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「ベートーヴェン」を含む日記RSS

はてなキーワード:ベートーヴェンとは

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2025-10-06

年末「第九」はもうやめよう

クラシック音楽コンサートに行くのが好きなクラオタだ。別に音楽史に詳しいわけでもなければ、楽器も弾けない。ただコンサートホールに行って、2時間くらい音楽をじっと聴くだけの体験がとにかく好きだ。

東京クラシック音楽にあふれている街で、毎週そこかしこでたくさんのコンサートが開かれている。とにかく他の街に比べると選択肢が多い。

でも12月になると一気につまらなくなる。どこもかしこベートーヴェンの第九交響曲ばっかりやっていて、多様性が消えるからだ。たとえばこれを見てほしい。

https://t.pia.jp/en/pia/tag/tag.do?tagCd=0000019

プロオーケストラはここぞ稼ぎ時とばかりに第九の演奏会を連日やりまくる。NHK交響楽団なんかは第九の演奏会12月に5回やる。

楽団も売り上げが大事なのは分かるが、コンビニ恵方巻きを売るみたいにどこもかしこも同じメニューで売らんかなの姿勢を見ると、なんだか悲しくなってしまう。

普段からもう少し観客の入りが分散して、年間でコンスタントに売り上げが出せていれば、楽団のこういうムーブも今より控えめになるんじゃないかと思う。

からクラオタとしては言いたくなる。

年末は第九じゃなきゃ、と思ってる人、それ気のせいです。

第九を演奏している楽団は、普段は第九と同じくらいかもっとすてきな音楽をやっていますよ。だからどうぞ聴きに行ってください。

クラシックコンサートはそんなに高価で敷居の高いものばかりではないですよ。アマチュア楽団コンサート無料とか1000円で楽しめて、素晴らしい演奏をしている人たちもいますよ。

プロ交響楽団の音が聞いてみたくなったら、年間を通してやっている定期公演に行ってみてください。N響最安値の席だと2000円台からありますよ。

これは絶対に聴いてみたいと思う曲目やアーティストが出てきたら、そのときガッツリお金を払ってチケット買えばいいと思います

でも、それ以外にクラシックを気軽に楽しむ方法は幾つもあるので、とにかく公演に足を運んで、普段から音楽家を応援してあげてください。スマートフォンをひとときの間しまって、じっと音に包まれるだけの体験日常になれば、あなた暮らしもすてきなものになるはずです。

Permalink |記事への反応(0) | 19:12

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2025-09-24

anond:20250924163856

ああ、その申請ですね。はい確認いたします。……………少々お待ちを。

…ピッ。…ガガッ。

申請受理

申請番号77-Δ申請事由存在のものへの苛立ち。

貴殿の提出した様式第4号「憤怒」に基づき、本日付で貴殿を『第7種解体執行官自転車)』として暫定認可いたします。おめでとう。貴殿の憤怒は、社会インフラの円滑な運用担保する上で極めて妥当かつ有益エネルギーである認定されました。

つきましては、路上駐車車両能動解体及び資源化に関する特別措置法通称路駐バラバラ法」第11条項に基づき、以下の手順にて解体執行許可します。これは権利であり、同時に義務です。

執行プロトコルコード"青い稲妻"】

準備段階:

貴殿自転車の前輪ハブ軸に、指定の小型発電機接続してください。貴殿走行(=憤怒の運動エネルギー変換)により、後の工程必要となる電力がチャージされます。最低2.5kmの助走が推奨されます

手順壱:接触と宣告

対象車両(以下、「鉄クズ」と呼称)の運転席側ドアに、自転車ハンドルバーの端を、強く、しかし冷静に接触させます。これは「ノック」です。車体言語が理解できない愚かな運転手への、最後の慈悲です。応答がない場合、次のフェーズに移行します。

手順弐:四肢の無力化

貸与される専用ツールスティンガー」を使用し、鉄クズタイヤ4本すべての空気を抜きます。これは瀉血に相当する神聖儀式です。空気が抜ける「プシュー」という音は、鉄クズ断末魔第一声です。しっかりとその音を鼓膜に焼き付けなさい。

手順参:関節の破壊

ドアというドアを、その蝶番という脆弱な関節から引き千切り、指定された回収袋に詰めます。この際、ドアミラーは必ず踏みつけて粉砕すること。ミラーの破片は、運転手の自己認識破壊するメタファーとして機能します。

手順肆:感覚器の摘出

ヘッドライト、テールランプ、フォグランプをすべて、精密ドライバーを用いてほじくり出します。これは鉄クズから視力」を奪う行為です。取り出した電球は、記念品として持ち帰ることが推奨されます

手順伍:内臓分析

ボンネットをこじ開け、内部のエンジンブロックバッテリーラジエーター等を観察します。この際、専用アプリTears」を起動したスマートフォンをかざし、鉄クズ魂魄残滓スキャンしてください。運転手の涙腺から分泌される塩分濃度と、オイル漏れの粘度との間に、何らかの相関関係が見いだせるかもしれません。見いだせないかもしれません。どうでもいいことです。

手順陸:心臓の停止

エンジンブロックに、準備段階でチャージした電力(通称:憤怒チャージ)を全量放出します。感電によりエンジンは完全に沈黙します。おめでとうございます貴殿は一つの命(のようなもの)を合法的に停止させました。

手順漆:最終解体と讃美歌

残った車体を、プレス機(巡回ドローンが即時配送)に投入し、美しい立方体圧縮します。この際、鉄クズクラクション(警笛)からは、ベートーヴェン交響曲第9番歓喜の歌」が自動的大音量で流れます。周辺住民への告知は不要です。彼らもまた、共犯者なのですから

 

 

