
はてなキーワード:ボカロ曲とは
女子トイレの3番目の個室をノックすると「俺でいいの……?」って返事がくるらしい。
扉を開けちゃうと、寂しそうな目の弱者男性が座ってて、逃げられないとか。
夜の音楽室でピアノ弾くと、どこからか「ボカロ曲しか知らないんだけど…」って歌声が重なるんだって。
部屋の隅には、リュック背負った弱者男性が立ってるとか怖すぎ。
理科室の人体模型、夜になるとチェック柄シャツ着て歩き出すらしい。
捕まると延々「趣味は一人ラーメン巡りなんだ」って語られて朝まで解放されない。
深夜、誰もいないはずの放送室から「年収700万なんですけど、いい人いませんか…」って声が流れる。
目が合うと「一緒に秋葉原行かない?」って誘われて、そのまま鏡の中へ連れ去られるらしい。
「マッチングアプリでマッチしないんです」って相談されて、うまく答えないと奈落に突き落とされる。
突然ですが、YouTubeで最も再生されたVOCALOIDの楽曲(Nyan Catのような二次創作を含まない)を知っていますか?ボカロ界出身の有名人である米津玄師やAyase(YOASOBI)のボカロ曲のどれかでしょうか?ボカロブームのきっかけとなった「みくみくにしてあげる♪」「メルト」でしょうか?
ハチ(米津玄師)さんの曲では「PersonaAlice」が一番好きです。「マトリョーシカ」以降は、メジャー作品を含めて正直苦手です。アルバムとか買えば昔のような落ち着いた作風の楽曲もあるのでしょうか?
「メルト」は好きですが、当時の荒れたボカロ界隈に独特なサムネを引っ提げて颯爽と表れた「ハト」の方が印象に残っています。可愛らしいメロディに加え、リズミカルでいて意味深な歌詞、それをどこか間の抜けた初音ミクの歌声で響かせる動画の雰囲気が好きでした。元動画は消されてしまいましたが……。
正解は椎名もたさんの「少女A」です。再生回数は2025年5月時点で1.4億回以上。その経緯はいくつか分析がありますのでそちらに譲りますが、初見で当てられる人はほとんどいないのでは。
私は2008年から2016年までの長きにわたってボカロにドハマりし、10,000曲以上を聴いてきましたが、「少女A」あるいは椎名もたさんはその中でも特別な意味を持ちます。私の中でうまく消化できなかった澱みのような何かについて言語化する機会も場所もなかったのですが、「少女A」という文字列がYouTubeでの再生数とともに私のXのタイムラインに流れつき、当時の想いが蘇ってきたのでここに供養します。
話は2008年まで遡ります。当時の私はニコニコ動画の魅力に取り憑かれつつも、「みくみくにしてあげる♪」に代表される最初期の初音ミクブームを白い目で見ていましたが、「メコノプシス・ベトニキフォリア」(2008年・ちゃぁさん)を聴いた瞬間に衝撃が走りました。エレクトロニカというジャンルすら知らなかった私には、嗜好を捻じ曲げるだけの破壊力がありました。それから狂ったようにエレクトロニカのタグを追い、「Parallel Lines」(2008年・ボッチさん)などを四六時中聞いているうちに「Chaining Intention」(2008年・Treowさん)「虹」(2008年・CleanTearsさん)と、関心領域が広がっていきます。
追い打ちをかけるように、「snow knows」(2008年・zddnさん)を聴いて二度目の衝撃を受けました。電子音のようなボカロ声をロックに合わせる試み。完成度の高いギターの洪水。これに参らないわけがない。「参月の雨」(2009年・えこまるさん)などを経て、射程はシューゲイザーからオルタナティブロック、さらにはロック全般へと到達し、気づけば四つ打ちポップから前衛音楽まで全てを守備範囲とするボカロオタクの完成です。
毎日のように知らない扉が開く日々はまさしく青春。今思えば、レコードショップやCDショップで一日中試聴して過ごす若者はこんな想いだったのでしょう。当時のマイリストを見ると、私のボカロ熱の最盛期は2009年〜2012年頃だったようです。わかりやすく学生時代です。なんと自堕落な。
