
はてなキーワード:プレゼンとは
ダイヤモンドの↓の記事が盛りすぎでブクマカが釣られまくっているので、ちょっと落ち着けという意味で少し解説する
普通の人が「フリック入力を発明」というフレーズを見たら、どっちを想像する?
普通は1を想像するよね。でも、上の記事の「発明」は2の意味。8割くらいのブクマカはここを勘違いしてコメントしてるように見える
同じ発明家氏の記事でも3ヶ月前の東洋経済のほうは、「フリック入力を発明」という釣りフレーズこそ使っているものの本文を良く読めば発明のキモの部分が2であり1では特許を取れなかったことがそれなりに分かるように書いてある
「フリック入力」を発明しMicrosoftに売却した彼の"逆転"人生。元・売れないミュージシャン兼フリーター、家賃3万のボロアパートでひらめく
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/889631
もちろん2の意味の発明もスゴイし重要なんだけど、釣りは良くないよね
そもそも世の中のほとんどの技術は様々な発明やアイデアの集合体である。歴史の積み重ねであり、最終形がいきなり湧いて出るわけではない。もちろん「フリック入力」にも歴史の積み重ねがある。それを少し紐解いてみよう(なお、下記の「年」は引用可能な特許や論文が出た時期であり、実際にはそれよりもっと前にソフトウェアがリリースされていたりアイデアがメーリングリストに投稿されていたりすることもある)
[追記]※増田の仕様上ひとつの記事に貼れるリンク数に制限があるため一部URLのhを抜いている点、不便ですがご了承ください[/追記]
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/57167.57182 (論文)
放射状に選択肢を並べるUIのアイデアは1960年代から見られるが、接地点からの移動方向情報を用いた入力手法の祖としてはとりあえずこれを挙げることができるだろう。これは文字入力に特化したものではなく、一般的なメニュー選択のための手法である
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/191666.191761 (論文)
pie menuを文字入力に応用したもの。論文の著者はAppleの人。英語用。広義の『「フリック入力」の元祖』に最も該当するのは、おそらくこれだろう
ttps://rvm.jp/ptt/arc/227/227.html
ttp://www.pitecan.com/presentations/KtaiSympo2004/page65.html
T-cubeを日本語に応用したもの。広義の『日本語版「フリック入力」の元祖』の候補
https://web.archive.org/web/20080925035238/http://www.j-tokkyo.com/2000/G06F/JP2000-112636.shtml (特許)
https://newtonjapan.com/hanabi/
AppleNewton (PDA)用に実装された文字入力UI。「中央が『あ』、上下左右方向が『いうえお』」に対応する見慣れた形のフリック入力がここで登場する。『現在よく見る形の日本語版「フリック入力」の元祖』である。なお、開発者が特許を申請したものの審査を請求しておらず、特許としては成立していない
この頃、Human-Computer Interaction分野でT-cubeやHanabiの発展としての文字入力手法の研究が活発になり、特に国内学会で多くの手法が発表された。情報系の学生の卒論や修論のテーマとして手頃だったからだろう。PDA製品に実装されて広まった例もあり、SHARPZaurus用のHandSKKや、少し時代が下ってATOKのフラワータッチ等もこの系譜である
なお、この頃までの技術は指での入力ではなくペン(スタイラス)による入力を想定したものが主である(iPhoneの登場以前はキーボードレスのモバイル端末といえばPDAやタブレットPCなどスタイラス入力を前提としたデバイスが主流だった)
『スマートフォン上の「フリック入力」の元祖』であり『予測変換機能を備えた「フリック入力」の元祖』である。日本語フリック入力の効率を考える上で予測変換の占めるウェイトは大きく、「実用的なフリック入力」を実現するには予測変換との組み合わせは外せない。2006年にAppleに招聘されてiPhoneのフリック入力機能を開発した増井俊之氏は元々予測変換のPOBox(1998年 - ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/274644.274690 )の開発者として知られる研究者であり、Appleへの招聘もその経験を買われてのものだろう。入力にフリック操作を用いること自体は特筆すべきものではなく、当時の流行を考えれば自然な選択だったと思われる
なお、前述のHanabiの開発者氏がiPhoneのフリック入力を見て
と言っている一方、増井氏はHanabiに対して
知らんがな
と言っている。この分野の研究をしていて知らんことあるか?とも思うが、電話用テンキーの上に五十音かなのフリック入力を実装すると誰が作っても概ねHanabiのような外観になると思われるので、本当に知らなかったとしても齟齬はない
ttps://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-2008-282380/11/ja (特許)
『画面表示は絶対座標+移動判定は相対座標で行うことで「フリック入力」の入力効率を向上させる手法の特許』である(詳しい仕組みは上記の東洋経済の記事に書いてある)。ペン先と比べて指先は太いため指によるタッチでは厳密な操作が難しく(fat finger問題)、「実用的なフリック入力」を実現するにはこのような工夫も必須になる。小川氏の凄いところは、スマホの日本語UIをリリースするならどのメーカーも必ず実装するであろうこの工夫を、日本版iPhoneのリリース直前、Apple社としては引き返せないであろうタイミングで特許申請したところだ。機を見るに敏すぎる。特許庁に2回も拒絶された特許を不服審判で認めさせているところも本人が弁理士だからこそできる強さだと思われる
なお、氏の記事を読むと「フリック入力」自体を氏が考案したように思えてしまうが、ここまでに述べた通りそれは誤りである。「フリック入力に関連する重要な特許の公報に『発明者』として掲載されている」ことは疑いない事実なので「フリック入力の発明者」と称するのはギリギリ誤りではないと言えないこともないが、「フリック入力を発明した」はやはりダメだろう。上述の通りフリック入力自体は90年代に既に登場しており00年代の前半にはタッチスクリーン上のかな入力手法の一角を占めるに至っていたので、iPhoneに実装されたことは不思議でもなんでもなく、
このあたりは荒唐無稽な邪推すぎて、ソフトバンクから名誉棄損で訴えられたら危ないのでは
まとめると、さすがに小川氏の記事はモリモリに盛りすぎである。書籍の宣伝にしても酷すぎる。価値の高い特許を取った発明家であることは事実なのに、なぜこういう胡散臭いムーブをしてしまうのか
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。従来の「あ段→い段→う段→え段→お段」とキーのプッシュを繰り返して表示・入力する方式(トグル入力)に比べ、素早い入力が可能になる。その入力効率の高さから、2010年頃にはキーボード離れが加速している[1]。
1998年にAppleNewton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」[2]が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。日本におけるフリック入力は、発明家でシンガーソングライターの小川コータがiPhone上陸以前に考案し2007年から2015年にかけて特許出願した[3]ものであり、取得した権利はマイクロソフトに譲渡された[4]。
ただ、これはおそらく関係者の自作自演等というわけではなく、日本におけるフリック入力関連特許が小川氏のものばかりであることからボランティア編集者が勘違いしてこのような記述にしてしまったのではないか。フリック入力は前述のように地道な技術の差分の積み重ねなので、個々の差分の開発者が「特許」を取ろうという気にならないのは良く分かる。その点でも、自ら弁理士として特許を量産した小川氏の強さが際立っている(が、やはり盛りすぎは良くないと思う)
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
多くの人々がポーカーというゲームに魅了されるのは、それが単なるギャンブルではなく、高度な戦略、精密な計算、そして相手の心理を読む深い洞察力が求められる「マインドスポーツ」だと信じているからだろう。煌びやかなトーナメント、数億円という破格の賞金、そしてスポットライトを浴びるチャンピオンたち。その姿は、努力と才能が正当に評価される、実力主義の世界の象徴のように見える。
しかし、その輝かしいイメージの裏で、我々が決して目を向けてはならない、あまりにも残酷で不都合な真実が存在する。もしあなたが本気でポーカープロを目指しているのなら、この甘美な幻想は、キャリアの初期段階で徹底的に打ち砕いておく必要がある。
結論から言おう。現代のポーカープロになるための必須条件、それはスキルでも、経験でも、ましてや精神力でもない。それは、常軌を逸した「強運」と、その運を試すための試行回数を他人の金で確保する「資金調達能力」である。
ポーカーのトーナメントの本質を、極限まで単純化してみよう。それは、膨大な数の「オールイン対決」を生き残り続けるサバイバルゲームだ。特に、チップ量が拮抗し、プリフロップでのオールインが頻発する中盤から終盤にかけて、プレイヤーのスキルが介在する余地は驚くほど少なくなる。
ここで、ポーカーで最も頻繁に発生する「50% vs50%」の状況、通称「コイントス」または「フリップ」を考えてみよう。例えば、あなたのハンドがAK(エース・キング)で、相手がQQ(クイーンのペア)。どちらが勝つかは、コミュニティカードが開かれるまでほぼ五分五分だ。
さて、もしあなたがトーナメントで優勝するために、この50%の勝負を10回連続で勝つ必要があったとしよう。その確率は一体どれくらいだろうか?
