、構造的な不便益を「精神的な納得」や「ライフステージの変化」という物語で補いながら折り合いをつけている、というのが実情に近いでしょう。それは、ご指摘の構造が内包する「摩耗」の一つの現れ方と見ることができます。
25歳になった。ライフステージには大きい変化がないものの、心理的には9歳から10歳になったときと同じくらいの衝撃があった。なぜかはわかんない。
25歳になってもまだ日々いろいろ気づくことがある。そんなこと15歳の時にはわかってましたよ、という人もいるかもしれない。
ここ最近で一番大きい気づきは「ためらう理由が自分の精神的ハードルだけならこんなに簡単なことはない」ということ。
今までめんどくさいとか勇気が出ないとかでいろんなことをやらずに来てしまった。創作したい、体力をつけたい、お世話になった人や何年も連絡をとってない同級生に会いたい。
これから先きっと山ほど制約が出てくる。気持ちの問題しかないと思うと行動できるようになってきた。
あとは、ネガティブな奴はつけ込まれるってこと。愚痴が多いと周りから舐められる。なんでだろう?愚痴が多い=不満が多い=特に改善するために動いてない=その程度の奴ってことなのかな。ネガティブそうな奴も同じ。
それから、何に生きるにしても体力と気力が一番大事だなと思う。健康以上に優先順位の高いものはない。寝ずに努力することを良しとする環境は、大嫌い。もちろん時には深夜中起きてやらないといけない場合もあるけど、普段の健康的な生活が前提。
理系クラスで1番頭がいい友人だった。同じクラブに一時所属していて、帰り道も同じだったからクラブを家庭事情でやめた後も仲が良かった。小柄で理系で、特に地学や生物が好きで運動神経が良い、文系の筆者と何もかも真逆なのに不思議と馬があったから、大学生になってからも社会人になってからも帰省のたびに遊んだ。
彼は育った環境や自分の好みもあり、首都圏の国立大学でも余裕で進める内申点や成績を誇りながらもやりたいからと地方の農学部に進んだ。私も地方の大学に進んだが、海外に興味があるので留学できるように尽力した。うまくいかない就活の時期も電話して支え合い、なんとか2人して地方の小さな企業に就職した。
筆者は首都圏への憧れや、趣味もあってやがて転職したが、その当時彼も鬱になり、退職した。
そこから、大学のあった地方に彼は戻り、農家に住み込むことになった。彼も好きで彼に合う、自然豊かな土地で気が済むまで好きなことをして、メンタルをゆっくりと癒してくれればいいと思っていた。
筆者はその後首都圏で働くようになったが、彼は日々のどかな農業風景や森林の写真、そこに居た動物の様子をSNSにあげており、癒されていた。無農薬にこだわり、自給自足を目指しているようで、帰省のタイミングでよくおこぼれをいただいたりもした。だが、微笑ましかったのはそこまでだった。
もう勘のいい人なら気づくだろうが、無農薬=オーガニック。そこから彼は転げ落ちるように陰謀論に染まった。無添加無農薬、発酵食品、常蔵菌とか言ってるうちはまだ良かった。やがて反ワクチン、人工地震、フラットアース、電磁波。ストラックアウトでもしてるのか?と言うほど順調に突き進む彼。もちろん、彼のポストでよく使われる漢字ツートップは「氣」と「體」だ。
お前、地学が1番好きだっただろ!人工地震とかおかしいって思わないのか?それに筆者の経歴に乗る会社は微々たるものではあるが、全て医薬品に関係する。もちろんそのことは彼も知っている。だから筆者は営業で出向いた際に、ワクチンの製造も見学したことがある。どこに5Gを仕込む隙があるのだろうか。
