はてなキーワード:ベルとは
M氏の文章は、一読すれば現代の学歴社会や教育の画一性に対する痛烈な批判として、ある種の共感を呼ぶかもしれない。
「現場で働く人間のリアルな声」という体裁を取り、労働の尊厳や実学の価値を訴えるその姿勢には、一見、力強ささえ感じられる。
しかし、その主張の根幹を注意深く解剖していくと、強固に見えたはずの論理は驚くほど脆弱である。
特に「工場勤務」の話から何の前触れもなく「理系的な仕事」へと飛躍する一点において、その思考の構造的欠陥と、著者を苛む根深いコンプレックスが、隠しようもなく露呈している。
自らの経験を権威付けずにはいられない「文系コンプレックス」という名の
本稿では、この致命的な論理の跳躍を起点に、彼の主張がいかに自己欺瞞と劣等感に満ちた砂上の楼閣であるかを論証していく。
健全な議論の第一歩は、用いる言葉の定義を明確にすることである。
「工場的な?理系的な?そんなお仕事」という一節は、その象徴だ。
著者自身がこの二つの概念を明確に区別、あるいは統合できていないことがわかる。
この曖昧さを放置したまま、彼は自身の主張を強引に推し進める。
まず、「工場勤務」と「理系的な仕事」は、似て非なる概念である。
著者が例に挙げる「衛生管理者」や「危険物取扱者」といった資格は、確かに化学や物理学の基礎知識を必要とするため、「理系的要素」を含むとは言えるだろう。
しかし、それを以て工場勤務全般を「理系的な仕事」と呼ぶのは、著しい拡大解釈であり、意図的なミスリードでさえある。
「工場勤務」には、製造ラインで単純作業に従事するオペレーターから、高度な専門知識を要する設備保全、品質管理、生産技術まで、極めて多岐にわたる職種が含まれる。
一方で、「理系的な仕事」という言葉が一般に想起させるのは、大学や大学院で専門分野を修めた者が従事する研究、開発、設計、データサイエンスといった、より高度な知的労働である。
著者は、この二つの全く異なるレイヤーの仕事を、「理系」という一つの都合の良い言葉で乱暴に括りつけ、両者の境界線を意図的に曖昧にしているのだ。
その動機は二つ考えられる。
「工場で働いて人生を立て直した」と語るよりも、「理系的な仕事で人生を立て直した」と語る方が、より知的で、専門性が高く、高度な響きを持つ。
彼は、自らの過去をより立派に見せるために、「理系」という社会的に権威付けされたラベルを借用したのだ。
これは、自身の経歴そのものに絶対的な自信を持てず、何らかの権威に依存しなければ自己を肯定できない、精神的な脆弱性の表れに他ならない。
世の中には、残念ながら「工場勤務」に対して「誰にでもできる仕事」といった偏見を持つ者もいる。
そうした潜在的な軽侮に対して、あらかじめ「これは“理系”の仕事だ」と宣言することで、相手の反論を封じ、議論の優位に立とうとしている。
議論の本質(=工場労働の価値)で勝負するのではなく、「理系」というレッテルを盾にして相手を威圧しようとする、極めて幼稚な防衛機制である。
彼は、ある事象(工場勤務)が持つ一部分の性質(理系的要素)を抽出し、それを事象の全体(工場勤務=理系的な仕事)であるかのように錯覚している。
世界を「すごい理系 vsダメな文系(教師)」といった単純な二元論でしか認識できていない。
その結果、自分を「すごい理系」の側に配置するために、論理を捻じ曲げることさえ厭わないのである。
この稚拙な論理の飛躍の根底には、より深刻な問題、すなわち著者の「文系コンプレックス」が横たわっている。
彼の文章全体を貫いているのは、彼が「文系的」と見なすもの――
特に「教師」と、彼らが象徴する「学歴至上主義」や「口先だけの建前論」――に対する、異常なまでの敵愾心(てきがいしん)である。
