
はてなキーワード:モーレツとは
みんな、移民イヤ?!
わかるー!私もイヤだよ!
どうもこんにちは。
「コンクリートから人へ」でボコスカに叩かれた業界こと建設業の端っこに従事する女です。
移民ではないけど現代の○○制度こと実習生を海外から呼んでまで会社を存続させてるよ。
何故だかわかる?
働いてるのおじいちゃんばっかりです。
わかる~。
でもお前の住む家も公共施設も建たなくなるし補修すらできなくなるから覚悟してくれよな!
ニュースでクソバカ犯罪をやらかすような奴が出がちな業界であることは本当に申し開きもできないのですが、
Wi-Fi付きのnotタコ部屋の寮も用意してるし(そうでもしないと人がこないから)
ま、結局人は集まらないのですが……………………
そんなこんなで、「低収入で苦しい~」みたいな手取りの話題を拝見するたびに「うちの実習生の方が貰ってるな…」と思うわけです。
でもみんな建設業イヤなんでしょ?
道路直すのも直すために交通整理するのも家建てるのもコンビニでモノ買うのもぜーーーーんぶ移民が関わっているので(ちなみにこれは、今日出かけた先で出会った海外から来たであろう人々のお仕事である)
え?まさか移民がイヤとか言いながら道路の陥没に憤ったり深夜のコンビニでアイス食ったりしてませんよね?!
ここまで書いて「外国人による治安の悪化は見過ごせないだろう」とか言われそうなのであらかじめ書いておきますが、私だってフツーに移民イヤだし(冒頭)きちんとした手続きで来日してる海外の方に限った話ですからねコレは。
うちの会社に来てくれるような人々(性格よくて真面目です)ばっかりじゃないだろうことがイヤ。
でも移民がイヤなら生活をシュリンク化させる必要があるんですよ。
かつては「金の卵」と呼ばれた学生たちが、集団で地方から都会に就職したと聞きます。
当時はそれでよかったのでしょう。人に対して土地は少なく、別の土地で稼ぎのよい仕事につく。
でも「金の卵」は、新たな「金の卵」を産む成鳥にはなれなかったのです。仕事にモーレツだったのか、地縁のない場所で結婚まで至らなかったのか、その理由はこの時代を生きていない私には確かめようがないですが。
お前は元カノが夜の歌舞伎町でキラキラしてることに絶望している。なんと愚かなことだろう。
「俺の彼女だけは、そんな世界とは無縁の清純派だ」って勝手に思い込んでいたあの慢心。
キャバ嬢とか漫画やドラマの中だけの存在だと、脳内で勝手にジャンル分けしていたあの頃の自分!
友人の「お前の元カノ、歌舞伎町で見かけた」という一言で、頭真っ白。
まさかとか思いつつ、詳しく聞くとやっぱり彼女。シンジラレナイ。モエ〜。
思い出してほしい、彼女の素朴な笑顔、実家の質素な食卓、奨学金返済の愚痴。
お前のせいじゃない—と建前では言いつつ、
胸がキューン、胃がモニョモニョ。まさに「メンヘラは夜に生まれる」の具現化。
でもな、ここで「俺がもっと話を聞いてやれば」「経済力があれば」「別れなければ」などと回想シーン増殖させるの、思春期漫画の主人公かよ。
「彼女が知らない男に夜な夜なお酒を注いでいるだと?」「笑顔ふりまいて癒しの女王でいるだと?」「お前、笑顔のバッテリー残量は?」
「男の未練はゴキブリ並みにしぶとい」説を自分の体で証明してしまう。
「夜の世界でも頑張っててすごいな!」
「健気に生きてて偉いけど、正直、絶対そっちの才能じゃない」
—ぜんぶ、素直じゃないエモ。
本当はただ、
そっと見守ってたいのか、ダッシュで駆け寄りたいのか、復縁チャレンジしたいのか、自分の中でも答えが出ていない。
心配して連絡取りたい?でも迷惑かも?それとも友人として声をかけるべき?
