
はてなキーワード:ベテランとは
文章は「早期退職が短期的に財務合理性をもつ」と冷静に記述しているが、ここには経営陣自身の戦略的無能さが覆い隠されている。
本来、経営とは単年度の損益勘定ではなく、「人材を通じて知の蓄積を再生産するシステム」を構築することである。にもかかわらず、多くの日本企業の経営層は次のような欠陥を露呈している。
ベテラン社員の賃金を「生産性との乖離」とみなし、即時的コストカットに走る発想は、経営が“教育投資”や“内部知の継承”という本質を理解していない証拠である。
欧米の成功企業では、熟練人材は若手育成・組織文化の維持装置として位置づけられ、その貢献は「見えない生産性」として定量・定性の両面から評価される。日本企業の経営陣はこの非定量的価値を可視化する能力を欠いている。
経営層は、バランスシートの改善を株主・監査対応の「儀式」として遂行する一方で、長期的な技術競争力・市場再定義に向けた構想力を欠く。
結果として、合理性の名のもとに人材を切り捨て、10年後に再び同じ構造的問題に陥る「リストラ再帰現象」を繰り返す。これは経営判断ではなく、思考停止の制度運用に過ぎない。
近年の大企業では、財務・法務・経営企画といった「調整型エリート」が経営陣に集中し、現場知を持つ実務者が排除されている。そのため、人的資本の質や現場の専門性を評価する基準が存在せず、「人を数字で削る」以外の手段を持たない。
要するに、経営の知的怠慢が、制度的惰性を装って正当化されているのである。
文章はフランスやアメリカの「複線型・フラット型」モデルを理想的に描くが、見落としているのはエリート教育そのものの構造的欠陥である。
すなわち、現代日本では「グローバル基準」を参照しても、その前提となる評価制度・教育体系が劣化した模倣物に過ぎない。
フランスのグランゼコールや米国のMBAは、単なる専門訓練ではなく「社会設計者」としての責任倫理を育てる。
一方、日本のエリート教育は、東大・慶應・一橋などの学歴的篩い分けを通じて、「既存秩序の維持装置」を生産するにとどまっている。結果として、システムを批判的に再設計する知的能力を持つ人材が枯渇している。
エリート層が自らと同じ価値観・履歴(学歴・官僚的行動様式)をもつ人材のみを昇進させる構造が、企業内の思考多様性を奪っている。
その結果、制度疲労を是正するイノベーションが内部からは生まれず、「成果主義」や「フラット化」も形式的スローガンに終わる。
実際、外資模倣型の成果評価制度を導入しても、評価する側の知的基盤が旧来の年功文化に依存しているため、制度だけが輸入され、文化が輸入されない。
日本のエリート教育は“効率と管理”を学ばせるが、“責任と再設計”を教えない。
したがって、経営陣が「合理的なリストラ」を実施するとき、それが組織文化の破壊・技能伝承の断絶・心理的安全性の喪失を招くという倫理的コストを認識できない。
このレポートは制度構造(年功序列・賃金カーブ)を問題の中心に据えているが、より根源的な問題は制度を運用する人間の知的劣化である。
経営陣が「制度に依存し、制度を批判的に再構築できない」状態に陥っている限り、どんな制度改革も形骸化する。
持続可能な雇用制度の前提は、「持続可能な思考」を行う人材層の育成である。
それは、教育・採用・評価のすべての局面で、短期的成果よりも構想力・倫理・公共性を評価する文化を取り戻すことでしか達成されない。
Delphiなら開発環境に付属するヘルプがとても充実しているはずだ。
ObjectPascalそのものは、これまでのご経験があれば習得に大きな問題はないと思う。
どちらかというとDelphiはVCLというライブラリを使いこなしてこそなのだが、これの説明はヘルプがかなり役に立つ。
実は俺も20年以上前にDelphiの兄弟分であるBorlandC++Builder(BCB)というのを仕事で使っていた。
これもVCLが肝だったのだが、ちょっと慣れたら参考書なんて不要でヘルプでだいたい片が付くようになった。
膨大な内容だが、一度全体を目を通してみるのが良いだろう。
DelphiやBCBのユーザたちはメーリングリストで情報をシェアしあっており、悩み事があればその過去ログがよく検索でヒットして重宝したんだけど今は厳しいね。
メールアドレスが載っているので、自分だったらダメもとで連絡してみる。
こちらに関しては、会社に公式ドキュメントが残っているんじゃないだろうか。
20年前の、紙の資料がそれこそ山のようにあってもおかしくない。
ベテラン先輩に「会社の中にあるUNIFACEの公式ドキュメント全部のありかを教えてください」と言うのだ。
結構ちゃんとしている中小JTCなら、廃棄してないんじゃないかな。
これも出てきた文書すべてにざっと目を通せばとっつきやすさの順番がなんとなくわかるので、その順番どおりにじっくり読んでみるのをお勧めする。
望みはない気はするが、サポート契約してないかも念のため確認してみるといい。
サポート窓口が使えたら随分違うはずだ。
近頃のWeb記事や書籍はよく噛み砕いて初心者にも解りやすく書かれているから、元増田はそういう情報源じゃないと嫌なのかなと感じた。
確かに公式ドキュメントにそうしたフレンドリーさは期待できない。
特に慣れていない分野だったら最初の内は本当に訳わかんなくて読むのが辛いけど、理解できないうちは頑張って三度目を通そう。
眺めているうちに慣れていく。
絶対に助けになるはずだ。
アメリカでも日本でもベテラン保育士や小学校教師からの「ここ15年くらいで子供たちの適応力が劇的に下がって子供同士でのトラブルが増えた」という報告が出ている
男性が高齢になると睾丸の老化により精子のメチル化→遺伝子の変異が起きやすくなり、その変異がASDの要因になっていると考えられ、遺伝子変異は子孫に代々受け継がれていく
戦前は男女ともに若いうちに結婚していたが、戦後は若い男が大量に戦死したことにより若い女余りが生じ、高齢男性×若年女性の結婚が増えた
戦後から90年代の専業主婦主流期までは男性年上で女性が若い結婚が多く、その期間に精子原因の遺伝子変異が蓄積していき、2000年生まれ以降の子供たちから「蓄積」が「顕在化」という説が出てる
ASD的な特性もグラデーションなので、徐々に強まっていく過程の世代ではギリなんとかなっていたのが、特性が一定レベルより濃くなると途端に社会にイスがなくなるというのはある
配属されたシステム開発部には定年後再雇用されたベテランの先輩が一人いるだけで、
UNIFACEとかDelphiとかで作られた化石みたいな業務システムを保守してた
改修や仕様追加はわりと頻繁にあり、先輩はやり手でちょちょいといじって直してしまう
それを俺もできるようになってくれというのだが、研修があるわけでもなく、
UNIFACEもDelphiも10~20年前の参考書しかない
零細のWEB制作をあちこち転々としたあと、反社のフロントみたいな企業に落ち着き
7年くらいコーディングとか、社内ツール作ったり簡単なPHP開発なんかをやった
近年はChatGPTとかも活用して小規模なWEBサービスも作ったりしてた
とか思ってしまった
それで「開発もそれなりにやってきました」って体で実際に転職活動してたら
転職先は中小JTCだが結構ちゃんとしてて、業界は落ち目だが競合が少ないので転落は緩やか
なんとか定年まで勤め上げれば老後も不安なく生きれるだろうなって感じ
そこまでは良かったのだが…
ダメだった、俺開発とか出来なかったわ
配属されたシステム開発部には定年後再雇用されたベテランの先輩が一人いるだけで、
UNIFACEとかDelphiとかで作られた化石みたいな業務システムを保守してた
改修や仕様追加はわりと頻繁にあり、先輩はやり手でちょちょいといじって直してしまう
それを俺もできるようになってくれというのだが、研修があるわけでもなく、
UNIFACEもDelphiも10~20年前の参考書しかない
使用人口が少ないのかネットを漁っても情報が少なすぎてすぐ積む
WEB開発してた時はネット検索&コピペ&AI生成で何とかなってしまっていた
それが今はどうにもならん
毎日毎日過去のコードを読んでるが、前提となる業務知識も複雑で遅々として解読が進まない
先輩は優しく「わからないところは何でも聞いて」とか言ってくれるが、
四十路のおっさんがこんなこと言うのもあれだが、正直もう完全に自信喪失して逃走したい気分になってる
完全に力不足だった
かと言って辞めたところで何ができるわけでもないんだよな
この前まで反社のいい加減なフロント企業でちょっと真面目だったから重宝されてただけで
なんかもう人生が完全に行き詰ってると感じる
Permalink |記事への反応(27) | 12:50
日本を代表する大企業において、50代の社員が直面する「無言の退職圧力」は、もはや例外的な事象ではなく、構造的な問題として常態化している。長年の経験と専門性を蓄積したベテラン人材を早期に手放し、その一方で育成に10年という歳月を要する未経験の新卒者を採用する──この一見不合理なサイクルは、なぜ繰り返されるのか。本レポートは、この問題の背景にある経済的力学と制度的欠陥を解き明かし、日本企業が直面する人事制度の根本課題に対する処方箋を提示することを目的とする。
