
はてなキーワード:マーティンとは
noteの著者本人が専門家のアカウントに記事をリプライで送りつけまくって無視され続けてる代物が何故か
匿名掲示板や増田ではやたら高評価って、凄く胡散臭い状況だけど大丈夫?
自称「研究家」の中には、大学教員に誰彼なく論文を送り付けて、
無視されると「アカデミズムは閉鎖的だ」とますます意固地になる人も少なからずいます。
しかしそれは「箸にも棒にもかからないから返事をする値打ちもない」という意味だと受け取るべきです。
「研究ごっこ」をきっちり批評しようとすれば、入門書を一冊ものするくらいのエネルギーが必要です。
ちゃんと勉強した人なら言わずもがなのはずの、初歩の初歩からいちいち説明しなければならないからです。
しかもそんな労力を割いても、研究業績として認められるわけでもなく、一銭の儲けにもなりません。
「私にとって真理は貴重である。
私は多数者とともに走って誤るよりは、むしろただ一人でも正しく立っていたい。
ここにのべるような考え方をもつことですでに私は、なかまのいく人かから侮りと軽べつとあざけりをうけてきた。
私は奇妙で、異様で、特異だとみなされている。
しかし真理は真理なのであり、たとえ全世界がそれを拒否し、私に敵対しようとも、それでもなお私は真理に執着するだろう。」
この文章は、ワシントン州フェアフィールドのチャールズ・シルヴェスター・ド・フォートが一九三一年に刊行したパンフレットの序文からとったもので、彼はこのパンフレットで大地が平らなことを証明している。
この記事を「進化学の専門家による」ものだと読み取るリテラシーをみると、
最初の学会発表の時点で著者本人の意見を変えることを諦めたのは正しい判断だったと改めて思います
https://anond.hatelabo.jp/20250804171112
・ブクマカのコメントだけを集計している。増田のトラバは集計していない。ただし、元増田の挙げた10作だけは特別に集計に入れている。
・手作業なので多分、抜けや集計ミスがある。なお、この作業を行うにあたり、ChatGPT君がクソほどの役にも立たなかったという事実は、いくら強調してもしすぎるということはない。
・作品名が書かれていないもの(作者名だけのもの)はカウントしていない。国産小説はカウントしてしない。自分のおすすめを紹介しているわけではないと思われるコメントはカウントしていない。
・これ同じ小説だろ、と思われるもの( 「長いお別れ」と「ロング・グッバイ」みたいなもの)は勝手に統合して集計した。他にもこれとこれ同じ小説だよ、というものが混じっているかもしれないが、知らん。
三体
大聖堂 動物農場 フラニーとゾーイー プロジェクト・ヘイル・メアリー 星を継ぐもの マーダーボット・ダイアリー モモ
IT アメリカの鱒釣り アルジャーノンに花束を 火星の人 存在の耐えられない軽さ タタール人の砂漠 地下室の手記 長いお別れ ニューロマンサー 羊たちの沈黙 日の名残り 指輪物語 幼年期の終わり
異邦人 ウォーターシップダウンのうさぎたち 鏡の中の鏡 悲しみよこんにちは 華麗なるギャツビー 高慢と偏見 氷と炎の歌 シャドー81 城 水源 スローターハウス5 タイムマシン チャンピオンたちの朝食 月と六ペンス 伝奇集 夏への扉 二年間の休暇(十五少年漂流記)ハイ・フィデリティ ハリーポッターと賢者の石 緋色の研究 ファイト・クラブ 不思議の国のアリス ペスト ホワイト・ジャズ 見えない都市 モンテ・クリスト伯 リプレイ わたしを離さないで
24人のビリーミリガン 2666 82年生まれ、キム・ジヨン HHhH V Xの悲劇 Yの悲劇 愛を語るときに我々の語ること 青い湖水に黄色い筏 青い鳥 青犬の目 青白い炎 赤毛のアン 悪童日記 悪霊 あなたの人生の物語 アブサロム、アブサロム! アルケミスト アンドロイドは電気羊の夢を見るか? アンナ・カレーニナ 暗殺者グレイマン 石蹴り遊び 犬の力 荊の城 息吹 イワン・デニーソヴィチの一日 イングリッシュ・ペイシェント インビジブルモンスターズ ウィトゲンシュタインの愛人 ウォーターランド ウォッチャーズ 失われた時を求めて 歌の翼に ウは宇宙船のウ 海を飛ぶ夢 エーミールと探偵たち 越境 エミール エルマーと16匹の竜 