私が椎名もた(ぽわぽわP)さんを知ったのは、「ストロボハロー」(2010年)でした。主張しすぎない落ち着いたオケの中で、繊細かつ内向的な言葉選びにオリジナリティを感じました。「Equation+**」(2010年)「そらのサカナ」(2010年)と、音と言葉の引き出しが増えていき、「ストロボラスト」(2011年)にて一種の到達点とも言える完成度となります。
その後、少し間を空けて「怪盗・窪園チヨコは絶対ミスらない」(2011年)が発表されましたが、バンドサウンドを強調した音作り、あっけらかんとした歌詞と、急に作風が変わったことに驚きました。もちろんところどころに椎名もたさんを感じるのですが、興奮や称賛よりも、心配が勝ったのを覚えています。ただし「パレットには君がいっぱい」(2012年)「Q」(2013年)といった、エレクトロニカ・ロックの絶妙なバランスと、飛び抜けた言語センスが光る楽曲が続き、私のお気に入りは増えていきました。
大好きだったのは冒頭の「少女A」(2013年)です。後期の作風が色濃く出つつも、歌詞は切れば血のでるような生々しい若者の歪みが見事に表現され、特にサビの緩やかな入りからの叩きつけるような叫びは思春期そのもの。当時は(椎名もたさんの他の楽曲に比べれば)再生数が伸びないのが不思議でした。そしてその後、仕事が忙しくなってニコニコ動画を開く時間が少なくなり、だんだんと新曲を探す機会は減っていきました。
椎名もたさんの訃報に接したのは、2015年。Twitterのタイムラインでした。情報源は噂話などではなく、椎名もたさんの所属レーベルからのリリース。疑う余地はありません。1年ほど椎名もたさんの新曲を聴いていなかったことに気づき、椎名もたさんのマイリストにアクセスすると、遺作となった「赤ペンおねがいします」が。さらなる衝撃。椎名もたさんのものとはとても思えない、雑で単純な捻りのないオケ。初音ミクの気の抜けた調声。抽象的というより意味不明な歌詞。素人の感想ですが、私にはそう感じました。精神的または肉体的な崩壊を感じました。椎名もたの崩壊を確かに感じました。椎名もたは死んだ。これほど他人の死を強く感じたことはありません。ただ、「死」を感じました。
さらにショックだったのが友人のツイート。「ぽわぽわPの死亡というニュースは、不謹慎だが頭をPの文字で表現された漫画上の人物が死んだというニュースのようで笑ってしまう」。それまでの人生や思索の全てを音楽に昇華して注ぎ込んできた人間への言葉としてとても受け入れ難く、とはいえ普段ボカロを聴かない友人に悪意はなく、ただただやるせなさのような、哀しさのような、共感してくれる人のいない思いだけが残りました。
その後、仕事はひと段落しましたが、以前のようなボカロ熱が復活することはありませんでした。
結婚して子供ができて、人生観とワークライフバランスが大きく変わった今、改めて「少女A」を聴いてみて、とても良い曲だと感じました。椎名もたさんの動画説明文のとおり、タンバリンを叩いて楽しみたい。カラオケでも配信されているようなので、家庭が落ち着いたら、いつの日かカラオケに行ってみようと思います。大声で歌いながら、タンバリンを叩きながら、少しだけ自分の青春と、椎名もたさんの生涯に思いを馳せて。
日曜の深夜に始まったLAZARUSを見て以来、毎日、何回もBoo RadleysのLazarusを聞いている。正確に言えばYouTubeでバンドのPVを見ている。
COWBOY BEBOPで有名なアニメ作家の新作アニメがLAZARUS(読みはラザロ)で、タイトルはBoo Radleysの30年以上前の曲からの引用でED曲にも使われると知り、急に興味がわいたのが金曜の夕方だったからギリギリ間に合ったのだ。
アニメには本当に疎いので、作品の出来の良しあしはわからないが途中のパルクールシーンの劇伴がかっこよかったので継続しようかなと思えた。
劇伴とOP曲はKamasi Washingtonなので、この監督のファン層であろうサブカルに敏いクラスター的にはそっちに注目してるようだが、僕としてはどうしてもED曲のLazarusのほうに注目してしまう。