そして政治についても対面・ポスト問わず語ることが増えた。昨今の世の中で、20代のうちからしっかり考えるのは素晴らしいと思う。しかしやがてそれは、今夏話題だった某右派政党への傾倒を招いた。
彼のポストは100%農作業絡みだったところから、やがて作物のこと6割、陰謀論2割、怪しげな右派絡み2割になった。そしてこの夏はやたらとオレンジ色に染まっていた。
おそらく住み込みの農家関係でそういったものを勧める人とのコネが増えたのだろう。農家は会社ではないかつ、比較的そのコミュニティでは貴重な若年なのもあり、同年代の友人やそれがおかしいと止めるようや先人はいなかったのだろう。
先日のポストでは、グローバリストを批判していた。筆者は国際関係学部卒で、留学経験もある。筆者もだが、彼に話したことのある筆者の友人や先輩後輩はまさにそれに該当する。もうこちらのことは見えていないのだろうか。考えてみたら、留学前に会った時も面と向かって海外に興味はないと言っていたな。そりゃあ日本大好き、日本人の誇りを持とうに突き進むわけだ。
そんな彼もいろいろあったようで、地元に戻ってきた。農業で生きている彼にはとんとん拍子で配偶者ができ、なんとまもなく親になる。配偶者は地元にいる彼の妹の同級生で、同じクラブに所属してまるで兄妹のように育ったというギャルゲーでも今時見かけない夫婦となった。これもたまたま、2人とも前のパートナーと別れたタイミングが同じで、久々に再会したらとんとん拍子に話が進んだとのこと。
彼の配偶者はというと、会ってみると普通の真面目な人だった。彼のポストから漏れ聞こえる様子だと、少なくとも彼の趣味ではないあるアニメのフィギュアなんかもテレビの近くに飾っているようで、ごくごく普通の生活を送りたそうだ。だが、性別の違いやそもそも大学は出ていないなこと、また年下なのも相まって彼を止める様子はない。このままじゃ生まれる赤子は間違いなく母子手帳真っ白コースだ。親の思想がどうであれ、子供は巣立つまでは自由を選びにくい。今から彼らが毒親として子供に嫌われないかと不安になる。
社会人歴も長くなり、部下を持つようになったこの年代。筆者のことも、海外旅行・出張の多い、外国人の知り合いが多いグローバリストと認識しているのだろう。高校の時からの友人なので、家族絡みでも付き合いがある。筆者の両親も彼のことは気にかけており、ひっそりSNSをフォローしているから常にあの思想は見ているわけだ。特に母はうまく宗教やマルチに染まる友人をいなしながら生きている人だから問題はないと信じたいが、彼も結構母を尊敬しているようで帰省する筆者より先に連絡を取っていたりする。幸いにも関係は良好な親戚が多いため、地元や親元を離れている筆者や妹の代わりにひっそりと目を光らしてもらっている。今のところは特に勧誘らしいことはされていない。
ライフステージが上がるにつれて気軽に遊べる友は減るもの。筆者もだいぶ減って、貴重な友人だったが、彼とも縁を切るしかないのかと思わされる日々。もちろん、筆者も彼をぶん殴ってでも更生させるような気力はない。自分の家族や生活が何より大事だから。
次の帰省で、彼と飲むことはないだろう。
年収550万、金融資産2000万、地方都市在中のアラフォーなんだがそろそろ将来を見据えて住宅を購入しようと思ってる。
新築は手が出ないので2500万くらいの中古マンションを購入しようかなと。
もし結婚することになっても住めればいいなと考えて築20年、駅徒歩10分強、80平米くらいのマンションだ。
だが、いざ購入を検討しようとすると実際に支払ってやっていけるのかとかライフステージが変わったりするんだろうかとか色々気になることも出てくる。
そこで疑問なんだがアラフォー独身男ってみんなどの程度の生活を送ってるんだ?
