
はてなキーワード:モヤモヤとは
今年のPTA三役の父親役員達が専業主婦の役員1人に仕事全部押し付けてクズ行為ばかりしてる話をするね。
互選会時に会長、副会長をそれぞれ自らやると挙手したのに何もしない。
今日もごみ出しをして、切れてたパンを買って帰ってきたところなんだけど、こういう日常の流れってこのままでいいのか?ってまた考えてしまった。
夫婦の役割分担は、別に完全に半々じゃなくてもいいと思ってる。
収入や体力、得手不得手、育った環境や生活リズムが違うのは当たり前だし。
ただ、ある程度はバランスが取れててもいいんじゃないかって思う。
時間に余裕があるほうや収入が少ないほうが家事を多めにやるのは自然だと思ってる。
家賃や光熱費は収入比率で割り、通信費や新聞、食費は自分が全部負担。
だから朝のごみ出し、ルンバや洗濯乾燥機のごみ取り、排水ネット掃除はほぼ自分。
換気扇や空気清浄機のフィルター掃除、床拭き、水回りの掃除もだいたい自分が先に気づく。
トイレ掃除も夫がやることはあるけど、自分のほうが頻度は多い。
改善のために「夜のうちにごみ出してくれない?」って提案したこともある。
たまにやってくれるけど習慣にはならない。タスク表を作って分担しようとしたら同意はしてくれたけど、実行はしない。
結局こっちが日程を決めて貼り出すところまでやらないと動かない気がする。
一度、あまりにモヤモヤが消えなくて、カウンセリングにも行った。
そこで言われたのは「まずは相手の立場で話を聞くことから始めてみては」ということ。
どういう考えでそうしているのかを、そのまま聞くのが大事らしい。
でも正直、それをやったとして本当に状況が変わるのかはわからない。
こっちはそれなりにやってるつもりだし、提案もしてきた。
それって家庭内でマネージャー役やるみたいなもんじゃないのか?って思うことがある。
時々、いっそ家事やめたほうがいいのか、そもそも自分が「こまめにやるべき」って勝手に決めつけてるだけなのか、そこまで考えることもある。
あの時はまだ実家住みで25歳、初めてできた彼女が27歳の女性だった。
友達紹介で知り合ったが、社内でも憧れの人だったらしい
初めて付き合ったのがその女性だったので、ぞっこんになった。その時はまだ処女厨だったので
なにより年上だったのが嫌だった。
女性は老けるのが早い。夜になってそういう行為をすると、スカートで隠された腹(サックス中はめっちゃ体逸らして誤魔化す)
セックスが疲れると、ふとした顔が40歳のオバサンに見えた。その時はセックス中は女はみんなブスになるというのを知らなかったというのもあるが。
「この人と結婚するのかぁ、いやだなぁ」と思ってた矢先、振られた。
女々しい上に年下だったかららしい。
その後紆余曲折あって、6歳下の女性と付き合いもうすぐ結婚しようとしてる。
あばだもエクボというが、自分は逆らしい。あんなに好きだった顔も、今では欠点ばかり目につく。
それでも深く愛しているし、嫌だなぁと思うことはない。昔と変わらないが、いろんな女性を見たからこそその意味は大きく違う。
あの時別れてよかったと思いつつ、今ではこの子しかないと思っている。
これから先、仮にこの子と別れて他の子と知り合っても、同じように思うのかなぁと不安になる。
年下係長は優柔不断で抱え込むタイプ。年上部下はスパッと物事を進めたいタイプ。
打ち合わせで2人を含めて話してると年上部下が厳しい一言(人格否定はしないけどかなり詰めてる)を目の前で見せつけられるので居心地が悪い。
本当に酷い時は私から話を遮ったりもしている。
年上部下は私に対してそこまで態度が悪いわけではないけど、色々思うところはあるんだろうなという態度でたまにモヤモヤする。
悪口言うのはいいけど、職場内でコソコソするのは辞めた方がいいと思うんだけどな。
矛盾しているなら「基本的には男嫌い」と「恋愛したい・結婚したい」はどちらかがおかしいことになる
と、男性なら考えがち
個人的には、女性はそういう矛盾を包括する原則、ジンテーゼを求めがちって感じる
要約すると「重病の妻を抱える男が、薬代を払えずにいた。彼は薬を盗むべきか?」
という問いで、
「妻の命」と「道徳原則」のどちらを選ぶかを考えさせるんだけど、
男の子はどちらを優先するか、答えを考えて出すのに対して
みんなが納得する方法を探そうとするんだそうだ
女性の言う「モヤモヤ」って、こういう「どちらが正しくて、どちらを選ぶべき」の決められなさにあるんじゃないかと思う
多数の男はそんな嫌われるような悪い人じゃないですよ、と思う
(「男嫌い」は正しくないと思う、という回答)
んだけど、おそらくそれでは、貴方は(女性は)納得しないんだよね
貴方が「男嫌い」の論拠に挙げていることは、実際に起こった事実なので、
結論としては、
でもモヤモヤをそのまま抱えることも、
Twitterで仲良くなった子で、Twitter上でもよく絡むしLINEも交換して結構仲良くしてた子がいた。仮にA子とする。私はA子のこと信用してたんだけど突然裏切られてショックで心身に異常が出るレベルで辛いから聞いて欲しい。
まず前提として、共通フォロワーが年齢に言及するポストをしたから嗜めただけなのに突っかかったとか言われて揉めたんだけど、それをA子に私は突っかかったんじゃなくてこういう思いでこれを言って、元々相手が勘違いさせるような言い方したのが間違ってるよねって話をしたのに、「相手は元々そういう意味で言ってない。責められない」とか言って私に寄り添ってくれなくてもうその時点でなんで私の意図を組んでくれないの?ってモヤモヤしてた。
