
はてなキーワード:マスキングとは
Aが自分。
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### [A]に関するチャットログ(名前部分マスキング済み)
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他の部分を読み返したらBが他の適応障害に対して「きちんと休め」とアドバイスしててちょっと笑った。
笑った理由としては、上の文章を読んだらA(つまりは自分)は適応障害にASDがかなりキツめに出て、そのAに対して「本気で悩んでない」やら詰めたら、悪化するだろと。
#### Bさん(その他のチャットの皆さん)へ
わざわざチャットに返信をしてくれたことはありがたいと思います。
それはそれとして、私に向けての発言は許せないです。
それは、気に食わない弱者なら「少し言い過ぎても許される」という傲慢を感じたこと、また「言い過ぎ」だと思うからです。
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今の私は、自分もあなた方も誰も正しくないし、許さないの気持ちで人生をこなしています。
でもいつか(できれば私が知れる形で)あなた方はなるべく幸福ではない形で滅んで欲しい。
滅ぶ前に、相続で国立癌センターとかになるべくたくさん寄付できたらそれで意味のある生だった思えると思う。(※今は意味がない寄りの生なので)
いつか直接同じ相手に今の話を言えたら、何か踏ん切りがつくかもしれません。
醤油が万能という意見、よく聞きますね。しかし、塩を愛する者として、それは大きな間違いだと断言できます。なぜなら、醤油は塩の代わりにはなり得ないからです。
塩の最大の魅力は、素材そのものの味を際立たせることにあります。食材に塩を振ることで、素材が持つ甘み、旨み、苦みといった複雑な風味を引き出し、そのポテンシャルを最大限に引き出すことができるのです。シンプルでありながらも、料理の奥行きを深め、繊細な味のニュアンスを表現する上で、塩は不可欠な存在です。
例えば、新鮮な魚に軽く塩を振って焼くだけで、魚本来の旨味が凝縮され、最高の味わいになります。野菜を茹でる際に塩を加えることで、野菜の甘みが引き立ち、シャキッとした食感も保たれます。これらは、塩だからこそ成せる技なのです。
一方、醤油はどうか。醤油は、その独特の香りと深いコク、そして複雑な旨味(アミノ酸によるもの)が魅力です。しかし、それはあくまで醤油自身の持つ個性を料理に加えるということ。醤油が持つ強い風味は、時に素材本来の繊細な味を覆い隠してしまうことがあります。
例えば、白身魚の刺身に醤油をたっぷりつけると、魚の淡白な旨味よりも醤油の味が前面に出てしまいます。和え物でも、醤油で味を決めると、野菜や出汁の風味が醤油の風味に支配されてしまうことが少なくありません。醤油は確かに美味しいですが、それは「醤油の味」なのです。
「ソースは全て醤油で代用可能」という考えは、以下のような点で問題があります。
醤油の強い香りと味が、素材本来の繊細な風味をかき消してしまいます。素材の味を楽しむ料理において、これは致命的な欠陥です。
何にでも醤油を使うと、結果的にどの料理も醤油の味になってしまい、料理ごとの個性やバリエーションが失われます。食卓が「醤油味」一色になってしまうのは、なんとも味気ないことです。
例えば、パスタやパン、洋菓子など、塩が不可欠な洋食の世界で、醤油を代用することはまず考えられません。醤油の風味は、やはり和食との相性が良いものであり、万能とは言えません。
私たちは、塩が持つ素材を引き出す力と、醤油が持つ風味を加える力を理解し、適切に使い分けるべきです。塩は、素材の「素顔」を輝かせ、醤油は、その素顔に「化粧」を施すようなもの。どちらか一方が優れているのではなく、それぞれの特性を理解し、料理に応じて使い分けることで、真に豊かな食の世界が広がります。
醤油が好きなのは結構ですが、「全てを醤油で代用できる」というのは、塩が料理にもたらす無限の可能性を理解していない、塩厨から見ればあまりにももったいない考え方です。素材の味を最大限に活かす塩の奥深さを、ぜひ一度真剣に味わってみてください。きっと、新たな料理の世界が拓けるはずですよ。
今年の頭ぐらいに転職して職場が変わったのだが、客層が9割女性という職場を引いてしまってもう何というか大変につらい。
仕事の内容自体は好きだ。だが相手が女性となると本当に楽しくない。
俺は女性が苦手だ。苦手というのは上手く接することができないという苦手ではなく、忌避とか嫌悪とか、そんな感じの苦手だ。
ある程度親しい間柄なら問題ないのだが、客レベルの親しさなら対象外だ。
もちろん仕事だから表面上は普通に接する。けど本音は可能な限り関わりたくない。でもマンツーだからかかわる姿勢は見せないといけない。嫌すぎる。
俺がこれほど女を嫌っているのは、ひとえに家族のせいだろう。
うちは母子家庭で、姉が2人。同じ姉を持つ男なら共感してもらえると思うが、姉を持った弟とは常に理不尽に虐げられる存在である。とくにうちは2番目の姉の頭がおかしく、わがままで潔癖で寂しがり屋で暴力的な姉に虐げられ、俺は幼くして女性に対する根源的な忌避感を植え付けられた。
さらに面倒なことに、18歳のころに俺は俺の性的趣向に気づいた。
上記の経験が故なのか、それとも元々素質があったのかは知らないが、今や俺は立派なゲイである。
俺がノンケであったなら、深層心理に刷り込まれた忌避感も性欲でマスキングすることができただろう。しかし俺にはそれができない。俺にとって女に性的な価値は無いからだ。というか存在価値も無い。
知人や友人、同僚なら友達として情も持てるが、客に情などあるわけがないので接するのが本当につらい。
表面上は穏便に接することができるのだが、じわじわと不快感が胸の内に溜まっていくのがわかる。
じゃあなんでそんな職場に勤めたのかというと、シンプルに家から近いからである。
チェーンな職場なので他の店舗に移るという選択肢もあるのだが、そうすると通勤時間が3倍ぐらいになる。元が近いので我慢できる範囲ではあるが、やっぱり抵抗感は否めない。
加えて、別の事情で俺は今の職場を今年度いっぱいで辞めようと思っているので、そのうえで移動を申し出るのは流石に申し訳が立たない。