エルマーのぼうけん エレンディラ エンジン・サマー 嘔吐 大鴉 オーエン詩集 おとなしい凶器 怪奇クラブ 外套 カエアンの聖衣 カササギ殺人事件 火星のタイムスリップ 風と共に去りぬ カチアートを追跡して カッコウはコンピュータに卵を産む かつては岸 カモメのジョナサン 狩りのとき 完全な真空 期待忘却 君のためなら千回でも キャッチ=22 吸血鬼カーミラ 吸血鬼ドラキュラ 巨匠とマルガリータ 供述によるとペレイラは… 恐怖の谷 キリンヤガ クライム・マシン クラッシュ 暗闇にひと突き 黒い時計の旅 黒の過程 刑務所のリタ・ヘイワース ゲイルズバーグの春を愛す 穢れしものに祝福を ケルベロス第五の首 拳闘士の休息 航路 荒野へ 香水ある人殺しの物語 コーラン 黒檀 ここではないどこかへ 古書の来歴 コンダクト・オブ・ザ・ゲーム さあ、気ちがいになりなさい 最後にして最初の人類 さかしま サバイバー 砂漠の惑星 寒い国から帰ってきたスパイ シークレット・ヒストリー シークレット・レース ジーヴズの事件簿 ジェイン・エア 地獄 死体 シッダールタ 死にゆくものへの祈り 死の鳥 死父 シャドウ・ダイバー 初秋 書写人バートルビー 少年が来る 少年時代 女王陛下のユリシーズ号 シルトの岸辺 審判 真紅の帆 聖書(新訳・旧約) スター・ピット スタンド・バイ・ミー ずっとお城で暮らしてる ストーン・シティ 砂の惑星DUNE すばらしい新世界 素晴らしいアメリカ野球 スラップスティック 清潔で明るい場所 西部戦線異状なし 千夜一夜物語 戦慄のシャドウファイア 前日島 善人はなかなかいない 禅とオートバイ修理技術 喪失 捜神記 族長の秋
そして誰もいなくなった ソラリス ダ・ヴィンチ・コード タイタンの妖女 タイム・シップ 大泥棒ホッツェンプロッツ 第二の銃声 ダウンビロウ・ステーション 脱出航路 頼むから静かにしてくれ 卵をめぐる祖父の戦争 ダレンシャン タンナー兄弟姉妹 血と暴力の国 チョーク
長距離走者の孤独 罪と罰 ティファニーで朝食を デス博士の島その他の物語 鉄の時代 転落 闘争領域の拡大 遠い声、遠い部屋 特性のない男 賭博師 飛ぶ教室 虎よ、虎よ トリフィドの日 ドルジェル伯の舞踏会 どろぼう熊の惑星 『ドン・キホーテ』の著者ピエール・メナール ドン・キホーテ ナイトホークス ナイン・ストーリーズ 渚にて ナルニア国物語 人間の土地 人間の絆 ハイペリオン ハイペリオンの没落 パイド・パイパー 裸のランチ 果てしない物語 バベルの図書館 薔薇の名前 パリは燃えているか パルプ ハワーズエンド ビームしておくれ、ふるさとへ ビギナーズ 日々の泡 秘密の花園 日向が丘の少女 ヒルビリー・エレジー ビロードの悪魔 ファウスト 不安の書 フィーヴァードリーム フーコーの振り子 武器よさらば ふくろうの叫び 二つの心臓の大きな川 二人の世界 舞踏会へ向かう三人の農夫 フライデーあるいは太平洋の冥界 ブライヅヘッドふたたび ブラックアウト ブリキの太鼓 ベルガリアード物語 ボーンコレクター ぼくのプレミア・ライフ ボトムズ 本当の戦争の話をしよう マイクロチップの魔術師 マガーク少年探偵団 マザーレス・ブルックリン マッカンドルー航宙記 マネーボール ミゲル・ストリート ミサゴの森 ミス・ビアンカの冒険 三つ編み 緑の家 ムーン・パレス 夢幻会社 無限の境界 名探偵カッレくん 目隠し運転 眩暈 盲人の国 森の小道 やぎ少年ジャイルズ やし酒飲み 幽霊狩人カーナッキ ユービック 夢の終わりに… 夢みる宝石 ユリシーズ 予告された殺人の記録 夜の果てへの旅 夜の樹 夜の声 楽園への道 ララバイ リヤ王 リリス リンゴ畑のマーティン・ピピン レ・ミゼラブル 冷血 レッドオクトーバーを追え レディ・プレイヤー1 朗読者 ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを 路上 ロビンソンクルーソー 若草物語 鷲は舞い降りた わたしの名は赤 われら闇より天を見る 我はロボット
・国別だとアメリカ文学が多い……ように見える。
・SFが人気。
・ミステリは人気だが、ハードボイルドを挙げる人は少ない。複数票入っているのは「長いお別れ」と「ホワイト・ジャズ」くらいか?