そこで停止。そこで思考停止する。後はただの作業だ。作業連続だ。連続連続…れんぞ

Permalink |記事への反応(0) | 16:45

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2025-08-29

ベートーヴェンコスプレをし指揮棒を持って屁をこくのをしないほうがよい

Permalink |記事への反応(1) | 03:59

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2025-06-29

anond:20250628091032

面白いと売れてるは相関だけど因果じゃないからね。

例えば、すげえ複雑な事してて分析が出来るとバッハフーガとかベートーヴェンの弦カルとか超面白いけど、それらが米津玄師や星街すいせいやMrsGreenAppleほど売れるかと言ったらそんな事ないわけで。

売れてるは確かに客観的指標だけど、むしろ、それだけに感想が入る余地が無いからね。

あなたが腹を立てるのもわかるよ。

評価軸が違うことを混同されてもね。

松茸を万人がおいしいと思わないのと一緒で、金額(売り上げ)だけ言われても困ってしまうよね。

Permalink |記事への反応(0) | 00:06

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2025-06-04

anond:20250604110543

そういう分析芸術作品文化系制作物の楽しみ方として定着してるから

クラシック音楽だってベートーヴェンは耳聞こえんくて辛い中で…とかそういうところから分析始めるし

Permalink |記事への反応(2) | 11:08

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2025-05-31

anond:20250531225441

モーツァルトゴンさんにならずずっと楽しそうに曲書いてそう

逆にベートーヴェンはいつもゴンさんになってそう

Permalink |記事への反応(0) | 22:59

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2025-05-23

クラシックファンの人、俺におすすめ曲教えてくれ

好きな曲 (順不同)

サン=サーンス オルガン付き

ベートーヴェン 運命英雄ハンマークラヴィーア、熱情、ピアノソナタ32番、クロイツェル・ソナタ

マーラー 交響曲全部、特に復活、9番、大地の歌

ベルリオーズ 幻想交響曲イタリアハロルド

ラフマニノフ ピアノ協奏曲2番、3番

チャイコフスキー ロメオジュリエット交響曲5番

ショパン バラード1番、4番、幻想ポロネーズ

イヴス 2番

シューマン ピアノ協奏曲

モーツァルト ピアノ協奏曲20番、ジュピター

ブラームス 4番

ニールセン 不滅

派手目なのが好きなのかも

(追記) ChatGPTに聞いたら以下をおすすめされた

ショスタコーヴィチ交響曲第5番

R.シュトラウス英雄の生涯

シベリウス交響曲第2番

バルトーク管弦楽のための協奏曲

プロコフィエフピアノ協奏曲第3番

リストピアノソナタロ短調

スクリャービンピアノソナタ第5番

コルンゴルトヴァイオリン協奏曲

フランク交響曲ニ短調

レスピーギローマの松

ストラヴィンスキー火の鳥1919年版)

Permalink |記事への反応(2) | 23:36

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2025-03-21

ブラームス世界に戻ってきた

俺は若いからブラームスが好きだった。

あの陰鬱ブツブツ小言を呟いているような音楽

長調の明るい音楽でも根底には憂いと哀愁がある。

例えば有名な第一交響曲のフィナーレだってベートヴェンやワーグナーのような大爆発はしない。

「俺がこんなに幸せでいいのかな?」みたいな後ろめたい幸せを感じているような雰囲気がある。

内向きのウジウジとした精神。そういうところが大好きだった。

でも中年差し掛かった頃、俺はこのままではダメだと思った。

ブラームスのような陰キャのウジウジした音楽にばかり浸っていたら、陰キャのウジウジした駄目オヤジになってしまう。

もっと人生を力強く生きて未来を切り開くような人間になるべきだ!

から俺は無理してそれほど好きではないベートーヴェンモーツァルトを頑張って聴いた。

よく「ドイツ三大B」(バッハベートーヴェンブラームス)とか言われているけれど、実際にはクラシック音楽世界で至高の存在とされているのはバッハベートーヴェンモーツァルトであるブラームスは1.5流扱いのシューベルトワーグナーより更に下の2流とされている雰囲気がある。

若い頃好きではなかったモーツァルトについては、じっくり聴いてみれば実に素晴らしい美の結晶であることが分かった。

特に素晴らしいのはウィーン時代12から最後の27番までのピアノ協奏曲だ。まさに音楽美の最高峰であり、その至高の美しさには思わず涙が流れ出たこともあった。交響曲33番あたりから最後の41番「ユピテル」は実に素晴らしい。

しかし、50代に入り数年して、その素晴らしいはずのモーツァルトを聴こうという気があまり起きなくなった。単純に言えばやはり主観的にどこか俺の好みではない。フェイバリットではないのだ。

モーツァルトは結局恵まれ世界に生まれ上流階級の人々が絶賛する音楽であって、上流社会の人たちがキャッキャウフフしているサロンような音楽である

モーツァルト自身貧困の中で若死にしたけれど、あれは浪費癖によるものだ。モーツァルトザルツブルク宮廷音楽レオポルト・モーツァルトの息子として生まれ神童として貴族たちの中で持て囃され成長した。この時点で恵まれた上流社会人間だった。

モーツァルト音楽にも短調作品において悲痛な悲しみが表現され、それは音楽芸術的に極めて美しいが、それはあくまで上流社会人間ちょっとしたことで傷ついてクヨクヨしているようなエレガントな悲しみであって、生存危機を予感するような本当の絶望とは違うように感じる。

モーツァルトオペラは胸糞悪い話が多い。「フィガロの結婚」のアントニオや「魔笛」のモノスタトスとか、結局老人や貧困層や異人種を見下している。

ブラームス音楽家の家系に生まれたが、父親底辺貧困音楽家で、ブラームスが生まれた家の写真を見ると当時のドイツのボロアパートのものだ。ブラームス生活に困窮する庶民世界をよく知っている。そして生涯独身であり、おそらく生涯童貞だったろう。

俺はここ数年、陰鬱精神改善して肯定的明るい人生を送ろうとしてブラームスを避け、無理にモーツァルトを聴いてきた。だけどもうやめよう。素直に聴きたい音楽聴くブラームス聴くのだ。

