
はてなキーワード:ポスドクとは
https://x.com/sylve_math/status/1977679354231714291
正直学術探究とかに本気でハマってしまって文系で院行くタイプのガリ勉君も相当予後悪いよな
博士課程終わってポスドクになっても非常勤講師で食いつないで行く生活始まるし30代でジュース買うのに悩む生活送ることなるし
根は真面目だから学生時代から政治とかにもハマり出して周りから浮く奴も多いし
デカい声で騒ぐ、パーっと遊ぶとかも嫌いだから人気ストリーマーのゲームイベントで声援送ったりアニサマでブチ上がることもできないし
悲しいのがビンゴに「学術研究してた」「文系で院に行った」「学生の時政治論争してた」みたいな要素が上がってすら来ないんだよ
目を向けてすらもらえないんだよ
https://x.com/rnorno_v3/status/1978001196574195844
こっちの予後良ビンゴには勉強要素は「gpa2.0以上」しかない
gpa2.0って平均ぐらいの成績だ
学業優秀、研究者の素質が高かろうと別に平均的な能力しか求められてないよってこと
予後良とも思えない
「俺は予後悪の根暗陰キャオタクだから…」すらさせてもらえず社会からうっすら「はい、いらないよー。」扱いされる
こんな扱いは苦しすぎる
チームみらいの喘息の薬のやつは、チームみらいが国民を信頼しすぎたすれ違いだと思っている
維新が主張するOTCの保険適用外やスイッチOTCに関する議論が共有されていることを前提としたような投稿内容で、残念ながら我々国民は共有どころか覚えていない
覚えていないというのは、維新がOTCの保険適用外を求めたニュースでやっぱり維新はクソ!みたいな感想は書き込んでも、それは見出しを読んだ感想で維新の主張そのものに対する感想ではなかった
維新は継続する治療にはOTCでも保険適用する仕組みを作る、みたいなことを言っていて、じゃあどんな仕組みなんだよ、ってところにチームみらいが顔を突っ込んできた
(チームみらいの認識を正確にはわからないけど私はこのように認識している)
議論の前段までは国民も当然フォローしていると考えて、あのような投稿内容になったのではないかなと思ってる
社会保障、福祉のあり方を見直さなきゃいけないとTwitterで主張している方はたくさんいるから、OTCの保険適用外と処方時の保険適用ルールに関する議論くらい共有されていて当たり前だと
ところがどっこい、私たちは違った
文句がいいたいだけでよく考えていなかった
そして、チームみらいは私たちを買いかぶり議論の前段をすっとばしてしまった
せめて調べるなりすればいいけど私たちはそれもしない
そして、チームみらいはわからないことを能動的に調べない人間が存在することを理解していない
私が学生だった頃、研究室の東大出身ポスドクとたまたま電車で遭遇して「何聞いてるの?英会話?」と聞かれたけど普通に音楽です
頭のいい方はわからないのです、勉強は息をするように常にするものではないから勉強という名前が与えられていることを
私は日本哲学会という学会に所属しているが、率直に言って、この学会には多くの不満がある。とくに大会における一般発表の扱いや運営姿勢については、長らく問題意識を抱いてきた。以下は、そのような日本哲学会に対する私的な批判と提案をまとめたものである。
これが最大の問題である。たとえば、2023年度に早稲田大学で開催された大会のプログラムを見てみよう。
https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2023/05/7edb16c626cb708b17bfb11dec3bfa0b.pdf
午前中には、8つの教室で一般発表が並行開催されていたが、その裏で国際ワークショップも行われていた。午後の一般発表は5教室での並行開催であった。アメリカのAPAやオーストラリアのAAPといった代表的な学会では、より多くの一般発表が並行して行われるため、日本哲学会の並行数そのものは決して多いとは言えない。
