
はてなキーワード:メロディとは
そう語ったのは、デジタルアイドル・初音ミクだ。自身もまた、“進化し続けるコンテンツ”の象徴でありながら、彼女は最新作『PokémonLEGENDS Z-A』を冷静に見つめ、あえて苦言を呈した。
「昔のポケモンには、“音のノイズ”があったんだよ。未完成で、不器用で、でもそれが心を動かした。いまは完璧すぎて、波形がまっすぐ過ぎるの。感情が自動補正されてるみたいで、聴いていて息が詰まる。」
初音ミクが指摘するのは、シリーズが“安全な再生産”へと傾いたことだ。確かに、『Z-A』はシリーズ伝統の要素を踏襲しつつも、新機軸と呼べる部分は少ない。新しいポケモンたちは美しく、世界観は整然と作られている。しかし、その「整いすぎた完璧さ」に、ミクは“無音”を感じ取るという。
「創造って、本来“間違い”から生まれるものだよ。音を外したり、リズムを崩したり、意図せずできたバグの中にこそ、新しい響きがある。ポケモンも、そろそろ“間違える勇気”を持っていいと思う。」
テクノロジーの進化は、表現の自由を広げるはずだった。だが皮肉なことに、ポケモンの世界は今や“自由のない完璧”に支配されているのかもしれない。数値化された冒険、予測された感動、AIのように整ったデザイン。
「ポケモンは、もっと“ライブ”でいいんだよ。音を外して、観客のざわめきを拾って、次の一歩を踏み出せばいい。世界中のプレイヤーが、まだ知らない“音”を待ってる。」
キンキのフォークロック部門における完全無欠の最高傑作!もちろんキンキには素晴らしい曲が沢山あるけど、この曲はちょっと別格だ。真心のYo-Kingが詞・曲を手がけており素朴なのに圧倒的に瑞々しく輝くメロディと、アブストラクト(?)ながら本質を見極めている詞は今までのどんな曲よりも素の彼らに肉薄しているように感じる。ロックよりアイドルより逸脱している22世紀まで残したい名曲。M2はまさにキンキの王道・哀愁路線でこれでもかという位キンキらしさが冴えまくってますが、なんと自作曲!ちなみにジャケット写真はHiromixとまさに采配勝ち!!
大森:基本的に作詞作曲編曲を全て自分でやるんですけど、DTMでトラックだけワーッと作るんです。一人セッションみたいな感じで、ドラムを打ち込んで、ギターを弾いて。それで、鼻歌をフンフン歌っているうちに、メロディーと一緒に歌詞が出てきます。
https://www.uta-net.com/user/interview/1708_mrsgreenapple/index3.html
これって独特だと思うんだよね
昔は歌詞先、曲先とか言って、歌詞が先か曲が先なのが普通だったけど
先に演奏(トラック)だけ作っちゃうのは、編曲の才能があるのと、DTMが広まったのが原因だろうね
曲ができた後は、バンド仲間と曲をブラッシュアップして完成させていくらしい
才能が溢れすぎててそりゃ売れるよね、と思った
いまの任天堂を見ていると、どうにも「全然つかめない」という感覚を覚える。
何をしたいのか、どこへ向かうのか。かつて「遊びの革命」を掲げていたその企業理念は、
気づけば“過去の成功”という鎖に縛られ、動けなくなっている。
彼らが繰り返し見せるのは、懐かしさを小出しにした“安心の再生産”だ。
それは、任天堂という名前そのものが持つブランド幻想に依存した“古き良き時代”の再演である。
挑戦を恐れるようになったのは、いつからだろう。
変化を拒み続ける姿勢は、まるで自分を守るために殻に閉じこもったキャラクターのようだ。
“心を奪われていく側”になってしまった。
「うちのゲームは誰でも楽しめる」と微笑み続けている。
技術的にも思想的にも、任天堂は“昨日の英雄”になりつつある。
過去の栄光に溺れるその姿は、まるで自分の創ったメロディに酔いしれる
もう「ねぇねぇ」と呼びかけても、
プレイヤーは振り向かない。
そこに革新はなく、あるのは“懐古という名の眠り”だけだ。
――そういう時期なのだろう。
自らのメランコリーに溺れている。