https://x.com/__digitaldreams/status/1879928073854046510
私たちはDIDを持っており、自分のシステムに気づいてから4年以上が経ちました。これまでにも、好きな他のメディアに登場する複数人格のキャラクターについて分析を行ってきました。また、散文や詩を通じて私たちの経験を詳しく書いてきました。このスレッドでその知識を共有します。
DIDは、1人の人間が複数のアイデンティティを持つ精神的な健康状態です。これらのアイデンティティは「オルター(alters)」と呼ばれ、システム内に存在します。オルターは「スイッチング」を通じて、誰がフロント(身体を制御する状態)に立つかを変えます。
名前の通り、DIDには多くの解離が含まれます。これは最も極端な解離の形と考えられており、圧倒的な状況や深刻なトラウマに対処するために、同じ心と身体の中に複数のアイデンティティを作り出します。
DIDは、幼少期のトラウマや(複雑性)PTSDのようなトラウマ関連障害と強く関連しています。また、離人感(自分の心や身体からの乖離)や現実感喪失(現実からの乖離)といった他の解離性障害と併発することもよくあります。
周囲の人や物が本物ではないと感じること
記憶喪失やアムネジア
[画像:アニメのシーンが複数添付されています。例: 「あ!にゃむちもいる!超かっこいい~」「おー、幼馴染?」「うーん…でも美波森織の娘であることが大きいかな」「長くは続かないよ」などの字幕付きシーン]
彼女はほとんど何も話さず、いつもガラス玉のような目で前方を見つめています。これは若葉家でも、インタビュー中でも、フォトシュート中でも同様です。
ほとんどの会話中、彼女は完全にそこにいるようには見えません。これが外部から見た解離の様子です。彼女は全く集中できていません。なぜなら、精神的に「そこ」にいないため、何が起こっているかに集中できないのです。
(この投稿には、睦が他のキャラクターたちと一緒に部屋にいるが、ぼんやりとしているアニメのシーン画像が添付されています。)
同じシーンでスタジオを去る際、睦の動きはぎこちなく不自然で、まるで普通に歩く方法を忘れてしまったかのようです。これは極端な解離によく見られる症状です。身体と現実の間に大きな距離があるため、通常の動作が抑制されてしまいます。
睦の解離した視線はそこだけではありません。エピソードの残りの部分でも非常に顕著です。フォトシュート中も彼女はガラス玉のような目をしており、カメラマンがそれに気づくほどです。彼女は全く集中しておらず、それが明らかです。
フォトシュートの間に、窓の近くに座って心配している睦のショットが挿入されています。彼女の目は再びガラス玉のようですが、別の点もあります。窓の外を見ると、照明の変化によって時間が目に見えて経過しているのが分かります。
睦は一部のショットで激しく心配していますが、他のショットでは全く何も感じていないように見えます。これは睦と彼女の感情の間の乖離です。この特定の現象は「感情的健忘」と呼ばれ、DIDでよく起こることです。
トラウマ的な状況でどのように感じたかを覚えていない状態を指します。仮面を外され、その結果に直面することは彼女にとってトラウマであり、睦はその痛みを解離によって遠ざけ、時間の喪失を引き起こしています。
時間の喪失が最もよく表れているのは、フォトシュートシーンの最後のカットです。突然でやや唐突に、睦がベッドに横たわっている場面に切り替わります。彼女は目を覚ましたように見えますが、そこに至るまで明らかにその日中活動していたはずです。
この場面の切り替わりの直前、音声が遠くなり、歪んでいきます。解離は現実からの乖離の一環として、音の歪みを引き起こすことがあります。声が不明瞭になり、カメラの映像がどんどん柔らかくなって、最終的に完全にフェードアウトします。これは現実感喪失(derealization)を明確に示しています。
意識を取り戻した後、睦は混乱した状態でベッドから起き上がります。彼女はベッドに横になる代わりに、地下室に行ってギターを抱きしめます。これはベッドに横たわっていた時の睦と同じ人物には見えません。彼女はフォトシュートの間にスイッチングし、今、再びスイッチングして戻ってきたのです。
このエピソードでの健忘の例はこれだけではありません。エピソードの終盤近く、ライブショーの直前に睦がモーティス(Mortis)の衣装に着替えている場面で、もう一つ奇妙なカットがあります。
ここでのカメラのフラッシュ音は重要です。第2話では、カメラのフラッシュが睦とモーティスがスイッチングする際の合図となっています。フォトシュート中のスイッチングで最後に聞こえたのは、大きなフラッシュ音でした。
そして今、この音はライブの直前に睦に何かが変化していることを示しています。フラッシュの後に彼女の顔にカットが切り替わると、彼女は完全に別人のように見えます。もはや激しく呼吸しておらず、突然落ち着いています。
直後、睦はステージに立っていますが、どのようにしてそこにたどり着いたのか明らかに混乱しています。睦はステージに到着した後に再びスイッチングして戻ってきましたが、その時彼女が制御していなかったため、どうやってそこにたどり着いたのか分かりません。
つまり、第2話の後、睦はすでに激しい解離、現実感喪失、離人感、自身と感情の分離、時間の喪失、そして記憶喪失を示しています。これらはすべて彼女がDIDを持っているという決定的な証拠ですが、第3話ではモーティスと出会うことでさらに多くのことが明らかになります。
彼女は睦のオルターであり、保護者であり、記憶と時間の喪失の原因です。第2話でのカメラのフラッシュは、睦が過度にストレスを感じて解離した際に、モーティスがスイッチングして制御を取ったためでした。
スイッチングはしばしば外部のストレスや引き金によって起こります。この場合、モーティスは起こっていることから睦を守るために制御を取っています。しかし、睦は第3話までモーティスの存在に気づいておらず、代わりに自分に何が起こっているのか混乱しています。
モーティスが睦の人生について説明する際、いくつか注目すべき点があります。モーティスがショーを披露する時、彼女は睦の身体を通じてそれを行いますが、彼女の仕草は私たちが普段見る睦のものとは明らかに異なります。
異なるオルターはしばしば異なる仕草や声を持っています。システムがマスキングしている場合は分かりにくいですが、もしそれを見せている場合、スイッチングが起こった時にそれが明らかになります。そして、このバージョンの睦は明らかに睦ではありません。