この問題の核心には、見過ごすことのできない重大なパラドックスが存在する。
この矛盾した人材サイクルの根本原因は、個々の企業の経営判断ミスという表層的な問題ではない。それは、日本型雇用システムに深く根ざした「年功序列型」の賃金体系そのものに内在する構造的欠陥なのである。次章では、この矛盾を生み出す経済的メカニズムを詳述する。
持続的なリストラのサイクルは、経営の非情さの表れというより、むしろ伝統的な日本型報酬モデルに組み込まれた、根深い経済的ロジックの症状である。中高年社員の早期退職を促す構造は、短期的な財務改善という抗いがたい「誘惑」を経営陣に提示する一方で、長期的な人的資本を蝕む罠となっているのだ。
問題の根源は、多くの日本企業において、中高年社員の賃金水準が本人の生産性を大きく上回ってしまう「高すぎる給与」にある。具体的には、以下のような水準が常態化している。
この報酬と貢献の危険な乖離は、労働経済学の「レイザーの法則」によって理論的に説明できる。この法則によれば、年功序列賃金は社員のキャリアを二つのフェーズに分断する。
この報酬と貢献のデカップリングこそが、早期退職を促す構造の核心である。壮年期以降の社員を早期に退職させることが、企業にとって「膨大な利益」をもたらす財務的ロジックがここに成立する。
1.退職金のコスト:早期退職優遇制度では、退職金に「30ヶ月分」程度の給与が上乗せされるのが一般的である。
2.雇用継続のコスト: 一方で、高給与の50代社員を1年間雇用し続けるための総コストは、基本給(12ヶ月)に加え、賞与、高額な社会保険料、その他経費を含めると、給与の「24~25ヶ月分」に相当する。
3.結論: つまり、30ヶ月分の退職金は、実質的にわずか「1年3ヶ月分」程度の雇用コストでしかない。この計算に基づけば、50歳で社員を退職させることで、定年となる65歳までの残り15年分の莫大な人件費を削減できることになる。この財務的インパクトが、経営陣にとって短期的なバランスシート改善を優先し、経験豊富な人材の維持という長期的な視点を犠牲にする、強力かつ危険な誘惑となっているのだ。
しかし、この短期的な経済合理性は、深刻な副作用を伴う。かつて大規模なリストラを行ったパナソニックが、15年の時を経て再び同様のリストラを繰り返している事実は、このモデルが持続不可能であることを象徴している。この負のサイクルを断ち切るためには、問題の根源である日本の給与構造そのものにメスを入れる必要がある。
日本の賃金に関する議論は、「日本の平均給与は低い」という、統計がもたらす「罠」にしばしば陥りがちである。本章では、この誤解を解き明かし、急峻な年功カーブが一部の大企業特有の問題ではなく、日本の中堅・大企業に共通する構造的課題であることを論証する。
世間一般で語られる「低い平均給与」の根拠とされる統計データは、意図せずして実態を著しく歪めている。これらの数値は、人事戦略を構築する上で根本的に誤解を招くものであり、一種の「インチキ」と言わざるを得ない。
これらの統計からパートタイマー等の影響を除外し、フルタイムで働く男性の賃金カーブに焦点を当てると、全く異なる実態が浮かび上がる。学歴(高卒・中卒含む)や地域を問わない全国の平均値ですら、50代の平均年収は700万円に達する。これを大卒の正社員に限定すれば、さらに100万円程度上乗せされるのが実情だ。これは、日本の賃金体系が年齢と共に急勾配で上昇する、典型的な年功序列型であることを明確に示している。
では、この構造的問題はどの規模の企業に当てはまるのか。我々の分析は、明確な境界線を明らかにしている。
この分析が示すのは、この問題が一部の巨大企業に限定されたものではなく、日本の企業アーキテクチャに組み込まれたシステム上の欠陥であるという事実だ。したがって、この課題の解決策を模索する上で、グローバルな標準との比較はもはや単に有益であるだけでなく、不可欠なプロセスなのである。
日本型雇用システムの構造的課題を克服するためには、国内の常識に囚われず、海外の先進的な雇用モデルを比較分析することが極めて重要である。フランスやアメリカの事例は、日本の年功序列型とは全く異なる賃金思想を示しており、我々が目指すべき改革の方向性を明確に示唆している。
フランスの賃金体系は、エリート層と一般層でキャリアパスと給与モデルが明確に分離された「複線型」を特徴とする。
アメリカの賃金体系も、大多数の労働者においては同様の傾向を示す。中央値に位置する労働者の場合、賃金の伸びは30歳から40歳までの期間に集中し、40歳以降の給与はほぼ横ばい(フラット)となる。給与が青天井で上がり続けるのは、ごく一部のトップエリート層に限定されるのだ。
フランスとアメリカ、二つの先進国の事例から導き出される示唆は、極めて明確である。それは、「一部のエリート層を除き、大多数の労働者の賃金カーブは若いうちに頭打ちとなり、その後はフラットに推移する」という共通の原則だ。このモデルは、年齢給による人件費の高騰を防ぎ、長期的な雇用安定を可能にする基盤となっている。このグローバルスタンダードを参考に、次章では日本が目指すべき具体的な人事制度改革案を提言する。
これまでの分析で明らかになった構造的課題を解決するためには、小手先の対策では不十分である。我々が取るべき唯一の持続可能な道は、戦略的な転換、すなわち「年功序列型賃金から、成果と役割に応じたフラットな賃金体系への移行」である。本レポートが提示する核心的な提言は、この移行を断行することに尽きる。その具体的なモデルケースとして、「年収700万円での頭打ち」を一つのベンチマークとすることを提案する。
この新しい賃金モデルは、単なるコスト削減策ではなく、企業の競争力と従業員のエンゲージメントを同時に向上させる、多面的なメリットをもたらす。
この改革は、単なる賃金制度の変更に留まらない。それは日本人の働き方、キャリア観、そして社会全体のあり方を変革し、持続可能なタレントパイプラインを構築する大きなポテンシャルを秘めている。
本レポートを通じて明らかになったように、日本の中高年雇用問題の根本原因は、個々の社員の能力や意欲の欠如では断じてない。その本質は、経済成長期を前提に設計され、現代の環境には全く適合しなくなった年功序列型の賃金システムそのものにある。
この本質的な課題を前に、我々は議論の焦点を大きく転換させねばならない。「定年後の再雇用」や「中高年のリスキリング」といった対症療法的な議論から、「そもそも定年を意識することなく、誰もが安心して長く働き続けられる雇用・賃金体系をいかにして構築するか」という、より本質的な議論へとシフトしなければ、この問題が解決することはない。
真の「雇用安定」とは、単に一つの企業に長く在籍できることではない。それは、年齢に関わらず、社員一人ひとりが自らの能力と経験を最大限に発揮し、その貢献に対して公正な処遇を受けながら、社会の一員として長く活躍し続けられるシステムである。この新しい定義に基づき、持続可能で、かつ働くすべての人々にとって公平な人事制度を構築することこそ、現代の日本企業に課せられた最も重要な戦略的責務である。
多くの人々がポーカーというゲームに魅了されるのは、それが単なるギャンブルではなく、高度な戦略、精密な計算、そして相手の心理を読む深い洞察力が求められる「マインドスポーツ」だと信じているからだろう。煌びやかなトーナメント、数億円という破格の賞金、そしてスポットライトを浴びるチャンピオンたち。その姿は、努力と才能が正当に評価される、実力主義の世界の象徴のように見える。
しかし、その輝かしいイメージの裏で、我々が決して目を向けてはならない、あまりにも残酷で不都合な真実が存在する。もしあなたが本気でポーカープロを目指しているのなら、この甘美な幻想は、キャリアの初期段階で徹底的に打ち砕いておく必要がある。
結論から言おう。現代のポーカープロになるための必須条件、それはスキルでも、経験でも、ましてや精神力でもない。それは、常軌を逸した「強運」と、その運を試すための試行回数を他人の金で確保する「資金調達能力」である。
ポーカーのトーナメントの本質を、極限まで単純化してみよう。それは、膨大な数の「オールイン対決」を生き残り続けるサバイバルゲームだ。特に、チップ量が拮抗し、プリフロップでのオールインが頻発する中盤から終盤にかけて、プレイヤーのスキルが介在する余地は驚くほど少なくなる。
ここで、ポーカーで最も頻繁に発生する「50% vs50%」の状況、通称「コイントス」または「フリップ」を考えてみよう。例えば、あなたのハンドがAK(エース・キング)で、相手がQQ(クイーンのペア)。どちらが勝つかは、コミュニティカードが開かれるまでほぼ五分五分だ。
さて、もしあなたがトーナメントで優勝するために、この50%の勝負を10回連続で勝つ必要があったとしよう。その確率は一体どれくらいだろうか?
