
はてなキーワード:メス化とは
腐も夢も適性がないのでまったくはまってないが、なんとなくわかるような気持ちにはなりはする程度の人間から質問
これがわからない
受けにメスみがあってもええやん?だめなの?なんでだめなの?
たとえばバリバリ男らしい(?)積極的・攻撃的な性格の男だとしても、「その男の前でだけ」受けとる側になってしまうとかあってもいいんじゃないのと思ってしまうんだが
それに受けのメスみはやおいーBLと続く系譜でもむしろ主流だったんじゃないの?
むしろやおい史の中でメスみのない受けが市民権を得たのは比較的近年の流れじゃないの?
(00年代の研究的本を読むと「やおいは男同士の関係だが受けが女性的に描かれることが多く」とかしょっちゅう見かけたが)
精神的な上位下位の関係性はむしろ男のほうがよくわかる感覚のはずでもある(生物学的にも男は女より上下関係に敏感である)
これはわからないでもない、それに
これもわからないでもない。
ただ、作者じゃない以上、受けだろうが攻めだろうがどっちにしたって「性格は変化させてる」よね?????
ここ数年、非常にはまっている漫画(アニメ化もされたし映画も好調)のおかげでPixivアカウントで二次創作を見るようになった
程度の差はあれ、攻めだろうが受けだろうが全年齢向けだろうが性格は二次創作者の好みに合わせて変化させてるよね?
男キャラを女っぽくさせるほうがギャップが大きいから受け入れられないだけなの?
>メス化を見ると「夢女子が、自分が攻に抱かれたいのために受の性格を捻じ曲げてまで割り込んでくる」性欲強すぎる悪霊かよみたいな悍ましさを感じる。
こういうことなんだろうが、
そもそもやおい論自体、あなたの解釈と違う楽しみ方をしていた人が大勢だったと読んでいるので
その「夢女子がウケの性格を捻じ曲げている」という解釈に固執しすぎな姿勢の問題にも思える
あなたは「好きなキャラ(男)を幸せにしてくれるキャラ(男)はこいつだという感覚が好き」なんだろう
でも自分と他人が違うこともわかってるんだろう(左右の逆で戦争が起きるとか聞くし)
だからこそキャラの性格を変えられることが受け入れられないんだろうが(性格が変わってしまえば好きな男を幸せにしてくれる要素がなくなるしその組み合わせから感じる萌えがなくなる)、
でも好きな男が幸せになるなら相手は「幸せにしてくれるキャラ」であることが重要なのであって、
じゃあ性格が同じままなら女体持ちでもええやん??
あなたは今そこに気が付いちゃったわけだね?
当方ヤマなしオチなし意味なし界隈の古の腐女子で、増田にはまあまあ敵認定されるアレだと思うけどアレ。アレアレのアレ。
夢願望を一切持ってなくて、好きなキャラ(男)を幸せにしてくれるキャラ(男)はこいつだ、というCPの組み方をする。なので自己投影できるかどうかは関係ない。これは夢女子への殺意にも近い「お前らとは違う」という宣言であり、区別が付かない人らはチンコがキノコかタケノコかくらいに思ってくれれば良い。
夢女子と決定的に違う点として、私は受にメスみを求めない。メスがいいなら男女の恋愛ものでやれと心底思う。メス化の最大の欠点は受の性格変化だ。ただでさえ解釈違いに不寛容な自分であるが、メス化を見ると「夢女子が、自分が攻に抱かれたいのために受の性格を捻じ曲げてまで割り込んでくる」性欲強すぎる悪霊かよみたいな悍ましさを感じる。
なのでもう、女体化と聞いた途端に「やおいにそんなもの求めてねえ!」とゲロを吐きながら斧を振り回すメンタルでそっ閉じするくらい嫌いである。
が。
