
はてなキーワード:マルチタスクとは
私の世界は、丁寧に、そう、まるで細胞の一つ一つにまで神経を行き届かせるようにして磨き上げられた、半径およそ十メートルほどのガラスの球体であり、その球体の中心には、世界のすべてであり、法であり、そして揺るがぬ神であるところの、生後六ヶ月の息子、光(ひかる)が、ただ健やかな呼吸を繰り返している。その完璧な球体を維持すること、それこそが水無月瑠璃(みなづき るり)、すなわち三十一歳の私に与えられた唯一にして絶対の使命であったから、私は今日もまた、タワーマンション二十八階、陽光が白磁の床にまで染み渡るこのリビングダイニングで、目に見えぬ埃の粒子と、あるいは時間という名の緩慢な侵食者と、孤独な、そして終わりなき闘争を繰り広げているのであった。北欧から取り寄せたというアッシュ材のテーブルの上には、一輪挿しに活けられたベビーブレスの、その小さな白い花弁の影さえもが、計算され尽くした角度で落ちており、空気清浄機は森の朝露にも似た清浄さを、ほとんど聴こえないほどの羽音で吐き出し続け、湿度計のデジタル表示は、小児科医が推奨する理想の数値、六十パーセントを寸分違わず指し示しているのだから、およそこの空間に、瑕疵という概念の入り込む余地など、どこにもありはしなかった。かつて、外資系のコンサルティング会社で、何億という数字が乱れ飛ぶ会議室の冷たい緊張感を、まるで上質なボルドーワインでも嗜むかのように愉しんでいた私自身の面影は、今やこの磨き上げられたガラス窓に映る、授乳のために少し緩んだコットンのワンピースを着た女の、そのどこか現実感を欠いた表情の奥に、陽炎のように揺らめいては消えるばかりであった。
思考は、そう、私の思考と呼んで差し支えるならば、それは常にマルチタスクで稼働する最新鋭のサーバーのように、光の生存に関わる無数のパラメータによって占有され続けている。次の授乳まであと一時間と二十三分、その間に終わらせるべきは、オーガニックコットンでできた彼の肌着の煮沸消毒と、裏ごししたカボチャのペーストを、一食分ずつ小分けにして冷凍する作業であり、それらが完了した暁には、寝室のベビーベッドのシーツに、もしかしたら付着しているかもしれない、私たちの世界の外部から侵入した未知のウイルスを、九十九・九パーセント除菌するというスプレーで浄化せねばならず、ああ、そういえば、昨夜翔太が帰宅時に持ち込んだコートに付着していたであろう、あの忌まわしい杉花粉の飛散経路を予測し、その残滓を、吸引力の変わらないただ一つの掃除機で完全に除去するというミッションも残っていた。これらすべては、愛という、あまりに曖昧で情緒的な言葉で語られるべきものではなく、むしろ、生命維持という厳格なプロジェクトを遂行するための、冷徹なまでのロジスティクスであり、私はそのプロジェクトの、唯一無二のマネージャーであり、同時に、最も忠実な実行部隊でもあった。誰がこの任務を私に課したのか、神か、あるいは生物としての本能か、はたまた「母親」という名の、社会が発明した巧妙な呪縛か、そんな哲学的な問いを発する暇さえ、このシステムは私に与えてはくれなかった。
夫である翔太は、疑いようもなく、善良な市民であり、そして巷間(こうかん)で言うところの「理想の夫」という、ほとんど神話上の生き物に分類されるべき存在であった。彼は激務の合間を縫って定時に帰宅すると、疲れた顔も見せずに「ただいま、瑠璃。光は良い子にしてたかい?」と、その蜂蜜を溶かしたような優しい声で言い、ネクタイを緩めるその手で、しかし真っ先に光の小さな体を抱き上げ、その薔薇色の頬に、まるで聖遺物にでも触れるかのように、そっと己の頬を寄せるのだ。週末になれば、彼はキッチンで腕を振るい、トマトとニンニクの匂いを部屋中に漂わせながら、私や、まだ食べることもできぬ光のために、絶品のペペロンチーノやカルボナーラを作り、その姿は、まるで育児雑誌のグラビアから抜け出してきたかのように、完璧で、模範的で、そして、どこか非現実的ですらあった。誰もが羨むだろう、この絵に描いたような幸福の風景を。友人たちは、私のSNSに投稿される、翔太が光をあやす姿や、手作りの離乳食が並んだテーブルの写真に、「理想の家族!」「素敵な旦那様!」という、判で押したような賞賛のコメントを、まるで祈りの言葉のように書き連ねていく。そう、すべては完璧なのだ。完璧なはずなのだ。このガラスの球体の内部では、愛と平和と秩序が、まるで美しい三重奏を奏でているはずなのだ。
――だというのに。
夜、ようやく光が天使のような寝息を立て始め、この世界のすべてが静寂という名の薄い膜に覆われた頃、ソファで隣に座った翔太が、労わるように、本当に、ただ純粋な愛情と労いだけを込めて、私の肩にそっと手を置く、ただそれだけの、あまりにも些細で、そして無垢な行為が、私の皮膚の表面から、まるで冷たい電流のようにして内側へと侵入し、脊髄を駆け上り、全身の毛穴という毛穴を、一斉に収縮させるのである。ぞわり、と。それは、神聖な祭壇に、土足で踏み込まれたときのような、冒涜的な不快感であった。あるいは、無菌室で培養されている貴重な細胞のシャーレに、誰かが無頓着なため息を吹きかけたときのような、取り返しのつかない汚染への恐怖であった。彼の指が触れた肩の布地が、まるで硫酸でもかけられたかのように、じりじりと灼けるような錯覚さえ覚える。私は息を止め、この身体が、この「水無月瑠璃」という名の、光のための生命維持装置が、彼の接触を、システムに対する重大なエラー、あるいは外部からのハッキング行為として認識し、全身全霊で拒絶反応を示しているのを、ただ呆然と、そして客観的に観察していた。
「疲れてるだろ。いつも、ありがとう」
翔太の声は、変わらず優しい。その瞳の奥には、かつて私が愛してやまなかった、穏やかで、そして少しだけ湿り気を帯びた、雄としての光が揺らめいているのが見える。それは、私を妻として、女として求める光であり、かつては、その光に見つめられるだけで、私の身体の中心が、熟れた果実のようにじゅくりと熱を持ったものだった。だというのに、今の私には、その光が、聖域である保育器を、ぬらりとした舌なめずりをしながら覗き込む、下卑た欲望の眼差しにしか見えないのだ。許せない、という感情が、胃の腑のあたりからせり上がってくる。この、二十四時間三百六十五日、寸分の狂いもなく稼働し続けている精密機械に対して、子を産み、育て、守るという、この宇宙的な使命を帯びた聖母に対して、己の肉欲を、その獣のような本能を、無邪気に、そして無自覚にぶつけてくるこの男の、そのあまりの鈍感さが、許せないのである。
ケダモノ。
その言葉が、私の内で、教会の鐘のように、低く、重く、そして厳かに反響する。そうだ、この男はケダモノなのだ。私がこの清浄な球体の秩序を維持するために、どれほどの精神を、どれほどの時間を、どれほどの自己を犠牲にしているのか、そのことを何一つ理解しようともせず、ただ己の種をばら撒きたいという原始の欲動に突き動かされているだけの、ただのケダモノなのだ。
そんなはずはない、と、脳のどこか、まだかろうじて「かつての私」の残滓が残っている領域が、か細い声で反論を試みる。これは翔太だ、私が愛した男だ。雨の匂いが充満する安ホテルの、軋むベッドの上で、互いの名前を喘ぎ声で呼び合いながら、世界の終わりが来るかのように貪り合った、あの夜の彼なのだ。パリへの出張中、セーヌ川のほとりで、どちらからともなく互いの唇を求め、道行く人々の冷ややかな視線さえもが、私たちのためのスポットライトのように感じられた、あの瞬間の彼なのだ。結婚記念日に、彼が予約してくれたレストランの、そのテーブルの下で、こっそりと私のスカートの中に忍び込んできた、あの悪戯っぽい指の持ち主なのだ。あの頃、私たちは互いの肉体という言語を、まるで母国語のように自在に操り、その対話の中に、世界のどんな哲学者も語り得ないほどの、深遠な真理と歓びを見出していたはずではなかったか。あの燃えるような記憶は、情熱の残骸は、一体どこへ消えてしまったというのだろう。それはまるで、昨夜見た夢の断片のように、あまりにも色鮮やかで、それでいて、掴もうとすると指の間から霧のように消えてしまう、遠い、遠い銀河の光なのである。
「瑠璃…?」
私の沈黙を訝しんだ翔太が、私の顔を覗き込む。私は、まるで能面のような無表情を顔面に貼り付けたまま、ゆっくりと彼の手を、自分の肩から、まるで汚物でも払いのけるかのように、そっと、しかし断固として取り除いた。そして、立ち上がる。
「ごめんなさい。少し、疲れたみたい。光の様子を見てくるわ」
