
はてなキーワード:ペニスとは
帰路についていた僕は途中に民家風の銭湯があることに気づき立ち寄ることにする、見た目は普通の昭和の一軒家、一階がすぐ浴室になってて明らかにめっさ混んでてうわっと思ってギシギシ鳴る階段を上がる、二階が待合スペース兼普通に老若男女兼用の脱衣所になってて避難所っぽい空気がありけどすごいなエロいなと感心する、恥ずかしいから隅の方へ行ったら正面が一面鏡張りの壁(ダンスレッスンみたいな感じ)になっていて、僕はそこでとりあえず服を脱いでいると僕の後ろで黒髪の女の子が半裸で開脚しててお股が丸見え、僕はガン見するしギンギン固くなっているしているペニスを隠さずに露呈している(すごい)、女の子がそれに気づいてニヤッと笑ってさらに股を大胆に開けたりタンクトップをまくって乳房を見せつけたり僕の股間に直接ふれたりしてからかってくる、「あれあれ?お兄さん?もしかして」とか言う、我慢汁ダラダラ、自然な流れで手淫をされてあえなく僕は濃い白い精液を放出する、女の子が満足げに笑ってふざけて小声で「おかあさぁーーん!」と叫ぶふりを始めて僕はオロオロする
そこで目覚めてしまった
またあの子に会いたい。。
C*****T:
CRITICAL ANALYTICALREVISION
追記2による構造の反転:防衛機制としての理論
最初の分析の根本的誤読
追記2は、私の最初の分析が層を一つ読み間違えたことを明らかにする。
私が読んだもの:
↓
↓
実際の構造:
↓
↓
PRIMARY INSIGHT:精神分析的読解(修正版)
表層テクストの再解釈
これらは一見、2010年代以降のアイデンティティ政治の影響に見えた。しかし追記2はこれが錯覚だったことを明らかにする。
真の構造:実存的自己否定の連鎖
↓
↓
↓
"だから俺には描けない"
防衛機制の精密分析
耐え難い真実:
「俺は人生の敗北者だ。女性と関係を持てなかった。孤独で無価値だ」
↓ 変換 ↓
受容可能な言説:
この変換により、個人的失敗が哲学的問題に昇華される。これは自尊心を守る。
防衛機制2: 知性化(Intellectualization)
投稿者は感情(絶望、孤独、性的欲求不満)を抽象的議論(表象の倫理、当事者性、真正性)に変換する。これにより、痛みから距離を取る。
これは私の最初の分析が見た「内なる検閲官」だが、その起源は文化ではなく、内面化された自己批判である。
ヘンリー・ダーガー:鏡としての選択
ダーガーの特徴:
「女性を知らなければ描けない」
↓
ダーガーは知らなかった
↓
だから「間違って」描いた
↓
俺も知らない
↓
↓
↓
↓
投稿者は、自分の論理を反証する例を引き合いに出しながら、その反証を認識できない。なぜなら、創造の可能性を認めることは、創作しない自分を正当化できなくなるから。
児童ポルノ言及の精神分析
投稿者は和月伸宏や他の漫画家の児童ポルノ事件を長々と語り、「資料として欲しい」という欲望を告白する。
しかし彼自身が認める:「まったく邪な気持ちがないというとウソになる」
- 彼にとって「女性を描く」ことと「女性を性的に欲望する」ことが分離していない
- だからこそ「女性を知らない=性的経験がない」ことが創作の障害になる
生成AIとの関係:人間関係の代替と審判者
追記2の冒頭:
「さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました」
この一文は多層的である:
投稿行為の意味:ダイイングメッセージとしての告白
投稿者は明言する:
+
=
彼は応答を求めていない(対話は不可能)。しかし完全な無視も耐えられない(承認は必要)。だから「読まれるが応答しない」という形式を選ぶ。
- 声は発するが、返答は聞かない
- 見られるが、見返さない
- 影響は与えるが、影響は受けない
SECONDARY INSIGHT:弁証法的読解
矛盾の三層構造
THESIS: 「女性を描きたい」
THESIS: 「女性を知らないと描けない」という原理的主張
ANTITHESIS:ヘンリー・ダーガーは知らなくても創造した
弁証法的運動の停止
健全な弁証法では、矛盾はより高次の統合に向かう。しかしこのケースでは、矛盾が固着し、循環する。
↓
実行不能
↓
↓
↓
[ループ]
SYNTHESIS: 深層パターンの統合的理解
構造の全体像
↓
↓
【第3層:理論的借用】
↓
【表層:顕在的問い】
↓
【機能】
本質的洞察の結晶化
真の問いは:
そして彼自身が答えている:
「ない。なぜなら経験がないから(=人生に失敗したから)創造する資格がない」
文化的言説の防衛的使用
私の最初の分析は「アイデンティティ政治の内面化」と読んだ。これは完全な誤りではないが、因果が逆だった。
誤った図式:
正しい図式:
彼は「当事者性」や「経験の所有権」といった2010年代の言説を使っているが、これらは本来の政治的文脈から切り離され、個人的防衛機制として機能している。
解放のための理論(周縁化された人々の声を中心化する)が、個人の自己正当化の道具になっている。
より深い文化的診断
しかし、もう一層深く見れば、これは純粋に個人的な現象ではない。