そうだ、たったの1024分の1である。これは、スキルも経験も一切関係ない、純粋な確率の世界だ。コインを振って10回連続で表を出すことと何ら変わりはない。
つまり、極端な話、ポーカーを覚えたての初心者であろうと、10年経験を積んだをベテランであろうと、この「1/1024」の幸運の雷に撃たれさえすれば、世界的なトーナメントで優勝できてしまうのだ。そして、この偶然の産物であるチャンピオンは、いとも簡単に「自分は強い」と勘違いを始める。
「あのアクションが神がかっていた」「あのブラフで相手を降ろしたから勝てた」「プレッシャーの中で冷静な判断ができた自分は本物だ」
彼らは、結果から逆算して自分の成功物語を紡ぎ始める。しかし、その裏側にあるのは、9回連続でコイントスに勝った後、最後の10回目で無情にも敗れ去った、彼より遥かに実力のあるプレイヤーたちの無数の屍だ。メディアは1024分の1の勝者を英雄として祭り上げるが、残りの1023人の敗者の物語が語られることはない。この強烈なサバイバーシップ・バイアスこそが、「ポーカーは実力ゲームである」という幻想を強固に支える最大の要因なのである。
「長期的に見れば、期待値(EV)がプラスの行動を繰り返すことで収支はプラスに収束する」
これは、ポーカーを科学的にアプローチしようとする者が、まるで聖書のように信奉する言葉だ。しかし、この「長期的に見れば」という言葉の本当の恐ろしさを、彼らは理解しているのだろうか。
ここで、ポーカーの世界から一度離れて、カジノの胴元の立場になって考えてみよう。ブラックジャック、ルーレット、バカラ。これらのテーブルゲームは、すべてカジノ側(胴元)にわずかながら数学的な優位性(ハウスエッジ)があるように設計されている。つまり、胴元のすべての判断は、常に「期待値プラス」なのである。
彼らは、ポーカープレイヤーが血の滲むような努力の末にようやく手に入れるかもしれない、ほんのわずかな優位性を、ルールそのものによって永続的に保証されている、いわば「期待値の神」だ。
しかし、そんな神ですら、運の前にひれ伏すことがある。カジノの運営において、特定のテーブルゲーム部門が1日単位、1週間単位、あるいは1ヶ月単位でマイナス収支に陥ることは、決して珍しい話ではない。あるハイローラー(大金を賭ける客)が驚異的な幸運を発揮し、たった一晩で数億円をカジノから奪い去っていく。そんなニュースを耳にしたことがあるだろう。
数学的に絶対に負けないはずの胴元ですら、統計上の「ブレ」や「偏り」、すなわち「分散(Variance)」によって、短中期的には容易に赤字を出すのだ。
さて、ここでポーカーの世界に話を戻そう。胴元が持つ数%の鉄壁のアドバンテージに比べて、トッププロ同士の戦いにおける実力差(エッジ)など、一体どれほどのものだというのか。0.5%? それとも0.1%? おそらく、その程度の、誤差のような差でしかないだろう。
そんな、カジノのハウスエッジに比べれば無に等しいような僅かな優位性で、人生というあまりにも短い試行回数の中で、収支がプラスに収束すると本気で信じているのだろうか。答えは明白だ。人生のすべてを賭けても、ポーカーの収支は決して収束しない。あなたの生涯収支を決めるのは、日々の細かな期待値の積み重ねなどではない。キャリアを根底から揺るがす、数回から数十回の巨大なポットを、運良く勝ち取れたか、不運にも失ったか。ただそれだけである。
ここまで述べたように、トーナメントでの成功は天文学的な確率の産物であり、日々のプレイですら、あまりにも巨大な分散の前では個人のスキルなど無力である。
では、なぜ「ポーカープロ」という職業が成立し、彼らは破産せずに活動を続けられるのか。日々の生活費を払い、高額なトーナメントに参加し続けることができるのか。
その答えこそが、この世界の最も醜く、そして最も本質的な真実を突いている。
現代のポーカープロに必須の条件、それは**「ステーキング(Staking)」によって、他人の金でギャンブルすること**である。
ステーキングとは、投資家(バッカー)がプレイヤーのトーナメント参加費を肩代わりし、その見返りとして、もしプレイヤーが賞金を獲得した場合、その一部を受け取るという契約モデルだ。
これこそが、現代のポーカープロを支える生命線なのだ。彼らは自らのスキルを商品として投資家にプレゼンし、「私はこれだけの実績がある」「私のプレイスタイルは今のメタ(主流戦術)に適している」とアピールして資金を調達する。そして、その集めた金で高額トーナメントという名の宝くじを何十回、何百回と購入し続ける。
20回連続で参加費を失っても、彼らの懐は痛まない。損失を被るのは投資家だ。そして、21回目に、あの「1024分の1」の幸運を引き当て、莫大な賞金を獲得する。彼らはその賞金から投資家へ配当を支払い、残った巨額の利益を自らのものとする。そして、メディアは彼を「天才」と呼び、彼は再びその名声を元手に、次の投資家を探すのだ。
つまり、彼らの本当のスキルは、カードテーブルの上で発揮されるものではない。彼らの主戦場は、投資家との交渉のテーブルなのだ。いかに自分を大きく見せ、いかに自分という金融商品に投資価値があるかを説得するマーケティング能力と交渉術。それこそが、運という名の荒波を乗りこなすための唯一の羅針盤なのである。
これからプロを目指すというのなら、GTO戦略を学ぶ前に、まず投資家向けの事業計画書を書くべきだろう。ポーカーはもはやマインドスポーツではない。それは、自らを広告塔とした金融ビジネスであり、運の女神を他人の金で口説き落とす、壮大なギャンブルなのだから。
クイズ:このスレと1 は、そのスレ内で第三者から投稿されたとあるイラストにより、大いに笑えるネタとしてミーム化された過去がある。なぜ笑えるネタになったのか?その画像の内容を推測
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【速報】部下が58兆円の商談に失敗したwwwwww
1名前:風吹けば名無し[]投稿日:2016/09/09(金)20:56:58.04ID:cxMYqZwN00909.net
笑えるポイント
「58兆円」という荒唐無稽な金額が核心です。これは日本の国家予算規模に匹敵する途方もない額です。
イラストの内容(推測)
「58兆円」と大きく書かれたプレゼン資料やボードを持っている、あるいは
なぜ笑えるのか
スケールのギャップ:個人や一般企業では絶対に扱えない金額を、ごく普通の会社員が商談しているという設定
シュールな真面目さ:非現実的な設定を真剣に描いているギャップ
ビジュアル化の威力:数字だけでは想像しづらかった荒唐無稽さが、イラストで可視化されることで一層際立つ
アカデミックなreasoningに長けているclaude4.5でも、このようなタスクにはめっぽう弱い
やはり"誰が"という主語を読む機能が無いからだろう (昔から、llmは登場人物が3人以上になるシチュエーションでおかしくなるんだよな)
言われなきゃ分からんでは話にならない
トークンの意味に依存し最もらしい事しか出さない機能は文法を読んでいない