問題は、そもそも一般発表の件数が限られているにもかかわらず、それらが必要以上に多くの会場で、短時間に並行して行われているという点にある。大会自体は土・日の2日間あるのだから、せいぜい4会場程度の同時進行とすることもできるはずだ。日本哲学会は、さほど多くない若手の一般発表をわざわざ短時間に詰め込み、複数会場で一挙に処理しているように見える。
なぜそのようなプログラム編成をしているのか。実際のプログラムを見ると、日本哲学会の大会時間の多くが学会主導のシンポジウムや学協会シンポジウムといったイベントに割かれている。つまり、若手研究者を中心とする一般発表よりも、シンポジウムなどを優先しているのである。このような運営は、学術知の共有や若手研究者の育成という観点から見て、極めて問題がある。
学会は、新たな研究の共有、ネットワーキング、そして若手研究者が「顔を売る」場を提供するという重要な役割を担っている。大学や研究機関での職を目指す院生・ポスドクにとって、学会は貴重なアピールの機会である。しかし、現行のように一般発表を短時間かつ多会場で並行開催するとなれば、聴衆が分散し、研究を多くの人に届ける機会が失われる。聴講可能な発表数も限られ、学術知の共有という観点からも望ましくない。
海外の学会では、シンポジウムに一定の時間を割くことはあっても、一般発表をここまでないがしろにする構成はほとんど見たことがない。端的にいって、日本哲学会の大会は学会企画のイベントに時間を割きすぎている。また、シンポジウムやワークショップは特定のトピックに関心がある人に向けたイベントなのだから、聴衆が集まりやすい午後の時間帯ではなく、むしろ朝一番など参加者が少ない時間帯に配置すべきではないか。
ちなみに、2024年度の立正大学大会でもこの傾向は変わっていない。
https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2025/04/5ff3f7b507e8068042523b2c0a431247.pdf
土曜の朝から8会場での並行発表が行われる一方、午後には単一会場で3時間にわたるシンポジウムが開催される。さらに日曜には、朝一番から一般発表と【若手支援ワークショップ】が並行して行われている。若手研究者に関心を持つ参加者が両方に出席できないような設計には、配慮が欠けていると言わざるを得ない。
日本哲学会は、大会でも学会誌でも、CFP(発表募集)をメール等で積極的に周知していない。毎年、同じ時期に申し込み締切を設定しているため、「わかる人は勝手に応募してくれるだろう」と考えているのかもしれないが、それでは外部からは閉鎖的に映る。
日本を代表する哲学学会であるにもかかわらず、一般発表の件数は極端に少ない。もし財政的に厳しい状況にあるのだとすれば、なおのこと、発表者や論文投稿者を積極的に募るべきではないか。より多くの人にとってアクセスしやすい学会にする努力が、今の日本哲学会には不足しているように思う。
3.提案
学会主導のワークショップやシンポジウムは縮小し、一般発表により多くの時間を割くべきである。
一般発表は聴衆が少ない朝一番ではなく、より人が集まりやすい時間帯に配置すべきである。
CFP(発表募集)はメール等で広く周知し、より開かれた運営を心がけてほしい。
以上が、日本哲学会に対する私見である。なお、こうした一般発表の軽視は、日本倫理学会など他の哲学系学会にも共通して見られる傾向であり、その意味で私は日本倫理学会にも同様の不満を持っている。「共通課題」などという制度も、早々に見直されるべきだと思う。
ポスドクが余りまくってるのは、椅子が足りてないくせに、それが前提で入学レースさせてたらおかしくね?