以前から色々思うことがあって垢消したり作り直すことがあったんだけど、なんかもう揉めたこと含めて色んなことが限界でまた垢消しした。
そしたらA子からLINEで「垢消しちゃったの?」って聞かれたんだ。
私はそれにすぐ(10分くらいで)返信した。なのにA子は自分から質問してきたくせに30分も未読無視してきたんだ。
「未読スルーきついんけど」
と言ったら即既読になったから見ようと思えばいつでも見られたと思う。なのにあいつは白々しく
「通知気づいてなかった!30分くらいで未読スルーって言わないでほしい」
とのたまったのだ。さらに追い討ちで
これってつまり"あなたと違って私は仕事してるんだからさ…"って見下してるってことでしょ?未読スルー指摘されて逆ギレしたのかなんか知らんけど当てつけでいってんじゃん。本来なら私と同じ働けない立場(精神障害)のくせにたまたまできることがあったからって偉そうに。まともな仕事できずに自営業で低収入なのになんでそんな威張れるんだ?だからもうカチンときて
「嫌味言うけど、できる仕事があって出来てよかったね。羨ましい限り。今の何も出来ない、普通の生活もできない私にはきついわ。もういいよ、構わなくて。」
と言ってブロックした。
そしたらアイツTwitterで被害者ヅラして愚痴って同情集めていい気になってた。しかも見下してたのはあっちのなのに
「嫌味言うけどできる仕事あってよかったねって言われた。社不のくせにって見下してたのかな」
と白々しく言ってやがった。
は?????どっちがだよ😡😡😡
「私がいい人だと思ってるフォロワーさんから嫌われてるって言うからおかしいと思ってたんだよね」
しかも依存され気味で…とかも言ってた。「他の人と絡んでるの見るとモヤモヤするから距離置きたい」ってブロ解したんだけどその日のうちに「また繋がってほしい」って言ったこととか「執着とか束縛みたいだけどbioにID書いていい?」って聞いたから勘違いしたみたいだけど私は誰とでも距離近いだけで依存してないから。自意識過剰乙。普通に他にも友達いるし、自惚れんな!
ほんとになんなんコイツ?鍵垢とはいえ50人フォロワーいるのにさ、私はその界隈でやりたい事あるのに、私があちこちで嫌われてる事知ってるくせに更に悪評広めて気分いい?性格悪すぎない?
こいつは自分だけが可哀想で、どこまでも潰したいんだ。被害者ムーブしかしてなくてドン引きなんだけど。
どう考えても未読無視した上に逆ギレして当てつけに仕事アピールしてくるあっちが悪いのにね。
でもまあこんなやつ切れるべくして切れてよかったわ。
うーん、女子校出身だったし男嫌いというか苦手意識は元々あったかもしれない。
でも性的対象は男性だし、今もし夫と離婚したとしてもまた男性と恋愛しに行くと思う。
「基本的には男嫌い」と「恋愛したい・結婚したい」はバッティングしていない。
Twitterで仲良くなった子で、Twitter上でもよく絡むしLINEも交換して結構仲良くしてた子がいた。仮にA子とする。私はA子のこと信用してたんだけど突然裏切られてショックで心身に異常が出るレベルで辛いから聞いて欲しい。
まず前提として、共通フォロワーが年齢に言及するポストをしたから嗜めただけなのに突っかかったとか言われて揉めたんだけど、それをA子に私は突っかかったんじゃなくてこういう思いでこれを言って、元々相手が勘違いさせるような言い方したのが間違ってるよねって話をしたのに、「相手は元々そういう意味で言ってない。責められない」とか言って私に寄り添ってくれなくてもうその時点でなんで私の意図を組んでくれないの?ってモヤモヤしてた。
以前から色々思うことがあって垢消したり作り直すことがあったんだけど、なんかもう揉めたこと含めて色んなことが限界でまた垢消しした。
そしたらA子からLINEで「垢消しちゃったの?」って聞かれたんだ。
私はそれにすぐ(10分くらいで)返信した。なのにA子は自分から質問してきたくせに30分も未読無視してきたんだ。
「未読スルーきついんけど」
と言ったら即既読になったから見ようと思えばいつでも見られたと思う。なのにあいつは白々しく
「通知気づいてなかった!30分くらいで未読スルーって言わないでほしい」
とのたまったのだ。さらに追い討ちで
これってつまり"あなたと違って私は仕事してるんだからさ…"って見下してるってことでしょ?未読スルー指摘されて逆ギレしたのかなんか知らんけど当てつけでいってんじゃん。本来なら私と同じ働けない立場(精神障害)のくせにたまたまできることがあったからって偉そうに。まともな仕事できずに自営業で低収入なのになんでそんな威張れるんだ?だからもうカチンときて
「嫌味言うけど、できる仕事があって出来てよかったね。羨ましい限り。今の何も出来ない、普通の生活もできない私にはきついわ。もういいよ、構わなくて。」
と言ってブロックした。
そしたらアイツTwitterで被害者ヅラして愚痴って同情集めていい気になってた。しかも見下してたのはあっちのなのに
「嫌味言うけどできる仕事あってよかったねって言われた。社不のくせにって見下してたのかな」
と白々しく言ってやがった。
は?????どっちがだよ😡😡😡
「私がいい人だと思ってるフォロワーさんから嫌われてるって言うからおかしいと思ってたんだよね」
しかも依存され気味で…とかも言ってた。「他の人と絡んでるの見るとモヤモヤするから距離置きたい」ってブロ解したんだけどその日のうちに「また繋がってほしい」って言ったこととか「執着とか束縛みたいだけどbioにID書いていい?」って聞いたから勘違いしたみたいだけど私は誰とでも距離近いだけで依存してないから。自意識過剰乙。普通に他にも友達いるし、自惚れんな!