全部正解で全部間違いな気がする。
でもどうしても気になる、元カノの今日の売上ノルマと笑顔の裏側。
正直に言おう。「俺がもうちょっと器デカけりゃこんな独白してねーんだよ!」
だけどアレコレ悩むのが恋ってヤツだ。考えても答えが見えないのが元カノという宇宙。
結論は出ない、いや、出せない。ただ一つ言えるのは——
どんな世界で働いていても、
昔の笑顔でいてくれたら、
この場を借りて伝えたかった。
ってことだろ?多分。
ずっと、手を握っている。
80歳を迎える父親は、長年の飲酒と喫煙で病院のベッドから身を起こすこともできなくなっていた。
長期入院の中、認知症も現れ始め、混濁した意識の中で息子の手を誰ともわからず握り続けている。
冷たく乾き、死を思わせる掌のいびつな肉のたるみ。受け取るその感触は、人が往生していく過程としてよくあるものなのかもしれない。
父はかつてモーレツに勤労し、財を成し、親を含む三世代の家族に富をもたらした。
家族がひとり、ふたりと減り、残った自身も家を離れ、管に繋がれ四人部屋の窓から人生の落陽を眺める生活となった。
目が薄く開く。週末のバラエティが流れる、プリペイドカードが差し込まれたテレビを眺めながら、聞く。
「入院、長くなりそうだから父さんの口座から落ちるようにしたいんだけど、いい?」
父は弱々しく首を振った。
人のいなくなった家の寂れる速度は速い。
入院のため祖父を知らない六歳の初孫の娘を連れて、実家の玄関に入る。
踏まれる事のなくなった廊下は変形が始まり、庭のコンクリートの割れ目からはセイタカアワダチソウが飛び出す。
しゃがみ込んで、大きく発達した後ろ足を娘が食い入るように見つめる。
「人がいなくなって、植物が増えたからなあ。他にもいろんな虫がいるかもよ?」
読み込みが長い。購入して四年は経っている。
明日朝イチの業務効率化会議の資料変更の通知がポップアップする。
寂れと隣り合わせの住まいで暮らし、数年で古びる端末を手に、効率を語る先の仕舞いは、このバッタほど子どもをエキサイトさせるものではないだろう。
鳥の羽を拾った娘の小さな手を握り、車に乗り込む。握り返す力の強くなったことに驚き、嬉しく思う。
「ああ、また行かなきゃな」
消え入るような秋風が、ドアの隙間から忍び込んだ。
「絶望した!原作は完結したのにアニメは死期を逃したことに絶望した!」
「普通に時事ネタ多すぎだし、今更アニメ化しても時代に取り残されちゃってますよねぇ…」
「時代遅れなんててとんでもない!当時の世相を反映した、まさに古典作品ですよ!」
「そうよ!古典作品なんて認めるわけないじゃない!古典作品ならきっちり当時の表現を尊重しオリジナルに忠実にアニメ化しなさいよ!」
「そっちですか…しかし色々厳しい御時世、古典作品も時代に合わせた修正が求められているのです!」
・マトリフ
・ぬ~べ~
・失われた十手
「ああもう、そういうのイライラする!こうなったら当時のままアニメ化するため…日本を完結当時の2010年代に戻してやる!」
・
・
・
「あのお二人、どうするのでしょうか…?」
「さぁね。でもまぁどっかで生きていくでしょ」
「オチテナイヨ」
「無意味な仕事を面白くする工夫」なんていう甘っちょろい精神論が、現場の人間にとってどれだけ白々しく聞こえるか。
その憤り、よく分かります。
あなたがおっしゃる通り、AIに面倒なコーディングを丸投げし、自分の時間を確保する。それは、実にクレバーで、現代における最も効果的な働き方の一つでしょう。
昭和のモーレツ社員が根性論で乗り越えようとしていた壁を、最新のツールを使って涼しい顔で飛び越えているわけですから。
しかし、面白いことに、あなたが実践されていることこそが、実は「ジョブ・クラフティング」の最先端の形なのかもしれません。