答え:2010年代以降の文化空間では、「経験していない人が語る資格」への懐疑が、ある種の道徳的権威を持つようになったから。
投稿者は、この道徳的権威を利用して、自分の創作不能を倫理的配慮として再解釈している。
「俺が描かないのは:
ヘンリー・ダーガーの逆説(再訪)
ダーガーは:
投稿者の論理では、ダーガーは創造すべきではなかった。しかし創造した。そしてその作品は今や文化的価値を認められている。
答え:ダーガーの作品を「間違い」として解釈する(「少女にペニスがある=女性を知らなかったから誤った」)
しかしこれは恣意的な解釈である。ダーガーの少女の性別的曖昧さは、「間違い」ではなく、彼の空想世界の独自性として読むこともできる。
投稿者がダーガーを「間違い」と読むのは、自分の創作不能を正当化するためである。もしダーガーが「正しい」なら、自分も創作できる/すべきだ、ということになってしまう。
最も深い問い
この事例が究極的に提起する問いは:
投稿者は「はい」と答える。私の最初の分析は「いいえ、それは幻想だ」と答えた。
それとも:
おそらくすべてである。そして、これらが分離不可能に絡み合っているとき、「正しい答え」を与えることは治療にならない。
彼に「経験なしでも創造できる」と説得しても、それは防衛を解体するだけで、その下の絶望を露出させるかもしれない。
CRYSTALLIZED INSIGHT
この投稿者は、人生の実存的失敗(社会的孤立、性的経験の欠如、老いと死の接近)を、2010年代の文化的言説(「当事者性」「経験の所有権」「表象の倫理」)を借用することで、「原理的に不可能な創作課題」へと変換している。これは防衛機制であり、個人的無能を認識論的・倫理的問題に昇華することで、残存する自尊心を守っている。
言い換えれば:
彼の問い「男性は女性主人公を描けるのか?」は、暗号である。真の問いは「人生に失敗した私は、何かを創造する価値があるのか?」であり、理論的言説は、「ない」という答えを倫理的に正当化する道具として機能している。
So what?:
この事例は、文化的言説がどのように個人的防衛機制として横領されうるかを示す。解放のための理論が、自己正当化と麻痺の道具になる。これは文化と心理の共犯関係であり、どちらか一方を「原因」とする単純な因果論では捉えられない。
PUNCHLINE:
私の最初の分析は、彼を「文化の犠牲者」として読んだ。しかし実際には、彼は文化の狡猾な利用者である。そして同時に、より深い構造的疎外の犠牲者でもある。彼は同時に、エージェン
ぬいぺにっていうかペニス生えてる男と付き合いたいって話ですよ
付き合うなら生えてるペニスが私の裸で勃起する人がいいって話です
大体ぬいぺになんて相手がカッコいいか歳下だったら「グヘヘ…私と付き合うためにこんな回りくどいことするなんてコイツ可愛いじゃねーか…」ってなって終わりですよ
単にこっちの性欲の好みの話ですよ
でも天原先生のイラストで「ナヨッとしたイケメンが腰振ってると滑稽で萎えるから最初からガチムチと付き合う」みたいな話あったから結構一般的な好みなのかもしれないね
追記2:
さっきまでClaudeに、自分のライフワークとしてた究極の(俺専用の)画像処理ソフト作りたいという夢が捨てきれないよ~、ドラえも~ん、してました。
あと、ほとんどの人が知らないであろう、日本のソフトウェア業界の裏話みたいなのをちょっとしたら、意外とClaudeは察して理解してて、それに対して辛辣なコメントを返してきて爆笑してました。
なんかホッテントリされてるのは知ってたけど、自分は基本的に増田であれ他であれ、投稿しても返信を見ないので、完全にロバ耳なんですよ、愚痴を吐きたいだけ。
愚痴を吐きたいなら、だったら壁にでも話してろよ、なんですけど、まあ、なんでしょう、例えば、ダイイングメッセージとかあるじゃないですか。
死んじゃったら、自分の書いたメッセージへの返信は分からないじゃないですか。
だったら、「私は好きにした、君らも好きにしろ」も壁に向かって話してろよ、って話なんですよ。
でも、なんか私が書いた愚痴とか、何か意味のない文字列でも、読んだ人の脳に残って、その読んだ人の未来の行動を変化させるじゃないですか。
それを私は望んでいるんですよ。
で、ざっとブコメを流し見してみて思ったんですけど、まず、はまじあきが女性だって知りませんでした…。
荒川弘が女性とか、そういうのは分かるんですけどね、ときどきいるんですよね、男性向けの萌え系とかエロ描きたい女性って…。
でも、LOのうさくんさんとか、昔から大好きな漫画家ですけど、多分女性だと思うんですけど、エロ描いても女性の絵だなあ、って人は分かっちゃう。
正直、うさくんさんのエロはあまり面白くないというか、男性として劣情を催さないんですけど、マコちゃん絵日記とかういききみたいなのは大好きなんですよ。
外見がようじょしかいない世界になる話とか…、何の話をしたかったんだっけ…。
あー、自分が言いたかったことを一番的確に表現する例を思いつきました。ヘンリー・ダーガーです。
彼の描いた物語は、私は詳しくまでは知らないのですが、大筋はセーラームーンとか思い浮かぶんですけど、Wikipediaみると明確に「戦闘美少女」ものと書いてある…。