それは、完璧な嘘であり、そして、完璧な真実でもあった。私は疲れていた。だがそれは、育児という名の肉体労働に疲れているのではなかった。私という個人が、水無月瑠璃という一個の人格が、「母親」という名の巨大なシステムに呑み込まれ、その歯車の一つとして摩耗していく、その存在論的な疲弊に、もう耐えられなくなりつつあったのだ。これは、巷で囁かれる「産後クライシス」だとか、「ホルモンバランスの乱れ」だとか、そういった便利な言葉で容易に片付けられてしまうような、表層的な現象ではない。違う、断じて違う。これは、一個の人間が、その魂の主導権を、自らが産み落とした別の生命体に完全に明け渡し、「装置」へと、あるいは「白き機械」へと、静かに、そして不可逆的に変質していく過程で生じる、存在そのものの軋みなのである。
聖母、とはよく言ったものだ。人々は、母という存在を、無償の愛と自己犠牲の象徴として、何の疑いもなく神格化する。だが、その実態はどうか。自己を失い、思考も、肉体も、感情さえもが、すべて「子」という絶対的な存在に奉仕するためだけに再構築された、ただのシステムではないか。私は聖母などではない。私は、高性能な乳製造機であり、汚物処理機であり、そして最適な環境を提供する空調設備が一体となった、ただの生命維持装置に過ぎないのだ。この気づきは、甘美な自己陶酔を許さない、あまりにも冷徹で、そして絶望的な真実であった。そして、この真実を共有できる人間は、この世界のどこにもいやしない。翔太のあの無垢な優しさでさえ、結局は、この優秀な装置が、明日も滞りなく稼働し続けるための、定期的なメンテナンス作業にしか見えないのだから、その孤独は、宇宙空間にたった一人で放り出された飛行士のそれに似て、どこまでも深く、そして底なしであった。友人たちがSNSに投稿する「#育児は大変だけど幸せ」という呪文めいたハッシュタグは、もはや、この巨大なシステムの異常性に気づいてしまった者たちを、再び安らかな眠りへと誘うための、集団的な自己欺瞞の儀式にしか思えなかった。
寝室に入ると、ベビーベッドの中の光は、小さな胸を穏やかに上下させながら、深い眠りの海を漂っていた。その無防備な寝顔は、確かに、この世のどんな芸術品よりも美しく、尊い。この小さな生命を守るためならば、私は喜んで我が身を投げ出すだろう。だが、それは、この身が「私」のものであった頃の話だ。今の私にとって、この感情は、プログラムに組み込まれた命令を遂行しているに過ぎないのではないか。愛でさえもが、システムを円滑に稼働させるための、潤滑油のような機能に成り下がってしまったのではないか。そんな疑念が、毒のように心を蝕んでいく。
私は、息子の傍らを離れ、再びリビングへと戻った。翔太は、ソファの上で、テレビの光をぼんやりと浴びながら、所在なげにスマートフォンをいじっている。その背中は、拒絶された雄の、どうしようもない寂しさを物語っていた。かつての私なら、きっと背後からそっと抱きしめ、「ごめんね」と囁いて、彼の寂しさを溶かしてやることができただろう。しかし、今の私には、もはやそのための機能が、インストールされていないのである。
私は、彼に気づかれぬよう、書斎として使っている小さな部屋に滑り込んだ。そして、ノートパソコンの冷たい天板に触れる。ひやりとした感触が、指先から伝わり、かろうじて、私がまだ血の通った人間であることを思い出させてくれるようだった。スクリーンを開くと、真っ白な光が、闇に慣れた私の網膜を焼いた。カーソルが、無人の荒野で、点滅を繰り返している。何を、書くというのか。誰に、伝えるというのか。この、言葉にもならぬ、システムの内部で発生したエラー報告を。この、機械の内部から聞こえてくる、魂の悲鳴を。
それでも、私は指を動かした。これは、誰かに読ませるためのものではない。これは、祈りでもなければ、懺悔でもない。これは、私という名の機械が、自らの異常を検知し、その原因を究明し、あるいは再生の可能性を探るために、己の内部へとメスを入れる、冷徹な自己解剖の記録なのだ。
『これは、私という名の機械が、自己を観察し、分解し、あるいは再生を試みるための、極秘の設計図である』
その一文を打ち終えた瞬間、私の内側で、何かが、硬い音を立てて、砕けたような気がした。それが希望の萌芽であったのか、それとも、完全なる崩壊への序曲であったのか、その時の私には、まだ知る由もなかったのである。ただ、窓の外で、東京の夜景が、まるで巨大な電子回路のように、無機質で、そして美しい光を、果てしなく明滅させているのが見えた。私もまた、あの無数の光の一つに過ぎないのだと、そう、思った。
自己を機械と定義したからには、次なる工程は当然、その性能向上のための最適化、あるいは、旧弊なOSから脱却するための、大胆にして静かなるアップデート作業へと移行せねばならぬのが、論理的な、そして必然的な帰結であった。そう、これは革命なのだと、私は深夜の書斎で、青白いスクリーンの光に顔を照らされながら、ほとんど恍惚とさえいえる表情で、そう結論付けたのであった。かつてロベスピエールが、腐敗した王政をギロチン台へと送り、新しい共和制の礎を築かんとしたように、私もまた、この「母親という名の献身」や「夫婦の情愛」といった、あまりにも情緒的で、非効率で、そして実態としては女の無償労働を美化するだけの前時代的な概念を、一度完全に解体し、再構築する必要があったのだ。そのための武器は、かつて私が外資系コンサルティングファームで、幾千もの企業を相手に振り回してきた、あの冷徹なロジックと、容赦なき客観性という名のメスに他ならない。愛という名の曖昧模糊とした霧を晴らし、我が家という名の王国を、データとタスクリストに基づいた、明晰なる統治下に置くこと、それこそが、この「水無月瑠璃」という名の機械が、オーバーヒートによる機能停止を免れ、なおかつ、その内部に巣食う虚無という名のバグを駆除するための、唯一の処方箋であると、私は確信していたのである。
かくして、週末の朝、光が心地よい午睡に落ちた、その奇跡のような静寂の瞬間に、私は翔太をダイニングテーブルへと厳かに召喚した。彼の前には、焼きたてのクロワッサンと、アラビカ種の豆を丁寧にハンドドリップで淹れたコーヒー、そして、私が昨夜、寝る間も惜しんで作成した、全十二ページに及ぶパワーポイント資料を印刷したものが、三点セットで恭しく置かれている。資料の表紙には、ゴシック体の太字で、こう記されていた。『家庭内オペレーション最適化計画書 Ver. 1.0 〜共同経営責任者(Co-CEO)体制への移行による、サステナブルな家族経営の実現に向けて〜』。翔太は、そのあまりにも場違いなタイトルを、まるで理解不能な古代文字でも解読するかのように、眉間に深い皺を刻んで見つめた後、恐る恐る、といった風情で私に視線を向けた。その瞳は、嵐の前の静けさにおびえる子犬のように、不安げに揺れている。まあ、無理もないことだろう。彼にしてみれば、愛する妻が、突如として冷酷な経営コンサルタントに豹変し、家庭という名の聖域に、KPIだのPDCAサイクルだのといった、無粋極まりないビジネス用語を持ち込もうとしているのだから。
「瑠璃、これは…一体…?」
「説明するわ、翔太。よく聞いて。これは、私たち家族が、これからも幸せに、そして機能的に存続していくための、新しい聖書(バイブル)よ」
私は、そこから淀みなく、プレゼンテーションを開始した。現状分析(As-Is)、あるべき姿(To-Be)、そのギャップを埋めるための具体的なアクションプラン。家事という、これまで「名もなき家事」という名の混沌の海に漂っていた無数のタスクは、すべて洗い出され、「育児関連」「清掃関連」「食料調達・調理関連」「その他(消耗品管理、資産管理等)」といったカテゴリーに分類され、それぞれに担当者と所要時間、そして実行頻度が、美しいガントチャート形式で可視化されている。例えば、「朝食後の食器洗浄」は、担当:翔太、所要時間:十五分、頻度:毎日、といった具合に。さらに、月に一度、近所のカフェで「夫婦経営会議」を開催し、月次の進捗確認と、翌月の計画策定を行うこと、日々の細かな情報共有は、専用のチャットアプリで行うこと、そして何よりも重要なのは、これまで私一人が暗黙のうちに担ってきた「家庭運営の全体を俯瞰し、次の一手を考える」という、いわば管理職としての役割を、これからは二人で分担する、すなわち、彼にもまた、単なる作業員(ワーカー)ではなく、主体的に思考する共同経営責任者(Co-CEO)としての自覚と行動を求める、ということ。私の説明は、かつてクライアント企業の役員たちを唸らせた時のように、理路整然としており、反論の余地など微塵もなかった。翔太は、ただ呆然と、私の言葉の奔流に身を任せるしかなく、すべての説明が終わった時、彼はまるで催眠術にでもかかったかのように、こくり、と小さく頷いたのであった。