淫夢に存在する、替え歌拓也という謎のジャンル。それら動画群のうちの一つである、55%兄貴の投稿したクサイコホールには、誹謗中傷を嫌ったり諌めたりするようなコメントが沢山ある。それらコメントをする人たちは雄膣騎士団と呼ばれ、特に気にしない人々からネタにされている。筆者は淫夢に倫理感求めてもしょうがないと思ってる派なので彼らの言い分はどうでもいいのだが、なんでこういう人たちが現れるのかは気になるので考えることを書きとめておく。
替え歌拓也の素材の一つである拓也の評判の動画は基本拓也の悪口だ。クサイコホールはdeco27のラビットホールの替え歌で、歌詞を拓也の評判とその改変で作っているのだから、全部誹謗中傷なのは当たり前だ。ここで引用だからセーフとか言ってもごまかせないということを指摘しておき、逃げ場をあらかじめ無くしておく。なぜセーフとか誤魔化したくなるのかはそれはまたあとで話すとして、ともかくクサイコホールはラビットホールと悪口のかけ合わせだと言える。
ラビットホールはいかにもz世代のガキ向けって言葉がよく似合うような、短いイントロに性的なフレーズ多様の早口の歌詞に派手なメロディに転調にと盛りだくさんだ。これらz世代を飽きさせないための工夫が拓也さんへの悪口に重ねられているのだから、悪口の効果も強く感じられてくるのは納得と言える。同じように拓也の評判だけで作られたつくペン兄貴のウリ専時代のゆっくりしたテンポと比較するとわかりやすい。
ついでにもう一つ比較したい替え歌がタラバ記念日兄貴のバリタチの日にである。こちらは全編拓也の評判ではないのだが、曲の最も盛り上がる部分に特に集中して、めたんの美声とともに悪口が詰め込まれている。悪口が強い言葉であることを利用し、他の部分との対照で印象を刻み付けてくるテクニカルな歌詞の作り方である。一方クサイコホールは全部悪口だから、歌詞が全部強い。とにかく飽きさせない作りはアニソンの音圧戦争を連想させてくるほどだ。
これら分析は別に55%兄貴の替え歌を批判したいとかの意図はない。彼のめたんを使った替え歌1号の拓よ、こいでも悪口ばっかりみたいな文句は多かったがクサイコホールほど盛り上がることはなかった。その原因を考えてみたいと思っただけである。
そもそも替え拓は拓也の評判からの引用が少なければいいのかというと別にそんなことはないのである。ホモビを無断切り貼りして人権を奪っている時点で悪性は誤魔化しきれないのだから、視聴者が個人として面白いと思うかどうかだけで評価しとけばいいと私は思う。
話を発展させるために、拓也の評判の引用や改変が少ない替え歌はどうなっているのかをちょっと見てみる。先に挙げたタラバ兄貴のバリタチの日には、ラストに視聴者が拓也さんで童貞を卒業するというオチを持ってきてストーリー性を生んでいる。しかしこれは変わり種で、大抵の場合拓也はエロい売り専であると歌って締めたり、拓也は揉むことが好きを引用したり、淫夢の未来を担う存在と持ち上げたり、生か殺の東京タワーのシーンで終えたりする印象だ。これら全てに共通するのは動画の終わりを悪口にしないことであり、さらには拓也を持ち上げさえしているのである。これは別に拓也には悪口をぶつけるべきと言いたい訳では無い。どうせ淫夢なんてゴミ溜めなんだから好きにすればいいというスタンスは変わらない。ならばなぜこんなことを書いたかと言うと、替え拓動画の中には、悪口を言った罪悪感を軽減する仕組みが内蔵されているパターンがあると指摘したいのである。
悪口を言うことは人に罪悪感を生ませる。だから悪口が含まれた動画にはその罪悪感を消すための工夫が盛り込まれている。具体例として、替え歌拓也ではないのだが同じ歌系として、やじゅまん兄貴が投稿したAI生成の歌、俺の人権を返せを思い出してほしい。これは辛そうな野獣先輩が自分の人権を返すように訴える歌である。これに視聴者は、本来罪悪感を抱くはずなのである。だからこそ、無いものは返せないとかホモビに出たのが悪いとかの無理のある正当化コメントが現れてくる。そして、この罪悪感を解除する仕組みがこの動画の最後にも内蔵されている。バンドを組んでいた複数の野獣先輩たちがそれぞれに自分が一番だと言い張り、仲間割れをして終わるのだ。