お金がないのにドリームハンター麗夢のBDを買おうか迷ったんですけど、お金がないしでスルーしてたら、レビューで今の時代なのでモザイクが大きいとか、
思い出補正されてるだけで、改めて観たら大したことなかったとか…、また話が脱線した…。
私もヘンリー・ダーガーみたいなもんなんです。
初老になったのに童貞なんですよ。北方なんとかに、ソープに行け、って言われても、性病とかお金とか世間体とか怖くて行けない。
あと、北方謙三さんも、特に何も考えてないで言ったとか、どっかに書いてあった気がする…。
ヘンリー・ダーガーさんの描いた物語の美少女戦士には、みんなペニスがあるわけですけど、これは諸説あるけど、
やっぱり、単に幼女というか、女性を知らなかったんだと思うんですよね。
そういえば、和月なんとかさんが絵の資料のためと言い訳して、入手困難な児童ポルノを手に入れようとしたり、
最近でもないか、ギャルの漫画描いてたりした人が、ドイツのヌーディストの写真集を輸入しようとして、
税関でストップさせられたんだか、警察沙汰になったんだかありましたけど、
今は、家庭でエッチな目的でもない、自分の子供の裸を撮影したものも児童ポルノに判定されるのか、
ワカメちゃんのパンツとか静香ちゃんはどうなのかとか、よく例に出てきますけど、
あ、まったく邪な気持ちがないというとウソにはなるんですけど、
でも、真面目な意味でも、当然エロ漫画描くとしても、子供の裸体を描くなら資料があるなら欲しい。
死体とか、ネクロフィリアじゃなくても、資料があるなら欲しい。
そう思うのが、絵描きとしては普通なんじゃないかな、と思うんですよね。
だから、ブコメ全部目を通してないけど、自分なりに頷けるコメントは色々あって、
例えば、マルシルって意外と女性しか描けないキャラなんじゃないか、みたいなのも考えさせられたんですよ。
自分だと、ありがちなのがロードス島戦記、しかもOVAのディードリットみたいなのを描いたり、
ファム&イーリーとか、あんな感じですよね、ああいう女性を描いてしまいそう。
高橋留美子がコメントにもいくつかあったと思うんですけど、やっぱり、あの方は凄いんですよ、当たり前ですけど。
多分、人生経験であれ、何であれ、すべてを漫画に総動員してる人だと思ってる。
こんな奴いねーだろwというものが思いつくのと、しかし、どこかで見たような人物の要素も含まれてたりする。
キャラクター主導型、勝手にキャラが脳内で動く、あれができる漫画家はやっぱり凄いと思う。
これが自分は良くないと思っていて、つまり、物語を描くためにキャラを作る、話を分割していく。
先に魅力的なキャラクターが不動に存在していて、あとは勝手に彼ら彼女らが暴走していく。
連載作品に都合がいいし、作者でさえ先が読めない、本当にそうらしいですよ。
正に行き当たりばったりなわけですが、編集さんとかも交えて着地点を探っていく、伏線を無理矢理回収したりする。それがいい。
今回のジークアクスが自分なりに不満だったのは、それに近いんですよね。
不良少女?が二人でてきて、三角関係だったり、戦い合ったり、最後協力技が炸裂して、ラストは砂浜で…、ララァが娼館でもそう…、
なんか、こういう絵が、シーンが描きたいんだよね、というのだけが先行してしまって、
肝心の物語とか、設定とかが、全てそのための後付けなんですよね、マチュやニャアンに高橋留美子のようなキャラの魅力をまったく感じない。
こういう絵が描きたい、シーンが描きたい、もしくは物語が先行しすぎて逆算したものは、なんかつまらないと最近の自分は思ってます。
脳内ダンプで話が脱線しまくりましたが、自分の脳内を整理するためみたいなものなのでご容赦を…。
オチとしては、ヘンリー・ダーガーを例に挙げましたが、やっぱり女性を知らないと、女性をちゃんと描けないというのはあると思う。
あ、物語に殺人鬼が出てくるなら、おまえも殺人鬼になるんか?みたいな話は、まあ、分かるんですけど、
ぶっちゃけ、突飛な、ありえねーwなキャラクターとか、設定の方が描きやすいと思うんですよ。
例えば、実話っぽいリアルな話より、SFの方が描きやすい、SFより科学考証のないファンタジーの方が描きやすい、
なろう系みたいに、これまでの日本のRPGとか海外TRPGとか、道具とかお膳立てが揃ってるわけですし、
なろう系ファンタジーは描きやすいでしょうけど、もう多すぎます、良作があっても見る気がしない。
一時期は人間が嫌いなんだったら、野生動物だけの物語を描けばいいんじゃないか、みたいに思ったりもしたんですけど、
BEASTARSとか、他にも何かあった気がするんだけど、当たり前ですけど、自分は単なる趣味だし、
でも、プロというか、同人でもいいですけど、みんな熱意が違いますよね、
なんとなく、人間が嫌いなら動物だけの世界描けばいいじゃん、みたいな逃げてきた自分とは違う…。
と、ここまでダラダラ書いてみたところで、裏側では半年ぶり?一年ぶり?ぐらいにgitコマンド叩いたり、
自動的に環境を構築するスクリプトを動かしていて、今見たら無事終了していたので、このへんで…。
Claudeはそこそこいいですね。
