
はてなキーワード:ヤマタツとは
星野源さんの今回のアルバム「Gen」のプロモーションについてなのですが、既にあれこれ批判されまくってますよね。
でも皆、なんかちょっと芯食ってないっていうかね。
自分ほど「星野源が嫌い歴」長い人間もなかなかいないと思うんで書きますわ。
もう25年も前になります。SAKEROCKを2000年に見たときから「あー、うんうん。これは無理」と思ってましたから。
あのですね、彼の本質的に嫌われてる所は「人それぞれの間合いの<お気持ち>の部分をハックしてコントロールしようとしてくる所」なの!
学生時代に料理店でバイトしていた時に思ったことなんだが、料理人が料理出して客に「まずい」って言われたり沢山残された時、絶対料理人の人は「おれが悪かったのかな?」みたいな感じで、更に残った料理を必ずひとくち食べてたんですよ。なるほどと思いましたね。
そんな感じで、星野源さんは「うちで踊ろう」でMAD作られた時に不快感を示してた時もそうなんだが、五感に委ねるものを作っておきながら、感じ方を制限してくるところがある。「こっちの感じ方が違うかも?」とかないんかな。
あと、後出しで「本当はこう伝えたかった」とかじゃんじゃん言ってきて、紅白の時もそうでしたが最初に批判が起きた時に「そこまでの情報」で自分の内外に気持ちをフォローしてるファンを振り回したり梯子外したりするんですよね。
しょっぱすぎる料理作って黙ってそのまま出して、苦情が来てから「本当はこれは白ワインと合わせて欲しかったので塩味が強いんです、水を飲みながらではちょっと💦」とか後から言ったら★1でしょ。
しかも隣の席の常連さんとかが「まぁまぁ、これは日本酒と合わせるとちょうどいいんだよ!」とか言った後にそういうこと言う。
それ言ったら誰も幸せにならんでしょみたいな。
じゃあ先に言いなさいよみたいな。
SAKEROCK時代から「細野さん、細野さん」ってめっちゃ言ってたのはまぁ、正直鬱陶しかったけど当時は細野さんもぜんぜん売れてなくて元気なかったから、若手の人がフックアップするのはいいことだと思ってましたよ。
だけどさー!?
ソロになってからカクバリズムの角張さんを「俺の曲になんでタイアップ取ってこれないんだ!」ってめちゃくちゃ詰めてたらしいじゃないですか。
なんでそういうこと言うの???
いや「命懸けてでも成功してやるぞ」っていうモードになったのはよく分かるけど、「レーベルに言えよ!!!」でしかねーのよ!!!
しかも細野さんからの〜山下達郎に近づいていく感じが、もう本当にしんどかったですよね。
まあ「源くん、源くん」とか、ちょっと満更でもなさそうなヤマタツもダサかったけど。
それで「POP」とか言うけどさ、細野さんもヤマタツも、わかりやすい売れから距離を置いたり、置かれたりしていじけながらボヤきながらも趣味嗜好を貫いてやってきたから趣味が良いね!ってなってきたわけなので、お寺の線香じゃないんだから「そこに近づくから俺も趣味が良い」とは絶対にならないし、そういう「俺もそっち側っす」みたいなのは、お前が決めるんじゃなくてリスナーが決めるから、どうかやめてください。
そこでまだ、自分のルーツであるチャゲアスと対談とか、玉置浩二とか井上陽水とかに行くなら「おっ、なるほどな。ポップってそういうことか」ってなるけど、「そっち側(サブカルとして馬鹿にされまくってた時代もなんとかやってきた人)」を大事にしてる人にとっては、すごい無神経に感じるわけです。
だけどさ、ASKAさんがあんな感じだから、ちょっと話したぐらいで遠巻きに見守ってるでしょ。ルーツっていうならもっとベタベタしろや。
そういう所が本当に嫌。イメージ売りしたいのと、パイセンとのシナジーづくりでセンス良くアップデート()は両立しないっって。
意外に思われるかもしれないけれど、2000年代の細野さんとかはマジで人気なくてある時期までオワコン扱いされてて、ライブもチケット売りきれない時とかたくさんあったんですよ。
ヤマタツも今は伝説的に語られてるけど、2010年代まではマジでゴミレコード扱いで。
HARD OFFで「ForYou」っていう1980年代の名盤が「¥108」っていう値札をジャケにビターンと直貼りされて5,6枚適当に混ざってたこともあるんですよ。
(それだけ売れたから在庫がダブついているということでもある。それにForYouは2010年代後半に人気が再急騰して2020年代にはメルカリで1万円で取引され、まさかの「発売から40年後に中国でブート盤が作られる」という謎の現象が起きた。
そういうことがあるから面白いのに、星野源さんは器用なので「余白に委ねない」から飛び抜けないという印象がある。
KIRINJIはまだ「キリンジ」時代の貯金があるからやってけてるけど、当時の余白がなければ9割スッカスカミュージックなのである。
今回のアルバムGenも「なんかよくわからないけどこの人と衝動でやるぜ!」というワクワク感がない。
メンツを見て想像通りの「いい感じ」でしかなく、冒険がもうできないキョロ充が作った音楽に聴こえた)
細野さんはまだわかるが「ヤマタツ=センスが良くて売れている人」みたいにされるのは表層的ですっごくしんどい。
だって売れない時期も地道に遠くを見てやっていた人だし、そういう職人的なとこ含めてファンは好きなわけで、長年お世話になったカクバリズムに対していきなり「俺の曲になんでタイアップ持ってこれねえんだ」とか、短期的に結果を上げようとする人に近づいて欲しくないんですわ。半ばセルフでジャニーズの傘を持ってきたヤマタツ見習えって。(ダメですけど)そういうベットができないんでしょ?
