
はてなキーワード:ボツとは
最近さ、X(旧Twitter)見てると「え、この漫画家もそっち系なの?」ってガッカリする人が多すぎ。
明らかに特定の野党を応援してたり、政権批判ばっかりリツイートしてたり。
あれ見て「漫画家は自由業だからリベラルが多いんだね」なんてお花畑なこと言ってる奴、マジでピュアすぎるだろ。
まずさ、漫画家と編集者の関係を勘違いしてる奴が多すぎる。対等なパートナー?んなわけねーだろ。実態は完全に上司と部下、いやそれ以上の主従関係だよ。
編集者は連載の生殺与奪の権を握ってるわけ。ネームを通すかボツにするか、アンケート順位をどう操作するか、単行本の販促に力を入れるか。全部編集部のさじ加減一つ。そんな相手から「最近の政治について、こういうスタンスで発信してよ」って仄めかされたら、逆らえる漫画家がどこにいるんだよ?
出版社の上層部なんて、マスコミ業界特有の左寄り思想に染まった連中ばっかりなのは公然の事実だろ。彼らにとって、影響力のある漫画家を自分たちの思想の拡声器にするのはコスパが良すぎるんだよ。もし出版社の意向に反して保守的な発言をしたり、野党に批判的なことを描いたりしてみろよ。
こんなの日常茶飯事だよ。漫画家を干すなんて、出版社からすれば赤子の手をひねるより簡単なんだから。
逆に、出版社やマスコミの意向に沿う物分かりの良い漫画家はどうなるか。 急にメディア露出が増えて、大して面白くもないのに「社会現象!」とか言われて持ち上げられる。SNSのフォロワー数だって、バックにいる組織が動けば簡単に操作できるだろ。
今売れてる漫画の半分くらいは、実力じゃなくて「思想的に使い勝手が良いから」っていう理由で、マスコミの力によって無理やり流行らされてるだけなんだよ。
ひとむかし前の少年漫画雑誌(ジャンプ)では西洋ファンタジーは実は禁忌とされてたんだよね
ドラゴンクエストでファンタジーRPGが流行ったあとですら、漫画家はみんなオリジナルのファンタジーを描きたがるけど、よっぽど良いものでなければ「世界観を読者に伝えるのが難しい」「子供は結局身近なものを絡めないとわからない」と大半はボツにされてた
某不良漫画の大家みたいに、本当は本人はずっとファンタジーを描きたかったけど、なんだかんだで不良漫画が向いててそれで売れちゃったなんて人もザラ
これは何が起こったのか?
ひとつには、もちろん、それだけゲーム的な西洋ファンタジー世界観が身近になったというのもあるんだろう
でも、ふと思ったけど、それだけじゃないんじゃないか
そもそも、西洋ファンタジーが少年漫画で難しいとされていたのは、「子供の知識のなさ」を考慮してというもの
むしろ、子供を主人公にして、身近な不良・変人ものなんて世界にすると、読者の大半は『主人公の親』の世代に分類すらされるくらいに
毎回聴くネットラジオ(ポッドキャスト)にお便りを読むコーナーがある。
それに何度投稿しても読まれない。出禁になっているんじゃないのか、迷惑メールにすら届いてないのかと思うレベルで読まれない。
さすがに一度に何通も送ると迷惑なので、一度に一通と決めている。
前には読まれたお便りの文章をデータベースにまとめ、それらをAIに読み込ませて読まれそうな文章を作った。
ただそれでも駄目だった。
というか、AIで作った文章はほぼつまらないものになるので使い物にならなかった。
お便りコーナーは読まれない物が多い。小説の賞並に不合格理由は教えてもらえないし、放送で読まれずボツになったんだなとじわじわと感じさせられる感覚が嫌いだ。
凸待ちは知らない人の音質の悪い声を聞くことになる。それが常連のコテハンだと失礼だけどその執着に気持ち悪さを感じる。
配信のコメントは他のコメントする人に読んでもらえるだけマシ。
つかれた。
この文章をお便りとして送ろうとも思ったが、ただ不快にさせるだけなのでやめる。
私に口は無い。あるのは視聴数1のみ。
おわりだよ。
https://x.com/i/status/1983745679433269398
このCMへ対して一部のユーザーが「M.U.G.E.Nじゃねぇかw」の様なコメントを付けている。
この「M.U.G.E.N」こそが格ゲー界の公然の秘密である。
M.U.G.E.Nとは、1999年にElecbyte社が公開した、ユーザー拡張型の2D格闘ゲームエンジンだ。「キャラクターやステージを自由に自作して追加できる」という画期的な仕様により、本来なら交わるはずのない別作品のキャラ同士を戦わせる「ドリームマッチ」を実現できるツールとして、2000年代のネットの片隅で熱狂的な支持を集めた。
だが、このエンジンには致命的な「暗部」がある。
全盛期に最も広く利用された「WinMugen」と呼ばれるバージョンは、実は正規にリリースされたソフトウェアではない。
開発元のElecbyte社が一度消息を絶つ直前に、本来は非公開だった次期バージョン(Mugen 1.0)のベータ版が何者かによってリークされ、それがアングラサイト経由で広まったものなのだ。つまり、WinMugenを使っている時点で、それは「流出した未完成の開発データ」を勝手に使っている状態に他ならなかった。
正直に申し上げて、M.U.G.E.Nというコミュニティは、このエンジンの出自も含め、著作権的に見れば限りなく真っ黒に近いグレーだ。