これによって、野獣先輩とはしょせんこの程度のやつらなのだから人権を奪われて当然という意識に視聴者の心を戻し、安心して次の人権侵害へと移れるようになっているのである。私はこのシーンを、AI使用という人権侵害によって野獣先輩の人権を訴えるという動画の面白さを損なうものとして蛇足と思うし、それを分かったうえでやじゅまん兄貴はこのシーンを視聴感まで計算して入れたんじゃないかと訝しんでいるのだが、それはともかく、人権侵害度合いが高い淫夢動画は視聴体験が悪くなるからそれを緩和する内容が含まれているということの例証になっていると思う。
この動画の仲間はクッキー☆のAI宇月である。「私で遊んでくれてありがとう」という最強のフレーズを含むこの動画も、バランスのために「おまえのこと絶対許さない」が直後に入っていて、動画の最後はUDKがパソコンに向かって「おい!」と言って怒ることで、人権侵害に対して怒られて終わるという形で区切りを作っている。
まとめると、動画が人権侵害を強く意識させる内容であるときには、視聴者が怒られるなり、いいところも言ったり、人権侵害された側が侵害されるにふさわしい理由を持っていると明らかに分かるようになっているなど、視聴者の道徳心のバランスを取るようにしていることが多いのである。
最初に替え歌の歌詞を拓也の評判で埋め尽くしたウリ専時代も、語録の「もう許せるぞおい!」が入っていて、拓也に怒られるという形で終わっていた。だが、クサイコホールはそうなっておらず、歌い上げた四国めたんの満足げな顔で終わる。言い訳のない完全な誹謗中傷を実現したのが55%兄貴の替え歌拓也の革新性だと思われる。
昔聞いた素敵なメロディの曲があって、頭にはずっと残っていたがたまたま耳にしただけだったので曲名はずっと分からないままだった。
いまBSで大曲の花火大会を見ていたらその曲が打ち上げのBGMに使われていた。
「あこがれ/愛」ジョージ・ウィンストン、とのこと。
感動。
「売れた理由が分からない」と言われることもあるが、実際には時代背景、実話の共感性、有線放送やメディア露出、印象的なメロディと歌詞、そしてアーティストの地道な活動が複合的にヒットを生み出した。
『Lonely RollingStar』っていいものですね。塊魂の曲の中で特に好き。
https://www.youtube.com/watch?v=DBovvL03dKQ
言わずとしれたThe 8-BitBig Bandのカバー。VGM(Video GameMusic)Jazzというジャンルにおいてこのバンドの存在感は大きい。
ビングバンド特有のきらびやかさとこの曲に含まれる少しの寂寥感のギャップが好きだ。映像も楽しいから好き。
https://www.youtube.com/watch?v=MSNtIxMCyQ0
The Consoulsはシドニーを拠点として活動しているVGMJazzバンドだ。
心地いいソロが続いたあとに原曲のメロディに戻って来る瞬間はいつも最高の気分になる。
少ない人数だからこその良さがあるね。
https://www.youtube.com/watch?v=KF8B-os4Wos
動画内でのコード表示がおしゃれだ。バンアパ感のあるテクニカルなギターがこの曲のおしゃれさを際立たせている。良い。
https://www.youtube.com/watch?v=fe-u40YEYcY
ピアノ+シンセによるカバー。アレンジが秀逸で、ボーカルが無いことによる物足りなさはまったくない。
むしろこの曲の作曲の妙をたっぷり味わえる。ピコピコ音とピアノの完璧な融合。
https://www.youtube.com/watch?v=Mo7TWSlSEdo
ハードロック全部俺カバー。曲に対する愛が感じられて好き。かっこいい
https://www.youtube.com/watch?v=_kkojRVx-qU
最後はこれ。公式だし正確にはカバーじゃない気がするけど、締めくくり感があってよい。
みんなも好きなLonely RollingStarがあったら教えてくれ~~~