EDの動画もYouTubeにアップされ、そこそこ見られてるようだが、本家のBoo RadleysのPVが数か月前に見たときの倍くらいまで再生数を稼ぎ出していて、コメントもこの数日から一か月くらいで新規がついてるのを見るとちょっとうれしくなった。
僕が90年代後半のBrit Popブームの中で、ほぼ唯一好きになりにいったバンドがBoo Radleysだった。
他にも好きだったバンドはいっぱいある。それこそBlur、Oasisの二大巨頭はもちろん来日公演を見に行っていたし、Kula Shaker、Dodgy、The Verve、Radiohead(当時はまだCREEPがヒットしたバンドみたいな扱いだった)、Supergrass、Mansun、Bluetones、etc...個々の曲で好きな曲は山ほどあった。ちょっと遡って、Stone RosesやHappy Mondays(どちらかと言えば好きだったのはBlack Grapeだったが)、James、Soup Dragonsあたりも好きだった。
そうしたバンドはだいたいが、何度か聞いたら普通にファンになっていったのだが、Boo Radleysはちょっと違って、このバンドはよくわからなくても何度も聞いて自分から好きになりにいったバンドだった。
Boo Radleysを知ったきっかけはちょうど30年前の今くらいの時期に吉祥寺のレコファンで聞いたWake UpBoo!だった。そう、Boo Radleysといえば、Wake UpBoo!なのだ。「史上もっとも気分が良くなる曲」に認定されたというあの陽気なホーンのイントロとさわやかなメロディの。
しかし、僕が聞いたWake UpBoo!はちょっと違った。曲が終わったとたん長くダビィなトリップホップのような展開が延々と続くバージョンだった。あとで購入した盤でWake UpBoo!:Music For Astronautsというバージョンだと知った。
とにかく陽気なのに突然薄暗くシリアスな面を見せてくるこのバンドは何かが変だ、これは聞いてみないとと思ってアルバムWAKE UPを買って聞いてみた。CREATIONというレーベルなのでそういうバンドだとは想像していたが思った以上に陽気でメロディアスな曲は多くなく、全体に違和感を感じるくらいに当時のBRIT POPにありがちな軽薄さが全然ない、むしろ、Wake UpBoo!は無理やり作ったんじゃないかと思えるくらいの根の暗さを無理やり押し隠したようなアルバムだった。(実際、Wake UpBoo!は録音時にギターのマーティン・カーの技量的にまだ厳しくて、通しでは弾ききれなかったらしい)
当時は大学生なりたてて、浪人時代を少し引きずっていて鬱屈気味なのに無理やり明るくなろうとしていたこともあったのか、なんとなくこのバンドのことをちゃんと知りたいと思うようになった。当時はまだ大学生の半数くらいが浪人だった時代でマジョリティまでいかなくても同級生の半分くらいは浪人を経験してきているので、そんなにコンプレックスを感じることもなかったのだが、それでも1年間の浪人経験は入学後もしばらく自分の人格に影響を与えていたのは否めない。
そうした自分にとってこのバンドは何か心に刺さるものを届けてくるように思えた。好きなバンドとは言い切れないが、でも何度となく聞き続けてファンになる必要があると思った。そういう意味でこのバンドは最初から好きだったわけではなく好きになりにいったバンドだったと思う。
アルバムのライナーノーツや音楽雑誌の批評を読みながらアルバムを聴いていたが、どの批評でも前作のGiant Stepsと収録曲のLazarusについて触れているのを目にして、それらも聞かないとならないと思い、たまたま大学の近くのディスクユニオンで見つけたGiant Stepsを購入して聞くことができたのはほどなくしてだった。全然わからなかった。正確に言えば、なんで1993年のベストアルバムとしてこのアルバムがあげられるのかわからなかった。当時の自分にいわゆるシューゲイザーバンドへの素養がなかったのもある。マイブラやRideがわからなかったのと同じだと思う。このアルバムを一聴で好きになるにはその素養が必要とされた。でも、何度も何度も聞き続けるうちにものすごく面白いアルバムではないかと思うようになっていた。
