はてなキーワード:ミソジニーとは
「サヨクは意見の違う相手に対してやたら攻撃的で暴力的だよな? だから 『普通の日本人』に嫌われていつまでも少数派で選挙で負け続けてるんだ」
全人類を「サヨク」と「ネトウヨ」の2種に分けるアホな分類をしたとしたら、「サヨク」に分類されるフェミニストの北原みのりさんがネトウヨの決まり文句を言っててびっくりした。
https://dot.asahi.com/articles/-/260626
今回、参政党に傾倒する人々をバカ呼ばわりしたり、女性の支持者に容赦ない罵りの言葉がかけられたりするのを見るが、そういう暴言を平気でぶつける左翼的な人々の暴力性は、もしかしたら、女性たちが既存の野党から離れていった原因なのではないか。
いや、この記事をもって「北原みのりさんが参政党の積極的支持のネトウヨに転向した」なんて言わないよ。
(参政党の)『「男の俺が女を守る』というのもミソジニーの裏返しでしかない」とちゃんと批判的に書いてるしね。
「女性たちよ、参政党に騙されるな。一見、女性の味方の頼れる男のふりをしていても『高齢女は産めないw』、『女は大学行くよりも子供3人育てた方が偉い』などと男尊女卑丸出しの連中が、いざ権力を握った時に女性を大切にするはずがないのだから」
と参政党を厳しく批判して締めると予想して読んでいたのに、そんなこともなく「女性が参政党を支持するのは仕方ないよね」というトーンのまま終わって、また驚いた。
もうどうしてもそうとしか思えなくなったので書きたい。
社会実験なんていう言葉を使ったんだけど、多分30〜40年くらい前のサヨクたちが「子どもたちにミソジニー・ミサンドリーを吹き込んでみた、50年後にどうなっているか見てみたい」みたいなのりのことをやられたんじゃないかって思っている。
男子は女子を忌避するし女子は男子を忌避する、というのがまるで成長の途上に起きる自然なこと、のように言われていたような気もするが、あそこまで仲が悪くなるのははっきりいうと異常だと思う。
今でも思い出すのは一人の女子がある日突然「教室のこのラインからこっちに男子は入るな!」とものすごい剣幕でヒスをおこし、割と多数の女子が賛同したことだとか、多分男子なら一度は経験した「男女で喧嘩になったときに女子が泣いた瞬間に男子が完全悪になる」ということをいま振り返ってみると、我々はミソジニー、ミサンドリーというのをそうとは言われないで徹底的に仕込まれているのではと思ったんだ。
最近になるとぶつかり男みたいなのがいるとか、やたらと女が攻撃されている、という情報ばかりがピックアップされており、ますます男女の分断が激しくなっているんだが、そもそもの種が撒かれていないならここまで深刻になっただろうか。
そんなのはいない、女の被害妄想だ、と言っているのではなく、やたらとピックアップしてイメージを増幅している、プロパガンダだ。
変な話だが(多分動機はミソジニー的なものであろうことに私も同意するが)、「きっとこういう考えでやってきたに違いない!」と決めつけてしまうのは危険だと思っている。例えば「なんかストレス溜まっててむしゃくしゃしていたから、底に弱そうな女性が歩いているのでぶつかって気晴らししようと思ったからぶつかってきた」と決めつける人がいるんだけど、ここで満足してしまえばますます男女間の分断を煽ることに協力することになってしまう。
ここから印象付けられた人たちは、オトコがストレスを溜め込むと女や弱者に攻撃をする、と思うようになるだろう。全員じゃない、そういう人ができるだけ多くなってほしいというだけのことだ。
もうちょっと深く「なんで女性にぶつかることで憂さをはらせると思うのか」ということは誰も着目しないので、結局ぶつかり男が出たら出ただけますますミソジニー・ミサンドリーが深まっていくことになる。ぶつかり男もそのへんに協力している、というのはわかったほうがいいだろう。わかってやっている工作員の可能性もありそうだが。
昔GHQが「1世代でいい」ということを言ったことがある。これは「1世代自分たちに都合のいい世代を作ればあとはそいつらが勝手に広めてくれる、3世代も進めばその国は完全に染まっている」ということだった(某保守系雑誌の書いたことだから真偽は不明と言っておく)。
ではそのミソジニー、ミサンドリーに染められた世代とはどの世代かって言うと、俺は氷河期世代だと思っている。始めたのは戦後世代だ。