入社レースだと、椅子が足りてねえから、バイト、派遣を切るわけだ。それは健全なのか?お前が竹中平蔵の信者なら、俺はこれ以上言わねえけどよ。
ぶっちゃけ、社会ってさ、「どこに座ってるか」で人の評価が決まるんだよ。
才能とか努力とか言うけど、それ以前に「椅子」があるかどうか。
その人に合った「席」がないと、なにやっても「変な人」で終わる。
「スカート覗いてばっかのセクハラ親父」で終わってたかもしれんw
大学の研究職もそう、会社のポジションもそう、家族の中の立場すらそう。
ポスドク余り? → 知らん。
人間ってのは、ちゃんと椅子に座って初めて「まともな人間」として扱われる。
座れなかった奴を「努力不足」で片付けるのは、ただの責任転嫁だよ。
だから思うんだよな。
社会が本当にやるべきことって、
みんなが同じ型にハマれるわけないんだからさ。
それができてない今の社会では、
ホントはとんでもない才能が埋もれてるかもしれない。
Permalink |記事への反応(20) | 12:18
最近ふと思った。ニートとか引きこもりとか、ポスドクで食えてない人とか、世間から見たら「何もしてない人」って扱いだけど、実は「考える時間がある」ってだけで、ものすごい価値を持ってるんじゃないか。
誰にも邪魔されず、指示されず、ただ考える。これができる人って、実は少ない。
たとえばイノベーションって、「よし、明日から思いつけ」って言われて出てくるもんじゃない。
だけど、家でごろごろしてたニートの一言が、あとからすごい価値になることだってあると思う。
実際、グーグルの労働環境とか、わりとニートっぽく働いてる人たちがイノベーションを出してる。
だから「ニート株式会社」っていうのを作ったらどうかって妄想した。
給料は最低賃金レベルだけど、もしその人の思いつきから何か価値が生まれたら、成果報酬としてガツンと払う。
投資家は、「こいつ、なんかやりそう」って感覚だけで投資する。
大塚製薬のエビリファイだって、開発者は「1勝3敗だった」って言ってる。
つまり、成功ってのは、何度も失敗して、その中からたまたま出てくる。
この国は、「成功しろ、でも失敗はするな」って言う。でもそれじゃ無理。
本当に価値のあるアイデアは、強制された環境からは出てこない。
自由があって、無駄があって、誰にも期待されてない場所から、ふと生まれるもんだと思う。
だから、ニートの時間を「投機対象」にしてもいいんじゃないか。
くだらないって笑われるかもしれないけど、実際に社会のど真ん中でやってることがまともとも限らない。
深夜、憂鬱な気分になったので書いている。
自分は博士課程の学生として、アカデミアの研究者になることを目指している。
アカデミアの研究者というのは、平たく言えば大学の先生を目指すということで概ね間違いない。
研究者を目指している理由は、これまで人並み以上に勉強や研究をしてきて、それが楽しかったからである。
仕事として研究できたらきっと楽しいだろうなと思ったし、それを大学教育として自分の下の世代に伝えていくこともきっとやりがいのある仕事だと思った。
きっと博士課程を志して研究職を目指すような人は、多かれ少なかれ私と同じような動機であると思う。
一方で、アカデミアの研究者を目指すというのは、バンドマンを目指すみたいなところがある。
大学の教授職なんてものは基本的に研究業績の化け物みたいな人たちが血で血を洗う競争の末ありつけるものだ。
その中に飛び込み、研究で一発あてて教授になってやろうなどというのは、バンドマンが音楽で当ててご飯を食べていこうと言っているの本質的に大差はない。
何年にも渡るポスドクの後、結局任期なしの職が得られなければ、謎の職歴を抱えた40間近の生き物が爆誕する。
何年にも渡るフリーターの後、音楽で当てられなかった40間近の音楽を志していたおじさんと似たようなものである。
(もちろん、職能や学歴的に色々異なっていることは理解するが、当人の心持ちとしてはそんなに変わらないような気もする。)
こんな将来の見通しの中で、正気を保ったままアカデミアを目指せるのは、すべてをねじ伏せる圧倒的な天才か、それらの将来に対する鈍感さを持つ人間だけである。
深夜、憂鬱な気分になったので書いている。
自分は博士課程の学生として、アカデミアの研究者になることを目指している。