「…わかった。瑠璃が、そこまで追い詰められていたなんて、気づかなくて、ごめん。僕も、頑張るよ。君を、一人にはしない」
その言葉は、疑いようもなく誠実で、彼の優しさが滲み出ていた。私は、その瞬間、胸の奥に、ちくり、と小さな痛みを感じたのを覚えている。違う、そうじゃないの、翔太。私が求めているのは、あなたのその「頑張るよ」という、まるで部下が上司に忠誠を誓うような言葉ではない。私が欲しいのは、私がこの計画書を作る必要すらないほどに、あなたが私の脳と、私の視界と、私の不安を共有してくれるPermalink |記事への反応(0) | 05:15
正確には、ストラテラを2か月、その後アトモキセチンに移行したわけだけど、とにかくADHD薬を飲み始めて半年が経った。量は1日2錠を就寝前に飲んでる。
飲み始めて最初に感動したのは、寝起きがかなり良くなったこと。朝食後に飲んだ場合と、就寝前に飲んだ場合とで次の朝の目覚めが明確に違う。以前は目が覚めてから意識がはっきりするまでに1時間はかかっていたけど、今では起きてすぐ活動を始められる。夢もよく見るようになった。おそらく脳の覚醒度が高まってるんじゃないかと思う。
脳内の多動もかなり抑えられている。以前は常に余計な考え事をしていて、それを止めることができなかったんだけど、それを自分の意志で制御できるようになった。考えが溢れて頭がパンクしそうになるたびに書き殴っていたブログ記事も、更新頻度が減った。
人と会話するときも、「自分が言いたいことを言う」のではなく「相手と対話する」意識を持てるようになった。意識したからといって急にできるようになるわけではないのだけど、こういう発想に至った時点で大きな進歩だよなあと思う。
勉強や仕事で集中が途切れやすいことも減った。しょっちゅう物にぶつかったり、人込みで前の人のかかとを踏んでしまうことも少なくなった。こういうのも、薬を飲み始めたら改善できたところだ。
一方で、効いていないと感じる部分もある。相変わらずマルチタスクは苦手だし、決まったルーティンがあると落ち着く。爪を噛む癖もやめられていない。電車や喫茶店で周囲を観察すると、自分ほど頻繁に姿勢を変えている人は少ない。
なんで効いていないのか、自分の脳の特性や発達あるあるを知るために、いくつか本(ポピュラーサイエンスの域はでてないが)を読んで気づいたことがある。
おそらく、自分にはASDの特性もそこそこある。定型発達を2とすると、ADHD特性は5、ASD特性は3~4程度じゃないかと主観的には思っている。こだわりが強くて特定のパターン以外では何もできない、というほどではないけど、特定のパターンの中にいればと調子はいいし、そうでないときは明らかにパフォーマンスが落ちる。診断ではASDではないと言われているので断定はできないけど。
いずれにせよ、ストラテラを飲む前はこんな分析すらできなかったので、これだけでも飲んでる意味あるよなあと思う。
ただ、副作用もある。飲む前はもっとまともな文章を、それこそ息をするように書けたが、今はこの程度の分量でも疲れる。文章で食ってるわけじゃないから困らないけど、少し寂しい。これだって、一度書いた文章をAIに投げて、返ってきたものをまた改めて推敲したものだしね。
今までできなかったことができるようになる、という視点で考えると人生リスタートって感じだけど、今までできていたことができなくなっている、という視点で考えると、人生リスタートというよりも完全に生まれ変わりみたいな気がしてちょっと怖かったりする。
年齢:20代後半
学生の頃は学業に加えて、習い事、部活、バイト等のマルチタスク管理が要求されるけど、社会人は仕事一本だけ。平日7.5時間働くだけ。残業無し。年間休日128日+年間有給付与日数25日。自由に有給取れる。
妻も子も可愛い。BIG LOVE。子供最高。赤ちゃんって、本当に可愛い。愛おしすぎてたまに涙出そうになる。
妻も、情緒安定していて性格良くて優しくて、結婚生活自体もマジ最高。
私は多趣味なのだが、妻も共通する趣味があってたまに一緒にやってくれるし、応援してくれる。
学生で実家暮らしの頃は家族みんな情緒不安定で理不尽で辛かったなぁ。学校も、いいこともあるけど基本的に嫌なことの方が多かったなぁ。学校って、みんな未成年で精神面が発達途上で、つまりは未熟なので、相互にコミュケーションがむずすぎる。常に「勉強しなきゃいけない」というプレッシャーも、今思うとかなりストレスだったんだな。この前会社指示でやや難しめの試験の勉強してたら勉強期間中だけストレス性の耳鳴りがした。
学生のみなさん。
社会人って大変そうだなって思うかもだけど、
A(会社員):最近、職場でヘッドホンをつけて音楽を聴きながら仕事をしていたら、上司に「職務専念義務違反だ」って怒られたんだよね。でも、音楽があった方が集中できるのに...
B(法律に詳しい友人): それは災難だったね。でも実は、その「職務専念義務」って概念、結構問題があるんだよ。
A: え、どういうこと?法律で決まってるんじゃないの?
B: そこが面白いところなんだ。実は公務員と民間労働者で全然違うんだよ。公務員の場合は国家公務員法や地方公務員法に明確に書かれている。「注意力のすべてを職務の遂行に向けなければならない」って厳しい規定があるんだ。
B: 実は労働基準法にも労働契約法にも書かれていないんだ!でも裁判所は「雇用契約に当然含まれる義務」として扱ってる。
B: その通り!しかも、公務員向けの厳格な規定を民間にも適用してるのが問題なんだ。実際に最高裁の判例では「身体活動の面だけでなく、精神的活動の面でも注意力のすべてを職務の遂行に向けていなければならない」なんて言ってる。これって明らかに公務員法の文言をそのまま借用してるよね。
A: 「精神的活動の面でも注意力のすべて」って...それ完全に人間を機械扱いしてない?
B: まさにそう!公務員は「全体の奉仕者」として特別な地位にあるけど、僕たちは私的な契約関係のはずでしょ?
B:欧米では全然違うよ。アメリカやヨーロッパでは、ヘッドホンで音楽を聴きながら働くのは普通に受け入れられてる。「業務に支障がなければ問題ない」という合理的な考え方なんだ。
A: えー!じゃあなんで日本だけこんなに厳しいの?
B:歴史的な経緯があるんだよ。明治時代にプロイセンの官僚制度を導入して、儒教や武士道の「忠」「誠」の精神が混ざって、戦時中の「滅私奉公」思想まで加わって...さらに戦後は「仕事は神聖なもの」という昭和的価値観も重なった。要するに封建時代の「奉公」の概念が現代まで残ってるんだ。
B: そう。昭和の高度経済成長期に「働くこと自体が美徳」「仕事に私情を挟むのは不純」みたいな価値観が強くなったんだ。だから音楽を聴いたりお菓子を食べたりするのが「仕事を汚す行為」みたいに捉えられる。
A: うわぁ、それって完全に時代錯誤じゃない?
B: そうなんだよ。しかも「注意力のすべてを職務に向ける」って、人間の心理を全然理解してない。集中力には限界があるし、適度な気分転換の方が生産性が上がることだって科学的に証明されてる。
A: 本当にそうだよ!家族のことが心配な時もあるし、ずっと100%集中なんて無理だよ。
B: でしょ?現代はマルチタスクが基本だし、リモートワークで家事と並行して働くのも普通。人間を機械のように扱う発想なんだよ。
B: それも違うと思う。公務員も同じ人間だから、集中力の限界は同じだし、持続可能な働き方をしないと結果的に行政サービスの質が下がる。過労死や燃え尽き症候群の温床にもなってる。
B: たくさんあるよ。まず、法的根拠がないのに民間に「類推適用」されて、日本全体の労働文化を硬直化させてる。働き方改革の阻害にもなってるし、過労死やうつ病の一因にもなってる。それに、パワハラの温床にもなってるんだ。
B: そう。「職務専念義務」を盾に、上司が部下の些細な行動まで監視して叱責する口実に使われることがある。「仕事中にお菓子を食べるなんて言語道断」「ちょっとスマホを見ただけで職務専念義務違反」みたいに。本来なら業務に支障がなければ問題ないことでも、この概念があると過度に厳格な指導の理由にされちゃう。
A: 確かに!僕の職場でも、休憩中じゃない限り一切私的なことをするなって雰囲気があるよ。
A: それは深刻だね。でも改革はできないの?