氷河期世代には都合よく就職氷河期が起きてくれたから効果は倍増されたと思う。
世代としてはそこから今は2〜3世代は進んでいるので、GHQの言葉通りの世界になっていると思う。
だからどうしろというのか、ということだが、おそらく次に始まるのはミソジニー・ミサンドリーの排除だ。というかもうすでにSNSで始まっている(だからこそ反発も大きいのだと推察する)。
くだらないことではあるが、クソフェミやクソ男をやっつけてスカッとする動画がやたらに増えた。
多分工作はすでに始まっているだろう。
ただその背景がフェミニズムというのはいただけない。あれこそがミソジニー・ミサンドリーを世に撒き散らした諸悪の根源だからだ。
もっと別のものであるべきだと思うが、フェミニズムをあえて思想的背景にすることで今のミソジニー・ミサンドリーに染まった人々を更に不安と怒りに駆り立てているのかもしれない。
改めて大事だから言うが、我々はサヨクに細切れにされた社会で生きている。お互いの間にあるのは憎悪のみだ。
今後もこの傾向は増えていくだろう。SNSがあるおかげでどんどんと極端に人を染めていくことが出来る。
女性の周りをミソジニーでいっぱいにする、男性の周りをミサンドリーでいっぱいにする、若者の周りを年上に対する差別感情でいっぱいにし、年長者の周りを若者に対する差別感情でいっぱいに出来るようになった。
SNSでこんな情報があったと言う話をしてももはや誰とも話が合わない時代になった。TikTokやショート動画が普及したことで、見た情報は二度と見られなくなった。そして残るのは印象だけ、という時代に入った。
だからこそ我々はこれまで以上にリテラシーが求められるようになっているが、個人の手にはもはや余るだろう。個人レベルが様々な思想を知って動画配信者の言っていることがどの思想に基づいているのかを見破れるかなんていうとそんなことはないだろうし、どこか遠くの国で起きたことを恣意的な編集で見せられてもその国の文化的、歴史的背景がわからなければ見破ることはできない。
見た動画の一つ一つを個人が検証できる時代ではないし、いちいちコメントを見ることもしないだろう。
世にある情報の99%は全く裏取りもされておらず、主観的な判断で恣意的な編集がされており、人々に印象さえつければそれでいいから粗雑に乱発される、そんな恐ろしい時代にもうとっくになっている。
結論:血の繋がりこそが全て
いやーー、終わり悪ければ全て悪しの典型みたいな映画だったわ、『国宝』。
最後の最後に出て来たある登場人物のおかげで、それまでの内容が全部吹っ飛んで、映画の印象が最悪になった。
役者の演技や舞台美術、音楽がどんなに素晴らしかろうとも全てが台無し。上等なワインに泥水をぶち込むが如き存在だった。
この映画の主人公はとにかく、歌舞伎役者として成功するに値する血統がない事に苦しめられ続ける。
主人公はヤクザの組長の息子で、家が襲撃されて父が死んだ時に助けてくれた有名歌舞伎役者に引き取られる。
その家には歌舞伎役者の実子として主人公と同い年のボンボンがいた。
そのボンボンは憎めない所もあるもの、稽古をサボっていたり、その割に父が怪我でその代役に抜擢された主人公の演技の素晴らしさに打ちのめされて主人公の彼女と駆け落ちし失踪したりと、とにかく迷惑野郎。
主人公はボンボンの失踪後に師匠の歌舞伎役者を支え、名前を貰うまでになるが、師匠が舞台上で倒れて最期に呼んだのは実の息子の名前。
父の死後にボンボンが帰って来て、主人公から居場所を奪う。主人公はヤクザの生まれである事や舞妓との間に考えを作った事実を週刊誌で報道されて落ちぶれる。
紆余曲折あった末にボンボンとも和解し、そんなボンボンの死から16年。主人公は結婚もせず芸に邁進し、遂には人間国宝に選ばれ、取材を受ける。
主人公を取材する写真家は、主人公が舞妓との間に生ませた実の娘だった。この娘の存在がとにかく最悪。
主人公に恨み言を吐くところで終わっておけばいいものを、舞台の上の主人公を称賛し、人間国宝選出を祝う言葉をかける。それから主人公は舞台に上がり、師匠がかつて得意とした演目を演じる。
結局のところ、歌舞伎役者としての舞台への情熱や演技にかける狂気なんてどうでもよくて、女と交尾して子供を作っておけばいいよというオチでした!!マジでクソだな!