アカデミアの研究者というのは、平たく言えば大学の先生を目指すということで概ね間違いない。
研究者を目指している理由は、これまで人並み以上に勉強や研究をしてきて、それが楽しかったからである。
仕事として研究できたらきっと楽しいだろうなと思ったし、それを大学教育として自分の下の世代に伝えていくこともきっとやりがいのある仕事だと思った。
きっと博士課程を志して研究職を目指すような人は、多かれ少なかれ私と同じような動機であると思う。
一方で、アカデミアの研究者を目指すというのは、バンドマンを目指すみたいなところがある。
大学の教授職なんてものは基本的に研究業績の化け物みたいな人たちが血で血を洗う競争の末ありつけるものだ。
その中に飛び込み、研究で一発あてて教授になってやろうなどというのは、バンドマンが音楽で当ててご飯を食べていこうと言っているの本質的に大差はない。
何年にも渡るポスドクの後、結局任期なしの職が得られなければ、謎の職歴を抱えた40間近の生き物が爆誕する。
何年にも渡るフリーターの後、音楽で当てられなかった40間近の音楽を志していたおじさんと似たようなものである。
(もちろん、職能や学歴的に色々異なっていることは理解するが、当人の心持ちとしてはそんなに変わらないような気もする。)
こんな将来の見通しの中で、正気を保ったままアカデミアを目指せるのは、すべてをねじ伏せる圧倒的な天才か、それらの将来に対する鈍感さを持つ人間だけである。
学会の飲み会で色々鬱っぽくなってしまって自分の居場所なんかどこにもないんじゃないかという気持ちになったので、冷静になるために考えを吐露します。
自分は多人数でのコミュニケーションが苦手で飲み会などは楽しいと思ったことがない。
でも周りのから常に、「学会は人と繋がるための場所である」と喧伝されているので、行かなくてはという気持ちになって、参加してはしんどくなるのを学生時代から繰り返している。世間一般からしたら社会不適合者の典型みたいな感じかもしれない。(が、飲み会が苦手な人は研究界隈で結構いる気がしていて、そういう人の意見は透明化されていると思っている。学会近辺は飲み会大好き/コミュ強の人の声が大きすぎて、そういう意見が正として扱われすぎている。その結果、自分みたいな人はめちゃくちゃ鬱になってるはず)
学会飲み会でも私/僕はこういう人と繋がっていて、こんな話を聞いたみたいな話ばっかりで、しかも自分は大体の人名を知らなくて胡散臭いセミナーに出てるかのような気分になる。そして、そういう人は往々にして学会の運営委員などになっているので、ものすごい劣等感に苛まれる。
劣等感だけならいいのだが、AI界隈は狭いので、この場に馴染めないような自分にはAI界隈にいる権利はないのではないかという気になってくるので、ポスドク3年目も相まって相当きつい。
なぜ劣等感や所在なさを感じてしまうか?それは人との繋がりが(アカデミアや民間での)キャリア形成に役立つと一般に常識として考えられているからだと思う。
本当にそうなのかを延々と考えた。
アカデミアでのキャリアの最重要な要素といえば論文数である。論文数を増やすためには共著に入れそうな主著者を探すのが大切であると言える。実際、自分の周りにも学会で繋がって共著に入って論文数を増やしている人はかなりいる。
しかし個人的な見解では、共著数が増える一番大きな要因は所属研究室であると思う。
必死になって学会で将来の共著を探すよりもビッグラボやデカめのプロジェクトを運営してる研究室に助教に入るだけで共著は爆増する。(全然優秀でない助教の人がその研究室に所属しているというだけで論文爆増しているのを身近に何度も見てきた)
よって、本当にキャリアにおいて論文を爆増させたいなら(今の環境がそうでないなら)転職すべきであると思うし、学会でうぇぇぇいwの正当化には弱い。
学会の委員は完全に飲み会で決まっている印象があるので、飲み会に参加しない人間はノーチャンスっぽい。というか、Xのフォロワー数と綺麗に相関する気がする。
これもノーチャンス。見た感じ顔が広い人にしかお鉢が回ってきていない。
ポスドクでの研究費は個人で採用されるものがほとんどなので、あんまり関係ないと思うし、業績的にも自分が代表になる大きめの研究費にチャレンジすべき。しかし、将来的にPIなどになればお仲間を集める/に入れてもらう必要がある。