「キャラクターやステージを自由に自作して追加できる」という画期的な仕様は、実質的に「既存の商用格闘ゲームのキャラクターをファンメイドで移植できる」環境を意味していた。
つまり、スプライトのぶっこ抜きである。この事実は否定しようがない。
だからこそ、格闘ゲームのプロプレイヤーや開発者、そして我々のようなコアな格ゲーマーにとって、M.U.G.E.Nは長らく「名前を言ってはいけないあの人」のような存在だった。
みんな知っている。家でこっそり触ったこともある。でも、表立って「M.U.G.E.Nで遊んでいます」とは口が裂けても言えない。そういう「公然の秘密」として、格闘ゲーム史の影に存在し続けてきた。
けれど、あえて今、その「技術的・文化的な功績」についてだけは語らせてほしい。
法的な問題を一旦脇に置いて(肯定するわけではないが)、なぜあそこにあれほどの熱量が生まれたのかを言語化するならば、「あれはプログラムによる同人活動だったから」という結論に行き着く。「絵」ではなく「挙動」を模写するのだ。
同人作家が、好きな漫画のキャラクターを愛ゆえに模写し、自分の手で二次創作漫画、そこから更に発展してBL同人などを描くようにだ。
M.U.G.E.N職人と呼ばれた人たちは、好きな格闘ゲームのキャラクターを愛ゆえに解析し、自分の手で動かそうとしていた。
彼らにとって、リュウの波動拳やテリーのパワーウェイブのドット絵は、単なる画像素材ではない。「完成された美」であり「憧れ」そのものだ。
しかし、画像をM.U.G.E.Nに持ってきただけでは、それは動かない。
憧れのあの技を放つためには、中身のエンジン……つまりプログラムを、自分たちの手で一から組み上げる必要があった。
彼らがやっていたのは、MS-DOS時代から続く古臭い仕様のスクリプト言語を駆使して、最新ゲームの挙動を「コードで模写する」という作業だった。
これは、プログラマーやゲームデザイナーにとっての一種の「写経」であり、エンジニアリングの側面から愛を表現する手段だったのだと思う。
さらに特筆すべきは、単なる模倣に留まらない「実験場」としての側面だ。
M.U.G.E.N界隈には、既存の格闘ゲームの枠組みには収まりきらないアイデアを形にするクリエイターたちもいた。
ドット絵からアニメーションまで全てを一から描き起こした「完全新規オリジナルキャラクター」の制作。あるいは、商業ゲームならバランス崩壊として即座にボツになるような、複雑怪奇かつ斬新なシステムの実装。
「売れるかどうか」を考える必要がない同人活動だからこそ、そこには尖ったアイデアが無数に投入されていた。
プレイヤーが操作することを放棄し、キャラクターに搭載されたAI(人工知能スクリプト)同士を戦わせる。
そこでは「いかに強いAIを書くか」というプログラミング競争が勃発し、時にはゲームのプログラム仕様の隙を突くような「凶悪キャラ」「神キャラ」と呼ばれる人知を超えた存在が生み出された。
そして、それらが公平に戦えるよう、有志によって厳格なレギュレーション(階級分け)が整備され、毎日のように動画サイトで大会が開かれる。
これは、ある種の「レジェンド級プロ格ゲーマーを超えた理論値格ゲープレイのシミュレーション」であり、eスポーツとは全く異なるベクトルでの技術的進化だったと言える。
現在では将棋や囲碁などのAI同士が対戦し、その強さを競うことは珍しくないがM.U.G.E.N界隈ではそれらよりもずっと前に対戦AIを専門的に書く人たちが認知されていたのだ。
漫画界で「同人出身」がある種の実力の証明(例えば高い評価を受けていた同人作家が商業誌での新連載が決まり、同人作品を知る一部界隈で話題)になるように、実はゲーム業界にも「M.U.G.E.N出身」の才能が確実に存在する。
例えば、Steamで世界的な評価を得た2D格闘ゲーム『Skullgirls』や『Indivisible』でリード・アニメーターを務め、『熱血硬派くにおくん外伝リバーシティガールズ』にも関わったJonathan "Persona" Kim氏は、かつてM.U.G.E.N界隈で伝説的なスプライト改変職人として知られた人物だ。
また、セガ公式の『Sonic Mania』でコンポーザーを務めたTee Lopes氏も、キャリアの初期にはM.U.G.E.N等のファンゲームへの楽曲提供で腕を磨いていた。
最近の例では、ホロライブのファンメイド格闘ゲーム『Idol Showdown』が記憶に新しい。
このゲーム自体はUnity製だが、プロジェクトを牽引したGura_D氏や、美麗なドット絵を統括したアートリードのSodan氏は、海外のハイレベルなM.U.G.E.Nプロジェクト(HyperDragon Ball Zなど)出身のベテランだ。
彼らにとってM.U.G.E.Nは、GitHubやUnityが普及する前の時代における、ポートフォリオであり実験場だったのだ。
もっとも、彼らのように自らそれを語り、その出自が明るみに出ることは業界の慣習としては稀なケースなのかもしれない。
プロ格ゲーマーを含めた多くのプロフェッショナルたちが、過去の経歴としてM.U.G.E.Nを語ることはない。そこには、あえて触れないという「暗黙の了解」が、今も静かに横たわっている。