その短絡的な「POP観」と「ここらへんピックアップして仲良くなれる俺、センスいいだろ?」が耐えられません。
音楽に対して後出ししたり、「うちで踊ろう」でMAD作られて怒ったり、今回の「街の掲示板や銭湯に広告出しました、ユニークでしょ」みたいなのも全部「音楽というものの【聴く人の自由】に委ねる部分をコントロールしてこようとする(ノイズを入れてくる)」から嫌がられてるんだよね。
星野源さんは、真剣に売れるためには、話題つくるにはどうしたらいいのか?を一生懸命考えて、沢山媒体にも露出して本当に頑張っていると思う。
音楽というのは、コカ・コーラとか、ヨーグルトとか消費財の売り出し方とは違うんですよ。
「オイコスでもダノンでも明治ブルガリアヨーグルトでもどれでもいいけど、健康にいいってCMで見たから買うわ」じゃなくて「この人だから聴く」みたいなとこあんですよ。
よく「〇〇からしか接種できない栄養分がある」って言うじゃないすか。音楽ってあれなんですよね。ちょっと中毒性というか。
星野源さんからしか接種できないものは今、ケレン味ばっかりになってて、素直に推しづらいじゃん。
やっぱりストーリーが大事にされる、長い目で見るものであって、最先端なことがいいわけじゃないんですよねー。
そうじゃなかったらこんなに昔の喫茶店とか、80年代のものが、Y2Kが人気にならないでしょ。
みんなちゃんとその当時の良さを再定義してるから「そうだよね、いいよね」っていう気持ちを共有しあってファンダムが出来るのに、星野源さんはそういうストーリーを毎回バズを狙いすぎて、ブツ切れにさせるわけですよ。
それは「その時その時のみんなの正解」を真剣に考えすぎて、しかも器用だから表面的には整えられるんだけど「本来の星野源さんらしくはない」から違和感が出るし、嘘っぽいからみんなに感づかれて「なんか嫌かも…」みたいになっちゃう訳です。
例えば今回の街の掲示板広告問題は、みんながゆるく見守ったり、必要な情報がある人は真剣に見たり、広告出す人もお金もセンスも無い中真剣にA4ペラ1を掲示するという、公共というみんながちょっとずつ譲り合いながら保たれているエリアにズカズカ入っていくから嫌われるんですわ。
小さい公園で「ここボール禁止じゃないよね?じゃあ、狭いけど今から全力で野球の試合をします!」みたいに宣言して朝から声出ししたら、危なくなくても近所の人にムカつかれて警察来るじゃん。
そういう嫌われ方をしているよね。
音楽でもそうで、「どうしてもここでこれやりたいんでやってます!今は理解されないかもだけどこれはどう考えてもイイと思ってるので!」みたいなリリースじゃなくて、「これとこれを何%で足していったらいい感じになる。俺は器用なのでそれをやってのける」みたいな、感情の領域にマーケティングかけられてる感じが昔からどうしても拭えなくて、それがソロになってどんどん大きくなって無理になっていった。
商材としてはクリーンで扱いやすいのかもしれないけど、音楽という非日常や謎の化学反応を楽しむ、というパーソナルな領域をコントロールしようとしすぎて養殖魚みたいな音楽になっており、「自分が聴かないでも誰かが聴くんだろう、自分は嫌だけど」という領域に達している。
「足し算、掛け算だと0が出たら上に行けないし、下手したら大事故になるので減点方式というか、引き算できる所を消し込んでる」という印象がある。
「粒子細かめにするとお互いに大変だから、最大公約数で作っておいたので、自然数のみんなにわかりやすくしておきました」みたいな。
そしてつまんねぇ方法で生活にまで割り込んできてもう許さん!」って無意識でなってる人多いんじゃないでしょうか?