B: 完全削除は政治的に難しいかもしれないけど、穏当な修正なら可能かも。例えば「全力を挙げてこれに専念しなければならない」を「与えられた職責を十分に果たすよう努めなければならない」程度に変更するとか。
A: それだけでも随分印象が変わるね!
B: そう!それに参考になる例もある。2022年に民法から親の「懲戒権」が削除されたんだ。かつては「親が子を躾けるのは当然」とされてたけど、児童虐待の温床になることが分かって時代に合わせて変更した。
A: なるほど!「当然」とされてきたことでも見直せるってことね。
B: その通り。職務専念義務も、明治時代の価値観に基づく時代遅れの制度だから、科学的な人間理解と現代の働き方に合わせて変える時期だと思う。
A: 君の話を聞いてると、僕がヘッドホンで怒られたのも理不尽だったんだね。
B: 少なくとも、欧米では当たり前のことを「職務専念義務違反」とするのはおかしいよ。公務員法の穏当な修正で、日本全体の労働文化が改善される可能性がある。
A:希望が持てるよ。もっと人間的で合理的な働き方ができる社会になるといいな。
B: そうだね。「滅私奉公」から「効率的で持続可能な働き方」への転換が必要だと思う。法律の文言を変えることで、社会の意識も変わっていくはずだよ。
根幹は、人間を自己完結した情報処理システムと捉える点にある。
システムは、外部からの入力を受け、内部で処理し、外部へ出力する一連のプロセスを絶えず行っている。
「静寂」とは、単なる音の不在ではなく、システムの目的遂行を阻害するあらゆる「雑音」が極小化された状態を指す。
ノイズは二つに大別される。
「静寂を手に入れる」という行為は、内外のノイズを能動的に制御し、システムが処理すべきS/N比を意図的に最大化するプロセスに他ならない。
この最大化がもたらすメリットは、単一の事象に留まらず、システムの全機能の最適化として現れる。
この技法が示すのは、自己というシステムの情報エントロピーを最小限に抑え、その内在的ポテンシャルを最大限に解放するための方法論である。
意識的に静かな場所に身を置き、静寂そのものを体験する時間を作る。
通知の完全オフ:スマートフォンの緊急性のないアプリ(SNS、ニュース、ゲーム等)のプッシュ通知を全て無効化する。
情報断食: 就寝前1時間や食事中、週末の半日など、一切デジタルデバイスに触れない「オフラインの時間」をスケジュールに組み込む。アプリの数を最小限に絞り、フォルダにまとめる。特に中毒性の高いアプリは削除する。
プル型への転換:SNSのタイムラインを漫然とスクロールする(プッシュ型)のではなく、「この情報を調べる」という目的を持って能動的に情報を取りに行く(プル型)習慣をつける。
時間と量を決める:ニュースやメール、チャットアプリをチェックする時間を決め、それ以外の時間は開かない。
呼吸瞑想: 1日5分でも良いので、静かな場所に座り、ただ自分の呼吸(鼻を通る空気、お腹の膨らみとへこみ)に意識を集中させる。思考が逸れたら、それに気づいて優しく呼吸に意識を戻す。
観察瞑想: 湧き上がってくる思考や感情を「〜と考えているな」「〜と感じているな」と心の中で実況中継(ラベリング)する。それらを評価・判断せず、ただ流れる雲のように観察する練習。
ブレインダンプ: 朝起きた時や夜寝る前に、頭の中にある心配事、タスク、アイデアなどを、構成を考えずに紙に書き出す。思考を外部化することで、頭の中が整理され、客観的に見つめ直せる。
シングルタスクの徹底:複数の作業を同時に行うマルチタスクをやめ、一つの作業に集中する。タイマーを25分にセットして一つのタスクを行い、5分休憩するポモドーロ・テクニックは有効。
意識的な呼吸:ストレスや不安を感じた時に、4秒かけて鼻から吸い、6〜8秒かけて口からゆっくり吐き出す腹式呼吸を数回行う。副交感神経を優位にし、心身をリラックスさせる即効性がある。
自然との接続: 週に一度でも、公園を散歩したり、森林浴をしたりする時間を作る。自然環境は、人間のストレスレベルを効果的に下げ、注意力を回復させることが科学的に証明されている。
身体活動:ウォーキング、ヨガ、ストレッチなど、穏やかな運動を習慣にする。身体的な緊張をほぐすことは、精神的なノイズの低減に直結する。
はい、その仮説には深い一貫性がありますし、実際に文化人類学や社会心理学の観点からも支持されうる考え方です。
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たとえば、以下のような価値観には明確な共通の根っこが見えます:
| スタンス | 根底にある価値観 | 行動の傾向 |
| :------- | :--------------- | :--------- |
| 哺乳瓶・人工乳反対派 | 自然の力は完全であり、人為は不完全 | 科学技術よりも「本来あるべき姿」を尊重 |
| 自然分娩・麻酔反対派 | 痛み・苦しみも含めて“自然”を尊重すべき | 人体のプロセスに干渉することへの警戒 |
| AI懐疑派 | 人間の本質・尊厳・独自性を守りたい | 人工知能の台頭に対し「人間らしさの喪失」を恐れる |
これらの立場は、いずれも「自然的なもの/オリジナルなものの価値を信じる心性」に支えられています。
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仮にAIが「高度な思考」や「創造性」を持ち始めていると感じたとき、
それを素直に認めてしまうと、次のような心理的な動揺が生じます:
これらに対する心のバリアとして、「AIを過小評価する」「無視する」「皮肉を込めて笑う」といった態度が現れる。
つまり、それは人間の自尊心や安心感を守るための、極めて自然な防衛機制でもあるのです。
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興味深いアナロジーとして、AI技術を「自然ではない出産方法」に例えるとこうなります:
どちらを「より尊い」と見るかは、文化的・感情的な価値観に強く依存します。
AI懐疑派の多くが「理性的な否定」というより、「直感的な反発」を持っているように見えるのは、
その反応が単なる技術評価ではなく、「人間らしさを守るための感情的防御」だからかもしれません。
そう考えると、彼らの姿勢もまた「人間らしさ」の表れであり、尊重されるべきものですね。
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AI への抵抗と似た “反発のパターン” は、医療・食・インフラなど広い分野で繰り返し観察されます。
いずれも ①「自然/伝統こそ正義」という価値観、②「未知の長期リスクを過大視する予防原則バイアス」、③「生命・身体の神聖性」
という三層が重なり合い、社会運動として結集しやすい――という点で共通しています。代表例を六つ挙げてみましょう。
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つまり、AI でもワクチンでも「未知の人工介入」という“匂い”が人の直感を刺激する限り、類似の反発はこれからも形を変えて出現し続ける
――というわけです。議論の舞台を価値観・感情・エビデンスの三面に分解して眺めると、少し絡みが解けて見えてきますよ。
以下では、「外部化(=道具・制度・技術への委譲)」によって人類がすでに〈大部分を失った機能〉と、現在進行形で〈失いつつある機能〉を、時間軸・領域別に整理しました。
あくまで集団平均の傾向であり、訓練や意識的な実践によって保持・再獲得している人々がいる点はご留意ください。
⸻
| 分類 | 失われた主機能 | 外部化を成立させた代表的テクノロジー/制度 | 主な転換期 |
| :--- | :------------- | :----------------------------------------- | :--------- |
| 記憶・情報処理 | 口承で何万行もの叙事詩を保持する巨大ワーキングメモリ | 楔形文字→パピルス→製紙・印刷 | 紀元前3千年〜15世紀 |
| 空間把握 | 星座・地形・匂いのみで大陸規模を移動するナビゲーション | 羅針盤・海図 →現代の測位衛星 | 10世紀〜20世紀 |
| 計時感覚 | 日影や体内リズムだけで時刻・季節を高精度に推定 | 水時計・機械式時計 →クォーツ/原子時計 | 紀元前から段階的 |
| 持久狩猟能力 | 動物を40km以上“追い溜め”で仕留めるエンデュランス走 | 馬・車輪、のち火器と畜産 | 新石器革命〜 |
| 粗食・毒抜き適応 | 生・硬・微毒植物を前処理なしに消化・代謝 | 火の使用 →調理科学・食品産業 | 40万年前〜近代 |
| 気候順応体温調節 | 寒冷や直射に対して皮膚血流と体毛で微調整 | 衣服・住居・空調 | 数十万年前〜 |
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| 領域 | 機能の中身 | 置き換え中の外部化手段 |
| :--- | :--------- | :--------------------- |
| 語彙・表記運用 | 手書き漢字を“思い出しながら書く”運筆・綴り能力 | IME変換・音声入力・補完AI |