「教員風情が」
彼は、自らの人生がうまくいかなかった原因を、すべて「教師」という藁人形に押し付けている。
資格試験の合格率という一面的なデータだけを取り上げて職業の優劣を語る暴論も、
彼がかつて「勉強」や「学歴」という物差しで評価される世界で深い屈辱を味わったことの裏返しとしか考えられない。
彼は、その世界で受けた傷の復讐として、自分が優位に立てる(と信じている)「資格」 「実務」という土俵に相手を引きずり下ろし、一方的に断罪しているのだ。
「理系こそがセーフティーネット」というタイトルは、その信仰告白に他ならない。
彼にとって「理系」とは、客観的な数値や事実に基づき、嘘やごまかしの通用しない、実利に直結した「本物」の世界の象徴なのである。
曖昧で、解釈の余地があり、コミュニケーション能力といった測定不能な能力が幅を利かせる「文系」の世界で挫折した彼にとって
「理系」は、明確な答えと正当な評価を与えてくれる救済の地のように見えたのだろう。
だからこそ、彼は自らの経験を必死で「理系」の物語に組み込もうとする。
単なる「工場労働者」では、彼が憎む「文系」の世界に対するカウンターとして弱い。
それは、学歴とは別の知性の証明であり、文系的な価値観を乗り越えた「新しいエリート」としてのアイデンティティを与えてくれる。
彼は「理系」という言葉を、自らの劣等感を覆い隠し、攻撃性を正当化するための鎧として身にまとっているのだ。
「工場的な?理系的な?」という、自信のなさが滲み出る一言が、その全てを物語っている。
真に自らの能力と経験に自信を持つ人間は、このような借り物の権威にすがる必要はない。
「私は工場で働き、専門的な資格を取得することで、人生を立て直した。この経験は尊い」と、自らの言葉で堂々と語ればよいはずだ。
なぜなら、彼の自己肯定感は、「理系」という他者の権威に依存しないと成り立たないほど、脆いからである。
M氏が「工場勤務」から「理系的な仕事」へと唐突に議論を飛躍させたのは、
彼の論理的思考がいかに脆弱であるか、そして彼の精神が「文系コンプレックス」という呪縛にいかに深く囚われているかを示す、決定的な証拠である。
個人的な怨恨と自己正当化の欲求を駆動力として言葉を紡いでいる。
「理系」という言葉は、彼にとって自らの経験を美化し、憎むべき敵(文系、教師)を攻撃するための都合の良い武器であり、
同時に、学歴社会で傷ついた自尊心を守るための貧弱な鎧となっている。
しかし、その嘘と自己欺瞞は、「雨ニモマケズ風ニモマケズ現場に立ってる人間」という署名が、
実際には職を失ったニートによる虚勢であったという事実によって、無残にも暴かれる。
彼が称賛してやまない「キツい現場」に、彼自身が留まれなかったという現実は、
彼の語る物語がいかに自己に都合よく編集されたフィクションであるかを物語っている。
そして、教師への憎しみや学歴へのコンプレックスといった、自らの内なる負の感情に正面から向き合う必要がある。
なぜ自分は工場を辞めてしまったのか。なぜ他者を「風情」と見下さなければ自己を保てないのか。その痛みを伴う自己分析なくして、彼の成長はない。
現状のままでは、彼の言葉は、論理的思考力を欠いたコンプレックスの叫びであり、傾聴に値する社会的提言とは到底言えない。
さもなければ、彼はこれからも論理の迷宮を彷徨い、コンプレックスの鎧に閉じこもったまま、誰にも届かない言葉を発し続けることになるだろう。
先日北欧に行く機会があったんだけど、ゴミの分別が細かい(各ゴミ捨て場にゴミ箱が6個ずつ並んでる感じ)&非英語圏で文字が読めず、ゴミ捨てのハードルがすこぶる高かった