Permalink |記事への反応(1) | 05:47

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2025-03-17

anond:20250317154543

もっとモーツァルトとかベートーヴェンとかを演奏してほしいよね

Permalink |記事への反応(0) | 15:48

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2024-12-13

フランツ・リスト名曲重要曲七選(超絶技巧編)

 anond:20241213122052の続きである

 スター時代の曲がちょっと寂しいので、リスト超絶技巧を味わう作品のみで七選を組んでみようと思う。既に出したのは除外。あとブコメ

推奨録音にkyushima氏みがあって大変共感できる増田次世代を引っ張っていくであろうユンチャン・リムの超絶全曲や、彼に影響を与えているニレジハージの伝説(波)あたりを加えても良いかもしれない。

 kyushima氏(http://kyushima.web.fc2.com/cd/index.html)に言及する人が現れた(笑)もう更新が止まって久しいけど、ここの御陰で知らない演奏にいくつも巡り会った(オフニコフとかベルッチとかロルティとかハフとか)。

 ユンチャン・リムの超絶を挙げてくださったのも感謝する(未視聴/クライバーンコンライブhttps://amzn.to/4iwxti2)。自分CDボックス漁ったりして、未視聴盤はたくさんあると実感した。ニレジハージは海賊録音でしたっけ? 聞いて確かめなきゃ


1.ドン・ファンの回想 S.418(1843年)

 モーツァルトオペラドン・ジョヴァンニからメロディーをとってアレンジしたものノルマの回想に次いで(それ以上に?)取り上げられていると思う。騎士長のテーマドン・ジョヴァンニに警告するシーン)から始まって重苦しいのだが、そんな嵐が去ると「お手をどうぞ」の主題に基づく変奏が現れ、最初の技巧的な見せ場になる(この主題はかなり人気があり、ショパン編曲していたはずだ)。後半は「シャンパンの歌」の変奏が騎士長の動機を挟みながら繰り返され、繰り返しの度にどんどん華やかになっていき、終幕を迎える。

 私はマッティ・レカリオ(Ondine/ブゾーニ編なので一部カットがある)が好き。新旧あるアムラン(Music&Arts/Hyperion)も恐ろしく安定した演奏新録の方が音は良い。あとハン狂2が入ってる)。クズミン(Russian Disc/ブゾーニ編)も強烈だが廃盤倒産激怒)。ペトロフ(Melodiya)は持っているが、遅っ!と思って合わず食わず嫌い・・・)。ロルティ(CHANDOS)もきれいな演奏だけどのんびりした感じ。この曲はノルマほど聞かないのでそんなに思いつかない。誰か教えてくれ。あとフィリペツが録音してくれないかなぁ・・・

 廃盤になっているレカリオのCDにはタウジヒ編の「ワルキューレの騎行」なども入っているし、ブゾーニ編のフィガロドン・ジョヴァンニ幻想曲もある(リストが途中放棄した作品)。本当に再版してほしい。配信はある。

2. 「ユグノー教徒」の回想 S.412(1837年出版/第2稿1842年)

 ジャコモマイアベーアは、パリ19世紀前半に大成功を収めた作曲家サンバルテルミの虐殺モチーフにしたオペラユグノー教徒」は何度も再演され続けていたが、20世紀には忘れられた(今また再評価されているらしい)。音楽史的にマイアベーアの影が薄いのは、彼が展開したオペラ書法の多くをワーグナーヴェルディといった後発者たちが更新して塗り替えていったからかなと思っている。もちろんリストピアニスト時代に人気だったマイアベーア編曲していないはずがない。ゲレリヒの本にも、レッスンでマイアベーアを弾く弟子が出てくる。ハワードライナーでとても強く推している※。あまり録音は思いつかない(申し訳ない)。NAXOS全集の第1巻にコーエン演奏が収録されているが未視聴。フィリペツ、録音してくれ。

 この曲はユグノーであるマルセルライトモチーフとして「神はわがやぐら」を使っているのだが、それってルター派じゃ・・・?(カルヴァン派でも使われていた??)

 第1稿ではラスト原曲通り第5幕カトリック兵士合唱主題(この歌詞がまたやばくて・・・異端を殺せ!神がそう望んでおられる!という血なまぐさい中身)が入ってとても雰囲気があったのだが、別稿では「神はわがやぐら」の変奏を強化する対応になっていた・・・と思う(ハワード聞き直さないとなぁ)。ただ、あの狂気合唱が魅力だと思っている。第1稿では合唱を遮って「神はわがやぐら」が入ってくるのだが、これが幅広いアルペッジョで一掃され、再び合唱に戻るという原曲ラストの射殺シーンを思い出させる流れ。

オペラの方も20世紀にも再演されてきたが、特定歌手たちのための舞台に過ぎなかったけど、今や再評価の時だということが熱っぽく語られている。特定歌手って多分サザーランド

3.スペイン詩曲 S.254(1867年出版

 気分転換。後期の出版になるが、実はこの曲のおおもとはスペイン公演時の印象を書き留めた45年の「スペイン旋律に基づく演奏会用第幻想曲」にある(ハワード全集に当然ある)。今のスペイン詩曲の形になってのはヴァイマール時代らしいので、超絶や巡礼同様、前期に作られ、中期に改訂されて充実した曲の一つだ。

 前半ではフォリア、後半ではアラゴンのホタという舞曲から成る。どちらも華々しい技巧で彩られ、最初から最後まで魅力的で見せ場が多い。

 名盤としては、エフゲニー・キーシンの録音(RCA)があるだろう。彼もすっかりトシだが、これは子どもの頃のもの。恐るべき完成度。日本公演の映像があるが、すごい演奏https://www.youtube.com/watch?v=Lb6EzTpGv3s)。