そうだ、たったの1024分の1である。これは、スキルも経験も一切関係ない、純粋な確率の世界だ。コインを振って10回連続で表を出すことと何ら変わりはない。
つまり、極端な話、ポーカーを覚えたての初心者であろうと、10年経験を積んだをベテランであろうと、この「1/1024」の幸運の雷に撃たれさえすれば、世界的なトーナメントで優勝できてしまうのだ。そして、この偶然の産物であるチャンピオンは、いとも簡単に「自分は強い」と勘違いを始める。
「あのアクションが神がかっていた」「あのブラフで相手を降ろしたから勝てた」「プレッシャーの中で冷静な判断ができた自分は本物だ」
彼らは、結果から逆算して自分の成功物語を紡ぎ始める。しかし、その裏側にあるのは、9回連続でコイントスに勝った後、最後の10回目で無情にも敗れ去った、彼より遥かに実力のあるプレイヤーたちの無数の屍だ。メディアは1024分の1の勝者を英雄として祭り上げるが、残りの1023人の敗者の物語が語られることはない。この強烈なサバイバーシップ・バイアスこそが、「ポーカーは実力ゲームである」という幻想を強固に支える最大の要因なのである。
「長期的に見れば、期待値(EV)がプラスの行動を繰り返すことで収支はプラスに収束する」
これは、ポーカーを科学的にアプローチしようとする者が、まるで聖書のように信奉する言葉だ。しかし、この「長期的に見れば」という言葉の本当の恐ろしさを、彼らは理解しているのだろうか。
ここで、ポーカーの世界から一度離れて、カジノの胴元の立場になって考えてみよう。ブラックジャック、ルーレット、バカラ。これらのテーブルゲームは、すべてカジノ側(胴元)にわずかながら数学的な優位性(ハウスエッジ)があるように設計されている。つまり、胴元のすべての判断は、常に「期待値プラス」なのである。
彼らは、ポーカープレイヤーが血の滲むような努力の末にようやく手に入れるかもしれない、ほんのわずかな優位性を、ルールそのものによって永続的に保証されている、いわば「期待値の神」だ。
しかし、そんな神ですら、運の前にひれ伏すことがある。カジノの運営において、特定のテーブルゲーム部門が1日単位、1週間単位、あるいは1ヶ月単位でマイナス収支に陥ることは、決して珍しい話ではない。あるハイローラー(大金を賭ける客)が驚異的な幸運を発揮し、たった一晩で数億円をカジノから奪い去っていく。そんなニュースを耳にしたことがあるだろう。
数学的に絶対に負けないはずの胴元ですら、統計上の「ブレ」や「偏り」、すなわち「分散(Variance)」によって、短中期的には容易に赤字を出すのだ。
さて、ここでポーカーの世界に話を戻そう。胴元が持つ数%の鉄壁のアドバンテージに比べて、トッププロ同士の戦いにおける実力差(エッジ)など、一体どれほどのものだというのか。0.5%? それとも0.1%? おそらく、その程度の、誤差のような差でしかないだろう。
そんな、カジノのハウスエッジに比べれば無に等しいような僅かな優位性で、人生というあまりにも短い試行回数の中で、収支がプラスに収束すると本気で信じているのだろうか。答えは明白だ。人生のすべてを賭けても、ポーカーの収支は決して収束しない。あなたの生涯収支を決めるのは、日々の細かな期待値の積み重ねなどではない。キャリアを根底から揺るがす、数回から数十回の巨大なポットを、運良く勝ち取れたか、不運にも失ったか。ただそれだけである。
ここまで述べたように、トーナメントでの成功は天文学的な確率の産物であり、日々のプレイですら、あまりにも巨大な分散の前では個人のスキルなど無力である。
では、なぜ「ポーカープロ」という職業が成立し、彼らは破産せずに活動を続けられるのか。日々の生活費を払い、高額なトーナメントに参加し続けることができるのか。
その答えこそが、この世界の最も醜く、そして最も本質的な真実を突いている。
現代のポーカープロに必須の条件、それは**「ステーキング(Staking)」によって、他人の金でギャンブルすること**である。
ステーキングとは、投資家(バッカー)がプレイヤーのトーナメント参加費を肩代わりし、その見返りとして、もしプレイヤーが賞金を獲得した場合、その一部を受け取るという契約モデルだ。
これこそが、現代のポーカープロを支える生命線なのだ。彼らは自らのスキルを商品として投資家にプレゼンし、「私はこれだけの実績がある」「私のプレイスタイルは今のメタ(主流戦術)に適している」とアピールして資金を調達する。そして、その集めた金で高額トーナメントという名の宝くじを何十回、何百回と購入し続ける。
20回連続で参加費を失っても、彼らの懐は痛まない。損失を被るのは投資家だ。そして、21回目に、あの「1024分の1」の幸運を引き当て、莫大な賞金を獲得する。彼らはその賞金から投資家へ配当を支払い、残った巨額の利益を自らのものとする。そして、メディアは彼を「天才」と呼び、彼は再びその名声を元手に、次の投資家を探すのだ。
つまり、彼らの本当のスキルは、カードテーブルの上で発揮されるものではない。彼らの主戦場は、投資家との交渉のテーブルなのだ。いかに自分を大きく見せ、いかに自分という金融商品に投資価値があるかを説得するマーケティング能力と交渉術。それこそが、運という名の荒波を乗りこなすための唯一の羅針盤なのである。
これからプロを目指すというのなら、GTO戦略を学ぶ前に、まず投資家向けの事業計画書を書くべきだろう。ポーカーはもはやマインドスポーツではない。それは、自らを広告塔とした金融ビジネスであり、運の女神を他人の金で口説き落とす、壮大なギャンブルなのだから。
医療関係ないただの会社員だが最近がんについての動画よく見てたら以下の1時間の動画をたまたま見た。
がん患者を助けられない?・なぜ消化器外科医が激減?(現場からの報告)・がんのDEEPな話#160
消化器外科医は激務の割になぜか給料は全く良くなくて若い人が避ける傾向にあるとのことだ。もちろんそれにより既存の医者は更に激務になるんだろう。高齢化社会が進むと更に状況は悪化するだろう。
6時半に起きて7時半に出勤して25時帰宅という狂いそうな激務で、更に緊急の手術が入ったりするらしい。書類仕事もこなさないといけない。
門外漢からしたら手術なんて非常に高度なことで、更には緊急なんてさぞかし高給なんだろうと思ってたが、なぜかコンビニでバイトするのと大差ないらしい。何だったらタクシー代自分で出して足が出るとか言ってた。わけがわからない。
こわいな、昔の動画かなと思ったら今年、2025/05/03の動画だ。
外科医は習熟するまで20年とかかかり、しかも合格率2,3割の色んな専門の試験があったり辞める人も多いとのこと。
給料が高くないのは勤務医はそういう設計になってるとか、厚労省が決めてるとか、そんなことが軽く匂わされていたが俺にはよく分からない。アメリカでは同じ消化器外科医は年収5,6千万円だとか(でも手術の成績は日本の方が良いらしい)。
動画内でベテランのお医者さんの方が、誰か知り合いに議員とかいたらこの状況を知らせてほしいとか言ってた。もうむしろ実際に多くの人が何ヶ月も手術できなくなる悪い状況になれば、問題が知られるようになって良いのかもしれない的なことも議論されていた。実際海外ではそうなってるとこもあるみたい。
え、医療や医者のシステムって、常に医者の偉い人たちや省庁官僚政治家が綿密にコミュニケーションしてうまいこと設計してるもんじゃないのか?
