
はてなキーワード:マウスカーソルとは
漫画読めるサイトでもよくあるビューワーより、漫画の1話~最終話まで(※単行本単位にも切り替えられるようにする。表紙とかそういうのは該当話の後につけて、おまけは独立)、右側か左側の話数一覧から、PCなら話の表紙とかのプレビューをマウスカーソルで表示させて、なんならページ数のジャンプもボタン置いておいて全部1キーで出来るとか、それくらいのを、画像縦並びとかにして、こういう感じのを一元管理すれば絶対殺到すると思ってる
1話から最終話まで読みやすい形で、例えばあの話は何話だったか~みたいなのを、いちいち単行本とかごとに切り替えて表示したり、画面から漫画が表示されてるエリアを見失ってまで話数探したりするっていう検索性の悪さだと、単行本をひっくり返して話探してるのと一緒なんだよね
提供して欲しいのは「見たい話を簡単に読みやすく読める」、例えばアニメでああいう話あったけどあれは何話かなとなったときに探す手間を少しでも省けるようにしてあると、絶対読みやすくなるというか
そういう形で一気に読めるようにするっていうのは、単行本だとあり得ない検索性の良さっていうア上位体験、アドバンテージになるんだと思ってる
もう一つ言うと絶版漫画とかみたいに、物理書籍でもう手に入らない漫画をサブスクで読めるようになるかとか、キャラクターブックとかそういうファンは読めるけど電子書籍とかであんまり読めなさそうな話だとか、まとめて読めるかどうかっていうのが大きいと思うわ
ChrisPCScreen Recorder Pro は、コンピューターの画面を録画し、スクリーンショットを高画質でキャプチャできるソフトウェアです。主な特徴は以下の通りです。
https://ja.taiwebs.com/windows/download-chrispc-screen-recorder-pro-3020.html
録画は高画質なMP4(H.264)形式で保存され、最大60FPSの録画に対応。
スクリーンショットはPNGやJPEG形式で保存でき、マウスカーソルも含めてキャプチャ可能。
動画にウォーターマークを入れるオプションやファイル名のカスタマイズも可能。
無償版は録画時間の制限(最大10分)や動画にロゴが入るなど機能制限がありますが、Pro版ではこれらの制限が解除されます。
体長5~12mm程度で真っ黒にところどころ焦げ茶が入っていてかわいい
ジグモはいわゆる毒グモの一種ではあるが、人間に危害を加えることはほぼ無く、噛み付かれてもちょっと腫れる程度である
基本的に蜘蛛の巣を張らない(地面や壁際に袋状の巣を作る)で移動しながら狩りをするタイプのクモである
自分は特に個体識別ができるわけではないので、すべて【ジグモさん】と呼んでいる
大きいのの後に小さいのも見ているので、おそらくは何度かは代替わりしていると思う
蚊とか小バエとかゴキブリが出れば即殺すくらいには虫は苦手で慈悲は無いのだけど
ジグモさんだけは何故か小さい頃から仲が良くてずっと見守っている
今うちの部屋を根城にしている当代のジグモさんは、PCモニタの左壁辺りがお気に入りの定位置らしい
だいたいいつも白い壁に黒い染みになってじっとしている。帰宅後にわりとびっくりする
すっかり人にも慣れてるようで、よほど指を近づけないと逃げていかない
3mmくらいだった頃からこのクセが付いていて、今5~6mmくらいまで育ってるけどおそらく同じ個体だと思う
今代ではない先代か先々代くらいのジグモさんはかなりドジだった
机の上にコップに入れて置いといた飲み物の水面でひっくり返って浮いてたこともあった
おそらくは飲みに行こうとして失敗したんだと思う
以前に溺れたまま動かなくなった個体も見たことがあるので、箸で救出してティッシュで水分を吸い取ってあげた
「気をつけなよ?」って言ってそのまま置いといたら居なくなったから、おそらくはたすかったんだと思う
普段の何気ない会話の端々に、妙な言葉づかいや独特の言い回しを感じることがあった。たとえば、やけに「はてブがどうの」とか「増田でこんな話があって」などといったフレーズを使うのだ。わたし自身は以前からSNSはTwitterくらいしか触れてこなかったし、「はてブ?」と訊いても「はてなブックマークのことだよ」と軽く流されるだけだった。もちろん、わたしには特に興味もなく、「そんなものがあるのね」という程度でいつも終わっていた。