・超メジャーな文学作品を挙げている人が少なかった。世界の十大小説とかサマセット・モームが選んだ世界十大小説なんかに挙げられている作品はほとんど名前が挙がらず。そんな中5票入ってる「カラマーゾフの兄弟」は改めてすごい小説なんだなと思える。
・作者名の照応はしていないし、やる気もないが、ぱっと見だとヴォネガット、ガルシア=マルケス、オーウェル、カズオ・イシグロ、アンディ・ウィアーあたりが多いような気がする。
マーティンに親切で思いやりのある男に会った。
彼が私の人生に来たことに後悔はない。 神は適切なタイミングで彼を送ったと思います。永遠にとどまるのではなく、愛、信頼、受け入れについての貴重な教訓を教えてくれます。
起こる事には理由がある。 結局一緒に終わらなかったけど、彼が私の人生の一部になってくれたことにいつも感謝しています。 彼のおかげで、私は自分のことをもっと知るようになった。
ズルはなかった。 悪いことは何も起こらなかった。私たちは二人とも関係を終わらせることを選んだが、その決定の背後には他の人が知らない物語と痛みがある。 私は彼を心から愛していた、自分には何も残さず。 私は彼を理解し、彼を気遣い、心から彼を愛することを選んだ。私たちが始める前からさえ、私は過去の傷の傷、恐怖、そして私が再び信頼することがどれだけ難しかったかについて彼に話しました。 私は完璧ではないが、忠実に彼を愛していた。 私が与えたすべてのものにもかかわらず、私たちは私の愛がもはや彼の恐れを和らげるのに十分ではないところに到達しました。 彼は自分には十分ではないかもしれないと心配していたが、実際のところ、彼は私には十分以上だった。 私は自分の不安と信頼するために最善を尽くした。 でも時々、私は彼がまだ私を愛しているかどうか尋ねずにはいられなかった。 そこから彼も疲れて傷つき始めた。 私のビザが拒否されたとき、物事はさらに難しくなった。彼は私たちが再び会うことを望みを失った。 その時、私たちの計画がゆっくりと崩れ始めた。 彼はまた、距離、年齢差、判断されることを恐れて、ソーシャルメディアで私たちの関係を公表するのに苦労した。 傷ついたけど、我慢した。 困難な時でも理解することを選んだ。 時が経つにつれて、私たちの関係のダイナミクスは変わった。 彼はもう長いビデオ通話を望まなくなった。 彼は、食べたか、何をしているかといった、いつもの簡単な質問を望んでいませんでした。ゆっくりと、彼は漂っていった。 彼は去り続けた人だった。 でも、彼が何度手放そうとしたとしても、私は彼を愛することを諦めなかった。 私が殉教者だからではなく、それが私が完全に、正直に、そして忠実に愛しているからです。 辛い。 なぜなら、すべてを与えた後でも、私たちの物語は終わったから。 私はこれを誰かを責めるために言っているのではない。 私はこれを尋ねてきた人に説明するために言っています。そして、私の心の重さから少しでも安心できるように。 今、私たちは二人とも別々の道を進むことを選んだ。 この先に何があるかはわからないけど、私が知っているのは、私のすべてと一緒に彼を愛していたということ。 わかってくれる人、ありがとう。 残ってくれた人、ありがとう。 ❤️
日曜の深夜に始まったLAZARUSを見て以来、毎日、何回もBoo RadleysのLazarusを聞いている。正確に言えばYouTubeでバンドのPVを見ている。
COWBOY BEBOPで有名なアニメ作家の新作アニメがLAZARUS(読みはラザロ)で、タイトルはBoo Radleysの30年以上前の曲からの引用でED曲にも使われると知り、急に興味がわいたのが金曜の夕方だったからギリギリ間に合ったのだ。
アニメには本当に疎いので、作品の出来の良しあしはわからないが途中のパルクールシーンの劇伴がかっこよかったので継続しようかなと思えた。
劇伴とOP曲はKamasi Washingtonなので、この監督のファン層であろうサブカルに敏いクラスター的にはそっちに注目してるようだが、僕としてはどうしてもED曲のLazarusのほうに注目してしまう。
EDの動画もYouTubeにアップされ、そこそこ見られてるようだが、本家のBoo RadleysのPVが数か月前に見たときの倍くらいまで再生数を稼ぎ出していて、コメントもこの数日から一か月くらいで新規がついてるのを見るとちょっとうれしくなった。
僕が90年代後半のBrit Popブームの中で、ほぼ唯一好きになりにいったバンドがBoo Radleysだった。
他にも好きだったバンドはいっぱいある。それこそBlur、Oasisの二大巨頭はもちろん来日公演を見に行っていたし、Kula Shaker、Dodgy、The Verve、Radiohead(当時はまだCREEPがヒットしたバンドみたいな扱いだった)、Supergrass、Mansun、Bluetones、etc...個々の曲で好きな曲は山ほどあった。ちょっと遡って、Stone RosesやHappy Mondays(どちらかと言えば好きだったのはBlack Grapeだったが)、James、Soup Dragonsあたりも好きだった。
そうしたバンドはだいたいが、何度か聞いたら普通にファンになっていったのだが、Boo Radleysはちょっと違って、このバンドはよくわからなくても何度も聞いて自分から好きになりにいったバンドだった。
Boo Radleysを知ったきっかけはちょうど30年前の今くらいの時期に吉祥寺のレコファンで聞いたWake UpBoo!だった。そう、Boo Radleysといえば、Wake UpBoo!なのだ。「史上もっとも気分が良くなる曲」に認定されたというあの陽気なホーンのイントロとさわやかなメロディの。