そしてLazarusが耳からこびりついてしばらく離れなくなった。突然始まる轟音ギターに重なるトランペットのフレーズの美しさ、メリハリをつけるように静かになった中でほとんど1フレーズのメロディが歌われ、ふたたびサビのようにトランペットが流れる。なぜか今でも思い出すこのころの大学周辺の天気は曇り空なのだが、そこのBGMとしてLazarusはぴったりだった。
まあ、とはいえLazarusやそのほかのBoo Radleysの曲ばかり聞いていたわけでもないし、むしろ他のバンドのほうがいっぱい聞いていたように思うが、なんとなく自分の大学時代の音楽と言われるとBoo Radleysが真っ先に思い出されるし、今でも聞くとちょっと内臓の奥の方がぎゅっとされる感じはある。
そんな僕も大学を卒業して就職し、たまたま出会った女性と結婚して、子供が生まれた。聞いてる音楽はBrit Popからトリップホップを経て、クラブミュージックに移行してロック方面はあまり詳しくなくなるうちにいつの間にかBoo Radleysも解散していた。
息子は僕にはなかった音楽の才能がそれなりにあったようで、ピアノをずっと習いつつ家ではボカロ曲なんかと弾いたりするような子になった。とはいえ、自己顕示欲がはなはだ薄いのでネットにアップするようなことはしなかったが。
そんな息子は高校に入り吹奏楽部に入った。サックスを吹くようになり、そこそこはまった彼は家でもYouTubeでいろいろな演奏動画を見るようになった。僕がクラブ文脈で好きだったロシュフォールの恋人たちのキャラバンの到着や、ルパンのテーマ、Sing Sing Singあたりを好んで聞いてるのはちょっと嬉しかった。息子にあれこれと教えたりもした。そうした中に息子が自分で動画あさりをしていく中で見つけた曲にCOWBOY BEBOPのTank!もあった。僕も聞いてなるほどこれはいい曲だと思った。
ルパン三世、というか、それが参考にしていたラロシフリンやエンニオモリコーネ、アルマンドトロバヨーリといった古き良き探偵、スパイ映画のような素晴らしくスリリングなテーマソング。アニメに熱狂的なファンがいるのもうなづけると思った。
あわせて息子は中学の終わりくらいから深夜のアニメを見始めるようになり、時折、リビングのテレビでも見るようになっていった。特にジャンプラ系のマンガ原作のアニメは僕がジャンプラを読んでることもあり、一緒に見ることが多かった。次第に息子の興味はこてこてのアニソンよりも、米津やKing Gnu、髭dan、ミセスあたりを経由してJ-POP方面になっていった。そして今度は息子の好きな音楽を通じて僕も最近のJ-POPがちょっとわかるようになったし、ちょっと好きになってきた。ちなみに今、息子が一番好きなのはサカナクションだったりする(もちろん、チ。経由)
そうした中でLAZARUSが始まった。息子はあまり体系的にアニメを見る方でもないこともありCOWBOY BEBOPも見ていないので、初回は見たのかわからない。僕はリビングで一人で見ていた。
僕は半信半疑でEDを待っていた。そして、EDが始まった。あの轟音ギターとトランペットがリビングに鳴り響いた。いや響くというほどの音量でもないが。正直、共感性羞恥のようなものが若干発動したが嬉しかった。死体のようになった登場人物を次々に画面に出すまるでワンカットのような映像、あまりにもはまっていた。僕が大学の始まりの年に感じていた微妙な心象風景のような映像だった。自分は生きているのだが周りは生きているのかわからないような。
すごく良かった。この映像がきっかけでBoo RadleysのLazarusが話題を集めたら面白いと思った。
そして、ちょうど大学生になった、つまり僕がBoo Radleysを好きになりに行った時と同じステータスになった息子とLAZARUSを見て感想を言い合いたいと思った。
大体、あの赤いきつねのCMの絵柄って完全に女性向けの絵柄だよね?