 スティーヴン・ハフの録音(Virgin)も非常に良い(kyushima氏のサイトで◎だった上、入手性が良くて最初に聞いたので、完全に嵌まってしまっている。ただフォリアが盛り上がるところで、楽譜にあるシではなくドの音を弾いているのはなぜ?)。ぶっ飛んだ路線としては、ポリーナ・レスチェンコ(https://www.youtube.com/watch?v=3EB0f-ra9Eg)。

4. ギョーム・テル序曲 S.552(1842年出版

 世に名高いロッシーニ最後オペラの序曲である。どう考えてもおうまさんのテーマ

 このオペラが出たのは1829年以降ロッシーニは完全に引退状態になるのだが、亡くなるのは1868年引退には政治情勢が大きく影響している。ロッシーニの滑稽な作風は、明らかに復古的なウィーン体制下の小市民の楽しみに合致したもの。それでも、このオペラは再び騒乱の時代が訪れることを予感させる緊迫した作品(題材自体が既にそうだ)だったが、これが最後になった。

 中々演奏がない(ハワードはもちろん、NAXOS全集ゲキチ)。デュシャーブルのCDEMI)が良いと思う。割とセカセカ弾くタイプピアニストだと思うけど、後半はそれがすごい追い込みに繋がってる。ただ、まだまだこの曲のポテンシャルはあるんじゃないかと。フィリペツ(ry

 コメント返信の時に出した、以前コンクールライブたまたま見た映像が凄かった(https://www.youtube.com/watch?v=GRYLy8O3VIQ)。

 中国ピアニスト牛牛のCDはまだ聞いていない(MVhttps://www.youtube.com/watch?v=ed9nRoFyDIw)。彼は小学生の頃から有名で、ピアノの森(二期)でパン・ウェイの「中の人」(あるいは「手」?)を務めた人。

5.ベートーヴェン交響曲 S.464(1865年出版

 文字通りベートーヴェン交響曲編曲(本編での落選から復活)。出版は後期にあたるが、「幻想交響曲」の編曲同様、ピアニスト時代から既に手がけており、部分的には出版されていた。リストベートーヴェン布教にかなり熱心に取り組んだピアニストだが、これがドイツナショナリズムの高揚を抜きにしては考えにくいことは既に述べた。

 以前に医師夏井睦氏が運営していた超絶技巧ピアノ編曲ホームページに3・5番だけだがすごく詳しい解説が載っていて、当時からピアノ好きだった人は見ていたんじゃないか、と老人会発言Web Archive/https://web.archive.org/web/20090104102239fw_/http://www.ne.jp/asahi/piano/natsui/Beethoven.htm)。ところでブコメバッハリストのBWV543を挙げている人がいたけど、あれは原曲の良さに甘えているだけの手抜き編曲だと夏井氏はバッサリ斬っていたなと思い出しておっかねえなあ・・・と。

 カツァリス(Teldec)とコンスタンティンシェルバコフ(NAXOS全集)の全曲録音が有名(その後も全曲でなければちょくちょく録音例は見る)。やはりフィリペツ(ry

 部分録音だと、kyushima氏はグールドの6番をかなり評価していた気がする(私はよく聞かないのでわからない)。牛牛のギョーム・テルが入ってるCDにも5番がある(未視聴)。以前ロルティが5番を弾く映像YouTubeにあったと思うけど、削除された? それとも記憶いか

6.シューベルト編曲もの(超大雑把な紹介になっててすいません)

 リストシューベルト歌曲の多くを編曲している。「セレナーデ」も「ます」も「エレンの歌 第3番(アヴェ・マリア)」もあり、至れり尽くせり。リスト生前「魔王」(S.558/4)の編曲者として一番知られていたらしい(ゲレリヒの訳書32頁。自虐的セリフとして出てくる)。ハワードライナーには、フィッシャー=ディースカウが、変なのと思われてるけどリスト編曲してくれたおかげでシューベルト歌曲今日まで生き残ってきたんですよと発言したというコメント引用されているが、出典が分からない。ご存じでしたら教えてください。

 ウィーン夜会も絢爛豪華。特に6番が有名。本編での落選を残念がっている人がいた。

 個人的にはキーシンリスト録音集に入っている演奏が好き。他の演奏をあまりいたことがない。フィリペツ(NAXOS全集)が新録を出したようなので聞いてみるつもり(コンソレーション初版とセットだとか)。

7.半音階的大ギャロップ S.219(1838年出版

 前期作品。この手の超絶技巧を見せびらかすための精神性のかけらもない曲は当時のはやり。でもとっても楽しい曲で大好きであるシフラ演奏が有名だが(Hungaroton/映像ありhttps://www.youtube.com/watch?v=tmq5JBpFf9w)、今聞くならフィリペツ(NAXOS全集)が良いと思っている。余裕綽々で本当に惚れ惚れする。

 以上である。いやいやなんでシューベルトこんなひとまとめなのとか、忘れられたワルツとか愛の夢はまた落選かとかリゴレットとかまだオペラものあるだろとかショパン歌曲とか「献呈」とか色々納得はいかないところもあるだろう。でも一旦ここで締める。どうもお付き合いありがとうございました。

Permalink |記事への反応(2) | 22:45

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フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(補遺

 anond:20241213001612の補足編(多分続くので1とした)である

 こんな話題に食いつく人などいないと思ったが、いたので嬉しい驚きだった。今回はコメントを見てみたいと思う。あとやっぱりヴィルトゥオーゾ系の曲はまた別に七選作ろうと思う。超絶とパガ超パガ大が別にあるとはいえ演奏会練習曲集1つとノルマの回想だけではさみしい。