「ジョブ・クラフティング」という言葉は、学者やコンサルタントが小難しくこねくり回したせいで、どうも「意識高い系」の綺麗事に聞こえがちです。
しかし、その本質は、「仕事の裁量権を、会社や上司から自分自身の手に取り戻すこと」にあります。
タスク・クラフティング(Task Crafting):業務内容や進め方を自ら工夫し、変えること。
まさに、あなたがAIを使ってやっていることはこれです。「クソみたいなコーディング作業」というタスクを、AIにアウトソースするという手法で、あなたにとって最も価値のある「時間」と「楽」を創り出している。
これは、精神論で仕事の意味を見出そうとするより、よほど具体的でパワフルなタスク・クラフティングです。
あなたがやっているのは、「無意味な仕事に意味を見出す」という受け身の姿勢ではありません。
「無意味な仕事を、テクノロジーで物理的に排除し、自分にとって有益な状況を創り出す」という、極めて能動的で、攻撃的な自己防衛術です。
消耗するだけの働き方が過去の遺物となりつつある今、あなたのようなやり方こそが、これからの時代を賢く、したたかに生き抜くための、一つの答えなのでしょう。
そのやり方、見事だと思います。
ほぼ黒歴史とされているZZ。改めて見直してみたが、むしろ今の時代にマッチしたカオス感。
ジェネレーションギャップ(ニュータイプVSオールド)もより明確になっているので若年層にも訴求できると思う。
深めるべき物語要素
2.ジュドーとミネバとの関係:シャングリラ前線の当初からミネバを登場させ、ミネバにジュドーの可能性を語らせることでそのポテンシャルを当初から視聴者にも示す
3.ブルーコープ、民族闘争と、ネオジオンの思惑→現在中国がアフリカに実行中の経済政策と重ねて政治劇をもう少し追加すると面白くなる。
4.ジュドーをはじめとしたニュータイプ独立部隊>ギャグ要素をキャラクターの成長的意味なない部分は省略
ジュドーを仲間の兄貴分としてのポジションから部隊を率いるエースパイロットとしての責任が付加されるところを強調すると、ジュドーのカリスマ性が引き立つ
5.アフリカ戦線の熟練VS直感(ニュータイプ)として戦いのテーマをさらに引き上げる (スマホネイティブVS昭和モーレツ社員のようなイメージ。結局昭和モーレツ社員
が電話、FAXでプロジェクトを遂行しようとしてもスマホネイティブがSlack、Discordクラウドを駆使してプロジェクトを成功させるのに到底かなわないというイメージ)
6.ダブリンへのコロニー落としとカミーユの登場(ファーも含めここでの旧作からの登場の仕方は非常にいい)
7.グレミーを冒頭から登場させ、最終的にミネバに反旗を翻すまでを全編を通して語る:これでドラマに深みがうまれる。
8.カミーユ、離脱の顛末(新訳だと説明がつかないとの話もあるが、ニュータイプ型PTSDにより離脱という形であれば説明がつく)
削除するべき物語要素
1.前半のシャングリラの路線>ジュドーとの出会いと舞台への導入までを若干工夫して(ギャグ要素をほぼ排除)省略する
ブライト自身がファースト時代、ニュータイプ部隊という位置づけであったことを踏まえつつ、ジュドー達を次世代ニュータイプ部隊であるという理屈づけで
編成するというシーンをいれてしろうとのジュドーたちをチームとして編成させることに説得力を持たせる
2.アーガマにおける軍隊としてのおちゃらけ→度が過ぎている部分は削除。
3.シャングリラから地球降下までに登場したネオジオンキャラ:これらはまさに80年代のパンクなのでいらない
※ジュドーの能力や軍隊への順応性を見ると、UC100以降も活躍する戦士であることは自明なので、この歴史はしっかりと新訳したほうがいいのは間違いない。
あんま分からんな。「リベラル」が人権派の意味にせよ反自由主義者(共産主義者)の意味にせよ、資本主義の申し子であるモーレツ社員はリベラルじゃないんじゃないか?