普通に現代系の恋愛小説の表示とかボカロ曲のサムネとかの綺麗系の絵柄
あれを男向けだと解釈している人はどんだけ歳いってんの?
これはマジで思った
私にもツイフェミやってる友人が何人かいたけどみんな社会人になる頃にはちゃんと卒業していたよ
赤いきつねのCMごときで騒いでいるおばさんはみっともないことしてないでちゃんと自分の人生を生きる努力をしたほうがいいと思う
大体、あの赤いきつねのCMの絵柄って完全に女性向けの絵柄だよね?
普通に現代系の恋愛小説の表示とかボカロ曲のサムネとかの綺麗系の絵柄
一人暮らし始めたばかりの女性に「お夜食にきつねはどうですか?」って宣伝しているCMなわけでしょ?
あれを男向けだと解釈している人はどんだけ歳いってんの?
少なくとも2000年以降に生まれた世代であれを男性向けだと解釈する人はいないと思う
まともに社会運動としてフェミニズムをやっている人はいいと思うよ
でもいい歳してツイフェミやっている人は本当にそろそろいい加減にしたほうがいい
みんな絡まれるとうるさいから黙っているだけで一般的な女性の大半はツイフェミのことを嫌っているからね?
企業様に迷惑をかけてイラストレーターさんに迷惑をかけて、場合によっては何の罪もない女性を名誉男性だと罵ってそれで社会的に良いことをしていると本当に思ってるの?
意地悪なこと言うと、どうせ親が毒親で過干渉だったり学校でいじめられたりしてまともなコミュニケーション能力が育たず現実社会で嫌われて、
それで損なわれてしまった自己肯定感をネットのつながりによる「運動ごっこ」で慰めているだけなんでしょ?
だってツイフェミのやってることって「先生!〇〇さんがこんなことしてました!よくないと思います!」とか「〇〇ちゃん泣かせるなんてひどい!みんなもそう思うよね!?」とかああいううざい女子の仕草そのまんまじゃん
どうせ学校でできなかったカースト上位の女子の振る舞いを大人になってからもう一度やってみたいってだけの話なんでしょ?
頼むからツイフェミさんは精神科言ってカウンセリングを受けてください
このままだと女全体の株が下がってかえって男尊女卑が加速するよ
Permalink |記事への反応(29) | 10:51
まず言っときたいのがこれね。
作者が、自分で、非公開にしている。
通報受けて削除されたわけでも、YouTube運営の判断で削除されてる訳でもない。
その証拠に他人が転載した動画はそのまんま放置されている。消されたんならこれもYouTube運営が放って置くわけがない。
他のボカロ曲や「神聖ロリ神レクイエム」の方が問題になりそうな場面やら歌詞多いだろうに何故これがターゲットに?
という疑問持ってる人居るけど、そもそもそれらが海外の潜在的ロリコンのターゲットになってないとは限らない。「神聖ロリ神レクイエム」は国内でだってなんやかんや言われてるし、「ざぁこ」が問題にされてる9歳という自称もしている。
違いはそれらの批判を受けてもどこ吹く風で放置してるところだ。
しかし、「ざぁこ」は、動画が非公開になったことにより、「消された」と言う認識が生まれる。
これにより「消される」ほど問題があるという認識が生まれてしまった。
https://youtube.com/watch?v=N6fnbgo_ZPs&si=YQaV-hCIBIbh1XDR
見れば分かるが、動画の映像にも歌詞にも残念ながら性的要素は皆無だ。
似たようなシチュエーションのエロ漫画を何本も読んでいて、条件反射で勃起するような頭のイカレたロリコンには性的に見えるが、自分のような健常者にはエロさは感じられない。
ちなみに「ざぁこ」って言葉が向こうでは卑猥な言葉として認識されてるという情報もある。これが問題だとしたら、そもそもタイトル自体を変える必要があるが…本当にそんなことするつもりなのだろうか?