リストリスト

前期のブコメちょっと笑ったが、実はリストの両親のスペルはListである(マジ)。

ピアノソロ曲じゃないけど、リストピアノ協奏曲第1番を聴くと過度にゴージャスでなんか笑えてくる。フリードリヒグルダチェロ協奏曲を聴いたときの笑いに似た感じ。

トライアングル協奏曲命名リスト政敵エドアルト・ハンスリック)ねwスター時代の曲だが、実は循環形式を大々的に活用した野心作で、ピアノソナタロ短調の前段階にあたる曲の一つという。

6,7年前だけど中学校音楽で習ったよ

今はやるのか。前期編でうかつに音楽史上の重要性はバッハベートーヴェンに劣ると言ってしまったのだが、音楽史上重要作曲家というのは、ナショナリズム時代様式となった近代以降現在までの歴史認識の上で成り立っていることが多い。バッハが再評価されたのはドイツナショナリズムの高揚なくしては考えられない。ベートーヴェンだってそうだろう(彼の曲にはフランス革命への共感という要素が強くあるが、一方でドイツ民族古典の頂点とみられている)。リストナショナリズム歴史認識からは扱いにくい。リスト音楽史上最も評価されているのは新ドイツ派の旗手として、特に交響詩様式確立させたことであり、紛れもなくドイツナショナリズム文脈だ。ピアノ表現技法を著しく拡大させたという点については、扱いが薄い。ピアノ楽器王者だが、一方で知名度の壁を貫通して義務教育レベルまで到達してくるピアノ曲がどのくらいあるか。タールベルクをはじめとして同じような貢献をした19世紀ヴィルトゥオーゾたちの名前ピアノ史を詳しく調べなければ出てこない。

リストの両親はドイツ系だが、ドイツナショナリズムに含めにくいオーストリア人※でしかも当時のハンガリーまれ(ということはハンガリーではリスト少数民族になる)、生活パリフランス語話者とつかみ所がない。ショパンパリ活躍したコスモポリタン的な人物ほとんどの曲がピアノ曲だが、生まれも育ちもワルシャワからそう遠くない近郊地帯といっていいと思う。何よりポーランド分割に憤り、ロシア皇帝のお誘いを断ってでも「亡命ポーランド人であることを貫き通した生き様は、ナショナリズム歴史認識に乗せやすい。彼の「革命」(op.10-12)などが記憶されているのも多分にそのせいのはずだ。

オーストリア支配するハプスブルク支配多民族帝国チェコスロヴァキアハンガリールーマニアetcの「民族牢獄」と呼ばれた)なのでドイツナショナリズムによる国家統一不可能である歴史上「大ドイツ主義」が挫折したのはそのせい。

生演奏を聞いた伊藤博文が「連れて帰れないか」と言ったそうな。

そう言い出したので慌てて西園寺公望が止めたという話がありますけど本当なんでしょうかね。無理を言ってでも連れて来てくれれば、日本音楽界も違ったものになっただろうになぁ。

巡礼の年イタリアチョ・ソンジンが最高だった。ダンテで涙出た(リサイタルで聴いた)けど、音源は出してないんだ。。。/ロルティも好きです。

浜松ピアノコンクールライブ映像があるがやばいhttps://www.youtube.com/watch?v=_nG3CyuNC00/このライブ録音のCDがほしい)。本当に15歳だったのかこの人(結果は優勝)。

有名なラ・カンパネラはパガニーニ練習曲に含まれる曲。改訂を経て、軽薄だけどわかりやす演奏効果の高い第3稿を決定稿としたリスト時代を見抜く目があったと思う。

やべぇよやべぇよガチの人来ちゃったよ・・・

いつも見ております。おかげさまでピアノ協奏曲のオレイニチャク盤に巡り会いました。ありがとうございます

コメントしたアーノンクールこと「コスモピアニスト」氏はショパンラヴェルCDレビューを大量にHPに書いている(https://www.asahi-net.or.jp/~qa8f-kik/index.html)。

ショパン元カノマリーとの関係をぜひkwsk(もはや音楽関係ない。いや、むしろ音楽性に影響があったとか?w) あの時代作曲家界隈のドロドロネタで本が書けそうですね。

サロンありがちなドロドロした人間関係の方がもはや興味あるの分かる。正直私にはちんぷんかんぷんなので誰かマリーに焦点当てた本書いてくれないか

良し悪しはさておき重要曲としては音楽史的にも無調のバガテルは外せないのでは?

え?入れたけど

学生時代エステ荘の噴水を弾いて大人になりローマ近郊のエステ荘の噴水を見に行きました ^_^https://maemuki.hateblo.jp/entry/2013/01/26/005305

リンク拝見しました。10年以上前にこの記事読んでました。実はこの記事を読んで本格的に「エステ荘の噴水」に開眼しています。そんな人が逆に読んでくださって本当に嬉しい。

クラシックはよーわからんけど超絶技巧ピアノといえばワイはやっぱり東方Projectピアノアレンジが好きやで(以下略

話題についていけないならとっとと負けを認めればいいのに

https://anond.hatelabo.jp/20241212212539

 言及でついた※から後者の下についてるコメント(前者の反論?)がいうように勝ち負けの問題ではないから好きにやれば良い。それよりたったこれだけしかないんですか?もっとあるでしょ。MIDI音源で作ってる人も含めて。ピアノ編曲の善し悪し含めて知らん奴に布教してくれたら最高や。

ブコメ

詳しくない分野の熱烈なテキストを読む快楽は他に代え難い。みんなどしどし書いてほしい。

が言う通りだと思う。

リストは手が大きい。彼の曲は日本の小柄な女性はいくら手を広げても弾けない曲がある。そしてその曲の美しさよ。どうやっても届かないあの美しさに悔しさと羨ましさで恍惚となってしまう。