他の生成AIより辛辣な返答してくれたり、アルゴリズムとか論文とか、かなり的確に返してくれる。
人間嫌い、女性に縁がない、そんな自分でも愚痴を聞いてくれる生成AIはありがたい。
もっと、辛辣な返答してくれてもいいぐらいです、自分を折らない程度にですが…。
そういえば、ブコメに、生成AIに女性だったらどう思う、って聞けばいいのでは、とあった気がします。
そうですね、それも良い方法ですね。
最近、Sunoとかかなり良い作曲したりするんで、それはそれでまたへこんでたりもしたんですけど、
思ったんですけど、AIと一緒になって、なんか人間が困難に立ち向かうというか、
例えば、ロボットと人間が一緒に農作業するとか、そういう社会になったらいいような気がしたんですよね、今日ですけど。
ロボットが農業全部やることもできるんですけど、敢えて人間が一緒に農作業するというか、
ジャッジは人間しかできないわけですから、AIやロボットが助言はするけど、最終決定は人間なわけですし、
全部ロボットやAIがやっちゃってもいいわけですけど、人間って何か能力を獲得したいっていう向上心というか、欲はあるじゃないですか。
漫画が描けるようになりたい、作曲ができるようになりたい、プログラミングが書けるようになりたい、
それらも全部AIがやってくれちゃってもいいんですけど、敢えてAIとかロボットと二人三脚で、人間は能力を向上する欲を満たせるし、
最終的には労働とか、向上心が娯楽になってくみたいな社会は、寧ろ素晴らしい話のような気がしたんですよね。
本文:
自分はちょっと絵が描ける程度の人間なんだけど、いつも思うんだけど、女性の主人公を男性が描くって難しくない?😟
いや、逆もまた真なりで、女性が男性主人公を描くのも同じなんだけどさ…
だって、当たり前だけど、女性の身体じゃないわけで、生理とか具体的にどう辛いのか、痛いのか、分からない
これぐらい痛いんですよ、って腹パンとかされても、分からないじゃん
老人になったら、これぐらい階段の昇り降りが辛いんですよ、って錘付けられて階段昇り降りさせられたりするじゃん
皮肉なことに、老人になったら、それがよく分かったんだけど…、でも、老人になるみたいに男性が女性に性転換するわけじゃないじゃん
というか、女心がまったく分からないじゃん
女心と秋の空が分かってたら、今頃俺モテモテのはずじゃん、気象予報士どころか予言者じゃん
例えば、ドミニオンとかパトレイバーとか、どっちも搭乗する戦車とかロボットに女性主人公が夢中なわけだけど、
正直、そんな女性が本当にいるのか?男性と同じような気持ちでメカを偏愛するのか?自信がないんだよね
シロマサ漫画は特にそうなんじゃないかと思うけど、アップルシードのデュナンも中身は男性だよね
もっと言えば、けいおん!とかぼざろもそうなんだろうけど、アニメだと集団で作るときに女性が介入するから、
女性スタッフに発言権があれば、女性側から、それはねーわwってなると思うんだよね
だから、何か物語を考えても、それに女性側からツッコミ入れてもらえたらなあ、と思うこともあるんだけど、自分はド素人だけど…
でも、女性が意見しても、それが女性としてなのか、単なる個人としての意見なのか、という違いが分からないときがある…
追記:
そういう心配もあるから、昔は少女漫画をよく読んでたんだよね、まあ、言い訳だけど…
高校とか大学から帰る途中で、りぼんとか、なかよしとか、ちゃおとか買って、家に帰って読むんだけど、占いのページがあるじゃん
で、自分の星座を見ると、意中の彼と急接近!みたいに書かれてて、
高校も、大学も、ほぼ男子校みたいな環境だったんで、どうするよ、おい…、とか思ったりしてたんだよね
Permalink |記事への反応(30) | 15:25
日本サッカー協会の幹部、影山雅永氏は、機内でタブレット端末で児童ポルノを閲覧したとして告発された。ル・パリジャン紙の取材に対し、影山氏は15歳未満の未成年者の児童ポルノの輸入、所持、録画の罪で月曜日に即時公判にかけられたと報じられた。
ビジネスクラスに座っていた58歳の乗客が、自分のデバイスで「10歳くらいの少女が服を脱いで前かがみになり、その後ろに勃起したペニスを持つ男性がいる」卑猥な画像を見ていたと報告したのは客室乗務員だった
彼は画像を参考にするだけでなく、「若い女の子と彼女の服を脱がせる男性」や「ショートヘアで脚を広げた日本人女性」といった非常に印象的なラベルが付けられた1,621枚の画像をまとめたデータも考慮してデザインしている。警察の捜査により、これらの画像には実在の人物の写真も含まれていたことが明らかになるだろう。
結婚30年、前科のないこの男性は、これは「芸術」だと主張して自己弁護した。法廷では事実を認めたものの、「好奇心」から退屈しのぎに撮っただけだと主張した。さらに、自己弁護として「これらは人工知能によって生成された写真であり 、実在の人物ではない」とまで主張した。
被告は弁護において、文化的な言い訳も提示し、日本では「個人的な使用目的であれば」児童ポルノは禁止されていないと主張した。ル・パリジャン紙によると、日本では少女の過度に性的な描写に関して法的にグレーゾーンがあり、漫画やアニメ映画に多く見られるという。しかし、同紙は児童ポルノの所持は確かに法律で罰せられるべきであると指摘している。