反応するにしても早過ぎる。
こうなるともはや、海外で騒がれてから、動画を非公開にして「消された」状態を作り出す事までが想定通りの流れなんじゃないかと疑いたくなる。
同じ作者の「テトリス」について書かれたnoteを読んだところ、それまでパッとしなかった作者は「テトリス」で方針を転換して流行の要素をふんだんに盛り込んで上手くバズったようだ。つまり、今回も「上手くやった」ってことだ。
というのを見るまでもなく、MV内には幾つものボカロ曲MVのパロディが含まれている。というか後半モロ。確かにボカロ曲はニコニコ発祥でこういうパロディは文化的に問題ないモノだろう。
しかし、意図的にバズろうとしている人にとっては何ともやりやすい環境だ。パロディ元のファンあたりが見に来る可能性が高いからね。
プライドとか無いんか?と言いたくはなるが。
ちなみにここにも性的要素はない。
こんなものがTLに流れてきた
https://x.com/McDonaldsJapan/status/1891299023065149629?s=19
答え、出ちゃったね
自分の世代では珍しく、ニコ動やボカロを視聴しないオタクだった。
画面の上にコメントが流れるとコンテンツが見えにくいからnicobox派だったし、好きなカテゴリは料理動画とASMR。合成音声や人力の音をうまく聞き取れず、楽しみ方がよくわからなかったのだ。
にちゃんでSSを読み漁って生き延びたガキが大学に入って初めて行ったカラオケで、オタクたちはニコ動のミーム楽曲やボカロ曲を歌う。でも私はそれらを聞いて育っていないから、他の好きなアニソンを歌って帰った。
彼らは自分の前に歌った曲の関連楽曲や同じPの曲を入れて、流れを楽しんでいたのに、いつも私が空気を読めなかった。
ある時Vtuberの存在を知った。Vtuberが歌うボカロ曲の「歌ってみた」が楽しめると気づいて嬉しかった。歌い手はニコ動、ツイキャスにもいたのに。
曲を聴こうと思う時、その歌を好きな誰かに紹介されて「出会う」と思う時がほとんどで、Vtuberは多分その媒介になったんだと思った。
Vtuberの歌ってみたのおかげで、オタクたちのカラオケでも空気を読んだ選曲ができるようになった。
だけど、歌える曲が増えるようになってから、自分の好きな曲を選曲する後ろめたさを感じるようになった。
オタクグループでは私抜きのカラオケが何回か開催されている。私の知らない、お互いの共通界隈の曲を歌って盛り上がっていると思う。そうあって欲しい願いがある。
プレイリストを送り合っても、一緒にカラオケに行っても、知っている曲は少ないけど、初めて聞いたメロディやリズム、詩を歌う声がどこか光っているように感じて、新しく好きになる曲が増える。
なのに、私は誰に紹介されても、合成音声のままの曲を美しいとは感じられないと思う。
4日、初音ミクの公式Xにてピアプロのガイドラインについて触れる表明が出された。[https://x.com/cfm_miku/status/1864128366720487608 ]
そのことについてユーザーの反応を見るために引用を見てみると、その中に「Deco*27のことか」、「最近のボカロ曲はひどい」とコメントしている人がいて驚いた。
なぜならボーカロイドに卑猥な歌詞を歌わせる歌なんて十年以上前から存在しているからだ。
世代が一巡したんだなとか、知名度があがった分色々な層の人の反応が見えるようになったんだな、とか感慨深くなるが、
私は今回は曲のことではないのではと考えている。
そもそも、ボーカロイドに性的な歌詞を歌わせて話題になるのは十年以上前からあったことだ。
詳細は省くが、歌詞が原因で権利者削除された曲は過去に存在している。
だが、無数にある性的な歌詞の曲全てが削除されているというわけではない。
この違い、匙加減はなんなのだろうか。