10年くらいこじらせているジャンルで攻が女好きという、まあまあ荊なカップリングにハマってしまった。原作至上主義だと女好きが男と恋人関係とか難易度が高く、色物枠として手を出したら意外に〜、、、みたいな解釈で逃げてはいるものの、10年もすると自分を騙すのも限界になってきた。そんなある日受の方から「あいつの女好きは女の体が好きなだけ、俺の体が女になれば解決」「乳付けるくらい別にいいのでは」と私の心に囁くようになってきた。
待っ
「メスとして可愛がられたり、責められたりする音声を聴きながら乳首やアナル刺激だけで絶頂に至る」というメスイキ嗜好が、かつてはニッチな特殊フェチと見なされていたにもかかわらず、数多くの日本人男性に受け入れられている現象は、以下のような複合要因によって説明される。
-江戸期以前からの春画文化、男色・女形文化による“柔軟な性意識”
-戦後の二次元表現(漫画・アニメ・同人)の独自発展と、ファンタジーで過激表現を可能にするモザイク規制の裏事情
-長時間労働などで疲弊する男性にとって、被受動的立場は強いカタルシス
- 男らしさの呪縛から脱却したい(orそもそも求めない)草食系男子が仮想空間で自由な性を模索
- ASMR、バイノーラル録音、VRなどが「音声や視覚の没入度」を高め、“メス化”没入を容易にした
-DL販売や通販の匿名性が“恥ずかしいフェチ”を気軽に楽しめる環境を整備
-日本固有の「二次元=自由な欲望発散」「現実=建前を重視」の文化が、過激な倒錯表現を大衆に広める土壌を形成
-現実社会でのジェンダー問題解決とは直結しないが、男性の“自己開放”への潜在的欲求を刺激
こうしたマクロ要因が絡み合い、メスイキ嗜好やサキュバス責め・ふたなり支配などがもはや“スタンダード”の一つとなりつつある。その背後には、男性性の固定的あり方が崩れ、男女の役割分担が流動化している現代社会の姿が映し出されていると言えよう。
このような倒錯表現の流行が、男性性からの解放や女性上位のイメージを肯定的に扱っているからといって、直ちに現実の女性の権利向上に結びつくわけではない。むしろ男性中心のファンタジーとして再生産されている面もある。今後、社会的なジェンダー平等とどう折り合いをつけるのかが注目される。
表現の自由を最大限認める風潮と、フェミニズム・児童保護など公的利益を名目とする規制が対立する構図は今後も続く可能性が高い。二次元表現の規制に向かうのか、それとも創作と現実を明確に分離して許容するのか、社会的合意をどう形成するかが問われる。
日本発の「メス化」「ふたなり」などが海外でも一部マニア層に人気を博しているが、文化的差異や言語壁が大きい領域でもある。翻訳やローカライズが進めばさらに市場が拡大するかもしれないが、逆に海外規制や宗教的批判に直面する可能性もある。
男性が「メス」として扱われる性嗜好は、単なる“倒錯”という括りに収まりきらないほど大きな市場と支持層を得ており、そこで語られる「メスイキ」「乳首オナニー」「サキュバス責め」「ふたなり支配」などのキーワードは、現代日本社会のジェンダーと欲望のあり方を色濃く反映している。本来の男性性を脱ぎ捨て、女性的役割を演じて甘やかされたい、支配されたいと願う心理の広がりは、戦後日本が培ってきた“男はかくあるべし”の呪縛や、厳しい労働環境がもたらすストレスを映す鏡でもある。
現時点では、この“メス化”や“被受動的性快感”が社会全体のジェンダー観や性規範を大きく変革するかどうかは未知数である。しかし、男性性の揺らぎや多様化、そして二次元・音声メディアのさらなる発展を考慮すれば、今後もこの流れがより洗練化・拡大していくことは十分に予測される。そこには、単なるエロティックな消費だけでなく、日本人男性の深層に横たわる“自己解放”や“癒やし”の欲求が凝縮されているからこそ、多くのユーザーを惹きつけてやまないのである。