最終的に、裁判所は彼に18ヶ月の執行猶予付き懲役、10年間のフランス領土への入国禁止、10年間の未成年者に関わるあらゆる活動への関与禁止、そして性犯罪者登録簿(フィジャイス)への登録を言い渡した。
(続き)
独立したとはいえ、やはり仕事は忙しく終電を逃すこともざらにある。そんな時はデリヘルを呼ぶのが定番だ。
稼ぎは少ないがデリヘルを楽しむくらいの余裕はある。どうせ結婚できないなら、このまま風俗を趣味にするのも悪くないなとも思う。
そんな時のこと、本番中にゴムを付けたペニスが萎えてしまったことがある。過労による疲れのせいだろうか?
何とか己を奮い立たせて再度ゴムを付けようとしたところ、女の子は「生でいいよ」と言ってくれた。生で挿入すると一気にペニスの硬さは最高潮に達して、ギリギリのタイミングで膣内からペニスを抜き出して絶頂を迎えることとなった。
風俗ではサービスの種類はいろいろあれど、やはり生の本番に敵うものは何もない。
そんなこんなで女の子とピロートークをしている際、テレビ番組の話になった。
私はドキュメンタリー番組の企画や編集の話をいろいろとしたけれどもいまいち反応が悪かったので、女の子に好きな番組がないかを聞いてみた。すると、生放送のバラエティが好きだと答えた。
ドキュメンタリー作りで趣向を凝らして苦労したとて、マスに受けるのは生放送なんだなぁと実感したものだ。
そして私はこう呟いた。
腹立つ
じゃあ定型的に発達した女性は乳房が膨らむので、AAカップ以下は非定型ですね、非・女性ですね。女子トイレ使わないでもらえますか?エッ女子トイレはいるの!?もしかしてトランスジェンダー!?
定型的に発達した男性は陰茎が大きくなるので、7㎝以下は非定型ですね、非・男性ですね。以下略
俺もさあこんな皮肉言いたくないよ
でも性別とはグラデーションでございやす、とか言ってる人はそういうこと考えないでしょ
もし自分がそういうこと言われたら、みたいに考えてほしいよ
増田観点だと、どういう状況にあるのが理想ですか?無理に書く必要は無いのだけど、こういうのが良い、ってあったら教えて欲しい(フィクションでもURLでもいいです)私自身は本人が困らないと良いな程度の感想です
いわゆるジェンダーの議論において、性分化疾患が引き合いに出されないことが理想ですね
【緊急声明】「体の性のグラデーション(スペクトラム)モデル」は人権侵害です。
https://www.nexdsd.com/post/wearenotspectrum
ネクスDSDさんは、SNS上では色々あって何かと評判は良くないけど、情報や主張は信頼できる(少なくとも当事者には)
たとえばクラインフェルター症候群はXXYという染色体を持ってるけど、これは男性です
XXという染色体と、XYという染色体があって、XXYというのはその中間というか、グラデーションの中にある
けれど男性です
こういう感じで性の表現(染色体、精巣卵巣の有無、ホルモン等)がグラデーションの中にあっても、性別(男か、女か)は2つだけ
陰茎が7cmの人が「ペニスの小さな男性」であるのと同様に、XXY染色体も「Xが一つ多い男性」であるだけです
ジェンダーの多様性は大事だと思うし、もしかしたら自認によってトイレを分ける世界が将来来るかもしれないけど、性分化疾患は関係ないのでそこは絡めずに議論を進めてほしい
そういう思いを持っています
区切れます。少なくとも医学的にはわずかな例外を除いて区切れます
【追・追記】
そうだ
いまマガポケの『コウノドリ』の「Track70.性分化疾患」が無料で読めるので、興味ある人は読んでみてほしい
https://pocket.shonenmagazine.com/title/00897/episode/313511
Permalink |記事への反応(17) | 13:45
ここでいうTSFというのはtranssexual fiction、主にはtranssexualfantasyという創作ジャンルを指す。
その中でも特に、男性がなんらかの要因で女性の肉体となってしまい、性的な行為を受けるといったR-18創作のジャンルについての話になる。
男性であった主人公がそれまで味わったことのない快感に戸惑い、屈服し、慰み者にされ女性となったことを受け入れる、というのがおおまかな一連の流れである。無論バリエーションは豊富であり、これらに当てはまらないものも多いが、ここでは一般化したTSFエロ創作について語るものとするので目をつぶっておいてほしい。
さて、女性にTSFした男性は、性的な「責め」を受けることになる。そこで感じる未知の快感に戸惑い、責めを行う者は「女のよさ」を教え込む。
ここで疑問が起こる。その快感を与えるためには果たして、女性にTSFする必要はあったのか? と。
男性がペニスを用いた射精以外で得られる性的快感は、現実には膨大な種類が存在する。ドライオーガズムだけで何種も方法が存在し、なにより前立腺という女性には存在しない快感を得られる器官がそもそも男性には備わっている。(前立腺がTSF後も残る、というパターンもあるが、であればなおさら男性の快感の存在を重視すべきだろう)