しかし、僕が聞いたWake UpBoo!はちょっと違った。曲が終わったとたん長くダビィなトリップホップのような展開が延々と続くバージョンだった。あとで購入した盤でWake UpBoo!:Music For Astronautsというバージョンだと知った。
とにかく陽気なのに突然薄暗くシリアスな面を見せてくるこのバンドは何かが変だ、これは聞いてみないとと思ってアルバムWAKE UPを買って聞いてみた。CREATIONというレーベルなのでそういうバンドだとは想像していたが思った以上に陽気でメロディアスな曲は多くなく、全体に違和感を感じるくらいに当時のBRIT POPにありがちな軽薄さが全然ない、むしろ、Wake UpBoo!は無理やり作ったんじゃないかと思えるくらいの根の暗さを無理やり押し隠したようなアルバムだった。(実際、Wake UpBoo!は録音時にギターのマーティン・カーの技量的にまだ厳しくて、通しでは弾ききれなかったらしい)
当時は大学生なりたてて、浪人時代を少し引きずっていて鬱屈気味なのに無理やり明るくなろうとしていたこともあったのか、なんとなくこのバンドのことをちゃんと知りたいと思うようになった。当時はまだ大学生の半数くらいが浪人だった時代でマジョリティまでいかなくても同級生の半分くらいは浪人を経験してきているので、そんなにコンプレックスを感じることもなかったのだが、それでも1年間の浪人経験は入学後もしばらく自分の人格に影響を与えていたのは否めない。
そうした自分にとってこのバンドは何か心に刺さるものを届けてくるように思えた。好きなバンドとは言い切れないが、でも何度となく聞き続けてファンになる必要があると思った。そういう意味でこのバンドは最初から好きだったわけではなく好きになりにいったバンドだったと思う。
アルバムのライナーノーツや音楽雑誌の批評を読みながらアルバムを聴いていたが、どの批評でも前作のGiant Stepsと収録曲のLazarusについて触れているのを目にして、それらも聞かないとならないと思い、たまたま大学の近くのディスクユニオンで見つけたGiant Stepsを購入して聞くことができたのはほどなくしてだった。全然わからなかった。正確に言えば、なんで1993年のベストアルバムとしてこのアルバムがあげられるのかわからなかった。当時の自分にいわゆるシューゲイザーバンドへの素養がなかったのもある。マイブラやRideがわからなかったのと同じだと思う。このアルバムを一聴で好きになるにはその素養が必要とされた。でも、何度も何度も聞き続けるうちにものすごく面白いアルバムではないかと思うようになっていた。
そしてLazarusが耳からこびりついてしばらく離れなくなった。突然始まる轟音ギターに重なるトランペットのフレーズの美しさ、メリハリをつけるように静かになった中でほとんど1フレーズのメロディが歌われ、ふたたびサビのようにトランペットが流れる。なぜか今でも思い出すこのころの大学周辺の天気は曇り空なのだが、そこのBGMとしてLazarusはぴったりだった。
まあ、とはいえLazarusやそのほかのBoo Radleysの曲ばかり聞いていたわけでもないし、むしろ他のバンドのほうがいっぱい聞いていたように思うが、なんとなく自分の大学時代の音楽と言われるとBoo Radleysが真っ先に思い出されるし、今でも聞くとちょっと内臓の奥の方がぎゅっとされる感じはある。
そんな僕も大学を卒業して就職し、たまたま出会った女性と結婚して、子供が生まれた。聞いてる音楽はBrit Popからトリップホップを経て、クラブミュージックに移行してロック方面はあまり詳しくなくなるうちにいつの間にかBoo Radleysも解散していた。
息子は僕にはなかった音楽の才能がそれなりにあったようで、ピアノをずっと習いつつ家ではボカロ曲なんかと弾いたりするような子になった。とはいえ、自己顕示欲がはなはだ薄いのでネットにアップするようなことはしなかったが。
そんな息子は高校に入り吹奏楽部に入った。サックスを吹くようになり、そこそこはまった彼は家でもYouTubeでいろいろな演奏動画を見るようになった。僕がクラブ文脈で好きだったロシュフォールの恋人たちのキャラバンの到着や、ルパンのテーマ、Sing Sing Singあたりを好んで聞いてるのはちょっと嬉しかった。息子にあれこれと教えたりもした。そうした中に息子が自分で動画あさりをしていく中で見つけた曲にCOWBOY BEBOPのTank!もあった。僕も聞いてなるほどこれはいい曲だと思った。
ルパン三世、というか、それが参考にしていたラロシフリンやエンニオモリコーネ、アルマンドトロバヨーリといった古き良き探偵、スパイ映画のような素晴らしくスリリングなテーマソング。アニメに熱狂的なファンがいるのもうなづけると思った。
あわせて息子は中学の終わりくらいから深夜のアニメを見始めるようになり、時折、リビングのテレビでも見るようになっていった。特にジャンプラ系のマンガ原作のアニメは僕がジャンプラを読んでることもあり、一緒に見ることが多かった。次第に息子の興味はこてこてのアニソンよりも、米津やKing Gnu、髭dan、ミセスあたりを経由してJ-POP方面になっていった。そして今度は息子の好きな音楽を通じて僕も最近のJ-POPがちょっとわかるようになったし、ちょっと好きになってきた。ちなみに今、息子が一番好きなのはサカナクションだったりする(もちろん、チ。経由)
そうした中でLAZARUSが始まった。息子はあまり体系的にアニメを見る方でもないこともありCOWBOY BEBOPも見ていないので、初回は見たのかわからない。僕はリビングで一人で見ていた。