ほんとになんなんコイツ?鍵垢とはいえ50人フォロワーいるのにさ、私はその界隈でやりたい事あるのに、私があちこちで嫌われてる事知ってるくせに更に悪評広めて気分いい?性格悪すぎない?
こいつは自分だけが可哀想で、どこまでも潰したいんだ。被害者ムーブしかしてなくてドン引きなんだけど。
どう考えても未読無視した上に逆ギレして当てつけに仕事アピールしてくるあっちが悪いのにね。
でもまあこんなやつ切れるべくして切れてよかったわ。
最後まで読んでくれた人がいたらありがとう。読んでくれたあなただけわかってくれたらもういいです。
Permalink |記事への反応(10) | 14:12
Twitterで仲良くなった子で、Twitter上でもよく絡むしLINEも交換して結構仲良くしてた子がいた。仮にA子とする。私はA子のこと信用してたんだけど突然裏切られてショックで心身に異常が出るレベルで辛いから聞いて欲しい。
まず前提として、共通フォロワーが年齢に言及するポストをしたから嗜めただけなのに突っかかったとか言われて揉めたんだけど、それをA子に私は突っかかったんじゃなくてこういう思いでこれを言って、元々相手が勘違いさせるような言い方したのが間違ってるよねって話をしたのに、「相手は元々そういう意味で言ってない。責められない」とか言って私に寄り添ってくれなくてもうその時点でなんで私の意図を組んでくれないの?ってモヤモヤしてた。
以前から色々思うことがあって垢消したり作り直すことがあったんだけど、なんかもう揉めたこと含めて色んなことが限界でまた垢消しした。
そしたらA子からLINEで「垢消しちゃったの?」って聞かれたんだ。
私はそれにすぐ(10分くらいで)返信した。なのにA子は自分から質問してきたくせに30分も未読無視してきたんだ。
「未読スルーきついんけど」
と言ったら即既読になったから見ようと思えばいつでも見られたと思う。なのにあいつは白々しく
「通知気づいてなかった!30分くらいで未読スルーって言わないでほしい」
とのたまったのだ。さらに追い討ちで
これってつまり"あなたと違って私は仕事してるんだからさ…"って見下してるってことでしょ?未読スルー指摘されて逆ギレしたのかなんか知らんけど当てつけでいってんじゃん。本来なら私と同じ働けない立場(精神障害)のくせにたまたまできることがあったからって偉そうに。まともな仕事できずに自営業で低収入なのになんでそんな威張れるんだ?だからもうカチンときて
「嫌味言うけど、できる仕事があって出来てよかったね。羨ましい限り。今の何も出来ない、普通の生活もできない私にはきついわ。もういいよ、構わなくて。」
と言ってブロックした。
そしたらアイツTwitterで被害者ヅラして愚痴って同情集めていい気になってた。しかも見下してたのはあっちのなのに
「嫌味言うけどできる仕事あってよかったねって言われた。社不のくせにって見下してたのかな」
と白々しく言ってやがった。
は?????どっちがだよ😡😡😡
「私がいい人だと思ってるフォロワーさんから嫌われてるって言うからおかしいと思ってたんだよね」
しかも依存され気味で…とかも言ってた。「他の人と絡んでるの見るとモヤモヤするから距離置きたい」ってブロ解したんだけどその日のうちに「また繋がってほしい」って言ったこととか「執着とか束縛みたいだけどbioにID書いていい?」って聞いたから勘違いしたみたいだけど私は誰とでも距離近いだけで依存してないから。自意識過剰乙。普通に他にも友達いるし、自惚れんな!
ほんとになんなんコイツ?鍵垢とはいえ50人フォロワーいるのにさ、私はその界隈でやりたい事あるのに、私があちこちで嫌われてる事知ってるくせに更に悪評広めて気分いい?性格悪すぎない?