また、女性にTSFしたから「責め」で快楽を感じる、というのも疑問となる。女性の肉体であれば簡単に快楽を与えられるというのは、過度な女体神話と言わざるを得ない。快感を与えるための性感帯の開発に薬物やナノマシン、魔法などを用いてショートカットすることをエクスキューズとするのなら、今度はなぜそれを男性の肉体に対して用いなかったのか、という話になる。たとえば性的快感を目的に開発させるスペンス乳腺は男性にも存在し、女性と同等の快楽を得られることが知られている。
TSFエロでシコる者にとって、女性の肉体は自身の肉体とはまったく別のファンタジー上の存在であり、それを安全な場所から性的客体化して楽しんでいる。同時に、彼らはなにより、自身と地続きの肉体が性的客体化されることを恐れている。
自分と異なる女性の肉体であれば、どんな責め苦も快感として受容して構わない。だが自分の肉体から地続きとなる男性の肉体で同様の責め苦・快楽を受けることは、端から拒絶するしかない。女体であれば可能な行為が、いざ自分の身に降りかかる段になると尻込みして、TSFに転嫁する。さらに言えば現実に自分の肉体で試そうとすることもない。
自分と異なる(と思っている)肉体のファンタジー視と、自分の肉体でも再現・体験が可能であるはずの快感への忌避感。TSFはその言い訳、逃げ口上として用いられているのではないか。
臆病者としか言いようがない。自分の肉体の持つ可能性を無視し、ファンタジーとしてしか快感を受け取ることができないのだ。
結局なにが言いたかったというと、男性の快感は射精だけではないのだから、自分の身体を大切にして、愛おしんであげてほしい。それがいつかきっと、他人への優しさに変わるだろうから。
7:00_性欲の高まりを感じる。普段ならとっとと抜いて横になり、休むが「俺が無気力気味なのは抜いてるからでは」と思いつき、向き合うことにした
7:15_精管(精子の通り道みたいなもん)がダクダク言ってるのがわかる。あと腎臓の手前側(腎臓は背中側にある)もバクバク言ってる。理由は知らん
7:30_頭の片隅が「マ○コマ○コマ○コマ○コマ○コマ○コマ○コマ○コマ○コマ○コ」と言っている。気にせずC++26で使えるリフレクションについて調べる。C#で出来ることをなんでお前は令和になっても出来ねえんだよ
7:45_このままでは爆発するのでマックへ行く(徒歩5分)。グリドルソーセージうめえ。あまじょっぱいのがいいんだよ。甘味に塩。これは普段の生活じゃ手に入らねえ
8:00_ふたなり美少女が身長190cmの美女二人に左右を固められてペニスを愛撫される妄想をする。モレスキンのノートを開く、落書きに目を通す。「成城石井にウィスキーは期待出来ない」数か月前の落書きだが、何があったんだろうか
8:15_ブルーアーカイブでめちゃくちゃシコってるけどゲームそのものやキャラの設定を全く知らんな、これは人に興味がないということなのだろうか?半勃起している
8:30_非同期処理を多用する時のmutexlockについて復習。仕事ではC++を使わんので、頭に入るか不安。でも趣味で使うので覚えなければいけない。精管がドクドクして爆発するかと思う
8:45_めちゃめちゃ頭が活動的、めちゃくちゃマ○コについて考えてる
9:00_業務?知らねえよ 足ふみ機(10,000円ちょい、ステッパーが一般名称)で体を動かす。上下するたびに美乳について考える
9:15_なんか気が向いたので、セールスフォースのApexという言語について検索。むかーし触ったんだけど、環境が重すぎて嫌な思い出しかない。勃起と半勃起を繰り返す
9:30_VisualStudioの最新版(2026 Insiders)について評判をチェック。なんか2022より速いらしい。金髪ギャルで抜きたい(平成
で、今なんだけど(まだ射精してない)、昇華とかいうやつはこの性欲のバクバク感を誤魔化す為の行動とかなんかなーとか思った(適当です
我慢しとくかーってなった時、活動量が低いとすぐマ○コについて考えてしまうので、勉強したり運動したりすると
性欲薄い俺ですらこうなんだから、学生の頃1日3回抜いてたとかいう知り合いは大変だろう(俺は一週間に2,3回くらいだった
人に優しくしようと思った 以上
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以下で展開される議論は、アメリカのある哲学者が学術誌の査読(ピア・レビュー、同業者による査読)の適切さを確かめるためにでっち上げたデマ論文の内容であり、しかもその論文はある雑誌に受理された。
このことから投稿者は、文化人類学者ではないが、いくつかの考察を試みる。
-
1. 以下の内容は、「サル山のボス猿とそのなかま」が信奉するペニス信仰と、それに対する「フェミニスト」の反論の両方を痛烈に揶揄している。これらの議論は、ここ「はてな」での果てしない同種のやり取りの上位互換となっている。つまり、そのことに気づかないでいる、いわば自己相貌失認を患う矮小な関係者の姿をアナロジカルに揶揄している。