睦の人生全体のショーは、モーティスが睦に彼らの記憶への完全なアクセスを与えていると解釈できます。睦はストレスの多い時期についての健忘があり、モーティスが代わりに記憶しています。今、モーティスはもう隠れることができず、睦に彼女が経験したすべてを見せています
モーティスに似た睦の人形が両親と一緒に下の階にいる一方で、睦自身は上の階でパニックになっています。睦は体外離脱体験をしており、自分がその部屋にいると思えていません(現実感喪失)。
睦の人生全体のショーは、モーティスが睦に彼らの記憶への完全なアクセスを与えていると解釈できます。睦はストレスの多い時期についての健忘があり、モーティスが代わりに記憶しています。今、モーティスはもう隠れることができず、睦に彼女が経験したすべてを見せています。
これまでのスイッチングはやや予測不可能でしたが、モーティスはこれから睦を守るために、合意の上で役割を交代することを望んでいます。
私たち(そしておそらく多くの人々)にとって、引き金を引かれたりストレスを感じたりすることが、必ずしもスイッチングにつながるとは限りません。時には、フロントにいるオルターが「固まって」しまい、スイッチングできなくなることがあります。睦にもそれが起こっているようで、特に彼女が制御を譲ることを恐れているため、その傾向が強いようです。
そのため、モーティスはさらに強く迫り、睦は解離し続けます。にゃむが彼女の家に到着した時、睦は反応しません。咲子とうみりが入ってきた時、睦は会話から完全に意識を外し、代わりにモーティスや他の人形たちが話すのを聞いています。
(この投稿には2枚の画像が添付されています。1枚目は人形の姿で「にゃむちゃんが言ったように」と字幕が表示され、2枚目はにゃむが「睦ちゃんが心配」と話しているアニメのシーンです。)
モーティスは明らかに悪意を持っていません。彼女はやり取りの最中に睦の靴を抱きしめさえします。モーティスはどんな手段を使ってでも睦を守りたいと思っています。このままでは睦が壊れてしまうため、モーティスはどんな方法でも彼女を世話すると誓っています。
本日は、量子力学における観測問題という、長年にわたり論争の的となっているテーマに取り組んだ。この問題は、量子状態が、確率的な重ね合わせ状態として存在するにもかかわらず、観測という行為によって特定の結果へと「収縮」するように見えるメカニズムに関する根源的な問いを提起する。
午前中、僕は現在従事している極秘プロジェクトについてパートナーに説明を試みた。残念ながら、このプロジェクトは機密指定を受けており、詳細を外部に漏らすことは禁じられている。苦肉の策として、僕は機密情報をマスキング処理(いわゆる「ピー音」で隠蔽)しながら説明を試みたが、彼女がプロジェクトの核心を理解できたとは到底思えない。
その後、彼女から自身が取り組んでいる脳の意識に関する実験について説明を受けた。彼女の研究は、筋肉運動を司る神経信号が、被験者が運動を意識するよりも先行して発生するという現象に着目している。これは、意識という主観的な経験が、脳内の物理的なプロセスとどのように関連しているのかという、哲学と神経科学の交わる領域における難問に実験的なアプローチを試みるものと言えるだろう。
この現象は、20世紀後半にベンジャミン・リベットによって行われた一連の実験によって広く知られるようになった。リベットは、被験者が指を動かす意思決定をするよりも前に、「準備電位」と呼ばれる脳活動がすでに発生していることを発見した(Libetet al., 1983)。この実験結果は、自由意志の存在そのものに対する疑問を投げかけるものとして、大きな議論を呼んだ。近年では、より高度な神経イメージング技術を用いて、意識的な意思決定に先行する脳活動を詳細に分析する研究が盛んに行われている(例えば、Soonet al., 2008)。彼女の研究も、これらの研究の流れを汲み、事象関連電位(ERP)や脳磁図(MEG)を用いて、意識的な意思決定の神経基盤を解明しようとしているようだ。
昼食時、僕はカフェテリアで友人たちと合流し、食事中にふと閃いたアイデアについて話した。彼女の神経科学的な知見が、量子力学における観測問題に新たな視点をもたらす可能性があるのではないかと考えたのだ。
午後、彼女と僕は共同研究を開始するため、彼女のアパートへと移動した。僕の理論物理学的な計算と、彼女の神経科学的な実験データを組み合わせることで、量子力学の標準的な解釈の一つであるコペンハーゲン解釈における「観測者」の役割、特に意識の関与を検証できるかもしれない。コペンハーゲン解釈では、観測という行為そのものが量子状態を確定させるとされるが、この解釈には、観測を行う「意識」の定義や、それが物理的なプロセスに及ぼす影響など、依然として不明確な点が多く残されている。
量子力学と意識の関係については、様々な理論的な提案がなされてきた。例えば、ロジャー・ペンローズとスチュワート・ハメロフは、意識が脳内の微小管における量子的なプロセスによって生み出されるとする「オーケストレーションされた客観的収縮(Orch-OR)」理論を提唱している(Penrose & Hameroff, 1995)。また、一部の研究者は、量子エンタングルメントなどの量子的な現象が、意識の統合的な性質を説明する上で重要な役割を果たす可能性を示唆している(例えば、Hameroff, 2014)。しかしながら、これらの理論は、実験的な検証が非常に困難であり、科学的なコンセンサスを得るには至っていない。
僕たちの試みは、これらの先行研究を踏まえつつ、より実験的なアプローチを目指すものである。彼女の神経科学的な実験データを用いて、意識的な観測が量子状態に及ぼす影響を詳細に分析し、コペンハーゲン解釈における「観測者」の役割をより明確に定義することを目指す。
しかしながら、共同研究は決して容易ではない。そこで、僕たちはいくつかのルールを定めることにした。例えば、物理学に関する事項については僕が最終的な決定権を有し、神経科学に関する事項については彼女が同様の権限を持つ。ただし、僕が異議を唱える場合はこの限りではない。また、研究成果を論文として発表する際には、僕の名前を筆頭著者として記載することを確約した。