既に箱に入ってるゴミを凝視&箱のラベルをAI翻訳して一応可能な限り分別したけど、合っていたか正直分からん。分別の哲学が日本と違う点もあって、文字を翻訳できても最初は基準が分からんかった
日本のゴミ捨て場も外国人フレンドリーになるよう改善は必須だと思う。今のままだときちんとやろうと思ってる外国人にとっても無理ゲーだ。日本語がちょっと読めるくらいだと、たぶん分別の哲学の違いで勘違いが発生する
自治体ごとに焼却炉の性能差などがあって分別ルールが異なるのは分かるが、小規模な自治体が個別に外国人対応するのは実質無理だから、何らかの形でゴミ分別ガイダンスの標準化は必要だろう
アメリカのように放っておいても移民が殺到する国なら百歩譲ってトランプみたいに排外して外国人を選別する方針もありかもしれんが、少子高齢化で外国人に来てもらわなけりゃエッセンシャルワークが破綻する日本でその方針はあり得ない
外国人にとって親切に住みやすくすることで、相互不理解によるギスギス感は無くなり、治安も改善するはずだ。そこまでやってなお悪さをする外国人は同情の余地なく悪いので躊躇なく糾弾する事ができる
あの頃の午後は、ゆるやかに流れていた。
学校から帰ると、ランドセルを置いてそのまま冷蔵庫を開けて、麦茶を一杯。テレビの前に座って、好きなアニメの再放送をぼんやり眺めていた。番組表は新聞の折り込みで確認して、気になるものがあれば、VHSに録画予約しておく。ちゃんとテープにラベルを貼るのが、私なりの楽しみだった。
調べものは図書館か百科事典。電話は家の黒い子機付きコードレスで、たまに混線して知らない人の声が混ざることもあった。そんなことすら、今思えば風情があったのかもしれない。
手紙の返事を待つ時間や、好きな雑誌の発売日を指折り数える日々。待つことそのものに意味があって、それが心を育ててくれていた気がする。友達との約束は、だいたい前日か当日に「明日○時にいつもの公園ね」って決めるだけ。それでもちゃんと会えたし、誰も遅れても怒らなかった。
情報は限られていたけれど、そのぶん「知る」ことの重みがあった。今のように、何でも一瞬で検索できる時代じゃなかったからこそ、誰かが教えてくれる言葉や本の一節が、心に深く残った。
便利さがなかったわけじゃない。ただ、いまほど早くなかっただけ。遅さは不自由じゃなくて、日常の余白だった。あの、少し不便で、でもあたたかかった日々を、ふと懐かしく思い出すことがある。時代が進んでも、あの頃の私は、ちゃんとそこに生きていたんだなと思う。
なあ、ちょっと聞いてくれよ。
そしたらさ、なんかもう…え?ってなった。
あれ、仮面ライダーだったよな?
中二病のヒョロガリが、ド派手なスーツ着てペチペチ攻撃してるの。
人間やめてまで悪と戦うっていう、重くて苦しい運命背負ってたんよ。
ヒーローだけど、その裏には人としての悲しみがちゃんとあった。
今のライダー?
ベルトもらってノリノリで変身して、やたらポーズ決めて、SNS映えかよって。
で、戦闘シーンもひどい。
敵にボコられて、「うわやられた!これもうダメだ!」ってとこで敵が何もせずに去ってくの。
え、とどめは?
今絶好のチャンスやん。
なんで放置すんの?
逆にこっちが敵を追い詰めたときも、「逃げたか」とか言って終わり。
なんなんその仲良しかよって展開。
毎週ごっこ遊び繰り返してるだけやん。
本気で戦ってる感ゼロ。
あと主人公がヒョロガリすぎて、変身前が全然強そうに見えない。
細腕でシャツから骨浮いてるようなやつが、急に変身してパワー系の敵と戦ってるのおかしいやろ。
説得力がねぇんだよ。
仮面ライダーって、もっと重くて熱くて苦しくて、でもカッコいいもんだったはずだろ?