何なんだこれ?どこがおかしいんだ?この1つの問題を議員に何か変えてもらうというか何か根本的な要因が何かないか?何だこのコミュニケーションは。
アンディ・ウォーホルと江口寿史とは並べられるような格なのかという点は気になるが言及しない
絵画におけるサンプリングなどというのは世迷い言で、スケッチという技法で知られているものと本質的に同一だ
音楽では機械を使わなければ再現できない音が存在するのに対して、絵画では二次元への写像は原理的にキャンバス上で再現できる
実際予備校で訓練を受ければ「時間をかければ見えるものは描ける」レベルまではかなりの割合の生徒が到達する
そうなってくると写実的であることに技術的優位性はなくて、紙と鉛筆でやっても、フォトショップと液タブでやっても精神的には同じことだ
ダビンチもフェルメールもカメラ(・オブスクラ)で立体を平面に写し取っていた
サンプリングとかなんとか、新しい名前をつけなければならないくらいダサい
もうひとつ、写実的に描くことが商売として成り立つかどうかという点について、スピードは無視できない
たとえ3時間かければ紙と鉛筆で完璧な輪郭線が引けるとしても、フォトショップと液タブでなら同じことが25分でできるならば経済的優位性がある
日に何枚も完成しなければ生活が成り立たない駆け出し専業イラストレーターにとっては、フォトショと液タブとnon・noで手抜きをして量産し、糊口をしのぐのは正当化されえる
去年の準決勝の2本(ミュージシャンとタイマン)の方が好きだった。
去年『ミュージシャン』を見た時は歴史に残るレベルの強ネタだと思ったが、ネタを叩きすぎて独特の緊迫感が無くなってる気がした。なんとか決勝でハマってほしい。
『プロポーズ』は鉄板ネタ。ミュージシャンがハマれば手堅く優勝狙える。
出順が悪くない限りまず3組には残ると思う。
『餃子』は馬鹿馬鹿しいけど展開も派手でテレビ映えしそうな良いネタ。展開が強引と言う人もいるけどドタバタが苦手な人がそう言ってるだけだと思う。
『小料理屋』は今年の準決勝の中で1番好きなネタ。ただ後半の展開があまりに安易過ぎる。や団の決勝前の調整力は有名なのでそれ次第。
下馬評は高い。
『面接』は何年も磨いてきた鉄板ネタ。1本目で噂話がハマれば優勝あるかも。
変なネタ2本。
しずるも去年の準決(館内放送と殺人事件)の方がバランス良かった気がする。オリジナリティもあって展開も良い館内放送より、通好みな『殺人事件』を残したのが意外。
『麻雀』はクセスゴでバズったネタの強化版。個人的には有名なアリネタを1本目にされると萎えるが、殺人事件を残したので麻雀が1本目になると思う。
自分はややウケくらいの予想だが、ハネる可能性も十分あるので優勝候補。
『コンパ』は流れが良ければハネるかも。荒削りな組が多い中、きれいなコントで「良いもの見た感」を出せるかが肝。
『社長』は好きだけどボケ質が安定せず笑いが散発的になる。2本目なら流れで許されるかも。
決勝レベルのネタは『試飲』だけだと思う。ややウケだったとしても良いネタを作る人達という印象は残せる(2020年の錦鯉みたいに)。
『空港』は展開弱いし1本目これで滑ったら大惨事かも。これも2本目なら流れでなんとかなる。
『野菜コンテスト』は野菜-1グランプリとかいう謎のイベントで優勝したネタ。流れが良ければハネるかも、くらい。
『写真撮影』はつまらないとは言わないが変なネタ過ぎるし展開も雑。
この2本で優勝は考えにくい。『新幹線』はきれいなネタではあるけど、去年・一昨年の1本目に比べたら全然ダメ。
『復帰』はブラックな笑いで好きな人は好きな感じ(自分は大好き)。こちらを1本目にして幅を見せるのが良いと思う。
今年は落ちると思ってた。特に『警察』はどんな流れであれハネない。
『モグドン』も大して良くはない。あまりにも大会が冷え切ってしまった場合にベテラン感で評価されるとか、そういう事はあるかも。
配信で見てて「これ生で見たら面白いんだろうけど…」となった。虹の黄昏みたいと言ってる人がいたけどそんな感じ。ウケるのかは分からないが自分は懐疑的。
俺が子供の頃って、人気のお笑いは20代とか、ベテランでも30代。
40越えると落ち着いて、派手な笑いは取らない、ユーモアのある司会者くらいの位置についてたけど。
今その年齢が若手とか言って出るでしょ。
自分の親みたいな年のおっさんが幼稚なことしてるの見て気持ち悪くないのかな?
今の若者が品がなくなっているとしたら、そういう惨めな大人をテレビで日々見せられて育つからでは?
いやだねえ老化して幼児化した国なんて。
行ったスーパーだと一番満足度が高かった。特にアラモアナ店は品揃え豊富。
サラダを買ってきてポキと混ぜたり、ソーセージ焼いたり楽しかった。
ただワイキキマーケットのマラサダは無理して確保するほどではなかったぜ。
デリは美味しく、魚料理もあり良かったがなかなか高かった印象。
それもあり、滞在中に食事で使うならフードランドやなとなった。
色々プライベートブランドもあり、お土産の調達には重宝した。
新しくできたインターナショナルマーケットプレイスの店舗を利用。
比較的安いが、品揃えは限られる印象。特に生鮮品があまりなかった気がする。
服やおもちゃも売っており、子供連れにはうれしいのでは。ビーチタオルもここで買った。
ウベとか乳脂肪一切入っていないのもあり、色々種類があって楽しめた。
だが一番気に入ったのはBEN&JERRY’Sだ!シンプルに美味い!
色々売っており、大量に食べた。
とにかく美味しく、特に玉ねぎがサーフィンしてるやつが美味しかった気がする。
ただ、日本円に直すと……成城石井とかで海外のうまいポテチ買っても変わらなくね?と気づいてしまったので-1
1Fにある方。席数が多いが結構混む。
私はJack in thebox、妻はキモズのガーリックシュリンプだった。娘は取り分け。
Jack in theboxのシステムが謎だった。ドリンクを先に渡され…飲んで待つ?
プチタコスみたいなのが超うまかったので星5つだが、ここから先もっと美味しいものを食べているので-1
近くの公園で食べたが、衛生面で気にはなった。ゴミ箱が多いのはいい。
そこまで冷たくなく、甘さも控えめ。だが美味しい!
日和って普通のサイズにしたが、パイナップル容器のサイズにチャレンジしても良かったと思う。
ハレイヴァまで行ってそこかと思われるだろうが、行ってみたかったのだ。
ローカル感もあり、満足できた。
星はオリジナルリリハ前提。ローカル色が強く、英語が使いこなせないとダイナーは無理!