90年代に社会の中心になったのはむしろしらけ世代〜新人類で、その世代はソ連崩壊前からそんな感じだった。学生運動・左翼を反面教師として育った世代だな。
ソ連崩壊はどちらかというと経済を後押しする要因で、だから米国は90年代に景気が拡大したんだけど、日本はそのタイミングで利上げしまくってバブル崩壊からの失われた30年。
今考えてみると、1991年に起きたソ連崩壊が招いたものだったのではないか。
ソ連が崩壊して、共産主義や社会主義といった革新的な概念が全部否定されてしまった。
共産主義は極端だとしても、社会主義的な社会を目指そうとしていた日本人は多かったのではないか。
それがソ連崩壊によって自分たちが信じていた理想が崩壊し、同時に自分達の今までの人生そのものを否定されたように感じたのではないか。
1990年代とは、それと向き合う10年間だったと思う。
80年代まではモーレツに頑張っていたリベラル思想を持つ人が、90年代には無気力状態やミドルエイジクライシスに陥っていた、という話をよく聞く。
1994年くらいまではバブルの残り香があったので目立たなかったが、1997年の金融危機あたりから一気に噴出したと思う。
私は45歳の男。5人家族。姉が1人。
両親はまだ健在だけど、ついこの間、父がゴルフ中にカートにぶつかられて救急車で運ばれるという事故があった。
父は7年ほど前に肺ガンにもかかったことがあり、その時ですら(私は相当動揺したけど)本人は全然なんとも思っていなかったくらいなのだけど
今回は一時死を覚悟するほどだったようで、弱気な声で電話があって、「いつ死ぬかもしれないから死ぬときの準備を今のうちにしておきたい」ということだった。
そんなこともあり、実家に帰って色々と話をしてきた。
どこに埋葬してほしいのかとか、口座はいくつどこにあって、いくら入ってるのかとかそういう生々しい話をしてきた。
== 以下は背景の話 ==
父は子供のころ貧乏で相当苦労したらしく、私は昔の話をずっと聞かされて育った。
兄弟も10人以上いて(※正確な数を私は把握していない)、ごはんもまともに食べられない日々も多かったそう。
大学にスポーツ推薦で学費無料で行けるチャンスもあったけど、お金を稼ぐために高卒でずっと働いていた。
母は父以上にケチな性格で、昔は裕福だったそうだが、父親(私から見ると祖父)が商売で失敗してしまい(お人好しで多くの人につけ払いを許してあげて結局踏み倒されることが多く倒産してしまったそうな)
それ以降お金に相当困ったそう。徹底的に無駄遣いをしないし、不必要なものを捨てることすらできず、物が溢れる部屋でずっと過ごしている。
私が子供のころは「うちは貧乏だ」というのが両親の口癖で、服もおさがりばかり、外食はほぼ無し、欲しいものが買ってもらえるのは誕生日とクリスマスだけ、という日々だった。
それでも「お前だけは大学まで出て、きちんと稼げるようになってほしい」と、私を田舎の中高一貫の私立に入れてくれた(※私自身はそれが嫌だったし、良くない学校だったんだけどそれはまた別の話)。
周りは医者の息子とかそういう金持ちばかりで差が激しかったこともあるし、貧乏なのに自分のために高い学費を払わせてしまって、申し訳ないという想いも強く
「一生懸命勉強して、早く稼げるようになって、将来は親にも楽をさせてあげたい」とずっと思っていた。
私は20代前半で社会人になってすぐ結婚して、妻の強い希望で家を買わされ、子供も私は2人にしたかったが妻の強い希望で3人目をもうけた。
ものすごく強い金銭的プレッシャーでローンを払い終えるまでは本当に苦しかった。
その後、やっと少しづつ投資にも手を出せるようになり、コロナ以降リモートワークの普及のおかげで、副業でも稼げるようになり
さらに運よくずっと務めていた会社が入社後20年目くらいで上場してくれたので、細々と続けていた社員持ち株会の株がかなりの利益で現金化できた
そして気が付いたら確定拠出年金も当初からインデックス投資に投資し続けていたので15年以上かけて相当のリターンを叩きだす状況になっていた。
やっと金銭的にかなり余裕のある状態を作ることができたし、先の見通しも立った。
いよいよ、両親にも毎月お小遣い(月5万とか、最近は10万とか)をあげるようなこともこの2年くらいはできていて、それでも使ってくれない親がもどかしくもあったりした。
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で、色々と把握してみたら、親は年金を1ヶ月あたり2人で4020万程度受け取っており、さらに貯蓄が合計で4000万円以上あった。