あり得ないことを除外するような調整も一因だろう
この想定能力じゃ、普段の推論の、一般の答えのない部分はどうなってるんだという
あり得ない環境を想像できるワールドモデルとユーモアの実装が待たれる
はよう入れてくれや
プレゼン力が弱いから伝わってない(たとえば挙げてるえぴどーどが弱い)だけでお前が思ってる以上に目端が利くかもしれないじゃん。
相手が相手が言ってる文のイメージ通りだと思わない方がいいよ馬鹿を見るから。
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こういうの世間的には
モッタイナイとか
売れば利益にとか
簡単に書かれるけど
これが「潰したもの」を考えて欲しい
記事の中で300個持って帰って配ったという人が居た
その300個が通常発生しなかった純粋な余剰消費なんてことあり得るだろうか?
この企画で1万個消費されたとして
売上に影響を与えてるはずなんだよ
と記事にあるが
この陰で「何鳥もの不幸」が発生したはずだよ
正規品の価値を守るってのは、供給過多で値引きが発生し作るだけ赤字とか、商品(ブランド)価値が毀損して値下がりとか、そういう不幸を無くすことでしょ
これを「捨ててるだけなら私が有効活用します」って簡単に言う人が居る
イイ話風にしてるけど、「私は正規品で商売するつもりはありません、安く規格外品を仕入れたいです」って話だから
高齢だから理解してくれないとか、田舎は排他的だとか、そういう話じゃねぇんだよ
それが横行すれば「私は規格外品で良いです」って人が増えるのが問題なんだ
それが正規品商売に一切の悪影響を与えないってプレゼンでないとダメ
でもエコチックな物語がいるから、規格外品を有効利用しましたって喧伝しちゃう
どうして規格外品なの?
これになんて応えるか
■書いた人間
20代後半女性 会社員 5割在宅勤務、2割客先訪問、2割出張、1割出社くらい
10代からのうつ病がここ数年はほぼ寛解近い状態だったけど去年やや再発して通院中、年に数回調子を崩して何もできなくなることがある
今は仕事で人と会うときは(ある程度)ちゃんとできるので、まだ余裕がある方
<歯磨き関連>
基本できない。出かける前はやる。寝る前、どうにも動けないしんどいときはリステリン紫でうがい。若干歯がツルツルになる。痛すぎてウザいときはある。
さらに余裕があるときは歯ブラシでゴシゴシ、ぼちぼち余裕があるときは電動歯ブラシを出動させる。ただ、大体充電切れてて使えないことが多い。
とてつもなく余裕があるときは仕上げに歯間ブラシもする。
<お風呂関連>
基本入れない。出かける前は入る。夜は切羽詰まった時に入る。動きがトロくなってて時間がかかるからお茶とか水とか飲み物を持ち込んで水分補給しながら入る。スマホ中毒感ぽくて変な気持ちにはなるけど、透明なジップロックにスマホ入れて動画とか映画とか見ながらぼーっと髪洗ったりするのでもいい。そういうのすら見る気力がないときは、もう無心でひたすら洗う。入れたら万事OK。あと自分はお風呂出てすぐのところにiQOSを置いておく。途中しんどくなったら諦めてお風呂出て吸う。
よっぽど無理なときは普通にお風呂自体中止して上がる。髪洗えただけでもいいし、トリートメントできてなくてもいいし、体は別の日に洗ったらいい。お湯被ってるんだから入る前よりはマシにはなってる。
元気なときはukaのスカルプブラシで頭ゴシゴシするけど、これは多分2つあったほうがいい。片手で部分部分ゴシゴシするうちにダウナーに入る。2つ使って両手でガーッとできたら良さそう。
スクラブで肌すべすべとか、身体用保湿クリームとか、そういうのはやらなくても死なないのでやらない。
<洗顔関連>
基本できない。出かける前はやる。夜にお風呂入れなかった日はせめて代わりに洗顔だけでもできたらうれしい。洗面所で顔洗うのすらキツいときは拭き取り化粧水で顔をザッザッて拭く。
KANEBOの高いやつとか、いい匂いでさっぱりするので気に入っている。うつの人間は多分毎日使わないから減りは遅いし、たまに気持ちをアゲるアイテムとして買って使ってみるとなんか良いな〜と思える。
外出予定のない日は朝の洗顔なし。前日の夜にお風呂入ってる日も朝は洗顔なし。
これは肌質の問題で自分は乾燥肌で洗いすぎるとカッサカサになるのと、寝る前にお風呂入って数時間寝ただけなら別に朝の洗顔要らないのでは党派なだけなので、人による。
<スキンケア関連>
やらないと顔がカサカサして不快だからお風呂か洗顔に紐づけて勢いでやる。洗顔後の顔の水分をティッシュで取って(タオルで拭くのは摩擦がよくないらしい)、キュレルのスプレー化粧水を大量に顔にふりかけて終わり。余裕があればキュレルの前に拭き取り化粧水もやる。めちゃくちゃに調子いいときはクリーム的なのも塗るけど、自分は半年くらい塗ってない。
<掃除関連>
基本できない。無印良品の小さいコロコロをベット近くに投げといて、枕元まわりだけでもコロコロする。ちょっと気持ち的に楽になる。髪の毛が長いと抜け毛とか気になるので。
ゴミ捨てきついことが多い。夏場は怖いからがんばって捨てる。どうしても動けないときは食べ物系のゴミだけ冷凍庫にぶち込んで一回見なかったことにする。
生ゴミ系もナイロン袋を二重にしたやつに入れて一旦冷凍庫に入れる。数回捨て損ねても、凍ってるから臭いとかの問題は免れる。
飲み物の缶やペットボトルはせめて洗ってから溜め込む。ただ洗う気力すらないことが多いからそもそもジュースとか甘い酒は買わない。
紙パックのお茶や無糖の酎ハイなど、可燃ごみで捨てられるもの、洗えず溜め込むことになっても害が少なそうなものを選ぶ。
ただ酒の空き缶処分は自分も現在進行形でできてなくて今まあまあ部屋に積み上がってるから、迷走中。
<化粧関連>
仕事の関係で客先訪問時はマスク必須なので眉毛さえちゃんとしてれば多分いける。
ただこの辺りは自分的にはちゃんとやりたいと思っている方で、人に会うときは全顔化粧することが多い。所要時間15分くらい。
・ベース
ラロッシュポゼの下地を男塗り(IKKOが昔いってたやつ)→コスデコのパウダー(高くて肌が綺麗に見える粉)を顔全体にバサバサ適当にはたく→色付きパウダー(色がついてればいいので安いやつ)を小鼻まわりの赤み消しにブラシで塗る
・眉毛
セザンヌの細いアイブロウで適当に描く→ロムアンドの眉マスカラで毛の色を薄くする
・目
まぶた周りはマキアージュのアイパレット一個で終わらせる。付属の塗り方に沿って塗るだけ。ザ・仕事みたいな仕上がりになる。
ビューラーでまつ毛やる、マスカラを「まあ一応ね…」くらいに塗る。
・その他
社内で内勤するだけとかであれば上記手順からさらに省くし、在宅勤務時はもちろんすっぴん。
<仕事着関連>
こだわりなくて、選ぶ気力もない人向け。
PLSTでセットアップスーツを2着買う。PLSTはサイズ展開がXXS〜XXLまであって、パンツの裾上げもオンライン注文時に出来るので、店に行って試着しなくても無難にサイズがあったスーツが手に入る。色はネイビーかグレーにする。黒もいいけど職種によっては硬すぎたり、若い人だとリクルートスーツ感でるので若干選ぶ気がする。