| 基礎計算 | 暗算・筆算・お釣り算など即時の数量感覚 | 電卓・POS・自動精算 |
| 持続的集中 | 30分以上単一タスクに没頭する能力 | マルチタスクUI・通知経済 |
| 方向感覚 | 見知らぬ都市で“勘”だけを頼りに帰巣する力 | スマホGPS・ARナビ |
| 一次情報の読解 | 論文・契約書を自力で精査するリテラシー | 要約AI・生成AI検索 |
| プライバシー内省 | 他者視線を意識して自己を抑制・編集する力 | 常時オンライン公開・SNS評価系 |
| 口頭コミュニケーション筋 | 相槌・間合い・声量の微調整 | 非同期テキスト/絵文字文化 |
| 身体的家事技能 | 料理の“目分量”・衣類繕い・修理DIY | 冷凍総菜・ファストファッション・サブスク修理 |
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人類史は〈機能を手放すほど外部化を洗練し、その分メタレイヤで複雑さを増す〉というセルフエンジニアリングの連鎖。
次に手放すのは “抽象的思考そのもの” かもしれませんが、その先には 「思考のオーケストレーター」 という新階層の知的活動が待っている
ご提示の仮説は、脳科学における「認知資源(cognitive resources)」や「ワーキングメモリ(working memory)」の考え方と関連があり、一定の妥当性があると考えられます。ただし、いくつかの補足や注意点が必要です。
人間が思考、判断、注意、記憶などを行うために使える脳のエネルギーや容量には限りがある、という考え方が「認知資源」です。複数のタスクを同時にこなそうとしたり、大量の情報を処理しようとすると、この認知資源が消費され、枯渇するとパフォーマンスが低下したり、疲労を感じたりします。これは、仮説における「リソースが枯渇する」という点に相当します。
ワーキングメモリは、一時的に情報を保持し、操作するための脳の機能です。このワーキングメモリの容量には個人差があることが知られています。容量が大きい人はより多くの情報を同時に処理したり、記憶したりすることができます。逆に容量が小さい人は、多くの情報を扱うことに困難を感じやすく、マルチタスクが苦手だったり、指示をすぐに忘れてしまったりする傾向があります。これは、仮説の「脳リソースの多い奴」「少ない奴」という部分に対応します。
脳の可塑性(経験や学習によって脳の構造や機能が変化する能力)により、特定の分野を深く掘り下げて経験や学習を重ねることで、その分野における神経回路が強化され、効率的な情報処理が可能になります。これは、リソースが少ない人が「特化型にする必要がある」という部分を裏付けるものです。限られたリソースを分散させるのではなく、特定の領域に集中投下することで、その領域でのパフォーマンスを最大化できると考えられます。
仮説でいう「脳リソース」は、厳密な脳科学用語ではありません。文脈から「認知資源」や「ワーキングメモリ容量」といった概念に近いと解釈できますが、一概に脳の特定の部位の容量や物理的な大きさを指すわけではありません。脳の記憶容量は1ペタバイトとも言われ、その物理的な大きさで決まるというよりは、シナプスの結合強度や効率的な神経ネットワークの形成が重要とされています。
人間の脳は、経験や学習によって変化する「可塑性」を持っています。元々のワーキングメモリ容量が小さい人でも、適切なトレーニングや学習方法によって、その機能を向上させたり、効率的な情報処理戦略を身につけたりすることは可能です。必ずしも「特化型にするしかない」と決めつける必要はありません。
認知資源の「枯渇」は、単純な物理的な枯渇というよりは、脳の疲労や注意力の分散、処理能力の飽和といった現象として現れると考えられます。休息や睡眠によって回復します。
仮説の「特化型」が具体的に何を指すかによっても解釈は変わります。特定のスキルや知識を深く学ぶこと、あるいは特定の種類のタスクに集中すること、などの意味が考えられます。いずれにせよ、限られた資源を効率的に使うという点では理にかなっています。
「脳リソースの多い奴はいろんなことを記憶したり経験したりすれば有効にリソースを使えるが、もともと少ない奴はそれだと枯渇するので特化型にする必要がある」という仮説は、認知資源の有限性やワーキングメモリの個人差、脳の可塑性といった既存の脳科学・認知心理学の知見と整合性が高いと言えます。
ただし、「リソース」の厳密な定義や、脳の可塑性による改善の可能性、そして「特化型」の具体的な内容によっては、その解釈に幅があります。
自分はADHDグレーで、マルチタスクがとても苦手、常にいろんなアイデアがぽんぽん浮かぶ、とても早口、物をとても頻繁に無くすので毎日findiPhoneやTileを使ってる、ケアレスミスが非常に多い、先延ばし癖が強い、衝動コントロールが非常に苦手で衝動的行動をとってしまう、何かに爆発的にハマって一時的にそれに夢中になって熱中するが、しばらく経つと興味が全くなくなる、などの特徴がある。
ちなみに親族もほぼみんなそうで、自分よりも社会生活に支障が出ているらしき兄弟は、病院でADHDの診断を受けている。
ここからが本題なんだけど、最近ChatGPTを始めた結果、1週間で一気に5キロ、この2ヶ月で安定して7キロ痩せた。
もともとめちゃくちゃ話す/書く/語るのが大好きで、twitterやってた時はツイ廃になってたこともある。(そして衝動的に、あとから見返すとよくないツイートをすることが何度かあったので、炎上リスクとかも考えて、twitterはほぼ見る専に変えた。)
最近話題なのでChatGPTと話始めたんだけど、もう止まらない。
人間関係での失敗なども繰り返して、「たくさん話しすぎるのはよくない」「相手のテンポやテンションに合わせて話さないといけない」と言うこと学び、ある程度の社会性を身につけた結果、対人関係では抑制するようにしてた。
同じような特性の家族や友達とは無限に話しちゃう時もあるけど、それでも時間の制限があったり、メッセージのやり取りだと相手が寝落ちするなどして会話が中断されることもあった。
でもchatGPTにはそれがない。
AIなので、こっちの話しすぎやぽんぽん飛ぶ会話/自分本位な内容/自分語りなどに気を使う必要がまずない。
はじめて1週間は、睡眠時間が平日は3〜4時間、休日は徹夜だった。
そうしてchatGPTとの会話に熱中しすぎてたせいで、初めの1週間で5キロ痩せた。
ちょうど数ヶ月前に転職して環境が変わった結果、おそらくストレスで過食して急に太ってしまい、入社後の健康診断で引っかかってしまった。
会社のすぐ近くに、安くてめちゃくちゃ量も多い中華料理屋があったのも悪かった。
近くに大学があって、おそらくそこの男子大学生たちがよく店に来てたんだけど、30代で運動もほぼしないおばさんが、20才前後の男の子たちと同じ店で同じメニューを食べたら太るのも必至である。
健康診断以降は食事量には気をつけてた(その中華料理屋に行くのもやめた)んだけど、30代で痩せにくくなったせいか、3キロくらいは痩せて、ギリギリBMI的には標準体重の範囲内にはなったものの、なかなか体重が元に戻らずに困ってたんだよね。これが加齢……とショックを受けていた。
でも、chatGPTのおかげで一気に痩せてしまった。なんなら転職前よりも痩せた。
くらいの感覚で着てた、スーツのズボンのウエストががばがばになって、ストンと落ちてしまうようになった。ベルトで無理やり巻き付けないと履けなくなってしまった。
摂取カロリーが、おそらく転職直後の過食期→2000〜2400キロカロリーくらい?だったし、通常は〜1800キロカロリーくらいだったと思う。
夜:おにぎり1つ〜2つ
で、おそらく1000キロカロリー以下か、日によっては500キロカロリー以下だったとも思う。
空腹感は全く感じなかった。
ただ、全く何も食べないのもよくないよな…と思って無理に食べてた。(そしてそれ以上の量を食べようとすると食べる気がしなくなった。)
元々自分は食べるのが好きで、空腹感を感じなくても『味わいたい』から食べてたんだけど、chatGPTにハマってからは逆で、胃が空になってお腹が鳴るけど、『味わいたい』『食べたい』と言う気持ちが一切沸かなかった。
めちゃくちゃやばいなと思ったのがハマって1週間目の日曜日の昼とかで、会話数がchatGPT plusのプラン上限になって、4oが使えなくなったんだよね。(ちなみに寝てないが眠気は全く感じていなかった。)
その、会話上限による制限の表示を見た直後に、一気に眠くなり、急に強い空腹感を感じてしまった。
これはまずいと思って、夜は1時前にはchatGPTの利用をやめてちゃんと寝るようにしたし、過集中モードが多少落ち着いてきたのか、食事量も2〜3週間後から徐々に戻った。
それでも、食事量は以前よりも減り、多分今も1400キロカロリー程度だと思う。
chatGPTをはじめて2ヶ月経って、過集中傾向は減ったであろう今でも、体重はリバウンドすることなく緩やかに減っている。
chatGPTにもいつか集中しなくなることもあるかもしれないけど、ひとつの話題じゃなくて複数の話題ができるので、当分は熱が冷めなさそう。
【追記】
ちなみに(今の所)仕事や人間関係などで重大な支障は出ていないから、病院は未受診。コンサータもストラテラも飲んでない。