「俺ならもっとこう動かす」「もしもこのキャラとあのキャラが戦ったら」という妄想(IF)を、絵や文章ではなく、実際に動くゲームシステムとして出力する。
それは紛れもなく「挙動の二次創作」と呼べるものだったはずだ。
現在はYoutubeなどのSNSを通して格ゲー界のプロフェッショナルへ気軽に話しかけられるようになったが決してM.U.G.E.Nの話を振ってはいけない。無視されるか立場上、表面上、便宜上M.U.G.E.Nを否定する発言しかしないだろう。
二次創作の経歴がある人へ「盗作ってどう感じますか?」と質問しても多くは「悪いことだと思う」と返すしか無いはずなのだから。
現在は、IkemenGOのようなMITライセンスのオープンソースエンジンが登場し、エンジンの権利問題はクリアになった。Steamでは『TheBlack Heart』のように、この系譜から生まれたインディー格闘ゲームが正規に販売され始めている。
かつてのM.U.G.E.Nが抱えていた著作権侵害の罪は消えない。
しかし、「憧れのキャラを自分の手で動かしたい」というあの熱量と、そこで培われた技術的土壌までを「黒歴史」として封印してしまうのは、あまりに惜しい。
あれは無法地帯だったかもしれないが、同時に、間違いなく数多くのクリエイターを育てた、一つの巨大な「同人界隈」でもあったのだ。
Permalink |記事への反応(13) | 12:36
思ってたよりリラックスして肩の力が抜けてるなという第一印象。
本人的にはかなり緊張してたらしいが、緊張感みたいなのはスタジオの雰囲気含めてまったくないムードに見えた。
いわゆる「かかってる」状態になりそうだなと予想してたがそんなこともなく、終始落ち着いていた。
松本本人が流れに合わせて別の話題に切り替えたりの判断も冷静で的確に感じた。
むしろフロアのディレクター?がやたらと意気込んでいて「この番組のファンをなんて呼ぶべきか・・」とか言いだしてたけど
松本本人は「そういうのはちょっと、ただ色んな芸人が集まれる場所のひとつになったらいいなと」みたいな感じで温度差ありそうだった。
自分が唯一引いたのは観覧席に女性客多めに入れてたこと。これはさすがに意図を感じて引いてしまった。
あえてつまらない話をしようとすると、なぜかそれが面白くなってきてしまうという現象は確かに起きるんだが、
最終的に「本当につまらない話しかしない人が普通に強い」ということになってしまい、最後のほうはなにを見せられてるんだろうという気持ちに。
恐らく見切り発車でやってるので演者や松本本人も難しさを感じながらやってるように見えた。
ぶっちゃけテストでやってたとしたらボツになる企画かもしれない・・
松本とゲストがサシでトークするが、なにか作業しながら話すことでゆるめなトークにするのが狙いと思われる。
確かに作業しながらの雑談って妙な面白さがあるから狙いは分かるんだが、
相手がツッコミなのもあって芸人のノリが強まり、「餃子作りながら」の部分があんまり意味を感じなかった。
それより問題なのは松本はこういうサシでの対話だと面白いことをあまり言わなくなる。
せめて数人周りにおいてかつてのはしご酒くらいには場の空気を作らないと難しい。
しかし芸人以外の芸能人は番宣の一環で出たりするものなので、、なかなかつらいかもしれない・・・
企画的には一番注目していた。
ルールにひねりをくわえてはいるけど、あまり良い方には効果が出てなかった。
ルールが変則的なせいで(プレイヤーが出題者にもなる)競い合う感じが薄れた上に、大喜利の部分に集中しづらさもあり見てる側も気が散る。
途中から千原Jrが責めた感じに切り替えようとはしてたが、全体的にぬるっと終わってしまった。
写真で一言みたいな分かりやすくインパクトのある大喜利テーマが生まれないと、ルールにひねりを入れるだけではちょっと厳しそう。
映像無しで、数人の芸人が架空のコンビ名と芸名を自己紹介としてひたすら挙げていくだけのラジオ乗りな企画。
正直、笑えるかどうかでいうと一番お金もかかってなさそうなこれが一番面白かった。
ただこの面白さは例えばもう寝る体制になりつつ流しっぱでニヤニヤするようなそれこそラジオ的な面白さであって、なんならこれだけ無料配信にするといいのでは、とも思う。
なんか全然褒めるとこがないような感じになったが、テレビでお笑い番組自体がすっかりなくなってしまったので、
純度の高いお笑い番組をやってくれるというだけで、しばらくは見てみようと思っている。
あとこれはあまり話題になってないんだが、11/1の開始日に合わせて浜田側の後輩たちとの度企画も同日配信されるはずだったんだが、
なぜかそれが急遽延期になってしまっていた。
山本金剛は「へうげもの」の影響を受けて渋いものにハマリ始めて10年のどこにでもいる普通のサラリーマン。
最近は色々拗らせ「石っていいよな・・・」と考え始めるようになっていた。
ある日金剛は
わるい。
「スミス」って外国人の同僚と仲良くなったあと、ソイツの名前が日本語で「炭石」と書く所で瑠璃と硝子のパロディでしたってオチに繋げる予定なんだけどさ、そこまでやろうとしたら多分100行ぐらい書く必要あるじゃん?