以上、本稿では、現代日本において急速に台頭した「男性のメス化(メスイキ)嗜好」をめぐる諸相を、歴史・社会・文化・メディア技術の多面的視点から検証した。今後の研究・議論を通じて、こうした男性性の再定義やファンタジーの実践が、どのように社会や個人を変えていくのかをさらに注視していく必要があるだろう。
近年、日本国内の一部男性のあいだで、「メスとして可愛がられたり、責められたりする音声を聴きながら、乳首オナニーで“メス”のように喘ぎ、ペニスに触れずに射精する」「サキュバスのペットとして甘サドな責めを受ける」「ふたなり女性にアナルを“オマンコ”として犯されながらエネマグラと乳首刺激だけで連続絶頂を味わう」など、男性側が“女性的役割”を演じて被受動的に快感を得る性表現が大きな注目を集め、数多くの関連コンテンツ(音声作品・同人誌・アダルトゲームなど)がヒットしている。本来はニッチな性的倒錯と思われていたこれらのシチュエーションが、いまや数万人〜数十万人規模の市場を形成し、日常的に消費されるまでに至っているのはなぜか。
本稿では、この現象を「メスイキ」というキーワードを軸に整理し、以下の諸点を検討する。
このアプローチを通じて、単なる「変わった性趣向の流行」で片付けるのではなく、現代日本社会が抱えるジェンダー観やストレス環境、表現文化の特性などを総合的に捉え、ひいてはその社会的・歴史的意義に迫ることを試みる。
「メスイキ」という言葉は元々BL(二次元のボーイズラブ)文脈などで使われ始めた俗称で、男性が女性的な快感を得る状況を指す。一例としては、アナルや乳首など“男性にとってはサブ性感帯”とみなされがちな部位のみで絶頂に至る、いわゆる“ドライオーガズム”や“ノーハンド射精”である。それ自体は医学的にも「前立腺オーガズム」という可能性が示唆されており、必ずしも架空の概念ではない。
しかし、単に身体的な前立腺や乳首への刺激以上に、“女性的役割を演じる”ファンタジーが欠かせない場合が多い。すなわち、「男性であるにもかかわらず、女性のように可愛がられたり、喘いだり、“メス”として扱われる」心理的興奮が「メスイキ」の本質に含まれる。作品中では、下記のような演出が典型的である。
こうした要素が組み合わさることで“男性性からの逸脱”がより鮮明となり、結果的に「普通のオナニーにはもう戻れない」「自分はメスとして淫らにイキたい」といった強度の快楽イメージを打ち出す。
具体的には、以下のような状況が作品やプレイ実例として語られる。
「サキュバスの甘い囁きで毎晩乳首オナニーをさせられ、ペニスは触っちゃダメと言われるまま禁欲→限界に達し“メスイキ”させられる」
「ふたなりの姉さんキャラがアナルを穿つ音声を聴きながら、エネマグラ・両手による乳首刺激だけで連続絶頂に至る」
「サキュバスが襲来し、男性を“メス奴隷”に仕立て上げるシチュエーションで、男性はひたすら甘サドな責めにより何度も射精するが、いずれ自我も奪われてしまう」
「ふたなりキャラを用いた逆アナルもの。男性は自分のアナルを‘オマンコ’として使われ、女のように喘ぎまくる」
かつてであれば「かなり特殊な倒錯」と見られたこうした表現が、音声DLや同人誌マーケットで1万〜数万ダウンロードを記録するヒット作を次々と生み、隠れた大衆的支持を獲得しているという現実は、今日の日本社会におけるジェンダー観・性表現観の変化を如実に示している。
江戸時代の春画には、男女の交合や同性愛、豊満な性描写などが豊富に描かれ、多くの庶民や武士に愛されていた。公序良俗の名目で厳しく取り締まられていた時期もあるものの、実際には十分に流通しており、“性”を愉快に捉える庶民文化が存在していた。