ロルティペトロフ、あるいはヴォロドスのようにその恵まれまくった体から繰り出される力強い響きと(特にロルティは)恐ろしく繊細な音色コントロールを見ると確かにそうだなあと思う。でも、ノ・イェジンのように、小柄な体で「ノルマの回想」を弾いている人もいる(映像あった/https://www.youtube.com/watch?v=gostiJcVod4)。小柄な日本女性ピアニストリストの曲に果敢にチャレンジしている動画結構ある。昔何かのコンクールリスト編の「ギョーム・テル」序曲を弾き出した勇者がいて驚いたことがあったが、その人も女性だった(多分これだったかな?/https://www.youtube.com/watch?v=GRYLy8O3VIQ)。アムラン同様大変なテクニシャンであるティーヴン・ハフも痩身小柄な体型をしている。何度かコンサートに行ったが「ダンテを読んで」では顔を真っ赤にして渾身の力で演奏していた。多分手や体が小さいなりにやれることはあるのだと思う。日本人が無理してドイツ人のような歌唱法を真似して喉を痛めるみたいな話を声楽をやっていた人からいたことがあるのだが、似たような問題なのかな。

追記

anond:20241213202638 で以下のような有難い指摘があった(リストハンガリー人としての意識からLisztと綴ったという旨)。なるほどと思うと同時に、自分の話は出典が思い出せなかったので、消しておいた(できれば何か出典があると助かる)。

マジャル語ではszの綴りで/s/を表すので

音通リスト発音させるためにLisztと綴ったのだ。

単なるsはマジャル語で/ʃ/になるから

Listだとマジャル語読みでリシュトになってしまう。

ファーストネームリスト自身はFerenczと綴っていたことがうかがえる。

それと多分同じ人だと思うが、ハンスリックの上の名前はまったくの誤記で、こちらも感謝する。訂正しておいた。

(再追記ウォーカーの本でしたかありがとうございます!!!

Permalink |記事への反応(3) | 12:20

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2024-12-12

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(中期)

 anond:20241212205415の続きである

 マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリスト風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフ軍人ザインヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌ出会う。コンサートツアーリストキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目リストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベル金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストピアニストとしての活動打ち切りカロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマール宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌ博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということであるカロリーヌ身分を巡る微妙問題に加えて、音楽界の動向的にもリストドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規ピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリスト確立する重要時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年パガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。

1.超絶技巧練習曲 S.139(1852年出版

 リスト代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれた。

 この曲集の決定的な録音はウラジーミルオフニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。

2.パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版

 1840年出版パガニーニによる超絶技巧練習曲改訂版。元々の第4曲は単音アルペッジョになり大分おとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げて今の形になった。

 40年のパガ超と違い録音は多い。有名なのはアンドレワッツEMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるがどれも安定の演奏。その他だとフィンランドピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCDNAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを聴くのがいいだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。これも大変安定していると思う。

追記)レカリオはNMLにもiTunesにあった(Raekallio Lisztででてくる)。YouTubeにもあった。https://www.youtube.com/watch?v=SkuWa2HDk58&list=OLAK5uy_kN6U4dNkOzK4Cv1DZfZDWoidTcP7yPxr8

3.ピアノソナタロ短調 S.138(1854年出版

 ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタ落ち目ジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンリストソナタはその例だろう。リストソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララタラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリスト最高傑作の一つとして評価されている。

 リスト最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリSONY)の演奏をよく聴いている。

 なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコHyperionHelios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。

4.バラード第2番ロ短調 S.171 (1854年出版

 ショパン1832年パリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏女性たちの心をわしづかみにした。リストショパン演奏に狂った一人である(またかよ)。リストショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リスト片思いだったのかもしれない。ただし、ショパン練習曲作品10リストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパン練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である

 これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネスEMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。

 (追記)スティーヴン・ハフ(Hyperion)がポロネーズバラードを全部録音しているのを思い出した。ピアノソナタカップリング。あとショパン弾きで有名なネルソンゲルナーレーベル覚えてない)の演奏もの凄く良かったと思うのだが、どこで聴いたか・・・(この曲はショパン弾きにこそ弾いてほしい!)。YouTube動画をあげまくってCDデビューしたヴァレンティーナ・リシッツァベーゼンドルファーを使って弾いている動画がある(収録風景https://www.youtube.com/watch?v=1Qdr3Uvs09oコンサートhttps://www.youtube.com/watch?v=uBs4jtWMBj8)。97鍵もあって低音がアホみたいに響くから重たいが、この曲には合っている。ただCD(持ってない)でそこまで迫力があるかな

(再追記ゲルナーあった!(https://www.youtube.com/watch?v=m90vsN3SjvM配信もあるのかな。

5.ハンガリー詩曲第1~15番(1851/53年出版

 トムとジェリーで有名なハンガリー詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リスト採録しているのはハンガリーマジャール)ではなく、ロマ音楽なのだが、リストは、ロマ民謡を素材に使ってハンガリー民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャールからドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。

 ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーリストの再来とされていたかシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自カデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作ジャズカデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニスマツーエフBMG)、ラフマニノフカデンツァ使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCD廃盤倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。

 第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。

 なお、15番以降19番までハンガリー詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。

6.タンホイザー序曲(1849年出版

 リストドイツ宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナー作品積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分タンホイザー序曲が単独では最上作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。

 ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューローワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナー不倫し、リスト激怒する(後に和解)のだが、自分マリーやカロリーヌやらせいたことだ。

 タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリン気合いが入った演奏https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リスト編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである

7. 詩的で宗教的な調べ(1853年第3稿出版

 30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリスト敬虔さが音楽昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。

 この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽

 全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白いグバイドゥーリナシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。

 宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢劇場でのトラブルカロリーヌ身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。

追記

 前期のところに、ベートーヴェン交響曲ピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。

 リストベートーヴェン交響曲を全曲編曲しているが、初版出版1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別出版されていたようだ。リストピアニスト時代からベートーヴェン作品布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンベートーヴェン記念碑建設のために多額の資金提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマン作曲したのが「幻想曲ハ長調」だ)。