今のはただの“中二ヒョロガリファッションショー withごっこバトル”。
こんなんじゃライダー語れねぇよ。
本郷猛が泣いてるぞ。
こう暑いとキンキンに冷えたビールでもやりたくなるし、何か涼しくなるお供が欲しいところ。
そんな折にね、ふらっといつものレンタル屋さんに寄ったんです。
何か涼しくなるホラー映画でも借りようかな~なんて思って探してたら、目に入ったんですよ。
いやいや、これぞ今の私にぴったりじゃないですか!背筋もゾッと、ついでにちょっと楽しいやつ。
でね、家に戻ってすぐさま再生したんです。
そしたら……いやぁ、もう度肝抜かれました。ほんと。
しかも墓石に寄りかかって、愛の行為(まぁ、いわゆるそういう行為ですよ)してるんです。
薄暗い中にボンヤリ灯るライトの明かり……いや怖いんだか、そうじゃないんだか。
極めつけはね、正常位の時。女優さん、墓の上に完全に乗っかっちゃってるわけ。
もうね、いやいやいや罰当たりだなぁって、ツッコミながら見てましたよ。
「そんなことしてると魂抜かれちゃうぞー」なんて独り言まで出ちゃってね。
けど最終的に抜かれたのは私の方だったんですけどね。
ならまず自分の論拠の貧弱さに気づけ。
お前の主張は、自己放尿的優越感に酔ってるだけの自己満自慰だ。
お前の言葉には真理への希求など微塵もない。ただ相手を見下すためのマウンティング。
それは知性ではなく、劣化した知識の腐臭、要するに自己放尿に過ぎん。
本当に学がある者は、ネトウヨだろうと誰だろうと、なぜそのような思想に至ったかを問う。
そこには情報の断絶、経済的疎外、歴史教育の不全、社会的孤立があるかもしれない。
だが、お前は見ようとしない。「低学歴w」などとラベルを貼って脳内で自己放尿してるだけだ。
真のインテリとは何か?
知識を振りかざす者ではなく、知らない者に橋をかける者だ。
対話を切り捨てるお前のような姿勢が、むしろ分断と憎悪を助長し、結果的にネトウヨ的思考の温床を作っている。
それができなければ、お前もまた別ベクトルの自己放尿ネトウヨに過ぎない。
だがまだ手遅れではない。
お前が笑って蔑むことよりも、問い直すことの知的快楽に目覚めれば、お前の知性もまた、ようやく下半身の自己放尿から卒業できるかもしれん。
この増田がバズっていた。
内容を簡単に要約すると、参政党が支持を伸ばしているのは決してイデオロギーによるものではなく、生活苦や既得権益への怒りを原動力としたガラガラポン志向が支持者にあるからだ、という仮説が述べられている。
このエントリには300以上のブコメが付き、その中には賛同の声も疑問の声もどちらも存在する。
ただ、この増田自体にしろ、それへのコメントにしろ、個人の感覚頼りの意見になってしまっているのが惜しく感じる。
というのも、荻上チキ氏による参政党に投票した有権者についての調査分析結果のレポートがちょうど公開されていたからだ。
参政党は東京都の有権者に「しっかり」理解されている?〜参政党への投票行動を分析する①
参政党に投票したのは、どんな人なのか 〜参政党への投票行動を分析する②
上の増田が600以上のブクマを集めているのに対して、このレポートは全然はてなでバズっていない。
せっかくデータをもとに参政党支持層がどんな人たちなのかを伺える記事があるというのに、ただ個人の感覚だけであーだこーだ言い合うというのははっきり言って勿体ない!