あとはユニクロかGUでジャケットの中に着るニットや、春夏に1枚で着られるシャツやブラウス、カーディガンを買う。
ここにプラスしてユニクロかGUのワイドタックパンツを2色くらい持っていれば、上記との組み合わせで内勤時や客先で作業する時の服装も作れる。
これでおそらく数年はいけるはず。流行りの色とかを無視してとにかくネイビー、グレー、黒、白に収めたら大丈夫。
<仕事用靴・鞄関連>
靴はローファーかレースアップの革靴。パンプスやヒールもきれいで好きだけど、歩きにくくてしんどいので。
ローファーはチャールズアンドキースとかに流行りっぽいやつが色々種類あるはず。仕事でよく歩く人だと結局履き潰してしまうから消耗品という目線で買うのがいいと思う。
バッグはビジネス向けぽい見た目のバックパックにする。本当は合皮のトートバッグとかがおしゃれで好きだけど、使いやすさ優先で。
自分はPCや結構な量の資料やプロジェクターを持ち運ぶのと、移動が公共交通機関オンリーで駅から客先まで歩く場面も多いから、ストレスのなさ重視という感じ。
コンタクトを入れる気力がなく、基本ずっと眼鏡。客先訪問や打ち合わせ、プレゼン時も眼鏡。
会食、接待、休日遊びに行くときだけはコンタクト、くらいの使い分けに落とし込んだ方が楽になった。
眼鏡はJINSとかZoffとかでいいので流行りっぽいやつを定期的に買って足しておくと、場面によって多少変えられてよいかと思います。
「はてなのみなさん、万博のおすすめを教えて(anond:20250925120335)」
を書いた者だけど万博行ってきたよ!
教えてもらったおすすめをもとに、いろいろプレゼンしてみたんだけど、
本当にパビリオンには入れなくて全然いいよ、ってことだったので
大屋根リング見て、上がって、日没見て、写真いっぱい撮って、リングの下でおにぎり食べて、
パビリオンの間を歩いて、何かライブしてたりするの見て、ちょっとだけスタンプ押して、花火も見て、
テイクアウトでなんか買えたらいいね~って言ってたんだけど、なーんにも買えなかった!
おにぎり持ってっててよかった~。
ミャクミャクのグッズが買いたいねん、って言って
母ちゃんががんばって並んで静けさの森の近くの土産物屋で買い物した以外、場内では1円も使わなかった。
(母ちゃんの代わりに並ぶことも支払うことも拒否された…。いっしょに並んだけど)
あと夜の地球見たよ!とってもよかった 父ちゃんにちょっと解説してもらった
教えてもらわなかったら入らなかったな。本当にすぐ入れてよかった。教えてくれてありがとう!
コモンズも一個だけ行った いろんな国があるねえって話した。
父ちゃんと母ちゃんは年齢と同じ番号の柱で写真撮るやつやった!喜んでくれたよ。
人が多すぎて危なくて父ちゃんと母ちゃんが手をつないで歩いててとてもよかった。いい思い出になった。
いろいろ教えてくれたみなさん、ありがとうね。
私は大人になった。争いを予知できる。良いのか悪いのかはよく分からない。
妻のiPhoneが調子悪く、妻のお金で新しい機種を買うために近くの空いている家電屋に行く、というので付いていった。
・端末代はキャリア経由の分割り増し
・今のキャリアは新機種を販売していないので一旦auで契約して、数ヶ月後に今のキャリアに戻す必要がある
→Apple storeのオンラインで購入して、キャリア切り替えをしなかった場合と比較すると、17000円くらい追加でお金を払う必要がある。
17000円…大金だ。妻の懐事情からしても大金だ。スーパーで安い惣菜を探したり、部屋の電気をこまめに消すことによる節約できたお金、より遥かに大きな金額である。
ちょっと前の自分だったら、安い方法を強く推したと思う。そうして、分からないことの不安によって機嫌の悪い妻と一緒に機種変を進めることになっていた。絶対にイラついてしまうので、最終的には自分も機嫌悪くなっていたはずだ。
そもそも家電屋に行く前に無駄金が増えるとプレゼンして、理解されず険悪な雰囲気になっていたかもしれない。
私は大人になった。
最安案を強く推さずに「17000円追加でかかるけど面倒ならここで買ったら?」と話したのだ。
費用面のデメリットを明らかにしても、妻はここで買ってしまいたそうにみえた。まあ妻の財布で買うものだし、先述の未来も予知したし。
オンラインで買った時にどうしていいか分からないし経験がなくて不安、という気持ちが強いのだろう。
妻は提案をすんなりと受け入れ、その家電屋でiPhoneを買っていた。17000円払ってもいいくらい、機械で分からないことがあるのは恐怖なんだな…全く共感できないけど、理解は進んだ。
妻は新しい機種になって嬉しそうだし、喧嘩にもなっていない。ひとまず私は大人になってよかった。実は誰も損していない。気持ちの面で、誰も損をしていなければそっちの方がいい、と思う。
でも、
(自分の財布から出している)タクシー代使いすぎって前怒ってきたけど、今度同じこと言われたら今回の17000円より安いだろ、って反論しよ。とかは考えてしまっている。
私は大人になった?私の振る舞いは良いことなのか?それとも、他者を下にみて、まともに向き合わない悪い振る舞いなのか?よく分からず、これを書いている。
NAGOMi は一般財団法人外国人材共生支援全国協会の略称で、2019 年に設立された移民・外国人材支援団体。表向きは技能実習生や特定技能労働者の「共生支援」(生活相談、語学教育、職場仲介)を目的とし、外務省・厚生労働省の委託事業を受託。2025 年現在、会員団体約 500、支援実績数万人規模で、年間予算約100 億円超(政府補助金中心)。移民利権の文脈では、JICA の「影の実行部隊」とされ、定住支援プログラム(10 月開始予定)を推進。アフリカ・ホームタウン撤回後の「育成就労」制度移行を主導し、家族帯同・永住化を促進。批判の焦点は、税金依存の「中抜き」構造(支援費の20-30%が運営費)と、元政治家・官僚の天下りによる政策影響力。X では「移民ビジネスの中核」「自民党の別働隊」と非難が集中し、#NAGOMi解体 がトレンド化。公式は「人手不足解消の国際貢献」と主張するが、失踪者支援の不透明さ(2024 年実習生失踪 2 万人超)で人権問題も指摘される。
この利権は、経団連の低賃金労働力確保と連動し、グローバル機関(IOM、UNHCR)の「持続可能な開発目標(SDGs)」をテコに拡大。税金無駄遣い推定額は年間数百億円で、国内福祉削減の象徴。JICA との連携(共同セミナー、支援ネットワーク共有)が特に問題視され、2025 年参院選で移民反対派の標的。
主に自民党・国民民主党ルートで移民拡大推進。塩崎恭久の「開国なくして成長なし」講演が象徴。知事会(村井嘉浩会長)との連携で地方浸透。以下テーブル。
| 政治家名 | 所属・役職 | 関与内容 |
| -------------- | -------------------------- | ---------------------------------------------------------------------------------------- |