研究を進める過程で、意見の衝突も生じた。僕は彼女の鼻呼吸の音が過度に大きいと指摘し、彼女は僕の存在が極めて疲れると反論した。しかし最終的には、計算モデルにおける重大な誤りを発見し、問題を解決することができた。
夕刻、彼女と僕は、研究を継続するか、あるいは僕たちの関係性を維持するかという、究極の選択に直面することとなった。無論、僕たちにとって自明の選択肢は一つしかない。
そこで、僕たちは改訂されたルールに基づき、互いを容赦なく侮辱し合うという戦略を採用した。具体的には、相手の学歴、知的能力、家族構成など、あらゆる側面を攻撃対象とした。驚くべきことに、この非倫理的な行為が僕たちの認知プロセスを活性化し、研究の進捗を加速させるという結果をもたらした。
本日の結論として、彼女の神経科学的な研究と僕の理論的な計算を組み合わせることにより、量子力学における観測問題の解決に近づける可能性があることが示唆された。しかし、そのためには、更なる実験データと、より洗練された侮辱が必要となるだろう。
読みました。
https://note.com/yoppymodel/n/nc4aed60c5c44
https://note.com/yoppymodel/n/n621bfa22db3c
まずはお疲れ様でした。災難でしたね。
暇空さんおよびそのファンネルとの係争でイライラさせられてるのはすごくわかります。
そもそも今回のマスキングの件、特に公に向けて謝罪する必要はなかったでしょう。
それでも妥協してさっさと終わりにしようと思ったら破断になり、イライラがMAX状態になっているのでしょう。
さすがにこの記事を書きたいのであれば、もう少しヨッピーさん自身の寄付ポリシーについての反省とか今後についても書く必要があるのではないでしょうか。
僕も、流れてきた記事とかクラウドファンディングとかに対して、あんまりあれこれ考えずに雑に寄付したりする習性があるのであんまり人のことは言えませんが
だけで済ませられると「ヨッピーも根っこの精神性が暇空さんと同じやん」となります。
他の人にこの基準を押し付けるのであればちゃんとご自身の行動についても明確にすべきです。
1:当時の自分はどうだったのかを詳細に書く
2:そしてその判断は今の自分から見て妥当なものだったのかを振り返り、良くなかったのであれ「雑に寄付したりする習性があるんで」ではなく明確に問題だったと反省する。
3:今回の暇空だけじゃなくて、今後あらわれるであろう暇空的なものに対して同じようなことをしてしまわないように、自分自身は今後この基準を採用することにするのかどうかを明言する。
その結果、寄付の手が以前より鈍るとしてもそれはやむを得ないのか、暇空だけが例外で自分は今でのポリシーを変えないのかを明確にする。
自分が暇空に寄付したことは「僕の習性だからしょうがないんだよなあ」で済ませるのであれば、他の人だってヨッピーさんのように暇空に寄付することをごちゃごちゃ言われる筋合いはないでしょう。
それとも「いや、僕が寄付した時は暇空がこんなに問題があるなんてわからなかったじゃないか。僕が寄付したタイミングならオッケーだった」という言い訳をするのでしょうか?
もちろん注意喚起という意味で全く有用性が無いとは言いません。
「ピーシーデポはこんなに問題があるから買い物するときは注意しようね!」という記事と同様に
「暇空茜はこんなに問題があるからカンパする時は注意しようね!」という話はあっても良いと思います。
でもこれは「暇空さんは嘘をつくということを失念していた」と同じミスをまた重ねている気がします。
暇空さんの信者はそもそもヨッピーさんの文章を読んで理解できるほど頭が良くないので無意味でしょう。
そういう人たちは今回に関してはその話をすればするほど「じゃあなんでヨッピーさんは寄付したんだ?」の話にどうしても帰着してしまうでしょう。
ここで「なんとなくだよ!俺の習性だからしょうがないんだよ!」で済ませちゃうのであれば少なくとも全く意味はないはずです。
それよりも今回ヨッピーさんは実際にカンパしてしまった立場としてその立場を活かしてもっと明確な注意喚起ができると思います。
ぜひ皆さんからも暇空さんに「これまでの領収書を全部公開してくれ」「相談した公認会計士の名前を公表してくれ」と要求してみてください。
今回の件で言えば、おそらくヨッピーさんはすでに暇空さんにこの要求を行われていると思います。
しかし、現在この要求は分断されてあまり組織立っていないように思われます。
そのため、暇空さんがその要求をシカトしまくってもあまり問題になっていないような気がするのです。
どうしても「お前が言うな」という話にんあってしまうような漠然とした注意喚起の記事を書かれるよりは
PCデポの時のように、カンパしている人の中で暇空さんに詳細開示を要求してる人を束ねて、一つの勢力としてまとめることではないでしょうか。
組織だってこの請求をしてそのうえで「○○人から請求を受けているのに無視しています。あれだけ東京都不正について開示をしまくっていた人がこれはどういうことでしょう」と持っていく。
なぜなら、もはやまともな人はそもそも暇空さんの話題に触れようともしないからです。
あいつはやばいやつだからかかわらないほうが良いということで放置しているからです。
すでに暇空に関わったり暇空の話題を追いかけているようなやつは頭のおかしいやつしかいないと思ってるからです。
「いかなる理由があれ、暇空にカンパするようなやつは全て馬鹿だ」
「暇空なんかにカンパして厄介事に巻き込まれたようなやつは自業自得だ」
と切り離して考えているからです。
自分が渦中に巻き込まれているからヨッピーさんはこの温度感を見誤っている気がします。
少なくともこの件において、ヨッピーさんは「暇空にカンパしたバカ」という扱いになっているのです。
まずそこから這い出ないかぎり、いつものヨッピーさんと同じ扱いにはならないのです。
この認識が甘すぎるのではないでしょうか。
降り掛かった火の粉を払う、くらいじゃなくてちゃんと始末をつけるくらいしないと駄目なのではないでしょうか
某自称イクメン系ライターのヨッピーさんの顛末を見かけて、改めてそう思った
借りにも犯罪予告を受けている人間の住所晒しておいて「そこには住んでないと言ってたからセーフっしょ」とか逆ギレするとか
会社経営しているのに個人情報の扱いにガバガバなライター、というイメージがつきそうなのが致命的過ぎない?