武家社会では年長の武士が若い少年(若衆)を愛する男色の慣習が知られ、文化的にも一定のステータスを備えていた(衆道)。この風習の中で、受け手となる若衆の“女性的役割”が一定の様式として認知されていた可能性がある。また寺院などでも同性間の関係が容認される余地があり、“男性が被受動的立場を担うこと”への抵抗感が、キリスト教文化圏ほど強固でなかったと指摘される。
歌舞伎の女形文化は、男性が女性のしぐさや姿態を美しく表現する芸能として発展した。「男性が女性を演じる」ことは芸術的に認められ、現代の“男の娘”や“女性役を演じる男性キャラ”の系譜と捉えられる面もある。これら江戸以前の文化からも、日本にはもともと「男性=常に支配/攻め」の固定観念が絶対視されず、多様な性表現を“芸能”や“風俗”として許容する土壌があったと推察される。
近代国家形成とともに、西洋の性道徳や刑法の導入により、一定の規制(わいせつ罪)が敷かれた。一方で戦後の復興期にかけてアンダーグラウンドなエロ文化やストリップ、ピンク映画などの分野は逞しく生き延びる。さらに、実写AVに対する“モザイク修正”が長年法制度上定着したことにより、直接的な生殖器描写の回避策として、触手や人外キャラ、ファンタジー設定が豊かに発展する下地を作った。
1970〜80年代以降のアニメ・漫画の隆盛、1980年代〜90年代の同人誌文化の爆発的成長が、二次元における極端な性表現を加速させた。
これらの歴史的・文化的脈絡が集約した結果、「男性がメスとして扱われる」コンテンツがファンタジーの枠内で多彩に展開され、自然と受容されていくという経路が形成されたとみなせる。
日本はOECD諸国の中でも長時間労働やサービス残業が常態化しており、過労死やメンタル不調が問題化している。そうした社会的圧力下で多くの男性が「仕事では常に責任を負わされ、強さを求められる」状態に置かれ、プライベートで“逃げ場”を欲する。被受動的な性的快感は、その逃げ場として大きな魅力をもつ。サキュバスやふたなりキャラの“圧倒的支配”を受けるファンタジーは、日常の疲れを洗い流すカタルシスを提供するのだ。
近年、恋愛や性行為に積極的でない「草食系男子」という現象が頻繁にメディアで取り上げられてきた。こうした男性たちは、そもそも“男性が攻める/リードする”という役割に強いモチベーションを感じていない。草食化は、男性性を誇示しなくてよい新しいライフスタイルを指向する動きとして捉えることができ、メスイキや被受動的性行為をファンタジーとして消費するのは、彼らの価値観と自然に合致する面がある。
逆に、依然として「強くあるべき」「稼ぎ・リーダーシップ」を社会・家庭から強要される男性も多い。その反動として、「せめてプライベートの性の場面くらいは、自分が支配される側になりたい」「女性的立場に没入したい」という欲求が生じるパターンも指摘される。“甘サドな責め”や“徹底的にメス扱いされる”シチュエーションは、過度な責任感から解放される手段として歓迎されやすい。
ここ数年、YouTubeやニコニコ動画を中心にASMRブームが起き、耳かき音や囁き声などの癒し系コンテンツが人気となった。この流れがアダルト方面に波及し、“サキュバス責めASMR”や“乳首オナニー誘導音声”などが同人販売プラットフォームで人気化する現象が起きている。
DLsite等の大手プラットフォームでは、同人音声・漫画・ゲームが簡単に購入でき、購入者はレビューやコメントで感想を共有する。こうしたコミュニティの存在が、「メス化するのは自分だけじゃない」と気づく機会を与え、“暗黙の同志”が多数いることを可視化する。結果として、さらに関連作品を漁るユーザーが増え、新たな作品が生み出されるという好循環が生まれる。