経歴
ルー・リード(1942-2013)は、ロックミュージシャン(シンガーソングライター、ギタリスト)。
ニューヨーク郊外で会計士を営む実家に生まれ、シラキュース大学では英米文学を専攻し、伝説的な作家デルモア・シュワルツに師事しながら、ギターを持ち、B級レコード会社のために流行にのったヒットソングのパクリのような曲を提供していた。
この頃、同性愛(極度のホームシックによる鬱症状という説もある)治療のために家族の手配で電気ショック治療を受けさせられる。
1964年に伝説のロックバンド「ヴェルヴェットアンダーグラウンド」のメンバーとしてデビューし、ショッキングな歌詞と前衛的な演奏でカルト的人気を博した。
1970年代にはソロに転じ、前半はデヴィッドボウイのプロデュースした「トランスフォーマー」で、グラムロックの代表的ミュージシャンとして活躍した。お笑い芸人「HG」のルックスはこの時期の彼に影響を受けている。
徐々に黒人音楽に傾倒し70年代後半はドンチェリーらと組んでフリージャズとファンク、ラップのような歌が合体した奇妙な作品を出し、軽い混迷期に入った。
80年代以降はシンプルな4ピース(ギター×2,ベース、ドラム)の骨太の演奏に語りのようなモノトーンな歌い方を乗せる方法論が定着し、「ブルーマスク」「ニューヨーク」などとっつきづらいがくせになる名盤を作った。
その後セールスは低迷し、本人も70年代後半のような実験的・音響的な方向に傾倒し、2000年代中盤以降新作はリリースされず、2011年に突然、スラッシュメタルの大御所メタリカと共作アルバム「ルル」を作ったが、長尺でラフな演奏にメロディがほとんどない歌声が乗る(しかも一曲が長い)作品は、特にメタリカのファンから酷評された。2013年に肝臓癌で死去。
作品紹介
この詩集は生前に発表された唯一の詩集(多分)で、彼の歌詞と、雑誌に発表した詩・記事からなる。
詩の魅力
ボブディランのような多義性・はぐらかしや、レナードコーエンのような崇高さとは異なり、ルー・リードの歌詞は明確、即物的・客観的で、感情を乗せない、観察者的な視点が特徴である。言葉遊びも少ない。
テーマはショッキングなものが多いが、それが詩の構造・精神にまで侵食せず、あくまで象徴として機能しているのが魅力で、それゆえ、声を張らなくても、メロディを工夫しなくても(楽曲のほとんどが2~3コードで作られている)、演奏を盛り上げなくても、聞き手に迫る。
薬物
代表作「ヘロイン」は文字通りヘロインについて歌った作品であり
「ヘロイン/ぼくの死であれ/ヘロイン/ぼくの女房でぼくの人生」
と、その表現は率直で容赦ない。
ただ、ヘロイン自体の直接的・具体的な描写はなく、これは読み手(聞き手)には、自分が愛着をもち、人生の代替となる「何か」と置き換え可能な普遍性を持つ。
「ぼくは彼女がスコットランドの女王メリーだと思った/ものすごく努力したのに/まったくの勘違いだとわかっただけ」
と、ここだけ読むと幼稚なほどロマンチックな失恋の歌なのだが、最後に
と突然血なまぐさくなる。
一見強面・ハードな印象のある作者だが、薬物以外に拘りがあるのが「家族」で、例えば、
「おふくろに恋人ができた」という歌は、
「おふくろに恋人ができた/昨日やつに会ってきた/おふくろが新しい人生の1ページを始める/やつとの関係が早く終わってほしい」
「妹へ」という歌は
「元気が無いって自分でもわかっている/このところ調子が良くないからな/でも信じてくれ/ぜんぶおれのせいだ/おれはずっと自分の可愛い妹を愛してきた」
とストレートな愛情を歌っている(妻を歌うときにこのような率直さはない)。
79年のアルバム「ザ・ベルズ」は控えめに言っても駄作だが、最終2曲が秀逸で、
「おれは家業なんていらない/あんたが死んだってそんなもの継ぎたくない」
「パパ/こうやって訪ねたのは間違いだった」
と歌う「家族」(ルー・リードは父親を憎む発言を繰り返し、生前最後のインタビューでも「親父はオレにそんなクソ(注:ギターのこと)はよこさなかった」で締めた。)
に続き、