後住所見て不届きな連中が凸したら、普通に他の住民に迷惑がかかるとか、マンションの管理会社にも被害が及ぶとか、想像出来ない?
どう考えても開き直って良い事では無いでしょ?
あと、noteの方で「暇空は嘘つき」とかも書いてたけど、仮に「今住んでない」のが嘘で今でも住んでたら、犯罪予告受けてる人の住所を悪意的に晒した疑惑までついてくるんだけど?
完全にラインを超えている。本当にミス?黒塗りやった事ある人なら分かると思うけど、最優先してマスキングしなければいけない箇所だと思うんだけど
嬉しすぎてやらんでも良い事やって、勝ちを台無しにするとか、頑張ってくれた弁護士に顔向け出来ないんじゃない?知らんけど
TL見たらそこらの一般アカウントとレスバしてたけど、これも含めて「暇空信者のせいで誹謗中傷されて賠償金放棄に追い込まれました~」って方向に持っていきたいのかな?
全員が全員そうでないと思うけどね
元オモコロ読者とか、記事を読んでた読者も混じっててがっかりしてると思うよ、俺とかさ
DMでのやり取り読んでたけど、相手方の方が大人の対応してて、なんかもうなんかなぁって思っちゃった
家族持ちとか、オモコロ筆頭人気ライターなんて肩書は、全うな社会人としての人格を形成するとは限らないんだな
https://note.com/prosekkyoshi/n/n94afcb06373a
まずは堀口代理人からの質問でした。結構長かったそうです。話を聞いて印象に残った大事そうなポイントは以下のような感じとの事でした。
論点となっているSNS等のプロフについて、どのような経緯で投稿したのか、詐称の意図はあったのか
→SOASは卒業にチェックボックス入れないと中退表示になるから入れた
なぜ今は削除したのか
→清谷氏のような指摘が今後も来る可能性や弁護士である福田先生の指導を考慮して消した
誤解を招く可能性があることは認めるのか
→その可能性があることは認める
(後にそれは想定してない旨の回答もあったのでちょっと意図は怪しいそうです)
→人との繋がり、SOASの友人たちとの交流や思い出してもらうために必要だと思った。学士終了と第三者が思うかどうかは考えてなかった
清谷氏の質問状をどう思った
→しようとしたができなかった。断られた。清谷氏と揉めてるからほとぼり冷めるまでは、というような理由で
序盤は緊張してたのか、かなり噛みながらでしたが徐々に落ち着いて、いつもの早口な感じで答えていたそうです。ここまでは意外と長かったがまあこんな感じなのかなと思っていたとの事。
エグかったらしいです。かなりの圧と厳しさで、原告弁護士も異議を連打していたとの事。通ったり通らなかったり
現在もKCLに在籍しているのか、いま何年次なのか
→している。休学を繰り返しており、今は2年次。様々な理由から今は日本にいるが在籍はしている。20-21年ほぼ休学、22-23も休学。
2年次?!
→志してない
→そのつもり。ジャーナリストではないが情報の発信は色々続けていきたい
→システム上、大学がなくて自動で取得と入った。誤解を招くので(中退)と書いた
渡英のため退学と書いているが、これは何故か。不正確ではないか
→そのタイミングで留学したい、行くならイギリスがいいなという希望はあったので、不正確とは思わない。
→TVで芸人が中退でも〇〇出身芸人に出てるから出身はありだと思った。レビューに説得力を持たせるためにそう書いた
その理屈だと、1日でもいたら出身って書いて良いことにならないか?
→まあそのような解釈もあるでしょうね解釈次第では(的な回答、ちょっとよく分からなかった)
中退と書いてるということは、学習院の教養課程は修了したのか?
→間違いない
※ここで異議が入って止まる
SOASの学歴に〇〇専攻と書いているが、本当に専門的に学んだのか?
→選択式の授業があってそれで選んだから専攻と書いた。専攻欄がシステムの仕様上必要だった。
SOASの卒業記載を削除したのは虚偽の記載に当たると思ったからではないのか?
→消したのは本意ではない。本当は残したい。いちゃもんつけられても困るし福田先生の指導もあったから消した
プロフに学習院書いてない事もあるよね?SOASだけ書いてたよね?
→学習院には愛着がないから書かなかった。SOASには愛着があるからかいた
SOASの学歴記載は人との繋がりを維持するために書いたってさっき言ってたけど、これ書いたのコース開始前だよね??
→いや、訴求してかけるからそうとも限らない。
→認める、開始前
でもプレコースもあったから、その時会った人もいるし、IFCそのまま入る人もいるコースなので………
Course Endが2024/5/31だが、20年入学だとおかしくない?
→最初の休学後に再発行したものだから。issue2になってる
その後再び休学したと言ったがissue3も持ってるのか?
→再発行してないから持ってない
(こ、これは……駅前留学は一体……)
勤務の記載って何?どこに勤務してたの?
→防衛省の予備自衛官補を16-19か17-19か、よく覚えてないが3年くらいやってた
→登記簿はとってない。ネットで閲覧できるサービスがあったのでそれで見た
2019年4月に学生じゃないのに当事者の学生を名乗って投稿したのはなぜ?