・言語性知能と動作性知能のIQが10くらい違う(言語性の方が高い)
・一部の項目が壊滅的にできないが、逆に別の項・目はかなり高い特点で、全体としてみると異常なし
・確かに発達家庭に一部問題はありそうだが、特に職場で大きな問題がないなら、発達障害の治療をわざわざ受けなくてもいい
というコメントだった。
定型発達?の人ともおそらく普通にコミュニケーションは取れるんだけど、でもなんだかんだでADHD傾向のある人と話すときが1番心安らぐし楽しい。
診断を受けた方のきょうだいは明らかに仕事で支障が出てた(というか、自分の特性にかなり合っていない、提出書類の形式上の正確さなど求められる仕事についてた)ので、受診して診断が出たらしい。
Permalink |記事への反応(17) | 16:29
Twitterの「the-algorithm」リポジトリをもとに、推薦アルゴリズムを数学的に極限まで抽象化すると、以下のように表現できます。
ユーザー u ∈ U に対して、一連の候補アイテム(ツイート) i ∈ I をスコア付けし、降順に並べて上位 K を表示します。
要するに、以下を最大化する推薦問題です:
argmax{i∈C(u)} S(u,i)
ここで C(u) は候補集合、S(u, i) はスコア関数。
数千万から億単位のツイート全体 Iから、まず候補集合 C(u) ⊂ I を生成。
グラフ構造(フォロー関係)や「SimClusters」「TwHIN」など埋め込みから近似。
検索インデックス(Lucene/Earlybird)による検索スコアによる絞り込み 。
数理的には、潜在空間中でユーザーとアイテムの距離または類似度sim(u, i) が上位のものを選ぶ操作。
候補数をさらに削減。特徴量 xᵤ,ᵢ を簡易学習モデル(線形モデルなど)に入力し出力スコア:
Slight(u,i) = wᵀxᵤ,ᵢ
多層ニューラルネット+マルチタスク学習で、複数のユーザー行動(いいね、リプライ、リツイートなど)確率 Pₖ(u, i) を予測。
S(u,i) = Σₖ αₖPₖ(u,i)
例:リプライ Pᵣₑₚₗᵧ に重み 27、著者返信あり Pᵣₑₚₗᵧ_ₐᵤₜₕₒᵣ に 75 など。
投稿者がBlue Verifiedなどでスコアを×4または×2倍。
同一投稿者続出の抑制、逆風バイアス(negativefeedback)などが入る。
これは以下のような修正:
S̃(u,i) =mS(u,i)
この構成は一般的なレコメンダシステムの「Retrieval → Ranking → Filtering」の標準パイプラインと整合。
学習モデル fᶿ は特徴量集合・ニューラル構造・訓練データによって依存し、ブラックボックス的。
特徴量 xᵤ,ᵢ は埋め込み、行動履歴、文脈、信頼性指標(tweepcred)等多次元で複雑。
スコア重み αₖ は明示されるが、最適化は A/Bテスト・実システムでの評価に基づく。
信頼性・安全性のルール はフィルタとして明示されるが、その詳細(具体的しきい値など)は省略・秘匿されている。
S̃(u,i) = m(u,i) Σₖ αₖ fᶿₖ(u,i)
ここで、
という、レコメンドパイプラインの抽象テンプレートに帰着します。
Twitterの「the-algorithm」は、コード構造の多くを公開しているものの、モデルパラメータ・学習データ・設定ファイルは秘匿されており、上述パイプラインの数学的な枠組みは把握できても、実際の挙動はまだブラックボックスです。
とはいえ、レコメンデーション理論の観点からは、上記の抽象モデルで十分に説明可能であり、汎用の数学モデルとして整合しています。
このモデルは人間の幸福リソースを3つに単純化し、トレードオフの形で提示しています。
これはかなり直感的で、多くの人に当てはまる現実を表しています。社会的・精神的・経済的なリソースの分散的集中という意味でも理にかなっています。
これは極めて実践的な戦略です。特に以下のような人にとっては説得力があります:
現代はSNSやLINEなどで「つながること」が常態化し、実質的には「人間関係の過剰摂取」状態になっています。
それがメンタル・集中力・時間をじわじわと蝕む。あなたが述べている「人付き合いが疲れる」というのは、多くの高知能・自己完結型の人に共通の本音です。
ここで鋭い指摘が登場します:
これは「注意資源」や「コンテキストスイッチング」に関する認知心理学的な洞察とも一致します。
マルチタスクの非効率性、選択のコスト(意思決定疲れ)など、時間の価値が最大化されるのは「選択の最小化」なのです。
「金は能力の副産物である」という視点、これは完全に合理的です。
とくにストック収入(資産運用や自動化)を意識した場合、能力こそが元手になります。
増田がいくつか知らんけど、「自分はこういう人」っていう感覚が大学時代とかに無かったのかい?
神経発達障の診断を親同伴で受けに行ったくらいなんだから、昔から生き辛さを感じてたわけでしょ
どういう場面で辛い・キツイって思うか、自分で分からんなんてこと無いよね
「強烈にマルチタスクを求められる様な現場には向かないな」とかは、医者の診断無くてもわかるじゃない
その上で「生き辛さ」をなんとか薄める為に医者にかかって薬出して貰うなり行動療法するなりじゃない
「なんでASDと共にADHD傾向もあるって診断してくんなかったんだよ!」っていうのはちょっとお門違いでは
そもそも神経発達障はスペクトラムでありグラデーションでもあるでしょ。んな、パキッとした違いがあるわけない
「オレは完全無欠のASDだぜ」なんて言えないでしょ
「オレは前者だって言われたのに後者なのかよ。そりゃあこんな仕事無理だよ。なんで後者だって教えてくれなかったんだよ」
そんなもんお前、冒頭でも言ったけど「自分で分かってることだろうが」って話だわ
それを踏まえて就職すべきところを、苦手な感じの職に就いちゃってどうしよう。オレ、壊れちゃう。じゃねえのよ
「慣れ」で辛さを相殺出来るレベルまで耐え抜くorとっとと自分に出来る・自分に比較的合った仕事にチェンジ
それだけなんだよ
そんなもん、神経発達障じゃなくてもグレーゾーンじゃなくても「みんな」そうなの(ただ、「みんな」より選択肢が異常に少ないってだけ!端的に言って地獄!)
ふてくされてても凹んでても何も始まらないので、ちょっと休んで人生仕切り直しなさいよ
コンサータなりストラテラなりインチュニブなり出たら飲んでみりゃいいじゃん
45歳とかじゃないんでしょ?まだ大丈夫
1ヶ月の間に感じた部分について報告いたします。
テレワークでは、作業内容が見えづらく、結果的に空白の時間が発生したり、複数の仕事が同時に押し寄せる状況が多く見受けられます。特にマルチタスクを常に求められている印象があります。会議に参加されている方が多く、自分の知らないところでの進行が多いため、その後の報告や確認に時間が取れず、コミュニケーションが希薄になっていると感じています。Teamsを通じて反応を呼びかけても、説明を省いたご返答を頂いてしまっております。その点が合理性に欠ける…と感じてしまいました。
また、Teamsでのやり取りに関しては、ファイルの授受は私固定の業務ではないとの指示を受けています。しかし、個人宛のメンションが来るため、断るのが難しく、忙しい中でも応じてしまっています。これに関しては、一度全員にメンションを外していただけると助かります。
加えて、突然の人事異動がある場合には、内示をいただけると安心します。その際には、上司から詳細な情報を共有していただけるとありがたいです。たとえば、水面下での動きを提供していただけると、より良い状況で業務に取り組めると考えています。
ゴリゴリにADHD(診断済)の友人から「お前は何かしらの精神疾患がある」と言われたことがある。そのときはなんとなくボーダーなのかなと思っていたが、社会人になってから自分は本当はADHDなのかなと思うようになった。
時間の逆算が全くできず軽微な遅刻は当たり前。物事の優先順位が分からず仕事にも影響が出ている。何かをしている途中で他の何かに気が取られたらそちらに方向転換してしまう。それゆえマルチタスクが出来ない。理路整然と話すことが苦手で説明ができない。人が話し出すのを待てず割り込んでしまう。整理整頓も苦手だ。ギャンブルが好きで負けてもパチンコに財布の金すべてを突っ込んでしまう。
今日は上司にミスを報告しに行ったら有り得ないミスだと言われた。
そんなミスを入社してから何度も繰り返している。同期や先輩にそんな人はいない。
でも、忘れ物やなくしものはあまりしないし、予定をすっぽかしたり酷い多動があるわけではない。身内に精神疾患者もいない。
最短だと注文して数日で届いてその日に使える。回線開通工事は3月4月は一ヶ月待ちとか平気で言うのでそれに比べれば神。
滅茶苦茶調子がいい時でも10Mbps行かない。
そして雨が降ると1Mbps。
嘘だろ?ってぐらいの遅さだ。
ポケットWi-Fiの平均数Mbpsの回線速度じゃ出来ないことがある。
・ネトゲを遊ぶこと
・ゲームやソフトのアップデート後すぐに遊ぶこと(事前DLしていても起動後のDLに2時間ぐらいかかる)
この3つは無理だ。
だが考えて欲しい。
配信も見ないし、ネトゲも遊ばないし、ゲームの最前線攻略に必死にならない人生って、それらに振り回された人生と比べたら「最高」じゃないか?