国内学会の賞もかなり飲み会出席率/Xのフォロワー数に相関してる。ハロー効果がえぐい。審査がシングルブラインドでもないのが悪いし、ブラインドにした途端顔ぶれが入れ替わると思っている。(しかし、自分には運営に発言権がないのでどうにもできない)
ポスドクでの雇用決定はPIの独断であることが多いため、人との繋がりは大きく役に立つ。有名で飲み会好きなお金持ちPIと仲良くなっておけば雇ってくれることも多々あると思われる。しかし、現状AIのポスドク慢性的に不足しており、今は公募に応募しても全然職にありつける。自分もそうだし、周りを見てもニューラルを全然学生時代にやってきてない人がポスドクで採用されたりしている。みんな任期付で働きたくないからね。
任期なしの雇用は今まで上げたような要素の総合点で決まると聞く。飲み会に出ないマイナス要素で言えば、「学会運営への寄与」「講演経歴」「国内学会賞」ぐらい?しかし他にも「論文数」「国際学会賞」「教育歴」「研究資金の獲得」「国際的な活動」などなどがあり、これは飲み会に影響されない。論文数は戦略的に就職活動をすればいいし、国内学会賞が取れなければ国際学会賞を取れば良いし、国内学会の委員にしてもらえなければ国際学会の委員にして貰えばいい(ハードルはだいぶ上がるけど…)。まだ転職戦線に飛び込んでないけどあまり影響ない(と思いたい。)
民間の雇用は関係ない。学会 or Xで積極的に誘ってくる企業は人手が足りない or 人気がない企業なので、個人的には就職先は声がかかるところではなく、自分で探したほうがいい企業に行けると思う。
「学会で人と繋がらないと〜」みたいな脅しは、ポジショントークのただのまやかしであるので学生諸氏は気をつけるべし。気に病まなくて良い。多人数コミュニケーションが苦手な人(私を含め)に私はエールを送りたい。飲み会には出なくていいです。
(あと、国内でのコネクションを強くするのは基本的に弱者の戦略で、学生が気にするべきはトップ学会に主著をなるべく多く通すことだと思う。)
学会がXのフォロワー数が多い人を中心に回っているのが全て悪いと思う。みんなポジショントークしかしないし、そのせいで苦しんでいる人が多くいるのをわかってほしい。
あと研究ネタがXの流行に引っ張られるのが意味わからん。しょうもないネタをフォロワー多い人がいい研究といったのが発端で学生がやり出すのが見てられない。
ちょっと元気になってきました、ありがとうございます。
男女の賃金格差についての話題、相変わらず的外れな正当化が多い事多い事。
→だから「同じ仕事」が出来ないのが女性差別ゆえだって話だよ。女は、特に年齢を重ねた女は、正社員として採用されにくい。責任のある仕事を任せてもらえない、あるいはセクハラやルッキズムによる品定めといった不利益を課されるから回避せざるを得ない。それが差別だという感覚が何故ないのか。
ていうか、「同じ仕事なら同じ賃金」さえ守られていればそれでいいのなら、氷河期男性の低賃金だのポスドクだのも別に問題ないって事になるだろ?だって自らその立場に甘んじているんだから。
でも何故か男の場合は当人の意識や能力が低いからで済まされず、ちゃんと社会問題として扱ってもらえる。それがまさに女性差別なんだよ。
それに、そもそも仕事によって大幅に賃金が違うのが不当以外の何物でもないだろう。女の多い保育や介護職は重労働でも賃金が安いというのはよく言われる話。
「女のする仕事だから給料が安い」が事実なのを何故か反転させて、「女が給料の安い仕事を選ぶ」に転換して女叩きをする。実際には採用を決める決定権を持っているのは企業の側なのに、それを無視して。
→なんで全ての会社が例外なく労基法を守っていると信じ込めるんだよ。
男女関係ない(おそらく無意識のうちに男を想定しているのであろう)サビ残だの有休取れないだのの話題では、会社は労基法を守らない事もあると認識した上で語るのに。
女性差別の時だけ沸いてくる公正世界仮説。そういう思考がまさに差別なんだと何故自覚できないんだろうか。
・女が優秀ならば企業はそれに報いる報酬を払う筈だ、優秀な人材をみすみす逃すような愚かな真似はしない。
→だからなんで企業が必ず合理的な選択をするという前提なんだ?