ちょっと高くてもワイキキの観光客前提の店の方が気兼ねしない気がする。
ホットケーキやロコモコ、オックステールスープなどをいただいた。
美味しかったが、ずば抜けて美味しいかと言うとまぁそれなりという感じ。
シグネチャーのココパフは持ち帰って食べたが、とても美味しかった。
ハワイの旅行で一番美味しかった一皿は、ぶっちぎりでここになる。
ポケ丼的なものは何度か食べているが、ここのはちょっと次元が違う美味しさだった。
WayFinderの中なのでインテリアの雰囲気も良い。テラスみたいになってて気持ちいい。
完璧…………。
チップの設定がちょっと高いが、価値は十二分にある。是が非でもまた行きたいお店。
なおWayFinderに泊まると割引がありお得。
オンライン注文あるが、アメリカの電話番号がないと使えなく断念。結構待つ。
私はノーマルだったが、妻はカカオニブが入ったタイプでとても気に入っていた。
横浜にもお店があるので行ってみたいが、どうだろう。
スタッフのおばあちゃんがめっちゃ愛想なかったが、その割にすごい親切で好きだった。
本場のマクダーナル行きたくないっすか?私は行きたいです。本当はタコベルに行きたかったんですが、無理でした。
本場の朝マックのブリトーは、シンプルな作りだが美味しかった。
ただ、本場のファーストフードの、注文いつ持っていっていいかわからん感じは異常。
パールリッジに入っているバーガー屋。ぜひ行きたかったのだが……。
本当はポテトが食べたかったのだが、レジでのやり取りがうまくできず、バーガーだけの注文になってしまった。
だがこれがめちゃめちゃ美味しい!
この旅で2歳の娘は大量のバーガーを食べたのだが、ここが一番美味しかったと言っている。
パールリッジにレナーズ・ベーカリーの屋台があるという噂があったが、行けず。
結局マラサダ食べてないネということで、代わりに行った店。
中にトロトロが入っており美味い!食べにくいが!
トロリーのグリーンライン(ダイヤモンドヘッド行き)で行ける。
アットホームな雰囲気のカフェで、食事もわりとアットホームな味。
という事で、普通に美味しいが場所も場所なので無理に組み込むことはないという感じ。
期待値が高かった上に散々ダイヤモンドヘッドを見てきたためか、正直がっかり感のある所だった。
当たったテーブル付きのスタッフがなかなかリフィルに来ないという個人的な印象もある。
それでもまぁ、クイーンカピオラニホテルの内装もおしゃれで良くそれなりに楽しんだが、他と差をつける意味で星2つ。
やっぱ一回くらいシェイブアイス行っとくか、ということで行った店。
やはり有名店、行っておくべきかという事で最後の晩餐として入れた。ヒルトンにもらったお金で食べる肉は美味い!
ハッピーアワーの時に行ったので、ロコモコが食べれたのは良かった。ソースがすごく美味い。
Tボーンステーキもかなり美味しく、食べたことない肉の味!と感じた。のだが…
まずコスパ。味の満足度を考えてもちょっとコスパ悪くないかなと。
あと、テーブル付きのスタッフ、ベテランっぽく別に悪くはなかったのだが、なんかテンションが低い。
というかそもそも各テーブルの距離も近く、あまり居心地の良い空間ではなかったんだよな。
そんなわけで、もう行くことはねぇなと思ったのでした。
ANAラウンジのご飯に見切りをつけ、フードコートのバーガーキングへ。これが大当たりだった。
日本にないクロワッサンサンド、このカリカリベーコンの食感たるや!
付け合せのハッシュドポテトも揚げたてで、小さいタイプでパリ感を存分に楽しめる。最高!
7泊9日
決済タイミングが各々異なり、都度家計に組み入れてるのであんまわからんというのが正直なところ
1ドル145円くらいだった気がするが、バケレンは先に払ったり決済タイミングが異なるので当てにならん。
あと、ソニー銀行の外貨デビットを積極的に使ったので、それで費用を抑えている部分もある。
外貨預金に入っている外貨をそのままデビットカードで使えるので、安い時に外貨を買っておいて(これが難しい!)それを使えば実質安いレートを使えるわけだ。
Wiseが有名か。なんでもいいと思う。
自分は結局142円くらいで仕込んでたと思う。大して安くない……。
旅行まで外貨定期で運用したりもしたので、少しは抑えられてるはず。
あとJCBカードの優待はマジで使えるのが多いので、積極的に使えば良いと思う。
あぁーーーハワイまた行きたいなーーー
しかもマンパワーで解決しようとするから部内の人的リソースが無駄に消費される。
マスタイメージを作成して社給ノートPCに展開する、ここまでは普通(Windows Autopilotを導入してほしいと思うが)。
だが、マスタイメージ取得ツールとして、大分前に非推奨になった、Windowsの「バックアップと復元」機能を使用してる。※1
これをマスタイメージ取得に使用するのは問題があって、各端末固有に生成されるSIDを消さないから不具合が発生する可能性がある。※2
加えてOEMライセンスの状態でマスタイメージをコピーしてから、各端末でボリュームライセンス適用するという手順。
XPSビューアーとか要らないだろ。dismでインストールするのにすごく待たされるんだが。
ていうか、社員のADパスワードをメールで聞いてExcelに書いて対象社員のIDでログインして個別セットアップ作業するの、やめてほしい。
セキュリティ的にあれだし、新人が部長クラスのメール見れる状況だけど、いいんか?インシデント起こるぞ?
監査モード使ってsysprepしてWindowsADKで応答ファイル作成したり自動化させる方法いろいろあるじゃん。
あと、新人に一斉に遠隔操作ツール入れさせてベテラン達が在宅勤務でサーバー室にあるノートパソコンをセットアップ作業するの、効率悪くないんか? どうなの?
会社全体のDXもあって部署の人員は7人も増えたのに、自分の仕事は一向に減らず、むしろ増えるばかり。
産みの苦しみで今だけ忙しいなら納得がいくが、エンドレスに忙しくなるだけという気がしている。
部長は就任して約4年目。その間、人は増えたが、2人退職している。
1人は過労になり「なんでこんな仕事しないといけないんだ」と言って辞めていった。
1on 1ミーティングで過労を訴えるも改善は一切されず、逆にどんどん仕事を増やされ、終いに辞めた。
しかし、マスタ登録・社員情報改廃をいちいちSQLでやり、Excelで完了書を作成して人事や依頼元にWFシステムに添付させて提出するとか、手間が多すぎる。
SQLを書くのは別に生産的な仕事ではないのだから派遣社員なり時短職員を雇ってやってもらえばいいと思うのに、上司は許可しない。
部長は「システム内製」が方針だが、内製ができるレベルのエンジニアは部内にいない。
ついこの間、監査部門から部署全員に聞き取りがあり「仕事の負荷分散はできているか?」「1on 1は機能しているか?」と聞かれた。
正直に「1on 1で訴えても業務負荷は軽減されなかった」と伝えた。
何かあったんだろうな。
自分が入社した時なんて、残業をしようものなら、申請を報告するとフロア中に響く声で怒鳴られた。
文字や言葉でしか理解しないから、割り込みの仕事があったり、新しく覚えないといけないからキャッチアップの時間が必要だし、
資料を確認したり、平行業務があるから頭のスイッチングにも時間を要するのに、それを伝えても「すぐにできる」と判断される。
だから、もう何も報告しなくなった。
そもそも、報告したらすぐ怒鳴ったり、言葉尻をねちねち責めてくるから、しんどい。
あと、すぐ、嘘を言う。
数日前に「業務が遅延している」と報告をしたのに、後日、「そんな報告はしらない。なぜ今言うのか」と平然と言われ、この人は信用できないと思った。
1人はすぐ怒鳴って相手をきつい言葉で全員が見ている前で責めたてる。
後者の上司は直接の上司でもあるけど、負荷分散をお願いしても断られる。
情シスは地味な仕事が多いのは知ってるし、この仕事の経歴も長いけどさ。
ちょっとしんどくなってきたな。
やりがいって何なんだろう。