マイナンバーカードの電子証明の更新に役所に行く。混雑のなかカードと書類を渡して手続きを行う。ちょっとした住所表記の変更があったので新住所印字のためにしばらく待つ。
別の窓口から返ってきたカードを受け取るが裸で返されケースがない。
ケースを求めると窓口に置いてあったケースの束から無作法に1つ渡され職員は慌ただしく次の市民対応に当たり始めた。
ケースにカードを入れてみるがどうもしっくりこない。変な位置にマスキングがしてあり、どう入れても今まで隠れていた部分が隠れない。
ちょうど別の職員が通りかかったので「マイナンバーが隠れないんですが」と聞いてみると「あら大変」と対応してくれたのだが「今はカードのデザインが変わってこのケースしかない」のだそうだ。いつの間にかマイナカードのデザインが変わってしまって自分は古いカードになっていたらしい。
「前に使ってたケースはどこかにありませんか。あの窓口で最初に手続きしたのですが」と言うと職員は探しに行ってくれて元のケースを見つけてきてくれた。
感謝して帰途についたがケースを預ける時には古いカードの人は注意したい。
と、ここまで思って調べてみると、マイナンバーカードのデザインは今まで変わったことはなかった。変わっていたのはマイナンバーを隠す方針のほうで、2年前にマイナンバーが他人にバレても問題ないことを周知するためにケース配布廃止が検討されているとニュースになっていた。そういえば耳にしただ記憶がある。
その後にどうなったのかのニュースは全く見つからないが結局ケース配布自体は続けられ、今はマイナンバー部分にマスキングをしていないケースが配布されていて自分が今回もらったものもそれだったようだ。性別と臓器提供部分だけが隠されている。
昔のケースのままでいたい人は更新で窓口に預ける時に注意されたし
東京都のマッチングサービス(TOKYO縁結び)に登録したら独身証明書の提出が必要だったので調べた備忘録
本籍地が現住所と同じorすぐに行ける範囲であればおそらく即日、そうでなくても戸籍謄本で代用可能であれば広域交付で最短即日
少なくともTOKYO縁結びでは、独身証明書は戸籍謄本(戸籍全部事項証明書)もしくは戸籍抄本(戸籍個人事項証明書)で代用できるとのこと(追記:本籍地や父母の氏名など、独身証明に関係ない項目はマスキングせよと指示がある)
※戸籍のうち、家族全員分書かれたのが戸籍謄本、個人の情報のみを抜粋したのが戸籍抄本
(その他の婚活サービスや結婚相談所では、個人情報の問題から代用できないケースもあるらしい)
本籍地が現住所と異なる場合、独身証明書よりも戸籍謄本/戸籍抄本のほうが取得しやすそうなので、そちらを取得する
マイナンバーカードは持っている前提
以下のいずれか
以下のいずれか
本籍と現住所が異なる場合、戸籍謄本で代用可能ならば、広域交付で戸籍謄本を申請するのが一番早そう(家族全員分の個人情報が記載されているので取り扱いには注意)
また、コンビニ交付も最初の利用登録申請こそ数日かかるものの、一度済ませておけば今後同様の交付は全てコンビニで即日できるので、そちらも良さそう
ブコメだと賛否両論あるけど、このニュースを「気持ち悪い」と思う感覚は普通だと思うよ。
元ニュースだと「婚姻関係を含む戸籍関係情報との連携がスタートする。これによって、マイナンバーカードによる本人確認時に、既婚か未婚かを厳格に確認できるようになる」とあるが、これだけだと戸籍情報が事業者に共有されるようにも見える。本来的には「既婚・未婚」の情報だけが共有されるべきだが、マイナポータルで共有される情報がきちんと確認できるのか?現状のUIの出来の悪さをみると心許ない。
この点では、独身証明書を紙(もしくはスキャンした電子データで)提出するというのは、どんな情報を事業者に渡しているのか明確でわかりやすい方法だった。
UIとしてそうなっていたとしても、電子データが本当にそうなっているか「わからない」というのは正当な感覚。これまでも本来渡してはいけない情報を渡していたという事例はたくさんある。あと開発をしていればわかると思うけど、情報を適切にマスキングするというのは結構面倒なので、悪意がなくてもマスキングされていない情報が流れてしまう、というのもよくあること。
そして、ここでも難しいのはユーザー側から確認する方法がないということ。これも、いったんユーザーが独身証明書を入手して事業者に渡す方法であれば、担保されている。
家族の戸籍謄本をとってみればわかるけど、戸籍情報ってかなりセンシティブな情報を含んで、場合によっては差別にもつながるからね。これが役所内ならともかく、民間事業者に電子データとして連携されることが「気持ち悪い」と感じるのは当たり前の感覚だと思う
暇空の弁護士だいぶやべーな
「別紙に記載」と書きつつ別紙が入ってねーよという開示請求の報告が多かったんだけど
他人のIPや書き込み情報が記載されてる「別紙」が何枚も入っているという人が出現
この件は暇空は関与していない疑いもあり、中高時代の非行歴について書かれた弁護士が個人的に暴走して
書いた人だけじゃなく無関係な周辺も全部絨毯攻撃してる可能性がある
個人請求の場合は請求者名を隠すよう要求できて、プロパイダ側判断なのかプロパイダがガバガバなのか、マスキングされてる場合と出してる場合がある
初期の頃に話題となった「草生えた」だけで開示請求された件を暇空は知らないと言ってたので、
嘘じゃなければ、弁護士が個人的に、通るはずがない開示請求を威圧目的で勝手にやってるという
バンドリ、正確にはBang Dream!プロジェクトは、ガールズバンドを題材にブシロードが展開するメディアミックスコンテンツだ。
とこのあたりはチャキチャキ行きたいのであとは各自調べてください。
スマホゲーを中核にしつつ、アニメ化とか音楽とかいろいろあるわけだが、一番のキモはリアルバンドということになると思われる。
文字通りというか何というか、リアルのバンドである。キャラクターを担当する声優さんたちが楽器を練習してバンドを組んでライブをするという、そういう感じだ。
この流れの中で、昨年リアルバンドの活動開始とともにテレビアニメシリーズ『Bang Dream!It's MyGO!!!!!』が放映されたのがMyGO!!!!!(以下マイゴ)というバンドである。