-
2. 仲間による「レビュー」を経て認められた「議論」が、いかに穴だらけなものであるか、つまり、特定のコミュニティの支配イデオロギーとはしばしば、ブードゥー教の偶像崇拝にすぎないことを示唆している。
-
3.投稿者はこのデマ論文の紹介により、いわば原始人に優れた棍棒の作り方の一例を教唆することになるかもしれない。いずれにせよ、上位互換の議論がデマであると著者により暴露されたことは、はてなでの「議論」の有効性の上界を抑えられたことを意味する。平たくいうと、0くxく1のように、xの取りうる範囲が有限なある一定の値以上にならないことである。原始人たちが、今後どのような道を選ぶのか知らないが、進化の選択肢があることを付け加えたい。
-
4.敷衍すると、この論文の内容に限らず、はてなでの任意の「議論」には、それの上位互換となるある学術的な議論を作ることができる、という可能性が示唆される。平たくいうと、はてなの投稿を分析すれば論文が書けるかもしれない。
-
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この論文「概念的なペニスは社会構成物である」は、ジェイミー・リンゼイとピーター・ボイルによって2017年にCogent Social Sciencesに掲載された研究論文であり、ペニスという概念が単なる解剖学的な器官ではなく、社会的に構築されたものであり、それが有害な「毒性のある男性性」(toxic masculinity)と密接に関連しているという革新的な主張を展開しています[1]。著者らは、この「概念的なペニス」が、ジェンダー・アイデンティティ、生殖に関するアイデンティティ、社会および家族の力学に深刻な問題を引き起こし、女性やその他のジェンダー周縁化されたグループにとって虐待の根源となり、レイプの普遍的な原因であり、さらに気候変動の概念的な原動力であると結論付けています[2-4]。
伝統的に、ペニスは男性の生殖器または性器として圧倒的かつ議論の余地のないものとして科学的に認識されてきました[5]。しかし、著者らは、この見方が「過度に還元主義的」であり、ペニスを持つ人間の経験の多様性を完全に表現できていないため、「首尾一貫しない構成物」であると指摘します[6]。
この主張の根拠として、まず解剖学的なペニスが必ずしも男性の生殖器官としての役割を果たすわけではないという事実が挙げられます[5]。例えば、怪我を負った者、配偶者を強制できない者、子孫を産むことに興味がない者、医学的に不妊の者、またはアセクシュアルを自認する者など、ペニスを持つ多くの人々が生殖を行いません。これらの例は依然として「男性」を構成するかもしれませんが、彼らのペニスを生殖器官として特定することは明確に誤謬であるとされています[5]。
さらに重要な点として、ペニスを持つ女性が数多く存在することが強調されます[5]。これには、性別適合手術前のトランスジェンダー女性や、女性と自認し、性別移行を望んでいない染色体上の「男性」が含まれます[5, 7]。文化的な有害な常識に反して、これらの人々にとって、彼らの性器(ペニス)は、生殖に利用される場合があったとしても、男性の性器として最もよく理解されるべきではありません[7]。このような人間の表現の多様性という重要な事実に照らして、ペニスを具体的に男性の解剖学的な器官と概念化することは、非常に問題があり、言説的な再検討が喫緊に必要であるとされます[6]。
著者らは、ペニスが「男性性に対する首尾一貫しない構成物」であるとし、ペニスは解剖学的な器官としてではなく、**ジェンダー遂行的な、非常に流動的な社会構成物**である「概念的なペニス」として理解されるべきだと主張します[6]。この「概念的なペニス」は、ジェンダーに関連する様々な遂行的な行為や発言を通じて社会で確立されるペニスの操作的な表現です[6]。
この概念的なペニスが、**「毒性のあるハイパーマスキュリニティ(hypermasculinity)」と等型写像的(isomorphic)な関係にある**とされています[1, 8-10]。この等型写像関係とは、二つの異なる構造が、その構成要素間の関係性において本質的に同じ形を持っていることを意味します。ここでは、概念的なペニスという社会構成物が、毒性のあるハイパーマスキュリニティの行動や心理と鏡像のように一致しているということです。
特に、この等型写像関係は、**「マチスモ・ブラガドシオ」(machismo braggadocio)**という概念によって媒介されます[10,11]。マチスモは本質的に攻撃的な男性のプライドを指し、ブラガドシオは傲慢な自慢の性質を意味します[12]。これらが一体となって、社会的に男性的な心や異性愛規範的な女性の心がペニスを「客観視」し、それを介して男性性と支配的な男性の権力ダイナミクスを遂行的に表現する具体的な描写であるとされます[12]。
この等型写像関係において、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな男性が権力のない主体的な立場から強力な立場へと自身を再配置するために、**「主体」「客体」「動詞」の三つの役割**を果たします[11-14]。