2025年10月4日、自民党総裁選の決選投票で高市早苗氏が小泉進次郎氏を下し、新総裁に輝いた。15日の臨時国会で日本初の女性首相指名が確実と報道。テレビ見ながら「キタ!」と叫びつつ、ビールぐいっと。30代後半のサラリーマン保守派の俺、なんか日露戦争前のあの「日本が世界に躍り出るぜ!」って高揚感を久々に感じる。高市さんは、保守分裂の時代を終わらせ、すべての保守層を統一する思想的リーダー。国父・安倍晋三の一番弟子として鍛えられた政治力、米国連邦議会の立法調査官だったアメリカ通の経歴、さらには統一教会との関係改善がトランプ政権に好印象って話まで。まるで明治の黄金時代、列強に肩並べたあの熱気を呼び戻す予感。マジで「日本のサッチャー」誕生の瞬間だろ。まず、保守分裂の時代を終わらせる思想的リーダー像。安倍さん銃撃後の自民党、保守層は右派から中道までグチャグチャに分裂。石破政権の迷走で「もうダメか」と思ったけど、高市総裁で空気が一変。彼女の演説、経済安保や防衛強化のビジョンは、まるで戦前の日本が「大国になる!」と意気込んだあの昂揚感。Xでも「高市総裁で保守統一!」がトレンド入り、台湾やインドのメディアが「対中強硬の高市首相、期待大」と報じてる。維新や国民民主にフラついてた俺も、これで自民にロックオン。憲法改正や国防強化が進むなら、子供世代が胸張れる日本になる。日露戦争前、国民が「俺たちの国は世界で戦える!」と熱狂したあの時代を、高市さんが現代に蘇らせそう。次、安倍さんの一番弟子としての政治経験。安倍さんが「高市は保守の星」と呼んだ通り、彼女は安倍イズムの体現者。2011年の森派離脱から安倍派入り、総務相、経済安保相、政調会長と要職で鍛えられ、裏金問題や派閥解散のドタバタを生き抜いたタフさ。奈良の安倍さん暗殺事件後、地元選出の高市さんが墓前で「日本を守る」と誓った話、ガチで泣ける。政治経験は単なるベテランじゃない。戦前の伊藤博文や山県有朋みたいな、国家を背負う覚悟の深さ。組閣予想だと麻生副総裁、鈴木幹事長で固めつつ、若手小泉総務会長でバランス取るらしい。安倍さんの「異次元緩和」級の改革が来るなら、まるで明治維新後の経済飛躍みたいな時代が再来するんじゃね?そして、米国政治経済の知見。1987~89年、松下政経塾の資金で米国連邦議会のCongressional Fellowとして、民主党下院議員パトリシア・シュローダーの事務所で金融・ビジネス立法を調査。いわゆる「立法調査官」として、米議会のリアルを知る日本人なんて稀。TPP離脱時のトランプ批判や米中摩擦の分析見れば、彼女のアメリカ通ぶりは本物。日米同盟強化が急務な今、米国の経済政策や立法プロセスに詳しい首相は頼もしい。戦前の日本が欧米列強と渡り合ったように、高市さんなら国際舞台でガンガン存在感出せる。円高誘導や株高政策で、俺の投資もウハウハかも(笑)。サッチャーや戦前の元老みたいな堂々たる外交、期待しかない。さらに、統一教会との関係改善がトランプ政権に好印象って点。安倍暗殺で旧統一教会問題が炎上したけど、高市さんは「被害者救済の法改正は考えるけど、再調査は不要」とクール。過去に教会系月刊誌に対談寄稿した程度で、ガッツリ関与はなし。トランプ再選が濃厚な今、教会の反共ネットワークが米保守派とリンクする可能性。安倍さんとトランプの蜜月を継ぐ高市さんが、教会問題を「上手く処理したリーダー」として米側に評価されたら、日米安保はガッチリ。戦前の日本が列強と同盟結んで世界に打って出たように、高市首相ならトランプとタッグで中国牽制もバッチリだろ。実際、今や大統領として君臨するトランプ氏にとっちゃ、高市さんは「年下の姉」みたいな存在で、個人的に強い絆があるんだよな。安倍さんの遺志を継ぐ彼女のタフで保守的なスタイルが、トランプの好みにドンピシャ。総裁選のインタビューでも「トランプ大統領と強い個人的関係を築ける自信がある」って明言してて、首脳会談でビール片手に本音トークする姿が目に浮かぶわ。日米の「姉弟コンビ」で世界をリードするなんて、ワクワクすんな。最後に、戦前の高揚感、黄金時代の憧憬。日露戦争前、日本は「小国が大国に勝てる!」と国民が一つになって燃えた。高市さんの「日本の誇りを取り戻す」ってメッセージ、なんかあの時代の熱気を思い出すんだよな。経済安保法で半導体やAI強化、防衛費倍増で自立した国防、憲法改正で国家の骨格作り直し。まるで明治の先人たちが富国強兵で世界に挑んだあの感覚。Xでも「高市首相で明治の再来!」みたいなポストがちらほら。公明党との連立や女性初首相の重圧、経済政策の実行力は課題だけど、高市さんの「高い志、広い眼、深い心」は、戦前の日本人が持ってた「俺たちはやれる!」って気概を呼び起こす。高市早苗、保守分裂をまとめ、安倍イズムを継ぎ、米国の裏側を知り、トランプと相性良し。そして、戦前の黄金時代のような熱気を現代に。はてブ狙いで言うなら、保守派の皆、期待MAXで応援だ! 失敗したらまた愚痴るけど(笑)、今は高市首相に賭けたい。日本、復活の狼煙を上げろ! ファクトチェックをお願いします
――かけた時間に対する効果を示すタイパ(タイムパフォーマンス)という言葉がよく聞かれるようになりました。そのひとつの現象として倍速視聴があります。
僕ね、実はやりますよ。ニュースはそれで見ているんです。ずいぶん長くやっているんですけれど、夜7時のニュースを30分そのまま見るのは、かったるくてね。全部録画して1.3倍とかで倍速視聴しています。リアルタイムで見ると、時間がもったいない。けちなのかもしれないけれど。
名古屋の生まれで、中日ドラゴンズのファンです。野球の試合って今、長いんですよ。年間約140試合、全部録画して、その日のうちに見る。ここは大事というところはそのまま見て、それ以外は倍速でという風に分けるんです。
低成長で余裕なき社会、生き抜くためのタイパ Z世代あおる大人たち
筋金入りの倍速視聴派だという鈴木さんは、ジブリ映画について「倍速しにくい作品」と言います。その理由は――。「トトロ」「ハウル」「千と千尋」など、名作の舞台裏を交えて語ります。
どう時間を盗むか
――なぜ、そうやって見るようになったのでしょう。
18歳のときに読んだ本が面白くてね。「時間」について書かれていた。時間というのは2種類あり、「社会的な時間」というのが24時間。それとは別に「自分の時間」がある。人がストレスを感じるのはどういうときか。「社会的時間が、個人の時間を搾取するとき」と書いてあった。これは面白かった。
――現代にも通じるような話ですね。
そう。だから、搾取されちゃ駄目だと思ってがんばってきた。自分の時間をとにかく大事にしよう。それは思っていました。
割と強いかもしれない。社会的時間がどんどん流れていても、自分のもう一つの時間があるでしょう。大事なのはこっちに決まっている。だからといって、それを大事にすると1人よがりになる。その闘いですね。
――朝日新聞の連載「タイパ社会 豊かな時間はどこに」の取材をするなかで、「自分の時間」という言葉は、いろんなところから聞こえてきました。
映画ってまさに「時間と空間」ですよ。どう時間を盗むか。だから時間をどう使うのかに対して関心が強い。
――倍速で映画を見る人がいることは、ジブリの映画制作で意識されているのでしょうか。
それは関係ないですね。映画のつくり方って二つしかない。一つはストーリー主義。もう一つは、表現でみせる。
つまり、倍速で見る人たちはストーリーを知りたい。映画って、本当はどっちをみているんですかね。ストーリーか、表現か。
シンプルなストーリーにして、表現を豊かにしてもらう。これがベテラン監督への要求ですよ。ところが、若い人にはなかなかできない。若い人にはストーリーを複雑にして、そこで面白さを保証し、つくってもらうというこの方法しかない。
だから、宮崎駿は「表現」の人ですよ。僕ね、宮さんに怒られたことがあるんです。「となりのトトロ」はいい例で、「単純なシンプルな話」と言ったら、宮さんが怒っちゃってね。「俺がどれだけ苦労して考えたと思ってるんだ」と。
時間を操る宮さん