ぶっちゃけリンクから飛んで全部読んでもらうのが一番早くはあるのだけれど、わざわざリンクを踏む人は少ないとわかっているので、例のバズってた増田の仮説がどれだけ当たっていると言えそうかこのレポートから引用しつつ検討していく。
まず、参政党支持者の原動力は生活の貧困や既得権益層への怒りであるという説について。
学歴や婚姻状況についても、東京都有権者全体の傾向と大きく変わりません。世帯年収についても、強い偏りがあるわけではなく、広い層にわたっています。特定の所得階層にのみ着目した分析には、危うさがあるように思えます。
②のほうのレポートにわかりやすいグラフがあるが、参政党投票者の学歴、婚姻状況、世帯年収の分布はどれも東京都の有権者全体のそれと大きく変わらない。
低学歴、非モテ、低収入といった属性の人たちによって支持されているという傾向は特に存在せず、よって、生活苦や社会への不満が参政党支持に向かわせる要因となっているとみなすことは難しい。
もちろん、不遇感というのは主観なので必ずしも収入などに連動するとは限らないと言い張ることも可能ではあるが。
次に、参政党支持者は反ワク、スピ、愛国右翼、反移民といった要素のうちどれかひとつくらいは支持している程度であって、政策やイデオロギーが支持する理由のメインではないという説について。
都議選における「参政党投票者」グループには、10の項目を用意した上で、投票時の動機として自分に当てはまるかどうか、その度合いを選んでもらいました。結果は以下の通りです。 ~ 「とてもあてはまる」に着目した場合、「『日本をなめるな』『日本人ファースト』との考えに共感したから」が最多でした。また、「とてもあてはまる」「まああてはまる」を合わせた場合、「訴えている政策の内容が、自分の考えと一致したから」が78.4%で最多でした。
「党の考え方が愛国的だと思ったから」を選んだ人の割合も高く、「とてもあてはまる」「まああてはまる」を合わせると、68.5%の人が賛同。逆に、「党の考え方がリベラルだと思ったから」は、「とてもあてはまる」「まああてはまる」合わせて25.7%でした。
これらの回答傾向から見ると、参政党への「投票者」は、参政党が右派的な主張をしているということを、「しっかり」知っているようです。そして、その右派的な主張に共感しているからこそ、参政党に入れている投票者が多いことが伺えます。
以上は①のほうのレポートからの引用だが、その続きには参政党投票者の反外国人傾向の高さや、自認するイデオロギーが極めて右派的であることが書かれている。
また、②のほうの後半では、都議選で参政党に投票した人が都知事選で投票した候補として、田母神俊雄と桜井誠氏の割合が全体と比べて際立って高いことが書かれている。
つまり、参政党に投票する最大の理由は極右イデオロギーであり、政策やイデオロギーは関係ないなどということは特にないようだ。
今回の都議会選挙に対して、「これまで投票に行かなかった『無関心層』が初めて投票に行った結果、参政党が伸びた」という見立てをする記事もありましたが、都知事選の時の投票先無回答の数が都民全体と比べかなり低いことから、今回のデータからはそうした事実は確認できず、むしろ都知事選の際にも明確な投票行動をとっていたことがうかがわれます。
おそらくこの記述において念頭に置かれているのは古谷経衡氏による以下の記事だろう。
ここでは参政党の支持者はいわゆるネット右翼とは全く異なる層で、無党派層ですらない無関心層である、ということが述べられている。
しかし、荻上チキ氏による調査結果ではむしろ参政党支持者は典型的なネット右翼層であることが伺える。
この不整合を、どちらもいい加減なことを言っているわけではないと仮定して考えると、元々は参政党支持者には古谷氏の言うような無関心層タイプの人が多かったが、直近でネット右翼タイプの支持者が大きく増えて多数派となった、それによって今参政党が伸長している、という様子が浮かび上がる。