初音ミクの公式ブログにて、そういった曲に対し2008年に声明を出していた[https://blog.piapro.net/2008/01/post-15.html ]
その時の声明の中では、
>>特にVOCALOIDそのものや、VOCALOID製品のタイトル/キャラクター(「初音ミク」「鏡音リン」「鏡音レン」等)、バーチャルシンガーなどとクレジットされた作品において、それそのものが、いわゆるエロティックな表現や、バイオレンス、グロテスクな表現を、自ら発言/自己表現しているような見え方と捉えることが可能な場合、または視聴者がVOCALOIDやキャラクターのイメージを誤解し、困惑、嫌悪の感じをいだく可能性がある場合、VOCALOIDやキャラクターのイメージに悪影響があると判断させていただく事がございます。 <<
としている。また
>> ※"公序良俗"の判断基準については弊社では「TV放送できるか否か」をひとつの判断基準としています。例えば性的表現に関しては視聴者に困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意しています。家族がそろって視聴した場合、露骨な表現描写をすることによって困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意をしています。(民放連の放送基準より一部参照) <<
とも書いている。
ここにそのヒントがあるように思う。
恐らくは「ボーカロイド本人が発信しているようにみえるか」、「直接的な表現をしているか」が主に判断基準になっていそうだ。
削除された曲はこれにひっかかっていた。(デッドボールPの『私は人間じゃないから』等)
Deco*27氏のそれが話題になりはじめたのは一年前のラビットホールあたりだろうか。
そこから『サッド・ガール・セックス』や、つい先日アップされた『モニタリング』の歌詞も言葉選びで言えば性的一面もあるだろう。
しかし、改めてMVを視聴すると上記の条件にはあたらないように思う。
まず上に挙げた削除された曲のように曲中で初音ミクを自称していない(ため、架空の女子の歌であるとすることができる)。
ではそもそもの直接的表現についてだが、これも対象外ではないかと思う。
サッド・ガール・セックスについては難しいところなのだが、恐らくピアプロが指す直接的表現ではない。
これが駄目ならアゴアニキPの『よっこらせっくす』も対象になるため私はそう考えている。
そして当然、気が付いていないという可能性もない。
ポケミクという大事なコラボにまで起用されるレベルのボカロPの話題曲が耳に入らないわけがないのだ。
例をみるに、有名なエロゲーの主題歌のような匂わせ程度の表現については見逃しているのではないだろうか。
性描写に重きを置いているかどうかも、判断材料として大事な要素かもしれない。
(想い人との別れや少女の感情が肝であるため直接表現とされていないのではないかという考え)
こういった根拠から、今回の件はDeco*27氏についてではないのではないかと私は思う。
>> 今般、主にソーシャルメディア・SNS を通じて発信される一部の当社キャラクターの利用、及びそれを取り上げたメディア報道について、ファンの皆様に多くのご心配のお声を頂戴しております。当社といたしましては誠に遺憾であり、大変心苦しくございます。<<
との一文もある。
過激な歌詞についての声明の時に、はっきりと公序良俗に反する歌詞を含む歌詞についてと書いてあることから、
だからこそ、今回は本当に単純にキャラクター利用についてを指しているのではないか。
(そもそもそう考えている人のほうが多いのだが)
あれは初音ミクに卑猥な言葉を喋らせたいという動機から生まれたらしいのだが、
それをそのままミクにやらせていたらきっと怒られていただろう。参考にしてみてほしい。