この娘の台詞が主人公を恨むもので終わっていたら、映画の印象は全然違うものになっていただろうに。全てを失い肉親からも恨まれてもそれでも舞台に立つというオチならば、緩急が聞いて素晴らしいオチだった筈だ。本当に勿体無い。
ていうかこの映画、出て来る女性陣が軒並カスなんだよね。実子に後を継がせる事に執着する歌舞伎役者の妻や、主人公を裏切りボンボンと駆け落ちする主人公の彼女、主人公と駆け落ちしたが途中で見捨てる金持ちのお嬢様、2号さんでもいいという安易な考えで婚外子を産む舞妓、そんな母を恨まず父だけを恨む主人公の娘。原作者のミソジニーが強いのか、歌舞伎という題材だと自然とそうなるのか。
・発達利権への切り込み
女でも、ハッタツのメスは股開きだったり、
発達のオスはご存知の通り、日本のネット弱者男性アンフェ言論を牽引しています。
場合によっては年金まで与えて生かしている「発達障害ビジネス」は、
参政党は、既存政党がバッシングを恐れて触れなかったこの問題に、
切り込んでくれる動きがあります。
日本の女性蔑視言論の土壌であるオスの発達障害を生かす医療利権を、
切り崩してくれるかもしれません。
長期的にはミソジニー言論の芽を摘んでくれる政党になる可能性もあります。
女性の権利増進を分断するために投入されたバックラッシュの道具であることは、
ほぼ常識です。
だけど、この生き物たちの権利をきっぱりと否定してくれる政党は、
あるようでなかなかありません。
一見すると、家父長制に女性を取り込もうとしているように見える保守政党は、
実のところ、生物学的女性が性被害の危険なく安心して暮らせる社会を作ることを、
これは私が、直接ある参政の候補者と話す時間を戴いて感じた、偽らざる感情です。
という主張があるが、普通に考えてそれはないだろう。
生活保護の受給率は女性のほうが高いし、そもそも女性のほうが長生きして年金も長期間貰うことになるのに、どう考えれば女性は少子化でも困らないと思えるのか不思議でならない。
65歳まで仕事をするとして、女性の平均寿命87歳。そこから22年間を年金なしで生活できる積立ができるだろうか?
女性の賃金格差は年々解消されてきていて、収入も多くなってきてはいるにしても、大多数の女性は年金なしで老後を過ごすのはかなり難しいと感じる。
年金がゼロになるというのは極端な設定だが、それでも女性のほとんどは福祉に頼らざるを得ない。昨今話題の医療費の自己負担の問題があるなら、なおさら経済的には厳しい位置に立たされることになる。
言っておくが、これは少子化の原因が女性にあるという話ではく、女性は産む機械だとか子を成せという話でもなく、ましてや女性は一人で苦しめというミソジニー的冷笑でもない。
男性向けコンテンツ(たとえば少年漫画、アクション、ゲームなど)にも、女性が「面白い」と感じる要素はたくさんあるし、むしろ共通で楽しめるようになってきてる。
恋愛中心や、いわゆる“夢”や“腐”を前提とした作品ばかりで、自分の嗜好に合わないと感じた女性が「他の場所」に興味を持つのは自然なこと。
昔はオタク文化が分断されてたけど、今はTwitterやPixivのような場で男女入り混じって交流することが増えた。だから女性が男性向けの界隈に出てくる機会も増えた。
男性ファンの中には「ここは自分たち男のための場だ」と無意識に思ってる人もいる。そこに女性ファンが増えると「作品が変わる」「製作側が女に媚びる」と感じて脅威を感じる。
たとえば、BL的な要素を匂わせたり、男性キャラが増えたり、ファンサービスが女性向けに寄ると、「これは俺たちの好きだったものじゃない!」と怒る層が出てくる。
一部の男性は、女性がオタク文化に関わること自体を「にわか」や「騒がしい」「腐らせる」と否定的に見ることがある。これは社会的な性差別の延長線にある。
男性も女性も、「自分たちの好きなものを、自分たちの価値観で楽しみたい」と思ってる。