自分が損をしてでも他人を得させないのが日本人の気質だって散々指摘されているのに?他の問題では日本企業の愚かさを叩いているくせに。
この手の正当化を図る人達の何がむかつくって、そんなに現状維持がいいなら自分らが弱者男性でも強者に踏みつけられても笑って受け入れればいいのに、自分達の問題の時だけ差別だ不当だと騒ぐ事。
子供の頃からの夢だった研究者になれて10年たったけど、やめることにした。
毎日12時間以上働いて週末も研究室に通い続けたけど、年収は600万円程度で、誰とも会わずやりたいことも何もできずに研究だけしていたら、気づいたら10年たってた。
給料を上げるか、研究以外の時間を減らしてほしいと教授にお願いしたんだけど、「頼んでもないのに勝手に長時間働いて勝手に疲れてるだけじゃないか」と言われて、急にこの10年本当に無駄だったという気持ちになった。
確かに裁量労働制で働く時間は自分で決められるけど、後輩や学生の指導や雑務を引き受けて、他の人よりはるかに仕事量は多かったけど、そういう風に思われていたんだなって。
こんなに頑張ってきたのになぁ。
今年度で研究プロジェクトが終了するので、また応募書類を準備する時期だ。
疲れた。
30年生きてきて今更気が付いたけど、結局人は個人の利益追求にしか興味が無いのよな。
思想は左右どちらも色々あるけどさ、結局突き詰めれば個人の利益の追求なんだよ。その結果が社会を作り出している。
提起される問題はなぜ提起されるか、それは単純に利益(富、権力、名誉、異性、利権、個人的な欲求の発散)になるから。
全てただのポジショントークに過ぎない。
今は日本という共同幻想で固まってるが、その前は藩だし、藩ごとで争ってたわけだ。
結局、自らの利益のため動いていたわけだ。
ソーラーパネルの異様な推進、妙な水道の民営化推進、規制をすり抜けた危険な乗り物の増加、地方自治体での外国人への異様な肩入れ、生活保護へ口利き
医師会とかはわかりやすいよね、利権の実現のために政治家に多額に献金し、政策に意向を反映させている。
派遣もそう、日本型ライドシェアもわかりやすい。業界がひたすら利権の拡大と死守をしてる。
外国人大学生しかいないFランを潰さないのもそう、普通の研究者がポスドクで苦しむ中、元政治家や元官僚、新聞社のOBがたくさん就職してるからね。政策実行者側からすれば大学を増やして補助金漬けにして金の采配を握るのはメリットしかない。経営者と違って失敗したところで借金背負うこともない。
利益誘導が目的となってるから、少子化対策も一般人から見ると苦しい政策となる。
日本全体の少子化や所得による補助金制限も支配側からすれば合理的。
支配側はちゃんとした日本人の総数は削りたいし、バカは増えてほしい。だから所得がある人の負担は増やす。ついでに補助金漬で権力を増やす。
妙な移民もそう、不法移民を使って利益を得たいだけ。国民のことなんざ考えてない。争いこそ利権の根源。
移民と国民との間で争いを作り、利益をより多く取る形で統治したい、それだけ。ただのマッチポンプ、わかっててやってる。
上級官僚も政治家も全く国民のことなんざ考えてない。国民なんざ奴隷か家畜くらいにしか考えてない。
不法移民と日本人が争っても所詮家畜だからね、ちょっと品種が違う程度、日本人が犯罪被害にあっても、救済はない。
一族や血族とか見えにくい繋がりのあるグループが上級国民としてあらゆる富と権力を政治的に略奪する一方、
それ以外の移民と日本人の争いを支配層である上級国民と上級外国人は大笑いしながらホクホク顔で眺める。
まあ、国民が政治に関心を持たず、結果損害を受けているのも、彼らの個人的な利益追求の結果であり、もう仕方がないんだろな、民主主義というか、人類の限界だよね。
研究者夫婦の場合や、妻が研究者で夫も仕事の関係で名前を変えられない場合、事実婚が普通の夫婦よりは多いけれど
例えばポスドクの場合、就職活動や助成金申請の際に重要視されるのは研究業績であり、書類手続き上でもその研究業績と一致する姓を示すことは重要で、その手続きが煩雑。
大学院生や研究者には通常、学位記、学会発表、論文発表、出版、特許出願等、これまでの研究蓄積があり結婚前に使ってきた名前を結婚後も使うという人は多いが、複数の大学で非常勤を掛け持ちしていたり所属が複数ある場合その手間は軽視しがたい不自由につながる。
また登記や特許申請、税務署類など、戸籍名でしか受け付けられない制度も多く、研究生活において旧氏だけを貫くことは実質的に不可能で、旧氏と戸籍名の使い分けに混乱してしまうことも珍しくない。
海外での国際会議の際に、入国時やホテルのセキュリティで、論文の著者名とパスポートの名前が一致しないと手続きが煩雑になるなど。