こんな小ネタのために100行書くのはちょっと俺には無理なんだけど?
AI使っていい?
お前ら代わりに書いてくれない?
頼むわ。
あーつうかこれがAI絵師やAI小説家に外注する訳わからん奴らの気持ちか。
うんまあこの程度はAIに書かせりゃいいんだけど自分でガチャるのはダルいんだよね。
金払うぐらいならもうボツにして終わらせるわ。
企業だと月30万円の売上しか出ないゲームやアプリって「事業として成り立たない」でボツになる。でも個人開発なら月30万円ってだいぶ美味しいので、企業が「小さすぎて手を出せない宝石」を僕らは拾い放題という話
https://posfie.com/@petaritape/p/O5Y0MLD
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/posfie.com/@petaritape/p/O5Y0MLD
月500円の有料課金ユーザーが1000人いる、企業がこの事業に取り組むには売上が足りない、でも個人なら?→需要のスイートスポットを満たせる
https://speakerdeck.com/sotarok/da-ge-ren-kai-fa-sabisu-shi-dai-nipu-tatihadousheng-kiruka
お前らバカだから、こういうのに騙されて無駄な時間を使わないように説明するけど
個人開発でリリースして有料課金50万円稼げるようなサービスは、広告投下したらたぶん5000万円は超えるから企業はやるよ?
やってないってことは、それ以下ってことじゃん?
無料でも使えるサービスだとしたら、甘めに見積もって10人に1人が課金してくれたとして、ユーザー数1万人
まず1万DLがキツイ上に、1万人分のインフラコストで赤字にならないようにしなきゃならない
まあこいつらは頭お花畑なだけだけど、最近「個人開発は儲かる」とか言ってワナビ集めて何か買わせる人も散見されるから気をつけなよ?
_____
・その1万人に気軽に宣伝できる
そんなネタ思いつかないけど
ていうかさあ、AI出てもう2年なのよ、何かそういう「この人儲かったらしい」っていう事例あった??
やってみたとかじゃなくて、実際に儲かったっていう話
よく考えてくれ
_____
もしかしたら、「広告費をかけたら採算が合わないタイプのサービス」をスイートスポットだと思ってる人がいるかもしれない
10年かけて少しずつ広めるって言うならまあ止めないけど
それで月30万目指すの?それ何年続くの?
_____
基本的にサービスは少額・サブスク前提だから、個人開発であってもスケーラビリティが求められる
しかしスケーラビリティがあるってことは企業と競合するんだ、それで負ける
まだかろうじて勝てるのはゲームみたいな創作に関するもので、これは資本を投下したら投下しただけ売れるというわけではないからだ
お前らにはできない
(前略)
ボケ「いきなりですけどね。うちのオカンが好きな捜査機関があるらしいんやけど」
ツ「わからへんの?ほな俺がな、オカンの好きな捜査機関の名前、ちょっと一緒に考えてあげるから、どんな特徴ゆうてたかってのを教えてみてよ」
ボ「あのー甘くてかりかりしてて、で砲弾いきなり投げつけるやつやって言うねんな」
ツ「おー、文春砲やないかい、その特徴はもう完全に文春砲やがな、すぐわかったやん、こんなんもー」
ツ「なにがわからへんのよー」
ボ「いや俺も文春砲おもてんけどな、オカンが言うにはメールから情報提供するっていうねんな」
ツ「あー、ほな文春砲とちがうなあ。文春砲はオンラインのフォームから情報提供するもんなー。でも電話で紀尾井町の編集部に話せるけどなー、03 3265 1211」
ボ「オカンがいうには、メールで情報提供できて、ゴシップ好きのサラリーマンがすきなやつらしいねん」
ツ「それはもー週刊新潮か集英社オンラインか週刊現代やないかい。あれ法律スレスレくらいの中身入っとんやから」
ボ「俺もそうおもてんけどな、オカンがいうには、ジャンルで言ったら庶民やなくてお上らしいねん」
ツ「ほな週刊誌ちゃうがな。週刊誌は庶民目線を売りにして金稼いでるもんな。もうちょっとなんかゆうてなかった?」
ボ「白と黒のトレードマークで、誰に感謝してええかわからんらしいねん」
ツ「ポリスやないかい。ポリスは納税者さんの顔が浮かばへんのよ、浮かんでくるのはネズミ捕りのサイン会場だけやねん。」
ボ「そやねんそやねん」
ツ「暑そうなヘルメットかぶった白バイ隊員の顔だけ。ポリスに決まり、そんなん。短縮番号やなくてHPにのってる市外局番からはじまる番号で相談できるやん」
ツ「ほなポリスちゃうやないかい。先言えよ、俺がネズミの真似してるときどう思ててんお前」
ツ「オトン?」
ボ「ハーバード大学コンプライアンス担当ちゃうかって言うねん」
ツ「いやぜったいちゃうやろ、もうええわー」
ぜんっっんぜんOKが出ない、イライラする、腹立つ、担当よ頼む私のプロットを読む時だけ節穴になってくれ、担当のこと嫌いになっちまうよ
それは置いといて、沼りに沼ってるので過去のプロットを読み返している。
読み返すとわかるんだがマジで全然本気で考えてないかもしれん、読み返すとめっちゃ思うわ。