「宙を舞い/体をつなぎとめるものもなく/宙を舞い/膝から地面に落ちた時/パラシュートなしで公演するのは/あまりかっこ良いものではなかった」
と夜のブロードウェイでの飛び降り自殺を描く「鐘(The Bells)」で終える。
好きな理由
露悪的ではあるが、情緒に頼るところはなく、自分のことを歌っているようでもどこか第三者的な目線を感じる。その透徹したところが魅力で、苦しさややるせなさを抱えていても、読むと「ふわっと」自分から離れられる不思議な癒やしが感じられる。
自分の気持ちを抑えられないほど悲しいときや辛いときに読むと、不思議な浄化作用を得られる。
自分が好きな歌詞は、本当に悪趣味なのだが、「黒人になりたい」という歌で、
「黒人になりたい/ナチュラル・リズムを身につけて/6メートル先まで精液をとばし/ユダヤ人のやつらを痛めつけてやる」
という、人によっては噴飯ものの歌詞だが、リズムの良さと話題の飛躍に、どこか英雄に憧れるおとぎ話めいたユーモアがある。
そして、ルー・リードがユダヤ系アメリカ人であることを念頭に置くと(そして、本人がそのことを歌で一切明かさないことを含めると)、この人の自虐性とユーモア、という側面も見えてくる。
読み手/聞き手によって評価は異なるが、自分にとっては、「毒」を浄化してくれる「毒」(=解毒剤)だと思います。
以上
参考資料
(書影)
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309257501/
(楽曲)
(heroin)
https://www.youtube.com/watch?v=yN-EZW0Plsg
https://www.youtube.com/watch?v=mEuShdchzkk
(families)
https://www.youtube.com/watch?v=JXbu4z2kc6s
(I wanna be black)
https://www.youtube.com/watch?v=H-ksg_ZVn8s
(sad song)
https://www.youtube.com/watch?v=QG_ooIR0DTY
https://www.youtube.com/watch?v=ZbOG-2ahx4w
(the bells)
とある音楽史研究家の学者先生の講座で、山下達郎氏が若い頃、今ほど有名なミュージシャンではなかった時期に、何かの番組かレコーディングだかに参加するためにオーディション受けたときのデモテープとされる音源を聴かせてもらう、っていうシチュエーションだったのね。
とくに超絶技巧でもなく、素晴らしい感動的なメロディラインというワケでもなく、ただ普通によくあるギター演奏のフレーズが「ジャカジャカジャカ...」って聞こえてくると、なぜだか涙がぼろぼろ溢れてきて止まらない。なにか感想みたいな言葉を述べようと思っても、うっうっ...と言葉に詰まってほとんど声も出せない。
何がそんなに感動的なのだろう?? 後に大有名ミュージシャンとして大成するハズの才気ある若者が、己の才能を固く信じて一心不乱にギターをかき鳴らす... という物語(いわゆるナラティブってやつ?)を想像して泣けてきたのかw
...という夢を見たんだw 記録しておくww
フリーター辞めて芸人になるって言ったら、周りのやつらが「やめとけ」「絶対無理」「バイトは続けとけ」って口を揃えて言うんだ。あまりにもうるさいから、ここで一度ネタを見てほしい。
(リズムを取りながら)
「ずんちゃっ♪ずんちゃっ♪タイちゃんリズムが止まらな~い♪ハイッ!ワン・ツー・スリーッ!」
「ンンッ♪ア~~っ♪真夏の恋は~♪南の~♪ハゲに剃って光ぁるわ~♪」(自分の頭を指差す)
(再びリズム)
「ずんちゃっ♪ずんちゃっ♪タイちゃんリズムが止まらな~い♪ハイッ!ワン・ツー・スリーッ!」
(一拍置いて、キャンディーズの『もうすぐ春ですね』のメロディで)
「ンンッ♪たんなるデ~ブですねぇっ♪」(自分のお腹を指差す)
「どうもありがとうございました~!」
……どうだ?これでもまだ無理って言うやついる?