僕は半信半疑でEDを待っていた。そして、EDが始まった。あの轟音ギターとトランペットがリビングに鳴り響いた。いや響くというほどの音量でもないが。正直、共感性羞恥のようなものが若干発動したが嬉しかった。死体のようになった登場人物を次々に画面に出すまるでワンカットのような映像、あまりにもはまっていた。僕が大学の始まりの年に感じていた微妙な心象風景のような映像だった。自分は生きているのだが周りは生きているのかわからないような。
すごく良かった。この映像がきっかけでBoo RadleysのLazarusが話題を集めたら面白いと思った。
そして、ちょうど大学生になった、つまり僕がBoo Radleysを好きになりに行った時と同じステータスになった息子とLAZARUSを見て感想を言い合いたいと思った。
「ギブアンドテイクがわからない」と思うなら、フェリックス・マーティンの『21世紀の貨幣論』って本を読むといいかも。
本書は、貨幣の歴史やその本質を通じて、信用と負債の関係がどのように社会の基盤を形成しているかを詳しく解説している。
なんでお金の話かっていうと、お金ってただの交換手段じゃなくて、「信用」と「負債」のシステムとも捉えることもできる。つまり、「今はもらう側だけど、後でちゃんと返すよ」という広義の「ギブアンドテイク」の上に成り立っている。
昔の社会では、贈与や貸し借りが経済の基本だったし、現代の銀行システムも結局は「信用」で回ってる。実際お金の歴史をたどると、ギブアンドテイクってただの道徳じゃなくて、社会全体を動かす仕組みだとわかる。
つまり、増田が感じる「過去の行動が次に影響しない」といった独立事象の考えに対し、実は社会全体が「お金」を通じて信用や負債というギブアンドテイクのネットワークの上に成り立っているという視点を提供してくれる本なんよ。
この本を読めば、ギブアンドテイクという概念が単なる「記憶された善意」ではなく、むしろ社会的信用のネットワークとしてどのように働いているのか、そしてそれが増田の感じる「独立事象」とは異なる側面を持つことに気づけるかもしれない。
1.アメリカン・ゴッズ(American Gods)
作者:ニール・ゲイマン
概要:古代の神々が現代の新しい神々と対峙する物語。主人公シャドウ・ムーンは、刑務所から出所直前に妻の死を知らされ、オーディンを名乗る謎の男と出会い、神々の戦いに巻き込まれていきます。
2.アースシーの魔法使い(A Wizard of Earthsea)
概要:魔法学校に通う少年ゲドが、誤って暗黒の力を解き放ってしまい、その結果を修正するための冒険に出る物語。政治やフェミニズムのテーマを背景に、ファンタジーの枠を超えた深い物語が展開されます。
3. ファーシーアの物語(The Farseer Trilogy)
作者:ロビン・ホブ
概要:王子の私生児であるフィッツが、暗殺者として育てられ、六公国を舞台にした冒険と陰謀に巻き込まれる物語。魔法や政治的陰謀、ゾンビの呪いなどが絡み合う壮大なファンタジーです。
4.ジョナサン・ストレンジとミスター・ノレル(Jonathan Strange &Mr Norrell)
作者: スザンナ・クラーク
概要:19世紀のイギリスを舞台に、魔法が復活し、2人の魔法使いがその力を振るう物語。ナポレオン戦争の時代背景を持ち、優雅でウィットに富んだ歴史的ファンタジーとして高く評価されています。
概要: 外宇宙を舞台にした外交的な陰謀と詩的な形式が絡み合う物語。小さな宇宙ステーションの大使であるマヒト・ズマレが、巨大な帝国ティクスカランに赴き、前任者の死の謎を解き明かす過程が描かれます。
注:steamにも1つ前のバージョン4のやつならある。そのうち5もsteamに出てくるはず。フランスのeversimという会社のゲーム。
https://store.steampowered.com/app/2392520/Power__Revolution_2023_Edition/
超面白いのに、日本で知名度なさすぎて、開発終わらないか心配になったので、ここで宣伝してみる。ちなみに、NATOの教材として使われているらしい。確かにリアルだからね。公式の訳が地政学シミュレータなので、そう書いたが、経済シミュレータと言った方が良いかもね。後、Civとの違いは、本当に存在する現代国家を経営できるってところかな。アメリカや日本としてプレイできる。エチオピアやらコンゴ、北朝鮮も、その他殆どの国がプレイ可能。不謹慎かもだけど、ウクライナの戦争だってプレイ開始時点で起こってるから、ウクライナを援助して勝たせることだってできる。最新の5なら、AppleやGoogle、Microsoftやトヨタ、ロッキードマーティン社等の様々な企業もプレイ可能だ。後バグだらけなのは確かだけど、全くゲームにならないほどではないし、大抵はバグの息吹を感じれば回避できるようになるから、そんなに支障はないよ!慣れたら滅多にバグのせいでゲーム続けられなくなったりしない。まあロシアとウクライナの戦争が終わった途端にロシアのGDPが30倍以上になったバグはかなりビビったけど。まあ領土の変更無しの形で終わらせれば回避できたしね。
ちなみに複数国、複数企業同時プレイできるから、ある国で他の自分が操作している国を助ける事もできる。
まあ簡単に言えば、経済シミュレーションにHOIをくっつけて現代版にした感じ。軍事ユニットを指揮して戦争を指導する事もできるよ!まあ戦争関連は特にバグ多いから戦争はおすすめしないけど。でも、HOIをやってて、経済要素があればもっと面白いのに!とか、工場を立てまくる事が好きだった人には絶対ハマると思う。ちなみに第二次世界大戦のゲームでなく、この現代の、2024年を舞台にしたゲームだ!