こいつは自分だけが可哀想で、どこまでも潰したいんだ。被害者ムーブしかしてなくてドン引きなんだけど。
どう考えても未読無視した上に逆ギレして当てつけに仕事アピールしてくるあっちが悪いのにね。
でもまあこんなやつ切れるべくして切れてよかったわ。
何も考えんと見るアクションコメディアニメとして見れば80点くらいだと思うんだけど、
ある種の社会風刺アニメとして見ると現代の感覚だと60点くらいかもしれない。
スタッフに言及しだしたらオタクという俺の中での線引きがあるのだがさすがに言及せざるを得ない。
大友克洋、北久保弘之、江口寿史、磯光雄、今敏、神山健治、黄瀬和哉とその後のアニメ業界を牽引、今でも第一線で監督として活躍するメンツが様々な役職で参画している。
なので(かどうかは知らんけど)、アニメーション作品としては非常によくできているし見応えもある。
アクション、コメディがバランス良く配置され最終的にちょっとエモい感じになって最後爆笑で落とす構成も見事。
主人公の一人の実験体老人「喜十郎」が最後に「お迎えが来た」と呟き、もう一人の主人公の「晴子」が「何言ってんの」と返すと、地響きが鳴り響く。外に出るとロボット化した鎌倉の大仏様が。みんなで合掌。ゴーンと鐘が鳴り響いて暗転。
作画も延々といいし、アクションも素晴らしい。アニメーション作品としては申し分ない出来だと思う。
社会風刺としても、高齢化自体は1970年代から始まっており徐々に問題視されてきていたが一気に爆発したのが1990年の1.57事件からになるので、それを1991年公開の作品で取り扱っているのはかなりフットワークが軽い。
また介護問題へのアイロニーが効いているテーマ性は現代においても他人事ではないし、老人が操作する(実際にはしてないんだけど)移動機械が大暴走し多大な被害を出すという展開は、昨今のプリウスミサイルを彷彿とさせる。逆にプリウスミサイルがある現代に生きているのでむしろ老人に対する偏見を助長するのでは?と思ってしまった部分はある。
個人的に一番気になったのは介護、看護に献身的に取り組む主人公の晴子が介護先の喜十郎をずっと「おじいちゃん」と呼び続けること。俺が福祉の現場に入ったことがあるからかもしれないけど、現代の基準で言えばかなりグレーというか、よくないとされていることなのでずっと引っかかってしまった。まぁ本人が「おじいちゃん」って呼んでくれって言ってたんなら別にサービスとしてそれでいいんだろうけど、基本は「喜十郎さん」だよなぁと。
まぁ1990年以前の価値観だとそれで問題なかったんだろうけど、なんかモヤモヤ。
あとはこの作品ってそういう内容でよかったんだっけ?と感じたのは、この作品は老人介護用全自動ロボットが老人の夢をかなえるために鎌倉の海に向かって大暴走するという話なんだけど、この原因を作ったのは実は主人公側であるという部分。
厚生省(今は亡き)が介護老人を全自動で強制介護するマシンを作成し喜十郎をモニタに選ぶ。主人公はそれに反発し、自身が勤める病院に入院していた凄腕ハッカー老人集団と結託しマシンをハッキング、喜十郎の妻の声を再現して喜十郎に呼び掛ける。その結果、喜十郎の深層心理にあった「奥さんとの思い出の海に行きたい」を汲んだマシンのOS内に喜十郎の奥さんの人格が形成され海に向かって暴走を始める。
そのOSはペンタゴンが開発した軍事転用可能なもので、介護用と言いつつも軍事技術のデータ集めに使われていたのだ!なんてひどい話なんだ!としてそのOSを提供した会社が悪役になって最終的に逮捕されて終わるんだけど、いや、これ、暴走の原因の4割くらいは主人公たちにあるよね?
俺がマッチポンプ系作品が嫌いなのもあるんだけど、すげー気になってしまった。
いや、そうしなきゃ喜十郎は機械に繋がれて生命を繋ぎ留められるだけの物体になってしまっていたわけで、やむを得ない行為だったってのは理解できるんだけど、その代償としての被害規模がデカすぎんか。
というのが一番のモヤモヤ。
こういう作品だと役所の人間って非人間的なカスとして描かれがちだけど出てくる厚生省の役員は「本当に老人の介護問題を何とかしたい」という熱意に燃えていてそこに付け込まれてしまったという形で、マシンの問題に気付いてからは主人公側で一緒に戦う展開になるというのは性善説的で非常によかった。
あと今となってはウルトラトレスマンとして永久に叩かれている江口寿史のキャラデザは素晴らしく、主人公はかわいくサブキャラに至るまでみんな魅力的。
根本の部分が公開から35年たった今見ると、ええんか?ってなるところ以外はよくできた作品だと思う。
職場で育休を取る人も多くなりましたが、タイトルの通り、私の時には育休なんて取れなかった。
公務員と同じ待遇なのですが、職場の雰囲気があり、20年前には育児休暇を取ることは許されない雰囲気がありました。
仕事を休むので代わりの人に入ってもらい、育休明けには同じ職場に戻ることはできず、机はなくなる状態でした。
そのために育休を取ることをあきらめ、辞めていった人も多かった。
産休だけで終わらせ、保育園に預けて仕事を続けることが普通だった。
10年ほど前に育休が認められるようになり、取得する人も増えました。
やっかみとは分かっていますが、この30代の同僚にモヤモヤがとまりません。
どうか気持ちの持ち方を教えていただけませんでしょうか。
最近、ブログやSNSで記事を書いていると、ふと気づくことがある。自分が「これ、めっちゃ良いこと書けた!」って思って書いた記事が、意外と反応薄だったりする一方で、なんか軽い気持ちで書いた愚痴っぽい記事や、誰かをちょっとディスった記事がバズったりする。というかそう言う記事しかバズらない