ちょっと良いホテルのビュッフェ6000円くらい、良い感じのアフタヌーンティーセット7500円くらい、ディズニー行こ!でもろもろ経費が20000円くらい...。全部育休中に誘われてホイホイ行ったランチ代もろもろである。
先に言っておくが、私は友人のことは大好きだ!学生時代に知り合い、なんて綺麗な人なんだろうという第一印象だったが、いざ交流すると話がめちゃくちゃ面白くて、人生がしんどい時も色んな相談事をさせてもらい、また逆に大事なことだろうにということもこちらに相談してもらい、結婚式でも受付をお願いしたら快く引き受けてくれた。
もう10年以上の付き合いになるがささいなこともSNSでやり取りしており、こちらからはもちろん、向こうからも決してしょうもないモブ友人という扱いを受けてはいない、と勝手に思っている。
が、アラフォーになりそれぞれのライフスタイル、ライフステージの違いが如実にあらわれてきた。ストレートに言うと経済格差である。もちろん書いている私の方が貧乏である。
友人は今も家族と暮らしており、自分自身にかなりの時間と金銭を割くことが出来る。頭も良いので、稼いだお金は趣味に全ブッパなどもせず堅実に貯金や投資も行っていると思う。
私はいわゆるワーママというやつで、時間がない金がないと騒いでたら1日が終わる生活をしている。今も雀の涙ほどの給料しか出ないが、専門スキルもないので今より良い条件でよそに雇ってもらえるとも思えない。
友人、前述の通り結構色んなことに昔のように誘ってくれる。ただ友人には金があり、私には金がない。それだけである。
先日も6500円のランチに誘ってくれたのだが、さすがにもう本当にお金が無くて、あと家族での外食がもっぱらサイゼかマクドなのに自分だけ6500円のランチをなんの躊躇いもなく食べるというのが考えられず、3000円くらいなら行けるかも...という逃げの言い方をしてしまった。もう誘ってもらえなくなるんだろうか。なるんだろうな。さみしいな。でも本当に生活してたらお金が無い。
新入社員のころ友人と同じような生活をしていた先輩が主催してくれる飲み会が、いつも7000円くらいのコースに5000円くらいの2次会で、会社の人たちにえへえへ愛想売りながらこんなおもんないことに1万円以上ぶっ飛ばさないといけないのがめっちゃ辛かったのを思い出した。
思えば主催の先輩も今の私たちと同い年くらいだった。お金があるアラフォーはみんなこんな感じの金銭感覚になるのか。私はなれなかった。なりたかった...まあもう、絶対無理なのだが。
ママ友にどれくらいのレベルのランチが適正なのか分からず3000円くらいのランチを提案したら、高過ぎるから替えて!と2000円くらいのランチの代替案を出された時、同じくらいの価値観だ...と正直ホッとした。
とりあえずボーナス出たらまた食べようとは言ってある、言ってあるが弊社が次の冬にボーナスが出るのかはかなりビミョーである。
お金が無いと言うのは恥ずかしいし本当に惨めだ。独身実家暮らしの頃の悠々自適に金を使ってなお貯金まで出来てしまうゆるゆるを知っているとなおさら。友人にも申し訳がない。恥ずかしい。惨めだ。
若い女ボーナスに甘えてずっと同じ立ち位置を望むならばしんどいと思うが、年相応に成長してたら別にしんどくもないで
たとえば出世して、若い女の部下を上司としてマネジメントしてたらば、若い女が若い女ボーナスで成果出すのも自分の手柄になるじゃん
そうこうしてるうちに結婚して子ができたら家庭守るのが重要任務になるから、世間様からの需要がどうこうって話じゃなくなってくるし、またそれはそれで尊重してもらえるよ
40代にもなったら、もう若い女とは別の立ち位置になってるから特に比べられるとかもないし、頑張って生きてきてたら、普通に仕事なり家庭なり友達なりいて居場所があるじゃん
おばさんになっても、ばあさんになっても、違うステージがあるし、それはそれでやってけるのが女の人生だと思うけどね
男から見たら、若い女と「若い女」の立場にしがみつく若くない女しか見えないから地獄だなって思うかもしれないけど、多くの女はそういうステージからはとうに降りて楽しくやってるよ
ただ、増田のいうとこの弱男の苦しみってライフステージ変えられない苦しみなのだろうし、そういう意味ではいつまでも若い女ステージに居座って苦しんでる女の苦しみとは質が近そうではある