男性が実際にアナル開発を行い、“メスイキ”をリアル体験する人が増え、経験談をネットに投稿→さらに興味を持つ人が増える。
VR空間内で自分視点が女性化キャラになるものや、ふたなり相手にアナル責めされるシミュレーションなど、より没入度の高い次世代コンテンツの登場も指摘される。
メスイキ嗜好が大きく受け入れられている事実は、「男性は常に強く・攻める立場でなければならない」という従来のステレオタイプが揺らいでいることを示唆する。しかし、フィクション上で男性が“メス化”することと、現実社会で男性が女性的立場を尊重したりジェンダー平等を実践したりすることは必ずしも直結しない。
一見、サキュバスやふたなり女性による男性支配は“女性の主導権”を肯定しているようにも見えるが、実際は「男性にとって都合の良い女性上位ファンタジー」だという批判もあり得る。
日本では、歴史的に「創作と現実を分ける」風潮が強く、男性がメス化するような過激な二次元表現が広まっても、現実社会でジェンダー平等が急進するわけではない。この乖離が“自由な表現市場”を守ると同時に、“現実の制度や意識の変革”には直結しないというねじれを生んでいる。
欧米では実写ポルノ規制が緩やかな一方、コミックやアニメに対しては厳しい風潮があったり、宗教的道徳感から「悪魔・淫魔」要素が強く忌避されることもある。一方日本は、モザイク規制や現実の同意年齢の議論など、実写への規制は独特に厳しいが、二次元のファンタジー領域では極めて寛容である。この対照性が「サキュバス責め」「ふたなり」などを日本発で世界に広める要因になっていると見られる。
個別ユーザーの嗜好に合わせ、AIがリアルタイムでサキュバスやふたなりキャラを生成・ボイス指示するような“フルカスタム・メスイキ体験”が一般化するかもしれない。
日本の同人音声やアダルト漫画が海外にも翻訳され、海外ファンを取り込む動きが活発化。文化的差異を越えて受容されるか、あるいはローカルな好事例に留まるか注目される。
フェミニズム団体や保守団体による表現批判、あるいは国際的な法規制強化との軋轢が起こり、これまでのような自由度が維持できなくなる可能性もある。
タイトルに尽きる
鬼滅の炭治郎と無惨と義勇をイメージするのが近い。ジャンルは鬼滅ではない。
自カプはAB。AB固定。BAのイラストは見るけど漫画と小説はノータッチノーサンキューの塩梅。解釈が違うと思うし…
覇権であるCAには及ばないとは思ってたけど、思ったよりもABで創作してる人がめちゃくちゃ少ない。正直もう少しいると思った。PixivにアップされてるAB作品の7割が自分。さみしい。
SNSで検索してても95%ぐらいがBAの萌え話やイラスト。Bが作中最強格のスーパーダーリンをやってるので余計に攻め様扱いが多いんだろう。BA者はそこそこ人口いるからPixivでも毎日とは言わないけど作品がアップされてる。
それはいいんだけど残り5%の数少ないAB者の大半が女装女体化別人化他カプ混在エロ消費でキツい。ワンクッション置いてくれてるので悪いのは文句を言う自分。見なければいいのはわかる。リポストミュートも使えばいいのもわかる。
※別人化→Cが作中の人格になる前にとあるターニングポイントがあり、それを経ていない温和な性格のCをC'と定義。AC'やモブC'のカプがある
※他カプ混在→D(Bに殺された身内)EF(Bの仲間)とBのカプのエロ絵萌えポストをする
馴染めない。
新興ジャンルとカプなので新しい友達ができるかなとSNSでフォローしたのが悪かった。様子見すればよかった。
C'とか元キャラの皮被った別人じゃねえか。誰だよ。
本当にキツい。キツいエロポストをありがたがる人間同士のチキンレースはしんどい。