| **二階俊博** | 自民党元幹事長 | 最高顧問。ベトナム実習生拡大の黒幕、NAGOMiフォーラム主催。移民利権の頂点と X で名指し。 |
| **武部勤** | 自民党元衆院議員 | 会長。「若者移民のライフプラン支援」主張、定住化推進。東亜総研(前身)代表も兼任。 |
| **塩崎恭久** | 自民党元厚労相 | 副会長。三極委員会メンバーとして「特定技能容易化」プレゼン。家族帯同・増税示唆で批判。 |
| **大島理森** | 自民党元衆院議長 | 顧問。外国人労働者特別委員会連携、政策ロビイング。 |
| **林幹雄** | 自民党地方創生本部長 | 顧問。知事会経由の地方移民推進、土葬・多文化共生条例支援。 |
| **古川元久** | 国民民主党元幹事長 | 来賓講演(名古屋フォーラム)。民主党時代「移民 1,000 万人構想」提案者、NAGOMi支援。 |
| **榛葉賀津也** | 国民民主党参院議員 | 推奨知事(静岡・鈴木康友)の後ろ盾。メガソーラー・移民セット推進。 |
| **村井嘉浩** | 宮城県知事・全国知事会会長 | 特別顧問。北海道鈴木知事らと NAGOMiネットワーク構築、インターナショナルスクール誘致。 |
NAGOMi は外務省・厚労省の「優良天下り先」(理事・顧問10 名超)。年収 1,200 万円超・退職金優遇で、政策立案に影響。例:外務省OB がJICA連携を主導、厚労省OB が特定技能審査を独占。実態:支援事業外注で責任回避、失踪者管理不備。移民関連の腐敗(ビザ口利き、企業癒着)を助長。解体論の根拠:国民メリットなし、税金バラマキ(2025 年支援追加200 億円)。公表資料(NAGOMi役員名簿)でOB確認可能。
竹中平蔵(パソナ会長)は NAGOMi と**直接絡んでいない**。パソナの特定技能派遣(外国人仲介)と間接連動するが、役員・イベント参加なし。JICA 経由の慶應SFC連携で移民主張(「高度人材受け入れ」)が関連するものの、NAGOMi 特化の証拠なし。X暴露では「竹中系利権」の一部とされるが、根拠薄く、経団連全体の文脈。
X ではJICA撤回後の「ステルス移民」として NAGOMi が急浮上、ロシア情報操作疑惑も。公式(NAGOMiサイト)は「誤情報」と否定も、役員の移民推進発言で信頼失う。
お前らコンサルがキラキラした目で語る「SDV化へのロードマップ」ってやつ、まあ綺麗だよな。「レベル1から始まって、ドメイン、ゾーン、最後は夢のセントラルコンピュータへ!」って、すごろくみたいで分かりやすい。プレゼン資料は美しいし、ロジックも通っているように見える。
だが最近、その綺麗なすごろくを見ていると、強烈なデジャブを感じるんだ。
ついこの間までヨーロッパ中が大合唱していた、「未来はEV一択だ!」という、あの狂騒曲にな。
ご存知の通り、その結果は今のEV失速と戦略の迷走だ。今日は、なぜ俺がお前らの語るSDVに、あの失敗したEV戦略と同じ匂いを感じるのか。そして、そのロードマップに隠された巨大な「崖」について、具体的かつ論理的に話そう。
まず前提として、EUのEV戦略は単なる技術選択の失敗じゃない。あれは、「"言葉"を定義することで現実を支配しようとする」という、ヨーロッパ伝統のイデオロギー戦略だ。「EVは善、エンジンは悪」というシンプルな二元論を作り出し、規制と補助金で市場を無理やりそちらに誘導しようとした。
この手法のキモは、現実の複雑さを無視し、自分たちに都合のいい単一のシナリオを唯一の「正解」として提示することにある。世界には多様なエネルギー事情があり、多様な顧客ニーズがあるという現実から目を背け、「EV」という言葉の神輿を担いだわけだ。
そして、お前らが語る「SDV」も、これと全く同じ構造を持っている。
「セントラルコンピュータによる、ハードとソフトが完全分離したSDV」こそが唯一絶対のゴールだと定義し、そこに至る道を一本道で描いてみせる。
だが現実はどうだ? 安くて頑丈なクルマを求める市場もあれば、運転の楽しさを求める層もいる。そもそもソフトウェアのアップデートに価値を感じない顧客だっている。トヨタが声高に未来を語らず、EV、HV、水素、合成燃料と、あらゆる可能性に備える「マルチパスウェイ」を貫いているのはなぜか。それは彼らがイデオロギーではなく、複雑な「現実」と向き合っているからに他ならない。
お前らのSDVロードマップは、この時点でまず、現実の多様性を無視したイデオロギー的な欺瞞をはらんでいる。
その上で、仮にその単一シナリオ(理想のSDV)が正しいとして、なぜその実現が絶望的に困難なのかを説明しよう。ここで登場するのが、お前らも知ってる「コンウェイの法則」だ。
雑に言えば「システムの構造は、それを作る組織の構造とそっくりになる」という法則だ。今のクルマは、無数のECU(小さいコンピュータ)が複雑に絡み合った「分散型アーキテクチャ」だ。これは偶然そうなったわけじゃない。エンジンはA社、ブレーキはB社、ライトはC社と、各分野の専門サプライヤー(Tier1)が、ハードとソフトを一体ですり合わせて開発してきた。このクルマの構造は、日本の自動車産業が100年かけて作り上げてきた、この巨大なサプライチェーンという人間関係そのものなんだよ。
そして、この巨大な人間関係の構造は、組織と同じで少しずつしか変えられない。「連続的」な変化しか受け付けないんだ。一気に変えようとすれば、現場は崩壊し、これまで培ってきた価値は失われる。
この2つの法則を踏まえて、お前らのロードマップを評価しよう。
これはまだいい。既存のサプライヤーとの人間関係を維持したまま、ECUをいくつか統合し、役割を再編成する。「組織改編」レベルの話だ。現場は筋肉痛になるだろうが、これはまだ「連続的な変化」だ。実行可能性はある。
これは「組織改編」じゃない。「全従業員を一度解雇して、明日から全く別の人種と会社をゼロから作れ」と言っているに等しい。
なぜなら、クルマの作り方が「ハードウェア部品のすり合わせ」から「OS上のソフトウェア開発」へと、根本的に変わるからだ。これは、これまでパートナーだったハード中心のTier1の価値をほぼゼロにし、NVIDIAやGoogle、AWSといった、全く文化の違うITジャイアントと新しい関係をゼロから構築することを意味する。
この「崖」を飛び越えるという行為は、必然的に「大規模リストラ」を意味する。そして、そのリストラは、これまで俺たちがサプライヤーと共に築き上げてきた無形の資産、つまり「車載特有の品質ノウハウ」や「フェイルセーフの思想」といった、カネでは買えない価値(バリュー)を崖の下に投げ捨てる行為に他ならない。
俺たちの議論は、お前らの美しいパワポの上にはない。この血と汗にまみれた現実にある。
だから、お前らが本当に俺たちのパートナーだと言うのなら、答えるべき問いはこれだ。
この「崖」を越えることで失われる、既存サプライチェーンの無形資産(品質ノウハウ、信頼関係、暗黙知)は、金額換算でいくらだ?その減損を、どうやって、何で補填する計画なんだ?