今思えば、彼のなかで何かを吐き出すための行為が「はてな匿名ダイアリー」だったのだろう。わたしが初めて「匿名ダイアリー」というものにピンときたのは、職場の同僚と雑談をしていたときだった。そこでは、ニュースサイトやSNSには決して書けないような本音や愚痴、あるいは日常の裏側を覗き見ることができるという話題で盛り上がっていた。わたしは正直、その場に居ながらあまり話についていけなかった。ふだんの生活で、そこまで"裏の声"に触れたいとも思わなかったし、それを必要とするほどの秘密や不満を抱えているとも感じていなかったから。
だけど、そのとき話に出てきた「増田」というニックネームの存在だけは頭に残った。なんでも、はてな匿名ダイアリーの投稿者を「増田」と呼ぶらしく、投稿される記事の多くは日常の不満や、家族や恋人への隠された感情、職場の内緒話などが一気に吐き出されている、いわば"匿名文化"の最前線なのだそうだ。
あまりにも秘密めいていて、少し不気味に思った。身近な誰かが、あそこに匿名で何かを書いているのかもしれない。そう思うと、世の中のどこに潜んでいるか分からない"本音"のかけらが、いつか自分自身に向けられる可能性だって否定できないわけで、なんだか落ち着かない気分になった。
それから数週間後、わたしはパートナー――以下、彼と呼ぼう――の部屋で何気なくノートPCを眺めていた。というのも、彼がシャワーを浴びているあいだ、友人からのメッセージを処理しようと思ってパソコンを借りたのだ。もちろん勝手にプライベートなフォルダを覗き込むつもりはなかったし、最初は本当に必要な作業だけを終わらせるつもりだった。
ところが、ブラウザのタブを見ていると、どうやら「はてな匿名ダイアリー」で何か投稿しようとしていた様子がうかがえた。たまたま前に開いていたタブの履歴に「投稿完了」みたいな文字が残っていて、わたしは一瞬、まじまじとそのタブ名を凝視してしまった。もちろん、タブをクリックすればどんな記事を投稿したのか、あるいはすでに誰かがコメントしているのかを見られるのかもしれない。でも、そこに手を伸ばすかどうかで、わたしはものすごく迷った。
たぶん、わたしは彼を信じていたし、勝手にプライベートに踏み込むことは、もうその時点で裏切り行為のようにも思えた。とはいえ、同時に好奇心に燃え上がる心が抑えられなかったのも事実だ。「ほんとうに彼が書いたものがそこにある? もしかしてわたしに関する話題が載っているかもしれない?」そんな疑問が頭をぐるぐると駆け巡っていた。
結局、数秒だけ躊躇して、わたしはマウスカーソルをそっと動かした。そして「投稿完了」と書かれたタブを開いてしまった。そこには、ほんの数分前に投稿されたばかりらしい文章が表示されていて、タイトルの部分に「恋人と意見が合わない」とあった。
胸がドキリとした。わたしと彼は最近ちょっとだけ意見が食い違うことが増えていた。お互いの仕事が忙しくなってきたこともあるだろうし、生活のリズムが違うのがストレスになってきたというのもある。だから内容を確かめるまでもなく、「ああ、やっぱり彼はわたしのことを書いているんだな」と直感的にわかった。
しかし、そこに綴られていた文章は想像を超えていた。ここ数日の出来事を通じて、彼はわたしの態度が冷たくなったと感じており、自分の存在意義すら疑いかけているようだった。わたしはそんなに冷たくしていたのだろうか。仕事が大変で、たしかに気持ちに余裕がないことは認める。でも、彼がそこまで自分の心を追いつめていたなんて、気づいてあげられなかった。
もちろん、エントリは匿名で書かれているから、わたしの名前なんてどこにも出てこない。ただ、「同棲中の彼女が最近忙しくて、何か話しかけても気のない返事ばかり」というような表現がはっきりと状況を示していた。彼女がわたしだということは、少なくとも当事者のわたしならすぐにわかる。書き手が彼であることも、間違いなかった。
わたしはそのエントリを最後まで読んだ。彼のささやかな悩みと不安、そして寂しさが、行間に滲むように浮かび上がっていた。それと同時に、まったく別の感情がわたしの中に湧きあがってきた。――これは、一方的な言い分じゃないか。彼も忙しい時期だったのに、わたしばかりが冷たい態度を取っているかのように書かれている。でも、わたしがただ無視していたわけじゃない。そうせざるを得ないときだってあったし、お互い様の部分もあるでしょう、と。
苛立ちと申し訳なさが入り混じって、わたしはブラウザをそっと閉じることにした。戻ってきた彼に問い詰めるべきか、それとも黙っているべきか。その数秒のうちにたくさんの考えが頭をめぐり、結局わたしは何事もなかったようにパソコンを返し、「ありがとう」とだけ告げた。