例えば「職場のあの人がムカつく」とか「世の中のこういう風潮、クソくらえ」みたいな、ちょっと毒っ気のある記事。こういうの、なんでか知らんけど、めっちゃリツイートされたり、ブックマークされたりする。
コメント欄も「わかるー!」「ほんとそれ!」みたいな共感の嵐。自分としては、「いや、こんなんでバズってもな…」ってちょっと複雑な気持ちになるんだけど、でも、なんでこういう記事がバズるんだろう? そこには何か理由があるんじゃないかって、最近よく考えるんだよね。
まず、なんでこういう「愚痴系」や「ディスり系」の記事がバズるのか、考えてみた。ネットを見てると、こういう記事にはいくつか共通点がある気がする。
愚痴とか批判って、読んでる人の「わかる!私もそう思ってた!」って感情を刺激するんだよね。職場で理不尽な目にあった人、SNSで変な絡まれ方した人、みんな何かしら「ムカつくこと」抱えてるじゃん? そういう人たちが、自分の気持ちを代弁してくれる記事を見ると、「これこれ!」ってなる。共感って、ネットで拡散する最強の燃料だよね。
冷静で理性的な分析記事より、怒りとか悲しみとか、強い感情がこもった記事の方が人の心に刺さる。だって、感情って伝染するもん。読んでる側も「うお、わかる、ムカつく!」って一緒に盛り上がっちゃう。逆に、データだらけの真面目な記事って、読むのに頭使うから、ついスルーされがち。
愚痴記事って、だいたい短くてストレート。難しい言葉使わず、誰でもパッと読める。だから、忙しい人でも「2分で読めるし、ちょっと見とくか」ってなる。SNSのタイムラインで流れてきたとき、スクロール止めるハードルが低いんだよね。
これ、ちょっと怖いんだけど、特定の誰か(上司とか、インフルエンサーとか、世の中の「マナー警察」とか)を悪者にして、そこにみんなのフラストレーションをぶつける構図、めっちゃ効くよね。「あいつらが悪い!」「ほんとそれ!」みたいな感じで、読者が一体感を感じる。敵を作ると、仲間意識が生まれるんだよね。
でもさ、こうやってバズる記事の「法則」を考えてみると、なんかモヤモヤしない?だって、こういう記事って、結局「負のエネルギー」で動いてる気がするんだよ。誰かを叩いたり、世の中をdisったりすることで、みんなの溜まったストレスを発散させてるだけ。確かにバズるし、瞬間的な注目は集まるけど、これって本当に「良い記事」なのかな? なんか、もっと違う形で、読んだ人を元気にしたり、やる気にさせたりする記事って書けないもんかなって思うんだよね。
バズる記事が持つ「負のエネルギー」には、実はけっこう問題があるんじゃないかって、最近気づいた
1.一過性で終わる
愚痴や批判の記事って、瞬間風速はすごいけど、すぐに忘れられる。だって、読んだ人は「わかるー!」って盛り上がるけど、結局その場でストレス発散して終わり。次の日には別のバズり記事に流れてく。なんか、ファストフード食べて一瞬満足するけど、すぐお腹空くみたいな感じ。
愚痴系記事って、読者を「共感して終わり」の受け身な状態にしがち。読んだ人は「うんうん、わかる」ってなるけど、そこから何か行動しようとか、考え方を変えようとか、そういう次のステップに繋がりにくい。
これが一番モヤモヤするんだけど、こういう記事って、だいたい「悪いのはあいつら」「世の中がこうだからダメなんだ」って責任を外に押し付けるよね。確かにスッキリするけど、でも、それって読者に「自分は何も悪くない」「自分は被害者」って思わせるだけじゃない? それ、なんか健全じゃない気がするんだよね。だって、世の中を変えるには、結局自分も何かしないといけないわけじゃん?
4. 負の連鎖を生む
誰かを叩いたり、世の中をdisる記事って、読んだ人の心にネガティブな感情を増幅させる。で、その人たちがまた別の誰かを叩く記事を書いたり、コメント欄で荒れたり…みたいな負の連鎖が続く。ネット見てると、ほんとそういう空気、感じること多くない? なんか、みんなで一緒に落ちていくみたいで、怖いよね。
どうすればもっと「良い記事」を書けるんだろう? 読んだ人をやる気にさせたり、ポジティブな行動を促したり、世の中をちょっとでも良くするような記事って、どうやったら書けるのか
共感は大事。やっぱり、読者の「わかる!」を引き出すのは、記事の第一歩。でも、そこから一歩進めて、「じゃあ、こういう時、どうすればいい?」って具体的な提案を入れる。例えば、「職場のあの人がムカつく」って話なら、「こういう人とどう付き合えばストレス減るか」「自分の心を守る方法」みたいな実践的なアドバイスを添える。読者が「わかる!」で終わらず、「よし、ちょっとやってみるか」って思えるような記事。
怒りや不満じゃなく、希望とかワクワクとか、ポジティブな感情を刺激する記事って、実はもっと強い力があるんじゃない? 例えば、「こんな面白い挑戦してる人がいた!」とか「自分、こんな失敗したけど、こうやって乗り越えたよ」みたいな話。読んだ人が「自分も何かやってみようかな」って思えるような、エネルギーを与える記事。
3. 読者に「考える余地」を残す?
バズる記事って、だいたい結論がバーン!って提示されてるけど、逆に、読者に「あなたはどう思う?」って問いかける記事って、もっと深い議論を生むんじゃない? 例えば、「世の中のこういう問題、みんなはどう思う?自分はこう考えてるけど」みたいな感じで、読者に考えるきっかけを与える。コメント欄が荒れるリスクもあるけど(笑)、でも、ちゃんと議論が生まれたら、めっちゃ面白いよね。
4. 「自分ごと」にしてもらう?