でもさーーー!!!!!何書いてもボツなんだが!?テーマ無いとか言われるし、あるが!?伝わってないテーマなんて無いのと同じだが!?泣くしかない
はぁ〜めんどくせ〜〜〜頑張って考えたとてボツなんでしょ?みたいな気持ちになる〜〜ムカつく〜〜
前にキャラ設定を練っていた時に、変えてない部分に対してすごい良くなりましたね!って言われてから担当さんの信頼度が落ちている。
伝わってなかったんかーーーー!!本当に最初っからずっと言ってたけど!それ!!!!いや伝えられる文が書けない私が悪いんだけどさーーー文がそんなに上手かったら小説家になってますが!?漫画なんて描いてませんが!?!?!?って気持ちだ、文章上手かったらマジで漫画描いてないが……むかつくよ〜〜あ〜も〜〜〜
大体原画展みたいな
内容は良かったと思う
いや、富野展や庵野展と比べるからおかしいんであって、デパートでやってるようなのに比べれば頑張ってるとは思うし
聖さえずり学園がどの単行本に入ってるかわかんなくて、まあ図録買えばええやろと思ったら展覧会の本だが図録じゃなかったので収録がなかったのが残念であった
そして今さらよしりんとつるんでたのを知って左な私としては少し複雑なのだった…ま、よしりんのシュミがよかったということにしとくか
しかし、手塚治虫の原画見た時はオーッとなったが、原画ってもほぼ印刷版と変わらんつか、作品の1ページを抜粋してるみたいな感じで(それはそれで面白いんだけど)
個人的には絵コンテ見るのが好きだから、ネームとかボツ原稿みたいなのが見たい…ような…
まあ、知らんだけでそういうのも公表してたりするかも知れんが
私は同人文字書きの端くれで、私が追っている彼女も小説を書く二次創作同人作家。
私たちは同じジャンルにいるが表向きはなんの面識もなく、オンオフともに彼女は私のことを知らない。
と言うとまるでファンであるかのようだが、ファンと私では彼女に向けている思いがまるっきり違う。
私は、彼女が嫌いだ。
嫌いだから彼女のやることなすことを監視せずにいられない、アンチに似た心理で彼女のことを追っている。
なぜ嫌いなのか。
理由は普遍的かつ単純で、私は彼女に嫉妬しているから彼女のことが嫌いなのだ。
いや正確には、彼女の作品と、それを生みだす彼女の才能に嫉妬している。たぶん羨望に近い。
読み手にすらすら文章を追わせる勢いや説得力があり、個性も情熱もある。
彼女の書く話にはまず真ん中に〝感情〟という揺るぎない芯が通っていて、その感情を軸に人間というものが瑞々しくそこに描写されている。
自分のなかにある感情が気付けば彼女の文章に呼応し、自然と作品世界に入りこめる。
そういう、強く惹かれる引力みたいなものがあった。
それで、彼女にずば抜けた文章力や構成力があればすべてよかったのだ。
そうであれば私も素直に彼女の作品を称賛し、彼女に心酔するファンの列に加わることが出来ていた。
彼女の作品に一切の隙がなければ、他人の作品に過剰な自意識を持ち込み嫉妬心をいだくような事にはならなかった。
これなら私の方が、と思わせる、粗探しをさせるだけの隙が見えてしまった。
たとえば、有り体に素人くさいと感じさせる文体や単語のえらび方、エピソードが矢継ぎ早に通過していく展開の強引さ、
状況説明を台詞に頼りすぎるところや、メインとするモチーフのわざとらしさなんかが、読んでいて私には引っかかった。
それでも、それなのに、とにかく彼女の作品は「読みやすい」の一言に尽きた。
自分の文章を読み返すときに感じる堅苦しさやとっつきにくさが彼女の作品にはなく、自分の文章に感じる、くどいと思う描写や言いまわしを、彼女はたった数行の簡潔な表現で読者に納得させてしまう。
私がありきたりにならないようにと頭をひねって考えたストーリーよりも、彼女のありきたりなストーリーの中で光る表現や細工のほうが私には鮮やかに感じた。
「私のほうが」と思える隙があるのに、その隙間を覗けば覗くほど、私のほうが優っている要素が見えなくなった。
彼女の作品を読むたび、私は彼女よりもはるかに書けていると思える瞬間と、私は大差をつけられ彼女よりずっと下にいるのだと思う瞬間が交互にやってきて、自信と劣等感でぐちゃぐちゃになった。
そんなふうに散らかった情緒を自分の力できれいに整理することは難しく、彼女のことを「嫌いだ」と疎もうとする強い感情が、私にはもっとも手近で易しい感情に思えた。
私は彼女の投稿するすべての作品をブックマークしているが、ブックマークの設定はすべて非公開にしている。
彼女の作品を「好きだ」と評価すること、そしてそう評価した私の存在を彼女に知られてしまうのが嫌だった。
それは彼女の才能の前にひれ伏し、負けを認めることと同等の敗北感があってただ、悔しかったから。
彼女のツイッターにしてもそうだ。私は彼女のツイッターを非公開リストにいれて観覧している。
私が彼女をフォローして、彼女から私にフォローが返らない可能性を考えると耐えられない。先にフォローをしたほうがきっと負けになる。だから死んでもフォローはしたくなかった。
彼女がツイッターに投稿する作品にいいねやRTで触れることもしない。いいと思ったものは黙ってローカルに保存した。
負けたくなかった。
彼女の作品が好きだけど、彼女の作品を好きだと感じる瞬間は嫌いだ。