君はパラドックス社のHOI2をやった事があるか?あるならきっとこのゲームで棍棒外交をするのにハマるだろう。
君はパラドックス社のVictoriaシリーズをやった事があるか?あるならば、きっとこのゲームで国を経済成長させるのにハマるだろう。
君は、現代国家を舞台にしたシミュレーションゲームが中々無いと嘆いた事はあるか?あるならば、きっとこのゲームは君のために作られたものだ。
さて、何故このゲームが素晴らしいのかについて語ってみよう。ちなみにパラドックス社のゲームではない。フランスのeversimという会社のゲームだ。
このゲームの素晴らしさ、それは自由度の高さ、そして経済シミュレーション部分のリアリティだ。
プレイヤーは、現実に存在する国家の首脳となり、その国の行動を操ることができる。
プレイヤーは、例えば、中央銀行の金利を操作することができる。また、所得税、社会保険料、炭素税、環境税、ポルノ税、森林伐採税、etc。。。色んな種類の税金の税率をあげたり下げたりすることができる。(最も、民主主義国家だと、議会の賛成をある必要がある。)また、色んな産業に補助金を出す事も、各省庁の予算を増やして、治安を良くしたり、違法労働を減らしたり、教育に力を入れる事も可能だ。公務員の数を増減させる事だって自由自在である。他国にサイバー攻撃を仕掛ける事も、科学研究にお金を注いで技術的優位に立つ事だってできる。一つのテーマとして、地球温暖化の阻止の要素もあって、火力発電所を減らして原発とか太陽光発電所を建ててCO2排出量を減らせば、支持率が上がったりもする。
そして、ユーザーのアクションは、当然経済に影響を与える。金利を下げれば景気は良くなるし、自国通貨は安くなる。最低賃金を上げれば、失業率が上がるし、輸入額も増える。法人税を下げれば税収は減るが、景気は良くなるし、上げれば悪くなり、失業率も増える。およそ基本的な経済の仕組みはちゃんとシミュレートされている。
そして、バグだらけだが、最新のGeopolitical Simulator5では、何と企業まで操作できるようになった!国家と企業を両方操作できるので、企業として人を雇ったりして景気を良くしつつ、国の福祉を充実させるなんて事もできてしまう。企業は、他の企業の株を買って買収したり、株主にどのくらい利益を還元するか決定したり、工場を作って生産量を増やす事もできる。
このゲームの魅力は、とてもこのスマホでは書ききれないが、一つだけ確かな事は、このゲームは、パラドックス社とかのシミュレーションゲームが好きな人にとっては、確実に買いという事だ。バグだらけなのは残念だが、それを差し引いてもあまりある面白さ!きっとバグも、ユーザーが増えれば解消されるだろう。
経済の勉強にもなるし、最新の5はまだ日本語版がないが、そのうち対応されるはずなので、皆、とりあえず英語版を買ってみてはどうだろうか?多分日本語版も出てくれば無料で日本語版に切り替えられるはず。今までのシリーズはそうだし。
最近最新のGeopolitical Simulator5は、以下のリンクから買えます。バグだらけだが、絶対この最新版を買った方が良い。企業が使えるし。ちなみに、普通に日本から検索してサイトに行くと、langue=enの部分がjaとかになって、まだリリースされていない日本語版へのリンクに行って買えないので、このリンクから進んだ方が良い。アフィとかじゃないよ。
https://www.geo-political-simulator-5.com/buy_selling_point.php?langue=en
2021年1月、はてなブックマークで以下の記事が多少話題になった。
日本語版ウィキペディアで「歴史修正主義」が広がる理由と解決策 - 佐藤由美子の音楽療法日記
佐藤氏が気にかけていたのは、あくまでも日本語版Wikipediaの日本の歴史認識問題についてのみだったようだが、私は当時から、いわゆるホロコーストに関しても、歴史修正主義者のWikipedia上での活発な活動を知っていた。奴らは、ちょこちょこちょこちょこ、関連記事を編集していたのを目撃していた(実際にはネットで知り合った人から教えてもらったw)。その時から、私の奴らとの孤独な戦いが始まった。本当に孤独で、誰か他におらんのか?と思うほどである。
そんな戦いをしているのは私(と他に何人かはいるかもしれんがよく知らない)くらいかもしれないが、とにかく日本語版でのホロコースト否定派に属するであろう歴史修正主義者はWikipediaで暗躍し続けている。
例えば、ニュルンベルク裁判の記事では、「被告に対する暴行や弁護団への不法行為」という項目で、ヴェルナー・マーザーというドイツ人歴史学者による著書『ニュルンベルク裁判ナチス戦犯はいかにして裁かれたか』だけを使って、ニュルンベルク裁判で被告らが暴行・拷問を受けるなど不当な行為が行われたと書かれている。少し調べると、ヴェルナー・マーザーは歴史修正主義者と見做されており、ドイツ語版のWikipediaにあるヴェルナー・マーザーの解説には次のように書かれている。
しかし1977年以降、マーザーは歴史修正主義者に分類されるようになった。特に『ニュルンベルク:勝者の法廷』(1977年)、『言葉の破れ』(1994年)、『ヒトラーとスターリンに関する改竄、虚構、そして真実』(2004年)といった著作のせいである。ヒトラーと国家社会主義に関する彼の全体的なテーゼは、ナチスの研究によって否定された[4]。