これは古谷氏がいい加減なことを言っているわけではないという前提での仮説に過ぎないが、もしもこれが正しい場合、参政党の反ワクやスピリチュアルといった性質を攻めてもあまり効かないということになりそうだ。
と、ここまで「参政党人気の分析が間違ってる」の増田の仮説を否定することばかり書いてきたが、唯一、参政党がトランプ現象と同じだという見解については同意できる。
というのも、トランプ現象はラストベルトがどうだ取り残された人たちがどうだと説明されがちでありながら、その実支持を集める最大要因は反移民感情や人種アイデンティティーであって経済はほぼ無関係だからだ。
実は、2016年の大統領選でも2024年のそれでも、調べてみると経済的に不遇な人ほどトランプを支持するという傾向はなかった。2024年はインフレによる生活苦がアメリカでは大問題となっていたが、インフレの激しい地域ほどトランプ支持が高まるということもなかった。
では、どのような要素がトランプ支持の傾向を高めたのかというと、白人が差別されているという意識、反移民感情、フェミニストへの反感などだ。
(ちょうどよく読みやすいネット記事の類が見つからなかったのでソースは貼りませんが、これについてのネタ元は同志社大の飯田健先生なので、詳しく知りたい人は自分で調べてください。)
この、実際にはイデオロギーで支持されているにも関わらず、経済的要因や社会への怒りから支持されているはずだと思いたがる人が多いこの感じ、まさにトランプ現象と参政党は同じだと言えるのではないだろうか。
水星の魔女の公式百合カプであるスレミオが非公式男女カプのグエスレを攻撃した殺害予告などが相当エグかったけど、
これ進撃の巨人でも公式百合カプであるユミクリが非公式男女カプのベルユミを攻撃したのも凄かったんだよね。
当時は進撃の別のカップリング界隈にいて、騒ぎになっていたから野次馬しにいったんだけど、
ベルユミのpixiv投稿作が全部別のタグつけられて荒らされた上に、ピクシブ百科事典のベルユミの項目も荒らされて消されたりしてたからね。
ベルユミやグエスレが捏造カップリングで、ユミクリやスレミオが公式だったから、公式カプを守るのが務めだろみたいな考え持つ人もいるかもしれないけど、
公式男女カプが非公式のBLや百合をこんな攻撃したケースとか無いから…なんか百合だけカプオタの質が異常なんだよ。
いま水星の百合豚はラウペト叩くのにハマってるらしくて、何がしたいんだろ…。
ユミクリ好きだった人がヒストリアに石を投げてた夫を受け付けないとかは理解が追いつくけど、スレミオが好きだからラウペトが憎いとかは本当に意味がわからない。関係ないじゃん。
あと百合が非公式のケースでいうと、フリーレンで百合豚はシュタルク邪魔死ねフリフェル百合に挟まるなってキレてるし(フェルンがシュタルクに絡んでるんですが…)、
ジークアクスでシュウマチュが公式成立したけど百合豚はシュウジ邪魔死ねマチュニャア百合に挟まるなってキレてるし(マチュが一貫してシュウジシュウジなんですが…)、
百合カプが非公式のときも病気みたいに暴れてて、なんでこんなに百合豚って攻撃性の塊みたいなキチガイばっかなの?
フリフェルとマチュニャアには悪印象あるけど、スレミオやユミクリには悪印象無いのに、豚が病気すぎて殺処分されてほしいって気持ちになる。
水星の魔女や進撃の巨人の本編だけ見てるとこんな気持ちにはならないんだよね。SNSやpixivを見ると豚が視界に入って…本当に勘弁。
百合って多分撮り鉄みたいに、特性持ち集まってるでしょ。電車自体や公式百合自体は別に嫌いじゃないけど、電車や百合に対して異常に執念深い人間のほうは…。
私が愛用してるベージュのキャップ、通販で激安で買ったんだけど
後ろの調節のアジャスターがプラスチックのみで出来てて、1秒でサイズの調節ができるところも後ろから見たときスッキリシルエットなところも気に入っていた
このプラスチックのみの調節アジャスターは人によっては「安っぽい。ベルトの形したアジャスターの方が好き」という意見がある
私がキャップの調節でもっとも安っぽく見えるのはマジックテープだと思うけどね