しかし、こういった色々な歴史を無視して今回Deco*27氏に対して攻撃的な声があがるのが残念でならない。
私も、他界隈でのグレーゾーンを面白半分で攻めるような行動を見れば思うところもあるが、
今一度、公式の規約、モラル、アーティストの熱意など含めて考えなければいけないと思う。
ちなみに、じゃあ何のことを指しているのかということには触れないでおく。
自分は20代半ばで若者に分類される年齢だと思うんだけど、歌声に限れば最近流行りの歌手より昔人気だった歌手の方が好きな歌声の人が圧倒的に多い。
(歌声、楽曲の聴き心地、耳心地のよさに限れば昭和の曲は圧倒的だと思っている。)
特にここ10年くらいで不快な高音の男性歌手が増えているように感じている。
自分の記憶の中で一番最初にそれを実感したのはボカロ曲の歌ってみた動画で、男性の歌い手による無理な高音だった。
それがあまりに受け付けなさすぎて、歌ってみたはほぼ通らずここまで来てしまった。
無理な高音、不快な高音の男性歌手が増えたのは男性歌手の歌うキーが昔よりどんどん上がっているからだというのはとっくに想像がついている。
でも、不快な高音の男性歌手には自分の歌声が一番魅力的に聞こえる音域に戻ってくれないだろうかとつい思ってしまう。
不快な高音で歌う男性歌手が増えたのと同じくらい残念なのは1990年代、2000年代より爽やかな歌声、綺麗な歌声の男性歌手が明らかに減っていると気がすること。
昭和歌謡、演歌の時代の男性歌手の太くて伸びやかな歌声も好きなので、そういう歌声が減ったのも残念だが、その頃とは楽曲のテンポも音域も大きく異なるし、今のJ-POPを昭和歌謡の歌い方で歌うのが無理なのは仕方ないと納得できる。
でも、1990年代や2000年代あたりの男性歌手に多いと感じる爽やかな歌い方まで捨てないと今のJ-POPは歌えないもんなのかな?とずっと疑問に思っている。
ここ10年くらいはボカロ曲ほどの無理な高音域ではないはずなのに不快な高音で歌う男性歌手がグッと増えた感覚があってそれがずっと嫌だった。
そういう歌い方の男性歌手が増えすぎてさすがに慣れてきたものの、ようやく諦めがついたのはここ2年くらい。あと、ここ5年くらいは太めの声での高音歌唱も流行っているっぽくて、そっちは不愉快には感じないので不快な高音歌唱が流行るよりはいいかと思っている。
これは自分の好みや感性の問題でしかなく、特定の歌手を悪く言いたいわけではないので名前は挙げないが、2015年のヒット曲は特に苦手な歌声だと感じる男性歌手のものが多かった。そこからまた歌声の流行が多少変わって助かっているけど、ボカロP出身のアーティスト、歌い手出身の歌手も増えてきていて、また不快な高音の男性歌手の波が来そうなのが怖い。
そろそろ爽やか高音歌手の波、来い。
不快な高音の歌手に諦めがつくと同時に、何でこんな歌い方の歌手ばっかり増えるのか誰か教えてくれよという気持ちの方が強くなってきて、最近は年代ごとの楽曲の流行とそれに伴う歌い方の変化がかなり気になっている。今の楽曲の流行では爽やかな高音、綺麗な歌声で歌うのは無理なものなのか?
自分は年齢的には若者に分類されるはずなのに老害ムーブをかましているのではとは思いつつ、無理なものは無理としかいいようがないんだよな。
あと、関係ないけど女性歌手の場合は元々の音域が高いからなのか不快な高音だと感じる人はほぼいない。その代わり、女性のアニメ声&アニメ声歌唱は無理な声、不快な声に感じることが多い。美少女もののアニメ、ゲームは好きなのに、どのコンテンツにも声が苦手なキャラが必ずいて辛い。声が受け付けなさすぎるキャラはしばらく時間を空けるとリセットされて新鮮に不快に感じてしまう。
女性のアニメ声の話は男性歌手の歌い方問題とは関係ないし、これ以上ここで言及するのはやめておくけど、個人的に不快な声、歌声の二大巨頭は男性の無理な高音歌唱と女性のアニメ声(歌唱)。