そもそも主人公受けが圧倒的多数すぎる。どんな漫画でもゲームでも主人公受けが大半だと薄々知ってたけどこんなに差があるとは思わなかった。
主人公攻め派がそもそも二次創作界に少ないから自界隈に馴染めなくても逃げ場がない。フォローしてしまったAB者はミュートに突っ込んで見ないようにしてる。当たり前にモブレの話が流れてくる環境がキツすぎる。ワンクッション置いてるとはいえ赤面トロ顔ムチムチ太もものメス化したBのイラストしか流れてこないのも疲れてきた。
本は出したいしイベントには申し込んだから創作は続けるけど虚しくなってくる。
かっこいいままのABが見たいな…
どうすんだよこれ・・・
http://ame.hacca.jp/sasss/log-be2.cgi?i=858860497
暇空茜「私のティック◯ック、いいねがあんまりつかない…」茜の友人「ちょっとエッチな感じにしたらいいねなんて簡単に稼げるよ!」
岩下和了「ムニャムニャ」暇空茜「このバカ和!早く起きなさいよね!学校に遅刻しちゃうわよ!」岩下和了「んん…茜、おはよう」
迫稔雄「俺にもおちんぽチューチュースキームしてよw」暇空茜「いいよ。一緒にcolaboしよ///」迫稔雄「やったー」
暇空茜とセックスしたい!暇空茜と対面座位で唾液交換しながら挿入したい!毎日暇空茜のことを考えながらオナニーしている!
執事「茜お嬢様、家庭教師の方がお見えになられてます」暇空茜「パパったら、あんなに家庭教師はいらないって言ったのに…」
〈私、暇空茜15歳。今日から高校デビュー☆中学までのポテトだった私とはお別れよ☆〉
【つづき】暇空茜「んんっ…」青識亜論「えろっえろえろ…ぢゅるるる…」暇空茜「亜論、クンニ上手になったね…」
なる「おい!ブス!臭えからあっち行け!」青識亜論「うぅ…(泣)」暇空茜「私、そういうの良くないと思う!」
暇空茜をメス化させたssを書いてスレ立てしとる者だが最初はおちょくってるつもりだったがいつの間にか茜を一人の女として見てる自
俺…茜に…暇空茜に本気だ…。
【つづき】暇空茜「嫌ッ!来ないで!まっきぃさん!助けて!まっきぃさん!」なる「うるせえな。スルメ、手ぇおさえとけ!」
暇空茜「よし、マッチングアプリでパパ活でもしようかな。なになに…ADHD持ちのケンモメン…。ケンモメンってなんだろ?」
暇空茜「亜論、アンフェミのくせに私に触られてびしょびしょに濡れてんじゃんw」青識亜論「そういう茜こそすごく興奮してるじゃん」
堀口英利「おまえが噂になってる転校生のおもしれー女か?」暇空茜「何よ?」堀口英利「なんでも戦争と戦略の天才だとか?」
肝炎ロボ「ナマエハ?」暇空茜「暇空茜です…」肝炎ロボ「ネンレイハ?」暇空茜「…40歳」肝炎ロボ「シュッシンダイガクハ?」
垣鍔晶「茜!茜ぇ!」暇空茜「先生のおちんぽ、気持ちいい!」垣鍔晶「茜、中に射精すぞ!ほら、カルピスだよ!4代目の子を孕め!」
なる「茜のナニカ、まるでバスカフェの車体みたいに綺麗なピンク色だ」暇空茜「安全日だから下のお口で精液チューチュースキームするね」
スルメロック「俺にもおちんぽチューチュースキームしてよw」暇空茜「いいよ。一緒にcolaboしよ///」スルメロック「やったー」
暇空茜「いえーい!なる君、観てるー?今からフェ殺隊のまっきぃさんにおちんぽチューチュースキームしまーす」なる「茜えええ!」
暇空茜「ダサいって言ってごめんね…」なる「じゃあ、今日は茜が“ネコ”だよ」暇空茜「茜を虐めちゃうの?いいよ…。いっぱい虐めて…」
暇空茜「ナザのナニカ、すごく固くなってる」ナザレンコ「いつものあれやってよ」暇空茜「おちんぽチューチュースキーム?いいよ…」
テレビに出過ぎでうざいとかは本人自体ではないものへの叩きはよく見かけるが
大谷個人への嫌悪や憎悪への表明っていうとアンフェ界隈が盛んにやってた印象しかない