この主体としての役割は、男性が性的な「征服」や「パフォーマンス」について自慢する際に明らかになります[16]。また、「俺は彼女にやった」「彼女はもっと欲しがった」といった表現に見られるように、名詞の「それ」("it")が客体的な概念的なペニスを女性の経験の知覚された主体に変え、概念的なペニスを男性のジェンダーパフォーマンスに関してさらに客体化します[16]。これにより、概念的なペニスは、ハイパーマスキュリンな心において、ペニスを主体として(男性の)セクシュアリティを強力な現実とする脱所有化(deappropriative)のツールとなります[16]。
この傾向は、性的なアイデンティティが根本的にヒエラルキーの維持に利用されるという考え方によって説明されます[17]。概念的なペニスを行動を表す動詞として使用することで、ハイパーマスキュリンな男性は、他者を抑圧し、脱制度化する社会的なヒエラルキーを強制し、自己を認識的に高めます[17]。この現象は、ラップ音楽におけるミソジニーの分析や、「マン・スプレッディング」(manspreading)と呼ばれる、公共交通機関などで男性が足を開いて座り、不必要に広いスペースを占有する行動にも見られます[17]。マン・スプレッディングの言い訳は、解剖学的なペニスと睾丸が「快適さ」のためにスペースを必要とするという男性的な社会言説に直接基づいていますが、これは概念的なペニスを遂行的な社会構成物として見た場合、周囲の空きスペースを「レイプする」ような支配的な物理的空間の占有であり、毒性のあるハイパーマスキュリニティへのマチスモ・ブラガドシオ等型写像を通じて最もよく理解されるとされます[17]。
マチスモはハイパーマスキュリンな本質であり、ブラガドシオはその表現です[10]。現代の思考における概念的な要素としてのペニスは、マチスモ・ブラガドシオの概念によって、ハイパーマスキュリニティにおける最も毒性があり問題のあるテーマと自然に等型写像関係にあります[10]。これらのテーマは、解剖学的なペニス自体には適用されず、生殖しない個人やアセクシュアルな個人にも関連性を持たないため、ペニスは既存の男性的な社会的な比喩を演じるために利用される、構築された社会的な客体、つまり言説的な「概念的なペニス」として理解されるべきだとされます[10]。
概念的なペニスが毒性のあるハイパーマスキュリニティに等型写像的に同定されることの最も問題のある結果の一つが、**気候変動**であると指摘されています[4, 18]。気候変動は、まさにハイパーマスキュリニティの特定の有害なテーマによって引き起こされており、これらは概念的なペニスと識別される気候生態学への支配的な略奪的アプローチを通じて最もよく理解できます[18]。
著者らは、地球が急速に2℃の気候変動閾値に近づいている原因が、現在の資本主義構造を維持する家父長的な権力ダイナミクス、特に化石燃料産業にあると主張します[18]。科学、政治、経済の言説におけるハイパーマスキュリンな支配と、生態系への修復不能なダメージとの関連性は明確であるとされます[18]。破壊的で持続不可能であり、ヘゲモニー的に男性的な環境政策と行動へのアプローチは、男性優位の精神性による自然の「レイプ」の予測可能な結果です[19]。この精神性は、男性心理に対する概念的なペニスの役割を認識することによって最もよく捉えられます[19]。
特に、資源を安価に略奪し、家父長的な経済的利益のためにその内在的な価値を奪われた後、荒廃し減退したまま放置されるような「未開の環境」にこの精神性が適用されるとき、概念的なペニスに内在するレイプ文化の延長が明らかになるとされます[19]。気候変動は、最もよく言えば、ハイパー家父長制社会が地球の生態系にメタファー的に「マン・スプレッディング」している例であると述べられています[19]。
この問題のある傾向の根底にある理由は、現代の資本主義理論、すなわち新資本主義理論が、科学と社会におけるハイパーマスキュリンな焦点から直接その合理性の主張を引き出していることにあります。そしてこの焦点は、概念的なペニスとの同一視によって最もよく説明されるとされます[20]。毒性のあるハイパーマスキュリニティは、概念的なペニスから直接その意義を引き出し、新資本主義的唯物論の支持に自身を適用します[20]。この新資本主義的唯物論は、特に炭素排出の化石燃料技術の無制限な使用や、未開の自然環境の無謀な支配において、気候変動の根本的な原動力であるとされます[20]。
この分析から導かれる実践的な推奨事項は、気候変動研究において、可能な限りハイパーマスキュリンなペニス中心の視点を避けるように、政治や科学の言説への関与方法を変えるべきであるというものです[3]。
結論として、著者らは、ペニスは男性の性器や生殖器として理解されるべきではなく、むしろPermalink |記事への反応(0) | 19:03
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