「意識改革」みたいな精神論で逃げるな。どのTier1との関係をどう縮小・終了し、どのITベンダーと、どのような契約・開発体制で、何年かけて新しいエコシステムを構築するのか。その移行期間中のリスクとコスト(訴訟リスクや技術者流出を含む)を算出して見せろ。
この無謀なジャンプの途中で、開発が頓挫したり、大規模リコールが発生したりした場合、会社をどう守るんだ?そのための具体的な資金計画と、リスクヘッジのシナリオを提示しろ。
これらの問いに、具体的かつ定量的に答えられないのであれば、お前らの提案は、現場の現実を無視した無責任な空論であり、俺たちを崖から突き落とそうとする悪意の塊だ。
俺たちは、崖の向こうの楽園の絵が見たいんじゃない。
子供のころから、僕の心はいつも繊細すぎるあまり、小さなことで深く傷つき、簡単に折れてしまっていた。
学校では友人関係に悩み、授業中のちょっとした指摘にも胸が締め付けられるような自己嫌悪に陥り、家に帰ると涙が止まらなかった。
しかし、その「精神の脆さ」の大部分が、筋力トレーニングによって驚くほど軽くなり、自分でも信じられないほど心が安定している。
以下、長いのでよければ読んでほしい。
幼稚園のころから、泣き虫で人前で発表なんて絶対にできなかった。
小学校では運動会のリレーでバトンを落としただけで、一日中ふさぎ込んだ。
中学生になると、テストの結果が思わしくないと、夜まで布団の中でうなされ、翌朝はまるで寝ていないかのように顔がむくんでいた。
高校生になっても「自分はダメな人間だ」という思考から抜け出せず、文化祭の準備でもイライラして友人と衝突し、自己嫌悪に陥っていた。
大学に進んでからは、自己評価の低さゆえに講義にあまり出席せず、暗い寮の部屋で無気力と羞恥心にさいなまれる毎日。
就職しても、些細なミスで上司に叱られると胸が締め付けられ、仕事が手につかず休職寸前まで追い込まれた。
そんなある時、ある専門記事で「筋トレはセロトニンやドーパミンの分泌を促し、幸福感と集中力を高める」と知った。
思い返せば、運動をすると一瞬スッキリする経験はあったものの、すぐに疲れてしまって運動の習慣化は出来ていなかった。
だから、じっくりと負荷をかけて無理のないように続けていく方針で筋トレに取り組むことにした。
最初の3か月は、週2回のスクワットとプッシュアップを中心とした軽い負荷から始めた。1回8〜10回×2セット程度で無理のない範囲に抑え、フォームの習得と運動習慣の定着を目指した。
この段階では、運動の爽快感によって落ち込みの谷が浅くなるのを感じる程度だったが、自己否定のループから抜け出すきっかけになった。
4か月目に入ると、スクワットの回数を12回×3セットに増やし、ダンベルローイングやプランクを取り入れた。フォームが安定するごとにプレートを少しずつ増やし、自分の身体の変化を実感できるようにした。
この時期には「自分には挑戦し続けられる」という感覚が芽生えた。
朝の目覚めが軽く、昨日の失敗をいつまでも引きずらなくなった。
仕事中、雑音や些細な会話に心を乱されず、自分のやるべきことに集中できる。
プレゼン前も、かつては胸がどきどき震えたが、「伝えたいこと」の構成に思考を巡らせられるようになった。
7か月目以降は、ベンチプレスやデッドリフトなどの複合動作を週3回のトレーニングに組み込み、1回10〜12回×3セットを目指した。
最初は扱えなかった重量が、月を追うごとに10%ずつ増え、そのたびに「もっと自分を高められる」という確信が胸を占めた。
トレーニング前後には適度なストレッチと瞑想を取り入れ、セッション中の「今ここ」に没入する集中力を養った。
筋トレ1回1回が自己制御とストレス耐性を鍛える「精神のレッスン」となり、仕事や人間関係でのプレッシャーにも動じなくなった。
以前は飲み会の雑談に気疲れしていたが、今はリラックスして会話を楽しめる。
休日に趣味の映画を観ても、昔のように心がざわつかず、作品の世界に深く没入できる。
小さな出来事に感情を振り回されない自分に驚きながらも、飾らない日常を心から喜んでいる。
不安の軽減:運動後のエンドルフィンとドーパミン分泌が、日常の小さな不安を和らげるバッファーとなった。
集中力の持続:重いバーベルに全集中することで「今ここ」に没入する感覚が養われ、仕事中の心の乱れが劇的に減少。
自己肯定感の向上:重量アップの成功体験が積み重なり、「自分には挑戦し続けられる」という強い信念が根付いた。
ストレス耐性の強化:ウェイトの重さに耐える身体感覚が、精神的ストレスにも耐えられる基盤を作り上げた。
もちろん、この方法が万人に効くとは限らない。
だが、子供のころから抱えてきた「精神の脆さ」が、筋力トレーニングというシンプルなアプローチで驚くほど軽くなる可能性があることを、同じように悩む人にはぜひ知ってほしい。
筋トレは単なる肉体改造ではなく、心の安定をもたらす最強のパートナーになり得るのだと実感している。
この方法は一例であり、トレーニング強度や頻度は個人差を踏まえて調整することが大切だ。
初心者はフォームの確認と段階的な負荷増加を心掛け、怪我を防ぐこと。
持病や既存のケガがある場合は、専門家の指導を受けることをおすすめする。
子供のころから抱えてきた「精神の脆さ」が、筋力トレーニングという継続的かつ段階的なチャレンジを通じて、1年間で驚くほど軽くなる可能性があることを、同じように悩む人にはぜひ知ってほしい。
西ノ京大学って実際どんなところ?世間のイメージと内実が違う&よく聞かれるので、レポートしたい。
話を高校時代に戻すと、自分は成績は良かったが、帰宅すると小説ばかり読んでいたし、学校では看板とは違ってコンピュータプログラミングする部活で雑談と他人の作ったゲームの批評ばかりしていた口で、つまり、悲しいことに先見性はなかった。プログラミング技術の習得を思い立たなかったことを、後悔している。