残念ながら、マーザーの著述を批判するほどの知見は私にはないので、Wikipediaの記述を修正することは今の所無理だが、同ドイツ語版ページには上の引用の直前にこうも書かれている。
メーザーの文書館での作業、資料や二次文献の知識、同時代の証人や専門家との接触、調査方法は、初期の著作では歴史学的基準を満たしていたため、ナチスの歴史に関するこれまで知られていなかった詳細を文書で発見したことは、研究衝動として認められた。例えば、マーティン・ニッセンは、事実をつなぎ合わせることに関しては、メーザーが多くの専門的な歴史家よりもはるかに優れていると見ていた。
しかし、多くの専門家たちは、彼のこうした事実の扱いを批判した:例えば、カール・ディートリッヒ・ブラッハー、ロバート・G・L・ウェイト、ジークフリート・シュヴァルツは、ナチス時代に関する著書の中で、彼が他の著作からバラバラの詳細を集め、歪曲したやり方でそれらをつなぎ合わせ、本質的な事実とそうでない事実の区別をつけなかったと非難した。
ドイツの歴史研究界隈で物議を醸す歴史家だったことは確かなようではあるが、マーザー自身はホロコーストを否定していないようではあるが、ニュルンベルク裁判で被告に拷問をしていたと記述していた点は、どうも日本人の歴史修正主義者にはかなりのお気に入りのようではある。
そして、「被告に対する暴行や弁護団への不法行為」より下の項目を読んでいくと、もはや修正主義者の独演会になっている。例えば「不起訴になったカティンの森事件」という項目があるが、カティンの森事件は修正主義者・ホロコースト否定派の大のお気に入りで、何故かといえば、ソ連のゴルバチョフ書記長時代に実施された情報公開政策「グラスノスチ」により、カティンの森事件がソ連の犯行であることが、ソ連自身によって文書証拠付きで示され、ソ連がそれまでナチスドイツの仕業だ!と言っていた、そのソ連の主張が嘘であることが確定したからである。
ホロコーストに関しては、ユダヤ人絶滅のほとんどが、ソ連地域や第二次大戦で結果的に終戦まてにソ連が占領した地域で起きたとされていることから、否定派はホロコーストはソ連の捏造だ!と主張してきたので、カティンの森事件がソ連による嘘だと確定したことには大喜びなのだ。つまり、修正主義者たちは「ほらみろ!ソ連は嘘つきだと判明したじゃないか!ホロコーストだってソ連の嘘に違いない」と言いたいのである。
だからこそ、ニュルンベルク裁判の内容にはほとんど関係のない、カティンの森事件についてまで記述されているとしか考えようがない、だいいち記事中に書かれている通り、ニュルンベルク裁判では審議の対象にすらなっていないのだから、ほとんど書くべき内容はないはずである。事実、英語版ウィキペディアのニュルンベルク裁判の記事では、たった一文「西側の検事たちは、審理全体に疑念を投げかけることを恐れてカティンの罪を公に否定することはなかったものの、懐疑的であった[160]」と書いてあるだけで、日本語版のように項目にすらなっていない。
続く項目は、カティンの森事件以上にホロコースト否定派が大好きな「発見されなかったヒトラーのユダヤ人絶滅命令や計画書」だ。ホロコースト否定派はヒトラーのユダヤ人絶滅の命令書は存在しない!というテーゼを抱えて絶対に離さない。個人的には、もしホロコーストが連合国やユダヤ人による捏造なら、それこそヒトラーの命令書が捏造されていないことは、極めて不自然(ペラ一枚捏造するくらい造作もないだろw実際、文書資料として残されているT4作戦のヒトラーの命令書(承認書)は簡素なものだった)だと思うのだけど、ホロコースト否定派はそんなコマケェ話は気にも留めない。命令書が存在していないのだから、ナチスドイツのユダヤ人絶滅など作り話に違いない!、という鬼の首なのである。
しかし、そこには書いてないが(何故それを書かないのかわからないが)、歴史家のほとんどは「ヒトラーによる命令は口頭でなされたのであろう」と考えている。詳しくはここでは書かないが、それなりに間接的な証拠がいくつか存在するからだ。ヒトラー自身が強烈な反ユダヤ主義者だったことを否定する研究者は存在しない。それは修正主義者ですら認めている(アホなネット否定派の中には認めない人もいるが)。ナチ党自身が反ユダヤ主義者の集まりであった。「ユダヤ人を殺す」とする趣旨の記述を持つ当時のドイツ文書は腐るほどあるのである。例えば、リトアニアでユダヤ人を殺しまくっていた親衛隊将校によるイェーガー報告書という文書を読んでみるといい。そこには「ユダヤ人を全員殺したかった」とさえ書いてある(全員はその地域の労働力の保存の意味で殺せなかったから不満を言っているのである)。それら諸々の記録などを調べていたら、ヒトラーの命令がなかったことは非常に考え難いのだ。
ともかく、日本語Wikipediaのニュルンベルク裁判に関する以降の記述項目もほぼ全て、ホロコースト否定派・修正主義者による記述だと断定していいだろう。ニュルンベルク裁判についての解説として、まともなのは記事の前半くらいなのだ。それが、履歴を多少確認する限り、かなり以前から放置されてきたようなのだ。日本人はニュルンベルク裁判などほとんど関心がないからだろうか?