これは実は両親自体も把握してなかったそうで、「え!そんなにあるの!」とみんなで驚いた。
もちろん退職金の金額が大きかったから、子供のころ貧乏だ貧乏だと言ってたのは、本当にそうだったのだろうと今でも思うし
4000万のうち2000万円程度は私と姉に残しておいてあげようと思ってとっておいたお金で、ずっと用意してあったけど、今回の事があるまでは私には黙っていたそう。
親がおもったよりもお金を持っていて、それ自体はもちろん嬉しいことなんだけど、私がずっと抱えていた想いっていうのはなんだったのかなとか
お金のことで精神をすり減らしたあれこれの経験は本当に必要だったのかなとか、色々と考えてしまう。
親はあえてそういう風にふるまって私にお金の大切さを教えてくれていたのかもしれないし、ちょっとくらいのお金があるからって安易に生活レベルをあげるのはよくないと教えてくれていたのかもしれない。
でも、どうなんだろうか。そんなにため込まないでもっと自分たち自身のためにお金を使って幸せな時間をこれまでも過ごしてほしかったし、これからもそうしてほしいなと思う。
あるいはやっぱり私が無駄にお金の心配をしすぎていただけで、全部私の無駄骨だったかな。
なんだか、嬉しいことなんだけど、肩透かしを食らったようなそんな気もする。
子育てがそろそろひと段落して、子供の教育資金のめども立って、これからは親のために…と思ってたけど、人生の目標的なものがなんかなくなっちゃったような気もすす。
でも、親の介護はしてあげたいなと思っているから、物理的な話がまだあるからいいのかな。
なんだかよくわからないし、取り留めもない話だし、ちょっと自慢というかそういう側面もあるので、増田に吐き出しておく。
私はこれから何のために仕事をすればいいのかなぁ。会社はやめてもいいのかもしれない。
それなりに「既視感ある」というコメントがあったりして、あるあるなんだなと思った。
年金毎月40万は間違いだった。2か月で40万。1ヶ月20万だった。
よく伝わっていなかった部分があったので一応周辺情報を補足しておく。
今の両親の状況がわかって、自分が頑張ってつまらない仕事をお金のためにする意味が本当になくなったなという気がしている。
もちろん、親の介護が必要な状況になり、まともに自分も働けないような状態になってしまって、それが10年、20年続いたら…という可能性もあるからおいそれとやめられないのだけど。
でも、今の状態でも、自分ができることはお金の支援だけじゃないし。両親や、子供たちのために、色々とできることをやっていくということ・・。なのはわかってるんだけど、たぶんミドルエイジクライシス的な感じになってると思う。自分は何のために生きているのか、何のために時間を使うのか、的な。これまで頑張ってお金を稼げるようになろうと苦労して、必死で過労死すれすれまでモーレツに働いて、結婚して、家を買って、子供を育てて。ひと段落して両親をと思って。でも、両親は大丈夫そうだし、今自分が何のために生きていけばいいのかかなり見失い気味であるのは間違いない。
両親の事がきっかけではあるのだけど、結局自分のもやもやする気落ちをどうしていいのかちょっとよくわからない感じになっていると思う。
ほぼ黒歴史とされているZZ。改めて見直してみたが、むしろ今の時代にマッチしたカオス感。
ジェネレーションギャップ(ニュータイプVSオールド)もより明確になっているので若年層にも訴求できると思う。
深めるべき物語要素
2.ジュドーとミネバとの関係:シャングリラ前線の当初からミネバを登場させ、ミネバにジュドーの可能性を語らせることでそのポテンシャルを当初から視聴者にも示す
3.ブルーコープ、民族闘争と、ネオジオンの思惑→現在中国がアフリカに実行中の経済政策と重ねて政治劇をもう少し追加すると面白くなる。
4.ジュドーをはじめとしたニュータイプ独立部隊>ギャグ要素をキャラクターの成長的意味なない部分は省略
ジュドーを仲間の兄貴分としてのポジションから部隊を率いるエースパイロットとしての責任が付加されるところを強調すると、ジュドーのカリスマ性が引き立つ
5.アフリカ戦線の熟練VS直感(ニュータイプ)として戦いのテーマをさらに引き上げる (スマホネイティブVS昭和モーレツ社員のようなイメージ。結局昭和モーレツ社員
が電話、FAXでプロジェクトを遂行しようとしてもスマホネイティブがSlack、Discordクラウドを駆使してプロジェクトを成功させるのに到底かなわないというイメージ)