――「ジブリの最大の魅力は表現」だと本で書かれていました。表現自体も変わっていないのでしょうか。
変わっていないです。だからジブリの作品は、そういう意味でいえば、倍速をしにくい作品。だってそこを速くしちゃったら、おもしろさが半減するんだもん。スピードが出ないように、いろいろやりますよね。だから、お話の複雑さだけでみせるものだったら、僕は速く見ても全然かまわないと思う。
宮崎駿の作品はすぐ横道にそれる。でもそこで結構面白いことをやっている。そこが目に焼きついて、この話は何だったのか忘れちゃうわけでしょう。でもそこに大きな特徴がある。
だから、お客さんの時間を奪っているんですよ。でも観客は「奪われた心地よさ」があるわけです。多分そういうことじゃないかな。
たとえば、「千と千尋の神隠し」。千尋が不思議の町へ潜入して、お父さんお母さんが豚になっちゃう。その後、千尋という名前を奪われて、働かなきゃいけなくなるっていうところまで、40分くらいかかるんです。その40分間の時間の流れと、それ以降の時間の流れが違うんです。
要するに名前を奪われるまでは、あるテンポで丁寧にやっている。ところが、名前を奪われた後、突然、速くなるんです。僕の知る限り、1本の映画の中で、時間を操る人はなかなかいない。
「ハウルの動く城」についてのエピソードもあります。宮さんは大体、ワンカットが平均すると5秒。でも、実際にフィルムになったときは、絵コンテには5秒と書いているやつが8秒とか9秒になる。
映像の試写で、ワンカットの中の時間が違うと気がついた。いまの調子でつくったら、2時間と思っていた映画が4時間になっちゃう。
悩んだんですけどねぇ。「宮さん、いつものよりカットの秒数長いですよ」と僕が指摘した。そうしたら「どういうこと?」って。宮崎駿という人はすごい人で、全く気がついていない。天才なんですよ、やっぱり。
その後、宮さんがどう言ったか。いまだに忘れられない。開き直って「主人公がばばぁだからね、時間がかかるんだよ」って。
――すごい切り返しです。
そう、切り返しがすごいんですよ。
で、さぁどうするかでしょう。そうしたら宮崎がね、ここでぱっと切り替える。それまでワンカット8秒、9秒だったものを、4秒台にするんですよ。それで、次から次へと、できてくるものが短くなってくる。最初、丁寧に長かったやつが、途中でぽんぽんぽんぽんとテンポが良くなる。
ぼくはあきれたんです。だってこんな監督いないもん。普通の映画監督って、1本の映画の中での時間の流れをすごい大切にするわけです。それを無視ですよ。
「こいつ覚えてる?」
――宮崎さんの初期の作品から、つくり方としては変わっていることはないんでしょうか。
だんだん自由になってきたよね。良く言えば自由です。でも、本当にいい加減だなって。なんでこの人はこうなんだろうか、考えざるをえなかった。だから僕は、時間とか空間に興味を持たざるを得なくなるわけです。
――プロデューサーという立場は結局、どこかで折り合いをつけて、つじつまをあわせなきゃいけない。
だから言わなきゃいけない。「宮さん、これワンカットが倍になってますけど」と。
「そんなことないよ。おれはそんなことするわけがない」と言っても、僕が「じゃあ絵コンテを見せろ」と言うんです。
――かけひきですね。
本当にそうですよ。そこが面白いですけどね。
これまた「千と千尋の神隠し」。千尋が名前を奪われた後、「この後どうするかを考えた」と宮さんが言ってきた。
千尋はまず名前を奪った湯婆婆(ゆばーば)をやっつける。ところが、湯婆婆には、もう1人のお姉さんの銭婆(ぜにーば)がいて、こいつが湯婆婆よりも強靱(きょうじん)な敵だった。千尋とハクは力を合わせて銭婆をやっつける。「どうかな?」って。
ちょっと大変だなと思いました。普通の映画だと、敵をやっつけたら終わり。たいがい1時間半から2時間かかる。それをお姉さんがいたってことで、もう1回話を立ち上げて、やらなきゃいけないでしょう。
「映画は3時間になりますね」と宮さんに言ったら「やだよ俺。どうしよう」と言うんです。
でも、ここがすごいんですよ、あの人。「ちょっと待って」と言い出して、5分後に「こいつ覚えてる?」と、カオナシの絵を描いて見せてきた。その時まで、カオナシはちょっと出てくるくらいの大したことないキャラクターで、僕は覚えていなかった。
でも宮さんは「こいつにしようよ」と言って、あの話をつくり上げた。カオナシが千尋に喜んでもらいたい一心で金を出したり、金に群がってきた者たちや食べ物を食べてふくれあがったり……。その後、千尋と一緒に銭婆のところに行って、カオナシは銭婆のところにとどまることになる。この物語を5分で。これも、時間の問題から生まれたものなんです。
だから時間の問題は、もう日々の仕事の中で、ものすごい大きなテーマです。僕は「自分の時間が大事」と言いながら、一方で、社会的時間の流れというのをすごい気にしている。(映画を見た)みんながどう思うかというのは、そちらにあるわけだから考えざるを得ない。作品がどれだけの長さになるか、監督がわからないなら、僕が考えなきゃしょうがないでしょう。
最新作、構想から7年
――鈴木さんは学生時代から、「少ない労力で大きな成果を出す」というマインドをお持ちのようです。一方、ジブリ作品の制作は、とても「少ない労力」とは思えません。時間や手間暇をかけて予算がオーバーしたり、制作期間が延びたりしたこともありました。
だって効率がいいものは売れないもん。効率が悪いものがお客さんは好きなんです。「風の谷のナウシカ」の時からそうです。
――ナウシカの漫画連載にあたって、鈴木さんが宮崎監督から3種類の絵を見せられ、どれにするか選ぶお話がありました。一つ目はすかすかな絵で、これなら1日20枚書ける。二つ目はそれよりもう少し複雑で、1日4~5枚。三つ目は緻密(ちみつ)なタイプで1日に1枚描けるかどうかというもの。鈴木さんは緻密なものを選ばれたと。
だって、すごい絵だったんですよ。実際、それが漫画になっているんですけど、時間とお金をかけたものは、結局やっぱり、いろんなものを生み出してくれる。ちょこちょこやったものは生み出してくれないんです。
――最新作「君たちはどう生きるか」の制作も長い時間がかかっていますよね。
2016年の7月かな。宮崎がこんなものをつくりたいと書いた。そこからです。
――タイパ重視の世界では、短い時間でいかに大きな成果を出すかが問われます。
それを感じないようにしないといけないですね。その「短い時」が10年という時もある。だって今作ってる映画もね、そういうことでいえば、考え始めてから本当に7~8年かかったけど、短いと思いますよ、僕は。
そういうことでいえば、ものすごいコストパフォーマンスいい作品ですよね。見たらびっくりしますよ。こんなものをつくったのかって。ぼくがびっくりしていますから。本当はもっと時間をかけたかった。人間ってね、待たされたほうが幸せなんですよ。
無駄は嫌いです。いたずらに時間を使うのは好きじゃないから。それは有効に使いたい。
――鈴木さんの言う「無駄」は、かける時間の長さじゃないんですね。
関係ないですね。新聞記者には「時間を無駄に使いなさい」と言いたい。そのほうがいい新聞ができるに決まっている。
記者は勉強する時間がなければ、いい記事ができないじゃない。そのためには、あっちみたりこっちみたり。そういうことでしょう。
――ぐさぐさ刺さります。最新作は7月に公開ですが、時間に追われている感覚はありませんか。
自分でそうならないように努力しています。それはもうずっとやっていました。
――最新作の内容について、東宝の会見では「ファンタジー作品」という発言もあったようですね。
内容ってね、ぼく今回ね、あんまり言うつもりないんです。みなさんが楽しもうと思っていることを奪うわけじゃないですか。それは奪っちゃいけないです。
ポスター1枚だけでいいんじゃないか、と言ったんです。宮崎はすごい喜んでくれた。彼が描いた絵です。本当は全体があるんですけど……。あ、これ以上言うとまずいですね。