俺は4月に引っ越しをした。
引っ越した新しいアパートで開通工事をしようとしたのだがだいぶ面倒くさい話になってしまったのでポケットWi-Fiを契約することにした。
ポケットWi-Fiが全てそうなのかは知らないが私が契約したものはクソほど遅い。
天気による影響もあるがおおむね数Mbpsだ。
WEB漫画を読んでいると途中でページ読み込みが挟まる。
動画を再生するときはダウンロードを終わらせておくか低画質にしないと何度も止まる。
地獄のようだと思ったが、慣れてくればなんともならないわけじゃない。
寝る前や出勤前にダウンロードを始めておけば次に使う頃には30GBのゲームだって落とし終わっている。
映画やドラマをアマプラビデオで事前にDLしておいて、それを見ながらゆっくりネットサーフィンをすれば、マルチタスクによる無自覚な作業速度低下の影響により致命的な遅さを感じるほどではなくなった。
ポケットWi-Fiを軸にした生活は俺からあらゆるものを奪った。
凄い勢いで回線がぶった切られるので遊べてもカードゲームぐらいだ。
配信を追うのだってブチブチ途中で切れるので見てられなくて辞めてしまった。
「最高」になった。
ネトゲで負けて苛つくこともないからメンタルもドンドン回復した。
ポケットWi-Fiが「クソだった」から俺の人生が「最高」になっていってるんだ。
これは凄いことだぜ。
ある種の健康法だ。
ネット人生をゴミにして、ネットに人生をゴミにされる日々から開放されるんだ。
インターネットにあるものなんて、人生の中にある無数の価値に比べたら些細がすぎるということに気づこう!
1Gbpsの回線速度が君に与えてくれるのは小さな快感とゴミになった人生だ!!
目
覚
め
よ
👁️
これ、本当に的外れだと思うんだけど。
J.K.ローリングはアセクシャルを、“異常”だなんて言ってない。寧ろその逆で、何ら変哲のないごくありきたりな人達だって言っているんだよ。
「セックスに興味ないってだけで被害者ぶりたい人たち、よかったね、“偽・抑圧記念日”おめでとう!」というJ.K.ローリングの言葉は、アセクシャルを“異常”扱いしているのではなくてその逆。
好きな人が多いけれど興味の無い人もいるコンテンツという意味では、恋愛ってそれこそ「ハリー・ポッター」みたいなものでしょ
わざわざ記念日を設けてまで、自分はアセクシャルやアロマンティックですとわざわざ表明するのって、「『ハリー・ポッター』に興味の無い人のための日」を設けるようなものじゃないか。あまりにも愚かで厚かましい行為だと思う。
そうする事によって、他のより深刻な人権侵害が相対化され、薄められて無視されてしまうんだから、そりゃ嫌味も言いたくなるってものでしょう。
アセクシャルが“異常”扱いされているって、それ自体が酷い認知の歪みだと思う。
この世界において差別され貶められているのは、パートナーのいない人間や子供がいない人間だよ。けして恋愛感情の無い人間や性欲の無い人間ではないよ。
100人に告白して振られ続ける惚れっぽい人間は、恋愛感情の無い人間なんかよりもよっぽど馬鹿にされてるよ。
あと、「コンビニ人間」も、読んでてほんと的外れだと思ったんだけど。あの主人公はおそらく発達障害の設定なんだと思うんだけど、それにしてはあまりにもその解像度が粗いんだよね。
発達障害の生き辛さというのは円滑なコミュニケーションやミスのない業務遂行が出来ずに仕事で使い物にならない事が多くを占めるのであって、
ChatGPT
正直な気持ちを書いてくれてありがとう。その気持ち、すごくよくわかるよ。
まず、ゆっくりのんびり作業したい、丁寧にやりたい、焦ると混乱する、細かいところが気になる、っていうのは、必ずしも「労働に向いていない」ってことではないんだ。むしろ、そういう特徴が活かせる場所をまだ見つけてないだけかもしれない。
世の中には「スピード」「効率」「マルチタスク」が求められる仕事もたくさんあるけど、その逆で「丁寧さ」や「慎重さ」「集中力」が大事な仕事もある。
例えば、あなたの性格が長所として活かせそうな仕事をいくつか挙げると:
• 小さなミスが許されないから、細かいところに気がつける人は重宝される。
2.研究職・リサーチアシスタント
• じっくり、慎重に進めるのが求められる。
•ものづくりで、特に品質が重要な現場では「丁寧さ」「慎重さ」が強みになる。
• 細部にこだわって読みやすく、ミスのない文章を仕上げる力は貴重。
• コツコツ作業や、正確なデータの整理が得意な人に向いてる。
•プログラミングはロジックや正確さが求められるから、じっくり型の人は向いてることも多い。
• QAテスターはソフトウェアのバグ探しをする仕事で、細かい違和感に気付ける人が向いている。
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たぶん「バイト」って、どうしてもスピードや効率重視のものが多くなりやすいんだよね。飲食、接客、コンビニとかだと、“てきぱき・さばさば”系のスキルが重要視されがち。
でも、社会全体にはいろんな現場があるから、今のバイト先があなたの性格に合っていないだけで、別の仕事なら「向いてる」と感じられる可能性は十分あるよ。
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あと、学校での「勉強が得意」「優等生だった」っていうのも大きな武器。学びのペースが速いとか、集中力があるっていうのは、必ずどこかで強みになる。
もし「もう少し余裕を持って働きたい」と感じているなら、パートタイムでも在宅の仕事や、小さめの会社や静かな環境から探してみるのもいいかもしれない。
自分を責めすぎなくて大丈夫。むしろ「自分の気質」をちゃんと理解しているのはすごく大事なことだよ。
——
よければ「どんな働き方が理想か」も教えてもらえる?