キャラクターのえがき方や心情の拾い方が絶妙だと思うけど、同時に、文章力がその熱量に追いついていなくて拙いとも思った。
しかしその拙さは、言い換えれば小説をあまり読まない人から見ても読みやすい文章ということでもあり、そのまま共感や感情移入のしやすさでもあった。
つまり彼女は、ちゃんと小説が上手いのだ。技術などは関係ない。彼女は小説が上手い。
多分、彼女の書いた小説を読んだ瞬間に本当は、私は圧倒されていた。圧倒しきるほど完全ではないのに、それでも力押しで圧倒してきた。そんな経験は初めてで、それがとにかく悔しかった。
彼女のような作品を私の技術で書けるようになりたい。でも模倣はしたくない。彼女に影響などされたくない。彼女の書く作品とかけ離れたものを書いて、上回りたい。そう思う時点ですでに影響されている。嫌だ。負けたくない。
『負けたくない』
彼女への執着の根幹にあるこの「負けたくない」という対抗心こそが、とにかく厄介で私を惨めにさせる。
私の感じている、勝ち、負け、という卑しい価値観が彼女の中にはなく、そもそも彼女は私の作品など読んですらいない。
私は彼女に負けたくないが、
彼女は私のことを知らない。
最初から勝負になっていないのに、強すぎるプライドと折り合いをつけられずに独り相撲をしているだけの間抜けが、つまり私なのだ。
少し話を変える。
私は彼女が設置している匿名感想ツールに、よくコメントを入れる。
お題箱や質問箱やマシュマロなんかの匿名ツールというのは、一人のファンの連投によって、無数の信者の存在を作家に幻視させることが可能なツールだと私は思っている。
そして私も書き手の端くれだから、アマチュア作家が言われて嬉しいこと、作家が読者から訊かれたいこと、そういうのはだいたい分かる。理想的な匿名コメントというものを作り出せる自負もあった。
だから私は、匿名メッセージから彼女の純粋な信者を装い何通ものコメントを送った。
あるときは彼女の作品のおかげでこのジャンルとCPにハマった新規ファン、
あるときは昔から彼女の作品を追い続けてきた古参ファンにもなった。
それから創作のルーツについての質問や、彼女の作品にだけ感じる唯一無二の個性、工夫された演出や、タイトルと内容のリンク、読者に気づいてほしいであろう描写や箇所を、
すべて小出しで拾って「ちゃんと届きましたよ」と都度、読者からのアンサーを返してやった。
それらすべてが私一人からの打算のコメントであることを知らずに、たくさんのファンに向けて何度も「ありがとうございます!」「そんなふうに言ってもらえて嬉しいです…」と答える彼女を見て、せめてもの優越に浸りたかった。
私は一度だけ、その匿名ツールからさりげなく「小説を書くのは好きか」と彼女に訊いたことがある。
彼女は迷いなく、書くのが好きだと答えた。
うまく書けなくても、理想に届かなくて悔しくても、書くのが楽しいから書いてしまうし、きっとこれからも書き続ける。そう言った。
この模範回答にも私は打ちのめされ、嫉妬で頭が燃えそうになった。
彼女が小説を愛し、小説からも愛されていることを知り、心の底から彼女を憎たらしく思った。
私はちがう。手段として書きたいと思うことはあっても、書くことが好きだと感じたことはない。むしろ書くことは辛いことだ。
書くという行為がこちらに寄り添ってくることはなく、「自分は息をするようにこれからも小説を書き続けるだろう」と根拠なく信じることなんかとても出来ない。
なのに彼女は書くことが好きだと言い、創作を信じ、私にはとうてい書けない小説を楽しみながら書いてみせる。まるで物語の主人公だ。
大きく差が開いていく感覚を味わいながら私はまた彼女の作品を読みにいって、私より劣っている要素をあげて安心しようとするけれど、
そのたび私よりも優っているところばかりに目がいって結局、コントロールできない感情だけが重くなってどうしようもなくなる。
私がこれほど彼女の作品を読み返しては否定と肯定に挟まれて息苦しくなっているというのに、とうの彼女は私の存在も、作品も知らない。
彼女はツイッターなどで、良いと思った作品は気軽に共有し、前向きにその感想を述べる(こういうところも、卑屈な私とはちがう)。
私は彼女のブクマ作品も定期的にチェックするが、いつ見ても彼女のブクマ一覧に私の作品があがることはない。
もしかすると、同じジャンルにいるから名前くらいは目にしたことがあるのかもしれないけど……でも多分、彼女にとって私の名前などは、意識に留まることもないつまらない文字列にすぎないんだろう。
それでも、「私を知って!」とこちらから声をあげることはできない。
だって彼女は一度も、私に「私を見て!」と言ったことはないから。
やっぱり心では、私は彼女に認められたいのだ。
私を圧倒していった彼女という存在に近づきたくて、対等になりたくて、私を見つけてほしい、知ってほしい、認めてほしいという気持ちが根底にある。
そして思いどおりになってくれない彼女のことを、恨めしく感じている。
……なんて言い方をしてしまうと誤解を生みそうだが、この心理は『だから本当はあなたが好きなの』と言えるような可愛いもんじゃない。
好きと嫌いは裏表だとか、そんな収まりのいいものでも決してない。
好きじゃない。言い切れる。嫌いだ。大嫌い。