https://x.com/iikagenni_siro_/status/1633693442487517186
小山(凍) @iikagenni_siro_
大谷翔平、28歳なのに高校生みたいな顔してて正直キモいと思ってしまう自分がいる。ネオテニーっぽさと言うか。
https://x.com/pannacottaso_v2/status/1633783099481026561
島本 @pannacottaso_v2
大谷は確かに凄いけれど、人間的魅力(薬をやったり、恫喝したり、後輩に威張ったり、虚勢を張ったり、成績が良いと怠けたりする人間的弱さ)が全くと言って良いほど無いですよね。非常に無機質。そしてプロ野球選手自体がそうなってきていて、男性のメス化、中性化を象徴していると。
https://note.com/terrakei07/n/na4181dacf5c5
白饅頭
なにより凄いのは、「日本はおかしい。なぜ連日、トップニュースがWBCなのか?」とメディアへの義憤にかられる女友だちですら、「オータニは好きだけどね」とひとこと言わずにはいられないことだ。ふだん「信用できるオトコなんていない」と、男性への不信を語るフェミ友ですら、恐る恐る「オータニってどう思う?」と聞いてみれば、「いいよね!!!」と顔が明るくなる。もちろんそれは「野球の腕が凄い」ということではなく、「何だか分からないけど、あの人凄い」という称賛である。いったい、これはどういう現象なのだろう。
大谷翔平の凄さとは何なのか……なんてことを考えていたとき、Twitterでトレンドに入っていた言葉に膝を打つような思いになった。
「大谷翔平のただしさと息苦しさ」だ。
思わず声をあげて笑ってしまう。その瞬間にスルスルと理解する。野球に関心などなく、プロ野球は特に苦手で、マッチョな男集団を怖いと感じる女ですら(私です)、オータニへの好意を語らずにはいられない理由について。
そもそも、これはTwitterで、オータニは「高校生みたいでキモい」「ネオテニー(幼形のまま成熟した状態)っぽい」とか、「欠点がない=人間的魅力がない」「無機質だ、男性のメス化だ、中性化だ」など、オータニの光を前にした男たちが「僕はオータニを認めない」というようなことを口にしたためにボコボコにされる様を見た男性ライターの有料noteのタイトルである。
つまり、オータニは一部の男たちにとり「正しく」、それ故に「息苦しい」存在ということのようだ。ライターの意向は他にあるのかもしれないが、Twitterでは思い思いの解釈でバズったのだろう。なかなかの島国的発言、ホモソ(男性中心社会ですね)の日本男子的な正直な感覚に私には見える。そしてそれ故に……オータニの正しさと、その正しさで焼かれている男たちの存在が見えるからこそ、女はオータニに希望と未来を見いだしオータニを語りたがるのかもしれない。
ある種の男性たちは、オータニが「男というだけでは連帯しないタイプの男」であることを繊細に敏感に見抜いているのだ。どこかで目にした記事だが、オータニは男どうしの下ネタに交わろうとせず、女性を性的に嘲笑する仲間をたしなめたことがあるという。そのエピソードが事実かどうかは分からないが、「そういうこと、オータニさんならあるだろうな」と思わせる説得力がオータニにはなぜかある。根拠はないが、なぜか、ある。それが先の男性たちの「オータニが性的な成人男性に思えない」発言につながるのだろう。この場合の「男」とは、間違ったことも、キモいことも、不正義も、男どうしならば……と互いに目をつむり許しあえる、ぬるい男湯で生きられる日本の男ジェンダーのことである。オータニはそのぬるま湯には入ってこない、そもそもそのぬるま湯が嫌なのでは……というのが伝わるからこそ、ある種の男たちはオータニに傷つくのかもしれない。