――最近出版した本の最後に「『君たちはどう生きるか』のさらに次の映画の企画もたてている」と書いてありました。
宮崎はつくりたいでしょうね。今回の最新作で世に問うて、いろんな評価があると思いますが、それを聞きながら、次になにをやるか、本人は考えるんでしょう。僕は「これでやめてくれ」とは、もう言いません。言ったって言うことをきかないんだもん。
https://digital.asahi.com/articles/ASQDY438JQDSUTIL00C.html
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これは大まかには雰囲気作りと言うことになるが、戦術レベルでは集団内の人間関係を立体的に利用した高度かつ長期的なものだ。
具体的には対象の女を取り巻く年配の女性社員(上司、先輩、パートさん等)との人間関係を整理し、それぞれに対して自分が対象に好意を持っていることをやんわりと仄めかす。更にそれらを通じて対象の好みを聞き出すなど情報収集を進める。これによりチーム内に男→女への興味がなんとなく共有される。
イメージ戦略も重要である。清潔感はもとより、休憩室での気が利くアピールや普段の業務で程々に醸し出す「頼れるベテラン感」により、チーム内に男が対象にアプローチしても良いという雰囲気が醸成されていく。共有された好意がチーム的に承認されるわけだ。
増田のケースでは最終的に本人からではなく、上長を通じて「○○ちゃん、今度飲みに行きたいって言ってたわよ」と伝えられるという非常に断りづらいやつを繰り出されたわけだが、戦術的には非常に効果的と評価することができる。
おじが誘ってくる増田が色々紛糾してたけれど、私は同じ職場の年上の独身男性から連絡先を聞かれたり、プライベートで食事に誘われたりするのに困り果てている。
元々よく雑談することはあったし、同僚としてコミュニケーションを取るのは別に苦ではない。
でも決してプライベートで会いたくはない。職場で愛想良くしてるのは仕事の一環であって、それを私生活に持ち込みたくはない。こっちは家事もあるし、友人付き合いもあるし、治療中の持病もあるしで手一杯なのだ。
最初に食事に誘われた時は「週末ずっと予定があるので」と申し訳なさそうに(実際、付き合いが悪くて申し訳ないとも思った)謝罪して、なんとか流れた。
しかし週末がだめだとなると、仕事帰りを狙って声をかけられるようになった。
「お酒は飲まないので」「疲れてるので」とその度にやんわりと断ってきたが、ほとぼりが冷めるとまた誘われ、「なんで?」「いいじゃん」「おごるよ」「遠慮しないで」「待ってるね」と、イエスと言うまで粘り続けるぐらいのしつこさを発揮される。そしてその端々に、セクハラとまではいかないが、デート気分のような、嫌な気配が漂っている。
私も会話の終盤は「いやほんと無理です」「無理です!」と強めに言ってるが、その日は引き下がっても、またしばらくすると「今日は付き合ってよぉ〜」と声をかけてくる。
異性にモテるタイプの人ではないので、私に対する好意というよりは、「女とデートをしたい」という欲求が強いのだと思う。
男友達に昔なぜナンパをするのか聞いた時、「ヤリ目とかではなくただ女の子と遊びたい、喋りたい」と言っていたので、そういう感覚なのかもしれない。(それも嘘かもしれないけど)
露骨な性欲を纏わりつかせてるよりはマシだが、職場内のしつこいナンパを波風立てずに断り続けるのにほとほと疲れている。
もしかしたら本人はこの「飯行こうよ〜」「えっと⋯⋯(何て断るかな⋯)」というやり取りすら、照れてるとか、焦らされてるとか勘違いして楽しんでるのかもしれない。
そんなつもりはないので本当にやめてほしい。
病気で体がつらくてとか、家族からも連絡来ててめっちゃ疲れてて、とか正直に言えば深刻さは通じるのかもしれないが、何の義務で赤の他人にそこまでの自己開示をしなきゃいけないんだ?
もう「そういうの迷惑です」とはっきり言うべきなのだろうか。それで仕事がやりにくくなったり、最悪、自意識過剰な勘違い女と評判を立てられるリスクを、私の側が負わないといけないんだろうか。
たとえば、母親の仲良しの隣の家のおばさんのような、家族ぐるみで付き合いのある拒絶しにくい立場の人がいたとして、その人が一回り年齢の違う自分へなんとも言えない好意を漂わせながら、顔を合わせる度におばさんがデートしてあげると誘ってきて、時には待ち伏せまでしてLINE交換しようとしてくるのを。
早く帰ってペスの散歩に行かないといけないのに、おざなりにもできないからなかなか振りほどけなくて泣きたい気持ちになるのを。
そういえば冒頭の増田に「イケメンならほいほいついていくんだろ」と言ってた人がいた気がするけど、「たとえ顔面が国宝級でも職場でこんな言動する相手には失望するし、嫌悪感しかない」が私の答えだ。
顔面が国宝級の人から付きまとわれたことがないからわからんけど。
以下追記
誰にも読まれずに流れ去ったと思ってたから、仕事終わって帰ってきてからいっぱい反応ついてるのに気づいてびっくりした⋯。
大変だねという励ましや、同じ経験あるという話が本当にありがたかったし、参考になるアドバイスがたくさんあってとても助かる⋯。
批判的だったりバカか?ってコメントも、スルーじゃなく反応もらえただけで多少嬉しい。読んでくれてありがとう。
ハラスメントとして問題化するとなると、相手をハラスメント加害者として槍玉に上げることにもなるんだよなあ⋯と思うと躊躇してしまう。
逆恨みされたくないのもあるし、襲われるとか身の危険を感じているわけでもない、他に同じような行為をされてる人がいるわけでもないのにそこまで大事にするべきなんだろうか⋯と思うのもある。
「大人同士なんだから個人と個人の問題でしょう」と言われればそれまでだよなあ⋯とも。
(ここまで書いてて思ったけど、もし友人が同じ事を言ってたら私も「何悠長な事言ってんの?通報しな!」と言うだろうな⋯)
同年代の女性が部署にいなくて、ベテランの先輩方は相手男性への信用が強く、相談しにくい状況なのにもちょっと困っていた⋯。
・ろくな会社じゃないな
別の人が受けていたハラスメントの話を聞いたりすると、基本的に上司は事なかれ主義で、形だけの面談をして終わりのような感じらしい。
ハラスメントとして窓口に通報しても、調査は結局その上司がやるみたい。
嘘が下手すぎるので、彼氏どんな人?何歳?とか突っ込まれたらボロが出そうで躊躇してた⋯。
でもやるだけやってみようと思う!
・もっとはっきり断れ
二度と会わない人間相手なら「これ以上絡んできたら警察呼びますよ」くらい言えるんだけど、毎日会う人間だからね⋯。
・ストーカー化
そこまで現実的な危機感は持ってなかったけど、退勤時を狙って出待ちされてたことや、そのまま駅まで「送る」と言って逆方向にも関わらずついてきたことが一度ならずある。
「お店に寄るので!」「俺も寄ろうと思ってたからちょうどいい」
「逆方向だから悪いので」「気を使わなくていいよ」
という会話の末に、なんとか「買う物見られたくないので一人で買い物したいんです!」と言って撒いた。
初手で「待ち合わせしてるので」とか言えば良かったな〜と今は思う。
書き出してみるとやばいけど、これ会社に報告すると考えると、「同僚と一緒に駅まで帰るのがなんでそんなに嫌なの?相手は犯罪者でもなく知り合いなのに」みたいにならん⋯?
というか自分でもこのやり取りでだいぶ嫌がってるの態度に出してたと思うんだけど、相手はもしかしたらゴリ押しして折れさせる過程をごっこ遊びのように楽しんでるのかもしれない。
頻度は一週間空いたり1ヶ月空いたりだけど、一年以上軽いジャブからしつこめの食い下がりまで、何かしらの形で続いてる。
それまでも挨拶とちょっとした雑談はする程度の友好度ではあったけど、忘れもしないある連休明けの日、突然「ねえ、今度前に言ってた(雑談の話題に出た会社の近所にある)お店に連れてくからさ、連絡先教えてよ」とスマホを構えて笑顔でやってきた。
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