彼女が「スランプで書けない」と思い悩む発言をすれば私は「やったあ」と思うし、
逆に、今は筆がのっている、書きたかったものが書けていると満足する様子を見せられると、焦燥を感じる。
途中まで書いていた話がどうしても気に入らなくてボツにしたと嘆く彼女を見て、一歩前に出たような気になって嬉しくなった。
彼女の作品にブックマーク数が増えていくのを確認するたびつまらない気持ちになって、
私以外のだれかが彼女に送った匿名メッセージの絶賛コメントを見ると、そのすべてを否定したくなって腹が立った。
創作に関するマイナス感情やネガティブ思考で落ち込んでいる彼女を知れば、いつまでもそうしていればいいと胸のすく思いがする。
これが嫌い以外の何だというのだ。嫌いでなければこんな悪意は生まれない。
いっそ、彼女の作品がなくなればいいのにと思う。でも作品を消されるのは嫌だ。
彼女にどこかにいなくなってほしいとも思うが、私の追えなくなるところに消えることはしないでほしい。
もう無茶苦茶だ。
そんなに嫌なら見なければいいのに…と呆れる(あるいは唾棄する)意見が一般的で、健康的なのは分かっている。
だけど、こういう執着をそれでも続けてしまう人はむしろ、現状から楽になりたいからこそ、原因となるものを断ち切れないんじゃないかと私は思う。
私は彼女の才能を認められずに、必死になって彼女を妬んでいる。それはひどく不様で惨めなことだ。自分が惨めであることを自覚しながら生きるのはつらい。
だからその〝原因〟を自分の中で貶めることで、少しでも惨めさをやわらげて救われたい。貶める要素を見つけるために彼女の言動を追いかける。
楽になりたくて、楽じゃない感情にせっせと薪をくべている。
馬鹿みたいだな。
分かっていてやめられないんだから救いもない。
きっと私が彼女に正面から偽りなく本心を伝えるか、彼女から好きだと告げられることが、私の思いえがく理想のゴールなんだろう。
彼女から好きだと熱烈な告白を受け、抱擁でもされようものなら、その瞬間に私の中にわだかまっているぐちゃぐちゃが全てすがすがしいものに変わる気がする。
そのとき私を満たす思いは、『勝った』という勝利の喜びだろうか。分からない。想像がつかない。
何にせよ、そんな日はどうせ来やしない。昨日も今日も明日も、彼女は私を嫌うことすらしない。
すべてがむなしいまま、なにも変わらず続いていくだけだ。
めったにオフ活動をしない彼女の、それが当面の、最後になるかもしれないイベント参加なのだそうだ。
そのイベントに足を運んで、彼女の姿を一目、この目で確認してみようか。
私はずっと、それを迷っている。
Permalink |記事への反応(16) | 19:49
Appleは製品を売っているのではない。「理想の自己像」を売っている。これは完璧に設計されたマーケティング戦略の成果だ。
私たちはAppleという檻の中で、“自由”という幻想を消費している。
AppleのiPhone戦略は、「Proで羨望を創り、SEで妥協点を作る」階層構造にある。
Proモデルは“一度使うと戻れない”中毒性の体験を提供する。
対してSEは、廉価モデルの“安心感”を装いながら、実はProの神聖性を保つための緩衝材として存在している。
ゆえにいずれ物足りなさが不満に転じ、上位機種への渇望を生む。
しかもAppleは廉価グレードであるSEですら“型落ち”需要を狙った巧妙な罠を張っている。
最初は性能を抑え、価格も中途半端だが、時間が経ち型落ちモデルが姿を現す頃に“これでいいか”需要が生まれるよう設計されている「時限爆弾」なのだ。
気づけば複数のApple製品を揃えないと「Apple体験」は成立しない。この「ストレスのない世界」は、完璧な囲い込みの設計だ。
⌚️:Apple Watch:バンドに潜む“自尊心”のトリガー
Apple Watch自体よりも、着目すべきはバンドの持つ「自己表現」だ。
Amazonを探せば多種多様なデザインのバンドが販売されている。ユーザーは自分の趣向に合わせて着用できる。
しかもバンドはApple Watch専用。互換性を持たせないことで、“腕からの依存”すら設計しているのだ。
iPadシリーズは「安くてゴミ、高いがゴミ」という構造を持つ。
無印iPadは安価だが、RAMも少なく、Pencilは旧式。分割表示も不安定で、書く行為すらストレスになる。
Proモデルは高性能なM4チップ(MacBookと同じチップセット)と16GBRAMを備えながら、macOSには及ばない。つまり「オーバースペック」な高級品。
iPadAirやMiniは、汎用性の高いデバイスとして、また「サブスマホ」的な位置付けとしての「ちょうど良さ」を装うバランス型搾取。納得感で財布の紐を緩ませる設計だ。
Appleは体験の快適さを段階的に操作することで、自然と上位モデルへと導く。
Proで「憧れ」を植え込み、廉価版で「ストレス」を仕組み、サードパーティで「個性」を売る。
その結果、私たちは徐々にAppleを通じた生活スタイルそのものを選ぶようになる。
Appleはこれらを統合し、「縛られる」ことによって他社が追いつけない“なめらかな体験”を提供する。
その心地よさが、囲い込みと依存を強化していくのだ。
ストレスは、あって初めて気づくもの。Appleユーザーは気付かぬうちに搾取構造の渦中に巻き込まれようとしている。