『It's MyGO』については、もう全員見ているであろうから話の大筋は割愛する。平たく言えば「気まずい『けいおん!』」である。
ともかく、今にして思えばこのテレビシリーズが始まりだった。バンドリのアニメシリーズ自体は以前にも3シーズンばかり放送されており、目を通してはいた。が、ハマるということはなかった。「ふーん、いいじゃん。」と渋谷凛程度のテンションで受け流していた。
ところが今度の『It's MyGO』は違った。端的に言えば、わかる。これに尽きる。劇中で次から次へと起こるいざこざは、バンド経験者であれば、馴染み深いとまでは言わなくとも身に覚えのあることばかりだ。そもそもバンドマンなんて人格に問題を抱えた人間の方が多い。それが群れてひとつの目的に向かおうというのだから、揉めるこじれるは必然と言える。現実には、結束バンドや放課後ティータイムのように円満な関係のバンドのほうが珍しいはずだ。
そして何より、バンドは終わる。99.9%のバンドは、とくに売れることもなく、ライブを成功させる(何を成功とするかは難しいが)こともなく終わる。マイゴだって一度は最悪の形で終わりを迎える。だがそこからだ。大きく話題になった10話のライブ回。「終わったバンド」の先を描くファンタジー。泣いた。泣き散らかした。なんというか、過去の私が救われたような思いがしたのだ。『ラ・ラ・ランド』のクライマックスのようだった。
youtubeのマイゴチャンネルで情報をチェックするようになった。新規楽曲のMVがチャンネル上で公開されていたのがきっかけである。アニメ終わったのに新曲出るんだ、と思ったのを憶えている。
そうやって過去楽曲のMVまで漁っているうちに、画面端に目が留まった。
話が逸れるようだが、ここでインターネットのコツについて書く。youtubeの関連動画を見るな。というのがそれである。猫動画を見ていたら関連動画にハムスターの共食い動画が現れたことがあった。関連動画を見ていいことなんてひとつもないのである。私が数ヶ月前の自分に何かアドバイスできるなら、youtubeの関連動画を見るな、と必ず言うだろう。
同じバンドリプロジェクトの別バンドの、リアルライブ映像だった。RAISE A SUILEN。以下、RAS。
音楽的には全く好みでなかった。マイゴがクリーンヒットするくらいだから、私が好きなのは直球のギターロックなのである。アジカンとかイースタンユースとかアンディモリとか、そういうバンドなのである。
RASの音楽は、好みと全く違った。が、好みでないがゆえに、俯瞰で分析的に見られた。そして思った。演奏力、ヤバい。
特にドラム。全員巧いが、特にドラム。叩くマスキング役夏芽氏のドラムは、完全にパワータイプである。ビスケット・オリバとか花山薫とか好きな人なら多分好きである。四つ打ちのシンプルなリズムに我慢ならんとばかりに無限にフィルが入ってくる。打点がよほどいいところを抜いているのか、バンドとしては重心低めの音像にも関わらず、ドラムの音が小気味いいほど抜けてくる。かつ重さもある。そして常に笑顔。普通あんなドラムを叩いていれば虚無顔か仁王顔になってしまうと思うのだが、めちゃくちゃ抜けのいい笑顔で叩いている。怖い。あと髪型がかっこいい。東京リベンジャーズに出てきそうな髪型である。怖い。
しばらくはRASにハマり、ブックオフオンラインでアルバムを買った。当然、特典ブルーレイ付の初回盤である。
ここで、バンドリシリーズのCDの特殊な形態について少し説明しておく必要がある。CDには、たいてい【通常盤】とブルーレイ付の【初回盤】が存在している。なんだ普通じゃんと思われるかもしれないが、特殊なのは、このブルーレイの方が「本体」であるという点だ。ブルーレイには、基本的にバンドのライブ公演が一公演まるごと収録されている。そのブルーレイの分、通常盤と初回盤の間には価格差がある。たとえば、シングル盤だとCDのみの通常盤では1,760円(税込)。これに対してブルーレイ付の初回盤は7,810円(税込)である。これがアルバムになると、付属のブルーレイは二公演ぶん二枚となり、価格は通常盤3,520円(税込)に対して初回盤11,000円(税込)となる。この価格差が、ブルーレイが「本体」であると書く理由である。
MyGOのアルバムを購入した時点では、ブルーレイが本体であるということを見抜けていなかったため、私は通常盤を購入してしまっている。今では、中古盤を漁る際でも、必ず初回盤を狙うようにしている。
それはさておきRASである。付属のライブ盤ブルーレイ二枚を鑑賞して、参ってしまった。ドラム、音源よりライブのほうが三十倍かっこいいではないか。
といったところで、脱線に脱線を重ねることにはなるが、バンドリとプロメンバー、ということについて少し書く。
バンドリにおいてキャラクターを演じる声優さんが演奏するのがリアルバンドであると先に書いた。掘り下げると、このあたりは少し込み入った事情がある。RASについていえば、はじめはバンドリプロジェクトの専属バックバンドとして組まれたものであり、ドラム、ベース、ギターというバンドの核を成すパートを受け持つメンバーはもともとスタジオミュージシャンとして活躍されていたようである。いわば演奏のプロ。演奏がうまいのは当たり前と言ったら失礼になるが、むべなるかな、である。
このあたりの事情について、もうひとつ、注目すべきことがある。こうした、スタジオミュージシャン出身のメンバーも、自身の担当パートのキャラクターに声をあてるのである。私としては、ここのところをとても面白いと感じている。彼女らは演奏のプロであるが、声優としては(はじめの時点では)アマチュアである。翻って、本業声優のメンバーについて考えると、彼女らは声優のプロであるが、演奏についてはアマチュアである。この交差が面白い。声優メンバーの演奏技術の向上と、ミュージシャンのメンバーの演技力の向上。後者についてはスマホゲームやアニメシリーズでよく確認することができる。再三触れているRASの夏芽氏などは、もはやキャラクターとしても堂に入ったものである。