私自身は、このニュルンベルク裁判を大幅に書き換えるほどの知見はまだ持ってない(細かいことなら可能ではあるが…)し、他のホロコースト関連記事で多少活動している程度である。それらの他の記事でも、実際のところホロコースト否定派と思しき奴らの記述は散見されるし、しかも奴らの記述をあまりにも大幅に書き換えたり、あるいは削除したりすると「削除しないでください!」と履歴欄でクレームをくらうことは頻繁だし、最悪な時は編集合戦と認められて、保護状態にされてしまったことすらある。Wikipediaは厄介で、敵対する相手とも共同編集せざるを得ないため、とんでもなく面倒なのである。しかも、ホロコースト否定に対抗する場合、「要出典」とならないように、可能な限り出典を明示するべきなのだけれど、日本語圏では壊滅的にホロコースト文献を得るのは至難の業なのである。どうにかこうにか、若干の日本語文献と、ネット上の文献を駆使してはいるが、とにかく図書館に行っても、適切な文献を見つけることは困難なのである。稀に洋書を見つけることはあるけれど、そもそもすらすらとは読めない…。
ところが、否定派の連中ときたら、平然とその出典部分を修正主義者のサイトから持ってくるのである。有名なのは、歴史修正主義研究会で、こちらには大量の欧米の修正主義者による論文の日本語訳が公開されていて便利なのだ。そして、もう少し知恵の働く修正主義者はこの歴史修正主義研究会のサイトを経由して、欧米の修正主義者サイトにある資料を典拠としたりする。あるいは酷い人になると、どこの誰が作ったのかもよくわからない怪しげな歴史修正主義者のサイトにある記述を出典とする人もいて、Wikipediaのガイドラインなんざガン無視していることすらある。
多分、語圏の広い英語版だと、修正主義者よりはるかにそれに反対する人たちが多いからなのだと思うけど、英語版のホロコースト関連記事ではほぼそんなことにはなってない。英語版で修正主義者の記述を見つけることはほぼ全くないと言っていい。しかし、日本では以上の有様なのだ。私はここ増田で何度も「日本にもホロコースト否定派は多い」と言ってきたと思うのだけれど、それを問題に思う人も少ないのかもしれない。実際、ホロコースト否定の日本のネット上での存在を知って、ホロコースト否定論への反論がほぼ日本語では存在していないことを知ったから、数年前から、主に海外の記事を翻訳してnoteを通じて公開してきた。
勝手に翻訳公開するのは著作権がどうのと言われたこともあるが、人力でAI翻訳しているだけとでも思って欲しい。私の翻訳がしばしばハルシネーションを起こしているのは私が生身のAIである証拠だ(笑)
誰か手伝って欲しいという気持ちは正直なところだし、ここ数年、大量のネット上の海外記事を翻訳し続けてきたし、それら記事に辿り着く人もそこそこ増えてはいるようだし、最近はもういいかなとも思い始めてはいる。結局、多数の賛同を得られないのであれば、それはそれでしょうがないかなという気もしている。ネット上の否定派たちは、私からみる限り、どこからでも湧いてくるように増殖する、ように見える。正直、キリがない。一応趣味でもあるから、完全に辞めることはないとは思うけど、ともかく、どうしてこんなにデマに弱い人が多いのか、よくわからない。
「オマエモナー」と言われるかもしれないが。
イギリスとノルウェーのすべてをレビューすることはできませんが、ロンドン(Lūndonjon / Lūndyn / Lunden)をレビューすることができます。
西暦873年にそこに立っていたであろうものの多くは欠けています。ユービーアイソフトの歴史家は、ウィキペディアからこの地図を参考にしたようだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Map_Londinium_400_AD-en.svg
しかし、その地図には、当時のロンドンの少量の建物が含まれています。このレベルの歴史研究では、ウィキペディアのような一般的な知識サイトは不十分です。
一般:
または、フォーラムの南にあるCandelwicStrætのロンドンストーン(Millarium / Praetoriumゲート)から放射する道路のパターン:
Trajectus Way:Douegæt(川までダウンゲート)からLondonStone(CandelwicStrætのPraetoriumゲート)まで
WæcelingaStræt(Praetorian Way):南東からニューゲートまで
EarningaStraete (Ermyn/Erminestreeta.k.a.オールドノースロード)は、WæcelingaStræt southwarkに同行し、南西からDouegætに入り、Cripplegateまで北上しました
ヴィシナルウェイ(フェンチャーチ通り)TrajectusからAeldgate(旧門)を通ります
フォーラムの東:
フォーラムの西:
クリップルゲート:
ルンデンウィッチ:
ゲームには一般的な「Lundenwic Abbey」が1つあります。9世紀には、ルンデンウィッチには5つまたはおそらく7つの修道院があっただろう。
他のいくつかの観察:
最近、Mr.太陽は眠りに落ち、私が外出しているとすぐに思いとどまりました。約束したのは早すぎると思ったとき、別れを告げなければなりませんでした。とても寂しいです。この国にはあんな雨は降ってほしくないですよね?
あ、岸田ちゃんかもしれない。氏岸田氏は本当に間違っていたのではないかと思うほどだ。太陽はこの国にたくさんの光をもたらすことができる。しかし、8月は雨が多かったです。岸田ベイはそこで休むのかな?いずれにせよ、このままではこの街は氷河期のように寒くなり、ミスター・マーティンと同じくらい寒くなるでしょう。太陽は私たちに光を当てるのをやめた。北海道のシロクマと沖縄のペンギン。同様に、氏が任命された国は世界で 4 か国しかありません。太有と野党の影響?
そうは言っても、太陽さんが再び退く時が来ました。
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