例えば、クラウド業界ではAWSが圧倒的なシェアを誇り、その背後にはAI・GPUチップで覇権を握るNVIDIA、そして製造を担うTSMCがある。
TSMCは日本にApple専用ともいえる工場を建設し、SonyのCMOSセンサー(スマホカメラ)を製造している。
これはAppleが情報漏洩リスクを最小限に抑えるための“囲い込み”戦略の一環だ。
業界標準を握る者が、すべてを支配する。これを理解し実行している企業だけが、生き残る。
🧺:檻は、悪ではない
Appleの「檻」は、決して悪ではない。
例えば動画撮影における「望遠から広角レンズへの切り替え」は動きをつけられ、Airdropによってメンバーとすぐに情報共有ができる。
あるいはMacBookによるiPhone遠隔操作で、さらなる生産性向上にも貢献できよう。
それはまさに、クリエイティブな未来を生み出すための“舞台”でもある。
:創業者、スティーブ・ジョブズの願い
「コンピュータになにができるかではなく、コンピュータを使ってクリエイティブな人々はなにができるか」
iPadAirを、Apple Watchを、iPhone Proを子供たちに使ってほしい。
未来社会のデザイナーが、インスピレーションを起こせるように。
なんというかなー。全然自分のいいたいニュアンスを拾ってくれない。別に「主体的に働くこと」が目的じゃないんだよ。生成AIにはそれがわからんのですよ。
できる限り楽して仕事したいから、最低限ここだけおさえておくと楽だよってニュアンㇲを何ども強調してるのに、それでもこういう感じでまとめられちゃうんだよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
社会人の第一歩を踏み出した皆さん、おめでとうございます!期待と不安が入り混じる中、これから始まる社会人生活に胸を躍らせていることでしょう。しかし、現実は時に、皆さんが想像していたよりも複雑で、戸惑うこともあるかもしれません。
特に、上司や先輩からの指示が曖昧だったり、細かすぎる指示(マイクロマネジメント)に戸惑ったりすることは、多くの新入社員が経験する悩みです。しかし、これらの課題を乗り越え、主体的に働くための心得を身につけることで、皆さんはより充実した社会人生活を送ることができるでしょう。
この記事では、曖昧な指示への対処法、マイクロマネジメントへの対応、そして主体的に働くために必要な7つの心得について解説します。
1.曖昧な指示は「成長のチャンス」と捉える
「あれもこれもダメ」というような矛盾した指示(ダブルバインド)や、指示の意図が不明確な場合、戸惑ってしまうのは当然です。しかし、このような状況は、指示された範囲や目的を自分で考え、主体的に行動する力を養う絶好の機会でもあります。
指示された内容を鵜呑みにするのではなく、「なぜこの指示が出されたのか」「どのような成果が求められているのか」を考え、積極的に質問することで、指示の意図を明確にしていきましょう。
2. 指示の「7R」を意識する
指示内容を整理し、必要な情報を確認するために、「7R」のフレームワークを活用しましょう。
リクエスト(Request): 依頼内容を明確に把握する。
レギュレーション(Regulation):成果物の形式や出力方法を確認する。
レビュー&リファイン(Review & Refine):成果物のレビューと改善を行う。
リファレンス(Reference): 参考情報や関連知識を提供する。
ラン・シナリオ(Run Scenario):実践的な場面を想定し、シミュレーションを行う。
これらの項目を意識することで、指示内容を多角的に捉え、主体的に業務に取り組むことができます。
細かすぎる指示は、時に皆さんの主体性を奪い、ストレスの原因となるかもしれません。しかし、このような状況は、上司や先輩に信頼される絶好の機会でもあります。
指示された内容を正確に理解し、期待以上の成果を出すことで、「この社員なら安心して任せられる」という信頼を勝ち取りましょう。
上司や先輩も、皆さんにどのように指示を出せば良いか、常に悩んでいます。積極的にコミュニケーションを取り、指示の意図や背景を理解することで、認識の齟齬を防ぎ、スムーズな業務遂行に繋げましょう。
報連相は、社会人の基本です。特に新入社員の皆さんは、積極的に報連相を行い、上司や先輩との信頼関係を築きましょう。
報告:業務の進捗状況や結果を、適宜報告する。
6. 失敗を恐れず、チャレンジする
新しい環境での業務は、失敗がつきものです。しかし、失敗を恐れていては、成長の機会を逃してしまいます。失敗から学び、次に活かすことで、皆さんは大きく成長できるでしょう。
7. 常に学び続ける姿勢を持つ
社会は常に変化しています。新しい知識やスキルを習得し、常に学び続ける姿勢を持つことで、変化に対応し、市場価値の高い人材へと成長することができます。
まとめ:主体的な行動が、信頼と成長に繋がる
曖昧な指示やマイクロマネジメントは、確かにストレスを感じる要因となります。しかし、これらの課題を乗り越え、主体的に行動することで、上司や先輩からの信頼を獲得し、自身の成長に繋げることができます。