お金持ちの人もこのプラスチックのみでパチパチ調節できるキャップを使っている人もいるし
悪いもんじゃない。私はこれが好きと思って同じような
プラスチックをパチパチするアジャスターのキャップを探したんだけどみつからない
それで自分のキャップのタグを見て、トムス株式会社って書いてあったから検索したらプリントスターの名前が出てきて
「お前だったのか!!」とビックリした
プリントスター、ユナイテッドアスレ、グリマーは私の第二の肌と言ってもいいくらい馴染みのあるメーカー
そして、ユナイテッドアスレは普通にベルトの形の調節アジャスターでプリントスターだけがプラスチックパチパチのアジャスターだったわ
↓この増田だよ
https://anond.hatelabo.jp/20250612175256
前のエントリで親友に縁切られたこと書いたら「アスペじゃん」「ASDだよそれ」ってコメントがめっちゃついて、
本当に心折れてそのまま心療内科行ったら、あっさり「ASD傾向ありますね」って言われた。
だから何?って感じなんだけど。
診断されたからって、親友が戻ってくるわけでもないし、あの時の会話が「正解」になるわけでもない。
「あなたの特性です」って言われても、「はい、そうですか」以外に言いようがないし。
それでも、「その場で言ってくれたら直せたかもしれないのに」とか思っちゃうわけよ。
なのに向こうは「ずっと我慢してた」「限界だった」ってさ。じゃあ、こっちは何? 一生懸命話題広げて、場つなぎしてただけなんだけど。
「会話の流れが見えてない」とか「人の話を遮って自分の話に持っていく」とか言われたけど、
それって、黙ってたら黙ってたで「何考えてるか分からない」って言うくせに。
どっちにしろ文句言われるなら、好きに話してたほうがマシじゃない?
あと「用語の共有されてないネタ出すな」とか「その場にいない人を置いてけぼりにするな」とか言われたけど、
そんなの知るかよ。分かんないなら聞けよって思う。
自分は会話ってそういうもんだと思ってたし、そうやって話してきたから。
勝手に読み取ってくれると思うなよ。そんなに自分で“察する力”があるなら、私が悪気なく話してることくらい察してくれや。
ネットの反応も「だから友達いなくなるんだよ」「共感性低すぎ」とかばっかで、
それ読んでると「じゃあもう黙ってろってこと?」ってなる。
なんかもう、全部がしんどい。
でも多分、また同じことやると思う。
寄席の話もするし、戦場ヶ原の話もするし、落語もアニメも急に出す。
それが私だし、それがダメなら最初から付き合わないでほしかった。
いまさら「無理だった」とか言われても、知らんがなとしか思えない。
ASDって診断されたけど、それって「普通の人と違う」ってお墨付きもらっただけで、
「こうすればうまくいくよ」って道があるわけじゃない。
ほんと、「空気読めない」って、そんなに罪なんですかね。
チームみらいを支持している人たちの多くは、「合理的で、テックに強く、リベラルで先進的な市民でありたい」という自己像に酔いたいだけなんだと思う。
「東大卒」「人気小説家」「AIエンジニア」みたいなラベルに惹かれて、「よく分からんけどすごそう」ってなる。でも、それって投票行動としては極めて危うい。「肩書きに弱い人」が政治に関与すると、わりと悲劇が起こる。
現代の社会問題の多くは、グローバル経済の変化、労働市場の流動化、少子高齢化、地域経済の衰退、社会保障制度の硬直化など、複数の要因が複雑に絡み合って生じている。たとえば家計の不安ひとつ取っても、雇用形態の多様化、労働分配率の低下、税・社会保障負担の増加、地域間格差など、複雑な構造的要素が影響している。
だが、人は不安の原因が複雑であればあるほど、それを単純化し、分かりやすい「敵」を求めたくなる。複雑な原因を冷静に分析し、自らの状況を多角的に捉えるのは精神的にも負担が大きい。そこに、「日本人ファースト」というフレーズは、すべてを整理してくれる便利なラベルとして機能する。しかも、この言葉は「日本人の生活を第一に考えるのは当然だ」という前提のもと、不安の原因を外国人や他者に帰属させながらも、自分は差別主義者ではないと信じることもできる。その巧妙さゆえに、強い支持を得やすいのだ。