ところが、それで終わるはずがなかった。わたしは自分でも意外だったのだが、その日の夜、こっそりスマホから「はてな匿名ダイアリー」を覗きに行った。さっきのエントリのコメント欄が気になって仕方がなかったのだ。そして、誰かが「同棲中ならしっかり話し合ったほうがいい」「忙しいのはお互い様だよ」といったコメントを書いているのを見つけて、わたしは複雑な気分になった。他人の言葉なのに、なぜか耳が痛い。そう言われると、わたしが彼の話を聞く時間を本当に作ってあげていたか、自問することになる。
翌日、仕事が終わってからわたしは勇気を振り絞って彼に切り出した。「ネットでさ、匿名で気持ちを吐き出すのって、どう思う?」当たり障りのない聞き方だったけれど、彼はやけに「ん?」と反応して、目を逸らすようにして笑った。「まあ、人によってはそういうのもアリなんじゃない?」彼が答えたのはそれだけだった。
その直後、わたしは仕事や家事の合間をぬって、さらにいくつかのエントリを読んでみた。同じIDかどうかはわからないけれど、タイトルや文章の雰囲気、細部でふと感じる気配から、「あ、これ彼が書いたんじゃないか」と思しき投稿がいくつかあった。テーマは多岐にわたっている。仕事の愚痴、家族の問題、ゲームの攻略メモのようなものから、恋人とどこでデートすべきか悩む話まで、本当にいろいろだ。わたしの知らない彼の一面がそこにあった。
ただ、好奇心と同じくらい罪悪感も大きくなっていった。だって、やっぱり勝手に彼の書いた記事を探し回るなんて、うしろめたい行為だと思ったからだ。一方で、彼が匿名で吐き出している本音を「知りたい」という欲求は抑えられなかった。
それならば、いっそわたしも「増田」になってしまえばいいのかもしれない。そう思ったのは、このまま何も言えないままでいるよりも、同じフィールドに立ったうえで彼の心の動きを感じたいという衝動があったから。自分で文章を書くことで、彼の気持ちに近づけるものがあるかもしれない。そう考えて、わたしは深夜、初めてはてな匿名ダイアリーに投稿しようとした。
ところが、いざ投稿画面を開いてみると、何を書いていいのかわからない。彼について書けば彼の秘密を暴露しかねないし、それは誰かを傷つけるかもしれない。だから結局、日常のささいな感想や仕事で感じたストレスを数行だけ書いては消し、書いては消し、を繰り返すだけだった。
そのとき感じたのは、彼があれだけ多種多様な感情を匿名で自由に吐き出していたのは、単純に自分を守りながら本音を書けるからだけではなくて、書く行為そのものが彼の救いになっていたのかもしれない、ということだった。わたしにはなかなか打ち明けられないことでも、見知らぬ誰かに向けてなら素直にぶつけられるのだと。そこに共感やアドバイスが集まれば、一瞬だけでも孤独を感じずにいられるのだろう。
そう考えると、わたしは彼が自分に隠れて匿名ダイアリーを書いていたこと自体を責めるよりも、むしろ「もっとちゃんと話してほしかった」と思うようになった。もちろん、ネットに書くよりもずっと勇気のいることだろう。けれど、一度でもいいからわたしを信じて本音を話してくれていたなら、ここまでこじれなかったかもしれない。――これはわたしの勝手な言い分かもしれない。もしかすると、すでに彼なりに努力した結果として、それでも言えなかったのかもしれない。
わたしはある晩に彼を真っ直ぐ見つめて言った。「最近、わたしすごく忙しかったし、言葉が足りなかったかもしれない。それは悪かったと思ってる。でも、もし何か思うことがあるなら、ネットじゃなくて、わたしと直接話してくれないかな」。すると、彼はしばらく黙ったあと、不意に笑って頷いた。「ごめん。あんまりにも気軽に吐き出せる場所があったから、そっちに逃げてたんだよね。話すのが苦手で……」
その夜、わたしたちは今まであまり触れてこなかった話題――将来のことやお互いの家族観、仕事のストレス、そしてずっと言い出しにくかった本音――を一気に共有した。どこまで理解し合えたのかは自分でもよくわからない。でも、彼がはてな匿名ダイアリーのユーザであるという“秘密”は、悪いものばかりじゃなかったのかもしれない。もしあのときわたしが気づかずにいたら、彼の不満や不安はネットの海のなかで増幅し、わたしたちの距離はもっと開いていたのではないかと思う。