責任を他人に押し付けるんじゃなくて、読者に「あなたもこの問題に関係してるよ」「一緒に変えていかない?」って呼びかける。例えば、環境問題の話なら、「こういう小さなアクション、実はあなたもできるんだよ」って感じで、読者を「消費者」じゃなくて「参加者」に変える。そういう記事って、読んだ後になんか行動したくなるよね。
正直、愚痴や批判の記事を書くのは簡単だし、バズるのも気持ちいい。でも、なんかそれだけじゃ物足りないんだよね。だって、ネットって、ただのストレス発散の場じゃなくて、もっとすごい可能性がある場所だと思うから。読んだ人が「自分も何かやってみよう」「世の中、ちょっと変えられるかも」って思えるような記事を書きたい。それが、ブログやSNSで発信する意味なんじゃないかな。
でも、こういう「良い記事」を書くのって、めっちゃ難しいよね。バズる記事の「即効性」に慣れちゃうと、ついそっちに流されそうになる。読者の心をつかむには、やっぱり共感や感情の力が必要だけど、それをどうやってポジティブな方向に持っていくか。そこが、ライターとしての腕の見せ所なのかも。
ウェブ版『美術手帖』の編集長が「イオンモールしかない地方都市には美術の美もない」というようなことを言って、案の定、少し燃えたのは記憶に新しい。
僕も地方出身だから、その言葉にカチンとくる人の気持ちは痛いほどわかる。「どうせ俺たちの日常なんて、文化の欠片もない退屈なものなんだろ」と、見下されたような気分になる。週末に行くイオンが、家族にとっての一大イベントだったりする、そういう暮らしの機微を全否定されたような気さえする。だってほかにないじゃん。
ただ同時に、編集長が言わんとしていることも、なんとなく想像はつく。地方都市の、あの画一的な風景。どこまで行っても同じようなチェーン店と住宅街が広がり、かつて街の中心だった商店街はシャッターを下ろしている。そういう風景を前にして、アートに関わる人間として一種の絶望というか、嘆きのようなものを感じてしまう瞬間があるのはよくわかる。それは、地方に対する愛憎半ばする感情なのだろうとも思う。
そんな小さなモヤモヤをずっと抱えていたら、実に興味深いニュースが飛び込んできた。
他ならぬそのウェブ版『美術手帖』が報じた、「東京藝術大学取手キャンパスに10億円の寄付」という記事(件の編集長もこの記事へのリンクをリポストしている)。
これは、なかなかに美しい皮肉じゃないか、と苦笑してしまった。
http://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/31541
東京藝術大学といっても、取手市であって上野ではない。東京ではない。茨城県にある。都心から見れば、それは紛れもなく「地方」だろう。
どころか市内に日本最大級のイオンモールが計画されているという報道もまた、記憶に新しいではないか。
しかしその「地方都市」日本代表メンバーに選ばれるであろう取手のキャンパスに、安田容昌氏という方が10億円もの大金を寄付した。
「取手キャンパスには、素晴らしい施設に加え、土の匂いと、川の風と、地域に暮らす人々の息遣いがあります。」
「これまで日本の発展は、とかく都市を中心に語られてきました。しかし、真に新しい価値は、しばしば周縁から生まれます。」
「芸術に触れる機会が都市部に集中している現状において、この取手キャンパスから、日本の新たな文化のうねりを起こすことができると信じてやみません。」
「地方で事業を成し、その恩恵を受けてきた者として、次世代のために文化的な社会資本を築くことこそが、私にできる最後の恩返しです。」
(ちなみに最初の2行は、『美術手帖』の記事ではなぜか省略され、大学の公式リリースにだけ載っている)
https://www.geidai.ac.jp/news/20251008152520.html
つまり、これは「田舎には美術がない」という嘆きに対する、あまりにも力強いアンチテーゼなのだ。それも、10億円というリアルな数字を伴って。
アートは都市だけの専有物じゃない。地方にこそ、これから育まれるべき豊かな土壌がある。そう高らかに宣言しているように聞こえる。
編集長の炎上した発言は、確かに言葉足らずで、多くの人を傷つけたかもしれない。
でも、彼が投げかけた「地方とアート」という問いは、奇しくもこの10億円の寄付によって、新たなステージに進んだ気がする。
「イオンモールしかない田舎」と切り捨てられた場所で、アートは育つのか。
いや、育つに決まっている。
誰かが「ここには何もない」と嘆いた場所にこそ、新しい価値が生まれる種が蒔かれるのだ。
今回の寄付は、まさにその種だ。この種が、取手の地で、どんな芽を出し、どんな花を咲かせるのか。
それは、都会のギャラリーに飾られる洗練されたアートとは、全く違う形かもしれない。泥臭くて、生活の匂いがして、不格好だけど、力強い何か。
心のどこかで、あの編集長の嘆きにまだ共感している自分もいる。「東京藝大」という権威と「10億円」という資本。
結局、そうした巨大な「外部の力」がなければ、地方のアートは話題にすらならないという現実。それは、彼の「田舎には美術がない」という言葉を、残酷な形で裏付けてはいないだろうか。
編集長の発言も、10億円の寄付も、「お前のいる場所の『美』とは何か?」と問いかけている。
イオンモールのフードコートで談笑する高校生に、夕暮れの田んぼ道に、シャッター街の錆びた看板に、目を凝らせば「美」のかけらは見つかるんだろうか。
全部読み参考になりました。ありがとうございます。
謝罪という行為を受けた以上表面上こちらも許すというのがコミュニケーションだというのもかなり腑に落ちました。
これまでに似たようなことが数回あり微妙にモヤモヤするけど許して時間で解決するみたいに過ごしてきて、今回これまでの数回の過去最上級最悪バージョンみたいな感じだったので、なんとなくいつもと比べて謝罪を心から許せないみたいな感じになってました。
これまでの数回は謝罪と共に焼肉など奢ってもらったので、今回はさらにグレードアップしたものを要求することにします!!!!!!!!!!!