でもコンテンツは多様な人が見るから、完全に「自分のためだけ」には保てない。そこで葛藤が起きる。
実際、どの界隈でも、閉鎖的な人や排他的な声は目立ちやすい。でも多くの人はそこまで極端じゃない。界隈全体がそういう声に染まらないように、「自分も楽しみながら声を出す」ことが大事だったりする。
女性向けジャンル(乙女ゲーム、BL、夢小説など)はファンの熱量は高いけど、支える母数がそこまで大きくないことが多い。 特に乙女ゲームやBLCDなどは制作コストが高いわりに、ヒットしなければすぐ採算割れしてしまう。
男性向けは「おっぱいとバトル」みたいにテンプレが強くて回しやすいけど、女性向けは「キャラ」「関係性」「世界観」のバランスで支持が分かれやすい。 だから「一発当てても長く続かない」ことが多い。
ゲーム・アニメ業界全体で見ても、依然として男性クリエイターが多く、女性向けコンテンツを「本気で作れる人」が少ない。 「とりあえず逆ハーレムにしとけばええやろ」みたいな浅い設計が多く、ファンの心に刺さらないまま終わる。
SNS時代になって、女性ファンの要求レベルがかなり上がってる。恋愛描写の質、キャラの心理描写、セリフの誠実さ…そういう細かい部分が雑だとすぐ見抜かれる。
実は、女性の多くが恋愛ものだけに興味があるわけではないのに、市場側は「女性向け=恋愛」と決めつけて作ってしまう。
たとえば「女主人公が活躍するバトルもの」とか「シスターフッド(女性同士の絆)を描く話」がもっと増えてもいいのに、供給は少ない。
男キャラがたくさん出てくる少年漫画やソシャゲ系(FGO、原神など)は、二次創作の素材としてもめっちゃおいしい。だから自然と女性ファンも集まる。
女性向けコンテンツは「どう見てほしいか」が作り手側に強く固定されていることが多い。逆に男性向けは自由な見方(BL、夢、ギャグ)が許容されやすい側面もある。
企画が保守的すぎる、作り手が偏っている、想定ターゲット以外にリーチできないなどの要因で、女性向けジャンルが“疲弊”しているのは確か。
一方で、女性ユーザーは減っていないし、潜在需要は大きい。ただ、彼女たちはより面白く、自由なものを求めて別ジャンル(男性向け/中性/二次創作可能なもの)に流れているだけ。
一部(?)で話題のこれ
https://note.com/shioshio38/n/n96e30f7fccfc
だけど、まあせやろなって感想。
いわゆる「弱者男性」界隈の言説はX中心で見てたけど「弱者男性のせいで非モテで辛い」と自虐的に言う人も全体から見て少数だけどいたはいた。ただ、あくまで少数派であって、過激な論故に一時的に注目を集めた人もいたけどそれだけって感じ。
さらに、今のSNSで弱者男性界隈のインフルエンサーとして名前が挙がる、白饅頭氏、小山氏、rei氏などをみても、俺なりに思うところはあるけど、いずれも「「女をあてがえ論」は言ってないしね。
それと、この記事にもあるけど「弱者男性は結局は非モテどもの戯言」と言ってる層はいっぱいいるけど、じゃあ具体的に影響力のある誰々ががその非モテ論言ってるか、その人がいかに影響を与えたかについて、引用を交えつつ語ってた例もほとんどないので「イメージで語ってる」傍証だろうねえという。逆に弱者男性は経済的に困窮しても助けて貰えない、社会で見捨てられてる、という具体的な主張はXでちょっとでも検索すれば山程見つかる(それに賛成するかはさておき)。
結局は弱者男性は非モテと言ってる人たちが外道だったとさ、という話になるんだろうねえ。
※追記。現在では「本来の弱者男性論」を非モテに置き換えられて憤慨してる層が弱者男性インフルエンサー(上記3者)の餌になっててマジでミソジニーに染められている印象がある(こっちはあくまで印象だけどね)。2018年時点で「本来の弱者男性論」を展開できてれば、その層がミソることもなかったんじゃねえかなと思わずにはいられない。