いやいいですよ別に。そういうやり方をしている限り、自分には響かないから。
NHKにやたら推されて出てるのもキツかった(2010年代以降のNHK・Eテレのセンスは常に最悪だと思っている派の)人間からすると、自分の街に「しめしめ♡」みたいなテンションであんなことされたらマジギレだよ。うちの街じゃなくて本当に良かった。
「俺の音楽をなんとしても聴かせたい」という気持ちは分かるが、やんわり距離を取っている人たちは「うっすら無理」だから距離を取っているので、そこをなんとかハックして近づこうとしてこないでいただきたい。
こういうこと言うと“繊細な人を叩いてる”と思われそうだけど、“繊細さの演出”が強者の武器になってる瞬間が一番しんどいのです。
お前がヤマタツが云々前述した!って騒いでるのって
もちろん、80年代90年代のアニメソングっていうのは作曲家・作詞家・アイドルやアーティストとのタイアップを通して(昭和)歌謡とも密接に関わってるわけだけど
これのこと言ってんのか?w
vaporwaveやフューチャーファンクみたいなのに山下達郎が影響を与えたって話はしてるけど、これについては山下達郎のこと(あるいはシティポップのこと)なんか言ってねーんだわw
むしろお前があげた小室哲哉だったり、または織田哲郎、後はアイドル歌手みたいなマスにも人気があった売れっ子の話をしてる
あるいは馬飼野康二や萩田光雄みたいな歌謡曲の作曲家が劇伴を作ったりしてたということを念頭に置いてるだけなのよ
歌謡曲の業界全般の話をしてるだけであって、間違っても山下達郎や林哲司や角松敏生の作ったシティポップの話ではない
そんなことも理解できない(あるいは想像するだけの知識がない)状態で立ててる荒唐無稽な妄想(可能性などとは呼べないレベルの陰謀論)が意味を持つと思い込んでるのはマジで滑稽だよな
後音楽面(vaporwave方面)で詳しい人間がお前が想定してる可能性とやらについても否定してくれているから読んだ方がいいぞ
全く、意味不明ではないと思うけど。
自分はずっとvaporwaveが作られた原因や海外リスナーに受けた原因として過去のアニソンが影響を与えた可能性を論じてるけど理解できてる?
日本語で書かれた日本の楽曲に馴染みのない彼らがなぜ「シティポップ」と「当時のアニメ」を組み合わせた上で、そこに「レトロ・懐かしさ」を覚えたのかを説明できる可能性としてどこに問題があるの?
ヤマタツ一人が絶大的な影響をアニソンに与えたのではないが、君か分からない誰かが前述してたよね。ヤマタツが影響力を持っていたシティポップのサウンドの影響下に当時のアニソンはあったって。
小室が流行った当時のアニソンが小室調になったみたいに珍しいことでもないと思うけど。
だから、アニソン→vaporwave→シティポップと繋がった可能性を考えられる余地があるって言ってるんだ。
君がvaporwaveの最初期のアーティストの一人で、界隈の人物達と一緒に、「私達は当時の日本のアニメのことは全く知りません。アニメをサンプリングソースにしてるのは友人が勝手にやりました。」って宣言するなら、上で語った可能性を否定するのも分かるんだけど。なぜ、「こうした可能性も考えられる」ということすら受け入れられないんだろう。
また、「こうした可能性も含めアニメという要素にフォーカスして近年の流れを論じる余地がある」という意見を頑なに受け入れられないのはなぜなんだろう。
これだけ共通して多用されているアニメ・オタク的なアイコンを無根拠に「表面的な利用」として、それ以上先を考えることを止めてしまいたくなっている君の気持ちは、一体どこから来るのだろう。
それこそ、元増田の言うアニメ・オタク文化に対する強いコンプレックスの現れであり、問題提起された問題そのものなんじゃないの
それは何をもって「表面的な利用だ」としているの?
80年代のアニメが海外に届いていたことはそうした映像的なサンプリングを「レトロ」として使用していることからも分かるじゃん。
そして、そうしたアニメの主題歌がヤマタツの影響下にあったことは誰かが前述していたよね。
であるならば、「アニメが主題歌と一緒にケーブルテレビかなんかで先に届いていてその憧憬がvaporwaveの発生とヤマタツの海外での再評価につながった」っていう可能性を否定できる根拠がなくない。
もちろん可能性の一つでしかないわけだけど、だからこそ、音楽評論の場でもっとアニソンの影響力について議論されるべきだって話じゃないの。