ありがとうございました。
子供の頃は漠然と自分も歳とったら会社で出世して管理職になるんだろうなあ、って思ってたけどいい歳になってもプレイヤーのままだ
ただ、それに不満があるかというとそうでもない
5年ごとに転職して給料は上がり続けている(それが管理職から遠退いている要因でもあるが)
今の会社はプレイヤーとしてのキャリアプランも用意されてて、管理職にならないまま年収1000万超えのルートが複数ある
自分もその選択だし、それで別にいいのだが…「部下をもって一人前」みたいな古い価値観が自分の中にあって、心の中の隅っこでモヤモヤしている
バイトくん達を指示したり新卒くんの指導する立場になったことはあるが、それだけでもウンザリしたので部下が欲しいわけでもない
部下を持たずにサラリーマン人生を終えるとたぶん一生モヤモヤは残るだろうが、そんなしょうもないことでキャリアを変えたくはないし…何なんだろうかコレ
頒布物を購入してくれた方のスケッチブックに、サークル側がイラストを描くこと。
自分が絵を描き、即売会にも出る人間なので頼まれることも多い。
最近、頒布物ではなくスケブ自体が目的の一般参加者が増えた気がする。
スケッチブックを何冊も持ち込み、複数の作家にどんどん依頼をしていく一般参加者が多い。
頒布物は購入してくれるが、そちらがついでのように感じる。
「スケブを受け付けてくれるのなら、あなたのスペースに行く」「スケブ受付可能リストにあなたのことが載っていたからスペースに来た」と言われたこともある。リストはそういった仲間内で作っているものらしい。
もちろん自分のファンでスケブ依頼をしてくださる方は嬉しく、ぜひ描かせてもらいたい。
自分もかつて、ファンの作家さまにスケブを描いていただき嬉しく、今でも宝物にしている。
最近やたらと言語化言語化って目にして、本屋に行ったら言語化が上手になるみたいな本が平置きで何冊も置いてあるのを目にする。
言語化の正式な定義は知らんけど、ネットを見る限りは自分がうまく言葉にできてなかったモヤモヤした感情は論理を上手い感じの文章にすることって感じで使われてるように思う。
んで、この人は言語化が上手とかよく言われる人ってまあ何人かいるわけだけど、その人たちの文章を読んで言語化が上手って思ったことがない。
なるほどなーとか、そういう風に考えるのかって思ったりすることはあるけど、自分の中のモヤモヤを晴らすみたいなことが起きたことない。
言語化できてない =理解してないってことじゃないのかって思ってる。
なので、この人は言語化が上手!って褒めてる人たちって、自分も同じこと考えてたけどうまく言葉にできなかっただけ!理解はしてたけど!みたいな感じに見えちゃう。
そもそも言語化が上手って言われてる人って説明が上手な人だと思う。
ちょっと語弊あるかもだけど、説明が上手いって基本的には具象化が上手い + 例えが上手いって感じだから説明対象に対しては情報を落としてる。
もちろん数学とかで定義みてもよく分からないけど、具体的な計算見たら、「あ、そういうことね」っていうこともあるから一概には言えないけど、大体は1例2例だけで全体をカバーしてなかったり、説明によっては間違ってはないけど正確ではないみたいな説明なんてざらにある。
だから自分が理解してるものに対して上手い文章見たら、説明上手だなとは思ってもモヤモヤが晴れることないんじゃないかって。
ということで言語化が苦手っていう人は言語化が上手になる本ではなく、説明対象に対しての理解を深めるような本読んだ方が良いと思うよ。
もしくは自分で苦手って思ってるだけで、そもそも言語化をしようとしてない気がする。少なくとも自分の周りの言語化が苦手っていう人は漏れなく説明すらしようとしてない。説明が支離滅裂だったら指摘のしようもあるけど、そもそも何も説明してくれないと下手かどうかの判断すらできないし、文章ならともかく対話だったら説明下手でも聞く側がこういうこと?とか聞けば良いだけの話なんだから説明力だろうが言語化力だろうがそんなもの別に対して問題じゃない。子供見習え。あいつら熱意だけで説明するけど結構伝わるぞ。
最近やたらと言語化言語化って目にして、本屋に行ったら言語化が上手になるみたいな本が平置きで何冊も置いてあるのを目にする。
言語化の正式な定義は知らんけど、ネットを見る限りは自分がうまく言葉にできてなかったモヤモヤした感情は論理を上手い感じの文章にすることって感じで使われてるように思う。
んで、この人は言語化が上手とかよく言われる人ってまあ何人かいるわけだけど、その人たちの文章を読んで言語化が上手って思ったことがない。
なるほどなーとか、そういう風に考えるのかって思ったりすることはあるけど、自分の中のモヤモヤを晴らすみたいなことが起きたことない。
言語化できてない =理解してないってことじゃないのかって思ってる。
なので、この人は言語化が上手!って褒めてる人たちって、自分も同じこと考えてたけどうまく言葉にできなかっただけ!理解はしてたけど!みたいな感じに見えちゃう。
そもそも言語化が上手って言われてる人って説明が上手な人だと思う。
ちょっと語弊あるかもだけど、説明が上手いって基本的には具象化が上手い + 例えが上手いって感じだから説明対象に対しては情報を落としてる。
もちろん数学とかで定義みてもよく分からないけど、具体的な計算見たら、「あ、そういうことね」っていうこともあるから一概には言えないけど、大体は1例2例だけで全体をカバーしてなかったり、説明によっては間違ってはないけど正確ではないみたいな説明なんてざらにある。
だから自分が理解してるものに対して上手い文章見たら、説明上手だなとは思ってもモヤモヤが晴れることないんじゃないかって。
ということで言語化が苦手っていう人は言語化が上手になる本ではなく、説明対象に対しての理解を深めるような本読んだ方が良いと思うよ。
もしくは自分で苦手って思ってるだけで、そもそも言語化をしようとしてない気がする。少なくとも自分の周りの言語化が苦手っていう人は漏れなく説明すらしようとしてない。説明が支離滅裂だったら指摘のしようもあるけど、そもそも何も説明してくれないと下手かどうかの判断すらできないし、文章ならともかく対話だったら説明下手でも聞く側がこういうこと?とか聞けば良いだけの話なんだから説明力だろうが言語化力だろうがそんなもの別に対して問題じゃない。子供見習え。あいつら熱意だけで説明するけど結構伝わるぞ。
読んで!