三年の秋に赤本を開き、勉強しないといけないことに気づいたくらいで、他校の全国模試で一桁の成績をとるような連中とは無縁だった。
運良く現役で大学に滑り込み、医者にならずにすんだ。しかし、他人の腹を切って中に手を突っ込んで内臓を掴むことのできる職業は、そうそうないんじゃないかと思う。学部のガイダンスで「残りの大多数の(ハズレくじの)人も大学生活を満喫できるメニューを用意しているので安心して欲しい」と言われた通り、数学の才能その他はなかった。
一、ニ年目は、講義を詰められるだけ詰めて取ったおかげで忙しかった。一般教養の講義は、学生も教員もお互い期待しないだけあって多くはそれなりの質だったが、中には後に知識として役立ったものもあったし、良い先生もいた。この、過去の名声に胡座を掻き教育をしない大学に、決して期待してはいけない。一方で、専門の数学、物理は、よく理解できなかったが講義は良かった。生物はあまり面白くなかったが、これも適性というものだと思う。この大学の学生は、大多数の成績の良い普通の人、ごく一握りの上澄み層、そして有意な笑割合を占める自分のように運良く紛れ込んだ人、として分類できそうだが、上澄み層の人に学者として適性があるかといえば、必ずしもそうでもなさそうだ(数学の才人を除いて、実務家向きが多そう。だが、残念ながら、実務家として現に活躍している人がその層出身者にも見えない。いわゆる社会的なミスマッチ、個人的には人生の醍醐味だろうか。彼らは、どこで何をしているのだろう?)。
諸般の事情で大学院に進学した。本当は母校の悪口を言いたくないのだが、ここは匿名なので許してもらいたい。控えめに言って最悪だ。本来的には学部教育の不備が悪いのだが、研究者の職業教育訓練としてのカリキュラム(そんな決まったものはないし作り難いのは承知)がまるでないし、学生の意識任せ、所属する研究室の運任せだった。教授の下の親切な助教の先生は懇切丁寧に指導してくれるが、それも限度がある。論文を読んだり発表するには論理的な議論のやり方を習得する必要があるが、それにはこれまでの人生にひとまずさよならをして、意識的にロジカルな思考をはじめないといけない。見込みのある学生は放っておいても自分で身につけ発展するのだが、それを単に後押しすることで、徒弟教育した・篩をかけたことになっている。錬金術で一が十になった事実をもって、ゼロを一にしたと主張しているのだ。
研究も人間が組織を作って行う以上、人事が大事なのはいうまでもない。うまくゴマをすってなびかないと干されるのはどこでも同じだろう。問題は、人事やその他(プレゼンが上手い、など)の運にのみ頼ってキャリアを築いた、偶然のエリートが、無視できない割合で混じっていることだ(ポストを用意する側にも問題はあると思うが)。講義で成功者の研究上の転機や目の付け所を聞くのは後学のためになったが、偶然のエリートが色気を出して「こうすればうまくいく。こうするべきだ。だからこう教えている」と経験に基づかない独自の理論を言い回るのは実害がある。後に捏造で失職した人の「研究成果」を講義で拝聴したこともあるが、これと変わらない。
というわけで、大学院での大半の期間、自分は研究テーマに学術的な興味をもてず、密かな劣等感に苛まれて過ごした。ゼミで先輩や教授がコメントする内容が実は「大したことない」と気づいたのは、卒業する少し前のことだ。両親には支援を感謝している。今では当時と縁もゆかりもないコンサル職に就いているが、「お国のため」に貢献もしているので、投資は有益であったと思う。
今でも大変にあたまがわるい私だが、昔は自分でもどうかしていると思うほどにバカだった。
あれは中学生の頃。
『おまじない』にハマっていた私。
ある日読んだ雑誌にこう書いてあった。
『好きな人の名前を手首にマジックで書いて、その上にバンドエイドを貼って隠そう。文字が消えるまで貼っていられたら、名前を書いた人と両想いになれる?!』
……ねぇよ。あるわけねぇよ!!
と、今ならゴミ虫を見るような目で雑誌を引きちぎって捨てるだろう。
「なんて素晴らしいおまじないなんだ!」
「教えてくれた人は神に違いない!!」
疑うことを知らない、まだピュアだった頃の私は記事の内容にいたく感動して、さっそく手首にマジックで当時大好きだったひとの名前を書いた。
……ここで普通の夢見る中学生だったら可愛らしく小さな字で名前を書いただろう。
ちょっと賢しい子であれば水性マジックで消えやすくする、とかの知恵が回ったかも知れない。
しかし、重ねていうが私はあたまがわるかった。
手首に油性マジックで力強く『楓』と、当時大好きだった漫画キャラの名前を書いた私。
思いが強過ぎたせいで、バンドエイド1枚程度では隠せない程にデカい文字で書いてしまった。
(でも、大きい文字の方が想いは伝わる気がする……しない?)
左手首にデカデカと書いた『楓』の文字を見て、当時の私でもちょっとしくじった気がした。
しかし幸いな事に『おまじない』には「バンドエイド1枚で隠さなければいけない」とは書いていなかった。
『隠せればOKなんだよね?』
根拠のないポジティブさを発揮し、そう考えた私は追加でバンドエイドをベタベタと手首に貼り付けた。
それを隠すのには全部で3枚ものバンドエイドが必要だったのである。
さて『おまじない』も無事おわり、3つのバンドエイドが並ぶ左手を見た当時の私はテンションが爆上がりしていた。
だってこれを剥がした時、名前が消えていれば私は楓と両想いだからだ。
しかし左手に3枚もバンドエイドが並んでいるのは、流石にちょっと不自然な気もする。
リストバンドで隠せないかと思ってやってみたのだが、3枚のバンドエイドを覆い隠すのに、リストバンド程度では役不足だった。
一瞬ノーカンにしてやり直しをしようとも考えたのだが、一回終えてしまったおまじないをやり直したらおそらく効果は無くなるだろう。
どうしようと悩んでいたその時、私の頭に天啓が下った。
……ぉお、なんと素晴らしいアイデアか?
神もきっと私と楓の仲を祝福してくれているに違いない!