(略)
そんな世界から自分の心を取り戻すために、今月はオータニが必要だったのかもしれない。ミソジニーでホモソーシャルな空気をまとっていない(ように見える)オータニさんの“正しさ”に、ようやく深い呼吸ができた。男どうしの「な?」が通じそうもない男に、ある種の男たちが感じる不安の正体を知ることもできた。そして、そんな男どうしの「な?」の通じない世界の風通しの良さを私は心から願っていて、その象徴にオータニさんがいたのかもしれない。女虐めを悦楽にする男たちの下卑た笑いをオータニの最強の光で燃やしてくれればいいのにな。
(略)
大学3年で童貞なのはどうなんだと思い、相互(入れるのと入れられるの両方)でニューハーフ風俗に行くことにした
何故普通の風俗じゃないのかというと比較的安いのと完全に合法だから、あと自分がバイ寄りでどっちとも出来そうだったから
予約したあと当日電話したら「待ち合わせ場所についたらそこで電話を折り返すように」と言われたのでその場所に行った
そこから電話の指示に従い部屋に移動すると、どうみても女性にしか見えない人がそこにいた
声もきちんと女性らしい高さだったので相当頑張ったのだと思う、肉付きが結構良かったが自分の好みなので問題なかった
ベッドに腰掛けて少し談笑した後、最初のうちはずっとキスしながら抱き合って互いに愛撫
正直この時点で結構満足感が強かったと思う
音を立てながら舌を絡めているとだんだん興奮してきたので、自然と互いにフェラする流れになった
向こうにされる分には普通に包み込まれるみたいで気持ちよかったけど、きれいに洗ってるからか自分がやる時にはあまり味とかはしない
ただ自分が同性のものを咥えて味わっている状況にはものすごく興奮した(上手いねって言ってくれたし)
大きさは自分と大体同じくらいのサイズで13センチとのことだったが、「小さめサイズ」って言われたときに若干気まずくなった
次に浣腸を終えたあとお尻に指を入れられたんだけど、少し開発してたのと相手が上手かったのもあって指だけで一回イッてしまった
自分でもあのときはちょっと女の子になってくねくねしてたと思う
その後ついに挿入されたんだけど、「これが本当に入っちゃうんだ…」という予感だけで更に思考のメス化が進んでしまってた
正常位だけだとまあ身体が熱くて気持ちいいくらいで絶頂ってほどではなかったんだけど、バックでパチュンパチュン激しく突かれるのはヤバかった
もちろん奥まで入ってくるから物理的な快感自体も上がってるんだけど、腰をガシッと掴まれてオスの欲望を自分のケツに打ち付けられてるという状況込でハアハア言いながら感じまくっちゃうんだよね
最後に自分がイくと同時にダメ押しでゆっくりと力強く突き上げられ、上からずっしりと覆い被さられたときには快感の余韻と多幸感がすごくてもうメスでいいかなと思った
その後相互ということで自分も相手に挿入したんだけど、結構尻穴に入れるのは難しい+締め付けを全然感じないので違和感を持ちながら嘘のピストンをしてた
結局イけなかったので手で出してもらった
多分「向こうがゆるい」か「俺がED」か「俺が深層心理では異性愛者」か「メスの思考からまだ切り替わってなかった」のどれかなんだけど、出来ればEDではないと信じたいんだよな
今後仮に彼女が出来たときにこうなることを想像すると結構不安だし(一応女の子の方が入れやすいよ〜とフォローしてくれた、優しい)
ともあれ、「童貞と処女を同時に卒業する」というかなりレアな実績を得ることには成功した
金がないのでそうそう行けるものでもないが良い体験だったと思う
あと俺ってEDなのかな?