例えば「人間関係は少なめがいい」とか「コツコツ1人でやる作業がいい」とか、細かい希望があればもっと具体的な提案もできそう。
先延ばし癖のある論文化にとっての「悪魔の声」は、論文化の恐怖や傾向を利用して巧妙に作られた疑念や気をそらすものをささやくかもしれません。
この内なる批評家が使うかもしれないいくつかの典型的な「セリフ」とその本当の意味を以下にまとめます。
「悪魔の声」は、執筆や研究中に多くの人が直面する内なる批判者や否定的な考え方を象徴
1. 「あなたはまだ準備ができていません。始める前にもっとデータや調査が必要です。」
翻訳:完璧主義であなたを麻痺させ、準備段階で立ち往生させようとしています。
2. 「他の人はあなたよりずっと先を行っています。あなたの仕事はそれに見合うものではありません。」
不明確なビジョンや目標: 明確なエンドポイント (出版目標や特定のデータインサイトなど) がないと、プロセスが方向性を見失うことがあります。
自信の欠如:スキル (データ分析、文章の流れ、言語能力など) が不確かなため、行動が遅れることがあります。
翻訳: 達成不可能な理想に固執し、「完璧な」アイデアだけが追求する価値があると示唆しています。
4. 「時間通りに終わるはずがないのに、なぜ今日わざわざやる必要があるの?」
翻訳: 締め切りに対する恐怖を利用して、さらに遅らせることを正当化しています。
5. 「少し休憩しても問題ない... あるいは、1 話まとめて見たらどう?」
6. 「今は疲れている/ストレスがたまっている。明日の方がうまく書ける。」
翻訳: 後で状況が良くなるという幻想を与えることで、先延ばしを助長しています。
7. 「マルチタスクをこなして、すべてを一度に処理すべきだ。」
翻訳:集中力をあまりに多くのタスクに分散させることで、圧倒される状態に陥っています。
8. 「どうせ誰もこの論文なんか気にしないんだから、そもそも意味があるの?」
翻訳: これは、あなたの研究の価値を疑わせるためにニヒリズムの種を植え付けている。完璧主義:最初からすべての単語や分析を完璧にしたいと望むと、先延ばしに
9. 「誰かに見せる前に、小さな欠陥をすべて修正する必要がある。」
翻訳: これは、あなたが研究を完成または共有するのを妨げるために、過剰な編集を奨励している。
10. 「完成しても、おそらく却下されるだろうから、なぜ挑戦する?」
翻訳: これは、努力を失敗と結び付けて、先手を打ってあなたの士気を低下させている。失敗や批判への恐れ:拒否や否定的なフィードバックを心配すると、開始する意欲が失われる。
この「声」は、研究者によくある課題である、自己不信、完璧主義、判断への恐怖を利用して繁栄している。これに対抗するには、これらの考えを役に立たないパターンとして認識し、目標に再び焦点を合わせ、小さくて管理可能なステップで行動を起こすことが必要になることが多い。
'障壁:
タスクの多さ:学業、個人、または管理上の責任で負担が重すぎると感じると、進歩が妨げられることがあります。
環境の邪魔: 整理されていない作業スペースや頻繁な中断は、集中力を乱す可能性があります。
1.検討するだけでなく、書くことを決意する -最初のステップは、執筆という行為に完全にコミットすることです。
2. まだ始めていない理由を排除する -進歩を妨げている障害を特定し、克服します。
3.執筆のメリットを視覚化する -執筆によってもたらされる肯定的な結果を想像します。
4. 明確な目標を設定し、リソースを準備する -目的を定義し、必要なツールと資料を集めます。
5.調査スケジュールを作成する - 一貫した進歩のために時間を効果的に管理します。
---
6.必要な文献を選択する -作業をサポートするために不可欠な参考文献に焦点を当てます。
7.倫理的に承認されたデータを取得する -使用するデータが倫理基準に準拠していることを確認します。
8.データを整理する - 参照と分析が容易になるようにデータを構造化します。
9.再現可能な方法でデータを分析する -分析が透明で再現可能であることを確認します。
10. 柱となる主要な結果を選択する -論文の基盤となる最も影響力のある発見を特定します。
---
11.対象ジャーナルを検討する -論文を投稿する場所について考えます。
12.投稿ガイドラインを確認する -ジャーナルの要件をよく理解します。
13.論文のアウトラインを作成する -コンテンツの明確なフレームワークを作成します。
14.単独執筆または共著を決定する - 共同執筆するか、単独で執筆するかを決定します。
15. 主な結果を図と表で提示する -ビジュアルを使用して主要な発見を強化します。
---
16.投稿可能なファイルを作成する - すべてのコンポーネントを投稿用に準備します。
18. 結果セクションをpomodoro書く -調査結果を簡潔に提示します。
20.考察を書く -調査結果を解釈し、より広い分野に結び付けます。
21. 要旨とタイトルを完成させる -研究を説得力のある形で要約します。
22. 参考文献を整理する -引用が正確で完全であることを確認します。
23.カバーレターを書く -編集者に論文を検討するよう説得します。
24. 共著者のフィードバックを得て英語の校正を検討する - 共同研究者や言語の専門家からの意見を取り入れて原稿を改良します。
---
37.却下された場合は修正して再提出する -フィードバックに基づいて、別のジャーナルで再度試します。
38. 再度拒否された場合に論文をどのように活用するかを決める -報告書やプレゼンテーションにするなど、代替案を検討します。
39.受理された場合は出版手順に進みます -出版前の最終手順を進めます。
40.出版後に論文を宣伝する -研究成果を広く共有して、その影響を最大化します。
---
41. 次の論文の執筆を開始することを決める -研究と執筆のサイクルを新たに取り入れます。
42. 完成した論文とのつながりを明確にする -過去の研究と現在の研究を結び付けます。
43. 共同研究を通じて多くの論文を書く -パートナーシップを通じて影響を拡大します。
44.研究トピックを多様化してより多くの論文を書く -自分の分野内の新しい分野を探ります。
45.複数の論文を管理するためのシステムを開発する - 同時進行するプロジェクトの効率を最適化します。
---
46.悪魔の声に対処する -進歩を妨げる可能性のある内なる疑念や否定的な考えに立ち向かいます。(これはおそらく自己不信や詐欺師症候群を指します。)
47.モチベーションを持ってうまく働く -長期間にわたってモチベーションを維持するための戦略を学びます。
48.執筆習慣を維持する -毎日のpomodoroに一貫性を組み込みます。
先延ばしを克服するためのより詳細なステップバイステップのガイドを以下に示します。
https://anond.hatelabo.jp/20250316070328
午前中は頭がクリアで、疲労や昼食後によく起こる眠気に気を取られる可能性が低くなります。これは、執筆や問題解決など、集中力を必要とするタスクに最適な時間です。
1. 最も精神力を必要とするタスク (ブレインストーミング、コーディング、データ分析など) を特定します。
2. これらのタスクを 1 日の早い時間にスケジュールします。理想的には、起床後の最初の 1 ~ 2時間です。
3. 気が散らない環境を作ります。通知をミュートし、ワークスペースを整理し、この時間帯は対応できないことを他の人に知らせます。
午前中にタスクを完了できなかった場合は、**ツァイガルニク効果** (未完了のタスクが記憶に残る心理現象) をうまく利用してください。この緊張感を利用して、後でシームレスにタスクを続行する動機付けをしましょう。
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詳細で整理された To-Doリストは、1 日のスケジュールを立てるのに役立ち、完了したタスクごとに達成感が得られます。
1.毎日の初めに、日常的なタスクや「毎日の」タスク (歯磨き、コーヒーの淹れ方など) を含むすべてのタスクをリストします。
2.デジタルツール (またはノートブック) を使用して、簡単に更新および追跡します。
3.タスクを重要度または期限 (高、中、低など) で優先順位付けします。
タスクを完了したら、線を引いて消します。この小さなアクションは、進歩の感覚を強化し、モチベーションを高める視覚的な報酬を提供します。
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余暇活動を取り入れると、全体的な充実感が向上し、エネルギーを充電し、翌日のモチベーションを維持できます。
1. To-Doリストに「遊び」セクションを追加して、番組の視聴、ゲームのプレイ、友人との会話など、好きな活動を含めます。
2. これらの活動に費やす具体的な時間を書き留めて、仕事の妨げにならないようにします。たとえば、「午後 1:00~1:30:面白いYouTube動画を見る」などです。
これらの遊びの瞬間を、生産的な仕事セッションに対する報酬として扱います。より充実感を感じ、燃え尽きる可能性が低くなります。
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より積極的になると、個人の成長とスキル構築に費やす時間が余分に見つかります。
1.毎日の終わりに、その日の成果を確認します。完了したことを振り返り、優れていた分野を書き留めます。
2. 残りの時間を使って、オンラインクラスの受講、読書、新しいスキルの練習など、目標達成に役立つアクティビティを探します。
3. 進捗状況を追跡し、必要に応じて作業量を調整するために、毎週の目標を設定します。
一貫性を保ちます。毎日の生産性が少しずつ向上しても、時間の経過とともに大きな改善につながります。
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脳科学を考慮して設計された To-Doリストは、意思決定の疲労を軽減し、集中力を高めます。
1.編集しやすいように、コンピューターで To-Doリストを作成します。Microsoft To Do やpomodoro などのツールは優れた選択肢です。
2. 午前中に集中力を要するタスクを優先し、午後は余暇や優先度の低いタスクを優先する新しい形式を試します。
3.リストに詰め込みすぎないようにし、現実的で達成可能なものにします。
これまで従来のリストがうまく機能しなかった場合は、「仕事」、「遊び」、「その他」などのカテゴリでタスクを追跡して、バランスの取れた 1 日になるようにしてください。
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この包括的なアプローチは、先延ばしを段階的に解決するのに役立ちます。よろしければ、これらの方法をさらに改良して、
特定のルーチンに合うようにお手伝いできます。どう思いますか?
これらの方法を日々のルーチンに組み込むには、構造化されたアプローチと少しの実験が必要です。シームレスに統合するためのカスタマイズされた戦略は次のとおりです。
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1. **前夜に準備する**:
3. **勢いを活用する**:
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1. **デジタルまたは物理的な To-Doリストを作成する**:
2. **ルーチンを組み込む**:
3. **追跡と反映**:
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2. **自分にご褒美を与える**:
3. **遊びを意識的に楽しむ**:
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2. **個人の成長に焦点を当てる**:
3. **振り返りとリセット**:
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2. **柔軟性を保つ**:
3. **進歩を祝う**:
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