 リスト作品の中でも記念碑的なものになるが、コンセプトは幻想交響曲編曲同様なので泣く泣く割愛した。

Permalink |記事への反応(1) | 22:27

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anond:20241212205415

ベートーヴェン交響曲編曲はいなんや

Permalink |記事への反応(1) | 21:54

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2024-10-06

anond:20241006134248

んんwwww増田氏、その意気込みは素晴らしいですぞ!でも、拙者は少々異なる意見を申し上げますぞ。まず、「一発バズりたい!!」という欲望、実に人間臭くてよろしいのですが、そのようにバズ目的で書くと、どうしても熱意が薄れてしまいがちですぞ。真に人の心を震わせる大作は、自分の思いを率直に、そして心から書くことで生まれものと拙者は信じております

増田氏の「しょうもねぇなー、俺」という自己評価、拙者はまったく賛成いたしませんぞ。誰しも初めは試行錯誤ですし、その過程大事なのですぞベートーヴェンだって交響曲をいきなり完璧に書き上げたわけではないのです。

からこそ、少しずつでも日本語を書き続ける姿勢、一つ一つの言葉に積み重ねていく決意、それが増田氏の真の力を引き出すことになると拙者は信じております。頑張れ、増田氏!バズるよりもまずは自分の筆で本当に言いたいことを書けるようになることこそが大切ですぞよ!

Permalink |記事への反応(1) | 13:43

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2024-08-05

anond:20240804192616

ケンミンショーとか見たことないけど東北ウィーンってただの自称じゃないの

モーツァルトベートーヴェンのような偉大な音楽家がこの地で活躍したわけでないし

日本代表するようなコンサートホール楽団もなければ音大すらないし

他に取り立てて取り柄のない田舎義務教育レベル音楽に力入れてるだけで

ウィーンはさすがに厚かまし過ぎてウィーンに失礼なんじゃないの

自分音痴なんで福島県郡山市に対する好感度マイナスになったよ

Permalink |記事への反応(0) | 18:08

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2024-07-13

anond:20240713195536

その社会を発展させてきた男の成果って

女がタダ働きしてくれたおかげじゃん

炊事も洗濯も面倒なこと全部女がやってくれたか

自由時間ができて、勉強なり研究なりできたんだよ

 

アインシュタインニュートンバッハベートーヴェンも全く同じ才能を持つ女に生まれたら

同じだけの成果を出し平等歴史に名を残せてたか疑問だね

 

男の発展は女から奪うことで成果を出してきた

恥ずかしい歴史なんだよね

その恥ずかしい歴史を誇っちゃうぐらい頭が弱いのが増田なんだよ

Permalink |記事への反応(0) | 19:59

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2024-06-29

anond:20240629142652

エヴァンゲリオンってつまらなかった

だって

シンジはなよなよしてきもい

アスカは勝気でむかつくし

レイは何考えてるかわかんねーし

トウジはつっかかってきてうざいし

ケンジはオタクキモい

ミサトは結局ウジウジしてるし

リツコは不倫キモい

ゲンドウは言動がむかつくし

冬月は思わせぶりがむかつくし

カヲルははっきりしたこと言わないし

ATフィールドとか専門用語むかつくし

ゼーレは難解なこと言い出すし

エヴァンゲリオン人造人間扱いなのきもい

使徒は合体厨でうぜーし

アダムとイブリリスはよくわかんねーし

ロンギヌスとかぽっとでの武器むかついたし

NERVマヤとかロンゲとかメガネシンジのこと気にかけねーし

ユイシンジ守るのおせーし

マリニコニコしてて不気味だし

エヴァシリーズとか作れるならさっさとだしとけって思うし

フライメトゥザムーンとか言われても飛べねえし

残酷天使のように少年よ神話になれが命令形で何様だってなるし

心よ原始に戻れとか北京原人かよってなるし

私に還りなさいとかまた命令形かよってなるし

ベートーヴェン運命が流れてかっこつけてんじゃねえよって思うし

全体的にキャラクター根暗できもくて

エヴァンゲリオン使徒のバトルもだいたい泥臭くて爽快感はねえし

ゼルエルを食ってるの見て食い方汚ねえと思ったし

アスカに放尿するシンジがきもかったし

ありがとうとか言い出すシンジがきもかったし

真っ赤な世界になったの新桃太郎伝説かよって思ったし

くっそつまんなかったわ

Permalink |記事への反応(9) | 15:05

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2024-06-18

anond:20240617230419

コロンブス冒険者

ナポレオン:統率者

ベートーヴェン音楽家

猿:SNS中毒になって音楽の楽しみを忘れた現代人。

アナロジーでしょ。

ネット誹謗中傷に夢中になってる現代人は、猿そのものじゃん?

彼らをまともな人間に更生させるために、

体力づくりとして人力車を引かせたり、いろいろ奮闘して、

猿が音楽の楽しみに目覚めたところでおしまい

Permalink |記事への反応(0) | 11:58

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2024-06-16

コロンブスをまだ擁護してる人はMV見てなさそう

類人猿と思しき存在ベートーヴェンと思しき人物の車を引くカット10カットくらい執拗にサビリミナルレベルであるんだけど、

どっかで反転すると見せかけて一切無いのである。ずっと非対称のままなのである。アレ見てどう感じろというねん。

Permalink |記事への反応(1) | 18:30

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anond:20240613203515

追記)ユロックの母さんの記事面白かったので続きを書いた。

https://anond.hatelabo.jp/20240619014605

本文)

キャンセルカルチャー問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。

どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものからキャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。

まり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。

その程度の教養正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャン謝罪に追い込む社会なわけだね。

かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的正義感情的正義区別し、自分のことでもないくせに感情的共感によって主語がでかくなるのが感情的正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。

もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、

共感にあらがえ - 内田樹の研究室

のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。

増田へのレスなかに

コロンブスナポレオン他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw

というのがあるね。

正直、なんとも思わないねというのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省まり

俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないもの批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判内面化されていないわ。

そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。

しろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆハチマキをした類人猿兵士を抱きかかえる類人猿兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍兵士連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。

類人猿ベートーヴェン指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。

そう、まさに「つまり解釈余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。

rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。

Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments


もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権歴史教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。

https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301

みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。

しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に歴史修正主義というドイツで使われた文脈言葉安易日本南京虐殺否定文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。

俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史文脈のなかで生まれ言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか教養」として普遍化するなかで、その歴史固有性が失われ、あたかハンディ批判ツールになり下がることだった。

村上春樹2009年、イスラエル文学賞を受賞したときはてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯意味するとまで言った人もいた。そのとき村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹言葉のほうがよっぽど覚悟必要だ。それでも村上春樹攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。

追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。

???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。 - tick2tack のブックマーク / はてなブックマーク

tick2tack???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。

すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれ修正主義はその後、ソ連中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。

まり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態からな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。

(/追記2)

お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史知識開陳する態度。

てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。

サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。


言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹文章

そのなかで対談相手永井陽右氏は次のようにいう。

永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います大学1、2年の頃、大学平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。

じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います

「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。

そういう義憤の正体って何だろう。

最近朝日新聞人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者コメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。

[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン

元の人生相談とその回答はこちら。

https://digital.asahi.com/articles/ASS5K30WGS5KUCVL02MM.html?ptoken=01J0FYBDAZQF5YH5MPNMCJH3QA

不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性相談

個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから

これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。

新聞で得た世界出来事いか正義言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。

現場にくると世界は反対側からみえることもある。

かつて、北アフリカスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺国際問題となったことがある。

日本ブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。

最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域仕事上関与するようになってからスーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブダルフールキャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。

それは当時のバシール大統領断罪をはじめ、現地武装組織悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカNGOキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争実態はもう終わっているにも関わらず紛争継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGO広告費に回っているという話まで聞いた。

正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。

弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。

今、現在スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争ときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいか危機的かがわかる。

しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトトルコスーダン国軍支援アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的顧客武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争様相を呈している。





ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義歴史を知るとか、外付けの倫理いか理解しているかという意味ではない。

普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本である自分自身いかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。

そのルール規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。

表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍価値から、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。

なぜアメリカ判事歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。

なぜドイツではホロコースト否定表現の自由に当たらないのか。日本公共の福祉解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会文脈がある。少なくとも自分社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的共感というものだと思う。

少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。

表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義ますます膨れ上がるだろう。

表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単プロパガンダ誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。

MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員不倫していたことをネタ糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。本格的な右派政党が台頭したらそいつらを味方につけるだろう。不謹慎厨の本質正義の中身を大して気にしてないことだ。日本中が沖縄を踏みつけにしても気にしないが、よその国の自分とさして関わりのない先住民のことは気に掛けるふりができる。

世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMV植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。

サヨク知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。

朝日新聞人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端ポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。

Permalink |記事への反応(15) | 12:42

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anond:20240616003929

プレイボーイだったし、甥っ子に対するハラスメントもひどい。

弟子にも結構逃げられている。

ただし、アントンシンドラー仕業によりベートーヴェンの正確な人物像を把握することが非常に難しい。

Permalink |記事への反応(0) | 00:58

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anond:20240615211557

Mrs. GREEN APPLEMVに出てた残る一人のベートーヴェン

実は耳は聴こえていたのでそんなに偉くもないとか何とか

Permalink |記事への反応(1) | 00:39

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2024-06-15

Mrs.GREENAPPLEコロンブス』ではなく『ザビエル』にしていれば正解

コロンブスベートーヴェンナポレオンという人選が良くなかった。

正解はザビエルシーボルトペリー

日本人アーティストによる日本語の歌なんだから

日本史になじみのある人がいいに決まっている。

ピアノを教えるシーンなんてまさにピアノを持ち込んだシーボルトが適役だろし、

そもそも炭酸持ち込んだのペリーだし。

というわけで、今からザビエルシーボルトペリーMV作り直せば一件落着。

Permalink |記事への反応(0) | 15:55

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コロンブスの話さ「ダメなのは大前提なんだからもっと考察しようよ

しっかしよく「コロンブス」を通したよな。作者本人がやり口を教えてるけどバラしてレビュー通してガッチャンコしたときヤバい表現にしたんだろ?やり方がゴルゴだよゴルゴ

あのな「コカ・コーラが『コロンブス』とタイアップした」時点でそれが一つの重大な意味を持った表現なんですよ。なので「差別的ですね」ってのは出発点で、MV考察するのが「文化人」ではないですか?(文化人類学の文化人の部分)

人選について

コロンブス」は一番押し付けたい嫌味だったかタイトルにもなったんだろうけど…よく通したな根回しがすごい2024

ベートーヴェン」はロックンロールの始祖(諸説あり)のチャック・ベリーの曲から取ってるだろうし

ナポレオン」は、なんか、革命っぽいから置いたんじゃないでしょうか。島流しにされてたからさ、日本人名誉白人みたいな部分を揶揄してんじゃない?知らんわ

皮肉の数々

あとはみんなの目で確かめろ!

よくわかりませんでした。

https://bunkaonline.jp/archives/5214/3 こういう感じの記事を書きましょうよ

Permalink |記事への反応(2) | 05:26

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2024-06-14

anond:20240614135700

単純に名前出すならともかく賛美とか肯定するときは気を使ったほうがいいのでは

特にこういう功績を自分からアピールした系のやつ

エジソンとかベートーヴェンあくまで同時代他者から客観評価も大きいけど、コロンブスに関してはもともと評判悪いしそれを知らなくても奴隷商人だった背景ぐらいは教科書レベルで出てくるから

Permalink |記事への反応(0) | 14:04

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