匿名ダイアリーをすべて否定する気はない。それは誰にでも必要な逃げ場になりうるし、そこに書かれる文章が誰かを救うことだってある。だけど一方で、わたしは彼と直に話し合うことでしか埋められないものもある、ということを強く感じている。「匿名の場所だからこそ言えること」もあるだろうけれど、「顔を合わせてだからこそ言えること」もまた存在するのだ。
いまでも、彼がどんなエントリを投稿しているのかはわたしにはわからない。おそらく、匿名で書き続けているのだろう。わたしはあえて踏み込まないようにしている。知りたい気持ちがまったくないわけではないけれど、結局のところ、「誰が何を書いているのか」を追いかけるのはきりがないし、それこそ信頼を損ねる行為だと思うから。
それよりも、彼が本当に苦しいときや寂しいときに、わたしに言葉を投げかけてくれる関係でありたい。はてな匿名ダイアリーのユーザであることは、彼のひとつの側面でしかない。たとえどんな匿名の場所に書き込んでも、現実世界で隣にいるわたしへの思いが消えてしまうわけではないはずだ。
もしまた、どこかではてな匿名ダイアリーを眺めているときに「これは彼が書いたかも?」と思えるエントリに出会ってしまったら。わたしは今度こそ、そっと画面を閉じるだけにするか、あるいは何も知らないふりを貫くかもしれない。けれども、わたしはもう「わたし自身の気持ち」を、誰かのコメントやスターに委ねるのではなく、ちゃんと彼と共有していきたいと思っている。
そう思えるようになるまでには、いろいろな感情の波があった。読んでは傷つき、読んでは見えない敵を探すような、そんな時期もあった。だけど最後にわかったのは、相手が何かを隠しているのではなく「言い出せないものを抱えている」状態こそが孤独を深めるのだということ。匿名ダイアリーの投稿を追い回すより、横にいる人間としてやれることが、たくさんあったのだ。
そして今、わたしたちのあいだには以前にはなかった小さな合言葉がある。「ネットに書く前に、ちょっとはこっちにも言ってみてね」――彼が困ったように笑って頷く、その顔がわたしにはなにより愛おしい。彼が誰かに向けて匿名でつぶやく言葉を無理に止めることはできない。それもまた、彼の大事な表現方法だろうから。でも、そんな彼をわたしは真っ向から受け止めて、一緒に笑ったり泣いたりしていたい。それが、ふたりでいる意味なのだと思う。
別に映画の「ここはどこ!?わたしは誰!?」みたいな記憶喪失モノのような派手な展開ではないから期待しないで読んでほしい。
正確には、俺は車を時速34キロで飛ばしていた。その時のメーターが今も目に焼き付いている。
俺は盛大にビビった。だが別に大事故を起こすようなことはせずに、近くにあった吉野家の駐車場に駐車した。
そこで自分の状況を理解しようと試みた。今この状況の自分が理解できない、何をしようとしていたかが理解できない。だから身近な自分の情報から思い出してみることにした。
年齢、32歳。
妻の名前は○○。
全部覚えている。
だけどなぜ、さっき、俺が運転していたのかは全く思い出せなかった。
最後の記憶を思い出そうとしてもそこにある感じはあるのに、思い出せない。ド忘れの感覚に近い。
俺は震えた。生まれて初めての恐怖だった。意味がわからなかった。パニックになりかけて、呼吸ができなくなった。車の中というものが迫り来る牢獄のように感じて、あわてて飛び出した。
空は暗かった。
10年ぐらい愛用の時計(カシオの1000円で買えるやつ)を見たら、23時の土曜日だった。
なんとなく吉野家に入った。「らっしぇー」という吉野家の店員の馴染み深い声が聞こえ、とりあえず牛丼並卵付きを頼んだ。20秒ぐらいで牛丼が出てきて、とりあえず食べた。いつも通りの味。
牛丼を食べたことによって落ち着いたのか、俺は自分の状況を冷静に考えることに専念することにした。お冷をもらった。
確かにどこかの時点の記憶を喪失しているが、俺は記憶の大部分を覚えている。少なくとも俺はこの吉野家が家の近所にあることを覚えているし、ここから車で5分で家に着く。
そもそも「記憶喪失」なんてSF映画でしか見たぐらいの知識しかなかったから、正確な分析なんてできるわけはない。
俺は妻に電話をかけた。
「どうした?まだ帰ってこないの?」
という妻の馴染みのある声が聞こえてすごく安心した。俺はこう言った。
「いま近所の吉野家にいる。運転中に何が何だかわからなくなってここにいる。正確にはわからないが、数時間か、数十時間の記憶がない。でもお前のことは覚えているし、1週間前の仕事の内容すら覚えている。とにかく迎えにきて欲しい。あの吉野家だから」