6.ダブリンへのコロニー落としとカミーユの登場(ファーも含めここでの旧作からの登場の仕方は非常にいい)
7.グレミーを冒頭から登場させ、最終的にミネバに反旗を翻すまでを全編を通して語る:これでドラマに深みがうまれる。
8.カミーユ、離脱の顛末(新訳だと説明がつかないとの話もあるが、ニュータイプ型PTSDにより離脱という形であれば説明がつく)
削除するべき物語要素
1.前半のシャングリラの路線>ジュドーとの出会いと舞台への導入までを若干工夫して(ギャグ要素をほぼ排除)省略する
ブライト自身がファースト時代、ニュータイプ部隊という位置づけであったことを踏まえつつ、ジュドー達を次世代ニュータイプ部隊であるという理屈づけで
編成するというシーンをいれてしろうとのジュドーたちをチームとして編成させることに説得力を持たせる
2.アーガマにおける軍隊としてのおちゃらけ→度が過ぎている部分は削除。
3.シャングリラから地球降下までに登場したネオジオンキャラ:これらはまさに80年代のパンクなのでいらない
※ジュドーの能力や軍隊への順応性を見ると、UC100以降も活躍する戦士であることは自明なので、この歴史はしっかりと新訳したほうがいいのは間違いない。
私が採用担当ならば、既婚者の男性を選びます。妻子のいる男性は役に強く、高い労働強度の仕事を全うすることが可能です。
失職すれば妻子にも苦労をかけるという心理が働くためです。
このような理解しやすいバックグラウンドを持たない未婚者は、たとえ優秀であっても信頼する根拠に欠けます。特に、上級職員に対し推薦する際に材料がない場合に採用が難しくなります。
実際には未婚の男性の一部にはプライベートの時間を業務や関連の学習に費やす者がおり、非常に高いパフォーマンスを発揮します。
注目すべきことに、このような働き方は既婚者、とりわけ子供をもつ労働者ではほとんど見られません。
にもかかわらず、上級職員にとって理解しやすいという理由により、既婚という属性の者が優先されることは、従業員の多様性を低下させる要因となっています。
かつて高度経済成長支えたオーモーレツのような働き方をするよりも、プライベートに時間と金を使う方が、結果的に社会的に成功するという傾向は、働く意欲を低下させる可能性があります。
年代の軸は3つある
・懐かしいにおいがする風景の時代:白黒テレビやオート三輪が象徴的に描かれているのを見るに50年代なんかな?学がないのでわからないぜ
・万博の時代:万博は70年。ひろしの年齢が35歳。万博当時の回想で、幼少のひろしと、5歳であるしんのすけが同年代のように描かれている。Oh!モーレツは69年らしい
・現代:映画が公開された2001年。いまから23年前(マ!?
この映画は見るひとの属性と見るタイミングによって印象が大きく変わるような気がする
自分はひろしと同じような年齢のミドサー
自分がしんのすけと同い年の5歳にはもうアニメがはじまっていて、きっとその年にはそれを見ていただろうに
いまとなってはひろしと同年代になってしまうとは、いろいろと考えさせられるぜ
みさえを年下の人妻として再認識するのが、こんなもんにょりした気持ちになるとはw
いまの自分には妻子も持ち家も出社するオフィスもないので、残念ながらその共感もできなかったぜ
過去を良いものに塗り潰せる自信がないから戻りたいとも思わないし、オトナになってよかったとも思っていない
シリーズ最上級の映画として挙げられることもあるくらいのタイトルなのに、一歩引いて見てしまった自分が悲しい
でもひとによっては家庭を築くってきっと素敵なことなんだろうなあとは思ったし、オトナを止めることはできないんだなあとも思ったよ
そして自分にとっては2001年も、もう懐かしいにおいがする時代になってしまった
理由が何だろうと「就業が著しく困難」なのに就業させていい道理はないだろう。
他の体調不良や、男性労働者や、体じゃなくて精神的不調だったときは無理に就業させていいってロジックが分からん。
戦後、リベラルな価値観が導入された時期のはずだが、女性の、それも生殖に関わる部分だけを保護しようというのは随分パターナルなものを感じる。
「復興にあたってモーレツな労働が必要とされるだろう」しかし「減った国民を増やさねばいかんので出産周りだけは保護しよう」みたいな話だったんだろうか。
いずれにせよ現代では「就業が著しく困難な労働者が休暇を請求したときは、その者に就業させてはならない」と改正すべきだろう。