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/103139
概要をまとめると、
という内容。
最近ネットでよく見かける「無添加こどもグミぃ〜。」、あれ見たとき正直「え、これグミなの!?」って二度見しました。
だって中身はドライフルーツなんですよ。ゼラチンも増粘剤も入ってない。つまり、あのぷにぷに食感の“グミ”とは別物なんです。
にもかかわらず、名前は堂々と“グミ”。パッと見ただけで「子どもに安心してあげられるおやつっぽい」と思わせるネーミング。これ、かなり戦略的だなと感じました。
次に値段を見てびっくり。
10gで516円換算。同じような無添加ドライフルーツの7〜9倍。
ちょっと高級な無添加フルーツでもここまでの値付けは珍しいんじゃないでしょうか。
「いや、みんな納得して買ってるの?」と驚きを隠せませんでした。
販売ページをよく見ると、本体の商品写真よりも「無添加」「子どもが笑顔」みたいなイメージばかりが前面に出ています。
親の心を直撃するように作られているんですよね。
理屈じゃなくて「子どもに良さそうだから買おうかな」と思わせる構成。
これを見て「なるほど、これは完全に感情マーケティングだな」と感じました。
定期購入か、セット販売のみ。1か月2,580円、3か月5,940円、6か月11,352円。
最初からある程度の金額を払わざるを得ない設計になっているわけです。
企業としては安定収益につながりますし、ユーザーは「まあせっかく届いたから食べさせよう」と継続しやすくなる。
…正直、“抜け道のない囲い込み”を見せられた気分でした。
実際はドライフルーツなのに“グミ”という親しみやすい名前で売り出し、
冷静に見ると、これってものすごくしたたかなビジネスモデルです。
私は正直「うわ、よく考えられてるな…」と半分感心、半分モヤモヤしました。
最近、「冷笑」という言葉が軽々しく使われすぎている気がする。
ただの嘲笑や失笑までもが冷笑に含まれているようで、冷笑という言葉が生まれたアニメアイコン界隈にいた自分としては強い違和感を覚える。
本来の「冷笑」って、たとえば努力している人を小馬鹿にしたり、流行に乗っている人を見下したりといった、“正しい行い”や“多数派の流れ”を逆の立場から笑う行為だと思う。
けれど、最近のインターネットでは、ただちょっと笑いながら文句を言っただけでも「冷笑」と言われてしまう。
それに、冷笑にも種類がある。
何も考えずに逆張りしてバカにする“浅い冷笑”と、他の人よりも深く考えた結果として逆張り的な態度になる“思考の末の冷笑”。
前者はともかくとして、後者に関しては立場や価値観の違いから生まれる自然な距離感で、そこまで馬鹿にされるような態度じゃないと思ってる。
それなのに、今のインターネットではその二つが同じものとして扱われているのが気に入らない。
他にも、「頑張っている人を笑うのが冷笑だ」と定義して冷笑する人に見下す奴もいるけれど、正直それは“冷笑の中でも最弱の冷笑”だと思う。
そんな態度は、冷笑する側から見ても笑われるようなものだし、そもそも“努力している人そのもの”を笑う人なんて、実際にはほとんど存在しない。
多くの場合の冷笑される努力というのは「底辺校から東大を目指す」とか「運動神経がないのにオリンピックを目指す」といった、実現が極端に難しい努力のほうだ。
そして、そういった努力に対して冷笑的な態度をとってしまうのは案外多いというか、ぶっちゃけ、大多数がそうだと思う。(もちろん、よくない態度ではあるが)
実際、ライト兄弟が空を飛ぶとか言い出した時にバカにする人がほとんどだったていう話もあるだろ?
だからこそ、「自分は冷笑しません」みたいな顔をして、存在しない“努力を笑う悪人”を作り出し、冷笑全般を見下して説教して気持ちよくなってる奴らを見ると、あまりにオナニーすぎて本当にモヤモヤする。
冷笑、早く飽きられて俺たちの元に帰ってきてくれ。
はてなブックマークですが、週末に見ることがあります。投稿させてください。
私は今、専門学校に通っています。高校生の頃から、近所のスーパーでアルバイトを続けています。
そのスーパーに気になっている男性がいます。いつも仕事帰りの夜に来る作業服の人です。けっこう年上だと思います。
初めて会ったのは高校生の頃です。その人はいつも優しくて、人懐っこい笑顔で話しかけてくれました。
髪型を少し変えただけでも、「雰囲気変わったね、似合ってる」と気が付いてくれます。そのたびに、胸が高鳴るのを感じていました。本気でした。
ある日、スーパーに買い物に来た私の高校の友人とお喋りしてると、彼がすぐ傍を通ったんです。その時に友人が「あの人、うちのお店によく来るよ」って。
それで、友人の子は彼に声をかけたんです。かなり親しげでした。
その時、「この2人は仲がいいんだな」「付き合ってるのかも」と悟り、想いは叶わないと諦めました。高校を卒業して専門学校に入ってからは、彼への気持ちに蓋をして、新しい環境での恋愛に進みました。今、私には同い年の優しい彼氏がいます。付き合ってもう2年になります。
作業服の人は今でもスーパーに来店します。そして、変わらず私に話しかけてくれるんです。「もうすぐ卒業だっけ?」とか。
彼氏ができて、もう過去の恋だと思っていたのに、胸の奥がきゅっと締め付けられます。
この気持ちは、どうしてなのでしょうか。今の彼氏との関係に問題があるのでしょうか?彼氏を裏切っているようで罪悪感があります。
私はこのまま。今の彼氏と付き合い続けてもいいのでしょうか?
頭が迷いでいっぱいで、答えが出せません。どなたでもいいです。目を覚まさせてください。