と早口で説明すると、妻はチャリで吉野家に来た。理解が早いのは俺の妻の自慢のポイントの一つだ。
病院で徹底的な検査を受けたが、俺の脳にはなんの異常も見つからなかった。
突発的なストレスで記憶がなくなったのかもしれない、という診断だった。
妻と記憶を擦り合わせると、俺は好物のチョコボールをコンビニに買いに行く途中だったという。
記憶のもやが晴れてきて、最後の記憶は土曜日の朝に髭を剃る場面だと分かった。そこから逆算すると、おおよそ16時間分の記憶がすっぽりと抜け落ちたことになる。
なんとなく不安を覚えながらも、俺は日常生活に戻った。仕事を休むわけにはいかない。
だがおよそ2週間後、全く同じことが起きた。
今度は仕事中(リモートワーク)だった。俺はおそらくPCを休止状態にしようとしていたのだろう、マウスカーソルが休止ボタンにかかっていた。
俺はあの「吉野家事件」以来、iPhoneに日記を書くことにしていた。日記と言っても簡素なもので、何日に何々をした。とかそんなもんだ。
でもこれが役に立った。この日記を参照すれば、俺の記憶の欠落期間がわかるのだ。
もし記述の中で覚えがないものがあるとすれば、俺はそこの時期の記憶をなくしていることになる。結果としては、俺は火曜日の夜から記憶を失っていることがわかった。
俺は妻に報告し、また病院に行くことにした。だがいくら精密な脳検査をしても異常は見つからなかった。医者は「非常に珍しく、確定的ではないですが」と前置きしつつ「一過性全健忘」という病名をつけた。
これは原因不明の病気で、突如として数時間から数日の記憶が喪失する病気だという。まさに俺に当てはまっている。だが俺のように再発を繰り返すケースは珍しいらしい。ちなみに治療法も薬もないという。
確かに記憶が消えるのは不便だが、慣れればなんということはない。
おおよそ1ヶ月に1度は発症する傾向があることも繰り返しの記憶喪失で判明した。
そもそも俺のアイデンティティを構成する重要な記憶は消えていないし、頻繁にメモをすれば仕事も少し面倒になるだけなのだ。
ということで特にオチもない俺の体質について話した。誰かの役に立ってくれると嬉しいものだ。
Permalink |記事への反応(22) | 21:12
(前回のご報告)https://anond.hatelabo.jp/20221010223354
6月生まれで8月に行き倒れ状態で保護されたこねこを10月にお迎えしてひとつきほど立ちました。20歳を越えた老ねことの生活ならいざしらず、こねこと暮らす日々の素晴らしさなどこれまでに数多くの方がありとあらゆる言葉で表現されているので、いまさら増田が付け加えられるようなものはなにひとつ無いのですが、こねこ特有のまるまるとしたおなかのラインや、洗面台から台所から寝室からトイレまで増田の行く先々を全力で先回りしようとする様子などを見て、すっかり忘れていた22年前の先代こねこ時代の記憶が蘇ってきたことを嬉しく思いつつ、ここに駄文を残したいと思います。
お迎えしたばかりのころに、お互いの距離感を掴みきれない愚かな増田にその細い爪を立てたこともありましたが、抱き上げるのは危険な場所から遠ざけるためであり怖いことではないこと、撫でても良いのはひたいとマズルの周りに限ること、その代わりにふわふわの短いしっぽを触ることを許してあげること、居間やこたつでは増田の膝に乗りたくないこと、ただし増田が業務中でデスクに向かっているときは膝に乗せること、その代わりディスプレイ上でのマウスカーソル監視を行い、おかしな動きをした場合の矯正、並びにデスクの上に雑然と置かれた目薬や温湿度計、ボールペンなどを机上から排除してあげること、等々の細かい取り決めを積み重ねることで、過ちをご指摘いただく際も増田の手を柔らかい肉球でそっと押さえるにとどめるなど、徐々に共に暮らすパートナーとして認めていただけているように感じます。
ねこになりたい。とまでは思いませんし、消えないように傷つけていただいた跡も一ヶ月もたつとかなり薄くなりました。夜、増田がソファに座って本などを読んでいると、いつの間にか隣でこねこがひたいを増田に押し付けるような姿勢で寝ていたりします。そんなとき増田はご機嫌を損ねないよう気をつけつつこねこの頬をぐるぐると撫でさするのですが、実は右の頬の茶トラ模様を撫でさするときのみ増田はこっそり先代ねこを撫でているつもりになっています。だって本当におんなじ模様なんです。だからきっとそれはそういうこと。などと増田は思っています。