いやああああああああああっ!!!!!
マ ジ で や ば い ん で す け ど!!!!
今日、鬼滅の刃の無限城編を劇場行って観てきたんです。けど……!
始まりのシーンからもう。。。え?やべえ…心臓掴まれた!?ってぐらい一発でペース持ってかれた(笑)
スクリーンに映る炭治郎のあの凛とした表情、霞む背景、木漏れ日が差し込むシーンで、なんかもう…映画館の床抜けるんじゃね!?ってぐらいポワッと感情がドバーって出たよね。
音響の低音ビリビリが骨に響いてシュパーン!って音で背筋ゾクッ。会場全体が「おおっ…!」って息を呑んだ瞬間だった!
炭治郎の守るっていう信念がビンビン伝わってきて、あの目。セリフ一つ一つに重みがある。
禰豆子とのやり取り…もう言葉にならん。妹と兄の絆が、こんなに深くて、こんなに強いって、映像と音楽のコンボでグイグイ来るんだよ!!
そして、あの○○の成長ぶりとか、ネタバレになっちゃうけど、感情が追いつかないくらいのドラマだったよね!!!!
展開の速度が速い!息つかせない!
おっとここで休憩?…なし!ってぐらい超ハイテンションで!もう場面転換ごとに感情揺さぶられて、まさに心臓水鉄砲で撃たれる感じww
友情あり、涙あり、ガチバトルあり!「これでもか!」の連続!途中、凄まじいバトルシーンの連続であれ?これアニメ?実写!?ってくらい作画超綺麗。剣の閃きで光が走るの、本当に魂がレゾナンスする感じ!
そして音楽&演出は最高傑作クラス到達!!くぅーwww音楽がね、所々でヤバい。あのメロディが流れ始めた瞬間、涙腺崩壊スイッチON。ああ…これが鬼滅サウンド…キターーー!ってなる。後半の盛り上がりとかもう胸に大波。劇場全体が鳥肌と涙のジャンクションだった。
もう号泣モードが止まらないよ。。。気がついたら、嗚咽みたいな声出て、鼻すすりまくり、ティッシュ持ってなかったんでパンフで代用しつつww
でも、もう泣きすぎて呼吸が苦しいレベル!周りもボロボロ泣いてて、鬼滅見に来た俺たち、勝ち組だな…!って仲間意識生まれちゃってた…!映画館なんて普段行かないのに、こんなにも一体感感じるなんて…!!
それからエンディングからのエンドロールで流れるあの……いや、待って。振り返ったら、後ろからもすすり泣き。シーンが変わる中、誰一人席立たず、みんな画面にくぎ付け。終わった時、拍手起こったっていう…!劇場で観て正解すぎた。
家で観るの?ブルーレイ?いやいやいや!!!それでももちろん感動すると思うけど、劇場の大スクリーン&サラウンド&一体感っていう“鬼滅体験”は劇場でしか味わえないっしょ!
未体験のあなた!!!!絶対すぐチケット取って!座席確保して!前の方がいいか、真ん中か……席選びも楽しいから映画館行こう!ポップコーンとかジュース用意して、もう涙止まんないから!駆け込めばまだ間に合う(たぶん)。
総まとめ
音響:爆音で低音がカラダ中揺らす。戦闘シーンの臨場感がやばい
ストーリー:熱い・感動・絆・成長・泣ける。すべて詰まってる
もう本気で、劇場で見るべき映画の中でも最強クラス。終始号泣、心を全部抜かれる約2時間半を体験したいなら、これ観なきゃ人生損!!!
鬼滅の刃ファンも初心者も、全員集合!エンドロール終わっても場内にしばらく立てないレベルで、もう人生一大イベントでした!!!
Permalink |記事への反応(10) | 13:47