一方、既存の政党はそうした不安に寄り添わないのと言われているが、それは、要因の複雑さと、そこに軽々しく触れることが排外主義を助長する危うさをよく理解しているからでもある。むしろ「寄り添わない」のではなく、「寄り添えない」と言った方が近いのかもしれない。不安の感情には共感しつつも、それを単純化した敵意や排除の論理につなげず、冷静に制度設計や政策改善で応えようとする態度は、説明に時間も手間もかかり、即効性に欠ける。結果として、それが「既得権益の側」「庶民の痛みを理解しない」と受け取られてしまうことも少なくない。
だが、本来、目の前の問題は短絡的に外国人政策などで単純解決するものではなく、むしろその複雑さにこそ向き合わなければならない。不安の原因と社会の構造を冷静に捉え直し、地道に制度を再設計し、丁寧に説明していく。その困難さこそが政治の責任であり、不安を煽るだけの政治とは決定的に異なる点だ。
長い長いファイノン曇らせのメインを終えてエリュシオン探索してるけど癒やしすぎる
未着手だけど折り紙の小鳥ャンディークラッシュバトルは前回は結構おもしろくて癒やされたけど今回のはどうなんかな
ここここ、イベントトップのローアングル、からのサーフィン開始でカメラが後ろに回るところからのお尻
https://www.youtube.com/watch?v=tTMaCzcQYdo&t=1680s
アレー?ゼンゼロここまでやるゲームだっけ?と思ったけどそういや全然朱鳶やトリガーでお尻ぶるぶるさせてたわ
リンちゃんの水着もおしゃれながら透け上着と超ローライズの不思議ベルトパンツという凝りよう
いやそれにしてもコンテンツ開発量がエグすぎる
2.0であんだけ新しいマップとシステム作っといて次verにこんだけ作れるって常軌を逸している
最後の公式MADのエンドロールに社員ハンドルネームがずらーっと並んでたけど
雑に数えたかんじ開発チームざっと600人くらいいなかったか?ゼンゼロだけで?
運営・宣伝・その他の人員も入ってるのかもしれないけどそれにしても体制が巨大すぎる
最近調べ物してるときにチラッと目に入ったこのご当地旅行記事によると
https://www.hoyolab.com/article/37334157
miHoYoは上海に自社ビルを6つ持っていてさらに建設中のビルもあるので増えそうだ
えぇ?
という部分だが、これは量子力学における非局所性とマクロな因果律の崩壊をごちゃまぜにしてしまっている。
局所実在論(Local Realism)に基づく統計的予測と量子力学の予測(特に絡み合った粒子)の差を示すもの
局所性または実在性のいずれかが破れている。だが、因果律そのものが破れているわけではない。
ベルの不等式の破れは、あくまで「空間的に離れた系の間での非局所相関」の話。
一方で、タイムパラドックスとは時間軸上での出来事の自己干渉(過去への影響)。
これは空間的相関ではなく、時間的因果の閉路(Causalloop)に関する問題。
この区別をつけずに「因果律は崩れる」と述べるのは論理の誤射である。
驚くべきことに、最新の量子重力・量子情報理論ではタイムパラドックスが量子整合性によって回避されるという提案すら存在する。
たとえば、「Deutsch’sCTCモデル(量子コンピュータ理論)」では自己整合的な歴史のみが選ばれ、パラドックスは発生しない
つまり、量子論の非直感的な性質こそが、時間的自己矛盾を防ぐ機構として働く
主張 | 問題点 |
---|---|
ベルの不等式破れ→因果律崩壊 | ❌破れるのは「局所性と実在性」、因果律は崩壊していない |
因果律が絶対でないならタイムパラドックスも無効 | ❌タイムパラドックスは時間的な自己干渉の論理破綻の話 |
量子論は古典論と違うので無矛盾にできる | ❌実は量子論の一部はむしろ自己矛盾を防ぐよう設計されている |