RASのライブ映像にどっぷりと浸かった私は、気付けば他のバンドのライブ映像もアーカイブを掘って追うようになっていた。
見ていて、面白いことに気づく。バンドリのリアルバンドでは、技術的な要点はリズム体に置かれているということである。
一応のシリーズの顔であるPoppin Partyで全体の演奏をリードするのはバンドマン上がりのベーシスト・西本氏である。ベースをかなり低めに構えた独特のフォームで激しいパフォーマンスを披露して客席を強烈に煽る姿は、演じるキャラクターとのギャップに少し笑ってしまう。
Poppin Partyと対になるRoseliaでその役を担うのはドラムの櫻川氏だ。ツーバスを主軸にした手数の多いド派手なスタイルで、バンド全体を牽引する。最初見て「この人もスタジオミュージシャン出身なのかな」と思っていたら普通に声優さんだったので、少し引いた。
バンドというものは、リズム体さえしっかりしていればそれなりに聴けるものになる。そういう点を押さえた上で、どのバンドにおいてもリズム体には力を入れるディレクションを行っているのではないだろうか。
という流れで、もっとも後に触れたリアルバンド、Morfonica(以下モニカ)の話をする。
モニカについては、番外編除くアニメシリーズには未登場だったのもあり、ここに至るまで知らずにいたバンドであった。
ライブ映像をまず見ての感想は、なんだかちぐはぐなバンド、である。
特徴となるバイオリン。バイオリンについては恥ずかしながら知識がなく、技術的なことの細部については分からない。ただ、だからこそ、バイオリニストAyasa氏が凄まじく巧い、ということは分かる。いや、モニカのライブ映像を見れば、誰もがそう思うはずである。どんな素人でも分かる凄さである。それぐらいに並外れている。パート的にはリードギターの役割を担い聴かせる激しい演奏は、間違いなくこのバンドの華であろう。ミラ・ジョボヴィッチか?と言いたくなるようなビジュアルも含め、強烈な引きを持ったスタープレイヤーである。
それにドラム。叩くmika氏は夏芽氏とは別ベクトルの超絶ドラマーである。繊細でテクニカルなタイプで、刃牙では烈海王が好きだという人などは恐らくピンとくる音なのではないだろうか。mika氏のプレイにあって、ことにスネアにおけるニュアンス付けは卓抜している。スネアロールの中でのアクセントの位置付け、クレッシェンド、タッチは自在であり、音だけ聴けば口径も材質も違うスネアが四つも五つも並んでいるのかと錯覚するほどである。スタンダードなスクエアなリズムの中に三連系や五連符のフィルをさりげなく滑り込ませるようなプレイも多く、いわゆる「うたう」タイプのドラムとして実に聴きどころが多い。
やはりというか、この二名はもともとプロのミュージシャンであったようだ。演奏は彼女らが引っ張っていく形になるが、ライブ映像の印象は、ギター・ボーカル・ベースはそこに必死についていっているというものだった。演奏がよれたり躓いたりするのを見て失礼ながら「本当に演奏しているんだなあ」と改めて感じた、とそんなような演奏である。
プロジェクト内の他バンドに比べてやけにこなれていないこのバンドに、なぜだか興味が湧いた。
youtubeのバンドリチャンネルを掘っていて見つけたのが、モニカの活動初期ドキュメンタリーシリーズ、「Morfonical」である。バンドの結成から練習、はじめてのイベント出演、単独ライブまでを追う。これが順風満帆とはいかないスタートである。初ライブではライブの開始時にイヤモニにトラブル。ギター直田氏は自らの音が聴こえない状態で一曲目を演奏していたようである。これは目隠しをして絵を描かされるに等しい。演奏に慣れない中、いきなりの大舞台でそれなのだから、恐ろしすぎる。トラウマになってもおかしくない。そんなこともあって、この初ライブはメンバーにとって悔いの残るものになったようだ。ことに悔し涙を流すベース西尾氏と、「自分が全体を見る立場なのにメンバーの不安に気づいてやれなかった」と語るmika氏が印象に残った。それを経ての猛練習と、続く単独ライブ。そこにはドラマがあった。そうした物語込みで見ながら、モニカに対する印象は変わっていった。当時、ギター直田氏とベース西尾氏は「モニラジ」としてyoutube内ラジオを放送しており、これのライブ前後の回、及びにAyasa氏とmika氏のゲスト回にて、ライブにかかる心境を詳しく語っている。
この頃、私はバンドリプロジェクトの中心となるスマホゲーム『ガールズバンドパーティ』にも手を出し始めていた。マイゴのストーリーイベントが公開され、アニメシリーズの先の物語が語られ始めたためである。このゲーム内ではモニカのストーリーも詳しく語られることになるのだが、これを語り始めるとまた際限なくなってしまうので、詳しくは触れない。ただ感じたのは、モニカのストーリーは、バンドリにおける特殊な物語構造──キャラクターたちの物語とリアルバンドの物語の交差──を強く推し進めたものだということである。ミュージシャン組であるAyasa氏とmika氏のキャラクターを演じるという意味での成長、声優組である進藤氏、直田氏、西尾氏のミュージシャンとしての成長、これが交差してモニカという存在の強度を増していく──そういう物語である。少なくとも私にはそのように感じられた。
『エンターテインメントを止めない!~バンドリ!コロナ禍の軌跡~』という特番をyoutube内バンドリチャンネルにて全編視聴することができる。
特に2021年から22年にかけては、ライブの規模縮小、イベントのキャンセルなどかなり活動を制限されたようである。
最近になって、コロナ禍を経ての直近のライブ映像が幾つかアップされている。その中でモニカの最新のライブも見ることができた。
実によくまとまった演奏であった。声優組のパフォーマンスは見違えて堂々とし、演奏ミスもほとんどない。ミュージシャン組のふたりの音もより自由にのびのびと奏でられていた。
そこまでにあった物語を思って、すこし涙した。
CD初回盤付属のライブ映像もそれなりの数を見てしまって、あとは実際に見るしかないかなと思い始めている。
場の雰囲気を思うと、怖くもあるが、なんだか楽しみでもある。