何より包帯に包まれていればバンドエイドも剥がれにくいだろうし、おまじないの成功率も高くなるだろう。
なんという一石二鳥かっ!
当時を思い出して、今は羞恥で震えている。
さて、そんな状態で学生生活をしているとどうなるか、ここまで読んでくれたあなたには想像できるだろうか?
「……左手、どうしたの?」
休み時間に、陰仲間のNちゃんからそんな言葉を投げかけられた。
……そりゃそうだ。
昨日まで何もなかった場所へいきなり包帯なんか巻いてたら気になるに決まっている。
当時はおまじないの詳細を他人へ話してしまったら効果がなくなるという認識が私の中で一般的だったし、
いくら数少ない友人であるNちゃんとはいえ私と楓の仲を引き裂く権利は無いはずだからだ。
なので私は適当にはぐらかした。
「ちょっとドジってケガしちゃったんだ。……ふへ♡」
多分ものすごく気持ち悪い薄ら笑いを浮かべながら、私は彼女へそう伝えた。
「……そう、なんだ。大変、だね。……何かあったら、力になるから話してね」
今考えれば、中学生とは思えない程に物凄く言葉を選んで発言していた彼女。
だが当時の私はバカだったので、そんな気遣いにまるで気付かなかった。
だっておまじないが成功して楓と両想いになれた時のことを妄想して、自然とニチャついた笑顔が浮かぶ程にバカだったからだ。
この左手首は私と楓の絆。愛の証。
当時の私はそんな思い込みを完全に信じる程にイカれていたのだ。
あの時の私は多分、この世の薄気味悪いものランキングでかなり上位に喰い込んでいたと思う。
陰キャではあるが、特に問題を起こすようなタイプではなかった私。
そんな私が、なんでヤンキー説教部屋こと生活指導室に呼ばれたんだろう?
当時のそこへ呼ばれるタイプの生徒は無軌道で素行不良なヤンキー男子か、それに感化された女子の一部だけ。
純粋培養された陰キャであり教室の隅で雑草のようにただ息をしているだけの私が呼ばれる理由など、この時はまったく予想がつかなかった。
頭に沢山の?マークを浮かべながら、私は初めて指導室へ足を踏み入れた。
指導室へ入ると先に来ていた先生に促され、私は彼と向かい合わせで座る。
それはまさに『取り調べ』という空気だった。
私の担任は今だとあまり見ないであろうタイプの熱血教師で、いつも暑苦しい事をクソデカボイスで言う、うるさいひとだった。
そんな担任が無言のまま、ものすごく難しい顔をして私を見つめている。
……え? 私、何かしちゃいました?
身に覚えのないことで呼び出されたあげくに普段うるさい担任から無言で見つめられるなど、ちょっとしたホラーである。
しばらく無言で私を見ていた彼は、搾り出すような声で言った。
「……なにか、悩んでいる事があるのなら話してくれないか?」
いきなり何を言い出すんだ、この熱血教師は。
「……いえ、特には」
心当たりがまるでない私は当然そう返す。
悩んでいるように見える要素など、どこにあったのか?と、この期に及んでも思っていた。
わけのわからない事を言い出した担任の顔を見ると……彼は私を見ていなかった。
「俺も至らないところはある。……だけど話を聞くことくらいは出来るんだ。そんなことをして自分を追い込む前に、相談してくれないか?」
……んん??
ここで察しの悪い私もようやく気がついた。
……ひょっとして、私『リストカットした』と思われてる?
「……あの、先生。ひょっとしてなんですが、私が自分で手首切ったと思われてます…か?」
戸惑っている私に、先生は続けてこう言った。
「ここ何日か、お前の様子がおかしいという話を聞いている。……何もないのに薄笑いを浮かべて左手首を撫でたりしていて様子が変だ、とな」
……oh。
私から溢れ出た楓への思いが、何だかとんでもない方向へ流れている。
まさか本人がまるで意識しない所で、メンヘラ女子みたいな扱いになっていたなんて。
というかメンヘラ女子は意識して他人の気を引くためにやっているのだろうから、無意識でやっていた私はマジもののバカである。
……さて、困った。
誤解を解くのは簡単だ。
何より漫画キャラにガチ恋しているのを他人へ告白するのは、当時のバカだった私でもさすがにためらわれた。
なのでNちゃんに話したカバーストーリーを、そのまま担任へ告げることにした。
「いや、これはちょっとケガしちゃって。跡が残ると嫌なのでちょっと大げさに包帯巻いてるだけ……なんです!」
私が搾り出した渾身のプレゼン。
それを聞いた担任は──
「……そうか。とりあえず、何か悩んでいる事があれば相談して欲しい。自分はあまり器用な方ではないが、お前が困っているならば力になりたい」
……あ、ダメだわ。この目はまるで信じてないわ。
むしろ『本当は何か辛いことを隠してるんだろ? 俺には分かってる』感が満載の表情だコレ。
誤解を解くのは無理そうだったので、私は担任にこう言った。
「……3週間待って下さい。そうしたら私の言っている事が事実だと分かるはずです」
追及を続けたそうな担任へ私は山岡さんみたいなセリフを吐いて、その場をなんとか乗り切った。
(今思うと仮にそれが本当に怪我だったとして『何でその傷をニヤついて見てるんだよ?』って話なのだが、私の気迫に押されたのか担任はそれ以上突っ込んで来なかった)
結局、色々とウヤムヤにしたまま私は担任からの呼び出しをクリアしたのだ。
そして、それから3週間弱が経過する。
無事にバンドエイドは剥がれたのだが、『楓』の文字は完全に消えてはいなかった。
(今なら分かるが油性マジックを使ったのがいけなかったのだろう)
あれほどの困難を乗り越えたというのに、私の想いは彼に届かなかったのである。
あの時は本当につらかったが、今は別の意味でつらい。
翌日、担任に傷跡のない手首を見せたことで私のリスカ疑惑は解消された。
『え、マジでただのケガだったの?』みたいな顔をしていた先生の顔は今でも覚えている。
ちなみに何年か後、当時の私は影で『嘘リスカ』とか呼ばれていたらしい事を知って身悶えた。
あれからン十年経ったが、私は今でもあの『おまじない』を書いた雑誌を許せない。許していない。
『文字はバンドエイド1枚で隠せるような字の大きさで書きましょう』というものすごく必要な情報をバカでも理解できるように書くべきなのを怠ったからだ。
お陰で、頭のわるい子である私が『頭わるい上に痛々しい子』にジョブチェンジしまった責任は追及していきたい。
あと3週間くらいバンドエイドを張りっぱなしにしてると、それを外した時にマジでくっせぇのな。
手首真っ赤になるまで洗ってんのにだよ?!
アホほど制汗スプレーかけても、爽やかなシトラスの香りに混じって何か変な匂いするんだわ。
リスカ疑いがあった奴の包帯が外れたら、傷はなさそうだけど何か異臭がしてる、とか……
それはそれで『何があったんだ怖ぇよ』と思われてたんだろうなぁ。
……ぁあ、マジで思い出すたびに死にたくなる。
このクソ文章をここまで読んでくれた人の中に、似たようなことした人居ないかな? 居て欲しいな!
……頼むよ私だけじゃないと言ってくれよ。